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高木彬光
略年譜 |
Since: 2019.01.27
Last Update: 2019.01.27 |
1920.09.25 | (大正9年) 青森市に医者の子として生まれる。本名:誠一。叔父に高木恭三がいる。 |
1928.xx. | 「民衆裁判謎の刺青美人」を読み、後に影響を受ける。 |
1937.xx. | 一高理科乙類に入学 |
1940.04. | 京都帝国大学医学部薬学科に入学 |
1941.04. | 工学部冶金学科に転学 |
1943.09. | 卒業。入隊するが健康上の理由により中島飛行機に材料検査係の技師として入社する。 |
1947.08. | 易者に勧められ『刺青殺人事件』に着手。最終的には江戸川乱歩へ直送する。 |
1947.12. | 江戸川乱歩より『刺青殺人事件』の出版に尽力するとの返信が届く。 |
1948.05. | 『刺青殺人事件』刊行 |
1948.08. | 雑誌ロックの懸賞一次審査7作に入るものの落選 (締め切りは1947年11月末とのこと) |
1948.10.頃 | 『刺青殺人事件』が青森放送で劇化され放送 |
1949.01. | 探偵作家クラブ例会の犯人当て朗読小説として「妖婦の宿」を出題。後、小説として発表。 |
1949.03. | 初の時代小説「鬼の腕」を雑誌天狗に掲載。以後、時代小説も多数執筆していく。 |
1949.05. | 初の少年向け小説『覆面紳士』を刊行。以後、多数執筆していく。 |
1949.06. | 宇都宮から東京下北沢へ転居。後、経堂。その後引っ越しを繰り返す時期がある。 |
1949.04.〜1950.06. | 探偵作家クラブ書記長となりクラブ報を編集する。 |
1949.08.〜12. | 海野十三の後を引き継ぎ「続未来記」を連載 |
1949.09. | 映画「透明人間現わる」公開 (高木彬光原案) |
1950.02. | 『能面殺人事件』で第三回探偵作家クラブ長編賞を受賞 |
1950.04. | (探偵作家抜き打ち座談会が雑誌新青年に掲載) |
1950.07. | 鬼クラブを結成 |
1951.05.〜06. | 『わが一高時代の犯罪』を雑誌宝石に掲載 |
1951.08. | 映画「わが一高時代の犯罪」公開 |
1952.頃 | 詰将棋を発表 |
1952.03.〜05. | 魔童子論争 |
1953.06. | 映画「刺青殺人事件」公開 |
1955.11. | 『人形はなぜ殺される』を刊行 |
1957.09.〜1958.06. | 和同出版社から神津恭介探偵小説全集を刊行 |
1957.12.〜1958.04. | 坂口安吾の『復員殺人事件』を引き継ぐ。 |
1958.05.〜09. | 『成吉思汗の秘密』を雑誌宝石に掲載 |
1959.01.〜1960.04. | 『白昼の死角』を週刊誌に連載 |
1961.08. | 『占い人生論』を刊行。以後、占い関係の本も刊行していく。 |
1961.05. | 『破戒裁判』を刊行 |
1965.02.25 | 特別弁護人として参加した丸正名誉毀損事件の最終弁論を行う。 |
1965.08. | 山田風太郎とヨーロッパへ旅行 |
1967.頃 | 秋田の鉱山事業を経営 |
1970.10.〜1972.04. | 『帝国の死角』を連載 |
1972.11.〜1974.03. | 光文社から高木彬光長編推理小説全集を刊行 |
1973.05.〜 | 角川文庫にて刊行開始 |
1973.12. | 『邪馬台国の秘密』を刊行 |
1975.01.〜1976.11. | 立風書房光文社から高木彬光名探偵全集を刊行 |
1977.04.〜05. | 『狐の密室』を掲載 |
1979.04. | 映画「白昼の死角」公開 |
1979.10. | 脳梗塞で倒れる |
1987.02.〜04. | 『七福神殺人事件』を連載 |
1983.01.〜1985.01. | 光風社から名探偵神津恭介シリーズを刊行 |
1985.02. | 大動脈閉塞症で右足を切断 |
1988.01.〜05. | 『仮面よ、さらば』を連載 |
1991.01.〜1994.09. | 平成三部作を刊行。[いわい註:(理系の作者とは思えない部分もあり)名義貸し疑惑が払拭できない] |
1995.09.09 | (平成7年) 腎不全の為に亡くなる |
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