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岡戸武平 作品 |
Since: 2023.06.04 Last Update: 2024.07.28 |
略年譜
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探偵小説・捕物帳
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随筆
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著書 その他の小説 - 随筆 - 著書(小説・随筆) - 著書(社史・郷土史) |
1897.12.31(明治30年) 愛知県知多郡横須賀町(東海市)にて生まれる。本名同じ。
1912.03. 高等小学校を卒業、教師の資格を得て母校に勤務
1918.09. 名古屋新聞に入社、のち入隊(東京)
1919.xx. 除隊、名古屋新聞に復帰、東京支局に勤務
1920.xx. 大阪時事新報に勤務、江戸川乱歩と会う
1922.02. 結核となり八事療養所入所、療養に専念する
1925.xx. 小酒井不木と知り合い助手となり『闘病術』の実質的な執筆をする
1927.05.〜 紙魚第八冊より編輯
1929.04.01 小酒井不木死去
1929.04.24〜 上京し小酒井不木全集を編纂する
1929.06.,08. 「下駄」を猟奇に、「五体の積木」を新青年に掲載
1929.xx. 博文館に入社、のち文藝倶楽部の最後の編集主任となる
1932.11. 江戸川乱歩名義『蠢く触手』刊行
1933.xx. 博文館退職
193x.xx. CK(NHK名古屋ラジオ)向けに「桜三態名古屋城」を野村胡堂原作名義で執筆※「博文館の侍たち」より
1939.01.〜 文学建設を編集、一時自宅を発行所とする
1939.01. 「お城」を文学建設創刊号に掲載
1944.xx. 愛知県有明町に疎開
1946.頃 文化復興を編集
1946.08.〜 『人を呪へば』を夕刊名古屋タイムズに連載
1951.09.〜 CBCラジオのスリラー劇場の原作担当
1952.頃 CK(NHK名古屋ラジオ)向けに「稲妻忠七捕物帖」「三四郎日記」「鉄砲の名人権兵衛」執筆※10会報58号1952.03.より
1955.11.〜 「伊藤家伝」を中部経済新聞に連載開始、以降多くの企業史や郷土史を執筆
1958.頃 名古屋探偵作家クラブ会長
1960.xx. 愛知県文化功労者
1961.04. 不木碑除幕式に参列
1977.08. 歯歯塚建立(発起人代表の一人で碑文は岡戸氏の文)
1985.09. 大正琴発祥の地の碑建立(名誉会長岡戸氏碑文)
1986.08.31(昭和61年) 死去
筆名は、岡戸武平、(江戸川乱歩)、(森下雨村)、(小酒井不木)、(野村胡堂)、白山子(将棋観戦記)
(国DC)は国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています
(国DC※)は国立国会図書館デジタルコレクション個人送信(ログイン必要)で公開されています(今後非公開になる可能性もあります)
(奈落)は もる氏 の「奈落の井戸 小酒井不木研究サイト」の「翻刻ライブラリ(同時代資料)」「年代別・参考文献/資料集」で(部分)引用公開されています
(愛知県立大)は愛知県立大学リポジトリで公開されています
( 猟奇 1929.06. ) 『「猟奇」傑作選 幻の探偵雑誌6』ミステリー文学資料館編 光文社文庫(み-19-06) 2001.03.20 |
東山、尾佐竹、大海原が迷信について話している。尾佐竹は四のつく番号の電車に乗らない令嬢の話をする。令嬢は妹の同窓の永江悠子で婚約者寺尾保が水無川の鉄橋で轢死していた。付近に轢き砕かれた女下駄があった。枕木に残ったあと。惧れる理由……。 |
探偵趣味の男の探偵譚。会ったこともない婚約なのかもしれないが態度が不審すぎる。意外性というより唐突な結末。 |
( 新青年 1929.08. ) ( 『殺人芸術』 波津書房 1948.06.01 )(国DC※) ( 『怪奇探偵小説集』鮎川哲也編 双葉新書 1976.02.10 ) 『怪奇探偵小説集(1)』鮎川哲也編 双葉ポケット文庫(あ-02-01) 1983.12.25 (国DC※) 『奇想の森 ミステリーの愉しみ1』鮎川哲也編、島田荘司編 立風書房 1991.12.20 『怪奇探偵小説集1』鮎川哲也編 ハルキ文庫(あ-04-01) 1998.05.18 『恐怖ミステリーbest15 こんな幻の傑作が読みたかった!』 コアラブックス 2006.05.30 |
K電鉄会社支配人佃野三平に山岡乾一という知らない者から手紙が届いた。「お咲を佃野の外妾として奪われた。M百貨店のモデル写真で居所を知り、やがて二等として人形が飾られた。復讐として氷結させ五つに切断し組み合わせ、抱いて凍死する。嘘だと思うなら製氷会社第四倉庫へ。」と。佃野が行くと……。 |
活字デザインと掛け言葉が印象的な作品。 |
( 文藝倶楽部 1929.08. )※12より |
( 新青年 1930.01. ) ( 『殺人芸術』 波津書房 1948.06.01 )(国DC※) 幻影城 1976.03. |
私は永久運動の器械を発明しようとしていた。父が試みていて手伝っていたが家を出て東京の会社に入るも事業縮小の犠牲、ミン子と暮すようになって再開した。ミン子はカフェからの帰りも遅くなり、私は佐々木からの手紙を見つける。ミン子は蓄音器を買い佐々木緑光のレコードがあった。私は……。 |
奇想的な作品。ここまで空想によらず現実性を無視するのであれば立派なもの。 |
( 『蠢く触手』江戸川乱歩 新潮社・新作探偵小説全集1 1932.11.22 )(国DC※) ( 『蠢く触手』江戸川乱歩 新潮文庫(224) 1937.03.15 ) ( 『蠢く触手』江戸川乱歩 光文社・名作読物選 1950.11.01 ) 『蠢く触手』江戸川乱歩 春陽文庫探偵CLUB(C01-44) 1997.10.10 |
あずま毎日のスクープであずま日日新聞は社会部長を三谷澪二に交代させた。社会部記者進藤にタネを売りにくる怪老人がいてR国公使館の事件を予言する。革命でR国公使と館員一同が引上げ、権田康夫が留守居をする事になった。権田が横浜のMホテルから帰ると警視庁から電話通報で山本刑事らが来ていて裸女が絞殺されていた。進藤と堺が予言通り公使館へ行きスクープをものにする。三谷に鵆子爵家を管理している高津秋子が会いに来て被害者は妹の京子だという。鵆子爵家では子爵夫妻は亡く嗣子文麿は肺病で入院していた。 あずま日日は身許判明でもスクープをとる。井口捜査課長は殺人淫楽者の犯行だと会見していた。横浜では権田の相手をしていたお米がいなくなっていた。どこかの船長の情婦で偽R国公使館館員ローザンとも会っていた。怪老人に謝礼を払った進藤は再び女が殺されると予言を告げられる。警視庁でも検閲映画がグロテスクなものにすり替えられ映像にあった芝浦の船へ向かう。現場にはマークのついた足跡が残されていた。白い船と黒井船、怪老人尾行、青眼鏡の男、舞踏会、北湖院、丸の内での事件……。 |
ブン屋物。小さなトリックのようなものや江戸川乱歩作品に関するようなものが散りばめられている。ただ文体が淡泊なのか怪奇性や迫力に欠けるし結末部も意外性はあるがあっけない。上手く回避しているところもあればアンフェアなところもあり玉石混交作品。 |
( 新青年 1938.04. ) ( 『恩讐蜻蛉斬』 近代小説社 1942.05.20 )(国DC※) ( 『殺人芸術』 波津書房 1948.06.01 )(国DC※) |
胸と背に上り龍下り龍の刺青がある太鼓師龍紋の源次は女房お苫と子の猪之吉と長屋に住んでいた。猪之吉は質屋武蔵屋五兵衛の娘と一緒になりたいという。お苫は不釣り合いだと反対するが源次は直談判をけしかける。お苫は五兵衛に手籠めにされそうになり逃げて源次と一緒になっていた。月足らずで生まれた猪之吉を疑う源次だがお苫は血統が理由だと明かす。信じない源次に証を立てるとお苫は……。 |
時代小説。探偵小説とはいい難い。印象深い最後ではある。復縁が出来そうではあるが。 |
( 『鉄仮面』江戸川乱歩 大日本雄弁会講談社 1938.08.15 )(国DC※) ( 『鉄仮面』江戸川乱歩 大日本雄弁会講談社・少国民名作文庫 1946.09.20 )(国DC※) ( 『鉄仮面』江戸川乱歩 大日本雄弁会講談社・世界名作物語 1948.06.10 )(国DC) ( 『鉄仮面』江戸川乱歩 大日本雄弁会講談社北海道支社・世界名作物語 1948.10.15 )(国DC※) ( 『鉄仮面』江戸川乱歩 大日本雄弁会講談社・世界名作全集5 1950.07.25 )(国DC※) |
※Web Site 名張人外境より(『不木・乱歩・私』より)/『「猟奇」傑作選』作者紹介より |
( 新青年 1938.12. ) ( 『恩讐蜻蛉斬』 近代小説社 1942.05.20 )(国DC※) ( 『殺人芸術』 波津書房 1948.06.01 )(国DC※) |
安政五年、川崎の奈良茶漬萬年屋で二人が出会う。大工はコロリが集まっている療養所で一日二両で仕事をしていたが、一日五両で看護をしていた女がいた。男に逃げられたらしい。女はコロリにかかり死際に夫婦となり百両を得る。吉原の姉からの苦情で大阪下りをしようとしていた。とんとん屋は逃げた男と上方で暮していたという。とんとん屋は石碑をたててやりたいと言う。大川駒形堂付近で二人は飯を食い……。 |
時代小説。ポーの影響らしきところと騙すところなど探偵小説要素がないとまではいえない。最終段へのつながりは唐突でよくわからない。 |
( 夕刊名古屋タイムズ 1946.08.08〜09.06 (30回) ) ( 『人を呪へば』 パレス社 1947.06. ) |
本田親夫は宮古島から復員し蛇料理の屋台を出していた。ボルネオで縁のあった桑野シマ子と再会する。強引にシマ子を囲っている矢留昂二の嫉妬。屋台の側で腹を撃たれた矢留と助ける親夫と刑事。貫通銃創、親夫の指紋のついた拳銃、ステッキ。行方不明になった蛇取り係の弟の康夫……。 |
探偵小説ではあるがユーモア小説として新聞掲載予告。銃創の謎はいわゆる馬鹿ミス。他の小さな疑惑などもあるが勘によったり供述でわかるというだけで淡々とした描写で物語的な面白さはほとんどない。 |
( パレス創刊号 1947.06. )※12より ( 『殺人芸術』 波津書房 1948.06.01 )(国DC※) |
腰張芳雄刑事は南京袋に入れられ殺されそうになった夢を見た。ヤミ屋の取り締まり中に岐阜までの切符を持ち大阪へ行くという桶狭間埋蔵金発掘同志会会長大清水悠三から金塊と古文書を見せられる。新聞記事になり基金募集の広告も出て……。 |
事件自体はありがちの話。順序が逆ではないかと思うがオチは小咄のようで面白い。 |
( パレス2号 1947.07. )※8,9よりだが見当たらず |
( パレス2号 1947.07. ) |
山村鐐二は盲唖学校を卒業しN大付属病院マッサージ科に勤務していたが、郷里の村で開業する為に妹の夏枝と汽車に乗っていた。相席の老人と話しがはずむ。夏枝を助手に山村鍼灸院を開業し一年もたつと評判もよく名古屋市内からも診療に来るようになった。汽車の時の老人が通うようになり、老人の妻と娘も。夏枝は鏡にまつわる話を……。 |
淡い青春ロマンス物語。汽車の窓外の風景と鏡の中の風景を重ねているようにも思える。治療に関してなど意外に佳作かも。 |
( パレス3号怪談・怪奇小説号 1947.09. ) ( 『殺人芸術』 波津書房 1948.06.01 )(国DC※) |
八事の療養所でおばさんから聞いたすっぽんヶ池の伝説。お絹が入院し母くめが看病していた。すっぽんの血を飲むと良くなるというのでくめは毎晩街へ買いに行っていた。くめは療養所の裏門で……。 |
哀話。当時として結核は切実だったと思わせる作品。 |
( パレス4号 1947.11. ) ( 『殺人芸術』 波津書房 1948.06.01 )(国DC※) |
尾州大賊子鉄の引きまわしの時の話。子鉄は三河屋の前で酒を望んだ。かつて押入って一人娘おそのを手ごめにしたところだった。酒を飲むとさらにおそのに会いたいという。忘れられないと。聞き入れなければ代わりに……。 |
実際にあったことの小説化だろうか。悪党にも情があるというような話。 |
( パレス5号 1947.12. ) ( 『殺人芸術』 波津書房 1948.06.01 )(国DC※) |
探偵小説家大御所の江良利久員は講演の後に宿泊先である住吉町の花屋で吉植豊吉と会うことになった。三年前、吉植は久員の自宅を訪れ、女房を殺しに行くと言い、久員は仲裁の為に連れ立って彼女のアパートへ行くと殺されていた。吉植はアリバイが成立し、事件は未解決のままだった。宿の月見草の襖……。 |
江戸川乱歩を思わせる人物を登場させた作品。事件自体は説明不足すぎるのか無理がありすぎる。月見草の意味もよくわからない。 |
( パレス6号 1948.01. ) ( 『殺人芸術』 波津書房 1948.06.01 )(国DC※) |
初観音の大須境内、娘が千羽鶴を吊るそうとしていたところに男が短刀で刺し殺し逃げていく。娘と同行していた女も助けずに逃げていく。古袖町の目明しくつわや彦七が現場へ行く。娘は鉄炮町通りの袋物問屋近江屋の先妻の娘おきぬで逃げたのは後妻の娘おなみだった。千羽鶴をほぐす彦七と女房、聞き込みをする乾分の熊三と猪之助。彦七は……。 |
捕物帳だが捕物自体はない。確かに筋は通っているが勘があたっただけのようでもある。千羽鶴に関してだが聞いたことはなく創作だろうか。 |
( パレス7号 1948.03. )※8,9より ( 『殺人芸術』 波津書房 1948.06.01 )(国DC※) |
刑事課長になった一ノ木俊三は旧知の大熊元法医学教授博士を訪れた。応接室の置時計の針を進める。定年後の博士はミトゲン線の人体への影響などを研究していた。話は博士の助手の情死事件になり、一ノ木は他殺の疑いをもっているという。人智の犯罪は人智によって解決がつくと……。 |
状況自体は探偵小説としてはありがち。疑問を持った点はやや特異かもしれない。小道具の団扇は知る人ぞ知る暗示だろうか。結末は理解不能。 |
( パレス8号 1948.06. ) |
三ッ蔵の暫ノ半次親分が川柳を考えていたところ、児分の八蔵がおもんの父の猟師の勘六は証人もいて犯人ではないと報告する。富士見の清洲屋の寮の源三郎のところからの帰りに紅屋のおきくが暗闇の中、一発の銃で殺されていた。源三郎は小間使いのおもんに手をつけたがおきくに移っていた。崖の上の跡、猟銃、常夜灯、児分米吉、女房おかつ……。 |
捕物小説。殺害方法を調べていく話。トリックらしい状況だが必然性は感じられない。 |
( 不明 ) ( 『殺人芸術』 波津書房 1948.06.01 )(国DC※) |
私は木津川の連れ込みが増えたという宿で友人から小説の材料になるという話を聞く。東小路行正はカフェの女給に惚れ込み、家の物を持ち出し骨董屋に売っていた。亡父が肌身離さず持っていた袱紗包み、中身は敷居の木切れだった。理由を母に聞くと……。 |
話の目的が意外といえば意外。話自体は単に謎めいているだけ。 |
( 不明 ) ( 『殺人芸術』 波津書房 1948.06.01 )(国DC※) |
広小路から横丁に入ったところ、小さな板にチエクラブと書かれた喫茶店があった。五人の若者が話に夢中になっていた。小坂刑事が入っていくと午後六時に名鉄金山橋駅でと出て行った。金山橋駅ではヤミ米の買い出しの取り締まりをしていた。ラジオセットの中、骨箱の中、などなど……。 |
探偵小説ではありがちの話。最後は想像か、飛躍しているようにも思える。 |
( 不明 ) ( 『殺人芸術』 波津書房 1948.06.01 )(国DC※) |
僕は大洗で夏を過ごしていた時、毎日海を眺めている老人に出会った。船乗りの彼は仮祝言し二日の同棲後、カムチャッカ方面へ航海に出た。船は難破し、一人助かったが目が見えなくなっていた。この先の妻を思い、友人の名を騙り死んだことにした。十年後、駿河台の眼科医院で手術を受け……。 |
奇縁話。ほぼ偶然でのみ構成された話。 |
( 冒険世界 1948.09. )(国DC※) |
海岸町の突堤の先でズイの夜釣りをしていた伸夫は二人連れの男が隠匿物資で争うのを聞いた。隠し場所は一本杉の影だと言った男は海に落され、海中から八時の影だと声がした。伸夫は捕まるが脱出し警察へ。翌朝……。 |
かなり無茶苦茶な脱力系にもならない作品。脱出方法が奇抜すぎるのはまだしも海底の声や司法主任の態度や二重の扉やホームズ譚や季節や二倍や防空壕などなど。 |
( KENKO(健康(愛知県衛生部機関誌)) 1948.11.〜1949.06.(8回) )※10会報25号1949.06.消息欄より |
※1〜3回分はあらすじより。パーマネントの最中に電流を流された尾頭よし子、電柱で見つかった早見遼三の帽子、翌朝よし子が妾宅で殺されていた、容疑者山岡松雄は喀血で外出できる状態ではなかった。行方不明の早見からの手紙、ショーガトウの贈り物、喫茶店での関山ひとみの毒殺。小山田と辻刑事の山岡訪問。やがて山岡の病気も直り……。 |
探偵小説でありがちの単純なトリックを用いた作品。知的で警察への挑戦とかトリックとか強調しているがそのような感じは全くない。最後の喀血に関するところのみ良いかもしれない。 |
( 中日ウィークリー 1951.10.17 ) |
宝泉寺前の目明し稲妻忠七が川柳を女房おかつに聞かせているところに、これから女房を殺しに行くという男が来た。広小路北柳薬師の裏へ行くと女は首を吊って死んでいた。児分熊吉と八蔵。鼻には紙が……。 |
捕物帳。謎も何もなく作為が意図不明の事件。艶風川柳の為だけの作品かも。 |
( 中日ウィークリー 1951.11.21 ) |
稲妻忠七と女房おかつが川柳をよみあっていると児分熊吉と八蔵が前津小林村の俳諧師川波暁音が頸を切って死んだと知らせにきた。短冊に辞世の句と印があった。金貸しをしていたが自殺の理由はないという。忠七は短冊から……。 |
捕物帳。違和感を感じて解決するだけの話。 |
( 名古屋タイムズ 1952.01.03〜15 (13回) ) |
神田三河町の御用聞き半七親分の伊勢への道中を忠七が宮で出迎える。忠七は六年前に半七の家に厄介になっていて半七は忠七の師匠にあたる。忠七は人間の皮で作ったという火焔太鼓の話をする。清水の清源寺へ行くと半七は本物で糸の先に蜘蛛がいるという。半七は旅立ち忠七は和尚、太鼓屋の伊勢屋、皮屋、皮剥ぎ職人とあたっていく。辰年の女……。 |
捕物帳。「刺青太鼓」を思わせる内容だが蜘蛛の部分は脱力。半七の行動も謎すぎる。 |
( 中日ウィークリー 1952.01.09 ) |
小正月、橦木町の清洲屋の妾宅で大旦那が強盗に殺されたと知らせがあった。熊吉と八蔵の子分二人を連れて現場に行く。妾は柿の木に縛られていたらしい。若主人は犬が鳴かないと言い、調べると饅頭に特種な針が仕込まれていた……。 |
捕物帳。特殊な針から解決するだけの話。 |
( 中日ウィークリー 1952.02.27 ) |
忠七は町奉行直々に御本丸内の御金蔵破りの捜査を命じられた。児分の熊吉と八蔵がお濠の松に引っかかって人間が死んでいるという。忠七は大凧を思い古渡村の凧名人戸崎師労之斎を訪れ柿木金助のことなどを聞く。翌日、天狗にさらわれたのだという話が……。 |
捕物帳。手懸りと逮捕は無理矢理すぎる。はまぐり凧の部分とオチは面白い。 |
( 名古屋タイムズ 1953.01.03,04,06〜24 (21回) ) |
正月三日朝、忠七は親分衆との酒宴の帰り流川に宝船を流す駿河町大黒屋嘉兵衛の病身のご新造を見た。近所の魚由が大黒屋の番頭を伴い大黒屋の妾おちかが殺されたという。毒殺だった。見つかったおちかからの結び文。女中代わりの姪おきぬは役者の男桐之助と関係があり、おちかとも関係があったようだった。忠七は食べ物を調べるが毒はでない。盗まれた金、逢瀬、桐之助、おきぬ、嘉兵衛の調査、ふぐ毒……。 |
捕物帳。犯人を絞っていく過程や話からの推測は探偵小説的になっていて悪くない作品。 |
( 名古屋新聞夕刊 1929.04.02 )(奈落) |
死因は肺結核ではない。 |
( 新愛知 1929.04.04 ) |
( 新青年 1929.06. ) 別冊幻影城『小酒井不木』 1978.03. |
篆刻、揮毫物、絵、小唄。 |
( 猟奇 1930.04. ) |
( 新青年 1930.07. ) |
A密会所:M百貨店ベンチに座っていた大阪の新聞社のMは……。B人形:陳列品を変更すると……。C万引:女店員の拐帯の方法は……。D便利な洋服箪笥:店員が閉店後に買おうと洋服箪笥を見ていると……。E親切な番人:上野M百貨店で三階の便所から入った泥棒に巡視は……。 |
( 新青年 1930.09. ) |
( 探偵クラブ 1932.11. ) |
( 新青年 1934.04. ) |
( ぷろふいる 1936.08. )(奈落) |
仲間が増えてくる。江戸川乱歩の探偵小説の文学への合流という落し穴の回避。文学派の木々高太郎。小栗虫太郎の登場。大家の甲賀三郎と大下宇陀児。社会生活に寄与する新聞小説乃至は長篇小説への進出を望む。翻訳を駆逐する日本の探偵小説壇を。 |
( シュピオ 1937.06. ) |
全部通読したい食指が。幸田露伴。 |
( シュピオ 1938.01. ) |
「黒い手帳」久生十蘭、「真珠郎」横溝正史。 |
( 新青年 1938.03. ) |
消費額の倍を報告。 |
( 新探偵小説 1947.06. ) |
名古屋で最初。地方文化の為にも探偵小説の為にも力添えしたい。 |
( パレス3号怪談・怪奇小説号 1947.09. ) |
淫獣倉吉事件/幽霊の正体/尼僧殺し事件/二重強盗殺人事件/毒茶事件と犯罪の手口/抜身持った犯人逮捕/金鯱事件/犯罪事件と新聞記者の活躍/菰包事件/豊川の屍姦事件/夏の犯罪 |
( 若草 1947.10. )※10会報7号消息欄より/人外境主人伝言板2001.02.19に部分引用あり |
( 夕刊新東海 1947.10.02 ) |
昭和22年9月25日、東海銀行本店から築地支店へ五十万円を運搬中、柳橋で塩酸をかけられ強奪された事件について、9月30日に新探偵小説関係者を中心に実施された座談会。 |
( 夕刊名古屋タイムズ 1947.10.21 )※10会報6号消息欄より |
東京で物故作家追悼会が開催されるが八人中三人が郷土の生んだ探偵作家。小酒井不木、井上良夫、大阪圭吉の紹介。 |
( 夕刊名古屋タイムズ 1947.11.10 ) |
来名した江戸川乱歩に五十万円事件、三十万円暗号事件の所信をきく。司会岡戸武平で若松秀雄と服部元正の一発言のほかは乱歩と武平の対談。 |
( 神港夕刊 1947.11.15 ) |
( 新探偵小説 1948.02. ) |
不木死後上京し全集編集、新青年掲載二作について。訂正年譜。小学入学は通常より一年早いが遊びに行っているうちに他の児童と一緒になり進級していったらしい。 |
( 『殺人芸術』 波津書房 1948.06.01 )(国DC※) |
「五体の積木」と「素晴らしき臍の話」に関して。ほとんど戦後作品。「コロリ日記」と「刺青太鼓」は既刊書収録、ほかは初の単行本収録。 |
( 夕刊名古屋タイムズ 1948.08.07 ) 『江戸川乱歩 日本探偵小説事典』新保博久編、山前譲編 河出書房新社 1996.10.25 |
江戸川乱歩の紙上暑中お見舞いに対する紙上返信。名古屋で暮した方が良いと思っている。コツコツと好きなものを。同好者の集りを毎月開きたいと話している。 |
( 夕刊名古屋タイムズ 1950.09.06 )※10会報40号消息欄より/見当たらず? |
( たんざく 1954.09. )(奈落) |
不木の略歴、絵、印、句集、短冊。 |
日本探偵作家クラブ関西支部会報 1956.08. |
二十七回忌。一家の現状。 |
日本探偵作家クラブ関西支部会報 1961.12. |
コールガールの宣伝ビラの蒐集。 |
日本探偵作家クラブ関西支部会報 1962.03. |
除幕式参列。乱歩揮毫について。不木全集について。 |
日本探偵作家クラブ関西支部会報 1963.05. |
執筆は一篇のみ。東海地方の財界人の列伝を連載中。 |
( 中部日本新聞 1963.10.14 ) |
初の創作短編の江戸川乱歩。長編の小酒井不木。新青年発行部数。名古屋在住で初の新青年挿絵の大沢鉦一郎との出会い。名古屋での集り。不木邸。 |
( 毎日新聞夕刊 1964.09.13 )(奈落) |
出会い、闘病術、小酒井不木全集。 |
( 日本推理作家協会会報 1965.08. ) |
( 医家芸術 1973.02. )(奈落)部分引用 |
( 『不木・乱歩・私 名古屋豆本32』亀山巌編 亀山巌 1974.07. ) |
幻影城 1976.07.〜1977.03. |
戸崎町時代の編集部/渡辺温ちゃんの死/昔の文士生活/好評の「新青年」/日本橋本町時代/新館時代/編集者の悪徳/(休載)/寝耳に水の『文藝倶楽部』廃刊 |
( 『横溝正史追憶集』 1982.12.10 ) |
『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集(CDROM番外2)』浜田雄介編、乱歩蔵びらき委員会 皓星社 2004.10.21 |
小酒井不木全集のことなど |
( (同人誌) 1917.or1918.xx. )※12より/「博文館の侍」より ( 名古屋新聞 1918.08.24〜09.04.(7回) )※12より/「博文館の侍」より |
( 胎動 1919.09. )※12,13より |
( 胎動 1919.12. )※12,13より |
( 胎動 1920.06. )※12,13より |
( 名古屋新聞 1929.頃 ) |
( 国民新聞/新愛知新聞 1935.xx.xx〜1936.xx.xx ) ( 『延元神楽歌』 奥川書房 1942.03.05 )(国DC※) |
( 国民新聞 1936.08.xx?〜1937.05.xx? ) |
( 新少年 1937.05. ) |
( 講談雑誌 1938.08. ) ( 『美しき餞』 那古野書房 1943.05.10 )(国DC※) |
( 江戸読本 1938.09. ) |
( 講談雑誌 1938.10. ) ( 『恩讐蜻蛉斬』 近代小説社 1942.05.20 )(国DC※) |
( 文学建設 1939.01. ) ( 『恩讐蜻蛉斬』 近代小説社 1942.05.20 )(国DC※) |
慶長十四年冬の駿府城、徳川家康は加藤清正に義直の為に名古屋築城を依頼する。豊臣方であった大名らの弱体化なのは明白である。清正は太閤への忠義と豊臣秀頼を思いながら天守閣を願い出る。基礎、蔚山で得た知識としての秘密の石組法の悪用、石積み、天守閣、金鯱……。 |
新青年向けに書かれたが別テーマでと掲載されなかった作品とのこと。確かにモダンとはかけ離れた作品。物造りの心情が出ていて悪くはない作品。 |
( 講談雑誌 1939.01. ) ( 『金色の鬼』 近代小説社 1942.06.15 )(国DC※) |
( 少年少女譚海 1939.01. ) ( 『恩讐蜻蛉斬』 近代小説社 1942.05.20 )(国DC※) |
( 講談雑誌増刊 1939.01. ) |
( 講談雑誌 1939.04. ) ( 『紅筆斬奸状』 奥川書房 1942.05.19 )(国DC※) |
( 講談雑誌 1939.07. ) |
( 紀元二千六百年 1939.09. )(国DC※) |
( 講談雑誌 1939.10. ) ( 『恩讐蜻蛉斬』 近代小説社 1942.05.20 )(国DC※) |
( 講談雑誌 1940.01. ) ( 『紅筆斬奸状』 奥川書房 1942.05.19 )(国DC※) |
( 講談雑誌増刊 1940.01. ) |
( 文学建設 1939.12. ) ( 『紅筆斬奸状』 奥川書房 1942.05.19 )(国DC※) |
( 紀元二千六百年 1940.03. )(国DC※) |
( 講談雑誌 1940.05. ) ( 『紅筆斬奸状』 奥川書房 1942.05.19 )(国DC※) |
( 高知新聞 不明(1941or42頃) )※『高知新聞五十年史』(※国DC)より |
( 不明 ) ( 『青春讃歌 大衆文芸傑作集』日高麟三編 越後屋書房 1942.01.20 )(国DC※) ( 『青春讃歌 増補版』日高麟三編 越後屋書房 1942.04.10 )(国DC※) |
( 文学建設 1942.04. ) ( 『紅筆斬奸状』 奥川書房 1942.05.19 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『紅筆斬奸状』 奥川書房 1942.05.19 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『紅筆斬奸状』 奥川書房 1942.05.19 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『紅筆斬奸状』 奥川書房 1942.05.19 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『紅筆斬奸状』 奥川書房 1942.05.19 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『紅筆斬奸状』 奥川書房 1942.05.19 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『紅筆斬奸状』 奥川書房 1942.05.19 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『紅筆斬奸状』 奥川書房 1942.05.19 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『紅筆斬奸状』 奥川書房 1942.05.19 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『恩讐蜻蛉斬』 近代小説社 1942.05.20 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『恩讐蜻蛉斬』 近代小説社 1942.05.20 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『恩讐蜻蛉斬』 近代小説社 1942.05.20 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『恩讐蜻蛉斬』 近代小説社 1942.05.20 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『恩讐蜻蛉斬』 近代小説社 1942.05.20 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『金色の鬼』 近代小説社 1942.06.15 )(国DC※) |
( 講談倶楽部 1942.10. ) ( 『美しき餞』 那古野書房 1943.05.10 )(国DC※) |
( 講談倶楽部 1943.03. ) |
( 文学建設 1943.04. ) |
( 『小泉八雲』 大日本雄弁会講談社・日本小説新書 1943.04.25 )(国DC※) ( 『小説松江の小泉八雲』 恒文社 1995.12. ) |
( 不明 ) ( 『美しき餞』 那古野書房 1943.05.10 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『美しき餞』 那古野書房 1943.05.10 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『美しき餞』 那古野書房 1943.05.10 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『美しき餞』 那古野書房 1943.05.10 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『美しき餞』 那古野書房 1943.05.10 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『美しき餞』 那古野書房 1943.05.10 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『美しき餞』 那古野書房 1943.05.10 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『美しき餞』 那古野書房 1943.05.10 )(国DC※) |
( 不明 ) ( 『美しき餞』 那古野書房 1943.05.10 )(国DC※) |
( 『辻小説集』日本文学報国会編 八紘社杉山書店 1943.07.18 ) |
放浪癖のある鯨が南極に戻り皆で見学に行こうと真珠湾へ……。 |
( 講談倶楽部 1943.09. ) |
( 講談雑誌 1944.03. ) |
( 中京新聞 1947.10.23 ) |
600字位の掌編を原子小説として持ち回り掲載する企画。入水自殺しようとした二人が鉄橋を渡ると……。 |
笑の泉(小説文庫別冊) 1951.04. |
夏目金助は外形的にも精神的にも申し分ない妻がいたが褒められても不満そうに答えていた。金助は電気コタツを買う。春……。 |
笑の泉臨時増刊「艶笑奇談百家選第2集」 1952.04. |
伊奈君が温泉マークの女を疑似温泉につれ込みハモの蒲焼を食べる。小骨がある。その晩帰って寝るとチクリと……。 |
( 少女クラブ 1952.08. ) |
お姫さまが病気になった。打首になった男が殿さまに証明するために庭石をかみ……。なぜ無関係かの説明は欠けている。 |
笑の泉「艶笑奇談百家選第4集」 1953.07. |
( 胎動 1919.12. )※13より |
( 胎動 1920.01. )※13より |
( 不明(新聞?) 1923.〜1924.頃 ) ( 『新書闘病術』 学芸社 1941.08.20 )(国DC※) |
( 建築と社会 1925.03. )※バックナンバー総目次(1988.11.※国DC)などより |
( 建築と社会 1925.07. )※バックナンバー総目次(1988.11.※国DC)などより |
( 日本医事新報 1925.07.25 ) |
( 日本医事新報 1926.01.17,24 ) |
( 逆光線 1926.10. )※13より |
( 紙魚 1926.11. ) ( 『紙魚(全) 愛知郷土文化史談』 愛知郷土文化資料刊行会 1977.11.08復刻 )(国DC※) |
( 紙魚 1926.12. ) ( 『紙魚(全) 愛知郷土文化史談』 愛知郷土文化資料刊行会 1977.11.08復刻 )(国DC※) |
( 紙魚 1927.01. ) ( 『紙魚(全) 愛知郷土文化史談』 愛知郷土文化資料刊行会 1977.11.08復刻 )(国DC※) |
( 紙魚 1927.02. ) ( 『紙魚(全) 愛知郷土文化史談』 愛知郷土文化資料刊行会 1977.11.08復刻 )(国DC※) |
( 紙魚 1927.04. ) ( 『紙魚(全) 愛知郷土文化史談』 愛知郷土文化資料刊行会 1977.11.08復刻 )(国DC※) |
( 紙魚 1927.07. ) ( 『紙魚(全) 愛知郷土文化史談』 愛知郷土文化資料刊行会 1977.11.08復刻 )(国DC※) |
( 紙魚 1927.08. ) ( 『紙魚(全) 愛知郷土文化史談』 愛知郷土文化資料刊行会 1977.11.08復刻 )(国DC※) |
( 紙魚 1927.11. ) ( 『紙魚(全) 愛知郷土文化史談』 愛知郷土文化資料刊行会 1977.11.08復刻 )(国DC※) |
( 旅の友 (中部旅行協会) 1927.11. )※古書情報より |
( 紙魚 1928.01. ) ( 『紙魚(全) 愛知郷土文化史談』 愛知郷土文化資料刊行会 1977.11.08復刻 )(国DC※) |
( 紙魚 1928.04. ) ( 『紙魚(全) 愛知郷土文化史談』 愛知郷土文化資料刊行会 1977.11.08復刻 )(国DC※) |
( 紙魚 1928.07. ) ( 『紙魚(全) 愛知郷土文化史談』 愛知郷土文化資料刊行会 1977.11.08復刻 )(国DC※) |
( 新愛知 1930.09.04,05 ) |
( 講談雑誌 1930.11. ) |
( 婦人世界 1932.01. ) |
( 農業世界 1932.07. )(国DC※) |
( 農業世界 1933.06.〜07. )(国DC※) |
( 若草 1933.08. )※17 |
( 国民新聞/新愛知新聞 1935頃〜1936.xx.xx ) |
( キング 1937.07. ) |
( 文学建設 1939.02. ) |
( 文学建設 1939.03. ) |
( 文学建設 1939.04. ) |
( 日本口腔衛生 1939.04. )(国DC※) |
( 文学建設 1939.05. ) |
( 文学建設 1939.05. ) |
( 文学建設 1939.06. ) |
( 文学建設 1939.06. ) |
( 文学建設 1939.07. ) |
( 文学建設 1939.08. ) |
( 文学建設 1939.09.,11. ) |
( 文学建設 1939.10. ) |
( 文学建設 1939.12. ) |
( 中央公論 1940.01. ) |
( 文学建設 1940.01. ) |
( 文学建設 1940.03. ) |
( セメント工業 1940.04. )(国DC※) |
( 文学建設 1940.04. ) |
( 文学建設 1940.07.,08. ) |
( 文学建設 1940.10. ) |
( 文学建設 1940.11.,1941.01.〜04.,08.,10. ) |
( 文学建設 1940.11. ) |
( セメント工業 1941.01. )(国DC※) |
( 文学建設 1941.01. ) |
( 日本歯科評論 1941.02. ) |
( 博浪抄 1941.05. ) |
( 文学建設 1941.05. ) |
( 文学建設 1941.06. ) |
( 日本歯科評論 1941.02. ) |
( 学芸社 1941.08.20. )(国DC※) |
( 筆国精神(1卷9号) 1941.xx. )※古書情報より |
( 若草 1941.12. )※17 |
( 文学建設 1942.01. ) |
( 日本歯科評論 1942.01. ) |
( 文学建設 1942.03. ) |
( 日本歯科評論 1942.04. ) |
( 若草 1942.04. )※17 |
( 文学建設 1942.08. ) |
( 文学建設 1942.08. ) |
( 文学建設 1943.01. ) |
( 日本歯科評論 1943.01. ) |
( 若草 1943.01. )※17 |
( 文学建設 1943.03. ) |
( 文学建設 1943.04. ) |
( 若草 1943.04. )※17 |
( 文学建設 1943.05. ) |
( 令女界 1943.05. ) |
( 講談倶楽部 1943.05. ) |
( 若草 1943.05. )※17 |
( 書物展望 1943.05. )(国DC※) |
( 文学建設 1943.06. ) |
( 若草 1943.06. )※17 |
( 若草 1943.07. )※17 |
( 週刊朝日 1945.02.04 )※17 |
( 文化復興 1945.12. )※8(尾崎久彌)より |
( 生活と教養 1946.05.or03. )※17/※古書情報より |
( 夕刊名古屋タイムズ 1946.05.23 ) |
( 新小説 1946.06. )※17 |
( 黎明(名古屋鉄道株式会社厚生部福利課?) 1946.06. )※出典メモモレ |
( 夕刊名古屋タイムズ 1946.06.18 ) |
( 文化復興 1946.10. )※8より |
( 出発(創刊号)(蒲郡文化協会) 1946.11. )※古書情報より |
( 夕刊名古屋タイムズ 1947.01.12 ) |
( 夕刊名古屋タイムズ 1947.03.25 ) |
( 新航路 1947.05. )※17 |
( 映画サロン(2巻6号) 1947.06. )※古書情報より |
( 映画サロン 1946.10.or1947.01.or06.or09. )※古書情報より |
( 黎明 1947.08. )※17 |
( 令女界 1947.10. )(国DC※) |
( 小説文庫 1947.12.(11月12月合併号) )※17(小説かも) |
( 令女界 1947.12. )※17 |
( オール軟派(3巻1号) 1948.01. )※8,9より |
( 見聞(福井県) 1948.02. )※17 |
( オール軟派(3巻2号) 1948.02.? )※8,9より |
( オール軟派(3巻3号) 1948.03.? )※8,9より |
( 実話と読物(20巻4号) 1948.04.? )※8,9より |
( 実話雑誌 1948.12. )※17/※古書情報より |
( 南風 1948.12. )※17 |
( 憩 1948.12. )※17 |
( 新生 1948.12. )※17 |
( 近代 (近代図書) 1949.01. )※17/※古書情報より |
( 実話雑誌 1949.03. )※17 |
( 新しい村 1949.03. )※17 |
( 新生 1949.03.? )※17 |
( 黎明 1949.05. )※17 |
( CNC(中部日本倶楽部) 1949.06. )※17 |
( しらたま 1949.06. )※17 |
( KENKO(健康(愛知県衛生部機関誌)) 1949.08. ) |
( 新生 1949.08. )※17 |
( 新生 1949.08. )※17 |
( 日本歯科評論 1950.01. ) |
( 少女クラブ 1950.03. ) |
名古屋だより |
( 少女クラブ 1950.07. ) |
ヘルン=ハーン=小泉八雲 |
( 日本歯科評論 1951.02. ) |
( 夕刊東海新聞 1952.01.29 ) |
( 中日ウィークリー 1952.01.30 ) |
( 温泉 1952.02. )(国DC※) |
( 日本歯科評論 1953.01. ) |
( 『大番頭鬼頭幸七』 鬼頭幸七傅刊行会 1954.07. ) |
( 『高い塔から名古屋を見れば』 名古屋テレビ塔 1954.08. ) |
( 名古屋商工会議所月報 1954.11. )(国DC※) |
( 日本歯科評論 1955.01. ) |
( 名古屋商工会議所月報 1955.02. )(国DC※) |
( 『トマト王蟹江一太郎』 上野町教育委員会、岡戸武平執筆 1955.07.08 )(国DC※) |
( 名古屋商工会議所月報 1955.10. )(国DC※) |
( 日本歯科評論 1955.08. ) |
( 中部経済新聞 1955.11.11〜半年 ) ( 『伊藤家伝』 中部経済新聞社 1957.09.20 )(国DC※) |
( 名古屋タイムズ 1956.03.16 ) |
( 中部経済新聞 1956.xx.xx〜1957.xx.頃 ) |
( 『名古屋地名年表』服部聖太郎(帯) 私家版? 1956.05.20 ) |
( 日本歯科評論 1957.01. ) |
( ペン3号〜8号 19xx.xx.〜 ) ( め(名古屋文学学校)5号 1957.09. ) |
( 中部経済新聞 1957.xx.xx〜xx.頃 ) |
( 名古屋商工会議所月報 1957.10. )(国DC※) |
( 中部経済新聞 1957.xx.xx〜1958.頃 ) |
( 国立公園 1958.08. )(国DC※) |
( 名古屋商工会議所月報 1958.10. )(国DC※) |
( 『図説蓬左風土誌 名古屋三百五十年の歩み』杉浦栄三編者代表、徳川義親 監修、尾崎久彌執筆、岡戸武平執筆、杉浦英一執筆 中部経済新聞社 1958.11. ) |
( 日本歯科評論 1959.01. ) |
( 名古屋商工会議所月報 1959.06. )(国DC※) |
( 『名古屋七十年史』 名古屋市総務局調査課、岡戸武平執筆 1959.10.01 )(国DC※) |
( 『名古屋の古地図を語る(元文三年名古屋図別冊)』服部聖多朗 文光堂 1959.xx. ) |
( サングラフ 1960.02. )(国DC※) |
( 名古屋商工会議所月報 1960.07. )(国DC※) |
( 日本古書通信 1960.08. ) |
( 名古屋商工会議所月報 1961.01. )(国DC※) |
( 中部経済新聞 1961.04.xx〜12.xx ) ( 『東邦ガス物語』 中部経済新聞社 1969.03.01 )(国DC※) |
( 『東海の百年 中部経済の現況と展望』中部経済新聞社編、城山三郎、岡戸武平、酒井正三郎 中部経済新聞社 1961.11. ) |
( 名古屋商工会議所月報 1962.01. )(国DC※) |
( 中部経済新聞 1962.01.01〜11.09 ) ( 『伊勢町物語』 中部経済新聞社 1962.12.15 )(国DC※) |
( 日本古書通信 1962.02. ) |
( 名古屋商工会議所月報 1962.05. )(国DC※) |
( 名古屋商工会議所月報 1963.01. )(国DC※) |
( 中部経済新聞 1963.01.11〜(103回) ) |
( 『静黙の人 小林橘川を偲ぶ』池田辰二編 財界名古屋出版部 1963.01.08 )(国DC※) |
( 名古屋商工会議所月報 1964.01. )(国DC※) |
( 『母を語る』池田辰二編 財界名古屋出版部 1964.05.10 )(国DC※) |
( 『富士に生きる 岡野喜太郎伝』 中部経済新聞社・中経新書 1964.08.15 )(国DC※) |
( 『名古屋味覚地図 (1965年度版ほか)』大沢美良、岡戸武平、岡本善朗、寺田栄一、中桐久夫、安井滋 創元社 1964.09. ) |
( 中部経済新聞 1964.10.06〜(195回) ) ( 『闘志乃王冠 石田退三伝』 中部経済新聞社・中経新書 1965.09.10 ) ( 中部経済新聞 2010.01.11〜09.01(196回) ) ( 『闘志乃王冠 石田退三伝』 中部経済新聞社 2011.03. ) |
( 『日本電装十五年史 日本電装のあゆみ』岡戸武平執筆 日本電装株式会社 1964.12. )(国DC※) |
( 名古屋商工会議所月報 1966.01. )(国DC※) |
( 『岡野豪夫追悼録』岡野豪夫追悼録編纂委員会編 駿河銀行 1966.08.22 )(国DC※) |
( 『伝統と気鋭 東海銀行の歩んだ道』 中部経済新聞社 1966.12.25 )(国DC※) |
( 中部経済新聞 1967.01.01〜09.16 ) ( 『土と炎 日本陶器の歩んだ道』 中部経済新聞社 1968.04.10 )(国DC※) |
( 『片雲の風に 奥の細道ものがたり』三好信義 東海出版 1967.03.01 )(国DC※) |
( 『岡野喜太郎の追想』岡野喜太郎追想録編纂委員会編 駿河銀行 1967.06.06 )(国DC※) |
( 中部経済新聞 1968.01.01〜09.12 ) ( 『鉄一筋 岡谷鋼機三百年の歩み』 中部経済新聞社 1968.11.08 )(国DC※) |
( 中部経済新聞 1968.11.01〜1969.04.30 ) ( 『パン半世紀 シキシマの歩んだ道』 中部経済新聞社 1970.06.08 )(国DC※) |
( 郷土志摩 1968.12. )※17 |
( 『名古屋史話 近代化うら話』 創元社 1969.06.10 )(国DC※) |
( 『お庭拝見』山田昇平編、岡戸武平編 毎日新聞社 1969.08. ) |
( 中部経済新聞 1969頃〜1970頃(100回) ) ( 『筆だこ』 中部経済新聞社 1970.xx. ) |
( 新そば 1970.04. )※17 |
( 『花の三冠王 トヨタ自販物語』 中部経済新聞社 1970.04.15 )(国DC※) |
( 中部経済新聞 1971.10.xx〜1972.04.30(177回) ) ( 『中京の写真界99年 横井吉助三代の歩み』 中部経済新聞社 1972.09.09 ) |
( 自然と文化 1972.01. )(国DC※) |
( 『希望の泉 名古屋テレビ10周年記念』岡戸武平監修、名古屋放送株式会社社史編集委員会編 名古屋放送株式会社 1972.04.01 ) |
( 新そば 1972.12. )※17 |
( 『子母澤寛全集』月報6 講談社 1973.06.? ) |
( 中部経済新聞 1973.04.02〜 ) ( 『自転車万歳 ノーリツ88年の歩み』 中部経済新聞社 1974.04.30 )(国DC※) |
( 中部経済新聞 1973頃〜1974頃(100回) ) ( 『続筆だこ』 中部経済新聞社 1974.03. ) |
( 『尾崎久彌小説集』 愛知県郷土資料刊行会 1974.xx. ) |
( 名古屋近代文学史研究22号 1974.xx. ) |
( 『紫陽花 大澤鉦一郎追想録』 大澤鉦一郎追想録刊行会 1975.01.01 ) |
( 中部経済新聞 1975頃〜1976頃(150回or200回) ) ( 『続々筆だこ』 中部経済新聞社 1976.04.05 ) |
( 不明 1977頃(50回) ) ( 『風流 催事記』 北白川書房 1977.12.08 ) |
( 日本歯科評論 1977.09. ) |
( 中部経済新聞 1978頃? ) ( 『ゴムに生きる 井上愛一の歩んだ道』 中部経済新聞社 1979.04. ) |
( 日本歯科評論 1979.07. ) |
( 『ある句会 ねんげ俳句会半世記』 ねんげ句会 1980.02. ) |
( 海音寺潮五郎記念館誌 1980.10. ) |
( 中部経済新聞 1983頃 ) ( 『全力投球 武平半生記』 中部経済新聞社 1983.12.31 ) |
( 大衆文芸 1984.05. ) |
( ? )※出典メモモレ |
( ? )※出典メモモレ |
( 暦象 )※古書情報より |
( 佐々智恵子第1回バレエ公演―松坂屋ホール― 佐々智恵子後援会 )※古書情報より |
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