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大庭武年 作品小集3

Since: 2025.01.05
Last Update: 2025.01.05
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      目次

      【ファース(笑劇)】

  1. 「戯曲 馬占山」 (戯曲) 旧かな旧漢字 2025.01.05
     
      【近代史戯曲】
     
  2. 「戯曲 張学良」 (戯曲) 旧かな旧漢字 2025.01.05
     
  3. 「戯曲 清朝終焉」 (戯曲) 旧かな旧漢字 2025.01.05
     
  4. 「戯曲 蒋介石」 (戯曲) 旧かな旧漢字 2025.01.05
     
      【伝説戯曲】
     
  5. 「戯曲 満洲開基」 (戯曲) 旧かな旧漢字 2025.01.05
     



「戯曲 馬占山」3景
――習作的ファース――
「満蒙」 1933.07. (昭和8年7月) より

 時  一九三二−三年頃。(いつごろであってもよろしい)
 所  佛蘭西フランス巴里パリにて。

I景
 場面 巴里に於ける一流旅館、シャンゼリゼイ街の「ホテル・カアルトン」その美麗なる一室に於て、「馬占山」と自稱する人間の秘書・梁景芳と從者・林相文なる者が話してゐる。
林相文 (手に持った杯を歩きまはり乍ら呷って)毎日ふくさくさしたのぢゃやりきれませんな。
梁景芳 (長椅子に居ぎたなくもたれつゝ酒をなめて)花の巴里で恁のていたらくぢゃなぁ――。
林相文 もっといゝ事が待ち受けてゐる心算だったけれど。
梁景芳 誰もまるで寄りつきやしないぢゃないか。Ma-chan shan――へ、エスキモー人ですかは恐れ入る。
林相文 大將のみぢめさは言ふもさらなり、我々家來の情なさときたら。いや、それはいゝとして、それより軍資金の缺乏は心細いですよ。「救國の英雄」でこそ金は集るのですが、たゞのルンペンぢゃ一文の寄附にもありつけないのですからねぇ。こんなホテルに宿をとったのが間違ひでしたよ。
梁景芳 莫迦を言へ、天下の馬占山がパンシイオンなんて所に泊れるかい。
林相文 それにしても金がかゝりすぎますよ。(よろよろ立って欠伸をする)あーあ、退屈だ。
梁景芳 兎に角だ。(窓のそばに寄り街を見下し乍ら)我々は佛蘭西人の智能を完全に誤算してゐたのがあやまりだったやうだ。
林相文 文明國の紳士淑女が滿洲事變をいつ頃の出來事か知らないでゐるとはあきれてものが言へませんね。全く話にもならない。
梁景芳 さうだ、全く。教育と言ふものを受けてゐるのか疑ひ度くなる。例へば、我々ですら、佛蘭西大革命が一七八九年の七月だった事を覺えてゐるぢゃないか。まだまだ生れてもゐなかった時分のね。要するに、歴史だとか、政治だとか、佛蘭西人はそんなやゝこしいものには興味がないんだな。こんな所に住んでる連中は矢張りルーブルの畫廊がろうだとかオペラ・コミック座の芝居だとか、そんなものにしか頭を働かしてゐないものに違ひない。
林相文 見當けんとうが外れましたかな、ロンドンあたりに出現した方がよかったかも知れませんね。
梁景芳 国際聯盟會議を牽制したい目的だったから、ロンドンぢゃ、どうも意味をなさんがね。しかし、どうも、この冷淡さぢゃ――おっと、酒がないのかい?
林相文 (空の瓶を卓子の上に置いて)二人でたうとう平げたやうです。
梁景芳 ギャルソンを呼んで、もう一本持って來させろよ。
林相文 (ベルの方によろけて行って)毎日、酒びたりとは有難いが。
梁景芳 然しいつ迄もこれぢゃうだつが上らないよ。馬占山は何の爲にパリに迄やって來たのか意味を爲さないからな。「北滿のナボレオン馬占山」「救國の大英雄馬占山」――やんやと男振りを上げる日が來なくちゃ、支那にもかえれたものぢゃない。
林相文 佛蘭西陸軍省にもう一度訪問してみちゃどうですかねぇ。
梁景芳 忙しいとか何とか言ってどうせ會やしないよ。佛蘭西の軍人なんか、今のところ、ヒットラア以外に頭を使ふ何物も持ち合はせちゃゐないんだからな。
林相文 社交界に足を踏み出したらキルギースぢゃないかとか氣味惡がられますしね………。
梁景芳 あれはおれの失敗だったよ。北滿の草深い中しか歩いた事のない大將に佛蘭西貴族のサロンを歩かせたのだからなぁ。
 給仕が扉口にあらはれる。
給仕 (つんとして無言でつっ立ってゐる)
林相文 おい、酒を持って來てくれんか。
給仕 (意味のとれない顏をして立ってゐる)
林相文 酒だよ、酒だよ。梁さん、貴方言って下さい。
梁景芳 (蟲を殺した表情かおで、巧みな佛蘭西語を操り)シャンパァニュを一本持って來て下さい。
給仕 シャンパァニュ?
梁景芳 (ポケットから小錢を取り出して、手の中に握らせて)極上のシャンパァニュです。
給仕 ウヰ。ムッシュウ。
 給仕、去ってゆく。
林相文 給士の奴まで莫迦にしてゐるんで、かなはん。これが北滿なら、猛將馬占山の家來と言ふだけで、恐ろしく巾が利くんだが。
梁景芳 先づ今のやつなぞ打首と言ふ所かな?
林相文 もっとひどい目に遇はせてやりますよ。「賣豆腐」だとか「灌辣酸水」だとか、尤も外國育ちの貴方には意味もとれないでせうが。
梁景芳 昔の馬賊ってやつはひどい事をやったらしいな、まるで野蠻人だな。
林相文 昔の馬賊ですって? どう致しまして、今の官兵が現在堂々とやってゐますよ。私も四五年前南方政府から北滿に轉勤させられた當座は随分色々な事に吃驚びっくりさせられたものです。
梁景芳 (小聲になって)おい、外國人が支那の事情にうといのはあながち不便とばかりは言へないな。
 給仕、酒瓶を持って現れる。そして無愛想に去ってゆく。
林相文 さっそく一杯、抜きたての所をやりませうか。
梁景芳 (小聲で)おれも最近まで上海の聖約翰大學ぢゃ一パシ青年愛國教授で鳴らしてゐたものなんだが、實は支那の實際の姿にぁ一度も接した事はない始末なんだ。
林相文 (氣にもとめず酒を飲んで)上海や南京の大都會の中で暮してゐたんぢゃ、地方の事なぞぁ想像もつきゃしませんよ。やれやれ、もう一杯、頂きませうかね。
梁景芳 おい林先生、君は支那の文明をいつはりなく評價してどの位に踏むかい?
林相文 支那の文明? ――さうですね、都會を別にしたら、民衆に文明なんてものは、まだ爪の垢ほどもないでせうね。
梁景芳 (歩きまはって)愛國運動に狂奔するのは南方の都會人に限るが、成程、彼等は所謂「盲目蛇におじず」と言ふ流儀なんだな。
 急に扉の外が騒がしくなる。
 二人は急に顔を見合せる。
 ガヤガヤと言ふ人聲。
 梁景芳が急いで扉に進んでノブに手をかける。
 扉の外からはホテルの支配人、事務員、給仕、それから私服制服の警官、通行人らしい二三人の紳士たちが、ぐったりなった馬占山を抱きかゝへて入って來る。
梁景芳 あッ閣下!
林相文 (これも吃驚して酒瓶をひっくりかへす)
支配入 自動車に轢かれたのです。ホテルの丁度前で――。
梁景芳、林相文 えッ、閣下が自動車に!
警官 違ひます、電車に轢かれたのです。
梁景芳、林相文 (益々仰天して)な、なに、電車に!
通行人の紳士の一人 私は確に見たのですが、この方は自轉車に轢かれたのです。
梁景芳、林相文 (顔色を取り戻して)あゝ自轉車ですか。
警官 すぐ醫者いしゃが來る筈ですから。
支配入 今、気を失ってゐられる御容子ですが、玄關げんかん先では、三階の部屋に連れてゆけとしきりに言ってゐられたものですから病院には運ばずに………。
梁景芳 (寝臺に寝かせられた馬占山の所に寄り添って)閣下、しっかりして下さい、や、別に血も出てゐないやうですな。
警官 なる程、ぢゃ死ぬやうな事はなささうですね。
 馬占山、寝臺の上でうなる。
梁景芳 然し早く醫者を呼んで來て下さい、血が出てゐなくても、内出血か骨折で、とんでもない傷を負ってゐないとも限りませんから。この方は支那第一の武將なんです。この方を佛蘭西で事故の爲死なすと、國際的問題が起きますよ。
 一同、ややあわてる。
支配入 すぐ醫者を連れて來ます。どうもホテルのドクトルはゴルフに出掛けてゐるものですから。(去る)
梁景芳 安靜にさせなければいけないと思ひますから、皆さん、お引きとり下さいませんか。
警官 いづれ本署から取調べに來ますから。
梁景芳 御苦勞さんでした。
 一同去る。
林相文 (心配さうに)梁先生、閣下は大丈夫でせうか? 弱り目に祟り日とはこの事で――。
梁景芳 一體いったいどうして怪我なぞをされたのか。今日は公園を散歩して來られただけだから、乗物に乗らなかったのが不覺の基だったのだらうが――。然し、電車に轢かれたのぢゃあるまい。電車なら手足がもげてゐさうなものだから。
林相文 自動車でもないでせう。
梁景芳 矢張り自韓車と言ふのが本當だらう。
林相文 豚しか歩いてゐない滿洲の田舎道を歩く心算ぢゃ、シャンゼリゼイで自轉車ぐらゐにぶつかっちまふのも、無理はないかも知れませんね。
馬占山 (矢庭に) バカぁ!
梁景芳、林相文 (吃驚する)
馬占山 (寝臺の上に起き上って)林相文、もう一度、今のことを言ってみろ!
林相文 へえ――!
梁景芳 閣下、閣下は怪我をされたのぢゃないのですか?
馬占山 怪我なんかするものか。
梁景芳、林相文 (拍子ぬけして)ぢゃ一體全體――。
馬占山 轢かれたふうをしたまでなんぢゃ。
梁景芳 轢かれたふうを? それは又何故――?
馬占山 公園で考へた最後の智慧ぢゃ。これでおれの存在が認められなけれぁ萬事休矣ばんじきゅうすだ! おい、誰か來た。いゝか、お前たちもそのつもりで一生懸命にやるんぢゃぞ!
 馬占山は寝臺の上にひっくり返へってうなり出す。梁景芳と林相文は、まだ狐につままれたやうな表情で顏を見合せてゐる。

II景
 同じホテルの同じ部屋。――翌日。
 安樂椅子に大業に體を繃帶ほうたいで卷いた馬占山がそりかへってゐる。食事を終ったばかりである。馬占山と林相文の二人。
馬占山 (楊子を使ひ乍ら)病人がそんな澤山色んなものを食ったと知れたら都合が惡いから、早く片づけてをけ。
林相文 は。然し閣下、さだめし窮屈でございませう、食事のあとぐらゐ、ちょっと、繃帶をお取りになったら。
馬占山 いかん、いつ人が押しかけてくるか分らぬからな。 
林相文 出來る事なら私が御身代りに――。
馬占山 バカを言ふな、犬の骨のお前が繃帶を卷いてゐたところで何の意味があるか。
林相文 然しどうもさっぱり昨日から誰も訪ねて参りませんのは――支配人もあれから一度きたっきりで。
馬占山 おれはまだ失望はせんぞ。北滿の梟雄きょうゆう馬占山が巴里の大通りで乗物に轢かれたんぢゃぞ。これが評判にならんで何が評判になると言ふんぢゃ。
林相文 (情なささうに)せめて落命でもしたと言ふのなら。
馬占山 (怒って)阿呆を言ふな、たはけめ。本當に轢かれて死んでどうなるものか、あの安古鎮の泥沼の中を龜の子みたいにもぐって逃げて來たおれぢゃないか。
 扉が開く。馬占山と林相文はっと期待してそちらを向くがそれは秘書の梁景芳である。
馬占山 (失望して)なんだ梁か。
梁景芳 まだ誰も來てゐないんですか?
林相文 街ぢゃ我々の噂をしてゐなかったですか? 梁先生。
梁景芳 遺憾乍ら少しもです。私は、或ひはホテルの方に誰か見舞ぐらゐには來てゐるものかと思って歸って來たんですが。
馬占山 (癇癪を起して)えーい、佛蘭西の奴輩、東洋でこのおれが一度叱咤すれば五千の精鋭が立ち所に劍をとって立ち上ると言ふ事を知らんか! よくよく間の抜けた莫迦野郎ぞろひぢゃツ!
 扉にノック。
林相文 (梁景芳に) 給士の奴が我々の身元が分らぬとか何とか失禮な事を言って、朝からうるさく覗きにくるんですよ。
梁景芳 (怒って)何と言ふ禮儀れいぎ知らすだ。英雄を遇するに事を缺いで。よしッ!
 梁景芳が怒氣滿面矢庭に扉に近づいて、手荒く扉を引き開けると、そこには帽子を横かぶりにした小粋な佛蘭西青年がにこやかに笑って立ってゐる。
梁景芳 ………。(びっくりして佇む)
青年 今日は、ムッシュウ。馬の室はこゝでしたね?
梁景芳 君は誰ですか?
青年 僕ですか? 僕はピエールって者です。どうぞよろしく。(矢庭に相手の手を握って)ほう、そこにゐられるのが、馬さんですね。(ずんずん無遠慮に室に這入って來て)マ・チャン・シャンさん、初めてお目にかゝります。
馬占山 無禮な小孩兒ぢゃ。何て圖々しい奴ぢゃらう。
青年 佛蘭西語が話せませんか?
梁景芳 君は許しなく他人の室に飛び込むなんて失敬ぢゃないか。
青年 (かまはず平氣で)ね、貴方ひとつ恁う取りついで下さい。お目にかゝれてたいへん光榮ですって。
梁景芳 ピエールって君は一體何者なんだ?
青年 パリ第一の大新聞マタンの記者です、マ・チャン・シャン氏にインタビュウしに來たんです。
梁景芳 (思はずこえをあげて)ほーい、君、君がマタンの記者か、君が會見に來たと言ふのか!
馬占山 (不機嫌に)梁、早くこのいまいましい小僧ッ子をつまみ出してしまへ。
梁景芳 閣下、この男は世界で名高い大新聞の記者なんです。閣下にお話を承り度いっと言って來てゐるのです。
馬占山 (思はず椅子から飛び上って)君は吾輩を尋ねて來たのか。――さうか、矢張り成功したんぢゃ、矢張り苦肉の策がうまくいったんぢゃ。
新聞記者 マ・チャン・シャン氏はどうして昂奮されてゐるんですか? まるで顏が猿みたいですね。
梁景芳 怪俄をされて以來、發熱に苦しめられてゐられるのです。それで、何ですか、貴方の會見の目的は?
新聞記者 マ・チャン・シャン氏は東洋の大豪傑ださうですね、しさうでしたら、色々と珍しい體驗たいけん談を承らせてもらひいものですが。編輯長は紙面をいくらでも提供する心組みでゐるのです。例へば虎と組打ちした時の話だとか。
梁景芳 (おどろいて)君、馬占山・閣下は東洋のナボレオンですぞ。武人としては東洋一なんですぞ。このたびは三千の精兵を以て――。
馬占山 (むづむづして)梁、この男にはおれが直接話すからお前は横で通譯してくれ。
新聞記者 然し案外貧弱な體格ですね、何キロぐらゐありますか? それにどうも顏色が惡いな。これで東洋ぢゃ力持ちで通るのかなぁ。(無遠慮に馬占山の背なぞにさはってみる)
馬占山 いや有難う。たいした傷ぢゃなかったんぢゃよ、所で若いの、吾輩はな、そもそも支那は直隷省の潤縣の産――。
梁景芳 閣下、ひとつ最近の武勇傳から入った方が宣傳になりはしないでせうか?
馬占山 (不機嫌に)いや經歴を言はん事にぁ重味がつかんぢゃないか。奉天省巡防營長官になったのが三十のころ、それから各戰爭土匪討伐に偉勲を樹てゝの、東北陸軍十七師族長より海倫駐在の少將になり、事變前には黒河鎮守使をつとめてゐたんぢゃ……。
新聞記者 (通譯せんとする梁を制して)實は我社はムッシュウ・マ・チャン・シャンの記事を大々的に特種にして全パリにセンセーションを湧かさうと考へてゐるのです。一體マ・チャン・シシャン氏は何の爲パリに來訪されたのですか?
梁景芳 それは生きた滿蒙事情を世界の中心地パリに於て公表したかったからです。滿洲の現状は如何になってゐるか。日本の魔手は如何に暴状を極めてゐるか。
馬占山 (ぢれったがって)おい、おれにも喋らせろ。(新聞記者に向ひ)事變後萬國賓に迎へられて齊々哈爾に入城してな、省黨部の反日黨を中心に愛國抗日軍を起したのぢゃが……。
新聞記者 (梁に)マ・チャン・シャン氏は何て言ってゐられるんです?
梁景芳 馬・將軍は………。
馬占山 (横合から引ったくって)天我に利あらず、大興チチハル戰では退却のやむなきに到ったが、然し、戰敗後克山に遁れ、のち張景惠の推薦によって新國家に歸順し、軍政部總長、並びに黒龍江省長官に就任したと言ふ事は全く敵を油斷させ綿密に内情をさぐる計略であって………。
新聞記者 寫眞を寫さして下さい。(小型寫眞器をとり出して)滿洲の野で活躍されてゐた當時を彷彿させるポーズがほしいのですがね。
梁景芳 寫眞がほしいと言ふのですが――豪傑らしい格好をしてくれと申してゐます。
馬占山 (上機嫌で)よし、よし、ぢゃ馬上で軍を指揮する所を撮らせろ。軍刀を持って來い。
林相文 (軍刀を持って來る)
馬占山 (軍刀を抜いて、勇ましく振りかざしながら)どうだ、これでいゝか?
新聞記者 素晴しい、とても素敵だ。(手速く寫眞に納めて)メルシ、メルシ。
馬占山 (得意滿面で)吾輩は必す國際間に與論よろんを沸騰させてみせる。それが吾輩の任務ぢゃ。吾輩が何の爲に安吉鎮の泥田の中を這ひまはっても逃げのびて來たか。英雄馬占山は累卵の危きにある中華民國を救はなければ生きてゐる意味はないのぢゃ。
梁景芳 (記者に)馬占山・將軍は生きた滿洲事變の資料です。百聞は一見に如かず。各國の政治家たちは是非馬占山・將軍の生存を價値づけなければなりません。
新聞記者 マタン紙の賣行は此の特種記事で俄然増加しますよ。賭をしてもいゝですな。私は腕によりをかけてめちゃくちゃに記事を盛りたてますからね。
梁景芳 どうか出來る限りの御後援をお願ひしたいものです。(馬占山に)新聞社が腕によりをかけて宣傳せんでんしてくれるさうです。
馬占山 (有頂天になって)若いのに話のよくわかった頼母たのもしい男ぢゃて。もしわしの部下なら即座に中佐ぐらゐにしてやってもいゝのぢゃが。
新聞記者 ぢゃ、どうも、有難うございました。私はこれで御免を蒙ります。
馬占山 御苦勞、御苦勞。
梁景芳 しっかり、くれぐれも頼みますよ。
新聞記者 (アメリカ流に)オー・ケー(威勢よく握手をかはしてさっさと飛び出してゆく)
梁景芳 (やれやれと言った表情をして)閣下、やっと目的を達しましたね。
馬占山 最後の策が奏功したよ、これでわしも生きてゐた甲斐があった。さだめし滿洲國や矮奴共、わしの巴里での活躍が知れたら地團駄踏むぢゃらう。あっはゝゝゝゝ。
林相文 陣歿したどころか、懲うして堂々と世界の檜舞臺で活躍してゐるんですからねぇ。滿洲國の面の皮を思ふ存分ひんむいて、戰死した筈の馬占山・將軍の凄腕のところを有難く拜ませてやりますよ。あっはゝゝ。
梁景芳 愉快、愉快、あっはっはゝゝゝ。
馬占山 奴等の泣面が見えるやうぢゃ。あっはっはっ………。(大口を開けて笑ふ)

III景
 同じホテルのロビイにて。
 又その翌日である。
 紳士淑女がきらびやかに歩いてゐる。
 馬占山が例の鰌鬚どじょうひげで從者を連れて歩いて來る。――人々が袖ひき目くまぜして囁き合ふ。
 馬占山大得意で中央の椅子にそりかへって腰かける。
馬占山 新聞の功能はさすが凄いものぢゃな。
林相文 一躍全巴里の眼をそばだてましたやうでございますな。
馬占山 (軍服のボタンを外して懐から新聞のまげたのを取り出し)然し、ちょっと殘念なのはこの寫眞ぢゃよ。恁うして大々的に寫眞が掲げられるのぢゃったら、もう少し男振りをよくして寫すのぢゃった。
林相文 然し北滿の猛將の面目はよく現れてをります。滿更ではありません。
馬占山 柔弱な佛蘭西人も初めて吾輩の武威を知って怖れたぢゃらうて。北滿脱出記は世界の視聴を集めたに違ひない。
 子供たちが珍らしげに寄って來て馬占山のまはりに立つ。
馬占山 (温容をたゝへて)子供たち、お前らも大人になったら、天晴れわしのやうな大將になるんぢゃぞ。えゝか。
 子供たち不思議さうに、ものを言ふ馬占山の顏を眺めてゐる。
馬占山 梁の歸りはおそいな。歸ったら早く新聞を讀んでもらふんぢゃが。
林相文 外國語の分らぬと言ふ事は不便なものでございますな。
馬占山 梁は夜明けから遠乗りに出かけたのぢゃから、もう歸っていゝ筈ぢゃと思ふが。
 外國紳士たち馬占山の傍に次第に寄って來て、無遠慮に四方から眺め乍らべちゃべちゃ話し合ふ。
馬占山 (傲然と胸を張って)諸君、君たちの話してゐる事は吾輩にはげせぬが、察する所諸君は東洋の國際事情につき何か吾輩に尋ねたいと思ってゐられるのぢゃらう。
林相文 梁先生がゐられるといゝのですがな。――皆さん、馬占山・將軍は支那の與論を世界に訴へる人物です。馬占山・將軍はあらゆる滿洲國の魔手をくぐってたゞ世界に滿洲問題に就ての眞相を發表せんが爲に生きのびて來られた方なのです。
 外國人たち默って二人を眺める。そこへ昨日の新聞記者ピエールが口笛を吹き乍らやって來る。
新聞記者 (佛関西語で)やあ、ムッシュウ・マ・チャン・シャン、今日は、昨日は失敬しました。(手を差し出す)
馬占山 (手を握って)やあ今日は。君のおかげで吾輩も眞實に存在を世界に示す事が出來たよ。有難う。吾輩は生きてゐた甲斐があったと思ふ。
林相文 馬占山・將軍も祖國「中華民國」に對して顏が立ったと言ふものです。この報知が祖國に届けば、民衆は熱叫し、馬占山將軍の滿洲事變以來の苦闘をさだめし讃へるに違ひないです。「馬占山煙草」どころの騒ぎぢゃないでせう。
 外國人たち新聞記者を取まいて、てんでに話しかける。新聞記者それに應へて喋り始める。
馬占山 (威儀を正して立ち上って)言葉は通じないが諸君、吾輩は今ここにステートメントを發する光榮を持ちたいと思ふ。――思ふに東洋に於ける帝國主義日本の暴状は今や言語に絶し、祖國への反逆者滿洲國要人をそそのかし、三千萬民衆を僞って、我々の祖國「中華民國」を、救ふべからぎる窮地に陥入れんとしてゐる。
 彼の周圍には身動きも出來ぬ人がたかる。
馬占山 (益々得意になって)時に當って吾輩うちに深く考へる所あり、一時假面をかぶって新國家なるものに恭順の意を表したが、やがて時を得て黒河(※ママ)に退いて反旗を翻した。時に一九三二年初夏であった。吾輩はそれより劣勢なる軍隊を以てあらゆる惡戰苦闘を重ね、幾度か死地に陥ったが、その都度幸運に惠まれ、やうやくにして生命を全うしてヨーロッパにのがれる事が出來たのである。 考ふるに、吾輩の生存は滿洲國にとって一大脅威であるばかりではなく、彼等にとっては爆彈となったのである。吾輩は生きてゐて世界に訴へる。吾輩は彼等の秘密境より生きて脱出した唯一人であるから。吾輩の生存は――。
 四五人の中華民國公使館の連中が顏色を變へてかけこんで來る。
武官のA 馬占山・將軍はどこにゐられるか!
文官の甲 あ、演説してゐるのがさうだ!
馬占山 (ふと氣がついて)おゝ、皆さんどうされたのぢゃ?
 一同人をかきわけ馬占山の所へかけ寄って、
文官の乙 大憂な事てなったぢゃありませんか、貴下は今朝のマタン紙を見ましたか?
林相文 マタン紙ですって? 見ましたとも、大變な評判ぢゃありませんか。
馬占山 諸君、この通りの人氣です。吾輩は今列國の紳士の前に中華民國の立場を説かうとしてゐた所です。
武官のB 飛んでもない事。閣下は「如何にして滿洲馬賊より大怪力の冒險家になったか?」の主人公になられてゐるのぢゃありませんか!
馬占山 な、なんだって――?
文官の甲 (新聞紙をポケットから取り出してゆかにたたきつけて)ムッシュウ・マ・チャン・シャンは滿洲の大沼地で大蛇を素手でつかまへ、狼と格闘してこれを生擒いけどったと言ふ見世物的の人間になってゐますぞ!
馬占山 (色を失って)そ、そんな、そんな事があるものか。
武官のA (憤怒して)巴里では絶對に經驗けいけん談を公開しないが、我社は特に請うて苦心談を掲載し、併せて、そのグロテスクなポートレートまで得る事が出來たと記載されてありますよ!
林相文 (新聞記者ピエールを傍に發見して)こ、こいつです新聞記者ってのはこいつです!
馬占山 (昂奮して)貴、貴様は!(新聞記者につめよる)
文官の乙 (制して)君は、馬占山・將軍を冒險家としてマタン紙に紹介した人物か?
新聞記者 (かなり駭いた顔つきで)そ、そうです。――ぢゃなかったんですか?
武官のB (あきれて)君は何のためわざわざ馬占山・將軍をかつぎ出したんだ!
新聞記者 何か讀者を湧かす特種が欲しかったのです。お蔭で今日のうちの新聞は素晴しいセンセーションを起してをります。
文官の甲 あゝ! 馬占山先生! 新聞記者は先生をエロ・グロ時代につけ込んだ新聞の宣傳道具にしか使ってをりませんよ!
馬占山 梁はゐないか! ちくせう! あいつは昨日どんな取次ぎ方をしたんだ!(地團駄踏む)
 周圍をかこんだ見物人たち、面白さうにこのありさまを笑ふ。
武官のA (怒って)皆さん、これは決して喜劇ぢゃない。世にも悲しい悲劇だ。向ふへ散って下さい、さあ、さあ、皆、散って下さい。(皆を押しのけ追ひ携ふ)
馬占山 (へたへたと椅子の上に崩れる)わしは、わしは、(頭を抱へ込む)結局、安古鎮で死んでしまってゐたのか!
 乗馬服姿で粋な歩き方で這入って來た秘書の梁景芳――思はぬ光景に入口でポカンと捧立になる。
 頭を抱へた馬占山、柱に卒倒しかかったやうな格構でよりかゝってゐる林相文、それから公使館員の思ひ思ひのポーズ――すべてこゝでピッタリ停止した。パントマイムになる。約一分間そのまゝ、そして幕が急激に降りてしまふ。

 附言――梶Xの際に何等の材料も何等の豫備知識も持たないで超スピイドで書きあげた。すべて荒唐無稽な創意である。作者はこれを單なる一篇の習作的ファースとして、讚者の前に提供し度い。(三三・六)

注)明かな誤字誤植は訂正しています。句読点は補ったところがあります。


「戯曲 張学良」四幕十二場
「満蒙」 1932.04.,05. (昭和7年4月,5月) より

第一幕
一場
 民國十七年(一九二八年)六月の末、奉天城大帥府内の一室。
 午後の陽がカーテンを黄色くそめてゐる。支那風な室内装飾。學良と、すぐの弟の學銘の二人。學良は室の中を歩きまはってゐる。痩せた學良に比して丸く太った學銘は椅子に窮屈さうに倚ってゐる。
學良 (歩き乍ら)お前は體が丈夫だからいゝな。
學銘 兄さんだって近頃は大分血色がいゝようぢゃありませんか。奉直戰から大元帥薨去こうきょ當時の一時いっときとは見違へる位だ。
學良 つとめて養生はしてゐるんだがね。だが生れつきの丈夫さにぁとてもへれさうにないな。
學銘 いや東三省を急に一人で背負ひ込んだんぢゃ、什麼いかに丈大な者でもへこたれますよ。(笑ふ)どうですこの約一箇月の背負ひ工合ひは?
學良 (笑ひにまざらして)兎に角お前にもこれからひと働きしてもらはなくっちゃな。愈々時代はおれ達のものになってきたのだから。
學銘 働き甲斐が出來てきましたね。
學良 (自信あり氣に微笑む)さうともさ。東三省三千萬の民衆の頭上に立って號令するんだ。男子として恁麼こんな本望はないさ。何と言っても親爺の下ぢゃ肱も自由には上げられなかったんだからな。(苦笑する)
學銘 「馬鹿野郎!」を聞かされないだけでも助かりますか。(忍びやかにうふうふと笑ふ)
學良 今更親爺への愚痴でもないが(心持聲を低めて)頑固さには閉口したからな。まるで新らしい思想なぞは受けつけようともしないんだから。
學銘 だが兄さんも餘程しっかりしなくっちゃ、兎に角四方古狸ばかりなんだからなぁ。
學良 おれも今のところ一身を張り切った弓のやうにしてゐる課さ。おれが今一寸ぐらつく事は東北省全體をぐらつかせる事になるんだからな。もう暫く、おれは滿身の力で奉天政府の動揺を防いでゐなけれぁならない。各省分立だとか何とか言っても、奉天さへしっかりすれば黒龍江省は問題ぢゃないし、吉林省だってやり方をあやまらなければ、さう人が心配する程の事にはなるまいと思ふんだ。
學銘 (聲を低めて)呉俊陞が死んでくれた事は助かりましたね。
學良 (臆病に一寸あたりに目を配って)勿論だ。し親爺だけ死んで呉が生きてゐたら、おれたちは到底安閑とはしてゐられまい。だがまだ一人安心のならないのがゐるよ。
學銘 なァに、我々は若い鋼鐵はがねのやうな力を持ってゐます。銹びた鈍刀は怖るゝに足りませんよ。(豪腹に笑ふ)
學良 何と言っても我々は新しい幕僚の結成を完全にとゝのへなければならない。(腕を振って)新しい智識、新しいカ――そして新しい國家方針。すべてを刷新するんだ。すべてを甦生さすのだ。Young China! さうだ。此の旗幟の前に立ちはだかる者は誰人といえども打倒しなければならないのだ。
學銘 對中央問題に就ては兄さんはどう考へてゐられるんです? これが根本的重大問題なんだがな。
學良 (憂欝に顏を曇らせて)おれもそれには煩悶し切ってゐるのだ。京津に迄青天白日旗の翻る今日、東三省だけがあく迄その圏外にゐる態度を固執する事は考へものだからだ。おれは決して親爺の營々として守り育てた封建的主權を捨てる事を喜ぶ者ぢゃないが、だからと言って澎湃ほうはいと起った新資本主義的勢力を否定する事は出來ないのだ。
學銘 三民主義、統一國家の完成――兄さん、僕は形式だけでも民主主義に投じて、そして對内的にも對外的にも東北省の重壓を輕減させたらと思ふんですけれどね。
學良 勿論、國民政府に合流すると言った所で、東北政權を移動さす意味ではない。たゞ時代の流れに應じて東北省の機構を改編するのだ。そしてこの東北新資本主義の確立は、これからの東三省に絶對必要な事だとも思ってゐるのだ。
 衛兵が二人靜かに這入って來る。家の中だと言ふのに彼等は嚴重に武装してゐる。學良ぎょっとする。
衛兵の一人 (しゃちこ張って)保安總司令閣下、唯今、榮臻、于學忠、黄顯聲の方々がお見えになりました。
學良 通せ。
 衛兵引き下ると、學銘椅子から立ち上る。そこへ三人が這入って來る。支那式の挨拶がある。
榮臻 早速ですが、(※サンズイに欒)らん州に於ける軍事曾議は張宗昌軍の山海關附近駐屯に決定しました。又直屬軍隊、吉林軍隊は一濟に關内引揚げを開始しました。
學良 さうか、それはよかった。軍はなるべく早く引揚げた方がいいのだ。私は引揚完了と同時に國民政府に和平通電を發しようと思ってゐるよ。今更敗軍を盛り直して、南京政府に楯つくのは愚の骨頂だからね。
榮臻 全くさうです。東北省はこの關内撤兵を機會として、暫く南北政爭から遠ざかって、今度は主力を外敵掃滅に向けるべきだと思ひます。
學良 私もそれを痛切に考へてゐる。今こそほこを外夷の侵略に向けるべきだと――。今にして我々が立てば滿洲に於ける日本勢力の崩壊なぞさして難事ではないやうだからな。――まァこちらの卓子テーブルかこみませう。
 一同學良を上座に据えて卓を圍む。
于學忠 北滿産豆粕のウスリイ行激増は滿鐵の大脅威になってゐるやうぢゃありませんか。(笑ふ)
學銘 日本にとっては滿鐵が大動脈ですからね。それに血が通はなくなったら事でせう。だから先づ我々が對日政策として第一に實行しなければならぬのは交通事業の統制ですよ。滿鐵線に對抗する鐵道網の完成は完全に日本の死命を制する事になるでせう。
榮臻 それと共に朝鮮人の徹底的壓迫、東三省官銀號の大豆買付……。
于學忠 それから關税自主權の確保!
 一同そこで思はず笑ふ。
學良 ……先づさうなったら日本も最後だらうな。何と言ってもアメリカは近年の裡に壓倒的大海軍の擴張完成で日本を制しようとしてゐるし、ロシアは一九三三年度の五箇年計畫完成で軍備充實と同時に極東市場でのダンピングを行はうとしてゐるし、そこへもって來て我々の保護貿易政策は、經濟斷交となって日本の糧道を斷つ事になるのだからね。
黄顯聲 (一同と共に愉快げに笑ひ興じ乍ら)日本の泣面が眼に見えるやうですな。あの強がりの――。
榮臻 何と言っても東北省の經濟的興隆に邪魔なのは日本の既得權益と言ふやつなのだから仕方はないさ。まァじりじりとその喉元の大動脈をしめ上げてゆくのですね。(笑ふ)
 再び衛兵が現れる。
衛兵の一人 保安總司令閣下、張財政廳長、李官銀號總(※辛力辛)べんの方々がお見えになってをります。
學良 さうか、では會議室の方へ待たせて置け。
 學良立ち上る。衛兵敬禮して去る。卓子テーブルの一同も腰を上げる。
榮臻 では我々も後刻又お目にかゝる事に致しませう。
學良 さう、では別室で休んで行って下さい。國家多難の時、色々と休みのない心勞を感謝します。
 一同ぞろぞろと室外に出る。ほんの暫く間を置いて、衛兵に案内されて周濂が一人の老紳士を伴って這入ってくる。
周濂 いや有難う。會議は長くはないのだね。
衛兵 すぐお濟みになるやうな御様子でした。一寸十分ばかりこちらでお待ちになるやうにとの事でしたから。
 衛兵去る。老人はひどく落ちつかなさそうにしてゐる。周濂ゆったりとかまへてたばこに火をつける。
周濂 (かすかにニヤリと笑って)心配しなくたって大丈夫ですよ、先生。奉天屈指の美人と言はれる娘さんがある以上、貴方の金融違犯の罪なんか、いっぺんにどっかへすっとんで了ひますよ。私にまかせて置きなさい。
 老人顏色蒼褪めておどおどする。周濂のんきさうに煙草の煙を吹き上げる。――綺麗な音色の置時計が室の隅で五時を報じる。

二場
 民國十七年九月中旬の或る夜、奉天郊外北陵の學良別邸の一室。うちわの夜會があったらしい。人物は大抵夜會服を着てゐる。客は主として若手の幕僚達で、その夫人連中の近世風な艶麗さが目立つ。客四五人が學良をとりまいて現れる。A、B、C、D略號は實在の誰れにあてはめてもかまはない。――一同酒氣を帶びて非常な上機嫌。
 遉に總司令のお腕前にはかなはないですな、私もダンスには相當自信があったのですが。
 (洒落た軍服を着てゐる)總司令のあのなだらかなワルツには私も恍惚とさせられました。實に鮮かなものです。
學良 (可成りの疲勞を顏に現はし乍ら)君の軍隊操縦程鮮かぢゃないよ、まァ諸君はほめるなら私の相手をしてくれた人をほめるのだな。
 成程、あの方は若いのに似合はないしっかりした方ですな、總司令が仰有る通り賞讃さるべき價値がありますよ。
 さう言へば私も内心密かに感心してゐたのです。全く素晴らしい美人です。
 我國の傳統たる楚々たる美の中に近代的の教養をあれ程含ませた佳人を私は不幸にして今迄見た事がありません。
學良 (ソファに腰を卸ろして)或る錢莊の親爺の娘だよ。周濂がどこかで見かけて推選してくれたんだ。
 成程周濂先生のお目鏡なら間違ひはありますまい。先づ評點九十八點位と言ふ所ですからな。
學良 (煙草に人をつけて)百點と言ふ所は君の令夫人かね?
 (ハッとして)私の? 私の……私のなんか三十點もゆくものですか。
學良 いやいやどうして、私は今宵の君の令夫人の艶姿にはつくづく心を惹かれたよ。君もなかなか果報者さ。
 閣下御冗談を……。
學良 (一寸眼を据えて)いや冗談ぢゃない。(ぢっと意味ありげに相手を凝視みつめる)
 (學良に追從するやうに)……私も貴君の令夫人の美しさに就ては總司令と全く同意見ですよ。本當におうらやましい。
 (意氣地なく悗首うなだれる)御言葉有難く頂戴致します。
 そこへ又W、X、Y、Zの四人が何事か論じ乍ら這入ってくる。
 其麼そんな事は今更問題ぢゃない。和平通電を發した後になって慌てゝ横車文書の起草にかゝるなんて日頃のやり方にも似合はないよ。
 十一箇條の東三省自治外交方針公布に度膽どきもを抜かれたのだらう。
 やァ相變らず談論風發だね、何の話だね。今度は妓女の話でもなささうだが。
 日本の領事が烏滸おこがましくも抗議をして來たあの話さ、今更、東三省各政團が國民政府的色彩を帶びて來たからって驚く筋合ぢゃない筈だ。
 日本は餘り勝手過ぎるよ。アメリカは米支舊條約を廃止したし中國の關税自主をも承認してゐる。イギリスは又不平等條約改訂の提案を應諾してゐるぢゃないか。それだのに日本はあの二十一箇條を……。
 國民政府が日支通商條約廃棄を通告したのは適切な處置だ!
 不平等案即時撤廃だ!
學良 (機嫌よく微笑んで)孫團長、昨日きのうだか又例の嚴重抗議と言ふのが來てゐたやうだが、事情はどうなのかね?
 はッ昨日の事件ですか、(彼は卓子テーブルの上に注がれた儘になってゐた三鞭酒盃シャンパングラスを醉った手つきであおって)いや實に我軍卒の勇獰さを遺憾なく發揮した出來事で、小官も愉快を禁ずる事が出來ませんでした。 實は丁度夕方頃、我歩兵の二三人が外出先より兵營に還る際、滿鐵線路上で鐵道巡察の日本歩兵數名と出會して口論を始めたのですが、それを見てゐた數名の我兵卒がすぐ同僚に應援し、日本兵の面前で鐵路上に大石を積み上げて了ったのです。無論亂暴と言へば亂暴ですが、然し身に寸鐵を帶びない我兵が數名の武装日本兵を何等施すすべなからしめたと言ふのは、取りもなほさず我が軍卒の意氣、既に日本兵を呑むと言ってよいのではないかと思ひます。
 この間にも別室にて蓄音機の奏するらしい晋樂の音が傳って來てゐる。婦人達の姿もちょいちょい廊下などに瞥見される。
 いや日本は口先ばかりの強がりです。西洋の童話に恁麼こんなのがあったぢゃありませんか、日頃より強い強いと思はれてゐた巨人が、或時やむを得ず挑戰された小人と相撲をとったら、すってんころりところがされて了ったなんて。日本は買ひかぶられてゐます。一朝事が起された場合、我が獨立第一旅の精兵の前に、駐奉一萬の日本軍が何をするでせう。
 日本膺懲ようちょう! 對日外交強硬! 諸君賛成しないのか。
 勿論賛成だ、我々に精兵さへ備へれば日本打倒もむつかしくはなからう。全くの所、今の劉先生の話の通り、日本陸軍の力なんて知れたものかも知れない。一體彼等が常に鼻の先にぶら下げてゐる戰勝國日本はいつ時代の事だ。強者即ち永久の強者ではない。日本が日露の戰捷を誇った所で、その時分以後にやっと生れた赤ン坊の組織する現在の日本軍隊が何で強者の名を冠る事が出來よう。いはんやその平和になれた遊惰な日本軍隊に於てをやだ。それに反して我が軍は、實戰數度、常に砲煙の間を馳驅し……。
 さうだ、日支懸案を解決するには只戰爭あるのみだ。武力を以て日本を滿蒙から驅逐するのみだ!
 日本政府の無抵抗主義外交は日本軍隊の徴力のカモフラージだ。我々は彼の外交を逆に利用する事が出來る筈だ。
 その前後から室内にはぞろぞろと人が集って來てゐる。婦人連中にかこまれた于鳳至夫人の姿も見える。學良の相手をした美少女も混ってゐる筈だがどれかわからない。
 我々は國民政府と結束して、一致國難に當り、倭奴をして再び我國土に手を染めさしめる事なきを誓ひ度い。今宵集られた諸君よ! 我々は幸ひにして積極的な新思想の持主である事を喜び度いが、如何?
 怪げな外人――それは別に國籍を斷る必要はない――人々の中より姿を現はす。
外人 皆さんの意見には私も至極同感です。日本怖るゝに足りません。奉天省政府は遠慮なき對日政策を執るべきです。それによって若し何らか事件が醸し出されるならば、それは國際聯盟が解決してくれるでせう。又日本如何に示威をするともケロッグの不戰條約、ワシントン會議の九箇國條約の前には袋をかむせられた猫同然です。私は以上の見地から、奉天省政府の對日戰爭は擇びませんが、列強の干渉を怖れ、自己の力に自信なき日本政府の軟弱外交には十二分な挑戰はして可だと思ひます。
 一同、思はず知らず大喝釆、學良おもむろに立ち上る。
學良 今宵は別に政治問題に關係して會合を願ったのではないが、水入らずの諸君との談合は期せず政治會議になって了った。いや然しこれは決して不都合な事ではなく、寧ろ私には愉快に思はれる事である。大元帥薨去してより百日餘、幸ひにして東北省の安寧は保持されたが、外患は加はるとも減らない状態である。諸君!(胸を張る)我中國はいつ迄も外國の餌食であってはならぬ。 資本主義諸国家の商品生産過剰は後進國家の脅威である以上、我々は今や國家平等、民族自決の建前の下に、決然と立って、關税自主權を回復し、民族資本の發達、國家統一の大事業に當らねばならぬ。諸君! 我國は今や總てに於て新人を要求してゐる。新人こそ我が社稷しゃしょくを甦生さすものである。然し私は既にここに集ってゐられるだけの新人を得る事に成功した。私は尚一層諸君と倶に、協力一致國運の隆盛に務め度いものと切望してゐる。
 室内をゆるがす拍手。
人々の聲 乾盃だ! 乾盃だ!
 召使ひによって盃の用意がされる。ポーン、ポーンと景氣のいい三鞭酒の栓のとぶ音がひとしきり……。
學良 (盃を上げて)新東北省官民萬歳!
人々の聲 張保安總司令萬歳! 東北省萬歳!

三場
 民國十七年十月中旬、奉天城總司令部の樓上。
 大きな長方形の卓子テーブルをかこんで、大勢の幹部達が氣色ばんでゐる。大體に於て張學良派と楊宇霆派に別れ、前者は一概に年も若く服装も洋服が多い。
 人物として主要な者を擧げれば、學良、榮臻、高紀毅、王樹常、于學忠――等と、楊宇霆、張作相、湯玉麟、常蔭槐――等とであるが、其他顔をならべてゐる連中に適當な者をふりあてゝもいゝ。
楊宇霆 我々にはどうも解されぬ。貴下の近頃の態度には聊か公明を缺く所がありはすまいかと思ふ。
榮臻 失禮なお言葉を承るものです。總参議は何を以て總司令の態度に非難を向けるのです!
楊宇霆 策動が過ぎると言ふのです。我々は先大元帥の譜代の臣である。東北政權の輔佐役である。さうした我々をないがしろにして、専ら南方から入り込んで來てゐる浙江系と策謀すると言ふ事は、決して東北政府の爲めに喜ぶべき事ではないと考へる。
王樹常 新しい力をくみとる事は決して策謀ではない。總参議は譜代の臣と言はれるが、譜代の臣でなければ政治に口は入れられないのですか?
常蔭槐 楊總参議に返へされる言葉としては餘りに身分を辨へぬではないか! 貴君らは何でもかでも新らしいものがよいと言っても以前からの傳統と言ふものは無視する事は絶對に出來ないのだ。
于學忠 何と言ふ不見識を言はれるのです。世の中は流れる河のやうに常に新らしい思想に滿されてゐるのです。いつ迄も自分の目先きにしか氣をつけてゐないと言ふ事は、爲政者として完全に落第です。
楊宇霆 國民政府の廻し者か、貴君は!(怒鳴る)
湯玉麟 まァお互に言葉は慎む事にしませう。若い諸君の思想も一應理窟はあるだらうが、唯私達の心配する事は先大元帥の遺志が踏み躙られはしないかと言ふ事です。
學良 然し皆さん、私は恁う考へてゐるのです。支那民族は今や重大な岐路に立ってゐると。外國勢力の最後的な浸潤、支那自體の共産化。私は此の時に立って斷乎として「統一國家の完成」に努力する事は小を殺ろして大を生かす事になりはしないかと。そして東北省の強化策としても、古き鎧をすてゝ新しい軍服に着換へる事は大切な事だと思ふのです。
高紀毅 いつ迄も緑林時代の氣持ちでは世界に伍して行けませんよ。
楊宇霆 何! 貴君の今言った言葉をもう一度くりかへして見給へ!(卓子を拳でたゝく)
張作相 まあ大人氣ない口論は避けよう。だが、總司令、南北合併と言った所で將して可能であるかどうか。第一に氣候風俗の相違、それから傳統習慣の相異、その上に各地方財閥の間には、根本的に相容れない利害關係があるのだから。
學良 それは相當の難關にもぶつかるでせう。又古い殻をやぶるには思はぬ力を要するかも知れません。ですがその爲めの犠牲は忍ばなければなりません。
湯玉麟 小六子セウリュズは國民政府の手先きにすっかり懐柔されましたな。(苦々し氣に唾を吐く)
學良 (怒りを押へて)時代がさう動くのです。私の意志だけではありません。
常蔭槐 新人と言ふものは危かしいものを考へ出すものですな。
學良 危かしいのは貴方がたでせう。盲目の老人が電車道を横切るやうなものですよ。
于學忠 つい目の先に迄青天白日旗が翩翻へんぽんと翻ってゐるのに貴方がたは老眼の爲めにそれを眺める事は出來ないのです。
楊宇霆 莫迦を言ひなさい。五色旗は四川、福建、貴州、雲南にもまだまだ立派に翻ってゐる。一體國民政府は口でこそ偉さうな事を言っても、その裏では黨内黨を樹て、見るに忍びない醜態を示してゐるではないか。諸君には新しい事は總ていゝ事に思はれるか!
王樹常 我々は新しさに眩惑されてゐるのではない。我々は東北省モンロー主義を當然打破さるべき古き殻だと言ってゐるのです。
學良 皆さんは眼を小さく開いて小さい部分だけを見ようとしてゐるのではないかと思ひます。私達の合流しようとしてゐる國民政府は、不平等條約廃止を建前としてゐます。それが三民主義の原理ででもあるのです。私達はなるべく早く易幟えきし改組を斷行して、熱河問題、竝に裁兵問題其他を解決し、内をこの上ともに充實すると同時に、國民政府と共に力を合はせて外敵にあたらなければならぬと思ふのです。
楊宇霆 私はくりかへし言ふが自身としてあくまで賛成する氣持はない。然しこれ迄、暗流渦卷く中央政府に合流し、この際民力を養ふ爲めに雌伏して保境安民を心掛ける事を否定するの非を説いても分らぬのなら、今更、改めて東北省の傳統がどんな根強いものであるかを説明するのも不必要だと思ふ。私はこれで退席しよう。
常蔭槐 私も失禮させて頂かう。この上同じやうな議論を闘すのも無駄だと思ひます。
榮臻 皆さん、私達の言論が御不快な方は御遠慮なく御引きとり下さい。今日は會議ではありませんから。
 楊宇霆を初め數人の老人が不快な面持で亂暴に室外に去って行く。その後姿を輕蔑するやうに誰れからともなく笑聲が起る。
于學忠 仕様のない連中ですな。
榮臻 煮ても燒いても食へぬ先生方さ。
高紀毅 (眞面目になって)だが、先生方の力を輕視は出來ないですよ。まだまだ時代は先生方の牽制で十分動くんですから。
于學忠 勿論! あの連中を前にしては弱身は見せられないが、私達は十二分な注意を彼等に拂はなければなりません。
榮臻 (聲を低めて)楊總参議は腹心の部下達と國家主義萬能を唱へてそれを看板に東三省政權乗取り……。
學良 (急に激しく)叱! 今日の議論はこれで中止だ。疲れた。私は日頃になく疲れた。午後の財政會議まで邸へ歸って一休みしよう。
 その前後からどこからともなくどよめきのやうな物音が聞え、何か大聲で歌を合唱するやうな聲が聞へてくる――。
朱光沐 (學良の最も信任する側近の部下――扉を排して急いで這入って來る。)總司令、奉天市民學生一萬數千の易幟デモです。窓に寄って御見物下さい。彼等は口々一に「即時易幟!」を叫んでをります。
 一同學良と共に外に向いた窓に集ってゆく。
王樹常 物凄い行列だな。
于學忠 民衆ももうこれだけの熱を持って來てゐるのだ。與論を心配する必要は絶對にない。
高紀毅 御老人の一行、この行列に門前あたりでぶつからなかったかな? この景氣に膽をつぶされなければいゝが。(笑ふ)
學良 (おもむろに窓から離れる)疲れた。朱光沐君裏門から家へ引き揚げよう。
 行列などには興味もなさそうに室を立ち去って行く。

第二幕
一場
 民國十八年一月初旬の或夜大帥府内の一室。
 常蔭槐が煙管を吸って劉多セン(※くさ冠に全)と話してゐる。
常蔭槐 電光石人の國旗變更、忽ち東北邊防軍總司令……張大人の働きも遉に見事なものだったな。一本綺麗にやられたと言った格好だ。
劉多セン 其麼話はやめませう。萬一總司令のお耳にでも這入ったら、とんでもない事になりますよ。
常蔭槐 心配する事ぁないよ。今頃はまだ于鳳至夫人の部屋の中でころがってゐるだらう。それとも……(笑ふ)
劉多セン (吃驚して)そ、そんな大きな聲で、(と思はず制して)どうも先生はお言葉が乱暴ですね。
常蔭槐 其麼びくびくせんでもいゝよ。なァに此處から聞へやしないよ。だが、まァ今度の易幟も正直な所若氣に走った所があるよ。三民主義を奉じて國民政府に服從する――他見よそみには新思想でいゝが、言ひ換へてみれば全くの降参さ。東三省を賣ったと言はれても仕方はないのさ。
劉多セン まだ一週間にもならない事を無定見で批判する事はやめようぢゃありませんか。
常蔭槐 君も腹を立てるのか、ぢゃァやめよう。だがね、君は朱光沐だとか胡若愚だとか言ふ、いやに總司令に忠義ぶる侫奸ねいかん輩と違って、人物が正直だからこのもしいよ。衛隊旅長には惜しい位だ。(笑ふ)
 そこへ扉が開いて武装衛兵に案内された楊宇霆が這入って來る。美麗な支那服の着流し。
楊宇霆 やあ、これは新任黒龍江省主席、貴方もお坊ちゃんのお遊び相手に招待されたのですか?
常蔭槐 (笑ひながら)どうせ退屈だものですからね……貴方も?
楊宇霆 不幸にして私もです。だが私は又小一萬元もまき上げる心算で來てゐますからね。
常蔭槐 例の清一色チンイソウと言ふ得意の手ですか、負ける方の卷き添へはたまりませんなぁ。
楊宇霆 今夜のお客は何人ぐらゐですな?
劉多セン さあ、ほんの御常連だけぢゃありませんか? 他に王以哲第一旅長と高紀毅警察廳長がお見えになる筈だと思ひますが。
楊宇霆 虫の好かぬ連中が來るんだな。だが王以哲先生は麻雀はやらない噂だったが?
劉多セン やらないと言ってもしなかっただけの話でせう。今晩はお附合ひをする心算つもりかも知れません。
楊宇霆 麻雀の寄り合ひとしては珍らしい顏ぶれだ。
常蔭槐 お家の忠臣だから、御大の負けるのを默って見てゐられないと言ふんでせう。
楊宇霆 まさか。(笑ふ)
常蔭槐 所で、對日空氣の惡化は豫測通りのやうですね。(ニヤニヤ笑ふ)
楊宇霆 日本もこの突然の改編には仰天しただらうからね。まァこれからの日本の出方が見ものですよ。日本外務省もこれァいけないと思ふでせうし、滿鐵當事者も腰を蹴られた眠り犬のやうに眼をさますでせうからね。案外日本を今迄通り輕侮し切って事が運べなくなるかも知れませんよ。
常蔭槐 さうなって初めて總司令も昔の力を戀しがるでせうよ。口ばかりたっしゃな新らしい連中に、さうした場合がっしりと外交を受け止める力はありませんよ。
楊宇霆 小六子ショウリュズにはいゝ藥かも知れない。一體、東三省をこれ迄にして來たのは我々の力であるに不拘かかわらず、そして又大元帥の歿後動揺する政權を辛くも押へて、丁度三つ子に飴ン棒をもたせるやうに東北地盤を世襲させてやったのは我々であるのに不拘、そのいきさつをすっかり無視してゐるのだからね。 土地商租權問題、日本人に對する警察法規問題、課税問題、鐵道問題、朝鮮人問題――數へればきりのない日支懸案が、本腰になって日本外交からつきつけられた時、悲鳴を上げなければいゝと思ひますよ。日本だって今度の事を契機として、愈々本腰になる可能性は十分あるのだし、若し事態惡化した場合、今更「保境安民」を唱へたって及びはしないですよ。
常蔭槐 今迄やりにくい外交の矢面に立ってゐてくれた我々の有難味が分るでせう。于沖漢先生の存在も急に欲しくなるかも知れません。(笑ふ)
劉多セン あの、お話中ですが、この種の話は場所柄これ位で今晩はやめる事に致して頂けませんか?
楊宇霆 やあ、貴君の存在は忘れてゐた、成程、貴君の耳には痛かったかも知れんな。ぢゃこの位で口をつぐみませう。しゃべり續けると、政治團體から、軍隊から、東北全省の中心になるものの、成ってはゐない内幕のぼろをさらけ出す事になりさうですからね。――所で小六子も客を待たせておそいではありませんか。
劉多セン 一寸様子を伺って参りませう。
楊宇霆 さうしてくれると助かりますよ。こっちも別にいらぬ事を喋り度くはないが、餘り手持無沙汰だから雜談を初めるのです。
 劉多セン去る。
常蔭槐 總参議、だが總司令もなかなか油斷のならない腕を持ってゐますな。見て御覧なさい。張作相、萬福麟、張景惠、袁金鎧、等々の敬遠されぶりは。物の見事に肩書だけは一廉ひとかどにつけられてぽンと中央政治の圏内からは抛り出されたのですからね。これで殆んど完全に先大元帥時代の舊奉天幹部は實際政治からは除け者にされた形ではありませんか。怖るべき手腕ですよ。辣腕ですよ。
楊宇霆 (不快を滿面に現して)なあに、學良輩何事やあらんですよ。除け者にされたのはその人達に力が無かったのですよ。私などは尠くとも政治的根底をビクつかせてなぞゐない。私はまだ如何に私をみすぼらしく見積っても、私の東北全省に於ける威信が小六子以下であるとは思はない。民衆心と言ふものはさう簡單に一枚の法文で入れ代るものではない。私は私の力を信じてゐますよ。
常蔭槐 それは仰有る通りです。先生の聲望に對しては遉の總司令もどう指をそめる事も出來なさそうですね。然しそれに較べて、先生のやうに以前の面子を保ち得ない私共は哀れなものですよ。
 扉が開く。王以哲、高紀毅、劉多センが現れる。彼等は總て洋服。
楊宇霆 (輕蔑するやうに)やあ、これはお歴々お揃ひで。
王以哲 晩くなりまして。(叮嚀に挨拶)
楊宇霆 新しい軍隊は時間をおくらすものと見えますな。
高紀毅 一寸私共手のはづせない用があったものですから。どうぞ惡しからず。(禮をする)
 そこへ衛兵に護られて學良が病的に冴えた顏で現れる。支那服。
 その後からこれも便服の榮臻が蹤いて來る。一同挨拶。
學良 たいへん大禮致しました。夕方から一寸體の工合が急に惡くなったものですから。いやもうすっかり常態に復しました。すぐ隣室でお茶を差し上げる事に致します。麻雀の用意も整ってゐますから、さあどうぞこちらへ。
楊宇霆 今晩は夜明かしの心算で來ましたが、お體が何ぢゃあ、勝負にも手心を加へなけれぁなりませんな。な小六子?
學良 (蒼白く徴笑んで)いや大丈夫。勝負は實力で徹底的につけますよ。
 一同二人に續いて向って左手の隣室の方へ去る。劉多センのみが目立たない様子で一人殘る。隣室との境ひはカーテン。何事か冗談口らしい笑聲が洩れてくる。
 ――一分ばかりその儘に。軈て劉が衣兜ポケットから小型の拳銃をとり出してドアの方へ歩いて行く。とカーテンが一寸めくられて高の顏がちらりと覗いて消える。劉が扉を開くと、武装衛兵が四名すぐ這入って來る。劉が「用意!」と殆んど聞きとれない程の小聲で言ふ。四人は銃を構へてカーテンのすぐ裏にしのび寄る。
 ほんの暫くの間――學良が神經質にカーテンを排して出てくる。と、それを合圖に劉及武装兵達がカーテンの奥に突入する。
 ――銃聲數發。
 學良石像のやうに立つ。靜かに隣室から王、高、榮、劉、が現れる……。
劉多セン (落ちついて)萬事完了致しました。
學良 御苦勞。(一同の方を見て)では皇姑屯事件の容疑者、共産黨内通者、叛逆策謀者として、早速發表の手續きを執ってくれ給へ。
 學良は蹌踉そうろうと今來た廊下へ出て行く。

二場
 民國十八年七月中旬、遼寧城上將軍公署の一室。
 室の中は何とはなしにあはたゞしい。軍服を着た張東北邊防軍總司令を取りまいて、これ又物々しい軍服姿の榮軍事廳長以下の参謀將官二三人が、卓上の地圖を指差し乍ら密語してゐる。
 副官胡若愚が這入って來る。
胡若愚 總司令閣下、唯今、王交渉主任が参ってをります。
學良 通し給へ。
 胡若愚が姿を消すとすぐ衛兵に伴はれた王家禎が現れる。大鞄を抱へて可成り疲勞した顏つきをしてゐる。挨拶。
王家禎 榊原農場問題に對して日本領事より抗議がありました。損害賠償額八十萬圓だと言ふ事です。
學良 (事もなげに)正面から取り合ふな。嚴重抗議はそれだけだったのか?
王家禎 朝鮮人歸化制限訓令に對する抗議、東三省國民救國會への彈壓、吉會鐡道問題の促進――文書は束になって持ち込まれました。
學良 日本の外交も十年一日だな。なに關ふ事はない婉曲に受け流して置け。先日も日本の元老政治家が來て、何を言ふかと思ったら、今頃、東北省は南方時局から手を引いた方がいゝと子供に言ふやうな説法だ。(神經質に笑って早足に室内を歩き始める)老政客の馬鹿さ加減は日本も支那と變らぬと見へる。まあ日本との外交は出來るだけ延引主義で、こちらの計畫は側面からぢりぢりと進めて行けばいゝのだ。――所で、もう露西亞側の連中が來る時間ではないのか?
 一同は各々自分の時計を見る。
榮臻 二時四十分です。十分過ぎてをります。
學良 (神經質に怒って)外交官が會見の時間をおくらせるとは何と言ふ事だ。おい、誰れか電話をすぐかけてみろ……。
 胡若愚が現れる。
胡若愚 總司令閣下、露西亞領事館員一行が見えました。
學良 (怒り聲で)早く通しなさい!
 胡若愚が去ると、在室の各幹部は學良を中心にとりかこんで緊張する。と、扉が開いて、十數名の武装衛兵に前後をかこまれた勞農國總領事メリニコフ、駐奉領事タズネツオフ以下數名の一行が現れる。續いて呉家象、朱光沐其他省政府側の重要幹部も姿を現はす。
メリニコフ (まるで罪人の如く自分達に銃を擬して立つ衛兵たちを一瞥して皮肉な笑ひをうかべ乍ら)どうも時間におくれまして濟みません。實はこちらへ参る途中貴國の出動軍隊の行列と、熱狂した群衆の垣に自動車くるまの進路をはゞまれてをりましたものですから。
學良 (不機嫌に)それはお困りでしたでせう。では時間が時間ですから、早速お話を承る事に致しませう。
メリニコフ 東支鐡道利權に就ての貴國側の態度は近頃益々以て暴戻を加へるやうですが、それ閣下ヂェネラルの御意志から出てゐるのですか?
學良 私の意志?(鼻で笑って)東北全省全民衆の意志、いや中國全民衆の意志ですよ。
メリニコフ 暴戻はお認めになりますね。
學良 貴方から見れば暴戻かも知れません、ですが私から見れば當然すぎる程當然です。
メリニコフ それは理窟を抜いての御言葉でせう。貴國側の暴力的東支鐡道利權回収運動に對して、私の方では穏かな妥協的態度で奉露協定の改訂を提議した。それをも貴國は足げにして、亂暴にも東支鐡道氣象臺を回収し、先月は國交條約を無視して、ハルピン我領事館を無斷臨檢し、我々領事館員を檢束し、文書を押取したのではありませんか!
學良 然しそれは貴國側の御要求により押収文書の一部をのこし、他は人と共に釋放したではありませんか?
メリニコフ それは當然な事です。ですが亂暴と言って今迄貴國側の我國――即ち東支鐵道權益に對して執った態度程亂暴なものはありません。一體一九二七年――之は張作霖大元帥の在世當時です。即ち北京ロシア大使館の捜査事件があった。それから間もなく貴國軍隊が東支鐡道沿線各地に配備されて、同時に各電信電話の差押へがあり、續いて一切のソヴエート職業組合の解散命令、國營汽船部、極東國營通商機關の開鎖命令、更に東支鐡道管理局長シャノフ以下露國職員の罷免の斷行があった。そして東支の全權力は貴國側に奪取された――。
學良 然しそうさるべき當然の理由があったからです。
メリニコフ 赤化宣傳の怖れですか? いやそれは貴國の爲めにせん口實に過ぎない。貴國は營々として東支鐡道の發展に他國の力を費させて置きながら、それがやうやく重要なものになり、そして自國にもその統制能力が出來たと見ると、狡猾にもそれを片々たる口實の下に、暴力を以て奪取せんと企てたのです。
 支那側幹部一同憤慨にどよめく。
學良 自分の姿は自分の眼には見えないと言ふが、お話を承ってゐると、如何にもそれが事實のやうに思はれますな。他人の國に太い觸手を延して來て、その手からその國の心臟部にあるあらゆるものを掠め去らうとたくらんだって、到底さううまくゆくものではありませんよ。私はさう言ふ有害な觸手は一時も早く斷ち切らなければならないと思ってをります。(昂然と胸を張って言ふ)
メリニコフ 然し閣下ヂェネラル、國際條約と言ふものは文明國同志にはこの上なく重んぜらるべきものではありますまいか。皆魚ひらめかれいかの水かけ論は暫く避けるとしても、支那側の行爲は現行協定中に明瞭に規定された諸條約に對する最も明白、最も惡辣な違反行爲です。即ち露支協定による兩國平等の原則を全く破棄したものです。
學良 然し條約條約と言っても、その條約の蔭にかくれて共産主義的侵略の陰謀をたくまれたら、私の國としても困りますからね。事實貴國は近年我國各地方に於て屡々支那人民を煽動して、國家社會の組織に脅威を與へ、又我國政府に反抗する種々なる宣傳を行ひ、我政府をして全力的な處置によって社會の安寧を維持させずには置かぬ有様に陥入れたのですからね。即ち言ってみれば我政府の執った從來の手段は總て純然たる治安擾亂防止の必要から出てゐるものなのです。
メリニコフ ヂェネラル・張、私は私共政府が出來るだけの妥協的態度に出てゐるに不拘、あくまで貴政府が態度をお改めにならないのを遺憾に思ひます。お察し致す所、續々として東支沿線に送達される支那軍隊は、武力を以て當該問題を解決なさらうとの御意志の表明だと思ひますが、然し、我々は最後迄事を好み度くはありません。今日ここに携へましたのは十箇條の和平解決策なのですが、出來ます事なら、これを貴國政府で御討議下さいませんか?
學良 頂いて置きませう。だが念の爲めにお訊ねしておきますが、これは最後的通諜と言ふのでせうね?
メリニコフ (靜かに頷いて)如何にも。勿論露國にも他國の暴力に對し露國民の合法的權利を擁護するに必要な十分な手段を有してゐる筈です。
學良 (蒼白く徴笑して)よく分りました。御同様我國にも自衛權の發動と言ふものがある事を御承知置き下さい。
メリニコフ では――。
學良 失禮――。
 室内のざわめきの中に露國側は引き揚げる……。
 外には爆竹、煙火の音頻り。チャルメラ式の喇叭の音、軍隊大鼓の音も聞へる。
榮臻 こんなこけおどしのものなど討論する必要はないでせう。我國の執るべき道はたゞ武力解決あるのみです!
幹部運 (口々に)勿論だ! 印刻動員令だ! 全線攻撃開始だ。國境露兵潰滅だ!
 支那士官が一通の紙片を持って這入って來る。
土官 齊々哈爾、東北陸軍第十七旅長、韓光第少將より電報であります。
榮臻 (受けとって讀む)國境益々風雲急なり。我十七旅、満洲里梁忠甲十五旅と共に死を誓って出動せんとす。我東北全省の安危この一戰にあり。張總司令を始め各位の御安泰を祈る。
 一同悲壯な面持になる。學良蒼白く昂奮しながら、室内を歩るき初める。……街のどよめきが益々激しく盛んになって來る。

三場
 民國十八年九月下旬、遼寧城總司令部の樓上。
 張作相 朱光沐 王家頑 榮環 黄顯馨其他の軍事、外交関係の幹部が、白けた顏を卓子のまはりに並べてゐる。各々勝手な方向を向いて會議一先づ中止と言つた格好。
張作相 (時計を出してみて)總司令の容子如何では今日の會議は明日でも再開と言ふ事にして、今日は散會する事にしよう。
榮臻 (冗談口調で)何か御急ぎの御行先でもおありなんですか?
張作相 (一寸慌てゝ)さう言ふ譯ではない。
王家禎 英雄閑日月あり、ではありませんか?
張作相 莫迦を言っちゃいかん。かりそめにも東北四省の危機ぢゃないか。私は夜もろくに寝てをらん。
王家禎 (笑って)いやいや、惡くおとりにならないで下さい。ほんの冗談です。
黄顯馨 私は兎に角、今日の會議の結末は、あく迄屈伏的協定を避けて、交渉斷絶もいとはぬと言ふ事にしたらと思ひますが、どうでせう?
 一同誰れも返事をしない。以前に見られた元氣は誰れにもない。
黄顯馨 (卓子の上に目を落して)……東北武人も案外腰抜けだと南方人に私は思はれ度くないと思ひます。
榮臻 東北武人は腰抜けぢゃない。韓光第將軍の死は天下に轟いてゐる。我軍が弱いのではなく、露兵が大軍を動かしてゐるのだ。殘念ながら、我々は初め目算をあやまった。不用意だった。露國があれだけの強硬な武斷態度に出るとは思ってゐなかったのだ。
朱光沐 戰爭は不利になったらやらない方がいゝに決ってゐます。第一アメリカが我々の爲めに和平解決に全力的に乗り出して來てくれたのも、その口實とする所はケロッグ不戰條約ですからね。交渉で行かなければ駄目ですよ、戰爭で來いと今更見榮を切らうとした所で……。
黄顯馨 (芝居氣の懐慨口調で)鳴呼、誇高き我東北講武堂出身の武入達の名譽も地に落ちたか!
榮臻 いや君、武人の名譽は未だ赫々かくかくたるものだ。いやしくも東北の武人たる者で第二の韓光第を志さない者があらうか。だが又武人の心得として最も大切な他の一つのものは隠忍自重と言ふ事なのだ。
王家禎 兵を動かすは易く収めるは難い。外交の難處はこゝにあるのですよ。張作相副司令とメリニコフ氏の交渉、遡っては蔡交渉員との交渉、そして今度はカラハン氏に對する總司令の正式商議再會提議――それ等の總てが我國に不利な失敗を齎せてゐるのです。我々はもう恁うなっては可成りの譲歩も覺悟しなければならないと思ってゐます。兵は徒らに動かすべきでない。それはよく反省されたものと思ひます。
 一同は昂奮すべき元氣さへ失って了ってゐる。隣室の扉より醫者其他が出て來る。
張作相 總司令の容體は如何でした。
醫者 注射を一寸量を増して致して置きましたから、間もなく御回復でせう。然し御卒倒なさった直後でもあり今日の會議は御續行なさらない方がいゝと私は考へます。
張作相 さうですか、御苦勞でした。(皆の方に向いて)諸先生、今日の會議は散會にします。議事は大體に於て護歩説として次へ迄留保しませう。では――。
 一同お互に力なくぞろぞろ扉から出て行く。朱光沐と王家禎の二人が殘る。
朱光沐 懲う來る情報來る情報、我軍敗北、交渉決裂ぢゃあ、總司令でなくったって卒倒しさうですよ。
王家禎 山犬みたいに食ひつく露西亞にはかなひませんね。だが(と聲をひそめて)張總司令の阿片惑溺にも弱ったものぢゃありませんか。一寸阿片氣が消えると卒倒――これぢゃ東四省の屋臺骨も……。
 學良が衛兵竝に側近看護者にたすけられ、力なく隣室から現れてくる。王、朱、等の態度一變。
朱光沐 ((※勹身弓)々きゅうきゅう如として)總司令如何でございますか?
學良 大分いゝ。家へ歸へらう。
王家禎 (腕をうやうやしく貸し乍ら)會議は散會に致しました。いづれ又――。
學良 さうか、では又明日でも……。
 一同が扉の方へ進まんとした時反對に扉が外から開かれて、めちゃくちゃに縛された青年が荒々しく衛兵につきのめされて這入って來る。學良は反射的にとびさがらんとするが、傍者に身を支へられる。
衛兵士官 (しゃちこ張って)保安總司令、この男は唯今路上で、共産主義の傳單を貼ってをりました。で早速捕縛しました所、是非とも一目總司令にお目にかゝり度いと申し立てゝやまないのであります。
 學良氣味惡げに蓬髪のゆはへられた男を見る。男は息を切らせてゐたが、唾をのみ込むと、學良の方に一足進もうとする。
 僕は牢屋にぶち込まれる前に一度貴方にお目にかゝり度かった。と言ふのは一度牢屋に入れられたら一寸直接貴方に口の利ける機會は出來まいと思ったからです。
朱光沐 おい貴様要らぬ事を言ふ必要はないぞ。
 要らぬ事ではない、東北三千萬民衆の爲めに是非とも言はなければならぬ事だ。そして是非とも張總司令に返事を頂き度い事なのだ。即ち僕は第一に東北政府の失政を指摘しなければならないのだ。一體東北の南方合流は何だ。孫文の三民主義を奉ずると言へばていさいはいゝが、その實既に蒋介石一派に依って清算されつくした所謂三民主義の殘滓――即ち新資本主義的革命政策に表面迎合し、 その裏面では相變らず軍閥家であり大野心家である態度を毫も捨てず、苛斂誅求かれんちゅうきゅうに寧日なく、投機と外國借款と利權の賣り出しと――かゝる軍閥的搾取より私兵飼養に汲々としてゐるのではないか! 即ち滿蒙に於ける未だ確乎たる半封建性主權は、張家の利害を基礎として成り立ってゐるものであって、從って比主權は所謂國家とは何等の關係はない。寧ろ領土と民衆とを對稱とする一種の企業にしか過ぎないではないか!
朱光沐 默れ! 默れ! おいこいつを……。
 僕は君と話しをしてゐるのではない、張總司令となのだ。君はすッ込んでゐたらいゝだらう。僕は張總司令から返事を得たい事があるのだ。 僕は明かに絶叫する、東北三千萬民衆は張家の限りなき資本家的搾取に餓死せんとしてゐると、私有財産的企業形態に今や最後の一滴の血潮まで搾り取られんとしてゐると! そして僕はここに又斷言する、ナショナル・ブルヂョアジイ統治權力の貫徹に努力しつゝある右傾國民政府の巧妙なアヂにのせられて、日本に楯つき露國に無謀な戰爭をしかけ、その揚句は美事な敗惨となって民衆を救ふべからざる窮地に突きおとし入れたのだ、と!
王家禎 (周圍の者と共に眞赤になってやきもきしながら)此奴は氣狂だ、此麼奴を喋らせて置く奴があるか、莫迦共奴!
 (衛兵に引っぱられるのを踏み止って)待て、まだ言葉が殘してあるのだ。張總司令、貴方はこの上續けて惡政を重ねて行かれるのですか? それとも三千萬民衆のあの塗炭の苦しみの中より聞へてくるうめき聲に耳を傾けられますか? 私は三千萬民衆に代って要求する、張總司令の御返答は何か?
 男は縛られたひもを引っぱって一歩進む。學良神經的に一歩慌てゝ逃げる。
朱光沐 (衛兵士官に)莫迦! 連れて行け!
 (よろよろと綱をひかれてよろめき乍ら)僕はあく迄要求する、張總司令の御返答を! さあ御返答は何だ?
學良 (鋭く凛然たる聲で)銃殺!
 男よろよろと倒れかゝりさうになるのを衛兵は銃で起して室外に引きずり去る。學良一同に護られてその後を見送ってゐる……。
(未完)
附記――執筆時間が足らず第三、四幕を次號へのこした。各幕づゝ一年間を取扱ってゐる心算である。用語一切日本流、又便宜上西洋人も同一國語を使ふ事にして置いた。讀者乞諒察。

第三幕
一場
 民國十九年(一九三〇年)九月中旬。
 奉天郊外北陵の學良別邸の一室。
 夜――。數名の東北巨頭連が學良を中心に卓子テーブルを圍んでゐる。
學良 (一同を一亘り見廻してから、徐ろに言葉を繼ぐ)……で、度々これ迄諸先生にも御参集を願って、對時局策の審議を行ったのであったが、自重靜觀してゐた北方政局も、過日の山西軍濟南抛棄でやゝ行手の目星もついたやうであるから、我々も茲に何とか最後の歸結を求め度いと考へる。と言っても、私の肚は既に決定してゐるのだが、一應諸先生の腹藏なき御意見も拜聴致し度いものである。
張作相 勿論いつ迄も東北省の態度を曖昧にさせて置く事は不可能でせう。それに中國の情勢も、厭でも我々の態度を表明させずには置かぬやうな工合になりましたから。
湯玉麟 去る九日、正式に成立したと言ふ北方政府の基礎は暫時的なものと見るべきでせうかな?
胡若愚 勿論、閻錫山主席のはかなき夢に過ぎませんよ。施政方針の聲明もいゝが、気乗薄な、見るからに空文然としたものぢゃありませんか。彼等の擴大會議だっていゝ加減なものですよ。
朱光沐 一體反蒋運動そのものがアナクロニズムな彼等の野心から出てゐる以外の何物でもないのですからね。山西、西山、改組、各派の妥協から北方新政府の樹立。閻、馮、汪氏の蒋氏攻撃。そしてそれ等の理由とする所は、一に蒋氏の専横問責であるが、然し彼等の内心は、そんな事より三民主義に舊時代的な反感を持って、出來得るならば國民革命以前のやうに各自分割された地盤に割據して、權勢と利禄とを得たいと言ふ慾深い肚なのですからね。
王樹常 軍隊も既に戰意を全く失ってゐる事は明瞭なのですから、北方政府の生命も見えすいてゐると思ひますね。どうですか、たはいのない濟南開渡し振りは。一時徐州をさへ脅し蒋氏の興廃をさへ疑はしめた北軍の優勢さは、今やもう全く見出されないではありませんか。
胡若愚 いや全く。軍隊の闘志はすべてを支配しますからね。濟南抛棄は擴大會議に明かに暗影を投じましたよ。今こそ我東北省が文字通り天下のキャステングヴォートを握ったと言ふべきでせう。
張作相 だが皆さん、キャステングヴォートと言ふものは、重大性を持てば持つ程、その行使に危險性を件ふ事を忘れてはいけませんぞ。東北省がこれ迄和平通電を發し、支那本土に於ける南北内亂の重大時局から全く手を引いてゐたのも、勿論、我々の態度如何がすぐさま東北省の勢力失墜如何に迄かゝってゐたからです。我々は最後迄よく我々の立場を熱考してかゝる必要のある事を忘れてはいけません。
王樹常 矢張り保境安民、東北省モンロー主義ですか? 然し英雄とは風雲に乗じて大望を果す者を言ふのではないでせうか? 今や南北の戰ひは我々の向背に依って如何ようにもならうとしてゐる。 閻氏一派からは、政治軍事上の權利承諾、河北山東の地盤移譲の好條件を以て總司令の北方政府委員就任を慫慂しょうようしてきてゐるし、蒋氏は又黄河以北の地盤提供と軍費支給を以て總司令の陸海空軍副總司令就任を慫慂してゐる。時は今だと言ふ感じを私は犇々ひしひしと感じるのですが、諸君は如何ですか? 中原の風雲こそ大丈夫事を圖るの秋ではないでせうか!
張景惠 然し私達は、自分達の足元を餘り確なものだと認められない事を遺憾に思ひますが――。勿論驥足きそくを伸すのもいゝでせう、然し現下の東北省は現状維持が勢一パイだと考へられる。昨年の對露紛爭よりの打撃。各省財政の破産的状態。それから不安に耐えぬ東北陸軍への給料不拂状態。又は最近頓に表面的になってきた省内各派の勢力爭ひ。 これ等は一として東北の危機を思はさないものはないではありませんか、我々は外に注ぐ力があれば内に注いで、我々の基礎を充實したいと思ふのですが、どうでせう?
王樹常 なに、其麼心配する事はないと思ひますよ、叙五先生。東北省は決して武力を行使する必要はないんですからね。たゞ軍隊を擬すだけで充分事は足りる現状なのです。若し我々が、從前通りの建前から中央擁護を宣言して、東北軍の關内出兵を斷行したならば、閻氏の下野は當然即時行はれるべき事は自明なのです。
學良 閻先生は既に前途を見透して、下野の意志をさへ持ってゐるのです。と言ふのは、北軍の敗退が西北軍の京津乃至山西遁入となり、直接閻氏の勢力を蠶食さんしょくする結果となる事を防ぐ爲め、自分は下野をして、奉天軍を西山軍の北上途上に据えやうと言ふ肚があるのです。 これは考へれば我々にとっても重大問題であるに違ひなく、萬一、西山軍が雪崩の如く京津地方に敗退して來たならば、我々にとっても由々敷一大事である事は言を侯たない。一體、私とて國内の不充實を憂へない譯ではないが、然し現在に於ける、消極的な關内進出反對説は、小事にのみ拘泥こだわる姑息なアイデアとして反撃し度い。 言ふ迄もなく馮玉祥氏は蒋介石氏の假想敵であると共に我々の假想敵でもあり、今にして打倒しなかったならば悔は千載にのこる筈である。私は、折角理想としてきた中央政府合流の意義を明かにする上から言っても、又は東北の軍事的立場を將來ともに堅固ならしめる爲めにも、即時、中央擁護の和平通電を發して、そして軍を京津に派遣し、武装調停の實行を期すべきだと考へてゐるのです。
張作相 總司令の御意志は既に確乎と決定されてゐるのですか?
學良 決定してゐます。熟慮の後の斷行です。私は東北省の將來の爲めに、この處置こそ適切だと考へるのです。
湯玉麟 では關内出兵を斷行なさるのですね?
學良 今日この會議で最後の決定を爲すと同時にその手配を講ずる心算です。
榮臻 山西軍は全然戰闘能力を喪失してゐますし、中央軍は又馮軍總攻撃に於て極めて優勢です。我々の中央支持は勞せずして功を得るの結果を齎すでせう。それに中央からはほゞ我々の要求に近い軍資金も到着してゐる事ですし、出兵は至急決行されるが有利です。
王樹常 軍事上の手配は大體に於て抜かりなく用意されてゐますから、皆さん御心配なく。それに兵士達の意氣又昇天です。
張作相 大東北主義も、三民主義も、今更我々老人には異議もさしはさむ氣持はないが、然し出來るだけ自重して國是をきめてゆきたいものです。ではこの上あへて反對意見はのべますまい。
胡若愚 ではこの最後的會議に於て、東北軍の中央軍支持。それを具體的に表明する爲めに武装調停の名に於て、兵を關内にすゝめ、反蒋各軍をたゝきつけると言ふ事に不賛成の方はありませんか?
學良 では東北軍は、かねての私の作戰通り、直ちに于學忠の山海關部隊に動員令を下します。中央支持の和平通電は、今夜これから文案を作製し、明日から各方面に打電する事に致します。
 一同ほっと吐息をつく…………。
學良 いや皆さん御苦勞でした。別室に夜食が用意してありますから。
榮臻 では諸先生、我々大東北主義の實現、そして總司令の中華民國陸海空軍副總司令御就任に祝意を表する爲め、よろこびの盃を擧げる事に致さうではありませんか。
人々 賛成! 賛成! 賛成!
學良 (すつかり上機嫌で)いや同慶の至りです。
 一同別室にぞろぞろと立つ。胡若愚引き返して來て、あたりに入なきを伺ひ、室の隅の卓上電話機を取り上げる。
胡若愚 (小聲で)張群先生ですか? 胡です。會議は終りました。豫期通りに決定、大成功です。蒋總司令に對する責下の面子も立ったと言ふものです。いや貴方の凄腕には遉の漢卿先生も立派に陥落致しましたよ、これから乾盃です。えゝえゝとても上機嫌……。
 足音にギョッとして電話を切る。朱光沐が現れる。
朱光沐 や、胡先生、貴方は!(すぐ察して電話を指差し)あゝそれですか?
胡若愚 責方も――?
朱光沐 こゝの英國領事にね。足元のぐらつく南京でランプソン氏もしきりに氣をもんでゐると思ふから。運動奏功と聞いたらやれやれと安心するでせうよ。
 二人顏を見合せてニヤリと笑ふ。

二場
 民國十九年十月初旬。
 奉天・省政府ホテル。
 學良の中華民國陸海空軍副總司令就任祝賀式。
 正面に大青天白日旗を、そして四方に萬國旗や飾幕を張り廻した宴會場。
 貴顕紳士、淑女が堂を滿してゐるのだが、支那の特色として、警衛の兵士が銃劍をきらめかして各所に立番してゐる。
 拍手が漸く止む。一段高き所に學良と張群が立ってゐて、後者が前者に兩手に捧げた美しき箱を與へる。
張群 中央政府監誓員・張群、中央政府を代表して、茲に中華民國陸海空軍副總司令の印璽を東北邊防軍司令長官・張學良先生に授達致します。
學良 (恭しく箱を手に受け)不肖張學良、重大時局に直面し、種々熱考したる結果、時局に鑑み、意を決して此の重責を負ふ事に致しました。もとより身、その任でないかも知れませんが、至誠を以て三民主義を實行し、總理の遺教に遵從し,國家を捍衛かんえいし、人民を愛護し、その職を全うせん事を宣誓したいと思ひます。
 一同の拍手堂をゆるがす。學良、箱を部下に渡す。
張群 (一同の方を向き)滿堂の諸君、不肖中央黨部を代表して、一言挨拶を致し度いと思ひます。(咳を一つして)顧れば國内戰爭も長い問續きました。そもそも昨年二月、馮玉祥軍によって反政府的態度が示されてより、閻錫山、反政府改組派の擧兵となり、中央政府は遺憾ながら和平統一の爲め十萬の兵を動員しましたが、時局は益々紛叫し、九月に入ってからは廣西の張發奎軍の反亂を加へ續いて閻錫山の鄭州出陣となって、新しき年の一月からは、徐州を中心とした蜿蜒千里の南北兩軍の對陣が行はれる事になりました。 誠に國家としては此の上なき不祥事でありまして、我々國民の心痛はこの上なきものでしたが、茲に正義は最後の勝利を得るの譬の通り、漸く國を毒する逆賊は一掃され、さしもの難時局も(※口耳戈)しょう定するに到ったのであります。 (咳をして胸を張り)諸君! この討逆の軍事漸く成功におもむき、重ねて和平統一の光明を見るに到った事は、東北の英雄、瀋陽の張漢卿先生の國民を愛する念に據った事一方ひとかたでないのであります。即ち小官は、不肖ながら全中華民國國民を代表して、茲に、先生の勇氣と仁徳に敬佩の意を表し度いと思ふのであります。
 再び堂をゆるがす拍手喝采。
學良 唯今は身にあまるお言葉を頂き冷汗背をうるほしました。思ふに外夷屡々我國を窺ふのとき、國内にあって徒に黨を立てゝ爭ひ、民の膏血なる軍需を費消し、同胞相殺戮して、民生を塗炭の苦みに陥し入れる。これは涙なくして目撃出來ぬ事であります。若しこの時に當り、徒に安逸をむさぼって時局を無視せんか、民國將來の隠憂増すともへらず、遂には大亂の惹起と共に民國滅亡の不幸をさへも想像されないものではないのであります。 劍は正義の爲めにのみ光を放つ。不肖誠心を以て軍を關内に進め、武力を以て和戰を強要致しました。幸ひにして山西の軍は京津より撤退し、北方黨人はそれぞれ北京より石家莊、太原方面に逃亡し、閻氏の下野表明と共に、時局はほゞ平穏に歸しました。これ諸君と共によろこびを分ちたいところであります。なほ、この機會に一言し度き事は、東北軍の北京進出は、今申した通り純然たる和平唱道の意思からであり、民生救濟と戰禍防あつ以外のものではありません。 然し若し今回の禍首、閻・馮兩氏の今後の行動が改めて面白からぎる時は、我政府は續いて吉林、黒龍江、熱河の精鋭より、第三第四軍を出動さす用意を持ってゐる事は言明して置き度いと思ひます。勿論私は事を好むものではないが、近代國家を一時も早く建設し、そして國際地位を高めんとする熱望の前には、可及的な努力を惜むものではないのであります。(輕く頭を下げる)
 破れるやうな拍手……奏樂が始る。
 人々は各扉よりそれぞれ他室に散ってゆく。學良一群の内外記者團の一行にかこまれて、臺を下りて來る。
學良 いや、私は閻・汪・馮氏に下野外遊を勸めたおぼへはない。私はたゞ自分の示すべき武威を示したに過ぎない。閻氏の下野表明、馮氏の進退きわまった現状は、當然の事であらう。
記者の一人 勿論御威光に屈服させられて手も足も出なくなったのでせう。然し、消息によりますと、敗退後の三者は益々結合を鞏固にして、山西一省に壓縮された反政勢力を以て、やがて再擧を計るらしいと傳へられてゐるのでありますが……?
學良 (愉快さうに笑って)傷だらけの烏合の衆が口ばかりの強がりを言っても仕方はあるまい。若しさうした状態になったら東北兵工廠の完備と、精練された東北軍隊の優勢さを、如實に彼等に示してやる迄です。汪・馮氏達の下野も所詮時の問題でせう。
 そこに一群の外國外交官がくる。記者團は追ッ拂はれる。
外交官一同 (見えすいたお世辭笑ひをして)張・閣下の中華民國陸海空軍副總司令御就任を心からおよろこび申し上げます。
學良 (一同に握手を與へ乍ら)いや今後ともによろしくお願ひします。
外交官のA 閣下ヂェネラルの武威はやがて列強に伍して劣らぬものになるに違ひありません。貴下の軍隊は民國に於ける最もエックセレントな軍隊だと私は思ひます。
學良 いや、みだりに武力は發揮すべきものではありませんが、出來るだけの用意は平素より怠ってはならぬと思ってゐるだけです。
外交官のB 空軍の充實は何を置いても緊要ですが、それに就ては及ばず乍ら、斯界に赫々たる名聲を保持してゐる我國が、出來るだけのお力添へは至す心算であります。
外交官のC 兵の訓練は世界戰爭に於て雄名を轟かした我國が承る事に致しませう。
外交官のD 軍隊は軍隊として、それを支持するのは機械工業の發達に俟たなければなりません。我國はつとに工業機械の製作には定評がありまして…………。
外交官のA 中央乗り出しの第一歩として、我國は何か光榮ある御契約にあづかり度いと思ひますが…………。
外交官のC 新しき民國建設と言ふ覇業は、お言葉の通り力によってのみ實行されるものでして、それには又…………。
學良 (可成り不愉快になって)いや色々お力添へをお願ひ致す時がありますでせう。その時にはよろしく御頼み致します。扨、如何ですか、あちらで三鞭シャンペンでも召上りませんか?
外交官一同 いや有難うございます。ではいづれ又。
 一同、學良の傍を離れる。
朱光沐 (傍より顰蹙して)どうも圖々しい連中ですね。
學良 紅毛の豚共さ。結局我々に利用されてゐる連中だが、御本人達は一パシ自分の方が上手だと考へてゐるんだから笑止だ。今に見てゐろ。
 外人一名近づいて來る。親しげな挨拶。
外人 唯今、特別にお祝ひの電報が公使館から届きました。我國出先官憲一同も出來る限りの就意を表するにやぶさかでありません。それに就きまして、(小聲になって)甚だ失禮乍ら、ほんのさしあたっての御祝品を用意致しましたから、どうぞ御受納下さいませんでせうか!(更に小聲になって早口に)眼の碧い髪のブロンドな人魚です。(慌てゝ周圍を見廻して、普通の聲になり)では、此のおめでたき機會にあたり、閣下の御運勢の益々御隆盛ならん事を祈ります。
 外人そゝくさと去る。
 「新しき東北省萬歳!」「張副總司令萬歳!」の喚聲が周圍からわきあがる――。

三場
 民国十九年十一月中旬。
 支那江蘇省・南京市に於ける蒋介石の總司令官邸。
 學良、蒋介石と對談してゐる。
蒋介石 宋子文氏邸は如何ですか? 適當な御宿所がありませんので。
學良 たいへん結構です。瀋陽の私の住居よりどれだけ立派だか知れません。又、到着以來の盛んな御歡迎御款待には感謝の言葉もありません。
蒋介石 貴下の御來京は中國の歴史にとっても記念すべきものです。少しでも御滯在中御滿足をお與へする事が出來れば、この上ない倖せです。
學良 いや私も此の度の南京訪間はたいへんな嬉びだったと思ってをります。第四次全體會議を見學した事だけでも非常に有意義でした。
蒋介石 國民政府閣僚竝び國民黨黨部一同、貴下の御演説には非常な好感を持ったやうです。申す迄もなく我國は建設發展の途上にあって、國民總て一致協力を必要と致します。貴下が中山先生の遺訓を奉じ、進んで中央政府の同志と共に、鞏固な統一國家建設に努力されると言ふ事は、此の上なく慶賀すべき事だと思ひます。
學良 閻錫山氏の下野、馮玉祥氏の下野、残るは江精衛氏ですが、孰れ香港落ちになるでせう。これで北方擾亂も一段落つきましたから、これから後は一意體力の回復に努力しなければならないでせう。就きましては對露外交ですが、國民政府のハバロフスク協定否認は、此際非常に遺憾だと思ふのですが。
蒋介石 私も支露正式會議の行惱みは殘念に考へてをります。國民政府としても、或ひは、會議を決裂せしめない程度に、譲歩してもいゝのではないかと思ってをります。
學良 さうですか、それは感謝致します。一體私は統一國家として外國に對する手前、外交の分立は面白くないと思ふのですが、如何でせう? なるべく早く外交は總て中央に移す事にして、對外事項は一切中央に具申し、一致して統一した外交方針を立てる事にすべきだと思ふのですが。滿蒙諸問題に就ての二重外交は實に不得策だと考へてゐるのです。
蒋介石 (不得要領に)さうですなぁ。
學良 (雄辮になって)全く滿蒙問題は中國の癌である以外のものではありません。國民は一致協力、この問題にあたらなければならないと思ひます。決して東北に於ける對日對露の諸懸案は、東北省のみの問題ではない筈です。私は、若し外交が中央に集中されたならば、東北に於ける我國の立場は非常に有利に展開するだらうと思ってをります。 第一に日本の進出に對しては經濟的包圍政策を以て徐ろに日本の特權を奪還し――いや經濟的包圍政策といふのは、運賃低減によって滿蒙の貨物を支那鐵道に吸集する事と、又滿蒙の鐡道借款を外債によって借替へる等の方法を言ふのですが、總てこれ等の事は既存條約の無効を、中央政府によって主張されてこそ、非常に有効なものになってくるのです。
蒋介石 わかりました。中央政府として、現今の立場は内亂直後とて相當苦しいのですが、出來るだけの犠牲は忍びませう。然し黨部の問題ですな。これは今貴下の仰有られる通り、全國統一完成の建前上、東北省のみが黨部設置を拒まれる事は甚だ面白くないと思ひますが。そもそも東北が分治合作の下に北方に黨部を認めない事は、黨治制治下の變相的事態として、中央としても不面目に耐えない事だと思ってをります。
學良 (今度はこちらが困惑して)私もその點は勿論認めてゐるのですが、何分東北人は頑迷者流が多く、若し私が簡單に黨部設置を決定するとしますと、私は北方人の恨みを買ふ事多大なのです。私が舊來の傳統を打破して南方合流を遂げただけでも、なみ大抵の仕事ではなかったのですから。
蒋介石 (高飛車に憤然として)貴下が左様な逃避的態度をとられる事は私の全く意外とする所です。貴下は、東北の特殊を唱へられるから、私は民情の特殊性は認めてもいゝですが、依然として東北を黨治圏外に立たさうとされるのは、絶對に承服出來ない事です。
學良 いや可能的範圍に於て黨部新設は承知出來るだらうと思ひます。何分東北は遠隔の地の事でもあり、思想も南方程開けてをりませんので、今すぐ急激な政治組織の變革は實行不可能なのですが、省黨部、縣黨部の程度ならば…………。
蒋介石 では詳細はいづれ後で定めませう。私も黨部設置の件を御承知下さればそれ以上餘り無理は申しますまい。然し又、この件以外に、軍事、交通、財政がありますが、交通は勿論中央政府交通部に移管さるべきものと思ひますが、どうですか?
學良 北寧、四(※サンズイに兆)トウ、吉長の國有鐡道は移管出來ませう。然し他の省有鐡道は…………。
蒋介石 これも詳細は後で定める事にしませう。然し移管されぬ鐡道も監督權は當然中央に移さるべきですから。
學良 大體に於て私も中國の覇業の爲めには犠牲は惜みますまい。然し何分私一人として決し兼ねる事もありますから、重要な事はその筋の要人達とも協議しまして…………。
蒋介石 (壓倒的に)いや大義の前には逡巡は不必要です。定めらるべき事は大體定めておき度いと思ひます。で、財政ですが、地租は全國一率に從來通り省の収入とし、その他は全部中央に送附して、必要な經費は更めて中央から供給する、と言ふやうにすべきだと思ひますが、御意見はおありでせうか? 私は一切東北の機構は中央に移さるべきだと思ひますから、財政も斯くさるべきだと思ふのですが。
學良 よろしいでせう。
蒋介石 かねて計畫通り釐金りきん税は裁撤致しますから、從來地方収入より支出してゐた軍費政費は中央から補給致す事にしませう。
學良 (國士的な口吻で)私も新興中華民國のためには出來るだけの服從を致します。ですが軍事は別にして頂かなければなりません。東北省は北に強剛露西亞を、そして南に俊鋭日本の脅威を不斷に受けてをりますから。私は東北の安危、ひいては中國の安危のために、軍事方面は現状維持とし、東北軍の直接統率權は私の手から捨て去らぬ事を主張します。若しこれが正當に認知されないであったならば、北方の時局斡旋、そして又山西軍の善後處置等は一切放擲して、私は自衛の爲めに…………。
蒋介石 (骸いて)勿論、勿論、東北省の軍事は地域的な關係から當然、貴下の仰言る通りさるべきだと思ってをります。
學良 さう御理解あれば、私も滿足です。私も新しき思想に合流しこそすれ、決して時代逆行は致してはゐないのですから。
蒋介石 (形勢面白くなしとみて)いや.今日の御相談は非常に有効でした。堅苦しいお話はこれ位にして、何か御旅情をお慰め致す事にしませうか。
學良 いやあまりのおもてなしはどうも恐縮です。昨日はまれに見る佳人の御寄贈にあづかりましたし。
蒋介石 王正廷先生も至極滿足の意を表してをりました。
學良 私こそこの上ない滿足で。
 蒋介石、呼鈴のボタンを押す。遠くでそれがヂ……となる音が聞へる。
蒋介石 御滯在も限られて居りますし、出來るだけ南方の風趣をお味ひになって下さい。
學良 有難うございます。(不圖微笑を浮べて)で、あのお約束の金額は近くお受け出來ませうな。滯在日程もそれによって出來てゐるのですが。
蒋介石 (すっかり慌てゝ)いや、勿論、御約束は履行する心算ですから御安心を。
學良 武力調停、關内出動、と一口に言ひましても、お約束の報酬契約があればこそ、經濟的にも實行出來たのですからね。
蒋介石 わかってをります。唯今上海に於て至急調達を急いでをりますから。
 その時、下手のガラス戸に召使の影が寫る。二人は急にそのまゝ口をつぐむ。

第四幕
一場
 民國二十年(一九三一年)九月下旬。
 北平・協和病院の一病室。
 初め黒幕の前にて――(夢)。
 學良一名の日本軍人と向き合って立ってゐる。
學良 密に計蓋を立て不意に乗じて東北を攪亂させて置きながら、それで正義の行爲だとはよく言へたものだ。東北は支那の領土であり、他国の領士を侵害する事はとりもなほさず盗賊行爲ではないか!
日本軍人 默れ! 日本は滿蒙に領土的野心があって兵を動かしたのではない。總ては東北省惡政から、誘引されたのではないか。そもそも東洋の樂土滿蒙は誰れの手によってこれ程迄に建設されたか。支那人の力によってか! アメリカ人、イギリス人の力によってか! 今更くどくどしく過去の歴史は茲にくりかへすまい。 たゞ從來の日本がきはめて自由主義的な立場に立ってゐたればこそ、東北財閥は異常な發展をし、そしてそれがひいてはその上に君臨した汝等張一家に絶大な勢力を掌握させ、支那全土に迄重要な位置を保有させる事になったのではないか。日本は斯く平和的な、協調的な對滿方針を建前として、ひたすら滿蒙の樂天郷建設に力を注いできたのだ。 然るに何ぞ、忘恩の徒、私慾に汲々きゅうきゅうたるの汝等一家は、調子にのって我權益を蹂躙じゅうりんせんとし、暴戻な東北軍憲はあらゆる方面に於て非人道的行爲を敢行したのだ。こゝにして立った我日本の軍が、正義でなくて何と言ふべきであるか! 惡辣あくらつ軍閥を東西省から絶滅し盡す事は、日本人のみならず滿蒙居住支那三千萬民衆の救濟に外ならないのだ!
學良 帝國主義日本の巧妙なる口實! おゝ、日本は滿蒙を第二の朝鮮たらしめんとするのか!
日本軍人 苛歛誅求かれんちゅうきゅう、惡逆無道の張軍閥が降魔の劍を受けて仆れんとする時の悲鳴がそれか! 民衆を塗炭の苦しみの中に放棄して、自己は徒に虚名につられて南京政府の愧儡になり、日本の隠忍自重を幸に傍若無人の排日侮日を行った惡軍閥の斷末魔の悲鳴がそれか! 言ひ度ければ何とでも言ふがいゝ。時がすべてを證明するだらう、満蒙が第二の朝鮮か否か。 支那三千萬の民衆は如何なる態度を以て、今般の日本の態度を受容するか! 見よ、既に失敗せる東北惡政は全く民衆の信頼を裏切って、誰れ一人として汝に哀別を告げる者もないではないか。のみならず侫奸ねいかんな汝の輩下等は、日に日に離反して去る者が多く、汝の身邊日ましに寂寥を加へる時、時を窺ってゐた山西の閻・馮は韓復渠を加へて、反張運動を熾烈に起さんとしてゐる。 汝の不徳は斯くの如く反響を汝自身に齎さんとしてゐる。天につばきする者――汝こそその比譬ビピにあたる者だぞ!
學良 え々理窟や暴力で屈服させようとかゝっても駄目だぞ。今度は一切無抵抗主義で貴様の蹂躙に委せたが、支那全國が一致團結して起ち上った時は、おめおめ勝手な眞似はさせないぞ。
日本軍人 暴力を用ひたのはどちらだ。直接事件の口火を切ったのも、計畫的に事件をはらませたのも、一切汝等自身ではないか。支那の一致團結が汝等惡政治家の利慾的な團結である以上、天は永久に汝等と共にないだらう。又汝は我軍を軍國主義の侵入軍と稱するが、笑止にすぎた世迷ひ言葉ではないか。我國がしばしば軍隊を動員させて、幾多の貴重な碧血と莫大な國帑こくどを費したのは、いづれもたゞ和平を目的とするのみだった。 仁愛と公明と言ふ大理想の下に、平和克復に貢献してきた事は、天下周知の事實ではないか。然るに不幸にも汝等は多年紛亂ばかりに終始して、すこしも近代的紳士國の體をなさず、軍隊は武装した匪賊とかはらず、累を隣國日本に及ぼす事再々さいさいではなかった。 我國が今日のやうに武装兵を滿蒙に活躍せしめる事は、日本生命線擁護の當然なる歸趨きすうであり、又東洋平和の鍵を確實ならしめんとするに外ならないのだ。滿洲に平和なくして東洋に平和はない、又滿洲の和平なくして日支の眞の親善はないのだ。
學良 己れ、言はして置けば勝手な事を言ふか、もう理窟は不必要だ、文句なしの一騎打ち勝負だ!(突然魔法の如く取り出した青龍刀で切りかゝる)
日本軍人 理窟が通らねばいつもこの手か! (青龍刀を難なく打ち落す)
 このあたりより亡者のうめく聲、闇の中から聞へる。日本軍人の姿はいつの間にか消滅し、學良は見えない無數の亡者の手で、散々に惱まされる。銃聲、砲聲も聞へる。
亡者の聲 罪のない我々を嬲り殺しにしたその報ひだぞ。よくも血までしばりとったな。
他の聲 貴様の私慾の爲めに犠牲になったおれ達の呪ひは消えないぞ。
次の聲 お前から邪魔にされて殺された無數の亡靈はあくまでお前の身邊につきまとってゐるのだぞ。
他の聲 戰爭でお前の爲めに命を捨てさせられた怨みの亡靈だ。
別の方からの聲 (突然に笑ひ出して)驕兒・學良、貴様の息の根は、こっちで止めてやるから、待ってゐろ! 馮玉祥、閻錫山、石友三、韓復渠……貴様に怨みを重ねてゐる同志の鉾先は貴様の背に迫ってゐるのだぞ! ほうら…………。
 學良のもだへあばれる姿が闇の中に消え、たゞ唸る聲だけがのこる。場面暗くなって黒幕がのけられると、舞臺は病院の一室。學良ベッドで唸ってゐる。側近者二名が醫師等と共にベッドの横につめかけてゐる。
 副總司令しっかりして下さい。お氣を確に持って下さい。
醫師 何處かお痛みになるのですか?
 我々です。副總司令、我々です。お氣をしっかり持って下さい。
學良 (やつと人心地づいて)うん、うん、ひどく汗が出たやうだ。なに一寸夢を見たらしいのだ。心配する事はない。此の數日の氣疲れのせいだらう。あまり夢で昂奮したからつひ何か口走ったかも知れない。鳳至女史はゐないか?
 ゐらっしゃいます。呼んで参りませうか?
學良 呼んでくれ。少し靜にしてゐたい。君等は皆さがってゐてほしい。
 一同禮をして去る。于鳳至夫人這入ってくる。
于鳳至 お氣分がお惡るかったさうで――。
學良 (物憂さうに)なにたいした事はない。其後奉天方面からの情報は來たかね?
于鳳至 個人の財産は全部無事と言ふ通知が参ってをります。ですが貴方、あまり御心配しない方がよろしうございますわ。御體もお惡いのですし。
學良 なに、私は今度程自分の精神力に自信を感じた事はないよ。事件を知らされた時も一同はさッと色をなくしたが、私はぐっと噛みこたへたからね。普通なら私は氣狂ひになるよ。それから又私は毎日こうして沈思默考してゐるが、これも常人には出來ない業ではないかと思ふ。だが、鳳至、私はやっと決心したよ。私は二三日のうちに退院する。 そして私自ら時局解決に當るんだ。私は負けるのはいやだ。相手が強く出ればそれだけ強く、こちらも出るのだ。今度は相手が相手だから、學良も必生の力をしぼって、立ち上らなければならないだらう。
于鳳至 お心だけは御常人以上でもお體が――。
學良 (笑って)なに、體も時によれば常人以上さ。私はもう立派に體は恢復したよ。私には奉天に轟いた一發の砲聲が何よりの藥だったのさ。さあ見てゐてごらん。立派に歩きまはって見せるから。
 學良ベッドからひょろり、と足をふみしめて起き上らうとする…………。

二場
 民國二十年十月初旬。
 北平・順承王府の一室。
 舊東北軍閥の要人連が鳩首協議してゐる。勿論病み上りの學良が中心である。
 (昂奮して)隠忍自重は餘り殘念ではないかと思ひます。東北各地には未だ十數萬の東北軍が散在してゐますし、關内の親兵十二萬、又志氣旺盛です。今にして南北呼應、一擧に日本軍を挾撃したならば、失地回復はさして難事ではありません。
 東北軍の絶對不抵抗は徒に敵の意氣のみを擧げさせる事です。戰っても勝味がないとは餘りに情けない泣言ではありませんか! 乾坤一擲けんこんいってき、直に日本軍にあたるべきだと考へます。
學良 (悲痛に)戰爭をするのは下手なのだ、諸君今、我々の敵は日本だけではないのだから。今、日本と事を構へるのは、北支那の軍閥に乗ずる最もよい機會を與へる事になるのだ。政策としては北支那に於ける日本人の生命財産保護、そして奉天軍の輕擧妄動をいましめる事が第一なのだ。
 然し滿洲各地の獨立、自治的政府の簇生そうせいは續々と報告にあらはれてきてをりますが…………。
學良 いや、東四省は終には再び自分の手に還ると私は信じてゐる。光明は決して見失はれてゐる譯ではない。東北各地の自治的政府も日本軍の滯滿中の壽命だ。いづれ日本軍も原駐地に撤退するであらうから、その時は再び東北は我手にかへるのだ。その意味に於て對日態度は今の所慎重を要するのだ。それよりも私が氣を病んでゐるのは北方軍閥連中なのだ。滿洲事件で莫大な軍用品を失った我々としては、野心家達の反東北勢力の蹶起けっきは恐ろしい事だからね。
 閻錫山氏とは比の機會に和睦した方が得策ですが、副總司令はいかゞお考へですか?
學良 勿論この際の事だ。今迄のやうな仇敵關係では危險極まる。私は蒋介石氏に運動して閻氏の逮捕令を取消すやうにしたい、と思ってゐる。そして又同時に馮玉祥、韓復渠、石友三の諸將にも過去を水に流して和を懇請する心算だ。
 屈辱ではありますまいか、彼等は我々によって没落させられた敗惨者ではありませんか!
學良 其麼ことを今更言ってゐられる時ではない。外夷に屈服するより同胞に屈服した方がまだ面目が立つではないか。又いかに閻氏馮氏が私を恨みに思ってゐた所で、私から外患を楯に苦境を訴へてゆけば、國民の手前も、我々に刄向ふ事は出來ないだらう。
 いや彼等は案外御しやすいかも知れません。副總司令の言はれるやうにすれば、心配しなくて濟むかも知れません。第一肝腎な兵と金は今の彼等にもないのですから。然し一番厄介なのは韓復渠だと思ひます。彼が山東主席だけで滿足してゆくとは考へられませんし、それに石友三の戰爭の時の端倪すべからぎる態度と言ひ、彼の行動は油斷がなりませんからね。
學良 私も實の所韓氏を一番心配してゐるのだ。彼は相當に精鋭な軍隊と、軍事行動にはさしつかへない位の金を持ってゐるからね。若し軍隊を津浦線で北上させ、萬一天津でも窺はしたら東北軍の根柢は破壊されて了ふ。私は彼の態度を牽制する爲めに萬福麟先生を濟南に特派して、この際出來るだけの妥協をしたいと思ってゐるが、どうだらう?
 それはいゝでせう。なるべく早くがいゝですね。兎に角、手廻しよく立ちまはって、背後の心配をなくす事が何よりです。
 山西と山東が平穏であれば殘るは河北一省ですが河北の共産黨派も、どさくさにまぎれて勢力を擴大しようとしてゐるに違ひないのですから、彈壓の手はゆるめられませんね。
學良 彼等の暗中活躍も等閑視する事は出來ない。要するに現在は我々の乗るかるかの時だ。四面に敵を持ってゐて、そのどの一つに失敗しても東北軍は壊滅するのだ。然し從來所謂新舊兩派と言ふやうに、兎もすれば對立しがちになってゐた東北要人が、この機會に一切同じ思想にならされて、一致協力の立場に勢揃ひした事は欣快に耐えない。私は皆さんにこの上とも力を合せて、東北省再建に力を盡されん事を希望する。
 突然遠くで喊聲かんせいが聞へる。一同顏を見合せる。二三人が窓の方に立ってゆく。
 無智な民衆を煽動して毎日一度は此の騒ぎだから――どうも困ったものですね。
學良 抗日民衆運動も理窟から言へば當然だらう。然し我々は逆にこれを利用して、この熾烈な中でも日本人を完全に保護し、日本に對して隠忍してゐると言ふ事を、内外に表示しなければならないのだ。我々は又時によれば嚴重なる彈壓だんあつもしなければならないし、今後我々の政策次第では、民衆運動もより激しくなるかも知れないから、勿論その事は覺悟してゐなければならない。私は先日から門前には鐵條網を張って、近頃は機關銃も据えてゐる。
 秘書、王樹翰が現れる。
王樹翰 (禮をして)唯今門外に民衆の抗日デモがありましたが、守衛隊に遮られ、さしたる事もなかったやうであります。これは彼等の撒布した傳單です。
 (傳單を受取って讀む)對日宣戰の血祭に國賊學良を打倒せよ!(それをまるめて、次の紙に目を移す)暴戻日本を即時膺懲ようちょうせよ、弱腰學良を打倒せよ。(又それをまるめて次の紙を見る)在支日本人を鏖殺おうさつせよ! 同胞流血の恨をはらせ!
王樹翰 それから唯今于學忠將軍がお見えになってをりますが。
學良 通しなさい。
 王樹翰去る。
學良 あまり市中がやかましくなれば戒嚴令を敷かなければならない。共産黨分子の暴動計畫もある事だし。
 その手筈は至急きめて置きませう。
 于學忠登場。
于學忠 (挨拶して)早速ですが、南京からの軍資金は到着致しましたでせうか? 實は近頃、關内の東北軍より逃亡兵の續出する事限りないのでありまして、放って置けぬ事だと思ふのであります。六月以來俸給不渡の分が大部分でして、糧食も缺乏し、被服もこの寒冷に極めて粗雜な夏服を着用してゐる始末なのですから、この點をどうにかしない事には到底、逃亡兵を取締る事は不可能だと思ふのですが。
學良 昨日は王樹常將軍からも同じやうな事を言ってきた。南京からの金はまだ到着しないので、我々も困却してゐるのだが、兎に角此際、通常的な手段ではだめだから思ひ切った高壓手段を用ひるより外はないと思ふ。即ち、逃亡兵取締規則を規定して、兵は一切外出禁止、そして逃亡を企てた者は銃殺と言ふ事にするのだ。これ以外の手段はないだらう。
于學忠 萬已むを得ませんでせう。(一座の中の適當な場所に坐る)
 王樹翰再び登場。
王樹翰 ランプソン氏がお見えになりました。
學良 さうか、ではすぐ参るからと言って叮嚀に應接室の方へお通しして置きなさい。
 王樹翰去る。
學良 では私はこれでこの席を中座する。諸君は會議を續行してくれ給へ。國際聯盟は英國の指導下にある事だし、英國出先官憲の親支態度は、聯盟に及ぼす事又甚大である。ランプソン氏は幸に私と個人的親交があり又支那の重要な權益擁護者でもある。私は氏の東北省に對する同情を快く受けて、出來るだけ氏の力に縋り度いと思ってゐる。では。
 一同起立。學良疲勞した體を力なく室外へはこぶ。

三場
 民國二十年九月中旬。(※十月の誤りか?)
 北平・順承王府の學良の居間。
 夜――學良寝臺に伏ってゐる。于鳳至夫人が枕元にゐる。
于鳳至 やっぱりまだ御無理なんですよ。體もすっかり丈夫になってゐらっしゃらないんだから。
學良 なに一日に少しづゝ休めば此麼事はないのだ。今日は少し仕事をつめたものだから。
于鳳至 貴方は矢張り東北省に未練がごさいますの。八方塞りの、少しも徳になるやうな事はありませんのに。私でしたら、こんなわづらはしい仕事は一ぺんにお斷りしませうに。
學良 私は下野なんかしないよ。世の中には勝手に私が下野を表明したなんて言ひふらすもんもあるやうだけれど。私は下野なんかするものか。東北省はあくまで奪回してみせる。東北省は日本がどんな態度をとらうと、私のものである事は當然だ。私は又中央政府に副總司令辞職を申出たなぞとも言はれてゐるが、誰れがそんな莫迦な事をするものか。
于鳳至 私、こんなうるさい土地は逃げ出せるものとばかり思ってをりましたのに。花旗銀行に預金しました五百萬弗だけあれば、フランスでもアメリカでも充分一二年は行って参れますでせう?
學良 莫迦な事を言っちゃいけないよ。東北省と言ふ一つの立派な大國を、さうやすやすと放り出してたまるものか。石に噛りついても奪還しなくちゃならないさ。だが、私は日本がこれ程迄に徹底して我々の東北政府をたゝき潰さうとする肚だとは殘念ながら思ってゐなかった。今となっては、失地回復もなみ大抵ではなくなった。
于鳳至 貴方が東北省だけで御滿足なさらなかったからでございますわ。お父様でさへ野心をお持ちになり過ぎて失敗なさったのではございませんか。東北省は矢張り東北省だけで一切合財やってゆけばよかったのでございますわ。
學良 人間は出來るだけの事はしてみるものさ。それで失敗したって無意義ぢゃないよ。今もあなたは例の誰れでもが言ふ保境安民を言ふけれど、又東北を新しい民國の意識にめざめさせようとした私の意志も認めてくれねばこまる。野心も勿論なかったとは言はない、だが、私の希みは私個人だけのものぢゃなかったのだ。
于鳳至 勿論貴方のしたことが成功すれば立派なものに違ひなかったのでございますわ。けれど支那って何て自分勝手な不統一の國なんでせう。又、私達の落ち目につけ込んで、南京と絶縁した北支新政權樹立運動とか言ふのがあると言ふではございませんか?
學良 段祺瑞を擁立しようと言ふ安福派、呉佩孚を押立てやうとする王承斌、孫傳芳派其他、色々策動してゐるものもあるやうだ。然しその廣東、山西、山東の聯盟成立なぞはあてになるやうなものぢゃないよ。
于鳳至 國際聯盟も日本の錦州攻撃から随分こちらに好轉したやうぢゃございませんの?
學良 (徴笑して)あなたもなかなか政治家になったね。
于鳳至 だって、私にとっても滿洲問題は他事よそごとぢゃないのですもの。本當に、聯盟が唯一の心頼みですわ。
學良 聯盟は、日本の撤兵が時局解決の要諦であると言ふ我々の主張を認めてゐるのだから、日本にとっては苦手だ。私も、聯盟に頼るのが現在最も得策だと思ってゐる。
于鳳至 お疲れにおなりですわね。私、室にさがりますから、お休みになったら?
學良 近くどうしても南京迄蒋介石氏に會ひに行って來たいと思ってゐるから、それ迄にすっかり體を丈夫にしておき度いものだ。
于鳳至 貴方が御旅行なさるときっとお土産がおありになるので、私は御旅行と聞くとたいへん昏いいやな氣がしますわ。
學良 莫迦な事を言ふものぢゃない。さ、行きがけにラヂオのスヰッチを切って(※入れて?)行っておくれ。音樂でも聞き乍ら、ひと寝入りしよう。
于鳳至 では御用事でもありましたらお呼びして下さいまし。(ラヂオの方へ近より乍ら)今晩は久しぶりにしんみりお話し致しましたわね。此麼事は事件以來なかった事ですわ。(スヰッチを切る(※入れる?))
スピーカアよりの聲 ……滿洲事變に關する聯盟緊急理事會は本日正午開會されました。議長席には佛外相ブリアン氏がつき、初頭支日代表の演説が行はれました。内容は未だ來電に接しませんが、中國代表は聯盟規約第十一條を基礎に日軍の即時撤退を要求しつつ、錦州問題を楯に、日本が前回理事會に對して爲した事件擴大防止の誓約を實行してゐない事を強硬演説する豫定であります。これに就て…………。
學良 おい、ニュースは一日聞きあきてゐる事だ、せめて音樂にでも切りかへてくれないか。
 于鳳至ダイアルを回轉する。ニュースが切れて支那音樂が入る。靜かなしっとりと落ちついた曲である。
于鳳至 よろしうごさいますか?
學良 よろしい。
 于鳳至去る。室の中には靜かな音樂がしばらく流れる。と、急に電波を亂すやうな雜音が入って、耳馴れない演説が亂暴に突入する。
ラデオ 諸君、中国のプロレタリア諸君、これから第三十七回の放送をする。(雜音)諸君、今や牛蝨だにの如く諸君の體に食ひついてゐた惡辣軍閥は踵を接して打倒されんとしてゐる。見よ中國浙江財閥の代辯者蒋介石は、財政的の行詰りと、滿洲問題に籍口して行はんとした廣東派との妥協失敗により、民衆の期待を裏切り、遂に下野問題迄引き起してゐる。諸君、然もこの裏面には、我等が同志共産軍の活躍が大いに預ってゐるのである。 見よ彭湃ぼうはいと起り、而して中國の全土を風靡ふうびせんとしつゝある共産軍の力を! 多年兵事を専門とした軍閥ですら、我等の×旗の前には壊滅させられてゐるのだ。(急に電波が亂れる、西洋音樂なぞが入ったりする)……我等が時代は近きにあり、我が親愛なる同志諸君、我等が今や爲すべき事は、多年惡徳を積みし東北の惡軍閥張學良を、此の機會に徹底的に打倒する事である。 彼は今や、關外二十萬の東北軍は蹴散らされ、銀行は押へられて軍資金の出所はなく、民衆の膏血で作った奉天兵工廠も飛行場も占據され、たゞ十餘萬の手兵を擁して平津一帶から北寧沿線に餘命をからくも保ってゐるのみである。諸君、我々は彼を清算しなければならぬ。徹底的封建軍閥より民主主義革命に飛び込んだ彼、然し相變らず私兵飼養に巨金を要した彼は、所詮軍閥的搾取より資本主義的利潤へ轉身した民衆の敵でしかなかったのだ。 然り、彼の眼に寫った新時代なるものは、たゞ單に利潤搾取の新機構に過ぎなかったのだ。親愛なる滿洲の農民諸君よ、我々は知ってゐる、諸君が急激なテンポで進展した東北資本主義の下につぶしひしがれた事實を。然し諸君、學良の笑ふべき認識不足は、彼の一擧一動が自らの墓穴を掘る事になってゐたのを知らなかったのだ。彼が副總司令の空名に空虚なる野心を滿足させ、一ぱし新時代の政治家を自負して東奔西走してゐた時は、既に彼の没落の前夜だったのではないか。 即ち、彼の政策は必然的に漢族と滿、蒙、韓民族等の生存戰、内部に於ける半封建的機構と新資本主義との抗爭を激化させ、引いては、彼の中央進出と共に東北政權内部に於ける反學良熱の擡頭となって、彼の牙城は内部的に崩壊の機を孕んできたのである。然し茲に最も根本的な崩壊動機となったものは、言ふ迄もなく日本民族との政治的經濟的の闘爭である。 滿蒙に於ける資本主義日本が、軍事的政治的色彩を帶びてゐた事は當然であり、それと正面的に衝突する事は、必然的に重大なる事熊を惹き起す結果になる事は自明であったのだ。然るに乳臭兒學良は徒に己が野心と、現代支那の資本主義的雰圍氣とに眩惑され、己れの實力を知るの明を持たず、遂に強剛、日本資本主義の前に鎧袖一觸されたのだった。
學良 (たまらなくなって)おい誰れかゐないか! スヰッチを切れ、ラヂオを止めろ!
ラデオ (相變らず續ける)要するに學良は自己の力を買ひかぶった。自分の頭腦を優秀なものと考へ違へた。然し日本の強さは學良の考へてゐた幾十倍のものか知れなかったのだ。そして又日本は學良の幾十倍の頭腦を持ってゐたか知れなかった。所詮勝負にならない角力を挑みかけて、たちまち投げ出されたのと違ひないのだ。世の中はすべてが優勝劣敗であり、學良はその戰に敗北したのである。諸君よ、滿洲事變はたゞそれだけの事實に過ぎない。 然しこれが中國プロレタリアートに與へる影響は決して少くないのであらう。我々は今や決然と立って、我々の黎明に邁進しなければならない。我々は今や軍閥家であり野心家であり典型的な資本家であり享樂家である中國資本主義の殉教者、張學良に奏でられる葬送曲を、我等の力強い進軍曲として聞かうではないか!
學良 (寝臺からはね起きて)止めろ誰れか來て止めろ! ラヂオをぶちこはせ、ラヂオをぶちこはせ!
 だが、ラデオは先の言葉を最後としてビタリとその横合よりの放途を止め、たゞ以前の哀調を帶びた支那音樂のみが餘韻嫋々じょうじょうとして靜に傳ってゐるばかり――。學良ぴたりと寝臺のへりに腰を落して、しばらく魂の抜けたやうに茫乎してゐる、が、やがて見えない力に壓倒されるやうに次第に寝臺ベッドの上に仆れ込んでゆく。…………
――(了)――
 後記――これから出來るだけ恁した種類のものを取扱ひ度いと思ってゐる。その機會ごとにより完全なものを心懸ける心算である。(昭七・四・十四)

注)明かな誤字誤植は修正しています。
注)句読点は変更したところがあります。


「戯曲 清朝終焉」四幕二場
―― Lese Drama ――
「満蒙」 1933.06. (昭和8年6月) より

第一幕
 光緒十七年(一八九一年)前後の頃。
 清國・北京の紫禁城内・承光殿に於て。
 宮監A、B、Cが話してゐる――冷氣を漂はす古風な大廣間である。
 外は梅の花が盛りであらうが、城内はいつ春が來たのやら年中わからぬうそ寒さぢゃな。
 全くぢゃ。我々老人共はもう墓場の中の空氣を吸ってゐるやうな氣がする。
 乾隆六十年の昔は知らず、道光、成豐の面影も、日毎に薄れてゆく大清國の此頃ぢゃ。情ないとも何とも言ひやうはない。
 下り坂を降りる牛車は、下に行き次第車のまはりが早くなるものぢゃ。對佛騒動もやっと安定したと言ふものゝ、清國の衰微は限に見えて甚しい。
 外に藩屬の離叛、内に宮廷人の紛爭――所詮運命は辿るべき道を辿るばかりぢゃらう。
 ――女官が登場する。
女官 北洋大臣のお越しでござります。
A、B、C (頭を下げて)左様でござるか。では小官どもは。
 ――肩をすくめて、鼠のやうにその場を逃げ出す。
 李鴻章、榮禄、張之洞、劉坤一、其他の老臣、打ちつれて登場。
劉坤一 (話を續けて)袁の建策は朝鮮に於ける列國の勢力の未だ加はらざるに乗じ、いち早く多數の清國顧問を入れ、以て京城政界を手に入れよ、との事でありますが、それは至極妙ではなからうかと愚考します。
榮禄 ぢゃが袁世凱と言ふ男は、既に大院君事件で味噌をつけてゐる。先生の言ふ事は何事によらず過激ぢゃ。朝鮮くんだりで眼先ばかりの氣焔を上げてゐるんぢゃなからうかな。
李鴻章 いや、今度の建言は無價値ではありますまい。京城からは唐紹儀、呉壽熹、馬建忠の報告も別々に届いてゐます。彼等は一様に朝鮮に於ける日清の勢力爭ひを重大視してゐるやうです。彼等はこの儘に推移せば當然流血の惨はやむを得まいと言ってをります。
榮禄 それはいかん。清國が朝鮮に迄出兵して事を他國と構へるなぞ、それは平地に波瀾を生ぜしめるやうなものだ。
李鴻章 勿論好んで事を構へると言ふのではありません。然し、近時日本國の興隆はめざましく、ほんの數年前丁汝昌をして日本を威嚇せしめた時とは、だいぶ趣を異にしてゐるやうです。袁の目をつけてゐるのはそこでせう。
張之洞 北洋大臣は事毎に御自分の家來だと言ふと買ひかぶられる。笑止千萬ぢゃ。大體わし共は、あんたの對外政策が面白くない。
李鴻章 (色をなして)面白くないとは失敗してゐると言ふ事ですか?
榮禄 失敗か成功かは後になってみなければわからんが、一體外國人に人氣がよいと言ふ事は逆に外國人にあまり馴れ過ぎてゐる證據ではあるまいか?
李鴻章 (呆れたやうに)實にわからぬ事を承るものですな。勿論わが國は、英佛聯合軍の北京占領事件の後を受けて、夷狄による災害は非常なるものを蒙ってをりますが、さうかと言って一途の排外思想は決して當を得たものとは思はれません。 露國は燎原りょうげんの火の如く西比利亞を南下して今やアムール及びブリムルスカヤあたりまで蠶食さんしょくし、一方英米佛伊各國は膝詰談判で我各市の開放を迫ってゐる。多事多端なる現今、外交を、頑迷なる保守主義で以てして何の得る所がありませう。「活眼を開いて世界の舞臺を正視せよ」それが最も大切な事です。
榮禄 (喧嘩腰になって)あんたは我々の顏前で「頑迷なる保守主義」と我々を罵倒した。よろしい、我々は甘んじてその罵詈を受納しよう。然し李・北洋大臣、あんたは我々の力を無視して新しい經綸けいりんが出來るならやってみるがよい。畏れ多くも賢明な西太后は、あんたが自分の部下をうごかすやうには、簡單にうごかされはなさるまい。
李鴻章 (嘸然として)國家の經綸は人の和より始めなければならない。さゝたる感情問題は皆さん打ち捨てやうではありませんか。
張之洞 (遉に反省して)ちょっと話が迯たやうです、我々は朝鮮問題を討論すべき場合だった。
劉坤一 兎に角日本國は外面には虚勢を張ってゐますが内面的には政體の變革以來、とかく官民の反目等があって、實力もさほど怖れるには足りないと愚考します。私は今のうちに徹底的に朝鮮に於ける日本國の勢力を驅逐すれば、後日の憂患は霧消するだらうと思ひます。
張之洞 (臆病に)日本國の臺灣征伐は可成り勇猛のやうであったが………。
李鴻章 なに英佛露の諸強國に對抗する事を思へば、まだ非常に樂な事は確でせう。
榮禄 紅毛の猿共に太刀打ちが出來ないとあれば、我々の肚は朝鮮や日本に持ってゆくより仕方はないかも知れんて。(自嘲的に徴笑)
李鴻章 別に弱いものいぢめをすると言ふのではありませんが、清國も生きてゆく爲には相應の政策を採らなければなりますまい。然し、今日の議論は後程西太后に御採擇をお願ひし決定する事に致しませう。
劉坤一 ではあちらで休息致しませうか。宮監長に西太后の御都合を御尋ね申し上げる間中――。
榮禄 (捨ぜりふに)大清國もたうとう外國の猿どもの鼻息を窺はなければならなくなったか、世も末だ、末だ。
 ――榮禄、足音荒く去る。他の連中もぞろぞろついて出る。
 李鴻章ひとりになる。羅豐禄そっと登場する。
李鴻章 おゝ羅か。
羅豐禄 話はそこで承ってをりましたが、いつも乍らわからすやぞろひでございますね。
李鴻章 履き違へた國粋主義か、理屈もない迷妄か、どちらにしても此の官廷内に滿ち溢れた腐った空氣は困ったものだ。だが、わしは負けぬ、どんな陰謀がめぐらされやうが、どんな私利私慾の網が張られやうがわしは斷じて所信に邁進する。
羅豐禄 半醒半眠の北京政府は刻々と外國勢力に押し潰されやうとしてゐるのに、彼等宮廷人は一人として、斷乎覺醒しないのは情ない限りです。この儘で行ったら…………。
李鴻章 (自信ありげに)莫迦な、清國の前途はまだまだ前途遼遠だ。わしは立派に清國の社稷しゃしょくを立て直してみせる。それにしても、わしには立派な股肱が澤山あるのが心強い。君を初め、伍廷芳、盛宣懐、袁世凱、徐壽明――。どれを取り上げても百人力だ。彼等青年たちの力量もこれから一段と發揮せられるだらう。
 ――そこへ北京駐在の露國公使イグナチーフ、剛毅、陶模、其他の老臣たちと話しながら入って來る。
イグナチーフ (李鴻章を見て)やあ、李大臣これはいつに變らぬ御機嫌で御目出度うございます。(御世辭たらたらの態度で握手を求める)
李鴻章 (これも人をそらさぬ態度で)これはこれはよくこそ。もう御足痛はお直りでございますか、たいへん心配致してをりましたが?
イグナチーフ いやロイマチスなど顧みてゐられない場合でして、實は朝鮮の問題でありますがね………。
剛毅 (傍から)公使は唯今西太后に御目にかゝって來られたのです。
李鴻章 (遉に内心驚いて)これは又何の故?
イグナチーフ 至極至急を要した件がありましてね。と申すのは、大清國の對朝鮮政策の決定です。そもそも我露國と致しましては隣接の友邦國「大清國」に對しまして、常に變らぬ友愛友誼を有してゐるのですが、それに就て近頃氣掛りなのは朝鮮に對する矮小「日本國」の進出であります。 彼等はこざかしくも朴泳孝、金玉均なぞの國賊をそゝのかして獨立黨を組織させ、一意自國の勢力を築かんと試み、ついで甲申の亂でそれが畫餅に歸すると、今度はあらゆる手段を用ひて、朝鮮の懐に食ひ入らうとしてゐるのであります。これを清國として捨て置いていゝ事でありませうか?
李鴻章 それは私達も勿論考へてゐる事です。
イグナチーフ いや、一日の逡巡は百日の後悔の種です。日本に對する穀物輸出禁上の防穀令の如き、あんな手ぬるい事では斷じて駄目です。昨今、邪教、東學黨の勢力が地方に旺盛になり、ともすれば百姓一揆を誘導しつゝあるのを機會に、清國は斷然たる處置をとらなければ、悔を千載にのこす事になると思ひます。即ち大清國は――(急に李鴻章の傍に進んで耳朶に口を寄せ)………を以て…………。
李鴻章 (非常に動揺して)そ、それは………。
イグナチーフ (徴笑して) 西太后も賛成されたのです。
李鴻章 え!
イグナチーフ 心配はいりません。後には大帝國「露國」がついてをります。實は今日露國政府の絶大な友誼的書簡を持参したのです。たかゞ朝鮮はもともと貴國の一屬藩ではありませんか、結局もとにかへる迄です。はゝゝゝゝ………。(人もなげに洪笑する)
 ――李鴻章ぼんやり腕を組む。イグナチーフ悠々と廣間の牀を歩き始める。

第二幕
第一場
 光緒二十四年(一八九八年)前後の頃。
 北京・萬壽山に於ける離宮「頤和園」内。
 大理石の階、金銀寶石をちりばめた調度。
 脚下に玉泉を見下した美麗な高殿に、年齢五十を過ぎた西太后が若やいだいでたちで立ってゐる。氣に入りの宦官・李連英が控へてゐる。
西太后 連英。
李連英 はッ。
西太后 こゝに來てみやれ。
李連英 はッ。
西太后 いつ眺めてもよい景色ぢゃの。觀劇にも疲れ、饗宴にも飽いた後は、斯うして靜かに山水に親しむが一番ぢゃ。
李連英 仰せの通りにござりまする。
西太后 したが連英、そちは世人の言ふやうに、わらはが三千萬金をこの離宮に投じた事を贅澤な事と思ひやるか?
李連英 どう致しまして、決してそのやうな。
西太后 でも世人は清國が日本國にあのやうに惨めに敗北し、國力を半減させた事は、わらはがそもそも海軍擴張費をこんな所に割いたせいだと申してゐるが。
李連英 滅相もない。誰が左様な事を申しませう。清日役はうまうま露國にしてやられたのでございます。兩虎を闘はして後のうまい汁を吸はうと言ふ……。
西太后 とかく浮世は物憂い所ぢゃの。わらはも既に數十年國難に掉さしてよく清國の命脉を保たせて來た心算ぢゃが、嫉み妬み怨み反感はどこにもあるものか、わらはもえらい惡婆にされてゐるやうぢゃ。
李連英 畏れ多い御言葉でござりまする。支那四千年の歴史に賢后の數は五指に餘りまするが、畏れ乍ら太后に比する名君はござりませぬ。
西太后 恰親王も鄭親王も、そして東太后までわらはが毒殺した――西太后の權力に邪魔する者は誰しも除かれずにはをられない。(底深い怪しげな笑聲をたてゝ)世人は、ま、さう言ふてゐるとの事ぢゃが。ほゝゝゝ。
李連英 そのやうな事は……いえ、そのやうな事は、おや、誰ぞ参上仕ったやうでござります。
 ――待嬪・徳菱、女官四五名を從へて登場。
徳菱 (拜跪して)軍機大臣・榮禄先生、それから張之洞先生、が推参仕りましてござりまする。
西太后 (上座に歩を移して)通せ。
 ――徳菱、女官退場。榮、張、登場。丁寧なる儀禮。
榮禄 御機嫌麗しく大慶に存じ上げまする。
西太后 (機嫌斜めならず)今日は我が氣に入りの家來のみ見える日ぢゃの。して早速ぢゃがあの方の取調べは如何なったかや?
張之洞 はッ。その件にござります。畏れ乍ら張之洞、孔孟の道を國民道徳の根本とし、政令を改革し、西洋の新知識を採用し、以て「大清國」の國勢を漸進せしめんと日々肝謄をくだいてをりまするが、事々に康有爲一派の急進黨に妨害されるに就き、最近よく調査を致しましたるところ……。
西太后 む。
張之洞 彼等は自説を「變法自強の説」と唱へ、立憲君主主義にもとづぐ政治の革新を論じ、範を日本國の明治維新にとって、以て政界の大刷新を行はんと論じてゐるのでございます。
西太后 (景色ばんで)立憲君主主義とは、如何やうなものか?
張之洞 はッ。彼等は現代を内憂外患續出時代となし、その罪を我々爲政者に着せ、あまねく天下に民心覺醒を叫んで、以て我々をのぞかんとしてゐるのでございます。
西太后 (怒って)不届な雜人ばらよな、彼等はわらはが行ふ政治を排せんとするのか!
榮禄 彼等は光緒帝の御親政を高唱し、太后の御政治を「垂簾政治」と稱して、清國衰微の最大基因と致してをりまする。
西太后 (キリキリと眉をあげて)年若なる帝をかつぎ出し、日頃容れられざる不平を充さんとする肚黒き奴輩! 榮禄、ぬかりなく監視が肝腎なるぞ。
 ――徳菱再び登場。
徳菱 直隷按察使・袁世凱先生が拜謁を願ひ出てをりまする。
西太后 會はぬと申せ。
徳菱 はッ。
 ――徳菱退場。
西太后 袁はよき政治家ぢゃ。今廣東にある李鴻章も常に自慢にしてゐた男ぢゃが、全く刀筆の吏にはあらで参畫籌謀の手腕家ぢゃ。だが今日はもう誰にも會ひ度うない。連英、そちはわらはを奥殿へ案内致してくれやれ。
 ――徳菱登場。
徳菱 國家の一大事、是非とも拜謁願ひ度しと重ねて懇願致してをりまする。
西太后 (不機嫌に歩を止めて)通せ。
 ――徳菱退場。袁世凱登場。
袁世凱 (拜跪して)麗はしき寵顏拜し奉り恭悦至極に存じ奉りまする。
西太后 うむ。して何ぢゃ。
袁世凱 早速ながら――(あたりを見廻す)
西太后 秘密を要するかや?
袁世凱 はッ。
西太后 (一同に)皆、次の間に控へをらう。
一同 はッ。(退場)
西太后 何ぢゃ?
袁世凱 (二三歩膝行して西太后に近寄り、あたりを憚るやうに小聲で)大事出來でございます。實はかねてより反政府派として活躍してをりました康有爲、梁啓超等の急進黨「西太后隠居皇帝親政」「守舊大官打倒」「立憲政の施行」具體化の爲に、兵を擧げ一擧官廷を襲はんと致してをりまする。
西太后 (蒼白になって)汝はそれを如何にして知ったのぢゃ?
袁世凱 はッ。手兵を擁する小官に彼等は結びつかんとしてゐたのでござりまする。畏れ乍ら太后、小官盡忠の志より、甘んじて事の全般の判明する迄彼等の味方を装ってゐたのでござりまする。
西太后 彼等の顏ぶれは判明してゐるか?
袁世凱 仰せの如くに存じまする。先づ上は光緒帝――。
西太后 な、なンと!
袁世凱 青年客氣の皇帝陛下、秘密に彼等謀叛人の計畫に乗ぜられてござりまする。
西太后 (唇を噛み體を顫はして)それから誰ぞ?
袁世凱 それから譚嗣同、總理衛門の蔭桓、孫逸先等にございまする。
西太后 彼等は、未だ秘密の洩れしを存じてはゐるまいの!
袁世凱 事に一日先んじてござりまする。
西太后 よし、彼等陰謀者は一網打盡ぢゃ。祖法をみだせし光緒帝は當然幽閉、其他の者は流罪又は斬罪ぢゃ。哀、次の間の榮禄、張之洞を至急奥へ導きやれ。
 ――西太后、足言荒く奥へ立ち去る。
 袁世凱平伏したまゝ暫く動かないが、軈て蒼い顏を上げると少さく口の中で呟く。
袁世凱 わしは裏切った。わしはたうとう裏切った。だがこれがまだ清國を救ふ所以なのだ。

第二場
 光緒二十五年(一八九九年)の頃。
 北京・紫禁城内の涵泉亭。
 古さびた宮殿と苔蒸した庭園――琴の哀調が聞へてゐる。籠の小鳥の啼聲なぞ。暫くして縁に光緒帝が現れる。三十歳前の弱々しき青年である。帝は默然と空を見上げてゐる。と、琴がやんで孝欽皇后が現れる。
孝欽皇后 何を考へてゐられますの?
光緒帝 …………。
孝欽皇后 (あまへるやうに)珍貴妃の事をお考へになってゐるのではありません?
光緒帝 (沈んだ眸で皇后の顏を見る)
孝欽皇后 (すねて)矢張りさうでございますのね。
光緒帝 (悲しさうに遠くを見る)
孝欽皇后 (次第に感情をたかぶらせて)私には言葉も掛けて下さいませんのね。この一年あまり、珍貴妃が慈禧皇太后(西太后)のお怒りにふれて離室に隔離されてから貴方は何と言ふお變りを爲さったのでせう! それ程珍貴妃に御心を奪れてゐられたのだと思ひますと、私は………。
光緒帝 (靜かに)もうよい、もうそれ以上聞き度うない。
孝欽皇后 (くやしさうに)いゝえ申し上げます。月のよい夜、こちらとあちらで燈火が挑げられ、深い思ひがたがひに結ばれてゐられる御様子はちゃんと存じてをりまする。
光緒帝 又それもおまへの,叔母君(西太后)に申し上げた事であらう。
孝欽皇后 え、申し上げました。散々愚痴を申げました。容貌、才能到底及ばぬ私ながら、女に嫉妬のない筈はござりませぬ。
光緒帝 あゝ余は幽閉の身で、尚かつ斯くの如き勞苦に惱まねばならぬのか。(急に咳を始める――苦悶)
孝欽皇后 (遉に吃驚して)お苦しうございますか、どうぞしっかり遊ばして。(背をなでる)
光緒帝 (ぐったりとなって)もうよい、もうよくなった。さ、余を靜かにさせて置いてくれ。
孝欽皇后 (優しく)では私の代りに御氣に入りの周でも寄越しませう。
 ――皇后立ち去る。長閑やかな鳥のチチチと啼く聲が聞へる。
 老侍從・周崇が参上する。
周崇 御機嫌いかゞでございまするか?
光緒帝 あゝ爺か。今すんでに血を喀きさうになった所だ。
周崇 それれはそれは。
光緒帝 近頃めっきり色々の事を考へさせられてゐるがすべてにつけ余の世に寄せる望みは薄くなりつゝあるやうだ。どうだ、政府の政治はどんな風だ?
周崇 (遠慮なく)今は「扶清滅洋」の旗じるしで天下は囂々たるものでございます。戊戌の變で急進黨が根こそぎ刈りとられると、在朝要路の大官は全部が全部頑迷な排外保守黨でかためられ、朝野をあげて攘夷斷行の情勢でございます。
光緒帝 西太后が中心で、端郡王が首領、そして禮親王莊親王………。
周崇 剛毅、榮禄、董福祥――いづれを見ても一騎當千の没分漢。時代は五十年後退しましてございます。
光緒帝 爺にすらさう思へるか? 余等の革新運動の惨敗は、以前に倍舊する西太后の獨裁専制政治に反動して了ったのだ。これは流れに堰を築き上げた事だ。余にはもう何か異變が近くに勃發しかゝってゐるのが意識されてならない。
周崇 如何にも。異變は近きにありますぞ。哥老會や地方土民のキリスト仇教運動の熾烈さ、白蓮教の流れを汲む一派の迷信團隊の暴動、既に日、英、米、佛、伊、露、獨の七國は艦隊を太沽沖に集め、陸戰隊を上陸させてゐるとの事でございます。
光緒帝 清廷はこの成行をいかゞ捌かんとしてゐるのであらう?
周崇 全然列國の抗議は無硯してゐるやうでございます。啻に蜂起した暴徒を鎮壓しないと言ふだけではなく西太后を始め端郡王、董福祥・總督なぞは反って暴民を煽動してゐる風さへございます。おや、砲聲でござりますな。(耳を澄ます)
光緒帝 又公使館攻撃を始めたのかな?
周崇 近頃は官兵さへ公然と暴徒に加擔して北京中をあばれてゐるさうでございます。
 ――砲聲次第に明瞭になる。
光緒帝 何か變事でも起きたのかも分らぬ。爺、行って見て参れ。
周崇 はッ。早速、見届けて参りまする。
 ――周崇立ち去る。
 孝欽皇后現れる。
孝欽皇后 何か城外が騒がしうございますね。どうした事でございませう?
光緒帝 (落ち着かぬ様子で)幽閉の身では明るい世間の事は全く知る由もないが、周の話では清朝はたいへんな危機に立ってゐるとの事だ。あの砲聲は屹度又外人を取り圍んで暴兵達が打ってゐるものであらう。
 ――突然、鬨の聲が近くに聞へる。銃聲と喇叭の音が悲鳴叫喚にまぢって聞へる。宦官、女官、侍従、轄ろぶやうに走り込んで來る。
侍從 兩陛下、大變でござりまする、列國軍隊が城門を打ちこはし、雪崩のやうに宮廷内に闖入しましてござりまする!
光緒帝と皇后 何と!
宦官 さ、斯う申してゐるうちにも危險は身近うござります。さ、すぐそのまゝ…………。
光緒帝 ど、どこへ行くのぢゃ?
侍從 とりあへず陜西の西安府に落ちのびるとの事でござります。
女官一同 さ、皇后様、一時も早よう!
 ――建物の破壊される音、劍戟の摩する音、周崇かけこむ。
周崇 (手傷を抑へ乍ら)陛下、御覧の通りの異變でござります。ざ、話は後程、兎に角即刻御立ち下さいませ。
孝欽皇后 陛下、さ、(手を取って)間違ひがあっては大變でございます。
 ――一同、帝と皇后を引きづるやうにして立ちのかんとする。
光緒帝 (人々の手を振り切って)珍貴妃はどうした? 珍貴妃はまだ逃げてゐないであらう!
 ――内監數名かけつける。
内監 西太后様、既に御料車で御待ち乗ねでございます。寸秒も早く、御はせつけ願ひ度しとの傳命にござります。
光緒帝 (斷腸の思ひで絶叫する)妃は、おゝ妃は!
内監 西太后様の御命令に依り、非常の際なれば御無禮は御免! さ、皆の者御二方を御抱き申し上げて!
 ――一同、帝、皇后を抱き上げて一散に退場。嵐のやうな喧騒が益々近くなって來る…………。

第三幕
 光緒二十九年(一九〇三年)前後の頃。
 北京・賢良寺の直隷總督公館にて。
 袁世凱、齢漸く四十を越え、政治家として貫録も備って來た――今や室の一隅にある李鴻章を祭る佛壇に禮拜してゐる。
袁世凱 (壯重に拜跪して)……國家の悲運日に増して加はるを眼のあたりに眺めつゝ、七十有八年の犠牲的生涯を了へられし李中堂先生の靈に禮拜す。四十有餘年、一身よく大清國の支柱として活躍されし先生よ、今國家の前途暗澹たるに際し、安んじてその最後の眼を閉ざし得ざりし御胸中を推察せば、小官又涙なきを得ませぬ。されど、不肖袁慰延、先生の今果の枕邊に於て先生の後繼者たるべく聖鑑を仰がれし以上、全力を以て盡忠奉公の誠を致すや勿論です。 翻って内外の諸相を靜觀するに、外には義和團事件の後を享けて諸列國の干渉益々強烈に、内には百年一日の頑迷の徒輩官廷にはびこり、徒に感情に流れてさながら伏魔殿を形造ってゐる有様、小官と雖もゆめ油斷は出來ぬ形勢であります。然し乍ら先生、小官は敗けませぬ。小官はあらゆる手だてを用ひても敵に對抗し、以て先生の遺訓を奉じて行き度いと思ってをります。願くは地下の先生、安らけく瞑目し以て護國の紳となられん事を。
 ――小時默禮して後、靜かに席を離れる。と、そこに鞠躬如きっきゅうじょとして從者が現れる。
袁世凱 何か?
從者 英國公使マグドナルド氏が先程よりあちらで御待ちでございます。
袁世凱 マグドナルド氏が? さうか、それは申し課なかった。すぐお通しするやう。
從者 かしこまりました。
 ――從者退場。赧顏長身のマグドナルド登場。
マグドナルド これは總督、御禮拜中を御さはがせして申し譯ありませんでした。
袁世凱 (西洋式に握手して)いゝえ私こそ。いつも多忙なものですから、日曜日の落ち着いた時しか故・李先生の靈に御靈拜も出來ませんので。
マグドナルド 全く總督は禮節厚き武人ですな。
袁世凱 いや當然の事です。李先生は徹頭徹尾私の育ての親でした。今になって甚だ慚愧に耐えませんが、時として私が先生を非難する事があっても、先生は反對にいつも私を庇護し引立てゝ下さいました。今度の直隷總督北洋大臣の就任も一に先生の御盡力によるものでして、この知遇に對しましては如何なる努力もしなければならぬと思ってをります。
マグドナルド いや、太陽没して名月が輝き出したとも申されませう。清國は貴下の要職御就任で再び息をついだと言ふものです。時に要件ですが、露國のブランソン公使が西太后にまで露清銀行の財力を働きかけたと申す事は事實でありませうか? 一寸眞僞を承り度いのですが。
袁世凱 李連英、慶寛等が宮中籠絡の手先きに買収されたと言ふ事が事實と仰せられるならば滿更それも考へられない事でもありませんな。(皮肉に笑ふ)
マグドナルド (むきになって)露國の野心は滿洲占領にあります。日本と英國の反對がなければ、清國はむざむざと滿洲を掠奪されますぞ。この際露國の甘言にのる事は悔を千載にのこす事です。(昂奮する)
袁世凱 御忠言有難う。私も清國は進んで日英兩國と提携して、露國に撤兵を迫らねばならぬと考へてをります。(鷹揚に言ふ)
マグドナルド 西太后の身邊は妖雲に閉ざされてをります。私共は貴下のお力が宮中の無謀な政策に斷乎たる處置をお與へにならん事を望んでやみません。
袁世凱 いや好意を感謝します。
マグドナルド では早速ながら私はこれで失禮させて頂きます。
 ――兩人握手、袁はあたふたと歸りを急ぐマグドナルドを送って去る。と、入れ違ひに唐紹基、梁如浩、徐世昌、張人駿等の袁の部下である新進政治家たちが入って來る。袁も間もなく歸って來る。挨拶。
唐紹基 英國大使の暗中飛躍ですね?
袁世凱 露國の活躍にはひどく心痛してゐるやうだ。勿論それは他人事ではないが。
張人駿 露國のブランソン代理公使は露日戰爭勝利の上は朝鮮を清國に進上すると政府に申し込んだと言ふではありませんか?
徐世昌 慶親王父子は五十萬金で買収されたと噂されてゐます。
袁世凱 (憂欝に)流言飛説だ。だが露國の西太后への接近は油斷のならない事だ。宮廷が擧げて親露派になれば榮禄一黨の勢力は從來の何倍かにはなるからな。
梁如浩 西太后を籠絡し、無二の寵臣となりすまし、陰險な勢力を宮廷全體に張る榮禄黨をこの上伸びさせたら大變です。奴等は一にも二にも我々一派を仇敵とし事あらば蹴落さうとしてゐます。何とかして………。
袁世凱 (笑って)いやいや、わしもあの保定事件以來賢くなったよ。裏面では兎に角、表面では誰にも笑顏で對すべきものだと言ふ事がわかった。
唐紹基 西安蒙塵から歸京される兩陛下を保定に出迎へて迄觀兵式を行はふと言ふ袁總督の誠忠に對し、一宦官に過ぎぬ李連英が、自分に賄賂が贈られないと言ふだけの理由で妨害をするなんて!
張人駿 あいつは奸賊です。常に太后の左右に侍して情實請托のみを事とし、甚しきに至っては新任大官を苦しめて巨額の収賄を爲すを唯一の仕事としてゐるのです。
袁世凱 (苦っぽく笑って)若い諸君が憤慨するのは尤であるが、世の中の總ての機微と言ふものは結局そんな所に懸ってゐるものなのだ。わしもこの年になって勉強した。どこでも情弊纏綿じょうへいれんめんしてゐるのは珍しくはないがわけて北京の禁裡程險惡醜怪な所はないのだ。太后を動かさんとせば、先づ左右の宦官から動かさなければならぬ。そしてその爲には尋常一様の手段ではいかず暗夜に權謀術數を弄さなければならぬのだ。わしもやっと一人前になったよ。(無理に明るく笑ふ)
梁如浩 全く北京朝廷は亡國朝廷です。アメリカの新知識を眺めて來た我々には何とも情ない限りです。
袁世凱 いや情なければこそ、それを改造して行き度くなるのではないか。わしは君達に新しい空氣を吸はせたのは、君達にその新しい空氣を清國で吐かせたかったからこそだよ。
徐世昌 然しこんな腐り切った屋臺骨は到底倒壊をまぬがれないだらうと思ひます。君側の奸は我と我國を毎日破滅に追ひこんでゐるやうに思ひます。
袁世凱 いや、我々はまだ失望は早い。わしは行く所までやる決心でゐる。わしは自分で出來る事なら如何なる手段でもとって、あくまで大清國の社稷しゃしょくを支へてみせる。
 ――從者登場。
從者 慶親王の秘書・那桐先生が御出でになりました。
袁世凱 さうか、ではこちらへ。
 ――從者去る。
袁世凱 君たちは遠慮してくれ、日露開戰に對する政治的對策は午後一時から開く事にしよう。
 ――一同挨拶して退場。那桐登場。
那桐 いやあ、お客かと思ったら。(挨拶)
袁世凱 (挨拶して) 誰もゐませんよ。さあどうぞお樂に。
那桐 てっきり露國か英國のわり込みかと邪推しましたよ。はゝゝゝ。(卑しげに笑ふ)
袁世凱 (たくみに話を迯して)所で金魚組の成績はどうですな?(聲をひそめる)
那桐 なかなか盛んです。陳璧、松壽、桂春、聯芳、慶寛の諸先生、ざっと五六千金はこの前の會で懐に入れたやうです。
袁世凱 政治の賭博よりさいころの賭博の方が面白さうですね。はゝゝゝ。で、李連英先生も會に見えられたのでせうな?
那桐 勿論です。あ、あの件たいへん成功しましたよ。李連英先生、總督によろしく言ってくれとの事でした。なんでも西太后も袁總督には一方ならぬ御期待をかけてゐられるとかで。
袁世凱 それはどうも。那桐先生、今後とも李連英先生にはよろしく御取り計らひ下さい。
那桐 いや承知しました。ところで慶親王もこの前の三十萬元は嘉納されましてな。主人も宮廷に出れば、袁先生と御同様に拳匪事件で名を擧げられたのをねたまれ、成り上り王候とか何とか蔑しまれる御關係から袁先生にはひどい御同情でしてな。
袁世凱 (徴かに苦笑して)いや私は御隆盛な慶親王に誼さへ通じて頂ければいゝのでして。それから、この前のお話の榮禄先生の御息女ですが、醇親王との御婚約の儀は御進捗なられたのでせうな?
那桐 如何にも、もう御準備に忙殺されてゐる頃かと思ひます。
袁世凱 さうですか。では(立ち上って一方の棚の所へ行き、そこから金銀珠玉で飾られた大箱を取り上げて歸って來る)これはほんの志ばかりですが、袁世凱の寸志として御主人榮禄先生に御届け下さいませんでせうか。
那桐 (相好を崩して)これはこれは(一寸重さを計ってみて)折角ですから頂戴して参りませう。
袁世凱 全く御目出度い事で私もよろこんでをります。おやお茶も差し上げませんでした。如何です、あちらで粗茶でも召し上って下さいませんか?
那桐 (ニコニコして)では私も遠慮なく御馳走になりませう。
 ――二人は連れ立って去る。若き政治家の一人そっと現れる。腕を組んで立つ。
 (獨言)これでいゝのか、これでいゝのか、これが「眠れる獅子」の内情なのか、清はもう假死に陥ってゐるではないか、まだ誰も本當に眼を醒さないのか!

第四幕
―― Epilogue ――
 光緒三十四年(一九〇八年)の頃。
 北京・紫禁城内の乾清宮。
 香の靜かに立ち昇る卓子――落日の餘映を顏に受けて裕隆皇太后(光緒帝皇后)が侍嬪と話してゐる。
裕隆皇太后 ……夢の中では徳宗(光緒帝)はたいへん幸福さうに見えたのだよ。美しい珍貴妃と森の中を逍遥し乍ら、あの義和團事件の時の悲しい別れの話やら、血を吐いてこの世に別れる時の、反ってたのしい心持やらを泌々語ってをった。
侍嬪 (涙を拭いて)お心お察し申し上げまする。
裕隆皇太后 いやいや、私にはもう憂世の愛憎はない。たゞあるものは清い心で過去を美しいものに見直す氣持だけだよ。思へば珍貴妃を(※穴目)よう井なぞに死なせた事はたとへ私の預り知らぬ事であったにしても、罪を一生に負はねばならぬ事かも知れない。
侍嬪 もったいない御言葉です。それだけで妃の御靈も浮ばれる事でございませう。それにつけても、やん事ない雲の上にゐられ乍ら、御三方の御一生は悲しいものでございました。(涙を拭く)
裕隆皇太后 私も不倖だった。珍貴妃も哀れだった。けれど帝は誰より御不遇であったやうに思ふよ。三十四年の公生涯は憤悶と憂欝の中に御暮しつゞけになったのだからね。
侍嬪 畏れ乍ら帝の御一生を思ひ反せば、今更ながら世の末を忍ばせまする。地下の御靈も定めし御恨み深い事と存じまする。でも御崩去に際しましては遉が御女性の西太后様は伯母君として、この世のなげきを御一人に集められたやうに悲しまれました。せめてそれが御供養だったと存じます。
裕隆皇太后 政治の上からの情しみも、權勢を誇り度い慾望も、骨肉の情には勝たぬものなのだね。私も本黨に尊く思ったが――まして西太后は御加持御祈祷の御無理からおからだを弱めなされたと申されるではないか。
侍嬪 徳宗御崩じになって二旬――まだ喪も發せられませんのに、西太后様の御氣力のすぐれませんのは心配な事でございます。餘程御心に感動をお受けになったのでございませう。何分七十三の御老齢なれば御躯のお疲れも御無理でございますまいが。
 ――女官登場。
女官 世續様が御機嫌奉伺に参上仕りましてございます。
侍嬪 (太后の頷きを受けついで)どうぞ。
 ――女官去る。世續老人登場。
世續 (挨拶して、好々爺らしく)色々浮世の報導を持って参りました。
侍嬪 太后様も、私も、貴方の御出でが何よりの樂みです。さまざまな浮世の出來事が貴方の口でだけ、この大奥に通ぜられるのですから。
世續 私の御奉公もたうとうこんな事でしか達せられなくなりました。徳宗御在世中は花咲く春に一度はお巡り會せたいと、それが私の念願でしたけれど。いやいや老のくり言は申しますまい、所で宣統帝御即位式は來る十一月初旬に擧行されるに内定しました。
裕隆皇太后 (寂しく)それはお目出度い事です。
世續 攝政・醇親王は御靜養中の西太后にお代りして一切政務をお取りになってゐられますが、御年三歳の幼帝を擁せられては、可成り御難澁の事と察せられます。今や清國は愛親覺羅氏二百九十餘年の歴史を過去に輝かせ乍ら、わずか餘喘よぜんを保つの悲運に逢着してをります。 私達は最早虚勢を張り心にもない強がりを言ふべきでもないと思ひます。既に廣東、湖北には革命黨の旗幟高らかに掲げられ、新しき民衆の時代は徒に溟濛な暗黒政治の雲を破って輝き始めたやうです。古いものは滅びる、腐ったものは倒れる――これは當然な事だと思はれます。
裕隆皇太后 われわれも所詮滅びて行くに相應しい人間たちであったのだね。おそ秋の野邊に咲いたか細い花――私もしみじみそんな氣がする。
侍嬪 (反撥するやうに)いゝえ皇太后様、いかに清が末世となりましたと言へ、まだまだ滅びるなぞと言ふ事はございませぬ。御病氣とは言へ西太后様、矍鑠かくしゃくと廟堂の抑へをなしてゐられる以上、鼎の輕重を問はれる如き事はありませぬ。
世續 (撫然と)或ひはさうかも知れぬ。然し西太后が最後の人だ。そして次の政權を狙ふ者達は等しく皆それを考へてゐる。
 ――女官あはたゞしく登場。
女官 西太后様突然御崩去でございます。
 ――三人怪しき電撃に打たれた如くはッと顏色を變へて立ち上る。
裕隆皇太后 (凄涼とした顔つきで)こんなに突然! ではすぐ参りませう。
 ――紙の如く蒼褪めて裕隆皇太后立ち上る。
 一同、幽鬼に襲はれた如き氣分を感じ乍ら皇太后の後に無言のまゝ續いて室を立ち出でる。
 落日は最後の赤光を窓邊に消し去って、とっぷりと夕闇の漂った室内には靜かに香爐の煙のみが昇り續ける。

 附記――この一篇は必ずしも史的正確さを第一としなかった。劇の構成上、時間と空間を極端に壓搾し、人物も必要に應じて自由に取捨した。又史實も可成り單純化され、はぶき去った所も一二に止まらない。尚、使用語に就ては深謝の外はないが、願ふらくは一切を御容謝あって、ほんの通俗東洋史の一頁を繰る心組みで、春宵の笑覧に供され度い。 (一九三三・五)

注)明かな誤字誤植は訂正しています。句読点は補ったところがあります。
注)李連英と李蓮英の混在は李連英に、梁如浩と梁汝浩は梁如浩になど人名は統一するようにしています。


「戯曲 蒋介石」三幕
―― Lese Drama ――
「満蒙」 1934.05. (昭和9年5月) より

第一幕
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 中華民國十三年(西暦一九二四年)四月、蒋介石は自身校長として黄埔軍官學校を創設した。廣東及中原の各省に廣く入學志願者を求め、從來の傭兵客軍の弊を一掃した眞の革命戰士を養成せんと試みた。希望者は甘肅、四川、新疆、蒙古、朝鮮からさへも彼の傘下に馳参じたが、彼はその中から四百數名の精鋭をすぐり先づ第一期生として収容した。これは實に北伐成功の原動力となったもので、國民革命史上特筆大書さるべき事實である。
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 舞臺――黄埔軍官學校の校長室。炎暑甚しく開け放たれた窓外には赫々たる南方の蒼空が眺められる。蒋介石は粗末な調度に飾られたこの室を普段の居室として生徒と共に練磨の日常を送ってゐるのであったが、彼は今、一隅の長椅子に倚って晝食後の午睡をとってゐる。
 と、靜かな空氣を破って喇叭の音が聞へる。蒋介石は眼をさまして、輕く手足を伸す。
 副官登場。
副官 御目覺めですか?
蒋介石 有難う。
副官 午前の教練でお疲れでしたでせう。
蒋介石 たいした事はないよ。大體あれくらゐの教練でへたばったりしてゐては大望成就も覺束ないからな、はッはは。ところで陳君、私は今、夢で母に會ってゐたよ。
副官 は?
蒋介石 疲れをやすめると言ふ意味ばかりでなく私は午睡をとるのが何か樂しみに思へてならない。母に會へたり又はなき先輩知友に面接出來たりするからな。(立ち上って机の方に歩き乍ら)母は相變らず私を勞ってくれた。瑞泰、お前もなかなか大變だらう、だがお前のしようとしてゐる事は中國全國民の幸福になる事なのだから、その心算で何事にもめげてはいけないよ、とな。そして今日は金剛經の講釋をしようと言って、私に諄々とお經を讀んで聞かせたッけ。
副官 閣下の「孝思純篤」には敬服の至りであります。
蒋介石 いや世人はそんな事を言ふ。又惡口を言ふ奴は自己の形勢不利な場合は早速郷里に歸臥して亡母哀惜にかこつけて機を窺ふ――なぞと。然しそれは私の衷心の情を知らぬ輩の言ふ事だ。母、王妥玉は私を人間にさせてくれた唯一の人だ。寧波の片田舎に生れ小官吏の五人けうだいの一人として成ひ立った私は手に負へぬ亂暴少年でしかなかったのだ。それを辛勞攻苦、今日の私にまで成人させてくれた母の異常な慈愛、私は母を思はずして人生はない程に考へてゐるのだ。
副官 (頭を俛首れて傾聴してゐる)
蒋介石 (氣を變へて)……所でと、晝食後會ふ約束になってゐたニューヨーク・タイムスの記者は來てゐるのか?
副官 二時間ばかり待ってをります。
蒋介石 十分ばかり話さう。
副官 承知しました。それから會計報告が出來てゐるのですが――。
蒋介石 (苦惱の面持で)經營困難か!(溜息をついて)廣東の財政權が雲南、廣西の客軍に押へられてゐる間は血の出る思ひだ。だが私等はそんな事には負けないぞ。この窮境を乗り切らう。なァに寧波の商人、上海の商人も何とか援助してくれまいものでもなからう。
副官 記者を通しませうか?
蒋介石 さうしてくれ。
 副官去る。と、外人記者が扉を排して入って來る。
記者 (外人流に簡單に挨拶して)蒋介石氏はどこにゐられますか?
蒋介石 (無頓着に)此處です。
記者 何處に蒋介石氏はゐられるのです?
蒋介石 (平氣で)此處です。私です。
記者 (意外らしく眼を丸めて)おゝ、軍官學校校長は貴下ですか? 失禮しました。
蒋介石 いやいや。私達は質素第一を標榜してをります。さあ御掛け下さい。
記者 早速ですが、貴下は支那の將來に就てどんな考へを持ってゐられますか?(ノートを取出して返事を待つ)
蒋介石 (端然として)私達の理想は支那各省を國民黨に入れ、そして支那全土を統一する事です。
記者 然しそれは非常な大問題ですな。
蒋介石 けれど私達は必ずそれを爲し遂げますよ。現に私達は着々それを實現しつゝあるのです。一體私達は戰爭を好むのではないがたゞ中國を組織ある國にしたい爲です。
記者 貴下の行動が成就したら?
蒋介石 (平然と)不平等條約の廃棄です。そして支那人の生活を危ふくしてゐる歐洲人の勢力の驅逐です。治外法權、關税自主なぞは當然の事です。
記者 (面喰って)……然し、然し、支那民衆が貴下の理想のやうに……。
蒋介石 御心配はいりません。先づ支那各地に分散してゐる勢力を打って一丸とし完全な民族的團結を完成した暁、私は支那人に存する傳統的特質、例へば仁愛、孝悌、温情、至誠、誠實、正義、及び平和愛好などの美點を甦へすよう十分な運動をするつもりです。私は又、支那人が熱心に知識を吸収するやうに、そして支那は如何にして支那自らを治むべきか、人間の生活に對して學術のもたらす幸福の如何に多きかを知らしむるよう策の上に策をめぐらす決心でをります。
記者 (壓倒されて)ワンダフル! では最後に、貴下の指導精神を……。
蒋介石 (言下に)三民主義! それだけです。私は學問のない愚直な男です。所謂マルクス主義の事なぞ知りません。然し私は支那人を知ってゐる。支那人が何を願ひ何を望むかを知ってゐる。私は、私が支那人の心を知ってゐるが故に支那の大衆は私に從ふものだと思ってをります。
記者 サンキュ。(ハンカチを出して汗を拭く)
蒋介石 (呼鈴の釦を押す)
 蒋介石と記者が握手をしてゐる所へ副官が登場する。
蒋介石 お歸りだ。
 記者、副官に案内されて去る。入れ違ひにロシア人ボロージンと將軍ガロンが登場。
ボロージン 今週の學科に就て御意見がありますか。講義要項を作って置くのですが。
蒋介石 (一寸考へて)別にありません。この前が我等の敵は帝國主義の列強である事を十分強調したのでしたね?
ボロージン 左様、ですから今週は我等の敵は從って帝國主義の走狗たる軍閥だ、先づ彼等を倒さねば中華民國の獨立自由は得られない事を詳説する心算ですが。
蒋介石 結構です。さう願ひます。
ガロン 私は「用兵作戰」竝びに「新兵精神教育」「革命軍暗號」に就て實例を示しつゝ講義をしようと思ってゐます。
蒋介石 どしどし精鋭なソヴェート赤衛軍の軍事知識を若い革命闘士の頭に注ぎ込んで下さい。大體ロシアが革命に成功したのは黨員が一切を犠牲に供し得た事、組織が良好であった事、一切の軍隊を全部黨員が出て訓練した事等の理由に據るものだと私は思ひます。その模範となってゐるソヴェート黨員精神を、私は思想的にも學術的にも軍事的にも、我等の若い青年達に植えつけていたゞき度いと希望するのです。
 副官が登場。
副官 一寸遺憾な事を報告しなければなりません。
蒋介石 どうしたのか?
副官 學生梁忠昌が自殺したさうです。遺書が發見されました。家庭にいざこざがあってそれを苦にやんで自殺したらしく思はれます。
ガロン 死んだのかな?
副官 入水したらしいのです。目下屍體を捜査中ですが。
蒋介石 (唇を噛み青白い(※顳需頁)こめかみにピクピク疳癪筋を浮き上らせてゐたが、急に)莫迦者奴!(そしてせかせかと怒りを靜めるやうに室内を歩き廻る)
 副官をはじめ一同困惑したやうに佇んでゐる。
蒋介石 (急に歩を止めて)随分注意して相當な人間ばかりを教育してゐた心算だったが、矢張り屑が混ってゐたのか。私は實に殘念だ。我々の命は自分達の物ではない。總理の物である筈だ。革命の爲の物である筈だ。まだこんな簡單な精神がどの人間にもしっかりと植えつけられてゐないとすると、我々のやり方もまだ不完全なのかも知れない!
ボロージン 校長、いやさほど重大に考へるには及びますまい。彼は單なる神經衰弱患者でせう。
蒋介石 生命を三民主義に捧げてゐる我等に神經衰弱はありません。私は全校學生に即刻訓辭を與へなければならない。陳君。呼集喇叭を命じ給へ。
副官 はッ。
 副官足早に去る。蒋介石は疳性らしく机の上の書類を整理する。ロシア人二人が窓際で煙草を吸ひつけ合ってゐると、むし暑い空氣を劈くやうに非常呼集が高らかに鳴り始める……。

第二幕
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 黄埔軍官學校學生は確に革命軍の花形であった。二箇年間に於ける四期の間に學校卒業生は三千名に達し、彼等は福建侵入に江西進出に常に第一線の肉彈となって敵に突進した。人はそれらを前人未踏の活躍と稱した。彼等若き精鋭は思想的に洗禮を受けてゐる爲か、殆んど生死を超越してゐる感があった。これより後彼等の多數は相次ぐ北伐戰の華かな犠牲となって陣没したが、悲壯なる數多の武勇美談が殘されてゐるのもゆかしい。 さて、蒋介石の恩師とも盟守とも頼んでゐた革命の父、孫文は民國十四年三月北京に於て病没した。支那統一の絶對的障害と看破されてゐた直隷軍閥が奉直第二次戰に於て馮玉祥の寝返り。呉佩孚の失脚――段祺瑞の臨時執政政府出現と言ふ絶好チャンスを目の前にし乍ら。當時蒋介石は惠州城の攻略に從ってゐた。 彼は最も信頼を受けてゐた弟子であり股肱であり乍ら孫文の臨終にも會へず、かつて強敵、陳燗明と苦戰してゐて、その心中は悲痛を極めたものだった。彼は小さな勝利でも得ると、「これを北京の總理に報告したら病状が急に良い方に向ったと言ふ事である。更に決死の勇を揮って最後の勝利を得、總理の心を慰めなければならぬ。」と部下を督勵し幾度か敢死隊を組織して敵に迫ったのだった。 十四年六月、完全に廣東に青天白日旗を揚げしめ軈て國民政府が成立すると蒋介石は廣東政府部内に於ける左右兩派の理論闘争や勢力爭ひ等の煩を避くる爲にも北伐決行の必要を感じて、北伐に全勢力を集中し「長江へ進出するのは總ての内患を掃ふ唯一の道である」即ち「武漢へ政府を移したい」と故孫文が夢幻の中にも口走ってゐた支那統一の第一歩に入るべく大擧北上の決意を定めたのであった。
×
 それは民國十五年七月九日(西暦一九二六年)――所は廣東東練兵場に於て國民革命軍北伐總司令に蒋介石が就任する盛典が擧行された。記録によると民國以來の熱烈な祭典を現出し全會衆は十萬人を越えたと言ふ。
 舞臺は――左手に高いアーチ。それには國旗、滿地紅旗、黨旗、青天白日旗が飾られ、次のスローガンが藍色の布に白文字で書き掲げられてゐる。
「總理の遺嘱いしょくを實行せよ!」
「三民主義萬歳!」
「北伐は全國革命の過程である。全國統一の國民政府を建設せよ!」
 右手には禮臺。その前方には樂隊。禮臺の上には花で「我武維揚」と文字を浮出させてゐる。又、臺の中央には孫文の遺像、遺嘱、誓詞がかゝげられ、その兩側には墨で白布に文字が書きつらねられてゐる。
「中國國民黨は完全に國民革命の責任を負ふ政黨である」「精神統一の意志、集中の組織を團結す」「革命の力を集中せんとせば必ず指揮の統一を要す」「北伐の不成功は總理學生の憾みである」「人民を愛護するは三民主義を實行する事なり」等々。
 アーチの外には旗を振り銅鑼を鳴らす工人團隊及一般民衆の群。式場内には國民政府首腦者竝びに總司令全部職員及國民革命陸海軍教官が極度に緊張して整列してゐる。
 丁度朝陽の麗に照る午前九時半頃である。打ちあげる花火の音と共に喨々たる喇叭の吹奏。蒋介石は参謀長李濟深を伴って、陸海航空各將官を從へつゝアーチを潜って入場。既に場を埋める全會衆に輕く脱帽して、定めの席に着席。
 軈て莊重な軍樂と共に全員起立。そして一同國民黨旗及び總裡の遺像に向って三度敬禮を行ふ。
 呉稚暉(中央執行委員會主席)臺上に足をはこび、次の通り總裡の遺嘱を宣讀する。
呉稚暉 (讀む)予革命に盡すこと四十餘年、その目的は中國の自主獨立の計を確立するにありき。予四十年の經驗によれば、之を達せん爲には民衆の世界的聯合を喚起し、平等の爲我民族の協力奮闘を必要とす。然るに革命尚だ成功せず、同志須く予が嘗て發表せし建國方略大綱、三民主義、第一次全國國民黨代表大會宣言に基き、今後努力を續け、その貫徹を期せざるべからず。特に最近予の主張せし國民會議開會と不平等條約の廃棄を最も短時日内に達成し、その實現を委嘱するものなり。孫文。
 式場の内外、靜謐となり、言葉終るや數分の默祷。
 次に蒋介石と譚延ト(國民政府代表)其他高官連臺上に進み、先づ譚が國民革命總司令の銅製大印章、象牙小章を蒋介石に授與。續いて呉が手に國旗、黨旗及び革命總司令旗を持ち、孫科(孫文の遺兒)が手に孫文の遺像を捧げ蒋介石に向って恭しく捧げる。
 續いて再び呉が中央に進み國民黨の訓詞を宣讀する。
呉稚暉 (讀む)中國革命は遠く湯武に起る。新舊の思想はもとより同じからざれども、民の水火の苦を救ふは古今規を一にす。今中央執行委員會全體黨員を代表し、敬んで總理の遺像、黨旗、國旗を奉じ、我が革命軍蒋總司令に授く。全體の將士を率ゐて、戴きて北征すれば牧野これち、位牌を戴きて卜するを休むれば一戎いちじゅうこゝに定る。天下は公たり。尚それ之に鑑みよ。
 蒋介石進み出て次の宣誓をする。
蒋介石 余誓ふに至誠を以てす。三民主義を實行し、長官の命令に服從し、國家を防守し、人民を愛護し、克く軍人の天職を盡さんとす。此に誓す。
 一齊の奏樂。儀仗軍隊の捧げ銃。蒋介石はやゝくつろいだ形で再び中央の誓師臺に進み四方を見渡した末に口を靜かに切る。
蒋介石 諸君! 今日は國民革命軍が誓師の典禮を擧げる日であり、又本總司令就職の日である。本總司令は自ら才力の薄きを覺り中國國民革命の前途の爲にかくの如き重大なる責任を負ひ深く任に勝へ得ざるを恐れてゐる。然し北方に於ては軍閥が已に幾重にも吾等を包圍して壓迫してゐる。若し國民革命の勢力が集中統一されずその上吾等が生死を同じくし甘苦を共にする決心がなかったなら、必ず此等の包圍を破り、これ等の壓迫を除く事が出來ないであらう。 故に本總司令は敢て重大な責任をも辭退しなかった。たゞ自分の力を盡して之を引受け生命を同志に捧げ國民政府に捧げ、國民革命軍の各人將卒に捧げ、鞠躬盡瘁きっきゅうじんすい死して後止む。かくしてこそ國家に對し人民に對するを得るのである。此度の北伐は完全に帝國主義軍閥の包圍壓迫を受けた爲、已むを得ずして師を出したのである。然し吾等は總理が數次の北伐に成功しなかった事は、總理終生の遺恨であり又總理の信徒や革命軍人の忘る能はざる恥辱なる事を覺えていなければならぬ。 故に諸君! 諸君は本總司令の就職に對して本總司令の爲に慶賀してはならない。たゞ一致努力、本總司令と共に進んで奮闘せんと決心してこそ總理及び死せる諸烈士を慰さむる道である。吾等の天職を盡す事即ち之が今日誓師の意味である。
 萬雷のやうな歡呼と拍手。
 蒋介石は一同の起立の中に臺より降り、再び一同を從へて歸途に就く。
群衆の歡呼A 革命の力が統一してきたぞ!
そのB 蒋介石萬歳!
そのC 革命軍人萬歳!
そのD 軍閥呉佩孚を打倒せよ!
 アーチの外の群衆の熱狂に蒋介石一同は立往生をさせられる。
群衆の歡呼E 統一政府を建設せよ!
そのF 總理の遺嘱を實現せよ!
そのG 革命精神團結萬歳!
そのH 中國國民黨萬歳!
そのI 三民主義萬歳!
そのj 總理精神萬歳!
 群衆にもまれもまれ蒋介石が中を通って行かうとすると、群衆は口々にわめき立てる。
群衆の喚聲一 蒋總司令に演説をさせろ!
その二 總司令の前途萬歳!
その三 演説だ、演説だ!
 蒋介石は部下數名の肩車にのってその群衆の歡呼にかくし切れぬよろこびの色をたゝへつゝ次の如く應へる。
蒋介石 (肩車の上で)諸君! 革命的民衆は力を團結し、民衆の利益を擁護しなければならない。本總司令は民衆の爲に一切を犠牲にし、以て國民革命を完成し、國家の自由平等獨立を謀らんとするのである。
 われんばかりの群衆の熱狂――。その中で再び蒋介石が力をこめて大呼する。
蒋介石 (雙手をあげて)各界同志萬歳!
 群衆天を壓してそれに應へる。
蒋介石 (再び)國民革命、中國國民黨、各界同胞萬歳!
 蒋介石は工人のぼろぼろの衣類に部下と共にとりかこまれ乍ら、大海に押し流されるが如く姿を消してゆく。後にはまだ爆發するやうな群衆の聲があとからあとへと續いて聞えてゐる。
群衆の叫び 蒋總司令萬歳!
 帝國主義を打ち倒せ!
 軍閥を我等の手で打ち倒せ!
 禮砲が殷々と練兵場から轟いて來る……。

第三幕
×
 かくして北伐軍の第一期策戰は武漢の攻略であった。民國十五年八月十八日、蒋介石は参謀長白崇禧及び露人顧問ガロン將軍を從へて長沙城外に軍を閲兵し、「不怕死、不要錢、愛國家、愛百姓」といふ革命標語を告示して志氣を鼓舞した。軈て南軍の目覺しき迫撃戰は開始された。九月、強敵呉佩孚は河南の兵を率ゐて漢口に據り北伐軍に對して優力な攻勢を示したが、蒋の敢死隊の活躍は遂にそれを陥入れ、呉は武昌に退き對峙するに到ったが、十月に及んで間斷なき南軍の攻撃はこれをも又見事に落城せしめる事になった。 戰記によればこの戰闘は革命戰中最も壯烈なものであったと傳へられてゐる。軈て北伐は第二期工作と進んだが、それは即ち江西省の攻略であった。即ち十一月四日、南京賀耀組の一營は突如九江市中に突入して北軍の武装を解除し完全に同市を手に入れた。孫傳芳は一旦湖口に逃走したが九江奪回の絶望である事をさとると軍艦決川に搭乗して南京に引上げた。かくして九江陥落と共に南軍の戰線は揚子江北岸にも廣げられて行ったが、北伐軍の優勢は極めて短時日の間に着々と湖南、湖北、江西の三省攻略に成功し、世界注視の的となったのである。 第三期、革命軍は福建省内の内訌と周陰人に對する民心の反抗とを利用して少數の兵力を以てたやすく攻略、更に浙江攻撃を開始した。浙江軍は兵力を錢塘江流域と紹興附近に集結して革命軍を待ち、孫傳芳も續々と軍を杭州に派して、孟昭月は第三方面軍長兼浙江總司令代理となって蒋介石に對した。この戰爭では蒋介石は悲運にも敗退の運命に逢着したが、然し南軍の意志は挫けなかった。 越えて十六年の一月末、再び激烈な遭遇戰を交へて遂にこれを撃破しのけた。敵將孟昭月は職を辭して盧番亭が代って浙江戰線の指揮を執らんとしたが、孟に統帥の才はなく、敗殘の兵また集結するに堪えず、形勢挽回不能中に大混亂と共に全軍總退却、南軍は十九日見事杭州に入城した。市民は熱狂して革命軍を迎へたが、これ又、三方の小兵を以て二箇月間に浙江全省を占領したのは驚異的事實と稱された。 然し一方武漢進出と共にすっかり面容を改めた蒋介石の新軍閥的風(※彡h)かい、乃至は獨裁官的風(※彡h)かいは從來迄提携的關係にあった共産派の激しき反感をそゝるに十分だった。勿論蒋もそれに對する用意は怠らず十六年二月突如武漢にクーデターを決行し、以後武漢派、南昌派と分れていがみ合ふ事になったが、そのうちに南京事件が突發して彼は一時下野。 その後復活して再び南京から北上、愈々中原に進出して大擧北京に肉迫、舊軍閥最後の牙城張作霖を倒さんとしたが途中たまたま濟南事變の醜態を曝露し、その爲、意氣込んでゐた北京入りも馮、閻の兵に先んぜられたけれども、とにかくこれにて永年の願望たる北伐完成は遂行された譯であった。
×
 時正に民國十七年(一九二八年)七月六日革命の巨頭は北京に集合、北京郊外碧雲寺の孫文の靈前に、そろって北伐完成報告祭を擧行する運びとなった。
 舞臺は――碧雲寺の喇嘛塔の前。前方には幅の廣い石段。喇嘛塔は二間四方ぐらゐにくり抜かれてゐて、その石室の正面に孫文の靈柩が安置されてある。
 黒漆塗に花模様の卷繪――さうした見事な靈柩の前には妻宋慶齢と書いたリボンの下げられた大花輪。上には青天白日旗の交叉された中央に總理の肖像額が掲げられ、左右には「革命尚未成功、我同志仍須努力」の對句が下げられてゐる。
 この他、七寶の香爐、花瓶、花輪等が飾られ香の匂ひが漂ってゐる。
 午前八時二十分。澄み切った北方の碧空には白雲が流れ、今日の歴史的盛典にふさわしい日和をなしてゐる。
 参列者數百、喇嘛塔の石段の左右、その他の空地を肅然と占めて控へてゐる。
 奏樂が壯重に始められると、張群の先導で先づ蒋介石、續いて馮玉祥、閻錫山の三人が各々粗末な灰色の中山服に身をかため、人々の挨拶に應へつゝ登場する。
 石段を靜かな足取りで登ると、設けられた席――但し直立である――がある。そこに三將が着席。この武將に續いて在京の國民黨委員の呉稚暉と邵力子、軍長級の李宗仁、白崇禧、鹿鐘麟、陳調元、方振武が着席。
 奏樂は長く尾を引く哀悼曲に始まり、暫し一同が默祷すると、やをら主祭、蒋介石は靈前に身を進めて三度生花を手向け、次に總理の遺像に向って三鞠躬さんきっきゅうの禮を行ふ。と、参列者一同もそれに倣ふ。
 これが終ると、商震(河北省政府主席)が前に出て、斜に靈前に向ひ、不動の姿勢で祭文を捧持し、次の「北伐成功報告文」を讀みあげるのである。
商震 (彼は感動のあまり聲を顫はし、時にはこみ上げて來る感涙に朗讀をさえぎられさうになる事もある)――惟、中華民國十七年七月六日、中國國民黨執行委員會監察委員會は謹んで蒋中正を派し、革命最敬禮を致し、祭を總理の靈前に告げて曰ふ。本黨遺教を奉受し、征誅用肅主義遐宣、遂に中國を壹にし、革命は將に成らんとし國本は將に復せんとす。茲に至って一豁、海宇その奮迅に震ひ、前史を擴くして華樂たり。これ即ち總理の指導するところ、共に屏を遺嘱に營めるものなり。 嗚呼遺命猶新なり、昔天共に慟く。遺訓煌々、西山月高く三年疾に在り、陵谷永く號せん。戎衣告を遣はす。靈聴遥かに非ず。藐續を外聞し太寥を慰めんと庶ふ。嗚呼。陵墓方に營んとし、廣道砥平を以てす。人類の力を合し以て献じ以て迎ふ。翠亭の村運して生ずべく、碧雲寺の村は權らく佳城を作し、紫金の山は將に永く寧んぜん。哀思綿として忘る能はず、全世界勞苦群衆の聲。
 朗讀が終ると、すぐ又蒋介石の禁文が同じく商震によって代讀される。
商震 (再び讀む)惟、中華民國十七年七月六日、國民革命軍既に北平をさだめ、弟子中正謹んで香山碧雲寺に訪ね祭を我總理先生の靈に致して曰ふ。中正昔總理に侍し、親しく提命の殷を承け、非常の任を寄せられつゝ教誨拳々たり。中正に期望さる所以はれ革命の武力を造成し、革命の障害を驅除し、以て早く人民をして水火より脱れしむるに在り。 乃ち歳時を荏苒じんぜんし今日に至り始めて舊都を克復し邊體に展謁するを得たり。靈堂を俯首し百感の粉集するを知らざるなり。總理の「政黨の精神は領袖に在らず」の遺言と追憶は實に我同志に對する永別の暗示と異らず。三年の間本黨の基礎危險危亡に瀕するもの先後五次、革命勢力幾んぞ覆没に瀕するもの風そ十五次、而して軍事の危機は尚與らず、當に艱危困危の來る毎に中正は唯遺教を乗り先進に追随し勉圖靖献、更に日に多きを歴たり。 若し總理の灼然として昭垂する遺教非ずんば將に何の術をもって共同に復歸するやを知らず。横逆の粉然として來り、殷謗の端無く集れるが如きに至っては、もし總理あるに非ざれば成敗計られず。茲に靈前に肅祭するに當り過去を懐へば則ち傷を撫して痛を思ひ、未來を念へば則ち永淵に臨んで危きが如し。總理に復告せんと欲するものは萬緒千端、更僕盡し難し。巳住は追はず、固より瑣々の陳述、以て靈聴をとくすを欲せず、而して來日の大難は輙てもって微願寄する所、明鑒を奉祈し謹んで其概を掃し我が總裡の爲め之を陳ぶ。
 商震が祭文を収めて一歩自席に戻ると、室内には輕いどよめきが起る。と、言ふのは人々によって靈柩の蓋がとり除けられるからである。即ち遺容拜謁の式が始まるのである。先づ蒋介石が一番にそれに近づく。小さな硝子の小窓から中を覗くのである。
蒋介石 (凝乎と眺めてゐたが頬が顫へ唇が顫へ軈て耐え切れなくなったやうに柩に打伏して號泣する。――しばししてから面を伏せた儘自席に歸る)
馮玉祥 (無雜作に近より、ぢっと覗き込み、深く呼吸をしてから自席に歸る)
閻錫山 (重い足取りで進み深く悲しげな顔で中を覗き、默然と俛首れた儘で自席に歸る)
 これがすむと、一同は直立不動の姿勢をとって三分間の默祷――やがて奏樂がその靜寂を破って祭典の終了した事を知らせる。
 一同柩に蓋されるのを待ってぞろぞろと室外に退出する。ざわめきが俄に起り、寫眞班なぞの活躍が目覺しい。蒋介石は兩頬を感激に紅潮させて疳性らしく足ばやに歩を進め、馮玉祥は傍の從者と何事かを語り合って笑ひつゝ群衆にまじり、閻錫山は相變らず重い顏をして口を緘んだ儘靜かに足をはこばせて、そして各々喇嘛塔の石段を降りて行く……。
×
 附記――例によって「讀む爲の戯曲」である。實は恁うした骨組みみたいなゴツゴツのものでなしに人としての彼も描いてみたかったし、もっとドラマテックな構成もしたかったのであるが、色々の關係から遂に目的を達せなかった。僕は數年前より支那、滿洲に於ける歴史的な人物や事實を試作の心算で度々ドラマの形式で書いて來たが、出來る事なら今後は「讀む爲の戯曲」より「演出する爲の戯曲」に仕組んで行き度いと思ってゐる。 尚、この一篇に對して作者としての立場が問題になるかも知れないけれど、今の僕としては強ひて通俗歴史叙述家としてより以外に自分をこの一篇の中に生かさうとは考へてゐない。

注)明かな誤字誤植は訂正しています。句読点は補ったところがあります。


「戯曲 満洲開基」
「満蒙」 1934.03. (昭和9年3月) より

「滿洲實録・卷一」を披見すると、我國の神話に類した滿洲發祥の傳説が記されてある。もとより荒唐無稽な内容であるが、滿洲國誕生の現在、考へてみるとたいへん浪漫的ロマンテックである。稲葉君山氏の「清朝全史・上巻」を播くと、併せて、此の清祖發祥の博説を擧げ、次の如く説明してゐる。
「――比傳説が女眞部落間に在りて、始めより共通的のものなりしや、言ひ換ふれば、此傳説は實録編纂史臣等が、當時女眞の各部落に存在せし各種の傳説を統合して、一篇をなせしに非ざるかと疑はる。」と。そして、氏は三人の天女と言ふプロットは高勾麗以來の傳説で、又、神鵲の出現と言ふ小道具立ては、支那の太古にあった「殷」と言ふ時代の――その始祖「契」にまつはる傳説中にも發見され得る。 但しその話には玄鳥となってゐて、此の實録には神鵲となってゐるのは、滿洲には鵲が多いからであらう、と述べてゐる。又、戯曲を讀んで下さればわかるが、後の方に出てくる「三姓の亂を定めた。」と言ふ傳説は、恐らく金氏の始祖に關する事實の轉訛したものであらう、と。だが、氏は最後に於て、
「――然れども、天女浴池の事に就きては、吾人、曾つて、清朝の史臣が、殷の傳説を剽竊ひょうせつせしものに非ざるかとの判斷を下せし事あれど、そはあやまるべし。天女は、久しきより薩滿シャマンの奉祀せる神位に列ねありたり。」
と、結んでゐる。
 勃れにせよ、傳説は傳説に過ぎぬであらう。たゞ、吾々は、その傳説の中に、仄かに漂ってゐる郷土色と國民性を味へば、それでいい。又、感慨的な意味から言って、現在の滿洲國をそれに思ひ合はせ、滿洲開基のその昔を、ロマンテックに回顧するだけで十分であらう。
 ほんの短いメルヘンを、兎に角、戯曲式に表現しようとする爲には、多少の無理を敢てしなければならない。即ち、この戯曲の第三場は、實録によると、
「――歴數世後其子孫暴虐、部屬遂叛、於六月間將鄂多理攻破、蓋殺其闔族子孫、内有一幼兒名樊察脱身走至曠野――。」
と記してあるが、筆者はその樊察を矢張り第二場に於ける主人公、布庫哩雍順と同一人として取扱った。これは傳説を尊重しないのではなく、戯曲構成の必要上からに過ぎない。
 尚、その他細い點に就いては、筆者は出來るだけ、傳説を傷けない範圍で、自由な態度をとった事を、讀者諸賢に諒察を願って置かなければならない。

第一場
 布爾瑚理(滿洲實録によると次の如し――長白山之上有一潭名闥門)と呼ぶ、鴨縁江と松花江と混同江の上流に位する大きな湖のほとり。たいへん水が美しく澄んで、空の色をその儘といったやうである。
 幽翠な山間の空氣は、今日しも折からの春光を一パイに受けて、至極うらゝかに、樹上にさへずる鳥の聲にも、花毛氈を敷いたやうな百花燎爛の草の上にも、パラダイスのやうな光明が滿ち溢れてゐる。
× × × ×
 美しき牧歌風な奏樂――。
 やゝ暫くして、年老いた僧形の豫言者が、長杖をつき乍ら現れる。
× × × ×
豫言者 (豫言者舞臺の中央まで來て、おもむろに周圍を眺める。)おゝ、よい景色ぢゃ。何と花の香のする微風ぢゃらう。わしは遠い國から、遙々旅をして來たが、このやうな場所が、旅すがらの山の中にあらうとは思ってもゐなかった事ぢゃ。
 ――(小鳥が啼き乍ら、頭を掠めて行くのを眺め乍ら)小鳥よ、汝も樂しさうぢゃの。あまりさへづり過ぎて、喉が乾いたと見える。おゝ、わしも小島と共に、あの湖の水を飲みたうなったわい。どれ。
(水際の方へ降りて行き、手で湖の水を掬ふ。――小鳥がしきりに啼く。)
豫言者 甘露の水ぢゃ。生命いのちの水ぢゃ。これこそ愛の泉ぢゃわい。
(豫言者、ふと、水の中を凝と眺め込む。――アンダンテ風の伴奏が、次第にアレグロ調に變る。
 豫言者は俄に體を起し、兩手を上げて空を仰ぎ、そして、感激に耐へぬやうに、舞臺の中央に戻って佇む。)
豫言者 (壯重に)わしは見た、天の意志を。鏡のやうな湖水の面に寫った天の意志。わしは天の啓示を受けたのぢゃ。
 おゝ、わしの胸にはほとばしる歡喜がある。わしの眼の中には、眩ゆいばかりの光明がある。――この地は世にたぐいなき人間を生む場所ぢゃ。此の世に天と地と通ずる一つの道ありとせば、この地こそはその道でもあらうか。わしは今、天下に告げん、この地には軈て優れたる、英雄が生み出されるのぢゃ。
 英雄よ! 汝は汝の智と勇と力によって、亂れたる諸國を統一するであらう。汝の治むる國は、げに、美しきみのりの國となるであらう!
(この頃より、物凄き獸の唸り聲が聞へる。猿やその他の獸の奇妙な叫び聲も聞える。――豫言者は瞑目し、腕を組んで、獸然と立つ。小鳥や獸が、ぞろぞろと四方から姿を現して、豫言者の周圍に輸を描き乍ら、ぐるりぐるりと廻り始める。)
豫言者 (瞑目した儘、聲をあげて)祝福せよ、世のすべてのものよ、やがて此の地に生るべき不世出の英雄の爲に。
(伴奏が狂想曲となる。金色の光、燦然として舞臺一面を覆ふ。
 と、舞臺の前に薄い幕が降りて、伴奏が急に、潮の曳くやうに、騒がしいものからカンタビーレに變る。)
× × × ×
 薄幕が、音もなく捲き上げられると、今迄の舞臺と舞臺には全く變りはないが、豫言者も、野獸も、そんなものは影を全く消し去ってゐる。たゞ、春の陽がうらゝかに照り亘り、長閑な鳥の聲が、聞えてゐる。
 と、次の瞬間、雅かな樂の音と共に、ひらひらと白い長衣の裳と袖を翻し乍ら、三人の仙女が中空より舞ひ降りて來る。
「滿洲實録」によると、「長名、恩古倫、次名、正古倫、三名、佛庫倫」とある。
 三名が舞臺中央に降りると、樂が止まり、周圍が急に明るくなる。
× × × ×
恩古倫 矢張り降りて來てよかったね。思ったより春の眞盛りぢゃないの。
正古倫 本當ね。いつも天の上から見てゐたばかりぢゃつまらないわ。斯うして地上に舞ひ降りてみると、しみじみ、人間の世界もうらやましい氣がするわ。
佛庫倫 おや、可愛い花、私、こんな飾りけのない、素直な花を見た事はないわ。地上のものは、みんな遠慮がちねぇ。
恩古倫 さう、いゝ思ひつきをした事よ、みんな、あの綺麗な水の中に入らない事? 裸になって、思ふ存分あの湖の中を泳がうぢゃありませんか。
佛庫倫 わたし恥しいわ、そんな事していゝのかしら?
正古倫 關やしない、またと降りて來られるかどうかわからない地上ぢゃないの。思ふ存分、お姉さまの仰有るやうに樂しく遊ぶのよ。
恩古倫 ぢゃ、着物を脱ぎませう。私が一番に水の中に飛び込んでよ。
(三人がそれぞれ樹のかげで着物を脱ぐ。樂しげな奏樂。――三人の白い着物は、三つの白い薔薇の花のやうに、青い草の上に投げすてられる。
 ――三人は、子供のやうに朗かに、水際みずぎわの方に、舞ひ走って行く。)
正古倫 あゝ、愉快、みんな、歌を唱はない?
佛庫倫 唱ひませう、水の中で。
恩古倫 (水の中に第一番に飛び込む)あ、冷めたい!
正古倫 (二番目に飛び込む)あ、氷のやうだわ!
佛庫倫 (最後に水に入って)いゝ氣持ね、御覧なさい、陽の光に、あんなに水が綺麗にきらめいて。
恩古倫 (水を掬ってたはむれ乍ら)水晶の玉のやうだ。ほーうら、綺麗だわねぇ。
佛庫倫 いやァよ、頭から水をかけちゃぁ。
正古倫 歌を唱ふのよ、よくって。
(――正古倫につれて後二人も合唱する。)
 天地萬物、太陽の惠みを受けて
 春は來れり
 湖には幸ひが溢れ
 野には滿足が躍る。
 布庫哩の宮殿、この山のはざま
 命を享くる者たちの倖せよ!
(――この歌の最中に一羽の鵲が、羽をゆっくりとはためかせ乍ら、空中を圓舞しつゝ、どこからともなく降りて來る。尚、その鵲のくちばしには、何か知らないが、朱い木の實のやうなものが、くわへられてゐる。
 鵲はやがて、三人の脱ぎすてた衣の上をぐるぐると舞ってゐたが、ふと、佛庫倫の衣の上にそっと降りて、その衣の袂の中に、啣へてゐたものを置いて、またすぐ飛びたつ。)
正古倫 あゝ面白かった。そろそろ、上って、今度は草の上で遊びませうよ。
佛庫倫 體が冷えて來たわねぇ。私も上るわ。
恩古倫 私はもう少し深い方に行ってみるわ。二人とも上って待ってゐて。
正古倫 あら、深い方へ行くの、ぢゃあ、私も行くわ。
佛庫倫 深い方なんて、私、こはいから行かなくってよ。
正古倫 あなたは行かなくってもいゝわ。お姉さま、二人で行ってみませうよ。
恩古倫 ぢゃ、行きませう。(佛庫倫に)あなたは岸に上ってゐてちょうだいね。
(姉二人は水の中を、深い方に歩いて行く。――佛庫倫はひとりで、岸の方にあがる。衣物の所に來て、さっそくそれを取りあげやうとすると、コロリと中から朱い果實がころがりおちる。たいへん美しい色艶である。佛庫倫は骸いて、それを拾ひ、色々と眺めてゐたが、急に子供らしく、あたりを伺ひ、姉たちが、その邊にゐないのを見て、果實をザクリと一かぢりする。たいへんおいしいらしい。もう一口かぢる。軈がて、夢中になって、全部を食べて了ふ。――と、奏樂がスケレツォになり、佛庫倫は急に苦み始める。
 姉たちが歸って來る。)
正古倫 お姉様、私、随分、怕かった。もう少しで、水をのむところよ。
恩古倫 私も、あんな所に、あんな深い所があるとは思はなかったわ。でも、よかったわねぇ。さ、早く上って、衣物を着ませうよ。
(――二人は岸に上って來て、ふと、妹の苦んでゐるのに目をとめる。)
恩古倫 (駭いて)あら、どうしたの?
正古倫 けがをしたの。
(佛庫倫、うつむいて、苦悶してゐる――二人の姉は手早く衣服をつけて妹の左右にかけ寄る。)
恩古倫 あなた、どうしたと言ふの、はっきり言ってちょうだいよ。
正古倫 苦しいの? 背中を撫でてあげるわね。さ、言葉ものが言へたら、わけを話すのよ。
佛庫倫 (苦しさうに)お姉様、私、赤ちゃんがお腹に出來ましたわ。とても苦しいのよ。
恩古倫 赤ちゃんが、あら、さう。(駭く。)
正古倫 大變ねぇ。どうしたらいゝかしら。
恩古倫 仕方がないわ。それはきっと天からの命令に違ひないと思ふの。あなたは、赤ちゃんを立派に産んで、そして育てなけれゃならなくってよ。
佛庫倫 私もさう思ってゐるの。
正古倫 あら、もう、あんなに陽が傾いた。すっかり歸ることを忘れてゐたわ。
恩古倫 おそくなつたら大變よ、何はともあれ、早く天に歸りませう。さあ、用意してね。
正古倫 忘れものはなくってよ、お姉様、少し急ぎませうね。
恩古倫 さあ、地上にさようならしませう。
佛庫倫 (悲しさうに姉に縋り乍ら)お姉様、私、體が重くて飛べないの、私、地上から動けなくなってしまったの。
正古倫 あら、どうしませう、困ったわねぇ。
恩古倫 あなたは地上にゐるより外はないわ。きっとそれが天のお指揮さしずよ。あなたは赤ちゃんを産んで、そだてたら、又、歸っていらっしゃいな。
佛庫倫 お姉様お別れねぇ。
正古倫 さようなら。
恩古倫 きをつけて、暮すのよ。
佛庫倫 お姉様! お姉様(悲しげに泣く。)
(再び雅かな樂の音――二仙女の體はふわりと舞ひ上って空の彼方に消えてゆく。佛庫倫は、はげしく歔欷すすりなきして、その後を追ふようにするがかなはない。つひにバタリと草の上に打ち伏す。日が次第に没して、舞臺が暗くなり始める――。)

第二場
 どうせ傳説の事である。時間と距離の觀念は甚だ稀薄である。第二場は第一場よりさう長くはたってゐない。だが、美しき天の處女、佛庫倫が身ごもって、そしてやがて産み落した玉のやうな男子は、すくすくと生ひ育って、またゝくまに勇壯活溌な少年になって了った。滿洲實録に曰く「――姓愛新覺羅、名布庫哩雍順。」
 場面は第一場と同じでよい。たゞ時が經過してゐるので、同じ風景でも多少は前場と異ってゐる。木々には熟れた實が成り、山蔭には、藁葺わらぶきの小屋がさゝやかに立ってゐる。
 佛庫倫は、母らしくなってはゐるが、相變らず天女らしく美しい。布庫哩雍順は、筋骨逞しい、なかなか不敵な面構への少年である。二人は舞臺の中央で話してゐる。
× × × ×
佛庫倫 今日はね、改めて、あなたに話したい事があるのだよ。それで呼んだのだよ。
布庫哩雍順 惜しい事をしたなぁ、僕はもう少しで、猪を生捕りする所だった。お母さんの聲が聞えたんで、たうとう逃がして了った。
佛庫倫 亂暴はいけませんよ。たとへ野獸でも生命いのちあるものをあやめたりする事はいゝ事ではありません。
布庫哩雍順 僕はそんな事はしやしないよ。猪でも虎でも、可愛がってやるんだ。たゞね、他の弱いものをいぢめたり、自分より力のないものを捕へて食べて了ったりする奴は、見つけ次第、しばって、罰を食はしてやるだけなんだ。
佛庫倫 今日あなたに話したいと言ふ事はね、ほかでもないけれど、あなたとお母さんは、今日きりお別れしなければならない事なのだよ。
布庫哩雍順 何ですって? お母さん何處へ行くんです?
佛庫倫 天に歸るんだよ。
布庫哩雍順 そんな事言はないで、僕と一緒にゐてよ。
佛庫倫 ゐたいけれど、さう言ふ譯にはいかないのだよ。お母さんは天の人なの。この地上にはいつ迄も住んでゐる事は許されないんだよ。
布庫哩雍順 だって、まだ、いゝぢゃないか。
佛庫倫 もう、お母さんの地上での役目は終ったんだよ。あなたを生んで、立派に育てゝ、一人前の男にしたからそれで、お母さんは地上にお別れをしなければならないんだよ。
布庫哩雍順 どうしても天に歸るのかなぁ。
佛庫倫 悲しいけれど、仕方ないわ。それでね、あなたによく話して置かなければならないけれど、あなたはもともとたゞの人じゃないんだよ。
布庫哩雍順 どうして?
佛庫倫 お母さんは、或日、鵲の持って來てくれた果物の實を食べたの。そしたらあなたがお腹の中に出來たの。
布庫哩雍順 ぢゃ、僕を、鵲がお母さんのお腹の中に持って來てくれたんだね。
佛庫倫 さう言ふ譯なんだよ。それで、あなたは生れるとすぐ言葉も言へるし、どんどん走ることも、とびまはる事も出來たんだよ。あなたは、普通の人間の子ぢゃなくて、天がお母さんに云付けて産ました天の子なんだよ。
布庫哩雍順 わかったよ、お母さんの言ふこと。
佛庫倫 それでね、天がどうしてあなたをお母さんに産ましたかと言ふ事を、よく考へてみなければいけないの。
布庫哩雍順 僕を働かせる爲なんだらう。
佛庫倫 天の意を體した人間として、あなたは立派に働かなければなりません。このごろ世の中はいろいろと亂れて、人間たちはたいへん不倖せに暮してゐると言ふから、あなたはそれらの亂を平定して、世の中を明るい、住みよい、そして樂しいものにしなければなりません。
布庫哩雍順 僕には出來るよ。僕は諸國を治め、人民を可愛がって、出來るだけ幸福にさせてやるよ。
佛庫倫  よく言っておくれだね。それが、天があなたにさせる仕事に違ひないからね。お母さんは、あなたを信じてゐるから、天に昇っても、いつも安心してゐるよ。
布庫哩雍順 いいとも、お母んを心配させるやうな事はしないから。だけど、お母さんと、もうこれきり會へないなんて、悲しいなぁ。
佛庫倫 定めと言ふものは、どうする事も出來ないからね。たゞ、お母さんを懐しく思ふ時は、心を鎮めて、天を眺めなさい。あの蒼い天の色は、お母さんの瞳の色だし、あたゝかい陽の光は、お前を撫でるお母さんの手なのだよ。お母さんの聲を聞きたかったら、耳を澄して風の音を聞きなさい。あなたの心には、お母さんの言ってゐる言葉が、瞭りと聞えるからね。
布庫哩雍順 僕はお母さんの顏は、心にやきついてゐるから、決して忘れやしないよ。
佛庫倫 ぢゃあね、あなたは、そこの小川にある舟にのって、河下かわしもの方にどんどん降りていってごらん。お母さんは、これで天に歸るからね。
布庫哩雍順 お母さん! お母さん!
(雅かな音樂がおこる。佛庫倫の體は、雲に乗ったやうに、ふわりふわりと中空に舞ひ昇る。布庫哩雍順は、その後を追はうとするが、あきらめて、悲しげに手を振る。
 佛庫倫の姿は空に消える。
「フューネラルマーチ」風の寂しげな音樂。
 ――陽が俄にかげり出し、夕闇が濃く漂ひ始める。
 布庫哩雍順は、とぼとぼと小川の方に歩いて行き、山蔭の岸邊に舫ってあった小舟の中に乗り移る。
 ともを杭からはづす所で、舞臺は暗くなって、次の景にチェンヂする。)
× × × ×

 長白山の東南、鄂謨輝の附近。
 鄙びた村の端れである。
 柳の植った堤の下には、布庫哩雍順を乗せた小舟がひたひたと寄せる川波に揺られ乍ら、漂ひ着いてゐる。
 ――布庫哩雍順は默然と腕を組み、小舟の中に端坐してゐる。
 陽は高く、百鳥の鳴く聲なぞ聞える。
 スケレツォ風の奏樂にて、俗人の住む環境を現はす。やがて、大勢の足音と共に、それは止まる。
× × × ×
群衆の甲 (大勢と共に登場し乍ら)えらいこっちゃ、もう、こゝまで逃げて來れば、生命いのちには別状はあるまい。
群衆の乙 息がきれてものが言へぬわい。おゝ、しんど!
群衆の丙 こんな重いものを背負って走ったんで、わしは肩の骨が折れさうな氣がする。(長持を放り出して)やれやれ、どえらい目に會ったわい。
群衆の丁 (泣き乍ら)わたしゃ、子供とはぐれて了って、悲うて、悲うて。今頃は殺されてゐるかも知れません。
群衆の戊 おかみさん、わしだって、娘を攫はれて了ったんぢゃ。泣きなさんなよ。
群衆の甲 あ、來たぞ、來たぞ、かうしちゃゐられぬ。生命いのちのほしい奴は逃げろ!
(群衆一同、がやがやとあわてふためき、蜘蛛くもの子を散らすやうに逃げ出す。長持は放り出された儘である。
 ――兵士の一群、退却して來た風で登場する。負け戰と見えて、だいぶ、負傷なぞしてゐる。)
兵士のA 殘念だな、折角、城の間近にまで攻め込んだのに、又、逆に追ひ散らされるとは。
兵士のB なァに、一度、引揚げて、また攻めかゝるさ。
兵士のC おれは腕を切られたから、戰爭はもう出來さうもないぜ。
兵士のD 兩腕を切られても戰爭はしなけれァならんさ。毎日毎日、戰爭しなけれァ暮らせん世の中だからな。
兵士のB 情けない事だ。誰か方々の國を抑へつけて、勝手にあばれたり、自分の慾のために人を殺したり、國を取ったりする事が出來ないやうにしてくれないかなぁ。
兵士のA そんな偉い奴はこの世の中にはゐないさ。
兵士のB や、敵の奴、又、逃げ始めたやうだぞ。みろみろ。城の中に逃げ込んでゐる。
兵士のC もう、攻めるのは、よさう。
兵士のA 暫く休んでからにしようかなぁ。
兵士のD 喉が乾いたから、水を飲んで來よう。
(兵士のDは、堤の上から、河の方へあぶなかしげな足どりで降りて來る。そして、水を手で掬って飲み乍ら、不圖、傍の小舟の男を見る。)
兵士のD 變な男だなぁ。見なれない顏をしてゐるが。
兵士のA (堤の上で)おや長持が落ちてゐるぞ。(開けてみて)食ひ物があるな、皆、食へ、食へ。
兵士のD (小舟の傍に寄り乍ら)おい、おい、小僧、お前、そんな所で睡ってゐるのかい?
布庫哩雍順 (悠然と)睡ってゐるのではない。天の言葉を聞いてゐるのだ。
兵士のD (思はず壓倒されて)ヘーえ、あんたは、あんたは……。
兵士のB うまいなぁ、これはうまい。(堤の上では兵士共が盛んに長持を荒してゐる。)
布庫哩雍順 わしの性(※ママ)は愛親覺羅氏、名は布庫哩雍順だ。天がわしを地上に寄越して、亂れに亂れたこの世の中を治め導かしめるのだ。
兵士のD (腰を抜かして)へーえ。
布庫哩雍順 わしの母は天女佛庫倫、母がわしをこの地に流れつかしめたのだ。
兵士のD (あわてふためき堤の上に這ひ上り)た、大變だぁ!
兵士一同 (吃驚して)ど、どうしたんだ、敵の奴が隠れてゐたのか?
兵士のD この下の岸に、大變な人がゐる。顏付は人間ばなれしてゐて、子供であり乍ら、おれたちの今迄に見た事のないやうな威光を持ってゐるのだ。天からこの亂世を平定しにつかはされた者ぢゃと言ったが、おれの肝は縮み上って、返事も碌に出來なんだわい。
兵士のA 非常の人だ!
兵士のC 本當に天より下された人に違ひない!
兵士のB この世を眞に救ふ人だぞ!
兵士のD おれはもう顫へて、その人を見る勇氣もない位だ。
兵士のA ぢゃ、今すぐこれから、陣營にお連れしよう。輿がないが、困ったな。
兵士のC いや、恐れ多いが、手を組み合せて、その上にお乗せして行かう。天の聖人を歩かしては罰があたるからな。
兵士のB 下に降りて、お迎へしよう。
(兵士たち恐る恐る堤の下に降り、平伏する。)
布庫哩雍順 お前たちの相談は聞いた。わしはお前たちと共に陣營に行かう。そして諸國の城のあるじを呼び集めて、天下を忽ち平定しよう。
兵士一同 (頭を地にすりつけて)へーえ。
布庫哩雍順 (重々しく立ち上って)腕を組め、そして我をかついで行け!
(勇壯な「行進曲」風な奏樂――布庫哩雍順が堤の上に歩を進めると、兵士共は鞠躬如きっきゅうじょとして後に從ひ、そして、うやうやしく腕を組み合せて馬をつくる。布庫哩は悠然とそれに跨る。)

第三場
 この場面は最初にも斷って置いたやうに、傳説とはちょっと變へてある。滿洲實録には「――相挿手爲輿擁捧而回、三姓人息爭共奉布庫哩雍順爲主以百里女妻之、其國定號滿洲乃其始祖也」とあるが、筆者は、劇の構成上、これを適當に案配した。
 第三場は長白山の東、俄漠惠の野、俄朶里城の外。布庫哩雍順は既に立派な青年となり、兵を卒ゐて、今城外に堂々の陣を敷いてゐる。手剛い叛將を片っぱしから討伐して、次第に諸國を統一しつゝあったのだが、最後に對戰した今日の敵が、なかなかあなどり難い強敵だったのである。
× × × ×
布庫哩雍順 (戰時とは見受けられない落着で)戰況はどうじゃな?
從者 はい。遉の敵も、既に傾く落日の如く、落ちゆく自身の運命を知ったやうでござります。
布庫哩雍順 今日のいくさがすめば天下は、既に波ひとつたゝぬ穏かな世になる。長く亂世に苦んだ民草も、やっと倖せに暮すことが出來るやうになるのだ。
從者 いよいよ大願は成就でございます。
布庫哩雍順 我が母は天にゐまして、さぞかし、我が働きを御照覧の事と思ふ。我が大業成れば、我も母を恥かしめなくて濟む事になる。
(布庫哩雍順の妻、百里女登場。侍女、美しく從ふ。)
百里女 如何でございます? お疲れではございませんか?
布庫哩雍順 何の何の、そなたこそ、かような場所に足を運ぶ事はないぞ。
百里女 お慰めに参ったのでございます。舞ひのひとさしなりと、如何でございませう?
布庫哩雍順 無聊な陣中ぢゃ。よからう、志氣を鼓舞する爲にの。
百里女 (侍女たちに)わらはに連れて、そち達も舞へや。
侍女たち かしこまって、ございます。
(美しき奏樂――モデラートなテンポに從って、五色の衣をそれぞれに飜へす侍女たちの輪舞。ひとしほ百里女の舞ひは美しい。)
布庫哩雍順 見事、見事、わしは久しぶりに樂しい思ひをしたやうぢゃ。さあ、皆も、さがって休息したがよからう。
百里女 つたない舞ひが御氣に召して望外の喜びでございます。では、私ども、御邪魔になりませぬやう、あちらに退いて控へてをります。
布庫哩雍順 それがよからう。
百里女 では皆の者、わらはと共に下るやう。
(百里女は侍女を連れて、退場。と、俄にときの聲が聞え、兵士共の騒がしき、雄叫びが間近になる。)
布庫哩雍順 如何したのぢゃ?
從者 (あはてゝ)調べて参りませうか?
(そこへ手傷を負った部下の將の一人が走って來て平伏する。)
 大變にございます。穴から追ひ出された野猪のやうに、敵の大將が命を捨てゝ切り込んで参りました。不幸にして、我軍は虚を衝かれ、守備の兵も浮足立ってございます。
從者 全軍を呼び集めろ!
 残念乍ら手遅れでございます!
從者 (顔色を變へて)何を言ふか、汝はおめおめと我等に命を捨てろと言ふのか、たはけめ!
(やかましき軍鼓の音。敵兵が獅子奮迅の勢で雪崩込んで來る。味方の兵は追ひたてられ追ひたてられ惨々な目にやっつけられる。布庫哩雍順は、亂刄を避けて、傍の丘の下に立つ。と、どこからとなく鵲一羽、舞ひ降りて、布庫哩雍順の頭の上に止まる。)
敵將 布庫哩雍順はどこへ行った、あいつを殺せば天下はおれの物だ。布庫哩雍順を探し出せ!
敵兵 どこに行ったかわかりません。
敵將 この陣營にゐた事は確だ。くまなくこのあたりを探してみろ!
敵兵 あの丘の下に立ってゐるものは何でせう?
敵將 馬鹿め! あれは枯木だ。見ろ、鵲がてっぺんに止ってゐるぢゃないか?
敵兵 敵の奴はたいてい殺して了ったのですが、布庫哩雍順の姿が見えないとは、困りましたな。
敵將 や、敵が勢を盛りかへしたな。
(威勢のいゝときの聲。さはがしい劍戟の音が聞えて、布庫哩雍順の兵士が敵兵を片っ端から薙ぎ倒し乍ら現れる。
 敵將、逃げようとして、刺されて、殺されて了ふ。
 布庫哩雍順の頭上の鵲も、それを見届けると、羽音勇ましく飛び立って、ゆっくり空を一周して、姿を消し去る。
 布庫哩雍順の所へ、味方の兵一同馳け寄り、脆まづく。)
 敵を全滅させてございます。
布庫哩雍順 (滿足げに)一人のこらず討ちとったか?
 御仰せの通りにございます。
布庫哩雍順 最後の強敵も、たうとう亡びてしまったのだな。これで全國は平定したのだ。
兵一同 お目出度うございます。
布庫哩雍順 うむ。然し、この目出度いと言ふ事は、わしに言ふ言葉ではなく、今迄兵亂に苦しめられてゐた人民たちに言ふ言葉ぢゃ。わしは全部の國を引っくるめて、「滿洲」と言ふ國を建てる事にしよう。わしが天意によって國王だ。城は俄朶里城――天下は永久に幸福だ。
兵一同 國王は天の聖人、国號は「滿洲」ぢゃ!(各自に狂喜する。)
布庫哩雍順 「滿洲」はこれより以後、連綿として續き、人民は「滿洲」を天下の樂土と謳歌するに違ひないのだ。「滿洲」を享け繼ぐ王たちよ、おみらは、我と同じく天より授けられたる神の御子であるぞ!
兵一同 臣下たちも永久に忠誠を國王の前にお誓ひ致すでございませう。
布庫哩雍順 われ等は王道を以て天下を統べ、邪をしりぞけ、美しき「實りの國」を打ち開かう。鵲はわれ等の神として祭り、後生まで決して害を加へてはならぬぞ。皆に傳へよ。
兵一同 かしこまってございます。
(奏樂――百里女、再び侍女たちをつれて登場。)
百里女 天下平定、おめでたうございます。
布庫哩雍順 うむ、「滿洲」と言ふみのりの國が出來たぞ、よろこべ!
(兵一同、手をあげて、萬歳を叫ぶ。神鵲が數羽、打ちつれて空に現れ、一同の頭上を美しく輪舞する――アレグレットな終曲にて……。)
 註――この布庫哩雍順から數代すぎて、太祖、愛親覺羅が清朝を建てた。太祖は萬暦四十六年(西暦一六一八年)頃の人である。

注)明かな誤字誤植は訂正しています。佛庫倫、佛固倫、佛古倫の混在がありますが佛庫倫に統一しています。
注)句読点は補ったところがあります。段落頭の一文字空けは追加したところがあります。



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夢現半球