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米田三星 作品 |
Since: 2021.12.22 Last Update: 2023.09.10 |
略年譜 - 小説 - 随筆 - 著書 |
1905.02.12(明治38年) 奈良県吉野郡にて生まれる。本名米田庄三郎
1925年頃 受験と学生誌に投稿作品が掲載されたらしい
1931.01. 「生きている皮膚」が新青年に掲載、以降創作3篇掲載
1932.xx. 大阪帝国大学医学部卒業
1939.?/1948.xx. 内科医として開業
2000.01.23 死去(Wikipediaによるが出典不明。享年95歳らしいとの記載は横井氏解題にあり)
筆名は、米田三星、米田庄三郎
(国DC※)は国立国会図書館デジタルコレクション個人送信(ログイン必要)で公開されています(今後非公開になる可能性もあります)
( 受験と学生 1925年頃 ) |
※小品、詳細不詳 |
( 新青年 1931.01. ) ( 『怪奇探偵小説集』鮎川哲也編 双葉新書 1976.02.10 ) 『怪奇探偵小説集(1)』鮎川哲也編 双葉ポケット文庫(あ-02-01) 1983.12.25 (国DC※) 『怪奇探偵小説集1』鮎川哲也編 ハルキ文庫(あ-04-01) 1998.05.18 『恐怖ミステリーbest15 こんな幻の傑作が読みたかった!』 コアラブックス 2006.05.30 『戦前探偵小説四人集』 論創社・論創ミステリ叢書50 2011.06.30 |
B外科に入院となった川口淳子は自身の腫物を顕微鏡で見て「皮膚が生きている」と叫ぶ。彼女は村尾医学士に顔に見えたと言う。癌手術は成功したものの彼女は死亡する。彼女は村尾医学士に手記を残していった。そこには……。 |
冒頭部分は編集でカットされたとの事。題名からは人面疽を思わせられるが、医学的根拠がある。手記の人称記述は混乱するが、ここもカットされたのかもしれない。 |
( 新青年 1931.04. ) 『新青年傑作選 第二巻 怪奇・幻想小説編』中島河太郎編 立風書房 1970.03.25/新装版 1974.12.30/新々装版 1991.07.01 (国DC※) 『あやつり裁判 幻の探偵小説コレクション』鮎川哲也編 晶文社 1988.03.25 『江戸川乱歩と13人の新青年 論理派編』ミステリー文学資料館編 光文社文庫(み-19-29) 2008.01.20 『戦前探偵小説四人集』 論創社・論創ミステリ叢書50 2011.06.30 独房の中、男は絶えず呟いている。明見君を呪っていたのは事実だ。美緒子さんのこと、研究のこと、子供時代の発作のこと、佐倉君を呼ぶ明見君の声。考えるんだ……。 |
思考の経過を辿っていくのは面白い。蜘蛛は唐突すぎる気がする。読み落としているか、類似の過去作がありひねっているのか、編集によるのか。他の作品を考慮すると題名の付け方が秀逸というべきなのだろうか。 |
( 新青年 1931.09. ) 『ひとりで夜読むな 新青年傑作集4怪奇編』中島河太郎編 角川文庫(緑434-04) 1977.07.20 (国DC※) 幻影城 1978.07.(6-7合併号) 『奇想の森 ミステリーの愉しみ1』鮎川哲也編、島田荘司編 立風書房 1991.12.20 ( 『ひとりで夜読むな 新青年傑作選怪奇編』中島河太郎編 角川ホラー文庫(H800-01) 2001.01.10 ) 『戦前探偵小説四人集』 論創社・論創ミステリ叢書50 2011.06.30 |
A君への手紙。阿津原先生が僕のカルシウムの静脈注射直後に狭心症で死んだ。A君が解剖を依頼したのにはほっとした。疑われて当然の立場だったから。解剖では不満もあるが、先生はショック死ではなかったのだろうか。阿津原先生を恨む伝染病患者が島から手記を残して脱走している。B君宛の返信でA君は……。 |
個人的にはこの題名はポーを意識してしまう。題名はやや違う気もするが医学的裏打ちのある話。実証方法はさすが。 |
( 新青年 1932.04. ) 『戦前探偵小説四人集』 論創社・論創ミステリ叢書50 2011.06.30 |
血液型を研究している村主のところへ男が鑑定依頼にきた。子供は実子だろうか、と。 |
今となっては単純なコントでしかないが、当時としては補足説明が必要だったと思われる。 |
( 新青年 1932.07. ) 『戦前探偵小説四人集』 論創社・論創ミステリ叢書50 2011.06.30 |
死後分娩に関する記録紹介。 |
『幻の探偵作家を求めて』鮎川哲也 晶文社 1985.10.10 『戦前探偵小説四人集』 論創社・論創ミステリ叢書50 2011.06.30 『幻の探偵作家を求めて 完全版(上)』鮎川哲也、日下三蔵編 論創社 2019.06.20 |
幻影城で予告がありながら不掲載。昭和37年3月末か4月初旬に高知佐川の森下氏を訪問した時の訪問記。荷風作品。処女作の頃。ドイルの事。 |
( 「「ビリルビン」注射ノ実験的貧血恢復ニ及ボス影響」 大阪医事新誌 1935.08. (国DC※) 、 「肺結核患者血清「ビリルビン」量ノ研究」 結核? 1936.xx. 、 「健康者血清「ビリルビン」量ニ関スル知見」「滲出性肋膜炎患者ニ於ケル血清「ビリルビン」量並ニ胸腔穿刺液ノ「ビリルビン」含有ニ就テ」「肺結核患者ノ「ビリルビン」排泄機能ニ就テ(阪本義教共同執筆)」 大阪医事新誌 1937.02. (国DC※) 、 「結核統計資料としての診断書の価値」 臨床内科 1940.01. (国DC※) 、 その他、日本学校衛生、医学中央雑誌に掲載論文などあり ) |
( 「お母さま方へ衛生に関して」「赤ちゃんのびょうき」 学友二年生 1948.05. 、 「「土くも」二元説」 むれ志か 1949.08. 、 「観月料理献立」 料飲界 1949.09. ) |
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