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Last Update 16th Apr. 2016

多々羅四郎作品


      多々羅四郎(たたらしろう)略年譜

    1886.頃(明治19年) 仙台に生まれる。本名は大内兆
    19xx.xx. 仙台の医学校を卒業後、北海道の病院に勤務
    19xx.〜 短歌、俳句、川柳、狂歌、都々逸などを各誌へ投稿
    19xx.〜 「ほとゝぎす」に唐淵名義、二木鮒三名義の句作などが掲載
    1922,3年頃 新趣味の探偵小説の懸賞に当選(作品、名義不明)
    1923.〜1924. 古河鉱業の福島県好間炭山に勤務
    1925.頃. 王子で医院を開業
    1926.11. 大衆文藝に「身替り」二木鮒三名義が推薦作として掲載
    1926.12. 大衆文藝に「朔の散歩」二木鮒三名義を掲載
    1930.03. 第6回「サンデー毎日」大衆文芸に「口火は燃える」が入選
    1936.03. 春秋社書き下ろし長編募集に『臨海荘事件』で2席入選、刊行
    1944.秋?(昭和19年) 死去?(飯田蛇笏に大内唐淵追悼句があるらしい)

    筆名は、多々羅四郎、二木鮒三、大内兆、唐淵、大内唐淵、(多々羅義四郎(?))


      小説

  1. 「(懸賞当選作)」 名義不明
    ( 新趣味 1922.or1923. )

  2. 「身替り」 二木鮒三
    大衆文藝 1926.11.
     田口幾太郎さんはこちらでしょうか。老人は田口幾造といい、行方不明の息子を探しているのだという。私、戸籍上では死亡している遠山孝治は既に死亡している幾太郎の名を借りているのだ。炭山で働いていた時から。何か対策を考えなければ。
     炭山のようすなどリアル感がある。対策は平凡だが、結末のひねりは余韻を残して味わい深い。 (2004.11.15)

  3. 「朔の散歩(A刑事の打ち開け話)」 二木鮒三
    大衆文藝 1926.12.

  4. 「口火は燃える」
    ( サンデー毎日 1930.03. )

  5. 「臨海荘事件」
    ( 春秋社 1936.03. )
    幻影城 1977.07.〜08.
     臨海荘というアパートで殺人事件が起こった。鍵のかかった13号室で本野義高が頭を殴られた上、刺殺されていたのだ。死亡推定時刻あたりに義隆を訪れたのは、甥の義夫、声楽家の大枝登、映画女優の秋川澄江の順。市川警部は彼らを尋問し、容疑者はその3人とアパートの管理人の太田耕作、小使の仲居村二郎の5人に絞られてきた。中村刑事の手柄による検挙。単独調査をしていた長瀬老刑事はまだ嫌疑者にすぎないという。数々の謎が解明されずに残っているからだ。そして、新たな事件が発生して一旦捜査はうち切られる事になった。
     春秋社の書き下ろし長編募集2席になった本格長編。1席は蒼井雄の『船富家の惨劇』、同時2席は北町一郎の『白日夢』。犯人に対する伏線は見事。密室を構成した鍵の問題も一部後出しの感もあるが、なかなかよく出来ている。警察のようすや制度によるもの、トリックは時代を加味しなければならないが、古典として読む分には海外の本格黄金期のように今でも十分に通用する。物語的には淡々としており、面白みに欠けるのが難ではあるが、逆にいえば扇情的でなく、当時としては類を見ない本格のみに徹した作品ともいえる。 (2004.11.15)


      随筆

  1. 「公傷患者の憤怒 殺人奇譚(随筆特集)」 二木鮒三
    ( 大衆文藝 1927.06. )

  2. 「赤城山行 旅の思ひ出(随筆特集)」 二木鮒三
    ( 大衆文藝 1927.07. )

  3. 「作者の言葉」
    ( サンデー毎日 1930.03.? )

  4. ほか

      随筆・句・その他 (未確認)

  1. 「異常高熱ノ臨床的実験(ヒステリー性熱)」 吉本清太カ、大内兆
    ( 神経学雑誌 1910.07. )
  2. 「湯別へ」 唐淵
    ( 層雲 1913.11. )
  3. 「歌棄行」 唐淵
    ( 懸葵 1915.05. )
  4. 「門前雀羅」 大内唐淵
    ( ホトトギス 1926.02. )
  5. 「雀羅庵隨筆」 唐淵
    ( 日本医事新報 1926.06.xx〜06.xx )
  6. 「説苑 健康保険医療給付に於ける二剤主義を提唱す」 大内兆
    ( 治療薬報 1927.07.〜08. )
  7. 「食慾催進剤エデラ応用治験例」 大内兆
    ( 治療薬報 1927.09. )
  8. 「説苑 生命保険診査に於ける囑託医の地位向上に就て」 多々羅義四カ
    ( 日本医事新報 1930.03.xx〜03.xx )
  9. 「(?)」 大内唐淵
    ( 彩雲 1932.xx. )
  10. 「二等当選論文」 大内兆
    ( 日本医事新報搖ァ 1934.06. )
  11. 「趣味講座 俳句を語る」 大内兆
    ( 日本医事新報 1934.10.xx )
  12. 「説苑 国民保険関心録」 大内兆
    ( 日本医事新報 1934.11.xx〜11.xx )
  13. 「苑説 健保漫談」 大内兆
    ( 日本医事新報 1936.02.xx )
  14. 「先覚者は斯く云ふ」 谷口彌三カ、黒田教慧、大内兆
    ( 関西医界時報 1936.07. )
  15. 「国民健康保険に於ける事業代行機関の問題」 大内兆
    > ( 健康保険医報 1937.01. )
  16. 「不正請求根本的矯正法として定額式報酬制と巡視員制度の提唱」 大内兆
    ( 健康保険医報 1937.02. )
  17. 「随想 無医村談義」 大内兆
    ( 日本医師会雑誌 1941.03. )
  18. ほか

      著書

  1. 『臨海荘事件』 春秋社 1936.03.

  2. 『医者のからくり』 大内兆 東京パンフレツト社 1936.xx.


      おまけ

    ・「『身替り』の作者について」全文と「編集後記」抜粋 池内祥三 「大衆文藝」大正15年(1926年)11月号より
    東京市外王子町――。
     王子権現の裏通りの王子新道に医院を経営して居らるゝ医学士大内兆氏の探偵小説「身替り」が今回本誌の第二回新進作家推薦の栄を得られたのである。
     仙台に生れ仙台中学を卒業され同地の医学校を卒業されてから、北海道の病院に勤務せられ、先頃悲惨事を伝へられた十勝岳の麓にも勤務せられてゐたといふ。
     後古河鉱業の福島県好間炭山に勤務されてゐた。大正十二――十三年末にいたるまで。
     此の『身替り』は同氏が好間炭山勤務時代の目撃事実――勤怠表に記入されてゐなかった当時の一鉱夫が坑道中にて偶々大怪我を負うたのに起因して、飯場頭と経営側との論争がつゞけられた――を取材にしたもので、同氏は此の事件に興味を引かされてついに多忙な診療中の小閑を見て書きつゞられたものである。
    『全然素人の余技で、ともかくも書いて見ましたものゝ、自信も何もありません。書き度いと思ってゐた事を閑をぬすんで書いたまでの物です。』
    と謙遜して語られます。
     かつて博文館の「新趣味」の探偵小説の懸賞に当選せられた事があるさうです。
     俳誌「ほとゝぎす」の誌友で唐淵といふ雅号で句作をやって居られます。お年は四十二歳、然し打ち見た所三十七八歳位です。いかにも開業医らしいやさしい物馴れた応対で次から次とつめかけた患者を見て居られます。
    『この辺は坂があるので、一週間に一人位の割で怪我人があります。気の毒な事です』と云って居らるゝ間にも十二三の少女が頭に包帯して来ます。
    『この次に自信のある物が出来ましたら、又どうか同人の方々の御批評を伺って見て下さい』と何処までも謙遜的に而もやさしい調子で語られました。
     大内兆氏のペンネーム「二木鮒三」と云ふのは十年以前から親しんで居らるる俳句雑誌に用ひられた物で、本名では何となく気恥かしいから、是非、ペンネームでと云ふ事でした。

     尚、本号には二木鮒三氏の探偵小説『身替り』を推薦作品として発表した。これは同人一致推薦になったもので、特に江戸川乱歩氏は『最初の出が可成面白いのと、炭鉱生活が詳しく出て居る興味と文章も健実で危げのない所』等等と推称して居られます。
     作者二木鮒三氏に就ては別紙に紹介いたしておきましたから、同氏の力作「身替り」と共にどうか御覧下さい。


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