Shift_JIS Page 部屋入口 へ |
高木彬光
おまけ1 |
Since: 2019.01.27
Last Update: 2019.01.27 |
「序」 | ||
江戸川乱歩 | ||
寶石選書『刺青殺人事件』昭和23年(1947年)5月30日発行より |
二ヶ月ほど前、宇都宮の高木彬光といふ人から、突然手紙と嵩ばった原稿とが届いた。未知の人からの原稿は食傷するほど受取ってゐるが、添へ手紙を讀めば原稿の方も大體想像がつく。手紙の内容が幼稚だったり文章がまづかったりすると、もう原稿を讀む氣がしなくなる。そして、さういふ種類のものが大多數なのである。しかし、高木君の添へ手紙は文章も内容も立派で、充分私の注意を惹く力を持ってゐた。
戰後本格探偵小説の論議が盛んであり、作品も横溝、角田兩君の長篇の如き力作が現れたのを見て、かういふ傾向の作風が歡迎されるならば、自分も一つ書いて見ようといふ氣になったと云ひ、自信に滿ちた自己紹介の言葉が連ねてあった。京大冶金科の出身で現にその方面の事業にたづさはってゐる人である。この添へ手紙に好感が持てたので、私は直ちに三百餘枚の原稿を一讀した。 「刺青殺人事件」といふ題名はどこか陳腐な匂ひがあって感心しなかった。刺青といふものが江戸趣味に屬するし、「殺人事件」といふ用語も常套であって、新鮮味は少しも感じられなかった。冒頭數十枚を讀んでみると、文章は古めかしく描寫は平凡であり、少なくとも冒頭一ニ章に關する限り登場人物は生きてゐなかった。女體刺青のエロティシズムも谷崎潤一郎氏の「刺青」以後至極ありふれてゐるし、しかもその描寫にこれといふ新鮮味もなく、手紙の廣言にも似ぬ凡作ではないかと、私は殆んど失望しかけたのであるが、兎も角もう少し讀んで見ようと、餘り氣乗りもしないで讀みつゞけてゐる内に、段々面白くなって來た。描寫の妙や文體の新鮮味はないけれども、謎の構成と論理の魅力、即ち筋の面白さが私を惹きつけたのである。 この作には(又しても)「密室殺人」が取扱はれてゐる。横溝君が「本陣殺人事件」で「密室」の魅力を流布し、私が屡々密室作家カーの紹介をしたことなども影響してゐると思ふが、本格好きの新人は申合せたやうに「密室」と取組む。「密室」は最も具體的な不可能興味であり、數學の公式のやうにはっきりしてゐて、實を云ふと、最も樂な筋立てだからである。 眞に獨創のある「密室」は無論むつかしいけれども、從來あるものをちょっと變形した程度の密室トリックには誰でも考へられ、素人作家はさういうトリックを思ひつくと、もう有頂天になり、一かどの作品が書けるやうな錯覺を起すものである。「密室」と取組むのも良いが、その場合は必ず前人未踏の獨創的トリックなりシテュエーションなりがなければ、却ってその作品が廉く見られることを、探偵小説を志す人々に警告しなければならない。 さて、かういふ條件をつけて「刺青殺人事件」の密室トリックを判定するに、これには一つの獨創があることを否み得ないのである。「密室」に食傷してゐる私をして可なり感心させたほどの思ひつきが創案されてゐる。このトリックは外國の建築には用い得ない。却って「密室」には不向きだと云はれてゐる日本の建築の中にも、探せばかういう面白い「密室」があったのである。この日本的な、よくこなれた着想が先づ私を喜ばせた。 しかし、力作「刺青殺人事件」は「密室」が最終のトリックではない。そのあとにもっと大きな、もっと獨創的な、非常に興味の深いトリックが用意されてゐる。これは心理的錯覺或は論理學的錯覺と云ひ得るもので、可なり高度なトリックに屬する。幾分思ひ切った、大膽不敵な大手品で、普通の意味のリアリズムから云ふとひどく非難されさうな着想ではあるが、一つの事實談としては非現實であっても、論理學的には充分肯定出來る一種の「架空の現實」であって、ポーの「盗まれた手紙」やチェスタトンの諸作に驚喜するその同じ心がこの着想をも愛し得るのである。 この二重の獨創的トリックはある意味で「本陣殺人事件」や「高木家の惨劇」を凌駕してゐる。殘念なことには小説としての描寫手法が常套に過ぎ、文體も亦平凡であって、その部面に於ては横溝、角田のヴェテランには遥かに及ばない。若しこの筋をもっと小説の巧みな作家が書いたならば、恐らくは日本に探偵小説始まって以來の最傑作になったのではないかとすら、私は感じたのである。 この作の二重トリックの構成にはスカーレットの「エンジェル家の殺人」を聯想せしめるものがある。私は「エンジェル家」を世界ベスト・テンに準ずる名作と考へてゐるが、これがやはり二重トリックの筋立てであって、中段に於て「密室殺人」が解決され、最後にそれより遥かに獨創的なトリックが用意されてゐる點、「刺青殺人事件」の構造と酷似してゐる。スカーレットの「密室」はエレヴェーターであるが、普通の部屋を用いなかった事でも「刺青」の「密室」との相似が感じられる。 しかし「エンジェル家」の密室トリックにはこれと云ふ獨創がなく、中段に於て一度讀者を失望せしめる缺點があるが「刺青」の密室トリックは「エンジェル家」よりも優れ、その普通人の盲點を着いた着想には、一應讀者を納得させるものがある。 次に兩作の後段の大トリックを比較するに、トリックそのものではやはり「刺青」の方に手を擧げなければなるまい。しかし、なまのトリックではなくて、それに附加した種々の技巧、持って廻り方の巧みさ、描寫の鮮さ等をひっくるめて比べると、「エンジェル家」が遥かに優れてゐる。新人高木君はかゝる技巧に於ては僅かに水準に達してゐる程度の腕前であるが、それにもかゝはらず、その獨創的トリックは技巧の優劣を忘れさせるほどの魅力を持って迫って來る。創意といふものの人を打つ力である。 この作で今一つ私の心を惹いた點は、ヴァン・ダインがその處女作「ベンスン殺人事件」に於て試みた心理的探偵法を取入れてゐる事であった。「ベンスン」ではポーカー競技によって被疑者の心理を判斷するが、「刺青」では碁と將棋が用ひられてゐる。私はヴァン・ダインの試みは失敗であったと考へてゐる。心理的推測には物質上のそれのやうな確固不動性がない。少なくともヴァン・ダインの試みに於てはさういう不動性が出てゐなかった。 如何にすれば心理的推理に不動性を與へ得るか。これが其後絶えず私の心中を往來してゐる想念である。「刺青」の碁、將棋による心理的推定もヴァン・ダインの試みを超えてゐるわけではない。不動性は無論附與されてゐない。しかし、さういう心理的探偵法に關心を示したといふ事だけでも、私はこの作者に好意を感じないではゐられなかった。高木君は「小説」については老熟してゐなくとも、「探偵小説」については充分老熟してゐたのである。 私は先にこの作の文體が平凡だと云ったが、後段の推理の部分の文體は決して平凡ではない。この作者は論理的な文章では水準を抜いてゐる。又、描寫が常套だと云ったが、刺青師の仕事ぶりを描いた部分はなかなかよく書けてゐる。あとで作者から聞いた所によると、ある刺青師に頼み込んで實際を見學したのだと云ふ。單に論理の組立てだけで滿足せず、細部にさういう努力の佛はれてゐる點、敬服の外はない。學ぶべき所である。 結局この作品は「小説」としては少しも私を驚かせなかったが、「探偵小説」としては可なり私を驚かせたと云っていい。小説としての缺點はありながらも、これほどのトリックとプロットになると、同好者の情熱をそそらないではおかぬものである。私はこれを廣く同好者に讀んで貰ひたいと思った。しかし、一流雑誌は全くの新人の作品を連載するやうな冒驗を肯じないし、又この作は必ずしも連載に適してはゐない。そこで、單行本として出版することを考へ、「寶石」の別冊として出版することを承諾されたのである。 その時、私は岩谷社長に次のやうな提案をした。 世界の探偵小説界は三十年も前から長篇時代に入ってゐて、世評にのぼるものは長篇に限られてゐるやうな有様であるのに、日本では書下し單行本出版の機構が未發達である爲、長篇は殆んど新聞雑誌の連載ものに限られ、しかも連載を依頼されるものはごく少数の流行作家にすぎず、新人が世に問ふ道は、全く閉ざされゐると云ってもよい。短篇では「寶石」その他の雑誌の新人作募集によって登龍の門が開かれ、既に多くの新人を生み出してゐるが、長篇にはさういふ道が全くない。そこで、長篇に於ける新人登龍の機關として「寶石選書」といふ叢書を設けてはどうか。 但しこの叢書は「寶石」誌に於ける新人選抜と同様嚴選主義を堅持し、優秀な作品が得られなければ半年でも一年でも續刊を見合せるといふ方針でやって貰ひたい。單なる營利や情實に動かされることなく、堅くこの方針を守って、探偵小説の發達の爲に犠牲を拂って見る氣はないか。そして、日本に長篇探偵小説時代の口火をつけて見る氣はないか、といふ相談を持ちかけたのである。 岩谷社長はこの提案をも快諾せられた。そこで、「寶石選書」第一冊として「刺青殺人事件」が刊行せられたわけであるが、萬一第一冊が營業として失敗に終り大なる損失を招くやうなことがあれば、この計畫は或は挫折するかも知れないけれども、さふでない限り、たとへ全く金錢上の利益がなくても、無論この叢書は續刊されるであらう。 「寶石選書」は私が編纂の任に當る。そして、あらゆる情實と妥協を排し、純粋に作品本位で行くつもりである。如何なる推薦者も如何なる友情も、この叢書に力を及ぼすことは出來ない。さういう點で若し岩谷社長と意見が合はぬやうなことが起った場合には、私は直ちにこの叢書の編纂者を辭する覺悟である。 出發の動機が日本にも英米風の本格探偵小説を盛んにしたいといふ點にあるのだから、先づ謎と論理の興味に優れたものを歡迎するのは勿論であるが、必ずしも本格のみに限定はしない。廣義の探偵小説として抜群の作品が得られたならば、無論これを採用するに吝ではない。長篇探偵小説に野心ある新人の奮起を促すものである。 |
(昭和二十三年三月記) |
草稿 | ||
高木晶子 | ||
『想い出大事箱』出版芸術社 2008.05.20 より抜粋 |
(略) 二種類あり (略) (最初の草稿は)名探偵神津恭介はそのままだが、ワトソン役松下研三は高木彬光本人だった。 (略)
|
Web site 青森県近代文学館の「青森県近代文学館の名品」のコーナーの中に冒頭部分があります。
|
青森放送 | ||
(手紙/記事) | ||
昭和23年8月12日付 (東奥日報より)葉書 (略) 「刺青殺人事件」を青森放送局で五、六回にわたり放送したいとのこと (略)
|
『想い出大事箱』高木晶子 出版芸術社 2008.05.20 より |
高木彬光氏の「刺青殺人事件」が青森放送局に於て劇化、放送された。
|
寶石ニュース 宝石 昭和23年12月号 より |
昭和24年12月11日付 (青森放送局より)手紙 (略) 再び貴作品を放送致し度い (略) 「雪女」 (略)
|
『想い出大事箱』高木晶子 出版芸術社 2008.05.20 より |
「一九四八年度ベスト・テン評」抜粋 | ||
天邪鬼 | ||
宝石 昭和23年12月号 より |
フェア・プレイはいゝのですがトリックと犯人が初めの方でわかってしまうのは駄目です。 (略) 外國探偵小説のイミテーションではありますが、これだけのプロットと構成で書いた人が無いのだから仕方がありません。 (略)
|
天邪鬼の正体は不明。天城一ではないかと思っていたが。
|
「”刺青殺人事件”評」抜粋 | ||
天城一 | ||
『想い出大事箱』出版芸術社 2008.05.20 より抜粋 |
昭和24年10月30日消印の香住春吾からの手紙
(略) (関西探偵作家クラブの)会報には古すぎるので割愛したけれど (略) お送りしました。(略)
|
(略) ”刺青殺人事件”の出版される前後、小生に評を求められたことがある。当時 (略) 同書を入手する機会もなく、拙評をお送りすることが出来なかった。幸いにして、最近同書を一読する機会を得たので (略) 一言概評すれば、戦前戦後を問わず”日本探偵小説界に於ける最良の作”の一語につきる。 (略) 小生に語り得る所が”刺青の貧しさ”であり、貴兄の口に合わなかったとしても、自ら天下一にあらずして天城(上)一と名乗る天野邪鬼の毒舌如き、 (略) 驚きも怒も買う怖れは全くないであろう。 何が先づ”刺青”に於いて乏しいか?――独創性である。 (略) Trickは (略) Second handの (略) とは! (略:詳細は『想い出大事箱』参照のこと) (略) 許し難いのは、貴兄の提起された古今未曾有・天上天下唯我独尊の名探偵神津恭介君の独創性の不足である。20才にして数学の論文を書き (略) 海外ではチョイチョイある。 (略) 英独仏伊希羅の六国語に通じた秀才の持つ論理は (略) 大差がなく、今日科学者は常識とする所である。 (以下略) |
一読ではなく再読、天野邪鬼でなく天邪鬼であれば「一九四八年度ベスト・テン評」と論旨は同じなので詳しい評を依頼したとの推測ができる。 後段を読んで返信と共に神津恭介の論文の調査依頼をしたのではなかろうか。 |
「香山・高木・島田三氏 新人書下し探偵小説合評会」抜粋 | ||
江戸川乱歩、木々高太郎、水谷準、城昌幸、武田武彦、岩谷社長 | ||
宝石 昭和23年12月号 より |
城:今度香山滋氏「怪異馬霊教」島田一男氏「古墳殺人事件」高木彬光氏「刺青殺人事件」この三冊が出版されたので、それについて忌憚のない感想、批評、検討を願いたいと思います。 (略) (略) 城:高木氏のは模範的な探偵小説だな。 水谷:僕は「ロック」の懸賞募集で高木氏にぶッつかっていると記憶するが、あの時「ロック」には當選に價する作はなかった。あの時はまあやっと水準というので、それで名前だけは覺えたけれども、今度の作品に對しても期待は持ってなかった。 (略) 最後へ讀み進む毎に段々に興味が出て來て、よく書けてあると感服した。 武田:探偵小説本來の面白さからいうと、高木さんの「刺青」が三冊の中では特に強かった。 (略) それだけに、この人には短篇は無理かもしれませんね。 江戸川:長篇と短篇は別ですね。 (略) 水谷:僕はコンストラクションの巧妙さに感心した。 (略) 江戸川:全體のコンストラクションがよかったと言うけれども、分けて言えばトリックだとか、運び方だとか……。 水谷: (略) (トリックの)並べ方が非常に素人ばなれをしていると思います。 江戸川:あゝいう味が所謂論理的興味ですね。それが非常にうまいと思う。 水谷:トリックの發見や、それに附随する發見は天城一君などにもあると思いますが、 (略) 構想感は實に堂々たるものだと思います。 武田:江戸川先生の感心されたトリックは? 江戸川: (略) 岩谷:心理的トリックですね。 (略) 木々:讀んだが、面白かった。 (略) 木々:「刺青殺人事件」は如何にも探偵小説の形という感じがする。 (略) 新しい創造をはじめようという情熱とは考えられない。 (略) 木々:だから極言すれば探偵小説のための探偵小説になってしまっておる。 (略) (略) 武田:それは人間が描けてないからでしょう。 (略) 木々:心理描寫はないですね。 (略) (以下略) |
「ロック」の応募作名は 中村美与子 のページ参照。選評時には「初雪」に改題されていたらしいが未確認。「妖奇」掲載作と同一との出典は不明。 プロット、文体、その他の各100点満点、四人で合計した1200点満点での得点は、「刺青殺人事件」840点、「古墳殺人事件」845点、「怪異馬霊教」895点。 記事中の似顔絵は、まだ著者に会ったことのない海野十三が作品の印象から描いたものとの事。 |
「刺青殺人事件を評す」(一部伏字) | ||
坂口安吾 | ||
宝石 昭和24年1月号 より |
刺青殺人事件は、すぐ犯人が分ってしまふ。それを、いかにも難解な事件らしく、こねまはしてゐるから後半が讀みづらい。三分のニが解決篇みたいなもので、その冗漫が、つらい。將棋をやって、犯人をテストするなど、バカバカしくて堪へがたいものがある。解決篇の長さは、十分の一、或ひは、それ以下の短かさで、まに合ひ、そして、短くすることによって、より良くなるのである。 いったいに、小説といふものは、短くすると、たいがい良くなる。文章が本來さういふもので、作者は何か言ひたりないやうな氣持ちでゴタゴタ書きたいものだけれども、文章は本來いくら書いても言ひ足りないもので、むしろズバリと一言で言ってのけ、餘分のところをケズリ取ってしまふ方が、却って言ひ足り、スッキリするものだ。 文章専門の文學青年でも、文章をこなすには時間がかゝるもので、探偵小説界の文章と縁のない新人に文章のことを云ふのは酷であるが、これも讀み物なのだから、一應文章を心得る必要がある。然し、外國でも、探偵作家は文章がヘタだ。ヴァン・ダインの文章など、ヘタすぎて、讀むに堪へないものである。 日本では、横溝君が、トリックの構成、文章ともに、頭抜けてをり、外國の探偵作家と並んでヒケをとらない充分の力量をそなへてゐる。江戸川君ら、探偵小説界は外國禮讃であるが、外國の探偵小説で、亂作して讀ませる作家は、クリスチイ、クヰーンぐらゐで、あとはもう、バカらしくて讀むに堪へないものばかり。 先日、カーを讀んでいったい、江戸川君は、なんだって、こんなツヂツマの合はない非論理的な頭脳をほめるのか、呆れたものだ。その點、横溝君は、蝶々、獄門島、その他、どの長篇を讀んでも、讀ませもするし、破綻も少く、外國にも、これだけの本格探偵作家は、めったに見當らないものなのである。 刺青殺人事件は、江戸川君の批評は全然ダメ、あの批評の完全なる反對が正しく、江戸川君の良いといってるところが悪く、悪いといってるところが良い。前半がよくて、後半は落第である。 なぜ密室にする必要があったか。密室にするには、トリックを仕掛けるに、時間を要し、×××に××××ことを要し、犯人が×××××××××ことを、×××××××しまふ。犯人を却って分らせるばかりで、必然性がなく、ナンセンスである。 女から××××××、女が×××、××××××××××××××××××××時には、もう犯人は分ってしまふ。このトリックはあまり幼稚すぎる。 ××××××××に×××××××××××は、そこにトリックがあること歴然たるもので、×××は、××が、××××まで×××、被害者の××××××の××××××××て、××××××よって××××××××××ない。 さすれば、××××××××××××××、トリックが×××あって、つまり、××××××××××て、××××××××××直ちに判明するのである。 あとは蛇足で、それを、もったいぶって書いてゐるから、尚、やりきれないものがある。この犯罪が實際に行はれゝば、名探偵が登場する必要はなく、日本の刑事はすぐ謎を解くにきまってゐますよ。いはんや將棋などやる必要は毛頭ない。 日本の探偵作家(外國の作家も)たちはやたらと作中に刑事をボンクラに仕立てゝ名探偵を登場させるが、帝銀事件の如く、實際の犯罪は、偶然に行はれるから、却々犯人がつかまらないのは當然で、これは刑事の頭が悪いのでもなく、近代捜査法を知らないのでもなく、偶然だから、つかまらないのだ。 動機もハッキリしなければ、登場人物も、日本人全部の中から探さゞるを得ないのだから、益々つかまらない。刺青殺人事件のやうなトリックなら、日本の刑事はすぐ見破るにきまってゐる。 然し、この作者は、すぐ見破られるトリックをつかってゐるから、そこが良いところだとも云へる。つまりケレンがないのだ。論理性はあるのだ。やたらと不可能不可解の奇術を弄してゐない。たゞ、トリックの組み立て方が幼稚だったのである。 たとへば、×××××××に××××××いふ××××××が、そもそも、このトリックを幼稚にしてをり、ハハア、これはクサイ、こゝにトリックの鍵があるな、とすぐ思はせる。 ××××××の××××が×××××××を、もっと、自然な、さりげない方法で讀者に示す工夫が、この小説のヤマなのである。この作者はそこに工夫が足りなかった。そこのところを巧みに提出することに成功すれば、このトリックも、かなり成功するのである。 ××××を×××××に×××と、××××××を××る。あそこも、まづい。あそこで、ハッキリしすぎてしまふ。かういう際には、××××××××に、××××××方がよろしく、すべてトリックは、さういふ工夫に細心の注意を要する。 元々探偵小説のトリックといふものは、根は、それだけの、ハッキリした。分りきったものだ。それを裏がへしにして、さりげなく、分らないやうに、色々と術を弄し策をほどこして、讀者に提出して行く、その提出の仕方に、工夫が要るのである。 この作者は、よいトリックをもち、性本來ケレンがなく、論理的な頭を持ってゐるのだが、つまり、讀者に提出して行く工夫に、策が足りなかった。そして、文章もまづい。まづいけれども、さのみ不快を與へるほどの文章でもないから、これから筆になれゝば、これで役に立つだけの文章力はある。大切なことは、トリックを裏がへしにして、讀者に提出して行く場合の工夫に重々細心の注意を拂ふことを知ることである。 私は、この作者は、未來があると思ってゐる。ケレンがなく、頭脳が論理的だからである。以後は、横溝君に弟子入りして、テクニックを學ばれるがよい。他の探偵作家はダメである。君の師とするに足る人はゐない。みんな頭が論理性を缺いてゐるから、本格探偵小説は書ける筈のない方々だ。 横溝君のも一つ偉いのは、くだらぬ衒學性のないことだ。文章も益々うまくなってゐる。月刊讀賣の「ビックリ箱殺人事件」などといふ珍妙なファルスでも、あれだけの筆力があれば大したもの、獄門島の筆力も次第に冴えてゐる。 角田君も、あの奇術性に、もっと正確な必然性をもたせ、謎の全部をもッとハッキリ讀者に提供して、それで讀者とゲームを爭へるだけの構成の逞しさがあると、いゝのだが、やっぱり多作せざるを得ないから構成がぐらつき、奇術にたよって、ごまかしてしまふのだらうとふ。 言ひもらしたが、近ごろの横溝君には、作中人物に性格がでゝきた。これは探偵作家には例の少いことで、外國にも、あんまりない。蝶々や獄門島ぐらゐになると、外國の探偵小説を讀むよりも却って樂しく、安心して讀め、彼はもう世界的な一流探偵作家だと私は思ってゐるのである。 「古墳殺人事件」 これは、ひどすぎるよ。私にこれを讀めといふ、寶石の記者は、まさに、こんなものを人に讀ませるなんて、罪悪、犯罪ですよ。罰金をよこしなさい。罰金をよこさないと訴へるよ。 僕ら、小説を書いてゐて、自分の言葉でない、人の借り物を一行も書くと、それが氣がゝりで、そこの頁をひらくことも出來ず、思ひだすたび、赤面遡上、大混亂、死にたくなってしまふものだ。 古墳殺人の作者ときては、これは文章から人物の配置から、何から何まで、ヴァン・ダインの借り物ぢゃないか。ヴァン・ダインの頭の惡さを、更に借り物にして、いったいこのバケモノは何だらう。 日本人が、こんなヘンテコな言葉で喋ってゐますかね。日本の刑事に、こんなヘンテコな言葉づかひの、齒のうくやうなキザなのがゐますかね。 シチュエーションからトリックから、バカラシサ、あの愚劣な出來そこなひの衒學性で、みんなヴァン・ダインの借り物で、これで一人前の作家で通用する日本の探偵小説界は、なんとまア、悲しく、貧しい雑草園でせうか。下の下の下だ。私は、讀みながら、讀んでる私が、羞しくて、赤面して、羞しさにキャッと叫んで、逃げて走りたくなるのだ。なんといふ、ひどい、貧しいあさましい小説でせうか。 どうか、助けて下さい。讀者に、こんな羞しい思ひをさせないで下さい。私は、赤面するために探偵小説を讀んでるのではないのです。 どんなにまづしくとも、自分の言葉で、物語をつくって下さい。どうか、たのみます。 そして先輩の探偵小説作家も、シッカリして下さい。これは先輩の罪です。こんな新人が現れるのも、先輩が、それだけでしかない證據ではないでせうか。 私は探偵小説の新人に申上げるが、本格探偵小説を書くなら、ただ、横溝君のものだけを學びなさい。あとは、とるにも足りません。そして、衒學は、やめなさい。頭脳は、あくまで、論理的でなければなりません。 |
本格探偵小説、ゲームとしての探偵小説としてなら(同意できるからといわれればそれまでだが)名評論。ただ、それでは多様性を失い直に画一的になる。別の視点でみれば別の評価になるのは自明の理。 横溝正史との関係はこれが影響したのかそれ以前だったのか。この年6月に乱歩、正史の勧めもあって東京に転居している。 |
「新稿の序」抜粋 | ||
高木彬光 | ||
『刺青殺人事件』春陽堂・日本探偵小説全集12 昭和28年(1953年) 12月20日発行より |
刺青殺人事件、舊稿は昭和二十三年六月に初めて陽の目を見、幸ひに壓倒的な支持を受け、その後も幾度か版を重ね、最近は新東寶に於て映畫化された。 (略) (略) 五年前、松下研三君が、この手記を私に託したとき、私はほとんど手を加へずに、そのままの形で發表するしか方法がなかった。 ところが、松下君の手記の中には、彼にとって都合のわるい、幾つかの點が、或は手際よく、或は手際惡くぼかされてゐた。もちろん事件の本筋には關係なく、推理の糸をたぐって行くには何の支障もない箇所だが、しかし心理的見地から見るならば、重要な見のがしがたい急所であった。 (略) 最後に彼は一切を私に託して引き下った。 (略) (略) それが私をして、ふたゝび筆をとらせ、この新稿を世に送らせた動機であった。舊稿との間に見られる若干の差異は、そのやうな理由に基くものとして、讀者諸君の御諒解を得たい次第である。 |
昭和二十八年初秋 |
高木彬光 |
Top Page ← 母屋 ← 高木彬光の部屋 ← 現在地 | ||
Page の先頭へ | 夢現半球 |