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大島十九郎 作品 |
Since: 2022.11.06 Last Update: 2024.07.21 |
略年譜 - 探偵小説など - 翻訳 - 随筆など |
1896.11.12(明治29年) 東京にて生まれる。本名は大島得郎
191x.xx. 芝中学に入学、卒業する
1924.02. 「半月形の斑痕」が苦楽に掲載される
19xx.(戦後) テレビ、ラジオの台本を書く
19xx.(戦後) 鎌倉市観光協会会長を務める
1960.08.13 死去、享年63歳
筆名は、大島十九郎、大島得郎、島海彦、逆井仁作
(国DC※)は国立国会図書館デジタルコレクション個人送信(ログイン必要)で公開されています(今後非公開になる可能性もあります)
(横浜)は横浜市立図書館「都市横浜の記憶」デジタルアーカイブでインターネットで公開されています
(秋田)は秋田県立図書館デジタルアーカイブでインターネットで公開されています
(推協)は日本推理作家協会のサイトでインターネットで公開されています
( 苦楽 1924.02. ) |
犯罪科学 1930.06. |
第一信、僕は絢子とのみじめな破綻の後、そっくりな藤子と付き合っているので依頼の品を買い整えて欲しい。第二信、装身具を身に着けた藤子は絢子の再現である。第三信、B温泉だが同じ妾腹の子で癖も似てきた。第四信、南九州でコレラが蔓延してるが藤子とN市に旅行する。第五信、宿での台秤を用いた仕事。第六信、予想される二つの結果。第七信、死。第八信、通知。 |
意外な結末の作品。一種のプロバビリティの犯罪であり無理があってもあり得るということで。今少し人物関係が良く分からないが。 |
犯罪科学 1931.04.(1931.01.〜07.) |
大島十九郎部分では上海、陳啓文が持ち込んだ宝石を龍伯が競売しようとする。カルトンキャフェの踊り子百合子、客のエドワード黄、そして正気付いた哈爾浜の男木川。百合子と木川、重傷を負わされた陳は宝石を奪い返そうとする。 |
場面が飛び飛びで繋がりが悪いように思える。 (2018.03.) |
( 犯罪公論 1931.11. ) |
ギーレ氏はゲー・ダンエルベック商店の神戸支店長であった。瀬川篤は鉄工所に勤めていた。ソヴィエトからの密使ダウジンの日本潜入。商会と鉄工所の取引、趣味などで仲良くなった瀬川はギーレに取引に関する告白をする。会社を辞めた瀬川はやがて阿蘭陀皿を受け取る。入社の誘い、そして……。 |
展開は悪くはないが、最後の意味するところが今ひとつわからない。大物だから? |
犯罪公論 1932.05. |
K地区委員の平野は××隊に追われR川の中に潜んで逃げた。選挙闘争のビラ撒きに一緒に行った中央から来た西岡が怪しいと清瀬は言う。続々と検挙されるなか、清瀬もやられた。平野は確かめる作戦を立て、金同志が囮を志願する。検束された金。××隊(デモ隊?)と××隊(憲兵隊?)。一九三×年メーデー……。 |
プロレタリア小説? 実際の出来事を元にした創作なのかどうかは不明。最後の挿話部分は意味深。 |
( 犯罪公論 1933.05. ) |
バルセロナ、モンヂュイ要塞から市街への砲撃、弾薬庫の壁に掛けられた闘牛用の赤布。マドリード、ブラード美術館前の市会議員アルメロスの惨殺死体に赤布、マドリードの死骸を乗せた自動車事件に赤布。バルセロナの路上の八百屋の女房に赤布。銃殺。筆者は想像する……。 |
実話と思われる事件を元に想像を加えた作品。 |
( うづまさ 1927.09. )※4 |
( オール讀物 1936.05. ) |
( オール讀物 1936.09. ) |
( 月刊映画と演芸 1937.01. ) |
( アサヒグラフ 1937.02.17 )※5 |
( アサヒ・スポーツ 1938.04. ) |
( 笑の泉「艶笑奇談百家選第9集」 1956.02. ) |
犯罪公論 1931.10. |
実話? ロシア人の仮名バコモフ青年が振った賽の目がロシア革命の導火線だった。ブルジョアに近い社会主義団体に所属している彼はパリで暗号とも思われる三つの数字を受け取った。間諜に盗まれたが記憶を頼りに博奕を打ち……。 |
( 犯罪公論 1932.02. ) |
( 警友 1947.01. ) |
( 探偵作家クラブ会報 1948.03. )(推協) |
( 犯罪公論 1948.11. ) |
( 浜のまもり 1950.02. )(横浜) |
実話? ベルチョン氏のところにルーソー刑事が切り取られた耳を持ってきた。被害者像を推測するベルチョン。ベルチョンを訪れたバテール夫人はアパートに住んでいた用心深く行動していたカステイグリオンだという。馬車、火事騒ぎ、ベールを被った婦人、カーテン、空家……。 |
( 浜のまもり 1950.07. )(横浜) |
踏み切り以外での線路横断。走行中列車を止めることによる罰金の逸話。 |
( 探偵作家クラブ会報 1951.06. ) |
ラジオ・ショウ「陽気な喫茶店」のこと |
( ? ) |
( 1923.02. ) |
( 新演芸 1923.03. ) |
( 新演芸 1923.08. )※4 |
( 演芸画報 1924.01. )※4 |
( 秋田魁新報 1924.01.01 ) |
( 演芸画報 1924.02. ) |
( 秋田魁新報 1924.03.29,30 ) |
( 秋田魁新報 1924.04.18 ) |
( 秋田魁新報 1924.05.11 ) |
( 秋田魁新報 1924.07.02,03 ) |
( 秋田魁新報 1924.09.03〜05 ) |
( 月刊映画と演芸 1925.02. ) |
( 郊外 1925.06. )※5 |
( 郊外 1925.07. ) |
( 写真報知 1925.07.25,08.25,10.15,11.05 ) |
( 月刊映画と演芸 1925.08. ) |
( 郊外 1925.08. ) |
( キネマ旬報 1925.09. ) |
( 写真報知 1925.09.05 ) |
( 写真報知 1925.09.15,25 ) |
( 映画往来 1925.10. ) |
( 秋田魁新報 1925.10.07. ) |
( 劇と映画 1925.11. )(国DC※) |
( 映画往来 1925.11. ) |
( 文党 1925.11. )※5 |
( 郊外 1925.11. ) |
( 写真報知 1925.11.25 ) |
( 月刊映画と演芸 1925.12. ) |
( 写真報知 1925.12.05,15 ) |
( 秋田魁新報 1926.01.01 ) |
( 秋田魁新報 1926.01.21〜24 ) |
( 写真報知 1926.01.25 ) |
( 月刊映画と演芸 1926.02. ) |
( 郊外 1926.02. ) |
( 写真報知 1926.02.05 ) |
( 劇と映画 1926.03. )(国DC※) |
( 映画往来 1926.03. ) |
( 郊外 1926.03.〜05.〜? ) |
( 劇と映画 1926.04. )(国DC※) |
( 月刊映画と演芸 1926.04. ) |
( 映画往来 1926.04. ) |
( 秋田魁新報 1926.04.27 ) |
( 万朝報 1926.04.29〜30 ) |
( 芝居とキネマ 1926.05. ) |
( 映画往来 1926.06. ) |
( 月刊映画と演芸 1926.06. ) |
( 秋田魁新報 1926.07.03,04 ) |
( 中外商業新報 1926.07.11 ) |
( 芝居とキネマ 1926.08. ) |
( 秋田魁新報 1926.08.04 ) |
( 秋田魁新報朝刊、夕刊 1926.08.16,17 ) |
( 秋田魁新報夕刊 1926.08.29 ) |
( 映画往来 1926.09. ) |
( 芝居とキネマ 1926.11. ) |
( 月刊映画と演芸 1926.12. ) |
( 芝居とキネマ 1927.01. ) |
( 映画往来 1927.01. ) |
( 秋田魁新報 1927.01.03 ) |
( 芝居とキネマ 1927.02. ) |
( 月刊映画と演芸 1927.05. ) |
( 芝居とキネマ 1927.08. ) |
( 郊外 1927.09. ) |
( 北国新聞 1927.10.01〜05(3回) ) |
( 映画往来 1927.11. ) |
( 月刊映画と演芸 1927.11. ) |
( 映画往来 1927.12. ) |
( キネマ旬報 1928.01. ) |
( 月刊映画と演芸 1928.01. ) |
( 秋田魁新報 1928.01.01 ) |
( 芝居とキネマ 1928.02. ) |
( 秋田魁新報夕刊 1928.02.20 ) |
( 芝居とキネマ 1928.03. ) |
( 月刊映画と演芸 1928.05. ) |
( 芝居とキネマ 1928.06. ) |
( 芝居とキネマ 1928.09. ) |
( 芝居とキネマ 1928.11. ) |
( 東京朝日新聞 1928.12.23 ) |
( 秋田魁新報 1929.01.01 ) |
( 月刊映画と演芸 1929.03. ) |
( 秋田魁新報 1929.04.03,05 ) |
( 東京朝日新聞 1929.05.05 ) |
( 秋田魁新報夕刊 1929.05.28,29 ) |
( 月刊映画と演芸 1929.07. ) |
( 秋田魁新報 1930.01.01,03 ) |
( 東京朝日新聞 1930.11.25 ) |
( 秋田魁新報 1931.01.01 ) |
( 上方 1931.02. ) |
( 上方 1931.05. ) |
( 秋田魁新報 1932.01.01 ) |
( 秋田県人雑誌 1934.05. )(秋田) |
( 食道楽 1934.11. ) |
( 食道楽 1934.12.,1935.01.,03,05 ) |
( 秋田県人雑誌 1935.05. )(秋田) |
( 食道楽 1935.07. ) |
( 食道楽 1936.02. ) |
( 月刊映画と演芸 1937.02. )※5 |
( 釣之研究 1937.05. ) |
( 自家出版? 1938.03. ) |
( 映画朝日 1938.11. ) |
( 書斎 1938.12. ) |
( 秋田県人雑誌 1940.01. )(秋田) |
( 秋田県人雑誌 1940.02. )(秋田) |
( アサヒカメラ 1940.08. ) |
( アサヒカメラ 1940.12. ) |
( アサヒスポーツ 1940.12. ) |
( ユーモアクラブ 1941.07. ) |
( 書斎 1942.06. ) |
( 常会 1942.11.,12. ) |
( 温泉 1950.09. )(国DC※) |
( 温泉 1951.04. )(国DC※) |
( 財政 1951.09. )(国DC※) |
( 『ラジオ・ドラマ講座2脚本作法各論』久保田万太郎監修、南江治郎監修 山根書店 1952.04.30 )(国DC※) |
( 野球少年 1952.06. ) |
( 『芝学園誌 創立五十周年記念』 芝学園 1956.10.21 )(国DC※) |
( 『若い星』久保田耕一、久保田耕一遺稿集編集委員会編 久保田耕一遺稿集編集委員会 1957.05.30 )(国DC※) |
( 秋田魁新報夕刊 1959.08.21 ) |
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