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服部元正 作品 |
Since: 2023.01.22 Last Update: 2023.01.22 |
略年譜 - 探偵小説 - 随筆 |
1913.頃(大正2年頃) 正確な生年および出身地不明。父は名古屋中村の妓楼経営者
19xx.xx. 愛知五中(熱田中学)卒または五中の井上良夫の弟の友人
1934.06. 「殺人遺書」がぷろふいる に掲載
1947.04. 福田祥男、若松秀雄と新探偵小説社を設立、新探偵小説を発行
1947.09. 「愛情の弦」を物語増刊に掲載
1958年頃 名古屋探偵作家クラブ理事長
1964.頃 問屋街という雑誌を発行していたらしい
以降不明
筆名は、服部元正、M.H
( ぷろふいる 1934.06. ) |
名検事で名探偵で旧友の戸江京太郎へのE大野球部監督森山からの手記。深夜、E大投手の小宮山賢次を殺したのは私だ。友達なのに真綿で首を絞めるようなやり方には絶えられない。事件は部員山口久造が愛していた令嬢夢子が捨てられ自殺、山口は呪詛を連ねた日記を書いていたが事件後行方がわからなくなっていて疑われていた。君は死顔の表情と僕の癖から疑うが証拠はなくジリジリと……。 |
結末にひねりを効かせた作品。もってまわた構成も唐突なのも倒叙形式の手記ということで効果がある。 |
( ぷろふいる 1934.10. ) |
私片田昇へ友人小坂が自殺したと彼の妻妖子から電話があった。私宛の遺書があり、それには支那にいた頃に阿片密輸入船で首領を殺害したこと、最近脅迫され自決を求められていたことが書かれていた。私は妖子にその遺書を見せると……。 |
話としては他愛のない奇謂。行動心理が不明すぎる。 |
( ぷろふいる 1935.11. ) |
ダンス・ホール聖林のスターダンサーのアケミが失踪した。やがて由利君のもとに若返り法の注射で名をなした楠田博士から手紙が来た。高円寺の博士邸を訪れると亡くなったという。死顔は老婆のようだった。博士は語る……。 |
現代では意外性もなくSFにもなっていない他愛のない話。 |
( 新探偵小説 1947.06. ) |
( 物語増刊『新選探偵小説十二人集』 中部日本新聞社 1947.09.20 ) |
( 新探偵小説 1948.02. ) |
( 物語 1948.06. ) new |
( 中日ウィークリー 1952.02.06,13 ) new |
( 中日ウィークリー 1952.06.04 ) new |
( 中日ウィークリー 1952.06.11 ) new |
( 中日ウィークリー 1952.08.20 ) new |
( 中日ウィークリー 1952.09.03 ) new |
( 名古屋タイムズ 1952.12.02〜13 ) new |
( 名古屋タイムズ 1953.03.18〜23 ) new |
( 月刊中京増刊 1958.11. ) |
( ぷろふいる 1934.01. ) |
( キネマ旬報 1934.05.11 ) |
( キネマ旬報 1934.06.01 ) |
( ぷろふいる 1934.06. ) |
意図してかいた所が反って欠点に。書いて好きではなかった作品の良さや偉大さが判った。況や尊敬していた作家をや。 |
( キネマ旬報 1934.06.21 ) |
( ぷろふいる 1934.10. ) |
第一回参加は本田、大阪、井上、若松、服部、河童三平、損大工ほか。第二回参加は新たに古田ミ生、中村由来ほか、京都より伊東利夫。来月(九月)は小酒井不木を偲ぶ会を催す。 |
( ぷろふいる 1936.01. ) |
林房雄は芥川賞候補者諸氏の作品を評して怪物性を珍重。小栗虫太郎は大怪物。日本探偵小説界は転換期で未開の荒地に鋤を。 |
( 新探偵小説 1947.04. ) 『「X」傑作選』ミステリー文学資料館編 光文社文庫(み-19-13) 2002.12.20 |
雑誌創刊理由は井上良夫の死による空白を埋めるため。親交十四年、満三年余の同僚生活で会社解散。井上良夫は縁の下の力持ち的仕事から評論家や翻訳家として認められた。彼の勤めていた女学校の卒業生から死を聞いた。 |
( 新探偵小説 1947.06. ) |
( 新探偵小説 1947.02.,05.,06.,07. ) |
( 新東海新聞 1947.11.02 ) |
( 名古屋タイムズ 1947.11.10 ) |
( 神港夕刊 1947.11.15 ) |
( 月刊中京増刊 1958.11. ) 引用:( 「名古屋探偵小説史」福田祥男 裸形 1964.11 ) |
( 中部日本新聞 1962.08.20 ) |
( 問屋街 〜1964.〜 ) |
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