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西尾正 作品

Since: 2022.04.03
Last Update: 2024.09.15
略年譜 - 探偵小説 - 随筆 - 著書 - おまけ

      西尾正(にしおただし)略年譜

    1907.12.12(明治40年)  東京本郷にて西尾商店の一族として生まれる。本名は同じ
    19xx.xx.  慶応義塾大学経済学部卒業、前衛的な演劇に打ち込んでいたらしい
    1934.07.  「陳情書」を ぷろふいる に掲載
    1936.12.  「放浪作家の冒険」を探偵春秋に掲載
    1938.07.  「月下の亡霊」を新青年に掲載
    1949.03.10(昭和24年)  死去

    筆名は、西尾正、三田正、T・N生、戸原謙(演劇関係)

      (国DC※)は国立国会図書館デジタルコレクション個人送信(ログイン必要)で公開されています(今後非公開になる可能性もあります)
      (青空)は青空文庫でインターネット公開されています
      (幻影城)は探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たち の 幻影城書庫でインターネット公開されています
      (論創)はかつて論創社のサイトでインターネット公開されていましたが現在は消滅しているようです
      (夢現)は「おまけ」で公開しています



      探偵小説

  1. 「陳情書」
    ( ぷろふいる 1934.07. )
    幻影城 1977.04.
    『「ぷろふいる」傑作選 幻の探偵雑誌1』ミステリー文学資料館編 光文社文庫(み-19-01) 2000.03.20 (青空)
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     M警視総監宛手紙。女房の房枝を撲殺し告白しているのに狂人扱いされています。私が淫売宿へ行くとおふさという名の妻の若い頃そっくりの女がいました。相手は女形のような人だという。ドッペルゲエンゲルでしょうか。浅草の寿屋の楽屋裏を見張っているとおふささんが現れ、二人を尾行して……。
     特に年の差などよくわからない作品。故意に未解決にしたとのことだが幻視のようにしか思えない。芥川龍之介「二つの手紙」とは形式や行方など似たところもあり、確かに影響を受けていたのかもしれない。
  2. 「海よ、罪つくりな奴!」
    ( ぷろふいる 1934.09. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     鎌倉の海浜、令嬢初子が男に助けられた。翌年の夏の初子の日記。去年の暮れに銀座で不良に脅迫された時にも助けてくれた。また今年の夏も恒彦さんに抱きすくめられるところを助けてくれた。男から初子宛の手紙では……。
     ロマンス小説か。詭計がないことはないが。
  3. 「骸骨 AN EXTRAVAGANZA」
    ( 新青年 1934.11. )
    ( 『怪奇探偵小説集』鮎川哲也編 双葉新書 1976.02.10 )
    『怪奇探偵小説集1』鮎川哲也編 双葉ポケット文庫(あ-02-01) 1983.12.25 (国DC※)
    『怪奇探偵小説集1』鮎川哲也編 ハルキ文庫(あ-04-01) 1998.05.18
    『恐怖ミステリーbest15 こんな幻の傑作が読みたかった!』ほんの森編(編者詐称) コアラブックス 2006.05.30
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     鎌倉材木座で私Nは三年ぶりにうらぶれた脚本家吉田と会い借家を訪れた。五年前は子を残して妻が亡くなり痩せ衰えていた。三年前は踊子F子に出会って健康的になっていた。吉田の家に来るのは絵を勉強中の高木だけでなくF子もいた。飼い犬を殺した吉田は……。
     幻想味をもち、人物描写など雰囲気など叙述を重視した探偵小説か。単なる思い込み勘違いの話ともとれる。
  4. 「土蔵」
    ( ぷろふいる 1935.01. )
    ( 『新人傑作探偵小説選集 昭和十年版』 ぷろふいる社 1935.08.09 )
    幻影城 1975.10. (幻影城)
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     七通の書簡を入手した。息子より母宛で、逗子の米人娘エセルに恋をしたが病気を苦に自殺、伝染したという。八百源主人より母宛で、病気ではなかったとのこと。母より息子宛で、病気になっていないので帰宅を促す。老医師より母宛で、陽性とのこと。息子より母宛で、土蔵へ幽閉しようとしたとなじる。母から息子宛。最後の一通……。
     病気かどうか、病気なら経路は、と展開していく話。現代では当てはまらなくなっている部分もある。
  5. 「打球棒殺人事件」
    ( ぷろふいる 1935.06. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     J球場、W大対K大野球戦でW軍左翼岩堀剛三が射殺された。前日死去したK軍捕手岡田雅久は投球練習で投手岸山朔郎の暴投を捕る時に岩堀のスウィングで打たれていた。外野席観客は短銃の発射音を耳にし別嬪女性が出口に向かったという。岸山の妹恵子が犯人だったと新聞は報じた。恵子の兄宛遺書による告白。岸山から私N宛の手紙で故意の暴投との告白。岩堀の岡田への殺意。そして岸山からの手紙……。
     どこまでが真実でどこまでが嘘か錯綜させた作品。伏線はわからない。読者を翻弄させるだけの作品とも思えてしまう。
  6. 「白線の中の道化」
    ( ぷろふいる 1935.07. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     敵捕手横井の牽制球で負傷した青木投手からの手紙。横井は少年時代からの仇敵で、僕青木の奇病に居眠り小僧という仇名をつけて広めたりした。節子を奪われた僕。だが横井は僕ではなく弟章の自動車事件の意趣返しに三塁手秋川を狙ったとのこと。節子の妹万里代の見舞い。僕は館岡節子を殺した。横井を殺そうと……。
     嘘か真か錯綜させた作品。伏線は最後の一部のみか。読者を翻弄させるだけの作品とも思えてしまう。
  7. 「床屋の二階」
    ( オール読物 1935.07. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     S君は三年前の不気味な経験を語る。知人の画家石井の弟子になって出入りしていると戸田豊子も師事するようになった。豊子は妹と家出し、石井は彼女が北鎌倉の床屋の二階に男といる夢を見たという。二人で行くと石井そっくりの男が……。
     怪異譚ではあるが短い為か出来事だけで後日譚もほとんどなく背景もよくわからない。なぜ気絶したのだろう。
  8. 「青い鴉」
    ( 新青年 1935.10. )
    ( 推理界 1970.05. )
    ( 小説推理増刊 1974.08. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     菓子屋が映画を撮り終わって私Nと話していると画家今井が女の身投げがあったという。菓子屋からの手紙で訪れるとよりを戻そうとしているお葉が映画に映っていたという。今は菓子屋は春栄を今井と競っている。野球からの菓子屋と今井の喧嘩、今井の死……。
     怪異譚ではあるが最後は幻想譚に近い。菓子屋の語りの真偽自体がはっきりしない。青い鴉に何か特別な意味があるかどうかは不明。
  9. 「奎子の場合 小説家U君の草稿」
    ( ぷろふいる 1935.12. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     エウゲエニイの射殺死体を小説家Uは浜辺で見つけ、タネになるぞと呟く。妻奎子は夫にエウゲエニイを二度殺したと告げる。一度目は偽りの記憶として、二度目は記憶の繰り返しとして。奎子は……。
     デジャヴなのか予知なのか。作中作とUの部分と第三者視点が入れ子になっていてわかり難い。タネが物にならなかった話なのかもしれない。
  10. 「海蛇」
    ( 新青年 1936.04. )
    『新青年傑作選3 恐怖・ユーモア小説編』 立風書房 1969.12.25/新装版 1975.01.xx/新々装版 1991.08.01
    ( 『大衆文学大系30 短篇(下)』 講談社 1973.10.20 )(国DC※)
    ( 『釣りミステリーベスト集成』山村正夫編 徳間書店トクマノベルス 1978.04.10 )(国DC※)
    ( 『日本怪奇小説傑作集2』紀田順一郎編、東雅夫編 創元推理文庫(Fん-02-02) 2005.09.22 )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     I岬の黒木喬太郎から妻貞子への手紙。岩場で見かけた女と一夜を共にした。昨夜、同じ場所で海蛇を見た。海蛇が女だったのだろうか。復讐だ。手紙を受け取った貞子はI岬へ行く。大きな月の夜、夫を訪れると……。
     幻視幻覚による話としか思えない。喬太郎の心理や行動が理解できない事と最後貞子が見たものによれば。
  11. 「線路の上」
    ( ぷろふいる 1936.05. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     植木職中田乙吉のところに高山仙太郎が訪ねてきた。仙太郎には乙吉と同級の栄次がいた。乙吉の父を轢死させたのは仙太郎だという。乙吉は仙太郎に金を要求し受け取ると、仙太郎は父を売ったと言う。父の霊に悩まされる仙太郎……。
     幻覚か幽霊譚か。因縁なのか意識しないいじめなのか、また叫びの意味と結果は後日譚がないとわからない。
  12. 「めつかち」
    ( 月刊探偵 1936.06. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     僕が間借りしている主人の妻から聞いた話。尚子は夜、絃の音とともに壁に現れる男を見ることがあった。目を除きそっくりの改札員室井健と結婚。過去の女を賛美する詩。再び絃の音が……。
     怪異譚。最後の因縁部分は諦観だろうか、心理的にはっきりしない。
  13. 「放浪作家の冒険」
    ( 探偵春秋 1936.12. )
    『「探偵春秋」傑作選 幻の探偵雑誌4』ミステリー文学資料館編 光文社文庫(み-19-04) 2001.01.20 (青空)
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     祭の夜、私が放浪詩人樹庵次郎蔵から聞いた話。パリ?、日本人の女に誘われ娼家へ行き、間違えた部屋を覗くと女の首を締める男ともう一人の男がいた。逃げ出す。万年筆を残してきたようだ。襲われるが撃退。警察に家宅捜査され、連行され……。
     猟奇味のある冒険譚か。内容は別として樹庵次郎蔵は魅力的ではある。
  14. 「跳び込んで来た男」
    ( 新青年増刊 1938.04. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     映画俳優伊沢君は地震で窓を開けていたところ木村という男が飛び込んで来た。仕事にあぶれ浅草の盛り場をうろついていると慈善とのことで紳士に家に連れて行かれた。紳士の妻は死人で不義の相手に似た人を探していたというので逃げてきたという。伊沢君が津田博士の家を訪れると……。
     妄想と現実と混在した話。デタラメの中の真実と最後の類似、見聞の解釈違いは面白い。
  15. 「月下の亡霊」
    ( 新青年 1938.07. )
    『あやつり裁判 幻の探偵小説コレクション』鮎川哲也編 晶文社 1988.03.25
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
    『茂田井武(1)幻想・エキゾチカ 挿絵叢書6』中村圭子編 皓星社 2018.04.10
     松本君が借りようとしたのは幽霊屋敷で、番人の青年は家村男爵夫人が洋琴を弾き、音とすすり泣きが聞えるという。夫人は病死、男爵は傍らで恐怖の顏で死んでいたという。男爵のノオト。エミリアを奪ったコルシカ人混血の小城夏太郎を暗礁に飛び込ませ殺した。奈々江と結婚、彼女がI岬で見たのは小城夏太郎だという。番人は語る……。
     怪談に合理的説明をつけた作品だが、やはり怪談のまま終わる。説明部分は後出しで使い古されたネタ。
  16. 「試胆会奇話――疑問符くらぶ」
    ( 新青年 1938.11. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     間崎が試胆会の時のことをNに語る。間崎の家に木村と亀田が集り看護婦斎藤悦子と麻雀の後に試胆会をした。鎌倉光明寺の上の秋葉山の如幻菩薩に紐を下げて一人づつ結び目をつけてくることにした。三人で確認に行くと結び目が……。
     コント風怪談か。真相があるとすれば近いところにありそう。
  17. 「地球交響楽」
    ( 新青年 1939.02. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     犬印蓄音器技師のアメリカ青年ハロルドが語る。師である作曲家ボオルドウィンの娘ジェーンに夢中になっていた。元物理学者の彼は物体そのものを音楽に変化させる機械を発明、地球交響楽を創造しようとしていた。麗しき乙女、若く逞しき男。青年はレコオドを聴かせる。青年の妹は……。
     地球交響楽というSF的発想は面白い。しかし最後の説明で空想科学小説とも怪奇小説ともいい難い。しいていえば狂人小説か。
  18. 「守宮の眼」
    ( ぷろふいる 1946.07. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     青沼と与志江を乗せた馬車の前を青斑猿が横切った。馭者仙造はたたりがあるという。M山の紅R荘。与志江の姉雪子は青沼の子を宿し死んだ。生きて青沼のものとなるか、殺害するか。老僕の嘉吉は連れて来られた女は住人以上だという。前の持主の妻は咽喉を刔られて死んだという。与志江は……。
     怪異譚か。展開関係がよくわからない。青斑猿は複数いてたたりも色々なのだろうか。雪江は憎んでいたが積極的ではなかったということか。
  19. 「路地の端れ」
    ( 真珠 1947.04. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     阿部君は六晩同じ夢を見た。人を殺して追われ、崖から海へ飛び降りようとする夢を。Y港で懇意となったたか子が情夫から亭主を毒殺するよう脅迫されていた。たか子は殺して欲しいといい、阿部君は七度目の夢かと実行する。阿部君は追われ、お蘭殺しとして……。
     夢、幻想と現実が混乱した男の話。無理に解釈させようとして幻想味も怪奇味、余韻もない。
  20. 「幻想の魔薬」
    ( 新探偵小説 1947.04. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     精神病院で火事、柴原洋太郎が死亡したと院長藤原博士は語る。春日鉄二が角に模した銛で刺されて死亡し柴原は入院していた。看護をしていた婚約者斎田南海子が焼跡から見つけた手記には柴原が犀、春日が虎になっていた。さらに春日の日記では……。
     妄想に一見もっともらしい解釈をつけた作品。知っていて本人に伝えなかったのか、火事や手記に作為があるというのは邪推だろうか。
  21. 「歪んだ三面鏡」
    ( 物語増刊『新選探偵小説十二人集』 中部日本新聞社 1947.09.20 )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     私本庄三郎はガストン・ユノオから手紙を受け取った。十年前、ガストンと子ミシェルは内縁の妻上野晶子を見舞いにきていた。ミシェルの溺死でガストンは記憶喪失、野獣のようになり踊子ルイーズを引き入れる。晶子から本庄への愛の手紙。ルイーズを殺し出ていくガストン。そして届いたガストンの遺書……。
     三つの記憶の話と共に、遺書による矛盾がでて別の結末が加わる。さらにその後は明示されていないので晶子と本庄の間がどうなったかは不明。
  22. 「紅バラ白バラ」
    ( 新探偵小説 1947.10. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     滋子が多恵子となって暗黒街の顏役と無理心中した記事が出ていた。私岡田初夫はまだ戦時中に写真屋の間違いで山県慈子と写真を交換することになった。横浜空襲で公共待避所へ入ると慈子に似た火災保険会社員がいた。戦後保険会社へ行くと河村多恵子ではないかという。キャバレーで出会った慈子、保険会社の多恵子……。
     一人二役か二人二役かというような話。最後は手紙で明らかになる。個人的には一人称描写の主人公の設定に嫌悪感があるので後味が悪い。
  23. 「八月の狂気」
    ( 真珠 1947.12.(11.12合併号) )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     画家A・Tは殺しの場面の挿絵に行き詰って散歩していたと語る。殺人者のモデルに合った石屋が墓石を刻んでいた。A・Tと同姓同名、同じ誕生日で今日死ぬという。雷が……。
     夏のコントか。偶然、偶然また偶然。
  24. 「墓場」
    ( 真珠 1947.12.(11.12合併号) )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20 (青空)
     イギリス人ペンダア君が語った話。親友トオマス・スティヴンは怪奇研究家でペンダアと古代の墓地を探検しよとする。スティヴン板石を退けて墓穴に入って行き、外のペンダアと電話通信をしていた。蓋をして逃げろ、そして声が……。
     陽光と暗い海の対比があり怪談ともコントともいえそう。クトゥルー神話のようなものを思い起こすが殺人嫌疑を受けたという事は後日の判明事項があったはず。
  25. 「人魚岩の悲劇」
    ( ぷろふいる 1947.12. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     私は或る荒海の漁村に住んだことがあった。人魚岩の近く、三年に一度大渦が発生し、吸い込まれた者は二度と水面に浮かび上がらないという。夜釣りで見た画家岸本幸子の記録。恋人黒田猛が乗る輸送船がやられ海で行方不明になったと戦友中里俊次が伝えに来た。求婚する中里。幸子は人魚になって黒田と逢う夢を見ている。海に飛び込む幸子、追う中里……。
     人魚伝説と大渦を混ぜた話。中里の最期など伝説とは異なるのか、また語り手の関与度がよくわからない。
  26. 「情痴温泉」
    ( 新自由 1948.06. )(論創)(夢現)
     修禅寺の温泉宿。僕の知つた女、三百三十三人の二百二十二人番目。浴室で出会い、深夜部屋を訪れる。夜中の足音。翌朝、彼女はネクタイで首を絞められていた。若い男の客は僕と首の太い軍服を着た男だけだった。取り調べが始まり……。
     艶話にもならなかった作品か。きめ手となったのが意外といえば意外。唖然という方が正確だが。
  27. 「怪奇作家」
    ( 新探偵小説 1948.07. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     怪奇小説作家西村修一は真野綾子から手紙を受け取った。真野綾子の許婚のタップダンサー神田謙作は二重体、ドッペルゲエンゲルとなり姿を消したと。やがて西村は手紙の内容を元に小説「十九号室の惨劇」を執筆、綾子を尋ねるが見つからなかった。小説が掲載されて……。
     小説の内容が現実に影響する話か類似する話か偶然の話か。手紙の二重体の描写以外はよくわからない。返信期待の手紙のはずだが住所がない、「十九号室の惨劇」は未遂のようだが、などなど。
  28. 「女性の敵――近代犯罪説話「観念の殺人」――」
    ( 小説 1948.07.(06.07合併号) )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     私に小説依頼があり手記を発表する。K市で夜道の痴漢が頻発していた。広瀬洋介の妻清子が加藤芳彦宅からの帰途殺された。犯人が私の家に向かったらしい。現場に落ちていた刃物の持主萩原幸吉が逮捕される。Z海岸の塩焼き小屋で飯田麻子が殺され発見者田村と猛獣使い仙場が留置された。萩原は逃げたのはSで真犯人は別にいると私に話しす。小説発表後、……。
     小説の内容が利用される話。はしがきの存在にトリックというのは上手い着想。作中作の発覚部分はあまりにも弱い。最後の読んだわけではない、というのも上手くはあるが生かされいるとは言い難い。小ネタの寄せ集めのような作品。
  29. 「焼ビルの幽鬼」
    ( 講談と小説 1948.10. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     山田は恭枝に求婚したが断られ手紙を受け取る。ハワイ生まれの二世青山俊二と焼けビルの一室で関係をもったかどうか、紫水晶の指輪を貰う。昼、場所が見つからない。焼けビルにT子の変死体が発見された。同じ指輪と見ると恭枝の指輪が消えた。俊二と部屋と指輪は幻だったのだろうかと恭枝は行方不明に。山田が調べると……。
     幻覚の作品か。どの順番で死んだのか時系列がよくわからない。指輪の謎などほとんど解決されず最後も謎が増えるだけで混沌としている。
  30. 「地獄の妖婦」 (「地獄のドン・ファン」)
    ( 黄金 1948.10.10 )(論創)
    ( 浮世クラブ 1949.11. )
    新青年趣味 2002.12.
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     恋愛作家井川春雄は過去付きあった中田芙佐子旧姓山内から手紙を受け取り返信を出すが宛先不明で戻ってきた。偶然見かけた時、入って行ったのは大沢家だった。再び偶然会うと井川は家へ誘う。彼女の家はA墓地だという。井川は大沢家へ行くと芙佐子は以前の住人で既に死んでいるという。井川はその後……。
     怪談。幽霊か吸血鬼か、見える人には別の形なのか、夫はどうなったか、恐怖の顏とは、数ヶ月後になのか、などよくわからない所が多い作品。
  31. 「謎の風呂敷包み」
    ( 探偵と奇譚 1949.03. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     頸なし裸体轢死事件や中村一郎次郎兄弟の話をしてNさんのところを辞した僕はJ島へ行った。思いがけない中村の姿。風呂敷包みを離さず持ち歩くF子。幽霊を見たらしいF子。僕は風呂敷包みの中身を密かに見る。逃げようとするF子……。
     どちらが轢死体となったかという話。偶然が多いが戦後作品の中で描写と展開のバランスが比較的とれているまともな作品。
  32. 「誕生日の午前二時」
    ( 読切傑作集 1951.01. )
    新青年趣味 2002.12.
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     表面の事実。家政婦高子が奥様を殺したと陳述。旦那様は社員KやHのことを予言し当てた街頭易者に見てもらうと誕生日午前二時に死ぬという。パーティーも終わり甥の豊崎さんも帰っていった深夜、奥様に旦那様の様子がおかしいと起こされた、旦那様は川へ飛び込み数日後死体が発見された。一年後、奥様と豊崎さんが結婚、高子はKとの結婚を勧められる。裏面の真実……。
     死後2年近く後に掲載、初出が別にあるのかもしれない。内容的には安易だが、二部構成でそれなりにまとまっている。最後の一文は社会性を持った述懐といえるかもしれない。
  33. 「海辺の陽炎――大学生のある婦人に与えた書簡(中絶)」
    ( 黄色の部屋 1952.09. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     哲次君の殺人動機の一は時折乞食のような老婆を幻視すること。その二は海辺の陽炎による幻視。私と哲次で山に行く途中で見た骨焼き場の娘と帰途会ったおなほ婆さん。おなほ婆さんと貴婦人。哲次は恋し関係を結ぶ。私のところを訪れる貴婦人。老婆の幻影と陽炎の中の幽霊……。
     遺稿中絶作品だが完成に近いところで終わっていると思われる。既に告白がなければ判明しない記述もあり、無理な説明がない分だけ想像による余韻を感じることが出来る。



      随筆・評論など

  1. 「談話室(一)」T・N生
    ( ぷろふいる 1934.03.,04. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     実話や漫画やユウモア小説は無くしフィクションの探偵小説で商業雑誌を。甲賀三郎「誰が殺したか?」、青海水平「リングの死」、小栗虫太郎、井上良夫。大畠健三郎「河畔の殺人」、左頭弦馬「白林荘の惨劇」、「探偵月評」、小酒井氏、甲賀氏とT氏と新人に求めるもの。
  2. 「四月号雑感(POP欄)」三田正
    ( ぷろふいる 1934.05. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     新人集三篇。十五や二十枚ではなく五十や百枚を。緑川勝「八剣荘事件の真相」。井上良夫「探偵小説論」は抜群の読物。
  3. 「探偵時評(POP欄)」三田正
    ( ぷろふいる 1934.06. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     作家の個人力と乱歩の沈滞、横溝正史「探偵小説壇の展望」で指導的立場者がいないは同感、江戸川乱歩へ悪魔の潜む妖しい夢の発表を。探偵小説の通俗性と新星虫太郎、DSは文化人の大衆小説、無教養者も読む乱歩の通俗作品、虫太郎の功績と一部高級ファン向け、通俗性擁護。「爪」の斗南有吉氏へ、怪奇など言葉でなく描写で。
  4. 「作者の言葉」
    ( ぷろふいる 1934.07. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     本格物は書きたくても書けない。「陳情書」は故意に未解決にした。
  5. 「戦慄やあい!――一読者の探偵作家に対する注文――(POP欄)」三田正
    ( ぷろふいる 1934.07. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     素人の感想も莫迦にできいない。甲賀三郎、プロットは豊富だがしばしば結末が杜撰。謎要素より人間描写を。江戸川乱歩、プロットと異様な雰囲気、饒舌すぎる。小栗虫太郎、難解で面白い探偵小説ではない。水谷準、ユウモア探偵小説は嫌い。
  6. 「再び「芸術品の気品」について他(POP欄)」三田正
    ( ぷろふいる 1934.08. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     三木音次「芸術品の気品」に大体は賛成だがエロや惨忍が読者に足りない感じを抱かせるのは通俗味狙いかエゴイスティックな耽溺。乱歩が写実的な眼を備えたら凄いことに。ウォオレスの職業的発言は嫌、書かずにいられなかったら書けば良い。殺人の氾濫、戦慄すべき写実描写を。どのように書くか。
  7. 「貝殻(POP欄)」三田正
    ( ぷろふいる 1934.09. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     稲木勝彦「毒殺六人賦」(のち?翻案と判明)。横溝正史「呪いの塔」。心理小説パンジャマン・コンスタン「アドルフ」。クイーンとヴァン・ダイン。江戸川乱歩、作家の生涯は長距離競争。小栗虫太郎。甲賀三郎全集を。ぷろふいる増刊を。
  8. 「談話室(二)」三田正
    ( ぷろふいる 1934.10.,12. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     九月号について、狂燥曲殺人事件、とむらひ機関車、相澤氏の論文、中島親「閻魔帳」。(1934.11.中島親から三田正宛の返信。)中島親宛の返信、中島親「阿呆の言葉」、城昌幸「光彩ある絶望」。
  9. 「僕のノオト1(POP欄)」三田正
    ( ぷろふいる 1934.11. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     江戸川乱歩「柘榴」、佳作ではあるが読後に残らず飛躍はなかった。小栗虫太郎「白蟻」、書き下ろし味読予定。異常と形容など使用、嘉村礒多とゴオゴリ伝記に怪奇小説的興味、探偵小説に人生を描く努力を。
  10. 「我もし人魂なりせば――狂人の手記――」三田正
    ( ぷろふいる 1934.12. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     俺には肺病の恋人がいる。訪れると迎えに出向いてきた。入口で待たされ、出てこないので入ると屍体になっていた。屋根には恋人の人魂が踊っていた。もし人魂なりせば……。
  11. 「行け、探偵小説!――僕のノオト2――(POP欄)」三田正
    ( ぷろふいる 1935.02. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     大下宇陀児「恐ろしき誤診」ほか、如何なる探偵小説も揃っている出版書店、伊志田和郎「探偵小説と大衆」、岡田三郎「大衆文学撲滅論」と新聞掲載、評論を、本格も小説に、楽屋落ちは反省を、特殊性は強みで魅力、甲賀三郎の大衆化功罪、海野十三、新人に指導を。
  12. 「新年の言葉」
    ( ぷろふいる 1936.01. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     よく学び、よく遊べ。浮き世は嫌なもの、仕事は辛いもの。
  13. 「ハガキ回答」
    ( 探偵文学 1936.01. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     昭和十一年度の探偵文壇に、江戸川乱歩の復活を望む。嘱望する新人は新人江戸川乱歩。
  14. 「日記」
    ( 探偵文学 1936.09. )
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
     読まれるための日記の抜粋。六月二十〜二十三、三十日。くさ野球見物、試合、庭、読書雑感。
  15. 「通信譜(アンケート)」
    ( 明瑠 1936.09.,1937.09. )※「書誌の補遺」黒田明(新青年趣味22)より(夢現)
     アンケート。住所、職名、故中村君を偲ぶ、近況など。
  16. 「私の書くもの」
    ( ぷろふいる 1937.01. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     自作に対する批評は重視せず自身に問うことにした。書きたいものはないが目標はポオのようなもの。自作に対する愛着は常にある。
  17. 「諸家の感想」
    ( 探偵春秋 1937.01. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     本年度印象に残ったのは大下宇陀児「偽悪病患者」「凧」。「蛾蚊」は筆に魅惑、サスペンス、理智の眼、人間性。来年度の希望は江戸川乱歩の再起、探偵雑誌の発展。
  18. 「お問い合わせ」
    ( シュピオ 1937.06. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     直木賞記念号は旧作で新鮮味なし。最近再読したのはスティブンスン「ジキル博士とハイド氏の不思議な事件」。
  19. 「ハガキ回答」
    ( シュピオ 1938.01. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     昭和十二年度で印象に残ったのは角田喜久雄「鬼啾」、渡辺啓助「亡霊の情熱」、橘外男「逗子物語」、ほか。
  20. 「名士メンタルテスト(アンケート)」
    ( 新青年 1938.08. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     組成させたい歴史上人物、漢字当て字、島流し持参一品、十五字電報、オリンピックの新計画、連想、涼しい創造、狂人扱いされたら、自画像、の回答。
  21. 「鎌倉病床記」
    ( ぷろふいる 1947.04. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     去年二月以来病気。戦後どのように生まれ変わるべきか。大下宇陀児のいう作家の愛情。人間性のない純粋探偵小説。クロフツ「ボンスン事件」は虚構の中の真実性がない。ホームズ物との差。出版界はぬるま湯につかっている。
  22. 「創刊号に寄す」
    ( 新探偵小説 1947.06. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     創刊号拝読。和田光夫「情熱の燃焼」に同感。
  23. 「続鎌倉病床記」
    ( ぷろふいる 1947.08. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     再生日本探偵小説の希望は明るく健康、心のゆとり。新人の容貌。批評家の登場。新人江戸川乱歩。
  24. 「「日常性について」その他」
    ( 探偵作家クラブ会報 1948.04. )
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
     たわごとやペダントリイを排した作品を。研究的な雑誌を。依頼枚数が少なすぎる。現象的より本質的進歩を。



      著書

  1. 『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
    「陳情書」/「海よ、罪つくりな奴!」/「骸骨」/「土蔵」/「打球棒殺人事件」/「白線の中の道化」/「床屋の二階」/「青い鴉」/「奎子の場合」/「海蛇」/「線路の上」/「めつかち」/「放浪作家の冒険」 /△「談話室(一)」/△「四月号雑感」/△「探偵時評」/△「作者の言葉」/△「戦慄やあい!」/△「再び「芸術品の気品」について他」/△「貝殻」/△「談話室(二)」/△「(返信)」中島親/△「僕のノオト1」/△「我もし人魂なりせば」/△「行け、探偵小説!」/△「新年の言葉」/△「日記」/△「ハガキ回答」/△「解題」横井司
  2. 『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
    「跳び込んで来た男」/「月下の亡霊」/「試胆会奇話」/「地球交響楽」/「守宮の眼」/「路地の端れ」/「幻想の魔薬」/「歪んだ三面鏡」/「紅バラ白バラ」/「八月の狂気」/「墓場」/「人魚岩の悲劇」/「怪奇作家」/「女性の敵」/「焼ビルの幽鬼」/「謎の風呂敷包み」/「地獄の妖婦」/「誕生日の午前二時」/「海辺の陽炎」 /△「鎌倉病床記」/△「続鎌倉病床記」/△「「日常性について」その他」/△「私の書くもの」/△「諸家の感想」/△「お問い合わせ」/△「ハガキ回答」/△「名士メンタルテスト」/△「創刊号に寄す」/△「解題」横井司



      参考文献
  1. 「解題」横井司
    『西尾正探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書23 2007.02.20
    『西尾正探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書24 2007.03.20
  2. 「凩を抱く怪奇派・西尾正」鮎川哲也
    幻影城 1975.10.
    『幻の探偵作家を求めて』鮎川哲也 晶文社 1985.10.10
    『幻の探偵作家を求めて 完全版(上)』鮎川哲也、日下三蔵編 論創社 2019.06.20
  3. 「復刻図書館3 西尾正」末永昭二
    新青年趣味10号 2002.12.
  4. Web Site 論創社
    「〈論創ミステリ叢書〉補遺」横井司 (アーカイブ)
  5. ほか



      おまけ
「情痴温泉」
「新自由(ネオリベラル)」 1948.06. (昭和23年6月号) より

裸体の女
 あれは確か太平洋戰爭の始まる前の、昭和十五年の冬だったろうか、社用で靜岡へ出張して、修善寺の温泉宿に滯在したことがある。けうまでに僕の知った女の数は、職業的なプロスティテュートを除いて、三百三十三人あるが、その女は二百二十二人目の相手だった。
 寒い夜だった。浴室の扉をあけると、誰もいないと思ってた浴槽の蔭のところに、女が一人、蹲って湯を使っている。冬のことで眞白い湯氣が充満して、女の姿はソフト・フォーカスされているのだが、肉附や皮膚の色を見ただけでも、若い女であることは直ぐ判った。
 裸かになった女の肉体は、ぽってりとした一個の肉塊である。ここでは男女の混浴は、遠慮されているのだが、やはりこう云う手違いはあるのだろう。 「あ、失礼」と云ってタイルの冷たい床を二、三歩進んだなり立ち往生のていたらくだ。
「いいえ、どうぞ…」白い靄の中から、かなりハッキリした女の声が、浴室特有の反響を伴って聞えて來た。
「すぐ出ますから………」
 調子のいい声が意外だった。言葉のニュアンスから一種の歓迎の意を酌みとったと云ったら己惚れだと嗤うかしら? 歓迎の意を?――さよう、裸の表情を裸で受け取ったのだ。だから直観と云うより他はない。
 僕は廣い湯漕(※ママ)の、毛穴の一つ一つが分る位に透き通った、いくらか熱め加減の、溢れるばかりの湯の中に体を浸した。一方の角に体をもたせながら、改めて女を観察することにしたが、僕の位置がその目的に、好都合の方角であたことは云うまでもない。パーマネント・ウエーヴの豊かにふさふさとした髪の幾筋かが湯氣を吸いとって眞白い頚に纏いついている。 年の頃は二十二、三であろうか、極めて栄養のいい肉附で、その逞ましい脂の浮いた肩と云い、憎々しく盛り上った乳房と云い細くくびれた胴から急に膨れ上った臀の曲線と云い、一つとして男の嗜好を唆らぬものはない。一言で云えば、女が神から授けられた機能を、最大限度に発揮すべき頂点の時期に、彼女は咲き匂っている。成熟し切った女の、無技巧の有りのままの美がここの浴室の一角を占領しているのだ。美が?――いや、美に就いて語る資格はない。 女の肉体に藝術家の口にする美が、はたしてあるのかないのか、僕には分らない。だからそれを單に魅力であると云い直してもいい。異性が異性を惹きつける、貪らんな得体の知れぬ魔力だ。これなら僕にも分る。しかもその南國的なぽっちゃりした寧ろ放縦な曲線は明らかに生娘ではあるまい。最初に馴れ馴れしく発した、声の色っぽさから推察しても、けうまで既に何人かの犠牲者が、彼女の脚に踏みつけられて來たに相違ない。
 やがて彼女は惡びれずに立ち上ると、手拭を拡げ、両端をつまんで長く垂らし、乳房から下のわづかな部分を隠して、視線を此方に向けたまま、ゆっくりと、僕と対角線の一端に体を浸した。一本の手拭の被い得る部分はたかが知れている。僕はその時の彼女の露出症的な、相手の心を見抜こうとする鋭どい眼を、まざまざと露出された肉体そのものの魅力を忘れることができない。 僕はその頃三十二歳だった。男の三十二が二十前後の女にとってどれほど好もしい年齢であるか、世間の数々の実例がこれを証明している。ショオペンハウアーを待たずとも神の意思なのだ。だからその浴室の中で彼女も亦僕の肉体から艶めかしい刺戟を感受したと断定しても必ずしも己惚れだなどと思って貰いたくはない。
「御旅行ですか?」と、僕は云った。
「はあ……いいえー」
「靜岡も中々寒いですね」
「はあ…」と大胆に見入って、
「東京でいらっしゃいますの?」と尋ねた。
「東京です」二百二十二人目でもこう云う場合いつも初恋のように僕はどきどきする。
「――で、おひとりで?」
「はあ」と、視線をそらし、
「沼津から参りましたの」
「沼津ですか。沼津は僕の――」
直ぐ出ますからと云う言葉を裏切つて彼女は、それから一、二回出たり入つたりし、湯漕(※ママ)の中で無造作に脚を延ばしたり折り曲げたりした。そう云う姿態が男にどう云う反應を起させるか充分に知りながら……。それから、脱衣室の彼女の豊満な輪廓が、区切られた曇りガラスを通して、いつまでも揺曳していた。
 グリルで晩餐を済ませてから、ベットに寝轉んで、無暗に煙草をふかしながら、夜のふけるのを一刻千秋の思いで待った。男が女を思う堪えられない焦燥だ。僕はもはや抑制と云う美徳を鬼に喰わせてしまうことに決心した。
 その時、時計を見たからよく覚えている、十一時十分だった。彼女の部屋三十九号室に忍び入ったのは―。その頃はもう止宿人も眠り廊下を行く女中の足音も聞えなくなり、街の騒音も消えていた。僕は息を呑んで三十九号室の扉をこつこつこつと、三度周囲をはばかりつつ叩いた。恋の冒險の止められないのは、相手の意向がイエスかノオか分るまでのそれを探る心の緊張にある。 扉が音もなくそっと内側に引かれて、一尺ほどの空間が現われた。寝台のスタンド・ランプの弱い琥珀色の光がぼーっとその空間を彩っている。その中に確かに女の顏があった。どなた?――と云う眼が、僕であることが分ると、その探るような色は消えて一種の艶めかしさに変った。僕がその眼にぢいっと喰い入っていると、女はそっと囁いた。
「早く……扉、しめて――」

深夜の謎
 強烈な、しびれるような、現実忘却の一時間あまりだった。別れる時女は僕の口をすいながら 「今夜はどうしてだか、魔がさしてあなたに身を委せてしまったけれど、本当はあなたなんか、すこしも好きではないわ…」と云った。だが私は満ち足りた氣持で女の部屋を出た。彼女がその時、ベットに腹這いになって、煙草を吸いながら僕の方を見送っていたのを確かに覚えている。
 時計を見たら二時だったから、女と別れて一時間ほどとろとろしたらしい。すると三十九号室の方から、スリッパの音がぺたぺた聞えた。それは異様に忍びやかである。跫音は僕の部屋の前を通って、誰かが便所にでも起きたのだろう、と思っていると、それなり化粧室の扉の音もせず、また戻っても來ずに、どこかへ消えてしまった。ちょっと氣になったが、突然襲って來た睡魔に抗し切れずに、そのまま眠りに陥ち込んでしまった。
 朝になってあまり周囲が騒がしいので、寝卷のまま廊下へ出てみると三十九号室の前に私服、官服の警察官が立っていて、ただならぬ模様だ。女中に聞いて見ると、昨夜のあの女が何者かに殺された、警察の方がどこへも出ないで下さいと云っていましたと云う。僕は確かに不利な立場にあることを悟ったが、身に覚えがないと云うことは、なによりの強味だ。いつも通りの旨い朝飯を食いハム・オムレツを三皿も平げてから、命ぜられた通り、館内の廣間に他の泊り客と一緒に罐詰にされた。
 廣間ではあっちの椅子、こっちの椅子に、澁い顏をした六、七人の罐詰め組の連中が、それぞれ座を占めている。こう云う時にはきまって音頭取りが現われるもので、どこかの商店主風の中老の男が、
「屍体は、絞殺されたもので、咽喉首には若向きの派手なネクタイが、結びつけられてあったから、この中に犯人がいるとしても、我々老人の仕業でないことは確かだ、我々には若い女を殺すような色っぽいことをする元氣はないよ…」と傍わらの同じ年輩の男を見返って笑った。
「さよう、なんでも、犯人はえらく力のある奴らしい。と云うのは、ネクタイで首をしめる前に両手で扼殺したらしく、その爪痕がハッキリ残ってるんですからね」
 と、笑いかけられた男が見て來たようなことを云うと、皆はぎょっとして、互いに観察し合い、若い力のありそうな者を物色して、それらの視線が僕と、偶然、僕の隣りの長椅子に傲然とそり返っている、首の太い軍服を着た男に集まった。若い男と云えば僕とその男と二人きりだったからである。
「殺される前に、その女は、誰かと情交を結んだらしく、その痕跡が認められたそうだ。派手なネクタイをしめて、女の寝室に忍びこんで弄んだ挙句に、殺人を犯すような若い男は?」
 改めて皆の視線が、僕達二人に集まった。將校は、耐りかねたようにぐいと身を起すと、
「……犯人が、証拠と、なるような自分のネクタイを、現場へ残して行くものですか……情交の痕跡があったそうだが、云うことを聞いた女を殺す莫迦はいませんよ。欲望をとげたら、殺す氣は失くなってしまうのが普通でしょう。これは表面に現われた事実よりも、更に複雑なものがありますよ。だから、この意味で老人だって疑えますねぇ」
 うがった話なので、皆が聞いている裡に、取調が初(※ママ)まった。
 僕は、正直に自分の行爲を白状した。しかし警察官は、僕の言葉を信じてくれず、僕と彼女とが昔から関係があったものとして、何かの意趣晴らしに殺したのだろう、恐れ入ってしまえと、直ちに本署に同行されて、その晩は留置された。
 翌朝、留置場の高い窓から、ほのかに見える空は青いのに、陽のはいらぬ暗い廊下を、刑事に促されて、二階へ昇って行くと、すれ違いに、昨日の將校に出会った。
 刑事部屋では昨日聞かれたことを繰り返して、また聞かれたが、僕が夢うつつに、廊下のスリッパの音を聞いた、と云う段になると、昨日はてんで問題にしなかったのに、今度は至極乗氣で、「二時頃に間違いはないか」とか「そのまま消えてしまったのだな」と鋭どく追究された。
「時計を見たのだから、間違いはないし、女の足音だと思ったから、注意深く聞いてましたから間違ありません」とはっきり私が断言すると、
「そうですか…」と、今度は、言葉遣いも叮嚀にして、一本のネクタイを差し出した。そして、
「これをしめて見給え」と云った。そして結び目を暫くみていたが、
「よろしい、あなたは釈放します」とあっさり云ってくれた。

肉体の痕跡
 後になって、これは判った事だがやはり女は男の情婦だった。陸軍中尉として軍籍にあった男は、背廣に変えて、しめし合せたこのホテルへ女のあとを追って來たのが、途中で用事ができて、遅れて來たところ、女はもうねていた。待ちかねていると思ったのが案に相違して、そのまま女の横へ入ったところ、意外にも女は誰か他の男に身をまかせた直後らしい事を、その肉体の感触で氣ず(※ママ)いた男は、烈しい嫉妬に肚立って、無意識に女の首をネクタイでしめてしまったのだ。
 周章てゝ室からぬけだすと、今度は軍服に変えて、玄関から入って來て、最前誰にも見られずに通ったのを、好都合にして改めて、女中に宿泊を求めたのだが、ネクタイを忘れて來たのは失敗で、あの猪首の太いのにしめたから、ネクタイのしわがふつうの者のと違っていたのだが、あっさりと動かぬ証拠になってしまったのである。 (了)

注)新旧漢字混在は原文のままです。促音化対応、繰り返し記号は繰り返し文字対応しています。
注)会話の始めで改行追加、次に一文字空きのない場合は改行なしにしている所があります。
注)行末で句読点が無い場合は追加しています。
注)本作品はかつて論創社のWeb Siteで公開されていたものです。但し、新旧漢字混在など元版に準拠(グレードダウン?)しています。解説部分は「〈論創ミステリ叢書〉補遺」横井司 (アーカイブ)に残っていますので参照願います。


「通信譜(アンケート)」
「明瑠」 1936.09. (昭和11年9月) より

 此度の通信は左の六項目を列擧して御返信を願ふことゝした
  一、姓名
  二、現住所
  三、勤先及び職名
  四、メールに對する希望或は意見
  五、故中村君を偲ぶ(御生前特に親交の方に望む)
  六、通信或は感想
 以下編者宛到着日付順により掲載す

(一) 西尾正
(二) 兵庫縣魚崎町(※以下割愛)
(三) 大阪商船株式會社豫備員
(四) 年と共に「メール」が成長してゆくので大いに喜んでゐる。これも吾々級友が「メール」の使命を深く認識して熱心に通信を寄せられる結果であらう、將來益々發展することを切望してゐる、又編輯の任に當られる請兄に対し深甚の敬意を表す。
(五) 日本一の捕鯨船日新丸の進水をみるにつけ一入中村君の死が惜まれる、今一度彼を最新式の捕鯨船に乗せて活躍させたかったが、鳴呼!
(六) 五月の末に中華丸を下りて目下紳戸で豫備をしてゐる、毎日會社から歸へると赤ン坊のお守と圍碁の研究をやってゐるが、碁より赤ン坊のお守の方が難かしいやうだ、此頃は酒もやらず良き父となってゐるから感心してくれ。

注)住所は番地まで記載されていますが割愛します。

「通信譜(アンケート)」
「明瑠」 1937.09. (昭和12年9月) より

 第四號卷末に掲載致して置きました (略) 返信用紙を御送りした際多少追加して (略)
  一、文通に一番便利なる住所
  二、勤務先及び職名
  三、近況
  四、左記項目中一つ以上御記入願ひ度し
  (A)我煙草酒量及健康状態
  (B)我信條とする或好愛する名句金言詩歌
  (C)我道樂
  (D)我體驗記
  五、八一會議事第四號所載八一會々則改正の件に對する御意見
  六、其他の内容如何不問
 (略)
 編者宛到着日時順に依り掲載し御参考迄に到着日も記入致して置きます。 (略) 尚(五)の八一會議事は一括して別項に掲載することに致しました。

 七月卅一日 西尾正
 一、兵庫縣魚崎町(※以下割愛)
 二、大阪商船株式會社 武昌丸 一運
 三、武昌九に去年の八月乗船して以來大過なく勤めてゐる。本船は大阪北鮮線、高雄、清津線、基隆香港線、高雄、馬公線、臺灣東沿岸線、臺灣臨時線等種々な航路に就航するので、相當忙がしく暮らしてゐる。
 目下は東京、高雄線だが此度高雄に着いてからその先は不明なのでなんとなく落着がない氣持だ、こんな鹽(※臣の所が土)梅で荷役、出帆航海當直入港荷役を繰り返へして居る。
 四、(A)煙草は日に四、五本。酒は二合。ビールは二本。健康也。但し晩酌はやらない。
   (B)
1、名利の人之れを小人と云ふ。
2、心の富は金の富より貴い、世人は物質の富を過大に評價する傾向がある。
3、自分の職業に興味を持てる人は幸福である。
4、全べて新らしいものを善しとするは文明人の一大迷信なり。
5、「仙客來遊雲外嶺、神龍棲老洞中淵、雪如がん(※糸丸)素煙如柄、白扇倒懸東海天」
6、賢者は愚者に學ぶところ多し。
7、やわ肌のあかきちしほにふれもせで淋しからずや道を説く君。
8、かたつむりぼつぼつのぼれ富士の山。
9、非理法權天。
10、ついておいでよこの提灯に、けしてくろうはさせやせぬ。

注)住所は番地まで記載されていますが割愛します。
注)漢詩、短歌などは続けて一行にしています。
注)五の意見は確認モレで有無未確認です。


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