芝山倉平(しばやまそうへい)略年譜
1909.03.29(明治42年) 札幌にて生まれる、本名は関四郎
1932.04. 北海道大学工学部卒、鉄道省入省、後年は明電舎社長
1946.12. 新青年に「電気機関車殺人事件」が掲載される
1962.xx. 国鉄常務理事辞任
1974.xx. 明電舎社長就任
1990.12.12(平成4年) 死去
筆名は、芝山倉平、関四郎
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探偵小説
- 「電気機関車殺人事件」
新青年 1946.12.
幻影城 光文社カッパノベルス 1975.04.
『下り”はつかり”』 光文社カッパノベルス 1975.06.25
『下り「はつかり」 鉄道ミステリー傑作選』鮎川哲也編 光文社文庫(あ-02-03) 1986.06.20 (国DC※) |
僕は鉄道の電気技師で親友の清水東作君と常信線の電化工事を見学しながら温泉へと列車に乗った。追神駅での電気機関車へのつけかえ、ループトンネル、三国トンネル。随行運転となり列車はトンネル内の三国信号所を過ぎて止った。閉ざされた機関車で楠田運転手が殴殺され通路で山川助手が感電死していた。そして第二の惨事が信号所で……。 |
名作に近い作品。何より舞台設定と専門的でありながらある程度分り易いのが良い。犯人特定部分も微笑ましい。密室トリックとしては肩すかし感があるがそれを補って余りある。 |
芝山倉平名義随筆など
- 「ガリバーと交通」
( 国際交通研究 1947.03. )※2 |
ガリバー旅行記の巨人や小人の足、声の高低。強度の式で輸送機関を決められるのではないか。 |
- 「肋骨を挫くの記」
( 国際交通研究 1947.06. )※2 |
電車の混雑圧迫で肋骨にヒビ。前部と後部の圧力のかかり方。混雑度の違いと回避。戦後の車両不足。 |
- 「汽車とリズム」
( 国際交通研究 1947.10. )※2 |
ベートーヴェン第八交響曲と機関車の動輪回転音。出発時の音。線路。戦中の正常歩運動。歯車の音。 |
- 「列国の鉄道電化状況」
( 国際交通研究 1947.12. )※2 |
概観/伊太利/北米合衆国/瑞典/仏蘭西/独逸/瑞西/ソ連/結語 |
- 「思いつくまま」
( 電気鉄道(鉄道電化協会) 1950.06. )(国DC※) |
変電所、電気料金、勾配、摺板。 |
- 「ある小事件」
( 鉄道電気(鉄道現業社) 1958.01. ) |
学生時代、スキー仲間の手稲山での自殺。 |
- 「構造物の強さの話」
( 鉄道電気(鉄道現業社) 1958.11. ) |
ガリバー旅行記の巨人に必要な足の太さ、火星人、鉄塔の強度の話など。 |
参考:関四郎名義随筆・評論など(抄:一雑誌一件)
- 「国鉄10,000km電化計画」
( 電気工学(技能図書出版社) 1942.10. )(国DC※) |
- 「石炭問題と鉄道電化」ほか
( 汎交通(日本交通協会) 1942.11.ほか )(国DC※) |
- 「瑞典国有鉄道電化(共著)」ほか
( 電気協会雑誌 1943.05.ほか )(国DC) |
- 「36 近代鉄道力は蒸気か電気か?」H. Kother、関四郎訳/「106 オストマルク地方に於ける水力利用に依る鉄道電気運転実績」W. Zorn、関四郎訳
( 全科技聯科学技術蒐録 1943.05./1944.02. )(国DC※) |
- 「電気運転用電力計算の一方法(共著)」ほか
( 交通技術(交通協力会) 1946.03.ほか )(国DC※) |
- 「触手はのびる上越線の電化」ほか
- 「上越線電化成る」ほか
- 「東海道全線電化のために」ほか
( 鉄道電気(鉄道現業社) 1948.06.ほか ) |
- 「講座 電力問題と鉄道電化」ほか
( 電気鉄道(鉄道電化協会) 1948.08.ほか )(国DC※) |
- 「電気鉄道に於ける最近の諸問題」
- 「直流3,000V式電気鉄道の発達と現状」
( 『発電・送配電・電鉄 電気技術綜説4』電気学会編 電気書院 1948.08.25 )(国DC※) |
- 「12章 電気」
( 『雪氷十年 最近雪氷学の概観』日本雪氷協会編 東海書房 1949.04.01 )(国DC※) |
- 「通信線路の雪害ついて」
( 鉄道通信(鉄道通信会) 1949.10. )(国DC※) |
- 「除雪作業のけがをなくすには」ほか
( 新線路(鉄道現業社) 1951.12.ほか ) |
- 「前垂がけ」
( 国鉄線(交通協力会) 1953.04. )(国DC※) |
- 「鉄道電化と雪」
( 『雪氷の研究1主として電源開発のために』日本雪氷協会編 日本雪氷協会 1953.11.20 )(国DC※) |
- 「50サイクル交流電化の動向」
- 「鉄道電化二〇年後の夢」ほか
( 国有鉄道(交通協力会) 1956.01.ほか )(国DC※) |
- 「山小屋と電気」ほか
- 「工事屋の幸福」
( 電気工事の友(関東電気協会) 1956.06. ) |
- 「国鉄通信の新しい飛躍に」ほか
( 鉄道通信(鉄道通信協会) 1956.09.ほか )(国DC※) |
- 「東海道線電化完成に際して」ほか
( 電気車の科学(電気車研究会) 1956.11.ほか ) |
- 「8ミリ・機関車に乗る」
- 「より高い保安へ(巻頭言)」
( 信号保安(信号保安協会) 1957.05.ほか )(国DC※) |
- 「(アンケート)」ほか
- 「鉄道無線の立場から」
( 電波時報(電波振興会) 1957.10. )(国DC※) |
- 「輸出貿易について」
( 車両技術(日本鉄道車輛工業協会) 1957.11. ) |
- 「鉄道の電化について(座談会)」ほか
- 「国鉄の近代化と電気技術(一家一言)」
- 「電子技術を鉄道へ」ほか
( JREA(日本鉄道技術協会) 1958.11.ほか )(国DC※) |
- 「線路と共に(関四郎さん)(インタビュー?)」
- 「次代の明るい国鉄のために」ほか
( 鉄道工場(交通資料社) 1959.09.ほか )(国DC※) |
- 「商用周波単相交流電化に関する研究(博士論文)」
- 「インドの鉄道事情」
( 経済協力(国際技術協力協会) 1961.10. )(国DC※) |
- 「訪ソ印象記-鉄道電化設備視察団に参加して」
- 「はしがき」/「印象記」
( 『訪ソ鉄道電化設備視察団報告書』鉄道電化協会編 鉄道電化協会 1964.02. )(国DC※) |
- 「朝日広告賞受賞のことば」
- 「電機工業界と私」ほか
( 電機(日本電機工業会) 1967.05.ほか )(国DC※) |
- 「交流電化夜話」
- 「新電子装置工場の完成に寄せて」ほか
- 「団長報告(ソ連・東欧産業予測調査団)」ほか
( 技術と経済(科学技術と経済の会) 1972.09.ほか )(国DC※) |
- 「トップ登場 大艦巨砲主義からの脱却 「産業近代化」の課題を忘れるな(インタビュー)」
( Computer report 1973.09. )(国DC※) |
- 「計算機制御特集に寄せて」ほか
- 「エネルギーと公害」特集によせて」
( 『エネルギーと公害 政治科学研究叢書4』政治科学研究会編 ビデオ出版 1975.08.20 )(国DC※) |
- 「水」
- 「国鉄幹線電化の辿った道」
- 「訪中の4日間(経済同友会中国訪問代表団)」
- 参考「グラビア 目で見る私の履歴書 明電舎会長関四郎」ほか
- 「電力気象連絡会発足50周年に寄せて」
- 「身障者対策と国鉄再建」
( リハビリテーション 1982.07. )(国DC※) |
- 「エネルギー消費にかかわる環境問題」
- 「君の一生は立派であった(故若林東北電力会長を偲んで)」
( エネルギーフォーラム 1983.12. )(国DC※) |
- 「腹をくくって問題に体当りせよ!(インタビュー)」
( 経営コンサルタント 1984.01. )(国DC※) |
- 「大都市交通機関としての地下鉄への期待(寅年所感)」
( Subway 1986.01. )(国DC※) |
- 『戦後世界に魁た上越線電化 終戦後のエネルギー不足を予見し、国鉄の電化推進に命をかけた男の記録』関四郎
- ほか
著書
- 『戦後世界に魁た上越線電化 終戦後のエネルギー不足を予見し、国鉄の電化推進に命をかけた男の記録』関四郎 経済論壇社 1987.03.31
△「序にかえて」/
参考文献
- 「国鉄電化の鬼・芝山倉平」鮎川哲也
幻影城 1975.10.
『幻の探偵作家を求めて』鮎川哲也 晶文社 1985.10.10
『幻の探偵作家を求めて 完全版(上)』鮎川哲也、日下三蔵編 論創社 2019.06.20
- 黒田様に御教示頂きました。ありがとうございます。
- ほか