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松本泰 作品小集1

Since: 2024.03.10
Last Update: 2024.08.04
略年譜・作品・著書など(別ページ)
作品小集2 - - - - - - - (別ページ)

      目次

      【『昇降機殺人事件』収録作】

  1. 「毛髪奇譚」 (奇談小説) 旧かな旧漢字 2024.03.10
     
  2. 「桃の花咲く一劃」 (奇談小説) 旧かな旧漢字 2024.03.10
     
  3. 「三角屋敷の由来」 (奇談小説) 旧かな旧漢字 2024.03.10
     
  4. 「供養煎餅」 (犯罪小説) 旧かな旧漢字 2024.03.10
     
  5. 「赤屋敷物語」 (奇談小説) 旧かな旧漢字 2024.03.10
     
  6. 「位牌の謎」 (探偵小説) 旧かな旧漢字 2024.03.10
     
      【短篇】
     
  7. 「能率増進」 (風刺小説) 旧かな旧漢字 2024.03.10
     
  8. 「印度人と毒鳥(第一回のみ)」 (探偵小説) 旧かな旧漢字 2024.08.04 追加
     
  9. 「毒鳥」 (探偵小説) 旧かな旧漢字 2024.08.04 追加
     
  10. 「霧の中の謎」 (犯罪小説) 旧かな旧漢字 2024.03.10
     
      【中絶作品】
     
  11. 「鼻の欠けた男(中絶)」 (探偵小説) 旧かな旧漢字 2024.03.10
     
      【西洋コントなど】(翻案の可能性があるため一部のみ)
     
  12. 「盗むだ宝石」 (コント※冒頭と一部のみ) 旧かな旧漢字 2024.03.10
     
  13. 「湖水から恋を拾った男」 (コント※冒頭と一部のみ) 旧かな旧漢字 2024.03.10
     
  14. 「接吻を拒む勿れ」 (コント※冒頭と一部のみ) 旧かな旧漢字 2024.03.10
     



「毛髪奇譚」
初出「不思議な毛の話」:「朝日」 1931.07. (昭和6年7月号)
『昇降機殺人事件』春陽堂日本小説文庫410 1936.10.15 (昭和11年10月) より

 米國へ旅立つ友達を横濱の波止場に見送った歸途(かえり)、知合の酒場へ寄って一杯やったせゐか、私はいつか仲間とも紛れて、狹苦しい支那街の關羽廟の裏手をひとりぶらぶらと歩いてゐた。
 生暖い南風の強い午後であった。ふと一軒の古道具屋の店頭に私は足を停めた。
「おや、これゃ何だらう?」私は塵埃に赤く穢れたガラス戸に近々と顏を寄せて飾窓の中を覗き込んだ。縁の虧(か)けた阿蘭皿、煙草入の緒〆、翡翠を嵌込んだ額縁、黒光りの佛像などが竝んでゐる端の方に、直径二寸高さ三寸程の丸い蓋物のやうなものがある。眞鍮製で表面に波斯模様が念入りに彫刻(きざ)むであった。たゞそれだけの事で別に取立てゝいふ程のものではなかったが何故か不思議に私の心を牽いた。
 私はふらふらと店へ入っていった。裏部屋で食事でもしてゐたらしい老人は、
「さァ私共にも判らないんですよ。ずっと以前にマドロスが持込んできて無理に二圓で買はされたんですよ。蓋は開きませんし、文鎮にしては輕すぎるし何にするものですかね。」といひながら私の指さした品物の塵埃を掌でこすって差出した。
 まったく老人のいふ通り、何にするものだか用途は判らないが、何とかすれば蓋は開くに違ひない。耳許で振って見ると、がさがさと妙な音がする。私は玩具(おもちゃ)のがらがらの中をあけて見たい兒童の心になって、原價二圓、それに好奇心代一圓、總計三圓を支拂ってその店を出た。
 私はそれを懐中にすると、眞直に東京の自宅へ歸った。いつもなら直ぐ服を着替え、顏を洗って先づ緑茶を飲む私であるが、その日は家人にも碌に口を利かないで、直に二階の書齋に閉籠ったものである。
 私は最初、その品を兩膝の間に挾んで、蓋にハンケチをかけて力一杯に捩ったが、そんな事ではびくともしない。だが電燈の傍でよく檢めると、確に蓋と身との合せ目がある。隙間にナイフを差込んで金槌で叩いて見たが、矢張り効果がない。然しそんな事を根氣よく續けてゐる中に、微に隙間が出來てきた。私はことによると錆附いてゐるのかも知れないと思って、隙間へべっとりと油を塗込んで卓子(テーブル)へ乗せておいた。
 その晩はそれで寝て了って、翌朝目を覺すと、私は再び前夜の作業を續けた。やうやう正午近くになって遂に蓋を開けることに成功した。蓋は中途まで左に捩り、それから右に廻って開けるやうになってゐた。いよいよ蓋を除く段になって私は胸をどきどきさせた。一體何が現れるだらう!
 寶石?
 密書?
 それとも何か凄じい音を立てゝ爆發するのではないか?
 私は出來るだけ腕を遠くに伸して、顏を横に向け、いつでも逃げられる身構へをしながら思切って蓋を除(と)った。
 玉手箱は煙もあげなかった。音もたてなかった。恐る恐る中を覗くと、一筋の黒い紐が入ってゐるのであった。
「何だ馬鹿々々しい!」私は思はず歎息した。けれども二寸程の紐の一端に、絹糸のやうに細い針金がぎりぎり卷いてあるので、不思議に思ひ手に取って檢めると、紐と思ったのは誤りで、それは一束の毛髪であった。糊か何かで、かちかちに固めてあるのでまるで、一本の毛のやうに見えるが擴大鏡で覗くと細い毛髪を幾本もあつめたもので、而も黄金、銀、黒、赤、褐色等幾種かの毛髪が交ってゐる事が判った。
「これゃ妙だ!」私は少し不氣味になってきたが、それを微温湯(ぬるまゆ)に浸して糊を落し、酒精(アルコール)で晒して手近にあった厚紙に鋲で留め、陽の當る窓際に立てかけた。
 丁度その時、女中が、
「旦那様、お風呂の支度が出來ました。」と知らせにきた。馬鹿に早いのだなと思ひながら時計を見ると、既に三時であった。左様だ、つひ忘れてゐたが、その日は同窓會で、幹事の私は五時迄に丸の内の東洋軒へゆかねばならなかったのだ。
 私は書齋を其儘にしておいて、入浴したり、髭を剃ったりして急いで外出の用意をした。

 同窓會は久振りで天氣が良かったので、非常な盛會だった。然し必ず出席する筈だった親友高野君は、食堂が開いても顏を見せないので、私は少し物足りなく感じてゐた。すると、スープが運ばれた頃に高野君が前額(ぜんがく)に繃帶を卷いてやってきた。
「やァ、どうした、自動車の事故でもあったのか?」と私が訊ねると、高野君は頭部を抑へながら、
「實に不思議なんだ。今日の三時頃、女中が茶を持ってきたから受取らうと思って椅子から立上った拍子に、どうした譯か、よろけて轉んで了ったんだ。すると何處にも打突(ぶつか)った覺がないのに、額に丸い傷が出來たんだよ。家族の者が心配するから直ぐ醫者へいったのだが、どうも自分でも變だと思ってゐる。」といふのである。
「それは危い。轉んだ拍子に卓子(テーブル)の角にでも打突(ぶつ)けたのだらう。」
「いや、絶對にそんな事はない。だから僕は不思議で耐らないんだ。」
「それゃ屹度、かまいたちだ。」誰かゞいった。
「エアポケットといふやつだな。」もう一人がいった。
 一しきり、高野君の不思議な負傷が話題となった。
 私はそれっきり、その事を忘れて了ってゐたが、翌日意外な事にぶつかった。丁度私が露臺で植木鉢をいぢってゐると、書齋を片付けてゐた妻が、
「おや、高野さんの額にどうしてこんな瑕があるんでせう。」と呟いた。私は高野君が負傷した事などをまだ妻に話してゐなかったので不思議に思ひ、
「お前どうして高野君が怪我をした事を知つてゐるんだい?」
「いゝえ、この寫眞の事をいってゐるんですよ。」といふ妻の言葉に部屋に入って差出された寫眞を見ると、それは春の同窓會の時に皆で撮した寫眞で、成程後列の三番目に立ってゐる高野君の前額(ひたい)に孔があいてゐる。私が昨日厚紙だと思ってうっかり例の毛髪を鋲で留めたのはその寫眞の裏であった。偶然とはいへ高野君が怪我をした時刻と私が寫眞の裏に毛髪を留めた時刻とがぴったり符合してゐる! 私は妻には默ってゐたが、その時例の毛髪が何か超自然的な不思議な力を持ってゐるのではないかと思った。
 由來、頭髪は女の執念を象徴するものとされてゐたが、若しそれが事實なら、この一束の毛髪にはどれだけ多くの女の執念が宿ってゐるか知れない。私はひとりになって卓子の抽斗から、様々な色彩をもって交錯した毛髪の束を出して眺めてゐる中に、私は自分の迷信的な考へが果して的中してゐるかどうかを試して見たくなった。
 然し、迂濶な事は出來ない。一體誰を實驗に供すべきであらう? 私がそんな事を考へてゐると、不意に隣家から、けたゝましい子供の泣聲が聞えてきた。
「畜生! 又やってゐやがる!」私は隣家の子守が主人の子供を蔭で打ったり、抓ったりしてゐるのを度々目撃してゐる。その狐のやうに尖った狡猾な顏をみるだけでさへ、私を不愉快にさせるのに、彼女のさうした殘忍な行爲は一層私の嫌惡を募らせた。
 私は憤然として窓を開け隣家の庭を睨み下した。子守は私を見ると、憎々しく赤い舌を出して子供の腕を引ずって家の蔭へつれていった。
「左様だ! 彼奴(あいつ)を試してやれ!」私は決心をきめたが、實驗をするには先づ寫眞の必要がある。あの女は手の届く範圍のものは何でも盗んでゆく。だから私の庭の柿も、無花果も東側の枝は丸坊主になってゐる。私は一計を案出した。即ち眞赤な林檎を垣根の上に乗せておき、自分は浴室の窓にカメラを据ゑて彼女が盗みにくるのを待った。この仕事は易々たるものであった。
 私は女が四邊(あたり)を見廻しながら林檎に手をかけたところを首尾よく撮影(と)って了った。私はこんな狂人染みた實驗を家人に知られたくなかったので、夜皆が寝て了ってから、その寫眞の現像にとりかゝった。水洗ひをしてすっかり乾燥したのは夜中の一時であった。私は出來上った寫眞の上に例の毛髪を乗せたまゝ、そっと卓子の抽斗に藏って床へ入った。
 翌朝私は所用の爲に朝早く外出して、歸宅したのは夕方の五時であった。玄關に私を迎へた妻は、いつにない物々しい顏をして、
「貴郎(あなた)、お隣家(となり)では大變よ。あの子守さんが、今朝床の中で死んでゐたんですって?」といふのである。私はどきりとした。
「警察から檢屍に來たりなんかして大騒ぎでしたのよ。何でも昨晩の一時頃に心臓麻痺かなにかで死んだのだらうといふのですけれども、今朝まで誰も知らなかったのですって。」
 何も知らない妻は細々と語るのであった。私は一時頃と聞いて腦天を打のめされたやうに感じた。
 すっかり忘れてゐた。
 私は妻を突退けるやうにして書齋へ駈上り、女の寫眞の上から奇怪な毛髪を取りのけて完全に寫眞を燒却して了った。
 私はこの秘密を誰にも洩らさなかった。無論そんな恐ろしい實驗は二度と繰返さない事にした。けれども私は世にも不思議な力をもってゐるその毛髪をそのまゝ棄てゝ了ふ氣にはなれなかった。私は秘密を恰(たのし)むやうな氣持で、人氣のない折を見ては嚴重に鍵を下した抽斗から毛髪を取出して密に眺めてゐた。
 月日が流れるにつれて私の好奇心を抑制してゐた恐怖心が次第に薄らいできた。

 三度目の實驗は前の時に懲りてゐるから輕い程度に行ふ事にした。私がこのやうな誘惑に陥ちた原因は、向ひの家の息子の下手なヴヰオリンに惱まされたからである。彼は朝から晩まで既(も)う三ヶ月も同じ譜を繰返してゐる。そして一向進歩しない。いつも同じところでつかへ、同じ程度に調子を外してゐる。
「俺にそのヴヰオリンを貸して見ろ、俺の方が餘程上手に彈いて見せるぞ?」
 と怒鳴ってやりたくなる。私はいよいよ耐らなくなったので、或日密に彼の寫眞を撮った。これには非常な苦心を要した。何しろ朝から晩まで、ヴヰオリンにかぢりついてゐる位の奴だから、滅多に外出しない。然し十日計り狙ってゐる中に、遠くからカメラに収める事が出來た。餘り小さく寫ったので私は実驗用に引伸した。
 偖(さて)、翌朝用意をして待ってゐると、私は例の如く鋸の目立をやり出した。私は彼が最も得意なメロデーに入った時、例の毛髪で輕く寫眞の手首を撫でた。同時に、
「冴っ!」といふ悲鳴と共に、呪ふべきヴヰオリンが歇(や)んだのである。私の唇には思はず微笑が浮んだ。
 斯うした實驗を繰返してゆく中に、私はその毛髪の驚くべき感應作用を競馬に應用する事を思付いた。
 私は目黒の競馬場へ出掛け、先づ馬の寫眞を手に入れ、毛髪を入れた試驗管をポケットに忍ばせて馬券を買った。この頃では毛髪を直接に觸れる迄もなく、硝子管に入れたまゝ用ひても、相當な効果を表はす事を發見した。實は却ってその方が効き過ぎる危險がなくてよいのである。
 私はとんとん拍子に當って、ポケットは膨む計りであった。私は馬がスタートをきると、自分の買った以外の馬の脚、首、腰等と適度に毛髪入の試驗管で撫でた。すると面白いやうに或馬は腰をつき、或馬は躓き、或は脚を挫折(お)る等、意のまゝになって、いつも自分の馬は勝った。
 私はこの分なら上海まで乗り出していって、三十六萬弗の大穴をあてゝやらうなどと考へて有頂天になってゐると、誰か私のポケットに手を突込んだ奴がある。
「何をする!」私は振返りざまに相手の胸倉を掴むだ。
「何を、この青二才奴(め)!」男は私の手を振りはらって逆襲してきた。すると、仲間らしい別の男が不意に横合から私の頭を撲った。二對一で孤軍奮闘とはこの事である。
 氣がつくと、敵味方の間にはいつか數十人の人垣が出來て、見る間に敵は群衆の中に姿を晦まして了った。
 前額(ひたい)の汗を拭った手巾(ハンケチ)に血が附いてきた。私は下駄か何かでやられたらしい。然し私の方でも相當に撲ってやったから、さして殘念でもない。金もいゝ加減盗まれたが、毛髪さへあればいくらでも儲ける事が出來る。然しこの亂闘で試驗管は粉々に砕け、ポケットはガラスの破片だらけになってゐた。
 そんな譯で私はその日の競馬を打きりにして場外へ出た。そして傷の手當を受ける爲に最寄りの醫院へ飛込んだ。餘り繁昌しない醫者だと見えて患者の影もなかったが、私は塵埃ぽい診察室で三十分も待たされた。見ると壁に大きな毛生液のポスターが貼ってある。それは當醫院の特製家傳藥で、さういへば度々新聞の廣告で見た事がある。私は近來自分の頭髪が少々薄くなってきたのを氣にしてゐた際なので、本家本元へ來合せたのを幸一瓶買って歸らうなどと考へてゐた。
 突然、境の扉が開いて威風堂々たる院主が現はれた。その頭に視線をやった私は驚愕の餘り、危く尻餅をつくところであった。
 見よ! 太陽の如き偉大なる禿げ頭を!
 院主の桃色に輝く頭には一本の毛も殘ってゐない。私は素晴しき毛生液の廣告ビラと、その完全な禿頭とを見較べて、こみ上げてくる可笑しさを耐(こら)へながら、兎にも角にも傷の手當を受けた。
 無論、私は毛生液を購入する事は斷念した。歸りしなに私は大切な例の毛髪がポケットにぢかに入ってゐるのを思ひ出し、
「恐入りますが、試驗管か何か、小さな空瓶があったら頂けませんでせうか。」といふと、禿頭先生は四邊(あたり)を見廻して丁度手頃な空瓶を呉れた。私はその中に貴重な毛髪を入れて、そこを出た。偖、家へ着く梶X(そうそう)、私は書齋へ上って先づ第一に毛髪を試驗管に移す爲にポケットの瓶を取出した。
 不思議! 確に入れた筈の毛髪がない! 只瓶の底に黒い沈殿物が遺ってゐるだけだ。
 こんな奇怪な事があるだらうか? 密閉した瓶の中から毛髪が消え失せるとは! 私は自分の眼を信じかねて、もう一度、空になった瓶を凝視した。
 その貼紙には、――家傳毛生液――と記してあった。
 ――あゝ恐るべき毛生液の効力よ!  ――終――

注)句読点など追加したところがあります。明かな誤字誤植は修正しています。


「桃の花咲く一劃」
初出:「日曜報知」 1933.04.16 (昭和8年4月16日号)
『昇降機殺人事件』春陽堂日本小説文庫410 1936.10.15 (昭和11年10月) より

歪むだ煉瓦塀
 郊外電車の踏切を越すと、緩な坂の兩側に近代文化を誇る赤や緑の甍を乗せた洋風の住宅が日當りの良い緑の芝生を前にして並んでゐる。
 坂を上りきったところに、煉瓦塀を繞らした宏壯な邸宅があって、深い小立の奥に、どっしりとした英國風の建物が見える。その前を通り過ぎて、煉瓦塀の盡きたところに、これは又どうした事か、その邊に不似合な萱葺屋根の百姓家が、アスファルトの自動車道路を尻目にかけて、巨大な欅の下に胡坐をかいてゐる。 その周圍は一面の桃畑で、今を盛りの花が、淡紅色の幕を張ってゐる。肥料小舎の横手には、古材木を寄せ集めて、不細工に打付けた柵の中で、數羽の鶏(※)が遊んでゐる。蔬菜園の傍に繋がれてゐる牛が、尻尾で蠅を追ってゐるのも長閑な風景である。
 昔、その邊一帶が、雜木林と大根畑であった頃を知ってゐる人達は、傍若無人にのしてきた大都會の足に踏付けられずに遺ってゐる、この桃の花咲く一劃を見出して、昔懐しい思出に溜息を吐(つ)くであらう。
 然し、このアスファルトの道路に、快いステップを響かせて通る人々の大部分は、長方形でありたい煉瓦塀が、何故その一劃を喰ひ虧(か)かれてゐるのであらう? どうせの事、百姓家諸共買取って、邸宅を四角にとればよかったのにと思ふに違ひない。
 事實、煉瓦塀の館の主も、それを慮(かんが)へないではなかった。けれども老農鍬吉は頑としてその交渉に應じなかったのである。とはいへ、それは値段の折合がつかなかったのではなく、全然賣る意思が無かったのである。
「天からの授りものを金に替へちゃァ申譯ありませんや。」といふのが、鍬吉老人の萬年文句であった。

馬を賣る
 偖、鍬吉老人がその三角形の地所を天から授かったといふ由來である。
 話は明治の初年に溯る。その年は豫想外の不作だったので、小作人鍬吉は思案の揚句、唯一の財産である馬を賣って年貢の工面をする事にした。
 暮の二十五日、鍬吉は馬を牽いて、中野山谷の馬市へ出掛けていった。家を出る時には、三十兩がらみで手放さうといふ肚であったが、澤山の馬の中へ出て見ると、擦切れた尻尾に引目を感じて、
「‥‥‥‥二十五兩かな‥‥‥‥二十兩かな‥‥」と弱音を吹いて了った。
 結局、痩馬は十五兩の金に變って鍬吉の腹掛に納った。
 師走の風の寒い事。懐中が温(ぬく)まると、身體を温めてやりたくなるのが彼の性分、先づ居酒屋の暖簾を潜った。
 立つけ三杯の後、隅の席に腰を据ゑた彼は、燗徳利の林を前に、飲む程に、飲む程に、十兩の馬を十五兩で賣ったやうな顏をして、誰彼の見境なく酒を振舞って、到頭醉潰れて了った。
 朦朧とした彼の瞳に、識った顏、識らぬ顏が明滅して、最後に映ったのは亭主の禿頭であった。
「散々、飲みやがって、一文も持ってゐねえとは太え野郎だ!」
 雷のやうな喚(わめき)聲と禿頭が消えて了った時、鍬吉の頭の上に星が冷く光ってゐた。鍬吉はぴったりと閉った大戸の前で、もう一度、空になった腹掛を探ってから、霜の降りた夜道をぶらぶら歩き出した。
「畜生! 誰が盗みやがったんだ!‥‥だが、考へて見れゃ十五兩儲った譯だぞ‥‥馬を三十兩に賣りゃ、三十兩そっくり盗まれるところを十五兩で濟んだんだからな‥‥なァ然ういふ勘定になるだらうぢゃねえか‥‥様ァ見やがれ、禿頭奴!」
 鍬吉は鼻歌を唄ひながら、人家の杜絶えたところから左へきれて、桑畑に沿うた村街道へ出たが、行手に立塞ってゐる大入道のやうな黒い森を見て、急に、ぶるぶると身慄ひをした。剽盗(おいはぎ)が現(で)るといふ評判の森を越えてからも、彼の住居まではまだ小一里もある。
「いやになるね‥‥どうせ金を持たずに歸るなら、今夜歸るも、明日歸るも同じことだ‥‥一層、神様に生命をお預け申すか‥‥」そんな譯で鍬吉は、森の入口にある神社の中へごそごそと轉げ込んだ。
 夫から幾刻經過(いくときた)ったか、ふと目を覺すと、直ぐ近くで人の話聲がする。
「‥‥斯うして枯草をかけて置けば誰にも判りゃしねえ。」
「爺さんは、こっちのいふなりに金を出すかね。」
「尾張屋の出だといへば一も二もねえ筈だが、兎に角明日の晩こゝへ連れてきて品物を見て貰ふとしよう。」
 鍬吉が木連連(きづれ)格子の間から覗くと、二人連の男が木蔭へ何かを埋めて、こそこそと立去ってゆくのであった。
 翌朝、鍬吉は村へは歸らずに、町へ引返してゆくと、案の定尾張屋質店では盗難に遭ったとかで大騒ぎをしてゐた。
「盗まれたのは七寶燒の花瓶一對、玳瑁(たいまい)の櫛、それに珊瑚の根掛と簪だ。お客様のお預りものだから、銭金には替へられない。誰でもいゝ、品物さへ無事に届けて呉れたものには三十兩の謝禮を呈(だ)す。」といふ主人の言葉である。
 鍬吉は群衆を掻分けていって、品物の在所(ありか)を知ってゐる旨を申出た。すると、小慧(こざか)しげな番頭が主人の袖を引いて、
「此奴、泥棒かも知れませぬ。」と囁いた。
 耳敏い鍬吉は、
「それなら、泥棒諸共、お渡し申さうかね。」といった。
 その晩、鍬吉の案内で神社に張込んでゐた尾張屋の主人と番頭、それに町役人の一團は、現場へ賍品(けいず)買を伴ってきた二人組の盗賊を難なく逮捕し、盗まれた品は無事に尾張屋へ戻った。
 鍬吉は三十兩の金を懐中にほくほくしながら村へ歸っていった。
 この噂は忽ち界隈へ擴まって、話に尾鰭がつき、鍬吉はいつの間にやら千里眼にされて了った。

三杯の酒
 それから半歳程して、千里眼の鍬さん(村人は彼をさう稱(よ)んでゐた)は地主の前で米搗螽斯(こめつきばった※)のやうにお辭儀をしてゐた。
「何だと! 勘辨してくれと? 怪しからん事をいふ奴ぢゃ! 赤の他人の尾張屋の品の在所(ありか)をいひ當てゝおきながら、俺のところの大切な品が盗まれたといふのに、出來ませんとは何事ぢゃ。さァ、品物は何處に隠してあるかいひ當てろ!」地主は激しい劍幕で責めたてゝゐる。
 鍬吉は最前から覺束ない言葉で、一生懸命に自分は千里眼でない旨を釋明してゐるのであるが、地主は前夜盗まれた先祖傳來の黄金の大黒の行方を透視しろといってきかないのである。
 鍬吉は最早白面(しらふ)ではこの難關は切抜けられないと觀念して、生唾をごくりと嚥みながら、
「へへゝゝゝゝへゝゝゝへ、それぢゃァ濟みませんが、五郎八茶碗に冷酒を三杯も御馳走になって‥‥」と唸くやうにいった。
「それは易い事だ。」
 地主は下僕を呼んで酒を汲むでくるやうに命じた。
 間もなく、頤の突がった狡猾(ずる)さうな男が、酒を盛った大茶碗を盆に乗せて、恐る恐る入ってきた。
「きやがったな、これがその一か!」鍬吉はぢろりと男の顏を見た。いつもなら待遠しい酒もこの時ばかりは餘りに出やうが早くて恨めしかった。何としても三杯の酒で運命がきまって了ふのである。
 男は千里眼の鍬さんの前に茶碗を置いて、逃げるやうに引退った。
 次に酒を捧げてきたのは、女中のお角であった。
「その二がきやがったな!」
 頓狂な鍬吉の聲に、お角は飛上った。彼女は臺所へ駈込むなり、胡坐(あぐら)をかいてちびちび酒を嘗めてゐた亭主に、
「お前さん、もう駄目だよ、千里眼にすっかり見透されて了ったよ。」といった。
「騒ぐな、騒ぐな、俺がいって様子を見てくる。」彼は三杯目の酒をもって鍬吉の前へ出た。
「到頭その三が現(で)てきやがったか!」
 鍬吉の悲痛な叫びを聞いて、男は彈かれたやうに庭へ飛出した。それに釣込まれて鍬吉も外へ飛出したが、無我夢中で裏庭の果樹園の中を駈廻った揚句、へとへとになって臺所へのめり込んだ。
 眞青になって隅の方に慄へてゐた三人は、
「鍬吉さん、御慈悲だ、どうか勘辨して下さい、つひ出來心でやった事だから‥‥品物はお返し致しますから、何分大目に見て下さい。私等はこゝを追出されると、明日から乞食になって了ひますから。」と聲を揃へて嘆願した。
 柄杓でがぶがぶ水を飲んでゐた鍬吉は、きょとんとして三人の顏を見守ってゐたが、
「‥‥ふゝん‥‥よろしい引受けた‥‥品物は何處‥‥さうだ、あの欅の根っこに埋(い)けて、お前等は知らぬ顏をしてゐるがいゝ。」といった。
 三人は物置小舎の漬物桶の中へ隠匿(かく)しておいた黄金の大黒を鍬吉の指定通り、欅の根元へ移した。
 鍬吉は物々しく、地主を庭中引廻した揚句大黒の在所(ありか)を示したものである。

長者の賭
 地主はそれを徳とした許りでなく、自分の小作人の中に、さうした不思議な透視力をもった男のある事を自慢の材料(たね)にして、會ふ人毎に吹聴した。
 或時、地主の許へ遊びにきた隣村の長者がその話を聞いて、
「紳様ではあるまいし。左様何でも彼でも見透しといふ譯にはゆきますまい。」といった。
「ところが不思議によく見透しますので‥‥」地主は自説を強める爲に、これ迄耳に入っただけの風説を、まるで自分の體驗のやうに語った。
「左様ですかね‥‥それでは一つ試しに‥‥」長者は何事か地主に耳打ちをした。
 それといふので、酒宴の用意が調へられた。招(よ)び迎へられた鍬吉は、無理矢理にその席へ押出されて、大汗を掻いてゐた。
「今日は無禮講だから、その心算(つもり)で好きなだけやって呉れ。」と地主がいった。
 そこへ、大皿の上で煙をあげてゐる燒肉が運ばれた。
「さァ、それを一つ喰って見ろ、お前の爲にわざわざ料理させたのぢゃ。」
「へえ‥‥誠に無重寶でございまして‥‥」
「遠慮は禁もつぢゃ、早う喰って何の肉だか云ひ當てるのぢや。」
「旦那様‥‥どうぞ‥‥その‥‥當ものだけは御勘辨を‥‥」
「お客様の前だといって、左様謙遜するには及ばぬ。さァ當てるのぢゃ。」
 鍬吉は否應なしに口へ入れられた燒肉を、眼を白黒させながら嚥下した。
「さァ、何の肉だね。」
「もう判ったらう。さァ、いって見なさい。」
 大分酒のまはった、主客は、左右から詰寄った。
「‥‥何卒、御勘辨を‥‥儂はその‥‥決して世間様で仰有るやうなものぢゃァないんで‥‥全く‥‥どうも‥‥何とも申譯ありませんで‥‥抑々の始から申上げますと‥‥」
「いや、そんな講釋には及ばぬ。最初からの事は皆な知ってをる。」
「さァ、何の肉だね? これをいひ當てたら、儂はお前に家を一軒建てゝやる。」と長者がいった。
「儂は畑を三反やる。」地主も負けずにいった。
「それ、家が一軒!」
「それ、畑が三反!」
 二人の醉漢は鍬吉の肩を小突いた。
 當惑しきって地主と長者の顏を見較べてゐた鍬吉は、いつも吠付かれる隣家の犬の顏を思浮べて、
「へへゝゝゝゝヘヘゝゝ斯うワン公に吠付かれたんぢゃァ、いくら古狸でも叶ひませんや。」と泣笑ひをしながらいった。
「えッ! ワン公だと! これゃ驚いた! 到頭犬の肉だといひ當てた!」長者は感嘆の聲をあげた。

 斯うして三反歩の土地と、新らしい家を得た鍬吉は、それを天の授りものとして、地價は騰り、買手が殺到しても、今日尚、桃の花咲く一劃を守り續けてゐる次第である。  ――終――

注)句読点など追加したところがあります。明かな誤字誤植は修正しています。
注)「にわとり」ルビの字は鶏の鳥の代りに隹ですが「鶏」を代用しています。
注)「ばった」ルビのうちの「斯」は虫偏ですが無しの「斯」を代用しています。


「三角屋敷の由來」
初出:「サンデー毎日」 1934.06.17 (昭和9年6月17日号)
『昇降機殺人事件』春陽堂日本小説文庫410 1936.10.15 (昭和11年10月) より

まへがき
 赤坂仲之町に不思議な屋敷があった。火の番小舎の側から長い黒板塀が續いて、いつも閉切った門の上に、百日紅の枝が躍上ってゐた。
 外見はそれだけの事で、別に變ったところは無いが、家へ入ると鈎の手の廊下が中途で斷(き)れてゐたり、襖のすぐ背後が羽目板になってゐたり、ある座敷は三角だったりした。奇妙なのは家ばかりでない。庭の池も半分で切れてゐるし、變なところに塀が突出て、屋敷全體を東から西へ、斜眞二つに切斷した恰好であった。
 それは私が少年の頃仲善であった青木の信ちゃんの家であった。私達の交渉は小學校だけで杜切れて終ったが、夫から二十年振りで偶然に再會した二人は、互ひに懐しい少年時代を語り合った。その時初めて私は、永い間氣になってゐた仲之町の屋敷の謎を解く事が出來たのであった。
 其後、市區改正でその屋敷は取拂はれて終ひ、船乗りになってゐた長男の信ちゃんも、青木家に絡る奇怪な宿命に呪はれてか、OO丸遭難と共に消息が絶えて終った。それ故、私が今この三角屋敷の由來を公にしても、最早どこにも差し障りはないと思ふ。

山姥
 しとしとと降りそゝぐ五月雨に、泉水を圍んだ青葉が不氣味に冴え返ってゐる。鉛色の雲が低く垂れて、いつ霽(は)れるとも知れぬ空模様である。濕っぽい、陰氣な日が五日も續いてゐた。
 食禄八百石の旗本青木藤左衛門は、庭に面した居間で、愛笛「濱風」に艶布巾をかけてゐた。老人は腰を伸した次手に傍の手焙に香をくべた。細い煙が縷々として、半ば開いた障子の外へ流れてゆく。
 その時、鈎の手になった廊下の突當りの部屋から、謡曲が聞えてきた。
 あら物すごの深谷やな。寒林に骨を打つ靈鬼。泣く泣く前生の業を恨む。深野に花を供する天人。かへすがへすも幾生の善をよろこぶ。いや善惡不二。何をか恨み何をか喜ばんや‥‥
「又、山姥をやりをる‥‥どういふ料見だ。」藤左衛門は不興氣に舌打ちをした。
 孫の享太は何故か、近頃山姥ばかり謡ってゐる。どうかすると、同じ箇所を三度も四度も繰返す、それも節廻しを練ってゐるといふのではなく、恰も歌詞に陶醉してゐるかのやうな謡ひぶりである。
 老人は氣忙しく手を叩いて小間使を呼んだ。
 敷居際に手をついたお千代は、眼元の晴々とした、頬の紅い娘であった。
「あの謡曲を止めさせい! 享太は今日も道場へ出掛けなかったやうぢゃな。毎日何をしてをるのぢゃ。」
「はい、若様はこの節、御氣分がお勝れ遊ばしませんやうで‥‥」
「ふん、眞夜中になると、こそこそ出歩く病氣か‥‥昨夜も、一昨夜も、何處ぞへ出ていったやうではないか。」
「少しは御運動を遊ばしませんと……」
 お千代はまるで自分の落度でも數へ上げられてゐるやうに、おどおどしながらいった。
「他人が寝靜まってから、謡曲をうたって、ほっつき歩くなど狂人の沙汰ぢゃ。仲之町名物をこしらへようといふ氣か。享太にこゝへ來いというて來い。」
 お千代が愁(かな)しげな眸をして立ちかけると、藤左衛門藤は急に氣がついたやうに顏を和げて、
「あゝ、よかった、よかった、呼ばんでもよろしい。まるでお前の叱言をいったやうで惡かったのう。はははゝゝゝゝゝ、祐子はどうしたね。」と話題を變へた。
 祐子は享太と三つ違ひの妹で十九になってゐた。藤左衛門にとっては、眼の中に入れても痛くない程可愛いゝ孫娘である。
「まだ、梶原様のお邸宅からお戻りになりませんでございます。」
「おゝ、さうさう今日は左門殿の誕生祝であったっけな。」
 藤左衛門は半ば獨言のやうに呟きながら、廊下傳ひに享太の部屋へいった。
 障子を閉切った薄暗い部屋の中で、享太は机に頬杖を突いて、天井を睨んでゐた。
 老人は、近頃めっきり憔悴した孫の顏を、憫れむやうに見下した。
「どうして今日は梶原へ行かなかったのぢゃ。折角招ばれてをったのに。」
 享太は初めて氣が付いたやうに、座蒲團を辷り下りて、祖父に席をすゝめた。
「行きたくないから、行きませんでした。人間が生れたといふ事は、そのやうに目出度い事でせうか。」
「お前は何をいふ、この世に生を享けて二十四年、無事息災に成長したとあれば、目出度い事此上なしぢゃ。」
「身體だけが無事息災だといふ事が、そんなに目出度いでせうか。尠くも私は自分の生れた日を呪ってをります‥‥散々御恩になった御祖父様の前で、このやうな事を申上げては濟みませんが‥‥」
「これ、これ、飛んでもない事を申す。そのやうな事を考へるのも、身體のせゐと見える。お前、暫時湯治にでもいったらどうぢゃ。入梅の後には暑氣がくるし、かうして引籠ってをっては、益々身體がわるくなる。熱海の露木はどうぢゃね。」
「御祖父様、そんな廻りくどい事を仰有らずと、お前は病弱だから廃嫡すると、はっきり仰せになっては如何でございます。梶原左門を祐子の養子に迎へて青木家を御嗣がせになったらよろしいでせう。」
「たはけ者! 亡くなった親に代って、十幾年手鹽にかけたお前を、儂が疎んじてをると思ふのか。おぬしは僻んでをる。」
 藤左衛門は何かもっと力強い言葉で享太の考へを打消さうとしたが、見えぬ手に唇を覆はれてしまった。梶原家の次男左門を祐子の聟に迎へ、青木家を相續させるといふ事は、或日藤左衛門の腦裡を、通り魔のやうに掠めていった感情であった。
「御祖父様は隠してゐらっしゃるけれども、青木家の長男には代々呪詛がかゝってゐる事を、私は知ってをります。御祖父様の長男は六つの時に、あの泉水に墜ちて水死なされました。」享太は呼吸苦しさうに胸を抑へて、机に顏を伏せた。
 廊下の端れの戸袋の陰に、小間使お千代の紅絹の袖裏がちらちらしてゐた。
 玄關前の玉砂利を踏む音がして、祐子の歸ってきた氣配がした。
 藤左衛門は享太の肩に優しく手をおいて、
「お前はいつの間にか土藏へ入って、保馬の日誌を讀んだと見えるな、だが、あれは遠い昔の事ぢゃ、氣にかけぬがよい、お前には儂がついてをる。」といった。
「御祖父様、お赦し下さい。私は近頃、云はぬでもよい事を、つひ口に出してしまって、すぐ後悔するのでございます。」享太は居ずまゐを直して、強ひて口許に微笑を浮べた。
「祐子も歸って参ったやうだから、あちらで茶でもいれよう。さァ來なさい。お前の好物の鳥飼の一ぷん饅頭があるぞ。こんな大きなのが。」藤左衛門はおどけた様子で、兩手で輪を作って見せた。
「御祖父様、一ぷん饅頭、半ぶん下さる?」享太も釣込まれて冗談を返した。
「半分? 又、お前の癖が始まったのう。」藤左衛門は怡しげに笑った。
 享太は幼い頃から、ものを強請る時には屹度、
「半ぶん頂戴?」といふ妙な癖があった。身體が虚弱で内氣な性質であったせゐだらうか。菓子などはいつも仲の善い妹に半分殘した。
 その妹の賑かな聲を茶の間に聞いて、享太は急に氣輕に身を起した。

呪詛
 その晩、藤左衛門は床に就いても、中々寝付かれなかった。とろとろとまどろんだと思ふと、宙を飛むでくる血みどろの首に追はれる夢を見ては、愕然と目をさました。
 雨もいつかあがったと見えて、夜風がざわざわと庭木を鳴らしてゐる。藤左衛門は、ふと、土藏の扉が軋むのを聞いたやうに思って、床の上に半身を起して、暫時、耳を澄ましてゐたが、
「そんな馬鹿な事があるものか。」と呟いて、再び頭を枕に着けた。
「‥‥だが、あれは恰度、雨あがりの今宵のやうな晩であった‥‥土藏の窓から射込む青白い月の光を浴びて、儂を見上げた爲成の怨恨をこめた顏が、今でも眼前にちらついてゐる‥‥」
 藤左衛門は三十年前の記憶を拂ひのけるやうに、闇の中で手を振ったが、忌はしい過去の出來事が、繪卷物のやうにまざまざと、彼の前に繰り擴げられた。
 天保五年、青木藤左衛門は三十二歳の男盛り、結婚してから未だ七年目、夫婦の間には晋之輔六歳、保馬三歳の二兒があった。妻の奈津は信州上田城主松平伊賀守の藩士、辻忠之丞の妹であった。
 その春、忠之丞の次男爲成は、酒の上の爭論から、家老の伜を殺害して江戸表へ逃げてきた。藤左衛門は爲成の卑怯な仕打を苦々しく思ったものゝ、
「爲成は兄が特に寵愛してゐる子供でございます。何とかして助けてやって下さいまし。」といふ妻の切な願ひを無下に斥けかねて、彼を邸内の土藏に匿まっておいたのであった。
 けれども、間もなくその事實が漏れて、松平伊賀守の江戸屋敷から、嚴しい掛合を受けた。
 藤左衛門は爲成の首級を渡すか、然らずんば松平の使者を叩斬って、三河以來の青木家を棒に振ってしまふか、その二つより途はなかった。彼は若い妻や、可愛いゝ盛りの二兒を犠牲にしてまで義理の甥を救ふ理由を認めなかった。
 屋敷の門の外には、松平の家臣達が篝火を圍んで物々しく警戒してゐる。藤左衛門は意を決して、土藏へ入っていった。
 長持の背後から這出してきた爲成は、齒をかちかち鳴らしながら、憐憫を乞ふやうに藤左衛門を見上げた。彼は四邊のざわめきや、叔父の顏色によって、十分に最後の來た事を察した筈であるのに、それでもまだ未練がましく逃路を求めてゐた。
 藤左衛門から因果を含められると、彼は恐ろしい形相で叔父を睨め付け、
「慈悲知らず! 覺えてをれ! 末代までも祟ってやるぞ! 代々の長男を呪ってやるぞ!」と絶叫した。
 紫電一閃、藤左衛門の早業に、爲成の首は、長男の呪詛を唇に乗せたまゝ、ころりと前に落ちた。
 その翌日、長男の晋之輔は深くもない泉水にのめり込んで非業の死を遂げた。妻の奈津は肉親の甥と愛兒の死とを悲むの餘り、同じ年の秋、病を得て逝去麟裁してしまった。
 次男の保馬は結婚後數年ならずして愛妻を喪ひ、快々としてゐたが、十年前、享太と祐子の二子を遺して奥州へ馬術修行に出たまゝ、今もって戻らない。藤左衛門は消息の絶えてしまった保馬を亡きものと諦めて、家を出た日を彼の命日とした。
 夫れから後、青木家には平穏な歳月が流れた。藤左衛門は爲成の呪詛を一笑に附し、忘れるともなく忘れてゐたが、最近家督を孫の亨太に譲らうと考へ始めて以來、急にその事が氣になり出した。その頃から享太の性格が著しく變ってきたのに氣付いた。享太は妙に拗者になって吾から暗い陰影を手繰り寄せてゐるやうに見えた。梶原の次男左門と祐子の婚約にしろ、もともと自分が先立ちになって斡旋しておきながら、今になって取殘された自分を嘲るやうな態度を見せてゐる。
「‥‥あれは段々、父親の保馬に似てきた。聲までそっくりになった‥‥」
 藤左衛門は眠られぬまゝに厠へ起(た)った。小窓の外に、雨あがりの庭が月光に照らし出されてゐた。ふと、袖垣の木戸を出ようとしてゐる享太の姿が眼にとまった。それを押しとゞめてゐるのはお千代であった。陰影の多い庭に、卯の花とお千代の顏が、白く浮び上ってゐる。藤左衛門は思はず耳を欹てた。
「若様、どうぞ今夜だけはお止し遊ばせ。大旦那様も御心痛になってゐらっしゃいますし、それに近頃は辻斬りなどがあって、夜更けの街は物騒でございます。」
「さァ、そこを退いておくれ。私は一廻してぢきに歸ってくる。」
「若様は何をそのやうにお惱みになっていらっしゃるのでございます。もしやして千代の事を後悔していらっしゃるのではございませんか。」
「そんな風にとって貰っては困る。私はどうかしてお前を幸福にしてやりたいと思ってゐる。」
「千代の幸福は若様がお幸福になって下さる事でございます。一日中、考へごとをなすったり、こんなに夜が更けてから、お出ましになったりして、若しお身體にお障りでもございましたら、千代はどんなに悲しいか知れません。どうぞお家へお入りになって下さいまし。」
「私は今捜しものをしてゐるのだ。迷ってゐる自分の魂を捜し歩いてゐるのだ。あゝ、そんなむづかしい事をいってもお前には解るまい。‥‥私は自分の身にかゝってゐる呪ひが恐ろしいのだ。このまゝにしてゐると、何か思掛けない凶い事が來さうな氣がする。さうかといって、呪ひをのがれる爲に長男の權利を棄てゝ、日蔭者になってしまふのは辛いのだ。お前の爲にも、子供の爲にも私は貧乏したくないのだ‥‥」
「千代は若様の御身分に目が眩れてゐるのではないつもりでございます。若し若様が日蔭の御身分におなり遊ばせば、千代は却って嬉しく御奉公する事が出來ます。」
「人間は一層、何にも持ってゐない方が幸福になれるのかも知れない。だが、私にはどうしてもさういふさっぱりした氣持にはなりきれない‥‥さァ、退いてお呉れ、一廻りしてくれば、いくらか氣が晴れるのだ。お前は心配しないで早くお寝み。」
 享太はお千代の肩を抱くやうにして傍へ押しやると、風のやうに木戸を出てしまった。
 藤左衛門は急いで寝室へ引返し手早く衣服を更めて享太の後を追った。

辻斬
 大戸を下した夜更けの街には、犬ころ一匹通ってゐなかった。空には月が照ったり、蔭ったりしながら遽しく雲間を駛ってゐる。
 赤い涎掛をした石地藏の前で立止っ藤左衛門は、風に流れてくる謡曲をたよりに、削立ったやうな杉並木に沿うて、崖下の道へ入っていった。
「‥‥善惡不二。何をか恨み何をか喜ばんや‥‥」
 烟び愬(うった)へるやうな音律のうちに、藤左衛門は享太の呼吸を感じ、血の流れる音を聞いた。
「享太! 享太! 儂は情知らずの頑固老爺ではないぞ。お前を幸福にする爲なら、何だってしてやる‥‥お千代の身分だってどうにだって出來るではないか‥‥」
 藤左衛門は一刻も早く享太に追付いて、しくしく、泣いてゐた彼を抱上げて、指先から棘を抜いてやったやうに、彼の胸から若者の惱みを取去ってやりたかった。
「享太! 享太! 儂がついてゐるぞ!」と呼びかけたが、その聲は空しく風に吹消されてしまった。
 二丁程先を、蹌踉として歩いてゆく享太の黒い影が、氷川神社の大鳥居の前に差しかゝった時、突如、常夜燈の背後から覆面の侍が躍り出た。
 さっと白刄が閃いた。
「卑怯者!」享太は二三歩よろめき出て、ばったりと倒れた。
「己れ! 辻斬!」
 藤左衛門は齒噛をして馳寄ったが、半ばもゆかない中に、覆面の曲者は飛鳥の如くに逃去った。
 袈裟斬にされた享太は、脇差の柄に手をかけたまゝ、血の海の中にのめってゐた。
「確りしろ! 享太! 儂だ! 儂が判るか!」
 藤左衛門は地面に膝を突いて、享太を抱起した。
「‥‥御祖父様‥‥」享太の唇が微に動いた。
「確りしてくれ! 傷は淺いぞ! 儂がついてゐるぞ!」
 藤左衛門は自分の言葉が悉く甲斐のないのを知ってゐた。自分がついてゐるといふ事が何の役に立ったらう? 今の場合も、これ迄も、淺いといった傷は決して淺くはなかった。
 享太の唇は見る見る褪せていった。
「享太! 享太!」
 血を吐くやうな藤左衛門の聲に、遠い國から呼び返された享太は、幼兒のやうな眸で祖父を見上げながら、菓子でも強請る時のやうに、
「‥‥半ぶんね‥‥」と呟いた。
 享太は冷い亡骸となって、仲之町の屋敷へ運び込まれた。北を枕に眼を閉ぢてゐる彼の顏には、最早生前の苦惱の影はなかった。
 家人を初め、急を聞いて馳付けた人々の中で、お千代は死骸に取縋って泣崩れてゐた。
 藤左衛門は葬式萬端を濟ましてしまふと、梶原左門を祐子の聟に迎へて家督を譲り、家屋敷を斜眞二つに折半して、表通りに面した方を左門夫妻に、殘りをお千代と生れてくる子供に與へた。そして彼は、自分の手にかけた爲成を初め、先立って逝った人々の冥福を祈る爲に、愛笛濱風一管を携へて、歸らぬ巡禮の旅に上ったのであった。 ――終――

注)句読点など追加修正したところがあります。明かな誤字誤植は修正しています。


「供養煎餅」
初出:「瘋癲病院前の煎餅屋」改題:「講談雑誌」 1935.04. (昭和10年4月号)
『昇降機殺人事件』春陽堂日本小説文庫410 1936.10.15 (昭和11年10月) より

半裸體の少女惨死體
 省線鳩ヶ丘驛を下りて、赤煉瓦を疊んだ西班牙風の共同庭園を抜けると、睡連の浮んでゐる池の先は、アスファルトの道路を隔てゝ、近代的な、明るい商店が竝んでゐる。寫眞店、文房具店、理髪店などが軒をつらねてゐる中で、ちょっと異様に感じられるのは、襟飾(ネクタイ)、襯衣(シャツ)、卓子(テーブル)掛、電熱器、ニュームの藥罐などを飾りたてた店の一隅で、牛肉や、ハムなどを賣ってゐる光景である。その飾窓(ウインドウ)には、仰々しい金文字で、赤澤洋品店と記してゐるところを見ると、以前は、郊外の雜貨店であったのが、土地の發展につれて、居住者の需要に從ひ、牛肉を賣出したのかも知れない。
 そのちぐはぐな赤澤洋品店の横手から、二丁ばかり人家が絶えて、兩側は區劃した分譲地になってゐる。その端れの陸橋を越えたところに、鎮守の森を背にして、水色に塗った長方形の洋館が、傾きかゝった樺色の夕陽をあびてゐる。
 門柱に掲げた木札には、「麗洋裁學院」とあって、門から玄關まで張りめぐらした萬國旗の下で、少女達が陽氣に飛びまはってゐる。
 その日は、同學院の創立第三周年記念日で、晝間は、校舎増築資金を得るための慈善市(バザア)があり、夜は、演藝會が催される。
 丁度日曜日だったので、卒業生や、家族たちが詰めかけてゐた。
 折柄、門前に銀鼠色の自動車が停って、前額(ひたい)の皺を白粉で塗りつぶした大柄な五十恰好の婦人が、荷物を持った二人の女中を從へて、しづしすと下車(お)りてきた。肥滿した體に衣服が合ひきれず、裾から紅い長襦袢がちらちら覗いてゐる。
「あゝ來た來た! 赤澤夫人がきたわ。お土産が澤山あるわよ。」
「お手のものゝ、ハムサンドウヰッチでせうよ。どうせ、肉屋の小母ちゃんだからね。」
「叱っ! 聞えたら大變よ。あの小母さんは、肉屋っていはれるのを何より厭がってるわ。だから、看板を赤澤洋品店と塗り變へたぢゃァないの。」
 口善惡(くちさが)ない女生徒たちは、學校の有力な後援者赤澤婦人のために、さっと道を開きながらも、そんな蔭口をきいてゐたが、次に、門を入ってきた二人連れの母子を見つけると、忽ち、そのはうへ氣を奪(と)られてしまった。
「あら、青柳絹子さんがいらしったわ!」
「相變らず素敵だわね。」
「あの方、どこへ行くんでも、お母さんと御一緒ね。」
「お母さんが、とても嚴しいんですって‥‥でも、あんなに綺麗ぢゃァ、お母さん、餘計な心配をする筈だわね。」
「あんた! そんなに溜息してゐないで、行って、飛びついたらいゝぢゃないの。相手が女なら、お袋だって大目に見るわよ。」
「痛い! 抓ったりして酷いわ。」
 少女たちは、早熟(ませ)た口をきゝながら、肘を突合った。
 緑色のドレスを着て、眞紅な鞄をさげた絹子は、少女たちに溢るゝばかりの微笑を投げかけて、母親の後から玄關へ入って行った。
 控室には、黒繻子の丸帶をお太鼓に結んで、時には、そのまゝ靴を穿いて、買物に出かけるといふ校長の金原女史を中心に、肥った奥さん、痩せた奥さんたちが、各自にお世辭の共進會をやってゐた。
「先生、お目出度うございます。おゃまァ、皆さんお揃ひで‥‥今日は、私のやうなお婆さんは、どうしようかと思ったのでございますけれど、娘が、どうしても一人では來られないと申すものですから、お供をして参りましたのよ。でも、かうして、皆さんの御元氣のよい顏を見ると、自分まで若返ったやうな氣がいたしますわ。」
 青柳夫人は愛想笑ひをしながら、甲高い聲で云った。
「よくお出かけ下さいましたこと。絹子さん、しばらくでしたね。だんだんお綺麗になるばかりぢゃありませんか。もう、ぢきお嫁さんですわね。おやおや。あなたは、今晩お琴を彈いて下さる筈ではなかったんですか。」金原女史は、絹子の洋装に不滿らしい視線を注いだ。
 絹子が、眞紅い鞄を指して何事かいひかけると、母親が横合から、
「娘は内氣でして、お振袖では、目だって厭だと申しますものですから、お琴を彈く前に、衣裳替へをさせることにして、その鞄に入れて参ったんでございますよ。」と、いつた。
 絹子は、母親の背後で、惡戯兒(いたずらっこ)らしく赤い舌をぺろりと出し、廊下へすべり出ると、
「お喋舌(しゃべ)り婆さん、うるさ婆さん――」
 と、鼻唄を唄ひながら、鞄を片手に、階段を二段づつ駈け上って行った。
「絹っぺ! 早くきて手傳っておくれよ。」同窓生の一人が、食堂の窓から首を突出して、大聲をあけた。
「OK! 手摺をすべって行って、アイスクリームの中へ足を突込むぜ。」と、絹子が應じた。
 娘たちは、母親の眼のどゞかないところで、そんな冗談口を叩き合ひながら、模擬店の用意をした。
 夕方から、急に蒸暑くなってきたので、絹子は、母親に内緒でドレスを脱ぎ、下着の上に割烹着をきて、甲斐々々しく、壽司や、サンドウヰッチを運んでゐた。
 餘興のプログラムは、豫定のごとく進み、新舞踊と獨唱の後が、いよいよ青柳絹子の琴の演奏である。
 最前から、たゞならぬ面持で、廊下を歩き廻ってゐた青柳夫人は、幹事の一人に、
「宅の娘をお見かけになりませんか? もう直ぐ出番だといふのに、どうしたんでございませう。」と訊ねた。
「絹子さんは、二階へ衣服を着かへに行かれたのではありませんか。」
「私、先刻(さっき)から三度も二階へ行ってみたんですが、鞄が置き放しになってゐて、おまけに、着てゐたドレスまで抛り出してあるんでございますよ。御不浄へでもと思って、捜して見たんですが‥‥」
「それは變ですね‥‥」
 そんなことをいってゐる二人の周圍を、いつか、餘興の進行係や、絹子の同窓生たちが取卷いてゐた。
「怪しわね。衣服を替えてくると行って、食堂を出たのは、もう三十分も前よ。」
「あら、二階には來なかったやうよ。私は、ずっと衣裳室にをりましたわ。」
「待って頂戴! 三十分前っていへば、第一部のをはる少し前で、アイスクリームの届いた時だったわね。あれを受取ったのは誰?」と、他の一人が云った。
「絹子さんの係りだったんだけれど、あの方が見えなかったから、私が受取ったわ。御氣分でもわるくって、お家へお歸りになったのぢゃないかしら?」
「眞逆、あんな風をして、戸外へ出る筈はないわ。それに、こんな眞暗な淋しい道を、ひとりでなんか歸れるもんですか。」
「ほんたうに、絹子は何處へ行ったんでせう。もしものことがあったら、どうしませう。」青柳夫人は、おろおろ聲で云った。
「まァ奥様、そんなに御心配なさいますな。若い娘さんは氣紛れなもので、かうしてゐる間にも、ふらりと歸っていらっしゃるかも知れませんよ。」金原女史は立騒ぐ生徒たちを眼顏で制しながら、努めて冷靜に云った。
「何ですって! 絹子が氣紛れで、どこかへ行ったと仰有るのですか。さういふ世間の娘たちと、一緒にされてたまるもんですか。」青柳夫人は青筋を立てゝ喰ってかゝった。
 その時、人々の騒ぎを他(よそ)に、部屋の一隅で、脂ぎった鼻の頭に、コンパクトの白粉を叩きこんでゐた赤澤夫人は、扉口にちらと動いた人影を見つけて、
「春次さん、何んです今頃? 八時に迎へにくるなんて云って、もう、九時ぢゃないの!」と噛みつくやうに云った。
 その聲に、五十がらみの禿頭の男が、弛んだ頬に、極りの惡さうな薄笑ひを浮べながら入ってきた。それが、赤澤夫人の良人春次である。
 實際は、十人並のがっしりした男であるが、血色のいゝ肥った夫人の前では、ひどく萎縮して、貧弱に見えた。彼は一座を見廻して、
「皆さん、今晩は御盛會で‥‥」と、いひかけたが、あっと叫んで顏を顰め、臀部(しり)をさすりながら、夫人の後について部屋を出て行った。
 人々は、顏を見合せて冷笑した。
「春さんも、あれぢゃァやりきれんな。家へ歸って、又、内儀(かみ)さんにひっぱたかれるんだらう。」と、小聲で云ったのは、肉屋の春次と幼馴染みの、麗洋裁學院の小使であった。
「貴婦人の體面を保つのは、骨の折れるものですわね。肉屋の春次が、いつの間にか赤澤春次になるんですもの、おほほほゝ。」
 人々は、どっと哄笑した。
 青柳夫人は、烈しく卓子を叩いて、
「あなた方は何です! そんな、下品なお饒舌(しゃべり)をしてゐる間に、何故、絹子のことを心配して下さらないんです。どなたか、警察へ電話をかけて下さい!」と、半狂亂になって叫んだ。
 人々は、青柳夫人を宥め、手分けをして、各教室から運動場の隅々まで捜すと共に、青柳家その他、心當りへ使者を派したが、絹子の消息は知れなかった。
 そのうちに、夜の十時過ぎになったので、人々は、はじめてことの重大さに氣づき、警察へ訴へ出たのであった。
 警官隊、及び當夜の演藝會に集った生徒父兄の有志を加へた捜査隊は、麗洋裁學院を中心に、附近一帶の雜木林、畑地、栗の並木に沿うた掘割などを、根氣よく捜しまはった。
 十時半頃から降り出した雨に、ずぶ濡れになった一行は、空しい捜査を打切りにして、夜明けを待つために、學院へ歸りかけた時、最前通りすぎた裏手の鎮守の森で、先頭に立ってゐた警官の一人が、
「あっ」と、叫んで、強烈な懐中電燈を巨木の蔭に注いだ。路傍(みちばた)から三米ばかり入った叢に、白い人間の足が、にょっきりと飛出してゐた。
 駈け寄った人々は、その酷たらしい光景に、思はず顏を背けた。
 俯伏せになって、窪地へのめりこんだ半裸體の少女の頭の上に、大きな石が乗せてあつた。下敷になってゐた少女の頭部は、滅茶々々に叩き潰され、腦漿がはみ出してゐた――それは紛れもなく、青柳絹子の惨死體であった。

監獄部屋を脱走した男
 檢屍の結果、兇行の演ぜられたのは、日曜日の晩、八時から九時までの間と推定された。
 被害者が、割烹着の下に、洋服の下着だけしかつけてゐなかったといふ點から、絹子は、誰か面識のあるものに誘はれて、ほんの五分か十分のつもりで、校舎を抜け出したものと見做された。警察では、情痴の犯罪と睨んで、先づ絹子を繞る異性を洗ひ出すことに努めた。
 被害者の同窓生たちは、口を揃へて、
「絹子さんに、愛人があったとは思へません。お母さんが嚴格で、葉書一枚出すにも、蹤いていらっしゃるくらゐですから、男のお友達なんかこしらへる機會(チャンス)はなかったでせうよ。尤もあの方は、お母さんの前では、大きな聲も立てないほど淑かにしてゐながら、私たちばかりになると、とても活發で、男の子の言葉を學院へ輸入したのも、あの方なんですもの。蔭でどんなことがあったか知りませんけれど、私たちの知ってゐる限りでは品行方正のお嬢さんでしたわ。」と、いふのであった。
 絹子の母親は、刑事の口から洩れた男女關係云々といふ言葉に、血相を變へて、
「それは失言でございませう! 私の娘に限って、さういふ淫らなことは絶對にございません! あの娘が、あんな無殘な死態(しにざま)をいたしました上に、そんな穢らはしいことを云はれたのでは、亡くなった良人に對して申しわけがございません。宅の絹子は、純潔な處女で死んだのでございます。何かの間違ひで、石が頭の上へ落ちてきたんでございませう。」と、いって、他殺であることさへも否定しようとした。
 青柳家が、關東の震災前、芝の琴平町で質店を營んでゐた頃から、奉公をしてゐた女中のお筆は、刑事の質問に對して、次のやうな陳述をした。
「旦那様が、震災でお逝去(なくなり)になって以來、この鳩ヶ丘へ引込んで、ごく内輪だけで暮してをりましたから、殆んど、お客様などはないくらゐで、たまにお出入りするのは、奥様の遠縁にあたる横川ざん(仲太郎二十六歳)くらゐのものでございます。その方は、こちら様から資金を出して頂いて、自動車屋さん(火の見櫓下、横川ギャレージ)をやってゐますので、奥様や、お嬢様が、東京へ買物にお出掛けになる時、送り迎へをするくらゐのものでございます。」
 刑事の一行が、鳩ヶ丘銀座の、火の見櫓の下にある横川ギャレージに到着すると、助手の坂上といふ少年が、午後の一時といふに、ギャレージの扉を半分閉めたまゝ、薄暗い上框で豆本を讀んでゐた。
 自動車が置いてあるから、横川が、仕事に出てゐるのでないことは確かであった。
「ゐないんですよ。朝飯を食べかけて飛出したきり、まだ歸ってこないから、僕は何かあったんぢゃないかと思って、心配してゐるんですよ。」坂上少年は、大きな眼をくりくりさせながら云った。
 成程。火鉢の傍のちゃぶ臺には、鍋、茶碗、漬物鉢などが出し放しになってゐる。
「どうして、急に飛出したんだね。誰か呼びにきたのか。」
『さァ‥‥何だか知らないけれど、何處からか電話がかゝってきて、それを聞くと、あわてゝ、雨外套(レインコート)を抱へて飛んで行っちゃったんで。」
「昨夜は、何時頃歸ってきたかね? 何か、様子が變ってゐなかったかね。」
「青い顏をしてゐたから、僕が訊いたら、頭痛がするんだといってゐました。お向うのラヂオが浪花節をやってゐたから、九時頃でせう。」
「それからどうした?」
「今夜は、もうお客もないだらうから、早寝にしようといって、すぐ二階へ上って寝たんですけれど、十二時頃、不意に僕を揺り起して、支那蕎麥を買って來いといひましたから、五錢のやつを二つとってきて、僕もご馳走になったんです。」
 少年の言葉によると、横川は、終夜寝つかれず、轉輾反側してゐたらしく、少年が眼を覺すたびに、何か話しかけたといふ――その話といふのは、雨は歇むだらうかとか、もう夜が明けるだらうとか、さういふ種類のものであった。
 ギャレージは、その三題と二階の六疊だけで、三度の食事は、近所の簡易食堂から取ってゐた。
 きちんと片づいた二階の壁には、前夜、横川が着てゐたといふ紺サージの背廣服が、衣紋竹にかゝってゐた。ズボンの裾と、上衣の右肘に、犬蓼の實が五六粒づつ附着してゐた。
 二人の刑事は、顏を見合せてうなづきあった。
 絹子の死骸が發見された現場附近には、犬蓼が繁ってゐた。十時過ぎから振り出した豪雨のために、犯人の手掛りとなるやうな足跡などは、洗ひ流されてしまってゐたが、巨木の根元に、竪に折りつぶしたバットの空箱が投げ棄てゝあった。それと同じやうに、折り潰したバットの箱が机の下の煙草盆にも、突っこんであった。
 刑事達は、海老茶色の繪葉書帳の間に挾んであった水兵服の、青柳絹子の寫眞と、古雜誌の餘白に「絹子、絹子」と、落書してあるのを發見し、それらの品々を、手柄顏に押収して行った。
 これで、事件は、簡單に落着しさうに見えたが、肝心の横川仲太郎は、月曜日の午前九時前後に、ギャレージを飛び出したきり、杳として消息を斷ってしまった。
 警察は、世間の非難をあびながら、躍起となって、犯人の行方を捜してゐるうちに、いつか夏もすぎて、殘暑の嚴しい九月の上旬、北海道の室蘭警察署から、耳よりな照會に接した。
 それは、石狩の監獄部屋から逃走してきたとふ一行路病者が、かねて手配中の、鳩ヶ丘事件の横川仲太郎と自稱してゐるといふのであった。
 警察側は狂喜して、二三の問合せをした後、身柄引取のために、幡谷刑事が、北海道へ急行した。
 それから一週間目の朝、憔悴しきった横川を取圍んだ係官達は、彼の唇をついて出る奇怪な陳述に、驚嘆した。
 署内は、俄かに緊張して、目から目、口から耳へと、何事かゞ傳へられて、腕利きの刑事たちが、八方に飛んだ。第一に、山の手の赤澤洋品店の本宅へ向った刑事は、夫妻が午睡をしてゐるところへ踏みこんで、浴衣がけの赤澤春次をしょぴいてきた。
 横川は、
「僕が、麗洋裁學院の記念日の晩、そっと絹子さんを呼び出して、一緒に裏の森へ行ったのは事實ですが、僕が、あの人を殺し、そのために、今まで逃げ隠れてゐたなどといふのは、飛んでもない濡れ衣です。今だからお話しますが、あの晩僕たちは、見られてはならぬところを赤澤に見つけられ、さんざんに油を搾られ、僕は、その場から追ひ返されたのです。
 僕は、翌朝、電話を聞くまでは、絹子さんが、あれからすぐ、赤澤に送られて、學院へ歸ったものとばかり思ってをりました。僕が、その晩一睡も出來なかったのは、僕らのことが、嚴格な伯母の耳に入ったらどうなるかと、それを心配してゐたからです。ところが、翌日、赤澤から、絹子さんが前夜から行方不明で、大騒ぎになってゐると、云ってきたのです。それについて相談があるから、すぐ澁谷驛へ來いといふことだったので、僕は、自分にも責任のあることゝ思ひ、びっくりして飛んでゆくと、赤澤の代理と稱する男に瞞され、横濱の岩壁から、汽船へ叩きこまれてしまったのでした。」と、いふのだった。
 赤澤春次は、横川の陳述を徹頭徹尾否定して、しまひには、こんな男は、顏も見たことがないと云ひ出した。彼は、刑事の嚴しい訊問にも、爪を噛んだり、鼻をほぢくったりして、折々放心したやうに、窓外を凝視してゐた。
 その時、幡谷刑事が、妙な聞きこみをしてきた。といふのは、停車場の新設ブリッヂのコンクリート工事をやってゐる職人の一人が、一ヶ月ほど前に、人里離れた赤澤の持山に、コンクリートの倉庫を建てたといふのである。
 場所が場所であり、その上、建物の内部は四つに仕切られ、屋根に圓形の窓があって、そこからは、どの部屋をも覗けるといふ――奇怪な建物だと聞いて、幡谷刑事は、赤澤の秘密の一部を掴んだやうに思ったのである。
 警察側では、赤澤の店にも、本宅にも、彼の犯罪を裏書するやうな材料を發見することが出來ず、その上、時日が經過したために、事件發生當夜の彼の行動についても、奉公人たちの記憶が區々(まちまち)で、いづれも信ずるに足らなかったので、この聞きこみに勇躍し、早速、謎の倉庫を襲ふことにした。

窓から死を笑ふ惡魔
 それは、鳩ヶ丘から京濱國道へ出る自動車道路の途中を、セメント工場の砂利置場に沿うて、水田の間を、三丁ほど入った杉山の裏にあった。四角な箱を伏せたやうな、灰色の倉庫の屋根で、鴉が騒々しく鳴いてゐた。
 重い扉を開けて、眞先に中へ入って行った幡谷刑事は、他の連中が倉庫の周圍を見まはってゐるところへ、白ちゃけたやうな顏をして、口をぱくぱくさせながら飛び出してきた。
「どうした? 何かあったのか?」人々は、幡谷刑事の啻(ただ)ならぬ顏色を讀んで、傍へ寄っていった。
「とに角、來てご覧なさい!」
 一同は、前額の汗を拭いてゐる幡谷刑事を押しのけるやうにして、中へ入った。旅行鞄(トランク)などの積みあげてある部屋を抜けて、次の間を覗いた人々は、むっと鼻をつく異様な惡臭に、思はずたち竦んだ。
 がらんとした部屋の周圍の壁に、どす黒い血飛沫(しぶき)がかゝって、板張りの牀の諸所に、黒い汚點(しみ)がこびりつき、その隅のはうに、布製の赤い帽子を被った人形が轉ってゐる。天井の銀杏型の明りとり窓から、太い麻繩が一本、だらりと垂れてゐた。
「まるで、屠殺所だな! 一體どうしたことだ!」
「若し、人間を殺したとしたら、一人や二人ぢゃァないぞ。」
 人々は、その凄惨な部屋を出て、倉庫の内外を念入りに檢(あらた)めた。
 他の二つの部屋は、全然使用した形跡がなく、第一の部屋に積んであった三個の旅行鞄(トランク)の中、二個は、婦人と男女の子供の衣服が、夏冬一通り詰めこんであり、殘る一個には、正札附の輸出向のキモノ類、絢爛な刺繍を施した卓子掛布(テーブルかけ)などが、ぎっしりと入ってゐた。
 そこへ、泥塗(まみ)れのシャベルを掴んだ幡谷刑事が入ってきて、
「怪しいと思ったら、やっぱり、あの盛れ上った赤土の下から、死骸がでてきましたよ。今、近所から狩り集めてぎた人夫が、掘り出してゐます。」と部長に報告した。
 掘り出されたのは、三個の死體であった。中年の女と、十二と、十歳ぐらゐの兄妹と見える子供――いづれも四肢を縛され、猿轡を嵌められてゐた。解剖の結果、この三人の不幸な犠牲者たちは、鈍器による頭部の打撲傷が、直接の死因をなしてゐたが、その以前、すでに、餓死状態に陥ってゐたことが判明した。
 ところで、赤澤は、酷たらしい三個の死骸を突きつけられても、現場へ連れてゆかれ、血腥い恐怖の部屋で、天井から下ってゐる繩の端に、鼻先を押しつけられても、けろりとして、
「こんなもの、僕は知るものか。こんな女や餓鬼なんぞ、見たこともない!」といひ張り、倉庫など建てた覺えはないと、云ひ出した。
 旅行鞄からでたキモノに、暗示を得て、幡谷刑事は、その日の中に横濱へ急行し、加賀署の應援を得て、輸出向のキモノ類を扱ふ店を片端から物色した揚句、元町通りの片瀬商店が、一ヶ月前から、店を閉めたまゝになってゐる事實を突き止めた。
 緑色の、カーテンの下りてゐる表のガラス扉を、幡谷刑事と、巡査が、開けようとしてゐるところへ、筋向うの蕎麥屋から、出前持の若集が飛び出してきて、
「もしもし、旦那、片瀬さんに何かあったんですか。」
「君は、こゝの家の者を知ってゐるだらう。何人暮しだったね? いつ頃からゐなくなったんだね?」幡谷刑事は、正直さうな若集の顔を見守りながら、云った。
「知ってゐますとも。片瀬さんのところでは、旦那さんが、二年前に盲腸炎で亡くなって、奥さんとお坊ちゃんと、お嬢さんの三人暮しでした。八月二日だったかに、知合ひの別荘へ避暑に行くんだと云って、出かけたんですが、それから四五日して、急に、片瀬さんで店を疊むのだとかいって、代理の人がきて、荷物を運び出していったから、不思議だと思ってゐたんでさァ。」
「代理といふのは、どういふ男だったね。」
「別莊の持主だとかいふ人で、その朝、銀鼠色の大型自動車で、奧さん達を迎へにきた人です。非常な金持ちだとかいふんですが、何ンとなく蟲の好かない男でした‥‥やっぱり彼奴は、詐欺か何かで、片瀬さんの荷物を盗んだんですか。」
「それどころぢゃァない。こゝの母子の三人の死骸がでてきたんだ。」
「えっ! それぢゃ、彼奴の仕業に違ひねえ! 旦那。その男はね。頬ぺたが弛(たる)んで、いやに唇が赤く、猫撫聲を出す野郎でした。自動車に乗る時に、坊ちゃんの可愛がってゐた犬が、一緒に蹤いてゆかうとしたら、恐ろしい顏をして蹴落しやがったんですよ。坊ちゃんはべそを掻くし、犬はきゃんきゃん泣きやがるし、あの朝のことは忘れやしねえ。 あのしっかり者の片瀬の奥さんが、どうして、あんな男と懇意にしてゐたんだらうと、不思議でならねえんですよ‥‥なァ黒や、お前だって、彼奴の顏を覺えてゐらァなァ。畜生! 酷えことをしやがる‥‥」若衆は、足下にまつはりつく黒犬の頭を撫でながら云った。
 幡谷刑事は雀躍(こおどり)して、蕎麥屋の若衆倉吉、及び時折り片瀬家へ手傳ひにきたといふ派出婦、小林たけを同道して、東京へ引揚げた。
 この二人の首實驗によって、三個の死體が、片瀬母子であること、それから、三人を連れだした男が、赤澤であることが明白となった。
 さすがの赤澤も、かうした生證人に出られては、さうさう強情も張りきれなくなったと見えて、俄然態度を更(あらた)め、大膽極る告白をした。
 彼は、殺し場にいたると、爛々と眼を輝かし、身振り手眞似をさへ交へ、微に入り細にわたって、戰慄すべき兇行を陳述した。
 云ふまでもなく、例の麗洋裁學院の記念日に、裏の森で青柳絹子を殺害したのも、彼であった。
「畜生!」幡谷刑事は、耐りかねて、赤澤の横面を撲りつけた。
 赤澤は、その時だけは、昂奮から醒めたやうに、白々とした顏をして部屋の中を見まはしてゐたが、すぐ又、べらべらと喋舌りつゞけるのであった。彼は、片瀬親子を倉庫に監禁し、饑餓と恐怖のために、瀕死の状態に陥ってゆく様子を、屋上の窓から覗いて、惡魔の快感に陶酔してゐたのであった。
 殺人の動機は、物慾でもなければ、情痴でもない。殺人のための殺人――即ち、春次は精神病患者であると主張し出したのは、赤澤夫人であった。
 世人は、この極惡無比な男に對して、呪詛と憎惡をあびせ、極刑を叫んだが、赤澤夫人だけは、最後まで良人に味方した。
 彼女は、鳩ヶ丘の洋品店も、住宅も洗ひざらひ金に替へ、良人の収容された瘋癲病院の門前に、煎餅屋を開店し、供養煎餅といふ看板を掲げて、朝から晩まで店に坐り、自分の顏のやうな大きな煎餅を燒いてゐる。それらの煎餅の二百枚だけは、毎日、患者の茶菓子(おやつ)として、向ひ側の病院へ寄贈されるのであった。

注)明かな誤字誤植は修正していますが、そのままにしているところもあります。
注)良くも悪くも実話をアレンジして繋げた創作実話のようにも思える作品。


「赤屋敷物語」
初出:「キング」 1935.09. (昭和10年9月号)
『昇降機殺人事件』春陽堂日本小説文庫410 1936.10.15 (昭和11年10月) より

丘の一軒家
 晴れた日には、空の明るく透いて見える木立の間に、鹿でも彳(た)ってゐさうな雜木山があった。その裾に沿うた小徑を中途から折れて崖を切崩した赤土のだらだら坂を上ってゆくと、臺地の端れにその邊には珍らしい一叢の蘇鐵が荊(とげ)ばった四肢を青空に張ってゐて、その陰に住む人もない赤煉瓦の小さな洋館があった。
 私は肩に掛けてゐた繪具箱を、どさりと草の上に投出し、先づポケットからバットを探り出して火を點けた。私の畫布(カンヴァス)には、高く積上げた四角な煙突と、緑の鎧戸を閉した二つの窓をもつ、古風な建物が既に三分の二まで描上げてあった。雨曝しになった屋根には青苔が生え、煙突の一角が虧(かけ)落ちてその上方に白雲がぽっかりと浮んでゐる。
 私は偶然に見付けたこの置忘れられたやうな、丘の一軒家に耐らない魅惑を感じ、もう五日間も横濱から通ひつめてゐるのである。
「偖、今日は何としても仕上げて了ふぞ。」私は指先を焦す程短くなったバットの吸殻を棄てゝ、畫架に對(むか)った。
 その日は空が單調に霽(はれ)渡ってゐて、雲の面白味がなくなってゐたので、昨日煙突の上の氣紛れ雲を描いておいて良かったと思った。
 ――額縁屋の親父はこの繪が出來上ったら、海岸通りに新らしく開店した喫茶店に賣込んでやるといったっけ――この繪が金になって呉れたら、實に有難い――編物の内職をしてゐる由紀子は今朝は眞實に飯を喰ったのかしら? いつも貧乏を苦にしないやうな明るい顏をしてゐるが‥‥――
 米代――繪具代―間代――私の頭腦(あたま)には繪具管(チューブ)を搾り出すやうに、生活苦の妄想が様々な色合をもって繋り出た。
 私は夫等の雜念を繪具と一緒に掻交ぜて、煙突の影を一氣に刷かうとした時、
「おや!」と叫んで、思はず繪筆を握ったまゝ立上った。いつの間にか、屋根の上に二人の職人が現はれて、無遠慮に屋根を剥し始めたのである。
「おい、おい、君達何をするんだ!」私は肚立たしさと、驚愕にくわっとなって呶鳴り付けた。
「畫工さんが繪を描いてゐるやうに、毀し屋さんが家を毀し始めたところなんですよ。はっはっはゝゝはゝ」屋上の職人はあっさりと應酬した。
 私は尠からず悄氣(しょげ)返って、
「さうか、取毀しか、それぢゃァ文句はいへないな‥‥だが、参ったな‥‥」
「こゝに十間道路が出來るんでしてね、大至急取毀しといふ事になったんですよ。」
「折角描きかけたんだから、そこは後廻しにして貰へまいかね。」
「こっちも日限を切って請負った仕事なんだから、手順が狂ふと困るんですがね。」
 屋根の上と下で、そんな押問答をしてゐると、いつの間に來たのか、妙な老人が私の繪を覗込んでゐた。
 二人の職人は肘を突合って、何かこそこそ話してゐたが、その中の一人が私に對(むか)って、拇指の先が老人の方をさしながら、
「あれが旦那ですよ。」と智慧をつけるやうに囁いた。
 氣の良ささうな職人達は、私の繪に同情を寄せたのか、それともこんな上天氣に一服する間を拾ふのも惡くないと考へたのであらうか。
 私は家の持主に嘆願して、屋根剥しを二時間計り猶豫して貰はうと思って側へいったが、相手の服装を見て、それは到底繪の事など理解して貰へまひと落着(がっかり)して了った。老人は盲目縞の筒袖に、同じ木綿の半纏といふ田舎の百姓親父とも、漁師ともつかぬ得體の知れぬ恰好をしてゐる。
 だが、老人は私に氣がつくと、
「うむ、中々良く描けてゐる。あと三時間もあったら仕上るかね。」といった。唇を衝いて飛出したのは齒切れのいゝ東京辯であった。顔を見ると、百姓どころか、白い房のやうな眉の下に、凡ゆる人世を看てきたやうな深見のある眸が活々と動いてゐる。
「實はそれで‥‥」と、私がいひかけると、老人は皆まで聞かずに、さっさと職人のところへいって、仕事を中止させた。それ計りでなく、家の横手に立てかけてあった梯子を取除けさせ、職人の開放しにした窓を閉めさせたりして、總て私の繪の構圖通りの状態にして呉れた。
 ひどく無愛想で、親切なこの老人は、餘り口數を好まないらしく見えたので、私は喋々しい禮などを述べる暇に、繪筆をとって仕事に取りかゝった。

不思議な老人
 刻々と逃げてゆく光線を追って、夢中で繪筆を動かしてゐた私は、どうでも良い最後の一筆を、浮んでゐる白雲の上に加へて、ほっと溜息をした。
 數年前、九品佛の裏手のチューリップ畑を寫生しかけて、二三日して出掛けて見ると、花は跡形もなく刈り取られ、仁王のやうな赤松が一本、掘返された畑地を横眼で睨んでゐたっけ。その時の忌々しさに引替へ、家主の厚意でこの丘の一軒家を無事に畫布に収め得た事は何といふ幸運であらう! 私は明日にも取毀されるその癈屋に感謝と告別の意を注ぎながら歸り仕度を始めた。
 そこへ、ひょっくり現はれたのは先刻の老人であった。
「君はその繪を展覧會へでも出品するつもりかね。」老人は、不意にそんな質問をした。
 私はどぎまぎしながら、氣を落着ける爲に先づ一服と、ポケットの煙草を引出したが、ひしゃげたバットの箱は空虚(から)であった。さういへば朝は燒芋を喰った計り、晝飯はぬきにした程だから、二日も前に買ったバットが、さういつ迄もありよう筈はないのである。
「お庇さまで、どうやら出來上りましたが、さァ‥‥展覧會に出すほどの出來榮えでは‥‥」と私がいひかけると、又しても老人は性急に、
「儂にくれぬか、是非欲しいのぢゃ。」といふのであった。
「お氣に入ったのなら差上げてもいゝですが‥‥」
「兎に角、儂の家へ寄って茶でも飲んでゆかないか、何故儂がこの繪を所望するかといふ譯を話さう。」
 老人は私の返事も待たずに、先に立って歩き出した。この不思議な老人は私をどんな家へ連れていって、どんな話を聴かせようといふのであらう? 私の好奇心は動いた。
 雜木山の麓の松原を抜けて、石垣を積上げた土手を下りると、銀鼠色の大型自動車が待ってゐて、金釦付の緑色の服を着た運轉手が恭しく扉(ドア)を開けた。
 私は狐に憑(つま)まれたやうな氣持で、老人と竝んで柔いクッションに腰を下した。近間でよく見ると、粗末な綿服と思ってゐた老人の半纏の裏にも、衣服(きもの)の裾廻しにも上等の羽二重が使ってある。
 自動車はアスファルトの大通りを辷るやうに走り、整然とした砂利置場、長く續いた工場のトタン塀、ガソリンスタンドや、火の見櫓等の竝んでゐる十字路を横切って、青々と伸びた麥畑の間に、豁然(こつぜん)と展(ひら)けた六間道路へ出た。
 軈て自動車は急カーヴを切って、紀井と記した表札を打ちつけた門を入っていった。屋根の上で栗の葉がざわざわと鳴ったり、楓の若葉が緑の雨のやうに、窓ガラスを撫でていったりする中に、ものゝ五分もしてやうやう自動車は白ペンキ塗りの新コロニアル式の洋館の前に停った。
 私の到着は豫期されてゐたと見えて執事らしい男や、女中達まで玄關に迎へ出て、私の繪具に汚れた荷物を受取り、私を庭に面した部屋へ導いた。そこには食卓の用意が出來てゐた。
 老人は奥へ引込んだと思ふと、鳥渡の間に盲目縞の鐵砲袖を脱棄て、鼠色の合服に、濃い海老茶の蝶形ネクタイを結んで現はれた。そして長椅子の上に立てかけてあった私の繪を、いきなり飾棚に乗せてもう一度しみじみと眺めた後、
「君、儂はあの家で首を吊った事があるんだ。」といって、丘の家を指した。
 私は老人の不意の言葉に唖然として眼を瞠(※)った。老人はそれっきりその事には觸れないで、私を食卓に就かせて、温いスープ、鶏の丸燒、新鮮な野菜、大きなビーフステーキ等が次から次へと運ばれた。私は生れて初めての御馳走に朝からの空腹を滿しながらも、首を吊った云々といふ老人の言葉が氣になってならなかった。それに私のやうな名もない貧乏畫家を、どうしてこんなに歡待して呉れるのであらう。一體この老人は私に何を語らうといふのであらう? 凡てが謎である。
「君の兩親は健在かね?」又しても連絡のない言葉が、老人の唇を衝いて出た。
「はい、兩親共丈夫で、田舎で百姓をしてをります。父は自分で繪が好きだったものですから、私を畫家にしてくれました。」
「それは結構ぢゃ、世の中に親程有難いものはない。それを一刻も早く悟るのが、人間として何よりの幸福である。儂などはそれを悟るのが餘りに遅過ぎた。氣がついた時には兩親とも既に現世(このよ)にはなく、生涯の悔恨を遺して了ったのだ。君の描いたあの丘の家は、儂の愚かな青年時代を具(つぶさ)に目撃してをった。 今から四十年も昔のこと、その頃から世間ではあの家を六つ澤の赤屋敷と稱んでゐた。六つ澤は土地の名、當時珍らしい赤煉瓦建だったからさう稱んだのであらう。偖、儂がどうしてあの赤屋敷の一室で、自殺を企てねばならなかったか、その由來をお話しよう。」老人は私の寫生した赤屋敷に、もう一度眼を注いで、靜に語り出した。

測り知れぬ恩愛
 紀井家の先代善右衛門は、元々子安在屈指の豪農ではあったが、横濱の開港と同時に、逸早く外國貿易に手を染め、一代に巨萬の富をつくった。
 彼は横濱で一番先に洋服を着た日本人であり、一番先に洋館を建てた男で、萬事西洋好みであった。そんな譯で獨息子の幸麿も洋畫の研究といふ目的で、佛蘭西巴里へ留學させられた。それも簡單な書生旅行ではなく、大切な息子に萬一の事があってはといふ心遣ひから、かゝりつけの醫者、氣に入りの料理人、それに目付役の大番頭春川の三人が随行、汽船も一等、旅館も一流、巴里ではセーヌ河に臨んだレヂナ旅館の五部屋を借切って、出るにも、入るにも馬車といふ豪勢振りであった。
 東洋の貴公子は忽ち社交界の人氣者となり、いつか勉強などはそっちのけに、金髪美人の御機嫌をとる事と、金錢を湯水のやうに消費する事のみを覺え込んで了った。それでも番頭の春川が監督してゐるうちはまだ良かったのであるが、彼が病氣で巴里の病院に入ってゐる間に、伊太利で美術館めぐりをしてゐる筈の幸麿は海岸旅館の娯樂場で、 イカサマ博奕に引かゝったり、競馬で大失敗をしたりして、巴里へ戻る旅費まで使ひ果して了ふやうな始末、流石太っ腹の春川もこれには驚いて三年の豫定を一年に繰上げ、この手に負へない若様を日本へ連れ歸ったのであった。
 けれども一旦身に浸込んだ浪費癖は容易にぬけきれず、巴里仕込みの遊蕩兒は父の強意見も、母の涙も上の空で、家を外に遊び暮してゐた。
 その中に母と父は息子の不行跡を苦にしながら相次いで病歿して了った。流石に幸麿もその當座は改悛の色を見せて神妙にしてゐたが、再び以前の取卷連に煽てられて、淋しさと、悔いを吹飛ばすやうな亂痴氣騒ぎに日を過すやうになった。
 だが、黄金の山も坐して喰へば空しの諭言(たとえ)通り、百萬長者と謳はれた幸麿も、數年ならずして借金で首も廻らぬ有様となった。そのどん詰りにきて彼は初めて昔の番頭春川を訪ねる氣になった。善右衛門は臨終に際して、何事も春川に相談せよと遺言していったのだが、顏さへ會せれば意見がましい事をいふ春川を煙たく思ひ、父なき後は頭の抑へ手のないのをよい事に、幸麿は春川の存在などは無視してゐた。その春川は現在は横濱でも羽振の良い生絲商になってゐる。 口善惡(くちさが)ない世間では、紀井善右衛門の死後財政整理に當った彼がいゝ加減にごま化して、今日の基礎を築いたのだなどと噂してゐる。そんな事を耳にしてゐる幸麿は一層彼に對して反感を抱いてゐたが、年の瀬を前に債鬼に責められる苦しまぎれから、本町通りに大間口を張ってゐる春川商店へ出掛けていったのである。
 幸麿が神奈川輕井澤にある家屋敷を賣りに出す相談をもちかけると、
「あれだけのお屋敷ですもの、時機を待てば相當な買手がつくでせうが、こんなに押しつまって今日明日に金にしようと仰有っても、それは御無理でございますよ。」といふ情ない返事であった。
 幸麿が途方に暮れて、幾許(いくら)でも良いから現金に替へたいといふ口吻を漏らすと、春川は狡猾さうな薄笑ひを浮べて、
「それ程お困りになるなら、斯ういふ事に致しませう。私が一時あのお屋敷を買取って置いて、他日若様にお金の都合がついた時、買戻して頂くと、それで如何でせう。」といった。
 そんな譯で紀井家の広壯な邸宅は、殆ど棄値で春川の所有に歸したのである。その金も借金の穴埋と不しだらな生活の連續では燒石に水で、半歳と經過(たた)ない中に消失せて了った。
 それでも未だ目の覺めない幸麿は、一向働かうとは考へないで、知己朋友を借金して廻り、不義理の限りを盡した揚句、いよいよ切羽つまって、二度と頼むまいと思ってゐた春川の許へ、恥を忍んで救助を乞ひにいった。
 世が世なれば、自分が主人公であるべき輕井澤の館には、成上り者の春川が、昔紀井家に仕へてゐた奉公人達を其まゝ召使って傲然と暮してゐる。
 木の葉一枚にも、石塊(いしころ)一つにも馴染深い道ながら、他人の邸宅となると何とな氣おくれがして、運ぶ足も捗取らず、門を入ってから玄關に行着くまで、平常(いつも)の十倍もあるやうに思はれた。幸麿ぽ尻尾を垂れた野良犬のやうに、とぼとぼと石段を上った。
 顔見知りの女中は、幸麿を見ると慌しく奥へ引込んだが、稍々久時(ややしばらく)してから戻ってきて、
「旦那様は、今晩お客様をお招きしてをりますので、鳥渡座を外し兼ねますから、少々お待ちを願ひます。」といって、玄關先に座布團を出して引込んで了った。
 家の中は妙にひっそりとして、來客のある氣配もないのに、それっきり誰も出てこない。幸麿は肚の蟲を据ゑ兼ねて其儘歸って了はうと思ったが、戸外は既う眞暗になって、雨さへぱらぱらと落ちできたので、意氣地なく又、薄い座布團に腰を下した。
 そこへやうやう春川が現(で)てきて、玄關わきの應接間へ通した。彼は幸麿が遠慮勝ちに借金を申出るのを身に沁みて聴いてゐるやうであったが、その返事は意外にも、血も、涙もないものであった。
 幸麿は身から出た錆とはいひながら、餘りにも無情な春川の態度に、屈辱と忿怒に氣も狂はん計りになって玄關を飛出した。すると後から走ってきた女中が追い縋って、
「若様、この雨の中をお傘もなしで、何處へおいで遊ばします。」
「抛っておいて呉れ! どうせ、今晩から宿なし犬だ!」
「まァ! それは眞實でございますか‥‥」
「嘘も、眞實もあるものか木賃宿に泊る錢もないんだ。この馬鹿野郎は到頭乞食になりやがったのさ! はっはっははゝゝゝゝ。」
「そんな事はございません、まだ六つ澤の赤屋敷があるではございませんか。」といふ女中の言葉に、幸麿ははっとして狂人笑ひを止めた。六つ澤の別莊の事はすっかり忘れてゐた。少年の頃、兩親に連れられていったきり、幾年にも足踏みをしないから、荒れ果てゝゐるに違ひないが、それでも雨露を凌ぐ屋根位は遺ってゐるかも知れない。
「若様が御別莊へおいでになるのでしたら、こちらに鍵がお預りしてございますから。」
 女中は心得顏に先に立って玄關へ引返し幸麿を應接間へ待たせておいて、奥へ引込んだ。
 春川は幸麿が赤屋敷の鍵を取りにきたと聞くと、急にそはそはして、馬車の用意をさせ、慌しく何處かへ出掛けていったが、一時間計りして歸ってきて、應接間の前に佇ってゐた女中に、鍵の入った朱塗りの箱を渡した。
 女中の手から鍵を引たくるやうにして、そこを飛出した幸麿は、土砂降りの雨の中を滅茶々々に走って驀然(まっしぐら)に六つ澤の赤屋敷に向った。
 闇の中に蹲ってゐる丘の一軒家は、世間から見棄てられた幸麿自身の姿のやうに侘しく見えた。圓巷(ちまた)の歡樂に溺れてゐた幸麿は、數年來その存在すらも忘れてゐた家ではあるが、昔ながらの蘇鐵と、往來に面した二つの窓と、四角な煙突が、放蕩息子の歸りを待侘びてゐた父親のやうに、優しく彼を迎へるのであった。
 家へ入った幸麿は、ポケットの燐寸を擦って暗い部屋の中を見廻した。隅の卓子には臺洋燈(ランプ)が置いてあって、飾り棚の壺も、外國の風景畫を入れた壁の額も、凡て在りし日の儘になってゐる。
 洋燈に火を點けて長椅子の端にがっくりと腰を下した幸麿の胸に、今更のやうに悔恨の波が押寄せてきた。夜の中は薄情なもので、金のある間はちやほやと友達顏をしてゐた連中も、この一二年誰一人として寄付くものはない。それどころか、落魄した彼をてんで寄付けもしない。父の在世中は何度も御無理御道理で平身低頭してゐた番頭の春川までも、今日此頃の傲慢さ、口惜しいよりも、それをどうする事も出來ない身の腑甲斐なさを、泣いても泣き切れない氣持で齒を喰ひしばるのであった。
 何も彼も、父の豫言した通りになった。何故あの時、父の忠告を容れなかったのであらう! 何故母への誓ひを守らなかったのであらう!
 割れるやうに、づきづきと痛む頭を押へて、不圖、顏をあげた幸麿は愕然として立上った。
 彼の眼前に天井からだらりと灰色の繩が下って、恰も彼の自殺を促すやうに、その一端は丸く輪になってゐる。而もその下には誰の仕業か、御叮嚀に踏臺まで置いてあった。
「はっはっはゝゝゝゝは、態(ざま)を見やがれ! これが百萬長者の伜の末路だ! 親不孝者奴! 大馬鹿者奴! 首を吊るのが貴様には相應(ふさ)はしい死態(しにざま)だ!」
 幸麿は凡ゆる罵詈と嘲笑を自分自身に投付けて、ふらふらと踏臺に上って縄に首をかけ、ぐっと踏臺を蹴った。同時に、繩はぷつりと斷(き)れて、幸麿の體躯は牀に叩付けられた。
 強(したた)か後頭部を打ったのと、感情の高潮とで、一時氣を喪った幸麿が、正氣に返った時には、もう夜が明けて、前夜の暴風雨(あらし)を忘れたやうに、麗かな朝日が鎧扉の隙間から射込んでゐた。
 夢かと思って見廻すと、天井には縄の切端がぶら下り、繩の輪は首にかゝってゐる。痛む手足を擦りながら起上った彼は、足下に轉ってゐる踏臺の側(わき)に、「紀井幸麿殿」と記した封書を發見して、訝りながら慄へる指先で封を切ると、中から亡き父の手紙が現(で)てきた。
 ――吾が愛する息子よ、これが儂の最後の忠告だ、どうか今日から生れ更(かわ)って、もう一度正しく最初の一歩から踏出して呉れ。地下に眠る父は爾(なんじ)の幸福を祈ってゐる。
 臺所の窓下の二番目の石を掘返して見よ。
 といふ謎のやうな文句、幸麿が指定された通り、石を掘返して見ると、三萬圓の現金を入れた甕が埋(い)けてあるではないか!
 幸麿はそれを押戴いて涙と共に父の靈に更生を誓ったのであった。
 彼は第一に春川の許へいって、父の建てた輕井澤の邸宅を買戻した。勘定高い春川は金利を見ねばならぬといって法外な金を要求したが、それを支拂ってもまだ幾許か殘ったので、幸麿はそれを資本に父の縁故を辿って細々ながら貿易商の看板を掲る事が出來た。
 半歳、一年と經つ中に、熱心と眞面目でやる商法は、思ひの外とんとん拍子に進み、小さな事務所に二三人の店員を使ふやうになった。
 一方、春川は相場にでも失敗したか、輕井澤の邸宅を幸麿に引渡して後は、急にさゝやかな借家に入って、つゝましい生活を始めた。彼は餘程後暗い事でもあるらしく、幸麿の家へ寄付かないのは無論の事、適々往來で會っても、遠くから横丁へ外(そ)れて、顏を會せぬ算段さへするのであった。幸麿は今に見返してやるからと心に誓ひながら熱心に商賣を励んでゐる中に、第二年目の或日、突然、春川が訪ねてきた。
 幸麿はどうした風の吹廻しであらうと訝りながら、應接間に迎へると、春川は抱へてゐた折鞄から、書類と紙幣(さつ)束とを取出して、幸麿の前に押しやり、
「これは全部、大旦那様からお預りしたものでございます。何卒お檢めになって、お受取り下さい。これでやうやく老爺(ぢぢい)の役目も濟みました。」といって慇懃に頭を下げた。彼の語るところによると、六つ澤の赤屋敷に首吊り道具を揃へ、繩が斷(き)れるやうに仕掛けておいたのも、踏臺の下に善右衛門の手紙を置いたのも、臺所の石の下に甕を埋けておいたのもみんな先代の意を受けた忠僕春川が、若主人を更生へ導かうとする苦肉の策であった。
 卓上に積上げられた紙幣束は、二年前に邸宅の代金として法外な利子までつけて、幸麿から取上げた金であった。春川は幸麿の心底を見届けた今日、安心して夫等の金と、先代から托されてゐた株券を若主人の手に返すのだといった。彼がこれまで幸麿に對して傲慢不遜な態度を示したのも、彼を發奮させる手段だった事はいふ迄もない。春川は輕井澤の邸宅を買取った後も主人の部屋には全部錠を下して、自分は昔ながらの奉公人の一劃に慎ましく起居してゐたのであった。

救はれた畫家
 語り終った老人は、思ひ出したやうに呼鈴を押して、新たに熱い珈琲を運ばせた。
「さういふ譯で、首まで吊らうとした程の儂が、今日斯うして無事に暮してゐる事が出來たのは、測り知れぬ親の慈愛と、主人思ひの春川の忠節に因るものぢゃ。あの丘の赤屋敷はさういふ貴い記念の家だから永遠に保存しておきたいのだが、殘念ながら區劃整理で、どうしても取毀さねばならぬ事となった。それを君が儂の父の命日に描上げた事も、そこへ儂が行合せた事も何かの因縁に違ひない。 儂はどうしてもこの繪を譲って貰ひたい。無論今後とも出來るだけ君の後援をさせて貰ふが‥‥」老人は言葉を切って、小切手帳にさらさらとペンを走らせ、桃色の紙片を無雜作に差出した。そこには金壹千圓也と記してあった。
 私はどう自惚れても、自分の繪にそんな値打ちがあるとは信じなかったので、強(た)って辭退したが、老人は、
「いゝから納めておき給へ。まァ精々勉強して、早く立派な畫家となり、兩親を喜ばせてあげなさい。」といふのであった。
× × × ×

 輕井澤の紀井家を辭した私は、天にも昇る心地で、妻の待ってゐる藥種屋の二階へ飛歸った。
 千圓の中半分は妻の發議で、凶作で難儀をしてゐる郷里の兩親の許へ送り、後の五百圓を郵便貯金にして私は悠々と秋の展覧會の製作に精進したのであった。  ――終――

注)明かな誤字誤植は修正しています。句読点は変更したところがあります。


「位牌の謎」
初出不明
『昇降機殺人事件』春陽堂日本小説文庫410 1936.10.15 (昭和11年10月) より

赤痣の男
 切崩した赤土の崖下や、明るい疎林の間を、汽車は勢ひよく疾走(はし)り抜けてゆく。
 がらんとした勝浦廻り安房鴨川行の二等列車には、後の扉口に近い隅の席に、顏の不釣合に大きい赤坊を抱いた商家の主婦らしい中年の婦人と、その隣りの窓に凭(よ)りかゝって煙草を吸ってゐる會社員風の男、夫から三つ程席を距(はな)れて、旅行鞄、外套、ゴルフ道具などを投上げた網棚の下に、龍田が早起に寝不足の頭腦(あたま)を腰掛の背に凭らせながら、規則正しい車輪の響をうつらうつら聞入ってゐるだけであった。
 ――寒い土地にゐました時は、珍らしい程手數のかゝらない丈夫な子でしたのに、こちらへ來てからどういふ譯か、風邪ばかりひかせてをります。
 ――北海道のやうな寒い國では中々暖房装置が完備してゐますから、東京の冬よりは餘程凌ぎよいですよ。
 ――眞實でございますね、寒い上に瓦斯薪炭費が倍もかゝるんですから、驚いて了ひましたよ‥‥貴殿様は小樽には餘程お長く‥‥
 ――いや、なにほんの僅ばかり‥‥然しこの海岸一帶は東京とは餘程氣温が違ふでせうな、あゝあれは果樹園ですな‥‥
 龍田は二人のそんな對話を聞きながら、いつか快い睡眠(ねむり)に陥ちて了った。
 ふと、眼を開くと、赤坊を抱いた婦人は知らぬ間に下車(お)りて了って、會社員風の男は窓に顏を寄せて新聞に讀み耽ってゐた。
 杳(はる)かな海の上から、蒼穹(あおぞら)が偉大な弧を描いて、豁然(かつぜん)と車窓の上まで展ってゐる。暮色の迫った水田に白鷺が點々と翔んでゐた。
 龍田が大きく、うんと伸をして、網棚から所持品を下し始めてゐると、温度計を檢べにきた車掌が、
「浪花驛でお下車ですか。」と訊ねた。
「いや、川津です。」龍田はうかうかと、驛名でなく、自分がこれから訪ねようとしてゐる友達の住んでゐる町の名をいって了ったが、すぐ氣がついて、
「勝浦驛ですが、まだ二つ三つ先のやうですね。」といひ直した。
 其時、新聞を讀んでゐた男が急に顏をあげたので、二人の視線がばったり會った。龍田は相手が何か話しかけるのかと思って、鳥渡首を傾(かし)げたが、右唇の上に赤痣のあるその男は、つと横を向いて、再び新聞に視線を落して了った。
 隧道(トンネル)を幾つもくゞって、やうやく勝浦驛へ着くと、龍田は荷物を引下して、暗くなった野天のプラットフォームに立った。
 生憎、赤帽がゐないので、荷物を一抱へにして改札口を出た。
 構外には屋號を染抜いた法被を着て、提灯を下げた宿引がずらりと竝んでゐた。龍田はその一番端れにぼんやり傍見をしてゐた男に荷物を持たせて、ぞろぞろと改札口を出た降客達と、後になり、先になりして、電燈の點き初めた海岸の町へ入っていった。
 宿引に案内されたのは、町の裏通りにある潮鳴館といふ家であった。道路を越えた向ふは、神社の境内で、石垣の上に盛上った常磐木は旅館の前の軒燈に青々と冴返ってゐた。
「ニ三日、厄介になるかも知れないよ。思ったより良い町だね。」龍田は二間續きになってゐる八疊と六疊の裏窓から黒い森を透したり、本町通りと稱する不揃ひな家々の竝んだ賑かな往來を覗いたりした。最近開業したとかいふ、町で唯一つの酒場の軒にネオンが灯って、女給の疳高い聲や、ダンスレコードが聞えてゐる。紺無地の背廣に赤と黒を織り交ぜた派手な襟飾(ネクタイ)をした龍田が、窓際で彼處此處(あちこち)で上衣や、靴下を脱ぎ散らしながら輕い笑聲を立てたのを、ゴルフ道具や、旅行鞄をもって上ってきた年増の女中がきいて、
「勝浦はお初めてゞゐらっしゃいますか? 賑やかでせう‥‥矢張り東京で‥‥」
「東京だけれども、成可く靜かなところがいゝな。部屋は澤山あるの?」
「こゝは割合に靜かでございますけれども、表にも、この横にもお部屋はいくつもございますから、お氣に入ったところになさいませ。」
「では、明日でもゆっくり見せて貰ふかな。」
 東京から僅か三時間餘の汽車の旅であるけれども、訪ねてくる者もなく、又、格別ゆかなければならないといふところもないのだ、何だか大變遠いところへ來て了ったやうに思はれた。龍田は宿へ着いて食事を濟せて了ふと、昨日までの忙しく、華やかな東京を、ずっと遠くへ押しやって、のんびりと煙草に火を點けた。
 日が暮れて、まだ幾許も經過(たた)ないのに、裏街はまるで夜更けのやうにしんとしてゐたが、寝るには早かったので、龍田は散歩のつもりで宿を出た。
 町の兩側に竝んだ店家では、奧の方に人の氣勢(けはい)がするだけで、青々とした笊や、護謨の長靴などが、侘しく電燈に點出(てらしだ)されてゐる。
 齒科醫の看板の掲(で)てゐる寺の門前で、本町通りは終って了った。街角の旅館の横手に、土地の略圖を記した名所案内の札が建ってゐた。
 龍田は明日でも訪ねて見ようと思ってゐた友人の住んでゐる町が、思ひの外に近く、圖面では直ぐ神社の裏手になってゐたので、旅館の板塀に沿うて、稍道路幅の狹い、ラヂオの聞えてゐる道路へ入っていった。
 半丁程いつたところから人家が盡きて、急に畑地になって了ったが、森の間にちらちら灯が見え出した。その先の隧道を抜けると、石塊(いしころ)の多い漁師町へ出た。
 ぢき近くに、波濤(なみ)の碎ける音が聞えた。龍田は赤い郵便箱の揚(で)てゐる荒物屋へ煙草を買ひに入った次手に、
「こゝは川津ですね。この邊に樺さんといふ家はありませんか。」と訊ねて見た。
「樺さんなら、この先の横を入った高いところですが‥‥つひ先刻も、貴郎は來なすったやうだね。」内儀(かみ)さんは剰餘(つり)錢を差出しながら、訝しさうにいった。
「いや、僕ぢゃァないよ。」龍田は相手の言葉を訂正したが、内儀さんはまだ疑深く、ぢろぢろ龍田の方を透し見ながら、
「‥‥悪い犬がゐるだからね、夜ゆきなすっても駄目ですよ。」と背後からそんな言葉を浴びせて、表戸をぴっしゃりと閉めて了った。
 何處かで犬が吠えてゐる。檐(のき)の低い、黒々とした人家の合間に、空が見えて、星が光ってゐる。
 鰯干場の先端から崖下は直ぐ海になって、磯に打(ぶ)つける浪が白い飛沫をあげてゐた。
 樺の屋敷は、その道路の右側に覆ひかぶさるやうに聳えてゐる岩山の中腹にあった。道路からは斜になってゐる石段と、その遠くに堅く閉された黒い門の一部とが見えるだけであった。
 龍田はそこに久時(しばらく)足を停めて、城寨(じょうさい)のやうな屋敷を見上げたり、昏(くら)い海を眺めたりして、再び町の方へ戻っていった。
「樺の奴はこんなところに引込んでゐるんだな。」龍田は思はず獨言をいった。彼と樺とは親友といふ程の間柄ではなかったが、大學の豫科時代に、寄宿舎の同じ部屋にゐた事があって二人とも水泳部に属してゐたので、科は異ってゐたけれどもよく連立って銀座あたりをのし歩いた仲間の一人だった。 樺は本科へくる前にぐれ出して、學校も中途で止めて了ひ、下谷邊の藝者と同棲してゐるとかいふ噂だったが、それもその先はどうなったか、その頃の連中の上にも、それぞれ月日が經過(た)って、そろそろ名前も、顏も忘れかけた時分に、思ひ掛けなく樺から葉書を受取った。といっても、それは去年の初夏、オリムピック競技に出場するメンバーが決定し、水球選手の一人として龍田の名が新聞に發表ざれた時だった。
 葉書には、祝辭やら、激励の言葉などが記してあって、その餘白に、――いろいろ準備で忙しいだらうが、二三日泊りがけでやって來ぬか、海は碧く、鴎は眠る太平洋の懐に抱かれよ――等と附加へてあった。
 龍田は其折の返事は、出したか、出さぬか記憶してゐないが、羅府のオリムピック村からは確に繪葉書を送っておいた。
 秋に歸朝して歡迎會やら、講演會やらに引出され、先輩のところや、學校へ顏を出したりしてゐる中に、輕い神經衰弱になって了ったので、龍田は急に思ひついて兩國驛から汽車へ乗った譯であった。それに幾年ぶりかで投込まれた樺の葉書の最後の文句が、不思議に彼の腦裡にこびりついてゐたので、この土地を目ざして來たのであった。
 彼が何本目かの煙草を吸ひつゞけてゐる中に、朱い鳥居の傍に楊弓場の看板の掲(で)てゐる露地へ出て了った。ところどころに軒燈が點いてゐて、道路に面した出窓の明るい障子の陰に媚(なまめ)かしい女の聲などが聞えた。奥行の深い黒塀にぴったり吸着いてゐたのは赤い鉢卷をした二人の若い漁師であった。その邊からカフェや、小料理屋などが竝んでゐた。ちらちら人が歩いてゐた。不意に、
「無外さんだ! 無外さんだ!」といふ疳高な女の聲がした。
 兩側の障子が、一齊にがらがらと開いて、あちこちから島田や、束髪の女が顏を現(だ)した。龍田がびっくりして振向くと、直ぐ彼の傍を地面に裾を引擦るやうな長い外套を着た男が、鼻歌を唱ひながら、飄々と歩いてゆくのであった。龍田は路地を抜けると、ほっとして四邊(あたり)を見廻した。
 星月夜の空に、高い寺の屋根が見えた。葉の凋落(お)ちつくした銀杏の條枝(えだ)の上に、火見櫓が聳えてゐる。その先は直ぐ本町通りであった。龍田は街角を曲って、向ひ風に外套の襟を立てながら、大股に潮鳴館へ蹄っていった。

岩窟に棲む男
 冬には珍らしい、瞭かい陽を浴びながら、龍田はその翌日豐富な話題や、期待をもって、崖上の樺家を訪ねた。
 通されたのは、廊下の突當りにある陰氣な八疊の座敷であった。どういふ譯か、縁側をすっかり羽目板で塞いで、見晴しの良い海に面した南の光線を遮ってゐるので、表から入ってきた彼は、まるで窖へでも入れられたやうな氣がした。
 小婢(こおんな)が、火鉢と座布團とを置いていったきり、中々家人が現(で)てこない。初の中は珍らしい氣持で四邊を見廻してゐたが、少し所在なくなってきた。襖で境をした隣りに、もう一つ眞暗な部屋のある事などを發見して、何だか少しづつ落着かない氣持になってきた。
 彼は樺家の長い石段を登って、門のところで出會った妙齢の婦人に、
「僕は樺君の學校友達ですが、正太郎さんは御在宅ですか?」といって名刺を差出したのであった。彼女は明い眸にちらと陰影を見せて、
「あの、兄はもうをりませんが‥‥鳥渡お待ち下さいまし。」といひ殘して慌しく引込んで了ひ、入れ交(ちが)ひに小婢が現てきて、彼を其部屋ヘ案内したのだった。
 ――あの、眼の冴々と澄んだ女性が、有名な「五哩(マイル)さん」かも知れない――龍田はそんな事を思ひながらも、兄はもうをりませんといった言葉の意味を、はっきり解しかねて、早く家人が現てきて呉れゝばいいと希ってゐた。
 間もなく、龍田の前に現はれたのは、氣品の良い、小柄な老婦人であった。
 初對面の挨拶が濟んで、龍田が第一に驚かされたのは、訪ねる樺正太郎は北海道の小樽で病死して、其日が丁度百ヶ日だといふ事であった。
「折角お訪ね下さいましたのに、正太郎がをりませんで‥‥」
「さぞお力落しでせう‥‥どうして又北海道なんかで亡くなったんです。あちらに勤めてゞもをられたのですか?」
「いゝえ‥‥誠にお恥しい話でございますが、あれは不心得を致しまして‥‥家の金を持出して家出をしたのでございます。こんな事になりましたのも、あれの兩親が震災の折、東京で亡くなりましてから、年寄りの私の手で甘やかして育てましたのが不良(わる)かったのかも知れませんが‥‥」
「つひ、去年の六月に、正太郎君から葉書を貰って、こちらへ遊びにこないか等と云はれたのでしたがね。」
「左様でございましたか‥‥丁度あれが家出を致しましたのは六月の三十日でございました。それ以來何處にをりますやら、見當もつかないでをりましたところが、十月の下旬に、突然小樽から病氣危篤といふ電報が参ったのでございます。それで早速親戚の者が出掛けてゆきますと、直ぐその後へ、亡くなったといふ知らせでして、骨になって歸って参りました。何でも酒場(バー)か何かを、散々飲歩いた揚句に、心臓麻痺を起したのだとかいふ事でございます。」老婦人は努めて感情を押し隠すやうにして語るのであったが、直ぐその後から、
「眞實に仕方のない奴でございましたけれども、貴郎様のやうな方が、斯うしてわざわざお訪ね下さる位でございますから、あれにだって、少しは良いところがあったのでございませう‥‥」といって、そっと横を向いて洟をかむのであった。
 龍田は、樺から葉書を貰った時に、自分が直ぐ訪ねてきたら、或は彼が家出をしないで濟んだかも知れないなどと思った。
 そこへ、先前の女性が茶道具をもってきて、慎しく老婦人の背後へ坐った。
「これが正太郎の妹でございす。現在(いま)では孫はこれ一人限りになって了ひました。」と老婦人が紹介した。
「嵯峨子さんでゐらっしゃいませう。樺君からお噂はよく伺ってゐました。」龍田が「五哩さん」といふ綽名の他、その時まで思出せなかった嵯峨子といふ名が、咄嗟に口を衝いて出たので、自分ながら驚いた。
 嵯峨子は微笑しながら立っていったと思ふと、アルバムと繪葉書をもって戻ってきた。
 この中にゐらっしゃいますわね。」嵯峨子は龍田の前にアルバムを開いた。
 それは、大學の豫科時代に葉山で夏季練習をした折の水泳部の寫眞であった。仲間の一人が撮ったもので、七人の裸體男が櫓の下から上へ、ずらりと重り合ひ、一番下の龍田はぺろりと長い舌を出してゐる。
「参りましたね。こんな寫眞があったのですか。皆な舌を出すんだといったので、僕は正直にやって、酷い事になりました。」龍田は擽たいやうな顏をして手巾(ハンケチ)で前額を拭いた。
 嵯峨子は持ってゐた繪葉書を老婦人に示した。それは龍田が羅府から樺に送ったものであった。
「いろいろ彼地(あちら)のお土産話がおありでございませうね。これも運動が好きなものでございますから、オリムピックの時には、ラヂオを聴くやら、新聞を見るやら夢中でございました。」老婦人は笑ひながら嵯峨子を顧た。
「あゝ、嵯峨子さんは水泳が得意でゐらっしゃるさうですね。「五哩さん」といふ綽名は樺君から聞いてゐました。」
「まァ、兄はそんなお饒舌(しゃべり)までしたんでございますか。」嵯峨子は顏を赧らめた。
「あの子は屹度、何でも彼でも、貴郎様にお饒舌したのでございませうね。嵯峨子や、お前いくら龍田さんの前でお行儀を良くしてゐても、こりゃ駄目かも知れませんよ。」
 老婦人は打解けた調子で、そんな冗談をいった後で、龍田の家庭の事や、學校の事などを訊ねた。龍田は夙(はや)く兩親に死別れて、長兄の仕送りで學校へいってゐる事、あと一年で卒業する事などを語った。
「それでは、氣儘に何處へでもいらっしゃられる氣樂なご身分でゐらっしゃいますね。」老婦人は若い者を見ると、直ぐに養子の候補者に數へる癖があった。
「いゝえ、そんな譯でもないのですが、今度は少し身體を苛め過ぎたものですから、郷里の兄が心配して、少し保養しろといって呉れたものですから‥‥」龍田は米國へいったり、又直ぐ、海岸へ遊びにきたりしてゐる身分を辯解した。
「宅はこんなに廣いのでございますし、正太郎でもをりますと、是非お宿をするのでございますけれども‥‥尤も宿屋の方が却ってお氣樂かも知れませんのね。別にお構ひも出來ませんが、お氣が向きましたら、毎日でもお遊びにいらしって下さい。嵯峨子も年中、老人と鼻の突合せて淋しがってをりますから。」と老婦人はいった。
 一二時間のうちに、龍田はすっかり寛いだ氣持になって、勸められるまゝに、晝飯の馳走になったりして、暇を告げたのは午後三時過ぎであった。
「明日は燈臺を御案内しませうね。いつでもお誘ひにいらしって頂戴。お待ちしてゐますわ。」
「有難う。朝早く伺ひます。」
「早くと仰有っても、お寝坊さんの事ですから、お晝頃でせう。」玄關へ送り出た嵯峨子はそんな冗談をいふ程打解けてゐた。
 龍田が門を出た時、石段の下に佇って上を見上げてゐる男があった。龍田は男が上ってくるのかと思ってゐたが彼が石段を下りて了ふまで、男は同じ姿勢で立ってゐた。
 龍田は海岸傳ひに、町の方へ歩いていった。斜(はす)になった陽が防波堤を洗ってゐる波濤頭を朱鷺色に染めて、緑の浪間に浮んでゐる釣舟は花が咲いたやうに一齊に帆をあげた。
 秋刀船の圍ってある傍を抜けて、潜水夫の銅像の前に足を停めた龍田は、人の氣勢に振返ると、長い外套を着た先刻の男が、直ぐ背後にきてゐるのを見出した。龍田が海岸通りを外れて小料理店の竝んでゐる町へ入ってゆくと、男も同じやうに後から蹤いてきた。
 襟元に白粉を濃く塗って、金盥を抱へた女が、擦違ひざまに、
「無外さん、寄っておいでよ。」と後の男に笑ひかけた。
「へゝゝへゝゝ駄目だよ。お前等と遊んでゐる暇はないよ。」男は柄にない、疳高い聲でいった。
 龍田はそ男を恐れてゐた譯ではなかったが、蹤いてこられるのが不愉快だったので、わざと、旅館(やど)とは反對に、田圃に沿った山道を登っていった。
 地蔵堂の前を通り過ぎて、少しいったところに岩窟があった。その前だけ雜草が綺麗に刈込んであって、岩窟の入口に水仙が植ってゐた。龍田は祠でもあるのかと思って、中を覗きかけたが、又しても曲り角に先刻の黒い外套が見えたので、其儘行過ぎて了った。五六間いって振返ると、その男は岩窟の前に掃子(ほうき)を突張って仁王立になってゐた。彼は前額に亂れかゝった長髪を振りあげて、はったと龍田を睨んだ。切れの長い眼をした、鼻の高い、役者にでもしたいやうな男振りであった。
 今にも掃子を振翳して襲ひかゝってきさうな劒幕を示してゐたその男は、何が可笑しいか急にからからと哄笑したと思ふと、さっさと岩窟の前を掃き始めた。
 龍田は狐に憑(つま)まれたやうな気持で、山を下りていった。

官軍塚
 その日も崖下の麥畑に山鳩が遊んでゐた。緑の海を挾むで、遠くに岩和田の岬が黄橙(オレンヂ)色の陽光(ひ)を浴びてゐる。その山腹にメキシコの記念塔が白く光ってゐる。
「こゝから見ると、記念塔は随分遠いんですね、よく歩いたものですね。」
 磯へ下りた龍田は、釣竿を傍へ投出して、眼を細めて遠くの海を眺めた。
「こゝからでは七キロもあるでせうか‥‥あの岬の近所と、この邊とが一番暗礁が多くって、往古(むかし)からよく船が難破したところですわ。」嵯峨子は白い指をあげて海をさした。
「潮があげてこない中に、この邊で磯蚯蚓(いそめ)を捕りますかね。」
「もう少し、水際の磯を割った方がいゝでせう。」
「この邊ですか?」龍田は低い磯へ下りていって、海草の生えてゐる岩礁に鶴嘴を打込んだ。岩が割れて白い腹を露(だ)すと、中に巣喰ってゐた赤い磯蚯蚓が、岩の血管のやうに、むづむづ蠢いた。
 龍田は耳の根を赤くして、氣味惡さうにそれを摘みあげては、嵯峨子の差出す餌箱へ入れた。最初は造作なく二三匹捕れたがその後は一向見付からないので、躍起となって、あちこち掘り廻してゐた彼は、
「おや、何でせう? これは‥‥」といひながら、岩の破片をもって嵯峨子の方へ戻ってきた。
「あゝ、これは二分金ですわ。珍らしいことね。よくお見付けになったわね。」
「どうしてこんなところにあったんでせう? 岩の中ですよ。」
 龍田は長さ二センチ、幅一センチ位の、薄っぺらな赤褐けた金属を、岩からナイフで剥取った。
「昔、この岬で難破船があって、その時のお金が今でも海の底に沈んでゐるんですって‥‥時々蜑女(あま)が拾ってきたり、こんな風に岩の間から現(で)てきたりしますの。」
「そいつは素的だ! 金貨を積んだ船が沈んでゐるんですね。それゃどういふ船なんです?」
「何でも、函館の五稜郭に立籠ってゐた榎本武揚を攻めにゆく官軍の船だったのださうですわ。軍用金を澤山積んでゐたといふ事ですけれども、武土達が各自身につけてゐたといひますから、實際は皆がいふ程、海の底には殘ってゐないかも知れません。無事に岸へ泳ぎ着いた人も澤山ありますし。それから餘程後になって金庫が上った事もありますから‥‥」
「待って下さい。それは一體いつの事です?」
「明治二年のお正月の三日ださうですわ。何でも大變な時化(しけ)で、その朝はこの邊で珍らしい大雪でしたって‥‥一番先に陸(おか)へ上ってきたのは、赤髭の生えた、眼の碧い異人さんだったのですって、屹度官軍のお雇船長だったんでせうね。」
「あゝ、解った! それぢゃァ、その船は明治二年の正月の二日に細川藩の兵隊を三百五十人乗せて、品川を出帆した政府の御用船だったのでせう。それなら僕の祖父もこゝで溺死した一人なんですよ。不思議な因縁ですね‥‥」
「まァ! さうですの‥‥それで貴郎は偶然にこゝへいらしったのね。」
 嵯峨子は子供の時から聞いてゐた火輪船物語に、急に生命が入ってきたやうに思った。
「僕は根中で死んだと聞いてゐましたけれども、川津だとは知りませんでしたね。.船が沈没したのはどの邊なんでせう?」
 龍田はつひぞ考へた事もない祖父の姿を想像しながら、白波の崩れてゐ杳かな沖を眺めた。
「根中といふのは、あの燈臺のある岬の裾が根のやうに海の中へ擴がってゐる彼處をいふんですの。あの邊は一里四方位、暗礁なんです。この邊の俚謡(うた)に――根中通るなら、清澄だし廻れ。灘は關東の鬼ヶ島――といふのがありますの。あの先端(はな)を廻る時には、清澄山が見える程度に沖を廻れといふ意味でせうね。」
「僕の祖父は、龍田甚左衛門といって細川藩の大砲隊だったのださうです。當時家族は皆熊本にゐたので、死骸は何でもこっちに葬ったといふ事ですが、僕はそれ以外、何にも知らないんですよ。」
「それでは官軍塚に葬られてゐらっしゃるのですわね。」
「官軍塚? さういふものがあるのですか?」
「御存知なかったの? 直ぐこの背後の山ですから、これからいって見ませうか。」と嵯峨子がいった。
 二人は釣りなどはそっちのけにして急勾配の細い道をぐるぐる迂回しながら海を見晴らす山の上へ出た。そこから更に赤土道を上ったところに、石垣を積みあげた臺地があって、自然の籬(かき)をなした姫小松の中に、寂しく一基の碑が建ってゐた。
「こゝですね‥‥斜に透して見ると、判然(はっきり)と讀めますよ。」龍田は自然石の面に顏を寄せて、細く刻まれた碑文を讀んだ。そこには、

川津村在南總盡境其東南端角絶壁巉然者曰華主巖‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥火輸舶夜過海角會大風雨波濤洶湧舶觸礁而裂溺死者一百三十七人明治二年正月三日也‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥云々

 とあった。
「こゝに葬られてゐるのは百五人ださうですね。」
「えゝ、この下一面に葬ってあるのださうですわ。」嵯峨子は龍田の足下を指さした。
 龍田は自分の祖父の頭を踏んでゐたやうな氣がして、周章(あわ)てゝ二三歩傍へ退いた。
「詳しい事は何處で訊いたら判るでせう?」
「津慶寺へいらっしゃれば、お判りになるかも知れませんわ。彼處には記念碑の他に、スクリューの斷片もありますわ。」
「先刻前を通った黒塀のお寺ですね、あの大きな松の木のある‥‥」
 二人は潮風が松の梢を鳴らしてゐる臺地を後にして、町の方へ通ずる小徑へ出た。前方は矢名、權名の入江から際涯ない海が展り、遥かな水平線に蒸氣船が黒煙をあげてゐる。後方は勝浦町の人家を越えて、紫の屏風を立てたやうに清澄山の連峰が、ところどころに白雪を殘してゐる。二人の彳(た)ってゐる足下の丘から下の方に、麥畑や、菜種畑が段々縞を描出して、何處かで山鳩が睡さうに啼いてゐる。
「靜ですね。昔から誰も亂した事のないやうな靜けさですね。」龍田は今更のやうに四邊を見廻した。
「さうですわね‥‥でも、私が小學校へ通ってゐた頃には、この矢名は盛な漁場で、直ぐそこに二軒ばかり、お酒なんか賣ってゐる茶店が竝んで、随分賑かでしたわ。」嵯峨子は路傍の叢を指さした。其處には雜草が我もの顏で蔓延って、土臺石一つ殘ってゐなかった。
「貴女が小學校へいっていらしった頃なら、僅十年位以前の事でせう。世の中の變遷ってそんなに激しいものですかね。」
「こゝが寂れて了ったのは、發動機船が出來てからですわ。」
「貴女のお宅も網元をしていらしったんでせう?」
「えゝお祖父様の代までは、そんな事をしてゐたさうですけれども、父は漁をするなんて、自然を相手に博奕を打つやうなものだといって、止めて了ひましたの。」
 そんな談話をしながら、崖の徑を下りかけた時、嵯峨子は急に足を止めて、
「こっちへ行くのは止しませう。」といった。
 龍田は下の方の藁堆(にお)の陰に、黒外套を着た男が隠れたやうに思った。
 二人は其儘踵を返して戻ってゆくと、官軍塚へ出る曲り角で、ばったり鳥打帽を被った若い男に出會った。男は不意の事に悸(ぎょ)っとした様子で、藪の中へ踏込んで二人を通した。それは十數日前に、龍田が汽車中で見掛けた右唇の上に赤痣のある男であった。
「あゝ吃驚した、熊でなくってよかったわね。」嵯峨子は龍田を振返ってそんな冗談をいった。
 二人は何といふ事なしに顏を見合せて笑った。そして崖傳ひに山の裾を廻って、樺家の裏通りへ下りていった。
「家へ寄って、お茶でも召上っていらっしゃいません? 貴郎のお祖父様のお話をお祖母様に聞かせてあげたら、屹度びっくりなさるわ。」四辻のところで足を停めた嵯峨子は首を傾(かし)げて龍田を見上げた。
「えゝ、有難う、でも、又、明日にしませう‥‥」
「あゝ、さう、では明日お待ちしてゐますわ‥‥左様なら。」
 龍田は自分から謝絶(ことわ)っておきながら、嵯峨子があっさりと去って了ふのを、取殘されたやうな氣持で見送ってゐたが、ふと、往來の眞中にいつ迄も棒立になってゐる不體裁な自分の姿に気付いてぶらぶら旅館の方へ歩出した。

過去帳
 その翌日の午後、宿を出た龍田は、樺家を訪問する前に津慶寺へ寄った。
 住職は快く過去帳を見せて呉れた。龍田は其中から祖父の戒名を捜出す事が出來た。
「先代が生きてをりますと、いろいろお話が出來たでございませうが、昨年八十二歳で遷化されましたので‥‥何でも遭難者の中の幾人とかだけは、死體を鹽漬にして江戸へ送ったといふ事です。夫から百三十七人の溺死者の中、死體の揚がらなかったのもあるさうでございます。溺死者と申しましても、皆が皆、死骸になってあがりました譯ではなく、この邊の民家に収容されて、手當の甲斐もなく死亡したのもあるとか、申すことでございます。」
 龍田はそんな話を聞いて、四時近くになってから樺家を訪ねた。
 いつも眞先に現てくる嵯峨子が姿を見せないで、取次に出た女中は、
「皆様、お不在(るす)でございます。」といつになく無愛想な言葉を叩き付けた。
「お不在? 朝からお出掛けになったの?」
「いつだか存じませんけれども‥‥お不在だといったら、お不在でございますよ。」
 女中は突慳貧(つっけんどん)な言葉と共に、玄關の障子をぴしゃりと閉めて了った。
 呆氣に取られて、玄關を出てきた龍田は、裏庭に面した臺所の窓から、不在の筈の嵯峨子が顏を現したのを見付けて、
「おや?」と思ひながら戻りかけると、彼女は唇に人指指をあてゝ見せて、さっと引込んで了った。
「どうしたっていふのだらう? 何故だらう?」龍田は嵯峨子の合圖によって、今の場合は默って歸るのがいゝのだといふ意味だけを呑込んで、長い石段を一段づつ、考へ考へ下りていった。
 祖父の話は樺の老婦人にとって好話題に違ひない。明治二年といへば老婦人が十二三歳の頃の事であるから、當時の模様をいろいろ詳しく聞く事が出來るかも知れない――さうした期待をもって樺家を訪ねた龍田は、鼻先に障子を閉められて、何が何やら解らずに引退ってきたが、話の腰を折られたやうな拍子抜けのした氣持で、的(あて)もなく町を歩いてゐた。
 ガラス戸の嵌った間口の廣い洋服店の隣りに時計屋があって、緑色の布を張った小さな飾窓に、蟻喰の剥製が置いてある。松毬(まつかさ)をつらねたやうな動物に好奇心をもって、窓の前に立った龍田は、その上の棚に竝んでゐる古錢に眼を惹付けられた。その中には黄色く光ってゐる二分金が二三枚あった。龍田は前日矢名の磯で掘出したものが、錆びてこそゐるけれども、それと同じものである事を確めて、滿足したやうな氣持で窓を離れた。
 彼は宿へ歸ると、食事の膳を運んできた女中の前に例の二分金を投出して、
「おい、どうだ、これでも五分位はあるといふから四五圓の價値(ねうち)だぜ。」といった。
「まァねえ、こんな眞黒なやうなものでも、矢張り黄金は黄金でせうかね。あの時計屋さんで買っておいでになったのでございますか?」
「買ったんぢゃァない、僕は昨日磯で掘出したんだよ。」
「現在でもそんなことがあるんでございますかね‥‥何でも川津邊は、これのお庇で金持計りだといふ話でこざいますよ。」
「冗談ぢゃァない。こんなものを一枚や二枚拾った位で、さう金持にはなれまい。」
「いゝえ、それがでございます。何でも昔、あの沖で船が難破した時、皆なが持てるだけのお金を身につけて海へ飛込んだとかで、生きて陸へ上った人も、流れついた死骸も大層なお金をお腹(なか)へ卷付けてゐたさうでございますからね。」
「その金を、皆が剥取ったとでもいふのかい。」
「然うばかりではないでせうけれども、中には半死半生で、あの邊の家へ擔込まれて、介抱されて死んだといふ方もあるさうですしね‥‥それから金庫を拾ったといふ話もございますしね‥‥」
「ぢゃァ、君に云はせると、樺さんの家なんかも金庫を拾った仲間だね。」龍田は笑ひながらいった。
「眞逆、そんな事は申しませんわ‥‥でも、樺さんはお金持はお金持でも、御不幸續きで、眞實にお氣毒様でございますわ。息子さんや、お孫さん達が幾人もおありになったのに、到頭現在では御隠居様と、嵯峨子様とお二人限りになってお了ひになって‥‥」
 女中はそんなお喋りをして、龍田の濟した食膳を下げていった。
 龍田は嵯峨子が内氣らしい割に、非常に人なつこいのは、さうした大勢の兄姉の中から一人だけ殘ったせゐかも知れないなどと考へながら、何氣なく裏通りに面した窓を開けた。
 神社の境内から道路の上に覆ひかぶさるやうに繁ってゐる常磐木の間に、まだ夕燒空が殘ってゐたが、街燈に灯が入って、ひっそりとした裏通りは、もう夜になってゐた。數間先の花崗石(みかげいし)の鳥居の傍に、何か黒いものが蹲ってゐた。龍田は最初、犬か、荷物かと思って、薄闇の中を透してゐると、むくむくと立上ったのは、例の黒外套を着た男であった。
 龍田は茶器をもってきた女中を振返って、
「鳥渡見給へ、あすこにゐる男は何だい?」と訊ねた。
 龍田の肩越しに往來を覗いた女中は、風に揺られるやうに歩いてゆく男の後姿に眼をやって、
「ありゃ、無外さんといって、この邊で有名な人なんでございますよ。」
「狂人ぢゃァないかい? 僕は當地(ここ)へ來て以來、毎日見掛けるよ。何處へいってもゐるから厭になって了ふ。」
「狂人ぢゃァないでせうけれども‥‥矢張り色狂人とでもいふんでせうかね‥‥」女中は火鉢の火を直しながら、くすりと笑った。
「色狂人とは氣味が惡いね。一體何者なんだい? 何だか岩窟の中に棲んでゐるやうだね。」
「あれでも東京の學校へいった事があったりして、中々學者なんださうでございますよ。縁者も何にも無い孤兒で、子供の時から樺さんの家に養はれてゐたんでございますがね。一昨年あたりから「お萬様」の上の岩窟に棲んでゐるんでございますよ。」
「さうか、樺さんの家にゐたのかい。」
「何でも嵯峨子様に、百首の戀歌を詠むで贈ったとかで、御隠居様に撮出(つまみだ)されて了ったんで、それ以來氣が變になったのださうでございますよ。」
「それで始終、樺さんの家の近所をうろついてゐるんだね。怪しからん奴だな。」
「眞實に、あんなお綺麗なお嬢様がいらっしゃると、樺さんでも御心配ですわね。」
 龍田は、女中が退って了ふと、机の上にあった二分金をもう一度見直した。赭黒く錆びた古錢から、潮の匂ひが立騰ってきた――身を切るやうな吹雪の朝、荒狂ふ怒涛の間に漂ふ船の破片の中を、浮きつ沈みつ泳ぐ人々、やうやく岩角に縋りつきながらも、力つきて其儘波浪に浚はれてゆく人々、救助に狂奔する村民達のどよめき――六十幾年前の海の光景が慌しく龍田の腦裡を走った。
 彼は郷里の兄に長い手紙を書く爲に机に對(むか)った。
 海濱の街に夜が更けて、重い海の遠鳴りが聞えてきた。

語らぬ戀
 嵯峨子のゐない海と山は、しらじらと色が褪せて、そこには最早、龍田を惹付ける何ものもなかった。夫から三日間、彼は樺家を訪問する度に門前拂ひをされた。
 掌を返したやうなこの冷遇に、彼は只首を傾げるだけで、何等の理由をも發見する事が出來なかった。意味あり氣に唇に指をあてゝ窓の奥に消えて了った嵯峨子にも、それっきり會ふ機會がなかった。
 其日も龍田は侘しい氣持で、砂を蹴りながら海邊を一廻りして宿へ歸ってくると、一生涯の疲勞が一度に出てきたやうに感じて、疊の上にごろりと横になった。彼は東京を出發(た)つ時には、ほんの二三日勝浦にゐて、又、何處かへ旅行を續ける心算であったのに――そんな事を考へながら、徒に床の間の上で塵埃を被ってゐるゴルフ道具や、雜誌などをぼんやり眺めてゐた。
「龍田さん、お電話でございますよ。」といふ女中の聲に龍田は跳起きた。彼は階段を下りて帳場傍の電話室へゆく迄の間に、電話を掛けて寄越したのは嵯峨子に違ひないと直感した。
「龍田さんでいらっしゃいますね‥‥海岸通りの神社を御存じでいらっしゃいませう? 私は親戚へいった歸途にあすこへ寄りますから‥‥多分三時頃になると思ひますの‥‥恐入りますけれども‥‥」
 電話は、龍田が一言もいはない中に斷れて了った。聲の主は紛れもなく嵯峨子であった。その神社へは一週間前に彼女と一緒にいった事があった。兩側に水仙の咲いてゐる砂山の道路をあがってゆくと、左手の丘に松原があって、鳥居を越えて、直ぐ眼の下に波が打寄せてゐた。三時といへばあと一時間である。
 龍田は町を過ぎて、崖を切開いた海沿ひの道路を幾曲りかして指定の場所へ急いだ。その間々には鰯揚げに賑ってゐる濱があったり、鰯の籠を滿載したトラックが道路を塞いでゐたり、桶屋や、煎餅屋の軒に掲(で)てゐる籠の目白が囀り合ってゐる部落があったりした。
 嵯峨子は、既う鳥居の傍で待ってゐた。
「私、思ったより早く抜出てこられましたの。」
「抜出ていらしったって、それはどういふ意味なんです。」
「この間から、随分變だとお思ひになったでせう? 私にも何だか、譯が解らないんでございますけれども、私、家へ閉込められてゐるやうな事になってをりますのよ。今日はこの先の親威の者が見えたものですから、それを送りながらきて、そこの家からお電話をしましたの。」
「では、矢張り、あの無外とかいふ男のせゐですか?」
「えっ? 無外? そんなことを御存じなんですか。」
「この間、官軍塚へいった歸りに、貴女が急に後へ引返しましたね。あの時、藁堆の陰にゐた男でせう?」
「あれは狂人ですから避けたのですけれども‥‥原因は貴郎らしいんですの。」
「僕が? どうしたんでせう。僕が何かお祖母様のお氣に障るやうなことをしたんでせうか‥‥ちっとも覺えはないが‥‥」
「眞實に不思議なんですの、急に貴郎を惡人扱ひにして、家へお寄せしてはいけないなんて仰有るんですもの……貴郎はお祖母様の許へお手紙でもお寄越しになりませんでしたの?」
「いゝえ、僕、手紙なんか出しませんよ。」
「怪しいわね。それぢゃァどうしたんでせう。あの朝まで、お祖母様は迚もご機嫌がようございましたのよ。それがあの晩から急に變ってお了ひになって‥‥お祖母様はどうかなすったのではないかしら? ‥‥この頃はずっと地下室ばかり入っていらっしゃるんですの‥‥ご飯も碌に召上らないで‥‥」
「それは困りますね‥‥何か僕の事を誤解していらっしゃるのかも知れませんね。どうかして一度お目に掛りたいな。」
「お祖母様は、眞實に頑固な方ですから、困って了ひますのよ。」
「こんな事になったには何か理由があるに違ひありませんよ。その理由を手繰り出すのが、吾々の第一の仕事で‥‥えゝと、‥‥吾々といってはいけないでせうか‥‥」
「いゝえ、ちつとも構ひませんわ‥‥私も然う思ひますの‥‥折角貴郎がわぎわざいらしって下さいましたのに、こんな事になって、眞實に申譯ございませんわ。」
「僕だって、このまゝ引退る譯にはゆきません。どうしたってお祖母様の誤解を解かなくては吾々の立場がなくなりますからね‥‥今晩でもいって、無理にでもお目にかゝりませうか。」
「さうして頂けると、眞實にいゝんでございますけれども‥‥それなら遅くなっていらしって頂きませう。女中達を寝(やすま)せて了ってから、私お庭の木戸を開けておきますわ。」
「では、十時半頃に伺ひませう。」
「眞實に濟みません‥‥あゝ、乗合自動車がきましたわ。私、これでお先に失禮します。」
 嵯峨子は街道を疾走ってまた自動車を停めて、人目を憚るやうにして町の方へ歸って了った。
 その周章しい會見は、二人が二週間の間、徐々に歩み寄ってゐた距離を、一足飛びに狹めて了った。二人は老婦人の不思議な態度を訝ったり、惧れたり、詰ったりしながら、識らず知らずに離れ難い互の心を告白しあってゐたのであった。
 一旦、人家の陰に消えた乗合自動車は、再び、陽光の一杯にあたってゐる海岸通りへ出て、隧道の方へ疾走っていった。
 龍田は全身に武者振ひのやうなものを感じて、幸福な溜息を吐(つ)くのであった。

戒名の謎
 約束の時間まで、待ちきれずに、九時を聞くと龍田は宿を出て了った。時間がくる迄、停車場の附近でも散歩する心算でゐたが、彼の足は自然と川津の方へ向って了った。
 歩き馴れた田圃道を過ぎて、眞暗な隧道を抜けると、いつもは既う雨戸を閉めてゐる筈の店が開いてゐて、あちこちの軒下に、漁師や、内儀さん達がかたまり合って、事あり氣にざわめいてゐた。
 樺家の附近は一層の人出で、石段の下には女子供まで群ってゐて、それを制してゐる青年團の提灯がちらちら動いてゐた。
「強盗だよ‥‥」
「人殺しがあったんだとよ‥‥」
「‥‥樺さんのところで人が殺されたんだと、‥‥」
 龍田はきれぎれにそんな言葉を聞いて愕然とした。嵯峨子に附纏ってゐる無外といふ男の姿が彼の腦裡を掠めた。
 龍田は夢中になって、人々を掻分けるやうにして石段を駈上っていった。門を入ると、庭木戸の内側に提灯をもった男達や、巡査が一かたまりになって、その足下に洋服を着た男が倒れてゐた。
「殺されたといふのはこれですか?」龍田は側へ寄って、首を捻って俯伏に倒れてゐる男の顏を覗込んだ。黒いマスクが耳の傍に飛んで、後頭部から流出た生々しい血が顏の半面を染めてゐた。男の右唇の上にある赤痣を見て龍田ははっとした。それは彼がこの町へくる時、同じ汽車に乗合せた男で、最近には又、官軍塚の近くで出會った男であった。
 人々の猜疑深い視線が龍田の上に注がれたが、その中に見知越し青年がゐて、彼に目顏で挨拶をしながら、
「いま醫者を招びにいってゐるんですが、駄目でせうよ。もう脈がないんですからね。」といった。
「どうしたんです? これは何處の人なんです?」
「土地の者ぢゃァないですよ‥‥泥棒にでも入らうとしてやられたのかも知れないと、今も話してゐるところなんですがね‥‥先刻、騒ぎが起る鳥渡前に、無外といふ狂人がこの石段を駈下りて逃げてゆくのを附近の者が見かけたといふんで、青年團や消防隊が山狩りにゆきましたから、今頃はもう捕ったかも知れないです。」
 龍田は二言三言立話をしてから、玄關へ入っていった。そこには嵯峨子が眞青な顏をして立ってゐた。
「眞實にびっつくりしましたわ‥‥最初貴郎かと思って‥‥」嵯峨子は龍田を見て安心したやうに溜息をした。
「戸外では、あの男が泥棒に入らうとしたのかも知れないといってゐますけれども‥‥お宅ではまるっきり識らない男なんですか? 僕はあの男を知ってゐます。僕と同じ二等車に乗ってこの土地へ來た男ですよ。泥棒する爲にわざわざ東京から乗出してくるなんて、少し變ぢゃァありませんか。」
「まァ! 一緒の汽車で?」
「一維にきたといふ講ではないのですが、顏に特徴がありますし、それに浪花邊からこっちはあの男と二人限りでしたから‥‥」
「‥‥あの男は、家ではまるっきり識らないといふことにしてあるんですの‥‥いろいろお話しなければならない事がありますから、何卒お上り下さい‥‥」嵯峨子は急に聲を潜めて、龍田を奥座敷へ導いた。
「‥‥お祖母様は、あの男の寄越した脅迫状を、貴郎がお出しになったものと思ひ違ひしていらしったんですの‥‥」
「脅迫状?」
「えゝ、樺の家の、昔の事を材料にしてお祖母様からお金を強請らうとしたんですの‥‥あれはね、亡くなった兄が、北海道で一緒に惡い事をしてゐた仲間なんでございます‥‥兄はあの通り口の輕い人でしたから、家の事を、ある事、ない事、いろいろお喋り散らしたらしいんですの、最初からお話しないとお解りにならないでせうが、樺の家がお金持になったのは、この間お謡した難破船のあった時、この家で手當をして亡くなった方からお金を剥ぎ奪ったからだといふのださうです。 私はそんな事を信じませんけれども、お祖母様は大變それを氣にして、今晩あの男にそっと會ってお金を渡す打合せがしてあったのださうです。男の脅迫状には餘りこの家の事が詳しく書いてありましたし、それに貴郎のお祖父様のお話があったりしたものですから、お祖母様はてっきり貴郎を惡人だと思込んでいらしたのです。」
「實に怪しからぬ奴ですね。それでお祖母様はあの男にお金をおやりになったのですか?」
「いゝえ、まだお會ひにならない中に、あの男が殺されて了ったのです。私が女中の悲鳴を聞いて、廊下を走ってゆきますと、私より先に縁側の戸を開けて、庭へ下りていらしったお祖母様は――早く男衆を呼んでおいで――と仰有って、女中が去って了ふと、死骸の顏を覗いていらしったお祖母様が、 死骸のポケットを探って、手紙みたいなものをとって、御自分の懐中へお隠しになるのを見たものですから、私はお祖母様を責めてこれだけの事を聞出したのでございます‥‥お祖母様は屹度、御自分の書いた手紙が、警察の手に入ると面倒になると思って、取返しなすったのでせう‥‥」
 嵯峨子は話の途中で不意に席を立って、廊下の端れにある地下室の階段を駈下りていった。龍田も咄嗟にその後に續いた。
 薄暗い、板張りの地下室では、老婦人が蝋燭の揺めいてゐる佛檀の前に合掌して、狂人のやうに題目を唱へてゐた。
 さゝやかな佛檀の奥に、――大乗院義經日是信士――と記された戒名が讀まれた。それは龍田が津慶寺の過去帳から捜出した祖父龍田甚左衛門の戒名であった。

 龍田は奇しき因縁の絡ったこの發見を誰にも語らなかった。
 夫から一年が過ぎて樺家から懇望されて養子に迎へられた龍田は、或日地下室の位牌をそっと持出して、表座敷の佛檀に竝んでゐる樺家代々の位牌の間に加へた。

 事件以來、千葉の瘋癲病院に収容されてゐる無外は、戀仇の龍田を殺したものと信じて永遠の處女嵯峨子に寄する歌を詠んで暮してゐるといふ。  ――終――

注)明かな誤字誤植は修正しています。句読点は変更したところがあります。
注)初出不明です。


風刺小説「能率増進」
「面白倶楽部」 1926.10. (大正15年10月号) より

 雇人にとって、店先を主人にうろつかれる位、不愉快なものはない。俺が親方を嫌ふ所以も、この厭な癖があるからである。この車庫は目抜きな場所にあるので、恐ろしく仕事が舞込むできて、迚も俺一人の手ぢゃァ遣りきれない。鳥渡景氣いゝと、俺の目の前に仕事が山をなして了ふ。だがいくら仕事があったところで、その爲に俺の日給が増える譯ぢゃァないのだから、有難くも何ともない。第一親方ときたら、もとは自分の仕事の癖にどんなに忙しからうと、手傳っても呉れない。只こそこそ仕事場へ忍込むで、俺が怠けてゐるかどうかを見張りにくる計りだ。
 俺は自動車の下敷になって、車體の腹をせっせと修繕してゐた。車輪の間から、親方の脚が見える。又例の惡い癖を出し始めたと見える。金槌の音を聞いただけでは氣が濟まないのかな。こんな事を考へて俺は氣がくさくさしてきた。
 時計を引出して見ると、既う退け時を三分過ぎてゐた。俺は親方がもう仕舞ってもいゝと聲をかけるのを待ったものか、それとも俺の方から這出したものか、鳥渡迷った。金槌と鑿を道具箱へ抛り込むで俺はバットに火をつけた。
 床板の軋る音が聞えたので、ひょいと顏をあげると、親方が床穴の縁に立って俺を見下してゐた。
「其處にゐるのは瀧本か?」
 俺は暫時返事をしなかった。事によると、親方は俺を他所の職工とでも思ひ違ひしてゐるのかも知れないと思ったからである。
「左様(そう)ですよ。」俺は餘程經過(た)ってから答へた。
「お前そこで煙草を吸ってゐるな?」
「はァ。」
「俺は仕事場で煙草を吸ふのは禁じてゐた筈だが……」
 俺は胸一杯煙草を吸込むで、親方の脚に白い煙を吹掛けてやった。
「親方、煙草は消毒になりますぜ、この穴の中の空氣ときたら迚もやりきれませんからね。」
「だが、お前の傍にはガソリンがあるぜ。火でも出して見ろ、消毒どころか、人間の黒燒が出來て了ふ。お前、近頃少し怠けてゐるやうだぞ。ちっと話す事がある。」
 俺は床穴を這出して親方の前に立った、親方は大分以前から俺を監視したのだらう、もうそろそろ小言の出る頃だと思ってゐた。それに俺の方だって、消防夫の運動大會に参加する事になってゐるので、牛日暇を貰ふ談判をしなくっちゃァならない。
「僕の方でも少々お話したい事があるんですよ。御承知の通りこの三週間といふものはぶっ續けで働きましたからね。」
「いや、俺は認めないよ。」親方は大きな目玉を剥いて俺をじろじろ見ながらいった。
「親方は毎日あんなに熱心に見物してゐたんだから、僕の働きぶり位、認めてもいゝ筈ですね。既う退け時を過ぎてをりませう。」
「二分過ぎてゐるな。」親方は大きな天ぷら時計を見ながらいった。
「瀧本、それでお前はどんな話があるといふんだ。」
「來週の木曜日に暇を頂きたいんです。」
「暇を呉れって?」
「左様です。」
「それはならんよ。」親方は時計の鎖を弄(まさぐ)りながらいった。
「何故ですか。」未來の舅でなけれゃ、俺はもっと強硬に出るのだが、まあ温順しくいっておいた。
「おい、瀧本、お前がどんなに仕事に精を出したか、喋る必要はない。近頃の仕事の溜りやうはどうした態(ざま)だ。俺はお前のお蔭で餘計な手數をかけられて了った。」
「どんな手數です。」
「どんな手數って、俺は横濱までいって、お前の手傳ひをする職工を一人雇ってきたのだ。」
 これは俺にとって全く意外な事であった。
「機械工を臨時に雇ったんですか。」
「さうだとも。」
「それは結構ですな親方。」
「何が結構だ、みんな俺の懐中の痛む話だ。その職工はお前の手本にと思って連れてきたんだ。迚もこの邊には見られないやうな感心な男だ…。時間はたっぷり働く、而も精を出してな。朝仕事を始めるのに二十分も遅れるやうな手合とは譯が違ふ。」
「それは誰かへの當てこすりの積りですか。」
「その通りだ。まだ年は若いが、仕事は實に早い、それに自分の俸給以上に働くのを主義としてゐるんだ。」
「へえ、そいつは斬新な主義ですな、僕も聞いた事がありませんよ、一體どこから、そんな椋鳥を捕ってきたんです。」
「濱で見付けて來たのさ。今向ふの仕事場に待たせてある。」
「それぢゃァ今頃は大方、働いてゐるでせふね。あの金槌の音は、そいつのですか。」
「左様だ、待ってゐる間にも仕事をやってゐる。一分たりとも貴重な時間を空費しないのだらうな。」
「何をやってゐるんです。」
「ガソリン容器の臺を据付けてゐるんだ。お前に散々ぱら吩咐けておいたのに、とうとうやらなかったやつだ。」親方は先に立って表の戸口の方へ歩いていった。
「彼處にゐるだらう。どうだあの仕事振りを見ろ、お前よくあれの面倒を見てやれよ。まだ若いんだからな。それから口數の鮮(すくな)い男だが、これに無駄口を叩いてゐる暇がないといふ澤なんだ。既うそろそろ夕飯の仕度が出來る頃だ。あの男のとこへいって、さういって來な、そして茶の間へ連れてくるんだ。」
「何ていふ名前ですね。」
「名前か、名前は押川っていふんだ。」
 親方は二階の梯子段を上っていった。仕事場の上が茶の間になってゐるのだ。俺はもう一度押川の方を覗いて見た。上衣も帽子も脱ぎすてゝ、甲斐々々しく袖口を卷り上げて、せっせとガソリン容器臺の上に、板を釘づけにしてゐる。その有様たるや誠に凄じいものである。俺の考へではまだ二十そこそこの男だ。顏付を見たところでは、別に沈默家とも受取れない。俺は傍へ寄っていったが彼は仕事に熱中してゐて、俺の方を見ようともしない。全く一擧一動も等閑にしないといふ調子だ。
「おい、押川君っていふのは君かい?」
「左様ですよ。」彼は俺の何者であるかを見ようともしないで答へた。
「全くね。君は感心だよ。だが仕事を始める時間を嚴守するやうに、止める時間も守ったらどうだね。
「夕飯が出來たら君二階から呶鳴って呉れ給へ。僕はすぐに馳付けるから。」彼は仕事の手順のいゝやうに一握りの釘を口ヘ頬ばりながら答へた。僕は仕事振りを見てゐるうちに、奴は仕上工に違ひないと鑑定した。
「どうだい、一層飯を食ふのを止めたら、その暇にもっと仕事が出來るといふもんだ。さうぢゃァないか君。親方は一體君にいくら給料を出してゐるんだい。」
「僕は給料なんか問題にしてをりませんよ。それよりも如何にして仕事の能率をあげようかと、苦勞してゐるんですよ。これが僕の主義でしてね。」彼は相變らず仕事の手も止めすにいった。
「詰り、食はないでも生きてゆけるといふ、有難い天國の主義なんだな。こちとらは腹が空っては金槌が動かないんだからな。」
「一體世間の人達は、どれ位働けるかといふ事を考へないでいくら給料を貰へるかといふ事許り考へるから、いけないんです。僕はこの問題に關する書物をもってゐますがね。いづれ後で讀むであげますよ。」
「それも時間が惜しいといって貰ひたかったね。君は何かい、矢張り夜になると寝るのかい。それとも起きて働く主義か?」
「君達の考へてゐる程、そんなに睡る必要はないんですよ。彼の大奈翁は僅か二時間しか睡ないで、あの大事業を成し遂げたではありませんか。先づ吾々凡人でも五六時間も睡れば充分ですね。發明家といへどもそれでやってゆくし、夜業も出來るんですからね。こつこつやってゆくところから成功が生れるんです。」
 彼は又一握みの釘を口ヘ入れた。
「成功がこつこつ釘をうってゆくところから生れるとなると、君などは金槌にでもなればよかったんだ。俺は無理に君を仕事から引離さうとは思はないが、若し飯を食ふ時間の繰合せがついたら、二階へやって來給へ。」俺はぐるりと踵を返して家に入った。親方が半日も姿を見せないと思ふと、屹度こんな碌でもない事をやるんだ。親方は躍起となって、俺をもっと働き者にしようと思ってゐる。
奴は中々抜目のない男だから、斯うなったら俺も新米に出し抜かれまいとして、仕事に馬力をかけるだらうと見込をつけてゐるに違ひない。俺は如何なる機械工にもひけを取る男じゃァない。何しろ俺位早く螺旋廻を廻せるやつはないんだからな。だが俺は甘んじて過重な勞働に服すやうな人間とは譯が違ふ。俺を馬車馬のやうに追ひ立てゝこき使はうとする親方の考へが第一間違ってゐる。
 茶の間へゆくと、親方と娘のお花坊が卓子(ちゃぶだい)に向って俺達を待ってゐた。お花坊は俺さへ失策(しくじ)らなければ、未來の花嫁といふ事になってゐるんだが、俺がこんな車庫なんかに落着いてゐる原因も、實はこのお花坊の存在に歸するところが多いのだ。そんな次第で俺はこゝで家族の一員の待遇を受けてゐるんだ。
「全くだよ。」俺が部屋へ飛込むだ時、親方がいった。
「今度來たあの若いのは、素晴しい奴だ。俺が全三週間瀧本にやかましく吩咐け通しでゐたあのガソリン入れの臺を既う拵へて了った。」
 親方奴、俺の居ない間に詰らない棚卸しなんかして、危くお花坊の信用を墜して了ふところだった。だが俺は丁度いゝところへ飛込むだものだ。
「親方一體僕にあの臺をこしらへる暇があったでせうか。」俺は早速抗議を申込むだ。
「あゝお前、そこへ來てゐたのか、何に臺はまだ出來上りはしないがね、あの男が夜業でもすれゃ、今晩中に出來て了ふといふ話よ。」
「今度來たやうな勤勉家は瀧本さんのいゝお手本ですわね。誰でも出世しようと思つたら、仕事に精を出さなければならないのよ。あの金槌の音をおきゝなさい。あの方は屹度、出世の道を知ってゐらっしゃるのよ。」お花坊痛い事をいふ。親方が窓から首を出して聲を掛けたので、押川は早速やってきた。
「食事は直ぐ始めていゝのですか。」彼は濡れた手を手拭ひでふきながらいった。
「いまお汁が沸湯(にたつ)まで鳥渡待って頂戴。」お花坊は火鉢の鍋を掻廻しながらいった。
「まだ二三分間があるよ。どうだい引返してもう一本釘を打って來ないかい。俺は鳥渡憎まれ口をきいてやった。然し押川の奴はそんな事は耳にもかけないで、いきなり食卓の前へ坐って懐中から一冊の書籍を取出した。
「これを讀むでご覧なさい。爲になりますよ。」
 彼は親方に話掛けたが、勿論俺に聞せる心算(つもり)だ。
「これは機械工の能率増進法及び大人物の出世談が書いてあるんです。」
「おい押川君、僕に聞せてゐる心算なら、もうちっと考へて貰ひたいね。僕は大人物ぢゃァないんだぜ。この店ぢゃァ能率増進なんて、そんな變梃な本は必要ないんだ。」
 お花坊は氷のやうな冷い視線を俺に浴せた。
「讀書家を嘲けるものぢゃァなくってよ。それより、さういふ方をお手本にするものだわ。」
 お花坊は白い細い手で、飯をよそひながらいった。
「おい瀧本、お前の考へはよくないぞ。」今度は親方が箸を俺の鼻先に振廻しながらいった。
 どうも形勢がよろしくないぞ。俺の前で今飯を食ってゐるこのおべんちゃら野郎奴、どうやら二人の御意に召してきたやうだ。
 食事中押川は一口毎に手を振って盛んに饒舌(しゃべ)った。そして如何にして成功するかといふやうな平凡な事をむづかしい言葉で説明しやがった。
「人間は爪先で立上って、人混みの中を、成功に向って突進しなければならないのです。」
「成程それに違ひない。」親方は上機嫌で相槌をうってゐる。
「功名心に乏しい人間は……。」押川の奴、横目で俺の顏を見ながら言葉を續けた。
「この書物を讀むやうにおすゝめしますね。そしてこゝに書いてある事を實行するんです。」
「馬鹿々々しい、俺はそんな本を讀む程、仕事に夢中になってはゐないんだぜ。それよりも部屋の隅に轉がって、新聞でも讀むね。尤も俺の讀むところは講談ばっかりだから、憚りながら仕事の事なぞは書いてないんだ。」
 俺は部屋の隅に引退って、夕刊の續きものを讀み始めた。俺の大好きな清水の次郎長だ。暫時讀耽ってゐる間に煩い蜂の巣野郎は俺に見切をつけて、階下へ降りて了った。やがてまた車庫から、金槌の音が聞えてきた。親方は滿足さうに長火鉢の前で居睡りをしてゐる。お花坊は臺所で洗ひものをしてゐる。
 だがいくら何だって、あの金槌の音が押川の働いてゐる證據だとは考へられない、たった今しがた飯が濟むだ計りぢゃァないか。
「押川は何をしてゐるんです。」俺は念の爲に親方に聞いて見た。
「働いてゐるのさ。あの音がお前には聞えないのかい。解體した自動車の事を話したら、早速やりにいったんだ。俺は明日にしたらよからうといったんだが、結構今日中に出來る仕事を、明日に延すのはあの男の主義に反するのださうだ。」
「あの方を少しお手本に見習ってご覧なさいよ。あの方が來たのは貴郎(あなた)に取って幸(しあわせ)といはなければなりませんわ。」仕事を濟せてきたお花坊まで一緒になって、俺に説法した。
 俺は少しムッとして「お寝み」とも何とも云はないで隣の部屋へ引あげた。
 一時間といふもの俺は寝床の中で、階下の金槌の音をきゝながら、眼をぽっかりと開いてゐた。あんな馬鹿野郎が舞込むできて、食卓で書物を振廻したり、俺が斯うやって寝床に入ってゐる間も仕事などを遣ってゐるやうでは、俺に對するお花坊の心に如何なる惡影響を與へないとも限らない。考へると、俺たるもの又心配なきを得んやである。といって今更ら俺が階下へいって、奴と一緒に仕事を遣ったなら、俺を感化したといふところで、又奴に名を爲さしめる事になる。いづれにしても惡い破目に落込むだものだ。それから俺は睡りつく迄、何とかして明日仕事場で奴に金槌を投付けて、偶然の過失から起った出來事のやうに見せ掛ける方法はないものであらうかと考へた。
 いつか俺は睡って了ったが、俺は誰かゞ部屋へ入ってくる物音で、暗中に眼を覺した。
「こら! 誰だ!」
「押川です。今寝るところなんです。」
「ふん、そりゃ意外だね。寝ると時間が潰れるが、承知の上かい。一體何時だね。」
「十二時十五分前です。」
「お前、今仕事を終ってきたのかい。」
「いゝえ、十五分前に終ったんです。今晩すっかり遣っちゃいましたから、明日は新らしい仕事に掛れますよ。」
「おいおい、靜にしてくれ、そのぎりぎり捩ってゐるのは何だい。」
「目覺時計です。」
「冗談ぢゃァない、此處ぢゃァ目覺時計の必要はないぜ。親方はな、七時半きっちりに皆を起し廻るんだからな。」俺は部屋の隅に立かけてある金槌を引掴むで、睡眠(ね)しなまで考へてゐた問題を、手取り早く片付けて了ったら……こんな考が腦裡を忙しく往來した。
「へえ!」
「何が「へえ!」だ?」
「いや何でもありません。ではお寝み、七時牛ですね。へえ!」
 朝、押川の目覺時計の音で眼を覺して四邊を見廻したが、まだ眞暗である。俺は蒲團を蹴って、彼の枕元へ飛むでいった。
「おい! 目覺しを止めろ!」
 押川は燐寸を擦って、時計の面に翳した。
「何だ、五時半ぢゃァないか。」俺は時計の面を覗いて怒鳴った。
「それが僕の主義なんですよ。ところで若しよかったら、僕のもってゐる本を一冊貸して上げませう。朝飯になるまで讀むでご覧なさい。僕はいつもさうしてゐます。」
「喧しいやい! ぶん毆られたくなけれゃ、とっとと出て行け!」
 七時半に俺は茶の間へいった。押川の奴は手を拭きながら上ってきた。着物の汚れてゐる様子からして、何人の眼にも階下で一仕事してきたといふ事が解る。
 お花坊は盛んに好意に滿ちた視線を押川に向けながら、浮々して膳立をしてゐる。親方は喜色を滿面に漲らして、臺灣出來の安葉卷を燻らしてゐる。こんな事がいよいよもって俺の神經に觸った。
「いよう! 今お目覺かね。」親方は揶揄(からか)ふやうにいった。
「これが僕のいつも起きる時間ですよ。何だって今日に限ってそんな事をきくのです。」
「何でもないが、押川が起きる時、お前を起したらうと思ってさ。」
「起しましたとも、だがね親方、僕に夜業がさせたかったら、はっきり吩咐けて貰ひませう。」俺は親方をぐっと睨みつけてやった。
「そんな皮肉なことを云ふもんぢゃァなくてよ。今の世の中で、名を成すほどの努力をする人はざらにあるもんぢゃァないわ。そんな人を見たら尊敬するものよ。他人がご飯前に仕事を片付けたからって、妬く事はないぢゃァないの。技倆(うで)からいったら貴郎の方が餘程上なのだから。」
 この時までに俺はいゝ加減自暴自棄になって了ってゐたが、お花坊の最後の言草が、俺に好意を示してゐたんで、聊か氣を取直した。押川は席に就くや否や、又してもお手のものゝ立身出世、能率増進を説き出した。そして又別な本を見せて、
「若しある人が奮闘努力によって成功する事が出來たなら、吾々も同様に出來る筈である。
「働け、而して榮冠を得よ」といふ言葉を標語(モットー)としてゐる人達にとっては、成功は恰も汽車が一停車場から次の停車場へ到着すると同一であります。」といった。
 俺はいつもの三倍の速さで食事を片付けたが、押川の奴はその前に既う仕事場へいって了った。
「おい瀧本、お前は氣を惡くしてはいかんよ。俺だってお前を未來の娘婿だと思へばこそ、いろいろ厭な事もいふんだ。然し押川は全く感心な男だ、勉強の仕方も心得てゐる。今も別な本を持ってきて、俺に讀むで聞かせたが、確にお前の爲になる本だよ。あの男は今に豪く高い地位まで、身を押上げるに違ひない。」親方は急に俺の機嫌をとるやうに、側へきて話しかけた。
「彼奴がこんな巫山戯た眞似をいつ迄も續けてゐると、今に豪く低いところへ、身を押込むやうになりますぜ、白木造りの棺桶の中にね……ぶちまけて言へば、彼奴はどうも虫が好ないんですよ。」
 俺は帽子を眉深に引下げて階下へ降りていった。其處では既に押川が毀れ自動車の後で金槌を振廻してゐた。その傍の腰掛(ベンチ)の上には野郎の「働け、而して榮冠を得よ」主義の能率増進法の一冊が開いたまゝ置いてあった。
 俺に讀ます目論見らしい。俺は故意と見ないふりをして、自分の仕事場へ陣取った。
 俺と押川との間に、競爭心を引起させやうといふ親方の根膽も解ってゐる。俺はそんな事に捲込まれたくはない。けれども又こんな若僧に鼻をあかされるやうな眞似は、俺の氣象として我慢出來ない。
 押川輩を打負かせないやうでは、機械工を罷むるに如かずといふ覺悟で、俺は金槌を握りしめ、押川よりも一刻(ひときざ)み早い、二連打といふ奴で、ガンガンおっ始めた。
 反對側で押川が鑿と金槌を使ってゐるのが見える、奴は突然吃驚したやうな様子で、俺の方を覗いた。親方も俺達の間を往ったり、來たりしてゐたので、俺の金槌の音に氣が着いた。彼は俺の仕事振りを見てにこにこしながら、揉手をした。
 其時、押川も俺の早打に氣付いて、一分と經過ないうちに、俺に追付きさうになってきた。
「二人とも中々やってゐるな。どうだいこの音は、まるで車庫が蘇生ったやうだ。おい押川、葉卷を一本遣らう。」見ると親方は例の安ものゝ葉卷を押川に渡してゐる。
「そいつに遣る必要はありませんぜ。葉巻をふかす時間なんて、そいつには無いんですよ。」
「日曜に吸へるさ。氣の毒だが一本しか無いのでお前には遣れないよ。」
「僕は親方がどんな代物をふかすかっていふ事は、先刻御承知なんですからね。そのお心遣ひには及びませんよ。如何ですね。この早さでお氣に召しますかね。それとももっと早くしませうか?」
「いや、それで結構だよ。お前はまるで人間が變ったやうだぜ。その調予なら、押川についてゆかれさうだぞ。」
 俺は厭な顏をして見せたが、親方は氣がつかない様子で、向うへ歩いていった。其時俺は次の場所へ鑿を移して蒸氣機械のやうな勢で金槌を打ち始めた。それについて押川の視線が、こっちに走るが早いか、彼も齒を喰ひしばって猛烈な勢で金槌を振廻し出した。
 半時間もすると、押川の奴はふらふらしだした。親方はまたこっそり部屋へ入ってきて、自分の金を稼いでゐる俺達兩人をいとも熱心に眺めてゐた。
 その頃までに押川は、先づ帽子を部屋の隅に投げやり、仕事着をとり、最後に襯衣まで脱ぎ棄てゝ了った。何しろこんな調子で頑張り通したので、俺の方でも腕が段々参ってきた。だが顏付だけは涼しさうにしてゐた。押川は苦しさうに喘いでゐる。奴(やっこ)さん力は餘りないが、氣だけは中々勝ってゐるらしい。とはいふものゝ、僅か三十分であんなに参る位では、午後まで働いたら奴さん完全にへたばって了ふだらう。
 突然、店の戸があいて、如才なささうな物腰の男が入ってきた。戸が開放しになってゐたので、鼠色に光ってゐるエリザベス型の自動車が店の前に乗りつけてあるのが見えた。この男が乗ってきたのに違ひない。親方はその男の方へ歩いていった。二人は額を突合せて暫時喋ってゐたが、ぢきに親方が戻ってきて、
「おいお前達、仕事の邪魔をして濟ないが、鳥渡顏を貸してくれ。」
 俺は故意と不承々々に道具を投げ出したが、この思掛けぬ助け船に、やれやれと息つぎをした。押川の方を見ると、奴は親方から給料の割前を貰ってゐるところであった。
「お前達、こゝにゐられる方は大阪から來られた北島さんといふ方なんだ。丁度ステーションホテルヘ宿ってゐらしったので、今朝押川から電話をかけて來て頂いたんださうだ。押川、さうか。」親方は後を振返った。押川は大きな手拭で首の周圍を拭きながら答へた。
「えゝ、左様です。お店で働いてゐられる機械工の方をいろいろ觀察して見ましたが、失禮ながら、どうも自分の職業に對する正しい理解と訓練が足りないやうに思はれました。私も曾てこの方と同様でありましたが、こゝにをられる北島先生の能率増進法の書物を讀むで、大に得るところがあったのです。私を斯くの如く理智的な軌道の上に導いて下すったのは、實に北島先生であります。私は瀧本君にも是非この良書を得させ、そして成功の鍵を握る事をお勸めするのです。それで差出がましい次第ですが、先生においでを願ったのです。」
「それはいゝところへ氣が着いた。お前の萬事の遣口で、その書物がどんなに價値をもってゐるか、俺にもよく解った。」親方は揉手をしながらいった。押川の奴の念入りなお節介は酷く俺の氣持を苛立たせた。北島先生は默って俺を見廻してゐたが、頃合を見計らって口を開いた。
「この能率増進法によって、君を成功に導く事が出來れば、儂としても非常に幸福である。押川君などは、僅か一ヶ月前にこの講義録を手に入れたのですが、その結果は見らるゝ通りです。」
「一體、一揃ひで幾許なのです?」俺はかう訊ねた時には、もう決して講義録なんていふ、つまらぬ本は買ふまいと腹を決めてゐた。
「おい瀧本! 値段なんか問題ぢゃァないぜ。今日び、書物で修養を積む人物は、學校出以上の地位を占めるにきまってゐる。成功を思へば、定價五十圓は安いものぢゃァないか。お前も何時かは俺の息子になるのだから、俺だってこの位の事はしてやるさ。俺が金を拂ってやるから、お前は勉強するのだ。いゝか、一つ奮發して、偉い人間になって呉れ!」親方はすっかり乗氣になって、俺を説き伏せにかゝった。
「苟も功名心に燃えてゐる青年が、斯んな寛大な申出を受入れないといふ法はありますまゐ。」北島先生も髭を捻りながら口を添へた。
「どうしたんだ、瀧本! 幸に北島先生が書物を自動車に積むで來て居られるから、お前さん讀む氣なら、買ってやらう。」
 そこに居る三人の視線は一齊に俺の上に注がれた。實に苦しい立場に置かれたものだ。俺は、親方の養子になるに就いて大分、首尾を惡くしてゐる。此上この申出を拒むだなら、俺を目して、向上發展の精神に乏しい、賤しむべき人物であると見做すであらう。而して婿入の望もおぢゃんになるにきまってゐる。俺は兩手を力なくさげて、
「えゝ、よう御座んす。」と同意した。
「さァ、これで話は纏った。では早速本を持って來て貰ひませう。」親方は紙幣入から金を出しながら、元氣よく云った。
 俺は納らぬ腹の虫を堪へて、突立ってゐた。直に一組の書籍が運び込まれた。俺はこんなものを讀まされるのかと思ったら實際泪がこぼれる程情なくなった。鳥渡頁を繰ったところ、挿繪一枚入ってゐない。小むづかしい理窟なんか讀むでゐる間に新聞の漫畫でも見て樂しむだ方が、翌朝の仕事がどんなに愉快に出來るか知れやァしない……。
 北島先生は親方から十圓紙幣を五枚受取ると、懐中へ浚ひ込むで、自動車へ引上げた。すると押川の野郎も先生の後について表へ出ていった。
「押川は何處へ行くんです?」俺は親方に訊ねた。
「又別な本を買ひにいったんだらう。今しがた、昨日から働いた分の給料をやったから、早速その金を有益な書物に換へる氣だと見える、見上げた心懸けだ。」
「奴は自動車へ乗るやうですぜ。」と俺が云ふと、親方は眼を大きくして戸外を見た。
「おや、帽子をかぶって、おまけに眼覺時計まで持って居ますぜ。」
「おい! 押川、お前は何處へ行くのだ!」親方は戸口へ馳寄って怒鳴った。
「あゝ親方、私はこれで失禮いたします。これから北島先生と此有難い福音を各地に宣傳する爲に出かけますから、何卒惡しからず……」
 親方と俺とが呆氣にとられて、眼を瞠(※)ってゐるうちに、二人組の本屋を乗せた自動車は、凄じい爆音と、黄色い砂塵を後に殘して、何處へか走り去った。
「親方、どうです。奴は本を賣りたい一心であんなに働いたんですぜ。」俺は親方を一本遣込めた氣でいった。
「いゝぢゃァないか、商賣大切に職工の眞似事までするなんて感心な心掛けだ。あゝいふ男は必ず成功するぜ。」
「だが、五十圓も出して、あんな本を買込むだのぢゃァ、親方も大損をしましたね。」
「何に、俺は大儲けをしたと思ってゐるよ。」
「僕があんな本を讀むとでも思ってゐるのですか、若しさうだったら大間違ひですよ。僕は本なんか讀む暇があったら、働きますからね。」
「俺が儲けたといふのは本の事ぢゃァない。お前だって本氣になれば、普通の人間の二倍も働けるといふ事を發見したからさ。お前もあの男がきて、競爭で働出す迄は、一日であんなに大した仕事が出來るとは思はなかったらう。あの本屋のお庇でお前自身も自分の能力を知り、俺もお前といふ人間の眞實の腕前を見ただから、俺は近々にお前をお花坊の婿にしても大丈夫だと思ったよ。」
 これを聞いて、彼はでんぐり返しをうちたい程、嬉しかったが、默って仕事場へ飛込むでいった。いよいよ婿ときまれば、もっと猛烈に働くぞ、お花坊の事を考へながら、カンカン、カンカン、金槌を打込む愉快さよ! これこそ實に天下無類の能率増進法だ。 (完)

注)明かな誤字誤植は修正しています。「みは(※目爭)る」を「瞠る」など代用している漢字もあります。


「印度人と毒鳥(第一回のみ)」
「趣味の家庭」 1926.02.(〜) (大正15年2月号) より

 諏訪丸がコロンボを出帆して以來、海上は晴天續きで、甲板に張った帆布の日除に、バッタが止ってゐるやうな穏かな日が多かった。
 ある日の午後、私はいつもの仲間がトランプに夢中になってゐる間に、喫煙室(スモーキングルーム)を抜け出して涼しい甲板の籐椅子の上で本を讀むでゐた。
「千早さん、そこにゐらしったのですか。」私はその金切聲で聲の主がすぐ判った。
「毎日退屈だね。コロンボを出たのは昨日だのに、もう十日も經過(たっ)たやうな氣がする。まァこゝへ來て、少し饒舌(しゃべ)ってゆき給へ。」私は長椅子の端へ寄って席をこしらへた。この諏訪丸にはリバプールで解散になって本國へ歸ってゆく十數人の支那人の船夫が三等船客として乗込むでゐた。丸塚はその中でたった一人の日本人であったといふ事が多少私の興味をひいて、煙草をやったり、乞はれるまゝに圖書室から小説本などを借てやったりして大分心易くなった。
 この青年は名古屋もので、英國船に乗って永い間海上生活をやってゐたにも拘らず、日焦けもしないで顏色は生白く、赤い唇で人見知りもせずにペラペラ喋る男であった。丸塚はいつも女の話が出ると、舌なめずりをしながら、アレキサンドリアで買った賣春婦の話や、マルセーユの淫賣宿で無頼漢に脅迫され、有金を殘らず奪られたといふやうな請をする。 而もその話は大抵二三度聞されたもの計りである。然し丸塚は率直な体驗の實感を喋るので、話はいつも同じであるが、退屈以上な私は、甲板の籐椅子にゴロリとして、相手の話の先を促しながら、自分勝手の空想に耽ってゐるときがある。そして單調な眠り唄を聞いてゐるやうに假睡(うたたね)をして了ふ事であった。
「古倫母ぢゃァ上陸が出來なかったね。」
「なァに、事務員(パーサー)にいへばどうでもなるんですが、あんなところは上陸(あが)ったって仕方がありませんや。」
「シンガポールにはマレー街ってやつがあるからな。」
 丸塚はニタニタ笑った。
「世の中は金さへあれば、どんな事でも出來るのですね。」
「船乗をしてゐたら、余程溜ったらう。」
「どう致しまして、何か思ひ掛けないやうな、いゝ事でも轉げ込まなくては仕様がありませんよ。」
「人間は一生のうちに一遍位、そんな事があってもいゝね。」
 その時何處からか、いゝ葉卷の香(にお)ひがしてきたので、
「また例の二人連だな。」と思って後を振返ると、果して私達から數間離れた欄干(てすり)に印度人が凭りかゝってゐた。コロンボから乗船ったこの二人は、無聊に苦しむでゐる船客の話題に上った。
 一人は肥滿(ふと)った大柄の男で、ボンペイの著名な寶石商だといふ事である。もう一人は小造りな、悲壯な顏付きをした青年である。丸塚は印度人の指先にキラキラと輝いてゐる指輪を見ながら、
「素晴らしいダイヤモンドですね。昨日は大きな眞珠の指輪を穿めて、耳飾りでも、頸飾りでも、すっかり眞珠づくめでしたよ。あゝいふのは御木本の身代ぐらゐ、一度に身につけてゐるんでせうね。」と小さな目を光らせた。
 丸塚はそれから間もなく、私に小説を返して歸っていった。

 晩餐の後で、例によって舞踏が始まったので、私はタバコとパイプをもって、隅のテーブルへ引き下った。そこには類をもってよぶ舞踏嫌ひのプノー大尉や、足の惡い伊太利人、其他オランダ人の建築家、フランスの商人等が集った。この一團はみんなスポンヂで、煙突だ。そして口は殊に達者ときてゐる。
「おい、プノー大尉、踊らない奴は美人を諦めるんだな。見給へ、あの女は例の印度人と踊ってゐるぜ。」若い建築家は頤をしゃくった。彼のいふ通り、ムーア夫人と自稱する孔雀のやうな美人が、小柄な方の印度人の腕の中に凭れるやうにして、輕やかな歩調(あしどり)で吾々の目の前を通っていった。
「恐らく引立役につかってゐるのだらう、ロゼッチの繪にも艶麗なモリス夫人の傍へ黒人を描いたのがあるぢゃァないか。」
「あんな女をモリス夫人と同日に論じてはロゼッチが憤慨する。」
「諸君、プノー大尉にはお氣の毒だが、あの女は船から船へ渡り歩く有名な毒鳥です。」このフランス商人の言葉は、われわれの間に權威をなしてゐる。何しろ彼はこの航路を三十三回も往復してゐる主である。
「僕だって何も特別にあの女をどうと思ってゐる譯ではないですよ。」プノー大尉は苦笑した。私は毒鳥の説明をきゝたいと思って、フランス人の言葉の續きを待った。彼れは御饒舌(しゃべり)である。
「私はあの女に引かゝって、酷い目に會った男を澤山見ましたよ。始終あゝやって、この航路を荒してゐるのです。それにあの女は某國のスパイだといふ事です。」後で某國といふのは英國の事であると、フランス人はプノー大尉がゐない時に私に耳打をした。
 私はスパイときいて、急にその女に對して探偵的興味を覺てきた。然し他の連中は女がスパイである事よりも、毒鳥である所以により多く興味をもったと見えて、犠牲者に纏る經緯(いきさつ)を根ほり、葉ほりきいでゐた。
 私は賑やかな踊手の中を縫って歩いてゐるムーア夫人を目で追ってゐた。相手の男の黒い耳に大きな眞珠が光ってゐるのが目立った。私の視線はその時、戸口の蔭に立ってゐる男の上に移った。
「おや、丸塚がゐる! 奴こさん、どうしてこんなところへ來てゐるのであらう。」私は訝かしく思った。三等船客はかうした場所に顏を出すことを許されてゐないはずである。
 それよりも私が一層不思議に思ったのは、フォックス・トロットが濟むだ時、印度人がムーア夫人を長椅子にかけさせると、戸口へ出ていって、丸塚とヒソヒソ立ち話をしたことである。つい先刻まで一面識もなかったらしい二人が、どうしてこのやうに馴れ馴れしく話をしてゐるのであらう。丸塚といふ男は中々食へぬ奴だ。
 フランス人は口を動かす數ほどに、カクテルの盃を重ねたので、いゝ氣持ちになって居睡りを始めた。私も段々後頭が重くなってきたので、寝室へ退却した。

 いつの間にか港へ上ってゐる。何處へいっても眞赤なカンナの花が夥しく咲いてゐる。往來の兩側の屋根に「寫眞」「寫眞」と記した白看板が掲ってゐる。遠くの青い海に汽船が浮かんでゐる。それは私の乗ってきた船だ。家の中には人がゐるやうだが、表には誰もゐない。私は三人連で港へ上ったのに、氣がついて見ると自分ひとりきりになって、肩にも手にも大きな荷物をもってゐる。私は波止場へ歸らなければならない。 街角の赤いポストの傍に空馬車が停ってゐた。不思議な事に馬は寶石の頸飾りをして、耳に眞珠を下てゐる。疑ひもなくそれはあの印度人のものであった。私は馬車へ乗って波止場へ向った。山坂の凸凹路を馬は走れど、走れど、港は遠く、汽船に乗り遅れたら、永久に日本へ歸れないのである。
 軈て汽船は黒煙をあげて動出した。知り合の誰彼が甲板に重なり合って、聲を限りに私を呼むでゐる。
「ワーッ」といふ聲が響いてきた―――と思ふと、私は自分のベットの中で目を醒ました。毛布を踏抜いて大汗を掻いてゐた。
 コーヒーとトーストを持って入ってきたボーイは投げるやうに盆をテーブルの上へおいて、あたふたと飛び出していった。夢の中で聞いた、「ワーッ」といふ聲は眞實に甲板の上に聞えてゐる。何か異變があったと見えて、人々が階段を駈上ってゆく。私も寝卷の上にガウンを引っかけてデッキへ出た。
 人々の馳けてゆく方を見ると、船尾の二等デッキに事務員や、水夫がかたまってワイワイ騒いでゐる。私は向ふのデッキから戻ってきたボーイに訊ねた。
「一等にゐる印度人のお客が海へ飛込むだのですよ。それが随分滑稽でしてね。飛込むでおきながら、綱の先端につかまって、左様なら、左様ならといって大聲をあげてゐるのです。いま水夫が引っ張り上げてゐるところです。」ボーイは何處へか注進に走っていった。
 間もなくびしょ濡れになった印度人が擔架に乗せられて病室へ運ばれた。その印度人といふのは前夜陽氣に踊ってゐたムーア夫人の相手であった。
 擔架の傍に附添ってゐた肥滿った方の印度人は、
「飛むだお騒がせを致しました。どうも氣の小さい男で困って了ひます。」と誰にともなくいった。
「えッ、どうしたんです。墜落ですか、それとも自殺ですか。」跣足のまゝのプノー大尉が船橋(ブリッヂ)から大聲で訊ねた。
「商賣の手違ひでえらい負債をこしらへて了ったのです、詰まり悲觀の結果投身した譯ですが、お蔭様で生命は取止めましたよ。」
「綿花の思わく買ひが外れたのかな。」側のフランス人が口をさし入れた。
 眞赤なガウンを着たムーア夫人は人々の間に交って鼻先に冷笑を浮かべてゐた。

 その晩の事である。印度人の投身事件もわれわれの一日の無聊を醫するには足りなかった。思ふ存分の想像やら、噂やらを喋りつくしたわれわれはこの問題にも飽きて了って、晩餐後はパイプを啣えてブリッヂを闘はした。
 この連中は勝負事になると、時間の觀念がなくなって了ふ。もっとも長い航海では時間を忘却する位有難い事はない。私はとうとう持合せたタバコを飲みつくして了った。時計は十二時を過ぎてゐる。甲板ボーイも寝て了ったので私は自分で船室へタバコをとりにいった。
 廊下は何處を見ても人影はなかった。煌々と電燈が輝いてゐるのが却って寂しかった。扉の前に立った私は確に自分尾船室の中に、何者かのゐる氣配を感じた。
「おや、何だらう……」私はハンドルに手をかけるのを躊躇して輕く扉を叩いて見た。自分の部屋を叩くやつがあるものかと思ひながら……。應へはなかった。私は全身の勇氣を揮ひあつめて、扉をあけた。

 壁のスヰッチをひねると、部屋の隅に蹲って、兩手で顏を埋づめてゐるのは、今朝から姿を見せなかった丸塚であった。
「おい、どうしたんだ。」
「…………」
 私は側へ寄って男の肩を揺すった。丸塚は青い顏をあげて、
「どうぞ、かくまって下さい。」と嗄れた聲でいった。
「何か間違ひでもやったのか。」私は殺伐な三等船室の光景を腦裡に浮かべた。
「いゝえ、そこなんです。印度人の部屋で女が殺されてゐるんです。」
「どうしてそんな事をお前は知ってゐるんだ。」
「私は貴殿のところへ遊びにきたのです。お不在(るす)だったので、向ふへ抜けやうと思ったら、印度人の部屋の扉があいてゐたのです。私は死骸を見てびっくりしてこゝへ逃げ込みました。廊下をまごまごしてゐるところを見付かれば私が疑はれて了ひます。お願ひですから、私をそっと遁して下さい。」
 私はこの男のいふがまゝに、遁してやってよいものか、どうかと迷った。私は注意深く丸塚の手や、身のまはりを見廻した。血痕でも附着いてゐないかと思ったからである。
 急に二三人の跫音が、バタバタと廊下を走ってきた。丸塚と私は顏を見合せたが、私はほとんど無意識に内側からドアに鍵を下した。
「人殺しだ! ムーア夫人が殺された!」遠くで誰かゞ叫むでゐる。 (つゞく)

注)明かな誤字誤植などは修正しています。句読点は追加したところがあります。
注)後の「毒鳥」が短縮改稿されたもののようにも思えますが続きは入手できず不明。中絶の可能性もありそう。
注)「毒鳥」が自作著書に収録されていることから本作品も翻案ではなく創作と思われます。


「毒鳥」
「騒人」 1927.05. (昭和2年5月号) より
『炉辺と樹蔭』岡倉書房 1935.12.16 収録
『倫敦の薔薇』青木書店 1940.07.15 収録

 新嘉坡を出帆た汽船は、夥しい海豚の群に圍まれながら、彼南の港に一泊して、更に西へ西へと航海を續けていった。
 それは私が英國へ留學する途次の出來事である。新嘉坡までは何といっても日本人の天下で、護謨山へゆく人々、奇術團の一行、雜貨の行商人、身體一つを資本(もとで)の威勢のいゝ出稼人、それ等の人達が、歌を唄ひ、三味線をひき、酒宴(さかもり)をする、その賑かしさといったらなかった。三等は無論の事、二等でも日本人が巾を利かして喫煙室の蓄音機は、いつも浪花節や義太夫で持切りであった。 それが香港、新嘉坡で大波のひくやうに下船して了ふと、今迄隅の方に押付けられてゐた西洋人が、急に目立ってくる。日本の音譜は全然影を潜めて、ワルツや、フォックストロットが、のべつに甲板の喫煙室から響いてくる。日本人の乗客は數へる程しかゐなかった。
 汽船で印度洋にかゝった或朝の事、私は夢現に異様な叫聲を聞いたやうに思った。ハッとして眼を開くと、珈琲とトーストを運むできた部屋付の給仕(ボーイ)が、いきなり盆を卓子の上へ投出して、あたふたと飛出していった。
「ワッ!」といふ聲が眞實(ほんとう)に甲板の方に起ってゐる。續いて人々の階段を馳上ってゆく入亂れた跫音が聞えてきた。
 私は寝卷の上にガウンを羽織って甲板へ出た。人々の馳けてゆく方を見ると、船尾の欄干(てすり)のところに、事務員や水夫が重り合って何事か罵り騒ぎながら、舷側を覗込むでゐる。
 私は馳けてきた給仕をつかまへて譯を訊くと、
「二等にゐる印度人の客が自殺を圖ったのですよ。自分で海へ飛込むでおきながら、メートルの網の先端に掴まって、「左様なら、左様なら」と大聾をあげてゐるのです。今水夫(セーラー)が引張り上げてゐるところです。」と答へて、人々の間を走り抜けていった。
 間もなく、びしょ濡れになった見知越の印度人が擔架に乗せられて、病室へ運ばれた。その印度人は上海から乗った若い陽氣な男で、孔雀のやうに美しいムーア夫人の舞踏の相手であった。若い印度人と美しい英國婦人との間は船客のうちで様々に取沙汰されてゐた。
 擔架のわきに付添ってゐた肥った印度人は私共の傍を通るとき、
「飛むだお騒がせをして濟みません。氣の小さい男で困って了ひました。」と誰にいふともなくいった。その男は横濱の貿易商とかで、投身した男とは知合ではなかったが、同國人といふ廉で上海から同室になった間柄である。
「エッ? どうしたんです。墜落ですか、それとも自殺ですか。」私のわきに立ってゐた跣足のまゝの、若い英國士官が大聾で訊ねた。
「商買(※ママ)の手違ひで、えらい失敗をして、ボンベイの本店へ呼戻されてゆく途中なんださうです。大方それを苦にやむで投身したんでせう。」と貿易商がいった。
 燃えるやうな眞赤な部屋着をきて、人々の背後に立ってゐたムーア夫人は、首を傾げて運ばれてゆく印度人をぢっと視詰めてゐた。

 その日も終日晴れてゐた。日は東から出て西に入り、毎日々々、明けても暮れても、青い水を馳ってゆく船たびに、退屈しきってゐた私共は、その朝の印度人の投身自殺未途事件に鳥渡氣分を轉換させられて、一しきり思ふ存分の想像やら噂話に花を咲かせたが、それも永い一日の無聊を醫す資料には足りなかった。私共は喋る事自身に飽々して、パイプを啣へたまゝ默り込むで了った。
 いよいよ明日は古倫母へ着くといふ前の晩になると、私共はいくらか昂奮した氣持になって、幾度も甲板と船室の間を往復して中々寝やうとしなかった。
 何回目かに甲板へ上った時、私は船尾の方から驅けてくる男とパッタリぶつかった。
「あゝ大變です。サルナーが又海へ飛込むだのです、どうかすぐ汽船を停めるやうに船長にいって下さい。」と息を切らせながらいった。その男は例のダルマチンといふ肥った印度の貿易商である。
 空も海も、黒天鵞絨で覆はれたやうな、暗い晩であった。喫煙室の入口の天丼に點ってゐる電燈が、だゝっ廣い甲板を遠くまで明るくしてゐた。
「明日がお別れだといふので、われわれは十二時まで酒場にゐました。一足先に出たサルナーの姿が見えないので、大方船室へ歸ったのだらうと思ひ、私は夜風に吹かれながら、甲板を一まはりして、階段を下りやうとすると、通風機の陰から、サルナーがするすると現てきて、欄干に足をかけたと思ふと、あっといふ間もなく、海へ飛込むで了ったのです。」
 印度人の船長や事務員の前で身ぶり、手ぶりを交へながら友達が投身した前後の模様を語った。汽船は大迂回をして停船したが、若いサルナーの死骸すら竟に見付からなかった。彼はダルマチャンのいったやうに、強い責任感から、印度洋の藻屑と消えて了ったのである。
 翌朝、汽船が古倫母に着くと、ダルマチャンは數々の荷物をもって、さっさと船を下りて了った。
 汽船は古倫母に二日碇泊して、また熱い航海を續けた。由來歐洲航路のうちで、一番永くて退屈なのは古倫母からスエズにかけての旅である。下級船員達の間に、つまらない事から血を流すやうな、喧嘩が起るのも、この航海中に多い。乗客が食事や設備に就いて苦情を唱へ出すのもその頃である。
 誰も彼もが暑氣と倦怠に氣を腐らして了ってゐる。その中にあって、私だけは快活な氣持を持ちつゞける事が出來た。といふのは、船中で、さまざまな話題の中心になってゐる美しいムーア夫人と親しくなったからである。
 夫人はどういふ譯か、他の乗客達と交際を避けてゐるやうな風に見えた。それが特に私を話相手に撰むだのは、私がまだ學校を卒業(で)たばかりの書生で、その上日本人だといふので一番あたり障りがないと思ったからであらう。
 私は藝術に理解のある夫人に對して親しみと尊敬さをもってゐた。私共はよく甲板に籐椅子を並べて、文學を論じ、又ある時は他愛もない雜談に興じた。然し私の友人は私がムーア夫人と近しくする事に就いて、眉を顰めた。
「君、あんな女と交際(つきあ)ってゐると、碌な事はないぜ。今に首を吊るか、水にはまるやうな事になる。」その友人はそんな極端な言葉まで私に浴せかけた。私は躍起となって、夫人が如何に教養のある立派な女性であるかを辯護した。友人は竟に救ふべからずと思ったのか、それっきり何も云はなくなった。
 ある男はこんな事を云った。
「あの印度人は、どうして身投げをしたと思ふね。サルナーは商買(※ママ※単行本は賣)で金をすったんでなくて、あの毒鳥に吸取られたんだ。なに毒鳥の意味がわからないって? それは汽船から汽船を渡り歩いて、金持の馬鹿者を餌食にしてゐる奇麗な女の事さ。」
 私は餘りに夫人を侮辱した言葉に奮然としてその男の赤い鼻をひねり上げてやった。こんな風に船客は蔭で盛にムーア夫人を惡しざまにいった。
 然しながら、どう考へて見ても私の眼に映じた夫人は、上品で聰明な、典型的英國婦人である。それにも拘らず餘り皆が、自殺した印度人とムーア夫人とを結びつけて色々と退屈凌ぎの話題をこしらへてゐるのを不思議に思って、或時、
「奥さんはあの印度人が自殺した事に就いてどういふ風に御考へになります?」と思ひ切って訊ねた。
「急にどうしてそんな事を御きゝになるの?」夫人は蟠りない顏を私に向けた。
「こんな事を申し上げて、どうぞ惡く思はないで下さい。實は大變憤慨してゐる事があるのです。」
「あゝ解りました。貴郎は私の惡口を澤山おきゝになったのでせう。貴郎がそんな事を仰有ると、私はいよいよ身分を明さなくてはならなくなりますのね。」
「奥さん、誤解なすっては困ります。私は決して皆の言葉などを信じてゐるのではありません。今日もある男の鼻をひねり上げてやりました。」
「まあ、そんな亂暴をなさいましたの? 貴郎は大層あの印度人に興味をもってゐらっしゃるやうですから、すっかりお話してあげませう。あの件では私、大失敗を致しましたの。」と言葉を切って、夫人は相變らず晴々とした笑顏で私を見詰めてゐる。私は好奇心をもって夫人の唇から洩れてくる次の言葉を待った。
「あの男は自殺なんかしなかったのです。海へ投身したと見せかけて、船倉(ハッチ)かどこかへ隠れてゐたのです。朝のは自殺を確實に見せる爲の豫備行爲だったのです。御叮嚀に二度まであんな騒ぎをやったのは私を相手の狂言だったのです。と申上げた丈けではお解りになりますまゐが、あの男は印度の革命黨員で、重要書類をもって英國へ渡る途中だったのです。それで私は英國側の間牒を勤めてゐた譯なんですよ。ところがサルナーはそれを感付いて、私に一杯喰はしたんです。 汽船が古倫母へ着いたどさくさ紛れに、船へくる物賣りか何かに化けて上陸して了ったのです。無論あの肥った印度人も仲間だったのでせうが、まだ黒表(ブラックリスト)に載ってゐない男だったものですから、つい油斷して、飛むだ失敗をして了ひました。古倫母で私が危く汽船に乗り遅れそうになったでせう? あの時私は官憲の人に會ってサルナーが古倫母へ上陸したと云ふ情報を聞いてきたのです。」
「あゝ、さうですか、奥さんは國事探偵だったのですか、ちっとも知りませんでした。」私は驚嘆して夫人の顏を見上げた。
「そんなに誰にでも看破られては、役目が勤まりませんわ、何處の國でも同じでせうが、英國では外の敵よりも、領土内に起る内亂に惱されてゐるのです。殊に印度の統治には骨を折ってゐます。それで私のやうなものまでも時には得體の知れない女になって、航海をしなくてはならないのです。誰も「毒鳥」の本體が國事探偵とは氣がつかないでせう。」夫人は「毒鳥」といふところで可笑しさうに聲をあげて笑った。探偵を勤める程の機敏な夫人の事であるから、皆の陰口などは私よりも先に承知してゐたらしい。 (完)

注)句読点は追加したところがあります。単行本との細部照合はほとんどしていません。
注)「印度人と毒鳥」の短縮改稿版と思われますが「印度人と毒鳥」は第一回のみで続きは未見の為不明です。


「霧の中の謎」
「キング」 1927.06. (昭和2年6月号) より

 倫敦名物の霧が街を襲ってきた。而もその日は三十年來の濃霧といふので、一尺先も見えぬ程であった。晝頃までは太陽が酸漿(ほおずき)提灯のやうに赤く黄色い空にかゝってゐたが、午後になると、空は眞黒になって、まるで鼠色の壁の中に住んでゐる心地がする。煙突を昇ってゆく暖爐の煙が、重い霧に押下げられて、家中に擴がってるので、咽喉が痛くなる、咳が出る、目から泪がこぼれる、迚も堪らなくなったので、私は戸外へ飛出した。
 往來へ出ると、通行人達はカンテラを提げたり、裸蝋燭を手屏風で庇ったり、懐中電燈をもったりして、影繪のやうに動いてゐた。
 私もその影繪の一つになった。影繪同志は不思議にも一種の親しみを感じ合ってゐた。青空の下で會ったなら、見返りもしないで行過ぎて了ふやうな人同志が、互に親しげな言葉を交す。丁度假装舞踏會へでもいったやうな氣分である。
「どうです。珍らしい霧ぢゃァありませんか。」
「眞實(まったく)、黄色い壁とはよくいったものですな。」
「こんな日には却って、戸外を歩いてゐる方が愉快です。」
「交通事故が多いでせうね。」
「迷子になる人も多いやうです。」
「實は私も自分の家を探してゐるのです。S町の七番なのです。」
「冗談ぢゃァありません。S町はこの次の通りですよ。車道を横切る時は、危いから氣をつけていらっしゃい。」
「有難う。」その影法師は消えて了った。次に出會ったのは大分の老人であった。
「日本へ、いゝ土産話ですな。」
「左様、倫敦まで來て、霧を見なくちゃァ、來た甲斐がありません。」
「斯ういふ日は、どうも煙草がうまくありませんな。」
「煙草は煙りですからね。矢張り晴れた日に公園のベンチで紫の煙をたてるに限りますよ。」
「ぢきに公園のベンチに穏かな日の照る季節が來ます……貴郎(あなた)はそちらですか、私は地下鐡道でK町へゆくから、左様なら。」老人は薄明い階段の下へ吸込まれて了った。
「私のゐるのは何處なのでせう?」突然、不思議な發音の英語で話かけたものがある。
「君は何處の國の人です?」影法師同志は思切って、率直な言葉を發する事が出來る。
「日本人です。貴郎もさうらしいですね。」
「さうです、此處はS町の角ですよ。君は何處へゆくのです。」
「私は何處へも行きません。詰りゆくところがないのです。然しいくら當途(あてど)なく歩いてゐる時でも、自分の歩いてゐる町の名位は知らないと、餘り心細過ぎます。」
「どうしたのです。お差支へなかったら、私の宿へ來ませんか。」私は久振りに日本語が使へるので、大變はしゃいで、お饒舌(しゃべり)になってゐた。
 平常(ふだん)なら、食事時に不意に、お客などを引ぱってゆくと、臺所に番狂はせが出來るので、渋い顏をする宿の内儀さんも、この恐ろしい霧の日に、少々氣分が變梃(へんてこ)になってゐると見えて、
「こんな日に、よくいらっしゃいましたね、どうもひどい日ではありませんか、まるで世の終りがきたやうですね。」といつに似ず愛想よく迎へてくれた。
 私が霧の中から連れてきたのは影山禮治といふ二十歳許りの青年であった。彼は異國に憧れて、船乗りとなったが、多少なりとも教育のある彼は、下級船員の生活に耐へられないで、密に脱船してきたのであった。
「…………そんな譯で、博奕を打たなければ仲間から排斥されたり、虐待されたりしますから、仕方なしに博奕をやると、負け通して無理に金を借りさせられて了ふのです。ですから、航海が終って給料を貰っても借金の穴埋めに消えて了って、いつ迄たっても、うだつが上りません、それで思切って船を逃げたのです。私はどんな苦勞をしても英國にゐて勉強する積りです。」と彼は語った。
 私はいろいろ話をして見たが、彼の堅い決心を翻へさせるのは困難だと知ったので、兎に角彼の爲に生活の道を開いてやる事にした。それにしても脱船者を矢鱈なところへ働かせる譯にはゆかない。散々考へた揚句、彼の身が最安全、而も給金の多い就職口を見つけてやった。即ち彼を印度人――何でも主人は貴族だとかいふ事である――の家に給仕人兼雜用夫として住込ませたのである。食事付一週間十五圓で、土曜日には一日休暇が與へられる。彼はこんないゝ仕事はないといって大喜びであった。
 その印度人の家といふのは、餘程の金持で中々身分がいゝらしく、折々英國の高官などが訪問して來たさうである。誰だって一週間も、一つ棟の下に住んでゐれば、大抵主人の何者であるか位は見當がつく筈であるのに、言葉が不自由で、おまけに土地の事情に暗い影山は、いつ迄經過(たっ)ても、まるで聾者か盲人のやうに、何にも知らなかった。私は奉公人としたら、結局影山のやうな男が理想的かも知れないと思ってゐた。
 その後、毎土曜日には必ず私を訪問した影山が、バッタリと姿を見せなくなった。他に遊びにゆく場所でも出來たのか? それにしても手紙一つ寄越さないのは訝しいと思ってゐると、或晩十二時過ぎに突然訪ねてきた。彼は私の部屋へ入るなり、扉に鍵をかけたり、窓掛けの隙間を氣にしたりして、ひどく狼狽(うろたえ)てゐた。
「どうした? 喧嘩でもしてきたのか?」私は額から血を流して、息を切らしてゐる影山の青褪めた顏を見た。
「えらい目に遇ったのです。どういふ譯か、あの印度人の家で、私を屋根裏の部屋へ監禁して了って、一歩も外へ出さないのです。それで今日は隙をねらって、窓ガラスを破って屋根傳ひに逃げてきたのです。」彼は額の汗と血を拭ひながら語った。
 根ほり葉ほり事情を糺して見ると、彼自身は實際に何事も識らないのであるが、先方では彼に知られてはならない事を知られたらしいのである。怪しい事でもなかったかと訊くと、彼は、
「只、白人だの黒人だのが、交るがわる出入りしたり、綺麗な女が來たり、男が來たりするきりで、別に怪しい事もないやうでした。あゝいふ金持の家には人が大勢出入りするものですからね。」と答へた。
 何にしても彼が非常に恐れてゐるので、當分隠まってやる事にして、その旨を宿の内儀さんに通じておいた。
 夫から二三日しての事であった。退屈しきって窓から外を眺めてゐた影山が、顏色を變へて私のところへ飛んできた。
「大變です! たうとうやって來ました。」影山は慄へる指先で窓を指した。見ると怪しげな印度人が、家の前に立って二階を見上げてゐた。よく印度の寺院から寶石を盗んできた爲に、怪僧に附纏はれるといふやうな話はあるが、吾々には更にそんな覺えはないのである。影山は怯えきって滿足に聲も出し得ぬ程であった。
 印度人は次の日も、その翌日も家の前をうろついてゐた。私は薄氣味が惡くて閉口した。影山は、
「こんなところに愚圖々々してゐると、殺されて了ひます。」といって泣くので、私もどうにかしなければ遣りきれなくなった。それで丁度英國を出帆する郵船の加賀丸の船長と心易くしてゐたので、事情を話して彼を給仕(ボーイ)として乗船させて貰ふ事にした。
 私は或る夜、密に影山を自動車に乗せてドックへ運んでやった。
 夫から一ヶ月程して、全英國を震撼させるやうな陰謀事件が暴露された。その折、例の影山が住込んでゐた印度人の家から、數名の關係者が檢擧(あげ)られた。そこの主人といふのは有名な印度の王族で、事件の首謀者であった事はいふ迄もない。
 新聞には夫等の革命黨員の寫眞が掲げられた。私はその中にサルナーの顏を見出した。彼は私が英國へ來る時に同船した男で、ある晩投身自殺をした如く装って巧に間諜の眼を眩まして古倫母(コロンボ)に上陸した印度の志士であった。その汽船に乗合せてゐたものは、皆な彼が死んだものと信じてゐたが、私だけは其間の事情を、汽船で乗合になった女探偵の口から聞いてゐた。もう一つ私を驚かせたのはこの陰謀事件を未發に防止した殊勲者ウヰリアム夫人の寫眞を第一面に見出した事である。それは紛れもない私が航海中に知合になった女探偵ムーア夫人であった。尤もムーア夫人といふのはその時の僞名であったらう。 (完)

注)明かな誤字誤植は修正しています。
注)創作と思われますが、実話、他作品からの一部流用の可能性もありそうです。


長篇探偵小説「鼻の缺けた男(中絶)」
「探偵文藝」 1926.10.,11. (昭和12年10月号11月号) より

 更けた銀座街は、飾窓の電燈(あかり)を消したり、大戸を下したりして、夏の永い一日の商賣を終ふところであった。
 貧しい街路樹の下に夜店を擴げてゐた露店商人も、バタバタと荷物を片付けて去(い)って了ふ。取散らされた廣告ビラや、古新聞などが、何處からか集ってきて、敷石の上を這廻ってゐる。見渡す限り、千差萬別、思ひ思ひの建物が、暗い影をつくって、遅い夜の空に呼吸してゐる。遠い殖民地のやうな寂しさが街の上に流れてゐた。それでも幾組かの人々――軍樂隊のやうな赤ヅボンを穿いた若い男や、淺草あたりの舞臺から、其儘飛出してきたやうな男達――が空虚な哄聲を遺しながら靴音をたてゝ歩いてゐる。
 尾張町から日比谷へ出る數寄屋橋の停留場に數人の男女が電車を待ってゐた。夫等の人々から一寸離れて車道のところに若い二人連の男女が立ってゐた。電車を待ち疲(くたび)れて、男は折から來かゝった自動車の方へ馳(か)けていったが、空車(あきぐるま)でなくって失望した計りか、車中の客を見て、ひどく狼狽(うろた)へて戻って來た。
「どうしたの? 駄目?」女は二足三足傍へ寄って、低(こ)聲でいった。
「いけない、早く彼方(あっち)へゆきませう。」男は逃げるやうにして露路へ隠れた。
 停留所の前で、一旦速力を弛めた自動車は交叉點を横切って公園の方向に疾走していった。自動車は虎の門から東京倶樂部の前を通って葵橋を渡ったところの暗い木蔭に停った。
 自動車を出たのは背の高い三十五六の紳士であった。彼は數枚の銀貨を運轉手に遣って歩出した時、ツと横合から現(で)てきて自動車の傍(わき)を通り抜けていったものがある。
「おや何者だらう。」紳士は久時(しばらく)闇の中に立って、街燈に白く照らしだされてゐる橋の上を見守ってゐると、毬栗頭の男が小走りに橋を渡って、廣い街路のうちに姿を消して了った。首を傾(かし)げて後を見送ってゐた紳士は思ひ直したやうに歩出して、相澤といふ表札の掲った大きな石門の前へ出た。耳門(くぐり)を入って、内側から錠を下し、小砂利を敷詰めた前庭へ出ると、植込を廻った突當りに、黒い森を背負(しょ)った洋風の建物が聳えてゐる。
 表に面した一階も二階も、眞暗に電燈(あかり)が消えてゐたが、ブラインドを下した三階の窓は隙間から明るく光線(ひかり)が洩れて、人影がチラチラ動いてゐた。
 紳士は足を停めて、蔦の這ってゐる高い窓を見上げた。石段を上ってゆく足音をきいて玄關へ迎へに出た女中に、
「遅くなって氣の毒だったね。まだ旦那様は起きてゐらっしゃるやうぢゃァないか。」といつものやうに穏にいった。
「ハイ、今しがた按摩さんがお歸りになった計りでございます。」
「あゝ、ではその角で擦れ交(ちが)ったのはその按摩だな。」
「屹度、さうでございませう。今晩は何誰(どなた)も遅くってゐらっしゃいます。」
「まだ誰か、外に出てゐるのか、私は門を閉めて了ったぜ。」
「アラ、さうでございますか、まだ坊ちゃんがお歸りになりませんのです。」
「フム、さうか、ぢゃァ開けて來やう。」
「いゝえ、若旦那様、手前が開けておきますからよろしうございます。」女中は周章(あわ)てゝ裏口へ廻って下駄を取りに行かうとした。
「いゝ、いゝ、立ってゐる次手だ、私がいってくる。」若旦那と稱(よ)ばれた紳士は氣輕に踵を返したが、植込の横を廻ると、條忽(たちまち)ハッと足を停めた。門の鐵柵に蝙蝠のやうにつかまって、頻りに屋敷の中を覗込むでゐる異様な人間の姿が見えたからである。それは中折帽子を被った背の低い男で、鼻から口にかけて黒いマスクを嵌めてゐた。邸内(やしきうち)は暗いが、門のの外に電燈(でんき)が點いてゐるので、背後から光を浴びてゐる人影はありありと見えた。
 紳士が怪しい男を認めた瞬間に、男も人の氣勢(けはい)を感じたと見えて、バラバラと走り去って了った。
 紳士が默って耳門の錠を外して戻ってくると先前の女中が下駄を穿いて玄關のわきに立ってゐた。
「保男さんは、毎晩こんなに遅いのかい。」
「ハイ、この節は少しお歸宅が遅いやうでごぎいますけれども……」女中は次男の保男が、この一ヶ月程續いて、十二時、一時に歸ってくるのであるが、それを寝ずに待ってゐる辛さを、ハッキリ愬(うった)へる譯にはゆかなかった。
 紳士は足音を忍むで、寝室になってゐる二階へ上っていった。彼は洋服を脱いで寝卷に着替へると、電燈をひねって寝臺(ねだい)の上ヘグッタリと横になった。
 久時すると、烈しく玄關の扉を閉める音が聞えた。保男が歸ってきたのである。一しきり、階下の廊下を歩く音や女中の聲などが聞えてゐたが、それも靜まると、三階の部屋を歩いてゐた足音も、バッタリと歛(や)むで了った。
 廣い屋敷には七十になる當主の保太郎と、清賢(きよかた)と、當主と後妻との間に出來た十九になる保男、それに二人の女中を加へた五人が近所交際もせずに暮してゐた。
 燈火を滅した相澤家は、恐怖の赤い霧に包まれて、夜が更けると共に寝靜まっていった。清賢は疲勞(つか)れてゐたけれども、不思議に頭腦(あたま)が冴えて、闇の中で大きな目を鬨(あ※ママ)いてゐた。

 坂の上に重り合った並木の緑に、夏の強い日光が輝かしく躍ってゐた。十時を過ぎた計りで、盤臺を擔いだり、自轉車へ乗ったりして屋敷廻りの御用聞が二三人通って了ふと、靜かな街路(とおり)に鳥渡人足が絶へた。坂の中途から石垣について左に曲ったところに、郵便切手と煙草を賣る小さな店がある。飛白(かすり)の單衣(ひとえ)に中折帽子を被って鼻から口へマスクをかけた男がバットを買って剰餘(つり)錢を受取りながら、
「そこの相澤さんぢゃァ、旦那は相變らずですかね。」といった。
「旦那っていふのはあのお年寄りの方ですか。それなら、時々御散歩をなすってゐらっしゃいますよ。」店番の女は相澤家ときいて、自分の方から乗氣になって、ペラペラと喋り出した。
「随分お金持ださうでございますが、その旦那って方が、大層ケチで滅多に魚屋さんも入らないさうでございますよ、その癖息子さん達は随分贅澤で、夜遅く自動車なんかで歸ってゐらっしゃいます。尤も御養子さんの方は勤務(つとめ)がおありですけれども……そんな譯ですから、御養子さんも相當な年齢になってゐらっしゃるのに、まだお嫁さんもきまらないやうでございますよ。」
「息子といふのは養子ひとりぢゃァありませんでしたかね。」
「いゝえ、十九か二十になる息子さんがゐますがね。まだ徴兵前なのに立派な洋服なんかを着込むで、ブラブラしてゐます。學校へなんか通ってゐる様子はありませんですよ。」
「あゝさうだ。丁度その位の年頃になる赤坊があったっけな。」男は思はず口を辷らした。
「他人(ひと)様の家庭の事などはどうでもいゝやうなものですが、矢張り御近所ですと氣になりましてね。」女は辯解するやうにいった。
 男は間もなく煙草屋を出て、山王臺の方へブラブラ歩いていった。木立の多い境内は至るところに涼しい風が揺れてゐた。男は崖の縁のベンチに腰を下して、バットを燻(くゆ)らしながら、何事か考へ耽ってゐたが、やがて思出したやうに丘を下りて電車道へ出た。彼はそこから電車に乗って、四谷で新宿行に乗換へ、鹽町で電車を下りると、左門町の洋品店の横を曲って、二戸建の小さな家へ入っていった。
 その時、洋品店のガラス窓の前に停ってゐた紳士は先前のマスクの男が、二階の障子を開けるのを見届けてから、クルリと後を見せて、正股(おおまた)に歩み去った。
 彼は華奢な指先で、ポケットの手巾(はんかち)を摘出して額の汗を拭きながら鹽町の停留所に立って電車を待った。彼はそこから日比谷までいったが、急に行先を變更したらしく、周章てゝ動出した電車を下りて、目黒行の圓太郎へ乗った。
 それから十數分後に、彼は三田綱町の靜かな小路を歩いてゐた。そしてとある横町の濱田といふ表札のかゝった家へ入っていった。
「いらっしゃいまし、お在宅でございます。どうぞお上り下さい。」顔見知りの女中が取次に立たうとするところへ、奥から四十前後の氣品のいゝ婦人が現はれた。
「まァ、清賢さんですか、お暑いのによくお越し下さいました、さァお上りなさいまし。」婦人は愛想よくいった。
「いつも御無沙汰をしてゐますが、小母さんも御丈夫で結構ですね。」清賢は導かれた奥の客間へ通ると、氣輕に足を投出して、煙草に火を點けた。
 女中が冷たいサイダーを持って來て引下った後で、
「今日は少し面白くないお話しで伺ったのですが……あの留岡さんが東京へ歸ってゐるんですよ。」清賢は穏に口をきった。
「留岡が日本へ歸ってゐるんですって、お屋敷へ來たんですか、まァ私、どうしませう。」婦人は恐怖の色を浮べて膝を進めた。
「まだ騒ぐには及ばないと思ひますが、大分金に困ってゐるらしいですから、どんな事を持出すか知れません……」
「お金に困ってゐるといふ事が、どうして解ります? 貴郎(あなた)は留岡にお會ひになったのですか。」
「昨夜から屋敷の近所をウロウロしてゐるんです。私の氣がついたのは昨日ですが、留岡さんは或はその前から、家の様子を探ってゐたかも知れません。私は遠くから見掛けただけです。」
「あんなに澤山お金を貰っていった癖に、どうして了ったのでせう。」
「二十年の期間(あいだ)ですもの、五千や六千の金はまづくすると、半年か一年でなくして了ひますからね。」
「でも、あれだけの大金を出してやって、立派な證文まで書かせたのですから、決してお屋敷へなんかゆかれた義理ではありません。」
「約束を履行するのは相手が紳士である場合計りです。相手が惡に出る時は、證文なんかは何の價値もありません。」
「あの人も、本來はそんな方ぢゃァなかったのですが、人はお金に困ると、何をするか判りませんのね。朝鮮とかへいってゐると聞いて、私はすっかり安心してゐたんですけれども……」
「まだ、こちらは知らないやうですが、無論貴女(あなた)の行方を捜してゐるでせうから、あまり外出なさらない方がよう厶(ござ)います。」
「眞實に私どもは女計りですから、恐ろしうございますわ。それで留岡はどうしやうといふのでせう。」
「要するに金が欲しいのでせう。」
「そのお金を、おいそれと旦那様がお出しになるでせうか。」
「それはむづかしいでせうね、お父さんは年をとるに從って、一層頑固になってきましたからね。」
「といって、留岡だってこの儘、手を束ねて、引込むで了はうとは考へられません。……留岡はどんな服装をしてをりまして?」
「洗ひ晒しの木綿飛白の單衣ものに、黒っぽい中折帽子を被って、蝙蝠のやうなマスクをかけてゐました。」
「マスクをかけてゐるから、いゝやうなものゝ、それが無かったら、二目とは見られないやうな恐ろしい顏なんです。鼻を剥(そ)がれてゐるんですからね。」夫人(※ママ)は十九年前の蒸暑い夏の晩、自分を中心にして湧上った、醜い戀の三角關係から、相澤家に恐ろしい刄傷沙汰の起った折の光景をまざまざと思ひ浮べた。
 清賢は默り込むで了った婦人が、何を考へ込むでゐるかを知ってゐた。彼は上目使ひにチラチラと相手の顏を見てゐたが、其時十歳(とう)であった彼が、恐ろしい出來事に竦み上って、箪笥の蔭に隠れてゐた時の事を思出してゐた。
「兎に角、人間ひとり片輪にして了ったんですし、こちらは金に不自由してゐる身ぢゃァないんだから、又いくらか持たせて、朝鮮へでもやって了ふ方がいゝと思ふのですがね、これは單に僕一個の考へですけれども。」
 清賢の言葉の終らないうちに、突然、境の襖を開けて、顏を出したのは清賢の義弟の保男であった。彼は思掛けぬ場所に義兄の顏を見出して吃驚して戸を閉めると、廊下の方へ走っていった。
「清賢さん、あの子にはどうぞ、何にも知らせないで下さい。」婦人は嘆願するやうにいった。清賢は返事の代りに頷首(うなず)いたが、暫時(しばらく)して、
「保男はこゝへ度々來るのですか。」と訊ねた。
「いゝえ、それ程でもないのです。」
「無論、小遣ひの無心なんでせうが、貴女も月々きまったものしか入らないのに、仕様のない男ですね。」
「なァに、せびるといっても、大した事はないのですけれども、餘り無駄使ひが過ぎると、碌な事はありませんから、それを心配してゐるんですの、どうぞ貴郎からも、よくいって聞かせて下さい。何といってもこれから先は、貴郎に面倒を見て頂かなければならないのですから……」婦人は實子でありながら、自分の過から公に母子(おやこ)と呼び合ふ事の出來ない保男を不愍に思った。斯うして血のつながりのない清賢さへ、時折は養父の目を忍むで會ひに來て呉れる位だから、保男は尚更母のない家を淋しく、物足りなく感じてゐるに違ひない。 あの頑迷(かたくな)な老人さへゐなかったなら、自分達母子は天下晴れて一緒に暮す事が出來るであらう。又寛大な清賢の事であるから、さうなれば自分を母として永田町の屋敷へ呼び戻してくれるかも知れない――婦人はそんな事を心の奥で考へてゐた。
 表へ出ていった清賢は、門の立木の傍に隠れてゐた保男をつかまへて、
「君にも困るね、一體何にさう小遣ひがいるのだね、小母さんの許へなんか、ねだりに來たりしてはいけないぢゃァないか、君はこの節、夜遊びをするやうだね。」
「夜る遊むだっていゝぢゃァありませんか、義兄(にい)さんだって昨夜(ゆうべ)遅く、築地の方から自動車で歸ってきたぢゃァありませんか、さういつ迄も、ひとを小供あつかひにするのは止して下さい。」保男はムキになって喰ってかゝった。
「君は何をいってゐるんだ。僕は大切な用事があるんだから仕方がない。」
「フン、僕だって大切な用事があるんですよ。」保男は鼻の先で冷笑(わら)ひながら默って門の外へ出てゆかうとした。
「君、君、こゝまで來た位だから、小遣に困ってゐるんでせう。さァこれを持ってゆき給へ。」清賢は紙幣(かみ)入から無雜作に拾圓紙幣(さつ)を二枚出して保男に渡した。保男は惡意のある目で相手の顏を見返したが、ひったくるやうに金をとって、スタスタいって了った。
 清賢は間もなくその家を辭して、會社へゆく代りに、丸の内の倶樂部へいった。七階の東洋軒で晝食をとってゐる間も、清賢は忘れてはならない無數の用件を考へてゐた。――株の追ぢき、信用で借りた約手の期日の迫ってゐる事、代々木の地所で金融をした壹萬五千園の證書の書換へに要する手數料、それよりももっと彼の頭腦(あたま)を占めてゐたのは、新寺島屋の小菊の事であった。
 彼は食事を濟して了ふと、誰もゐない倶樂部の圖書室へ入って二時間ほど時間を過した。そこへ小菊から電話がかゝってきた。
 彼の屈托しきった顏は急に輝出した。彼は電話の一方の端にゐる小菊の快活な顏を聲の中に見ながら、行くとか、行かぬとか冗談をいってゐたが、結局、夕食を共にする事を約束して了った。
 その晩彼が永田町の家へ歸った時は十時であった。いつもの通り音も立てずに二階へ上り、それから更に三階の廊下へ出て、突當りの扉をあけると、
「呀ッ!」といふ奇聲が起った。長椅子や卓子(テーブル)を置いた十疊程の部屋の片隅に立竦むでゐた老人は、前額(ひたい)から玉のやうな汗を流して、吸付けられるやうに戸口を凝視(みつ)めてゐた。それは當主の相澤保太郎であった。彼は入ってきた男が養子の清賢であると知ると、ほッとしたやうに、
「あゝお前だったのか……丁度いゝ、お前に相談があるから呼ばうと思ってゐたところだ。」といって右手に掴むでゐた紙片(ノート)を差出した。
「これを見てくれ、恐ろしい奴が儂を付狙ってゐる、永い事音信(たより)がなかったから、死むだものと安心してゐたら、まだ生きてゐやがる。」老人は呻くやうにいった。
 手紙はありふれた用箋に、濃い鉛筆でハッキリと書いてある。

 拝啓
 取急ぎ申入候。お前様は相變らず巨萬の富を擁して裕福に暮しおらるゝ様子に候へども、小生は生れもつかぬ恐ろしき容貌を朝鮮、支那三界まで曝して、宿(とま)るに家なく、素寒貧となりて、日本へ舞戻り候。お前様の今日あるは、小生の唇を封じたる爲なる事、重々御承知と存じ候。小生はお前様より受けたる苦痛を、黄金の力によって癒さんとしたけれども、今はその金もなき故、更めて壹萬圓を要求仕候。
 右金圓は三日間の中に、古新聞と共に行李詰となし、新橋驛に一時預けをする事、而して荷物引換證券を、淀橋郵便局留置小生宛に送附する事。
 以上を實行せぎる時は、事情の如何に係らず、小生即時、任意の手段を執り、お前様の名譽も生命も倶に頂戴仕るべく候。
  ×月×日
頓首 
留岡平造
   相澤保太郎様

 默って讀終った清賢は、
「とうとう手紙が來ましたか。矢張りあの男がさうだったのだな。」と獨言をいひながら、そっと、眞暗な窓の外を覗いた。(續く)

(※ママ)
 相澤家の老主人が奇怪な脅迫状を受取った翌晩、養子の清賢は珍らしく夜食に歸ってゐた。
 庭の境の石塀の上に、檜葉の繁った條枝(えだ)がぼっさりと重り合ってゐる。庭前(にわさき)には紫の夕闇が這寄ってゐた。
 大きな食卓に質素な食物を並べてゐた女中のお高は、
「お歸宅がはっきり判らなかったものですから、用意しておきませんで、誠に申譯ございません。ほんの有合もので……」と辯蔬(いいわけ)がましくいった。
「晝飯が遅かったから、大して腹も空(へ)ってゐないが、では一ぜん喰べるかな。」隅の長椅子で夕刊を擴げてゐた清賢は新聞を投げて勢よく食卓に就いた。
「こんなにお廣い食堂で、おひとりきりで食事をなさいますのは、眞實にお淋しいやうでございます。」
「どうも仕方がない、廻り合せといふやつだからな、お前達だってこん陰氣な家に奉公してゐるのは有難くないだらうね。」
「どう致しまして若旦那様、晝間は何でございますけれども、御隠居様は夜分はお早くお就寝(やすみ)になって了ひますので大變に暇がありまして結構でございます。それに……」と女中はいひかけて口を噛(つぐ)むで了った。この節こそ、いくらか穏になったが、氣むづかしい老主人は少しでも女中が手を空けてゐるのを非常な損のやうに思って、つまらぬ仕事まで吩(いい)付けて、口やかましく叱(こ)言をいった。清賢はよく蔭に廻って女中を劬(いたわ)ってやった。お高がいひかけたのはその事であった。
「御隠居様がこちらで、御食事をなすった頃はお賑かでございましたが、いまはお居間に許りゐらっしゃるし、それに保男さまはお歸宅がちっともお判りになりませんし、眞實にお淋しくってゐらっしゃいませう。」お高は卓子(テーブル)の傍で給仕をしながらいった。
「御隠居居さんが食堂へお見えにならなくなってから、もう半歳になるね。早いものだね。そしてお前も家へ來て一ヶ年になるな。」
「眞實に一年位は夢のやうでございます。そして私達にはその間に、嬉しい事と悲しい事が三つ位づゝしか來ませんです。」
「ほう、面白い事をいふね。嬉しい事は歡迎だが、悲しい事なんぞは一つだって半分だって有難くないね。然し一年に三つといふ勘定は、どういふところから割出したのだい。」
「易占(うらない)なんです。いゝ事はきて了ったんですが、凶(わる)い事はまだ一つ殘ってゐるんださうでございます。何か近いうちに間違ひでもあるのぢゃァないかと先刻(さっき)もお留さんとお話をしてゐたのでございます。」
「冗談ぢゃァない、若いものがそんな事を氣にするやつがあるものか。それはさうと、御隠居様ほどうしてゐる?」
「もう、お就寝(やすみ)になったかもしれません。……御隠居様は眞實にお丈夫で結構でございます。それといふのも、いつもお食事の量がきまってゐるからでございます。今晩もいつもの通りお握飯(むすび)を三個、すっかり召上って了ひました。」
「さうか、私もついうかうか、二ぜん喰べて了ったな。尤も今夜は少し忙しい調べものがあって遅くなるから、お腹(なか)をこしらへておく必要はあったっけ。何處から電話がきても、又訪問客が見えても、不在(るす)だと申上げて呉れ。」
 清賢は食事を濟すと、長椅子の上の黒鞄をもって席を離れた。
「若旦那様は、今朝お留さんに、昨夜お歸りの時、怪しい男を見かけたとか仰有ったさうでございますが、眞實なんでございませうか?」食卓の上を片付けてゐたお高は、ちらと暗くなった戸外を見て、急に思出したやうにいった。
「怪しい男? あゝそれは大方按摩さんだったのだらうよ。さうだ此節は按摩がきてゐるんだね。」
「はい、三八ですから、この次は十八日でございます。」
 清賢はそれっきり、默って二階の居間へ上っていった。
 繁茂(しげ)った木立の多い屋敷町は、まだ漸く日が暮れた計りなのに、夜更けのやうに靜かであった。

「同じやうな靜けさが、凡そ二時間程續いた。女中のお高とお留は、臺所を片付けて了ふと、女中部屋へ引退って針仕事をしてゐたが、お高は針の手を休みて、古い婦人雜誌を讀むでゐる。二人の頭の上に赤い紐でくゝった電燈のコードが垂れてゐる。部屋の黄色い安壁に、雜誌の口繪からとった美人畫や、エハガキ等が貼付けてある。
「若旦那も早く奥さんを貰ひなさると、いゝんだがね。」
「だが、あの御隠居さんがゐらしっちゃァ、お嫁にきてがないでせうよ。」
「若旦那も一通りの苦勞ぢゃァないね。お隠居さんの他に保男さんのやうな厄介者がありなさるからね。」
 お高は讀かけの雜誌を伏せて、
「まァ、あの坊ちゃんは、中々凄いんですって、この間麻布の濱田さんのところの女中さんがきた時、聞きましたが、銀座邊のカフェの女給とか、淺草の女優とかに關係が出來てゐるんですってさ。そんな女にひっかゝっちゃァ、後々が困るわね。」と非難するやうにいったが、別な明い世界の情景が彼女の心持をいくらか昂奮させた。
「御隠居さんは口ではあんなに強いことをいってゐる癖に、保男さんには随分お金を強請(ゆすり)とられてゐなさるやうぢゃァないかね。」
「でも矢張り血を分けた親子だから可愛いゝんでせうね。」
 突然、柱時計が鳴った。びっくりしてお高が顏をあげた途端に、廊下の障子がさっと開いて、思掛けない清賢が現れた。二人が周章(あわ)てゝ居ずまゐを直すと、
「濟ないがね、煙草がきれたから買ってきておくれ、角のところが一寸淋しいが、二人なら怖い事もなからうから、一緒にいっておいで。」と清賢はいった。
 お留が銀貨を受取って臺所口から出てゆくと、お高は下駄を捜すのに手間をとって、後からぱたぱたと馳けていった。
 夫から凡そ十分程して、二人の女中が呼吸(いき)を切りながら歸ってきた時、玄關の廊下にインキ壺と、書類のやうなものをもって佇(た)ってゐた清賢は、
「御苦勞御苦勞、ついさっき門を開けるやうな音がしたから、お前達が歸ってきたのかと思ったら、矢張りお前達ぢゃァなかったのだね。」としまひの方をひとり言のやうにいった。二人はびっくりして顏を見合せた。
 玄關わきの客間でかたりと音がした。
「鼠がでてゐるな。先刻(さっき)棚の上へ乗せておいた書物(ほん)が床へ落ちたのかも知れない……保男はまだ歸らないし、今夜は何だか陰氣な晩だね。」
「曇って参りまして、風が出てきました……何ですか若旦那様がお二階へ上ってお了ひになると、階下は私達計りで氣味が惡いやうでございます。」お高は二寸計り開いてゐる臺所の戸口を氣にしながらいった。
「臆病な女達だな。では私はまだ一ニ時間、書ものがあるから、その間だけ食堂にゐてやるかな。その中には保男も歸ってくるだらうから、さうしたら戸締りをして就寝(やす)むがいゝ。」清賢の言葉に二人はほっとして自分達の部屋へ引退った。
 風が歇(や)むで、雨となった。窓の下の勝手口の通路にある竹藪に、大粒の雨がはらはらと落ちてゐる。
 間もなく自動車が門の前へきて停った。洋服を着た男が大きな棕櫚の鉢植を抱へて、相澤家の玄關を叩いた。
「遅くなって相濟みませんが、三越でございます。植木をもって上りました。」
 玄關へ出たお高は植木鉢の事などは聞かなかったので、鳥渡怪訝な顔をしたが、
「暫時待って下さい、伺って参りますから。」といひおいて、清賢にその旨を通じた。
「棕櫚の鉢植? そんなものは知らんな。どれ使の男に會って見やう。」といひながら、清賢は玄關まででゝきて、
「君、植木を持ってきたといふが、届先を間違へたのぢゃァないかい、家ではそんなものを三越で買った覺えはないんだがな。」といった。
「麹町三年町の相澤保太郎様といふのは、お宅でございませう。代金は支拂濟になってゐるんでございます。」と三越の男はいった。
 相澤保太郎なら、確にこゝだ、事によると立川さんが御隠居さんのお見舞ひに下すったのかも知れない。今から考へると何かそんな事をいってゐたやうだから……。」清賢は思出したやうにいった。
 立川といふのは貴金属商をやってゐる老主人の舊い友達である。
 清賢は二人の女中に植木鉢を二階へ運ぶやうに吩咐(いいつ)けておいて、二人がやうやく二階までいった時、後からいって手傳った。
 二階の階段を上りきったところで清賢は急に氣がついたやうに、
「御隠居さんはお睡眠(やすみ)になってゐるから、今晩はこゝに置けば宜しい。」といった。
 三人が再び階下(した)へ降りた時、
「おや、玄關の扉が開放(あけっぱな)しになってゐるな。どうしたんだ。風で開(あ)くといふ程の風もないが……」と先に立ってゐた清賢が叫むだ。
「…………」
「…………」
 女中達は清賢が餘りに眞劍な顏をしてゐるので、恐ろしさに體躯(からだ)を擦寄せて、口をもぐもぐさせた。
「鳥渡、一巡(ひとまわ)りして來やう。」清賢は氣輕に戸外(そと)へ出ていったが、暫時してから、青い顏をして戻ってきた。彼は廊下で慄(ふる)へてゐる女中に銀縁の黒眼鏡を見せて、
「門の鐵柵のとこに、こんなものが落ちてゐた。」といった。
「では先刻のは矢張り…………」お留はかぢかぢと齒を鳴らしてゐる朋輩のお高を顧みた。
「さう仰有れば、煙草屋へいった歸りに横町を曲って参りますと、お屋敷の門の前に、黒眼鏡をかけた男が立ってゐたやうでした。」とお高は慄へ聲でいった。
「最う戸締りをして就寝(やすん)だらどうだね。保男はいつ歸るか判らない……大分疲勞(つか)れたから私も就寝むかな。」清賢はさういって直ぐ二階へ上って了った。
 夫から後、夜は益々更けて、十二時も、一時も、廣い屋敷うちは、かたりともしない。
 保男が歸宅(かえ)ったのは一時半を過ぎてゐた。
 翌朝六時、廊下が急にがたがた騒しくなった。續いて二階の清賢の部屋をけたゝましく叩くものがある。清賢は寝卷のまゝ廊下へ飛出すと、
「大變です、大變です、御隠居様がお見えにならないので厶います。」と泣聲で叫むでゐるのは女中のお高であった。


編輯後記(1926.12.)より
 (略) 主幹松本泰は風邪やら何やらで「鼻の缺けた男」を休載した、十枚程は出來てゐたが、餘りに僅少なので新年號に澤山書いて埋合せる事にした。讀者諒せよ。(K)


注)明かな誤字誤植は訂正しています。
注)結局中絶となったようです。後の作品に利用されたかどうかは不明。


「盗むだ宝石(冒頭と一部のみ)」
「騒人」 1927.10. (昭和2年10月号) より

「こんな話が外國の雜誌に載ってゐましたがね…………」
その男はだらしがなくって、肝心のその雜誌を紛失して了ったのださうだ。聴手は私である。

 陰欝なカフェの一隅に、二人の男が額を鳩めて話合ってゐる。いづれも一分の隙もない服装(みなり)で、凡の物腰が上流の社交界に出入してゐる人物である事が一目して頷首かれる。たゞ難をいへぱ二人の眼は險し過ぎてゐた。
「で、その晩はたうとう最後まで負け續けさ。僕はほとほと自分の運に愛想をつかした。そして正當な勝負をしてゐたのぢゃァ追付かないといふことを痛感したよ。」眼鏡をかけた小柄な男は、女のやうな華奢な手でカクテルの杯を取上げた。
 (略)
「僕は女が夫等の寶石を化粧箪笥の抽出へ藏ふのを見届けて、一先づ自分の部屋へ歸ったものだ。その二人の女は殆んど僕と前後してホテルヘやってきたのだ。年増の方はジュリイとかいひ、若い方はなかなか美人だが、ひどく淋しい顏立をしてゐる。二人はいつも連立って歩いてゐた。若い方がひとりでなんか外出したのは一ぺんだって見たことはなかった。然しジュリイが骨牌に夢中になってゐる時などは、若い方は廣間の隅の椅子に凭れかゝってぼんやり時間を過してゐるのを見掛けたっけ。 僕は二人の會話で、ジュリイは散歩ではなく、例の如く骨牌の仲間入をするのだと察した。だから部屋へ歸ってから、暫時、間をおいて、再び元の廊下を引返して二人が階段を下りてゆくのを見澄して部屋へ忍込むだ。客はみんな舞踏ホールや、骨牌室や、廣間へでゝゐる時刻なので僕は些の危險をも感ぜすに仕事が出來た。例の抽出は錠が下りてゐなかったので易々と開いた。 中にはダイヤモンドの首飾り、エメラルドの指輪、その他高價な寶石が燦然と輝いてゐた。僕は少々あがって了ったと見えて、四邊に気を配る餘裕もなく、それ等の獲物をボケットヘねぢ込むだ。丁度その時、微ながらかちりと扉の把手(ハンドル)に觸れる音がした。はっとして振向くと、音もなく扉をあけて入ってきたのは、先前の若い女であった。彼女はぢっと僕を見据ゑながら、
「貴郎は何誰です」といった。無論僕は應へなかった。すると女はまるで女王のやうな態度で、靜に傍へ寄ってきて、突然僕の腕を掴まうとした。」
「で、君はその女の頸を締つけておいて逃げたとでもいふのだらう。」相手は茶化すやうにいった。
「いや全く.頸でも締めて了へばよかったのだがね、僕は餘程周章てゝゐたと見えて、前後の思慮もなく、女を突倒して夢中で自分の部屋へ逃込むで了った。様子をうかゞってゐると、誰も騒ぐ氣配もないので、女は氣絶したに違ひないと思った。だが相手に顏を見られてゐる以上、一刻も愚圖々々してゐられない。僕はすぐホテルを抜出したが、巴里行の汽車は眞夜中過ぎでなくては發(で)ないので、仕方なしに、ニースに向って歩いた。僕の目ざしたのは馬塞耳(マルセーユ)さ。あすこまでゆけば四通八達逃げ路は澤山あるからね。
 馬塞耳へつくと、僕は先づ第一に酒場を經營してゐるジュス婆さんのところへ飛込むだ譯さ。ジュス婆さんといふのは有名な贓品(けいず)買なんだよ。君も知ってゐるだらう。」
 (略)
 或る天氣のいゝ日であった。僕は久振りで一流のホテルヘ飯を喰ひにゆくと、そこで思掛けぬ人間にぶつかった。といふのは食堂の扉をあけて、ひょいと中を見渡すと、右手の隅の卓子に、あの女がジュリイと一緒に食事をしてゐるぢゃァないか、女は大きな眼でぢっと僕を視詰めてゐる。僕は撥き飛されたやうに踵を返して、ジュス婆さんのところへ逃げ歸った。 婆さんも僕と同意見で、足がついたからには一刻も早く飛むで了へといふんだ。無論あの女は僕が馬塞耳にゐるのを嗅付けて後を追ってきたに違ひない。僕は婆さんの言葉に從って、その晩の汽車で巴里へ向った。僕は用心の上にも用心して三等と一等の切符を一枚宛買って、最初は三等車に隠れてゐたが、折を見て一等車へ乗移らうと思って長い廊下を傳っていった。そして坐席の有無を確めるつもりで、硝子戸に鼻を押つけて中を覗くと、どうだい、又例の女が先廻りをして乗込むでゐるではないか、彼女は瞬(まばたき)もせず僕の方を見ながら、
「ジュリイや、もうそろそろ電信をうったらどう。」と連の女にいった。僕は危く聾をあげるところだった。ねえ君、僕はその時ばかりはもう百年目だと思って、意氣地のない話だが實際足が竦むで了ったよ。斯うなっては三等に隠れてゐたって無駄だから、思切って暗い線路の外へ飛下りて了った。幸ひ僕は無事、二人の女も流石にそんな事とは氣付かなかったと見えて、汽車はそのまゝ巴里へ向って駛ってゆく。やれやれと僕は胸をなでおろして、それから一週間計り間をおいて漸く巴里に辿りついた譯さ。  (以下略)
 

注)明かな誤字誤植は修正しています。
注)本文は「盗むだ寶石」、目次は「盗まれた寶石」となっています。原典は不詳。


「湖水から戀を拾った男(冒頭と一部のみ)」(變った戀愛・奇抜な戀愛)
「講談倶楽部」 1931.08. (昭和6年8月号) より

 男が菜っ葉服を着てゐたのが抑々わるかったのである。場所は倫敦市目抜のボンド街、時は夏の午後三時、車道を隔てて、彼と彼女の視線がぱったりと會った。若い男女の眼はその瞬間に數百萬語を交した。
 金持で、獨身で、肥滿(ふと)った叔母さんは姪のしぐさを見遁さなかった。
「メイリーや、何です、あんな勞働者なんかと! 第一あんな油だらけな服装(みなり)をしてゐて私達に挨拶するなんて失禮ぢゃァありませんか」
「あれはトムよ、子供の時から仲善しなの」大膽なメイリーの言葉に叔母さんは危く卒倒するところであった。叔母さんは先祖傳來の山のやうな富を美貌の姪に譲り、末々は何々伯爵夫人と名乗らせるのが畢生の望みであったのだ。
 (略)
 倫敦を出てから五日目に、美しいメイリーと若いトムと、犬に喰はれて了へばいゝ叔母さん、その他金と暇をもった善男善女、惡男惡女を乗せた遊覧船が、緑滴るルーシェン湖に辷り出た。風光明媚な四圍に人々はみんな多少ロマンチックになってゐた。
 空は碧く、水は縁、微風は爽かであった。こゝまでくればと安心しきってゐた叔母さんは、甲板椅子でうつらうつらとまどろむでゐた。ふと、騒がしい人聲に日を覺した叔母さんは、生命より大切な愛犬ペギーが水中で藻掻いてゐるのを發見した。
 (以下略)
 

注)原典があると思われるが、ありがちの話なので翻訳、翻案など詳細は不明。


「接吻を拒む勿れ(冒頭と一部のみ)」(千夜一夜ばなし)
「話」 1934.05. (昭和9年5月号) より

 英國D州の某村に、モリイといふ評判の美人がゐた。一日の勞作を濟ました人々が、村端(はず)れに紅いサインを掲げてゐる唯一の慰安所、赤獅子酒場へ集るやうに.青春の夢をお(※走多)ふ若者達はモリイの周圍に集った。彼女の一聲一笑は彼等を幸福にしたり、不幸にしたりしてゐた。
 或晩、モリイが新調の春衣を着て、靴音輕く酒場を覗くと、例によって男達の歡聲が彼女を迎へた。ところがたった一人美しいモリイに目もくれず、片隅の卓子で麥酒をすゝってゐる青年がゐた。最初モリイは自分に無關心な男かゐることを知って、聊か自尊心を傷けられた。次に彼女は男の冷淡さに不思議な魅力を感じた。そして最後に彼の凛々しい男振りに参って了った。こんな逞しい腕に抱かれたら! ふと、そんな浮氣心が彼女の膨むだ乳房の下から湧いてきた。
「ねえ、私にも一杯奢って呉れない?」モリイは自信をもって、青年の傍に椅子を引寄せた。初心な青年は赧くなったり、青くなったりして、女の爲に麥酒を誂へた。
 暫時無駄話をして女が出ていって了ふと、そこにゐた男が青年の肩を叩いて、
「おい、ネッド、あの女は君に思召があるぜ。」
といった。人々はその冗談に哄笑した。ネッドは律義な小作人で、母親と二人細々と暮してゐる青年であった。誰もモリイがこんな貧しい青年を本氣で相手にしてゐるとは思はなかった。ネッド自身も身の程を辨(わきま)へてゐた。だが、モリイは其日以來他の男達には目もくれなかった。
 或晩、ネッドが赤獅子酒場から出てくると、街角で待伏せてゐたモリイは、突如(いきなり)、傍へ馳寄って、男の腕に手をかけた。ネッドは當惑しながらも、無下に振切る事が出來ず、默って夜道を吾家の方へ歩出した。
「ねえ、何故、私に接吻して呉れないの?」
 (略)
 翌朝、地主の屍體が森の端れで発見され村中引くり返るやうな騒ぎとなった。二千圓の現金が盗まれてゐた事はいふ迄もない。犯人として逮捕されたのは、前日解雇された小作男のオリバーと、當夜八時過ぎに赤獅子酒場から森を抜けて歸宅したネッドであった。
 (以下略)
 

注)明かな誤字誤植などは修正しています。
注)翻訳か翻案か実話か不明です。



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