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仁木悦子
略年譜
Since: 1998.04.19
Last Update: 2001.09.23

    略年譜
1928.03.07 (昭和3年) 東京渋谷で四女として生まれ、富山へ移る、本名:大井三重(通称三重子)
1932.04. 胸椎カリエスと診断され歩行不能、仰臥生活となる
1936.08. 東京に戻る
1941.06. 長兄戦死
1945.03. 富山へ疎開する
1946.03. 東京に戻る
1948.12. 雑誌宝石の懸賞小説第三回予選発表に「期待」「謎の二十七文字」大井三重子の二作品(本人?)
1954.03. 掌編童話「白い雲と黒い雲」が『こどもクラブ』の懸賞に入選
1954.08. 『こどもクラブ』9月号に「白い雲・黒い雲」大井三恵子として掲載(誤植?)
1957.02. 河出書房長編推理小説全集の応募作『猫は知っていた』が選外佳作になるが倒産で出版されず
1957.07. 「黄色い花」を宝石に発表
1957.09. 『猫は知っていた』が第三回江戸川乱歩賞受賞となり、11月講談社より刊行
1958.02. 国立身体障害者センターに入所する
1958.xx. 大映映画「猫は知っていた」公開、監督:島耕二、主演:仁木多鶴子
1959.01. 『林の中の家』を宝石に連載開始
1960.01. センター退所
1960.05. 少年推理小説『消えたおじさん』を刊行
1961.09. 女流推理作家と「霧の会」結成
1961.11. 童話集『水曜日のクルト』(大井三重子名義)を刊行
1962.06. 翻訳家・歌人、後藤安彦(本名:二日市安)と結婚
1965.03. 身体障害者センターの医療問題で座り込みに参加
1971.12. 戦死した兄を持つ妹たちの「かがり火の会」発足
1972.07. 『妹たちのかがり火』を刊行
1979.10. 東京都のペット条例に対して「自然と動物を考える都民会議」結成
1981.04. 「赤い猫」で日本推理作家協会賞短編部門受賞
1986.11.23 (昭和61年) 腎不全の為に亡くなる
1987.04. ファイナルミステリー(短編集)『聖い夜の中で』を刊行


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