「犯罪閑話」
「新青年」 1928.05. (昭和3年5月号) より
檢事といふと、世間の人々は鬼のやうなものを想像するらしい。私自身も學生時分に、檢事といふ字が新聞等に出て居ると、検事といふ、われわれとまるでかけ離れた全く特殊の人類が存在して居て、我等と全然ちがった世の中に棲息し、全くちがった人生觀をもって働いて居るものゝ如くに考へて居たものである。
わが「新青年」の讀者諸君中にはまさか左様な方もあるまいが、餘り知識のない人々には少くも、檢事といふものは、出來るだけ罪人の罪を重くしやうとするもので、辯護士といふものは反之(これにはんし)、假令(たとえ)罪があっても罪人を無理に無罪にするやうに骨を折るもの、とかう簡單に考へられて居るやうである。辯護士諸氏の職務については暫くおき、檢事の職務が、斯様なものでない事は云ふまでもあるまい。
然し小説を見ると大分こんな檢事が出て來る。モントクリストに出て來るヴィルソォールの生活及び職務の執り工合は有名なものだけに十分に知れて居るが、例之(たとえば)、涙香史(※ママ)の譯にかゝる探偵小説には大分ひどい檢事が出て來る。
「それを待たぬのが此方の仕合せさ、いよいよ何の何某で、今迄斯く斯くのことをして居たと詳しく分れば平々凡々の人殺しでそれを死刑に落したとて何の手柄にもならぬ。今上下一般に何者だらうと怪んでゐるその際に裁判して仕舞へばこの澤部忠(檢事の名)が急に名高い人になり、今年の中に必(きっ)と昇進するといふもの、何でも罪人さへあれば必ず罪に落すといふのが此方の職務だから。」
之は涙香史譯「何者」の中の一節だが、この澤部檢事は自分の昇進の爲に人を死刑にしたがって居り且つ罪人さへをればどしどし罪に落すのが此方の職務だと公言して居る。更に曰く。
「強情な奴を死刑に落すほど愉快な事はない。」
と。而て小説の記述するところは次の如し。
「近子の夫なる檢察官澤部忠氏は、斯とも知らず、被告が有體に言ひ開かんと云ふを聞きてより更に一層の注意を加へ、若し被告の述る所にして少しでも僞りらしき廉あらば直ぐにやり込めて言ひ伏せん。何事ありとも被告を首切臺に登さずば我が昇進の道は絶えん。己れ如何ほど言ひ開くともよく我れに敵せんや。と、てぐすね引きて待ち構へけり。」
ても恐ろしき檢事殿ではある。
斯様な探偵小説が愛讀されて居るのもたしかに検事といふものゝ本質を鬼と思ひこませる原因になるのかもしれない。無論この小説の通りだとは普通誰しも思ふまいが然し、世人に對して或る印象を與へて居る事はまちがひあるまい。
檢事が人間味を有たぬ者ではない、といふ事が判ったからとて、或る罪人を起訴し、而て彼に對して相當の刑を要求する以上、被告人からは勿論、世間から恐れられ、叉嫌がられる事が有り得るのは當然の事であって、敢て怪しむに足りない。又檢事から云へば、被告人が如何に彼を憎まうと、又世間が如何に檢事を見やうと、そんな事にこだはって居られるものではない。
けれども檢事といふものを正當に理解せず、徒に恐れ嫌がるといふ事は文化社會に於て、嘆かはしき現象であり、國民としては恥かしき至りである。私が以下記述するところは餘り讀者諸君の興味を與へないかもしれない。けれども私が敢てこゝに筆をとった理由はこの拙き一文が檢事に對する世間の理解の一助ともならば幸であると考へたが故である。
× ×
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世人が一番よく檢事を見るのは法廷に於てであらう。公判廷に於て檢事は公訴事實を述べ更に終りに論告をする。檢事の職務はたゞあれだけだらうと思って居る人が居るかも知れない。もしさうならば大まちがひである。檢事は起訴すべき犯罪事實を見出した時は控訴を提起する。公判廷に於てなす論告は無論重大なものにちがひない。殊に陪審官の在る場合には、更に重大である。けれども之が檢事の職務の全部では無い。
檢事の職務は一言にして云へば罪あるものに對して正義の罰を下さしむるにある。罪ありと確信する時彼は控訴を提起する。即ち犯罪事實を起訴するのである。而て苟くも或る人を罪ありとして起訴する以上、彼はその犯罪を正確に、而て十分に立證する責任を有て居る。故なくして、たゞ罪人らしいから、などと思って起訴するならばそれこそ探偵小説に表れて來る檢事になってしまふ。
而て檢事が此の場合に提出しなければならぬ犯罪の證據といふものは、決して世間一般の常識的のものでない事勿論である。常識的といふ意味は、即ちわれわれが日常の生活でこれこれかうだから、どうもたしかに彼奴がやったにちがひない。といふ風にきめ込む意味であるが、檢事が出さねばならぬ證據は今申した通り左様に簡單には行かない。さらばというて常識的でないが非常識的な證據は尚更いけない。
例之、クリッペン事件に於て公訴提起者が如何なる苦心をして居るかを知ればこの意味が判明するであらう。あの事件は一九一〇年に起た事で、クリッペンといふ男が例の三角關係に立ち、つひにその一角たる妻を殺して支肢を切斷して之を燒いて自分の家にかくし、つひに情婦と手を携へて逃走した事件である。あの事件に於て誰が見ても明かな事は次の數點であった。
第一、クリッペン夫人は一九一〇年の二月以来地上から消失してしまった。第二、クリッペンの情婦、ルネーヴは同年三月からヒルドロップクンセントのクリッペンの住居に公然同棲しはじめた。而て夫人が嘗て持て居たピンや其他の装飾具を、ルネーヴがつけて外出しはじめた。第三、クリッペンは夫人がアメリカに行てしまったといふ事を失人の友人等に語たがどこに行たかといふ事を明に云ふ事が出來なかった。其後彼は其の友人等に、妻がアメリカで死去したといふ報知を受け取たと語た。
而も其の友人等に、どこで死んだのかといふ事をきかれて之に明瞭な答を與へる事が出來なかった。其四、七月に入てクリッペン及ルネーヴが突如行方不明になってしまった。第五、同月スコットランドヤードのインスペクターデューはクリッペンの住居の地下室から人體の斷片を發見した。
第六、クリッペンは英船モントローズに乗りルネーヴと共にキャナダに向けて旅行して居るところを發見されつひにクェベックに於て捕まった。その時クリッペンは鼻下の髯をそり落して牧師ロビンスンと名乗て居りルネーヴは男に變装してロビンスン牧師の息子だと云て居た。
以上の事實は當時明に表面に現れた事實である。換言すればクリッペンは夫人の行方不明について頗るあいまいな事を云ひふらしつひに情婦と逃走した。而も己れは僞名を用ひルネーヴは全然男に變て逃走した。且つ彼の家から無殘な人肉が發見されたのである。もし是だけの事實が探偵小説に出て來たとした如何だらう。諸君(どくしゃ)は勿論クリッペンの有罪を信じて疑はないであらう。
而てもしその小読がクリッペンの有罪に終たならばまことに馬鹿々々しきものとなってその作家は遂に探偵小説作家といふ名を得る事は出來ないかも知れない。斯の如く凡てがクリッペンに不利にして、凡てがクリッペンの有罪を指示して居るに不拘(かかわらず)遂に他に犯人が在た、といふ風に始末をつけなければこの小説は意味をなすまい。
所がこの位常識的に見て明瞭な事件に於て裁判官は非常な苦心をした。殊にクリッペンに對して公訴を提起したリチャード・ミューア氏の苦心努力は非常なものであったのである。ミューア氏は殆ど死力をつくして闘った結果クリッペンを漸く絞首臺上に送たが一見非常な難件と見える本案に於てクリッペンの辯護人トービン氏は卓越せる才能を表し、一時は全法廷の空氣をして、ミューア氏の牙城陥れりとまで感ぜしめた位であった。
檢事の苦心は實に此處にあるのである。探偵小説には多く犯人又は犯人と思はるゝものゝ逮捕までが描かれて居る。檢事の苦心は勿論其處にもある。けれども檢事は更に被告人に對して法廷に於て證據を出すためその蒐集に苦心するのである。もし檢事にして十分その證據を提出し得ざらんか、正義の刄はつひに惡の上にかざされずして終るであらう。
云ひかへれば、今檢事が眞犯人を捕へて居る場合に之を法廷に出して判事に、それが眞犯人であるといふ證據を見せつけなければ、被告人は或は罪なしと言渡されるかも知れない。
シャーロック・ホームズは最近の Case Book of Sherlook Holmes に至るまで數十件の事件に關係し而て數十名の惡人をスコットランドヤードに引渡して居る。けれども彼等の凡てが必ず有罪になるかどうかは裁判をして見た上でなければ決してわかるものではない。
問題は彼等を起訴する檢事が、どの程度まで彼等の有罪を立證し得るやといふ點にあるのである。
而て檢事が得たる證據といふものは確信をもって起訴する以上、さうぐらぐらと他の事で動かされるものではない。小酒井不木氏の「見えぬ顏」といふ探偵小説には、(今よみ返して居るひまがないからまちがって居たら御許しを乞ふ)辯護士が刑事訴訟法の法文をたてにとって眞犯人の名をつげずして現に繋属中の犯罪事件の犯人を辯護する。檢事がそれをきいて狼狽するところが書いてあったやうに思ふ。しかしあれに書いてあるやうな事情だけで、もし裁判がひっくり返るとすればまことに心もとない判事と謂はねばなるまい。
叉眞犯人の名を云はず、若しくは名指す能はずして被告人を犯人ならずと主張する辯護士の云ふ事に乗ぜられて、狼狽するやうな檢事は實際に於ては、まづ見當るまいといふ事を申上ておきたい。この事は、あの場合、辯護士の依頼人たる婦人がトリックを用ひて居るが、若くは辯護士自身がトリックを用ひた場合を考へれば直に明かであらう、少くとも我國の裁判所は左様な心もとないものではないのである。(私はこゝに小酒井氏の作品の價値を批評したのではない。たゞ内容を一つの例として批評したにすぎない)
× × ×
無罪になった場合、其の他の場合によく檢事が控訴する事がある。之などは世人が比較的理解し得ない點であるらしい。
「あゝまでしなくとも。無罪になったらそれでいゝぢゃないか。」
とかう思はれて居るらしい。中には檢事は意地であゝ爭って居るのだらう位に考へて居る人があるかも知れない。若し果して左様とすればそれは悲しむべき錯誤である。
ある人間がこれだけの犯罪を行て居る、彼をして罪なく逃れしむべからず、汚されたる正義は必ず刄を下さねばならぬ、とかう思って起訴した檢事が、實際の裁判に於て消極的な言渡を被告人が受けるのを知た時、彼は無論之を爭はねばならぬ。彼にはそれだけの確信がある。右述べた如く苦心して集めた證據を有て居る。それあるが故にこそ彼は被告人を起訴してゐるのである。豫期に反して判事が之を認めなかった時、檢事が自己の確信を主張するのはまさに當然の事をなして居るにすぎない。決して意地などの問題ではないのである。
たゞ、斯の如くにして起訴した事實も、時に全く豫期せざる結果を見る事がある。人間のわれわれである。自己に過失なくして而も後に無罪の言渡に立會はねばならぬことも檢事には稀には有り得る。例之、働くのがいやだから刑務所に入れてもらひたいと思て來る悲惨な人間がよくある。これ等が出たらめの犯行を述べる。それが全然でたらめである時は却てうそだといふ事は調べて居る間にわかるけれども、半うそで半ほんたうのやうな時には得てして判事檢事も一杯食はされる事がある。
之などは全くやむを得ぬことではあるが決して喜ぶべき現象ではない。私が取扱た事件の中にも、刑務所を希望して居るがために警察から終始一貫、巧みな犯行自白をして來た人があった。
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起訴された事件が無罪になる事がよくある。そんな時にはよく人權蹂躙問題が起る。しかし之は餘程考へてから批評しなければならない。例之、右に述べたやうに自ら蹂躙される事を希望してやって來る人間もある。この場合は別としても、一體無罪の言渡といふものは頗る廣い意味をもって居る。被告人が本件の犯罪をなして居らぬといふ證據の舉た場合は明かであるが、被告人が本件の犯罪をなしたといふ證據が、まだ之だけでは十分ではないといふ意味で下される無罪の言渡がある。
例之、甲が乙を何時何日何處に於て殺したといふ事件で、後に當時甲は小菅刑務所に服役中であったといふ事實が明かになったとすれば少くも甲が直接に乙を殺したといふ事實は認められないわけである。ところが無罪には他の種類がある。即ち甲が乙を殺した時といふ時甲は何處に何をして居たかわからぬ。けれどもどうも甲が乙を殺したと云ひ切るまでの證據が足りないといふ意味で無罪になる場合がある。これは眞に青天白日の被告人にとっては頗る不滿足な判決理由であらうが現今の法律では、やむを得ない。
斯る場合に、檢事若くは警察官が人權を無視して無辜のものを起訴したりとなすは餘りにも輕卒である。この際は檢事が十分なりと信じて出した證據を、判事は不十分なりと認めたにすぎない。換言すれば檢事と判事との見解がちがふといふ事を意味するにすぎない。眞犯人は果してその被告人なりや否や、被告人以外の誰が知らう? 公判廷で無罪の言渡を受けて得々として引下って行く被告人に、將して罪なきか如何か、彼以外に誰がしらう?
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法廷に於ての検事の立場は、一般の人々からは如何であらうか。
この場合に於て一般の人々が被告人に同情し、檢事の峻烈なる論告の趣旨について餘り同情をもち得ないといふ事は理解し得べき事實である。
こゝに或る人間があって、何とかして罰から逃れやうと焦る。而て同時に今や弱者である彼に對し罰を加へしめんとする檢事がある。これを一場面として見て居る人々は弱者たる被告人の方に同情をもつ事が多いかも知れない。殊に死刑の求刑などがあった場合は左様であらう。即ち人々は法廷に於て或る一人の罪人が如何ともすべからぎる運命に對し、死物狂ひになってたゝかふのを如實に見るのである。
彼が、彼を待つ絞首臺から如何にかして逃れやうと必死にもがくのをまざまざと見る。而て例令惡人であらうとも彼は亦人間であり、吾人と共に泣き、笑ひ、悲しみ、喜ぶところの人間である。この同胞の一人が犯し難き正義の殿堂に於て、一歩一歩迫り來るその死を爭ふのである。人々の涙は彼の爲に濺がれざるを得ない。
われ等が芝居を見て居ても同様の感がある。殊に仇討物に於てさやうである。結局に至ればどうせ殺されなければならない人間が、何とかしてその苦しき運命から逃れやうと、焦り苦しみ、あへぐのを見る時、吾等の氣もちも或る場合にはその惡役と共に焦りあへぐことがある。
然し若し作者が、その序幕に於て、彼が如何に兇惡な犯罪を行たか、而て被害者及びその一家がそのためにうけた苦しみがどの位大きな、深刻な、悲惨なものであるかといふ事を、生々しく描いたならば恐らくはこの感じはなくなるにちがひない。
法廷は序幕ではない。進行せる生きた劇は法廷の場に於てはクライマックスに達して居る。而て全法廷に於て、此の大悲劇の序曲を見て居るのはたゞ檢事一人であり而て彼のみである。傍聴人は勿論、辯護士も而て判事もそれを見ては居ない、而て法廷には、被告人のために、熱辯を振ふ辯護人が居る。そして極力彼の爲に同情を求める。一般の人々は同情せざるを得ない。感動せぎるを得ない。
けれどもたゞ一人この序曲を見逃して居らぬ檢事は全く一般の人々とは異る立場に居る。彼は今は弱者となって意氣地なく嗚咽する被告人が、かつては非常な兇暴なる惡行をなした事を知て居る。而てその結果を知て居る。被告人に殺された人の無殘な、苦悶に滿ちた死體、その妻の驚きと昏倒、その娘の涙、等、等。
彼はその無殘な死體の爲に、この哀れな家庭の爲に、而て正義の爲に、奮然として立つのである。
世の人々の幾人かゞこの壯嚴にして深刻な序曲を考へて居るであらう。幾人がこの序曲の深刻さを知らうと考へるであらう!
こゝに一つのフィルムを展開せしめよ。
老職工あり、工場で大怪我をして家に運び込まれる。彼の妻は長い前から肺結核で床につききりである。二十になる青年、父と共に同じ工場に働いて居るが彼が一人で父と母を看病する。彼には小さな妹弟がある。今や彼は臥床せる父母と幼き妹弟と而て彼自身と五人の生活を保證しなければならない。彼はその腕で働いた。働いた。又働いた。けれども貧苦は彼の家に刻々として迫り來る。病床に苦悶する父母にすらほとんど食が與へられなくなった。
何事もわからぬ弟妹は餓に泣いて彼に迫る。母の病は夫の怪我で一層重くなる。醫師を頼んでも金の拂ひが出來ないので醫師も來て呉れない。工場にストライキが起る。藥を買ひ又、食物を家族に與へて居た彼はつひに工場のストライキの一人だとして認められつひに職にあぶれるに至た。
暗い、とある原である。職にあぶれた青年が考へ考へあるいて來る。月も今夜は出ないらしい。彼はたゞ何事かを考へて居る。家に殘して來た父母の事妹弟の事、而て彼自身の事。
突如、人の足音がする。闇でしかとはわからない。けれども人だ。大寫し、青年の顏にありありと見える苦悶の表情。而てつひに決意の顏色が見える。「字幕」「金を出せ」相手は恐怖の爲か答へない。再び字幕「金を出せ」人影は逃げやうとする。追ふ。捕へる。懐に手を入れる。抵抗! 格闘! 悲鳴!「字幕」「かくしてこゝに此の青年は重き強盗殺人の罪を犯したのである」
法廷に於てこの被告人の爲に、此のフィルムを展開せしめよ。恐らくは傍聽席は涙を以ておほはれ、檢事も亦被告に同情すべき點あると指摘するであらう。辯護人は出來得る限り熱辯を振ふであらう。然し諸君、更に全く異る他の一卷のフィルムをこゝに展開せしめよ!
老職工、工場で大怪我をして茅屋に運び込まれる。彼の妻は今まで病床にあったがたった一人の働き手を失て己むを得ず病體ながら家の中で働く。彼等に二十年になる娘あり、父と同じ工場に通て居る。たった一人の男手がなくなって彼女は父母とそれから幼い妹弟を養はねばならぬ。彼女は身なりをいとはず工場で數時間の勞働をして働いた。働いた。又働いた。しかし貧の魔の手は刻々一家をおそふ。
凡てのものを質素にした。しかし足りない。父の怪我は容易になほらぬ。なほっても勿論不具となってもう働くことは出來まい。母はおきては居るが病人の事とてだんだん顏色がわるくなる。幼い妹弟はわけもわからずたゞ餓を訴へる。或る夜、母と娘、何事か話し合ふ。二人の目には涙。「字幕」「彼女はつひに身を賣らうと決心した」涙で別れる。一日も大怪我人の側を離れるわけにはいかないが、いくらかなりと身の代金を受取りたいので母は娘と共に出て行く。
母は金を幾許か受取て、夜道を家路につく。暗き途上、彼女の腦裏にうつる幻影。金を見て喜ぶ夫の顏。久し振に食物を食べる妹娘と男兒の喜びの顏。突如、今身を賣た娘の顏、而て……おそろしき場面、獸のやうな男。娘が貞操を賣らねばならぬといふ悲惨事! 悲惨! 困惑! 涙! 苦悶! これらの奏づる大交響樂!
突如、大きな手が彼女を捕へる。字幕「金を出せ」彼女の驚き、彼女は無意識に懐を押へる。再び字幕「金を出せ」彼女は逃げやうとする。格闘! 悲鳴! 場面回轉。老職工の家。
老職工の家では彼は娘の事、妻の事を考へながら而も苦痛を堪へて、子供等に「今おっかあが歸りゃ、うまいものをやるよ」となぐさめて居る。時計(彼の家にはもはや時計などは無論ない)が寫る。夜十二時、一時! 二時! 二時半!
突如巡査が來る。妻が殺された! ときいた時の彼の驚きや如何ばかり!?
宇幕「あゝこれから此の一家は如何になりゆくであらう。幼き子供等を誰が養ふか。この怪我に苦しむ父を誰かみとるものぞ。而て娘――身を賣た彼女は、まだ何も知らないのである」
これを法廷に於て展開せしめよ。さきの一卷に被告人のために涙をしぼった傍聽人は、今被害者一家のために涙を流す事を拒まぬであらう。而てもし最後の字幕に
「彼女を殺したのは近所でも有名な無頼漢であった。彼は其の夜、賭博に負けて金をすってしまった爲、どこかで金を作るつもりで彼女から金を奪はうとし、彼女の抵抗せるに對し暴力を振てつひに之を殺してその金を奪たのであった。然し寛大なる裁判長は出來るだけ輕き刑を彼に言渡したのであった」
と出たとしたら見物人は、はたしてよろこぶであらうか。檢事がこの無頼漢に對して峻烈なる論告をなすのに同感できぬであらうか。
更に、右のフィルム二卷を同時に展開せしめよ。而て前の間に密接な關係を形造れ。
即ち第一卷に於る孝行息子が原で殺したのは第二のフィルムに於る母親であるとしたなら? 即ち見物人は、犯人の同情すべきところも見るかはりに同時に被害者のありさまを見る事が出來る。この場合、觀衆の心理は如何働くであらうか。
私はこゝで法律論とする氣は少しもない。犯人の惡性を主とするか、その犯した罪の結果を主とするか、かゝる論議をする筈はない。たゞ右のやうなフィルムを二つ同時に見せられた時世人は如何考へるであらう。
法廷に於て、新聞紙上於て、一般の人々は第一のフィルムばかりしか見て居らない。而て第一及び第二のフィルムをほんたうに見得るものこそ實に檢事である。思うてこゝに至れば、檢事の職務程人生に切實に根ざして居るものはないのである。
× × ×
検事局の冷い廊下、用があって檢事室を出た途端、私は廷丁に導かれて來た女の人と眞正面に向合た。
「検事殿、この人があなたにお目にかゝりたいと申して居ります。」
見ると年は二十二三歳、垢だらけの着物を着、背には生れてまもないらしい男の子を負ひ冷い草履をはいて、何とも云へぬ哀れな有様をして居る。
「どういふ用だね。」
答はない。わざわざ人のいやがる檢事局へ出て來ていざとなると急に用がいひにくいと見える。
「こっちに來たまへ。」
彼女は默って室内に來た。
「どういふ用で來たのかい。」
再び私はくり返した。
かういふ場合に無論自分は何といふものであるかを名のるのが當然である。然るにこの女は突如泣聲になってかう云ひ出した。
「源さんも熊さんもね、昨日歸て來たんですけれど……おとつッあんはまだ歸らないんですが……」
私は直ぐにはゝあと思た。私はその前日、或る賭博事件を起訴したのである。五人程で府下の或場所でやったのであるが現行犯として送られて來た彼等の中に、一人常習として賭博をやって居る者のあるのを發見した。彼は既にその年になって二回罰金を言渡されて居る。その前にも同じ罪名の數件があり、種々な方面から見て刑法第百八十六條即ち常習賭博者と認めざるを得なかったのである。(なほその外に他の罪名の犯罪ももって居た)
それで、他の四名に對して單純な賭博として罰金刑を求めておいたのであるが身柄は即日釋放した。然しその常習者だけには體刑を求めるべく公制を請求しその男は拘留してしまったのである。今私の前に立て居る女は即ちその男妻のであらう。彼女がおとつッあんといふのは夫をさすものなる事は背に居る子を見て明かである。
「あゝ、お前さん××のおかみさんだね。」
「えゝ、左様です。どうか歸して下さいまし。今あの人が捕まっちまうとこの小い子一人と、うちに居る年とったおふくろが食ふに困ってしまふのですから。源さんや熊さんは歸されて來ました。……」
かう云てしまふと彼女は全くすゝり泣に陥てしまったのであった。
彼女は夫が今まで賭博であげられた事を知らないのであらうか。
「お前さんいつ××と一所になったんだい。」
「去年の春です。」
私の此の質問の意味が、わかったかどうか彼女はかう答へた。昨年の春結婚したとすれば結婚後二回彼の夫が賭博で捕まった事を知て居るはずである。私は源さんや熊さんは歸たのにどうして夫だけは歸せないかといふ事を説明してやるためにその前科について彼女にきいて見たのである。
ところが彼女は結婚後二回夫が手なぐさみで捕まった事を全く知らないのである。知らぬ振をして居るのではない。彼女は夫が一回は喧嘩で警察でとめられたと私に話したが他の一回は全然知て居ない。成程前の二回は家からよほどはなれたところでやったものと見える。今度の事件は住居と同管内であったから妻には隠せなかったのだが、女郎買や何かでうちをあけつけて居る彼らの妻が、夫が賭博であげられて罰金を言渡された事を知らぬのは無理もない事かもしれない。
私が彼女に何が故に源さんや熊さんは許しても夫を許せぬかといふ事を説明するのはわけはないのである。
けれども全然夫の善良さを信じ切て居る彼女は夫がそんな賭博打ちであらうとは露知らぬらしい。況して結婚前とみられる他の數犯の前科に至ては無論知て居るわけはない。
このやうな場合に私は彼女に夫の正體を明かにして彼女に眞實を示した方が正しいのであらうか。或は又だまされて子まで作た今、その夫婦に一方の事を云はない方が正しいのであらうか。
私は出來るだけわかるやうに夫を歸せぬわけを説明した。前の罪に付ては全く觸れなかったけれども、賭博の前科については一應説明して決してお上のやる事が不公平ではないと云ふ事を説明したのである。
然し勿論彼女の望んで居るところはそんな理窟ではない。何でもよい彼女ほ夫を歸してもらへばよいのである。
「おとつッあんは決して賭博なんかする人ぢゃないんです。誰か友だちのわるいのが居てその時引張ったにちがひないのです。(事實はそのおとつッあんが一番いけないのであるが)
どうか私共を助けると思てかへしてやって下さい。今おとつッあんが居なくなればこの子も……この子も私も食べられなくなるのです。私どもを殺すやうなものです。どうか助けてやって下さい……」
彼女の涙は垢じみたきものを傳ふて、冷い石だゝみの上に落つるのであった。
成程彼女のいふ所はうそではあるまい。たった一人のはたらき人を刑務所に入れられてしまったら彼女たちは食ふに困るにちがひない。けれども、妻子が困るからと云て罪人に同情して居た日には、檢事はおそらく一人の人間も起訴出來るものではない。
彼女がもはや理窟をきゝ入れぬ以上私も何も理由に付ては觸れずにたゞ歸す事は出來ないといふ事をくり返すのみである。彼女は死物狂である。どうしても夫を歸してもらはぬ限り歸らうとはしない。たゞひたすらに泣くのみである。
結局、いつまでもにらみ合になってしまふものであるが、如何に妻子に頼まれても法をまげるわけには行かぬのは勿論である。
あるだけの涙を出しきってしまひ、がっかりして、もはやおじぎをする事もしないで、力なげに歸て行く彼女とその背の子が戸の向ふに去た時、私はやうやくほっとした。
その日一日事件に追はれてこんな事は再び頭には浮ばなかったが、退廰時間後一人暮ゆく日比谷公園を歩きながら、フト、彼女とその子とがこれからどうするだらうといふ事を思た時、さすがに暗然たらざるを得なかったのである。
夫の何者たるかを知らずして結婚する事はこの事件の人間のやうな下層階級には無論あるが、驚くべき事にはこれが可なり上の階級にも往々あるのである。
いろいろな婦人會がある。中には吉原の大門があるか無いか、しまるものかしまらぬものか知らずして廃娼を叫んで居る婦人連がある。拒婚同盟もよし。花柳病患者と結婚せぬ。至極よろしい。しかし問題は結局婦人たちが今少しく輕卒でないやうにする事である。私はいろいろな婦人會の方々に其の同性達の中に餘りに自己の一生を委す夫をえらぶにつき不注意者が多い事を告げておきたい。
私の扱った事件の中に或男が、出たらめに陸軍士官だと名乗たのをまにうけて結婚した女があった。後にその男が捕まってからあわてゝしまったなどは男も男だが女も女だと云ひたい位である。だから夫が前科者なるを知らずして結婚し後それがばれて大さわぎをやる婦人連が少くない。之を知てからその妻が、その夫に對する態度は人によって様々であってかなり面白い場合があるが今は觸れない。
こゝに明かに申上げておくが私は前科者と結婚するなとは決して云はぬ。前科があっても正しい人が勿論居る。否或は一旦罪を犯してかへってその人生が確實になった人も居るにちがひない。たゞ之を知らずして結婚し後に之を知て青くなるといふやうな事は醜態ではあるまいか、と云ふのである。
又、ほんたうに愛し合た男女ならば犯罪者か否かは問題にはならないわけである。冴えかへる春の寒さををかして大口屋の寮に忍んで來る直次郎は、盗賊と知てもなほ自分を愛してくれる三千歳を有て居た。之は、必しも芝居の作り事とは限らない。惡人に戀する事はその人々の自由であり又何とも致方のない事である。たゞくり返して云ふが、男の様子に打込んで一所になり後になって前科者と知ておどろくのはいかにもみっともないと思ふ。
× × ×
検事から呼出状が來たのにおどろいて而て恐れて自殺した人があったといふ事を私は何かで讀んだ事ある。
検事といふものが眞に理解されて居ないために斯様な出來事が起た事もあるのかも知れないが、そこには之と正反對にこの恐ろしいと思はれる檢事局にずゐ分想像もつかぬ、人を食た人間が表れる事があるといふ事を紹介して見たい。
かつて、檢事局内に盗賊が表れたといふ事が新聞に出た事がある。つまり出頭して來る人たちが冬などはことに外套や其他の携帶品をもって居るので隙に乗じてそれを掻浚ふのである。圖々しい泥棒だが折々あらはれる。
それからひどいのになると辯護士の風をして呼ばれた人たちを騙す奴がある。一度私の取扱た事件で被疑者がが之にかかって泣面に蜂といふやうな氣の毒な事があった。彼らは檢事に調べられた人が途方にくれて廊下でうろうろして居るといきなり行て辯護士の如き風をなし、萬事私にまかせなさいと云て、ひどいのはその人の家まで同行し巧みに金を騙し取るのであるが、之などは一寸一般のの人々の想像のつかぬ事であらう。
こんな惡人でなくて人を食た、喜劇的人物が出て來る事がある。
之は私の同僚の検事の遭遇した出來事である。假りにT檢事としておく。私は同じ室に居て終始この事件の成行きを見て居た。
T檢事が或る朝、假名甲野乙兵衛といふ人間を呼んだ事がある。事件の内容はふれる必要はないし又書く自由をもたぬから書かぬが、とにかく或る書面をその甲野が書いたか書かぬかといふ事を調べるためにT檢事がその男を呼んだのであった。而て甲野がもしそれ認める事になると甲野乙兵衛には不利益な事件なのである。
尤も實は敢て甲野乙兵衛の自白を待たないでもそれは甲野の作成したものといふ事は明かなのであるが、なほ一層明かにするために彼を呼出してその書面を見せたわけであった。甲野は立派なひげをはやしフロックコートを着てやって來た。T檢事に問題の書面を示されると、「それを作たのは私ではございません。」
ときっぱり否認した。そこで檢事は更に然らば誰が作たのかときいた。すると彼は友達の假名丙山丁太郎といふ者が書いたものであるとかう答へた。その男はどこに居るかときかれて實は三年程前に會たきり行方がわかりませぬと雲をつかむが如き、稚氣滿々たる答をなしたのである。
事實は明かである。こんなこんにゃく問答をして居ても無駄であるので檢事は、それでは今度その人を見付けて來いと云てそのまゝ歸してしまった。この所約三時間程經過。
T檢事はひる食をすませて、これから又仕事にとりかゝらうとして居た。そこへ廷丁が一枚の紙片をうやうやしく持て來た。T檢事手にとって見るとその紙に丙山丁太郎と書いてあり且つ傍に「事件につき御面會願ひ度」と書いてある。
丙山丁太郎の名は、まだ耳新しい。今朝きいたばかりである。しかし三年前に別れた男がどうして今日甲野にうまく會たのだらうかと、思ひながらともかく呼んでくれと檢事は命じた。
やゝしばし經て表れたのは頭をガリガリに刈りこんではん天を着た勞働者風の男である。T檢事は例の甲野の書面を見せて之について話し出した。ところがどうも見おぼえのある顏である。一體われわれは一日に多い時は二三十人の人を調べるのだから、その一人一人について顏は必ずしもおぼえては居られない。それにしてもこの時丙山丁太郎の顏は?
今朝來た甲野に實によく似て居る。兄弟かしら? とT檢事は一寸思った。ともかく三年前に別れた男が急に都合のよい日に會ふはずはないから何でも食はせものにちがひないとは思たがどうも似た顏だ。兄弟か? 親戚か? それとも? 先に来た甲野は八字ひげを立派にたくはへ、頭髪を美事にわけフロックコートを着て居たが今見る丙山は坊主がりのはん天着の勞働者である。
「お前は實は甲野ぢゃないのか。」
と問ふのも餘りばからしいのでどうかしてこの男の化の皮をむいてやらうとT檢事は取調を進行して居るやうに見せかけて注意深く丙山の様子を見て居た。すると何かの拍子にはん天のどんぶりの中から大きな蟇口が口を出して居るのが目についた。それは勞働者には似合はない立派なものである。しめたと思たT檢事は、
「君は大變立派な蟇口をもってるね。一寸見せてくれ給へ。」
と云たものである。
丙山は意味がわからないがまさか檢事が泥棒をするとは思はないから何心なくさし出した。T檢事は立派なものだねと云ひながら、その蓋を手早くあけて中から二三枚の紙片をとり出した。
丙山がはっと思ふのと検事の手から名刺が二三枚落ちたのとは同時であった。その丙山のもってゐた、がま口から出た數葉の名刺には甲野乙兵衛と云ふ名がれいれいと印刷されてあった。而もなほくはしくもある料理屋の受取書まで出て來てそれに立派に甲野乙兵衛様と書いてあった。
何と、三時間ばかり前にフロックをきて表れた我が甲野乙兵衛君は、歸てすぐ床屋に行てひげをおとし頭をかりはん天まで着て變装して丙山となってT検事の前に立現れたのである。
彼が大目玉を食た事は云ふでまもない。
「申譯に坊主になって來たのかい」とはその時のT檢事の皮肉な言葉であった。
この話は諸君は或は信用されぬかも知れぬ。しかし現に立派に起た出來事で、今なほ「本人の登場」といふ名でT檢事などと笑話にして居る位である。
たった今調べられた檢事の所へなりや、やうすをかへて他人となって表れるといふ、その料見方は、おそろしいと云て好いやら、圖々しいと申して好いやら、或は哀れだと申してよいやら、ともかくこんな事實もあったといふ事を申上げておく。
次に記すのも、やはり私の同僚の經驗した喜劇の一つである。
Hといふ檢事がある日F區裁判所檢事局から或る詐欺事件について取調方を嘱託された。つまりF區裁判所検事局でAといふ男を詐欺の嫌疑で調べて居る。けれどもAは自白しない。被害者の云ふ所ばかりではまだ不十分である。幸、東京の某區にBと云ふ丁度其の事件でAをよく知って居る男が居る筈であるから、とりいそぎ本件についてBを呼出して調べてその結果を報告してくれといふのである。
H檢事は早速にBに出頭を命じた。呼出の時日にBは端然としたなりをしてH檢事の前に立表れた。H檢事は事件を説明し、Bが重要なる参考人である事を告げ更に出來るだけ、正直に答へてもらひたいと前置をしてから種々と質問を試みはじめた。
すると質問がはじまるとまもなくBは全く下をむいたまゝ顏をあげない。よく檢事といふものを無暗と恐れる人はこんな事をよくするものであるから、はじめはH檢事も何とも思はなかったが、餘り様子が變なので少々身體を前に乗り出して見た。すると驚くべし、Bは彼と檢事との間におかれて居る机の下に何か紙をやって見て居る。
「何だそれは。」
H檢事の手に入た紙には何事が書かれてあったか。これは詐欺の嫌疑者AからBに送られた郵便であった。而てその書出しに曰く
「貴下、東京區裁判所檢事局に出頭し取調べられたる節は左の如く答へらるべし。
第一……第二……第三……。」
何と、BはAから受けとった手紙の現物を携帶し、檢事の質問に對していちいちそれを見て答へて居たのであった。
教室でカンニングをする勇氣のある學生でもさすがに口述試驗でこれをやる勇氣は一寸あるまい。檢事局から呼出されて、被疑者が自己の犯行をかくすやうに云てくれと頼まれその答辯方法まで書いてある手紙を持参して檢事と相對し、之をひそかに(?)朗讀するに至ては落語そのまゝである。
H檢事はその手紙を領置しほんたうのBの供述と共にF檢事局に送たのであった。
注)明かな誤字脱字は訂正しています。送り仮名の促音なしはそのままとしています。
注)句読点は追加したところがあります。
「検事の私生活に就て――若干――」
「サラリーマン」 1930.06. (昭和5年6月号) より
昨年あたりから続々と大疑獄事件が摘発されて、その都度新聞面に輝ける功勞者として檢事の名前が現はれた。
昨年某女學校では未來の理想の夫を職業別に投票させたら判檢事が第一位を占めた程である。
ところがこんなに謳歌されてゐる判檢事がどんな執務振りで、どんな私生活を營んでいるかは一般にあまり知られていない。
私は檢事を四五年やった經驗から檢事生活について一應の説明を試みてみやうと思ふ。
1
外形上から檢事の公的生活を見ても何等一般のサラリーマンと異なる處はない。
普通は午前八時から午後四時まで執務するが、事件の多い東京、殊にその區裁判所檢事局では午後四時にキッチリ退廰することは殆どない位である。
地方裁判所檢事は一週一度位の宿直も免れないが、是は職務上何時強盗や殺人事件が突發するかも判らぬので止むを得ぬ。
判事の方には宅調べと言う事もあって、事件を自宅で調べる事もあるが檢事にはこれがない。つまり銀行員と同じ事で役所の門を踏み出した瞬間から完全に解放された身體になれる。是は甚だ必要な事で、晝間の殺伐な雰圍氣を脱れて、和氣に滿ちた家庭の人となるのである。
私等も役所で取扱った事件に就いては一言も家庭で話した事がない。
2
一般に檢事の趣味と言へば玉突き弓術なんかで、碁や將棋が之に次ぐものだ。時折りは野球のチームを作って試合をやる事さへあって、スポーツマンとしての檢事を想像して貰へたら、人間味の乏しい「鬼檢事」などという尊稱(?)甚だそぐはないものに成る。
3
こんな見地から私は是非檢事の社交的方面の事に言及して見たい事がある。
それは外でもないが世間一般の人が險事を徒らに恐れて隔意なき交際をしない事である。尤もその責の一半は或は檢事側にも潜んでゐると言えない事はなからう。
檢事や判事連が自分達のグループだけで宴會をやったりピクニックをやったりして、娯樂や智識の交換と言ふ意味で、廣く一般社交界に進出しないのには、大きな原因がないでもない。
それは日本の社交界には歐米に見られぬ一つの癌があるからで、公私混淆する惡習がそれである。ことに檢事の場合、その弊害は恐ろしい。
××検事が何處で何月何日誰々と夕食を共にしたと言ふ様なことは、表面簡單に見えて中々面倒な事を生む。
つまり何某は××検事と親交があるのだと言ふ感じを第三者に與えることは、萬一その男が後で疑獄事件に連座してゐた事が判ればそのまゝでは濟まされぬ。だからお互に警戒する事になる。これも現在のまゝの日本では無理もないことであらう。さりとは悲しい事でないか。
檢事として立ったばかりにこんな首枷を忍んでまでも無理に自分達の限界を狹めねばならぬとは、不合理なことである。
4
次には一般人の誤った檢事觀を打破したい。まず檢事と言へば巡査と似たり寄ったりのもの位に見てゐるのが普通であるが、その實、雲泥の違ひがあろう。
巡査と違って獨立して公訴權を握ってゐるのは元よりだし、行政事務を扱はぬ。よく巡査の場合に見られる豚箱事件といった式の人權蹂躙問題が起らぬのは、素養の高いにも據るだらう。
やっと檢事になったばかりの一年間位は、檢事として大いに被疑者の立場に同情した取調べを進めるが二年三年すると、つい被疑者の意地の惡さに引きづられて、人情味が消え失せると言ふ批評はよく聞く所である。
斯う言った傾向は滿更ないとは言へないが結局は性格の問題と言はねばなるまい。
5
そんな非難をする人も眞の意味で立派なレディメイドに成り切った檢事であれば矢張り人情味ゆたかなものだと認めてゐる。事實私の見る處では最近頻繁に話題に上る東京地方裁判所の石郷岡氏にしても金澤氏、平田氏にしても成程取調べは峻烈であるが温和しい點がある。
ことに平田氏の取調べはおだやかだと聞いてゐる。反面から言っても虫も殺さぬ女の様な性格では、最初から檢事を志願するものでもあるまいし、やんやと令名を馳せてゐる檢事がある程度のアグレッシブな所が必ずあることはうなづけよう。
檢事が化石でもなく、木石でもなく、その性格殊に男性である事がハッキリ反影するのは、被疑者が女の時である。
檢事仲間では老婆を素直に自白させ得たら一人前とされてゐる程で、女に泣かれては是位始末の惡いものはない。いつの世にも婦人は解き難い謎である。
6
多少餘談に亘るが、取調べは被疑者が教養のある者程やり易い。殊に一度警官を奉職した事のある者だとか、辯護士だとか言う者を調べる時にはスラスラと運んで了ふ。
是はちょっと不思議な話であるが事實だから仕方がない。強情に突っ張る者は大抵、無智で、教養の淺い者と極ったものである。
檢事局の空氣を少しも知らぬ者は檢事とさえ言へば、只がむしゃらにドナるもの威嚇するものと思ってゐる。所が事實は正反對でそんな智慧のない事では取調べは果たせない。
例へば四谷で×月×日に殺人事件が起ったと假定する。一人の被疑者を捉へて來て取調べる時にその男はその殺人事件の行はれた時間には神田で活動を見物してゐましたと申立てたとして見よう。
ここで檢事が「馬鹿ッ」の一喝を浴せかけて、さて「お前はこれこれの關係でこうやって殺人をやったろう」等と攻め立てゝみても無駄である。被疑者が女であれば泣き出してしまって手に負へない。反ってドギマギして結局何も言はなくなる。
反對にその映畫の話やその日使った金額等を穏かに尋ねて順序を辿れば嘘ならば直ぐに曝露する。ボロを出したら頃合を見てポンと輕く極めつけてやればホロリと落ちてしまふのが常である。
私の取調べを行った頃のことを考へても普通人と對話する時と異らぬ。
大臣其他の顕官の取調べにどんな態度で進むかと言ふ事も一寸想像がむつかしいかも知れないが、是とても何一つ變った所は有り得よう筈がない。
平靜な語調で辻褄の合はない所を突き込んで尋ねる丈けに外ならぬ。
7
さて更めて檢事を人間として一個のサラリーマンとして眺めよう。
無關心な世人は初めっから檢事を人間としての勘定に入れないで疑獄事件を眺めてゐるのではあるまいか。インテリゲンチャとして、俸給丈けで生計を支へる檢事。減俸案が出ればむきになって反對した檢事。此の物質的に惠まれてゐない檢事の前に展開されるのは何だろう? 疑獄には附きものゝ金の誘惑そのものに外ならぬ。
東京丈け見ても、區裁判所に約四十名、地方裁判所に二十名足らず働いてゐるが、數々の疑獄事件に檢事自身連座した話が一度もない。
8
この事實を讀者は何と見る? 薄給にも係らず節を持し、人一倍多い誘惑に面を向けてゐる檢事の生活戰線こそは、表面のこの頃の華々しさを羨む前に、もっと理解ある感謝を捧げられていゝのではあるまいか。
注)明かな誤字は訂正、句読点は追加削除したところがあります。
「社會問題と辯護士と婦人問題」(婦人公論談話室)
「婦人公論」 1933.05. (昭和8年5月号) より
最近私は或女優の代理人として某國外國人に對し刑法第百七十八條の訴を提起した。
この事件で私が考へた問題があるから一寸記して見やう。
某女優が外國人に如何されたといふのは二月三日である。而てその婦人が僕の所に來たのが五日であった。スピードでやるならその日の中に、告訴状を書き、その日の中に當局に出したであらう。のみならずこんな事件は日をふるに從って證據不十分になる恐れがあるので少くも相手の不意を打つべきである。然るに僕はこの事を一人の中で一週間握りつぶしておいた。
女優としては相當の年かも知れぬが、それが一時にカッとして名譽も位置も忘れてとびこんでもしこれが公表された時に彼女ははたして悔ないであらうか。この事件を訴へる事が私として正しいことかどうか本人の熟慮を促すべく僕は自己一人でこれを握ってゐた。どうしても本人の決心がかはらぬといふので佛語に達者な某辯護士を頼み、相手と折衝したのであるから相手も充分この事件を察し、現に後告訴状が出たのが二月二十五日近くで、歐米課長の如きは其婦人自身に當るのおそきを難じたのである。併しそは全く僕の全責任である。
假りに私に多少でも自己宣傳意識のみあり社會人としての良心が少しでもかけてゐたとすればおくれた責任は某女優に對して僕がおふべきものである。しかし私は自分のとった處置に關してまちがひなかったと思ふ。或は又おくれたならいっそ公表しない方がよいのぢゃないかと云ふ人もあるが、それはその頃の某女優の氣も何も知らぬ人の事である。
私は默って握りつぶしてゐた間「何をしてゐるのかはっきりやってくれ」といふ手紙を本人から受取ってゐる。私は今回の事件について二ツの矛盾した人格をもつ事のつらさをしみじみと味った。辯護士は無責任なことを言ってはゐられないし、之でも自分に社會人として相當の考へをもってゐるつもりなのだ。
もし又こんな事件がおこったらどうするか。一石野に投ぜられた以上更に二石三石と投ぜられるのが法律家としては望ましい。それを望むがしかし一般の女性に對して正しいか。私は迷はざるを得ない。
注)刑法第百七十八条(準強制わいせつ及び準強姦(準性交等))は改正を重ねて令和5年の改正で他に統合され削除された(準でなくなった?)ようです。また、平成29年に親告罪から非親告罪になっています。当時の一価値観である旨、注意願います。
女性犯罪の種々相「女性犯罪」
「新青年」 1929.03. (昭和4年3月号) より
女は一つの謎である。一つの驚異である。
此の言葉は、犯罪心理學に於ても立派に云はれていゝ。犯罪心理學に於て、男性を標準とした規則は、屡々女性に依って全く裏切られる事がある。
私は此の稿に於て極めて簡單に「典型的に女性的な犯罪」 Das typisch weibliches Verbrechen に就いて少し述べて見よう。
一體女性も亦人間である以上、彼女等の犯罪が女性なるが故に特に男性と異って居る、といふわけではない。男子が犯す犯罪を女性も亦甚だ屡々犯して居る。殺人、窃盗、詐欺等皆男女共通の犯罪である。強盗などといふ罪は女性にはその生理的の問題からして甚だ少いけれども矢張りある。強姦に置ては常識では一寸考へられないけれども、刑法上の理論から云へば、無論女性も亦犯し得る罪である。(例之間接正犯の場合の如き)
だゞどの犯罪に於ても體力の問題が起るから同じ殺人罪でも男性のやうな手段は取らない事が多い。それで一般に女性の犯罪と云はれて誰しも思ひ付くのは、女性が其の生理的の關係から特に男性とは著しく異った状境に於て罪を犯す事であらう。例之、成熟せる女性が、月經時に行ふ犯罪の如きは勿論、男性にあっては考へられぬものである。然し今私が述べようとする典型的女性犯罪は斯様なものを指すのではない。又女性は男性より惨忍性が強いといふやうな事から、屡々男性の企て及ばざる犯罪を行ふけれ共、之も亦典型的女性犯罪ではない。
然らば、典型的女性犯罪といふのは何をさすか。曰く、彼女等が犯す犯罪の動機、犯罪時前後に於ける彼女等の心理状態が重要な問題となるのである。
之を端的に表さんが爲に、私は典型的に typisch に男性的な犯罪を擧げて見よう。曰く政治犯である。いふ所の政治犯罪人は、自ら正しと信じた爲に罪を犯す。而て彼等の目的は、社會の爲、國家の幸福、利益の爲といふ事である。典型的に女性的な犯罪は、彼女等がやはり正しいと信じて行ふところのものであって、其の目的は彼女等が最も愛するもの、生命を捧げて居るところのもの、即ち、親、子、夫、戀人等の幸福、利益の爲に行ふところの犯罪である。
而て茲に注意すべきは、凡ての男性によって行はれる犯罪が必ずしも――否多くの場合、典型的男性的犯罪でないやうに、凡ての女性に依て行はれるそれも必しも――否多くの場合、決して典型的女性犯罪とは云へないのである。シーザーを殺したブルータスは典型的男性犯罪人であっても、同じやうに主權者を弑して居ても、兄を殺したクローデリヤスは決して典型的男性犯罪人ではない。目的が全く異るからである。
夫を教唆して王を弑せしめたマクベス夫人の犯罪は正に典型的犯罪であるが(後述)同じ犯罪を行って居るグロスター公夫人(沙翁戯曲ヘンリ六世に見えたり)の犯罪は決して典型的女性犯罪ではない。即ち之も目的が全く異るからである。
惟ふに之が根本問題は社會學的のものである。現代の社會は明かに男子の作った社會である。國家、社會、之等が觀念されたのは男子によってである。若し女性が男性に優勢して社會を作ったとしたら必ず現代のそれとは遥に異ったものであるに相異ない。彼女等は、國家とか社會とかいふものよりも、家族、血族といふものを考へて、而て終始それに一貫するだらう。ここに女性の犯罪が男子のそれと異る問題が潜んで居る。
一般に女性は男子よりも利他心に富んで居る。犠牲心に富んで居る。それ故、男子の犯罪よりは數に於て少いのだけれども一旦犯罪を行う場合にこの利他心犠牲心が働くから、結果は却て危險なる場合が多い。而てその利他、犠牲の對象となるものは國家、社會でなくして、彼女達に最愛のものである。
男子が最愛の者の爲に犯罪を行ふ場合、それが生來犯罪人でない限り、必ずや戰々競々として行ふものである。ところが女性が一見最愛のものゝ爲に罪を犯すに至る時、彼女等は實に勇敢に行ふ。而て殆ど後悔の念はない。
泰西の或る學者がマクベス夫人の犯罪を研究した書物があるがその跡をたどって行くとマクベス夫人は正に最愛の夫の爲に罪に行ふ事になって居る。彼女は自分が王妃になる爲にあの犯罪を行ったのではなくマクベスを王にせむが爲に行ったのだといふのである。之は結果は同じやうだが明に區別して考へる必要がある。
その主なる證據は二つある。一つは少しく注意深い人は直に認めるであらうが、マクベス夫人はあの全劇中だゞの一回も(獨白の場合にすら)自分が榮達したいといふ事を云って居ない。否、自分達二人といふ言葉すら云って居ない。たゞ夫のみが眼中にある。
たった一度第一幕第五場に於て Which shall to all our nights and days といふ言葉を云ってゐるが、之は前後の關係上、甚だ自然な言表しであって、特に彼女が自分の利益を考へたと見る事は出來ない。反之シェークスピヤは「ヘンリ六世」中グロスター公夫人に明に次のやうに云はせて居る。
And having both together hav'd it up
We'll both together lift our head to heaven.
(第二部第一幕第二場)
次の證據は夢遊病の場である。注意すべきはマクベス夫人はあの苦悩中、たゞの一回も後悔の言葉を發して居ない。從って彼女がかゝる病氣に犯されたのは良心の苛責ではないと見るべきで他の原因である。マクベス夫人は王を殺した事を惡いとは思って居ない。何故ならば彼女の考へる所によれば、最愛の夫マクベスこそは實に偉大な人物であり當然王となる權利があるからである。
典型的女性犯罪の理論は、到底短文に書くわけにはゆかず、誤解を招くおそれがあるから、この邊で打切って實際問題に觸れて見よう。
實際問題に觸れる前に文學に表れた例を擧げて見ると、マクベス夫人は右の通りとして同じ作者の戯曲では「リヤ王」の中には戀人を助けんが爲に罪を犯す王女ゴネリルがある。「シムベリン」の中では我が子の爲に犯罪を行ふシムベリンの妃がある。
我國歌舞伎劇にも時々ある。「矢口」の中であの悲劇が行はれるのを一般には頓兵衛にのみ責任を負はせるが實はお舟の奔放な戀に半以上の責任がある。幸義岑は父を殺せとは云はずお舟に自殺を暗示したゞけだからよかったけれども若しあの場合、義岑が頓兵衛殺しをすゝめたらお舟は勇敢に父殺しをやったにちがひない状況が見える。其他惚れた男の爲に人を殺したり火を放たりする女はずゐ分見える。注意すべき事は、その點に就て悔なき所である。
此の女性の心理を明に表した探偵小説は如何だらう。直ぐに思ひ浮ばないが、ガボリオーのモシュー・ルコックの中に、セグミュレといふ豫審判事が犯人と見做される人間を調べる際、證人として其の妻をよんで、此の妻の例の利他心即ち夫を愛する心もちにひどく手古摺らされる所があったやうに思ふ。
それからバロネス・オルツイの「隅の老人」の續篇の中でシガレットといふ名馬の事件がある。今本が手許にないからはっきり書けないが、嫌疑のかゝった調馬師の妻が證人として呼ばれると、その女は我が子に嫌疑がかゝるやうな證言をする處がある。すると隅の老人が大體次のやうな事をいふ。
「女は我が罪をかくさんが爲に、我が子を犠牲にする事は絶對にない。だからもしその子を罪ある如くに云って居るとすれば、必ずや其の子以上に愛して居るものがあるにちがひない。」
かうして彼は調馬師に嫌疑を向けるのである。
私が檢事をして居た間にも可なり女の利他心、犠牲心には閉口した。彼女等は、もし一旦自分がしゃべったために愛するものに迷惑がかゝると信じた以上、死んでも云はぬ決心をするものである。
偶然に共犯者となったやうな犯罪では(例之賭博の如し)まづ女の方から自白させる方がどちらかといふと樂であるが、戀愛が主題となって居る必要的共犯の場合、姦通事件のやうな場合に、女だからあっさり片付けられるだらうなどと思って、女に自白を強ひると時々ひどい目にあふ。
だから私は姦通事件のやうな場合には大抵まづ男の方に自白を促して屡々成功した。
ある場合の如き、男が既に自白してしまって居るのに不拘、なほ頑強に否認し、男に向て、其の自白を翻へさせんとした美人があった。又ある時、同じやうな事件で、男が中々自白しない時、遂に女が自白してしまったがその女は(不拘束のまゝ取調中だったので)歸宅すると直ぐに男に詫状を書いて猫いらずで自殺してしまった。
與へられた問題に對し、述べんとした事は餘りに多くして與へられた紙數ではまことに不完全であった。私の意の通じなかったよりは誤解あらむ事をむしろ恐れる。いづれ他日折を見てくはしく述べる事とする。 (をはり)
注)「女性犯罪の種々相」というテーマで、「無名の脅迫状」小酒井不木(「奈落の井戸」で公開あり)、「夫人犯罪管見」浅田一、「女性の特徴」高田義一郎、「罪に終らざりし罪」杉浦清 と本編が掲載されている。
注)前半の論旨は「犯罪人としてのマクベス及びマクベス夫人」の後半とほぼ同じ。
「大都市街の恐怖時代」
――殺人自動車自轉車を嚴重に處罰せよ――
「文藝春秋」 1930.02.〜03. (昭和5年2月号、3月号) より
「空車」の札をかけた殺人機
年寒うして漸く強盗横行の季節に入った。毎日の新聞は強盗の記事、窃盗の事件を大抵載せて居る。さうして時々血醍(ちなまぐさ)い殺人沙汰も亦報道されてゐる。
然し、大都市々民であるわれ等は、強盗犯人窃盗犯人、否或は殺人犯人より以上に恐るべきものを常に街頭にひかえて居ることを忘れてはならない。足一歩外に出づれば、至る所殺人機械が時を得顏に疾走しつゝあることを忘れてはならぬ。換言すればわれわれ東京市民は(他の大都市民も亦同じ)足一歩戸外に出づる度に常に生命身體に對する大危險におびやかされて居るといふ、事實を忘れてはならぬ。
昔は、男子一たび閾をまたげば外七人の敵有りと云った。今や市民一たび戸外に出づれば實に無數の敵散亂せりと云ひたい。
都大路、圓太郎が客を滿載して夢中に疾走する。それと並行して電車がわれ劣らじと競走して居る。トラックが荷を滿載して堂々とその巨驅を傍若無人に飛ばしてゐる。其の側から自轉車乗りが死物狂ひになりて(何故彼等があゝまで夢中にならなければならぬのか、僕には理解し得ないが)横っとびに飛び出して追ひ抜かうとする。パッカードか何かの高級車は葉卷を口にしたブルジョアを載せて悠々と後から現れる。
と思ふまもなくその前後左右には、シボレー、エセックス、スター等といふ流しの圓タクが一刻も早く客を捕まへやうとして「空車」の札をぶらさげて血眼になって狂奔して來る。更にその後から、この騒ぎをよそ事の牛の歩みののろのろと牛車が二三臺ゆったりとやって來る。
此の戦國時代のやうな舞臺に登場するのが六十を超えたお婆さんと十二三になるその孫である。彼等は今此の道を横切らうとするのである。これが危險でないと云へやうか。否、彼らが安全に此の道を横切り得るといふ事の方がむしろ不思議だと云はねばならない。一人の獰猛な強盗が夜毎に現はれて片っぱしから東京市民をおびやかした所で、數百萬の市民の極めて僅かをしか襲ふことは出來まい。(だからと云って強盗を輕視していゝといふのでは無論ないが)
然るに、東京市民の殆ど全部が日々におびやかされてゐる此の交通戰國時代に於いて、市民は何故だまってゐるのだらう。この恐怖時代に於いて市民は何故、沈默してゐる必要がある。われわれはなほ且つ、「科學の發達」「交通の便利」といふ言葉の爲に、自己及び他人の生命身體をおびやかされつゝも忍從してゐなければならぬものであらうか、私は斷じて左様には考へない。
如何なる辯解があるとも、現時の如き危險極りなき交通状態に對して、市民はたゞたゞ忍んで居なければならぬといふ理由を發見する事は出來ぬ。而も日が進むにつれてこの危險は益々深刻化しつゝある。現警視總監はこの點に就いては稍考へては居られるやうである。さうして或る種の取締りをされてはゐるやうである。然しそれは當然なすべかりし事を今なしたにすぎない。私はむしろ其のおそかりしを恨む位で無論現時の状態に滿足してゐるわけではない。
私は警視廰の側ではなく、市民の側よりこの危險に對する抗議を擧げる者があるだらうことを豫期して居たのである。街頭よりの聲を待って居たのである。然じ危險は刻々と深刻化するにも不拘、明瞭に市民として抗議をなすものをあまり聞かない。
市民ははたして危險を感じてゐないのであらうか。危險を感じてもなほあきらめてゐるのであらうか。
勿論少しも恐怖を感じて居ない人々もたくさんにある。私が今まで語り合った人の中にもさういふ人達は居た。
けれども一方、私同様に此の危險を感じて居る人々がたくさんに居ることも亦事實である。さういふ人達の中には、實際この危險に對して抗議を提出したくても發表する機會をもたぬ人々もたくさんにある。發表する機關をもたぬ人々もゐる。又發表する勇氣をもたぬ温厚な人々も無論多い。
私が敢てここに惡文を草して之を世に訴へるのは、斯の如き人々に代って第一彈を送りたいからなのである。斯くすることは機會を與へられた者の權利でもあり又義務であると確信するが故である。
私は與へられた機會を利用して現時の恐怖時代の實相を語り、之が法律關係を明かにし最後に之に對する私見を述べるつもりである。
決して責任を回避するわけではないが、私は自己の所論を以て絶對的に正しいと信じてゐるわけではない。的確なる材料と數字を並べてのべ立てるわけではないのであるからで、識者の教示に依って誤りを指摘さるゝならばいつでも自己の意見を撤回するのに吝ではないつもりである。要はたゞ識者の意見を暫しこの問題に集注させたいのだ。且つそれだけで私は滿足する。
私は自分如きものゝ意見が直に當局者に採用されるとは思はない。たゞ當局者がこの問題に就いてもっと深刻に頭を使ってもらふ事を希望するのである。
換言すれば、私はこの一文によって本塁を踏まうとするわけではない。私はたゞ犠牲打を打つ。本塁を踏む者は誰であってもいゝ。讀者よ、願くばこの一文を意義なき空振りたらしむる勿れ。
轢殺未遂の數
理論を進める前提として、現時の東京市其他大阪、神戸等の大都市街の危險の存在といふ事實は事實として認められてもよろしからうと思ふ。私は日々外出する度に感ずる危險を必しも自分の強度の神經衰弱的徴候とのみ見做さないでもいゝと考へて居る。
もとより私は神經衰弱的ではある。然し私以外の多數の人々も亦この危險に對しては私と同感である事實を知ってゐる限り、この恐怖時代の出現は出現として認めてよろしからうと考へてゐる。
そこで問題は、この恐怖時代は都市文明の發達の結果、「やむを得ざるもの」「當然のもの避くべからざる結果」と見るべきや否や。即ちここにあきらめをつくべきものなりや否やにある。
無論私は、現在の東京市の戰亂状態を以て「やむを得ざるもの」とは考へないのである。立派に「やむを得る」ものであると解釋するものである。
ここで一寸、讀者諸君に御注意を願ひたいのは、「交通の危險さ」を計るに、事故の數字を以て計算することの不正確さといふ事である。
例之、或る日、東京市に於いて五十人の人々が自動車其他によって死傷されたりとせんに、其の日の交通事故は成程五十件であったにしたところで、其の日おびやかされた人命といふものは決して五十ではないのである。其の何倍であるかわからない、といふ事實だ。
之は現在の法律の建て前が左様になって居るので、現在の法律では、危險状態が生じたといふのみでは問題にならず、その結果があらはれなければならぬといふ事になって居る。之が將して妥當であるか如何かは後に述べるつもりである。
強盗だの窃盗だのといふ事件は、ある危險状態が生じたといふだけで直に問題になる。即ち未遂罪が認められるからで、實害が生じないでも嚴罰される。從って「一物をも得ずして逃走した場合でも新聞に報道される價値はあるが、交通事故の場合に於いては、刑法其他の法規の關係上、或る結果が生じなければ問題にならない。例之、「人を轢殺した」とか「人に怪我をさせた」とか又は「車が衝突した」といふ結果が出て來なければ問題にはならない事になって居る。
だから「あはや人が轢き殺されやうとした」としても、その人が身を以て免れた場合には法律的には何等問題にならず、新聞紙にしてもそれが名士か何がでない限り報道する價値を認めないことになるのである。
特に讀者の注意を喚起したいのは此の點であって、交通事故として現れる數字には全然この「あはや轢かれむとす」といふ状態は入って居らず、統計には全く出て來ないのである。
ところで此の「あはや殺れれむとす」といふ状態が、殺人事件で云へば、賊が正にピストルを放さんとする時の状態なのであって、人の生命に對する危險さは毫も彼此變りはない。
然るにこの「あはや」といふ危險状態は實に頻繁に目撃されるところである。だから前にあげた例で云へば五十人の死傷者が或る日出たとしても其の日おびやかされた人命は決してそれだけでは足りないわけである。
私は今假りに此のあはやといふ状態を危險極りなき状態 Der gefahrlichste Zustand と名付けやう。さうすれば五十人の死傷があった日には五十の危險とその外になほ幾多の「危險極りなき状態」を計算に入れなければならない。生ずる結果の有無に不拘、危險の存在した事實は認めなければならない。十人の人が傷をしたとしてもなほ二人の生命が失はれかゝったかも知れないのである。然るにその日の危險さをたゞ十人の輕傷と片付ける事は正しくないやうに思はれる。
現今の此の危險なる街路に對する私の考へについて次のやうに云った人が二三ある。
「何も東京ばかりではありませんよ。いや日本ばかりぢゃありませんよ。外國だって皆かうです」
之等の人達はそれであきらめて居るやうに見えた。
この言論はもとよりそのすべでは論理的ではないこと無論である。
少し不貞くされた云ひ方をすれば之に對しては次の如く答へてよからう。
「外國がさうだからと云って日本もそれを學ぶ必要が少しもありません。アメリカがもしさうならアメリカ人は生命を重んじないのでせう。イタリー人が生命を毛よりも輕しと見てゐたところで何もわれわれがそれをまねる理由はありません」と。
けれど、「外國でもさうである」といふ言説はもう少し有意義に解釋出來ない事はない。即ち之を翻譯すれば
「機械文明の發達するところ皆かくの如し。東京市の現状蓋しやむを得ざるのみ」
といふことにもなる。
はたして、現今の東京市その他の大都市の戰國状態を目して、科學文明の必然的の産物となし、やむを得ざるものと見るべきであらうか。
再び云ふ、私は決してさうは思はないのである。
はじめにあげた例に於いて、六十の婆さんが十二の孫の手をひいて道を渡る方が惡いとは必しも考へない。六十の婆さんが十二の孫の手をひいて街路を歩くことは無論危險ではある。然しそれだからと云って轢かれる彼らが惡いとは言ひ得ないし言ふべきではないと思ふ。
他人に全く危險を與へない平穏な歩行者がまづ第一に道路を通っていゝと思ふ。少くも他人に危險を與へるものは遠慮してよろしい。
「流し」を取締れ
筆を進めるに當って私はここで、現時の戰國状態が如何なる法律によって取締られ又さばかれるかといふ事を、法律を全く知らない方々の爲に述べて見よう。
自動車が人を殺傷した場合は、刑法の業務上過失致死罪又は業務上過失傷害罪といふ罪名の下に處斷されることになって居る。而してそれ以外の何物でもないのである。
スピードの問題やその他の事故に對しては自動車取締令及その施行規則等があるが、ともかく一番事故中で重大な殺傷事件は刑法第二百十一條を適用ざれその刑は三年以下の禁固又は千圓以下の罰金といふ事になってゐる。而てこの犯罪には未遂罪はない。この事實は法律家は當然のことゝ思ってゐるやうであるが、にも不拘十分にこの點を注意しておいてほしい。
扨、假りに今ある自動車がスピードをひどく出して疾走中過って人を轢殺したと假定する。法律の教科書に從へば、その結果は至極簡單であってこれは業務上過失致死にちがひはない。
けれど事實に於いては決して左様には参らぬ。
自動車が人を轢き殺したといふ事實は明かである。然しそれが犯罪であるが爲には運轉手に過失のあった事を必要とすること無論である。
然らば誰がそれを立證するか。
業務上過失致死事件は檢事にとってはたしかに難件である。この事は、一月でも檢事の職に居たものは誰でも知ってゐる筈である。私の如きも自分が檢事生活をしてゐた事があるのでこの點ははっきり云ひ得るやうに思ふ。
假りに此の事故が深夜誰も人の見て居ないところで起ったとしたら如何。
死人に口なしで被害者の云ひ分は全くきくことは出來ない、加害者の方は人情として嘘をついても自己に有利なことを云ふにきまってゐる。その辯解を排斥してまでこの犯罪の成立を認める爲には他に何か餘程有力な證據がなければならない。そんなものは普通ないのである。さうすれば檢事は結局「嫌疑十分ナラサルニ付」といふ主文のもとに不起訴の裁定をするより外致し方がない。云ひかへればこんな場合は刑法はあれどもないのと同様である。
被害者が死なないでもこの事件は難件である。被害者と加害者との供述が全然反對な場合に檢事はいづれを採用するか。勿論自由ではあるけれども、何分にも現場を見て居る者が當事者以外にない以上、めったな處分は出來にくいといふ事になる。而も當事者間に示談でも成立してゐれば事は有耶無耶に終らざるを得ないのが現時の實相である。
かくの如き有様であるからして、業務上過失死傷の事件は中々、或はめったに起訴されぬといふことになる。
最近檢事局についてきいて見ないから判らないけれどもこの種の事件で檢事が自信を以て起訴するものはまづ十件の中三件位といってよからう。(この點について誤りがあらば檢事の教示を仰ぎたい。)
大體、業務上過失死傷の事件には證人(常識的な意味でいふ)なんかめったにあるものではない。ある方が不思議な位である。
誰しも何事か起るだらうと思って往来を觀察してゐる場合はめったにあるまいから大抵は事故突發后に現場に注意することになるのだ。
檢事が参考人として折柄通行してゐたと稱する人をよんできいて見ると大抵は、
「あっと云ふ聲が不意に聞えましたので驚いて振返って見るとお婆さんが自動車の下敷になって仆れてゐました」
といふやうな事を云ふのだから、之では参考にも何もなったものではない。
又假りに、いづれかに明瞭な過失があったのを見てゐても、自か参考人となって出て來る人はめったにはない。「かゝり合ひ」になる事をひどく恐れてゐる我國の人々のくせとしていち早くどこかへ逃げてしまふ。今更、「英吉利人は法といふものに對して理解がある」などと云ったって全くはじまらない。
右云ったやうな次第であるからして、この種の事件はめったに起訴されず、即ちお構ひなしといふことになるのである。
人間がいつも眞實といふものである、といふ前提がない限り、現今の法律を適用してゐる限りはこれは全くやむを得ないのだ。
その結果として恐るべきことは、或る種の運轉手達をしてひどく法律を輕蔑せしめ、極めて亂暴な運轉をさせることになるのである。
私の知ってゐる人がある時圓タクに乗ったらその運轉手が無暗と飛ばすので、もっとゆっくりしてくれと頼んだところ
「人の二人や三人轢く事を恐れてゐた日にはこの商賣はやれませんや。殺したところで二三百圓の金を出しゃいゝですからね」
とうそぶいたのでその男は慄え上ったといふが、こんなのは極端かも知れないがずゐ分かういふ運轉手が居ることは事實である。
ここで一寸わき道にはいるが一體、市民は自動車運轉手に對して遠慮がすぎると思ふ。無賃乗車をされたと云って訴へ出る運轉手は可なりあるが、不當な賃金を請求されたといって訴へて出る人がわりに少いやうである。
其の結果として不良運轉手をますますばっこさせるといふ事になるのだ。
かういふと私は運轉手ばかりをひどく責めるやうであるが決してさうではない。彼等といへども不良分子がどしどし罰せられる事を望むだらうと思ふ。不良運轉手が制限以外のスピードを出して流したりするから、勢善良な手合ひも之に競爭しなくてはならなくなるのだ。自分と同商賣の者の不良なものがどしどし罰せられるといふ事は善良なものには又は善良でなくても普通の者にとっては決してめいわくな筈はないのである。
黴の生えた取締令
扨、さきに述べたやうに、自動車轢殺事件(電車でも自轉車でも同じだが)は刑法第二百十一條に則って罰せられる筈になって居るが、結果は右に述べたやうな有様である。
人を轢き殺してもめったに罰せられぬといふ此り現状ははたして正しいであらうか。われわれ即ち日々生命をおびやかされてゐるわれわれはこの状態に滿足すべきであらうか。
もし正しくないとすればどこがいけないのか。
一言で云へば法律が不備なのである。私は敢えてさう申し度い。
現行刑法は今を去る事約廿五年前即ち、明治四十一年に施行せられたものである。我國はこの廿五年の間に非常な進歩をした。
機械文化の發達は時に驚くべきものがある。明治四十年に作られた時、立法家は現代の戰亂状態を豫期したであらうか。
二十五年前の古物を以て、ロールスロイス、リンカン、パカード、クライスラー疾驅する現代に對抗せんとするのだ。その間に無理がないとはどうして云へやう。
現代の交通事故ことにその殺傷事件を罰するに、刑法第二百十一條たった一つを金科玉條としなければならないとは何たる悲しい事であらう。
其の結果を見よ、この恐怖時代の出現である。
私は更に、この金科玉條すらも、適切に運轉されて居ないといふことをはっきり申したい。
刑法第二百十一條は最高を三年の禁錮と定めて居って同じく人を殺しても殺人罪とは異り極めて軽い罰をしか認めて居らぬ。
之はもとより無理のない話で、一方は殺すつもりで殺し、一方は過失だからやむを得ない、といふので法律家にとっては少しも不思議ではない。
然し、この最高の刑を裁判によって下したものが東京で何件あるか知ら。一寸考へて見たいのである。私の知ってゐる範圍では殆どないと云ってよろしい。まづ六月一年といふところで一年といふのは餘程重い方でめったにない。
私は何の故を以てこの危險極りなき犯罪に對して罰するところ甚だ輕いか、了解するに苦しむのである。運轉手がプロレタリヤだからといふので判事諸公が同情するのか。さうではあるまい。プロレタリヤは運轉手以外にもっともっとたくさんにある。敷島一袋とったから前科があるからと云って掏摸がたちまち三年位の懲役に處せられるに比すれば、人命を失った被告に對して執行猶豫にするのは一寸バランスがとれない。
思ふに、判事諸公は餘りに法律的であるが故に、「過失」といふ觀念に餘りにとらはれすぎて居るのではないか。
抑も「過失」とは何か。
法律的の解決は、一度法律の教科書を繙いてその總論をよめば「過失」を論すること極めて詳細である。
然しながら、法律家ではない一般の市民にとって「過失」が「過失」として肯定されるのは
「ついやった事だから仕方がない」
と誰しも認めるものでなければならない。
さうでない限り「過失」はたゞ法律家にとってのみ「過失」にすぎぬので一般人には決して通用しない筈のものである。
ところで、現代の交通戰亂時代に於いて、私の所謂「危險極りなき状態」惹起した結果つひに人命を奪った場合に、はたして一般人は「ついしたことだから仕方がない」と思ふであらうか。
法律家達よ、裁判所の諸公よ、一たび街頭に出て見られよ。そこには「ついしたことだから仕方がない」といふ場合は極めて少くして、「あゝなるのがあたり前だ」といふケースを極めて屡々見出されるであらう。
かうなる以上、これは從來の「過失」の考へをやや立て直して見る必要がありはしまいか。私は法律家の所謂未必的犯意の存在を認めてさへいゝと思ふ。かくなれば自動車轢殺事件はもはや過失事件ではなくして立派な殺人事件になってしまふのである。
われわれは勿論お互ひに事件のおこらないやうに注意すべきではある。交通頻繁な道路を、すまして悠々と歩いて居るといふ事は決して道徳的ではない。私は今まで自動車の方ばかりを惡く云ったけれど、不道徳な歩行者の多く居る事を決して忘れて居るわけではない。
けれども危險を惹起し得べき速力を持て疾走し來る自動車に對して避譲する義務を歩行者の側におかれてはたまらない。
歩行者は勿論逃げる。しかしそれは義務があるから逃げるのではなくして生命が危いから逃げるのだ。ぶつかれば負けるに極ってゐるから殘念ながら逃げるわけである。
この歩行者が下手な逃げ方をして轢かれた場合に、なほ且つ過失傷害と認めるのは全く事實を無視するものである。之は決して過失ではない。相手が逃げるに極ってるとたかをくゝって疾走して來る方が一應豫算に入れてゐるべき事である。
之は麻雀で最初の一圏で王牌近くなって生牌の東風をなげるやうなものである。それで親が和らない場合も無論ある。丁度、「危險極りなき状態」に於いて危く歩行者が身を以てまぬかれたのである。それが命中して親が三翻若くは四翻であがる事もある。その場合に東を投げたことは過失と認められるだらうか。無論過失の場合もあるだらう。
けれども命中するかしないか、まあ大丈夫だらうと云って投げた東を、われわれ麻雀人は過失だの、ついやったことだのとは思ってはゐない。と同時に私は、歩行者が逃げてくれる豫期して非常なスピードで疾走して來る自動車が、たまたま歩行者のヘマによってそれと衝突しても過失だ、仕方がないとは思はないのである。
無論之はむちゃな速力で走って來る車についてのみいふことだが殘念ながら圓タクは殆どむちゃなスピードで走って來る。東を盛に投げこんで居て、命中したりしなかったりするやうなものである。
私は立法家並びに法律の實際家に對して、現代の交通機關を標準にしたところの「過失」特に「業務上の過失」といふ觀念を、明瞭に掴まれむとすることを希望してやまないものである。
斯く云へば或は大審院の下して居るこの「業務上過失」の判例を擧げて、如何に大審院が運轉手其他危險業務に服するものに對して重大すぎる位の責任を負はして居るかを指摘し以て現代の法律が嚴重すぎる位に彼等を罰して居るか、といふ事を教示せらるゝ方々があるだらう。
私と雖も無論其の點に就いては異議は云はないつもりではある。然し判例は檢事の起訴といふ事を前提としたものである事を考へねばならぬ。即ち一旦檢事に起訴されたが最后過失者の責任は甚だ重いといふことになる。(但し實際に具體的に刑を與へるのは甚だ重いとは云へぬ事前述の通りである。)
ところが檢事が起訴するといふことが前述の通り中々むづかしいのであるから、大審院如何に嚴重に過失の理論を研究すると雖も、その結果は再び云ふ、見よ、現代の恐怖時代の出現である。
この一小文は法律家を相手にするつもりで書いて居るのではないからして之以上法律問題を論議するつもりはなく又私自身が決してえらい法律家だと思って居るのではないからして、法律上の問題については之以上觸れる事を避けたいが、要するに私は交通機關に於ける「過失」といふ觀念について現代は何らかの新しい考へを要求してゐるのではないかと信ずるものである。
事故を誘発する自轉車群
以上述べ來った所を見ると、私はたゞひたすらに自働車運轉手を憎み、之に當ってばかり居て他に對して餘りに寛であるやうに思はれるかも知れない。
けれど私は現代の恐怖時代をもってたゞ單に彼らのせいだとのみ思って居るわけではない。
否、私は自動車以上に恐れ、憎むものがあるのだ。即ち、交通道徳を全く無視してゐる如くに見えるところの自轉車乗りの一群である。
かつて某新聞の投書欄に、一小店員として、「自分達は僅かの給料で毎日忙しい用を自轉車に乗って諸所に行かされる、少しでもおくれゝば直ぐに主人に怒られる、ところで現今の道路は御承知の通りの有様である。危險極りない。自分達は奉公はして居ても生命を賣ってゐるわけではない。」云々といふ投書が出て居たのを見たことがある。
まことに尤もな話である。全く御同感と申上げたい。
ところで私が、凡ての自轉車乗りに對して、さういふ同情をして居るかときかれるならば、「とんでもない。冗談ぢゃありませんよ」と答へるより外はないのである。
成程、この投書にあったやうな店員連もたくさん居るだらう。けれどみんながさうだと信ずる程、私は甘くはない。そんなトリックには決してかゝらない。
彼らが、血眼になって競爭してゐるところを屡々見ると同時に、泥醉者でも往來にくだをまいて居れば直に車をおりてながめて居やうといふ自轉車のりが甚だ多いが故である。
私が檢事をして居た頃、自動車の過失傷害の事件などで運轉手を識べたところ、その中半分位は、「自分は歩行者に十分注意してゐたにも不拘不意に横合から自轉車が飛び出して來たので、思はずそれをよけやうとハンドルを反對の方向に切ったら人にぶつかった」といふ辯解をして居た。
この辯解は必ずしもうそではない。
現代に於いて、自轉車乗りは、それ自身、歩行者に直接危險を及ぼす以外に、間接に、自動車と人間とを衝突させる機械となってゐるのである。讀者はこの點を注意してほしい。
若し今、東京の全市からしてすべての自轉車がなくなったとしたなら、假令、自動車と歩行者との状態がこのまゝであったにしろ、われわれはどんなに安心を感ずるか知れないのである。
自轉車それ自體がまことに今では不思議な存在なのだ。法律では之を足踏式自轉車と稱して居て、之に對して特別に嚴重な條項を設けて居ないやうである。
思ふに、自動車が現今の如くに多くなかったころは、自轉車横行時代であったとは云へ、今のやうな危險はなかったらしい。法律家も自動車程の難物とは考へなかったので、歩行者に或る種の危險を支へるもの位にしか考へなかったのかも知れない。
即ち「直接の危險」をのみ考へて「間接の危險」を考へに入れなかったのであらう。
「直接の危險」に就いて、現代の人達は或は却って、輕視して居る所はないか。自轉車以上に危險な自動車が横行し出したゝめに、自轉車の危險が比較的無視されて居るやうである。
然し自轉車の「直接の危險」をわれわれは決して輕視してはならぬ。
自轉車には、自動車のやうな強大な音響器が無い。又目を眩惑せしめる程度のあの強烈なヘッドライトが無いのが普通である。
にも不拘、横丁あたりから突然自轉車が飛び出して來るのであるから歩行者の側から云へば實に危險千萬で、殊に小學校の生徒などが歩いて居る場合の如き、まことに寒心ずべきものがある。相手が自動車である場合は自轉車乗りの方が怪我をするにきまって居て之は自業自得だから一かうかまはないが、相手が幼兒である場合には、たちまち殺人機械と變じて之を引たほし、爲に被害者が道ばたの石に頭を打ちつけて死ぬことが屡々ある。
「間接の危險」はまことに現代の文明の生んだものであって、さきに述べた如く、自動車と歩行者との間を最も無ゑんりょに疾走することによって、或は自動車運轉手の頭を混亂せしめ、或は歩行者に錯覺をおこさせ、自分たちは巧みにまぬかれて現場を逸走し、結局、事故の責任を、當事者、即ち加害者か被害者の一方に負はせてしまふといふ實に罪の深い憎むべき役割を演じつゝあるのである。
勿論之は意識してやって居ることではあるまい。(意識してやって居るなら之は殺人事件である。)しかし天下の自轉車乗り諸賢はこの點をしっかり反省せらるべきである。
君等の意味なき競爭意識が斯の如き結果を生むのだ。若し現代のやうな有様で進むならば世人は自轉車に對してたゞ憎念のみをもつであらう。
事件に直接あたらるゝ當局者もこの點に十分の留意あらむ事を私ははっきり望みたいのである。
(次号完結)
歩行者と疾行車
次は歩行者の問題である。私はさきに述べた如く、他人に直接の危險を最も與ふる事の少い歩行者、つゝましやかな歩行者がまづ第一に天下の往來を通行してよいと考へては居る。けれども、歩行者の中にもずゐ分危險な人がないでもない。
此の危險は専ら間接的のものなのである。直接の場合は、相手が自動車であらうと電車であらうと、又自轉車であらうと、實力に於いて衝突すれば勝味はないのであるからして、自己の生命を危險にさらすに過ぎないけれども、甲なる歩行者が交通道徳を重んじない結果、自動車が乙なる人間を傷つけるといふやうな事が屡々ある。
後にも述べるが要するに交通道徳の問題であって、現状のまゝではまことに因るのであるが、疾走車が亂暴な爲に、歩行者もつひ癪にさわってむちゃに動く事などがある點は注意すべきであると思ふ。
然し結局歩行者に對しては大なる責任を負はせるのはいかんと思ふ。けれども、醉っ拂って車の前に立ちふさがる者などは、自身自己の生命を輕んじて居るわけだから、こんな場合には從來よりも相手の責任をずっと輕くしてやってもよくはないかしら。
私自身は酒を一滴も口にしないので、醉っ拂ひの氣持に同情が出來ず、むしろ反感をもつものだから、そんな場合は轢殺しても文句はなし、とまで云ひたいのだけれど、これは一概にさうばかりも云へないのだらう。
扨以上をもって簡單ながら、私は現代の交通恐怖時代に就いて一應述べたやうに思ふ。一言で云へば、現代の東京市(其他の大都市)は、非常に交通機關が發達して居るに不拘、甚だ無秩序に放置されて居るために、目下の大危險を毎日毎日くり返して居るわけである。
が、私は今まで歩行者を主として歩行者の側から觀察したのであるが、これでは自分が歩行者でなくなると如何か、やはり危險は依然として存在する。
私は流しの圓タクに乗る時は、殆ど歩行者以上の危險を感じるのが常である。あれどもなきが如きスピードの制限は、殆ど無視されて居るために、圓タクは客の存在を無視してむやみと飛ばせ、競爭する。
實に乗ったが最後幾度ひやひやさせられるか分らない。さうしてスピードをもつと緩めるやうに云っても運轉手の多くは決して之に應じないで亂暴な速力で走るのが常である。
青バス、圓太郎はその點ではまだいゝが決して之も安心出來ない。乗ってまづ安心出來るのは電車であらう。
歩いて危く、乗って危いのが現在の東京市街である。
如何にせば秩序正しく、安全になるのだらう。
言語道斷な競爭
以下私は恐怖時代に對抗する策を述べるのであるが、最初に申した通り、之は全く私一個の思ひ付にすぎないので、之が完全なものだとは勿論考へて居るわけではなく、又直に當局者に對してこの策を以て迫らうとするものではない。たゞ當局者の参考までに、當局者の注意を促したいために、思ひ付いたまゝを述べて見るのである。
まづ第一は何と云っても交通道徳心の一般的發達を求むることが大切であらう。
歩行者も疾走車も、今少しく他人に迷惑を及ぼさぬやうに心して貰ひたい。小學校の前に札をたてゝ「學校あり」と注意をなしてゐるのを見る度に、私は子をもつ一人の父親として涙ぐましいまでに感謝したくなる。あの注意札に對して天下の親達は心から感謝していゝ、然るに、實際は、巡査でも立って居ない限り大抵の自動車は大した徐行をしないのである。
無邪氣な幼兒達が無心に歩行して來るやうな道では、「學校あり」といふ事だけで、疾走車は極度の徐行をすべきである。
私は餘りに屡々この札が無視されて居るのを悲しまざるを得ない。
次に私はこ公徳心の中に、疾走車の側に於いて、意味なき競爭をさけよと要求したい。(意味ある競走については後に述べる)
競走心は誰にでもある。けれども、現代の危險が、多くこの意味なき競走心によって惹起される事を知るわれわれから云へばこの競走心はたしかに惡徳の一つである。
この競走心は特に自轉車乗りに多く見られつゞいて自動車に於いて見られる。
馬鹿々々しいのは自動車と競走しやうと云ふ自轉車乗りが多いことである。後から自動車が疾走して來た場合に、自轉車は必ず避譲したらどんなものだらう。どうせ走りっこをしたってかなふ筈はないのだから譲ったとて恥にもなるまいぢゃないか。
それを、後から自動車が來たとなると、夢中になって抜かれまいとして居る自轉車乗りの心理は一體どう考へてよいのか私には一寸解釋が出來ない。
自轉車同志は無論まるで仇敵のやうに抜きっこをして居る。假令いそいだ用事があったにした處で、自分が或る一定のスピートを出して走ってゐる以上、抜かうが抜かれやうが、結論に於いてどれ程の差があるか。
自動車競走に至っては言語道斷である。
東京の市街は自動車競走の爲に作られてゐるのではない。自動車競走は全く邪魔物のないトラックでやるべきものである事を私は敢て自動車運轉手各位に申上げたい。
而し競走をして居る最中は乗客は全く問題にはなって居ないらしい。運轉手諸氏には乗客が生物であることすらも忘れられて居るやうに見える。
圓タクがこの競走を盛にして以て危險を大にしつゝあることは公知の事實であるが、青バスと圓太郎がやるんだから事はますます面倒になる。
かつて私は淺草から銀座に行ったことがあるが、あの邊を流してゐる圓タクに乗ることは極度に恐れてゐる私は、(無論懐中に影響するところも考の中にあったが)青バスの新橋行に乗ったものである。
するとこれと前後して市營の圓太郎が同じ道を走ってゐたのであるが、之が淺草邊からの競走は大したことになり、本石町から大通りに出づるに至ってこの二つの乗合自動車の競走は白熱化して來た。通三丁目邊からはこの競走に圓タクが加はり巴のやうになって入り亂れて來る。折しも夜のことだから流す圓タクのヘッドライトが八方から目を眩ますばかりに光って來る。
たまらなくなって私は友人を促して京橋を渡ったところで降りてしまった。この時友人は別に、私に對して「降りやう」とは云はなかったところからおして、私は自分の不安がある程度までは、私の神經衰弱の結果であると認めざるを得ないのであるが、私共が降りるときの女車掌のあはて振が又甚だしく振ってゐて、私はたちまち飛び出してしまうたが、おくれておりた友人は女車掌に「さっさとお降り下さい」と後から背をつかれたものである。即ち「こんな處でぐづぐづして居ると忽ち競走に負けてしまふわ」といふのがその時の女車掌氏の胸中なんである。
かうなると、乗客連は手もなく荷物と變りはなく、右にゆられ左にふられつゝ、自分が客の氣もちでゐると大ちがひで、運轉手同志はたゞ荷物をのっけてひたすらに抜きっこをしてゐるのである。
無論、賃金の關係からして、圓太郎にしろ青バスにしろ或る程度まではいそがなくてはならないのだらう。然しそれは、市なり會社なりで、一日に何哩とか何時間とかちゃんと定ってゐることと信ぜられる。從って青バスが圓太郎と競走しなければならない筈はないのだ。青バスの運轉手にしろ圓太郎の運轉手にしろ、他の車と關係なく一定のスピードで走ればいゝわけである。
「圓太郎に抜かれたら給料をへらす」といふやうな規則が若し青バスの會社にあるのだったら何卒それは削除せられむ事を望む。市の側に對しても亦同様である。
之等の競走は、だから私は全く無意味のやうに考へるのだ。かういふ競走心をまづ運轉手諸君の頭から取り除く事が第一の急務であらう。
亂雜な車の種類
次に私は、車の種類の亂雜さについて一言したい。
凡そ現代の東京市街のやうに雜種のものが道路上を通るものはあるまい。之が危險を惹起する原因の一つである。
銀座通りのやうな特殊な通りは別として、人道車道の區別さへない通りが可なりたくさんある。その通りを何が通るか。
曰く人間、人力車、牛車、荷馬車、自轉車、荷物自動車、乗合自動車、オートバイ、流しの圓タク、乗用自動車、電車、等である。これだけのものが、一時にわっと動くのであるから勢危險が生じるといふことになる。
そこで私は、之等のものゝ種類を分けて、或る種の車は通ってはならぬといふ道路を制限してよろしからうと考へる。
銀座大通りは、荷馬車、牛車は通らない。
さのやうにするのである。
歩行者はどこの通りを通ってもよいやうにして貰はなければ困るが、例之、或る處は自動車は通ってもよいが自轉車は通ってはならぬ。又ある處は自動車はいけないが牛車馬車自轉車は通ってもよい、とするのである。
自動車の通行を制限するのは目下の急務である。自轉車それ自體のみならず、歩行者、自轉車、自動車のコムビネーションが甚だしく危險であることを考へればことに然りである。
この點に就いては具體的な事の多くは當局者に望みたい。例之、銀座の大通りを自轉車の走るのを絶對に禁じては如何。而して又裏通りを自動車を通らせないやうにしては如何。
車種の制限に次いでは何といってもスピードの制限であらう。
自動車取締令によれば其第三條に一應最高速度を定め、但し書を附して地方長官に速度を各自指定することが出來るやうにしてある。
私は昨年の夏まで檢事局に居たが其當時は東京市中に於ける自動車の最高速度は一時間十六哩であったやうに思ふ。尤も之は決して遵守されて居なかったのが實際の有様だった。
所が最近東京市ではもっと速度の制限を緩くして二十哩までを許して居るらしい。
私は何が故に、スピードを増したのかを明瞭に知る事が出來ないのである。現今の如くいろいろな疾行者が殖えて來た際に、その速度の制限を寛にするといふのは如何いふわけか。文明が進むに從って東京市民はそんなにいそぐ必要があるのか。
理論的に云へば、限られたるスペースを有つ東京市に、一臺でも自動車が増加すればそれだけ危險率が増すわけである。私は今の東京市が自動車に就いて飽和状態に達して居るか如何かといふ事は知らない。
けれども車の數が増すに從って、スピードを制限する必要のある事は認めていゝと思ふ。
道路が自動車ばかりのものならば、左程ではないが、既に述べた如く、あらゆる種類のものが同一道路を通ってゐる現状に於いては、スピードの嚴重なる制限が絶對に必要だと思はれる。
既に自動車に對して公徳を説くこと右の如し。徳義を守らぬものがあれば遺憾ながら法律を以て之に臨むの外はあるまい。
私はここに於いて自動車取締令第三十條の處則をもってずっと嚴重にしていゝといふ事を主張したい。
第三十條によれば、スピードの制限を無視して運轉した場合は拘留又は科料に處せられる事になって居る。抑もこの罰則の設けられた理由は如何。
單純に、第三條で定められて居ることを守らなかった、といふだけならば此の輕罰でもいゝかも知れない。けれども、スピードの制限を無視して走るといふ事が人の生命に危險を與ふべき事と考へるならば、即ち、第三條違反が、「危險極まりなき状態」 Der gefahrlichste Zustand を惹起する以上は、而して、この状態だけでは現行法が如何ともすることが出來ない限りは、スピードの制限超過に對しては絶對的嚴罰主義を以て臨むべきである。
人を怪我をさせるか、轢殺さない限り法律が手を出せないやうに出來て居る限り、その大危險を防止する爲には、このスピード問題で食ひ止めるより外はあるまい。
勾留又は科料として、立小便と同じ程度に罰したのでは何にもならない。少くも罰金、又は行政的の罰を與へることが必要ではあるまいか。而もスピード超過は殆ど過失ではなくて、意識してやることである以上、何も輕罰で遠慮する必要はあるまい。
私はこの點について自動車取締令の改正を希望するものである。
スピードの制限
一體、スピードの制限を無視して危險を顧みずに疾走することによってわれわれはどれだけの利益があるか。東京市中の乗客はそれ程までに忙しい人々ばかりであるのか。又事實、時速十六哩と二十哩で、結局どの位の差が出來るか。
平坦な場所であるならば無論一時間に四哩の差が出るであらう。然し東京市内のやうに「ゴー、ストップ」が至る所にある町では、大した差が出來るとは考へられない。東京市のある地點から或る地點までに「十分間」の差が出來たら實に大したものである。
今假りに最善の條件をもつ自動車、即ち、至る所の十字路で、好運にも「ゴー」にぶつかゝり巧みに之を潜りぬけて行く車二臺を考へれば、早く走るのとおそいのでは可なりの差が出來る。しかし事實上そんな場合は一寸考へられぬのである。
結局、非常にいそぐ車といってもある短距離をむやみといそぐことになるのである。
政治家、實業家は成程忙しいだらう。けれどそれ等の人々の爲に、東京全市民が脅かされてはたまったものではない。人の生命の前には多少の忙しさは犠牲にされなければならぬ。午前七時に起きる政治家、實業家たちに五分づゝ早くおきて貰へばいゝ。三十分の會見を三分ちゞめて貰へば市民は脅かされなくなるわけである。
之を要するに、乗客の側から云へば、スピードをもって嚴重に取締るといふ事は大した損失はないと考へられる。
問題は、スピードの制限が、運轉手側に對してどう響くかといふことである。即ち東京市の全運轉手が假りに凡てが時速十六哩で走ったとするとどれだけの損害を負擔しなければならぬか、といふ事を考へて見たい。若し之に對して、大した損害がないといふ事になるならば、東京市は少しも早くこの制限を励行すべきである。
所で甚だ遺憾ながら、私はこの問題に對して、的確なる答へを與へられぬのである。
大體について云へば、甚だしき損害はあるまい、といふ意見をもって居る。
云ふまでもなく、スピードをおそくする事に關して最も利害關係をもつものは圓タクであらうから、圓タクを主として考へて見る。
圓タクが競走するのは意味ある競走である。殊に空車に於いて然り。即ち彼らは一刻も早く客を掴まへて一刻も早くそれを目的地に送り、更に一刻も早く新しい客をつかまへやうとするのだ。
ところで、スピードを出して走るといふ結果が、實際上時間に於いて大きな差を出さないといふ事は前述の通りで、彼らがあせる程時計の針は動いてはゐない。そこへもって來て、車それ自體の損料を考へて見なければなるまい。消費するギャソリンと、疾走する度に受ける損害、(これは素人の私にでも、早く走る方がはるかに損だといふことはすぐわかるが)之らを計算したならば、假りにスピードがおそくなったとしても大きな損害はあるまい。
更にもう一つ重大な事がある。それは現今のやうな混亂状態にあればこそ流しの競走が行はれるのだ。即ち目ざした客を先に行ってのせやうとするから勢競走になる。
若し假りに一勢に凡ての空車が或るスピードで走るとすれば、或は假りに空車同志は絶對に追ひ抜いてはいかぬといふことになれば、圓タクは與へられた運命に從って、つゝましやかに順序整然と進めばいゝことになって、却って樂になる筈だと思ふ。
先にも述べた通り、現今では、無茶をやっても他を追ひ越して客をとらうとする車があればこそ、温和な車もかけ出さねばならないのである。だから比の無茶な車を嚴重に罰すれば凡てが温和に行くわけだと思ふ。
以上は然し私の單純な考へにずぎぬのであるからして、之に對して運轉手各位より、明瞭なところを教示せられたいのである。先に云った如く、私は本文を以てあくまで自分の意見を主張するつもりはなく、自分に誤解あらば直ちにその點は訂正するつもりである。
そこで私の考へとは反對に、運轉手の側に大なる損害を生ずるとすれば如何。
例之、スピードおそく(凡ての車が)する事によって一日に二圓か三圓の損害をかうむるとしたならば如何。この際圓タクの運轉手にとって二三圓は決して輕視してはならぬものであらう。
さうとしても、假りにさうであるとしても、私は現今の如く、直接他人の生命に危險を與へつゝ走ることは大局から見て許すべきではないと思ふ。
凡ての圓タク業者の爲に、東京全市民――その中には無論ブルもプロもゐる――が、犠牲になる必要は絶對にないと思ふが如何。
スピード制限機
ここに一策あり、機械に全く無智な私の考へついた事故、或は之全く探偵小説的になり、識者の嗤ひを招くかも知れないが、一定のスピード以上は決して出せぬ、といふやうな機械を取付けては如何。
もしさういふものが有るか又は出來るならば、當局が車輛檢査をする時に、直に、それを車に取付けてしまふのである。さうすればそれがある限り、時速十六哩以上には出させない事になるのだ。
さうして特に火急を要する自動車、例之、消防自動車、警察の自動車、病院の自動車、等にだけは例外にするのだ。かくすれば即ち道徳問題も法律問題も起らず、皆一制にその速力だけしか出せぬから從って競走などはおこらず、例外の自動車が抜く時はあとは皆避譲すればいゝことになるのだがどんなものだらう。若し私と同じ考へをもつ機械業者が居たら考案されては如何。
更に自轉車のスピードを制限するべきであるが、之はメーターがついて居るわけではないから實際上甚だ困難だと思はれるが、若しそれなら、自動車又は電車と競走すること、自轉車同志の競争を嚴禁したらいゝ。即ち自動車にせよ自轉車にせよ、一旦後から來て自分の車と竝行した際は、一應さきの自轉車が譲ることにするやうにしたらどうだらう。
要するに避譲といふことを相互が頭にもって居れば、今のやうな危險はもっとずっと少くなると思はれる。
嚴罰に處せ
扨最後に私は、立法家に對して或る法律の制定を建議したい。
頭初に述べた通り、現代の法律で滿足してゐる限り、われわれは自動車其他が人を死傷しなければどんな危險状態が惹起されても、法律は如何ともし難いといふことになってゐる。
私は之を甚だ遺憾に思ふものである。
私は、自分の所謂 Der gefahrlichste Zustand を惹起したといふ事を以て、罰するに足るとしてよいと考へるのである。
之は、過失傷害の觀念から考へれば、未遂罪を認めることになって一寸妙だけれども、Der gefahrlichste Zustand を以て必しも傷害罪の未遂と見る必要はない。この状態即ち危險状態で、現今の有様を以てすれば、この状態だけ獨立させても十分に社會的危險である。
「人にさへぶつけなければかまはぬ」といふ今の考へは、その實、この危險を被害者たり得べき者のお蔭を蒙ってのがれてゐることを無視した考へ方なのである。この際横暴な車に對して歩行者が避ける義務はないのである。他の云ひ方で表せば、或る種の運轉手等は、自分で危險状態を作りながら、相手が身をかはすことによって自分等が刑罰からのがれてゐることに氣が付かず、さながら相手に避譲すべき義務あるやうに考へてゐるのだ。
だから私は「危險極りなき状態」を惹起したといふ事實あるを以て制裁を加ふるに足ると信ずるものである。
無論之は、故意又は過失によって自動車の側からひき起した場合をさす。
これを罰する法規を設けたからとても、やはり立證問題は相當困難ではあらう。然し、業務上過失傷害一點張りで行くよりははるかにいゝ。往來に交番に立てゐる巡査の目にふれるだけでも違ふだらう。第一この制裁があるのとないのとは餘程ちがふ。ないよりは有る方がたしかにいゝと思ふ。
勿論、この状態は自動車の側ばかりに責任をもたせてはいけない、自轉車乗りなどには早速適用していゝ。即ち自轉車乗りが亂暴な乗り方をしたゝめに、自動車と歩行者とがぶつかりかゝった時などは有無を云はせず取捕まへるがいゝのだ。大體、今まで自轉車乗りは割のいゝ役を演じて來てゐる。
自動車が横から來た自轉車を避けるために人にぶつかったやうな時でも、自轉車はいつも問題になったことはない。之が彼らをしてますます横暴にならしめる原因である。Der gefahrlichste Zustand を惹起した者に對して制裁を加へることによっては、今まで横暴振を發揮して來た自轉車乗りは可なり遠慮すべき事を教えられる事と思ふ。
此の制裁はたしかに自動車と自轉車に直に適用されるだらう。
交通取締規則(之は最近即ち昭和四年十月に改正されてゐる)などにいちいち細いことをあげるよりは、全部をこの「危險状態惹起」に入れてしまへば簡單ではないか。
特に自轉車に對する法律を作ってもいゝと思ふ。
法規によると、緩行車といふものゝ中に定踏自轉車、即ち、あの亂暴な自轉車がはいって居る。
冗談云ってはいけない。現時の自轉車は、緩行どころか最急行車だ。あはよくばシボレーを抜いて飛んで行かうとして人間をつき仆す人轢車だ。
之がちっとも法律を守っては居ない。居ないにも不拘罰せられない。だから現時の有様のやうな事になる。
例之交通取締規則第十九條に、自轉車は自動車に譲るやうに書いてある。私が競爭を禁ぜよといふのと同じだ。そんな事ならばちゃんと廰令にあるぢゃないか、と云はれるかも知れない。然し私は云ひたい、あれどもなきが如くぢゃないか、と。
何故無きが如くなのか。制裁が輕い――輕すぎるからなのである。
先に述べた通り自動車取締令にしたところで、交通取締規則にしたところで、その罰は拘留若くは科料なのだ。
此の輕罰を以て不徳義な連中(稀には過失もあるかも知れないけれども大體、之らに違反するのは不道徳者に多い)を取締らうとするんだから一寸妙である。
(序に云ふが私の所持してゐる改正交通取締規則第四十四條には、先にあげた第十九條違反に對する罰が書いてない。)
往來で立小便をしても科料に處せられる。
殺人的スピードで自動車や自轉車が走っても科料である。
立小便は多くは故意だが不可抗力の場合がある。
殺人的スピードは殆ど故意である。
小便では人を殺すことは中々むづかしい。
一方は、一歩誤まれば生命がないのだ。之を一所にされては歩く人間はやり切れない。しっかりしてくれなくては困る。
それとも、當局者は、殺人的スピードを出してゐる運轉手又は自轉車乗りは、自身の生命をも危險にさらしてゐるから即ちその犠牲的精神を参酌して、輕く罰することにしてゐるのだらうか。まさかさうでもあるまい。
ともかく私自身は立小便と殺人スピードとが同じ程度に罰せられることを不思議だと思ふ。
Der gefahrlichste Zustand は歩行者に對しては如何なるか。
歩行者はそれ自身では元來他に危險を直接には與へないものだからして、之に對して、此の状態惹起者として罰するのは酷のやうに考へられる。
けれ共、當然意識して居ながら他の歩行者に危險を輿へるやうな場合には、之を取締ってもよからう。
甲なる人間が、當然避けるべき車を避けない爲に、乙なる人間に、重大な危險が發生した場合などは之に對して制裁を加ふべきものであると云ってもよからう。(完)
注)誤字脱字は推測によって補ったところがあります。句読点は追加削除したところがあります。
注)ウムラウトはテキスト都合により表示していません。正しくは、Der gefährlichste Zustand。
注)それぞれ改正がなされていますが、道路取締令(大正9年)自動車取締令(大正8年)→道路交通取締法(昭和22年)→道路交通法(昭和35年)の流れのようです。
「轢殺御免のスピード時代」
「中央公論」 1930.10. (昭和5年10月号) より
一 動かし難き事實
機械文明の發達は正しく人類に或る種の幸福を齎して居る。然し同時に人間の生命に直接の危險を與へつゝある事も否み難き悲しき事實である。工場に於いて勞働者が、鑛場に於いて坑夫が、常に其の危險に身を曝しつゝある事は誰しも認めないわけには行くまい。
けれども、「最も尊ぶべきは人の生命である」といふ言葉が、凡ての人々にとって動かし難き信念である限り、而してそれが動かし難き眞理である限り、あらゆる機械文明の齎す「やむを得ざる危險」は常に最小限度であるべき事は當然と云はなければならない。即ち工場に在ては出來得る限り勞働者に危險を生ぜぬやう努力すべきであり、鑛場に於いても能ふ限り坑夫の危險を防ぐべきである。
斯の如き當然極る努力が、はたして如上の場所に於いてつくされて居るか否かは、其の方面の知識に乏しき筆者の云爲すべぎ限りでないが、たゞここに確に一ッだけ、全く此の努力のなされて居らぬ場所がある事を余は指摘したい。而もそれは余の考へに從へば、決して「止むを得ざる危險」ではなく「止むを得る危險」なのである。
その場所とは何處か。曰く、大都市街である。我國の文化の最も發達した大都市である。倒へば筆者の居住地である東京市の現状の如き、斯の如き人命蔑視の場所が又他にありやと云ひたいのである。危險とは即ち交通機關による危險である。
余は市民がかくの如き危段に毎日曝されながら何故に抗議をあげぬかを怪しむものである。われ等は、足一歩を街路に踏み出すと同時に、全く秩序なき交通機關の混亂状態に身を曝さなければならない。
試みに、余の居住せる區内のある町に出て見る。一つの道路を幾種のものが通るか。曰く、人間、入力車、牛車、荷馬車、自轉車、荷物自動車、乗合自動車、オートバイ、流しの圓タク、乗用自動車、電車!
之等のものが全く無秩序に、他と競爭をしつゝ、而して他人の生命には全く顧慮なしに、動き廻るのである。之が危險でないと云へやうか。(余ははっきりと「無秩序」と云った。然り、全く秩序がないのである。GO、STOPのある停車場に於いてこそ一時秩序を得て居る。けれども一たびGOのサインが出てからの彼らの疾驅振を見よ)
他に危険を及ぼさな(及はし得ぎる)歩行者のみがつゝましやかに歩道を行く。然し其他に至っては、必要もないのに若くは必要以上に死物狂ひで走り廻って居る。最も憎むぺき、然し滑稽な現象として諸君は、自動車と競爭する自轉車を見出すだらう。彼等は斯の如き無意味な遊戯をやる事によって幾多の人命を危險に曝し時に之を奪ふのである。
二 危險のバロメーター
交通事故の統計に對して一言したい。現れた數字は決して危險それ自體の正確な表ではない。危險はもっともっと遥かに大きいのである。
之は法律の建前によるのであるが現代に於いて、例之自動車が人を轢殺した場、これは刑法第二百十一條の罪即ち業務上過失致死罪として取扱はれる。而してこの犯罪には未遂罪がない。換言すれば、今一寸で突當るところまで行っても運よく轢かないですめば之は何でもないのである。從って統計には何もあらはれて來ない事になる。
だから倒之或日或る場所で四人が自動車に轢殺されたといふ事實は、そのまゝでは、交通機關の危險の尺度にはなり得ない。四人の外に何十人が危く殺されかゝって身をもって免れて居るかわからないのである。
此の法律は、人を轢かなければどんなに無茶に走ってもいゝといふ考へをある人々におこさせて居る。
三 裁判所、檢事局と交通事故
次に實際上轢殺した場合の法律上の取扱ひを述べて見やう。この場合は普通區裁判所檢事局で取扱はれる。
最近東京區裁判所檢事局に於て、交通事故を専門に取扱って居る檢事に直接きいた所によると、起訴し得るやうな事件(即ち嫌疑十分なもの)は四十五パーセントだといふ事である。即ち殘りの五十五パーセントは不起訴になることになる。
ところで起訴された四十五パーセントの確實な事件がその何パーセント有罪の判決を受けるであらうか。その點について聞洩したが、おそらく百パーセントといふ事はあるまい。從って交通機關によって人命を奪ってもまづ六割は無難ですむわけとなる。
(近來汽車の轢殺問題が喧傳されて居るが余は目下市内の無軌道の交通機關のみについて云ふので汽車は勿論電車も暫く問題外とする)
而て刑法第二百十一條の最高の刑は禁錮三年である。更に而て、事實上東京に於いてこの最高の判決のあった事を余は知らない。
ここに一つの例を擧げて見やう。
ある自動車が他の自動車に追ひ越されさうになって憤慨し、三十五哩位のスピードで市街を走ってゐる。道路上に人が道を横切らうとするのを見る。しかしクラクリンをならして居る以上、その地點まで行くまでには相手が邁げるのだとたかをくゝってゐる。
ところが人間の方は成程、クラクリンの音をきいたので驚いて見ると、道路上を二臺の自動車がおそろしい勢で並んで來るので眞中に立った彼は狼狽する。(此の場合、彼がそこに直立してしまへば賢明であるが、凡ての人にそれを要求するのは無理であり、而て、人間にはこんな場合にそこに直立してゐる義務は絶對にない。)それで、さきの車が一間手前まで行った時、人がうろうろして居たために美事に之を轢殺してしまった。
かういふ場合、これでつひした事だと一般に考へるだらうか。運轉手の過失だと信じていゝだらうか。一般の人々はたしかに、運轉手の行爲は過失だ、相手には氣の毒だが仕方がない、と思ふだらうか。
然し法律家は之を過失と考へて居るのである。檢事は之を過失致死罪として取扱ってゐる。三十五哩即ち規則違反のスピードを出してゐる事は決して過失ではない。正に故意である。けれども人にぶっつけると之が過失になるのである。即ち最高三年の禁錮といふ次第である。
強盗は物をとったゞけで、五年以上の懲役になる。自動車は判り切ってゐて人を殺しても三年、(實際こんな例のない事既述の如し)うまく行けば罰金、更にうまく行くと不起訴である。
これは法律家にとっては一見不思議でない。故意と過失の問題だからである。
「うまく行く」事が、かういふ事件には殊に多い。さきのやうな場合、轢かれた人間は死人に口なし、他に見てゐるものがない場合、當の運轉手の供述以外に、檢事は誰の言葉を信じ得るか。
轢かれた人間がプロレタリアートだともっと事件はうまく行く。働き人を失った哀れな家族の所へ若干の金包をもって行く、目の前に金を出されたプロレタリアートの家族は拒む筈はない。而て犯人に對して如何にすべきかも知ってゐない。云はれるまゝに何か出された書面に印を捺す。之が、示談成立書、甚しきは被疑者に對する歎願書となって檢事局に來る。
被害者の方が犯人の歎願書を出してゐるので檢事も「さまでは」といふので不起訴にする。之でこの事件が終るわけである。
余はかつて檢事の職に在った時、かういふ歎願書を問題にせす斷じて起訴したところ、公判に行って執行猶豫になった。その理由はやはり被害者が相手の處罰を望んで居らぬ、といふ事であった。
四 自轉車の問題
檢事局で轢殺事件の自動車運轉手の辯解する言葉の中に、
「自分は歩行者を認めてゐたが不意に横合から自轉車が飛出して來たのでそれを避けやうとしたら人にぶつかった」
といふのが可なりある。而てこれはある程度まで事實である。
現今、往來を歩いて居て、自轉車といふものにおびやかされない人間があるだらうか。彼らは、自動車の如き強力なヘッドライトを有せず、クラクリンを有せず、突如として夕闇の小路より飛び出し傍若無人に走り去るのが常である。
幼兒の如きは自轉車につき仆されても立派に死ぬのである。
大略に在ってはさきに述べた如く自動車の横を走り廻って間接に自動車轢殺の事故をおこしてゐる。
余の如きは銀座通りで一番危險を感ずるのは自轉車である。
而て自動車に對してはいろいろの規定があるにかゝはらず、自轉車に對しては特別の法規は無いのである。
當局者は自轉車夫れ自體を危險物とは見なかったかも知れない。
けれども現代の如く、人間=自轉車=自動車、このコンビネーションが恐るべき結果を生じつゝある限り、この點を考へてもいゝのではなからうか。
なほ、右のやうに元來は自轉車が惹起した自動車轢殺事件に於いて、事故を惹起したる自轉車乗りは必ずそのまゝ姿をくらまし、自動車運轉手のみが被疑者となって檢事局に現れるのが常である。
しかし之は、このまゝでいゝのだらうか。
五 危險に對する策
以上、余は目下の危險状態と、目下のそれが法律關係とを簡單に記して來た。
市民の如何にして此の危險に對抗すべきであらうか。
余は、轢殺事件が、刑法第二百十一條のみによって(無論他の事故は他の法規に律せられるが)律せらるゝ事につき或る疑ひをもつものである。けれども刑法そのものの問題として述べる事は到底紙數がそれを許さぬが故に今はこの點には觸れまい。(他日機會があったら記したいと思ふ)
現代はスピード時代だと云はれてゐる。戀愛、結婚、而て離婚、悉く急テンポならざるはなしである。
交通機關もその例にもれず鐵道では超特急の出現を見んとして居る。
しかし、この急テンポの状態を現今の大都市の交通機關に應用しやうとするに至っては實に言語同斷(※ママ)といふべきである。余は實に默するあたはずである。
現代の東京市街の交通機關は既に既に急テンポである。allegro agitato である。今ですら早すぎるのだ。之以上にされては市民は堪ったものではない。
何百萬の人の住む東京である。
碧空緑野をながめながら軌道の上を走る汽車電車とは問題が違ふ。
限られたるスペースの東京市と、無限に増加しつゝある自動車、自轉車!
それが現今のやうに交通道徳を無視しながら、なほスピードを増大にせんとするに至っては、危險とも何とも云ひやうがない。
今より三年以前には東京市に於ける自動車のスピードは最高十六哩であった。しかし昨年からこれが廿哩になってゐる。
限られたスペースは自動車の増加によって必ずつひに飽和状態に達する筈である。達せずとも車の數が殖えれば殖える度に危險率は増す筈である。
此の點から云へばスピードの制限は年々少限度になっていゝ。
無論、スピードがどんなに増しても、秩序さへ整然としてゐれば必しも危險はない。
假令凡ての自動車が、五十哩のスピードを出しても、それが皆一定のスピードで走り、而て規律を守るならば、必しも危險は起らないであらう。
けれど、くり返していふが、現今の如くに交通道徳が無視され、幼稚園小學校の前をすら二十七八哩のスピードで走る自動車の多い東京市で、今以上のスピードを許す事に對しては余は斷じて反對したい。
六 對策二、三
第一に各自のもつ公徳心の問題である。
この點については余は最も自轉車に對して激しい抗議を提したい。
次は即ちスピードの問題である。余は現今の自動車取締令を以て一應滿足する。燃し、スピード違反に對しては絶對に嚴罰を以てのぞまれたい。何故ならば多くの事故がスピード違反によりて生ずるばかりでなく、スピード違反は殆ど全部が過失でないからである。多くはスピード違反を認識して居るのであるから何等情状酌量の餘地がない。
次は交通取締規則の嚴守である。取締まられる側でなく取締る側で嚴格にやるべきだと思ふ。
此の規則に於いて特に自轉車を嚴格に取締っていゝと思ふ。
七 感想一ツ
最後に一言余は云っておく。かつて或る所で余が比の説を述べた所、批難された者が大分あったがその殆ど全部が自動車運轉手諸氏であり、而てその批難は、皆階級意識的のものであった。
即ち、「自分等はプロレタリアートである。それを嚴罰に處せといふのは、汝はわれらの苦しみを知らないのか。たゞさへ困って居るのに、この上嚴重に取締られては堪らぬ、汝はその點を考へぬか。」といふのであった。
余は一應比等の立場は諒とするものである。然し、運轉手ばかりがプロレタリアートではない。否運轉手は東京全市のプロレタリアートの一部である。而て現今の交通状態は、運轉諸氏以外の全部のプロレタリアートを脅かしつゝある事をも考へてほしいと思ふ。
事實、轢かれる者は多くプロレタリアートなのであるから、この點を顧慮せられたいと考へる。
余は現今自動車が、或るモデレートなスピードで走って規則を守ることによって大なる損害を受けるものではないだらうと信じて居る。
八 終る言葉
戰爭の惨禍は多くのものが知って居た。しかし、あの世界戰爭がおこり、多大の人命を犠牲にしてはじめて戰爭の惡を痛切に感じたのである。
交通機關によって失はれる東京市の人命は少くはない。
しかし、この犠牲が多くならなければ、余の言は認められないのだらうか。
きくところに依れば、ニューヨークでは、交通事故のために失はれる人命が餘りに多くなったので、急に狼狽し、目下種々と研究中ださうである。
余はその轍を東京市がふまん事を恐れるものである。
今にして、全力を注がずんば幾多の犠牲を生ずるだらう。
而てその犠牲は餘りに高すぎるではないか。 (をはり)
――一九三〇・九・五――
注)誤字脱字は推測によって補ったところがあります。句読点は追加削除したところがあります。
「「堕胎」を裁く」
「婦人公論」 1930.04. (昭和5年4月号) より
凡ての犯罪が、常に暗く、陰惨であるとは限らない。時に甚しく痛快味を伴ふもの或は明い諧謔味に富むもの、豪快な感じをもたらすもの等が屡々發見される。耐も大罪必しも常に暗からず、輕罪必しも滑稽ではない。これら種々の犯罪の中で常に最も暗く、陰鬱な犯罪がある。即ち堕胎罪がそれである。
堕胎罪は常に最も、暗い、陰鬱なテーマの上に、組立てられてゆく犯罪である。この犯罪を繞る人々は闇をゆく人達である。この犯罪がいつも想起させる「闇から闇」といふ言葉通り、この罪を犯すものも亦、闇の中の人々である。
かつて遠き昔にあっては、堕胎はそれ自體直に罪であるとは考へられなかった。けれど近世の法律のいぶきをかけられた現代の人達は、堕胎はそれ自體許すべからぎる犯罪である、と信ずるやうになった。すくなくも最近までは!
今世に出て働いて居る法律家達は、その學生時代に、堕胎罪の講義をきくに際し、殆ど何らの疑ひを有たなかった。われわれは堕胎を、所謂自然的犯罪と考へることにならされて居た。
昔の社會をそのまゝ寫した狂言作者も、「腹の子までも闇から闇」といふやうな臺詞を、その子の父にあたる人の口からさへ云はせて觀客の涙をその悲劇に集中させて居る。
然し、最近に至って、この犯罪の根底は、少くも問題とせられる。否問題にせられぬまでも多くの人々は無言の中に稍疑ひをもってゐる。
此の傾向が、果して社會の進歩であるか否か、といふことは暫くおく。かくの如き考へ方が一般に廣くなりつゝあるといふ事實は爭へない所である。
法律が堕胎を罰する理由は主として三つである。第一は胎兒の生命を保護するにある。第二は、堕胎の際に母體に及ぼす危險を防がうといふにある。而して第三に、國家が人口の減少を憂うるところが、理由となるものである。
少くも現代人にとっては、此の三つは同じ價値をもつとは思考せられてゐない。現代のやうな社會にあっては之等は決して同價値ではないのである。
けれども、我國に在りては無論、西歐諸國に於いても堕胎の罪は依然として罰せらるゝことになってゐる。ことにフランスのやうに人口の減少しつゝある國では特に、嚴重であることは云ふまでもない。たゞソヰ゛エト・ロシヤの刑法典からは、堕胎罪はつひに削られたといふことである。
かくの如き最近の思想は、堕胎罪の數をますます増加せしめる筈である。然らば近年に至って裁かれる堕胎罪の事件數は増加したであらうか。
必しもさうでない。文明の愈々進んで來る都會に於いてはことに然り。たとへば昨年中東京區裁判所檢事局で受けた全事件數四萬數千件の中、堕胎は僅かに四十か五十件であったといふことである。
それならば、事實上堕胎の數が減少してゐるか、といふに、必ずしも又さうは考へられない。
大都會の中で、この烈しい生存競爭にもまれてゐる處にこそ、この犯罪は多かるべきなのであるが、にも不拘、統計は右のやうな結果を示してゐる。
思ふに、東京市に於いて、斯くの如く、堕胎罪が少いといふ理由は、簡單に云へば二つのことに基く。一は他の大犯罪が多いために自然と捜査が不十分になるといふことであって、必ずしも之については警察官がなまけて居るといふわけではないが、次にのべるやうに、事件の少い田舎の捜査振と比べればぽ比較にならない。
田舎で堕胎罪がどうしてわりによく發見されるか、といふと警察官が第一に妊婦に注意するのである。或る地方の如きは、駐在所の巡査が、閑であるため、いちいちその管内の妊婦を調べて廻って、「妊婦手帖」といふリストを作っておく。さうしてその妊婦の行動に注意する。今まで大きな腹をしてゐた婦人が突然平氣な顏をして、普通の形で外出でもしやうものなら早速捕まって調べられる。その結果、堕胎といふ事實が、ばれるといふ次第である。
次に、人間が賢くなって來れば、この犯罪が發見されにくい、といふ事になる。現代の科學の力が、同棲する男女の間に、絶對に兒を作らないといふ方法を既に建設してゐるかどうかは知らないけれども、かくの如き方法が、遠からずして案出されるだらうといふ事は考え得る。だから、人々が多少でもこの事に注意してゐれば、抑も堕胎を敢てする必要がないわけである。
然し私は大都市の人々が完全に避妊法を心得てゐるから、堕胎事件が少いのだ、とは考へてゐない。けれども、文化に遠い地方の人々よりも、大都市の知識階級の人々の中に、堕胎をする必要がない人々がはるかに多いだらうと考へるのである。
運命に最も從順なのは文化に遠い人々なのである。而も彼らはどうにも出來なくなって突然、運命に叛逆する。さうして刑事被告人となる場合が屡々ある。
或る種の賢き人々ははじめから運命に對して、回避策を講じる。又もしある結果を生じても、巧みに先から逃れることを知ってゐるのだらう。
堕胎事件は、どういふ所から多く曝露するか。
この問題に就いて、詳述することは、逆にその隠蔽方法を暗示するやうなものだから、本稿の性質として避けなければならぬが、たゞ一般的に知れて居る事實を擧げれば、要するに、その後始末の問題なのである。
さきに述べた妊婦手帖のあるやうな地方ではどうにもならないが、さうでない場合に、事件が發覺するのは、多く、後始末の方法に基くか、でなければ誰かの密告によるものである。
此の點に於いて、我國の捜査機關は、便所に感謝して然るべきである。外國のやうに、方々の家の汚物が地下水道を通って、流れて行ってしまふやうなところでは,假りに何か發見されてもそれがどこの家から出て來たかといふやうな事は容易に判るものではない。
我國では便所は大抵各家について居り而てそれが獨立してゐる。堕胎罪の多くがこの便所と關係がある以上、捜査に對して如何にわが國の便所が、力を與へてゐるかが判るのである。
堕胎が犯罪とならない場合は、たった一つである。即ち母體を保護する、といふ大義名分がある場合に限られてゐる。
この子を生んでは一家が食って行かれないといふやうな悲惨な境遇にあるものが、その經濟上の必要から行ふやうな堕胎は、起訴猶豫の理由にはなるかも知れないけれども、無罪とはならないやうである。即ち、一應罪はどこまでも罪だが、氣の毒だから許しておくといふのである。
扨それならば、現時、檢擧せられる堕胎事件は大抵さういふやうな氣の毒な境遇の人々か、若くは堕胎を犯罪と考へない人々が多く關係してゐるか、といふに、事實は皮肉にも殆ど凡てがさうではない。
人々が堕胎に就いて、考究し、經濟問題について調査し、産兒制限に關して意見を發表してゐる傍、檢事局に擧げられる堕胎事件は、殆ど皆、男女の不品行からの所謂、不義の兒の處分なのである。
貧に惱んで血涙を搾りながらこの犯罪を敢行したり、堕胎は罰せらるべきでないといふ信條から決行したりするといふやうな、讀者にお誂へ向きの實例は殆どないといふ事は注意すべき現象である。だから眞實貧困からする場合は極めて少いのだ、とは無論云へないし、又云ふべきでもないけれども、ともかく檢擧せられて居るものは、大抵非品行が因である。
尤も不品行といふ言葉は極めて漠としてゐて、その人の倫理觀に依っては必しも正しくない事はないかも知れないが、ともかく、戀愛至上主義を徹底することが出來ず、社會の指彈を恐れて罪の兒を闇へ葬るところを見ると、自分でもよい事とは考へてゐないらしい。
一年程前に、某縣下で或る陸軍少將の娘が馬丁と通じて其の胤を宿し、揚句、堕胎した事件が盛に新聞紙上を賑はしたことがある。
此の事件の發覺の端緒は矢張り例の便所で犯行後可なり經てから發見されたのだった。
東京市内でやはり此の犯罪を犯し、堕した胎兒を川の中へ投棄しやうとした途端を、捕縛された女があった。
さきの少將令嬢は、馬丁との戀が親からは無論許されず、社會に對しても面目ないと思って犯行をなしたことらしい。それ故、もし彼女に眞劍の戀があったなら、必しも胎兒は死なずにすんだかも知れない。後の場合の女は、妊娠した揚句、男に逃げられてしまって、どうにもしやうがなかったのである。
所謂私通と名附けらるゝものによって堕胎を行ふものに右のやうな二つの場合がある事は注意に値する。
關係した男女の一方に身をかはされゝば、女の方がはるかに不利益な立場に居るといふことは生理上當然のことと云はなければならない。從って、戀愛の永遠性を確信する者は別として、さうでない婦人達は、十分に賢くなければならぬ。もし愚であれば、前途には一生の負擔があるか、又は犯罪が横はるのみである。
男が、妊娠せしめた女をたゞ振り捨てるといふ事は、未だ未だいゝ方であって、男子の兇暴性は時として女の生命に危險を與へることがある。
かつて或る齢若き女教員と關係して妊娠させ、目黒の競馬場附近で惨殺してそのまゝ地下にに埋めた男があった。數年後、此の死體が白骨となって發見され、大事件となったが、被告人は最終まで殺意を否認しつゞけて爭った。檢事は殺人事件と認めて死刑を求刑し可なり紛糾を極めた問題になった。
被告人の云ふところに從へば「自分は女を殺す氣はなかった、たゞ女と相談の結果、ある劇藥を用ひて堕胎させる氣だった、それで二人で現場に行って、その藥を呑ませたら、意外にも女が悶死してしまった。」といふのである。
検事は、被告人に豫(かね)て藥物の知識のあった所がら推して、被告人に殺意ありと認めたのであった。
然しいづれにせよ、女も堕胎するつもりで居たといふ事は事實らしい。問題は、その女の氣持を被告人が利用したか如何といふことになる。
利用せられたにせよ、或は過失の結果であるにせよ、生命を失った婦人は氣の毒であると同時に、最も愚かであったことは爭へない。
現代は「腹の子」に對する或る種の感じを變へつゝあるのではあるまいか。かつては或るセンチメンタリズムが、可なり烈しく働いて居た。
死刑の言渡が確定しても、その囚人が妊娠してゐる間は刑の執行を行はない、といふなどは如何なるところに合理性が見出せるか。
何人も此の場合、腹の子が生れた方が幸福であらうと思ふものはあるまい。その子を生ませる事に依って誰が幸福になるのか。
之と同じやうな場合が、或る種の妊娠の場合を想起させる。
不幸にも強姦されて妊娠した時、女はその胎兒の發育に對して何等かの義務を、法律又は道徳の上に於いて、負擔するものであらうか。
此の際、その婦人が堕胎したとて、誰が不幸になるのだらう。
私一個の考へに從へば、斯の如き特殊な場合には、堕胎が認められても差支へないのぢゃないかと思はれる。
今後、堕胎は増すだらうか。又は減少するだらうか。
一方には増加させる筈の思想が廣がりつゝある。而も他面、減少せしめる筈の科學的知識が普及せんとしてゐる。この二つの相反するが如く見える傾向の、どの程度に折合ひ得るかは極めて興味ある問題である。
法律から云へば、増加思想のみ發達して、科學的知識の生半可の普及が一番恐ろしいわけである。
現代の結婚の諸相は、幾多の問題を法律家に提供して居る。堕胎も蓋しその重要な一であらう。
最後に、事件數で云へば東京は先に云った通り割に少いが、東京近くでは茨城縣と長野縣とが著しく多い事に注意をうながしたい。
ことに女工を多く使用する工場のある地方にその數が多いのである。
之は單純に「女工の不身持」と片付けられない。「不身持」にならなければならぬ理由がある。
當局者はたゞその堕胎罪を檢擧する外に、何故に彼女等が然く貞操を亂すか、何の力が彼女等を不身持にせしめるか、を一考すべきであらう。
注)明かな誤字脱字は訂正しています。故意の可能性があるものはそのままとしています。
「同性愛考」
「婦人サロン」 1930.09. (昭和5年9月号) より
同性愛に就いて今迄讀んだり聞いたりした事を順序なく述べて見やう。無論僕は其の方面の學者でないから學理的な議論をする積りではない。然し學理的でないだけに多少の興味を却って惹起し得るかも知れない。
一體性に就いての學者の説にはどうも同性愛に同情がないのが多い。比較的早く我邦に紹介されたクラフトエビングやアルベルトモルなんかはどう考へても同性愛者を病人以外には見て居られないらしい。無論同性愛が病的なものだとすればその説はそれで正しいのだらうが、その方面の學者でない人間から氣烟をあげて居る人たちが多いのは面白い現象だと思ふ。例之、エドワード・カーペンターの如き、全くむきになって居るやうに見える。
學者のやかましい議論はさておいて、常識的には、同性愛といふ言葉を明らかに二つの意味に區別すべきだらう。即ち「同性間の戀情」と「同性々慾」との二つである。
世の中には、全然同性愛に興味をもたない人がたくさん居る。さういふ人々は、かういふ話題は聞くも不愉快だと主張する。さういふ人達には例之この稿なんか全く興味がない筈なのだが話と違って文章だから、讀まれる氣づかひ更になく、從って怒られる心配もない。
まづ十人の男が集ると、七人まではこの話題は面白くないらしい。女性に就いては詳しく觀察しないからわからないが。
次に「同性々慾」は判るが男が男に戀するなんて事は判らない、と主張する人達が居る。さうかと思ふとその逆に、同性戀情は判るが、性慾なんて考へたこともないといふ人がある。
かういふ人達は各自自分の解釋した同性愛を唯一のものと考へて議論をしたがる。
兩方が判ってゐる人を、斯道のわけ知りとでもいふべきであらう。
同性々慾が判るといふ人達にも二群ある。一つは所謂代用的意味のもので、元來は米のめしが食ひたいのだが腹がへってたまらぬからとりあへずパンで間に合せるといふやつ。異性が全く入り込んで來ない寄宿舎、兵營、刑務所などの中で行はれる同性間の性行だが、この人達は一旦、さういふ所から飛び出せば直ぐに米のめしの方をえらぶのだから、眞實のウールニング(同性愛者)でない事無論である。
で、この人達の間には戀は全くないのだ。
もう一つの群はウールニングの人たちで、同性に對して異性同様、又はそれ以上の刺戟を感じるのである。これに就いては後に述べる。
同性戀愛に共鳴する人達にも二群がある。「人は異性をを抱く前に同性を抱く」と云はれて居るが(尤も、一生同性を抱かぬ人たちがたくさんゐる事は前述の通り)、つまり、少年、青年時代に、友だちに對して漠然と淡い戀情を感ず人達。かういふ人々はこの戀情をたゞの友情と解して居る。
高等學校時代に、「友情」なんかを論じて手を握り合ってゐるうち、何となく、相手がなつかしくなるものだがしかしまもなく、異性に對して愛が目ざめ異性から來た手紙をその親友に示しながら、「これが僕のゲリープテさ」などと云ひ出す頃は、同性愛の方はもはやたそがれである。
此の程度に同性愛を知って居る男性は可なりあると思ふが、女性間にありては、もっと濃厚になるものらしい。一體女性は「愛する」より「愛されたがる」ものだから、男性の同性愛が多く年上の者から求愛するのに反し、女性にありては年下の方から上に向ふ方が多いやうに考へられる。
次にこの一時的、又は友情的同性愛に對して、全く趣きを異にする同性戀情がある。
之は丁度、普通の男子が何歳になっても異性に戀するやうに、いつになっても同性の美にうたれる人々の心情で、即ち眞實のウールニングといはれる人なのである。
眞の同性愛者としてて極め付けの人々はずゐ分あるが、種々な著書に依って間違ひのないのはまづ、ミケランヂェロ、シェークスピヤ、チャイコフスキー、ホイットマン、オスカー・ワイルド、モンテーン、シューベルト、ベーコンなどである。
藝術家の中に多いのは注意すべき事だけれども、英雄豪傑の中にもある。アレキサンダー大王、ジュリヤス・シーザーのやうな例だ。まあこんな實例は、その方面の著書にゆずることにするが、著書の中で、ヘーヴロック、エリスの本に從ふと、片っぱしから大抵の偉人が同性愛者の仲間に入れられてしまふらしい。誰だったかの本に、ゲーテも入って居たけれど、ゲーテはどうも斯道の大家ではなかったようだ。基督を斯道の人として取扱った書には確に一理あるが、僕は孔子をこの道の人として何故取扱って居ないかを不思議に思ふ。
孔子の言行録たる論語の一卷は、彼が同性愛者だったと見る事によって著しい色彩を帶びて來る。此の點、斯道の禮讃者たるカーペンターの著書にすらないのが遺憾だと思ふ。
自分の最愛の弟子が死んだ時、孔子は慟じ哭した。無論、最愛の弟子顏回の死によって我が學説が傳はらなくなるだらうと思ったかも知れない。けれども、單に左様な功利的な意味からでなく、孔子の回に對する愛が異常なものだったと解した方がいゝのぢゃないかしら。又さう解した方が孔子を人間らしくするのぢゃあるまいか。兎も角孔子のなげき方は決して一通りではない。
ともあれ、同性愛といふ言葉は最近まで正解されず、社會から忌まれ憎まれて來た。だから孔子をかく解する事は一種の冒涜かとも思はれるかも知れない。けれども僕は論語の一篇に此の傾向がある事を見逃せないのである。(一つ一つ論語の中から例をあげたいのだがここには省く。)
我國の歴史上の人物に關しては斯道の研究が十分でない爲にはっきり知る事が出來ない。
我國の斯道の學者によって著はされた著書によっても同性々慾と同性戀情とが區別されて居ないのでどの程度のものだったかゞはっきり判らない。
「戰國時代あたりから男色の風が盛ん」と傳へる文書もあり西鶴によればはるか昔だし、馬琴は弘法大師が輸入したなどとふざけて居る。
三代將軍家光、織田信長、太田道灌、などが著しい例にあげられて居るが、この連中がはたしてどの程度のものだったか判らない。
醒醉笑の、「稚兒のうはさ」によれば、法師連の間では、普通だったやうだけれども、之はさきにあげた(※7文字空白)だったのではあるまいか。
芝居が出來てから、役者の間に行はれはじめた事も公知の事實で「そんな、(※5文字空白宇)狹い事でどうなる」といふ言葉が、芝居の役者の仲間のある種の行爲から出て來た位だから芝居道にはつきものだったに違ひない。
けれども、この中にほんとうの戀のあった事實が餘り傳はって居ないのは遺憾である。
一篇の物語にすきないが、「しづの小田卷」一名三五郎物語の中には、戀々切々の情が描かれて居る。あの程度に二人の同性が結びつけられてゐるとすれば、正しくウールニングの名をはずかしめずと云ってよろしからうと思ふ。
芭蕉に付いてはかなり論がある。彼れをその仲間でないと極力否定した文人があったが、どうもその人は同性愛といふものを汚はしいといふ意識をもって居たやうに思はれる。まづ芭蕉も同性愛者の一人だったと見る方が自然に近いやうだ。
ところで現代我國の有様は如何か。
無論同性愛者の跡は絶えない。増して居るか減って居るかは統計的に調べた事はないからわからないけれども、たしかにかなりの人間がこの方面に趣味をもってゐる。
たゞ注意すぺきは之等の人々の多くは、カーペンターの云った如く、同性愛の社會的意義に就いて考へて居ない。自分自らを變態性慾者とあきらめ、自分の行爲を恥ずべしとなし、出來るだけ人にかくれて凡てを行ってゐる。從って、大都會に於いて、たとへば東京に於いても、かういふ人々は、つゝましやかに闇の中を歩いて居るのである。
現今の我國には、男娼制度が設けられて居ない。
法律上、同性間の性行を罰してゐない我國にこの制度が現今無いのは(公然としたものが)注意すべき現象と云はねばならぬ。
湯島のかげま茶屋の話、よし町の待合茶屋の話、凡ては昔の夢である。
ヨーロッパ大陸の法制によれば、合意の上であっても、同性間の「不自然的淫行」は罰せられる。(同性間の性行を不自然 widernaturlich と名付くる事の當否は立派に問題となり得る)この條文に對する攻撃はかなり諸方面から擧げられてゐるがともかくドイツ刑法などには明かにさうなって居る。イギリスでも罰せられる事になってゐるらしい。でなければワイルドは獄中記を書かずに濟んだ筈である。
この點に關して、同性愛者は我國の法律に感謝していゝ。我國の法律は、同性間の問題を、男女の私通と同様に見て居るのである。かういふ點に於いて、たとへば、ウルリックスやワイニンゲルやカーペンターの見方を以てすれば我國の刑法はヨーロッパのそれに比してはるかに文化的なものと云っていゝのだ。
ところで男娼の制度ほ全く癈せられゐるヨーロッパでは、(無論私娼だが)却って之があるやうだ。
なくてもあっても、我國に於ける同性愛者は必ずしも不自由を感じては居ないやうである。
現代に於いても無論僕がはじめに云ったやうに、同性間の戀と性慾とは常識的には區別しなければならない。
戀が一番芽ばえるのは何といっても青年の多い學生、店員、役者の仲間であるらしい。
僕の考へるところでは「同性の戀」が「異性の戀」と著しく異る點は、同性間にあっては、愛人間の知識程度が、常に、平衡し得るといふ點にあると思ふ。(無論平衡しない場合もあるが)男女間にあっては通常、知識の程度が一致してゐない。從ってその戀愛には知的要素といふものは見出せない。ところが同性間ではさうでない。例之、學生同志の間にあっては、愛し合ふと同時に知識を互に啓發し得る物である。
同性の愛人をもってゐるためにまぢめに勉強が出來るといふ現象がある。さうでない例で云ふと、スポーツマンの間にこの愛が生じると二人とも立派な選手になる事がある。つまり同性間の戀愛の場合には、常に共同戰線に立つ事が出來るといふ事實が生じるのである。
若し假りに、同性愛を忌むべしとなし、汚はしとなすならば現今の教育家は、注意力をもう少し大にしなければいけない。教育家たちは不良少年と極めのついた學生が善良な少年に近付く事のみを警戒してゐるけれども之は誤りである。秀才と云はれる年長の學生が、下級生に近づくのをより深く防ぐべきであらう。
何故ならば、同性愛的傾向をもつ學生が、中學、高等學校時代に非常に頭腦のよさを示す例が澤さんにあるからである。否、學生時代ばかりではない。さきにあげた藝術上の偉人とまでは行かないでも、ウールニング的傾向をもつ人々の中には、頭のいゝ人間が非常に多いといふ事實を見逃してはいけない。
「かく學生の場合、上級の方が通常男性的で愛せられる下級生の方が女性的だ」などと書いて居る、我國のいゝ加減な著書に迷はされてはいけない。全く反對の場合だってある。愛する方より愛せられてゐる方がはるかに男性的な例がいくらでもある。たゞ學生間に於いて異った年の者同志の愛の成立には、たった一つ、どこか年上の者が「尊敬される」所をもって居ればいゝのである。例之、學力優等とか、品行方正とか、野球の選手だとか、水泳がよく出來るとかいふ事である。
女性間に於いては、戀愛の濃さが著しく烈しくなる事がある。之にも無論尊敬の念が必要なのだが、女性間では、往々學生同志でなく、女教師對生徒といふやうな例が見出される。
同性心中が女性によって多く行はれるから女同志の方が男同志より誠實なのだらうなどと考へてはいけない。一體女の同性心中には他の要素が加はってゐる場合がたくさんある。一方の身の上が哀れな事にでもなって來ると、急に片方も悲しくなって來て、センティメンタリズムにさんざん浸った揚句、それでは共にといふ事に、割にたやすくなるものらしい。
同性の戀情を描寫した典型的な例として僕は次のものを擧げておく。
シェークスピヤがW・Hに捧げたソネット
ホイットマンの詩「草の葉」
ミケランジェロが、トマソ・デ・カヴァリエリに捧げたソネット
レイハントが學生時代の回想録
フレッチャーが亡友を悼んだ詩
此の最後のものには實に切々たる戀情が示されて居る。
同性々慾者の現代の傾向はどうか。
上に述べたやうに、彼らは多く闇を行くのではっきりした事が判らないけれども、東京市内では職業としてさういふ事に從事してゐる人々の居る事は爭へない。
淺草公園の××や×××の一角に夜八時前後にかういふ一隊が出没するといふ事は公知の事實になってゐる。
一體人間は、戀愛とは全く別に、性行爲といふものが出來るやうになってゐる。(殊に男性に於いては然り)
誰だって毎夜遊廓で登楼する客の凡てが娼妓に戀してゐると思ふものはあるまい。
所謂陰間買ひも全く之と同様なので、かういふ職業者を相手にする限り、色も戀もないので、たゞ問題になるものは金錢ばかりなのである。
女が食ふに困って淫をひさぐやうに、男でも金がほしいからこんな事をやるのだと云ってゐるものもある。
斯うやって行かなければ食って行かれないとは悲惨な話である。
けれども、かういふ事に全然趣味のない人間には如何に生活の爲といへどもこんな事は出來ない。少くも他の道をえらぶだらう。だからかういふ職業に入るものは、周圍の環境が多少ともかういふ趣味をあほる生活をしてゐる人たちに多いやうだ。
それならば、客の方にはどんな人たちが多いか。
無論、先天的に同性々慾を感じるものが行く事は考へ得る。けれども必ずしもさうでない。さんざん遊んで女色にあきた人間が、好奇心から出かけやうといふものもある。又このごろの流行の猟奇趣味といふのに驅られてのりだず手合いもあるだらう。
ところで、客の年齢が一定して居ないのは無論だが、職業者の方も亦決して一定して居ない。
十六七の美少年ばかりが現れて來ると思ったが最後大變な失望に陥るだらう。
一般の人は客は常に active だと考へるかも知れないが、事實はさうではない。驚くべき事に彼等の所へ行って自ら passive でありたいと希望する堂々たる紳士が居るさうだ。闇に動く人たちはこれに對していづれの希望でもかなへられるのださうだから其の點、頗る便利なわけである。
かうした人達がしかしこのごろでは流行の尖端たる銀座街頭に進出して來たといふ話である。
僕の知ってゐるある美しい青年の話によると、彼は、銀座で四十五六の紳士態の男に秋波を送られたさうだ。その男が active なら話はわかるのだが、青年の談によると、裏通りへ出て××橋の近くの暗やみ迄來ると、妙な要求を持出したといふのである。それは正しく passive のものなのだ。
「それで一體君はどうしたんだい?」
と僕がきくと、その青年は笑ひながら
「まあ、何とかしてやるにはやりましたがね」
と答へた。之には僕も眉を顰めざるを得なかったが、恐るべき世の中である。
職業者達の一番歡迎するのは外國人らしい。一體我國に來る外國人にはずゐ分けしからん事をする人間が多いが、ともかくこの一派の上華客(じょうとくいきゃく)は外國人で、金の切ればなれがいゝんださうである。だから外國人が出動する時(これは日が定ってゐるさうだ)には、邦人は、ふられることになる。
ヨーロッパ人は、自國の法律で禁じられてゐる所を、我國で默許されるので一さうのさばるのらしい。一口噺のやうな實話がある。
或る青年巡査が×××公園を歩いてゐたら一外人に
「ケイカン、ケイカン」
と呼ばれた。行って見たらその外人が五圓札を手にもってしきりと妙なまねをする。
ここに至りてその巡査ははじめて、外人の呼んだ言葉が「警官」といふ意味ではなかった事を知ったとある。
餘り長くなるからこの稿を一まづこゝで打切るが僕は最後にはっきり云ひたい。ことに全同性愛者及び之を研究する人とに對して云ひたい。
君らはまづ同性愛が何ものなるやをはっきり知らねばならぬ。而して、たゞいたずらに自ら恥じたり、かくれたりするの愚かさを演じてゐてはいけない。Homosexuality といふ事の社會的意義をはっきりつかまなければならぬ。
批評家連も同じく、まづその本體をつかんで然る後、之を價値づけるべきである。
我國で出されたいゝかげんな著書に誤られて、いゝかげんな事を云って居てはならぬ、と。
僕はここににさういふ人達が是非共讀むべしと思はれる著書をあげておく。
Edward Carpenter
Intermediate For Jolaus (An Anthology of Friendship)
Havelock Ellis
Sexul Inversion (Psychology of Sex 叢書の第二卷)
Hirschfeld
Homosexualitat
Gleichen-Russwurm
Freundschaft
FlaZeck
Freundschaft
尚、終りに法律家に對して
我國では同性愛は法律問題にならないが、ヨーロッパではそれが立派な刑法上の問題となる結果、種々な論文がある。
Wulden
Sexualverbrecher
のホモセクシュアリテートの全部、古いのではクラフトエビングのもの等。
なほ、僕の知る限りに於いては、同性愛に關してドイツで、Doktor wurde の請求論文がずゐ分出てゐるらしいが、之が大審院の圖書館に可なりある。その多くは
Ueber widernaturliche Unzucht,
といふ題名をもってゐる。
僕が邦語の文獻をあげなかったのは決してペダンティッシュな意味ではない。邦語の文獻ではついて見るべきものがないからである。
(一九三〇、六、二七)
注)明かな誤字脱字は訂正していますが、カタカナ表記やアルファベット表記はほぼそのままとしています。
「再び同性愛に就いて」
「婦人サロン」 1930.11. (昭和5年11月号) より
一 何故余は再び語るか
本誌九月號に「同性愛考」なる一文を發表して以來、余は數通の書簡を、未知の讀者から受取って居る。その遠きは日本のはづれ、その近きは余の居住せる東京市からであるが執筆者はいづれも男性で皆可なり極度のウールニング(同性愛者)である。
而して、その余に與へられた書簡には、凡て自己の體驗が書かれ、その煩悶が記され、さうして最後に、此の煩悶を如何に解決すべきかについての救濟法を求められて居る。
全然未知の余に對し(少くもその人達の信ずる所の據れば)自己の恥ずべき性質を赤裸々に表し、凡てをはっきりと記す事は餘程の勇氣と決斷とを要する筈である。同時に、その人々の苦痛がどの位まで深刻のそれらの人々を苦しめて居るかといふ事を察するに難くない。
十人の中、否、百人の中の幾人がこの勇氣をもち得るか、余は與へられたる書簡の、幾倍幾十倍、おそらくは幾百倍數の同胞が、これらの人々と(程度は異るにせよ)同じ苦しみを味って居る事を痛切に感じないわけには行かない。余をして再びペンを執らしむるに至ったのは、このかくれたる切實なる要求なのである。
二 動かし難き事實
與へられたる書簡は、符節を合せたるが如く殆どどれを見ても同じやうである。無論その教養、年齢により人生のコースは皆異ってゐるが問題の立方考へ方凡てが同じやうである。この凡てに共通せる點を列擧すると次の如し。
一、ウールニングは、各自が、自分たった一人だと思って居る。即ち、「同性を愛するのは世の中で自分たった一人だ」といふ孤獨感に常に苦しめられて居る。
二、彼等は自らを不具者だと思って居る。人に(殊に父母に)語れぬ悲しき不具者だと信じて居る。然らずんば、一生呪はれた病人だと嘆じてゐる。
三、彼等は自ら恥ぢて居る。「世にも恥かしき私」「人交りの出來ぬ私」といふやうな言葉がどの書簡にも必ず出て居る。
四、多くのものは一應醫者に罹っては居る。然し、滿足な結果を得られない。
五、余に書を寄せられた人々は或る者は「全然異性に對して冷淡である」と記し、或る者は「女人嫌厭の感がある」と記してゐる。(之余が、いづれも極度のウールニングといふ所以である)然るに(讀者よ、注意せよ)周圍の無理解と本人自身の無理解により、その或る者は結婚した。その或る者は結婚せんとして居る。結婚した者は子を儲けて居り而も破鏡の恨みを味って居る。
六、或る人は、自己の孤獨感と周圍の無理解による壓迫との結果、煩悶の極、二度迄自殺を敢行した。「不幸にして未遂に終った」と記されて居る。
これ等の手紙が決して出鱈目でない事は、その書方の迫り方、眞實性によって余は確信するものである。
これらの事實は如何なる問題をわれ等に與へるか。
三 社會問題としての重大性
余は同性愛の本質を論ずるにさき立ってまづ右の事實を讀者の前に展開した。而してこの事實の有つ社會問題としての重大性(Importance)を特に考慮に容れられむ事を望むものである。
同性愛者の數がどの位あるか。此の點に關して余は何等統計を調べた事はないがここにカーペンターの一文を引用する。
「一般の人々の考へるとは反對に、本問題の研究の第一歩に出て來る事はウールニングの實在數は決して少くない、といふ事實である。たゞ彼等は社會の表面に表れず、その下にかくれて大きなグループをなしてゐるといふ事實である。彼等の實際の數を確定する事は甚だ困難である。これに種々な理由がある。一つは、同性愛に對する一般社會の無理解のため彼らは、自己の本性を出來るだけかくさうとして居るといふ事。今一つは、この人々の數は國によりて異るのみならず、同じ國の中でも階級によりてその數の割合が違って居るからである。
ドイツのグラボウスキーは、普通人二十二人の中に一人の中性(男性女性の間にあるもの即ちウールニング)數えて居るがアルベルト・モルは五〇人の中に一人乃至五〇〇人に一人といふ限界を定めて居る。之等は異性に全然興味を有たぬ者ばかりの話であるが、若し、異性に對しても同性に對しても興味をもつ人々を數へたならば其の數ははるかに大となるであらう、(The Intermediate――sex.pp.21−22)と。
假りにアルベルト・モルの數へた最小限度の五〇〇對一といふ比率をとりて我國の人口に當てはめて見ると、我國に於けるウールニングの數はどの位になるか。世人は一考して見る必要がある。
我國の全人口の中、五〇〇分の一の人々が若しさきにあげたやうな苦痛と煩悶とを懐(いだ)いて、教うる人なく導く者なくたゞ我が身を呪ひ世を呪って居るとしたら如何。
居るとしたらではない、恐らく凡てがさうだらうと余は信ずるのである。
四 世の男性に對して
余は世の男性に對して彼等の爲に訴へる。我が同胞中に斯の如き恥と煩悶と孤獨感と苦痛に一生をさいなまれて居る人々が多數に(然り! 少くも世人の考へてゐるよりははるかに多數に)存在して居るのである。
後に述べるが如く、ウールニングは決してなすなきセンチメンタリストばありではない。女のやうな男ばかりではないのである。その人々――若し彼等がほんたうに自覺したならば世に貢獻し文化を進め得る所の有爲の人々――が、自己並に世人からの理解のない爲に社會の表面に出ずに苦しみ、つひには自殺をすら企てるに至るのをこのまゝ默視すべきものであらうか。理解なくたゞ彼らを變態性慾者と呼んで侮蔑して居ていゝものであらうか。
假りに百歩を譲りて彼等が悉く不具者であるとするならばなほ更健全なる人々は彼等の救助に赴くべきものではないか。たゞ徒にこれらの人達を侮辱する事は決して正しい事ではあるまい。
問題は如何にして救ふか、である。之が爲にはまづウールニングの研究をせられたしと望むものではない。けれどもウールニングの眞の理解といふ事は近代社會に於ける最も迫った問題なる事を考へてほしいと思ふのである。
同性愛の社會問題としての重大性は女性問題の社會に於けるそれと同じく少くも並んで研究せらるべきであった。女性の問題は既に論ぜられて居る。華々しき女性の中からは近代社會に對して幾多の闘士が送り出されて來た。
同性愛の研究は決して醫師のみに任せておくべきものではない。決して性慾學の範圍中にのみ論議せられて居るべきではない。
況んや近代のエロティックやグロテスク趣味にさそはれて之をジャーナリステックにのみ興味づけるべきものではない。
問題ははるかに眞摯である。眞面目に論議せらるべきである。余は最もモダーンな切迫せる問題として homosexuality を論ぜざるを得ないのである。
五 世の女性に對して
余が湯臺として今取扱って居るところは、男性のウールニングであるからして、之を主題として女性に余は敢て警書したい所があるのである。(從って反對に、女性のウールニングを主とする時は、反對に同じ事を男性に對して云ふ事になる。なほ前項、「男性に對して」は無論、主題を女性のウールニbグにすれば「女性に對して」とかへればいゝのである)
極端なるウールニングに於いては、女性に對して嫌厭を感じるかそれほどではないにせよ、全く冷淡であり得るのである。從って彼らが如何なる意味に於いても全然異性と没交渉である限り、女性とは何らの問題はない筈である。と、一應考へらるゝであらう。
然るに、社會は複雜である。然く簡單に事は決せられない。
斯様なウールニングが、異性と結婚するのである。人の夫となるのである。而も父とすらなり得るのである。
余の此の言は或は信ぜられぬかも知れぬ。然しながら余は既に斯様な實例を三つまで、直接書を受けて知って居る。カーペンターも亦その著の中で、クラフトエピングのあげた實例を書いてかう云ってゐる。
Then he goes on to say that such men, not with standing their actual aversion to intercomes with the female, do ultimately marry ―― either from ethical, as some times happens, or from social considerations.
余の受けた書の中に、或る者は最近結婚せんとしてゐるが煩悶してゐる、といふのがある。
文化の中心に遠い田舎の、殊に教養のない人々の中に、かやうな例の有り得る事は、讀者も想像せられ得るだらう。即ち、周圍の者――例之、親、親戚等から、年頃になったといふので結婚を強ひられ、配偶者を選擇されてしまふと、自分の本性を明かにする勇氣のない男性は、苦しみはしながらも、つひには女性と同棲するに至るのである。奇蹟を夢見ながら――即ち同棲したらどうにかなるだらう、といふ位の考へで!
而て、かくの如き結婚は當然推測せらるゝ如く、極めて不幸なものなのである。結局は、冷い家庭を作りつゝ一生を我慢するか、又はつひに離婚するといふ事になるのである。
余はこの點に關してこの場合ウールニングたる男性の責任を考へたい。而て、どの程度に於いて彼を責むべきやを考へたい。然り、責任は正しく男性の側にある。然しながら、彼のこの過失は結局彼の無智より來るものではなからうか。
しかし、何が彼をかくまで無智にせしめて居るか、いふまでもなく全社會がそれにふれてゐないのである。世の中の誰もが彼にその本性を教へてやらないのである。
ここに於いて結婚問題についてもウールニングの問題は甚しき重大性を帶びて來ると考へられる。
種々な理由からして、法廷に現れる離婚原因に、homosexuality が出て來るといふ例を余は餘り聞いてゐない。
しかしながら、これが眞の原因で離婚となったものが、世の中に幾組幾百組あるだらう。
一番いけない事は、別れた後にも、なほ女性の側が家庭の不和の眞の理由を理解してゐない人々があるといふ事である。
性病もつ男子に對して拒婚同盟といふものがかつて作られた、といふ事を余は聞いた事がある。
この同盟を作る事の價値は無論問題になり得るだらうが、性病を有する男子と、結婚せざるの良き事は云ふを俟たない。
然しながら、極端なるウールニングと結婚する事の望ましからざるは更に更に強調せらるべきではないか。
性病は治癒すべからむも、極度のウールニングの性格は決してかはるものではないからである。
甚しきウールニングは結婚しないのが一番正しい。けれども男性の側に於いて之を知らしめず、發表しないとすれば、女性は自らを擁護すべく、適當な方法を講ずべきであらう。
余は男子にこの場合責任ある事は明かに認める。が、先に述べた如く、男子も亦自らその過去を知らない場合が有り得るのであるから、(即ち、自己の本性を掴まないから)女性の方に於いては、斯の如き結婚の犠牲にならぬやう警戒しなければなるまいと考へる。
然らば、如何にして之が對策を講ずるか。結局、女性の側に於いて、男性のウールニングの心理を知り、研究しなくてはならない、といふ事になるのではあるまいか。
六 世のウールニングに對して
余は、送られた數通の詳しき書面に對して同一の事を一つ一つ書くの煩を避ける爲に、ここに一文を草して返事としたい。
勿論、余と雖も、私信にすべき返事を本誌上に於いてなす事の正しくない事は知ってゐる。けれ共、一方に於いて、余は書を送られた諸氏以外に、幾多の同じやうな性格の人々のある事を十分推知し得るが故に、敢てここに本誌の一部を汚したいと思ふのである。
第一に諸君が考へねばならぬ事は、自分の同性愛の程度の問題である。云ひかへれば自分がどの程度のウールニングなリやを把握すべしといふ事である。一言にウールニングと稱するも決してその程度は同じではない。さきに述べた如く、極端な場合には異性に對して嫌厭の情さへもつ。けれども、異性に對しても同性に對しても同じやうな愛をもち得る程度のモデレートな人々もあるのである。
それ故に、第一の問題は自己をよく知るといふ事である。
第二に、同性愛者は、度々述べた通り決して少數ではない。此の事實を知って諸君は先づ自らの孤獨感をふりすてゝよからう。これは重大な問題である。「たった一人」といふ感じは、世の中でおよそ淋しい苦しい感じの一つである。世のかくれたる默したウールニングは、この孤獨感よりまづ救はれなければならない。
第三、余の考へるところを以てすれば、(無論之は余の創見でも何でもなく、外國の著書の知識だけれども)同性愛は病氣ではない。性格である。この點に關して醫師の著書には異論があるだらう。余は科學者に非ざるが故に、科學的に見て同性愛をあくまでパトロギッシュに考へらるゝ方があるならば決して反對はしないけれども今の處、余は病氣とは信じない。性格だと信ずる。從って、先天的のものにあっては治療するの途なしと云ひたい。
此の斷定は一方に於いて甚しく絶望的である。(しかし何ら悲觀する必要のない事は後に述べる如し)
同性愛が精神病、神經衰弱と伴ふ事は屡々ある。けれどもそれだからと云って同性愛を精神病、神經衰弱の結果であると論斷するのは輕卒である。むしろ逆な例が多くはなからうか。
例之、余に書を送られた人々は、自分がウールニングである爲に皆神經衰弱にかゝってゐると思ってゐる。甚しき例は自殺未遂である。之は同性愛といふ事に對する理解がない結果、神經衰弱に罹ってゐると見るべきである。
第四、余は、余に書を寄せられた諸君に對して逆にこちらから反問したい。諸君は何故に同性愛たるを恥づるかと。何故に君らはさやうに恥ぢなければならないのだらう。異性を戀し得ない事がどうして恥づべき事になるのだらうか。
余は第一にこの「自ら恥づる事」を恥ぢていゝと思ふ。
余は同性愛を病氣ではないと云った、
而して余は、それを治療する必要を認めないのである。(必要としても現代の醫學の力で之がなほるものかどうかを疑ふのであるが之は別問題である。諸君は各自の性格をもったまゝ勇氣を以て人生を進むべきではなからうか。而して極端なるウールニング者に對しては、余は斷じて結婚すべからずと云ひたい。
甚だ冷酷なやうに聞えるかも知れないけれども余はこの點は特に強調して云ひたいのである。
何故ならば、ウールニングが結婚するといふ事は、自分自身を新しき不幸に陥れるのみならず、罪なき異性を一人犠牲にする事になるからである。
第五、同性愛は病氣でないと同時に、同性愛者は不具者ではない。余の考へに從へば極端なるウールニbグに於いても必ずしも不具者と名付けらるべきものに非ずと信ずるのである。
われわれが sexual organ を有する以上、人間は常に子孫の繁殖といふ使命を存する如く一應は考へられる。けれども本來斯様な目的で授けられた器官にして、今は必ずしもその目的に向けられぬものがある。或る人々にとっては必ずしもその使命は與へられては居ないと考へる事も可能である。さういふ人々は子孫を殘す事の代りに他の方面に於いて社會に貢獻する道があるやうにも思はれる。(この點に關しては余はカーペンターの書の一讀を特にすゝめたい。)
もし、結婚なし得ざるが爲に不具者と云はれるならば、結婚しても子を生み得ぬ一般の男女も亦不具者也と云はれなければならない。
第六、異性に交渉をもち得ざるものが然らばその性的生活を如何になすべきか。
之恐らくは最もウールニングの知らんと欲する點であると信ぜられるが本稿の性質上、この點に關して詳述するのを避けなければならない。たゞ余は外國の書物に外國の法制につき論難のある事を申しておきたい。
イギリスでもドイツでも「男性間の不自然淫行」なるものが刑法では罰して居る。
この法律は少くも二つの意味に於いて論難せらる。即ち一は同性間の Intercourse を何が故に惡事となすか。次は、もし同性間のそれを罰すべしとなすならば、何故特に男性にのみ限りたるか之不公平といはざるべからず、といふのである。(ドイツ刑法には明かに條文をp以て男性間と表して居る)
この點については我が刑法典は非難さるべきでないだらう、と思ふ。
最後に余は云っておく。世人が如何に本問題につき注意せんとしても主人公たるウールニングの方に於いて自己をくらましてごまかして居ては、その目的は達せられぬだらう。
余は同性愛者が何らかの方法に於いて、自己の立場を明かに世に向って發表せられむ事を望むのである。
之には勿論、容易ならぬ勇氣が要るだらう。
余は他日かくの如き勇者がウールニングのグループより現れむ事を期待する。
七 同性愛に就いて
同性愛に就いて世人がほんたうに注意しはじめたのは極く最近の事である。はじめ之は科學者によって認められた。病的なウールニングが先づ認められたため、ウールニングを凡て病的なりと信ずるやうになったのである。而して、醫師以外の人によって本問題が取扱はれはじめたのは更に最近である。
同性愛者はたゞ戀愛の方向が一般人と異なるだけで他の點は少しも違っては居ないのである。(無論全然病的なものもあるけれども)
從って、「ウールニングは意氣地がない」とか「ウールニングは頭が善い」とかいふ全稱的斷論は避けなければならない。普通人にえらいのとえらくないのとあるやうに、ウールニングにも亦たくさんの種類がある筈である。
此の人々から出たえらい人といはれるのは藝術家として、シェークスピヤ、ミケランヂェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、チャイコフスキー、ホイットマン、王者としてアレクサンダー大王、ジュリヤス・シーザー、チャールス十二世(スウェーデンの王にして北歐の猛獅とよばれた王)、フリードリヒ二世(プロイセン)、エドワード二世、ジェームス一世、ウイリヤム三世(英吉利)等である。
(之等に關して余は、エリスの著書、ヒルシュフェルドの著書をすすめたい。)
我國に於いて、同性愛を社會問題として取扱はれた例をあまり見ない。
余の記憶にして誤りなくんば、余は一高の學生であった頃、本郷通の一書店に於いて、山川均氏(もしまちがってゐたら御訂正ありたし)の譯にかゝるカーペンターの「同性愛」を見た事がある。
カーペンターの著はまさに本問題を社會的に取扱って居る。余はこの書の一讀を世人に特にすゝめたい。邦語譯はおそらく前記山川氏のものが唯一ではなかったかと思ふ。
同性愛に關しては、云ふべき事多くして與へられた紙數の少なきをうらまねばならぬ。余はまだ明かに、同性愛そのものについて、詳述して居ないやうな氣がする。しかし、之を詳述せんとせば恐らくは一本を著すもなほ云はんとする事多きにすぐるを嘆ずるばかりであらう。
余は明かに云っておく。余は本問題の特別なる研究者ではない。從って余の述べた點につき恐らくは誤りが多いだらう。それらに就いては、多くの方々よりの御叱責を賜りたく、御叱責あらば直に誤りを訂正しようと思ふのである。
然らば、斯の如き自信なき余が何故に本問題について二度までもペンをとったか。
一言にして云へば、余は世人の注意をこの問題に喚起したかったからである。
余のこの問題についての知識の程度に不拘、余は本問題が社會問題として重大性を有する事を確信するものである。余はたゞこの點に諸君子の注意をうながしたいのである。
余は本稿を以て捨石となすものである。余の淺學菲才なる、何ぞ敢て本塁を踏まんとするの暴擧に出でむや。余はたゞ犠牲打を放つのみ。
大方の君子よ、余は切に望む、誰か本塁に進み給はん事を!
八 参考書に就いて
終りに、今一度、同性愛に關する文獻をあげておく。
〇Krafft-Ebing, Psychopathia Sexualis
之は所謂變態性慾に關する有名な、而も可なり古い本である。英譯がある。邦譯としては文明協會から「變態性慾論」として刊行された事がある。勿論全譯ではなかったと思ふ。(今邦譯が手許にないのではっきりは云へない。)
〇Havelock Ellis, Psychology of Sex.
2nd Volume "Sexual Inversion"
本書は全部で六卷、その第二卷が全部同性愛に關す。實例の多き事、引證多岐に渡れる事に特色がある。
獨文のものあり。
Homosexualitat(Die sexuelle Inversion)
といふ題名を有す。
たしか邦譯もあったやうに思ふが、はっきり記憶せず。
〇A.V. Gleichen-Russwurm
Treundschaft
之には Eine psychologische Torschungareis と註が加へてある。大戰前に出た本で感じのいゝ贅澤な本だが、内容は右の二書に比して科學的ではないが面白い。引用はやはり甚だ多きに渡り、文學的な本である。英譯邦譯共に知らず。
〇M. Hirschfeld
Die Homosexualitat
實に詳しい。千餘頁の大冊。全部を通譯して見ないから内容については何も云はない。しかしやはりあくまで醫者らしい見方をして居ることは斷言出來る。
〇Erich Wulffen, Sexualverbrocher
法律的にして科學的な書。この中に Homosexualitat の部分がある。邦譯はないと思ふ。なほこの著者は他に文學、法律に渡る面白い本を書いて居る。
〇Otto Weininger, Geschlecht und Charakter
邦譯も英譯もある。この本の價値については自身讀みて解され度し。社會問題には十分觸れて居る。
〇Edward Carpenter, Intermediate Sex.
之最も社會問題としてとりあつかってゐる書である。余はまづ本書を推移したい。
尚この他にもあるが、それは、右のうちのどれか一冊の中に必ず引用してあるから、それを辿って知られたし。
余が邦書をあげなかったのは、九月號にも述べたる如く決してペダントリーではなく、ついて見るべき程のものがないからである。多くは右にあげた書の抄譯に類するからである。
――一九三〇、九、二四――
注)明かな誤字脱字は訂正していますが、カタカナ表記やアルファベット表記はほぼそのままとしています。
注)参考文献に就いては一部修正していますが、不明も多く記載のままにしているものもあります。ウムラウトは省略しています。
「正當防衛の範圍」
盗犯等の防止及處分に關する法の解説
「週刊朝日」 1930.05.18 (昭和5年5月18日号) より
盗犯等の防止及處分に關する法律案は、本議會を通過した。私はこれについて極く一般的に且つ合理的に解釋してみたいのである。
◇
思ふに、本法の第一條の精神は刑法第三十六條即ち緊急防衛(正當防衛)の立法精神と同じものでなければならず、また刑法第三十六條の設例的説明と解するのが正しいのではあるまいか。
元來法律の條文といふものは可なり具體的に説明されてあるやうでも、その實なかなか抽象的なものなのである。
刑法第三十六條に曰く
急迫不正ノ侵害ニ對シ自己又ハ他人ノ權利ヲ防衛スル爲メ已ムコトヲ得サルニ出テタル行爲ハ之ヲ罰セス
防衛ノ程度ヲ超エタル行爲ハ情状ニ因リ其刑ヲ減輕又ハ免除スルコトヲ得
一見明かなるが如くにして、甚だ明かでない。少くも法律に知識のない人には明かでない。
何をか「已むを得ざるに出たる」と稱するか。逃げ得る状態でもやむを得ないか。何をか「防衛の程度を超えたる」と稱するか。自己の財産を守るために相手の生命を亡くしてもよいか、貞操對生命は如何。
是等の問題に對して一應の例示を與へたものを今回の新法と見てはいけないだらうか。
本法の第一條に曰く
左ノ各號ノ場合ニ於テ自己又ハ他人ノ生命身體又ハ貞操ニ對スル現在ノ危險ヲ排除スル爲犯人ヲ殺傷シタルトキハ刑法第三十六條第一項ノ防衛行爲アリタルモノトス
一、盗犯ヲ防止シ又盗財(※ママ)ヲ取還セントスルトキ
この條項は先の疑問に對して一應の説明をなしてゐる。即ち泥棒がたゞ物をもって逃げたり、盗らうとしてゐる時に、これを奪還又は防ぐために、相手を殺傷することを認めないのである。即ち財産對生命といふことは許されない。
たゞこれと同時に生命身體又は貞操等に現在の危險が生ずれば正當防衛だ。
但し之は後の項との對照上、住居侵入の泥棒には、勿論それでなくても適用ありと見るべきだらう。戸外でも例へば強盗にあふた場合は、財産以外に生命または身體に危險が生じてゐるのだから、犯人を殺傷しても正當防衛になる。よしんば犯人が強奪した品物をもって去らうとする時でも、取還するために殺傷してもよろしいといふわけだ。
尤も戸外で強盗にあって、犯人が逃げてゆく時には財産に對する現在の危險はあるけれども、生命身體、貞操に危險がある場合は少いから盗まれたものを奪い返すために、相手を殺傷していゝといふ場合はあまりないであらう。
要するに第一項は戸外でも、戸内でも品物を盗まれやうとするか、または盗まれ物を現在泥棒がもって逃げる時、生命身體、貞操の危險が生じてゐる場合を説明してゐるのだ。しかして、この際強盗が持兇器であると然らざるとを問はない。
第二項は財産と直接關係はない。苟しくも兇器を持って家にとび込んで來る相手を、たちどころに殺傷していゝといふのである。勿論生命、身體、貞操に危險のある場合に限るが、一體兇器をもって人の家にとび込んで來れば、大てい危險を生じるといってよい。兇器とは短刀、短銃の類をいふのだらう。
一體刑法第三十六條の「急迫不正の侵害に對してやむを得ざる場合」にでも、この二項の意味は含まれてゐるのだらうと私は解釋してゐる。だから、さきにいったやうにこれは設例的説明だと見ていいと思ふ。
理窟をいふ前に例を一つあげて見よう。
甲といふ人を殺す目的で、乙といふ人間がピストルをもって、甲の家の塀を乗り越えて入って來た。扨ていつを以って急迫な侵害といふ事が出來るか。
理論的にいへば、少くも乙が甲の家に飛び込んだ時に非常に切迫した状態が生じてゐるわけだ。もし甲がこの事實を知ってゐたなら、直に逃げ出すか、または反抗するかしなければならないはずである。乙が甲の室まで來て短銃をつきつけるまで待つ必要は少しもない。
◇
吉良上野は四十七士が家の中にとび込んで來るまでぐッすりねてゐたから殺されたのである。あの時表門をとび越えてはいッて來た人間があッた時、逃げ出さなければいけなかったわけなのだ。だから、私は大體刑法參十六條第一項に既にこの精神が出てゐると解釋してゐるのだが、本條ではそれが一層明かになってゐる。
大様(※)では刑法第三十六條と同じく、この場合中は逃げる必要はない。相手になって敵をやっつけて差支へなしとしてゐる。吉良上野にすれば、だから隣の士屋家あたりへ逃げないでもいゝのだ。門をこえやうとする途端、中から四十七士を弓矢でやっつけてもよろしいといふわけである。
◇
この邊は從來の正當防衛が明かでなかったので、はっきり書いたものであらう。
こゝで一寸餘計な事をいふが、兇器をもった者が格闘の結果、こっちに背を向けて去らうとする後から、ピストルをもって射っていゝかどうかといふ質問によく出會ふ。これはやはり危險が現在あるかないかできまると思ふ。
向ふむいて行ったからといって、明かに逃走するのでない限り、必ずしも危險が去ったとは限るまい。外にゐる仲間をよびにゆくのかも知れないし、何かまた獲物をおっとって向って來る氣かも知れない。
◇
こんな場合は犯人が横を向いてゐやうと後をむいてゐやうと、ズドンとやる事は少しもさしつかへないと考へられる。之は後に第一條の後書の處で詳しく述べやう。
第三項は可なり問題になったところらしいが、これには持兇器のものを入れてゐないやうだ。假令兇器をもってゐないでも、他人の家にはいって來た人間が、相手の生命身體または貞操に危險を及ぼした時、或は拒まれたのに從はない時は殺傷されても仕方がないといふのだ。
例之、女一人の所にへんな男がはいって來て、むりやりに女を押し倒したりした時は、假令その男が兇器をもってゐないでも、側にある剃刀位でやっつけてもさし支ないといふことになる。女につッぱねられて退去しない時でも同じ。但し防衛の程度を越えてはいけないことは第三十六條第二項に書いてある。
たゞ本項が問題になったのは、侵入者がたゞ「故なく」入ったといふだけに記してあるからではなからうか。
合理的解釋としては、しかしその目的をたゞす必要はないので、現在の危險があれば足りるといふわけである。だから危險がないのに、たゞ人の家に入ってやられてはたまらない。
さて、その次に、右いづれの場合でも實際危險は客觀的には生じないでも、こッちが恐怖したり驚いたり興奮または狼狽して、その場で相手をやッつけた時には、やはり正當防衛となる、といふことが記されてゐる。
例をあげて説明しやう。
甲がかねて仲のよくない乙の所へ行って、彈丸のはいってゐないピストルを乙につきつけた。この際、實際危險は生じてゐないのだが乙が恐れて、これをほんとだと思って、自分が短刀を抜いて甲を斬った場合がこの例の一ツ。
Aがおもちゃの刀をもってBの家に入り、Bがねてゐるのをおこす。Bに頼んで金を貰ふつもり。しかしAは氣が弱いから、Bに拒絶されゝばすなほに歸る覺悟だ。目をさましたBが驚いて枕元にあったピストルでAを殺す。これがこの場(※)の例の第二。
甲の家に乙なる持兇器強盗が入った。甲は氣丈なので奮然と乙と格闘する。乙はかなはじと思ひ、甲に後を見せて逃げ出す。ところが狼狽してゐる甲は乙が外にゐる仲間を呼びに行くのだと解し、矢庭に乙の後から刀で斬りつける。これが例の第三。
右いづれの場合にも殺傷の際は現在の危險はないのだが正當防衛になる。なほ次のやうな場合がある。女一人るすしてゐる處へ、ある男が家をまちがへてとび込む。女が恐怖の餘りピストルで男をうった。之もこの例としていゝと思ふ。
◇
第二條以下は泥棒強盗の常習者に對する法律である。第二條を細く分けると常習者として泥棒をするものが兇器を携へてゐた時(之はおどかせば無論強盗になる)及び二人以上仲間を作って泥棒をした時は、普通の窃盗は一月以上の懲役だけれど、常習者の場合は三年以上それから常習として強盗をやるものが、右の二つの場合にあてはまるやうなことをした時は、七年以上の懲役に處することになる。普通の強盗は五年以上だ。
つまり簡單にいふと、常習者が持兇器若くは二人以上仲間になった時は、今までの窃盗強盗の罪に比して重く罰せられる事になったのである。
なほ持兇器二人以上のほか、常習窃盗常習強盗が他人の家に門等をこはして侵入してやった時、及び夜他人の家に侵入してやった時も同様。
第三條は、かういふ種類の人間が、その犯罪以外十年内にこれらの罪と他の罪との併合罪で三回以上、六月の懲役以上の刑の執行免除を受けたものでも右の通りやられるといふ事で、くだいていへば、今回やった罪の爲に、過去に刑の執行を受けずにすんだものでも、その免除されたという事實が滲酌されて來るといふのだ。
第四條は強盗傷人及び強姦の場合で、今までの刑法第二百四十一條前段には強盗傷人を無期又は七年以上、同第二百四十一條前段には強姦は無期又は七年以上になってゐたのだが、常習者の場合には本法によって無期又は十年以上の懲役といふ事に改められるのである。
一言にしていへばかくの如きは兇惡な犯罪を常習としてやる者を懲罰する意味であらう。
◇
以上を以て簡單ながら一應説明を終った。本法に關しての私の意見はこゝに述べない事にする。 (完)
注)(※)の判読はかなり怪しく間違っている可能性があります。他にも誤読があるかも知れません。
注)昭和五年法律第九号(盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律)の第一条の一では「盗贓」となっているようですが掲載通り「盗財」としています。全文はインターネット検索にて閲覧可能です。
「自動車を繞る犯罪」
「改造」 1930.12. (昭和5年12月号) より
現代はスピード時代である。あらゆる事が急テンポに行はれる。アルレグロ・モルトだ。交通機關も無論其の一つである。否一つではない。交通機關のスピードは現代をまさに代表して居る。而て交通機關の一なる自動車はたしかにその主たるものである。
犯罪は常に其の時代の代表的なものにその影をうつして居る。
現代のスピード化された交通機關の主たる役目を演じてゐる自動車と、現代の犯罪の一つの相とはいつも密接な關係を保ってゐる。私はここに自動車と犯罪とがどういふ工合に關係し合ってゐるかを一瞥して見たい。
便宜上私はこの二つのものの關係を次の三つの場合に分けて考へて見よう。即ち第一は自動車が犯罪の主體となる場合、第二は逆にその客體となる場合、第三はそのいづれにも属せずして而も重大な役割を演じて居る場合である。
第一、自動車が犯罪の主體となる場合。
勿論之は言葉を簡略して云った表し方である。犯罪の主體は必ず人か法人に限られる。機械である處の自動車が犯罪の主體となる、といふ事はそのまゝでは意味をなさない。之は自動車を運轉してゐる人、即ち運轉手が運轉手の資格に於いて、被告人となる場合をさすのである。之はたしかに近代文明の生んだ犯罪の一つの形である事爭ひがたい。
限られたスペースをもつ一都市に、限りなく自動車が殖えつゝあるのだ。(無論自動車ばかりではない、其他の交通機關も亦然りであるが)而て、歩行者は決して減少しては居ない。多くの場合、都市の人口は増加しつゝある。此の一事實だけを考へても自動車の増加殊に無制限の増加といふ事はある種の危險を生み出しつゝあるのを示してゐる。
歩行者對自動車、自轉車對自動車、而て自動車對自動車。これらの間は餘りに切迫しつゝあるではないか。更に歩行者=自轉車=自動車といふ三つのコンビネーションから生ずる危險の程度がどれ位のものであるか、識者は夙に觀察してゐる筈である。
之らに關して私は一つの意見を存してゐるのだが今はその點にはふれぬとして、扨この危險によって生ずる犯罪は、業務上過失傷害罪及び業務上過失致死罪と名付けられる所のものであらう。
此の犯罪は勿論自動車に限った事ではない。否、交通機關に限った事ではない。けれども現代に於いて、もし如上の罪名の件數の統計をとったら必ず交通事故と稱するものが多い事が判るであらうし、又同時に自動車によるものが甚しく多い事を發見するだらう。
過失傷害、過失傷害致死以外の事故に至っては限りない。
諸君は毎日の新聞紙上に必ず自動車の爲に一ツや二ツ人が怪我をしたり死んだりした記事をよまれるだらう。
現今の如く、歩行者の方も、自動車の方も交通道徳を重んぜず、而て無制限に車の數が増加する限りこの種の犯罪事故は増加すると考へなければなるまい。
この種のものは殆ど全部が過失事件だが、さうでなく故意の事件はどうだらう。例之、自動車を利用し、即ち兇器として殺人を行ふやうなものは、私の知れる限りさういふ實例はまだない。探偵小説にも餘り見當らない。(私自身はかツて一度之を小説に用ひた事がある)けれども、こんな場合が有り得る事、將來起り得る事は考へておいてもいゝだらうと思ふ。
結局、第一の場合に属する犯罪は過失事件であり而て、決して減少しさうもない、といふ事が云へる。
次に第二の場合は如何。
自動車が犯罪の客體となるといふ言葉で私は二ツの場合を意味してゐるのだ。少くも二ツの場合を考へ得る。その一は第一の場合に於けると丁度反對に、運轉手が被害者となるもの、その二は自動車それ自體が犯罪の目的物となるものである。
自動車運轉手が、自動車運轉手としての資格に於いて被害者となる場合! 之こそ現代、ことに最近、最も注意すべき現象であると謂はねばなるまい。
「運轉手襲はる」かういふ標題が最近盛に新聞紙上に現れてゐる。
襲はれ方にもいろいろある。
乗客をよそほって、人通り淋しい場所で車をとめさせ、脅迫するかもしくは暴力を用ひて圓タクの運轉手を無抵抗状態に陥らしめ、而してその所持する現金をひっさらふのである。無論強盗事件だ。
かういふ例が最近頻繁に増加したがその原因を世の深刻な不景氣におく人が多い。たしかにそれは一ツの理由ではあらう、しかし原因の探求は暫くおき、何ゆゑ自動車運轉手が盛に狙はれるかと云ふと、いふまでもなく、運轉手はともかく現金を所持して居ると信ぜられるからである。
流しの圓タクは必ず現金で料金をとる。さうして客の命ずるが儘に動く。云ひかへれば現金を所持して居り且つ犯行に都合のよい場所にいつでも行くのである。此の點が犯人の最も強く誘惑される所だらう。從って助手をのせてゐない單獨の運轉手はこの種の危險にいつも曝されゐると云ってよい。
興味あるは、犯人が多くの場合、全く運轉方法を知らないので、車が走って居る間は、脅迫以上の行動には出られない事である。
即ちいきなり後から頭を毆りつけて昏倒せしめ、自分が代って運轉するなり、停車するなりの行動がとれない。從って多くの場合、不意にピストルをつきつけておどして停車せしめてゐるやうである。
運轉中の運轉手をいきなり毆って昏倒させた例がない事はない。けれども數は多くない。大抵右に述べたやうな順序に出る。さうして停車せしめてからの犯人の行動にはいろいろある。脅迫して現金をとるといふ程度のものもあるけれども、運轉手が拒むとずゐ分烈しい事をやる人間がある。
今年の夏、神奈川縣で行はれたこの種の事件は可なり烈しいものだった。
疾走中の運轉手をどうもする事の出來ない例が最近京都にあッた。
先月二十五日(五年十月)の大阪朝日に次のやうな意味の記事が出て居る。
「去る十九日夜九時頃京都西院附近で客待中のタクシー運轉手日方亥之助(三十一)は三人連の客が「橋本遊廓まで六圓で行け」と命ずるまま淀川堤に沿ひ同遊廓に入ッたところ今度は枚方遊廓へ行けといふので更に疾走中、運轉手が何心なく前方の鏡に映る三人を見ると、短刀、尺八、櫻の棒、麻繩など強盗殺人に使ふ兇器を取出しその面上には殺氣が漲って居るので驚き、途中おろせと命ずるのを素知らぬ風を装ひ生心地なく疾走し、枚方署前で車を停め遊廓の場所を尋ねますと飛び降りかくと署員に告げたので署員數名が三人を逮捕した。(以下略)
此の記事は嚴格に觀察すると二三の疑問をおこさせる所があるけれども、今之を眞相也と信ずれば可なり興味のある報告だと思ふ。
勿論之だけでは、三人の男が強盗か殺人かをやりに行く途上であッたやうに思はれ、必ずしも運轉手自身を襲はんとしたとは考へられぬけれど、それにしても、停車を命じたにも不拘、素知らぬ風で疾走する以上、三人は何らかの所置をしたかッたに違ひない。三人も男が乗って居ながら一人の運轉手をどうする事も出來なかった事になる。いひかへれば、運轉手は、疾走中は絶對に安全だ、といっていゝわけである。犯人に運轉技術があれば別だが。
斯く考へ來ると、現代はまさに「運轉手受難時代」である。而も同時に、はじめに云ッた交通の危險を考へると、「通行人受難時代」でもある。
「通行人受難時代」「運轉手受難時代」! 之即ち現代の犯罪の一つの相である。
「運轉手受難」の最も烈しい例が先々月の末、東京で行はれた。一時報道を禁止され約十日後に被疑者捕縛の後に解禁された有名な事件である。此の事件を簡單に記すと次の如し。
本年九月の末の或る日東京市深川區越中島沖合で一つの惨殺死體が發見された。死體は針金でぐるぐる卷にされおもりとして二つの石がつけられてあった。檢視により、他殺死體と確定しまづ被害者が誰であるかを取調べた結果、某區某所のガレーヂの運轉手Mといふ男と判明した。Mはそれより二日程前に出たまゝ行方不明になりてゐたものである。
當局は直に犯人の捜索にとりかゝったが約十日ほどたって即ち十月四日頃となって、二人の犯人X及Yを逮捕した。この二人が警察に於いて自白した點を綜合するとかういふ話になる。
XもYも共に運轉手だったが不景氣のためにうまく行かず困ってゐた所、Xが群馬縣高崎町のあるブローカーと自動車賣買の契約が成立し、シボレー・セダンの新車を一臺賣る事になり既に現物取引のところまで行った。然るにこの話がだめになったので、Xは自暴自棄となり、Yと相談の結果手あたり次第に右の條件にかなふやうな車を奪って賣り飛ばさう、それには大犯罪もあへていとはぬ、といふ事になったのである。
そこでXYの二人は九月下旬の或る日、品川臺場附近まで行った。これは運轉手を連れ出して沖で殺さうといふ考へがあったので、あらかじめ殺人を行ふ場所、及び殺人後の死體の始末を現場について調べたわけなのである。二人は海岸の「みはらし」といふ店で小舟をたのみ、釣をするやうなふりで沖合に出かけまもなく又戻りて上陸した。そこで、現場の調査は終ったのでいよいよ被害者の物色にとりかゝった。
即ち二人は上野廣小路で往來を見ながら、シボレー・セダンの新車の流して來るのを待ってゐたのであった。世の中に、若し宿命といふものがあるとすれば、この時ここに流して來たM運轉手こそ、測り知るべからざる惡運のもとに生れた人だと云ってよからう。
Mがシボレー・セダンの新車を助手なしで流して來るのを見るや、XYはよき獲物とばかりにMをよびとめて、直に時間で料金をとりきめあらかじめさきに訪れた「みはらし」まではしらせた。目的地に着くと直に小船をやとひ、Mに向って君も釣に行かぬかと云ったのだった。そこでMは車をそこにおいたまゝ客のいふまゝに舟に乗り込んだのであるが、彼は再び生きては戻り得なかったのである。XYの自白によれば、二人はすきを見てMを一撃のもとに仆し、かねての手筈通りに、死體におもりをつけて沈めたのであった。
扨この犯行後、彼らは一寸思慮深く見える事をやって居る、といふのは、小舟を出した時は三人が乗ったのだが、歸りにXYと二人だけ上陸すると一人缺けてゐるために怪まれはしまいか、といふので、死體の始末、舟についた血の始末をした後、Yだけは途中で上陸して、X一人が舟を漕いで戻り、「みはらし」にかへし、そこから自動車を運轉して去ったのであった。
次にYと一所になり二人は其の夜の中に高崎まで走り、高崎附近でかねて用意したナンバー札を出して取かへ、直にブローカーヘ賣飛し、現金を二人で山分けして別々に歸京して何くはぬ顏をしてゐた、といふのである。
以上が其の當時の新聞紙の報道の大略であるが、この事件は滿都の運轉手達を戦慄させるのに十分であった。
事件が豫審に繋属して居る今、われわれは右の新聞の報道を信ずるより外に道がないわけだが、「運轉手受難時代」に於ける、これは最も極端な一例であらう。
目的は自動車一臺を奪ふにあったとはいへ、運轉手の生命を奪ふといふ事を前提にして居るあたりは實に極端に猛惡な犯罪といはなければならない。犯人達の考へに從へばおそらく運轉手を殺す事はどうしても必要だったのだらう。若し生きたまゝ還したならば必ず自分達の犯罪が曝露するものと信じたのであらう。それが爲に彼等は此の強盗殺人罪といふ大罪を決行するに至ったのだと見ていゝだらうと思ふ。
しかし、彼らの此の考へ方はどの位まで賢かったらうか。われわれは暫く此の事件を最近の大犯罪として檢討して見たい。
此の犯罪の推移を靜かに眺めてゐると、この犯罪がはじめから二つの致命的な缺陥をもってゐる事を見逃し得ない。
これは此の犯罪がはじめからもってゐた本質的な致命傷である。
一つは、強盗殺人を敢行して奪った目的物が自動車であるといふ點、他の一つは、犯人等自身が自動車を運ばなければならなかった、といふ點である。
犯人達はあらかじめ殺人及死體遺棄に關して十二分に考へてゐたらしい。(はたして客観的に見て十分であったかどうかは別問題である。)それ故彼らの計算に從へば、Mの死體は容易に發見されなかったはずである。即ちMの死體が浮び上った事全く彼等の計算の中になかった事であった。
けれども、もし彼らの考へた通りに行ったとして、はたして彼らは無事に逃れたであらうか。
無論Mの消失に家人その他によって捜査機關の知るところとなるに違ひない。けれども捜査機關はMの消失と同時に彼の操縦してゐた自動車が消失した事をも知るに違ひないのである。
運轉手Mがその自動車と共に消失する。この事實は直に犯罪を聯想させるとは云へない。けれども自動車が完全に消失してしまはない限り、鋭敏な捜査官の嗅覺何ものか不正をトレースしたであらう。
既ち犯人としてはMを消失せしめたと同じ方法で自動車を消失させれば或は逃れたかも知れぬ。けれどもそれでは彼らの目的は何もとげられぬ事になる。
そこで彼らは高崎へ行って車を取引したわけなのであった。
自動車のやうな大きなものを盗んでかくしてしまふといふ事は今の我國では一寸出來ない。無論色をぬりかへたりして一時をごまかす事ほ出來る。しかし東京から來て取引された車が、犯罪を何も知らぬブローカーに引渡された後、全然、當局にトレースされずにすむといふ事實は考へ難い。
私はこの點を第一の弱點と考へるのである。
次に犯人等は自分等が自ら運轉して行ってゐる。之は犯罪事件に一人でも第三者又は共犯者を引き入れる事は發見を早くすると考へた爲であらうが、同時に實際上甚だ不利益な條件の下に行動しなければならなくなった。Mの死體が出て來ないとしてもさうであるが、況んや犯人の誤算の結果、Mが死體となって出て來た以上、「みはらし」の側からXがドライブしたといふ事は何と云っても大きな不利であった。
現在の我國の状態では、自動車を運轉し得るものはまづ自動車運轉手と思はれる。從って「みはらし」の側から、M運轉手以外のものによって車が運ばれたとすれば必ず當局はこの人間を運轉手として一應捜索するに違ひない。既ちXを強盗犯人又は殺人犯人と見ないでもともかく犯人を逮捕するリンクの一つとしてもどうしてもXをトレースするにきまってゐる。
當局者はまづ東京附近の自動車運轉手をさがしまわればよい。即ち捜査範圍がはじめから一定してゐるわけである。
私は第二の弱點としてこの點をあげたいのだ。
扨以上はこのXYの犯罪がはじめからもつ弱点であるが、それを除いてXYは果して賢明に行動してゐるだらうか。
彼らがあれだけ考へに考へた犯罪が水も洩らさぬやうに出來てゐるだらうか。
殺人の方法については彼らは成功してゐる。まさに完全に成功してゐると云っていゝ。返した後に舟の血痕などから怪まれなかった處から見て舟の始末などは可なりうまかったと見える。
ただ死體の始末については明かに誤算をした。事實死體が浮上ってしまったのである。この點に關して、われわれはかなり興味ある檢討に到達するのであるが、死體の始末について詳述する事はこの際特に避ける。たゞ彼らの失敗は偶然ではなかったと信ずる旨述べておかう。
殺人前後の有様に至ってはXYは大きな失策を演じてゐる。
彼らは同じ日に二度「みはらし」に行ってゐる。はじめて行ったのは犯罪についての豫備知識を得る爲であった。二度目には勿論犯行の爲に行ったのであった。これは何と云っても失策と云はねばならぬ。
沖で釣の工合を見るならば必ずしも同じ處から出る必要はなかった筈である。同じ日に二度迄同じ家を訪ねはっきり人相をおぼえられてゐたといふ事は決して悧口なやり方ではない。
MXYと三人で舟で出て、Xだけ戻って來たといふのも考へたやうで案外つまらぬトリックである。XY等が警察で述べたといふ所に從ふと三人の中一人だけ減ったのでは怪まれると思ったからYが途中で上陸したといふのであるが之は一應の考へである。けれどもそこを考へる位の頭があるならば、何とかしてMを「みはらし」以外の個所から乗せる事は出來なかっただらうか。
次にXYは其夜高崎まで行きナンバー札をとりかへてゐる。之は勿論とりかへないよりはたしかに悧口だッた。
以上ざっと考へたゞけでもこの犯罪には可なり缺點が多かった。犯人の側に之だけのハンディキャップがついてゐる此の事件で、然らば捜査機關はどの程度に活躍したか。
この點に關しては未だ詳細の報道が傳らないのではっきり判らないけれども、おそらく本筋通の推理を運んで行ったものと信ぜられる。
新聞紙の報道によれば、本郷の警察の交通巡査の敏感が、犯人逮捕に非常に功績を表したといふが之は興味ある事實と云っていゝ。
無論此の巡査の功績は讃へらるべきであるが、もし此の敏感なかりしとするも、犯人は早晩捕まッたゞらう。捕まらなければ捜査機關はむしろ批難せらるべきであったかも知れぬ。
最後に第三の場合を考へて見よう。
即ち自動車が犯罪の主體ともならず客體ともならず、而も犯罪について重大な役目を演ずる場合は如何。
極く簡單に考へても、犯人が逃走に之を利用するやうな事は直ぐに思ひつく。逆に捜査官が之を利用して犯人を追かける事も誰でも、すぐ思ひ出すだらう。
映畫などでは「追かけ」と稱して犯人の自動車と探偵の自動車とを盛んに活躍させてゐる。私が中學生時代に見た「ジゴマ」といふのにはこんな場面がはじめて、非常に有効に利用されて居た。
探偵小説では何といってもアルセーヌ・リュパンが之を利用してゐる。リュパンほともかく自分で運轉し而も馬鹿に操縦が巧いらしい。シャーロック・ホームズは、何分そのデビューが十九世紀なので中々自動車を用ひる迄にひまがかゝった。犯人の側も無論さうである。
從って乗物が推理の種を提供してゐるものなどでは自動車では駄目なものがある。例之、シャーロック・ホームズの活躍するストーリーに「技師の拇指事件」といふのがあるが、その中で、犯人の乗って來た馬車の馬のやうすで、ホームズが犯行地點を推理するところが出てゐる。この點などは自動車では用ひられぬところだから自動車には書き換へられないだらう。
晩年になるとホームズも盛に自働車に乗ってゐるやうである。
最近我國で自動車利用の犯罪で目につくのは誘拐事件であらう。
地方から出て來た女を巧みに誘拐して自動車で運ぶのである。この夏、東京から靜岡までつれて行った事件があった。東海道を女一人のせ、運轉手を脅迫しながら下ったわけである。
從來は汽車でやったのだらうが、汽車の中と自動車の中とでは犯人の安全率は比較にならない。
妙な考へで自動車を利用した犯人がある。
本年の春頃の出來事だったと記憶するが、京都郊外の某驛に自働車が着いて中から人が降り、荷物を驛の赤帽に渡して姿をくらました。その荷物がをかしいのであけて見たらば嬰兒の死體だったといふのである。
運んで來た自動車運轉手は全く善意でたゞ運搬を委託されたに過ぎなかった。
結局犯人は嬰兒を殺した後その始末に窮して自動車に託し更に之を驛に託した形であった。此の犯人はまもなく捕へられたやうである。
自動車其の物が窃盗の目的物になる事が屡々ある。即ち自動車それ自體が犯罪の目的物となる場合である。さきにあけた強盗殺人事件などを惹起せずにたゞぬすむのである。と云ってもポケットから財布をとるやうなわけにはいかぬ。多くの場合ガレーヂに忍びこんだり、とまってゐるのを運轉手の不在に乗じてぬすむのである。
之は必ずしも自動車に限らないが第二の種類に入れるべきもので、盗む方法はやはり運轉し去るの一手あるのみである。
たゞ妙な現象として、かういふ犯人がドライヴの途中で巡査に捕まると必ず、使用窃盗を以って抗辯する事である。例へば、
「決して盗む氣ではなかったのですが、運轉を此頃おぼえたので、一寸のりまわして見たかったのです。無論方々まわったらもとへ返す氣でした」
と來る。
麹町のガレーヂでとった奴を深川あたりで捕まっても、この辯解をやる。而もよくこの辯解が通る事があるのだ。
私が檢事だった頃、此の種の事件の公判に立會た事があった。判決は無罪になった。その時、あとで裁判長が私にかう私語された。
「君、あの巡査は少し早く捕まへすぎましたよ。もう少し行ってから捕まへるべきでしたね」
然し此の忠實な巡査は何處まで追かけて行くべきだったらう?
再びいふ、現代はスピード時代である。allegro molto である。「通行人受難時代」であり同時に「運轉手受難時代」である。
而てそのいづれに於いても犠牲者がだんだん殖えて來さうな氣がしてならない。之は果して神經衰弱的考へ方であらうか。
――一九三〇 一一 三――
注)明かな誤字脱字は訂正しています。
「現場不在證明物語」
――アリバイ成立は異例――
「話」 1935.08. (昭和10年8月号) より
我國に於てアリバイの成立に依って犯罪嫌疑の晴れる場合は仲々少ない。最近の迷宮事件として騒がれた「杉並の人妻殺し」の容疑者佐々木正博君は、珍らしくもアリバイの成立に依って其の嫌疑が晴れた。現場不在證明とはどんなものか?
被疑者の立場
アリバイといふものゝ、現代の裁判に關する點を先づ考へて見ます。御承知の通り、我國に於いては、被疑者に對して、原告たる檢事が、完全なる犯罪の證據をあげなければなりません。若しそれが完全也と確信出來ぬ限り檢事は起訴出來ぬでありませうし、又若し起訴すれば證據が不十分であると云ふ理由で被告人は無罪になるかも知れません。右の事を云ひ換へれば、ここに或る犯罪が行はれた場合に、被疑者又は被告人が自ら進んで無罪を立證する義務はないのです。これは最も重要な點であります。
ところで事實上、アリバイを立證する事は被疑者否一般の人にとっては容易に、出來ないのが普通でありまして、現場不在證明が出來る方がむしろ異例であります。
今假りに、不愉快な例でありますが、假設を作って見ませう。
讀者諸君の中にAならAといふ獨身の人が、Bといふ人を平生から憎んで居られるとします。Bといふ人が夜半の十時半に殺されたとします。Aの家はその近くである。ところがAは十時頃から近所の廣い林の中を誰にも認められずブラブラ散歩して十一時前に家に歸ったとします。その家がアパートか何かで歸った時も不幸にして誰にも見られなかった。
そこで、もし假りに、平生恨みをもってゐたからといふのでAが捕まったとしてもAは如何にしてアリバイを立證出來ますか。
不幸にして出る時も歸る時も、又犯行の場所にその時居なかった事も、Aが主張する以外には何らの證據をあげる事は出來ません。
ところで重要な點は、被疑者(即嫌疑者)にはアリバイを立證する必要はないのです。これはさきに一寸述べた通りです。
「犯罪が行はれた當時、嫌疑者の行動がはっきり判らなかった」といふ理由で殺人犯人なりときめられては堪りません。勿論、間接の證據にはなる場合はありますけれども、決して之のみでは斷罪の資料にはならなぬものと私は考へます。
法律的見地から
そこで逆に次のやうな事も考へられます。犯罪のあった當時に、絶對そこに居なかった、といふ證明が出來る場合は勿論たくさんありますが、しかし場合によっては、却って、不思議な話になります。
殊に時間が、何時何十分などといふ細い場合には、變に考へられぬ事はありません。
諸君も御考へでせうが、左様な場合に、一體誰の時計を標準にしていふのでせうか。
當局者の時計と、アリバイを立證する人間との時計は常に一致して居るでせうか。これだけでも既に問題であります。
更に次の事をはっきり想起して頂きたいのですが、人間は餘程特殊の事がない限り、何時にどこへ行き何十分誰と話してその後何分たってから歸宅した、といふやうな事を決して正確に記憶しては居ないものです。おそく歸宅した時、時間をおぼえて居るのはその人の妻君位のものでせう。
だから何時何十分には決してそこに居なかった、と完全に證明し得る人が却って疑はれてよい場合もあります。
最後に、アリバイは立證出來ても、共犯者を考へ得る場合にはアリバイは勿論完全に意味をなしません。
否、意味をなさない以上の結果になると思ひます。
なほ一言附け加へますが、現行犯の殺人事件の場合には、時間は直ちに判りませうが、非現行犯の場合、即殺人死體が、可なり時を經てから發見されたやうな場合には、解剖の結果によって推定時間が判るのみであって、正確に何時何十分とは時間が出て來るわけではないやうです。現代の科學は、まだそれをはっきりする事は不可能のやうです。
アリバイの法律的な見方はまづざっと右のやうなものです。實は大分略した點がありますので、或は私の考へが徹底しなかったかもしれませんが、これのみをつゞける事は讀者の興味を削ぐかも知れないので私はアリバイに就いて他の點から見たいと思ひます。
アリバイは古い
探偵小説界に於いては、「アリバイももう古い」といふ専門家の聲が高いのであります。
一寸今考へたゞけでも、ドイル、ヴァン・ダイン、アガサ・クリスティー、バロネス・オルツイ、フリーマン等が盛んに使用して居ます。
而て多くの場合、アリバイの立證出來てゐる人間が結局犯人といふ事になって居るやうです。これは先に私が一寸觸れた點を利用して居るわけであります。
私が先にやはり觸れた點ですが、死體を發見した時が何時だったか、といふ事に關しては實際は中々困難なので、例へば次のやうに作るのです。
探偵が主人の死體を發見した女中にきく場合の一例。
問 君ガ主人ノ死體ヲ發見シタルハ凡ソ何時ダッタネ。
答 午前七時ダト思ヒマス。
問 何故君ハ午前七時トイフ正確ナ時間ヲ記憶シテ居ルンダネ?
答 主人ハ非常ニ時間ニツイテヤカマシイノデ必ズ七時ニ私がコーヒーヲモッテ行カナクテハナラナイノデス。ソノ日モ七時スギルト又大ヘント思ヒ、イツモ臺所ニオイテアル時計ヲ見ナガラ十分位前カラ煮テ居テ、七時一分前位ニ臺所ヲ出テ主人ノ室ニマヰリマシタ。戸ガアイテヰタノデ私ハ敷居カラ主人ノ姿ヲ見ル事ガ出來タノデス。
これは外國の探偵小説ですがまづ大體似たりよったりして居ます。
最近の探偵小説を探す迄も有りません。遠くは黒岩涙香氏譯する所の「海底の犯罪」といふのに、ごく典型的なアリバイがあります。
之は歩く時間を胡魔化すために自轉車を利用して僞のアリバイを作るのです。
大抵時間をごまかすのが多いので時計の針を進ませたりおくらせたりして犯人は頭を働かすのですが、重大な手落によって觀破されるわけであります。
「スレーター事件」
有名な犯罪實話では、オスカー・スレーターといふ犯罪事件があります。
一九〇八年グラスゴーでマリオン・ギル・クライストといふ八十二歳になる老婆が殺されました。その年の十二月廿一日午後七時から七時十分、即ち僅か十分の中に、グラスゴー、ウエストストリート、クイーンステレス十五の二階の一室で右の老婆が殺されました。
此の老婆は平生ヘレン・ランビーといふ女を使ってゐたので丁度この時ヘレンは夕刊を買ひ歸って主人のゐる二階へ上らうとすると見知らぬ男が降りて來るのに出合ひました。(恐らく此の男が犯人だったでせう。)つゞいて階下に住むアダムスといふ人もこの夜、男を見たのです。
検證の結果被害者の所有する半月形のダイヤのブローチが盗まれた事が發見されました。
そこで手掛りは二人が見たといふ男の人相及び盗まれたブローチで、その結果オスカー・スレーターといふドイツ系のユダヤ人がその後入質したものと認定され、而てスレーターはアメリカに向けて情婦と共に逃走(少くも當局者はさう考へたらしいのですが)中と判明しました。
裁判は年を超えて一九〇九年五月三日から開かれました。裁判長はグリース卿、檢察官はアレクサンダー・ユーア竝びにモリスン及マッケンヂー、被告人の辯護人はマクリューア及びメーアでした。
此の裁判は三日から六日までかゝり、六日目に陪審員は「有罪」と答申したのであります。
判決によれば同月二十七日に死刑を執行される筈だったのですが、その二日前減刑されて終身懲役の宣告をうけたのです。
一九一二年、有名な探偵小説家、コーナン・ドイル卿は「スレーター事件」といふ一著を世に問うて彼の無罪を主張しました。その理由は、公判中に次の事實が判ってゐたからです。
一、スレーターのもってゐたブローチは彼自身が數ヶ月前からもってゐたものである。
二、殺人事件が起った當夜の彼自身の行動をスレーターははっきり語る事が出來た。
三、見られた男の人相についてヘレン・ランビーとアダムスの證言が矛盾しあいまいであった。
以下まだあります。
之だけの事では彼は有罪になるべきではないのです。
政府は與論に動かされて再審しましたが矢張り結果は有罪でした。
此の事件で、彼のアリバイは法廷に於いてはじめは言及されませんでした。しかしだんだん裁判が進むに連れてアリバイを否認する證人とアリバイを證した證人とがありました。
アリバイを主張した人々はスレーターと懇意な者でしたがそれを否認した證人はさきに述べたアダムスとランビー等です。この人たちの言が陪審員に採用されたのかも知れませんが、この證言も時間と同様、ほんとにスレーターを見たかどうか、現に法廷でも着物や其他に矛盾があるのは絶對的の眞理とは云へません。
さきに私は被告人の側からアリバイを主張し證明する必要はない、と申しましたが、被告人の平生の行動が惡く、たとひ誤った證人でも、或る證人が出て來たやうな場合に、アリバイを證明する事の出來ないのは、間接證據として甚だ被告人の不利になることは明かです。
實際無罪の人間が、かゝる状態におかれた際は全く運命か宿命でありませう。
嘘もついた被告
アリバイを證明したゝめに無罪になる場合は勿論たくさんある筈です。
大抵は、然し、警察に居るうちに判るものが多いから檢事局までそのまゝに來る事はありません。けれども何かの理由でわざとアリバイをかくして來る人間もないとは云へぬのです。
之は實話ですが、もう可なり前の話ですが某區裁判所檢事の所へ、ある男が窃盗罪で送られて來ました。
警察では全部窃盗の連續犯を認めて自白して居ます。つまり十一月の八日にはどこで、十二月の一日はどこで、といふ風に三回以上に渉って泥棒をしたといふ事實を被疑者は認めて居るのです。
被疑者は檢事の前でもその通り自白して居るので、前科も有る事ゆゑ、檢事は直ちに起訴しました。
それはたしか十二月のおしつまってからです。
翌年の一月の末に公判が開かれたのですが、公判に於いて俄然、被告人は陳述をひるがへして同時にアリバイを主張したのです。蓋しまことに皮肉なもので、犯行ありしと云はれる日には、方々の警察へ拘留されてゐたといふのです。
調べた結果、被告人の陳述は認められました。つひに無罪となったのです。
では此の被告人は何の爲に嘘を云ってゐたのでせう。
私は敢えてそれを諸君の御想像にまかせます。彼が方々で時々拘留されてゐた事實と、ルンペンであった事實と、暮にせまって居た事實とこの三つの點を十分に御考察になれば、この被告人の心理はお判りになると思ひます。
戀人の利用法
アリバイといふ事に關してこれ以上長くつゞけると枚数が足りないと思ひます。
日本にあった有名な事件や外國にあった有名な事件や又は探偵小説、及び映畫から種をとると限りがありませんからこの邊で筆をおきたいと思ひますが、一寸ふれておきたいのは、トーキーが出來て間もなく「アリバイ」といふ映畫が現れて、甚だ愚劣なアリバイをつくりそれがぶちこはされて捕まる、といふストーリーのあった事を思ひ出しました。
それ以來、大分探偵映畫がはいって來ますが、さきに述べたやうに、よせばよいのに、と思ふやうな事ばかりやって却って自分の犯罪を曝露して居ます。
之は映畫や小説ではなく人の心理ですが諸君が全然犯罪のないごく普通の場合にアリバイを證してくれる最も適任な人は、諸君の戀人であります。
ことに男をほんとうに愛して居る女といふものは如何なる場合にもこの役を立派に爲し通すものです。女をほんとうに愛してゐる男でも同じやうにお考へでせうが、一寸違ひます。
疑はるゝならば、試みられよ。
但し犯罪などはするべからず。 (終)
――一九三五、六、一三――
注)人名など本文中で統一したところがあります。名と姓の間に・を追加しています。
注)句読点は一部追加したところがあります。
「夏の夜の犯罪――随筆風に――」
「中央公論」 1935.08. (昭和10年8月号) より
我國に於いては、家屋の構造上、夏になると、殆ど家が開放され易い。此の爲に特に如何なる犯罪が多いであらうか。
たとへば強盗などはむしろ冬の方が多いやうに思はれる。といふのは,冬は近所も戸締りがしてあるし、被害者の側でも一寸聲をあげても近隣にきこえず、又犯人の逃走にも都合がよささうに思はれるからである。
夏は、一體にわれわれは薄着である。
夕すゞみよくぞ男に生れける
といふ句がある位だから女性も餘程の薄着になる。女性の薄着はある人々にとっては、たしかに誘惑の一つであらう。從って性的な犯罪が殖える事は爭はれぬ事だらう。
この場合男性が非常に亢奮しやすい場合、例之、青年だといふやうな時に、時として重大な犯罪になり得る。
所謂刑法的犯罪でなくて、風俗の方から見たらたしかに夏は冬よりも警戒する必要があるだらう。
〇
探偵小説的に考へると夏には相當おかしな事件がある。
よく山登りが行はれるが、毎年必す登山の犠牲者を出す。今かりにAとBといふ友人があって、Bが過って崖から落ちて死んだとする。今までの場合に於いては殆ど生殘者の供述を信じてそのまゝになってゐるやうだ。
然し、人はいつ、いかなる場合にでも恨みといふものを誰から受けて居るか判らない。而て或る人が殺人の動機をもってゐても全然何人にも知られぬ場合は十分あり得る。
AとBが登山してBが死んだとして誰か、完全にBの誤りのみと云へるだらうか。
假りにそれが殺人事件だとしたら實に完全犯罪と云はなければなるまい。
かやうな場合に犯人にとって重大な事は、第一、誰にも犯行のありきまを絶對に見て居られぬ事だけである。
斯様な場合をゑがいた探偵小説があるかどうかよく知らない。自分の知って居る限り、僕自身が創作に書いた事はある。
〇
山と反対に海邊ではどうだらう。
すぐ思ひ浮べるのはモーリス・ルブランの探偵小説だ。但し之は夏の夜ではなく自晝である。白晝に海岸でたくさんの人々が游いでゐる中に殺人が行はれるといふストーリーだ。
之も考へればたしかにあり得る場合の一つに違ひない。
たとへば鎌倉だの逗子あたりで大勢の人々が海岸に居り大勢の人々が海にゐる場合に、ある一個人に對して一體、何人が、その人の行動に注意してゐるであらうか。
山の場合とは一見反對に見えるけれども事實は決して然らず。ルブランの作とは違ふけれども沖に出て居る人の考へ次第で恐るべき事も遂行され得ると考へられる。
海岸を使ったのにはコーナン・ドイルの短篇がある。
〇
自殺はそれ自體では犯罪ではない。然し自殺を助けたり、薦めると犯罪になる。
投身自殺といふ事は不思議と夏に多い。
どうせ死ぬ以上、冬でも同じ事に思はれるが、やっぱり人情の然らしむる所か事實は夏が多い。涼みながら死なうといふのかも知れない。それから妙な事に、よく下駄がぬいである。之も脱ぐ必要はないのだが多くはさうなって居る。それが一般人にしみこんでゐて、海や川のそばに下駄があると本人が必ず投身したものと早合點をする場合がある。
心中といふのは死んでしまへば勿論それ切りだけれども、生殘ったら合意の上だと自殺幇助か教唆の罪になる。
心中といふ事は社會的には昔どういふ制裁があったか詳しくは知らないが、たしかに或る一部の者は讃美したらしい。近松の如きはその一人だらう。現今に於いては、一方に眉をひそめる人があるかと思ふと、一方には流行歌が出來て居る。
〇
芝居を見て居ると大分夏らしい殺人事件がある。かの義平次、釣舟の三婦のあらはれる「夏まつり」などといふのは代表的なものだ。
しかし、之らはたまたま夏にお祭りがあったので仕組まれたものだから、理窟から云へば夏の特殊の犯罪とは云へないかも知れない。
が、今でも、大抵祭は初夏に行はれる(少くも東京では)。
そこで一番行はれる犯罪は何と云つても、掏摸だらう。
勿論御承知の通り、冬だって何か人々の集りさうな所へは必す掏摸が出かける。掏模と共にそこに掏摸係の刑事がやはり現れる。
掏摸の群も亦掏摸係の刑事もいつ幾日の夜にはどこに催しがあるか、といふ事をよく知りぬいて居る。
そこでこの相反する(犯人と刑事)人々が可なり多くそこに行く。
刑事の苦心は被害者がすぐに出ない時にあるさうだ。老練な刑事は、だから、掏摸と同時に被害者を一所に捕まへる。
掏摸の最高技術に至っては、藝術に近いから、餘り深刻な感じや物凄い感じを人に與へない。
ともかく驚くべき事には有名な刑事は常に有名な犯罪人(掏摸)の消息を知ってゐるし、亦反對に掏摸のえらい人間も、假令在監中でも有名な刑事の消息を多少なりとも知って居る事實である。
夏の宵などにぶらりと出かける人はやはり着物の關係上、掏摸に狙はれる恐れが十分ある。
殊に洋服の場合に然りで、掏られないでもよく物を落す事もある位だから相當用心しなければなるまい。
〇
私は始めの章に夏の夜には強盗などの被害はわりに冬に比べると少いと申した。
しかし惨虐殺な、或は發作的の犯罪がよく夏の夜に行はれる事もある。
可なり以前あった鬼熊と稱する事件はたしか、夏か夏の初か終に起ったと思ふ。
犯行を行ふと同時に彼は森林の中にもぐりこみ、當時大へんなセンセイションを起した。
それから愛知縣で行はれた少年の生膽をとった事件、更に第二鬼熊といはれた同縣下で行はれたエロ・グロの極致の大へんな事件も亦暑い頃だったと記憶するが、正確な時日をおぼえて居ない。
〇
一體愛知縣下には屡々所謂強力犯事件が多いのだが、右擧げた中第二の鬼熊と云はれた者は、實に物凄いものであった。
たしか情婦だったと思ふが、情姉と犯人とが行衛不明となってしまった。
警察でも十分捜索したところ、結局犯人が發見された。死體は最初發見されたが、その死體は情痴の果に惨殺されたもので、頭髪がすっかりはぎとられ、眼だまをくりぬかれ、更に性的部分に烈しい亂暴が行はれて居た。
犯人は暫くたって發見されたのだが、死體となって居た。この死體を見た人々は、アッと云って驚いたさうである。
無理もない、犯人は女のかみを頭にかぶり情婦の着衣を身につけて、首をくくって死んで居たのであった。
夏の夜の犯罪といふ題に對してそこはかとなく書いて見たが、餘り題にしっくりしなかったかもしれぬ。まづこの邊で擱筆する。
――一九三五、七、三――
注)「夏の夜の犯罪」という特集で「神に背を向けた男――肌寒きこの惨劇!――」甲賀三郎、「若き女二人の死――或る夏の夜の殺人事件――」尾後貫荘太郎 と共に掲載されています。