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服部元正 作品 |
Since: 2023.01.22 Last Update: 2024.07.28 |
略年譜 - 探偵小説 - 随筆 |
1913.頃(大正2年頃) 正確な生年および出身地不明。父は名古屋中村の妓楼経営者
19xx.xx. 愛知五中(熱田中学)卒または五中の井上良夫の弟の友人
1934.06. 「殺人遺書」がぷろふいる に掲載
1934.07. 名古屋探偵倶楽部(ぷろふいるにて呼びかけ)が結成され第一回会合開催
1947.04. 福田祥男、若松秀雄と新探偵小説社を設立、新探偵小説を発行
1947.07. 新探偵小説社同人が幹事となり第一回名古屋土曜会を開催
1947.09. 「愛情の弦」を物語増刊に掲載
1948.01.? 東海探偵作家クラブ発足、会長は岡戸武平、幹事長に福田祥男
1958年頃 名古屋探偵作家クラブ設立、理事長となる
1958.11. 名古屋探偵作家クラブ編として月刊中京増刊を発行
1964.頃 問屋街という雑誌を発行していたらしい
以降不明
筆名は、服部元正、M.H
( ぷろふいる 1934.06. ) |
名検事で名探偵で旧友の戸江京太郎へのE大野球部監督森山からの手記。深夜、E大投手の小宮山賢次を殺したのは私だ。友達なのに真綿で首を絞めるようなやり方には絶えられない。事件は部員山口久造が愛していた令嬢夢子が捨てられ自殺、山口は呪詛を連ねた日記を書いていたが事件後行方がわからなくなっていて疑われていた。君は死顔の表情と僕の癖から疑うが証拠はなくジリジリと……。 |
結末にひねりを効かせた作品。もってまわた構成も唐突なのも倒叙形式の手記ということで効果がある。 |
( ぷろふいる 1934.10. ) |
私片田昇へ友人小坂が自殺したと彼の妻妖子から電話があった。私宛の遺書があり、それには支那にいた頃に阿片密輸入船で首領を殺害したこと、最近脅迫され自決を求められていたことが書かれていた。私は妖子にその遺書を見せると……。 |
話としては他愛のない奇謂。行動心理が不明すぎる。 |
( ぷろふいる 1935.11. ) |
ダンス・ホール聖林のスターダンサーのアケミが失踪した。やがて由利君のもとに若返り法の注射で名をなした楠田博士から手紙が来た。高円寺の博士邸を訪れると亡くなったという。死顔は老婆のようだった。博士は語る……。 |
現代では意外性もなくSFにもなっていない他愛のない話。 |
( 新探偵小説 1947.06. ) |
東京で新聞記者をしていた時によく通っていたバー羅典区は昔と同じ場所にあり間瀬隆平もいた。彼は中学の旧友で再会した当時は暗黒面のボス的存在だった。彼は身の上話をする。生家は大須の料理屋で遊郭移転とともに中村の遊里ヶ池へ移った。摩耶教が流行り始め、帳場の竹之助が昔の役者仲間に誘われ虜になり、修行で止めて代わりにお幸が働くことになった。中学の隆平はお幸と関係する。摩耶教先達の松井や池田が乗り込み一家は洗礼を受ける。お幸は摩耶教の池田と関係する。不動様が乗り移った池田は竹之助を攻める。この茶番劇に……。 |
青年の心理的には面白いものがある。最後のオチも意外といえば意外。暗黒面のボス的存在というのが効いているのかもしれない。 |
( 物語増刊『新選探偵小説十二人集』 中部日本新聞社 1947.09.20 ) |
( パレス6号 1948.01. ) |
明治二十三年横浜。警吏佐野順平は争っている男女を見て駆けつける。逃げた男は車夫、女は手配中の権妻お六だった。追って門をくぐると一撃が。贓物買の樺山権造に捕えられる。家の外に誰か……。 |
話自体はありふれた人情話。権妻という言葉が明治初期のものとは知らなかった。 |
( 新探偵小説 1948.02. ) |
中村公園のグラウンドに近い相沢邸の二階で六歳の息子行夫が絞殺された。母親が独楽の音を聞いて台所から死体を発見した時には未だ奇麗な独楽は廻っていた。女中ふみも独楽の音は聞いていた。相沢氏には公になっている二号の羽根田玉枝と子の英太郎がいた。県警察部の住吉警部は玉枝に聴取する。英太郎は映画を見ていたらしい。住吉警部は実験をして音が聞こえて二階に行くと独楽は廻っているのを確認する……。 |
独楽を用いた時間の謎は面白い設定であるが真相は肩透かし。世相の反映が主かもしれないが。 |
( 物語 1948.06. )※12 |
三好光多が経営する三光画廊で夜間に納家久助の三枚の絵が切り裂かれていた。光多が妻明子と娘雪子の留守中に刺殺され、同じ刃物で納家久助の絵も切り裂かれていた。警視庁住吉捜査第一課長は……。 |
探偵小説としては単純な話。動機の説明部分などに当時特有のものもあるがそれだけ。 |
( 犯罪雑誌 1948.07. )※13 |
ダンサーの紅子がアパートで絞殺されていた。発見者は会社員小山雄次で紅子には畑中というパトロンがいたがアリバイがあった。住吉警部はタオルの糸、化粧していない素顔、服装のぎこちなさから浴槽で殺され移動したと……。 |
探偵小説としては単純な話。偶然運が良かった悪かったというだけの話。 |
( オール大衆(朝日出版社(名古屋)) 1948.07. )※13 |
昭和五年、私も警視庁吉安警部も学生だった頃、中京財界人の別荘も多いO半島のS海岸海水浴場では笠原夫人と学生の戸田の間がニュースではなく旧スとして知られていた。笠原が殺されたがその時間は私と吉安が逢引を目撃していた。吉安の伯父Y署署長から凶器の指紋と呼び出し状のインクを見て吉安は……。 |
探偵小説としては安易な話。告白ではあるが殺害動機にやや面白いところがある。急須ではなかったが窮すなのか万事休すなのかと思わせる題名だけは良い感じ。 |
( 夕刊新東海新聞 1951.10.09〜15(7回) )※14 ( 神港新聞 1951.10.25〜28,30〜11.01. )※12 |
酒場「マリウス」にはマダム麻里、バーテン木田、女給夢子がいた。住吉警部が来てパトロンの沖が毒殺されたという。沖は取引先の武井と一緒にカクテルを飲んでいた。犯人はだれ、どういう方法で? |
懸賞クイズ。毒薬や証言など根拠は薄弱すぎる。 |
( 夕刊新東海新聞 1951.11.06,09,13,16,20,22,23,30(8回) )※14 ( 神港新聞 1951.12.08,09、11〜15,18 )※12 |
N公園で競輪選手峯田雄次が毒死していた。住吉警部は自殺ならあるはずのビール瓶の栓がないと公園前派出所の三神に告げる。峯田には八百長の噂があった。タバコ屋の内儀の証言、病床の峯田の母、情婦の「銀輪」のマダム相沢悠子の証言。犯人はだれ、どういう動機で、どんな手段で? |
懸賞クイズ。解決篇直前のことからの想像しかできないような。 |
( 中日ウィークリー 1952.02.06,13 )※12 |
国警の住吉警部は雪をかぶった大正橋を渡って土筆荘へ行くと中村警察署の高田警部補が来ていた。二階の洋間で絞殺されていたのは宮井はつで毎週納富雄介と綾子夫妻の土筆荘へ来ていたが今回は長唄の師匠の杵屋佐十郎と一緒に来ていた。部屋の鍵は女中の妙子が持っていて妙子は夜物が倒れる音を聞いたという。雄介と佐十郎が部屋を出て妙子が鍵をかけた時には死体はなく、密室の中に死体が出現したようにも思われる状況だった。小窓の框の新しい指紋を見つけ……。 |
トリックは少し面白い。ただしトリックを用いる意味が全くなく、秘かに合鍵が作成されていた可能性も否定されていない。トリックの為だけの作品という感じ。 |
( 中日ウィークリー 1952.06.04 )※12 |
学生の頃に聞いた、のんびりとした生活をしていた牛込の雑貨店主河口雄吉の郷里滋賀県で起った話。広念和尚がいなくなり若和尚弘道が探していた。先代が急死して後を継いだ医師の柳田が会っていたようだった。弘道と柳田の妹時子とは結婚の約束があったが破談となっていた。裏山へ向かう靴跡が古池まであり、やがて広念が池に沈められていたのが見つかる。疑いがもたれた柳田であったが、中根警部は疑問に思っていたところへ広念が胃癌に冒され余命が少ないのがわかる。柳田が殺したように思わせる自殺ではないかと……。 |
題名通り真相は明確にならない。しかも聞いた話と想像でしかない。そもそも郷里が何処でどんな所かという話に触れたことがないと書きながら郷里で起った事を話したというのが矛盾していて話そのものに疑念を感じてしまう。 |
( 中日ウィークリー 1952.06.11 )※12 |
遺書。米兵相手にガード下に立っていた私はジョージと出会った。彼は彼女をママと言った。温泉マークで事が終り、彼が母の写真を見せると私の母だった。彼は妹を幸せにすると言った。銀行強盗犯として彼の名があった。私がガード下で立っていると……。 |
因縁話というべきか。今ひとつ二つの話の繋がりが悪いように思われる。 |
( 中日ウィークリー 1952.08.20 )※12 |
房総半島N市の大学に籍を置く文科の私と精神病理学専攻の島本が酒場で相席になった青年が悩みを話す。母はある女と争い父と結婚、その女は酒問屋に嫁いだが主人立松孝助は発狂死した。孝助の掌に孝の字を書き、孝の字のある母の子として生まれ変わり不幸をもたらすと言っていた。青年の掌に字があり母は亡くなる。後妻に入った女は青年を酒問屋に連れて行くと見覚えがあった。島本はその話に……。 |
伝奇的話としては悪くないが結末の因果はよくわからない。さらに何かやっていれば可能性はあるが。 |
( 夕刊新東海新聞 1952.09.02,04,11,18,25,10.01(6回) ) |
大正五年節分の大須。落語家小三治は入舟おいらんの文で松月楼へ行く。松月楼には夜泣きする大時計の怪談があった。翌朝、楼主太兵衛の絞殺死体が発見された。門前署の里見刑事は話をきいていく。一人娘お千代、妾お妻、お妻の情夫伝次、仲居お琴。犯人はだれ、どういう方法で? |
懸賞クイズ。クイズは想像でしか回答できないが、作品と雰囲気は悪くない。 |
( 中日ウィークリー 1952.09.03 )※12 |
私服部は結核でN高原の療養所に入院し、その後近くのホテルに滞在して治療に通う生活をしていた。ホテルはほとんど患者でたまに家族か見舞客が泊っていた。黒川律子は夫が来て泊らずに帰った翌日にきまって散歩に出ていた。新来の客が律子の様子をうかがっている、後をつけていると老婦人から聞いた私はその方向へ行くと……。 |
スリラーとあるが謎の女性の正体は、というような話。最後は自らなのか選ばれたのかよくわからないが余韻だけはある。 |
( 名古屋タイムズ 1952.11.02〜06,08,09,11〜13 )※12 |
大正十年、八校寮生の塚越勇作は毎週大須の兄栄吉と嫂お幸の小間物屋へ帰っていた。栄吉の留守にお幸に誘われ関係を持つ。夕暮時に門前署へ連行されると昨夜お幸が殺されたという。昼に帰った栄吉が大正琴を手に抱いて刺殺されているのを発見していた。隣家曙楼の鈴木という男が勇作を送り出すお幸を見たという。勇作は虚偽の自白をしてしまう。門前署の敏腕刑事毛利は按摩が大正琴の音を聞いたときき……。 |
遊郭が中村に移る前の時代の大須界隈、名古屋大須発祥の大正琴、仲居の名古屋弁などローカル色豊かで面白い。ダイイングメッセージとしては、正直、爆笑してしまった。 |
( 名古屋タイムズ 1953.03.18,19,21〜23 )※12 |
田島外科病院長田島英造が病死し、貞子夫人は副医院長だった年下の茂人と結婚していた。夫婦円満だったが夫人は看護婦長室で茂人が山崎弓子に話すのを聞いてしまう。老いぼれを捨てる、オーバーを買ってあげる、と。夫人は嫉妬で犯罪計画が芽生え始めた。先代の愛犬タロを邪険にする茂人、新しいオーバー……。 |
短絡的すぎる話。偶然とはいえオチ自体は悪くないのだが。 |
( 月刊中京増刊 1958.11. ) |
( ぷろふいる 1934.01. ) |
クライムクラブの中でもクリスティ女史。名探偵の個性。小説の玄人。拙作が少ない。 |
( キネマ旬報 1934.05.11 ) |
( キネマ旬報 1934.06.01 ) |
( ぷろふいる 1934.06. ) |
意図してかいた所が反って欠点に。書いて好きではなかった作品の良さや偉大さが判った。況や尊敬していた作家をや。 |
( キネマ旬報 1934.06.21 ) |
( ぷろふいる 1934.10. ) |
第一回参加は本田、大阪、井上、若松、服部、河童三平、損大工ほか。第二回参加は新たに古田ミ生、中村由来ほか、京都より伊東利夫。来月(九月)は小酒井不木を偲ぶ会を催す。 |
( ぷろふいる 1936.01. ) |
林房雄は芥川賞候補者諸氏の作品を評して怪物性を珍重。小栗虫太郎は大怪物。日本探偵小説界は転換期で未開の荒地に鋤を。 |
( 新探偵小説 1947.04. ) 『「X」傑作選 甦る推理雑誌3』ミステリー文学資料館編 光文社文庫(み-19-13) 2002.12.20 |
雑誌創刊理由は井上良夫の死による空白を埋めるため。親交十四年、満三年余の同僚生活で会社解散。井上良夫は縁の下の力持ち的仕事から評論家や翻訳家として認められた。彼の勤めていた女学校の卒業生から死を聞いた。 |
( 新探偵小説 1947.06. ) |
( 夕刊新東海 1947.10.02 ) |
昭和22年9月25日、東海銀行本店から築地支店へ五十万円を運搬中、柳橋で塩酸をかけられ強奪された事件について、9月30日に新探偵小説関係者を中心に実施された座談会。 |
( 夕刊新東海 1947.10.20〜1948.12.14?(月1回) )※10の6,18号消息欄より |
探偵小説展望1947.10.20/?/探偵小説ペダントリイ1948.02.03/新人群像05.13/アイリッシュの作品06.23/精神病者と犯罪07.16/探偵作家の苦悩08.17/坂口安吾のたんてい小説10.14/捕物小説談義12.14(※他は休載か欠落未見か不明) |
( 夕刊名古屋タイムズ 1947.11.10 ) |
ほぼ江戸川乱歩と岡戸武平の対談で掲載は一言のみ。 |
( 神港夕刊 1947.11.15 ) |
( 新探偵小説 1948.02.,05.,06.,07. ) |
( 夕刊新東海 1949.10.08 ) |
副題は、エドガア・A・ポオの百年忌。紹介記事。 |
( 夕刊新東海新聞 1951.10.09 ) |
心理的な推理小説を書いてみたい。犯人は注意して読めば自ずと浮んでくる。 |
( SRマンスリー 1958.09. ) ( 『SR Archives Vol.1』 2005.xx. ) |
( 月刊中京増刊 1958.11. ) 引用:( 「名古屋探偵小説史」福田祥男 裸形 1964.11. ) |
クタクタ。情熱も枯れる年頃になっても力が入る。 |
( 中部日本新聞 1962.08.20 ) |
名古屋は日本推理小説の父小酒井不木、母江戸川乱歩、兄貴井上良夫がいる。井上は翻訳家、紹介、評論。森下名義の「樽」などベストテン級作品の紹介と翻訳。乱歩との往復書簡。一家の悲惨ともいうべき最後。 |
( 月刊寸鉄 1959.06.〜08.〜? ) |
徳川時代に推理小説的事件が発生したとして記された回あり。 |
( 月刊寸鉄 1959.07. ) |
戦前の関取になれなかった紀州山と中村遊廓の話。 |
( 問屋街 〜1964.〜 ) |
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