滑稽小説「行違ひ物語」妹尾韶夫
「淑女画報」 1922.10. (大正11年10月) より
突然後から
實際我輩は癪に觸った。と云っただけでは解るまい。實は斯うなんだ。僕方の下男の金三は年々一度暇を取って田舎に歸る。彼奴の留守中は代役を勤める下男を雇ふ事になってゐる。ところが其の下男の金三が今日歸って來たのだ。そして臺所に行って代役を勤めた男に金を拂ってゐた。
恰度その時、僕は切手だったか絲だったか、何だかそれは忘れたが兎に角何かを貰ひに金三を探して臺所に行ってみた。すると金三の間抜野郎奴! 臺所の扉を開けっ放しにしてゐるので、彼奴の云ふ事がまるで我輩の鼓膜に響いて來た。金三は代役を勤めた男に斯う云ってゐた。
「あの山下さんは面白い愛嬌のいゝ旦那だが、利口な人ぢゃないよ。決して利口な人ぢゃない。まあ大抵な人間だね。」
癪に觸った! 實に癪に觸った。
僕は最少しのとこで臺所に飛込んで、小っぴどく金三の野郎を遣り込めてやらうかと思ったのだが、相手は金三だ、滅多な事は出來ない。そこで我輩はいきなり帽子とスキテッキを取ってぶらりと外に飛び出した。外に出たものゝ何うしても先っきの事が口惜しくて仕方がない。
元來が山下家の者は皆んな物事を容易に忘れぬ質、尤も物によったら忘れる。例へば手紙を出すことや、約束なぞは忘れる事もある。然し斯んな侮辱を受けたことは、決して決して忘れ得ないのだ。我輩は惡魔の様になって、先っき小耳に挾んだ金三の言葉ばかり思ひ詰めた。
とある珈琲店に這入って、興奮劑を一杯飲まうとした時にも、僕は相變らずその事を思ひ續けてゐた。實はその時、伯母の家に晝飯をよばれに行く途中だったので、何うしてもこれなしには遣り切れれなかったのだ。斯んな時には何でもこれを一杯きゅうと遣るに限る。
始めの一杯を一息に飲んで、二度目をゆっくり飲みながら、何うやらぼつぼつ好い氣持になりかけてゐると、誰やら唐突に後の方から口に一杯頬張った聲で我輩の名を呼ぶ者がある。振向いてみると、備後の奴が隅の方で、サンドウィッチを食ひながら、ふんぞり返ってゐる。僕が云った。
「やあ! 備後か。此の頃ちっとも顏を見せないぢゃないか、何處かに行ってゐたのか?」
「うん、此の頃は田舎にゐるんだ。」
「田舎!」僕は吃驚した。備後の田舎嫌ひは有名だったから。「田舎の何處だい?」
「湘南の茅ヶ崎さ!」
「本當か? 僕は彼處に別莊を持った人を知ってゐるよ。大山の一家族だ。君會ったかい?」
「なあに、會った處ぢゃない。僕はその大山の別莊に住んでゐるんだ。大山の子供の家庭教師をしてゐるんだ。」
「家庭教師とはまた妙な者になったね。何うしてそんな者になったんだ?」と我輩が訊ねた。備後が家庭教師とはちと可笑しい。成程、彼も我輩が早稲田を出た年に帝大を出た男だ、然しそれにしても彼が家庭教師とは少々滑稽すぎる。
「何うしてったって、そりゃ無論金の爲さ、彼方に行ってからは最う三週間になる。」
「僕は大山の小僧にはまだお目にかゝった事がないよ。」
「左様か。」
「僕が知ってゐるのは彼處の娘さんだけだ。」
僕の言葉にさッと備後の顏色が變った。目は、圓くなって飛び出し、頬は血の氣で赧くなり、咽喉笛の飛び出た玉は鞠の様にぴこぴこ動き出した。
「おい、山下!」と彼は頸でも締められる様な聲を絞った。
崇拝する雲雀よ
我輩は憐れな備後を氣の毒さうに見やった。彼が何時でも誰かにラヴしてゐるのは僕も知ってゐた。然しまさか、あの雲雀子のお轉婆娘に思ひを寄せてゐようとは夢にも思はなかった。我輩に取っては彼女は毒壼に過ぎない。此の頃到る處にうようよしてゐる理窟ぽい元氣なお轉婆娘に過ぎぎない。
彼女は目白に行って素晴しい知識を吸収すると共に運動と云ふ運動に悉く手を出して、角力取の様な體を錬えた女だ。大學の建物がよくあの女に叩き潰されなかったものだ! 僕なぞはあの女の影が見えると、何處でも怖ろしさに逃げ込んでしまふ。だのに備後はその雲雀子に夢中になってゐる。彼の兩眼には愛の光が輝いてゐる。
「僕は雲雀子を崇拝してゐる。僕はあの女が踏んだ土地でさへ崇拝してゐる。」愛の涙に冒されてゐる彼は、あたり構はず大聲で喚き立てた。
珈琲店の給仕馬の様に耳を立てゝ聴いてゐる。二三人の客が這入って來た。備後はそれでもお構ひなしだ。彼の態度には、周圍に澤山の人を集めて、舞臺の中央に立って大聲で自分の戀物語を始めるあの歌劇の主人公に似た處があった。僕が云った。
「あの女の眼はまるで曹長の様な眼だよ。」
「馬鹿を云ってらあ! 優しい女神の様な眼だよ。」
「おい、ちょっと待って呉れたまへ、一體君と僕は同じ女の事を話してゐるのか? 僕は雲雀子の事を話してゐるんだよ。雲雀子に妹でもあるのか?」と僕はいった。
「僕もその雲雀子の事を話してゐるんだ。」と備後が勿體らしく云った。
「で君はその雲雀子を女神の様だと思ってゐるんだね?」
「左様さ。」
「おやおや!」
「あの女は實に星の輝やく晴れた空の様に美しい。その眼元には闇と光の最も美しいものが集まってゐる――おい。」と給仕を振返って「サンドウィッチのお替りだ!」
「うんと詰め込んで力を着けたまへ。」
「僕は今、晝飯を遣ってゐるんだ。これから一時五十分に東京驛で清太郎を待ち合はせて、汽車に乗って茅ヶ崎に歸らなくちゃならない。彼奴を齒醫者の處に連れて來たんだ。」
「清太郎? 小僧の事かい?」
「うん、厄介な奴だよ。」
「厄介な奴で思ひ出した。僕はこれから伯母の家に行って飯を食はなくちゃならないから、今日はこれで失敬するよ。」
結婚の命令
我輩の伯母は世間では評判がいゝ、あれでも他人の前ぢゃぶつぶつ云はないのだらう。けれども僕に對しちゃ、子供の時から一緒に飯を食ふ時に、一度だって嫌な事を云はなかった事がない。今日は斯んな事を云った。
「お前の様な若い者が何時までもぶらぶらしてゐては屹度今に困る事があるよ。」
「はあ。」
「お金が澤山あるのも大抵なものだ。本當にお前は仕様のない子だ――穀潰しだ――」と、それから光る眼で僕を凝と見詰めて、「お前は早くお嫁をお取り!」だって。
「でもそりゃ駄目ですよ。」
「お嫁をお取り! そして早く子を育てゝ――」
「駄目です。そりゃ駄目です!」僕は火の様に赤くなって反對した。
「お前は自分の性質の缺點を補ふ、強い、しっかりした、利口な女と結婚しなくちゃならない。幸ひそんな好い相手が見付ったんだ。先方は家庭もいゝし、お金も澤山持ってゐる。尤もお金はお前には要らないが、そして先方ぢゃお前に會った事もあって、お前に缺點が澤山あるのもよく知ってゐるのだが、嫌っちゃゐないらしい。それは確だ。妾がそっと試してみたのだから間違ひはない。だから最うお前の方から申込みさへすればいゝのだ。」
「誰です?」僕はこの質問を最っと早く口に出す處だったのだが、思ひ懸けない伯母の話に面喰って飯を嚥込み損って咽喉に引っかけて、やっとのことで嚥み卸して氣管に息を吸ひ込むまで云はなかったのだ。
「誰です?」
「大山のお嬢さんの雲雀子さんだよ。」
「嫌ですよ、嫌ですよ!」僕は蒼くなった。
「馬鹿をお云ひでない。あの人は恰度いゝお嫁さんだ。」
「だって――」
「あんな人と結婚したらお前の癖も少しは直ると云ふものだ。」
「直して貰ひ度くはありませんよ。」
すると伯母はぎゅうと眼をむいて我輩を睨んだ。昔子供の時に菓子の入れてある戸棚の傍で僕が見付けられた時と同じ目付だ。
「あまり妾に世話を燒かせるんぢゃありませんよ。」
「はあ、然し僕は――」
「大山の奥さんがお前に二三日茅ヶ崎の別莊へ遊びに來るやうに御親切に招待して下さったから妾は明日行かせると答へて置いた。
「然し明日は何うにもかうにもならない用事があるんです。」
「何んな用事?」
「あのう――あのう――」
「用事なんかありゃしない。あってもだ、あっても伯母さんがお行きと云ったら、行くのです。お前が明日茅ヶ崎に行かなかったら妾もそのまゝぢゃ置かないつもりだ。」
「ぢゃ行って上げませう。」と僕が答へた。
奇抜な思ひつき
何しろ厄介な事になった。然し厄介なら厄介なほど、金三の智惠を借りなくても、一人で立派に遣って除け得ると云ふことが一層明らかに證明できる譯だ。何時もだったら、この難關を切り抜けるべく、早速金三の處に行って智惠を拝借するところだが、臺所で僕の惡口を饒舌ってゐたから、最う彼奴に相談するのは嫌だ。僕は家に歸ると平氣な顏をして、
「金三、困った事になったよ。」と彼に言った。
「そりゃいけませんね。」
「本當にいけないよ、僕は今、實際高い崖から今にも眞っ逆に深い谷底に墜落しようとしてゐるのだ。」
「私に何とか出來る事でしたら――」
「いや、いや、いや、それには及ばない。いや、いや、有難いがね。なあに、お前の力を借りなくても僕だって立派に遣って除けるよ。」
「そりゃ結構でございます。」
まあざっと斯んな調子だった。
翌日の午後、我輩が茅ヶ崎に行った時には雲雀子はゐなかった。彼女の母の話によれば雲雀子は近くに住むお友達の櫻子とやら云ふお嬢さんの家に一晩泊りで遊びに行って、明日その女を伴って歸って來るのださうな。雲雀子の母は息子の清太郎が可愛くて堪らないと見えて、彼が他で遊んでゐるから、行って見てくれと云はんばかりに、尻押をする様に勸めた。
茅ヶ崎の郊外はちょっと惡くない。松の繁った砂原もあれば小川もある。我輩が松の繁みを廻ると、向ふの小川のそばで卷煙草を吹かしてゐる備後の姿が見えた。其の下で石の上に腰かけて頻りに釣をしてゐるのが厄介な代物の清太郎だ。
備後は驚き且つ悦んだ。小僧も驚き且つ悦んだのかも知れないが、表面如何にも取濟して面に表はさない。彼はちょっと振向いて眉毛をあげて我輩を見たが、直ぐまた釣を始めだした。世の中には往々にして會ふ人ごとに自分が間違った學校に行き、體に合はぬ着物を着てゐるのぢゃないかしらと云ふ感じを抱かしめる傲慢な少年があるものだが、清太郎が恰度その種の少年だった、
備後は二人だけで話せる様に僕を少し脇に連れて行った。
「あんな惡戯小僧の相手をして、彼奴の云ふ事を聞てゐると随分頭が痛くなるだらう?」
「なかなか大變だよ。」
「何が?」
「彼奴を愛する事がさ。」
「君はあの小僧を愛してゐるのか?」
「雲雀子の爲にあの小僧を出來るだけ愛して行き度いと思ってゐるんだ。雲雀子は明日歸って來るんだ。あゝ、我が愛する――」
「そりゃ左様だ。だが一日あの小僧のそばで世話をするのは随分骨だねえ?」
「なあに、用事の無い時は何時もあゝして石の上で釣をしてばかりゐるんだから、大した骨も折れないよ。」
「どうして彼奴を川の中に突き落して遣らないんだ?」
「突き落す?」
「さうさ、突き落して遣るのが一番いゝのだ。」と僕は小僧の背を憎さうに眺めながら云った。「さうすると彼奴も少しは目を覺して變った子になるかも知れないよ。」
備後は氣が乗らないらしく頭を横に振って、
「面白い考だが實行したら雲雀子が承知しない。あの女は弟が可愛くて仕方がないのだからね。」
「あゝーいゝ事があった、斯んな時に金三だったら何うすると思ふ。君は雲雀子に取入らうと思ってゐるんだらう? だからさ、こんな場合には金三だったら、君を彼處の茂みの中に隠れさせるのだ。そして僕が雲雀子を此處に誘ひ出し、適當な時期を見計って僕が釣をしてゐる小僧を石の上からどぶんと突き落すのだ。其の時君が茂みから姿を現して、川の中に飛び込んで助けて遣って、勇敢な働きを雲雀子に見せるのだ。何うだ?」
「君が考へたのか?」
「うん、旨い事を思ひ付くのは金三が一人ぢゃないよ。」
「だが奇抜だね。」
「ちょっと思ひ付いたんだ。」
「然し君の爲には少々不利益だぜ。雲雀子の人望をなくするから。」
「僕は人望なんか無くなったって構やしないよ。」
すると彼は少なからず感動した。
「山下、君は實に天晴な男だ。」
「いゝえいゝえ。」と我輩が答へた。
彼は默って我輩の手をぎゅうと握りしめたが、軈て風呂桶の最後の水が穴から抜け出す時の様な奇聲を上げて腹を捩じらして烈しく笑ひ出した。
「何がをかしいんだ?」僕が訊ねた。
「あの清太郎が濡れ鼠になるのかと思ふと可笑しくて堪らないのだ。あゝ、痛快だ、痛快だ。」
妙な笑ひ聲
翌日のお午過ぎになると雲雀子が櫻子嬢を伴って歸って來た。我輩もその櫻子と云ふお嬢さんに紹介されたが、黒い眼と白い皮膚を持った背の高い女だった。我輩は雲雀子よりそのお嬢さんの方が好きだと思った。暇があったらその女と話をしても惡くはないと思った。然し仕事は仕事だ。きっかり三時に備後を茂みに隠れさせて、雲雀子を川のそばまで誘ひ出すと約束してあるのだから、我輩は着々として事を運んだ。
「貴方は妙に默ってばかりゐらっしゃるのね。」と彼女が云った。僕はぎょっとした。僕はこの時頻りに考へてるたのだ。二人は川のそばまで來た。僕は萬事手落なく用意が出來てゐるか何うかあたりの形勢を觀望した。用意は出來てゐる。清太郎の小僧は石の上にしゃがんでゐる。備後の姿が見えないので、我輩はてっきり彼が茂みの中に身を潜めてゐるものと思ひ込んだ。僕は自分の時計が約束の三時を示す時より二分遅らした。
「えッ? はぁ、えゝ、ちょっと考へてゐましたものですからね。」と僕が答へた。
「貴方は何かお話があると仰っしゃいましたでせう?」
「はあ。」
僕は話題を備後の方に持って行く事に定めた。直ぐとは備後の名を云はないで、隠れながら心から雲雀子を慕ってゐる男が一人あると告げた。
「妙な話ですが、その心から貴女を愛してる男と云ふのは、實は僕の友達なんです。」
彼女はくつくつ笑ひ出した。
「何うしてわたしに打明けないんでせう?」
「いや、それが何ですよ、その男は臆病な男なので勇氣がないのです。」
「貴方も可笑しな人ねえ!」彼女は頤を前に突き出して、汽車が隧道に這入る時の様な鋭どい聲を出して烈しく笑ひ出した。僕の耳には餘り音樂的には響かなかった。石の上の清太郎も感興を害したと見えて忌ま忌ましさうに此方を振向いて、
「おい! そんなにやかましく騒がないで下さい。魚が皆んな吃驚して逃げて仕舞ふぢゃありませんか。」
二人はちょっと默った。彼女は話題を變へて斯う云った。
「清太郎が石の上にあんな坐り方をしてゐますが、危ない事はないでせうか?」
「危いですよ。僕が行って直して上げませう。」
目算はづれて
僕は小僧のそばに近よって故意とらしく微笑を浮べながら、
「君! 釣れますか?」と兄らしい態度で小僧の肩に手を置いた。彼は體をふらふらさして、
「危ない危ない。」と叫んだ。
斯んな仕事は素早く遣らない位なら寧ろ始めから遣らない方がましだ。僕は眼をつぶって小僧を突きとばした。何だかよろめく様な氣がしたと思ふと叫び聲に續いてどぶんと水が刎ねる音がした。眼を明けると小僧が水に浮び出す處だった。
我輩は備後が身を隠してゐる筈の茂みを振り向いて、
「助けてくれ!」と喚いた。
ところが不思議! 備後の影も姿も出て來ない。
「おゝい。助けてくれ!」僕がまた喚いた。
その間にも小僧は次第に危態に瀕して來た。小僧は可愛くも何ともないが、さればと云って見殺しはちと非道すぎる。上から見下したところ、川は何だか氣味が惡かったが仕方がないので僕はとうとう上着を脱いでどぶんと飛び込んだ。
妙なもので裸になって水を浴びる時より服を着て水に這入る時の方が、同じ水でも何だか餘計に冷たい様な氣がするもの、ほんの三秒しか沈んでゐなかったのだが、それでも僕は浮び上った時には、よく新聞に、「死後數ヶ月水中にありたるものゝ如し。」と書いてある男の様な氣がした。水に浮び上ったら小僧を助けて遣らうと思ってゐたのだが、眼から水を拂ひのけて見ると、小僧は早や岸を這上ってゐる。仕方がないから我輩も岸に上ったが、我輩が上った時には早や小僧は家の方にぴょんぴょん飛んで歸ってゐた。
気が付いてみると僕のそばで下關行きの特別急行がブリッヂの下を通り抜ける様な凄じい聲を張り上げて笑ってゐる者がある、雲雀子だ。彼女は我輩のそばに立って可笑しさうにじろじろ見詰めて、
「まあ、山下さん、貴方は本當に可笑しな人だわ! まあびしょ濡れですよ!」
「えゝ、濡れました。」
「早く歸って服をお着替えなさいよ。」
「えゝ。」
我輩は三合か四合の水を絞り落した。
「貴方は本當に可笑しな人だわ! 始めにはあんな廻りくどい話をして、それから妾に助ける處を見せようと思って、清太郎を突き落すなんて!」
我輩はこの怖るべき印象を訂正しようと思って、先づ咽喉から水を吐き出して、
「左様ぢゃないんですよ。」と云った。
「あの子も貴方が突き落したと云ってゐましたし、妾もこゝでちゃんと見ましたよ。妾何も怒ってゐるんぢゃないのよ。却っていゝ人だと思ってゐるだけなんです。とうとう妾が貴方の手を執って上げる時が來ました。貴方にも誰か世話をして上げる女が必要ですわ。妾がこれから立派に貴方を仕上げて見せます。今まで貴方は遊んでばかりゐらしたのですが、まだまだ年は若いのだし、それに貴方にも好い處が澤山あります。」
「左様ぢゃないんですよ。」
「いゝえ、左様です。左様です。もう賓行しさへすればいゝのです。さあ、早く歸って風(※ママ)を引かない中に服を着替へなさい。」
彼女の聲には言葉以上に母らしい調子が現れてゐた。
女神の様な女
我輩が服を着替えて二階から降りると歡喜に顏を輝かした備後に出會した。
「おい山下、今君を探してゐたんだよ。素的な話があるんだよ。」と彼は云った。
「君は先っき一體何をしてゐたんだ。約束をして置きながら――」
「茂みの中に隠れてゐる約束のことか? まだ君に話す暇がなかったが、あれは最う何うでもいゝのだ。」
「何うでもいゝ?」
「山下、先っきね、川の傍に隠れてゐようと思って家を出る事は出たのだがね、其の途中で大變な女に出會ったのだ。僕が畑のそばを歩いてゐるとね、向ふから素的な女が遣って來るぢゃないか。僕は世の中で一番美しい、一番素晴しい女に出會ったと思った。あんな女は他にゐないよ。 一人もゐないよ。山下! 君は一目見て愛すると云ふ事を知ってゐるか? 初めて見てその女を愛し得ると云ふ事を信ずるか? 僕は、僕は、その女を一目見た時から磁石の様に心を吸ひつけられてしまった。
僕は何もかも忘れてしまった。あの女と二人きりで、日の光と音樂に包まれてゐる様な氣がする。僕はその女の傍に近づいたよ。そして話をした。その女は櫻子と云ふ女だよ。雲雀子の友達の櫻子嬢だよ。二人の眼と眼がぱったり出會った時、その瞬間に僕は今まで雲雀子を愛してゐたのは、唯一時の氣まぐれに過ぎなかったのだと悟った。山下! 君は一目見て愛すると云ふ事を信ずるか? あの女は實に驚くべき女だ。實に、實に、女神の様な女だ――」
こゝまで聞くと僕はその場をはづした。
それから二日たつと金三から手紙が來たが、その手紙は斯んな文句で終りを結んであった。
「――天氣が續きますので氣持ちよく水を浴びました。」
我輩は嬉しくもないのにからからと大聲を出して笑はずにはゐられなかった。それから客室で待ってゐる約束の雲雀子に會ふ爲に二階を降りた。(をはり)
注)明かな誤字誤植は修正しています。
注)一文字空け追加、句読点を追加変更したところがあります。
注)送り仮名やルビの不統一は原文のままです。
「地下室」妹尾韶夫
「少女世界」 1923.09. (大正12年9月) より
うちに赤ん坊が生れてからと云ふものは、朝から晩まで賑やかなことばかりで、少しの落着きもありません。私がゐるだけで充分なのに、どうして赤ん坊の必要があるのでせう。お母さんに、赤ん坊は何處から來たのか訊いてみましたら、お母さんは嚴重な顏をして、
「赤ん坊はね、天から來るのだよ」と仰しゃいました。
始めには嘘かと思ひましたが、考へてみると本當らしうございます。天には赤ん坊の居所がありませんから、それで地上に降るのでせう。
赤ん坊に與へるものは、何でも小さく切って遣らねばなりませんわ。言葉だって左様です。「赤ちゃん、それ穢いの、そんなものは捨てるの。その代り、ほら、このお花を上げませう、ねえ、綺麗でせう? 綺麗、綺麗ねえ?」ざっとこんな調子です。食物だって小さく切って遣ります。
と云って、私は何もこゝに赤ん坊の論文を書くつもりではないのです。いゝえ、先日私が赤ん坊を押入に入れた話をしようと思ふのです。
その日はお母さんと姉さんが、上野公園に行かれたので、兄さんと女中と私が留守を承りました。お母さんはお出掛けになる前に、
「皿子や、お前は好い子だから、赤ちゃんを負んぶして、お庭につれて行っておやり」
とお砂糖の様に甘い優しい聲で仰しゃいました。
「だって私嫌ですわ。お母さん、一緒に上野に連れて行って下さらないのですもの」と私が云ひかけると、お母さんが急に鹽の様な辛い聲で、
「お默り! 默ってお母さんの云ふ通りにするのです!」
云って、うようよ動く赤ん坊を私の背におのせになりました。私は赤ん坊を背負ふとお庭に出て、砂利の上を往きつ戻りつしながら、「坊やは好い子だ、ねんねしな」と云ふ子守唄を歌って、時々振返って赤ん坊の頬に口着けしてやりました。
犬のジョンは傍から尾を振りながら、不思議さうに私が守をするのを眺めながら「まあ皿子さん、赤ちゃんのお守をしてゐらっしゃるの! 可笑しいわ! 赤ちゃんなんか打遣っといて、私と一緒に飛廻って遊びませうよ」と云ってゐるやうに思はれました。
暫くすると、子守唄にも倦いて來たので、幸ひ女中が公設市場に行って留守なので、臺所に行って押入を開けて、當分、赤ん坊を押入の中に預けといて、私一人ジョンと遊ぶことにしました。押入に入れとけば、這出す心配がないから、危なげがありません。ぴッしゃり押入の戸を締めて、重荷を下した様な氣になって、暫くお庭で遊んでゐると、だしぬけに二階から兄さんの聲がして、
「皿子、皿子、おい皿子!」と呼びます。
「なあに?」
「赤ん坊はどうした?」
「押入れの中に寝てゐますわ」
兄さんは吃驚した様に叫聲を立てたらしかったですが、確なことは分りません。私は一生懸命に遊んでゐましたから。
次の瞬間に臺所で大變な物音がしましたから行ってみますと、兄さんが泣いてゐる赤ん坊を抱いてすかしてゐる處でした。赤ん坊が煤で汚れて、黒ん坊の様になってゐるので、吹出さずにはゐられませんでした。
「皿子、何故こんな亂暴をするんだ? 赤ん坊を締殺すつもりか」
「だって赤ん坊には温い處が好いって云ふぢゃないの」
云ひながら逃げようとすると、兄さんが隙かさず私の腕をぎゅッと掴みました。
「放して下さい、兄さん。放して下さい」
「放すものか。これから赤ん坊がどんなに苦しかったか、味を知らして遣るから、此方に來い!」
兄さんは私をひきずって、梯子段を降り、地下室の石炭倉の扉を開け「お這入り!」と私を其の中に突入れて、外からぴんと鍵を掛けました。
兄さんの方では、私が困った様に思ったか知りませんが、私は少しも困りません。私は扉の節穴から覗きながら、
「兄さんだって、戰爭の時の捕虜の取扱ひ方位ゐは知ってゐませう。私は日本の國民ですから、何か腰掛ける物を借して下さい」倉の中は空で、石炭一片ないのです。
「監獄の囚人だって、腰掛ぐらゐは持ってゐますわ」
「二階から籐椅子でも持って來てやらうか?」と兄さんが皮肉な聲で云ひました。「然しまあ辛抱しておいで。扉を押すのに勞れて來たら、其處の中の梯子にでも腰かけたらいゝだらう」
地下室の中にたった一人! なんと云ふ淋しいことでせう! 他の人だったら泣出すかも知れません。しかし私は泣きません。私は鼠を近よらせぬために、大きな聲で滑稽な歌を歌ってやりました。次に周圍を見廻しました。周圍は眞っ暗、たゞ下の方の隙間から光が差込むばかり。ふと兄さんが云った梯子があるのが眼につきました。占めたと思った私は、直ぐその梯子を壁に正しく立てかけて、鍵の掛ってゐない天窓の蓋を開けて、其處を抜出して、明るい敷石の上に立ちました。
扉の方に廻ってみますと、傍の釘に鍵がぶら下ってゐますから、鍵だけ私が預って置くことにしました。お庭の方に廻ると、二階から、妹皿子を石炭倉に入れたことなぞは疾うに忘れた様な呑氣な兄さんの口笛が聞えます。私は兄さんに默ったままお隣家の雲雀子さん方に遊びに行って、長い間、面白く遊びましたが、暫くすると雲雀子さんが、
「また明日遊びませう。勉強しなくちゃならないから」
「あら、そんなに勉強するものぢゃないわ。あまり腦を使ふと、狂人になって精紳病院に入らなくちゃならないことよ」
雲雀子さんと別れて、家に歸ってみますと、お母さんも姉さんも歸って、皆んな夕飯を食べてゐる眞っ最中。襖のかげに立って、部屋に入らうか、どうしようか、と思案してゐると、突然お父さんが、
「皿子はどうした?」と訊きます。
「石炭倉の中に押込めてやりました」と笑ひながら兄さんが答へて、それから私が赤ん坊を押入の中に入れた話をしました。
するとお父さんは打笑ひながら、
「左様か、ぢゃ晩まで打遣っとくさ、皿子も少しは性根が入るだらう」だって。
私に同情してくれる人は一人もないのです。私は襖のかげに身を隠してよかったと思ひました。やがて、女中が臺所から何やら持って來る氣配がすると、
「私の留守中に誰も訪ねて來はしなかったゞらうね?」とお母さんが訊ねました。
「はあ、誰方もお見えになりませんでした」と女中が答へました。
「たゞ石炭屋さんが車に石炭をつんで持って來たゞけでございます」
「石炭を入れる時には、倉から皿子を出したゞろうね?」
「皿子さん! 皿子さん!」女中が吃驚して叫びました。
「倉の中に皿子がゐたゞらう?」
「あら! 私ちっとも氣が付きませんでしたわ」女中が喘ぎました。「何しろ扉に鍵がかゝってゐて開きませんでしたからね、石炭屋さんが天窓の蓋を開けて、其處から五噸の石炭を落し込んでしまひました」
お母さんとお姉さんが「まあ!」と叫びました。お父さんは興奮した聲で、
「えッ! 天窓から石炭を入れた? まさかあの大事な皿子を生埋めにしやしまいね?」
「あの中にお嬢様がゐらっしゃらうとは、ちっとも氣が付きませんでした。だ――だ――だれも教へて下さらないんですもの」こんにゃくの化物のやうに、女中がぶるぶる顫へだしました。
お母さんがまた「まあ!」と喘ぎました。お父さんは兄さんに向って、
「おい、なぜ皿子をあんな處へ押込めたんだ? 五噸の石炭の下に生埋めにされちゃ、とても助かりゃしない!」
「なあに、心配ありませんよ。皿子のことですもの、石炭なんかにへこたれはしませんよ。まだまだ惡戯をやりますよ」
私は兄さんがこんなに利口だとは思ひませんでした。
「さあ、これから扉を開けて、石炭を掘ってみよう」
云ひながらお父さんが立上ると、兄さんも立上った氣配。
お母さんは心配さうな聲で、
「まあ、可愛い皿子! 利口な皿子! 可哀さうに! よく勉強する子だったが! 可哀さうに」
自分が褒められるのを蔭から聞くのは何と云ふ愉快なことでせう! 私はもっと聞き度いと思ひましたので、耳を澄ましました。すると今度はお父さんの聲で、
「皿子は惡戯子だが利口だから學校の成績だけは好かった」
それから兄さんに向いて、「もし皿子が助からなかったら、お前が惡いのだ。お前があんな處に押込めたのが惡いのだ」
さっきは私を押込めたと云って笑ひながら兄さんを褒めて置きながら、今度はそれを責めるなんて、人間と云ふものは随分勝手なものですわ。
私は最う姿を現してもいゝと思ひましたから、
「心配なさらなくたっていゝわ。皿子は生きてゐますわ」と云ひながら襖の蔭から歩いて出ました。
一同が眼を圓くして私を見ました。
お母さんは私を兩手でしっかり抱き締めて、
「皿子! よく無事でゐてくれた! やれやれこれでお母さんも安心した!」と仰しゃいました。
お父さんは心配で氣が遠くなったから、元氣をつけると云って、棚から葡萄酒を出して、一杯飲まれました。兄さんも一杯飲まれました。お母さんも一口飲まれました。
皆んなが何うして倉から抜出したかと訊ねますので、私は梯子を昇って、天窓から出た顛末を話して聞かせました。お父さんは私の敏捷を褒めて下さいました。
お母さんも何時にない優しい聲で、
「さあ、皿子、御飯をお上り、お腹がすいたゞらう?」
すると兄さんもにこにこしてゐました。
平常あまり笑はないお父さんまで、面白さうに笑はれました。そして私が赤ん坊を押入に入れた罪は、誰も、一口も咎めませんでした。その上、皆んなが心配のあまり御飯をあまり食べなかったので、私は大好きな鰮のフライを、一人して食べました。
「おい、皿子、一體何杯たべるんだい?」
とお父さんは目を圓くして、私が御飯を食べるのを見てゐらっしゃいました。兄さんはぼんやりしてゐました。
「何杯だか私勘定なんかしてゐませんわ」
と私は、しまひには、いちいち噛んでゐるのが、まだるっこしくなって、お茶をかけて、流しこむやうにしました。
「皿子、ほんとうに大概になさい。お腹を惡くしますよ」
お母さんも心配なさいますし、私もお腹がふくれるようになって、なんだか苦しくなって來ましたからやめにしましたけれども、その時の味は今でも忘れられませぬ。五噸の石炭の下に生埋めにされるより、この方が餘程有り難うございますわ。
注)明かな誤字誤植は修正しています。ルビに合わせたところがあります。
注)改行、一文字空け、句読点を追加したところがあります。
「乳母車」妹尾韶夫
「少女世界」 1923.10. (大正12年10月) より
伯母さんはお父さんの姉様ですが、まだ一度も結婚しませんから老嬢です。伯母さんはお金をどっさり持って、遠い田舎にたゞ一人、女中と、猫と、鸚鵡と一緒に住んでゐます。
その伯母さんが病氣の保養かたがた、私方に來ると云ふ手紙を、お寄越しになりました。手紙が着いた時には、みんな夕飯を食べてゐました。
「あの方は足が惡くて歩けないのですね! 」とお母さんがお訊きになると、
「なあに」とお父さんが笑ひながら、「ヒポコンデリーだから、自分で歩けないと信じ込んでゐるので本當に歩けなくなったのだよ、神經だよ」
「でも氣は確かですわ」
「財産も確かだ。ちゃんと銀行に預けてあるのだから、利子だけでも大したものだ」
するとお母さんが凝と私を眺めながら、
「皿子や、伯母さんがお見えになったら、行儀をよくおしよ。伯母さんは姪の中で、お前を一番可愛がっておいでだからね」
「だって、私嫌だわ、あの氣難かしやの御機嫌を取るのは」
「シッ! 駄々をこねると承知しませんよ。伯母さんはね、お前を可愛がってゐらっしゃるのだからね、お前はたゞおとなしくしてゐさへすれば、伯母さん方の子になれるのだよ」
翌日は幸ひ日曜日で、學校はお休みでした。けれども伯母さんを迎へる用意で大騒ぎです。「皿子や、これを持って行って頂戴!」「あれを持って來て頂戴!」てんてこ舞の忙しさ、お父さんは停車場まで迎ひに行きました。
お掃除が濟んで、着物を着かへてゐますと、玄關に俥の音がして伯母さんがお着きになりました。
玄關に出て見ると、一番前の俥に伯母さん、次の俥にお父さん、次の俥には行李や鞄や信玄袋が山の様に積んであって、俥夫が火山のやうに頭から湯氣を出してゐます。
足の惡い伯母さんは、お母さんに助けられて、座敷にお上りになりました。
「この電信柱のやうに背の高いのは嵐三だね?」伯母さんがにこにこして兄さんに云ひました。
「はあ、嵐三です」
「大きくなったなァ、嵐三、この行李を奥に持って行っておくれ」
それから今度は私を振向いて、
「お前が皿子だね、お前も大きくなった!」と云ってお笑ひになりました。
電信柱は大きな行李をさげて藻掻いてゐます。私は鞄を持って入りました。
伯母さんは、お父さんに俥賃を拂はせずに、「ほら、三圓づつだ」云ひながら、三人の俥夫にお金を與へました。
「それでお酒を飲むんぢゃァありませんよ」
「飛んでもない、預金しますよ。どうも有難うございました」
「翌日、私は伯母さんが一人ゐる離座敷に、ひょッこり舞込んで、
「伯母さん、御病氣は如何ですか?」
「うん、大分いゝ」
「私方においでになると、どんな病氣でも直ぐ治りますわ。その代り、うんと御飯を食べて、運動なさいよ」
「はゝゝゝ、足がたゝないのに、運動が出來るものか」
忽ち私の頭に、妙案が浮かびました。
「伯母さん方には、大きなお庭がありませう?」
「あるよ」
「あのお庭に、淺草の花屋敷にあるやうな回轉木馬を拵へて、食前に一度と、食後に一度と、合せて一日に六度づつ乗れば、直ぐ治りますわ」伯母さんが笑ってゐるのを見ると勇氣を得ましたので、また續けました。「伯母さん方に、木馬をお拵へになったら、日曜日ごとに汽車に乗って、私が行って遊んで上げますわ」
「さうか、お前が來てくれるか、伯母さんは一人で話相手がないから淋しくて仕様がないのだよ」
また妙案が稲妻のやうに私の頭を掠めました。
「伯母さん、いゝことを教えて上げませうか、話相手がないのなら蓄音機をお買ひなさいよ、「鳩ぽッぽの歌」や「大江山の歌」や、小波先生のお伽噺を聞いてゐらっしゃれば、ちっとも淋しくありませんよ。わたしね、こなひだお父さんに蓄音機を買って下さいと云ったら、お父さんが、そんなに金持に見えるかと云って、お叱りになりましたわ」
次の日、學校から歸ると、また伯母さんのお守りをしました。夕飯が濟むと伯母さんが云ひました。
「あゝ、西の方が夕燒して、好い晩だ、散歩がしてみたいなァ!」
「伯母さん、赤ちゃんの乳母車にお乗りなさいよ。私が曳いて、散歩に出て上げますから」
伯母さんは始めには笑ってばかりゐられましたが、それでも大きい丈夫な乳母車を見ると、安心して、たうとう終ひにお乗りになりました。
私は少女世界を懐に入れて、後から押しました。
「皿子や、お前は大きくなったら何になるつもり?」
「メリーのやうな女になりますわ」
「誰だ、メリーって」
「メリーと云ったらねえ、女の演説家で、世界中を演説して歩くのですが、それに反對する人がいろんな邪魔をしながら、後を尾けて廻るのです。するとね、また探偵がその後を尾けて廻りますの、そりゃァ面白いのよ」
「何處で、そんな話を聞いて來たんだァ」
「少女世界の續き物ですよ。先月はメリーが森の中の一軒家に連込まれる處まで書いてありましたが、今月はまだ讀まないの、讀んで聞かして上げませうか?」
「あゝ、聞かしておくれ?」
「メリーが森の中の一軒家に押込められて暫くすると、日が暮れかゝりました。今は誰か村人が通りかゝるのを、只待ち遠く思ひますのに、さてまた意地の惡いもので、何時まで經っても人の通る様子はなく、その中に日は暮れる、夜になる、いよいよ心細くなって來ました。靜に窓を開けてみると、向ふから何やら、黒い物が近よって來ます。それを見たメリーはひやりと膽を冷しました‥‥アラ、伯母さん、居睡してゐらっしゃるの?」
「いゝえ、眼だけは、つぶってゐても、起きてゐるよ。メリーが膽を冷した黒い物は何?」
「鳶ですよ、伯母さん」
「あゝ鳶か、さうか」
「鳶がね、杖をついて遣って來るのです」
「不思議だねえ、どうして鳶が杖をつくのだらう?」
「アラ、嫌ですわ、伯母さん、鳶ぢゃァないのよ、トミーよ。人の名ですよはゝゝゝ」
「あゝ、トミーか」
「トミーがねえ‥‥」
と私が云ひかけると、突然、大變なことが起こりました、前の輪が滑ると同時に、後ろの輪が刎上ったと思ふと、乳母車が伯母さんと一緒に、スコトーンと穴の中に落込みました。
乳母車を押しながら雜誌を見てゐたので、水道を修繕する爲に掘った大きな穴が、眼の前に口を開けてゐるのに少しも氣がつかなかったのです。工夫が來て、伯母さんと乳母車を、穴から上げてくれました。
伯母さんが他人の伯母さんだったら、私はお腹を抱へて笑ったでせう。穴の中の軟い土が、顏や着物にまびれついて、繪はがきにもないやうな、滑稽な姿になってゐるのですもの。
男や女や子供が、黒山のやうに寄り集りました。
一人の親切らしい紳士が前に進み出ると、群衆を顧みて、
「誰か俥を呼んで來て下さい」と云ひました。
それから彼は伯母さんに向って、
「この女の子は誰です」
「わ‥‥わ‥‥わたしの姪でございます」と伯母さんが目を白黒にして喘ぎました。「けれども、もう姪ぢゃァございません」
「だって伯母さん、わざと落したんぢゃァないのよ。過ちよ」
「えゝい! お默り! この惡戯娘の人殺し!」
俥夫が來ると、親切な紳士が、伯母さんを俥に乗せましたが、惡戯娘には誰も構ってくれません。
私は暫くぼんやり佇んでゐましたが、何だか物悲しくなったので泥まびれの乳母車を靜に押しながら、夕暮の街を歸りました。
家に歸って、ビクビク障子を開けると、みんな一間に集ってゐます。伯母さんがゐないきり。
「あら」とお母さんが火の様に赧くなって云ひました。「皿子、たうとう歸っておいでだね!」
「お母さん、伯母さんは傷をしてゐらっしゃいましたか?」と心配さうに私が訊ねました。
「ちっとは氣をおつけよ!」と姉さんが睨みました。
「この亂暴な惡戯娘め! 伯母さんは八時半の汽車でお歸りになったよ!」とお父さんが段々聲を上げてお怒鳴りになりました。
「行李も鞄も信玄袋も皆んな持ってお歸になったのだ」と兄さんが口を添へました。
「お前が家の者に迷惑かけるばかりぢゃない。伯母さん方の子になれなくなってしまった。もう伯母さんは、二度と家においでになりはしないよ」とお母さんが仰しゃいました。
それから二日の間と云ふものは、お母さんが私にちっとも口をお利きになりませんでした。
ところが二日たつと、思ひがけぬ好い手紙が舞込みました。伯母さんから、お父さんに宛てゝ、それはそれは好いお手紙! 皆さんどう書いてあったと思ひます? その手紙には、もう一人で歩けだした。杖も要らない、醫者の話では穴の中に落ちて吃驚した拍子に治ったのだと書いてありました。どうです、目出度いではありませんか?
けれどもお母さんが一番お喜びになったのは、お手紙のお終ひに「皿子によろしく」と書いてあったのです。
これでまた、伯母さん方の子になれるわけです。
「お母さん、お母さん」と私は喜んで、呼びました。
「なんです、皿子」
お母さんは、もとのやうに優しく仰有いました。伯母さんからお手紙が來るまでは、お母さんは私には口も利かなかったのです。
「あのねえ、お母さん」と私は甘ったれて云ひました。
「なんです、早く仰有い」
この調子ならば、お母さんは、もう憤ってゐらっしゃりさうもないので、私は安心しましたので、
「あのう、伯母さんのところへ私お手紙出してもいゝでせうか」と云ひました。
「エヽ、いゝとも、早くお出しなさい。どんなに伯母さんも、お喜びになるか知れないでせう」
そこで、私はおばさんのところへお手紙を書きましたが、お母さんに見せるのは、なんだか恥かしい氣がしたので、默ってポストに投りこんでしまひました。
「皿子、さっき伯母さんのところへお見舞のお手紙を書くと云ってゐましたが、もう書けましたか」と夕飯のときに、お母さんは仰有いました。
「お見舞」と云はれて、私は目を白黒させてしまひました。實はお見舞のおの字も書かなかったのでした。チョコレートを澤山送って頂きたいと、初めから終りまで書いてしまったのですもの。
注)明かな誤字誤植脱字は修正しています。句読点は追加したところがあります。
滑稽物語「六時の鐘」妹尾韶夫
「少女世界」 1924.03. (大正13年3月) より
城南女學校の寄宿舎にゐる丸子はでぶでぶ肥ってゐるので、皆んなからデブさんと呼ばれてゐました。デブさんは睡いのに朝の六時に起こされるのが不平でなりませんでした。
「まだ寒くて暗いのに、六時に起床の鐘を鳴らすなんて、随分ひどいわ!」とデブさんが滾すと、
「怠け者!」とお友達のチビ子が睨む様に眼をむいて笑ひました。
「だって、チビ子さん、貴方の様に體の丈夫な人は六時に起きても何ともないかも知れませんが、私の様に弱い者は體にこたへますわ。私近い中、きっと病氣になってよ」
するとチビ子が、デブさんの肥った體を見入りながら、
「あら、ビール樽のやうに肥ってゐる癖に、よくそんな事が云へたものだ」
「ぢゃァ、デブさんは何時頃起きたらいゝの?」と傍から、チャメ子が口を出しました。
「さうねえ、一時間延ばして、七時なら我慢するわ、そして朝の御飯は、食堂に行かずに、寝床に持って來てくれること」
「まァ、驚いた! こゝは旅館ぢゃァありませんよ、學校の寄宿舎ですよ、旅館の様な贅澤が出來るもんですか」
「とにかく暗い間に起きることだけは御免だわ、わたし起床の時間を改正して貰ふつもりよ」
「どうして改正して貰ふの? 舎監の先生に云って行くつもり?」
「いゝえ」
「ぢゃァ、どうして改正するの?」
「まァ默って見てゐらっしゃい!」
デブさんは、何とかして起床時間を延ばし度いと思ひました。デブさんは、「早く寝て、早く起きれば、體が達者になって、金持になれる」と云ふ昔の諺が嫌ひで、それよりも「早く起きるのも心地は好いが、朝寝するのは、なほ心地よい」と云ふ歌の文句の方が好きでした。
デブさんは、それから間もなく一人部屋を抜け出しました。城南女學校は夜の闇に包まれてゐました。長く續いた寄宿舎の窓からは、明るい電燈の光が漏れてゐますが、外は物凄いほどの暗さです。
時は早や寝るべき時間でした。或る生徒は早や床の中にもぐり込んでゐました。
「面會室に入れるといゝのだが――」とデブさんが呟きました。
けれども面會室に入るに骨は折ませんでした、小使が窓を開け放してゐたものですから、デブさんは肥ってゐて、少々苦しかったのですが、その窓から譯なく内に這込みました。
面會室の内に入ると、デブさんの胸の鼓動が、烈しく波打ちだしました。けれども怖れる必要はありません。面會室には、闇の中で大時計がコチコチ時を刻んでゐる他に、猫一匹ゐないのです。デブさんは燐寸をすると、靜に抜き足差し足で、大時計のそばに歩みより、そっと硝子の蓋を開けて、長い針をぐるりと一廻り後戻りさせて、一時間だけ遅らせ、元の様に硝子の蓋をすると、何喰はぬ顏をして外に出て、一人くすくす笑ひながら部屋に歸りました。
「これで口で云ったゞけのことは實行した。明日の六時になっても、小使が五時だと思ふから、起床も鐘を鳴らしゃしない。さァ、今夜はうんと寝られる、面白いなァ!」こんな事を考へながらデブさんが部屋の内に入ると、皆んなが服を脱いで寝床の中に入ってゐる處でした。デブさんも何時になく、いそいそしながら寝床に入りました。
生徒たちは何時もの時間に眠りに就き、何時もの時間に目を醒しました。生徒たちは朝の六時になると、皆んな目をぱッちり開いて、天井を睨みながら寝床の内でもぐもぐ動いてゐました。けれども何時もの激しい、鋭どい起床の鐘は何時まで待っても聞えません。
「小使が鐘を鳴らすのを忘れてゐるのよ」と懶さうにチャメ子が云いました。
「小使が物忘れするなんて、珍らしいことだわ、今まで一分間も遅れたことがないのに」と寝返り打ちながらチビ子が云ひました。
「病氣で寝てるんぢゃァないかしら」と訝しさうにトン子が云ひました。
何が原因か、兎に角、小使は其の朝、鳴らすべき時刻に鐘を鳴らしませんでした。ですから生徒たちが皆んな寝床の内で、寝返りばかり打ってゐました。
何時もだったら、朝の六時の城南女學校は、まるで蜂の巣をつゝいた様な騒ぎなんですが、其の朝は大きな笑ひ聲を立てる者さへありませんでした。
七時になって初めて鐘が鳴りました。
生徒たちが一時間遅れて起きた爲に、その日は一日、總ての時間がめちゃくちゃになってしまひました。舎監の先生は、小使を呼んで、理由をお訊ねになりました。
「時計が一時間遅れたからですよ」と小使が答へました。
「昨夜捻じを掛けといたんだらうね?」
「掛けました。掛けましたから、不思議で堪らないんです。私ァ二十五年間もこの寄宿舎に勤めてゐますが、まだ時刻を間違へて鐘を打ったなんてことは、今日が初めてでございますよ」
「時計が古いから狂ひだしたのかも知れない。今日時計屋を呼んで、直させようぢゃァないか。度々こんな事があっちゃァ困るからね」
「はい、承知いたしました」と云って小使は舎監室を立去りました。
けれどもデブさんは、それだけで惡戯を止めませんでした。その日一時間だけ餘計に寝たゞけでは滿足せず、また新しい方法を考へました。
「今夜は然し時計の針を廻しには行くまい。二晩つづけて同じことをするのは危險だ。それより何か、新しい方法を考へよう」
其の夜、寝る時刻の少し前になると、デブさんが其の新しい方法と云ふのを、實行に取り掛かりました。
デブさんは、小屋から長い梯子を持出して、鐘の塔に掛け、それを登って、鐘の振子が揺れないやうに、しっかり振子を紐で縛へつけてしまひました。斯うして置けば、幾ら下から綱を引っぱっても、鐘がなる心配はありません。
それとも知らぬ小使は、舎監先生から申しつかった通り、時計屋を呼んで、面會室の大時計を調べさせましたが、時計屋が調べた處では、錢舞は元より機械の何處にも故障もないと云ふことでした。
けれども萬事に注意の行きとゞいた小使は、時計屋の言葉だけでは安心せず、其の夜は碌々眠りもしないで、六時が打つと直ぐ飛び起きて、小庭を横切って、鐘を釣った塔の下に行って、さて綱を引っぱってみると、何の手ごたへもありません。チンともカンとも云ひません。
「何故鳴らないんだらう? 何故音がしないんだらう? 何時も此の綱を引っぱると、好い音がするのに、今日はどうしたんだらう?」
かう呟きながら、小使は一生懸命に、幾度も幾度も、綱を引っぱってみました。
六時十分になると、其處に舎監の先生が、遣って來られて、
「おい、どうしたんだ?」
「はい、幾ら綱を引っぱっても、鐘がちっとも鳴りません」
先生は暫らく鐘を見上げてゐられましたが、
「成程、鳴らない筈だ。誰かゞ惡戯をして、振子が結び付けてあるよ」
「えッ!」
「早く小屋から梯子を持って來てくれ、俺が紐を解いてやる!」
小使が梯子を持って來て、先生が紐をお解きになるまで、三十分ばかりかゝりましたから、今日も寄宿舎の生徒たちは、三十分餘計に眠りました。デブさんは、また三十分徳をしたと喜びました。
デブさんが若し利口な少女だったら二度の成功で滿足したでせうが、根が惡戯好きの質でしたから、二度だけでは滿足せず、また小使を瞞す方法を考へました。
物事は三度と云ふ言葉もある通り、三度目の成功は、なかなか難かしいものです。
デブさんは、今度は鐘の網を切ってしまって、その上、梯子を隠して見えなくすることを思ひ付きました。
舎監の先生の方では、誰か生徒の中に、惡戯をする者が一人あるに違ひないと思ひましたから、その夜は探偵の役をすることに決めました。
デブさんの方では、そんな事とは、夢にも知らないものですから、また梯子を掛けて、小刀を片手に握ったまゝ、靜に梯子を登り始めましたが、中程まで來ると、だしぬけに下から鋭どい聲がして、
「こら! 誰だァ」と呼びます。
デブさんは吃驚した拍子に、もう少しのことで轉げ落ちる處でしたが、やっと下まで降りると、舎監の先生が肩に手をお掛けになって、
「あら、貴女は丸子さんぢゃァありませんか! どうしてそんな惡戯をするのです? こなひだうちから起床の時間を遅らしてゐたのは、貴女ですね?」
「せ‥‥先生‥‥わ‥‥わたしが惡うございました」
「どうして、あなたは、そんなつまらない眞似をするのです」
「私おもしろかったものですから‥‥」
「おもしろいなんて云ふことがありますか。可哀相に小使が困りきってゐるぢゃありませんか」
デブさんは随分思ひ切った惡戯をしますが、それでゐて、ごく正直な人でしたから、斯うなると素直に總てのことを白状してしまひました。それで先生も深くはお咎めにならず、直ぐ許して上げました。
それからはまた、城南女學校に、毎朝六時に、時をたがへず美しい鐘の音が聞こえだしました。近處の靴屋や洗濯屋の時計は狂ふことがあっても、城南女學校の時計には一分一秒の狂ひもありませんでした。そして黎明を破る六時の鐘の音は、町から野へ野から谷へと、反響して鳴り渡りました。
注)明かな誤字誤植は修正しています。句読点は追加したところがあります。
探偵小説「少女義勇團」妹尾韶夫(冒頭部のみ)
「少女世界」 1924.07. (大正13年7月) より
(一)
「私この町には倦きちゃってよ。廣い英國中にも、この町ほど單調な所はないと思ふわ。だって私たちの様な少女義勇團があっても、何もする仕事がないんですもの」
肩に垂れかゝった髪を拂ひ除けながら、シルヴィアがかう云ひました。
キルボン町の少女義勇團は、いま町の中央の事務所で、一週一度の會合を開いて、今しがた教練を終って、會長イングルビー嬢が出席簿をつけてゐます。
シルヴィアは斥候隊の一人で、この町の一番の金持のディーキン卿の一人娘です。斥候隊は全部で五人で髪の黒い快活なエミーが隊長でした。
「シルヴィアさん、何故そんな事を云ふの」とエミーが訊きました。「キルボン町は單調でも景色だけは優れてゐますわ。こんな美しい岩山や海岸は.他の町では見られませんわ。それから森のそばの學校や、山の麓の古い寺や、それから――」
「それから仙人や」と何時も冗談口を利く肥っちょのドリスが口を出しました。
「さうねえ」とシルヴィアが叫びました。「あの仙人が住んでることだけは、このキルボン町の特色かも知れないわ」
(略)
三人は途中で別れて、エミーだけ眞鍮の看板に「辯護士ジェームス・プライアー」と書いた家に入りました。エミーは辯護士の娘です。母親が二年前に死んだので、今は幼いながらエミーが家の面倒を見てゐるのです。
エミーが家の内に入ると、急に奥の方から飼犬ジプが猛烈に吠えるのが聞こえました。
「まァ、どうしてジプがあんなに吠えるんだらう」
エミーがお父さんの部屋の前を通りかゝりますと、折から部屋の扉が開いて、内から緑色の穢ない服を着た、白髪に鬚を長々と伸ばした老人が姿を現しました。これが町の人から仙人と呼ばれてゐる隠遁者で、本當の名前はマグソンと云ふのですが、誰も本名を呼ばずに仙人々々と叫んでゐます。
お金を澤山持ってゐるのに、何時も郊外の斷崖の下の、今は廃物になった古い汽車の客車を家として一人住んでゐます。
エミーは仙人の姿を見ると、快活に微笑しながら、
「マグソンさん、今晩は!」と挨拶しました。
仙人は「今晩は!」と無愛想に挨拶を返すと、も一度部屋の内の辯護士を振り返って、
「ぢァ一週間ばかり旅行して來ますから、歸るまでに譲渡證書を書いといて下さいよ」と云ひました。
「承知しました。必ず書いときます」とエミーのお父さんが答へました。
仙人がひょこひょこ廊下を歩いて外に出かけると、大のジプか頻りに後から吠えかゝりました。
「シッ! ジプや、此方へおいで、そんなに吠えるもんぢァありませんよ」エミーが優しく宥めました。
エミーは餘り烈しく犬が吠えるのを不思議に思ひました。ジプは穢い服を着た人を見れば、誰でも構はず吠えるのですが、然しこの仙人に對しては、これまで度々來ても、まだ一度も吠えたことがなかったのです。
辯護士は部屋の扉を締めながら、
「あのマグソンと云ふ老人は、随分變な男だ。來るたんびに變った事を云ふ」
「お父さん、何故あのジプがあんなに吠えるんでせう。マグソンさんが來ると、始めからあんなに吠えましたか」
「うん、まァそんな事はどうでもいゝぢァないか。それよりお前早く食堂に行って夕飯でもお食べ。お父さんは忙しいのだから」
エミーはジプを連れて、廊下を通って食堂の方に行いきかけました。
すると表の方に當って、コツコツ扉を叩く音がします。エミーが直ぐ引っ返して扉を開けてみると、背の高いシルヴィアのお父さんのディーキン卿が立ってゐます。卿はエミーを見るとにこにこ笑って、
「やァ、エミーさん、今晩は、お父さんはゐらっしゃるでせう」と云ひながら廊下に入りました。
其處にエミーのお父さんが姿を現しました。エミーのお父さんを見ると、卿がつかつか近よって握手しながら、
「プライアーさん、今晩は、先日私が持って來ました地券状は、もうお調べがつきましたでせうね。お調べが濟んだら頂いて歸りませう。持って歸って金庫の内に仕舞って置きますから」
二人はプライアーの部屋に入りました。部屋に入って卓子の上を掻き探してゐたプライアーは急に慌てゝ、
「おや、これは不思議だ! 確にあの地券状は、この卓子の上に置いといたんだが、どうしたか知ら。さっきまで此處にあったんだが……」
エミーは扉の外から此の様子を見てゐましたが、お父さんが當惑してゐるのを見ると、急いで部屋の中に入って、
「お父さん、あの地券状は大きな青い封筒に入ってゐたのでせう。あれなら今日この卓子の上にありましたわ、私も探して上げませう」
「左様だよ。確にこの卓子の上にあったんだ。これァ大變だ。近頃とんと物覺が惡くなって困る。ディーキンさん、なァに、ありますよ。きっと何處からか出て來ますよ。何處かに仕舞ったのを私が忘れてゐるんです。明日の朝まで待って下さいませんか。明日の朝までには是非探しときますから」
ディーキン卿が鳥渡眉をひそめました。卿が五六千磅もする大切な證書を自分方の金庫に仕舞ふと云って來たのは、エミーのお父さんの忘れっぽい癖を常からよく飲み込んでゐるからでした。
「では明日の朝までお待ちしませう。よく探して下さって、明日の朝までに是非とどけて下さい」
「承知しました、必ずおとどけします」
(以下略)
注)明かな誤字誤植は修正しています。句読点は追加修正したところがあります。
注)翻案らしく思われますので冒頭部のみとしています。
少女物語「夜の別莊」
「少女世界」 1924.08. (大正13年8月) より
樂しい夏の休暇となって久しぶりに温かい家庭に歸り、お父さんやお母さんや妹と一緒に面白い時を過ごさうと思ってゐた良子は、次のやうな手紙を、お母さんから受取って、すっかり失望しました。
「良ちゃん、いま妹の初代がひどい病氣にかゝってゐて、お前にうつると困るから、お前はこの休みは家に歸らないで、學校の寄宿舎で過しておくれ。そのかはりお前には美味しいお菓子や面白い本を澤山買って送って上げませう。少々不自由でも、お前も病氣になってくれては困るから、いやだらうが、どうか左様しておくれ。母より」
良子はこの手紙を懐に入れると、寄宿舎を出て、運動場の方に行きました。
すると唐突に愉快な聲がして、「良子さん、何處へ行くの」と云ひます。
振返って見ると、白楊の並木のそばに、一番仲良しの勝代さんが立ってニッコリ笑ってゐます。
「まァ勝代さん、びっくりしたぢゃないの! わたし今心配ごとがあるから、一人で考へたいの」
「心配ごと、どうしたの?」
良子は説明する元氣もありませんでした。それで、大儀さうに懐から皺くちゃになった先っきの手紙を出して、默って勝代さんに渡しました。
勝代さんは、その手紙を讀み終ると、ニヤリと微笑しました。
「あら笑ってらっしゃるのねえ、出して頂戴よ、見せなかったら好かった」
良子さんがかう云ひながら手紙を取らうとすると、勝代さんは片手でそれを制し、片手に持った手紙を見入りながら、
「ちょっとまって頂戴! 良子さん、好いことがあるわ。あのね、私のお父さんは今外國に行ってるでせう。それからお母さんは東京のをばさんの家に、逗留してゐるでせう。だからこのお休みには、私は大阪の兄さんの方に歸る約束になってゐるんですけれど、良子さんも歸る處がないのなら好い事があるわ。あのね、私の方の蘆屋の別莊が今空家になってますから、二人でこの休みは其處で暮しませうよ。近處に春さんと云ふ女の人がゐて、その人が別莊番をしてゐて、御飯なんか炊いてくれるわ。ちっとも不自由はないと思ふわ。ね、さうしませう」
「さうねえ」良子さんは決しかねたやうに小首をかしげました。
「さうなさいよ、良子さん。ね? 好いでせう? 私方の別莊は蘆谷の停車場から五丁ばかり下った處にあって、近くに松林があって、海の音が聞こえて、そりゃあ好いのよ。そして西洋館でね、温い寝臺があって、何時でも休めるやうになってるの、行きませうよ、良子さん、私どうしても貴方を引っばって行くわ!」
かう云はれては、良子さんも同意するより他ありませんでした。
良子さんと勝代さんが蘆谷の停車場へ降りたのは、翌日の晩の十時頃でした。停車場を出ると家が離ればなれにしかなく、その上月がない晩ですから暗くて物凄いほど寂しうございました。
二人は夕闇にほの白く見える路を折れたり曲ったり、大きな家の灯のもれる窓の下を通ったりしました。
「まだ違いの?」と暫くして良子さんが訊ねました。
「もうすぐ。向ふに黒い松並木が見えるでせう? あすこに突當って左りに折れると直ぐなの」
二人がその松並木に突當って左りに折れると、果して二階付の西洋館がありました。門の中のお庭には黒々と植木が繁って、空家のことですから、物凄いほど森と靜まり返ってゐます。
良子さんは、ぞッとしました。
「私なんだか怖いわ」
「大丈夫よ。此方へいらっしゃい。表は締ってるから裏の勝手口から入りませう」
二人は籬と田圃の間の小路を通って裏にまはりました。
勝代さんが勝手口の扉を引っばっても開きません。
「良子さん、ちょっと待っていらっしゃい。中から掛金をかけてあるから、私あすこの風呂場の窓から入って扉を開けますわ」
かう云ひながら勝代さんは、そばに捨てゝあった空箱を風呂場の窓の下に置き、それを踏臺にして窓を開けて、其處から内に入りました。
やがて内から勝代さんが勝手口の扉を開けました。
「何だか氣味が惡いのねえ」
云ひながら良子さんも勝代さんについて内へ入りました。
「まっていらっしゃい。私いま電燈を點けますから」
勝代さんがスイッチを捻ると、パッと明るい灯が臺所を照しました。
二人は暫らく明るい臺所を見廻してゐましたが、
「まァ!」と喘いで吃驚したやうに目と目を見合せました。
驚いたのも道理。棚の上には皿や鉢が澤山ならび、天井からは美味しさうな鹽豚や、乾魚がぶらさがり、隅の方には野菜が置いてあって、まるで人が住んでゐる通りなのです。
「何うしたんでせう?」と良子さんが訝しげに云ひました。
「きっと別莊番の春さんが來て泊ってるのよ。だから目を覺させないやうに靜にしませう。そして明日の朝となって吃驚さしてやりませう。良子さん、貴方お腹はすかない?」
「いヽえ、汽車の中で食べたから」
「私お腹が空いた、ふゝゝゝ」
二人が小さい聲で笑ひました。
「あの鹽豚を食べませうよ」
かう云ひながら勝代さんは庖丁を取って天井からぶらさがってゐる鹽豚を少しばかり切り取りました。そして臺所に立ったまゝ二人でむしゃむしゃ食べました。そしてコップに水を注いで飲みました。
「御飯はないか知ら?」
勝代さんが戸棚を開けて探すと、パンが出て來ました。
二人はパンを千切って食べたり、鹽豚を頬張ったり、がぶがぶ水を飲んだりしました。
「春さんが明日の朝になって吃驚するわ」と云ひながら勝代さんがまた庖丁で鹽豚を切り取りました。
「明日は春さんに御馳走して貰ひませう。寄宿舎で食べられないやうな御馳走を」
「良子さん何がお好き」
「さうねえ」と云ひながら良子さんは鹽豚を一切頬張って、「私獨活が食べたいわ、寄宿舎で一度も食べなかったから」
勝代さんも頻りに口をもぐもぐ活動させながら、「ぢゃァ明日春さんに左様云って、獨活を澤山買ってこさせませう。獨活とね、牛肉を一緒に煮たら、そりゃお美味いのよ。私あれが一番好き」と云って目をパチクリさせ、それから急に思ひ付いたやうに、「待っていらっしゃい、良子さん、戸棚の中にサイダーが澤山あったから一本抜きますわ」
勝代さんはサイダーの栓を抜いて、二つのコップになみなみと注ぎました。
それから三十分ばかり經つと二人は滿腹したので寝ることにしました。
階段を上ると勝代さんが右手の扉を指差しながら、
「これが私の寝室なの。貴方は次のあの寝室でお休みなさいよ。春さんは多分一番向ふの女中部屋に寝てゐるんでせう」
「別の部屋に寝るの? 一緒に寝ませうよ、勝代さん」
良子さんは初めての家で何だか淋しいので、一人寝るのが怖いやうな氣がしたのです。
「だって小さい寝臺なのよ」
「大丈夫よ」
「ぢゃァ左様しませう」
勝代さんは扉を開けて中へ入りました。良子さんも後から續きました。
「眞っ暗だわ!」と良子さんが云ひました。
「まっていらっしゃい、私いまスイッチを捻りますから」と勝代さんが云ひました。
「スイッチが解りますか? 燐寸をすりませうか?」
「大丈夫!」
「まだ解らない?」
「…………」
「燐寸をすりませうか?」
「あったあった!」
勝代さんがスイッチを捻ると小さい部屋が晝の様に明るくなりました。その途端に誰もゐない筈の勝代さんの寝臺に寝てゐた人が「きゃッ!」と叫んで毛布を頭から被りました。
二人は吃驚してヒヤリと膽を冷しました。良子さんの胸の鼓動が一時に止ったかと思ふと、次の瞬間に早鐘の様に烈しい波が打ちだしました。
「貴方は……たゝゝた……誰です?」と息を詰らせながら勝代さんが訊きました。
寝臺の上の毛布は少しも動きません。
「貴方は誰です?」
勝代さんがまた顫へ聲で訊きました。
毛布の中の人は、まだ返事をしません。
「どうしませう?」
と眞っ蒼な顏の勝代さんが良子さんを振向きました。
「毛布をめくってごらんなさいよ」
良子さんも聲を顫はして云ひました。
勝代さんは怖る怖る寝臺に近よって、毛布の端を握ってそっとめくりました。
すると寝臺の中の人がまた、「きゃッ!」と叫んで、一層奥へもぐり込みました。
向ふが怖がってゐるので、此方は多少元氣を恢復しました。
「誰です、私の寝床の中に入ってるのは?」と勝代さんが繰返しました。
すると毛布がむくむくと動いて、可愛らしい女の子が怖る怖る顔を上げました。良子さんや勝代さんより二つ三つ年下の女の子です。
「貴方は誰です?」
勝代さんが落着いた聲で訊きました。
女の子はぶるぶる顫へながら、半身を起こしましたが返事はしません。
「何故私の寝床へ入るのです?」
勝代さんが繰返して訊きました。
「ここは私の寝床ですわ」と初めて顫へ聲で女の子が答へました。
「嘘ですよ。ここは私の家ですよ。これが私の寝床ですよ」
「だってこゝは私の家ですもの」
「誰です、貴方は、何と云ふ名前です?」
「和子です……、吉川和子です」
二人には聞いたことのない名前でした。
「何時から此處に來たのです?」
「去年の暮から……」
良子さんと勝代さんがちらりと顏を見合せました。二人の●に段々事の眞相が解ってきました。
「良子さん、何うしませう、私たちは他處の家に入って、默って御飯を食べたんだわ」
すると寝臺の上の女の子が、
「貴方は誰ですの?」と訊きます。
「この家は私方の別莊だったのです。今度休暇になりましたから、この別莊でお友達と一緒に暮さうと思って歸って來たんですが、ぢゃァ今度貴方のお父さんが、此の家をお借りになったのね?」
「え、去年の暮からずっと此處に住んでゐますの、お父さんも、お母さんも、弟も、女中も皆んなこの家に住んでゐますの」
「まァ!」と二人が當惑したやうに喘ぎました。
「でもわざわざお歸りになったのなら、此處ヘお泊りになってもいゝんですよ」と女の子の方でも段々落着いて來ました。
「だって他處の家へ泊るわけにも行きませんわ。ねえ?」と云ひながら、勝代さんが良子さんを振向きました。
「左様ですとも。どうしたらいゝでせう?」と良子さんも當惑げに呟きました。
「是非私方へお泊りなさい」と女の子が次第に馴れて來ました。私も來年女學校に入りますの。そして、その準備に家庭教師に來て頂くはずなんですから、貴方がたがゐて下されば恰度好いと思ひますわ。いろんなことが教へて頂けますから……算術や讀方を……」
「本當に困ったわねえ。どうしませう、良子さん?」
「どうしようったって、今夜はもう遅いのだから、泊めて頂くより他ないぢァないの?」
良子さんは疲れた體をぴったり傍の椅子に腰かけました。
すると此の時唐突に扉が開いて、寝卷を着た婦人と別莊番の女中の春さんが現れました。女中は暫らく電燈の明りにすかして勝代さんの顏を見入ってゐましたが、
「あら、貴方は山下のお嬢さんぢゃァございませんか! 何うなさったの?」と叫びました。
それから勝代さんと、良子さんと和子さんと、女中の春さんが交々説明をはじめました。そしてそれから一時間ばかり經って、此の家の奥さんに事情がよく解ってしまうと、奥さんも、
「それぢゃァ、是非休暇中この家に逗留して下さい。娘の和子の入學試驗の準備の相手もして頂きたいのですから。そのかはり、うんと御馳しますよ」と笑ひました。
二人は手紙でお母さんに相談した上で、とうとう和子さんの家でこの休暇を過ごすことにしました。そして勝代さんと、良子さんと、和子さんの三人は、大の仲良しになりました。
海にひたっては、和子さんの勉強相手となって、すごしてゆくうちに、良子さんと、勝代さんは妙なことからよろこびのうちに海べで休暇を暮してゆくことゝなったのを追懐しては、ひや汗をかきました。
「ねえ勝代さん、あなたは、ずゐぶん大膽だったわ、あの時ほどあたしぞっとしたことはないわ」
「御免なさいね、あたしの一代の失敗ですわ」
さういってはお腹をかゝへて、笑ひました。和子さんもこのことを聞いて笑ひころげました。
「ほんとよ、あたしあの時ぐらゐ、おそろしかったことはないわ」と眼をくりくりして話しました。
「でも、あたし、ほんに、うれしいわ、お姉さまが二人出來たと思ふとね……」
さう和子さんは、いふのでした。
注)明かな誤字誤植は修正しています。●は判別できませんでした。
注)句読点を追加変更したところがあります。
探偵小説「乞食の洋琴」
「週刊朝日増刊」 1923.11.10 (大正12年11月10日) より
官吏、音樂家、會社員、辯護士、藥劑士、新聞記者、建築技師、畫家、この八人の者が一つの倶樂部を作って一週間に一度づゝ會合して、その晩の順に當った者が、何か一つ面白い世間の實話をすることになってゐた。或る晩、官吏は、長椅子に凭れ、薫の高い葉卷を吹かせつゝ、次の様な物語をした。
こりゃ最う二十年も昔の話だ。傑は學校を出て、外務省書記生の試驗にパスすると、一番に天津領事館にやられた。
僕は今でも春になると何時も天津を思ひ出す。全く春と云ふものが持つ美しさ、色彩、光なぞを初めて僕に教へてくれたのは天津だった。
天津には雨と云ふものが降らない。その上空氣が乾燥してゐて、日の光が美しい。郊外に出ると海の様な平原だ。その平原を黄色い白河の水が寛やかに流れてゐる。白河の兩岸に立並ぶ木立は、春になると一齊に新緑に包まれる。僕は英國租界の花屋を素見すのが好きだった。スヰートピー、カーネーション、デンドロビューム、いろんな花が其處の硝子窓の中で踊ってゐた。
けれども、僕が一番好きだったのは佛蘭西租界の萬國橋のそばの、チースチャコフと云ふ猶太人の小さい料理屋に夕飯を食ひに行くことだった。チースチャコフと云ふのは名前でも解るやうに、露西亞から來た猶太人で、頭こそテカテカ光ってゐるが、櫻色の血色の好い顏をした鬚の多い男で、家族は主人と娘の二人きりだが、此の娘と云ふのがまた素的な美人で、名前は――さうさう、ダーシャと云ふ名前で、死んだ母親がターターだったのか、頬にほんのり茶色が差して、眼が闇夜の様に黒かった。
それから手に雀斑があったが、その雀斑まで彼女に魅力を與へてゐる様に思はれた。と云って何も僕がその娘を愛してゐたと云ふんぢゃないよ。
なあに、僕がこれからする話は、そんな艶っぽい話ぢゃない。或る犯罪の話なんだよ。實に巧妙に行はれた詐欺の話なんだよ。
此のチースチャコフは家に巨萬の富を藏へながら、何時も不景氣な顏をした有名な吝嗇家だった。
或る日この小さい料理屋の前に、一人の見すばらしい露西亞の乞食が立止って頻りにヴァイオリンを彈きだした。元來が此のチースチャコフは音樂に對して冷淡な方で好い音樂を聞いても何の感興も起さないのが常であったが、それでも乞食が彈くヴァイオリンの音色だけは微妙に響いた。暫らくすると其の乞食がつかつかと店の中に這入って來て、
「旦那、私ゃ今朝から何も食はないんですから、どうかパンを一片遣って下さいませんか。」と露西亞語で云った。
斯んな事を云ってチースチャコフの店に無心に來る乞食は、一週間に二三人は必ずあった。それで主人は、
「お斷り!」とにべもなく刎ねつけた。
「まあ左様仰っしゃらずに旦那、私ゃ今朝から何も食はないので腹がペコペコなんですから、どうぞ何か遣って下ざい。その代りに、今度お金を持って來る時まで、此のヴァイオリンをお預けしときませう。」
云ひながら乞食は、ヴァイオリンを勘定臺の上に置いた。
「お斷りと云ったら!」
「こんなヴァイオリンは貴方に取っても大した利益にはならんかも知れませんが、取りに來なかったら賣って下さい。或は最う取りに來ないかも知れませんから。」
慾深い主人は此の言葉を聞くと、多少心を動かして、勘定臺の上からヴァイオリンを取上げて見た。穢ならしい使ひ古しのヴァイオリンだ。主人は先刻聞いた微妙な音色を出ひ出した。それからヴァイオリンと云ふものは古い方が音色がよく高價だと云ふことも思ひ出した。賣れば少くも十圓にはなるだらう。
そこでとうとう乞食に食物を與へた。乞食は貧るやうにそれを食べた。食べ終った乞食は、若し一週間以内に自分が金を拂ひに來なかったら、このヴァイオリンは貴方の自由にして呉れと云って立去った。
それから其のヴァイオリンは一週間の間、勘定臺の後の棚の上に置かれてあった。ところが明日で一週間が切れると云ふ日になって、一人の見知らぬ立派な紳士が遣って來て、勘定する時戸棚の上のヴァイオリンをしげしげ見入りながら、
「ちょっとあれを見せて下さい。」と云った。
主人はそれを紳士に渡した。
紳士は鷹揚な足取りで明るい窓際に持っていって、暫く内に貼ってある商標を細心に眺めてゐたが、やがて主人を振返って、
「これを私に賣って下さいませんか、貴方のでせう?」と訊いた。
主人チースチャコフは明日になったら我が物になると思ひながら、
「いや、實は私の友人が――」
「あゝ、左様ですか、ぢゃ此處に私の名刺を置いときますから、そのお友達が見えたら私の泊ってゐるアストル旅館に來て頂くやうに云って下さいませんか。相談の上で買取りたいと思ひます。」
云って紳士は一枚の名刺を出した。
「なかなか好い音がしますよ。」と主人が云った。
すると紳士は勘定臺の上に片肘ついて、小さい聲で、
「左様でせう。こりゃ本物のグーナリスですよ。わ友達の方がこれを旅館に持って來て下さったら、直ぐその場で七百圓をお渡しします。」云ひながらヴァイオリンの背を指で輕く叩いた。
「七百圓!」主人が呟いた。
「えゝ、直ぐ七百圓お拂ひします。實に好いヴァイオリンです。」それから一段と聲を落して「コリゃ内證ですが、七百圓でも安過ぎる位ですよ。」
チースチャコフは一も二もなく友逹に相談することを約束した。
紳士はそれから暫く話した後、出て行った。
主人は後でいろいろ考へながら何來も旨く遣り度いと思った。
夕方になると例の乞食が遣って來た。乞貧の姿を見た主人はどきっとした。彼は今度は相當な風采をしてゐた。そして偶然舊友に逢ってお金を貰ったので、先日の食事の代を拂ひに來たと云った。
主人は棚からヴァイオリンを取卸しながら、
「時に相談だが君、このヴァイオリンを私に賣っては下さるまいか?」と持ちかけた。
乞食は、頭を横に振った。これは記念の品だから手離すことは出來ない。それに人の話によれば、これは非常に立派なヴァイオリンださうだから、とても賣る譯には行かないと云った。
主人は百圓出すと云った。乞食は笑った。二十分の後には、主人が三百圓出ざうと云った。
すると乞食もとうとう心を動かして、主人から三百圓受取ると、ポケットに仕舞って外に出た。
主人は直ぐさまヴァイオリンを小脇に抱へて英國租界のアストル旅館に行った。ところが名刺を示して訊ねてみると、そんな人物は旅館に泊ってゐないと云ふ。で彼は直ぐその足で樂器店に行って買って呉れと云ってみた。
すると樂器店の男は暫らく穢ならしいヴァイオリンを手に取って見入ってゐたが、こんなヴァイオリンは二三圓でも買はないと云った。
例の紳士と乞食は、前々からチースチャコフの吝嗇な癖を知ってゐて、共同して詐欺を働いたのだ。チースチャコフの方ではまた、金の欲しさに前後も考へずその餌に飛付いてしまったのだ。(おしまひ)
注)明かな誤字脱字は修正しています。句読点は追加したところがあります。
注)江の崩し文字は「え」としています。
注)チースチャコウ表記の混在はよりロシア人名らしくチースチャコフ表記に統一しています。
注)本編の種となったのは「街のバイオリンひき」原作者不明と思われますが背景設定など大幅に異なったものになっています。
「懸賞探偵壹萬円」妹尾詔夫(冒頭部のみ)
「文藝倶楽部増刊」 1924.10. (大正13年10月) より
一
時は十月、秋とは名ばかりで、此處酷熱の西班牙の首府麻鳥土市では、青々と繁った橄欖の並木にそよ吹く風が限りなく懐しい。
その並木の下を葉卷を咬はへステッキ打振りながら、品の好さゝうな西班牙紳士が一人悠々と通りかゝったが、此の紳士こそ有名な五矢醫學博士で、専門の醫學よりも犯罪學に興味を持ち、三度の飯より探偵の仕事が好きと云ふ人物、彼は英國々旗の翩翻として檣頭高く翻る英國領事館の前まで來ると、はたと足を止めて玄關に貼出した掲示を仰いだ。その掲示にはかう書いてある。
「英國侯爵堀邉理卿の行方を知る者、または彼が死亡せる證據を握る者に、一萬圓の懸賞金を與ふ。」
讀み終った博士は、玄關の階段の下で書き物をしてゐる若い館員に向って、「もしもし、鳥渡お訊ねしますが、この堀邊理と云ふのは何んな人ですか、何時から行方不明になったのです。」と訊ねた。
若い館員は聲のする方にチラと顏を向けると、かねてから顏を知ってゐる博士だったので、急にペンを置いて丁寧な態度になり、堀邉理と云ふのは英國で有名な大地主で、歐洲大戰爭の時には士官になって從軍したこともある侯爵ですよ。侯爵が倫敦を發ったのは先月の一日です。それから巴里に行って三日間旅館に逗留し、四日の朝早く巴里を出發して其の夜は西班牙の國境の伊留の旅館に一泊しました。
翌朝になると赤帽は大型トランク二つと、鞄を一つ持たせて麻鳥土行きの一等急行に乗ったのです。此處までは消息が判ってゐますが、それから先が判らないのです。伊留を出發したゞけで麻鳥土に着いたかどうかも判らないのです。」
(以下略)
注)明かな誤字脱字は修正しています。句読点は追加したところがあります。行頭一文字空けを追加したところがあります。
注)相互会話部分は改行なしで続いていますが改行を追加しています。
注)ルビの平仮名表記は原文のままです。
注)翻案らしく思われますので冒頭部のみとしています。
「「盲ひた月」木々高太郎(解決篇入選作)」妹尾アキ夫(背景色文字)
「ぷろふいる」 1936.10. (昭和11年10月) より
また二日たった。
日本ではまだ秋だといふのに、どうして維納はかう寒いのであらう。
この調子で十二月になったら、シェーンプルンの噴水も、ドナウの流れも、シュワルツボルグの宮殿も、道行く人も、犬も馬も、石のやうに凍ってしまふのではあるまいか。
沼田博士にマルガの良人の秘密について、九分通りの解決を得たと思ったので、まづそれをマルトグルーベ氏へ打明けてみたいと思った。それでマルトグルーベ氏へ電話をかけて都合をきいたら、いまケルントナー街のルーハイムといふ珈琲店にゐるから、すぐきてくれといふ返事であった。自宅かと思って掛けた電話は珈琲店であった。維納の人は一日の大部分を珈琲店ですごすといふ噂は聞いてゐたが、電話まで珈琲店のを使ってゐようとは思はなかった。
ケルントナー街の珈琲店のなかは、むっとするほど暖くて、白い煙草のけむりが低くたなびいてゐた。
沼田博士は扉のそばでしばらく人々の顏を眺めてゐたが、マルトグルーベ氏の姿を認めると近づいて、
「昨日はお手紙を有難うございました。」
と、ちょっと會釋して、向合って腰かけた。
「どうです、いゝ考へがつきましたか。」マルトグルーベが讀んでゐた本を下に置いた。
「今まゝで見たことゝ聞いたことを綜合して考へてゐましたら、マルガの良人の秘密が想像つきました。犯人はマルガではありません。」
「では誰です。シェーンプルンで會った二人の支那人ですか。」
「支那人でもありません。」
「誰です。」
「自殺ですよ。」
「自殺! それは……どうしてそんな結論を得ました。」
「私が自殺であるといふ決論を得た第一の鍵は、ハルテルといふ言葉です。」
「ハルテル。」
「あなたもお聞きになったでせう。あの男は生きてゐる時に、時々細君マルガに向って、公爵ハルテルといふのが、自分からの恩義を負うてゐると云ってゐたさうです。Halter は英語のホールター、獨逸語のハルステルです。つまり首をくゝる繩です。自分は近いうち首をくゝるより他に仕様の(※ない?)男だといふやうなことを、明らさまに云ふ勇氣がないので、わざと遠廻しにハルテルさんに貸しがあると云ったのです。英語を知らぬマルガはこの言葉の意味が分らなかったのです。」
「すると、沼田さん、この男は可なり前から自殺の決心をしてゐたといふことになりますが、どうしてそんな決心をしたのでせう。」
「あの男は……あの男が支那人であるといふことは、貴方ももうお氣付きでせうが、支那で大金を拐帶してこの維納へ逃げてきた男です。けれども、むろん、支那人と名乗ればすぐ手がつきます。それで、日本に留學してゐた時に覺えた日本語を武器として日本人に成りすましてゐたのです。けれども何しろ數十萬の大金を拐帶した犯人です。支那からは絶えずいろんな問ひ合せがこの土地まで來ます。それを薄々感づいた彼がもう自殺よりほかに逃路にないと覺悟したのは當然でせう。
それに彼は目が見えないのです。そこへもって來て、ほら、先日妻のマルガと一緒にシェーンプルンを散歩してゐたら、二人の支那人とばったり出會ひました。その二人の支那人といふのは、私と同じ船でこちらへ來たのですが、なんでも大金を拐帶した犯人を探しに來たといってゐました。あの時、彼は、自分は支那人ではないと白を切りましたが、それで欺き得るものでないぐらゐ、彼にも分ったに違ひないのです。
それに近ごろのマルガの様子が變です。マルガは自分でも最近に良人を愛する氣になれなかったと云ってゐますが、さうした氣持は、自然彼にも分ったことゝ思ひます。その上、當夜のかの女は、浴室の扉を荒々しく締めて、逃げるやうに外に出たと云ひます。そんなことが彼の自殺の決心に拍車をかけたのです。」
「なるほど。自殺の動機は分りました。しかし窓に首を出して死んだ彼の腑のなかになぜ水が入ってゐたのでせう。どうして溺死の兆候が殘ってゐたのでせう。」
「絞首も溺死もどちらも窒息の症状を現すことは同じです。はじめ浴槽に首を突込んで、自分の息を止める氣でしたが、どうも體が自由になるので、思ふやうに死ねない。たゞ多量の水を飲み、氣管に少量の水が入ったゞけで、結局、目的を果すことができなかった。そこで彼はふと思ひついて高い窓のそばに椅子を持って行き、そこに首をのぞけて椅子を蹴ったのです。この方法に成功して、彼は完全に死ぬることができたわけです。」
「なぜユカタを左り前に着てゐたのでせうか。」
「さうさう、マルトグルーベさん、貴方の昨日のお手紙には、五つの疑間が逃べてありましたね。そのうち第一と第二の疑問はいまゝでの説明で解けたわけです。こんどは第三の何故左り前にユカタを着てゐたかといふ問題です。併し、これは當人が日本人でないことが分れば、解く必要もない問題ぢゃないでせうか。
日本に來てゐる支那の留學生が、ユカタを左り前に着るなんてことはよくあることです。ことに正装でなくて、ユカタの上に革のバンドを締めるやうな時にはありがちのことです。その上、死を前にした彼が、ユカタが左り前だらうが、右前だらうが、そんなことに氣を配らなかったのは當然と云へませう。」
「私の第四の疑問は、浴室の錠がなぜ内側から下りてゐたかといふ問題です。」
「これも以上の説明で易々と解決できます。自殺する人は、誰にも邪魔されたくありません。だから内側から錠を下ろしたのです。」
「第五の……そして私の最後の疑問は、なぜマルガが「盲ひた月」を見たかといふことです。」
眼科醫の沼田博士もこの不思議な現象には説明を與へることができなかった。二人はしばらく無言で考へてゐたが、そのうちマルトグルーベが名刺に鉛筆でなにやら書いて、珈琲店のディーンストマンを手招きして、なにやら低聲に囁いて、それを渡した。ディーンストマンはその名刺を、はるか隅のはうで一人新聞をよんでゐる老人のところへ持って行った。
額にふかい皺がよって、薄い茶色の眼鏡をかけて、頬から顎にかけて白髪の鬚をはやした、陰氣さうな老人である。
その老人は名刺を見ると、眼鏡ごしにぢろぢろこちらを眺めてゐたが、むっつりした顏で紙片になにやら書いた。
しばらくして、ディーンストマンがその紙片を持って歸ったのを見ると、
「いまお會ひできません」
とある。
マルトグルーベはちょっと舌打ちするとこんどは二三枚の紙に、焦々した手つきで長い手紙を走り書きして、またディーンストマンを呼んで、それを老人のところへ持って行かせた。
しばらくたって、老人から歸った返事には、かう書いてあった。
「お手紙の文面だけから判斷すれば、その女は良人の眼をつぶしたので、ひどく良心に責められてゐたのです。そのために神經が弱ってゐたところに加へて、當夜非常に興奮したので――ことによると當夜かの女は良人を殺す氣だったかも知れません――そのために發作的に視神經炎になって、お月様がまっ黒に見えたのです。」
この手紙を讀み終ると沼田博士が顏を起して訊いた。
「あの老人はだれですか。」
「この維納がなにより輕蔑してゐる猶太人です。そしてまた維納が世界に誇ってゐる人物です。」
「あゝ、あれが………」
「さうです。フロイドです。」
註―私は醫學に暗いのでフロイドを持ってきましたが沼田博士は眼科醫ですから、むろん自分で解決するでせう。
”盲ひた月”解決篇を選して…………
五十枚の探偵小説の最後、十枚を伏せる。四十枚の中には既に犯人も犯罪手段も推定し得るやうに、巧みに書かれてゐる。つまり必要なデータは投げ出されてゐる。これに解決をつけて、作者の四十枚と讀者の十枚とを結びつけても不自然でない立派な一篇の探偵小説だと云はせようとするのが、今度の、解決篇募集の試ろみだった。
これが普通に行れる單なる犯人探しと異なる點は、讀者もすぐ分るやうに、作者の解決と應募作とが犯人を異にしても、一寸も差支えない、犯罪手段もその心理も、場面の組合せも自由である。總てが、作者の作と足並を揃へ、合理的に面白く解決されてゐればそれがいゝのだ。
”盲ひた月”の最も難點とすべきはマルガに月が見えなかった事と、鍵が下りてゐた事だったらう。作者が醫學畑だけに、相當に難しい學術的な材料を持ってくるのは覺悟してゐての應募でなければならないが、割合にその點がルーズだ。五香六實氏を入選とした由來である。木々氏作には五つの問題が提出され、それを一々、解決しなければならないが、さて、どの應募作も三問で勝れ、二問は落第、等々、各人長短がありして、どれを入選とすべきかに大變迷ったものだったが、
(※住所割愛)
妹尾アキ夫
住所御一報を乞ふ
筆名・五香六實(※本名割愛)
(謝禮金拾圓宛)
右の二氏を入選とした。木々高太郎氏に選出して項き、細評を得たいとも思ってゐたが選に手間がとれて出來なかったのは殘念だった。投稿諸氏の應募作は全部拝見したが、感謝の印に諸氏の名前を到着順に列記して置く、
(※42名分割愛)
注)明かな誤字誤植は修正しています。句読点は追加したところがあります。
注)木々高太郎の全編は『夜の翼』春秋社、『木々高太郎全集2』朝日新聞社に収録されていてデジタルコレクション個人送信で閲覧可能です。
注)解決部分は背景色文字にしています。「盲ひた月」(「盲いた月」)を先に読むことを推奨します。
米國参戰秘話「U・ボートの魚雷」妹尾アキ夫(冒頭部のみ)
「新青年」 1939.11. (昭和14年11月) より
1
平和にもスリルはある。支那事變が終了して提灯行列でも始まったらどんなもんだらう。さう想像するだけでも、機關銃の音を聞くと同じ程度のスリルは感じる。だから平和にもスリルはあることはある。
だが平和のスリルは到底戰爭のそれに及ばない。獨逸は英佛の宣戰の翌日に、早くもキュナード・ホワイトスター・ラインの「アセニア」を撃沈してゐるが、電文を讀んだだけでも相當のスリルを覺える。乗ってゐた者の氣持はどんなだったらう。アセニア船客の氣持は知る由もないので、第一次大戰に撃沈されたラコニア號遭難當時の、息詰るやうな、歴史的スリルを追想してみよう。
ラコニアもやはり今度のアセニアと同じキュナードの汽船、噸數一萬八千、だから當時にあっては世界的な豪華船、乗組員二百十六名、船客七十三名、一九一七年二月十七日紐育出帆、英國リヴァプールへ向った。
途中.獨逸潜水艦は影だに見せなかったが、いよいよ二月二十五日に船は危險區域に突入した。
その日――印ち二月二十五日、三人の男が船のサロンに坐ってゐた。一人はギボンズといふシカゴ・トリビュン紙の從軍記者。一人はデュガンといふカナダ生れの飛行將校で、佛蘭西戰線で負傷して郷里へ歸り、全治したのでまた戰地へ歸るといふ男。一人はカービーといふ米国青年。
記者ギボンズが卷煙草の袋を出して皆んなに配ると、飛行將校がマッチをすって點けてやった。
そのマッチの燃かすを灰皿に棄てながら、飛行將校はこんなことを云って笑った――
「君たちは一本のマッチで三人の煙草に火を點けるのは不吉だと云ふ言傳へがあるのを知らないかね。だが、あれは大嘘だよ。僕なんか佛蘭西で飛行機を飛ばしてゐる頃、何度もやったことがあるが、その中戰死したのは四人だけで、僕はまだこの通りピンピンしとる。」
「そりゃ、マッチをすった御當人はピンピンしとるかも知れんがね、點けられたギボンズと僕は災難だ。が、まァ、僕もそんな馬鹿な話はあるまいと思ふね。擔ぎ屋は嫌ひだよ。」
(略)
ギボンズは一同に向いてかう云った――
「どうです、諸君、この船は魚雷に見舞はれる心配があるでせうか? 今日から危險區域に入ったのですから。U・ボートが現れるとすれば、今夜ぐらゐぢゃないかと思ふんですがね。」
すると倫敦の辯護士チャタムが答へた。
「まァ、千に一つと云ふ處でせうな。大抵大丈夫ですよ。」
南米から歸る途中の英國外交官ルシァン・ゼロームは、英國外交官によくある自信たっぷりの口吻で、
「いや、千に一つといふことはない。もう危險區域に入ってゐるのですし、この船はU・ボートの目につき易い大型船です。ことによると手藥煉引いて待ってゐるかも知れません。まァ、十に一つといふ處でせうね――」
この言葉を云ひ切らぬ中に、ラコニア號は魚雷を見舞はれたのである。
(以下略)
注)明かな誤字誤植は修正しています。句読点は追加したところがあります。
注)段落始めに一文字空けを追加したところがあります。
注)翻案らしく思われますので冒頭部のみとしています。
ヒマラヤ登攀秘話「山頂のピッケル」妹尾アキ夫
「新青年」 1941.03. (昭和16年3月) より
一
立教大學山岳部員が、ヒマラヤのナンダ・コットを征服したのは、昭和十一年十月三日だった。我々が同じヒマラヤのカルバーサ登攀を企てたのはそれより四年も前なのに、一向世間に知られずにゐる。それは一人の犠牲者を出したり、頂上を極めなかったり、あっさり云へば失敗に終ったからであった。
然し本當に失敗だったか。頂上を極めなかったか。これには深い理由があるので、こゝに眞相を述べることにする。
カルバーサ峰は登山界では「K3」と呼ばれ、高さ八五三二米突、だからエヴェレスト(八八四〇)カンチェンジュンガ(八五七九)には及ばざるも、アルプスのモンプラン(四八〇七)マテルホルン(四四八二)より段ちがひに高く、いはんや三千米突せいぜいの日本アルプスなどは麓の小山でしかない。
登山も「K3」ぐらゐになると大がかりの準備と研究を要する。したがって登山隊といはず探檢隊といふ。一行八人、十六人の印度人の人夫と荷物運搬の駄馬を雇ってダージリンを出發したのが、昭和七年七月十日、屏風のやうな壁に圍まれた渓谷を辿って、漸く頂上の見える地點へ出たのが、それから一週間目の七月十七日だった。
我々八人の理想は、日本各地の登山會員の混成であるだけまちまちで、リーダーの戸田は五十歳、體力は衰へてゐるが、長年いろんな山岳部の顧問を勤めた人、劃策を立てることでは彼の右に出づる者がない。宇野は横濱の生絲貿易商、志津と白井は慶應山岳部員、日比は辯護士。
だが我々八人の中、いちばん旺盛な體力と根氣強い意志を持ってゐるのは原と小坂田で、これから頂上に近づくにつれ、どんどん落伍者を出すだらうが、最後まで頑張り通して、天地開闢以來いまだ人類の足跡を印せざる「K3」の頂上に登り得る者がありとすれば、それはこの二人か、あるひは二人のうちのどちらかであるといふことは、口にこそ出さね、誰一人疑ふものがなかった。
アラビア馬のやうに逞しい運動家らしい體格の小坂田は、早大を出たばかりの若い青年で、學校にゐる頃は休暇ごとに山に登り、かつて谷川岳で三日間半死半生になってゐたことがあるといふ。
原は豫備海軍少佐、四十を越した背のひょろ高い沈默家で、先年濠洲探檢隊に加はり「K3」の頂上まで六百米突といふ地點まで達したことがあり、それが今の處、この巨人峰の記録になってゐるのだ。
もっともその際彼は惜しくも生涯の友でもあれば、日本登山界の長老でもある小栗氏を失った。氷の絶壁からスリップしたのである。爾來、沈默家の原は一層憂鬱となり、滅多に亡友のことを口にしたことがない。たゞかつて亡友より贈られた”To Hara From Oguri”と鶴嘴の頭部に刻んだ形見のピッケルを、いつも肌身はなさず持廻ってゐる。もし誰かのピッケルが「K3」の頂上に建てられるなら、それがこのピッケルであってくれと、私は心ひそかに祈らずにゐられなかった。
ある眞夜半、ふと目を覺してあたりを見ると、毛布を着たまゝの原が、一人坐って月光を浴びた頂上を見つめてゐた。
「よく晴れてゐるね。」私がさう云った。
原は片手をあげて、「あの尾根を見たまへ。」
巨大な尾根が蛇のやうにうねって空にのぼってゐた。清澄な空氣のなかに蒼白い光を受けて、深い皺や飛出た岩場が、書畫より鮮かに浮び出してゐる。
「ずゐぶん尖ってゐるね。あすこはちょっと困難かもしれぬ。」
私が云った。
「登って登れないことはなからうが、僕が心配するのは、あすこを通ると後が疲勞のために危險だと思ふのだ。」
「小坂田は疲勞してもあの尾根を通った方が早くていゝと云ってゐるよ。」
原は長い間考へてゐたが、
「死んだ小栗もそれと同じことを云ったよ。」
と、たった一口、滅多に口に出さぬ亡友のことを云って、また毛布をかぶって横になった。
次の日も、そのまた次の日も、巨大な摩天樓に圍まれた溪谷の飽くなき前進だった。それにしても何といふ大きな溪谷だらう。溪谷のどんづまり、氷河から一粁の地點にベイス・キャンプを張った。もうそこからは駄馬も進めない。一同澤山の木箱を開けて食糧を整理したり、小分けにしたりする。地圖をかこんで鳩首協議もした。小坂田の單獨偵察で氷河の形も分ったので、いよいよ登攀決行の段取りとなる。
第一キャンプと第二キャンプは、氷河の上のなるべく風當りのすくない場所、第三キャンプは尾根の下、この第三キャンプが、アドヴァンス・ベイスである。まだ先にもキャンプを作るが、そんなのは小さいので、一日か二日しか泊れない。ベイス・キャンプから第三のアドヴァンス・ベイスまで僅か二十四粁、人夫一日の行程が八粁だから仕方がなかった。
我々は白井と八人の人夫をベイス・キャンプに殘し、一日は第一キャンプ、二日は第二キャンプ、三日目に第三キャンプへ着いた。第一と第二へは食糧と諸道具を殘したのみで、人員は置かない。まだ頂上までのキャンプに人手を要するからだ。
第三キャンプへ着くと、鳴りをひそめてゐた天候が待ち受けてゐたやうに恐ろしい稲妻を先驅として、猛烈な吹雪を降らせはじめた。風に煽られる天幕が、機關銃のやうな音を立てた。その夜も次の夜も一睡もできなかった。吹雪は三日三晩つゞいた。四日目の朝外へ出てみると太陽が輝いて積雪二米突、今までの目印がなくなってゐる。日は照っても、天幕を修繕したり、天候を確めるため、すぐ出發といふ譯にはゆかぬ。
その翌日も、翌々日も晴れてゐた。併し殆ど十分間おきに上の方からドドッと物凄い雪崩の音が聞える。まだ雪が固まらぬらしい。こんな時出發するのは自殺行爲だ。
ある日、一同夕餉の仕度をしてゐたら、早大OBの小坂田が、喜び勇んで偵察から歸ってきた。
「出發! 出發! もういゝよ。雪がかたまった!」
興奮が電氣のやうに一同に傳はった。みんな仕事の手をやめて小坂田を見た。
聲を彈ませてまた云ふ。
「いま三十米突ばかり登ってみた。もういゝ。雪がカチカチに固まってゐる。明日出發しようぢゃないか。」
リーダーの戸田は笑ひながら考へてゐたが、原の方へ向いて、
「どうだらう?」
リーダーの戸田は大抵のことは原に相談する。
原少佐は頭を振った。
「まだ早くないかね、もう一日か二日様子を見た方が安全だと思ふんだが――」
小坂田は原の方へ向いて、
「どうして?」
「このあたりは一日に二時間ぐらゐしか日が當らぬから、それで雲が固まったんだよ。上の方は朝から晩まで日に照されてゐるから、まだ凍っちゃゐないよ。」
なるほど、原の云ふことには筋道がたってゐた。
「でも雪崩の音は聞えなくなったよ。」
小坂田は飽くまで自説を固守しようとする。
「雪崩は止んでも、雪が固まらないと、滑りこむ危險があると思ふんだ。」
そばからリーダーの戸田が、
「そりゃ左様だ。明日の出發は見合さう。」
二
我々がザイルで結び合はせて、アドヴァンス・ベイスを後に、氷河の上の斜面を一列に進んだのは、それから三日後のことだった。みな重い荷物に海老のように背を曲げてゐた。
リレー式に進むのが我々の計畫だった。即ち第一班は原と志津と私の三人、それに四人の人夫を加へ、風の當らぬ場所に第四キャンプを張る。張り終ったらそこで一泊、翌日アドヴァンス・ベイスへ歸る。
それに代って第二班の小坂田、宇野、四人の人夫が荷物を運搬する。このリレーは第四キャンプが完成するまで續け、完成したら次に第五、第六と同じ方法で續けて行く。
第六キャンプは海抜八千米突ぐらゐになる筈だから、そこから一氣に頂上へ向ふ。戸田と日比の二人は指揮者としてアドヴァンス・ベイスに殘る。高山病、負傷、凍傷などの患者ができたら、隊員たると人夫たるを問はず、忽ちにアドヴァンス・ベイスへ後送する――これが大體のプランだった。
さて、「K3」の大尾根の下で、さうした工作に從事した二週間を、どう話したらいゝだらう。一口に云へば、その二週間に何事も起らなかったと云へるし、また登山に伴ふあらゆる危難に遭遇したと云へるのだ。風當りは次第に激しくなる。寒さは凛冽、呼吸も困難となる。ある朝、起きてみたら人夫二人が凍傷に足をやられてゐたので後送した。志津が鼻血をだし容易に出血が止りさうにないので、これまた後送した。宇野は頭痛、私は堪らぬほどの渇きを覺えるやうになった。
だが、天祐なるかな、最も怖ろしい敵、即ち吹雪だけは一度も見舞はず、毎日カラリとした好天氣、お蔭で一日一日と頂上めざして肉薄することができた。
人間といふものは、こんな場所で極度の苦勞をすると、假面をかなぐり捨ててまる裸となる。怠者や利己主義者は一人もゐなかった。が、日が經つにつれ、八千米突の山に適する者と適さぬ者が、篩にかけて落すやうに區別され、體力も智力も盛んな者が斷然頭角を現した。それが豫想通り原と小坂田だった。
初めのうち、せっかちで、駄々ッ子らしかった小坂田は、いろんな目に遇ふに從って、そんな惡癖を見せなくなり、岩場や氷の上を進む時の元氣な速度には、誰もが舌を卷いた。快活で明朗だったので、彼が來るとその一團には必ず笑聲が起り元氣づけられた。
それに反して原は冷靜で、することなすことに秩序があった。私はリレーの時、彼と同じ班だったので、今でもよく原の面影を思ひ出す。好人物らしい落窪んだ目、不精髭、ひょろ高い體をくの字に曲げてピッケルで足場を作った。丁寧に足場を作るので、彼が作った足場では、一度だって後から來る人夫が滑ったことがない。
彼の沈着振りを示すとこんな例がある。第四キャンプから、第五に向ふ途中だった。垂直の壁にぶつかったので、すぐ上の尾根へ廻ったのである。ところがその尾根たるや、兩面けずり取ったやうに尖ってゐるので、すこしでも足を滑らしたらお陀佛だ。先頭が原、つぎが私、しんがりが四人の人夫、その六人がアンザイレンして危っかしい尾根づたひを始めたのである。
ところが一番後ろの人夫がスリップし、アイゼンを軋らせて悲鳴をあげた。振返った私は虚空を掴んで墜ち行く人夫の姿をちらと見た。と思ふと、つゞいて後ろから二番目の人夫が足をさらはれてあっと叫んだ。
私は無意識に岩に獅噛みついて、一生懸命にピッケルを打込まうとしたが、こんな場合のピッケルが何の役に立たう。壁に一本の針を突立てて墜ち行く人間を支へようとするやうなものだ。
その時、「飛べッ!」と怒鳴る原の聲がして、腰のザイルにぐんと衝激が來た。私は咄嗟に原の跡を追って、墜落する人夫と反對の側の斷崖に飛込んだ。すぐ後の人夫が私につゞく――
かう云ふ風に話すとまどろっこしいが、じつは一瞬間の出來事なのだ。私は自分自身のうめき聲を夢うつつに聞いた。遥か下の氷河が目の下でぎりぎり舞ひをして、胴體が眞二つに千切れるほどザイルが喰込んだと思ふと、私は平蜘蛛のやうに斷崖の壁に吸付いてゐた。つまり、鎌尾根の稜線を中心にして、一本のザイルの兩方に三人づつぶらさがり、危く墜落惨死をまぬがれたのである。
ザイルの一番下にぶら下ってゐる原が英語で、
「おい、向側にゐる奴! 俺たちも這上るから、お前らも少しづゝ這上れよ!」
五分後、眞っ青になった六人は、尾根の頂に四つん這ひに獅噛みついてゐた。私は全身に冷汗をかいて吐息してゐた。
原はザイルの點檢を終ると、
「早くキャンプに着いて、熱いお茶を飲まう。」
實にこんな男で原はあったのだ。
第五キャンプから上は氣候と地勢がガラリと變る。第一氷がすくない。處々の岩蔭に氷が張ってゐるだけだった。その代り新手の敵が現れた。それは風が激しいこと、空氣の稀薄なこと。もうそのあたりは八千米突ぐらゐで、あたりに屹立する峰々よりずっと高いので、何の遮る物のない千里の風が漂々と吹きまくり、寒いことと云ったらお話にならぬ。
空氣が稀薄なので、息をすることが一つの勞働で、二三歩登っては燒けつくやうな肺に吐息を詰めこんだ。むろん各人リュックサックに小型酸素管は持ってゐるが、困ったことにそいつを使ふ時だけは爽快を覺えても、あとの苦しさは倍加する。だから酸素管は滅多に使はなかった。
第六キャンプを張り終ったのは、アドヴァンス・ベイスを出てから十五日目、そこは東側大尾根を登り切った地點で、いはゞ「K3」の肩のやうな場所、すぐそばに三千米突下の氷河を見下す絶壁があり、上を仰げばピラミッド型の恰好のいゝ頂上が、呼べば答へるほどの距離に見えた。
第六キャンプは天幕一つだから三人しか寝られない。それを張ったのは小坂田と宇野と人夫の三人。三人はそれを張り終ると翌日第五キャンプへ歸り、原と私の二人がそれに代った。
次に原と小坂田と私の三人が第六キャンプへ泊った。そして天氣さへよければ、この三人で明日にでも一氣に最後の登攀を決行しようといふ段取りになった時、山は最後の切札を出した。吹雪である。
その吹雪は、頂上、氷河、あらゆるものを視野から葬り、怪猫の唸りを立てて、一晩中襲ひつゞけた。世界の終りかと思はれるほどの暴れだった。
だが翌朝目を覺すと、空はからりと晴れ渡り、太陽に照されたピラミッド型の頂上が、眩しいほど銀色に光った。
この吹雪のためにまた出發が遅れた。積雪が凍って固くなるか、風に吹き飛ばされて無くなるかするまで待たねばならぬ。そこで天氣がいゝのに三日の間天幕の中でじっとしてゐた。三日目の晩にはそれが堪らなくなった。長い間話もせねば運動もしないので、氣が狂ひさうになった。聞えるのは風の唸りと苦しげな我々の息使ひのみである。前途に待つは死よりほかないやうな氣がした。それに食糧が不足しだした。餘分を見つもって用意した食糧があと三日分しかない。
「明日はアドヴァンス・ベイスへ引き返さう。」
原がシュラフザックの中で身動きしながらさう言った。
むろん小坂田は反對で、
「そりゃ不賛成だ。」
「雪も固まらないし、食糧も――」
「大丈夫。このくらゐの雪がなんだ。こゝまで來て降りるなんてことはないよ。」
「いや、山を降りるんぢゃない。アドヴァンス・ベイスで暫く様子を見て、天氣が落着いてからまた登るんだ。いまは危い。」
「そんな――そりゃ氣が長すぎる。」
「でも萬一のことがあると――」
いひかけて、原は激しい咳の發作に襲はれ、兩手で腹を抱へて苦悶する。
しばらく沈默がつゞいた。
この沈默を小坂田が破って、
「よし、俺は明日一人でも登る。」
原が默ったまゝ頭を横に振った。
小坂田がまた「明日登る。」
温順な原の眸に初めて焦燥の色が浮んだ。
「俺はこの班のリーダーだ。君にもしもの事があったら俺の責任だ。だからリーダーとしてとめる。明日登るのは止したまへ。」
小坂田はシュラフザックを脱いで、苦しげに立上り、
「でもこゝまで來てアドヴァンス・ベイスに引返すのは殘念だ。君はいつやらもこゝまで來て引返したのださうだね。」
息が彈んだのであらう、さう言ふと小坂田は力なく坐った。
原は靜な眸で小坂田を見ながら、
「あの時はね、失敗しただけぢゃない。大切な友人まで亡くしてしまった。俺に取っちゃ、登山の新記録を作るより、友だちを失ふ方が大事件なんだ。俺だって生命がけで登らうと思へば、今日これからだって登れるよ。たゞ無謀な登山をしたくないんだよ。なにも君と競爭するつもりはないが――」
またひとしきりゴホンゴホン咳いて、シュラフザックを着けたまゝ後ろに轉んだ。
小坂田も無言だった。二人とも苦しくて物が云へぬほど疲れて喘いでゐた。
三
それから數時間後、ふと私は氣持惡い眠りから眼を覺した。
うす明りに透して見ると、原がごそごそ天幕の端を捜ってゐるのだ。
「どうした?」と私が訊いた。
「小坂田がゐない。一人で出かけたらしい。」
この言葉で私は、針で刺されたやうに、はっきり目が覺めた。
よろよろと立ちあがって、原のあとについて天幕を出た。
まだあたりは暗いが、東の空にはほのかな黎明の光が射して、夜明前の空氣がぞッとするほど肌に滲みた。
私は次第に双眼鏡の視野を移しながら、ピラミッド型の頂上や、その下の雪に包まれた岩場を捜るやうに眺めた。はじめは一面灰色に映るだけだったが、そのうちふとなにかの動くのが見えた。
「ゐるゐる!」
焦點を合すと、雪を背影にして、黒い小坂田の姿が、一匹の蟲のやうに浮び出した。三歩進んでは四つ這ひになって休み、休んではまた立上ってゐる。双眼鏡を原に渡した。原は暫らく双眼鏡で見てゐたが、それを返すと默って天幕の中へ入った。私が天幕の中へ入ると、原は靴をはき大手袋をはめてゐるところであった。
「まだ幾らも登っちゃゐない。三十分ほど前に抜け出したんだらう。」
さう云ひながら原はピッケルを取って外に出た。
「待ってくれ。俺も行く。」
原は頭を振った。
「止したまへ。君は待っとってくれ。」
「行くよ。」
それ以上なにも云はずに、私が出發の用意をするのを待ってくれた。二人はザイルでつなぎ合って默々と出發した。
十分間ほどでピラミッドの麓へ着いた。すぐ下は一躍三粁の斷崖である。息をしようにも殆ど空氣といふものがなかった。双眼鏡に映った小坂田のやうに、二三歩進んでは立ち止って休み、金魚のやうに口を開けて喘いだ。
まもなく眞横から太陽が射して、ぐるりを取圍む峯々が黄金色に染った。「K3」は他の峯より千五百も高いのだが、高いといふ感じは起らぬ。それは足元の深淵や氷河があまりに遠く平面的に眼に映じ、現實な物として受取れぬからだ。が、私たちはそんな光景は見向きもせず、足を踏み外さぬことに全精神を打込んだ。
それから何時間たってからだらう、二時間後か、三時間後か、とにかく岩角をまがると不意に私たちは小坂田を見つけた。双眼鏡で見て以來、はじめて見たのである。そのとき彼は十米突ほど先の垂直の崖の下に立ってゐた。
その崖には二つの登道があった。一つは、いはゆる登山者がチムニーといふところの煙突を取りのぞいたあとのやうにずっと上まで續いた急な岩の窪み、一つは右の方のやゝ傾斜の寛やかな雪庇で、岩の後ろに廻って見えなくなってゐる。見てゐると、小坂田はその右方の雪庇に近よって、試驗するやうに怖る怖る足で踏んでみて、雪が重量に耐へるのを確めると、靜にその上に上った。
「小坂田!」
だしぬけに原が呼んだ。
だが、その聲は嗄れて弱々しかったので聞えなかったのであらう。振向きもしないで進んで行く。
原は兩手を口にあててまた呼んだ。
小坂田が初めて振返る。
「危い!」
原が手を振った。
小坂田は凝とこちらを見てゐる。
その間に我々は雪庇から二三米突の處まで接近した。原は今までにない速度で歩いたが、さすがに激しく喘いでゐた。
「危いから降りたまへ。」
「大丈夫! この雪は固いんだから。」
「いや、すぐ落ちる。雪の下には何もないよ!」
その瞬間、私は原の言葉の意味を知ってぞッとした。
小坂田が今まで立ってゐた處、すなはち雪庇のすぐ横から見れば、その雪は岩に支へられてゐるやうに見えるが、私たちの處から見ると岩も何もないのだ。ただ岩壁の龜裂かなにかに雪が積り、それが次第に大きくなったものに過ぎない。下には三千米突の空氣があるだけだ。
「危いッ! 早く降りたまへ!」
さう私が息を彈ませて叫んだ。
小坂田はちょっと迷ってゐたが、それでもこちらへ向き直って一歩降りた。が、二歩目を踏みしめることは出來なかった。彼のすぐ前の雪がポクリと落ちて、そこに「K3」北壁の深淵が口を開けたのである。
私は思はず兩眼を閉ぢてまた見開いたが、見開いた時には奇蹟的に小坂田がまだそこに立ってゐた。
「動くな。ぢっとしとれ。ちょっとでも動いちゃいかんぞ!」
さう原が怒鳴った。
「ザイル!」と私が叫んだ。
原はそれには同意せず、「ザイルを投げると、その重みで雪が落ちる。待っとれ!」
じりじりと雪庇へにぢり寄る。
私は岩肌に吸ひついてジッヘルしながら、原が進むに従って二人をつなぐザイルを伸した。雪庇の上には眞っ蒼になった小坂田が、片足を前へ、片足を後ろへ引いたまゝ、化石したやうに立ってゐる。原ほ驚くべき速度で詰寄った。時には一寸ぐらゐしかない足場に爪先をかけ、時には壁面の龜裂にぶらさがり、まもなく兩足で立てる岩棚へ達したが、まだそこから小坂田の處まで二米突は離れてゐた。
原はそこに立つと、落着いた聲でかう云った。
「こゝに二人立てる。俺がピッケルを伸すからね、そいつを握ってしまふまでは動いちゃいかんよ。ピッケルを引っぱったら、こゝへ飛んで來るんだ。」
後ろの壁面を探して適當な手掛りを見つけ、そこに左手を掛けると、右手に持ったピッケルをうんと伸した。ピッケルの頭が小坂田の肩から二尺ばかり離れた空間へとゞいた。
「握った!」
鋭い聲で原が云った。
小坂田がそれを握る。
「飛べッ!」
きらッとピッケルの頭が日光に光った。くの字に曲った小坂田の體が、ひらりと岩の棚へ飛んだ。
が、どうした工合か、疲れ切った原がその拍子によろめいて、眞っさかさまに棚から墜落したのである。
だッとザイルが張り切ったと思ふと、ジッヘルしていた私は、五體が分裂するほどの激痛を感じた。それからザイルがぽつんと切れた。まるで嘘のやうに易々と切れた。そして、あゝ、原は三千米突の斷崖から墜落したのである。
あとには空中にぶらさがった黄色いザイルの切れ端が、馬鹿のやうにうごめいてゐた――
こゝでちょっと考へてみたい。いったいザイルといふものは、どの位の重量に耐へ得るものだらう。山腹の鎌尾根では兩方に三人づつぶら下ってもきれなかった。こんな例は珍しくない。大正十四年七月、近藤正氏が二人の早大山岳部員をつれて、劍の八峰の尾根を渉った時のこと、まづ二番がスリップし、つづいて先頭が曳きづられだが、最後の近藤氏が咄嗟に反對側に肉彈投射を行って助かってゐる。(春日俊吉氏著「山の遭難生還者」五八頁)
つぎに一人の男の重量で切れた例をあげるなら、昭和八年七月十二日、早大山岳部、加藤歳市氏が涸澤岳を槍に向け縱走中スリップしてザイルを切斷し、昭和十二年十一月四日には、五高生匂坂正道氏が阿蘇の岩場でザイルを切ってゐる。春日俊吉氏著「山と雪の受難者」四〇頁)
だから結論は、一人の重量で切れることもあれば、三人の重量で切れないこともあるといふ頗る不得要領なことになるが、併しそれは別々のザイルであった。我々の場合は、三人の重量で切れなかったその同じザイルが、あとで一人の重量で切れたのだ。けれども考へてみると、それは不思議でも何でもないので、同じザイルを同じ状態で試驗しても、切れる事もあれば切れない事もあり、まして製造の際の過失で弱い個處がありとすれば、そこが衝激の中心になるとならないとで全然強さが違ってくるわけのものなのだ。
さて、私はあまりのことに、たゞ茫となって小坂田を見たのであるが、彼はその時棚に立ってピッケルを眺めてゐた。彼の頭上には、僅か百米突の處に、人跡未踏の處女峰「K3」が聳えてゐた。
それから私は長い間ぢッとしてゐた。極度の疲勞に全身が麻痺してしまひ、凍った岩肌に凭れたまゝ兩眼を閉ぢ、なにも考へず、なにも感ぜずにゐた。そのうち小坂田の動く氣配がするので目を開けた。
小坂田は私のそばに立ってゐる。
「僕はこれから頂上へ登る。」
氣のぬけた聲で彼がさう云った。
私はきょとんとした目で彼を見た。
「君も來るか?」と彼が訊いた。
私は頭を横に振った。
小坂田は急なチムニーを登りだした。時々體を支へて息をする。手掛りのない處では金槌を出して、岩の龜裂にハーゲンを打込んだ。あんなに疲勞しゐてどうしてあんなに力が出るだらうと、不審に思はれる位だった。やがて彼の姿は岩の上に見えなくなった。
私はそこに横になってぼんやりしてゐた。數時間經った。太陽が眞上に昇った。やがてその太陽が傾きそめた。
しばらくするとまた小坂田の氣配がする。顏を起すとチムニーを降りてゐる處だった。顏は土色、服はぼろぼろに破れてゐる。まるで死人が、墓場から出た男のやう。生きた人間とは思はれない。たゞ氣力一つで動いてゐるのだ。
「頂上へ登ったか?」
さう私が訊いた。
小坂田は頭を振って、「駄目だった。僕には頂上を極めるだけの力がない――」
默って二人はザイルをつないだ。
それから下のキャンプへ降りた。
* * *
この探檢に就いては、もう云ふべきことがない。全員はアドヴァンス・ベイスに集合して協議したが、一同半病人になってゐるし、一人の犠牲者まで出したので、殘念なから引き返すことにした。
だがこの話にはまだエピログがあるのだ。それから五年の星霜を經た昭和十二年夏、贅澤な米國R・R・C探檢隊が大がゝりな計畫で無事「K3」の登攀に成功したのであるが、彼らは人跡未踏と信じてゐた「K3」の頂上に、先人の足跡を發見してがっかりした。
他でもない。岩と氷の頂上に深々と一本のピッケルが突立ててあって、その頭に”To Hara From Oguri”と刻んであったのだ。
あゝ、原と小坂田! 彼らは二人とも男らしい男だった。千年の雪を頂く山嶽も美しいが、こんなのになると人間もそれに劣らぬ嚴粛な美を持つ。惜しいことに、小坂田は印度から歸った翌年、丹澤のキウハ澤でスリップして死んだ。ヒマラヤの登攀に成功した男が、なぜハイキング・コースみたいな丹澤山で死んだか。
だが諸君よ、それは六人でぶらさがって切れなかったザイルが、一人の重量で切れたと同様所詮人間といふものは強力な自然の前には、何の法則も立て得ないのではあるまいか。二人とも常から、山で死ぬのは本望だと云ってゐたのが、今から追想してせめてもの心遣りである。 (終)
注)明かな誤字誤植は修正しています。句読点は追加したところがあります。
注)衝撃に関して不明瞭なところなど創作のような気もしますが、詳細は未調査です。ネタ元はあるかもしれません。