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大庭武年 作品

Since: 2021.10.10
Last Update: 2024.02.18
略年譜 - 探偵小説 - 一般小説 - 随筆 - 著書 - おまけ

      大庭武年(おおばたけとし)略年譜

    1904.09.07(明治37年)  浜松にて生まれる
    1911.頃  大連に移る
    19xx.xx.  早稲田大学第二高等学院文科入学、のち早稲田大学文学部英文科
    1928.xx.  卒業、大連に戻る
    1928.xx.〜  「青春」を大連新聞に連載
    1930.10.  「十三号室の殺人」が新青年の懸賞に入選、掲載
    (1932.03.  満州国建国宣言)
    1932.xx.  満州国建国運動に参加
    1933.06.  「小盗児市場の殺人」を新青年に掲載
    1934.xx.  満鉄入社、この頃奉天に移る
    1945.08.10(昭和20年)  戦死

    筆名は、大庭武年

      (国DC※)は国立国会図書館デジタルコレクション個人送信(ログイン必要)で公開されています(今後非公開になる可能性もあります)
      (青空)は青空文庫でインターネット公開されています
      (幻影城)は探偵小説専門誌「幻影城」と日本の探偵作家たち の 幻影城書庫でインターネット公開されています
      (夢現)は「おまけ」で公開しています



      探偵小説

  1. 「十三号室の殺人」 [郷警部]
    ( 新青年 1930.10. )
    幻影城 1977.05.
    『迷宮の旅行者 本格推理展覧会』鮎川哲也監修、山前譲編 青樹社文庫(あ-03-08) 1999.10.20
    『大庭武年探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書21 2006.12.10
     D市ムーン・ビーチのクイーン・ホテルにドイツ人フリッツとギリシャ人マリヤが宿泊。三階の隣同士の部屋からマリヤはウイリアムが宿泊していた二階の端の十三号室に移る。半日毎に陽気から陰気になるマリヤ。宿泊十三日目にマリヤがピストルで撃たれて死亡、浴室の窓があいていたが後に非常階段ペンキ塗りたてとわかりほぼ密室である事がわかった。フリッツは捕縛される。郷英夫警部が細かな手懸りから真相をつきとめる。
     戦前の論理的探偵小説として秀逸。トリックに新味がない事や、ややもすると推測できてしまうが為に長らく日の目をみなかっただけではないかと思われる。
  2. 「競馬会前夜―郷警部手記の探偵記録―」 [郷警部]
    ( 新青年 1930.12. )
    『殺意のトリック』鮎川哲也編 双葉社 1979.11.10
    『外地探偵小説集 満州篇』藤田知浩編 せらび書房 2003.11.10
    『大庭武年探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書21 2006.12.10
    ( 『幻の名探偵』 光文社文庫(み-19-41) 2013.05.20 )
     D市郊外安田農園の競走馬彗星が騎手戸倉定雄に射殺されたと園主安田善作からの通報があった。私(郷警部)らが到着すると戸倉の屍体も見つかっていた。左手の拳銃、前夜の雨、死の前の行動から馬を射殺してから自殺したとは思えない。善作は前夜、宮部氏らと娘小夜子を混じえた晩餐を、スミノルフとは会談をしていた。戸倉は自殺したようであるが……。
     競馬ミステリーの先駆け作品。事件、調査、陳述、解決という章題の論理性の強い探偵小説でもある。短すぎて読物としては物足りないがそれを補う構成でまとまっており秀作。
  3. 「曠野に築く夢(中絶)」 [郷警部]
    ( 満洲日報 1931.03.13〜06.12(74回) )
    『曠野に築く夢』(オンデマンド) 大陸書館 2023.05.10
     亡命者黄宝廷は大連の別荘に姉娘錦蘭、妹娘彩花、執事蕭志亮、雇人劉と趙とコック李と運転手陳と共に住んでいた。四月の夜、ヂョンニイ・スミスと田畔が錦蘭を送り届け、呉雨亭が借金に来ると四発の銃声が。金庫が開けられ、黄が刺殺され、呉と蕭が行方不明になっていた。ホテルで郷警部は部屋にあったのと同じ葉巻とハンカチを持つ伴雍一青年を見かける。姉妹や雇人らの聴取、鑑識結果、十万弗の金塊を持った二人連れの目撃証言。 元ロシア陸軍中尉アレキサンドル・ワシリッチ・スミルノフ、妻オリガ、長子セルゲイ、末子ミハエル。チェリコフ、カチェリーナ、荒鷲団。伴を追って大連に飛行機で来た未亡人山村齋子、機中同乗者植中新一。伴のことを知らせた籾山夫人とヂョンニイ、齋子とヂョンニイ、郷と伴、伴と植中、五十万弗の隠し場所の暗号紙片。哈爾浜の伴と齋子、カチェリーナ、セナトール、ゲ・ペ・ウ、セルゲイら。大連の阿片窟と北平の男譚三秀と青蛾、庄司刑事、蕭志亮、郷警部の推測。大連に戻った伴とカチェリーナ、ヂョンニイと田畔、植中と齋子。
     探偵、ロマンス、陰謀、政治的要素を含んだ曠野に築く夢を追った人々の話。その後の構想でも暗号の説明はない。背景となる当時の状況は興味深いが中絶となった理由かもしれない。 ※本稿は新聞連載を読んでのコメントですがあやふやだった漢字人名は大陸書館版を参照しています
  4. 「旅客機事件」
    ( 探偵 1931.11. )
    『「探偵」傑作選 幻の探偵雑誌9』ミステリー文学資料館編 光文社文庫(み-19-09) 2002.01.20 (青空)
    『大庭武年探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書21 2006.12.10
     DからH、K飛行場へ向かう定期航空。池内操縦士、三枝機関士に乗客二人。生糸問屋綿井茂一とR銀行頭取秀岡清五郎。飛行中三枝は客室後部の便所に行くが戻った時から様子がおかしい。P民間飛行場の練習機と挨拶しながら順調にH飛行場に着陸すると、秀岡は血まみれで死んでおり綿井はいなくなっていた。地上を克明に見ていた池内はアリバイが成立するが……。
     閉鎖空間だが当時の民間飛行機の構造がよくわからないのが難。扉はあるが気密性はないのだろう。偶然も多いが設定、構成、意外性は良い。
  5. 「ポプラ荘の事件」 [郷警部]
    ( 新青年 1931.12. )
    『パズルの王国 ミステリーの愉しみ3』鮎川哲也編、島田荘司編 立風書房 1992.04.20
    『大庭武年探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書21 2006.12.10
     D市郊外ポプラ荘で独逸人ゲルハルト博士が憤怒の形相で死亡しているのが見つかった、凶器の拳銃などの物理的証拠は見つからない。弾丸はガス管に当ったらしく一時ガスが充満していたという。郷警部らは隣の日光室の窓ガラスが外れるのを発見。女中浜村よね、美智子夫人、娘ベティ、女中石川光、下男下田啓吉、そして声楽家の相原、浜村三吉の訊問で……。
     拳銃のトリック自体に新味はないが、手懸りの提示やミスディレクションの出し方は上手い。犯人の誘導も含め論理的説得力のある作品。
  6. 「牧師服の男」 [郷警部]
    ( 犯罪実話 1932.05. )
    EQ 1990.09.
    『こんな探偵小説が読みたい』鮎川哲也 晶文社 1992.09.15
    ( 『七人の警部』山前譲編 広済堂ブルーブックス 1998.04.10 )
    『大庭武年探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書21 2006.12.10
     D市、老男爵松井峻之助のアパートを訪れたC市の牧師村上敬吉。義弟の文書では教会に寄付する事になているので受取りにきたのだ。宝石を手放すくらいなら死んだ方がましと松井は言う。ばあや信が牧師の忘れ物を渡しに玄関まで行った時に銃声、松井は死んでいた。薬莢の指紋や煙草の吸殻などから郷警部は真相にせまる。
     自ら「杜撰な推理」とあるように少し飛躍している。可能性の一つとしての調査と結果であれば問題はないが。幾つもある決定的でない手懸りは面白いものがある。
  7. 「海浜莊の惨劇」 [郷警部]
    ( 犯罪実話 1933.04. )
    『大庭武年探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書21 2006.12.10
     D市から山一つ越えた、廃港となったが風光明媚な町R。テラスで撃たれて死んだジェームス。ローザ夫人の話ではジェームスの弟ヘンリー、甥ジョージ、養女ドローレスそれぞれ動機があるらしい。テラスからは一階の入口の他、階段下は浮桟橋でヘンリーがボートを修理、二階への階段の先の部屋にはジェームスがいた。現場に残されたLiLの文字、足跡、現場にない拳銃と貫通した弾丸。郷警部は英国領事や顧問弁護士の話などから犯人でない人物を除外していく。
     戦前には類をみない、まさに埋れていた本格探偵小説の手本のような無駄のない作品。物語的に不足というのなら英国領事や顧問弁護士の話を話ではなく物語として入れればよいだけ。名作。
  8. 「小盗児市場の殺人」
    ( 新青年 1933.06. )
    小説推理増刊 1974.08.
    幻影城 1977.05. (幻影城)
    朱夏 1999.10.
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     大連の六月、私が貴金属商でブローチを売り現金を得たところを龍崎に見られてしまった。東京で掏摸をしていた男で、私は強請られていたのから逃げていたのだ。私は彼を都市の泥棒市場とでもいうような場所で葬ろうとしたが……。
     しょうとるいちば。題名が印象に残る作品。日本人が行くのに危険な場所というのも良い設定。結末はコントに近いが、伏線など構成はしっかりしている。
  9. 「血塗られた海賊船」
    ( 実話読物 1933.10. )
     ※島崎氏リスト掲載 不詳
  10. 「毒薬自殺綺譚―薬学教室のノオトから」
    ( 協和 1933.10.15 )
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     医学士相良は山田の自殺が不思議で仕方がない。寄生虫の駆除で体の調子も良くなり、職も恋もうまくいったところなのに。
     誇張もありそうだが薬学の講義でなされる内容をアレンジしたコントであろうか。今となっては調べないとわからない事だが戦前では珍しくなかったのかもしれない。
  11. 「拾った拳銃」
    ( 新青年 1934.06. )
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     従軍記者にならない特派員記者、特種を得る為前線へ。身を守る武器もない。Nは敵の戦死者を掘り出して拳銃を手にする。ある時、一人残って警備することに。
     コントというべきか、当然の結末というべきか。悲劇にならないのが良いところか。
  12. 「カジノの殺人事件(戯曲)」
    ( ぷろふいる 1934.08. )
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     場所は外国の壮麗な広間。銃声が一発。青年スミスが拳銃を手に、倒れて絶命している老紳士ジョンソンを見て立っている。舞踏室、賭博室、控え室の扉が開き紳士や婦人らが登場。ジョンソンに娘のメリイへの求婚を斥けられたスミス、口論していた旧友のエドワード。撃った場所が違うと指摘する警部。逃亡したスミスの恋敵ロバート。不可能な事情を淘汰していくと。
     少し複雑でわかり難くい。また理由の一つは人数が多く紳士A〜Pの発言である為かもしれない。実際の劇では見た目で人物の属性が付加されるので問題ないかもしれないが。
  13. 「復讐綺談」
    ( ぷろふいる 1935.11. )
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     M医科大学生理学教室助手の山辺一夫には大学時代に恋人エミ子がいたが津島秀雄に奪われてしまっていた。勉学でも勝てず、二人は結婚。津島は重症となり、医学雑誌の記事を見て山辺は復讐しようとする。
     今では医学雑誌記事の内容を信じる人はいないだろう。殺害で全く勝てずに終るか、助けて後に勝つのを期すかの葛藤部分は普遍的テーマでもあり良い感じ。
  14. 「コント 彼と保険」
    ( 満洲日日新聞 1936.01.12 )(夢現)
     彼は子供可愛さに保険に入り……。
     ……。
  15. 「夏の別荘」
    ( 月刊満洲 1936.09. )
  16. 「歌姫失踪事件」
    ( ぷろふいる 1937.03. )
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     A新聞探訪記者の私、津上純夫は迷宮入りになった歌姫失踪事件の真相、友人峰島一衛の活躍を知っている。黒沢恵子は青髭からの脅迫状を受取っていた。N会館の帰朝リサイタルの帰り、鍵のかかった車から消えていた。後続車両には支配人浅川久輔、パトロン北畠男爵、音楽批評家寒河江譲二が乗って見守っていたのだが。運転手も気付かなかったと証言するが殺されてしまう。峰島は自動車から手懸りを得る。
     自動車内での失踪事件。モーターボート、飛行機、そして本作が自動車と機械系にも強い事をうかがわせる。意外性を重視した為か物語性を重視した為か、伏線提示しての論理性は劣る。
  17. 「煙館の殺人」
    ( 旅行満洲 1937.07. )
     北平の旅舎を出て歩いていて、姑娘がいると男に案内された先は煙館(アヘン屋)だった。女は宝紅といった。馴れた手つきで炙り転がし捏ねって煙斗にそそぐ。吸う。翌朝私は巡警に起こされる。宝紅は刺殺されていた。扉の鍵は一つで被害者の靴の底にあった。独房に入れられた私は事件とは無関係と主張する。証拠物件を見せてもらい現場を調査すると……。
     描写と犯人限定過程はある程度論理的でそれなりに面白い。ただ密室ともいえる状況と後出しであるのは肩透かしとも感じる。
  18. 「タンヂーの口紅」 (「シネ・コント 恋愛都市風景 タンヂーの口紅(奉天)」)
    ( 満洲映画 1938.11. )(国DC※)
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     靴の紐を直すときに書類をロードスターに載せた牧山君。姑娘が乗って走り去っていきます。届けにきた姑娘蘭英とひと時を過ごします。塗って下さいません? と渡されたタンヂーの口紅がポケットに。
     国際都市ならではというエピソードか。ですます調の文と短い文節が軽妙な雰囲気を出している。



      少女小説

  1. 「黄金の十字架」
    ( 令女界 1932.12. )
     哈爾賓、露西亜帝国中将だったアレキサンドル夫妻は行倒れていた娘マリアンナを助ける。一人息子のセルゲイは帝政露西亜復活の使命を帯びて出発する。別れ際にセルゲイはマリアンナに黄金の十字架の首飾りを渡す。ゲ・ペ・ウへの密告者を捜し……。
     亡命ロシア人の悲劇的な話。ありがちな物語を北満洲を舞台にしたもの。
  2. 「胡盧島の乙女」
    ( 令女界 1935.11. )
     小説家の私は旅の途中、廃港となった胡盧島のホテルに泊まった。聞える歌声はソフィアという英吉利生まれの露西亜人少女だった。旅先での恋、沈英という紳士の来訪……。
     夢の跡という旅情、詩情をを感じる作品。
  3. その他にもあるようですが不明です。



      一般小説、戯曲

  1. 「青春」
    ( 大連新聞 1928.〜1929. )
  2. 「難破船(戯曲)」
    ( 協和 1930.04.15 )
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     太平洋上の難破船、数十日後の甲板。乗員は三吉、龍蔵、船長、仙太、由松。死を目前にしたそれぞれの心情。
  3. 「三吉積罪物語」
    ( 満洲日報 1930.05.04〜14 )
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     江戸時代末期、三吉は母の死でかたぎになっていた。昔の仲間の六蔵に出会い賭博で借金、お蘭と出会い若旦那を、ふとした事で次々と罪を重ねていく。
  4. 「明けゆく満蒙(中絶)」
    ( 協和 1930.05.01〜06.01 )
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     斉斉哈爾から西北五十里、馬賊雷煥淇らに捕らえられた日本人が譚宣章に処刑される。哈爾浜で植村大尉の死をニーナ・ミハイロヴナ嬢に知らせる荒城秀夫だった。奉天では植村の妹の晴子は穆洵少佐の操縦する飛行機に乗り求婚されている。荒木と会った晴子だが武装警官に捕らえられる。逃げ出した晴子は穆に助けを求める。逃げ出した荒木は芳蘭に匿われる。というところで中絶。
  5. 「港の抒情詩」
    ( サンデー毎日増刊 1930.05.05 )
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     高等商船学校の練習船、篠島は横浜に帰港する。親友松崎の遺品を許嫁だった縫子に渡す。沖は元気づけようとLホテル女王のまゆみを篠島に紹介するがまゆみは本気になっていく。縫子に貿易商の次男との縁談がきていた。愚連隊にからまれ篠崎と沖は追い払うが……。映画化されたとの事。
  6. 「戯曲 張学良」
    ( 満蒙 1932.04.〜05. )
  7. 「凱歌あがる下に」
    ( 満蒙 1932.07. )
  8. 「小説 故国」
    ( 満蒙 1933.01. )
  9. 「戯曲 手紙」
    ( 協和 1933.01.01 )
     厳冬の北満の僻陣、斎田上等兵らは戦闘中の思い出や故国の事を話している。藤田一等兵は家を飛び出したきりの母を思い斎田に手紙を書いてくれるように頼む。巡回、銃声……。
  10. 「戯曲 烽火」
    ( 満蒙 1933.03. )
  11. 「戯曲 清朝終焉」
    ( 満蒙 1933.06. )
  12. 「映画筋書 輝く銃後」
    ( 協和 1933.06.15 )
     映画筋書「事変を背景とする満鉄社員の健闘」懸賞入選作。機関士矢橋鎮夫、駅長の父、愛人の綾子。橋梁が爆破され修理列車に乗る矢橋。先駆車に乗る楊恵林。襲撃と楊の死。匪賊の来襲……。
  13. 「戯曲 馬占山」
    ( 満蒙 1933.07. )
  14. 「創作小説 少年」
    ( 新天地 1934.01. )(国DC※)
     秋の夕、中学校の校庭。久保田は飯田に尋ねる、惇公がどうしたって? 恨まれるから。Y・Y・Y……。
  15. 「戯曲 満洲開基」
    ( 満蒙 1934.03. )
  16. 「戯曲 蒋介石」
    ( 満蒙 1934.05. )(国DC※)
     人物伝?三幕。蒋介石の学校の場、北伐演説、孫文の墓前
  17. 「創作小説 子供の顔」
    ( 新天地 1934.06. )(国DC※)
     仁吉がころばそうとしました。仁吉は鞄の中をみせます。仁吉は強いところを見せます。仁吉は扉を閉めただけだと言います。仁吉はRの妹を泣かせます。仁吉は……。
  18. 「戯曲 劉愛護村長」
    ( 満蒙 1935.01. )(国DC※)
     啓蒙戯曲?三幕計五場。杜景順と相文兄弟が豚を汽車に殺され置き石をしようとするが劉村長に諭される。母が病気で医者が都市から来て助かる。景順が匪賊に殺され相文が隠れ家を見つけ劉村長に相談し……。
  19. 「創作小説 若き情熱」
    ( 新天地 1935.04. )(国DC※)
     姪の美生子が高等女学校を卒業でD市から東京に引き上げる事になった。私は美生子と彼女の兄と中学同窓の学生島、恋人同士の二人から美生子が残れるよう働きかけるよう頼まれた。彼女の母高石未亡人は学生の身分で結婚はさせられないと反対する。あと三年……。
  20. 「戯曲 夜の一幕」
    ( 月刊満洲 1936.03. )
  21. 「小説 農民」
    ( 満蒙 1936.11.〜12. )(国DC※)
     プロレタリア? 働いても働いても良くならない。租税に附加税に利子。政府から省縣軍閥地主と加算されていく。それらもまた外国資本へと流れていく。旱魃でも水害でも豊作でも。農民はそれらを知らない。ついに一人になった穆英は売られた妹を買い戻したいと願う。
  22. 「脚本 護れ愛護村旗」
    ( 月刊満洲 1936.12. )
  23. 「戯曲 共同耕作」
    ( 観光東亜 1938.06. )
     啓蒙戯曲?二幕二場。ある鉄道愛護村の警務分所長森巡査を筆頭に農民からの相談事を受けたり少年隊や副業を指導したりしている。匪賊が……。
  24. 「創作小説 売工人(まいくんれん)(中絶?)」
    ( 新天地 1938.09. )(国DC※)
     プロレタリア? 李萬福は旱魃にやられ、家族を置いて単身満洲への出稼ぎに志願する。線路敷設工事、不自由のない生活だった。だが月に一度の賃金支払日には請負人や大工頭などで減り、生活費、共同生活使用人の賃金が引かれてわずかなものだった。ダイナマイト作業の日……。 ※附記――締切日の都合で中途半端で筆を擱く事をお詫びする、他日中篇に纏める心算である。
  25. 「映画シナリオ 汪兄弟」
    ( 月刊満洲 1938.11. )※古書情報より
  26. 「部落へゆく道」
    ( 満洲良男 1944.10. )



      随筆など

  1. 「プロ芸術に就て―ほんの偶然的に」
    ( 満洲日報 1929.07.25、08.01 )
  2. 「『蟹工船』読後に」
    ( 満洲日報 1929.08.15 )
  3. 「女性主義者菊池寛氏の検討」
    ( 満洲日報 1929.11.07. )
  4. 「文科教室」
    ( 満洲日報 1930.04.21 )
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     W大学の三年間のようす
  5. 「探偵小説と私」
    ( 満洲日報 1930.08.11 )
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     探偵小説を書いたのは、ファンなのと募集というチャンスと空想力への創作欲。非センチメンタルでスピイデイでエクサイテング。興味本位と芸術性は両立し難い。「黄色い部屋」を読んで病みつきに。物語的探偵小説は大衆小説としては興味的だが真の探偵小説は本格物。目標は純文学で変わらず。通俗小説より探偵小説は何百倍もまし。スマートネスとモダニズムの注入を。
  6. 「作者の言葉(曠野に築く夢)」
    ( 満洲日報 1931.03.12 )(夢現)
    『曠野に築く夢』(オンデマンド) 大陸書館 2023.05.10
     満州を背景としての注文。新時代の読者の為、本格的大衆小説。
  7. 「「曠野に築く夢」中断に就て」
    ( 満洲日報 1931.06.13 )
    『曠野に築く夢』(オンデマンド) 大陸書館 2023.05.10
     74回(社の方針で協議して?)で中断。終篇に至る粗筋。
  8. 「馬賊・義賊・その他―満洲犯罪ニュース」
    ( 犯罪実話 1933.01. )
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     四篇の実話。「北満の義賊コルニコフ」護送中に逃亡、悠然と一般人にまぎれ消息不明だったが。「大倉組馬賊事件」工事現場から攫われ身代金を払う、馬賊組織の話とその後。「L子行方不明事件」小学校に帰りに行方不明、誘拐理由も不明のまま。「劉殺し事件」被害者は支那南方政府要人で強盗、偶然隣室の話をM新聞記者が聞いて。大連、旅順市街は凶悪犯罪はほとんどない。捜査に手抜かりなどがなければ捕縛されるから。この稿は「友人島田一男君の示教によるところ大」との事。
  9. 「映画『巴里祭』を語る(未完?)」
    ( 新天地 1933.06. )(国DC※)
     台本再録
  10. 「亡き父を語る」
    ( 新天地 1933.08. )(国DC※)
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     昭和八年六月、享年六十四歳。大正十三四年頃、大連から資材人員を出しての樺太の製紙工場建設(富士製紙知取工場)。小学校優等生で卒業、村役場、気多製紙会社(社長大川平三郎)、材木商経営、日露戦争後渡満、山葉洋行支店長、独立し土木建築請負。大連ヤマトホテル、正金銀行、税関長官舎を請け負う。感謝を、そして安らかに。
  11. 「満洲国に翹望する映画政策」
    ( 満蒙 1933.09. )
  12. 「興味深く読んだ書物」
    ( 書香(満鉄各図書館報)(満鉄大連図書館報) 1934.02. )(国DC※)
     化粧品と口笛 川端康成氏著 ―僕の好きな傾向の文学として愛読せり。 無神論教程 第一部第二部 永田広志氏訳 ―常識としての宗教観をこれ程迄に分り易く説いてくれし書物他になし。 ※全文
  13. 「近頃の感想」
    ( 月刊満洲 1934.06. )
  14. 「遼西旅行雑記」
    ( 同軌 1934.11.01 )
  15. 「大連と探偵小説」
    ( ぷろふいる 1936.12. )
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     大連は内地と変わらない。満人街は猟奇そのもの。この頃は明朗化。探偵小説のネタもなくなりつつある。満州を背景に社会情勢のからんだ国際探偵小説が書けたらと考えている。
  16. 「ハツピイ・エンド要求論その他」
    ( 満洲映画 1938.04. )(国DC※)
     「限りなき前進」良心的作品だが入場料で憂鬱を買う事に。「どん底」のように明日への希望を。東宝制作課長は合理化で採算の取れる作品製作方針との事、日活のように観客に追従ではなく先導を。満映劇場第一回作品に期待。東和商事の努力。「風の中の子供」「五人の斥候兵」。観客を低級扱いする映画企業家こそ低級。
  17. 「内山完造氏を囲み「支那を語る」座談会」内山完造、衛藤利夫、寺田喜次郎、道満謹吾、富岡羊一、石原秋郎、大井二郎、千田萬三、大庭武年、佐藤真美
    ( 新天地 1938.09. )(国DC※)
  18. 「本に就て 借りた本は返さなくてよいか」
    ( 満鉄奉天図書館収書月報 1939.07. )
  19. 「農村宣伝」
    ( 満洲グラフ 1939.09. )
     愛路宣伝で効果的なのは映画と演劇。映画に対する反応、巡回上映時の匪賊との遭遇など。
  20. 「鉄道愛護団と愛路青少年隊」
    ( 協和 1939.10.15 )(夢現)(国DC※)
     鉄道愛路運動/愛護団の経緯と活動内容紹介。
  21. 「住めば都か(満洲に住むよろこび)」
    ( 協和 1940.02. )(国DC※)
     東海に生まれ満洲の方が住み良いとはいえない。環境に応じて住みよさ、楽しさ、生きがいを発見している。生活することそのものが楽しい。
  22. 「書かない弁」
    ( 満洲日日新聞 1940.09.01 )
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     一年以上沈黙している。依頼に背水の陣で臨むが敗北。編集者にお詫び。
  23. 「ふるさと」
    ( 満洲日日新聞 1942.09.04 )
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     浜松で十歳ぐらいまで育った。富士が見えていた。家は城の直下、祖父は茶畑で茶を摘んでいた。天竜川、遠州灘、浜名湖畔。心の故郷は生まれ故郷。子供たちの時代は世界的な日本人になるのを期待。
  24. 「書かれざる傑作」
    ( 満洲日日新聞 1943.05.29 )
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
     七、八年小説を書いていない。この頃、毎日一大長篇を頭の中で描きちらしている。新興階級の家族が中心。父の時代、息子の時代、子供たちの中に次の萌芽が。書かれざる傑作に相違ない。



      著書

  1. ( 『昭和十三年版 愛路運動の全貌(パンフレット)』鉄道総局附業局愛路課 南満州鉄道鉄道総局 1938.12. )
  2. 『護れ愛路旗 愛路文芸集』南満州鉄道鉄道総局附業局愛路課 鉄道総局附業局愛路課 1939.03.
     「劉愛護村長」ほか
  3. ( 『鉄道愛護運動の概要』南満州鉄道鉄道総局附業局愛路課 鉄道総局附業局愛路課 1939.09. )
  4. 『愛路美談集』 鉄道総局附業局愛路課 1939.10.
     ※未調査
  5. 『我等鉄路と共に 愛路美談集 第二輯』 鉄道総局附業局愛路課 1943.xx.
     ※不詳
  6. 『興亜国民読本』 満鉄 1944.xx.
     ※不明(上記と同一の可能性もあり)
  7. 『大庭武年探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書21 2006.12.10
    「十三号室の殺人」/「競馬会前夜―郷警部手記の探偵記録―」/「ポプラ荘の事件」/「牧師服の男」/「海浜莊の惨劇」/「旅客機事件」/△「解題」横井司
  8. 『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
    「小盗児市場の殺人」/「毒薬自殺綺譚」/「拾った拳銃」/「カジノの殺人事件」/「復讐綺談」/「歌姫失踪事件」/「タンヂーの口紅」//「難破船」/「三吉積罪物語」/「港の抒情詩」/「明けゆく満蒙」/△「文科教室」/△「探偵小説と私」/△「馬賊・義賊・その他」/△「亡き父を語る」/△「大連と探偵小説」/△「書かない弁」/△「ふるさと」/△「書かれざる傑作」/△「解題」横井司
  9. 『曠野に築く夢』(オンデマンド) 大陸書館 2023.05.10
    △「作者の言葉」/「曠野に築く夢(中絶)」/△「曠野に築く夢 中断に就て」



      参考文献

  1. 「大庭武年作品集について」島崎博
    幻影城 1977.05.
  2. 「草原に消えた郷警部・大庭武年」鮎川哲也
    EQ 1990.09.
    『こんな探偵小説が読みたい』鮎川哲也 晶文社 1992.09.15
    『幻の探偵作家を求めて 完全版(下)』鮎川哲也、日下三蔵編 論創社 2020.05.10
  3. 「大庭武年」西原和海、ほか
    朱夏13号 1999.10.
  4. 「解題」横井司
    『大庭武年探偵小説選1』 論創社・論創ミステリ叢書21 2006.12.10
    『大庭武年探偵小説選2』 論創社・論創ミステリ叢書22 2007.01.20
  5. 「戦前期中国東北部刊行日本語資料の書誌的研究」岡村敬三
    Web Site 「おおすみ書屋」収蔵庫 2009.03.
  6. 「雑誌『満蒙』における文芸とその時代」王占一
    Web Site 名古屋大学学術機関リポジトリ 2019.09.
  7. 「満洲の霧、未だ晴れやらず……」いなばさがみ
    SRマンスリー
  8. ほか

  1. 「大庭商会」「山葉洋行」
    『記念誌 大連開業二十年聯合祝賀會』 遼東新報社 1924.12.01 (国DC)
     ※大庭仙三郎経歴と大庭商会写真
  2. (「富士製紙樺太工場建設工事概況」大庭仙三郎)
    満州建築協会雑誌 1925.10.
     ※未見



      おまけ

  1. 「作者の言葉(曠野に築く夢)」 (抱負) 旧かな旧漢字 2023.07.23
     
  2. 「彼と保険」 (コント) 新かな新漢字 2023.02.19
     
  3. 「鉄道愛護団と愛路青少年隊」 (報告文) 旧かな旧漢字 2021.10.10 原文は(国DC※)
     
     



「作者の言葉(曠野に築く夢)」
「満洲日報」 1931.03.12 (昭和6年3月12日) より
『曠野に築く夢』大陸書館 2023.05.10に新かな新漢字で収録

明日から本紙連載の
 曠野に築く夢
   新進の大庭武年氏作
 滿洲が生んだ新進作家大庭武年氏は文壇の登龍門である「新青年」の懸賞募集「Qホテルの殺人事件」が首席當選し其後同誌に「競馬會の前夜」を發表して益々その前途を嘱目されてゐるが今回本紙朝刊三面に滿洲を背景とした長篇小説「曠野に築く夢」を十三日より連載することになった。

作者の言葉 大庭武年 (肖像写真あり)
 滿洲日報社より突然のお話で、實は僕、めんくらってゐるんです。然し兎に角お引受けしたのですから全力を傾けやりませう。注文が「滿洲を背景にして」と言ふのですから、或ひはこれが僕の第二の故郷「大連」に Dedicate する作品ともなり得ませうし、此の意味に於て僕にとっては又仕甲斐ある仕事と言へるかもしれないのです。けれど一體背景を「大連」乃至「滿洲」にとって、それを現に共に其の土地に存在してゐる人々に讀ますと言ふ事は、作者にとって可成り苦痛な事なんです。 勿論、Ich Roman 風なものなら問題にはなりませんが、少しでも猟奇的な筋を中心としたものとなると、遠い土地での事なら誤魔化しも利くでせうが、現在自分達の住んでゐる土地の出來事だとすると、作者は絶對に正確を、そして眞實性を期さなければならないからです。又「新時代の讀者の爲め」と言ふモットーも忘れない心算ですから、讀者諸氏に御期待だけは持って頂き度いものと思ひます。敢て僕は、當作を「本格的大衆小説」と銘打ってかゝりませう。希くば最後迄御清讀を煩はしたく思ひます。



新春コント「彼と保険」
「満洲日日新聞」 1936.01.12 (昭和11年1月12日) より

「澄はどう?」
 彼は外出から帰ると外套も脱がぬ先にきっとこんな風に尋いた。
「とても悪かったの」
 妻は又、わざと顔をしかめ、困った風に応えるのが常だった。
 澄はこのの正月を迎えて二歳になったが、実際は八ヶ月余で、ようやく這い出したばかりであるが、それ相応の悪戯(いたづら)さは日増しにつのり、人手のない彼の一家では、ほとほととその監督に弱っているのだった。
 しかし
「悪かったのか、そうか――」
 と言いながら、外套や帽子を片づけて座敷に入って行き、澄のやつ、どこで、どんな悪ぶりを発揮しているかな、と探す時は、彼にとって一日一度の喜びの瞬間だった。
「おい、こいつア大変だぞ、ひでえものを舐めていやがる!」
 時折、澄はびっくりするようなことを、知らぬ間にやっていた。洗濯籠の中の汚れた足袋を舐めたり、疊のささくれを大きくしているぐらいは当り前のことで、時とするとペチカの火掻棒の先を舐め、口中真黒にさせていることさえある。
「お子さんは可愛いものでしょう?」
 ある日、会社で事務をとっている彼の机の傍で痩せた老人が鞄を開きながら喋っていた。
「その可愛いって心が積り積ってお子さんが年頃になられた時には立派な一財産が出来上っているんですからね」
「保険にかけなくたって、おれは貯金をするつもりだよ」
「それが駄目なんですよ。貯金をするつもりだなんて――お金って、それァあなた、いくらあったって、とても生やさしい覚悟じゃ貯金なんか出来るものじゃありません」
 保険の事なんか何も知らない、又、知ろうともしなかった彼が、老人の弁舌に乗せられて、案外たやすく契約を結んでしまった。
「ちくしょう、うまくやられたな」
 彼は子供への愛情を見透かされ、そしてその弱みを衝かれた事に苦笑したが、決して不愉快ではなかった。
「な、澄のやつ、もう親たちより財産家だぞ」
 妻を顧みると、妻も明るく微笑(ほほえ)んで
「よかったわ」
 と、朗らかだった。
 が、それから間もないある日、また別の保険勧誘員が家を訪れた。そして、彼が子供が入っているからと断ると、冗談でしょう、子供が入って親が入らない――それは逆さまですよ。親が先に死んだら、払込みはどうするんです。
 彼は簡単な理屈に少時ぼんやりした。
「ふふん」
 妻もきょとんとした表情で茶を淹れていた。



槍後赤誠 愛路運動の回顧「鐵道愛護團と愛路青少年隊」
「協和」 1939.10.15 (昭和14年10月15日) より

≡1≡

 鐵道愛護運動(愛路運動)も六星霜の歴史を重ねた。顧るにこの六年間は感慨深き荊棘の道であった。然もそれは次第に深く嶮しく、ともすれば蹉跌しがちな困難を加へるものであった。草創時代は民衆を把握する事既に極めて難澁な仕事であった。愛路工作は、愛路を説く前に直接匪賊と闘ひ、ついで民衆の反抗や蒙昧と闘った。それは文字通り生命懸けの仕事であった。かくて滿洲は驚くべき速度で平和郷を作り上げた。
 勿論愛路運動がその推進力の全部であったといふのでは決してない。軍隊の、そして又多くの人の、多くの運動の犠牲的な努力がその輝かしき業績を築き上げたのであることは言を俟たない。けれど、建國直後の動亂の滿洲に、決然と開始された實際的な文化啓蒙工作が愛路運動の他にあったであらうか。
「王道は鐵道より」のモットーは、單に空虚な掛聲ではなく眞實の収穫を目ざして具體化されたのだ。それは凡ゆる苦難を克服する營々たる血みどろの奮闘であった。かくて建國の壯業にその一翼として率先参加し、而してその輝かしき使命の一端を果し得たと信ずることは、愛路運動に携はった者に許される自負であり矜持であると考へてゐる。
 然し、今や滿洲國は堂々たる國家として成長し、内外を整備し得た。そこには必然的な機構組織の調整統合が社會全般に亙って行はれ、愛路運動も自ら進んで幾多の修整を受け、新しき機構の下に舊に倍した意氣と聊かも揺がぬ信念を持って前進することになった。時局は多端、我々の望見する前途には、すさまじい暗雲の低迷がある。然し我々は身命を賭し、如何なる嵐をも突破し得る決意を抱いてゐる。我々は愛路運動の過去の業績に誇りを持ち、然してそれを齎すべく凡ゆる障害と闘った先輩諸氏に感謝し、尚、我等同志の逞しき精神と肉體を信じ、一路今後の使命達成に邁進する事を誓ひ度いのである。

≡2≡

 扨、愛路運動の創始されたのは昭和八年(大同二年)の六月であった。建國直後の擾亂状態の満洲に、交通機關の安全性と秩序ある運行を確立し、國防並治安の完璧を計ることを第一目標とし、軍、滿洲國、鐵道(當時の鐵路總局)の三者合體協議の末、着手されたのであった。
[写真:水害による列車事故未然防止著功勞者(撫順―滴臺驛間)]
 即ち鐵道、自動車路、水路の沿線概ね五粁以内の村落を鐵道(又は自動車路、水路)愛護村として、その村民に先づ「匪民分離工作」を施し、進んでは彼等をして各交通路の保全に協力せしめ、一方愛護村地域に各種文化産業工作を實施して、鐵道を通しての國利民aA國防充實の根源を培養せんと試みたのであったが昭和八年十月より昭和九年六月下旬までに國線主要幹線三千七百粁に亙り、設置された愛護村數一千二百七十箇村、包容村民三百五十萬を算するに至った。
 昭和十年(康徳二年)に進むと、既に愛護村設定工作も一段落をつげ、舊北鐵線の接収等總局線の飛躍的伸張に伴って、愛路工作も實質整備に力を注いだ。愛路少年隊の結成と模範鐵道愛護村の設置はこの年度から實施されたものである。
 昭和十一年(康徳三年)は前年に引續き工作内容の擴充期であり、愛路少年隊の指導訓練も漸く軌道に乗った感があり、既に優秀な隊員達の中からは鐵道從事員として採用される者數百に達する状態であった。模範愛護村も農家組合の創設、共作圃の設定、冬季愛護村塾の開設等、續々農村改革の具現化に努力し、一方愛護村民に對する警備訓練も「一家一人動員演習」等の實施によって遺憾なきを期した。
 昭和十二年(康徳四年)に到ると、準戰時體制は強化され愛路工作も文化啓蒙工作より一歩を進めて、愛護村民に對する交通路防護の實力附與に主力を注ぐことになり、軍の指導統制下に「以民護路」の具現化を計り、特に滿洲國保甲及び街村制度に愛護村組織を適合させた。
 時恰も日支事變の勃發に際會し、愛路運動も必然的に時局に即應、全面的に交通路の徹底的確保、治安の維持、人心の安定等、銃後國防に最善を盡した。特に、この際、記録すべきは、事變發生直後において、軍事輸送路たる安奉奉山兩線の愛護村民五百萬人(延人員)が、自ら進んで献身的愛路奉仕に當り、日夜線路を護り續けたことで、この愛路報國の赤誠は永く滿洲國歴史に特筆さるべきものと信じて疑はない。尚この年の六月には奉天鐵道局が開設され社線愛路工作も國線に合流、工作上の統一が計られた。
 昭和十三年(康徳五年)は愛路運動の機構上に大なる變化のあった年である。即ち治外法權の撤癈に伴って、從來の愛路擔當機關であった鐵道總局警務局が滿洲國に移管され、鐵道警護總隊となったゝめ、愛路運動も、各業務の性質に應じて、滿洲國地方行政機關、鐵道警護總隊、鐡道總局の三者が、それぞれの分野を擔當することになった。然しこれは愛路工作の弱體化を意味するものでは勿論なく、三者の力を併せて、より一層強固なものにせんとする最高方針に基いたものに外ならない。
 これらの變革に關聯して、「鐵道愛護村」なる名稱は「鐵道愛護團」と改稱されるに至ったが――(愛護村長は愛護團長に、愛護村民は愛護團員となる)――これは行政上の名稱と混同を避けるためであった。
 尚、この外に、從來、鐡道側が實施して來た自動車路、水路の愛路工作も、原則として滿洲國地方行政機關が擔當する事となり、必要ある場合は鐡道側が積極的に協力することゝなった。
[写真:愛護青少年隊の分列式]
 このやうな指導機構の變更は、然し、愛路工作には聊かの動揺も與へなかった。引續き軍の統制下に特に青少年隊の訓練強化に務める一方、宣傳宣撫の透徹、防共精神、日滿共同防衛觀念の昂揚に鋭意し、豫期以上の目的を収めたのであった。
 昭和十四年(康徳六年)――即ち本年度は既に知悉されてゐる如く、日支事變の第三年、滿蒙國境事件の勃發、更に第二次欧洲大動亂等、容易ならざる國際情勢に伴って、愛路工作も愈々深度を深め既に指導者が民衆に宣傳する時代を揚棄し、民衆が民衆を指導し民衆が民衆に宣傳し、全愛護團員が大きな一團となって、愛路の大使命に突進する時代を造り上げつゝある。
 機構上の改革としては、本年三月、滿洲國内における青少年運動が協和會に依って統一されるに際し、愛路少年隊も「鐡道愛護團協和青少年團」として統合改編されたことは特筆しなければならない。尚又、時局に即應する民衆組織工作として愛路地域の自衛團中より暫定的に愛路義勇隊を組織し防衛令下に活躍せしめたことも愛路の使命遂行上極めて有効適切であった事を附言したい。

≡3≡

[写真:愛護團員の線路復舊修理工事]
 滿洲事變と共に活躍を開始した宣撫班を母胎として、愛路運動は以下の如く今日の大を築き上げたのであるが、その推移を觀察すると、そこには大きな成長が窺はれる。工作の最初は瀕死の病人に對する應急手當であった。然しそれは次第に常人に對する静養法となり健康法となり、今や溌剌たる青年に對する鍛錬法となってきてゐる。愛路運動は國防・開拓鐵路を中心として、しっかり民衆の中に根をおろし、「王道は鐵道より」のモットーを凡ゆる部門において輝かしく實現化しつゝある。 愛路運動の實績に就ては今更茲に喋々しその功を誇示する暇はないが、要するに永續不撓の工作に俟って初めて成果の期待さるべき精神運動が、極めて短時日の中に驚嘆すべき成績を擧げ得てゐることは既に周知の事實である。今や重大時局下において、鐡道の重要性が愈々強調せられてゐる時、全線一萬粁の鐡道は八百萬愛護團員の生ける防壁によって完全に護り通されるに違ひないことを確信してゐる次第である。




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