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妹尾アキ夫 作品小集4

Since: 2025.03.30
Last Update: 2025.03.30
略年譜・作品・著書など(別ページ)
作品小集1 - - (別ページ)

      目次

      【ビーストンに就いて】

  1. 「ビーストンの特質」 (紹介・考察) 旧かな旧漢字 2025.03.30
     
  2. 「ビーストン雑感」捕鯨太郎 (雑感) 旧かな旧漢字 2025.03.30
     
  3. 「一方から見たビーストン」 (考察) 旧かな旧漢字 2025.xx.xx
     
  4. 「ビーストンに就いて(『ビーストン集』)」 (後書き) 旧かな旧漢字 2025.03.30
     
  5. 「ビーストンの作品(近頃読んだもの)」 (雑感) 旧かな旧漢字 2025.03.30
     
  6. 「ビーストンに就いて(『人間豹』)」 (前書き) 旧かな旧漢字 2025.03.30
     
  7. 「ビーストンに就いて(別冊宝石)」 (紹介・考察) 新かな新漢字 2025.03.30
     
      【オーモニアに就いて】
     
  8. 「オモニアーに就いて(新青年)」 (紹介) 旧かな旧漢字 2025.03.30
     
  9. 「オーモニアーに就いて(探偵趣味)」 (紹介) 旧かな旧漢字 2025.03.30
     
  10. 「オーモニアに就いて(新青年)」 (紹介) 旧かな旧漢字 2025.03.30
     
      【フリーマンに就いて】
     
  11. 「ソーンダイクに就いて」 (紹介) 旧かな旧漢字 2025.03.30
     
  12. 「あとがき(世界推理小説全集29)」 (後書き) 新かな新漢字 2025.03.30
     
      【その他海外作品・作家に就いて】
      ※準備中
      【日本作家・探偵小説・自身に就いて】
      ※準備中
      【翻訳に就いて】
      ※準備中
      【アンケート・近況・短文(戦前)】
      ※準備中
      【アンケート・近況・短文(戦後)】
      ※準備中



「ビーストンの特質」妹尾韶夫
「新青年」 1925.10. (大正14年10月) より

 ビーストンの第一の特質は緊張味に富んでゐることだ。そして Shrill シュリルに富んでゐることだ。彼の小説には、無駄な叙述がない。ゆるみがない。カットすべき部分がない。始めの一行から最後の一行に至る迄、ピンと張りつめた、鋼鐵の絲のやうに緊張してゐる。叩けば鳴る鋼鐵が、彼の藝術である。彼の藝術は、塗りたくりつけ加へたものでなくて、無駄をかなぐり棄て、けづり去ったものである。 だから、鍛へに鍛へた日本刀のやうに凄く澄んでゐる。だから、せいぜい三十枚ぐらゐな短篇ばかりである。その會話の一句一句が、讀者をはらはらさせる。どうなるだらうと手に汗を握らせる。彼が作った人物は、簡潔な、鋭い、火花が散るやうな會話を交しながら讀者に息もつかせず、頁から頁へと結末を急いで行く。
 彼の第二の特質は、奇想天外から落ちる式の構想である。「意外の結末」アネクスペクテドエンディングである。およそ、「意外の結末」と云へば、西洋では(日本には全然ないのだから西洋と斷る必要はないかも知れぬが、)米國のオー・ヘンリーに留めを刺すと云はれてゐる。けれどもオー・ヘンリーのは、それが最後の一行に表はれるだけだから、少々呆氣ない感じがする。西洋落語と云はれる所以だ。 そこに持って行くと、ビーストンのはそのアネクスベクテッドがほど好い處に出てゐるから、充分にその驚きを含味享樂することが出來る。讀んでゐる中に、讀者の想像と期待をがらりと裏切って、意表に出るやうな結末に導いて行くのが彼の十八番おはこである。この點で、彼はユニークな作家だ。だから少しでも彼の作を讀んだことのある人は、彼の作と知らずに彼の作を讀んでも、これは彼の作だ、彼以外にこんな作を作り得る者はないと直ぐ氣が付く。 それほど彼は奇抜な構想やトリックを用ゐることが旨いのだ。それほど彼は組織的な明快の頭腦の持主なのだ。
 ビーストンの第三の特質は、描寫が徹頭徹尾、客觀的だと云ふことだ。彼は、手紙を受けとって心配してゐる人物を描く場合でも、オーモニア式にその心配を生のまゝ直接に書かうとせず、その人物の顏色と行動で心の心配を現はさうとする。例へば「決闘」の一九六頁を開けて見たまへ。(※作品は「約束の刻限」)
「ブランナは一通り手紙を讀んで仕舞ふと、最後の文句をぢっと睨んだ。太い眉をひそめて紙に穴が開くほど鋭く睨んだ。二分間った。それでも彼は身動きもしない。 火のいてゐない煙管パイプを口から取っても、火をけようとはせず、たゞ握りしめてゐるだけだった。彼は咽喉のどの奥の方で軽く咳拂ひした。それからまた繰返して始めから讀始めた。鳥渡足踏して一吋ばかり前より廣く股を開て、木が生えたやうに衝立った。」
 ざッとこの調子だ。實に驚くほど旨く書けてゐる。
 すべて容觀的に物事を取りあつかふ彼は、筋の過去の經過を讀者に知らせる場合でも、それを叙述的に述べることをなるべく避けて、作中の人物の對話で、それをどんどん語らしてゐる。それが爲には、對話が不自然になっても、お構ひなしだ。(「決闘」一九一頁参照)彼はそんな場合の不自然なぞと云ふことは、初めから眼中に置いてないらしい。
 ビーストンの第四の特質として、以上三つの他の雜多な特質を、ひっくるめて述べてみよう。彼の人物は、生活に對して、生々とした感覺を持ってゐる。花の匂ひ、雨の音(彼はよく雨を降らせる)なぞを彼一流の簡潔な言葉でよく描いてゐる。「密柑畑の匂ひよ! それに混ったテレビンスの樹の匂ひよ!」(「決闘」一四五頁)なほこの「東方の寶」には、彼の總ての作に流るゝ人生觀の基調をなす新鮮な希臘主義ヘレニズムがよく現はれゐ。 また彼は個々の人物の性格を、浮彫のやうな鮮かさで書き分けてゐる。
 彼の作には、時々、「人間豹」の中のエルグッドや、「敵」の中のマディッシュのやうなポー式の病的な人物が出て、ダイアポリカルな影を投げてゐるが、それは強烈な電燈が強い影を伴ってゐるのと同じ理由に過ぎない。彼が好んで描く人物は、ヴァレンティン伯爵や、レストローワや、ミルトや、セアズ卿や、フェラリのやうな、明るい、冒險的な、何處か床しい英國紳士の面影のある男性的人物である。それらの人物が、生か死か、危機一髪と云ふ、クライシスに直面した場合の動作を好んで描いてゐる。
 左様。男性的と云ふのが、彼の作の總てに冠せられるべき名前である。日光に觸るれば奇々怪々の琥珀色の光輝を發する、火のやうに強い英國製のウイスキーをたゝへたグラスが、ビーストンの作物である。
 其國の文學を見れば、その國民の意氣の消長が解る。亡國には亡國的な文學しか咲かない。世界に覇をなすアングロサクソン人種が、疲れた時にぐッと一息飲むのが、この舌端を觸ればピリヽと來る、香りの高い、甘美な、男性的なジョニー・ウォーカーである。英國にビーストンが生れたのは當前あたりまへである。

注)明かな誤字誤植は修正しています。


「ビーストン雜感」捕鯨太郎
「新青年」 1925.10. (大正14年10月) より

◎ビーストンは好きは好きだけれど、堪らぬと云ふほど好きではない。探偵物だけに就て考へてみても、彼の探偵物よりオーモニアーの探偵物の方がずッと好きだ。オーモニアーは「犯罪の偶發性」「オピンコット」「墜落」の三つの探偵小説を書き、三つとも本誌に載せられたが、これなら堪らぬほど好きだと言へる。しかしビーストンが嫌ひではない。好きは好きだ。
◎横溝君は三の宮あたりの古本屋に行って、ビーストンが載ってゐる外國雜誌は皆買ったと云はれるが、私も地震で神戸にゐたころには、よく三の宮の古本屋に行って、目録にビーストンの名がありさへすれば手當り次第買って歸った。 ストランド、プリミアー、ランダン、ピヤースン、グランド、ストーリーテラー、米國のディテクティヴ、中でもプリミアーとストーリーテラーには、毎月讀切りの主人公だけ同じ連續物シリヤルの形になったものが随分長く出た。私も五十以上は讀んだが、集める觀念がないもんだから、片っ端から棄てゝ行った。
◎春田君は、うるほひがないのがビーストンの缺點だと云はれたが、私も同感である。筋や構想は大變立派だが、それを裏づけるだけの落着いた瞑想がない。だから、血と肉を持たぬ骸骨みたいな氣がする。
◎ポーとビーストンを比較すると、ポーの崇拝者が抗議を申込むかも知らぬが、こんなことは個人の趣味を標準にして論ずべきもの。そして私自分に就いて云へば、私はポーよりビーストンの方が好きである。ビーストンがポーの感化を受けたことは事實だ。だから先驅者と云ふ意味でポーに尊敬を拂ふことは惜しまぬ。しかし時代と云ふものを度外視して、たゞ作品だけに就いて考へると、ビーストンの方が面白い。
◎尤も私は餘りポーを知らぬ。「アッシャー家の潰崩」と「レーヴンの詩」を原書で讀んだ外には、七つの短篇を反譯で讀んだきりだ。私は惡魔的なもの、病的なもの、變態的なもの、餘り陰氣なものには興味を起さうとしても興味が起きない。しかし私は自分の趣味を諸君に強ひはしない。そのかはり諸君も私がポーよりビーストンの方が好きだと云ふのを笑はないでくれたまへ。
◎ポーは感情に徹底し、ビーストンは理智に徹底してゐる。感情に徹底したポーが不孝な生活をしたことは、彼の傳記を見れば解る。この極度まで感情を徹底さしたことは、彼の作品に高い香りと不思議な光りを與へた。ビーストンの傳記はブックマンに出たこともないらしいし、人名簿フーズフーにも載ってゐないから、どんな人かさっぱり解らない。たゞ現在の作家と言ふことが解ってゐるだけだ。
◎けれども彼の作品を見れば、彼が理智的の人だと云ふことは直ぐ解る。餘程理智の發達した者でなければ、あれだけの複雜な、奇抜な筋は考へられない。あの筋は感情で作ったものでなくて、頭腦で作ったものである。建築家が定木とコンパスで澤山の家を設計すると同じ正確さ、同じ素早さで、彼は澤山の筋を作った。
◎彼が作った筋は、時間的に順を追って見ても相當面白いのに、頭の好い彼はそれだけで滿足せず、時間的に後になるべき處を、頁の上で前にしたり、中程になるべき處を最後に持って行ったり、實に驚嘆すべき巧みさで、奔放自在に取り扱って、ゆはゆる彼一流の「意外の結末」で讀者をいつも驚かしてゐる。
◎けれども、ビーストンの作に、筋以外に何物があるだらうか? 少くも、彼の作品にうるほひがないのは、筋以外に何物もないから――いや、比較的筋が多すぎるからだとは云へないだらうか?
◎私は落着いた瞑想がないのが、ビーストンの最大の缺點だと思ってゐる。落着いた瞑想と云ふのは、私の云ひ方が拙い。ポーが持つ突込んだ觀察と、あのひつこいほどの落着いた描寫、それから感情だ。私がビーストンを三分の一まで好いて、まるきり好きになれないのは、彼がこれを缺いてゐるからである。
◎ポーのことを云った次手に云ふが、彼の「阿門酒の樽」と、ドイルの「グリーン・フラグ」と云ふ短篇集の中にある「セ・ニュー・キャタコム」とは、全く同じものだ。一つは地下の穴倉へ友人を連れこんで出口をふさいで殺し、一つは友人を地下の塋窟カタコムに連れ込んで出口を閉いで殺す。けれどもこの二つを比べてみると、ドイルの方が形式もとゝのってゐるし、書き方も旨い。ドイル先生きっとポーのテーマを失敬したのだらう。
◎この道にかけては、ビーストンもドイルに引けは取ってゐない。彼が二三年前のストランド誌に載せた何とか云ふ短篇は、ランドンの「唇を洩れぬ名前」とそっくりそのまゝだ。(「唇を洩れぬ名前」は「第一短篇名作集」に譯されてゐる。ビーストンのは譯されなかったし、原本も今ないのでタイトルも解らぬ。)
◎吉田君の臺本を盗用した築地小劇場のやうなのは大いに攻撃すべしだが、こんなのは攻撃できない。眞似をしても、たゞ抜きん出さへすればいゝ。こんな詩もあるではないか。
"Though old the thought,
And oft exupressed.
Tis his at last,
Who says it best."
◎ドイルの文章は、癖がないので有名だが、ビーストンの作品に出て來る人物の對話は獨特なものである。たとへば彼の作中の人物は「それはきまり切ったことです!」と云ふ場合に、
"Unanserabke! Indisputable!"
 と、たゞ二口答へたり、「いゝえ」と云ふ場合に、
"Absolutely and emphatically no!"
 と、云ったりする。まるで漢語のやうにきびきびしてゐる。これなんかは、ビーストンの臭ひの最も高いものだが、こんなのは譯すと調子が消えてしまふ。
◎ビーストンは決して内部的に立入って、心理描寫をしない。たゞスクリーンに映る映畫のやうに、外部的に現れるものを描くだけだ。「彼女がはッと驚いた」とは云はずに、「彼女の胸に差す薔薇の花が微かに顫へた、」と云ふだけだ。けれどもそれで結局同じやうに心理描寫が出来てゐる。
◎この客觀的描寫は、彼の「意外の結末」をどのくらゐ助けてゐるか解らぬ。作者が知ってゐることを故意わざとと讀者の前に隠して置いて、終ひにそれを現して吃驚させるなぞ、みなこの客觀描寫を、巧く使ひ分けてゐるからだ。
◎例へば『決闘』の中にある「犯罪の氷の道」と云ふ短篇にしても、あの二人はもとより、讀者もあの家がドースの家だことは知らずにゐる。それが終ひに解って吃驚するのも、この客觀描寫のトリックに過ぎないのだ。
◎また八月號の本誌に出た、「緑色の部屋」にしても、最初の中は説明なしの映畫を見てゐるやうで、一軒家に忍び込むブレーディングが泥棒やら殺人犯人やら解らない。またあの乞食にしても、終ひになってはじめて秘密結社の首領だことが解る。この意味でビーストンの「意外な結末」の正體は徹底的な客觀描寫の使ひ分けであると云へる。と云って、何も私が客觀描寫が好きだと云ふのではない。彼の特質を説明してゐるだけだ。
◎客觀的描寫に徹底した彼は、減多にポーのやうに第一人構で書かないが、よくよく第一人稱の形式を借りて書かねばならぬ時には、『決闘』の中の卷頭にをさめられた短篇や、同じく『決闘』の中の「東方の寶」や「人間豹」や、それから今年春ごろ本誌に載った「決闘用の拳銃」のやうに倶樂部のやうな處で、或る男が、自分の經驗を皆んなの者に話して聞かせる形式にしてゐる。 これはツルゲニエーフもよくやった方法だが、かうすれば、たとひ第一人稱で書いても、そこに客觀性が出來るので、面白くよまれる。尤も日本では「私小説」全盛だから、その必要はないかも知れぬ。
◎先日の新聞に、内閣更迭のことで西園寺公を訪ねた或る政治家が、車中でシャーロック・ホームズを耽讀してゐたと書いてあった。これは探偵物が一般に戀愛物に比較して、理智的興味に訴へるから、從ってかうした讀者を吸集するからでもあらうが、一つにはシャーロック・ホームズの男らしい英國紳士ぶりが、或る種の讀者を惹き付けることを忘れてはならぬ。その政治家も云ってゐる。「私はシャーロック・ホームズといふ人物が好きだ、」と。私も彼が好きだ。ドイルの探偵小説は、探偵的興味をはなれて、たゞ男らしい高雅な紳士を描いたものとして讀んでも面白い。
◎英國の小説には男が惚れるやうな立派な男を描いたものが多い。私が最近に讀んだ「スカーレット・ピンパネル」もその一つだ。これにはホームズの沈痛はないが大木のやうな大きさがある。ビーストンは泥棒や前科者を書くと同時に、「惡漢ヴォルシャム」の中のセアズ卿のやうな、素晴しく立派な男らしい紳士を書いてゐる。あれを讀んで男性美に打たれないものがあるだらうか。男性美に興味を感じない人は、英國文學に失望を感ずるだらう。
◎ビーストンが好んで描く人物はスポーツマンである。私がスポーツマンと云ふ英語にぶつかるごとに魂が顫へるほどの喜びを感ずる。スポーツマンと云って運動家と云ふ意味ではない。痛快な冒險をやって結果を運にまかせる人のことだ。フェア・プレイをする人のことだ。
◎表面温厚らしい英國紳士の奥底に、發竦(※ママ)たるスポーツマンの精神があることを忘れてはならぬ。ドイルは英國紳土を書いたが、ビーストンはスポーツマンを書いた。それだけシャーロック・ホームズには品位があり、ビーストンの人物には野趣がある。「決闘」のヴァレンチン伯、レストローワ、シャドソン・セアズ卿、それから「密偵」のフェラリ、皆スポーツマンである。
◎日本人は文化々々と云って、西洋の堕弱な方面ばかり眞似て、その根元をなす野蠻な冒險的精神や、スポーツマンライクな元氣を少しも取り入れようとせぬ。運動競技や勝負事をもっと盛にすべし。國民に就いて考へてみても、個人に就いて考へてみても、競爭心がつよくて勝負事が好きな者は必ず生活力が強くて成長する。西洋人はよく賭けをやるが、これだけはお勧めしないが、而もその底に動物的競爭心が動いてゐることは見逃してはならぬ。國家の將來を憂ふるが故に一言して置く。
◎落着いた瞑想がないのがビーストンの缺點だと云ったけれど、例外はある。題は忘れたが、或る男が大切な手紙を風に吹きとばされ、それを追っかけて窓から這ひ出して、たうとう轉び落ちて死ぬると云ふ筋のがあったが、あれなぞは濕ひがないとは云へない。
◎ピーストンは人情物はあまり書かないし、また書いても面白いのは少いが、數年前のプリミアーに出てをた「菫と薔薇」と云ふのは面白かった。それは、森のそばの淋しい家でピアノを友として暮してゐる盲目の處に、或る晩、死んだ昔の戀人の妹が胸に菫と薔薇をさして訪ねて來て、二人で話をする處を書いたものだ。その中にビーストン一流の凄い緊張味があって、大變面白かった。

注)明かな誤字誤植は修正しています。
注)ネタバラシ部分は背景色文字にしています。


「一方から見たビーストン」妹尾アキ夫
「探偵趣味」 1927.06. (昭和2年6月) より

 淺野君の話によれば、獨乙のレーベン誌なぞは、他の英國の短篇を翻譯してのせると同様に、ビーストンの短編をも時々のせるさうだ。けれど世界の何處を探しても、日本ほどビーストンを盛に譯し、かつまた彼を高く評價してゐる國は他にあるまい。まるでビーストンのメニアに罹ってゐるやうだ。本國で人望のない彼も、日本でだけは鼻が高いわけだ。では彼が日本で持てる理由は何處にあるのだらう。
 それは(第一)彼が今までの日本文學に全然缺けてゐた酒の如く強いアネクスペクテッドとシュリルを最も多分に持ってるるので、それが彼にチャームを與へるのではあるまいか。
 (第二)荒けづりで簡潔な彼の描寫が日本文の翻譯に最もよく適するからではあるまいか。云ひかへればデリケイトな感情の陰影が、少くて唯奇抜な筋の運びにのみ特色を有する彼の短篇が最もよく翻譯に適するからではあるまいか。
 この(第二)はもっと長い説明を要する。假りにポーの翻譯とビーストンの翻譯を兩方讀んだとしたらビーストンの方が面白かったと云ふ人は案外に多いかも知れぬ。然し原文を讀んだら大抵の人が比べものにならないほどポーの方を面白いと云ふだらう。それはどんなに上手に翻譯してもポーの陰影を再現することは難かしく、またどんなに下手に譯してもビーストンの筋を逃す心配はないからだと思ふ。
實際原文で讀めばビ氏が他の作家よりさほど優れてゐるとは思はれない。私などはやはり翻譯と云ふことを念頭に置いて讀むから、それは原文で讀んでも他の作品よりビーストンが面白く思はれるが、然し翻譯と云ふことを念頭に置かず、たゞ樂しむ爲に原文を讀むとしたら、ビ氏に對して持つと同じ程度の興味を持って讀み得る作家の短篇はざらにある。 例へば、四月號のストランドに就いて云ってみても、リン・ドイルやコーラン・パートイーやホレ―ス・ジェーチルなぞ決してビーストンより面白くないとは云はれない。
 私のビーストンに對する見解は、「ビースーンの特質」「ビーストン雜感」を書いた時より大分變って來た。私の様な無趣味な男でもビーストンに倦くのだから、まして多少でも英米の人情を知り英文學に興味でも持たれる人は、Form だけあって Life のない彼の作品には、間もなくお倦きになることゝ思ふ。
 私の「ビーストンの特質」が非難されたからこの文章を書いたのではない。あれを書いた時とは、今の私のビーストン觀が大分變って來たからこの一文を書いたのである。

注)明かな誤字誤植は修正しています。
注)原文は改行なしですが、適時追加しています。
注)「非難された」という内容は未調査未確認です。


「ビーストンに就いて」妹尾韶夫
『ビーストン集』博文館・世界探偵小説全集19 1929.11.27 (昭和4年11月) より

 ビーストン(L. J. Beestone)の名は英國の紳士録にものってゐなければ、ブックマン誌に出たこともない。私たちの知る範圍で、英國の各種の雜誌に彼の批許や傳記が出たことはないらしい。從ってこゝには彼の作品だけに就いて述べるより他ない。
 彼の夥しい短篇は、プレミヤー、ストランド、グランド、ランドン、その他の雜誌にのったのを私たち――もつと詳しく云ふなら、延原、横溝、西田、吉田、淺野、廣田、私なぞが新青年に譯した。
 私一個人に就いて云ふなら、今から十年ばかり前、森下雨村氏がこれを諄してみよと云って與へられらたのがストランド誌から切抜いたビーストンの「ヴォルツリオの訊問」(※「ヴォルツリオの審問」天岡虎雄名義)で、それが私の初めて譯した探偵小説だった。それ以來ずっと探偵物を譯して來たが、私は初めて「ヴォルツリオ」を譯した時の一種異様の感じを今だに忘れることが出來ない。 その時まで大陸の人道主義的な純文藝物ばかり譯してゐた私に取りて何と云ふ驚きだっただらう! そこには産れたまゝの人間の憎惡、怨恨、復讐、恐怖、爭闘、罪惡がありのまゝに描かれてゐる。それらのものが何の憚る處なく思ひ切って大空に技を伸ばしてゐる。私は息が詰るやうな眩惑を覺えた。
 初めて酒を飲んだやうな胸惡い酩酊を感じた。さうだ。強い酒と云ふのがビーストンの作品を評するに最も好い言葉だ。舌端を觸ればビリリと來る火のやうに強いウィスキーが彼の作品である。彼の作品の第一の特長が緊張味に富んでゐることだ。thrill に富んでゐることだ。彼の小説には無駄な叙述や寛みがない。カットすべき部分がない。一字一句を惜んで使って、初めの一行から最後の一行に至るまで、ピンと張りつめた鋼鐵の絲のごとく緊張してゐる。 彼の作品は塗たくり、付け加へたものでなくて、無駄をかなぐり棄て、けづり去ったものである。だから鍛へに鍛へた日本刀のやうに凄く澄んでゐる。その會話の一句一句が讀者をはらはらさせる。どうなるだらうと手に汗を握らせる。彼が作った人物は、簡潔な、鋭い、火花が散るやうな會話を交しながら、讀者に息もつかせず、頁から頁へと結末を急いで行く。だからせいぜい三十枚ぐらゐな短篇ばかりである。 延原氏はビーストンの Dagober's children その他の中篇を二三持ってゐられるが、どうも彼の中篇は面白くないと云ってゐられた。私も、近頃殆どペンを取らない彼がめづらしく昨年書いた Phantom of Crime と云ふ中篇を讀んだが、彼の短篇と比べると見劣りがすると思った。と云って彼の中篇が拙いと云ふのではない。たゞ彼の短篇がそれ以上に優れてゐると云ふのだ。それほど彼の短篇は氣が利いてゐて、獨歩の位置を占めてゐる。
 彼の獨特の味ひは奇想天外から落ちる式の構想と、「意外の結末」アネクスペクテドエンディングにある。讀んでゐる中に讀者の想像と期待をがらりと裏切って、意表に出るやうな結末に導いて行くのが彼の十八番である。この點で彼はユニークな作家だ。それに就いてビーストン通の積溝氏が面白いことを云ってゐられる。 「私なぞビーストンの作品はもう五十近く讀んでゐるが、未だにそのトリックを見破ることが出來ない。彼のものを讃む時には三分の二程讀むと、ばったり本を伏せて了ふのである。そしていろんな解決法を拵へて置く。稀にはそれが當ることもあるが、大抵の場合は失っ張り背負投を喰はされて参ってしまう。それは私などの考へよりも、更に更に奇抜なものである事が多いからだ。」 とこの意外な結末は、彼が徹底的な客観描寫を旨く使ひ分けるが爲だとは云へないだらうか。頭のいゝ彼は時間的に順を追って考へてみても相當に面白い筋を、それだけでは満足せず、時間的に後になるべき處を頁の上で前にしたり、中程になるべき處を結末に持って行ったりして、實に驚くべき巧みさで、奔放自在に取り扱って、彼一流の「意外の結末」でいつも讀者をあっと驚かしてゐる。彼の小説は聲もタイトルもない映畫を見てゐるやうだ。
 彼は決して内部に立入して人物の心理描寫をしない。たゞスクリーンに映る無聲映畫のやうに、外部に現れるものを描くだけだ。彼は、「かの女がはッと驚いた、」と云ふ代りに、「かの女の胸に挿す薔薇の花が徴かに顫へた、」と云ふだけだ。例へば「約束の刻限」のブランナが心配な手紙を讀む處を見たまへ。 「一通り手紙を讀んで仕舞ふと、最後の文旬をぢっと睨んだ。太い眉を顰めて紙に穴が開くほど鋭く睨んだ。二分間たった。それでも彼は身動きもしない。火のついてゐないパイプを口から取っても火をつけやうとはせず、たゞ握りしめてゐるだけだった。咽喉の奥の方で輕く咳拂ひした。それからまた繰返して始めから讀み始めた。」ざっとこの調子だ。實によく書けてゐる。この客觀的描寫は、彼の意外の結末をどのくらゐ助けてゐるか解らぬ。 作者が知つてゐることを、わざと讀者の前に隠して置いて、終ひにそれを現して吃驚させるなぞ、みなこの客觀描寫をうまく使ひ分けたに過ぎない。例へば「犯罪の氷の道」でも、あの二人はもとより、讀者もあの家がドースの家だことは知らずにゐるが、それが後で判って、吃驚するのも、この客観描寫のトリックに過ぎないのだ。 それがいゝか惡いかは別問題として、とにかく主觀的な描寫の嫌ひな彼は、筋の過去の經過を讀者に知らせる場合でも、それを生のまゝ叙述しないで、作中の人物の對話でどんどん語らしてゐる。それがためには對話が不自然になってもお構ひなしだ。 またある人物がたゞ一人ゐる時に心の中で考へることを現す場合だって、獨語の形式を借りて、會話のごとく話させてゐる。とにかく彼の筋の配列は實に巧妙をきはめてゐる。それは感情で作ったものでなくて、頭腦で作ったものだ。筋の取り扱ひ方に於ては第一流の作家と云へる。だが筋や構想の立派な割合に、それを裏づける落着いた濕ひのないのは唯一つの恨みである。
 かれはスポーツマンを好んで描いた。スポーツマンと云って一か八かの生命がけの冒險をやって結果を運にまかせる男らしい人物のことだ。それらの人物が生か死かのクライシスに直面した場合の行動を好んで描いた。それからまた夢魔のやうな恐怖に襲はれた人物の行動――それらの人物が高いビルディングの窓の外を這ったり、今にも滑り落ちさうな屋根の上を這ったりする處を好んで描いた。こんな場面は恐らくビーストンの作品に現れる最も代表的な場面であらう。
――終――

注)明かな誤字誤植は修正しています。句読点は追加したところがあります。
注)原文は二段落のみですが、適時改行を追加しています。
注)引用された横溝正史の文は「ビーストンの面白さ」(「新青年」1925.08./『横溝正史探偵小説選』論創社収録)からです。


「ビーストンの作品(近頃讀んだもの)」妹尾アキ夫
「ぷろふいる」 1936.05. (昭和11年5月) より

 ひとによって趣味がちがふ。ひとの評判をきいて讀むと、失望することが多い。僕なんか、亂歩氏が推奨した作では、「赤色のレドメン」だけは面白かったが、ハアリヒの「妖女ドレッテ」にしろ、シムノンの「男の頭」にしろ、どこが面白いのか、さっぱり分らなかった。これは、むろん、僕の鑑識が低いためだらうけれど、ひとつには、亂歩氏の鑑賞には、好人物的の間口のひろさがあるのではないかと思ふ。
 そこへ行くと僕の間口は狹いやうだ。數を讀まなかったせいもあらうが、近頃讀んだ外國物で、面白いと思ったのは、一つもなかった。
 先日、横濱の本屋で、表紙の繪が氣に入ったので、ジョン・ウイリアムズの「從男爵の犯罪」を買った。僕は製本、それから表紙やラッパーの繪の感じが惡かったら、買はんことにしてゐる。ところが、この本の安っぽい表紙の繪は、よくある怪人物の影法師や、ピストルでなくて、意地わるげな田舎の老婆が、片手にランプをもって、にやりと氣味わるげに笑ってゐるのが、童話のなかの鬼婆みたいに、グロテスク、かつユーモラスに描けてゐたので、つい釣りこまれて表紙の繪だけでも買ってみやうかといふ氣になったのだ。
 讀んでみると、講談倶樂部式のすこぶる低級なものだが、さすが二十五年前に出版されて、いまだに版を重ねてゐるだけに、どこかいゝところはある。ひどい失望を感じたくないなら、年月のふるいにかゝった作を讀むことだ。
 つぎはビーストンの「その後は幸福」、これは一九三二年出版の長篇だから、彼の最近の作といへる。ビーストンの小説は翻譯すると割合いゝものになるが、原文で讀んではそんなに面白いものではない。彼が英國に於て、二流三流の、ほとんど名もない作家の位置にあるのは、まんざら理由がないこともないのだ。この作は一つの寶石と金にまつわる倫敦の下層社會の生活とごたくさを描いたもので、無駄なところも可なり眼につくが、第十九章の火花がちるやうな會話を讀んでは、おゝ、ビーストン、やっぱりあなたは健在ですな、と思はず叫びたくなった。
 こいつは氣が向いたら、無駄なところだけ切りすてゝ、譯してみたいと思ってゐる。

注)句読点は追加したところがあります。


「ビーストンに就いて」妹尾アキ夫
『人間豹』博文館文庫 1939.06.10 (昭和14年6月) より

 大抵の英國の作家のことは調べれば分るのだが、ビーストンのことだけは、どんな名簿にも記録にも書いてないので分らない。
 たゞ分ってゐるのは、十數年前まで、プレミヤー、ストランド、グランド、ロンドン、ストリーテラー等の雜誌にあれほど盛に書いてゐた彼が、その後少しも書かなくなり、一九三二年思ひ出したやうに長篇「その後は幸福」を出版して久しぷりに沈默を破ったかと思ふと、また書かなくなったと云ふことだけである。
 先年來朝した英國の小説家で、同じ雜誌に長い間彼と一緒に寄稿してゐたブリットン・オースチン氏に、「ビーストンは死んだのですか」と訊いてみたら、「私もあの人の作は愛讀した。名前だけは知ってゐます。併し會ったことがないので、生きてゐるのか死んでゐるのか分りません」と云ふ返事だった。
 今まで日本語に翻譯されたビーストンは約七十篇、そのうち約七篇を除くほかは、全部博文館發行の雑誌『新青年』に載ったもので、同誌に紹介された数百の作家のうちでは、最も多く譯された作家の一つでもあれば、また最も好評だった作家の一つでもある。
 彼の作は曾てドイツの雜誌にも數篇譯載されたと聞く。併し恐らく日本ほど彼が壓倒的に夥しく譯され、かつそれが熱狂的に愛讀された國はあるまいと思ふ。
 では、本國に於てそれほど有名でない彼の短篇が、なぜ我が國でそんなにまで熱狂的に愛讀されたか?
 答へは簡にして單である。
 我が國の在來の短篇小説は、内容に重きを置いて、形式には盲目だった。それが最近の英米通俗文學の一派が輸入せらるゝに及んで、初めて内容よりも形式に重きを置く文學の存在することを知った。それは驚異だった。そしてそれらの一派の作家のうちでその特色、即ち形式に重きを置くと云ふ特色を、最も露骨濃厚に具備してゐたのがビーストンだったのである。
 だから我が國の讀者は、大旱の後の沛然たる慈雨に接したるごとくビーストンに飛びついた。内容がどうだらうが、文學的價値がどうだらうが、そんなことはてんで問題ぢゃなかった。我が國黎明期の探偵小説家は、直接間接ビーストンの影響を幾分受けてゐる。その點でビーストンはすでに立派に使命を果したと云へるのだ。
 では、内容より形式に重きを置く一派の小説とはどんなものであるか。
 これにはもっと説明が要るかも知れない。
 それは早く云へば、正面から物を見ないで、違った角度から物を見ることだ。正面から見るのはもはや飽かれてゐる。それより視野を變へて、思ひがけぬ方面からスポットライトを浴びせて、不思議な陰影を作らうと云ふのが彼らの意途である。
 ビーストンは順を追って描いても相當スリルに富んだ面白い筋を、決して時間的に順を追って描かうとはせず、時間的に後になるべき處をペイジの上で前にしたり、中程になるべき處を最後に持って行ったり、實に奔放自在な巧みさで配列して、彼一流の「意外の結末」でいつも讀者をあッと云はせる。
 言葉をかへて云へば、ストーリーテリングの技術を極度にまでひねくったものである。彼の作品にどんな缺點があらうと、彼の作品がどんなに低級であらうと、この一點だけで彼は實にユニークな作家であるに違ひないのだ。
 だから、讀者よ、試みに彼の作品を途中まで讀んで、本をふせて結末を想像してみられよ。ビーストンは諸君の想像を見事に裏切り、更に奇抜な結末で諸君に背負投げを喰はすであらう。

注)句読点は変更したところがあります。


「ビーストンに就いて」妹尾アキ夫
「別冊宝石」 1953.09. (昭和28年9月) より

 こんど宝石別冊に、チェスタートンとビーストンの短篇を収録することになったと聞いて、私はたいへん要領のいい企画だと思った。なぜというに、もし探偵小説に、程度の高いものと、低いものがあるという前提を承認してもらえるなら、チェスタートンはその最も高い水準にたっしたものであり、ビーストンは最も低い、大衆的な作家を代表しているからである。ドイル、クロフツ、そのたの作家は、巧拙の差こそあれ、みなこの二人の中間に包含される作家なのである。
 ちょっと名の聞えた探偵作家なら、クニツの「二十世紀作家」をみれば、大抵写真までのせてあるが、イギリスのビーストンの名はどんな名簿にものっていない。彼と同じ時代、同じ雑誌に、さかんに作品を発表していたブリットン・オースチンが東京に来た時、ビーストンのことをたずねてみたら名前は知っているが、どんな人か知らないという返事であった。いまは故人となったこのオースチンも、当時はすくなくも、イギリスの「フーズフー」には名が出ていたが、ビーストンの名は、その当時の「フーズフー」にすらのっていなかったのである。
 では、イギリスでそんなに名もない作家が、なぜ日本で受けたか? これは理由があるのだが、それを説明する前に彼の特色を話しておかねばならない。
 ビーストンの特色は、時間的に順をおって話せばなんでもない事件の筋を、自由自在にひねくって中程に書くべきことを初めにもっていったり、初めに書くべきことを結末にもっていったりして、読者をびっくりさせ、面白がらせ、楽しませ、そのためにはあらゆるものを犠牲にしていることである。
 こんな作家は、むろん、他にもたくさんあるが、彼はそのなかでも、筋を巧妙に捻ねるというストーリー・テリングの技術を、もっとも徹底的に巧みに使いこなした作家の一人なのである。そのうえシチュエーションや場面を選ぶのに、常套的な的なものを避け、例えば相手の一語で破滅におちいる前科者だとか、一歩踏みはずせば、まっ逆に落ちる屋上の男だとかを描いて、いつも読者の手に汗を握らせ、スリルを満喫させる。 そして最後に必ずどんでん返しを作って意外の結末で読者をあっと云わせる。しかもそのどんでん返しは、像想もつかぬ巧妙なものでかりに読者が途中で読むのをやめて、結末を想像してみたとしてもビーストンは必ず読者の想像するよりも、もっと大きい意外の結末を用意しているのである。
 ところで、今までの日本には、こんな種類の物語は絶無だったのである。私たちが今まで親しんできたのは、多くはロシア、フランス、ドイツあたりの、まっ正面から主題に斬りこむ、いわばオーソドクスのストーリーなのであった。
 そこに突然入ってきたのが、この、ビーストンもその一人であるところの、イギリスの近代ジャーナリズムとコンマーシャリズムの私生児、「筋をひねった」ストーリーなのである。それは黄昏の世界に突如として現れた刺戟の強い眩惑するばかりの、真夏の太陽であった。それは異端的であり、原始人間への甘美な郷愁を持っていたという意味で、ヘブライズムの上に落下したヘレニズムの爆弾でもあった。大正末期の日本の読者が、なんか新しいものを迎えるように、探偵小説と緊密に提携したこの種のストーリーを、悦び迎えたのはむしろ当然だったのである。
 わが国の探偵作家は、程度の差こそあれ、みな直接間接に、この、探偵小鋭と不可分に提携した「筋をひねる」一派の影響をうけている。いや、実のところは、探偵小説以外の文学やラジオも、多少は間接ながら、いくぶんその感化は受けているにちがいないのである。
 だが、もう私たちは、この「筋をひねる」一派からは、吸収すべき養分は吸収してしまった。もう太陽でもなければ、爆弾でもない。その意味で、この一派はすでにわが国で完全に使命を果したと云える。
 この種のストーリーの欠点は、不自然で人間性を逸脱しているため、皮膚の表面にふれて、末梢的な感覚だけは刺戦するが、心の深いところまでは、喰いこむ力を欠いていることである。思考力の発達した高級の読者は、ひねった筋に眩惑されないで、読みながら筋を解体して考えるだけの余裕を持っているものだ。解体してみると案外平凡なばかりか、現実にはありえない、不自然なところが目につく。読んでいる時は面白い。 然し読んでしまうと後になにも残らぬ。それだけの使命しかこの種のストーリーは持っていない。それでよいとも云えないことはない。確かにこの種の文学も必要である。探偵小説が魂に呼びかける文学でないことは分りきったことだ。だが、フリーマンやドイルやチェスタートンは、探偵的興味は狙っていても、ただ末梢的な感覚を刺戟するだけではないようである。 もっと私たちのおくにあるもの――例えば理智だとか、人間性だとかいうものに触れ、それらのものを楽しませてくれる。五十年百年の時代を生きのび、いつまでも私たちの印象に残るようなストーリーには、読者をびっくりさせるため、結末にどんでん返しを持ってきたような作は一つもない。以上述べたような理由から、私はビーストンを、一般向きの大衆作家と云うのである。
 ビーストンが短篇を発表した雑誌は、主としてプレミア、ストランド、グランドなぞだが、この雑誌は今は三つとも潰れてしまっている。
 私の知っているかぎり、彼の長篇は一冊だけ、それは「ハッピー・エヴァー・アフター」という名だが、ところどころビーストン一流の、火花の散るような対話は出てくるが大したものではなかった(「ぷろふいる」昭和十二年四月号参照)。
 なおプレミアに三回にわたって中篇が連載されたことがある。よく覚えていないが、たしか延原君が訳したはず。その他はみな短篇である。ドイツのダス・レーベンという雑誌に、彼の翻訳がのっているのをみたことがある。
 嘘かほんとか、彼はロンドンのイーストエンドで生れたという話もきいた。いま生きているか死んでいるか、生きていればまれには作品にお目に掛れそうなものに、もう二十年以上も音沙汰なしだから、恐らく、故人となっているのであろう。

注)明かな誤字誤植は修正しています。誌名はプロフィルとありますが平仮名に変更しています。
注)句読点は追加したところがあります。
注)一行空けが二ヶ所ありますが、文の途中、空ける意味がないと思われるので無視しています。


「オモニアーに就いて」(無署名)
「新青年」 1924.11. (大正13年11月) より

◆ステイシー・オモニアーは、押しも押されれもせぬ現代英國の第一流の短篇小説家だ。日本にこそ餘り知られて居らね、英本國ではゴルスウォージー、チェスタートン、ベニット、ウェルズ、マクスウェルなぞのお歴々の流行兒はやりっこと肩を並べてゐる。
◆彼は處女作を書いてからまだ十年にならない。從って彼の作を手に入れるのは困難だ。一昨年發行された彼の唯一の短篇集『ブレースガードル嬢其の他』だって横濱のケリウォルシュに二三册來たばかり、而も其商會が地震で潰れて以來、東京の丸善に問ひ合しても神戸のタムスンに問ひ合はしてもない。彼が日本に知られざる所以である。
◆然し彼は頗る多作で毎年七八篇書いてゐるから、「キャッセルズ」「ストランド」「ロヤル」なぞの雜誌を注意してゐれば新しい作品だけは見逃しっこあるまい。彼は建築用の装飾石材を刻む人の息子で、五人兄弟の末子であった。小學校が濟むと父の仕事を手傳って、石の彫刻の下繪を描いてゐたが、後に或る大きい家具屋に雇はれて装飾畫を描き、次に肖像畫家となり、次にクライティリオン劇場の開幕劇の作者兼役者となったが大戰爭が始まると共に止めてしまった。
◆それから彼は唐突だしぬけに處女作「友達」を現して一躍文壇の寵兒となった。これは酒飲の生活を書いたもので、少し長たらしいと言ふ批評はあったが、それでも大變な人気で、忽ち飛ぶやうに賣れた。
◆ステイシーが英語の名で、オモニアーが、佛蘭西語の名であるのを見ても解るやうに、彼は佛蘭西だねの英國人で、祖先はユーグノーの一人だった。(十六七世紀の佛蘭西新教徒。)そして同國人の迫害を避る爲に英國に逃れて來たのである。
◆英國に逃れたステイシーの祖先は銀細工屋だったが、數百年にわたるその子孫が皆揃ひも揃って装飾美術、即ち藝術を仕事にしてゐたのは面白いことだ。瓜のつるには茄子なすびはならぬとやら。神はステイシーを造るまでに長い準備をしてゐたのだ。彼の妻ガートルードは可なり有名な音樂家で、二人の間にティモシーと云ふ一人息子がある。
◆本誌に集めた「受難」は彼の作中でも傑作の方で、讀んだ後で胸が清々するほど氣持が好く「暗い廊下」は人道主義的の香が豐かで、「撓まぬ母」はゲーテの言葉「最も好い作は最もよく國民性を表してゐる」と云ふ意味で棄てがたい。彼の作は穏やかで、健全で、滑稽味と人情味があって、噛みしめるやうな上品な繊細な味がある。

注)明かな誤字誤植は修正しています。名前表記はゆれがありますが統一しています(ステイシーに統一)。
注)句読点は追加したところがあります。


「オーモニアーに就いて」妹尾アキ夫
「探偵趣味」 1926.04. (大正15年4月) より

 Popular story と云ふ言葉があるから英國にも通俗小説と純文藝物の區別があるやうに思ふ人もあるが、それは一部の文學青年しか見向きもせぬ「創作」と云ふものを持った日本人の偏見で、一般的な意味で、英國には好く書かれた小説と、拙い小説の區別しかない。 無論その人によって傾向はそれぞれことなってゐて通俗的な物を書く人もあれば、高踏的な物を書く人もあり、また範圍の狹い探偵物ばかりに閉籠る人もあるが、純文藝物と通俗物が區別されてゐないことは、彼等の作品が同じ雜誌と雜居して發表されるのを見ても解るし、また彼等が社會的と同じ待遇同じ報酬を受けることを見ても解るだらう。 あるものはたゞ上手な作家と下手な作家の區別ばかりだ。だから英國の上手な作家が書いた小説は、丁度江戸川氏の作品のやうに、藝術的であると同時に、誰が讀んでも面白いだけの興味ある内容を持ってゐる。オーモニアーなどはその最も明らかな例だと思ふ。
 ステイシー・オーモニアーは押も押されもせぬ現代英國第一流の短篇小説家だ。日本にこそ餘り知られて居らぬが英本國ではゴルスウォージー、ベニット、ウエルズ、チェスタートンなどのお歴々の流行兒と肩を並べてゐる。Stacy が英語で Aumonier が佛蘭西語であるのを見ても解るやうに、彼は佛蘭西種の英國人で祖先はユーグノー(十六七世紀の佛蘭西新教徒)の一人だった。そして同國人の迫害を避ける爲に當時英國へ逃れて來たのである。 英國へ逃れたステーシーの祖先は銀細工屋だったが、數百年にわたるその子孫が皆揃ひも揃って装飾美術、即ち藝術を仕事にしてゐたのは面白いことだ。瓜のつるには茄子なすびはならぬとやら、神はステーシーを造るに長い準備をした。彼は小學校がすむと父の仕事を手傳って、石の彫刻の下繪をかいてゐたが後に或家具屋に雇はれ装飾畫をかき、次に肖像畫家となり、次にクライテリオン座の開幕劇の作者兼役者となり、大戰爭が始まると共にそれを止して處女作「友達」を現して一躍して文壇の寵兒となった。
 彼の特色は作中の人物を熟愛してゐることだ。彼が書いた「犯罪の偶發性」「オピンコット」「墜落」等の探偵小説を見れば、彼がどんなに醜い罪惡に現れた人間性の美しさを愛してゐるかゞ解る。彼の次の特色はユーモアと暖い皮肉である。英國の優れた作家は皆ユーモアを持ってゐるが、彼に至っては純然たる滑稽小説を澤山書いてゐる。而も作中の人物を愛しながら書いてゐるから、ユーモアの中に輕いペーソスがあって、それが噛みしめるやうな味の深いものになってゐる。それから彼はアトモスフィアを描くことが得意だ。 たゞ一つの缺點は長たらしいと云ふことだが、底の底まで掘りさげて描かうとする彼にこの缺點があるのは止むを得ないかも知れぬ。彼が書いたものは皆んな美しい。醜い事件でも彼の筆になると美しくなる。「ブレース・ガードル嬢」の美しさはどうだ! あの生々とした描寫とそこに盛られた人生の美しさはどうだ! もしドイルやビーストンのウイスキーに倦かれた方があるなら、私はその人になみなみ注がれたオーモニアーの葡萄酒をお飲みにならんことをお勧めする。

注)句読点は追加したところがあります。


「オーモニアに就いて」妹尾韶夫
「新青年」 1929.05. (昭和4年5月) より

「英国の新進小説家ステイシイ・オーモニアは、長らく病床に呻吟してゐたが、此程他界した。新進作家として將來に大きな期待をかけられてゐたゞけに、彼の死はロンドンの諸新聞紙を始め、一般の讀者からひどく惜まれてゐる。(中略)オーモニアの作は魅力と同情と勇氣と義侠に溢れてゐるもので、それは彼の性格の反映であったらうが、その同情と義侠が人を惹きつけて、ために多くの友人が出來たと云はれてゐる。(後略)」以上は去る二月二十二日の都新聞の記事だが、この記事を讀まれた新青年の讀者はひどく驚かれたことゝ思ふ。 彼と本誌には特別の縁がある。本誌のやうに今まで彼の作品を數十篇も譯して來た雜誌は、日本は元より恐らく世界にも他にあるまいと思ふ。 彼の祖先は宗教の爲に同國人に迫害されフランスから英國へ逃げて來た。それはオーモニアがフランス語でステイシーが英語であるのを見ても解るであらう。倫敦に逃れた彼の數代の祖先は皆美術装飾を職業としてゐた。彼は小學校を出ると家具屋に勤め、次に畫家となり、次にクライティリオン劇場の開幕劇の作者兼役者となった。彼は何をやっても器用だった。だが烈しい夜の勞働は體が續かないので、大戰爭が始まると同時に舞臺を退き「友達フレンズ」と云ふ短篇小説を書いた。
 この處女作は英國と米國とで同時に大變な評判となり、彼は一躍して文壇の寵兒となった。彼の作は純文學と大衆文藝が不思議に交錯したもので、ある作の如きはメルヘンの如く概念的である。
 彼は作中の人物に深い同情と理解を持ち、また澤山の優れた滑稽小説を書いた。彼の作品の大部分は短篇集となって英國で出版されてゐる。
 本號にのせた「昔やいづこ」は去年のストランド誌の十二月號で發表されたものであるから、恐らく彼の絶筆だらうと思はれる。
記者 妹尾韶夫

注)明かな誤字誤植は修正しています。ステイシイ表記は引用部分なのでそのままにしています。


「ソーンダイクに就いて」妹尾韶夫
「新青年増刊」 1926.02. (大正15年2月) より

◎私はフリーマンの小説は、あまり好きではない。小説に描かれた探偵の中で、何が一番好きかと訊かれたら、私は一にも二にも、オーモニヤーが書いたトローザンだと答へるより他ない。
◎今までの探偵小説には興味と刺戟以外に何物もなかったがオーモニヤーの探偵小説には人間の魂を全部的に動かせる好いものがある。オーモニヤーの小説は、行き詰った探偵小説の今後進むべき方向を暗示してゐる。
◎けれどもオーモニヤーのことは、またいつかの機會にゆづって、こゝでは讀者に馴染深いフリーマンの澤山の探偵小説に現れた法醫學者ソーンダイク博士に就いて短かい感想をのべる。
◎フリーマンの小説には、チェスタトンのユーモアや、皮肉もなければ、ルブランの輕快もなく、ガボリヨーの變化もなければ、ポーの神秘もない。が、彼獨特の特色がないことはないのである。それは探索の推理の過程が、如何にも自然で無理がなくて、科學的だと云ふことだ。
◎科學的で思ひ出すのは、例のアーサー・リーヴが書いたケネディーであるが、あんなに現代にない機械や藥劑ばかり使っては、たとひそれが理窟として面白く、また科學小説として優れたものであっても、普通の讀物としては、砂を噛むやうに無味乾燥である。
◎フリーマンの小説は、科學的であると云っても、決して機械や不思議の藥品は使わない。たゞ推理の過程が論理的であると云ふまでだから、科學に興味を持たぬ一般の人が讀んでも面白く感ぜられる。
◎「青色ダイア」のソーンダイクは、犯人の鞄から出たクローシリアと云ふ一つの貝殻が、或る一地方の特産なることを知って、それから犯罪の行はれた場所が、テムズ右岸のハンマースミスなることを斷定する。
◎同じく『青色ダイア』の中の「パンドーラの凾」では、河からひろひ上げた若い女の右腕の刺青ほりもの擴大鏡レンズで覗いて見てその表面のざらざらしてゐるところから、その刺青ほりものが死後に施されたものなることを斷定し、それから死體の替玉であることを發見する。
◎また「盗まれた金塊」では金の比重と、鉛の比重と、眞鍮の比重とを比較して、税關官吏の目をかすめた鉛が金塊であったことを發見する。これなんか、皆な英國で實際にあったことを元として書いたものであるから、少しも小説らしくない。まるで、新聞の社會記事を讀むやうに眞實性があって面白い。
◎ドイルはシャーロック・ホームズを活躍させて、その友人ウォトスンに記述さしてゐるが、同様にフリーマンは、ソーンダイク博士を活躍させ、その友人ジャーヴィスに記述させてゐる。物に動ぜぬ沈痛なホームズとソーンダイクの性格がよく似てるのも面白い。
◎彼の作品は始めから終ひまで探偵的推理で埋まってゐる。他に何物もない。まるで數學の公式のやうに論理的で、自然で、科學的である。探偵小説に犯罪を主にして描いたものと探偵を主にして描いたものと二つあるが、後者の中で最も代表的なのは恐らくフリーマンの作品であらう。この意味で、最も探偵小説らしい小説はフリーマンの作品だと云へる。
◎彼はルヴュルや、イヴァンスや、ビーストンのやうに小さいトリックを弄して讀者を驚かさうとしない。山氣や衒氣が微塵もない。實に平易で、穏やかで、靜かに流れる河のやうに素直ですっきりしてゐる。
◎このあくが抜けてゐてお上品なところが、一部の讀者から物足らなく感じられ、また一部の讀者から好かれる所以であらう。英國の小説に現れる探偵は、他處の國の探偵に比べて一般に紳士らしい立派な人物が多いが、フリーマンのソーンダイク博士もその例に漏れない。
◎フリーマンの小説を日本語で讀みたい人は、博文館發行の『青色ダイア』をお讀みにならんことをお勧めする。彼の邦譯は今のところこれより他にない。これは二三年前の英國のビヤスン誌に一ヶ年にわたって連載された彼の十一の短篇を集めたもので、主人公はいづれも法醫學者ソーンダイク博士になってゐる。
◎ソーンダイクに就いてもっと徹底的なことがお話したいのだが、地震で書物をすっかり失ったし、それに近頃フリーマンをとんと讀まないので、僅かな記憶を元として短かい感想を書くより仕方がなかった。

注)明かな誤字誤植は修正しています。
注)ネタばらしと思われる部分は背景色文字としています。


「あとがき」訳者
『ソーンダイク博士』東京創元社・世界推理小説全集29 1957.01.10 (昭和32年1月) より

 フリーマンの序文のなかに出ている「ピアスン誌」という雑誌は、イギリスの短編小説ばかりのせる月刊雑誌だったが、第二大戦とともに廃刊になった。表紙のデザインは毎号かわったが、いつもかならずまっ黄色い表紙をつかうのが、この雑誌の特徴で、フリーマンのストーリーは、まれには「アーガシー誌」なぞに再録されたのを見たことはあるが、最初に発表されるのは、いつもきまりきって、「ピアスン誌」であった。時によると、何ヵ月も毎月つづいて、フリーマンのストーリーがのるようなことも珍らしくなかった。
 むろん、どのストーリーにも、精巧な挿絵がついていたが、フリーマンの話にはそのほかにかならずといっていいほど、顕微鏡写真や、足跡の石膏型や、指紋のようなものの、実物写真がついていた。
 顕微鏡で思いだすのはミルンの言葉である。「顕微鏡のでてくる推理小説はまっぴらだ」といったのはミルンであった。ミルンのみならず、おおくの読者もそれには同感であろう。けれども、フリーマンの作を読んでみると、顕微鏡は顕微鏡なりに、またよいところがあるということに気づくし、また、顕微鏡や化学実験を無視するのは、旧時代の推理小説だと主張する人々があることも忘れてはならない。
 一九二七年一月の「ストランド誌」に、「実話と小説に現れたもっとも巧妙な殺人は?」という問いに答えて、フリーマン、チェスタトン、バレジ、ラーンズ夫人、フレッチャー、ベントリー、ルキュー、オースチンなぞが解答をよせているが、そのなかでフリーマンはつぎのように書いている。――
「もともと、人間を殺すということは、そんなにむつかしいものでもなければ、知恵がいることでもない。だから、巧妙な殺人だとか、不手際な殺人だとかいうのは、言葉をかえていえば、犯人が自分を隠すためにとった手段が、巧妙であったか、不手際であったかということなのである。したがって、いちばん巧妙な殺人は、殺人が行われたということを、最初から誰にも知られないようにする殺人である。 すなわち、殺人を自然の死のようによそおうのである。そうすれば死体を隠すという、厄介至極な問題に頭をなやます必要もないし、またどんな結果になるか分らぬ、不安な検屍審問もおこなわれないのである。
「だが、じっさいの社会では、どのくらい度々、そんな、誰にも覚られぬような、完全な犯罪が行われているだろう? それを知ることは困難である。というのは、世間に知られ、記録に残っているのは、みな死体を見ただけで他殺ということが分ったり、犯人が分ったりするような、失敗の殺人ばかりなのである。しかし、殺人というものは、他の多くの人間の行為とおなじように、ただ失敗の記録のみを見ただけで、殺人全体を判断することはできない。 巧妙な殺人は、発見もされないし、記録にものこっていないはずだ。そして、私たちは、不手際で乱暴な殺人でありながら、長い年月のあいだ迷宮入りになってしまい、その犯人が何年かの後に、またおなじばかげた殺人をくりかえすことによって、初めて前の犯人が明るみにでるような例に、なんどもぶつかるにつけても、いま世にある、ごく平和で無邪気な顔をした墓石が、どんなに多くの記録に残らぬ殺人を見てきただろうと、怪しまないではいられないのである。
「ところで、実際の殺人事件が、探偵小説家の参考になるかというと、けっしてそうでないのである。実際の殺人事件は、なんの役にもたたないので、探偵小説家は、いつも自分で話の筋を考えなければならない。新聞のうえではスリルにみちた、はらはらするような殺人事件も、ひとたびそれが小説になると、無味乾燥でほとんど読むにたえないものとなってしまう。犯罪史で有名な殺人者でも、不手際なあやまちをたくさんおかしている。そんなのは頓馬な探偵でも見破ることができるのである。 私は刑務所の医者をしていたこともあるし、また長いあいだいろんな犯罪記録も読んできたが、それらのなかで小説に使えるのは、たった一つしかなかった。それは『オスカー・ブロズキー事件』で、それも殺人方法の巧妙さに感心したのではなく、ただ、私に法医学上のちょっと面白い問題を思いつかしてくれるいとぐちになったにすぎなかった。ここに一八六七年、ノッチンガム州の巡回裁判で公判になった、その事件のあらましをかいてみよう。
「鉄道線路のそばの淋しい一軒屋にすむ、ワトスンという夫婦者が、レイナーという男をその家におびきよせて、絞殺して轢死とみせかける計画をたてた。二人はレイナーを手でしめ殺すと、死体をもちあげて垣を越させ、汽車の来る時刻か分っていたので、その時刻のすこし前に、線路の上に横たえた。
「ここまでは計画通りにいった。ごく簡単なことだったので、その後も計画通りに終るはずだった。もし計画通りに終ったら、頸の指跡、心臓の状態、肺の状態、頭脳の状態、みな車輸に寸断されて、他殺ということが、分らないですんだかもしれない。
「だか、よくあることだが、実際には手ちがいができた。殺人者は大体の計画だけは立てていたが、こまかい可能性を無視していた。一つの可能を見すごしたため、とんだ誤算ができた。それからまた、彼らは死人の帽子を線路のそばにおくことを忘れた。誤算の第一は汽車のくる時刻がいつもよりおくれたことだった。そのため鉄道員が死体を発見してしまって、まだ汽車のこないうちに、死体をどこかへ持っていってしまったのである。それが他殺死体であることはすぐにわかった。 調べてみたら、ワトスンの家の垣に血がついていたり、家の裏の柔らかい地面に足跡があったりしたので、彼が犯人であることもすぐにわかった。家のなかにはいってみたら、帽子を焼いた灰がでてきたり、血のあとや、その他の犯罪の痕跡もみとめられた。すべてを見る神は、ここでも殺人者の切札に、手ちがいを生ぜしめたのであった。」

注)フリーマン(1862.04. - 1943.09.)の引用部分もそのまま掲載しています。



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