「著者自傳」
『新進作家集』平凡社・現代大衆文学全集35 1928.12.01 (昭和3年12月) より
明治十八年三月生れ。
同三十三年東京府立一中中途退学、
同年海軍兵学校入学、
三十六年同校卒業。
三十七八年日露戦争に従ふ。
大正三四年青島戦従事、
同六年現役を退き、爾来特記すべきことなし。
生年月に関して判然とせず
「嘘のやうな實話」
「騒人」 1927.06. (昭和2年6月号) より
波に照返す陽の光や、木の葉を翻す風の温みに、迫った夏が感ぜられた。私は夏の衣類を用意する爲、倉庫に置いてある行李を出す様に吩咐けた。出しに行った從卒は云った。制服筐と二ツの行李はあるが、行李は空っぽであると。
「其外にまだ一ツ、夏物を一杯詰めた行李があるんだよ。從卒長にそう云って一緒に捜して見ろ。」
若い從卒だから注意が足りないと思って、私はかう命じたきりで二三日忘れて居た。明日から愈々白服着用と云ふ日が來た。
「幾度捜しても見當りません。次室倉庫も捜して見ましたし就任された當時の從卒にも捜させましたがありません。」
これが從卒長の言である。私は少々驚いた。小さな物なら紛失と云ふ事もあるが、大型一番の行李である。そんな物が他へ紛れ込む程不整頓な軍艦は日本に無い筈だ。私は不愉快な思ひを抱いて上陸した。明日からどうしようと云ふ當はなかった。が、妙な時には妙な事を聞くものである。私がちびりちびりと飲んで居ると、近くの町に透視術の巧みな盲が居ると云ふ話を、座敷に來た二人の藝者が話合つて居たのである。溺者の藁だ。私は道を教へて貰つて盲人を尋ねる事にした。
術者と云ふのは三十位の小柄な男で、金光教の信者であった。或時神様のお告げがあったので.山上の岩穴に籠る事一週間、其間に透視術を覺えたと云ふのである。山を登る時と降る時丈けは、不思議に道が明瞭に見えましたとも云つた。彼は早速私の爲めに紛失物を捜さうと云って、床に祭つた神前に端座した。沈默する事五分間位で、持って居た扇を半開にし、凝視める様に眼の前へ翳した。
「朧氣に見えのるは長方形です。無くなったものは紙幣ですか。」彼が訊いた。
「いゝえ。着物類を一杯詰込んだ大型の行李です。」正直に云って了ったが、既に輕蔑の心は起って居た。
「さうですか。大變な見誤りを致しました。今少しくお待ち下さい。心を落着け直して好く透視しますから。」彼は大きに耻入った。
「貴下は軍艦から来られた方でしよう。此品は沖に浮んで居る船の中の、それも水線より下に成った所にありまする。だから初めは朧にしか見えなかったのです。」
今度は餘程大事を執ったらしく、十分問も沈默を續けた後で云った。
「水線下のどんな所です。」
「倉庫、物置、と云った様な所です。」
「實は之れは軍艦丹波の出來事です。所がある可き筈の其倉庫を、幾度捜しても見當らないのです。」私はかう云って妙に心を迷はした。
「其行李は隠れて居ます。眞赤な物の下に隠れて居るのです。それで見出せなかったんでしょう。」
かう云はれて見ると、今迄適中した點さへも眉唾ものに成って來た。幾人もの從卒が捜した筈である。其等が皆それ程不注意である譯がないし、第一軍艦と云ふ殺風景な所に赤いものなんかあり様がない。私はもうこんな迷信的な事に關係した事を悔い始めて居た。
「あゝさうですか。有り難う厶いました。それで料金はいくら差上げれば好いんです。」私は起ち上らうとする氣配さへも見せて云った。
「それ丈けでお判りに成りますか。何ならこれがら私と一緒に行つて見ましょう。貴下後から跟いて來て下さい。」彼は私と反對に落着佛って云ふのであった。
「じょ、冗談ぢゃねえぞ。」私は思った。全く之れは途方も無い事であった。折角私は上陸して來て居る。料理屋へ上って飲み掛けて居る。藝者二人も待たしてある。眼の見えない男のお守りなどして、艦の中迄引摺歩かされては堪ったものではないのである。勿論斷然謝絶をしようと決心した。が、先方が好意を持て云って居る丈けに、體裁よく斷はらうと云ふ氣であった。共言葉を捜して居る間に、彼は私などにはお構ひなく、颯々と一人で喋り出した。
「えゝと、これで今丹波の舷側の艀船を乗り着けました。此所に梯子が一ツ吊り下って居ります。之れから上って差支ヘないでしょう。」
「なあんだ。本當に行くのぢゃ無かったのだ。」
私は大に安心した。彼は只口先丈けで行くのであった。これならば一寸面白い。此盲が果して私の乗つて居る艦の中の状況を、明瞭私に語り得るだらうか。私は調戯氣分を除き得なかったが、相當興味も持つ事が出來た。
「えゝ好いですとも、遠慮なく舷梯を登って下さい。」私が云った。
「上まで上りましたが、どちらが船の舳だか艨だか私には判りません。左手の方に旗が樹って居ります。」
盲目の癖に好く見付け出したものだ。これで察すると右舷側から舷梯を上り、今舷門の所に立って居るらしい。左手に旗があると云へば、艦尾に掲げられた軍艦旗に相當する。私は其旨を語って遣った。
「少し斜に艦尾の方へ寄って、眞中に樹って居る柱の前を左舷の方へ通ります。其前方に出入口があって、下へ降りられる様に梯子が懸って居ります。此梯子段を降りて行きましょう。」
これは正しく士官室昇降口と稱する出入口に相當する。私は少し宛驚きが顏を出して來るのを感じた。
「へえ。梯子段を降りて了ひました。」
「そこは中甲板と云ふのです。」
「此下にも叉梯子段が有りますね。行李はまだ下の方にありますから、此梯子段も降りましょう。」
かう云つて中甲板から更に下甲板へ降りた事に成った。と彼は又云ひました。
「まだ此下に艦尾の方へ向って降りられる段梯子があります。これを降りて行きましょう。」
そう云はれて見ると、之れこそ士官室倉庫と、士官次室倉庫とへの人口であり、突當りが士官室倉庫の入口で.次室倉庫の人口は、其手前の右壁に附いて居るのである。
「此處の倉庫の中に有るんです。」彼が云った。
「突き當りに入口のある方ですか。」と私。
「いゝえ。突當り迄行かないんです。其途中右手の方に入ロがあるんです。其中にあるんです。」
「扉を開けて這入ってご覧なさい。其所も幾度か調べさした所なんですが。」私が云った。
「此處です此處です、中段の棚で、一番右の端のです。」
「依然赤いものが乗って居ますか。」私が訊いた。
「えゝ、何だか赤いきれの様なものが掛けてあります。」
總て彼の云ふ所は眞面日であり確信的であつた。私は何時迄も輕蔑して居る譯に行かなくなった。此男が嘗て日明きであったとして、丹波艦内を見に行った事があるとしても、外來者を倉庫迄連れ込む筈はない。又若し此男が給仕に雇はれて居たと考へられないでも彼が、子供であった時分には丹波と云ふ艦は未だ出來て居なかった。之れは或は紛れ當りかも知れないが、兎に角透視に依て適中したものと見なければならなくなる。私は何故ともなく大分に感心させられた。料金も申出の倍額を佛つて歸った。行李が有っても無くても此判斷は面白いものゝ様に思はれたのである。
翌朝は生惜とからッと晴れて、相當暑い日であつた。私は鎮守府の旗竿に白服着用の信號を見乍ら歸艦した。士官室に入ると多勢が食後の漫談に耽って居る所であった。其処へ私は從卒長を呼んだ。
「今日はいやでも白服を着用しなければならないんだ。今一度倉庫を捜して見ろ。幾度捜しても不注意な捜し方では見付かりはしない。私は未だ一度も倉庫なんかへ這入って行った事はないが、それでもお前達よりは中の様子が好く判って居る。私は精神を統一して其中を透視する事すら出來るんだ。嘘と思ふんなら私が試しに透視した所を云って見ようか。私の行李は次室の倉庫へ紛れ込んで行って居るんだ。之れは私が此艦に着任した時、私の從卒は私室の外の廊下へ其行李を出した儘、室内を整頓して居ったんだ。處が其時丁度中下甲板の大掃除であったから、分隊の者が廊下を掃除に來たんだ。其行李を發見したので、好意を以て倉庫迄運んで呉れた處が倉庫の掃除をして居つた次室の從卒がそれを下で受取ったので、名前も調べないで次室士官の物と思ひ込んで次室の倉庫へ入れて了ったのだ。其場所は中段の棚で……倉庫の中は三段に成って居るだらう。」
實際私は知らないのでかう訊いた。
「さうです。」從卒長が答へた。
「……其中段の棚で、一番右舷側へ寄った端の所にあるんだ。併も私の透視によると、何か眞赤な布か何かゞ掛って居る様な氣がする。直ぐ行って調べて見ッ。」
私は澄し切って云った。次室倉庫へ紛れ込んだ譯は私の推定であった。私が從卒長に吩咐けて居るのを聞いて、或者は其理由を訊いた。或者は私が透視すると云ふ丈けで、既う冷かしに掛るものもあつた。が.徒卒長は何だか思ひ當る節でもありさうな顏で云った。
「次室の從卒長と立會つて貰って、今直ぐ行つて捜して見ます。」
ものゝ五分とは經たない中、行李は士官室へ運ばれた。
「ありましたありました、これなら前に捜した時にもありましたが何しろ此危險旗が掛って居るもんですから、危いと思って手を觸れませんでした。」と、從卒長は云ふのであった。行李に掛って居た危險旗も持って來て居った。危險旗と云ふのは射撃發射の際とか火藥搭載の際に掲ける旗で、危險物を標示する旗でもある。それは眞赤一卜色の旗であるが、其古旗が何故倉庫へ迷ひ込んだかそれは私にも推定が出來なかつた。(終)
注)冒頭の「なみ」はサンズイ+ケモノヘン+奇ですが「波」としています。