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松本恵子 作品 |
Since: 1998.04.15 Last Update: 2024.09.22 |
略年譜
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探偵小説
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一般小説
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童話
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翻訳 - 随筆 - 少女向記事 - 著書 - 訳書 - おまけ |
1891.01.08(明治24年) 札幌(訂正)で生まれる。父伊藤一隆は札幌農学校でクラークに学び北海道の水産業界に貢献。石油業界でも貢献。
1894.秋? 函館に転居
1900.頃 直江津の女学校に寄宿、柏崎の日曜学校に通っていたらしい
19xx.xx. 「開拓者」「六合雑誌」に小説やタゴールの詩を翻訳(伊藤恵子名義)
1915.02. 「咲子」を「六合雑誌」に発表(伊藤恵子名義)
1915.,1916. 青山女学院にて「明るい世界へ」「エフタの娘」が上演(『青山学院史』より)
1916.02.〜1919. イギリスに遊学
1916.03. 青山女学院英文科卒業
1918.02. 「ロンドンの一隅で」(高樹恵名義)を「三田文学」に発表
1918.06. 松本泰と結婚
1918.09. 夫婦帰国
1919.xx.〜 「故国を離れて」「ダンテ・ガブリエル・ロゼチ」「泣きおどり」を「三田文学」に発表
1921.頃 (東中野に転居)
1923.xx. (松本泰、奎運社を興して雑誌「秘密探偵雑誌」「探偵文芸」を発行)
1923.〜 中野圭介、中島三郎名義で「秘密探偵雑誌」「探偵文芸」に創作や翻訳を掲載
1925.02. 『美しき物語 窓と窓』を奎運社から刊行
1925.頃 (松本泰、谷戸に文化住宅を十数戸建設し文士仲間が住む)
1933.〜 長谷川伸の瞼の母との再会の橋渡しをする
1936.〜 松本泰と共訳で『ディッケンズ物語集』刊行
1939.04. (松本泰、死去)
1939.11. 『四人姉妹(若草物語)』翻訳 刊行
1940.03. 『大陸の聖女 故清水美穂子伝』刊行
1942.xx. 『もずのくつやさん』刊行
1954.xx. NHKテレビに児童劇、ホームドラマを提供
1962.06. 随筆集『猫』刊行
1974.xx. 第十六回日本児童文芸家協会児童文化功労賞受賞
1976.11.07(昭和51年) 死去
筆名は、伊藤恵子、高樹恵、松本恵子、松本恵、中野圭介、中島三郎、黒猫、K、松本泰、(松本けい)、(松本けい子)、恵美敦郎、中野恵子(?)、(山名宗一(?))、(伊藤一隆(?))
(国DC)は国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています
(国DC※)は国立国会図書館デジタルコレクション個人送信(ログイン必要)で公開されています(今後非公開になる可能性もあります)
( 秘密探偵雑誌 1923.08. ) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
小間物商の彦兵衛が雨宿りに軒先を借りたのが縁で、米屋のご隠居に贔屓にしてもらい、時には金の融通もしてもらうようになった。が、ご隠居が殺され、百両の金と貴重品が盗まれた。直前に会った彦兵衛が捕らえられ、大岡越前守に皮剥獄門の極刑を言い渡された。国元の遺児、彦三郎は江戸に出向き無実の証をたてようとする。 |
大岡裁きの一幕。立派な和製探偵小説といえる。予想外の結末でこれは収穫でした。 (2004.07.11) |
( 秘密探偵雑誌 1923.09. ) |
※別人の可能性が高い |
( 探偵文藝 1925.04. ) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
もう一ヶ月も私につきまとっている男がいる。大胆な決心をして男の前の椅子についた。男はまっ赤になって店を出ていった。友人に尋ねたら会計課の室田さんだと。同じ会社なら偶然だったのかもしれない。一週間後、彼は会社を辞めた。手元には贈り主の名がない真珠の首飾り。その後、会計課では五百円のお金が無くなっていたのがわかった。 |
小噺的な内容ではあるが、「私」と室田と宝石商が良い味を出しています。 (2004.07.11) |
( 探偵文藝 1925.05. ) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 『探偵小説の風景 トラフィック・コレクション(下)』ミステリー文学資料館編 光文社文庫(み-19-34) 2009.09.20 |
探偵小説が好きで探偵となった石川探偵。地下鉄サムが現れたと信じて百合子の誘いを断り仕事に没頭。まごまごしていると彼女の会社の小使いになりそう。有楽町付近で紙入れを拾ったという乞食を取り調べる。 |
コントというべきか。オチはたいした事はないが、地下鉄サムが出てきたり、当時としては洒落た一品だったと思う。楽しい作品。 (2004.07.11) |
( 探偵文藝 1925.11. ) 『「探偵文藝」傑作選』ミステリー文学資料館編 光文社文庫(み-19-05) 2001.02.20 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
わがマドンナはタバコやの看板娘。日に二度でも三度でも無くなれば買いに行く。ある日のこと、マドンナがいない。しばらく様子をみた後、仕方なく買ったタバコ。帰ってみるとその店から菓子折が届いていた。そして万年筆も。 |
場面や描写を今に直せばそのまま通用しそうなのには驚いた。ちょっとしたお話であるだけに普通のアンソロジーに収録される可能性はなく、珍しい作品を読めただけで満足。 (2001.04.01) |
サンデー毎日 1927.01.02 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
また轢死人が出た。見に行く途中で洋画家の丈吉はまわりが興奮しているなか、沈んだ表情の若杉に会った。轢死人は弟の浩二らしい。丈吉は落ちていた手を拾ったが、手が持っている表情を見て小首を傾けた。丈吉は写真から肖像画を描くことになったが、兄弟は似ていないのに手だけは似ている。しかしあの手は……。 |
戦前の女流作家探偵小説特集の一編。さしずめ、手は語るといったところか。ポーを思わせ、探偵小説というより怪奇小説に近い。 (2001.09.24) と思ったが再読してあまり怪奇味は感じなかった。(2004.07.11) |
( 女人藝術 1929.10. )(国DC※) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
K商会支店の代表者、大川良治が手拭いで絞殺された。店員の田代が便所へ行った十五分ほどの間に。氷屋の陳述から警察は田代を犯人と目して逮捕した。田代の妻は無実を証明しようとする。 |
本格的味わいがあるものの、伏線はやや不十分。そして何より、小説というより草案のままのような感じがして残念。 (2004.07.11) |
( 探偵 1931.07. ) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
赤い帽子を揶揄する三人の男たち。万里子は三人を捕まえると、いやで堪らないから父に別の帽子を買ってくれるように加勢を頼んだ。 |
コント。このオチは少々予想外でした。 (2004.07.11) |
宝石 1951.02. 『妖異百物語 第二夜』鮎川哲也、芦辺拓編 出版芸術社・ふしぎ文学館 1997.02.20 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
女流作家特集の一編。子供が書いた日記そのままの形で記述されています。ママとその妹との三人で暮らしているけど、おばさまにおかねの世話をしてもらっている。おばさまはいろいろと勝手に決めてしまってついに家を売る事になってしまった。そして、みんなで冷やし中華を食べている時にママが死んじゃった。 |
”かぶ”や”ていき”の意味の取り違いなど子供らしさが面白い。それらが伏線になっている所など、まさに仁木悦子の先駆者として取り上げたい。冷やし中華を作る描写とかもあり、女流作家らしいし、後味が良い。一般的評価はとにかく、私好みの作品。確かに後味は・・不気味なのかもしれませんが・・。 (1998.04.12→04.26訂正) |
宝石 1951.11. 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
私の愛するお人好しの姉。雨の中、姉の為に恋人とお金を用意してアパートに戻ると姉は一人である男に会いに出かけてしまっていた。男の家へ行くと既に殺されていて、姉は容疑者になっていた。 |
フェアとは言い難いが、真犯人を当てる所は理屈にかなっている。食卓の描写もあってやはり女性らしい。後味も良く、洒落た短編。やはり私好みの作品。 (1998.04.15) |
( 面白倶楽部 1926.10.〜12. ) |
亭主が友達に五十円をかしたばかりに聞かされる愚痴、連想され得る数々の事態。亭主が酒を飲んで遅く帰ったばかりに聞かされる愚痴の数々。亭主が細君の傘を貸したばかりに聞かされる愚痴の数々。 |
次々に繰り出される妄想は面白い。松本恵子の別名かどうか、内容的には微妙。ただ10月号には「能率増進」松本泰が掲載されており本名では差しさわりがあった可能性もある。末尾に次号「細君陰謀記」掲載よく句があるが未確認。この名義での作品は他に見つかっていません。 |
( 講談倶楽部 1928.06. ) |
※小説か? |
( 文学時代 1931.08. ) |
( 犯罪科学 1931.08.〜10. ) |
実話風読物?。「犯罪王カポーネは死むだ」「カポーネ第一世向疵の由来」「カポーネは何を語る」の三回掲載。犯罪公論掲載に引き継がれたのかもしれない。1931年の逮捕では既に殺されており、第二世に入れ替わっていたという説を元とした話。 |
特ダネが伝えられたとの事。実話でもなく小説ともいえないが、傍証を想像で補った話。元があるにしろ、かなり補っているように思われる。 |
( 犯罪科学 1931.09. ) |
マイク・オースレーは七度捕えられ、七度精神病として放免された。刑務所から病院送りになるには……。 |
実話。掏摸という事もあり看過されたのかもしれない。面白い話ではある。なお、この号は松本泰、中野圭介、松本恵子の作品が掲載されている。 |
犯罪公論 1931.10. |
1931年2月26日、紐育、ビビアン・ゴルドンの絞殺死体が発見された。日記から紳士三百名との関係や強請、警官への強請などが見つかり市政の浄化が叫ばれるまでになった。 |
実話。フヰロ・ヴアンスをしてこの事件を扱はしめたならは、次の如き形式をもって記録するであらう、との事だがどうだろうか。 (2018.03.11) |
( 犯罪公論 1931.11. ) |
巻頭グラビア写真と対となる年表形式の略伝。 |
犯罪公論 1932.01. |
巻頭グラビア写真27葉に対する補足説明。 |
( 週刊朝日 1940.05.05 ) |
※第一次大戦当時ロンドンにいた頃に聞いた話とのこと ※7より |
( 六合雑誌 1915.02. ) |
( 新人 1916.02. )(国DC※) |
( 三田文学 1918.02. )(国DC※) |
ロンドン時代の私小説か。親切にしたら無心するようになった男。物乞いの置いてある帽子。日本への郵便送付時のおつり。歌声。空襲を知らせる笛。 |
( 三田文学 1919.02. )(国DC※) |
( 三田文学 1919.08. )(国DC※) |
ミス高橋は斎川氏から村上少佐が紹介してくれた医者へ約束の断りを頼まれた。番地だけで内田という名は不確かだった。引っ越し、さらに英人医師は内田少佐ではないか、斎藤医師が知っているかもしれないとのことだった。紹介されたのは斎藤医師だった。日本の親友の露子さんからの手紙。日本、友恋しさに涙。女中姉妹の喧嘩。胸にため込む自分。日本人青年の訪問。内田少佐の自殺の話題……。 |
( 三田文学 1920.04. )(国DC※) |
海を見下ろす高台の二階家。女学校に通う四人、教師、二人の女中、庭はきの老人と黒猫がいた。女中の喧嘩、老人の身投げ……。 |
( 三田文学 1921.08. )(国DC※) ( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
武ちゃんの母は赤ちゃんのために縫い物をしています。武ちゃんの弟保隆は天国へ行っていました。赤ちゃんは天国からくるとも。赤ちゃんがうまれると母も叔母もかまってくれなくなりました。武ちゃんは浅草で見た妙な踊りを……。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
女学校に入学したみっちゃんは生徒心得で男子との交際を禁止されます。仲よしの一郎さんと遊べない……。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
A女学校寄宿舎の光子の室から麦畑を超えてG女学校寄宿舎が見えます。ピンクとブルーの布を振って話し合います。悲しい時は黒、嬉しい時は緑、楽しい時はピンク、ブルーで。秋の終りに感冒が流行り……。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
美江子の大伯母が亡くなって半年。母は生まれたての弟に、妹の百合ちゃんは小叔母様に。ゆみ叔母様がきてフランス語を教えてくれたりしたが、ゆみ叔母様が泣いていて……。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
引っ越し前からいた犬のジップ。捨てにいっても戻ってくる。呑気や。ジョンとマルと恐水病。妊娠、愛犬家のもとへ送られ……。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
父母が亡くなり父の姉からの仕送りに頼るようになった大兄と小兄と姉と私。小兄の病気。海岸の街への転居。小兄もやがて……。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
北国の寄宿舎に週末に帰らなかった私を心配して訪ねてきた母と弟。学年試験を控えていてお汁粉屋への誘いも断り……。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
辺見道子は東京の学校の寄宿舎に入ることになりました。誰も相手にしてくれません。父の病気、仏蘭西語の授業。泣虫毛虫とはやし立てる百合子。先生は……。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
四歳の秋までいた札幌豊平川のほとり。記憶にある三歳の頃に初めて見た日の出の光景。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
私のお守をしていた力持ちの勝や。凧のうなり、軍艦の名前。二人の叔父が黒猫を切った夢。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
私、けいちゃんはお客様と裏庭を散歩していて葡萄を見つけ欲しがると抱き上げて取らせてくれました。兄たちと食べていると叔父が怒り、強情な私はお灸をすえられます。伯母は私に……。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
私、けいちゃんは乱暴者で物をよく壊していました。五歳の秋、父は米国へ行って留守のこともあり、伯母に連れられ東京へ行くことになりました。離れていく艀舟……。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
私、けいちゃんが六歳の時、金玉糖を貰うが席を外した間に金魚が菓子鉢のザラメに飛び込んでいた。瑠璃色の鳥とすみれさんの死……。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
私、けいちゃんを可愛がっていた伯母が重病で転地していった。鴬張りの縁側。二階の雨戸を打つ音、電報……。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
私は夜、梟の鳴き声で眼を醒ましました。お月様が笑っています。食堂の時計が鳴ります。二十四時……。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
私は妹と仙台様の屋敷跡の野原で毎日のように遊んでいました。井戸の国のお家。秋には背より高くなる薄。かくれんぼ。ある夜、兄と三人でそっと家を抜け出し……。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
道子は母が病気で乳母の家に預けられることになりました。直江津から黒井村へ。四月、外からの子供の声を聞くとたまらなくなり仲間入りします。異なっている身なり。校長の娘もよばれて……。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
きみ子ちゃんは母がなく学校でも寂しく思っていました。新しい母親がきて、ばあやとの暗闘が絶えなくなりました。母親のおみやげにいらないと思った通り言ったきみ子。父は……。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
男みたいな澄子。学校に入っても似合わないといわれ地味なものばかり。やがて自分以外の美を楽しみとするようになる。道子さんへの手紙で……。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
妹京ちゃんへの英国からの結婚祝いの手紙。思い出を込めて。 |
( 女人藝術 1929.03. )(国DC※) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
所は倫敦。京子は失った犬、レナの事でSと争った。牧師館の裏庭で見かけた子犬。レナ? 青年に連れてこられた子犬は黒い靴を履いていなかった。 |
犬がとりもつ恋愛小説。自伝的小説か。バークレー老人は名脇役。 (2004.07.11) |
( 家庭 1931.10. )※7 |
テニスを終えた李江子と幸夫夫妻。五年ぶりに海から正彦が来る。今晩は村岡夫妻と四人で帝劇に行く予定だった。李江子は正彦と残りたかったが行くことにした。予約の切符は三枚だった……。 |
( 日曜報知 1933.11.05. )※7 |
※時代小説とのこと ※7より |
( 国民新聞 1933.12.10 )※6 |
( キング 1934.01. ) |
登少年の愛犬、牧羊犬コリーのハルは子を産むが間もなく死ぬ。見つけた狼の子を我が子のように育てる。登少年も牧羊犬太郎として育てる。怪我をした羊の血を舐める太郎。襲われる羊。太郎の処刑。界隈で襲われる家畜……。 |
( キング 1934.06. ) |
事実談。前科者の加治権三は真人間になろうとするがどこへ行っても雇ってくれない。飛び込んだ教会。婦人は動ぜず昼になると権三に留守をを頼む。権三は、そして婦人とは。 |
( キング 1935.09. ) |
桑港警察のお尋ね者スミスが山奥で暮していると子供を盗まれた大鹿が狼を襲撃し瀕死の母狼は子をスミスに託す。仔狼エス公はスミスを主人として育ち、人語を解する狼として……。 |
( 現代 1938.09. ) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
若いユダはイエスこそ救世主に違いないと考えていた。羅馬に虐げられた猶太を救うという。いつ戦争を起こされますか? 一行はエルサレムへ入った。そして最後の晩餐。 |
ユダの行動の一解釈。作者の思想の一部かと思われ興味深い。 (2004.07.11) |
( 三田文学 1943.03. ) |
( 新椿 1946.06. )※8 |
二年ぶりに訪ねた海辺の宿。人を避ける仔犬。ビスケットをあげるなどしてなつく。人へ親切にした時のこと。やがて犬は……。 |
( 時代 1947.05. ) |
( 三田文学 1947.11. ) |
( 少女倶楽部 1937.02. ) |
( 少女倶楽部 1937.06. ) |
( 少女倶楽部 1938.05. ) |
( 愛育 1940.04. )(国DC※) |
※理事長賞当選作品。執筆者紹介で愛育愛読者とのみなので別人かもしれない。割り算の話。 |
( 『もずのくつやさん』 鄰友社 1942.xx. ) ( 『おはなしだいすき 6才までの母と子の本』与田準一、周郷博、石黒修編 童心社 1964.10.15 )(国DC※) |
もずのモズサクさんが靴屋を始めました。イヌ、ウマ、ウシ、シャモ、ガチョウにカエルのカワで足に合わせて作ります。翌年、カワがなくなり干しておいた場所が捜しても見つかりません。サルのさんきちの勧めでカエルを取りに……。 |
( 『もずのくつやさん』 鄰友社 1942.xx. ) |
( 『もずのくつやさん』 鄰友社 1942.xx. ) |
( 『もずのくつやさん』 鄰友社 1942.xx. ) |
( 『もずのくつやさん』 鄰友社 1942.xx. ) |
( 『もずのくつやさん』 鄰友社 1942.xx. ) |
( 『もずのくつやさん』 鄰友社 1942.xx. ) |
( 『もずのくつやさん』 鄰友社 1942.xx. ) |
( 『もずのくつやさん』 鄰友社 1942.xx. ) |
( 『もずのくつやさん』 鄰友社 1942.xx. ) |
( 『もずのくつやさん』 鄰友社 1942.xx. ) |
( 『もずのくつやさん』 鄰友社 1942.xx. ) |
( 『子どもに聞かせたいとつておきの話1』阿部知二、国分一太郎編 英宝社 1957.xx. ) ( 『中等国語1(五訂版)』 三省堂 1960.02. )※7 |
原作者:ギルバート・キャナン ( 三田文学 1918.11. )(国DC※) |
原作者:レイ・カミングス ( 秘密探偵雑誌 1923.05. ) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
ジミーはエリスと結婚する為にも将来性のある仕事を見つけたかった。評判の怪盗、鉛筆ウィリーの事を研究して盗難保険会社の調査員となった。事件発生。 |
犯人の手抜かりが何とも。まとまった小噺的作品。 (2004.07.11) |
原作者:クロスビイ・ジヨーデ ( 秘密探偵雑誌 1923.05. ) |
原作者:ソマビーユ(ソマビル) ( 秘密探偵雑誌 1923.05.〜09. ) |
原作者:アーサー・ビー・リーブ(リーヴ) ( 秘密探偵雑誌 1923.05.〜09. ) |
原作者:エバ・ピタロ(エヴァ・ピタロ) ( 秘密探偵雑誌 1923.06. ) |
原作者:フランク・ジュニアー ( 秘密探偵雑誌 1923.06. ) |
原作者:ハリントン・ストロング ( 秘密探偵雑誌 1923.07. ) |
原作者:不詳 ( 秘密探偵雑誌 1923.07. ) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
時計を質屋に持ってきた青年。主人は盗品だと見抜く。質屋の主人は青年の父と一人前の泥棒になるよう話したが。 |
洋物らしい意外なオチ。名前は全て日本名で、老人二人が青九谷の茶碗でお茶を飲みながら話すのは妙に面白い。 (2004.07.11) |
原作者:マーシュ ( 秘密探偵雑誌 1923.08. ) |
原作者:ハリントン・ストロング(マッカレー) ( 秘密探偵雑誌 1923.09. ) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
旦那様が殺された。フェンチ探偵はマシュー家に向かった。秘書のヘンリー、甥のギーン、老僕のバーカー、それぞれ可能性がある。 |
いかに犯人をつきとめたかという探偵譚。ミスディレクションは効いている。 (2004.07.11) |
原作者:マアシャル ( 探偵文藝 1925.03. )※バックナンバー紹介より(山前譲編では訳者名なし) |
原作者:バンション ( 探偵文藝 1925.06. ) |
原作者:メルビユ・デビソン・ボオスト ( 探偵文藝 1925.07.〜12. ) |
原作者:ウヰリス・ブリンドレイ ( 探偵文藝 1925.12. ) |
原作者:アガサ・クリスティ ( 探偵文藝 1925.12. ) |
原作者:アガサ・クリスティ ( 探偵文藝 1926.01. ) |
原作者:ジョンストン・マッカレー ( 探偵文藝 1926.01. ) |
原作者:メリー・ラインハーツ ( 探偵文藝 1926.01.〜08. ) |
原作者:不詳 ( 探偵文藝 1926.10. ) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
田舎から東京へ来た長吉。酔漢を家に入れる手伝いをして葉巻をもらった。その後は松屋で食事。金入れが無い。やられた! |
無声短編喜劇映画のようなドタバタ話で面白い。末尾に「カール・クローソン探偵異聞より抄訳」とあるらしいが、違和感がないほど日本に置き替えられている。 (2004.07.11) |
原作者:アガサ・クリスティ ( 探偵文藝 1926.11. ) |
原作者:アガサ・クリスティ ( 苦楽 1927.09.〜10. ) |
原作者:マジヨリイ・ライネル ( 女人藝術 1928.08. )(国DC※) |
原作者:シルバア・ソオンドラリイ ( 女人藝術 1929.08. )(国DC※) |
原作者:オルツィ ( 女人藝術 1930.01. )(国DC※) |
( 女人藝術 1930.09. ) |
原作者:アガサ・クリスティ ( 探偵、犯罪実話 1931.08.〜1931.12.,1932.xx. ) |
原作者:アガサ・クリスティ ( 犯罪公論 ) |
原作者:オルコット ( 婦人世界 1932.01.〜07.,09. )※7 |
原作者:ディケンズ ( 婦人公論 1936.02.〜12. ) |
原作者:ミルン ( 初等英語 1939.頃 ) |
原作者:コスモ・ハミルトン ( 新椿 1946.12.(11-12合併号) )※8 |
原作者:ジョン・バッカン ( 別冊宝石 1952.04. ) |
( 新青年増刊 1925.01. ) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
英国に着いて間もない頃、料理人ハンナ、ピアノの先生老婦人と銀行家P氏が薦めた『スカーレット・ピンパーネル』。構想の奇警、用意周到な伏線、巧妙な筆致。「紅ハコベ」として訳した。新講談「覆面の義人」時事新報夕刊は日本に移植された物語。続編「復讐」は震災で紙型焼失。 |
( 探偵文藝 1925.03.〜随時 ) |
( 探偵文藝 1925.04. ) |
( 探偵文藝 1925.05. ) |
( 探偵文藝 1925.06. )※バックナンバー紹介より(山前譲編では寺田栄一) |
( 探偵文藝 1925.06. ) |
( 探偵文藝 1925.06. ) |
探偵文藝 1925.08. |
倫敦にて霧の日、川瀬氏が病気の時は日本の医者にかぎるというのでドクトル谷村を訪ねた。谷村少佐は長らく病床にあるという。明日見舞うことにしたが別人であり、割腹自殺をしたと夕刊にあった。数ヶ月後、川瀬氏がダブリン市監獄へ日本人囚人を見舞うと言って日本語の本を要望されたが清書しかなかく渡した。決闘前の握手を知らず投げ飛ばして乱闘、殺してしまったという。霧の日出会った影山は脱船し印度人の家へ紹介したが監禁され逃げ出した。革命陰謀事件の首謀者の家だったらしい。 ※前半は「故国を離れて」の創作を混じえたダイジェスト |
( 探偵文藝 1925.11. ) |
( 探偵文藝 1926.02. ) |
( 探偵文藝 1927.01. ) |
私と妹の声は似ている。姉の家の背向いの家のおかあさんの声から顔を想像。三越で見掛けた想像通りの顏、そして声。 |
( 探偵・映画 1927.11. ) |
『アクロイド殺し』(※ネタばらし有)。エドガア・ワーレス。フィリップ・オッペンハイム(作風が松本泰に似ている)。「ボンカ侯爵のズボン」。近頃は機智に依るものが多くなった。気の利いたすっきりしたもの、ウイッティ、ユーモア。下手すると長編は講談、短編は落語に4. |
( 女人藝術 1929.06. )(国DC※) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
英国遊学へ向かう途中の話。シベリア鉄道車中でのロシア青年士官、密輸入と醤油壜の話。スウェーデン、ノルウエーの汽車旅。船中の男を餌食にする毒鳥といわれる婦人と老人、婦人が落していった紙片。 |
( 探偵 1931.09. ) |
( 報知新聞 1933.03.18 )※6 |
( 婦人世界 1933.04. ) |
※長谷川伸の瞼の母との再会の橋渡しの話。 |
( 月刊随筆博浪沙 1939.07. ) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
1939年4月19日、泰は昇天した。二十年前の出会い。私は片翼を失った小鳥。飛べなくとも二本の脚で人生行路をホップしてゆくことを学ぶかもしれない。 |
( 月刊随筆博浪沙 1940.08. ) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
馬場孤蝶逝去。結婚披露宴、告別式に少し遅れて駆けつけてくれた。病床見舞いの時のようす。洋書とタバコのなかの先生。 |
( 三田文学 1949.01. ) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
幼時に見た叔父たちが猫を切った夢(『窓と窓』の「函館に居た頃」参照)。怪我をした女の子が男の赤ちゃんになった夢。世の中には不思議があるとみえます。 |
( 三田文学 1950.03. ) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
帰国後、教授会の同意を得て紅一点の聴講生となった。ヨネ・ノグチ先生の講義。女学校と異なり街をうろつく学生。聴講するはずだった英国人の近代文学講義とノーの話。病気退学。 |
宝石 1952.01. |
長篇の探偵小説を書いてみたい。シェークスピア物語の翻訳、ディケンズのダイジェストを予定。春花を咲かせるために忘れずに十月に種を蒔きたい。 |
( 別冊宝石 1952.04. ) |
( 探偵作家クラブ会報 1952.12. ) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
泰は実在のものを使うのをさけ、ロンドンを舞台にするのを好んだ。ゆっくり書き、清書した。会心作はなかったようだ。時には読みかえすのも嫌になっていた。探偵雑誌に注ぎ込む資金が欲しかったので大正十三年から十五年に多くの作品をっ発表した。 |
( 『青列車殺人事件』 日本出版協同・異色探偵小説選集10 1954.04.05 )(国DC※) |
( 『青列車殺人事件』ほか 大日本雄弁会講談社・クリスチー探偵小説集 1955.12.15ほか )(国DC※) |
( 『スタイルズ荘の怪事件』ほか 大日本雄弁会講談社・クリスチー探偵小説集 1955.12.15ほか )(国DC※) |
( ミステリイクラブ会報3号 1957.09. ) |
( 『アクロイド殺人事件』 角川文庫(1608/赤502-01) 1957.09.30 )(国DC※) |
( 新文明 1959.06. )(国DC※) |
泰は好きで尊敬していたが訪問はしなかった。一度邦枝完二と訪問。文科教室のこと。「十日の菊」の原稿を邦枝完二を頂き屏風に貼り大切にしていた。野尻家に送った。泰は大衆小説全集の序文を頼んだが平凡社は巻頭に入れず月報に出した。引用する。泰に代り哀悼の意を捧げる。 |
( 『むさうあん物語別冊 武林夢想庵追悼録』 夢想庵の会 1962.07.10 )(国DC※) 『松本恵子探偵小説選』 論創社・論創ミステリ叢書7 2004.05.30 |
竹林家と姉の家は背中合わせ、夢想庵の妹と姉は札幌時代からの友達、夢想庵の生母と母は北海道時代に親しい仲。煙突とあだ名していた。春、新潟の両親の許に帰るとき赤倉温泉まで同行。原稿用紙に書かれて送られてきた文章、やりとり。結婚話と霧消。ゾラ全集。昔の原稿を返そうとしたが鼠と紙魚に喰い荒らされていた。 |
( 『情婦』 角川小説新書 1958.03.10 )(国DC※) |
( 新文明 1968.09. )(国DC※) |
長谷川伸の瞼の母との再会の橋渡しの話。 |
( 彷書月刊 1988.05.〜1990.12. ) |
△「松本恵子の思い出」品川力(1988.01.〜04.)/「鮭の赤ちょうちん」/「クラーク博士の聖書」/「武林無想庵とのこと」/「その後の無想庵」/休載/「オレンジの花」/「ロンドンへ」/「カーペンターの贈りもの」/「スノードロップ」/「大英博物館の読書室」(再)/「ヨネ・ノグチ先生」/「関東大震災」/「『探偵文芸』の発行」/「長谷川海太郎売出す」/「円本・円タク時代」/休載/「小冊子『凪』」/「父 伊藤一隆の死」/「ディケンズ物語全集」/
「ハミルトン将軍と私」/「清水安三との再会」/「北京への旅」/「セトルメント愛隣館」/「黄塵万丈」/「松本泰の死」/「影を失う」/休載/「影を追いつつ」/「戦時下の勉強会」/「再び北京へ」/「愛隣館の日々」/「北京よさらば!」 「スノードロップ」で泰との出会い、以降、秘密探偵雑誌創刊と筆名、探偵文芸と谷戸の借家、長谷川海太郎のことと結婚、平凡社の大衆小説全集に入ったこと、泰の渡米、共訳のこと、などなど昭和18年末までの自伝。 |
( 婦人之友 1918.11. ) |
政府価を定めて/戦時料理の研究/お砂糖持参のお客/一般に発達した経済思想/雄々しい決心 |
( 婦人之友 1923.03. ) |
誕生花スノードロップス。いつまでも若く。本気になって子供等と遊ぶ西洋人。両親共に子供に接する、良き伴侶となるように。 |
( 『窓と窓』 奎運社 1925.02.25 )(国DC) |
少女時代に映った世の姿。子供の世界の悲哀や悩みの物語。 |
( 郊外 1928.09. ) |
食べられる植物と食べられない植物。子供の頃に食べた豊かな食物あれこれ。最後の摘み草は倫敦。英国での戦時下食糧。 |
( 文藝研究 1928.08. ) |
( 文藝研究 1928.10. ) |
( イギリス文学 1929.01. ) |
( 禁酒の日本 1929.xx.(文末1929.01.12) ) ( 『伊藤一隆』江原小弥太編 木人社 1930.01.01 )(国DC※) |
残された母を案ずる。 |
( イギリス文学 1929.02. ) |
( イギリス文学 1929.02. ) |
( イギリス文学 1929.04. ) |
( イギリス文学 1929.04.〜06. ) |
( 女人藝術 1930.02. )(国DC※) |
( 日本国民 1932.10. )(国DC※) |
( 日曜報知 1933.09. ) |
( 『思ひ出の日露戦争』 平凡社 1935.03.10 )(国DC※) |
翻訳理由。松本恵子とハミルトンの往復書簡。 |
( 『ヂツケンス物語全集』 中央公論社 1936.10.〜 ) |
( 婦人公論 1936.12. ) |
編集の都合により打ち切り。 |
( 主婦の友 1939.05. ) |
( キング 1939.01. ) |
( 書斎 1939.05. ) |
( 国民保健 1939.07. ) |
( 旅 1939.08. ) |
( 国民保健 1939.10. ) |
( 詩と美術 1939.12. )(国DC※) |
幼少時のコッペ、その後の黒、ジョン、ボブ。結婚後のパンドラと死。マックスの逃走。メイリイと譲渡。ゴンベイの行方不明。赤と震災。ローザの出産と盗難。ガルボオの病死。捨て仔犬の十郎と五郎。 |
( 『大陸の聖女 故清水美穂子伝』 鄰友社 1940.03.02 ) |
( 三田文学 1940.06. ) |
( 書斎 1941.10. ) |
( 女性 1946.05. )※7 |
( 小天地 1946.10. ) |
( 『アメリカ料理 米人家庭の調理室から』 旺文社 1948.07.20 )(国DC※) |
( 三田文学 1948.08. ) |
( それいゆ(「手紙のたのしさ」城夏子に引用) 1949.06. ) ( 『女性の手紙の書き方』 大泉書店 1950.12.15 )(国DC※) |
松本恵子の妹が刊行する雑誌の為に送った小説の原稿が愛猫ルビーに破られたとのことで、ルビー名義のお詫びの手紙。 |
( フィクション 1949.10. )※7 |
( 『蜘蛛と月光 二つの森(上)』 英宝社 1951.03.30 )(国DC※) |
( スタア 1953.10. )(国DC※) |
( 出版ニュース 1953.12. ) |
( 新文明 1956.05. )(国DC※) ( 彷書月刊 1989.02. ) |
英国滞在時、ロゼチ研究で毎日のように通った大英博物館の読書室のようす。 |
( 出版ニュース 1956.05. ) |
( 新文明 1956.08. )(国DC※) |
英国滞在時、毎月使用するというスモール・タオルの話。越後女性の体力の話。 |
( 新文明 1956.12. )(国DC※) |
父伊藤一隆から聞いたクラーク博士札幌農学校着任の日に洗礼を受けた話。などなど。 |
( 新文明 1957.04. )(国DC※) |
都が買い上げた未亡人別邸の議員の入園無料パス要求。中国の愛隣館では無料診療所では人は来ず有料にしたら列をなすようになった。中国青年の話など。 |
( 新文明 1957.09. )(国DC※) ( 『随筆 猫』 東峰出版 1962.06.20 )(国DC※) 『随筆 猫』 講談社 1978.09.12 ( 『日本の名随筆3 猫』阿部昭編 作品社 1982.12. ) |
黒兵衛の話。猫は聴覚による威嚇がおそろしいらしい。黒兵衛は人語を解しているようだ。 |
( 新文明 1958.01. )(国DC※) ( 『随筆 猫』 東峰出版 1962.06.20 )(国DC※) 『随筆 猫』 講談社 1978.09.12 |
黒兵衛の話。ほとんど声をださない。連れて来た白雪姫は牡だった。白兵衛の連れて来た赤トラ。チコ嬢。 |
( 新文明 1958.02. )(国DC※) |
鼠の忠助の話。屋根から落ちてきた子鼠を兄一家が飼う。転居し……。 |
( 新文明 1958.05. )(国DC※) ( 『随筆 猫』 東峰出版 1962.06.20 )(国DC※) 『随筆 猫』 講談社 1978.09.12 |
ミケ嬢と子猫サスケ。妊娠。英国では野良にするのではなく引き取り処分する。 |
( 新文明 1958.06. )(国DC※) |
ロンドンのロダンの彫刻「カレイの人々」。ターナーの市民に絵画を寄贈するという遺言状。戦禍にあった古書街とそこで得た古書に挟まれていた手紙。 |
( 新文明 1959.02. )(国DC※) |
水害と昔の人の知恵。親戚の家で父が息子の結婚に送ったものの話。 |
( 『別れの曲』レーマン 三笠書房・若草文庫 1959.03.30 )(国DC※) |
( 『別れの曲』レーマン(付録:若草の友のページ) 三笠書房・若草文庫 1959.03.30 )(国DC※) |
( 新文明 1959.04. )(国DC※) ( 『随筆 猫』 東峰出版 1962.06.20 )(国DC※) 『随筆 猫』 講談社 1978.09.12 |
ミケ嬢の出産。サスケを追い回すミケ嬢。ミケ嬢を棄てようとするが……。 |
( 新文明 1959.11. )(国DC※) ( 『随筆 猫』 東峰出版 1962.06.20 )(国DC※) 『随筆 猫』 講談社 1978.09.12 |
猫のコマの口内炎。義理堅いルビイの口内炎と最後。黒兵衛の口内炎と治癒。前歯がなくよだれが出る。 |
( 新文明 1960.06. )(国DC※) |
姉から教わった馬の笑い顏。兄が人参を与えた馬の笑い顏。伊豆大島でのラバ。角砂糖。ロンドンの縞馬。 |
( 新文明 1961.05. )(国DC※) ( 『随筆 猫』 東峰出版 1962.06.20 )(国DC※) 『随筆 猫』 講談社 1978.09.12 |
クロベエの死。お悔みの俳句、電話、手紙。遺品。猫に気を配る私は自分にやさしい。 |
( 新文明 1961.09. )(国DC※) ( 『随筆 猫』 東峰出版 1962.06.20 )(国DC※) 『随筆 猫』 講談社 1978.09.12 |
牡子猫は愛猫家に贈る算段をするが、牝子猫は眼の開かないうちに川に溺れさせるという。貰い手を捜す、勇気がなければ猫屋敷。外国では祝日に送る処分法も。お祝い慰問お見舞いでも。鼠が繁殖した島へ送られたとも。 |
( 新文明 1961.11. )(国DC※) ( 『随筆 猫』 東峰出版 1962.06.20 )(国DC※) 『随筆 猫』 講談社 1978.09.12 |
ギンボウという猫。子雀がどこかの巣から落ちてきた。餌を運ぶ親雀。飛び方を教えられ去っていった。隣家の愛猫ソックス君は雀を狙う。雀のための食堂を作るが壊されてしまった。再建するも再び。ガール・フレンドに気を取られるようになるか太らせて敏捷な動作ができなくなるようにするか。 |
( 新文明 1962.03. )(国DC※) ( 『随筆 猫』 東峰出版 1962.06.20 )(国DC※) 『随筆 猫』 講談社 1978.09.12 |
ばあやが越後なまりで語った話。佐渡でじさまとばさまがめし屋を営んでいた。暮らしが苦しくなると猫がいなくなり、おけいという女が手伝うようになった。おけいさの歌がおけさ節になったという。 |
( 『随筆 猫』 東峰出版 1962.06.20 )(国DC※) 『随筆 猫』 講談社 1978.09.12 ( 『猫のエッセイ珠玉の35選』 コア出版 1989.10.25 ) ( 『たまたま・ネコ 愛猫物語23』 フットワーク出版 1990.10.31 ) ( 『猫日和 文学になったネコたちの情景』 フットワーク出版 1998.02.01 ) |
猫好きの友達からの手紙で、猫が金魚鉢の水を飲むという。くびに手紙をつけて帰ってきたので返信、おもしろい縁となったという。毎日来るゴロザエモンに手紙をつけて帰したが返事はない。小鼠も捕まえないのでその旨書くと鼠の頭と尻尾が送られてきた。弟がひげを切ってしまい……。 |
( 初出不明 ) ( 『随筆 猫』 東峰出版 1962.06.20 )(国DC※) 『随筆 猫』 講談社 1978.09.12 |
( 『随筆 猫』 東峰出版 1962.06.20 )(国DC※) 『随筆 猫』 講談社 1978.09.12 |
( 新文明 1962.08. )(国DC※) |
相模湖へ数人で行ったが歌謡曲の拡声放送とバスの警笛。泰は音楽は好きだが演奏会は好まなかった。音楽家がその気分になれないのにステージに立たされるのは残酷で愉しむ気分になれないという。自我を忘れ演奏するのを偶然、三回聴いた。談笑中にふらりと入って来た酒でだめになったピアノの天才。山のホテルでの早朝のピアノ。名月の夜のフルート。 |
( 新文明 1962.12. )(国DC※) |
兄の送り迎えをしていた鴉。ディケンズが飼っていたクリップという名の鴉が死んだときの手紙。平塚のお寺の人語を話す鴉。ポーの大鴉。母が可愛がっていたオウムのポピイ。知人の九官鳥。 |
( 新文明 1963.03. )(国DC※) |
近頃猫をあげましょうかというようになった。訪問客のミケ夫人が物置で四匹の子猫を産んだ。屋根へ子猫を運ぶミケ夫人。器量は良くないが可愛い。猫好きの妹は黒兵衛の死以来、家には置かないといっている。 |
( 新文明 1963.06. )(国DC※) |
松本泰が存命の頃、乳が美味で山羊を買うことになり花子と命名した。食堂に入りりんごを、庭のダリヤの花を食べてしまった。秋の夜、寒さで鳴くので着せてやる。朝脱ごうと踊る山羊。牡と判明し三太郎と改名。引き取りにきた青年。引き取り先のトマト畑。 |
( 逓信協会雑誌 1963.06. )(国DC※) |
子供向けは安価に提供を。子供の読書。ためになるものの押し付けでなく楽しいものを。他社と類似企画と題名違い。 |
( 新文明 1963.08. )(国DC※) ( 『猫と私』 日本猫愛好会 1967.09. ) 抜粋『随筆 猫』 講談社 1978.09.12 |
『随筆猫』の誤植。増上寺の山門。永井荷風の校外講義。戦前と様変わりした境内と周囲。狩野隼人秀信の涅槃図。髪繍曼荼羅。 |
( 新文明 1964.03. )(国DC※) |
お客ネコのミケの子で残ったのはミイ子。ミケの不妊手術。ミイ子の出産。ミイ子とチェリーを譲る。芸を教えてはいないが他家でも人間の言葉がわかるらしい。ルビーとスターのファッションショー。貰われることになったルビーとそのときのミケの態度。毛色からスターはクロと名を変える。役に立たないが、耳の不自由な妹に電話を知らせた。耳の不自由な人もわかるらしいし、予知する話もある。 |
( 新文明 1964.04.〜09.,11.〜1995.10.,1995.12.〜1996.05.,1996.07.〜1967.06. )(国DC※) |
( 三田評論 1964.05. ) |
( 渡辺慶一(直江津) 1968.xx. )(上越市立図書館) ( 直江の津 2006.06.,09. ) |
( 三田評論 1969.07. ) |
( 英語研究増刊 1970.06. ) |
( 望星 1970.09. ) |
( 『二都物語』 旺文社文庫(556-02) 1971.07.01 ) |
( 第三文明 1972.02. ) |
( 『文学者の手紙5 近代の女性文学者たち』日本近代文学館編 2007.09.20 ) |
昭和8年3月4日付、昭和16年3月24日付、昭和16年4月19日付 |
( キング付録 1939.xx. ) |
( 光の子供 1948.06.〜1948.09.,1949.01. )(国DC※) |
( 光の子供 1949.02. )(国DC※) |
( 中学英語 1949.04. ) |
( 中学英語 1949.05. ) |
( それいゆ 1949.06. ) |
( 中学英語 1949.07. ) |
( 中学英語 1949.09. ) |
( それいゆ 1949.09. ) |
( それいゆ 1949.09. ) |
( それいゆ 1949.09. ) |
( ひまわり 1949.09.,10,12〜1950.06.、08.、10.〜12. ) |
( 中学英語 1949.10.〜1950.07.? ) |
( ひまわり 1949.12. ) |
( それいゆ 1950.03. ) |
( 小学五年生 1950.08. ) |
( 小学六年生 1950.08. ) |
( それいゆ 1950.08. ) |
( それいゆ 1950.11. ) |
( 幼年クラブ 1951.03. ) |
( それいゆ 1951.11. ) |
( それいゆ 1952.05. ) |
( それいゆ 1952.09. ) |
( それいゆ 1953.08. ) |
( ジュニアそれいゆ 1953.08. ) |
( それいゆ 1954.08. ) |
( ジュニアそれいゆ 1954.10. ) |
( ジュニアそれいゆ 1955.xx.(初夏) )※それいゆ広告より |
( それいゆ 1955.08. ) |
( ジュニアそれいゆ 1956.04. ) |
( ジュニアそれいゆ 1956.05. ) |
( ジュニアそれいゆ 1956.09. ) |
( ジュニアそれいゆ 1956.09. ) |
( 中学時代三年生 1956.11. ) |
( 中学時代二年生 1956.12. ) |
( ジュニアそれいゆ 1957.01. ) |
( それいゆ 1957.08. ) |
( ジュニアそれいゆ 1957.09. ) |
( ジュニアそれいゆ 1957.11. ) |
( ジュニアそれいゆ 1958.01. ) |
【筆名に関して】
・筆名の 高樹恵、松本恵 は三田文学目録による。
・筆名の 松本けい、松本けい子 は漢字仮名違いと時期や関係性による推定。
・筆名の K は編集後記使用で実際に編集を行っていた事による(「秘密探偵雑誌」のM、K のみ)。
・筆名の 中野圭介、中島三郎、黒猫、松本泰 は「遺稿 『豊平川』より」による。
中野圭介は中野在住のけい+男性名末尾か。
・筆名の 伊藤一隆 は父であり生涯文芸作品の翻訳を実施した形跡が無い事による想像。
一方、同時連載の藤井巌の訳は後に松本泰訳として出ている。再訳かもしれないが。
・筆名の 山名宗一 は「遺稿 『豊平川』より」でマーシュの「幽霊船」を訳したとの事による。
単行本「赤い脳」波野白跳訳を訳したともあるが、記憶違いかハウスネームの可能性もある。
深見ヘンリイ訳でも単行本では、ですます調から変更されているので再訳かもしれない。
ついでに、読者欄などの 斑猫、斑猫子 も別名義かもしれない。
・筆名の 恵美敦郎 は松本泰であるが実際には共訳かハウスネームと思われる。
【それいゆ系作品に関して(別人かどうかについて)】
「続・書誌の補遺」黒田明(新青年趣味23号)の疑義に対して、松本泰夫人の作品とした根拠は以下になります。
「それいゆ」「ジュニアそれいゆ」「ひまわり」掲載作品は2016.04.04の更新で追記公開、約一年前に『アメリカ料理 米人家庭の調理室から』旺文社 1948があり、違和感も感じないまま同一人物と推定判断しました。
同じひまわり社発行の類似雑誌に同時期に同姓同名別人が連続掲載されることはないとの判断を前提としています。例外としてハウスネームや代作や名義貸しということはありますが。
以下、改めて国立国会図書館デジタルコレクション、「誌名+松本恵子」での全文検索の威力を借りての確認です。
1)最初に登場した「それいゆ」10号(1949.06.)と同じ号の「手紙のたのしさ」城夏子に
「英文学の翻訳家として知られた松本恵子夫人から」「ルビーより」の城夏子宛のお詫びの手紙が引用掲載。
(手紙は『女性の手紙の書き方』城夏子 大泉書店 1950.12.15(国DC※)にも再掲載)。
城夏子も同時初登場のようで、どちらかからの繋がりかもしれません。
2)肩書で1950年が随筆家、1952年が作家、1954年が評論家とあるのは
戦後1950年まではリライト以外随筆が主だったようで違和感なし。
創作の発表や翻訳が出版されるのは1951年から。
連載は1949〜1950年であり、以後の掲載はまばら。
評論家の真意は不明。
3)「いつも生活を楽しむ心構えで」では「横浜から東京へでかける」とあり横浜在住。
4)「ジュニアそれいゆ」には「「アルト・ハイデルベルク」より(絵物語)」が掲載。
補足1)同居の妹さんが協力者かハウスネーム的に関与していた可能性はあり。
「(妹は)お裁縫と生花と編物で忙しがってゐるようです」(昭和6年品川力宛手紙『文学者の手紙5』日本近代文学館編に収録)
「(妹)さんは料理やケーキを作るのが得意で」(「松本恵子の思い出」品川力(彷書月刊1988.01.〜04.))。
補足2)仲を取り持つ話(高見沢潤子、牧逸馬、品川力……)が散見され結婚観などのアドバイス的なことも不自然ではない。
以上、直接的な根拠とまでいきませんが、松本泰夫人と同一人物の松本恵子といえるのではないでしょうか。
1859.04.15(安政7年) 現東京で生まれる。 1873.04. 開拓使仮学校入学 1875.08. 札幌農学校が完成し移動 1876.07. クラーク着任 1876.08. 洗礼を受ける 1976.11. 禁酒禁煙の誓約に署名 1880.07. 札幌農学校(現北海道大学)1期生として卒業、開拓使御用係となる 1981.03. 結婚 1881.10. 札幌バンド設立(札幌独立教会) 1984.09. 北水協会創設、会長 1886.08.〜1987.10. 北米へ漁業調査 1987.11. 札幌禁酒会設立 会長 1888.10. 北海道庁五等技師 1888.12. 官営千歳中央孵化場を設置 1988.xx. 北海禁酒会設立 会長 1889.xx. (帝国水産本社を函館へ) 1890.06. 『米国漁業調査復命書』 (国DC) 1890.07. 水産課課長 1891.01. 恵子、生まれる 1891.xx. 北海禁酒会がバチェラーを函館から札幌へ招聘 1892.11. 北海道庁非職、帝国水産入社 1893.09. 函館へ 1893.12. 帝国水産社長 1894.07. 北海道庁辞職 1895.09. 函館商業会議所設立時に帝国水産株式会社者代表人として参加 1897.xx. 日本禁酒同盟結成 副会長 1898.10. 『氷凍法』(冷蔵庫とその事業の概要) (国DC) 1900.08. インターナショナル・オイル・カンパニー(外資、直江津)に入社 1900.xx. 北越禁酒会結成 会長 1907.06. インターナショナル・オイル・カンパニーを日本石油が購入 1912.12. 掘削機導入の為に渡米 1914.08.25 『日本石油史』日本石油株式会社調査課編(代表 伊藤一隆) (国DC) 1918.04.20 『戦争と石油』 (国DC) 1919.xx. 東京基督教青年会理事辞職 1920.01. 日本石油退職 顧問 1920.xx. 関西の国民禁酒同盟と日本国民禁酒同盟結成 理事、後理事長 1921.08.01 『石油便覧』日本石油株式会社顧問役室編(伊藤一隆) (国DC) 1921.頃 (松本泰、東中野に文化住宅を十数戸建設し文士仲間が住む) 1923.xx. (松本泰、奎運社を興して雑誌「秘密探偵雑誌」「探偵文芸」を発行) 1923.05.〜09. 「妖婦」の訳を秘密探偵雑誌に連載 1923.09.01 関東大震災 1925.04. 日本国民禁酒同盟理事長辞任 顧問 1927.12.12, 1928.02.24 『屋内遊戯』 (国DC) (飲酒に代わる何らかの快楽を提供する事は義務の一つ) 手品を実演していた、書棚に奇術の道具やマジックの本があったとの事。 1929.01.05.(昭和4年) 死去 道庁勤務時の住所? 北海道石狩国札幌区北二條西七丁目一番地 |
伊藤一隆 の妹 千代 が 大島正健夫人 大島正健と千代 の子 麗子 が 野尻抱影夫人 野尻抱影 の弟が 大佛次郎 伊藤一隆 の姉 仲 が 尾崎逸足夫人 尾崎逸足と仲 の子 なを(那美?) が 長尾半平夫人 長尾半平と なを(那美?) の子が 李恵子 で 三谷隆信夫人 三谷隆信 の 義母が 長谷川伸 の 実母 伊藤一隆 の子 あい の子が 栄子 小笠原好彦と栄子 の子が 桂子 中川勝彦と桂子 の子が 中川翔子 |
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