山口海旋風(やまぐちかいせんぷう)略年譜
1885.02.11(明治18年) 本名山口源二、鹿児島県にて生まれる
1909.xx 台湾日日新報に在籍
1911.〜1916.頃 満州日日新聞(編輯部)に在籍
1916.頃 関東州野球大会を提唱したらしい
1916.10.〜1918.02. 雑誌「拳闘界」を発行(社長)
1918.頃 大谷氏秘書?、蘭領東インドに旅行、椰子栽培業を始めたらしい
1927.頃 帰国、のち週刊支那事情主幹
1927.01. 「レシデントの時計」がサンデー毎日・大衆文芸甲種入選、掲載される
1927.05.〜 「ロバム島物語」を新青年に連載、翌々年頃まで断続的に作品掲載
1929.頃 満洲日報入社
1931.xx. 満洲日報社会部部長(島田一男入社)
1935.08.頃 旅順支局長、のち奉天支社長?
193x.頃 大同報社編集局長(中国語新聞)
193x.頃 満洲弘報協会参与
1937.06. 満鮮日報主幹(ハングル新聞)
1938.06. 満鮮日報社取締役
1939.12. 『東亜風土猟綺物語』刊行
1943.08. 満鮮日報社常務理事
以降不明
筆名は、山口海旋風、山口源二
(国DC※)は国立国会図書館デジタルコレクション個人送信(ログイン必要)で公開されています(今後非公開になる可能性もあります)
(新記文)は新聞記事文庫(神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ)で公開されています
小説/読物
- 「レシデントの時計」
( サンデー毎日 1927.01.23 )
( 『大衆文芸傑作集 サンデー毎日懸賞入選』(山口源二名義)大阪毎日新聞社編 1927.xx. )(国DC※)
( 『東亜風土猟綺物語』 月刊満洲社 1939.12.30 )
( 『探検小説名作集』大橋進一編 博文館 1940.10.12 )(国DC※)
幻影城 1975.04. |
西ボルネオのポンティアナ。私は北浦徹太に馬来語の通訳として雇われて日本旅館都ホテルに滞在していた。旅館主人の伊藤の話では、レシデント(理事官)の置時計は理事官交代時に競売にかけられ、必ず王梅六が落札し、理事官官邸に置かれ続けているという。北浦が高値で落札して理事との良好な関係を持つ事に成功し、売りに出ていたゴム園をスムーズに購入できた。北浦と梅六と私はランダーまで河を俎上するが船が座礁して……。 |
南洋進出の話ではあるが、時計のいわれやひねりの効いた結末はただの冒険譚ではない。 |
- 「大地を診察した男の話」
( 初出不明 (末尾記載1927.02.) )
( 『東亜風土猟綺物語』 月刊満洲社 1939.12.30 ) |
ゴム栽培会社の専務取締役Rはジョホール河沿岸の椰子山の番人をしていた。田舎書生らしい薬売りの福山青年がやって来た。Rの対応。夜の話。演説、大地を診察、南洋は……。 |
徒手空拳で南洋に渡ったある種豪傑の話。無茶苦茶な冒険心は感じるが、最後はなぜオチになるのか今一つわからない。 |
- 「南洋奇譚 ロバム島物語」
( 新青年 1927.05.〜08. )
( 『東亜風土猟綺物語』 月刊満洲社 1939.12.30 ) |
「破壊神の第三の眼」 ( 名作 1939.09. )
『外地探偵小説集 南方篇』藤田知浩編 せらび書房 2010.06.04 |
ビンタン島とレンバン島の間にあるロバム島。王亡きあと和蘭政庁から租借した島を私が引き継いだ。小浜一家が椰子既成園の管理人として、また牛山を新たに雇い入れている。現地人のオウマの娘の婿取りの儀式、九官鳥の謎の言葉、タンビオマルのケロン(簗)、華僑楊、道路建設、海賊の巌窟、謎の印度人。暗号、そしてシヴァ神の第三の眼とは……。 |
「ロバム島物語」の改稿作品との事。現地風俗や宗教觀を取り入れていて面白い。手懸りがあって後で解き明かすのは探偵小説的。少年向けに近いが。 |
- 「ロージカ」
( 新青年 1927.07. )
( 『東亜風土猟綺物語』 月刊満洲社 1939.12.30 ) |
露西亜帰りの快男子丹下正之からペトロ(レニングラード)での奇談を私は聞かせてもらう。十年ぶりの同窓で伯爵の子である不良少年のミーチャと会う。彼はソヴィエトになって教会の坊様になっていた。ナポレオンが使用したというロージカ(匙)を出して見せるが、譲って欲しいと言うと隠すように仕舞ってしまう。そこで丹下は……。 |
隠し方トリックともいえる。秀逸なコント。 |
- 「チカイの痩犬」
( 新青年 1928.01. )
( 協和 1934.01.01 ) |
金剛石奇談、ランダー河上流、S少年は金剛石発見の話と鰐の話をしてくれた。チカイの痩犬、ボルネオの猪狩の名人ダイヤーク人のチカイが用いる犬の話。虎豹珍談、馬来ペンゲレンで市街近くに出没する虎。猛虎を生捕にした話、溺れていた虎。 |
ボルネオ、マレーの號物に関する四話。 |
- 「興安紅涙賦」 (「蒙古猟綺談」)
( クラク 1928.01. )
K氏が語った蒙古奇談三話。索倫族に妾兼金鑑定で捕えられていて牛車で脱出した支那美人を助けた話。大沙漠にあるという大宝窟探検に行った人々の話。萬里花の歌と彼女を思わす女性の家に一夜の宿をとり願いをきいた話。 |
千一夜物語風にとの事で、確かにそれらしい話。単行本では冒頭や末尾、章題追加、K氏の実名など改稿されているようです。 |
- 「ポンテアナの女王」
( 初出不明 (末尾記載1928.02.) )
( 『東亜風土猟綺物語』 月刊満洲社 1939.12.30 ) |
ボルネオのボンテアナ唯一の日本人旅館で主人の声で旦那連はベランダに乗り出す。若い日本人婦人が一人通る。気位が高く日本人は相手にしない。日本人の女房に日本人亭主の場合は……。 |
南洋の女性状況の一挿話。 |
- 「九官鳥と話す女」
( 新青年 1928.03. )
( 『東亜風土猟綺物語』 月刊満洲社 1939.12.30 ) |
ボルネオのボンテアナからサンバスへの小蒸気に九官鳥を持った日本婦人が乗っていた。案内のM氏は娘子軍だという。途中のプニチイの支那人船主の日本人の第三婦人。モンバワの日本人雑貨屋お梅さん。コーヒー店のお藤さん。九官鳥をもったお豊さん。町を出る阪本老人。スラコウで……。 |
日本人のある意味逞しい進出の様子をスケッチした作品。 |
- 「巨蟒と猛虎(月光夜話)」
( 新青年 1928.10. ) |
スマトラのベングレンから木霊の棲家という大森林への探検行。馬来人案内人バーンは三年前、森の中で変な激しい物音と魔物の叫び声がしたという。進んで行くと巨大なうわばみと虎の骸骨があった。さらに行くと。バーンはピップという小さな毒蛇、蜂雀の話をする……。 |
探検で遭遇した話。迫力がある。蜂雀の話も興味深い。語り口のせいでもあるが。 |
- 「西門豹と巫女」 (「国境の太守り・西門豹」「国境の太守西門豹」)
( 猟奇 1928.12. )
( 月刊満洲 1939.06. )
( 『東亜風土猟綺物語』 月刊満洲社 1939.12.30 ) |
魏の文侯は西門豹将軍を〓(ぎょう)都太守に任命した。田園は荒廃していた。六年前の〓(しょう)河氾濫後に老巫女が言い河伯の望みと生贄を捧げていた。儀式費用の徴収、生贄を逃れる為の寄進か逃亡、貧しい百姓の娘。西門豹は儀式に立ち合い……。 |
中国における徳政伝。日本の昔話にもありそうだがそこまでやるか、という所が中国らしいかも。 |
- 「雪花殉情記」 (「寒月下の遊行者」「月凍る夜の遊行者」)
( 猟奇 1929.03. )
( 月刊満洲 1939.05. )
( 『東亜風土猟綺物語』 月刊満洲社 1939.12.30 )
『「猟奇」傑作選 幻の探偵雑誌6』ミステリー文学資料館編 光文社文庫(み-19-06) 2001.03.20 |
張作霖の奉天の留守を預かる呉俊陞は歓楽街小河沿で奉天駅前の政商天聚東の主人らと麻雀をしていて、向岸の雪花を見染める。許嫁馬一騰は反張作霖の一兵卒であったが呉俊陞に拾われ昇進していた。しかし雪花が呉俊陞に連れ去られたのを知ると馬賊になる。チチハルで呉の副官姜文生に捕らえられ……。 |
張作霖列車爆殺事件秘話か。情報統制があった当時はとにかく、現代では無理矢理すぎるような。 |
- 「道光綺譚」 (「猟色綺譚 老翁と女妖」「道光遺聞」)
( 猟奇 1929.05. )
( 『東亜風土猟綺物語』 月刊満洲社 1939.12.30 ) |
「希奇古怪」中の「信都翁」の話。七十の信都翁は中華民国のチャールストン嬢を迎えますがプラックリスト・モボ氏と駈け落ちします。邵村老を師とし娘の永春を許婚とする林生は師の留守に忍び入り……。 |
一部モダン風にアレンジしたもの。エロティック・ナンバーのお歴々に捧げる、とある。 |
- 「ボルネオ奇譚」 (「ボルネオ探険 ジャングルを征く」)
( 協和 1929.07.15〜09.01(4回) )
( 新青年 1940.01. ) |
大正七年の夏、蘭領東印度諸島視察旅行中の私は瀬戸口青年の案内でボルネオのランダー河を遡行した。多きな獲物を飲み込んで丸くなった蛇、猿鰐合戦、支那人の鉄木伐採所……。 |
実体験談だろうか。リアリティある南洋ジャングル冒険譚。 |
- 「乗馬石」
( 社会研究 1929.08. )
( 『東亜風土猟綺物語』 月刊満洲社 1939.12.30 ) |
東北旧政権の頃、連隊長の鄒作賓の妻が買った玉子に腐ったのがあり文句を言うと、爺は因縁をつけて小商人を虐めるのは貧乏軍人、泥棒軍人だと言ったという。鄒作賓は全て買うというので乗馬石を抱かせて数えながら玉子を載せていく。雪、そして……。 |
どっちもどっちという話。少し落語を思わせる。旧時代では普通だったという事だろうか。 |
- 「探偵短篇 密告者」
( 協和 1929.09.15 )
( 『東亜風土猟綺物語』 月刊満洲社 1939.12.30 ) |
十数年前の大密輸事件の計画者が船主だったか下級社員だったか。大連の代表的人物がロハで浦塩観光に招待された。威海衝で山東牛と苦力を搭載。浦塩での観光と宴会。帰途山東の芝罘に寄港。英人海關吏が乗り込み阿片を没収した。若い従軍記者は真相を……。 |
真相は別にしても結末のつけかたが上手い。良作。 |
- 「海賊綺譚」
( 協和 1929.10.01 )
( 『東亜風土猟綺物語』 月刊満洲社 1939.12.30 ) |
南支那海の海賊の根拠地はバイヤス湾。香港から上海に向う英国商船が支那人水夫に拳銃で脅され船は停止、船長の細君が人質になってしまった。ジャンクから乗り込む東洋のコンラード劉星光……。 |
海賊に襲われた英国船の話。国際状況を考慮しているようにも思われる題材。 |
- 「中華毛断くらべ」 (「支那毛断考」)
( 協和 1929.11.01 )
( 『東亜風土猟綺物語』 月刊満洲社 1939.12.30 ) |
鎮海の女教師胡白蓮のモダンぶりの話。少女が学問のしすぎで病気になり、結果、性書取締となった話。 |
モダンガールに関する二話。過ぎたるは、という事で。 |
- 「治蕃悲録 トロック社の髑髏」 (「治蕃悲録 深堀大尉の髑髏」)
( 社会研究 1929.12. )
( 新青年 1940.03. ) |
明治三十年五月、台湾の南投庁埔里社の蕃産品交換所にトロック社のものが近藤通訳を訪れて来た。霧社との争いで通り抜けるのに難儀なので花蓮港に新設して欲しいという。中央山脈を横断しようとした深堀安一郎は消息不明で未だ誰も踏破していなかった。九月、近藤通訳はトロック社へ、大酋長ティモチライの宴会、サード社土目のクラス、首狩り、ブラヤウ社土目のスムイヲ……。 |
深堀事件は実際に起った事件だが状況と真相はどこまで真実か不明。脚色はありそう。※「治蕃悲録 深堀大尉の髑髏」社会研究とは同内容別作品の可能性有 |
- 「ラインの女」
( 協和 1930.10.01 )
( 『東亜風土猟綺物語』 月刊満洲社 1939.12.30 ) |
白系ロシヤ人の話。祖国を追われドイツを放浪していた時、機関車の故障で伯林に着いたのが深夜になった。知り合った未亡人と共に鉄道局が格安に用意した寝台車に泊まることになった。寝台の上と下、やがて、そして朝……。 |
艶話。逞しいというか、妙な知恵があるとういうような話。 |
- 「鳳凰城外の血吹雪」 (「「緋牡丹吹雪」」)
( 観光東亜 1939.01. )
( 『東亜風土猟綺物語』 月刊満洲社 1939.12.30 ) |
明治四十四年、二人の支那人が鳳凰城で降りると青年新聞記者神島天浪も降りる。吹雪の中襲われる牡丹紅と弟邱禄鼎。禄鼎は連れ去られる。革命党北伐急進会領袖で牡丹紅の夫の何秀才らは前日に馬龍潭に捕らえられていた。処刑される何と邱ら。翌年、芝罘を訪れた神島は……。 |
革命秘史とでもいうのだろうか。主人公の心情は少し珍しいかも。 |
- 「ランダー河流域」
( 名作 1939.11. ) |
|
※内容不明。「ボルネオ奇譚」(ほか)の再録の可能性あり。別作品か続編の可能性もあり。 |
- 「治蕃悲史 名竹白雲の曲」
( 新青年 1940.05. ) |
明治四十四年、台湾総督府は反抗蕃社の討伐を開始した。少年記者として台北の某新聞にいた私は従軍した。北勢八社の討伐司令部へ峻坂を登り隘勇稜線へ。大自然の美観。望遠鏡で見る死闘。司令部、討伐隊の勇士連、竹鼓の音。隘寮、二本松砲台、鬼火、尺八と博多節。逆襲……。 |
戦場での逸話。経験が元なのか伝聞などによるものかは不明。 |
- 「密輸入船」
- 「メルシンの女豹」
( 藝文 1942.08. ) |
動物商陳財明の案内で南部馬来パパンラマ河を遡行したのは一九一八年四月だった。塩分のあるスコール。メルシンの女豹といわれる猛獣捕りの名人ハリカミス。独逸人とマライ人酋長の娘との混血で、ジャングルの女王のように暮らしていた。迷路式飼育場、捕獲方法、飼っている黒豹……。 |
野蛮さと文明が混在しているのが面白い。どこまで実話かわからないが。 |
随筆など
- 「図南の鵬翼を張れ」新帰朝者山口源二談
( 大阪新報 1919.11.18〜22.(5回) )(新記文) |
英領蘭領南洋の米作、護謨、椰子。現地支那人のこと。大規模投資の必要性。支那商人のレシデントへの贈物のことなど。政府、投資家、国民へ、青年へ。 |
- 「秘密結社 胡蝶党」
( 探偵・映画 1927.10. ) |
英領海峡殖民地と蘭領東印度諸島の秘密結社。白鴿党、局詐党、敲詐党、胡蝶党。 |
- 「(れふき・あぱあとめんと!)(一言欄)」
( 猟奇 1929.03.,04.,05. ) |
「雪花殉情記」は豪傑天鬼から聞いた事実談。2月号感想。酔っ払った文章。 |
- 「YMCA 野球部の回顧」
( 『恩寵廿年』大連基督教青年会編 大連基督教青年会 1930.xx. ) |
- 「張学良の懐刀 高紀毅を語る」
( 協和 1931.06.01〜06.15 ) |
学良麾下の三羽烏、郭松齢と彼、隠忍時代、楊常槍決事件、東北経済救済策 |
- 「満蒙を何うする? ゴマメのはぎしり」
- 「満洲一の弁 女を釣る」
- 「雑談支那を読んで」
- 「旅愁と蛙」
( 観光東亜 1938.07. ) |
雛妓、蛙の鳴き声に故郷を思う。深夜の美女、若い夫人が牡丹公園で幽霊に間違われそうな恰好で内地と異ならない蛙の鳴き声を聞いていた。 |
- 「ダッチ・ワイフ」
- 「花柳花嫁学校」
- 「随筆 河童」
- 「はしがき」
( 『東亜風土猟綺物語』 月刊満洲社 1939.12.30 ) |
大部分が自身の体験か見聞の記録。昭和初年頃からの十余年、「サンデー毎日」「新青年」「苦楽」「猟奇」「協和」「観光東亜」「月刊満洲」等に掲載。 |
- 「(まえがき)「「蒙古義軍秘翠事室蹄」天鬼・薄益三遺稿」」
( 月刊満洲 1940.04. )
( 「「蒙古義軍秘挙事筆蹄」および解題」広川佐保 中国・アジア研究論文データベース 2012.xx. ) |
- 「極楽島と女仙」
- 「西部ボルネオを語る」
- 「新嘉坡素描」
( 観光東亜 1942.03. ) |
新嘉坡の今昔、新嘉坡と華僑、邦人栽培業者の苦闘、埠頭の名物河童群、ビーチ広場の義勇軍、映画館と露店市 |
- 「交通道徳と旅客の協力 交通機関への要望」
( 観光東亜 1943.01. ) |
各機関当事者の努力に協力するよう旅客も少々我慢を。労工車の導入、乗降口の区別化、賃金違反の取締り。 |
- 「満蒙日本人発展小史」
( 『満蒙日本人紳士録 附満蒙銀行会社要覧 昭和4年版』 満洲日報社 1929.05.25 )(国DC※) |
※下記の原型とのこと |
- 「満洲草分物語」
( 『満洲草分物語』満洲日日新聞社編(米野豊実編) 満洲日日新聞社 1937.04.01 )(国DC※) |
※記名はないが『満洲紳士録』では著書扱いになっている |
著書
- 『新聞広告を語る』山口源二編 満州日報社 1931.xx.
- 『満洲草分物語』満洲日日新聞社編(米野豊実編) 満洲日日新聞社 1937.04.01 (国DC※)
△「はしがき」満洲日日新聞社編者識/※詳細略
- 『東亜風土猟綺物語』 月刊満洲社 1939.12.30
△「はしがき」/南洋の巻(「ロバム島物語」/「レシデントの時計」/「大地を診察した男の話」/「ポンテアナの女王」/「九官鳥と話す女」)/支那の巻(「海賊綺譚」/「密告者」/「支那毛断考」/「道光遺聞」/「国境の太守西門豹」)/満洲の巻(「月凍る夜の遊行者」/「蒙古猟綺談」/「乗馬石」/「緋牡丹吹雪」)/白露の巻(「ロージカ」/「ラインの女」)
参考文献
- 「山口海旋風について」浅井健(島崎博)
幻影城 1975.04.
- 「まむし島発見始末」ほか 島田一男
『中国大陸横断』島田一男 徳間文庫(116-25) 1985.08.15 (国DC※)
- 「探偵作家対談 新聞・テンポ・殺人(島田一男)」渡辺剣次
宝石 1953.11.
- 「座談会 島田一男を語る」島田一男、中島河太郎、黒部竜二、「島田氏略歴」久保友江
「島田一男読本」別冊宝石69号 1957.08.
- 「解説」藤田知浩
『外地探偵小説集 南方篇』藤田知浩編 せらび書房 2010.06.04
- 「戦前期中国東北部刊行日本語資料の書誌的研究」岡村敬三
Web Site 「おおすみ書屋」収蔵庫 2009.03.
- 「租借地大連における日本語新聞の事業活動」栄元
Web Site 総合研究大学院大学学術情報リポジトリ 2016.xx.
- 「満洲スポーツ史話」高嶋航
Web Site 京都大学学術情報リポジトリ 2021.03.
- 「「蒙古義軍秘挙事筆蹄」および解題」広川佐保
Web Site 中国・アジア研究論文データベース 2012.xx.
- 「社会研究」
『社会事業雑誌目次総覧 第16巻』社会事業史文献調査会編 日本図書センター 1988.03.25 (国DC※)
- 「山口源二」
『満洲紳士録 4版』 満蒙資料協会 1943.12.01 (国DC※)
- 「満州で南洋を語った作家」西原和海
彷書月刊 2000.06.25(7月号)
- ほか