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松本泰 作品小集5

Since: 2024.06.16
Last Update: 2024.06.16
略年譜・作品・著書など(別ページ)
作品小集1 - - - (別ページ)

      目次

      【海外犯罪実話】(組織・集団以外)

  1. 「パーシー夫人とその断片」 (実話読物) 旧かな旧漢字 2024.06.16
     
  2. 「ボウデン事件の不思議」 (実話読物) 旧かな旧漢字 2024.06.16
     
  3. 「少女誘拐惨殺事件」 (実話読物) 旧かな旧漢字 2024.06.16
     
  4. 「五磅紙幣 英国犯罪事実譚」 (実話読物) 旧かな旧漢字 2024.06.16
     
  5. 「青鬚と九人の妻」 (実話読物) 旧かな旧漢字 2024.06.16
     
  6. 「毒殺鬼パーマー」 (実話読物) 旧かな旧漢字 2024.06.16
     
  7. 「死の帆船」 (実話読物) 旧かな旧漢字 2024.06.16
     
  8. 「支那人の指」 (実話読物) 旧かな旧漢字 2024.06.16
     
  9. 「自動車火葬事件」 (実話読物) 旧かな旧漢字 2024.06.16
     
  10. 「運命の玩具」 (実話読物) 旧かな旧漢字 2024.06.16
     
  11. 「研究室の殺人」 (実話読物) 旧かな旧漢字 2024.06.16
     
  12. 「廃園の二死体」 (実話読物) 旧かな旧漢字 2024.06.16
     
  13. 「霙の中の散歩者」 (実話読物) 旧かな旧漢字 2024.06.16
     



「パーシー夫人とその斷片」
「探偵文藝」 1925.10. (大正14年10月号) より

 そろそろ霧の季節の來やうとする十月二十四日(一八九〇年)金曜日の晩七時、倫敦北西區ベルサイズ街に住むでゐる一青年が、クロスフヰルド街へ差かゝると、敷石から二三間離れたところに婦人が轉がってゐるのを見た。その邊は東京でいふ山の手で、四谷、市ヶ谷あたりの見付から麹町へ上ったやうな閑靜な一區劃である。通りかゝりの青年は大方醉拂ひだらう位に思って二三歩行過ぎたが、様子が怪しいので引返して見ると、黒っぽいジャケツで頭部を卷いた婦人が鮮血に塗れて縡(こと)切れてゐた。
 青年は仰天して附近のS署へ馳付け、警官を連れてきた。醫者がくる。應援の警官がくる、角燈がピカピカと眞暗な道路に光る。まだ宵の口であったから、方々の窓があいて人々が顏を出す。夫等の光景は就れの國も型の通りであった。
 被害者は三十才前後で、レースの附いた黒い衣服を纏ってゐる。頸部は鋭利な刃物で打斬られ殆んど首と胴がブラブラになってゐた。其他顔面から後頭部へかけて、根棒やうのもので散々に毆打された形跡があった。檢屍の結果、死後約二時間餘も經過したもので、現場に多量の血痕が流れてゐない點から、犯行は他所で演ぜられ、死骸だけその地點に遺棄されたものと認定された。死骸の傍に眞鍮のボタンが一個落ちてゐた。
 死體は一先づ所轄警察署へ収容された。このやうな事件では被害者は多くの場合、妙齢の美人になるものである。警察の活動が開始された。
 翌日の新聞に記事が現はれると、S書の附近に住むでゐる馭者が、恐る恐る警察へ出頭して、
「昨晩、丁度、死骸が發見された頃、クロスフヰルド街を突あたったところの角から、お客を乗せて、チョークファーム停車場へゆきましたが、その男が怪しいと思ひます。夜會服を着た若い立派な男で、何でもひどく周章(あわ)てゝ――大急ぎで停車場へやってくれ、駄賃はいくらでも出すから――といひました。その男は停車場へつくと、倍額の賃金を私に渡して馬車を飛下りてゆきました。」といった。
 其晩のうちはまだ被害者の身許が判明(わから)なかったが、翌朝になって、下着についてゐた洗濯屋のマークその他から、婦人はプリンスオブウエルス街一四一番の三階に住むでゐる、フヰビイ・ホッグといふ事が分った。フヰビイの亭主フランクは實兄の經營してゐる引越運送店に勤めてゐる。ホッグの家族は夫婦と一年六ヶ月になる赤坊、それに主人の母親及び妹クラヽの五人暮しである。
 兇行のあった金曜日、フランクはいつものやうに定刻に家を出て、夜遅くなって歸宅した。妻は留守で、臺所の棚に置手紙があった。――貴殿の夜食は戸棚のフライ鍋に入ってゐます――と記してあった。フランクはコトコトひとりで食事を濟してから、戸外へ出て、近くのブリオリ街二番のパーシー夫人を訪ねた。彼は夫人から合鍵を貰ってゐるので、いつでも自由に出入りが出きた。
 生憎夫人は不在であった。客間で暫時待ってゐたが、中々戻ってくる様子がないので、紙片に――十時ニ十分、歸る――と記してその家を出た。彼は後日法廷で、
「客間に入ったきりで、他の部屋へはゆかなかったから他にどんなだったか一向知りませんが、客間は平常(いつも)の通りでした。」と陳述してゐる。
 フランクは眞直に自家(うち)へ歸った。彼は妻がその晩歸って來ない事に就て格別氣にもとめなかった。といふのは郊外のチョーリーウードに住むでゐる妻の父親がその數日來危篤だといふ事をきいてゐたので、大方見舞にいったのであらう位に思ってゐたと、彼自身はいってゐるが、實は可成り不安な一夜を明したらしく着物も脱がずにゐた事で想像がつく。夜が明けると、フランクはすぐチョーリーウードの妻の里へいったが、昨夜は來なかったといふ事を聞いて蒼い顏をして歸ってきた。
 家では母親と妹のクラヽが不安らしい様子で新聞を讀むでゐた。新聞にはクロスフヰルド街で發見された死骸の記事が載ってゐた。背恰好から着衣の工合を考へ合せると不吉ながら、どうしてもそれは前夜から行方の知れぬフヰビイらしく思はれた。里へ實父を見舞ひにゆくとしても、友達のパーシー夫人を訊ねるとしても、プリンスオブウエールズ街一四一番からはどうしても死骸の遺棄してあった町を通らねばならなかった。
「パーシー夫人のところへいったのかも知れないから、御苦勞でも鳥渡見にいってきいてきて呉れないか。」とフランクは妹に頼むだ。
 彼自身が當然聞合せにゆくべき筈のところを、斯うして妹をやったといふ一事は、後に法廷に於て大問題となってゐる。
 それはさておき、フヰビイが何者かに殺害された三週間程前に、パーシー夫人から奇怪な呼出しの手紙を受取った。二人は近くの酒場(バー)でかれこれ一時間許り饒舌(しゃべ)りあって別れた。歸宅してからフヰビイは義妹のクラヽに、
「パーシーさんは今度の土曜から日曜にかけて、私と一緒にサザーランドへ一晩泊りで旅行しやうと云ふんですよ。何でも貸家を探して、都合によったら、自分だけ當分そこに住まうと思ふなんて云ってゐましたよ。怖い怖い、若しいゝ氣になって一緒に出掛けやうものなら、どんな目に會ふか判りはしない。」と語ったさうである。
 此パーシー夫人と名乗る女は、實は誰とも正式の結婚をした事がなく、メリー・エリーア・ウイラーといふのが本名である。事件の起った數年前に、十五六になるジョン・パーシーといふ、少年を自分の家に置いて、二年程一緒に暮してゐた。パーシー夫人といふ名稱は、そんなところから來たのかも知れない。事件の勃發したのはパーシーが二十四才、フヰビイが三十一才であるから、パーシーは若さに於ては遥かに優越點を持ってゐた。然し一方フヰビイは良人との間に子供があるといふ強味をもってゐた。 顏立から云ふと、フヰビイは美しく波打ってゐる黒い頭髪と、青空のやうに澄むだ眼を持ってゐたが、少々馬面で神經質らしいところがあった。それに反してパーシーはマドンナ式の愛くるしい顏立であった。尤も眼付はマドンナ程優くはなかった。それに少し出齒であった。然し體格はフヰビイに較べると、ずっと立派で非常に健康であった。
 ホッグ夫妻は結婚以來、屡々烈しく醜い爭をやった。その原因はいつもパーシー夫人であった。
 その歳の二月にフヰビイは大病を患って、永らく寝ついた時、パーシー夫人がよく手傳ひに來て、何呉れとなく親切に世話をしたので、それ以來表面では双方とも相當打解けて交際(つきあ)ってゐたが、内心では互に嫉妬の爪をといでゐたに違ひない。

 兄の命を受けて、パーシー夫人を訪ねたクラヽは、
「昨日嫂がこちらへ伺ったきり、まだ歸って來ないのですが、何處へいったか御存知ですか。」といった。玄績へ出て來たパーシー夫人は驚異の眼をみは(※目爭)って、
「オヤ、マア、家へ歸らないんですって? 私の家を出たのは五時頃でしたよ。歸りしなに、私にお金を貸してくれと云ひましたが、丁度私は宅に持合せがなかったものですから、五十錢銀貨を出してあげましたよ。」と答へた。クラヽは、平常(ふだん)から嫂は他人から金を借るやうな性質でない事をよく知ってゐたので、その時分から何といふ事なくパーシー夫人を疑ひ出したといふ事である。
 警察へ召喚されたのは亭主のフランクと、妹のクラヽ、それに前記のパーシー夫人であった。馬車の中で警部がパーシー夫人に手袋をとらせると、手の甲や手首、その他にガラスの破片で切ったらしい生々しい傷跡や、爪で掻きむしったやうな傷が、數個ついてゐたといふ事であった。
 當時英國の法律で婦人には死骸を見せない事になってゐたが、此時は例を破って二人の婦人にフヰビイの無惨な死骸を檢證させた。
 被害者の顏面は血がかたまり附いてゐて、容易に判定されなかったが着衣はフヰビイのものである事をクラヽは言明した。パーシー夫人は頻りに死骸はフヰビイでないと主張して幾度かクラヽの袖をひいて、その場を立去らうとした。それ等の行動が警察官をしてパーシー夫人に疑念を抱かしめる原因となった。家宅捜査が行はれた際、一緒に自宅へ戻ったパーシー夫人は、警官が手分をして、部室々々を檢分してゐる最中、彼女は悠々と客間でピアノを彈いたり唄をうたったりしてゐた。 臺所は恐ろしい状態になってゐた。天井には血の飛沫がかゝって、洗ひ落したらしい壁や床の隅に、まだ幾分かの血痕が附着してゐた。鋭利な肉切庖丁は先端に刀こぼれがしてゐるし、柄には血がこびり附いてゐた。その他雜巾にも、卓子の下に押込むであった古シャツにも血痕が殘ってゐた。證據は歴然としてゐる。警官のひとりが客間に戻ってきて、
「臺所で一體何をやったのです。」と訊くと、
「鼠を殺したのよ、大鼠を殺したのよ。」と唄のやうに節をつけて三度いった。

 間もなくパーシー夫人は法廷に立つ身となった。参考人として、フランク・ホッグも出廷した。話は前に戻るが、金曜日の夜、フヰビイの死骸が發見され、土曜日には現場から十數丁離れた空地に乳母車が捨てゝあり、翌日曜日には其處から更に二十丁程距(はな)れたフェンチェリー通りの某家の軒下に、フヰビイの赤坊が死體となって、遺棄されてあったのを行商人が發見した。赤坊は殺害して捨てたものか、生きてゐるうちに捨てゝ凍死したのか、その點は今に疑問とされてゐる。
 フヰビイの死體の傍に落ちてゐた眞鍮のボタンは、パーシー夫人の牽いていった乳母車のクション(※ママ)についてゐたものであった。
 事件發生の前後、パーシー夫人の周圍に隠れた二三の男があったのは事實らしい。夫人は夫等の男達の仕送りで活計(くらし)を立てゝゐた。クレイトンといふ男はその一人であった。彼は非常に臆病な男で、パーシーの口からフランクの噂を度々きくやうになってから段々寄付かなくなった。殊に事件が新聞に出ると、彼は直ぐ自分から警察へ出頭して、金曜日の夜、自分は某々友人の家にゐたといふ證明を立てたりして事件に卷込まれない用心をした。
 もう一人、前記のジョン・パーシーは兇行のあった三日前、パーシー夫人の家の前を通りかゝると、窓が閉って、内部から厚いカーテンが下りてゐたので、敷石の上に立ってゐた彼女に、
「何故、こんな陰氣にカーテンを下しおくのですね。」と訊ねると、
「十四になる弟が病氣で死没(なくな)ったので、明後日、葬式なのです。」と答へた。
 後日この一事はジョン・パーシーがこの事件の重要な人物ではあるまいかといふ疑を惹起した。更に不思議なのはフヰビイの死體の頭部に卷付けてあった黒い毛糸のジャケツはこの男のものであった。然しこの男は法廷でパーシー夫人とは二年前にすっかり關係を斷ってゐると強硬に主張してゐる。
 パーシー夫人は金曜日の朝自宅附近で遊むでゐたホルムスといふ小僧に駄賃をやって、手紙をフヰビイの家へ届けさせた。午後五時のお茶にくるやうにといふ案内であった。前日も招待を受けながら用事が出來た爲に外出が出來なかったので、この日は都合して、生後一年半になる赤坊を乳母車に乗せて午後三時に自宅を出てプリオリ街の二番にパーシー婦人の家を訪問した。 夫人の家の表道路に面した窓は三日前にジョン・パーシーが見た時のまゝに厚いカーテンが下りてゐたかどうか、その點はハッキリしてゐない。そしてこの呪はれたお茶の招待に、二人の爲にどのやうな會話が取交されたか一向明かでない。
 フヰビイが後頭部に受けてゐる三つの打撲傷のうちで、そのどの一つでも昏倒させるに充分だと醫者は言明してゐる。喉笛から後頭部(うしろくび)の附根まで僅に薄皮を餘す計に切りとってあるが、これは鋭利な肉切庖丁で、幾度もゴリゴリやったものであった。そして左の手先から手首へかけて數ヶの掻傷があり、右手には咬傷があった。

 兇行の演ぜられたパーシー家の右隣りに住むでゐるプリデントン婆さんに金曜日の午後四時幾分とかにパーシー家でガラスの毀れる音がして、續いて火がつくやうに赤坊の泣く聲が起ったといってゐる。婆さんは何事かと裏庭へ出て見たがそれっきり何の物音もせず森として了ったので棚のものでも落ちたのだなと思ったといふ事である。
 左隣りには製本職の夫婦が住むでゐた。プリデント婆さんがきいたと同時刻に夫婦は裏庭に面した臺所口で仕事をしてゐると、突然恐ろしい物音をきいたので、
「何だらう、パーシーさんの許(ところ)で何か墜ちるやうな音がしたぢゃァないか。」二人は裏庭へ飛出して、
「奧さん、どうかなさいましたか。」と聲をかけたが、何の返事もなかった。
「事によると痴話喧嘩でもしたのかも知れない。」といひ合って、家へ入った。その後この夫妻の陳述によると、
「お隣りにはいろいろな男の方が見えましたが、その中のどれか一人を亭主だとかいってゐました。一體他人の内緒事にかゝり合ふのは厭なものですからね、詳しい事は知りませんよ。パーシー夫人といふ方は何處か上流の人らしいところがあって、私共にもよく親切な言葉をかける人でした。金曜日の晩ですか? 終夜(よっぴで)數人の男が大掃除でもしてゐるらしい様子でして。」
 兇行のあったプリオリ街からこの邊一帶に住む女達は、買物とか或は洗濯物などを運ぶ場合によく乳母車を用ひてゐたので、その夜パーシー夫人が乳母車に荷物を積むで往來を歩いたといふ事は大して他人の注目をひかなかった。然し同じ町に住でゐるエリザベス・ロージャースといふ婦人はガードの下で大荷物を積むだ乳母車を押してゆくパーシー夫人を見て、日頃の氣取やに似會ないと思ったと後になって語ってゐる。十月末の冷たい風の吹く暗い晩に不氣味な荷物を運搬してゐるパージー夫人の姿を最初に見かけたのはこの婦人であった。
 次はガアデナーといふ既婚の婦人で、黒いショールが乳母車の上にかけてあつたのを見て、あまり荷物が大きいので一寸不思議に思ったといってゐる。パーシー夫人は疲勞(つか)れきったやうな様子で、ハバストックヒルの坂路を上っていった。
 三番目は矢張り同町内に下宿してゐる呉服屋の女店員であった。彼女は八時頃仕事の歸途にハムステッド街の近くで呆然と敷石の上に立ってゐる夫人の姿を見掛けた。「いつでも綺麗にしてゐる奥さんだのに今夜はどうしたのだらうと連立ってゐた仲間に囁いた。二人は暫時立止って、取亂した夫人の様子を見てゐたが、結局、「お酒をのむで醉拂ってゐるのかも知れないわ。」といって行過ぎて了った。

 法廷に立った彼女の態度は泰然自若たるものであった。それに引かへフランク・ホッグは意氣地なく眞青になって慄えてゐた。夫人は最後まで自白しなかったが、歴然たる證據の數々は終に彼女を死刑臺上に送った。
 裁判長が死刑の宣告を下した時、彼女は落着いた調子で、
「死刑の宣告は當然だと思ひます。だがこゝに擧げられた證據は肯定する譯にはゆきません。」といった。刑の執行の前日、彼女はフランクの妹のクラヽに手紙をかいて、フランクに一目會ひたいといひ送ったが、臆病な彼はとうとう顏を見せなかった。この一事は痛く彼女を失望させた。二人はニ三年前から深い戀仲であって、數十通の蜜のやうに甘い言葉を並べた戀文が法廷に持出された程であった。彼女は最後の日が近づくと辯護人に、
「私は決して眞實(ほんとう)の犯人ではないのです。」と嚴肅にいった。そして次のやうな廣告をスペインのマドリッド新聞に掲載するやうに依頼した。
 M・E・C・P 氏へ 
 M・E・W は遂に 
 決行せり。御安心あれ。 
 M・E・C・P とは誰人であるかいまだに不可解な謎となってゐる。M・E・W といふのは彼女の本名の頭字である。或人はこの廣告は彼女が當時スペインの小説に惑溺してゐた爲、途方もない夢を見てゐるのだらうと一笑に附してゐるが、この事件の裏面には小説以上の奇怪な事實が潜むでゐるのかも知れない。
 これは英國の犯罪史でも有名な事件であるが、殘念ながら、私の手に入れた記録では前述の事實以外に何事も知る事は出來ない。いろいろ推測して見ると、疑惑を挾むべき點が澤山ある。兇行のあった晩に限って、何故フランクが平常(つね)より遅く歸宅したか、そのアリビが明白でない。それから隣家の製本職夫妻が夜中に聞いたといふ數人の跫音の主は果して何者であらうか、この點も私の知らんと欲するところである。
 私が何故にこの事件に特に興味をもったかといふとフヰビイの死體が遺棄されてあったクロスフヰルド街と私の寄寓してゐたアダムソン街とは恰度T字形になってゐて、鈴懸樹(シケマ)の繁茂(しげ)ったその靜かな街を私はよく散歩したからである。ベルサイズ街の方からくると、數軒目の家は三階の上まで蔦が絡むでゐた。秋から冬になると、目が覺めるやうに紅葉する。夏の初になると、美しい紫の花が一面に壁の上に這上ってゐた。
 謎の犯罪が常に新らしい魅力を持ってゐるやうに、夫等の町の光景は今も私の胸にハッキリ浮むでゐる。
(完)

注)明かな誤字誤植などは修正しています。
注)『情痴殺人篇 世界犯罪叢書4』収録の「路傍の死体 パーシー夫人事件」の原型ともいえる作品。


「ボウデン事件の不思議」
「探偵文藝」 1925.12. (大正14年12月号) より

 千八百九十三年の夏、米國マッサチウセッツ州のボウデン事件は、由來米國で起った數々の奇怪な殺人事件の中でも著名なものである。
 フォール・リバーの市街(まち)に住むアンドリウ・ボウデンといふ裕福な夫妻は、八月四日の午前中に、妻女は二階の客間で、主人は階下の一室で、別々に惨殺された。その時刻、家の中に居合せたのはブリヂェット・サリバンといふ女中と、主人の先妻の娘で、未だ獨身でゐるリヂー・ボウデンの二人きりであった。
 アンドリウ・ボウデン氏は七十才の老人で、妻女は六つ年下であった。世間では、ボウデン家の財産は六千萬圓位もあらう等と取沙汰してゐたが、彼等老夫妻の日常生活は甚だ地味であった。娘のリヂーは卅二才で、彼女の一人の姉は惨劇の演ぜられた時には、丁度、外出して不在(るす)であった。
 事件の生じた二日前、老夫妻は、同時に突然發病して、激烈な吐瀉に苦しめられた。娘のリヂーも又輕微ながら、兩親同様の病状を起した。その翌日、リヂーは近所の人に向って、父親と紛糾した關係のあった男が、どうも自分等一家を毒殺しやうと目論んでゐるらしいといふやうな事をいったといふ事である。
 木曜日の朝、即ち兇行のあった當日女中のブリヂェットも、朝食後間もなく、嘔氣(はきけ)に惱まされたが、稍氣持がなほったので起きて行くと、丁度、老夫人は居間の掃除に取掛らうとしてゐるところであった。女中を見ると、窓を綺麗にするやうに吩咐(いいつ)け、自身は客間を整頓するために二階へ上っていった。それは午前九時半頃のことで、この老主婦の姿の最後の見納めであった。
 女中が窓の掃除にかゝらうとする時分、娘のリヂーは臺所にゐた。間もなく主人のボウデンは外出先から歸ってきた。生憎、裏口には錠がかゝってゐたので、玄關へ廻り、女中に開けて貰って屋内へ入った。
 十時十五分、リヂーは居間にゐる父親の許へ來て、母は手紙が來たので先刻外出したと告げた。程無くボウデン氏は裏梯子傳ひに自分の居間へ姿を隠し、そして入口の錠を下して了った。彼の室は表側とは續いてゐない。どうしても一旦地下室へ下りて裏梯子を利用せねば行かれない事になってゐた。客間はその二階に在った。
 女中は食堂の掃除を續けてゐた。その時、リヂーも其處で熨斗(アイロン)を使ってゐた。彼女は女中に向って、母親は先刻手紙を受取ると、直ぐ外出したといふ事を幾度も繰返した。それから十五分もして、女中は二階を掃除する爲に梯子を上ってゆくと、階下で、父親が殺されたと叫ぶ娘の聲に、驚いて馳下りた。
 女中が醫者を迎へにいって歸って見ると、その時には既(も)ふ隣り近所の人々が大勢詰めかけてきて、わいわい立騒いでゐた。女中は町へ行ってボウデン夫人を捜出して來やうかと云ふと、リヂーは、今し方お歸りになったやうに思ったが――と答へた。
 女中は居合せた近所の人と階上へ上っていった。二人はボウデン夫人の死體が、窓の開放しになった客間の床の上に、倒れてゐるのを發見したのである。
 父親の死骸を發見する迄は何處にゐたかと係官に訊かれて、リヂーは納屋にゐたと明言したが、其處で何をしてゐたかといふ事に關しては、彼女の陳述は頗る曖昧であった。リヂーは遂に殺人罪の廉で収監された。
 日頃からリヂーとその繼母に當るボウデン夫人との折れ合ひが兎角面白くなく、又以前父親とも、財産の一部分を繼母に分配するといふ問題で烈しく爭論したことがあったといふ事實は、リヂーを可成り不利な位置に導いた。けれ共、娘等は財産分配の紛爭後、父親から相當の財産を分與されてゐた事が判明した。 今一つリヂーに取って不利な點は、彼女が、殺人の行はれた數日後、繪具で汚損(よご)れて了ったからといって自分の着物を一枚燒棄てたといふ事であった。然しこれは近所の人々の目前で公然と燒却したもので、それに汚れた襤褸類は一切燒捨てるのがボウデン家の習慣であったといふ理由で、彼女の犯罪を裏書きする資料にはならなかった。
 ボウデン氏が女中に開けて貰って入った玄關口は老人が入ると又錠を下したもので、惨殺當日、並にその前夜も錠が下りてゐた筈であるから、ボウデン夫人の下手人は當然臺所の戸口から入って、召使の掃除してゐた室を通抜けて行くより他に、その室に入る事は絶對に有り得なかった。
 兇器は鋭利な手斧やうなもので二老人の屍體には廿九ヶ所の傷があった。その各々の室は、鮮血が飛散して凄惨を極めてゐた。
 リヂー・ボウデンは、兇行に使用せられたと覺しい刄物がその屋内に見當らなかった事と、彼女の衣類には、どれにも血痕らしいものが附着してゐないとの理由で、終に釋放された。
 警察醫の檢案では、ボウデン夫人は、リヂーが火熨をかけながら女中と談話してゐた時より以前に殺害せられ、それに次いで、ボウデン氏が殺されたものであるといふ事である。そして若しリヂーを殺人犯の下手人であると假定すれば、犯罪を遂行し終はる迄に彼女は、勘(すくな)くも二度は着物を取換へ、而も最後の場合には、殺害後數分以内に着換へて了はねばならない譯であった。その上、この短時間中に兇器の仕末もして了ふ必要があった。
 ボウデン家の程近くに住む一農夫の陳述では、彼が、この犯罪の行はれた刻限に、所有の森の中にゐると、ボウデンの奧様が殺された! といふ凄い叫聲が續け様に三回繰返されのを聞き、間もなく血糊だらけのシャツを着た男が立現れて、いきなり手斧を振上げた。それで農夫も自衛の爲に鉈を振上げて身構へたところが、男は檣(かき)を乗越えて鬱蒼たる森の奥に姿を消して了ったといふのであった。これでリヂーは無罪といふ事になった。

注)明かな誤字誤植などは修正しています。また、読点を句点に改めたところがあります。


アメリカ全土を震撼させた
世にも恐ろしい犯罪事實譚
「少女誘拐惨殺事件」
「講談倶楽部」 1930.03. (昭和5年3月号) より

哀れ! 歸らぬ娘
 米國羅府(ロサンゼルス)ウヰルトン街に住んでゐる銀行家パーカー氏の娘マリオンは、其朝學校へいったきり、夕方になっても歸ってこなかった。同じ學校に通ってゐる姉娘はとっくに歸ってきて、ピアノの復習などをしてゐたが、妹の事が氣になると見えて、幾度も表へ出たり、女中に訊ねたりした。そこへ買物にいった母親と、市の銀行に勤めてゐる父親が前後して歸ってきた。
「ねえ、母さん、マリオンは私より一時間も早く退けた筈なのに、まだ學校から歸ってこないのよ」
「まァ、どうしたんでせうね、こんなに遅くなるまで何をしてゐるんでせう……事によったら學校で降誕祭(クリスマス)の餘興の豫習でもしてゐるんぢゃァないの?」
「いゝえ、練習は廿日からよ。ですから學校に殘ってゐる筈はありませんわ」
「眞實? ではお友達の許へでも寄ってゐるのかしら……あの娘は今まで一度だって、斷りなしに寄りみちをしてきた事はなかったわね」母親は氣遣はしげにいった。
 家人は急に心配しだして、女中を學校へ聞合せにやったり、心當りの親戚知人に人を走らせたりしたが、マリオンの行衛は一向分らない。それは千九百二十七年(昭和二年)も押詰った暮の十五日であった。 
 間もなく學校へ問合せにいった女中が顏色を變へて驅込んできた。
「大變でございます。マリオンお嬢様は誘拐されたに違ひございません。けふお晝頃に若い立派な紳士が學校へきて、校長さんに――自分は銀行からの使だが、お父様が自動車の衝突でお怪我をなすったから、迎ひにきた――といって、待ってゐた自動車にお嬢様を乗せていったのださうでございます」といふのであった。
「なに? 銀行の若だって? 私が怪我をしたって? 飛んでもない事をいふ奴だ。可哀さうにマリオンは誘拐されたにきまってゐる。銀行からきたなんていふところを見ると、誰か家庭の内情を知ったものゝ所業に違ひない」父親は呻くやうにいった。
 マリオンは十二であるが、柄も大きく、ませてゐて、容色も人目につく程であるから、或は親の知らぬ間に、男の友達でも出來て、誘はれるまゝに一緒に活動寫眞でも見にいったのではあるまいかと、兩親は不安な心の奥にも一縷の希望を抱いてマリオンの勉張部屋を一應檢(しら)べて見た。けれどもそこにはマリオンが自分の自由意志で家を出たやうな形跡は一つもなかった。 卓子の上はきちんと片付いて、降誕祭の贈物がいくつも子供らしい手で包んでいちいち表書(うわがき)がしてあったり、贈物の一部分らしい人形の拵へかけなどが机の抽出に藏(しま)ってあった。
「矢張りマリオンは誘拐されたんだ。直ぐ警察へいって來よう」パーカー氏は涙に暮れてゐる夫人を殘して直に警察へ訴出た。

頻々と舞込む脅迫状
 パーカー氏が警察から戻ってくると、マリオン及び狐のジョージといふ名で電報が届いた。それには、
 ――心配スルナ、委細手紙――とあった。發信局は羅府から十數哩距れたバサデナ町内であった。
 續いてまた、
 ――マリオン無事、この仕事を邪魔するは危險なり――といふ電報がきた。發信局はアランブラ町管内であった。
 不安な一夜が明けて、翌十六日の午前十時頃、「狐」からの第一信がパーカー家へ配達された。

 頭腦を働かせよ!
 汝、敗北者よ、次の如く行動せよ。米貨二拾弗紙幣七拾五枚、計千五百弗を即刻用意して常の如く銀行へ出勤すべし。警察及び探偵を煩はす勿れ。
 この事件は公表する事なく、絶對秘密を保つべき事、捜査は無用と知れ。
 右の條件の下に身代金を支拂はゞ、汝の愛兒マリオンは無事解放さるゝに到らん。然らずんば汝は永久にマリオンを見る能はざるべし。
 泣くも笑ふも三日間、七十二時間の猶豫あるのみ。余に對抗せんが爲に、人間の援助を求むるは愚なり、神の加護を仰ぐに如かず。
――狐――

 パーカー氏は手紙の内容を警察へ通知しておいて、命令通りの現金を懐中して銀行へ出勤した。そしていつもと同時刻に銀行を出て歸途に就いたが、遂に「狐」なる男は姿を見せなかった。
 マリオンの歸宅を終日待構へてゐた夫人はパーカーからその趣をきいて、
「駄目ですわ、男は屹度、貴郎の後に探偵が尾行してゐるのに氣が付いたのですわ……こんな事をして時間を費してゐる中に、マリオンの身にどんな事が起るかも知れませんから、どうぞ警察へは仰有らないで下さい」といった。そこへ又、第二信が届いた。
 ――余の名は「狐」なり。狡猾なる「狐」の本性を想ひ知れ! 罠を設くるは徒勞なり。汝の愛兒の生命は一筋の糸に懸ってゐる。余は鋭利なる剃刀を手にして將にその糸を切斷せんとしつゝある。
 汝は愛兒を欲するや、或は單なる千五百弗を吝(おし)むや、こは取引なり、兩者を得るは不可能なり。余の條件に遵(したが)ひ、所定の金を指定の場所へ持参せよ。
「狐」は單獨行動なり、汝もそれに遵ふべきものなり。
――運命より――

 それと共にマリオンのいぢらしい手紙が同封してあった。

 ――あゝ、愛するお父様、お母様、私は家へ歸りたいと思ひます。このまゝでゐれば、私はもうぢき死んで了ふかも知れません。あゝ、私は何故こんな目に會ったのでせう? お父様! どうぞこの人のいふ通りにして下さい。さうでないとこの人は屹度私を殺して了ふでせう。どうぞ助けて下さい。――
――マリオン――
 二伸、お父様どうぞ私を今晩の中に家へ歸らせて下さい。

 夫妻は泪ながらに娘の手紙を讀んで、警察へは一切知らせずに身代金を「狐」に渡す事にした。
 すると、其晩の八時に「狐」から電話がかゝってきた。
「金の用意はしてありますか? 警官は來てゐないでせうね。久時(しばらく)したら次の電話で場所を指定しますから、間違ひなくやって下さい」
 電話はそれだけで斷(き)れて了った。電話線を警戒してゐた警察ではそれが西三丁目の公衆電話からかゝったものである事を知って、直に逮捕に向ったが、素早い「狐」は既に姿を消して了ってゐた。
 第二の電話が八時三十分にかゝってきた。
「自動車で十番街の角にきてくれ。娘を生しておきたかったら警官などを伴はずに、ひとりで自動車の燈火を消して來い」
 パーカー氏は命令通り單獨で指定の場所へ自動車を走らせていったが、警官が密に尾行した爲に「狐」は上手を越して姿を見せなかった。
 翌十七日、土曜日の午後、最後の手紙がきた。この時もマリオンの手紙が同封されてあった。

 ――愛するお父様、お母様、お願ひですから今日はお巡りさんを連れないで來て下さい。私は昨夜も一晩中泣明しました。若し今日お目にかゝれなければマリオンはもう決してお父様にもお母様にも會へなくなります。
    皆さんによろしく。
――マリオンより――
「狐」からの手紙には、
 今日はいよいよ最後の日である。千九百二十七年十二月十七日土曜日。
 パーカー氏よ、余の條件を無視するとは狂氣の沙汰である。余は今日より更に用心深く狡猾に行動する事を確言する。
 今夜正八時に余より電話なき時は十二月十七日をもってマリオンの命日と定め、靜に空葬式を出すべし。彼女の生命は余の掌中にあり。
――彼女の運命を握る狐より――

四肢を切斷した死體
 パーカー氏は夫等の手紙をもって警察へ出頭し、娘の生命の爲に警官の尾行及び非常線の解除を嘆願した。警察は斯うした犯罪者に對して手を緩める事は肯じなかったが、萬一を慮って一應パーカー氏の懇請を容れる事にした。
 其晩、七時三十分に「狐」から電話で、市内南マンハッタン街四百三十五番通りへ、正八時に來て身代金を拂へば娘を引渡すといってきた。
 パーカー氏は命令通り、唯ひとり燈火を滅した自動車を操縦して指定の場所へいった。すると、横合から一臺の自動車が現はれて、パーカー氏の自動車とすれすれに並んで徐行しながら、突如(いきなり)運轉臺にゐた男がパーカー氏に拳銃を突付けて、
「金を持ってきたか?」といった。
 それは手巾(ハンカチ)で顏の下部を覆うた若い男であった。パーカー氏は無言で紙幣束を渡した。男は數へもせずにそれをポケットへ押込んで「娘は彼處にゐる」といって肩越しに路傍の芝生を顎で示して、そのまゝ全速力で疾走して了った。
 パーカー氏は急いで自動車を飛下りて、芝生に蹲ってゐる黒い塊の方へ馳寄った。見ればそれは無殘にも四肢を切斷された愛兒マリオンの死體であった。
 パーカー氏は救ひを呼びながら、その場に卒倒して了った。
 夫れから數分の中に全市の警察は目覺しい活動を開始した。探偵は四方八方に飛び、ラヂオは非常放送をした。
 それは實に加州犯罪史上特筆すべき殘虐極まる少女誘拐殺害事件であった。死體は四肢を切斷したのみでなく、腹部を刳って手拭を填め、眼瞼を木綿針で縫上げて眼を開かせ、顏に化粧を施してあった。最初醫師の鑑定に因ると、死因は毒藥らしく頸部に傷跡はあるが肺には異状がない故、絞殺ではなく、四肢を切斷したのは生きてゐる中か、死後か明かではなかった。尚凌辱された形跡も充分にあった。
 解剖の結果、毒殺されたのではなく、直接の死因は不眠と絶食と極度の恐怖の爲に心臟痲痺を起したものと鑑定された。

怪自動車に遺された指紋
 翌十八日の早暁、附近の公園の叢から新聞紙に包んだ生々しい手足が發見された。
 警察ではこれ等の犯跡によって「狐」なる男は單なる財物獲得の目的のみでなく、パーカー氏に對して怨恨を抱くもの、或は變態性慾者に違ひないと推定した。
 犯人が遺した唯一つの手掛りは、少女の腹部に填めてあった血塗れの手拭と、切斷した手足を包んだ新聞紙であった。手拭には洗濯屋の記號があったので、探偵の一隊は、手拭の出所を手繰って、ベルビユ館といふ共同長屋を突止めたが、これといふ収穫もなく手を空しくして引揚げた。そこに住む人々は實直らしい勤人や、無邪氣な學生や、穏かな老人達で、誰一人怪しむべきものは無かったのである。
 其日の午後、別働隊の一人は、何者かゞ路傍に乗り棄てた自動車を發見した。時節柄、その自動車を檢べると、車體と番號札とが符合してゐない事を見出した。尚窓縁に歴然と遺ってゐた指紋を採取して、警察の指紋臺帳と照し合せた。臺帳の指紋總數は約十四萬五千程であった。それを二大別し、更に八種に類別してある。それを一々照合(てらしあわ)してゆくのは容易ならぬ仕事であったが、探偵の熱心は遂に十八日の夜十二時に至って報いられた。即ち自動車に遺された指紋の主は、曾て詐僞取財で収監された前科者エドワード・ヒックマン(一九)である事が判明した。
 ヒックマンはオクラハマ州に生れ、カンサス市にて中學校を優等の成績をもって卒業し、後加州羅府に來て第一立國銀行に給仕として雇はれた。即ち曾てパー力ー氏の下に働いてゐた青年である。彼は聡明である爲に上役に認められ現金を持運ぶ役を與へられた。然るに彼は自動自轉車(オートバイ)欲しさに數回に亙って總計二百弗の小切手を詐取した事が發覺して、六月六日に拘引され、同二十二日に有罪の判決を下されたが、八月五日に至り刑の執行猶豫を申請し、パーカー氏に身許保證を懇請した。 然し氏はそれに應じなかった。ヒックマンは他の保證人によって執行猶豫となり、再び銀行に就職を申込んだが、人事部の會議で拒絶と決し、パー力ー氏がその旨を彼に書送った。斯うした事實はヒックマンがパーカー氏に對して、復讐を企てる充分な動機であると推定された。
 尚捜査の歩を進めてゆく中に、パーカー氏の許に送られた「狐」の脅迫状三通は紛れもなく前記ヒックマンの筆蹟である事が判明した。又、彼の寫眞をマリオンの通學してゐた學校の教師に示したところ、去る十五日正午、銀行からの使と稱してマリオンを迎へに來たのはその男に違ひないと斷言した。

三千の警官徹宵の大活動
 證據の一は前記指紋である。第二の證據はヒックマンの居住してゐたベルビユ館の彼の部屋から、四肢を包んであったと同一日附の新聞が四日分現はれた。即ち十一月二十八日のものは半分裂いて腕を包み、その半分は部屋に殘ってゐた。同二十七日のものゝ一部も屍體を入れた鞄の底に敷いてあった。十二月六日、及び十六日のものは一部分だけ手足を包むに用ゐ、他は悉く室内に發見された。
 第三の證據は彼の部屋の壁に遺された血痕を分析した結果、人血であると判明し、其他數ヶ所に血痕を拭ひ去った形跡のあった事である。
 これでいよいよマリオンを誘拐惨殺した犯人がヒックマンである事が確定的の事實となった。それは十二月二十日午前二時であった。
 羅府警察署長デビス氏及びクライン探偵長は三千の部下に、
「エドワード・ヒックマンを生きて逮捕出來ねば撃殺して死體として連れ來れ!」と嚴命した。
 同時に全市に非常線が張られ、五名一組の警官隊が數十組、ヒックマンの寫眞を携へて夜明け前に市内の各旅館、下宿等を戸別大捜査をしたが、長蛇は遂に逸出して了った。

二臺の飛行機で犯人追跡
 家から家、野から野へ、草を分けての大捜査も空しく、マリオン殺しの犯人ヒックマンは何處に姿を隠したものか、杳として行方を斷って了ったが、俄然、二十二日の未明に羅府より千七百餘哩を距れた沙都(シアトル)に「狐」が姿を現はしたといふ入電であった。その報告によると、二十一日夜八時五十分頃、沙都五番街の古着屋に金髪の美青年がきて、黒い帽子、厚い下着類及び手袋を購(もと)めた。 店主は青年が非常に疲勞した様子で、絶えずきょときょとしてゐるのに不審を抱き、仔細に視ると、兩三日來新聞紙上に掲載されてゐた少女殺しの犯人ヒックマンに酷似してゐるので、それとなく注意してゐた。青年は買物品を包むのを待つ間も遅緩(もどか)しげに、包を受取るや否や、二十弗の紙幣で釣錢を取り、脱兎の如く戸外へ飛出した。
 店主は受取った二十弗紙幣を檢べると、K六八〇一六九七〇といふ番號で、それはパーカー氏がマリオンの身代金としてヒックマンに渡した二十弗紙幣七十五枚のうちの一つであった。パーカー氏は豫め紙幣の番號を控へておいたのであった。店主は直にその旨を警察へ通知した。
 急報に接した沙都探偵長ケント氏は古着屋の主人を召喚して前後の事情を聴取し、紙幣の番號を檢べ、更に店主をしてヒックマンの寫眞を認定させたところが、數ある寫眞の中から同人のものを抜出して的確に認定した。
 警官は直に要所々々に非常線を張り、旅館、下宿、自動車倉庫、空家等隈なく大捜査に及び、船で脱出する惧れがあるので海岸線の警戒を嚴重にした。
 一方、羅府の探偵長クライン氏は長距離電話をもって、ケント氏と長い間談話をした。殊に最も有力な材料である二十弗紙幣に就いては、前後五回に亙って、その番號をを聞糺した上、
「お尋ね者はその男に違ひありません。如何に費用を要しても構ひませんから、全力をあげて逮捕に努めて下さい」といひ、尚ヒックマンが羅府に於て官憲の眼を晦ました方法等を告げ注意を與へた。ヒックマンは少女殺しの犯行前、數回に亙って羅府の藥種店を襲ひ現金の他、痲酔劑並に頭髪染料、婦人の入毛等を盗んでゐるので、金髪を黒く染め、含み綿をして緑の厚い眼鏡をかけ、附髭をしてゐるかも知れず、又思ひきって女装をしてゐるかも知れないといふ事も附加へた。
 クライン探偵長は沙都警察との打合せを濟すと、其夜の中に二臺の飛行機を準備して二十三日の黎明と共に、一路沙都に向った。

ペンデルトン郊外の大捕物
 沙都から羅府警察署へ入った第二の電報によって、央(オレゴン)州のサレム市から十五哩を隔った自動車々庫に於て、ガソリンを購入した男がヒックマンの人相と酷似してゐた事、及び同人は聖林(ハリウッド)に於て盗んだ黄色のハドソンを操縦してゐた事、それから問題の二十弗紙幣を行使した事等が通牒された。
 斯くして「狐」の行動が刻々ラヂオの放送と、新聞の號外等によって全米に報道された。市民はこの殘虐な冷血動物を逮捕するのは人類の使命であると叫んだ。
 そして各方面から提供ざれた懸賞金は總額六萬弗に達した。
 二十二日の夜、犯人は央州のペンデルトンに向ったといふ情報が全國に傳はった。ペンデルトン警察署は非常動員をして嚴しい警戒の網を張った。署長ガーデン氏は自ら自動自轉車(オートバイ)を驅って部下を督励して廻った。すると郊外のエコー町に差しかかった時、六十哩の速力で疾走してゆく黄色の自動車を見かけたので、ガーデン署長は交通巡査リウアレンと共にそれを追跡した。
 怪自動車の主は正しくお尋者の「狐」であった。
 二警官の命がけの追跡に、さしもの兇漢も遂に觀念したと見えて速力を緩めた。彼は拳銃(ピストル)を所持してゐたが、それを用ゆる暇も與へられなかった。豪膽なリウレアン巡査は署長の操縦する自動自轉車が「狐」の自動車と並行した時、飛鳥の如く相手の車に飛移った。
「これが萬事の終りか!」狐は吐出すやうにいった。
「いや、まだ終りぢゃァない、絞首臺が殘ってゐる!」リウアレン巡査は「狐」の手首にがちりと冷い手錠をはめた。
 殺人鬼ヒックマンが逮捕されたといふ情報が傳はると、激昂した市民は、
「犯人をわれわれの手に渡せ!」
「ヒックマンを私刑(リンチ)しろ!」と口々に叫びながら警察署へ殺到してきた。署長ガーデン氏は早速の機轉でヒックマンを街上から見える高い檻房に入れ、約一時間一般公衆に見物させた。警察署の前は大混雑を極めたが、人々は鐵窓裡にある犯人を見て滿足し、一人去り、二人去りして一時間後には再び靜かになった。署長は斯うして世人の好奇心を滿足させておけば暴動の危險はないと主張したのであった。
 ヒックマンは縛に就いて以來、傲慢不遜な態度をとってゐたが、流石にこの時は参ったと見えて、
「まるで見世物の動物みたやうだ……」と顏を顰めた。
 檻房に於ける彼は酒蛙(しゃあ)々々として、警官や新聞記者に向って、
「こんなに世間を騒がせた事件は近來稀れだらう」とか、
「パーカー氏に送った脅迫状は文學的價値があるだらう」などと犯罪者にあり勝な虚榮心を遺憾なく發揮してゐた。そして寫眞班が活動寫眞を撮映(うつ)しにくると、注文通りの型をして見せて手巾を眼にあて、悲嘆に暮れてゐる場面などをフヰルムに収めさせ、
「裁判の時にこれを映してくれると陪審官が同情して罪を輕くしてくれるかも知れないぞ」などと虫のいゝ冗談口を叩いた。
 急報によって羅府警察署長デビス氏、クライン探偵長、及びカイス檢事正の三氏が、犯人の身柄を引取る爲にペンデルトンへ向った。

名探偵クライン氏の訊問
 十九歳の青年としては聡明過ぎる程であり、且つ犯罪に對する知識が豐富であるところから、果して眞實の自白をなすや否やに就いて危惧されてゐたヒックマンは羅府に護送される汽車中に於て、案ずる迄もなく犯行を逐一自白し、十九頁からなる告白書を書き、それに署名した。斯く犯人をして自ら執筆自白書を作製せしめたのは鬼探偵の名あるクライン氏の手腕によるものであった。
 最初護送車がペンデルトンを發車した一時間後に、クライン探偵長、カイス檢事正、デビス署長の三氏は、犯行取調の方法に就いて協議を重ねた結果、クライン氏が單獨に訊問する事に決した。
 クライン探偵は一應ヒックマンに自由告白をさせ、虚僞と思はるゝ點を手帳に控へておいて告白が濟んだ後、その點をびしびし指摘して詰問した。クライン氏のこの訊問は犯人の聡明を利用し、その聡明さが犯人自身に欺瞞を許さないやうな心理的な審問であった。その審問は二十五日正午から開始され、午後五時に及んだ。流石奸智に長けたヒックマンも包みきれず遂に眞相を告白するの止むなきに至った。彼は翌二十六日の朝から數時間を費して十九頁に亙る告白書と、六頁の兇行の原因及び感想を認めた。それは文章といひ、筆蹟といひ立派なものであった。

稀代の殺人鬼ヒックマンの告白
 人々よ、これは余の僞らぎる告白である。千九百二十七年十一月二十三日、余はカンサス市に於て自動車を竊取し、羅府へ入込んだ。
 余は加州大學へ入學する學費を得る爲に、手取り早い少女誘拐を企劃した。
 十二月十二日、余は一少女に白羽の矢を立てたが、彼女が餘り幼少である爲め、取扱の面倒を慮って中止した。
 次に余は曾て勤めてゐた銀行の上役、パーカー氏に娘がある事を思ひついた。
 十二月十四日、余はウヰルトン街のパーカー氏邸宅附近に自動車を驅り、少女マリオンが自轉車で登校する姿を見届けた。
 翌十五日午前、余は再びウヰルトン街へ赴き、パーカー氏が自動車にて銀行へ出勤するのを見送り、自動車の番號を記憶しておいた。
 次に余は午前八時、マリオンが學校へゆくのを尾行した。一旦町へ戻って十二時三十分余は學校へゆき、銀行員クーパーと名乗り、パーカー氏が自動車事故の爲に負傷したと詐ってマリオンを學校から連出す事に成功したのである。
 余はマリオンを自動車に乗せ郊外へ走った。そしてパーカー氏から千五百弗の身代金を受取るまでは彼女の歸宅を許さぬ旨を申渡した。
 マリオンは泣きもしなければ抵抗もしなかった。余は彼女に拳銃を示し、余の命令に絶對に服從せざれば一撃の下に射殺すべしと脅した。
 吾々は中央郵便局に寄り、パーカー氏に第一信を認めて投凾した。
 夫より三十哩を疾走して、パサデナ町へゆき、そこの郵便局よりパーカー氏に電報を打った。
 吾々は更にアランブラ町へゆき、そこから第二の電報を發信して後「數字は僞らず」といふ活動寫眞を見た。
 同夜十時、吾々は羅府に歸り、余の宿ベルビユ館の近くに自動車を停め、約三十分間木蔭に人目を避けて通行人の杜絶えるのを待った。
 余はマリオンに余の部屋が三階である事を告げて共に階段を上っていった。誰も吾々が宿に入るのを見たものはなかった。
 余はマリオンに、
「寝臺に寝るか、長椅子に寝るか」と訊ねた。彼女は長椅子を選んで、靴を脱いだゝけで横になった。余はその上から厚い毛布を掛けてやった。そして彼女が眠って了ふまで監視してゐた。
 翌十六日、朝七時にマリオンは目を覺した。余は朝食を調理したが彼女は一口も食べなかった。彼女はしくしくと泣いてゐたけれども、父親へ手紙を書けといふと、元氣づいて涙を拭った。
 パーカー氏に送るべき第二信が出來上って後、余はマリオンに猿轡を嵌め、手足を椅子に縛りつけて手紙を投凾する爲に外出した。
 新聞を買って見ると、事件が大々的に掲載されてゐたから宿へ持ち歸って、マリオンに見せてやった。
 彼女は自分の寫眞が掲げられてゐるのを見て悦んだ。それは金曜日の晝であった。
 吾々は其日の午後も自動車で海岸へ遊びにいった。
 マリオンは愉快らしい様子であった。そして自動車で遠乗りをするのは大好きであるといった。
 歸途、夕刊新聞を買って自動車の中で讀んだ。停車場でパーカー氏に電話をかけたが話中であった。次に街角の藥種店から電話をかけて、氏が金の用意をしてゐる事を確めた。
 ウヰルトン街の藥種店から再びパーカー氏に電話をかけて會見する場所を指定した。
 その夜、マリオンと余はパーカー氏が自動車を走らせてゆくのを見た。然しその後から探偵の乗った二臺の自動車が尾行してゐるのに氣着いたから、余は其儘引返して了った。
 金曜日の夜、マリオンは再び長椅子に寝た。
 十七日土曜日、午前七時マリオンが目を覺したから、父親宛に手紙を書かせた。余も一通を認めて同封し、それを投凾する爲に下町へ出ていった。
 マリオンを椅子に縛りつけたのは昨日の通りである。そして手巾で彼女に目隠しをした時に、むらむらと余の心中に殺意が生じた。
 第三回目の脅迫状を投凾、歸宅の途中、メイン街にて大型のナイフを購(もと)めた。
 最初余は臺所から麪棒を持ってきたが、撲殺するのは止めて、布巾を彼女の頸に卷いた。
 彼女は聲も立てずに數秒で絶命した。余は死骸を牀に横たへ衣服を脱して裸體となし、浴槽に運んだ。
 それより頭髪を撫でつけ、顏に脂粉を施し、衣服を着せて鞄に填めた。
 夫から室内と浴槽を掃除し、全部の仕事を終へたのは正午頃であった。
 午後最後の手紙を投凾し、下町の活動寫眞を見にいったが愉快でなかった。異様に落着ない氣持だった。
 黄昏五時三十分歸宅、裏口より四肢を包んだ新聞紙包及び鞄を運び出して自動車でエリシアン公園に至り、新聞紙包を遺棄し、夫より公衆電話を利用してパーカー氏に時間と場所を指定した。
 約束の時間に、五番街と六番街の間にて死體を出して芝生の上に置いた。
 余は手巾には顏の下半を覆面しパーカー氏の自動車に近づき拳銃を突付けて紙幣束を受取り、
「マリオンは彼處に眠ってゐる」と告げて其場を逃走した。
 余は直にグランド街に至り、自動車を路傍に乗り棄て、南大通りの喫茶店に入り夜食を認め、最初の二十弗を使用し、釣錢を受取って活動寫眞を見に入ったが、餘り樂しめず歸宅。
 翌朝、死骸に填めておいた手拭を手掛に數人の探偵が出張取調に來たが、巧に彼等の目を晦ました。けれども身危しと思ったので、午後電車にて聖林にゆき、白晝人足の絶えた西通りにて自動車にて通行中のペック氏を襲ひ、拳銃を突付けて現金十五弗、及び黄色のハドソンを強奪した。
 夫より沿岸路をとって桑港(サンフランシスコ)に出で一夜を過し、北行千五百哩沙都に至り、更にペンデルトンに至って遂に天命盡きて逮捕されたのである。
 余はパーカー氏に對して寸毫も怨恨を抱くものに非ず、余の犯罪動機は單なる財物獲得の目的に過ぎざりしが、適々一時の出來心にて氏の愛嬢を犠牲に供したるは、其罪萬死に値するを知り、茲に衷心より陳謝の意を表するものである。
 ――死の列車中に於て――
     エドワード・ヒックマン認之(これをしたたむ)

全米大沸騰!!
 ヒックマンは八月中銀行を解雇されて以後、十二件の強盗罪を重ねてゐる。
 最初は十一月二十三日カンサス市に於て通行人から自動車を強奪し、つゞいて第二回は市内の藥種店に押入り、以後殆んど連續的に三軒の藥種店を襲った。その他市俄古市、デトロイト市等に於て、孰れも藥種店のみを襲ひ、數百弗の現金及び商品を強奪した。そしてマリオン誘拐惨殺事件は實に彼の十三番目の犯罪であった。
 殺人鬼を乗せた護送車が羅府に着いた時、殺氣立った群衆は驛の内外を埋め、警官から犯人を奪って私刑せよと叫ぶ者が随所に起った。流石の殺人鬼も恐しい群衆の復讐の聲を聞いて顏色を變へた。警察では犯人を安全に護送する爲に騎馬巡査の一隊を繰出して嚴重な警戒をした。夫にも拘らず群衆のある者は第一線を突破して犯人を足蹴にし、或者は彼の帽子を叩き落した。
 彼は誘拐殺人罪として起訴され、普通罪人と同様に住所氏名職業年齢等を問はれ、指紋及び寫眞を寫されて後、市監獄第一號獨房に収監された。彼が薄暗い廊下を通過すると激昂しきってゐる囚人等は激しい怒罵を浴せ、密に隠し持った棍棒などをもって襲撃しようとした。看守は斯うした囚人等の襲撃に備へると共に彼の自殺を防ぐ爲め晝夜を通じて監視を怠らなかった。彼はペンデルトンに於て既に二回自殺を企てゝゐる。一回は窓から眞逆様に飛下りようとし、一回は手巾で縊死しようとした。
 けれどもクライン探偵から、「若しお前が再び自殺を企てたなら、刑罰として毎日笞刑を加へるから、その覺悟でゐろ」と云渡され、彼は、
「以後は決して、そんな卑怯な振舞をせず、潔く法の裁斷(さばき)を受けます」と誓った。
 彼は獨房に入って打沈んでゐたが、夕刻に至って卒倒した。彼は數日に亙る恐怖心勞の結果、腦貧血を起したのであった。
 其夜十時から翌朝七時まで彼は熟睡した。
 世人のヒックマンに對する憎惡は絶頂に達してゐた。ローンバイン市の一會社に働いてゐたデックスター(五五)は親友リークス(三五)とヒックマンの刑罰に就いて論爭し、デックスターは彼を死刑にすべしと主張し、リークスは彼がマリオンを切り刻んだ如く、彼をも切り苛むべきであると主張し、兩者相譲らず遂に戸外に出で拳銃にて決闘をなし、デックスターは即死、リークスも重傷を負うた。
 又、ルヰジアナ州のデイカードと稱ぶ男は警察へ長文の電報を寄せ、自分にヒックマンを殺させて呉れゝば市の指定する慈善團體に一千弗寄附すると申込んできた。同人は州法により絞殺の場合は綱を引き、電氣椅子の場合はスヰッチをひね(※手偏に丑)らせて死刑の直接原因を作らせて貰ひたい、旅費自辧で出向くといふのである。これ等はヒックマンに對する與論の表はれの一つである。
 因に六萬弗の懸賞金はペンデルトン署長ガーデン氏及びリウアレン巡査に贈られる事になった。尤も沙都の古着屋の主人はヒックマン逮捕の端緒を警察に與へたといふ故をもって賞金の分配方を電報をもって申出たので、その方にも千弗程附與された。
 羅府市民は犯人逮捕の功勞者がペンデルトンから遙々到着したのを恰も凱旋將軍を迎へる如くに歡迎した。田舎出の朴訥な二警官にとって餘りに華々しい宴會、歡迎式等は有難迷惑だったと見えて、賞金を貰ふと二人ともこそこそとペンデルトンの靜かな町へ逃歸って了った。

母なればこそ
 斯くの如く世を擧げてヒックマンの死を求めてゐる時、唯一人彼を愛し、彼の爲に生命乞をしてゐた女性があった。それはカンサス市に住んでゐる彼の生みの母であった。彼女は辯護士を依頼して愛子の爲に辯護させ、更に加州知事に涙の籠った嘆願書を提出した。
 母親の嘆願書は左の通りである。
 ――若し貴殿様が胸も張り裂けん計りの母親の心をお察し下さらば何卒エドワードの生命をお助け下さいませ。あの子は正氣ではなかったのでございます。可哀想なエドワードを想ひ、私の胸は涙で一杯でございます。何卒あなた様のお慈悲で、あの子を生涯監獄に生しておいて下さいませ。
 あなた様がそのお慈悲を垂れ給ふたならわが靈魂(たましい)を知(しろ)し召し給ふ紳は、必ずあなた様にお報いなさるでございませう。哀れなる母の心をお察し下さいませ。
 私は心を碎いてエドワードの爲に祈ってをります。
 何卒、あの子の生命をお奪ひにならないで下さい。
ヒックマン夫人
   加州知事ヤング殿

 だが斯うした尊い母の涙も彼の罪を償ふに足りなかった。目にて目を償ひ、齒にて齒を償へといふ往古(いにしえ)からの嚴しい掟は遂に少女虐殺犯人エドワード・ヒックマンを死刑臺に送らねばならなかった。半歳餘に亙る裁判の結果、彼は最後の宣告を下された。
 彼は死刑三日前、即ち十月十五日左の懺悔書を公にした。
 ――自分は自分の犯した罪をよく識ってゐる。自分は既に己の罪を告白した。そして今や自分の正當と思惟せるところを爲さんとしてゐる。自分は神と人に對して罪を犯した事を悲しみ、潔くその罰を受けんとしてゐる。最早自分は何人からも特別な同情を仰がうとは願はない。大審院が自分に死に對する充分な覺悟をするだけの時間を與へられた事を感謝する。
 神の名により加州の人々に懇願する。このサンクヰンテン監獄にある我等囚人の爲に祈って下さい。
 凡の榮光は天に在(ましま)す我等の父に、地にあっては諸(すべて)の善事が人々の上にあるやうに祈ります。
エドワード・ヒックマン識す

因果應報!!
 千九百二十八年十月十九日、晴、北の微風。
 マリオン殺しの青年、エドワード・ヒックマンは午前十時十三分、身をもって己が犯せる罪状の償ひをした。
 死刑執行の順序が開始されたのは朝の七時であった。先づ典獄ホロハン氏はヒックマンの死の部屋の前に立った。
 扉の鍵が開かれた。フレミング教父が最後の祈祷をした。ヒックマンがその扉を出て絞首臺に就くに先立って、待構へてゐた新聞記者三十名、其他二百二十名の立會人が陰惨な中庭を横切って死刑執行室に入った。
 一同の着席後、典獄、教父、續いて二人の看守に支へられたヒックマンは顏色蒼然として現世(このよ)の者とは思はれぬ面持ちで、十三段の階段を上っていった。彼は眼を閉ぢ、死後の冥福を祈るが如くに何事か口中に呟きながら絞首臺上に立った。
 彼の首は死の繩にかけられ、黒頭巾に顏を覆はれ、典獄が片手を擧げるのを合圖に彼の肉體がぐたりと落ちたのは正に十時十三分であった。
 二人の醫師が胸を開いて心臓と手の脈を檢べた。六分後に彼は落命した。
 薄暗い一室にこの恐ろしい光景を目撃した新聞記者の一人と立會人の一人は卒倒した。
 斯くして世を騒がせた金髪の美青年は二十歳を最後に生涯の幕を閉ぢた。 (完)

注)明かな誤字誤植は修正しています。
注)段落の最初の一文字空けは追加した所があります。


「五磅紙幣 英國犯罪事實譚」
「犯罪科学」 1931.03. (昭和6年3月号) より

一、紙の謎
 英蘭銀行發行の五磅紙幣は一見非常に簡単なものである。只純白の紙片に黒インキで一色刷の文字が表(で)てゐるだけでむづかしい圖案は一つもついてゐない。それ故これを僞造するのは容易な事のやうに思はれるが實はどこの國の紙幣よりも一番僞造爲し難いものである。何がそんなに困難だといふと問題は紙幣に用ゐられてゐる紙である。この紙の製法は秘中の秘であって、他に類のない漉方をした上、特別の透(すかし)入になってゐるので絶對に僞造する事は出來ない。 それにも拘らずこれ迄にこの五磅紙幣の僞造を企てたものが澤山ある。その中で最も成功に近づいたのはジエムス・グリフヰスといふ男である。彼は五磅紙幣の僞造を志し、先づ彫刻と化學の研究にかゝった。元來器用な男だったので紙幣に印刷してある文字を完全に寫して了った。だが紙の製法を發見するのは至難であった。
 彼は眞ものの五磅紙幣を煮て溶解し、それを分析した。最初の中は紙幣に印刷してあるインキが邪魔をして、試驗が旨くゆかないので、彼は先づインキを紙面から消し去る方法を案出しなければならなかった。數ヶ月の苦心の末、彼は紙質を變じないで、インキを除去する藥品を發見した。それを完成するだけにも彼は五磅紙幣を二十枚も試驗材料に供して了った。邦貨で約千圓を投じた譯である。
 彼は夫から更に數十枚の紙幣を犠牲にして眞ものに稍近い紙を製造する事が出來た。彼はその紙に自分で彫った文字を印刷し、素人眼には立派な五磅紙幣を作りあげた。然し自分の技術に多少不滿を抱いてゐた彼は、その僞造紙幣を行使する前に、便利屋の事務所へゆき、
「この紙幣を銀行で金貨に兩替させて下さい。僕はこれから南阿弗利加へ出掛けるので、いろいろ買物や何かの用事で忙しいから、三十分計りして受取りにきますから、よろしく願ひますよ。」といって五磅紙幣二十五枚を殘して店を出て了った。支配人は紙幣を數へ、
「こんな大金を置いて預り證も取らないで、いって了ふなんて、随分暢氣な人だな。」と思った。彼は店でも一番信用のおける小僧にその紙幣を持たせて最寄りの銀行へやった。現金係りはその紙幣を打返して見てゐたが、使の小僧を應接間へ待たせておいて更(あらた)めて上役の鑑定を仰いだ。いふ迄もなく、それが僞造紙幣である事が直に發覺した。
 銀行ではこの趣を警視廰へ運じたので、探偵は故意と小僧に金貨を持たせて歸し、便利屋の店に張込んでゐた。グリフヰスは僞造が不成功であった事に感付いて、二度と便利屋へは戻らなかった。
 彼は紙の秘密を掴む事は不可能であると知った。彼にとって殘されてゐる唯一の途は紙を盗み出す事であった。この特殊の紙を漉く工場はウヰンチェスターの近くのホワイトチャーチ村にあった。

二、蝙蝠傘の秘密
 或日、ホワイトチャーチ村の旅館に、畫家と稱する老人が若い娘を連れてやってきた。彼は美しい銀髪を肩の邊まで延して、藝術家らしい風采をしてゐた。娘は二十二三の美人で、忽ち村の若者達の噂の中心となった。彼女は快活で、氣輕で誰とでも心易くした。
 この親子が村へ來て一ヶ月計りする中にハロルドといふ青年と戀仲になった。彼女は二十三才になると伯父の遺産を受ける事になるから、さうしたら彼と結婚すると約した。彼女は男の愛を試す爲に、
「貴郎がそんなに私を愛してゐるといふならその證(しるし)に工場の紙を結婚の贈物に頂戴、貴郎として一番むづかしい事は紙を持出す事でせう? 私は紙が欲しいのではないのですけれども、貴郎が私の篤にどんな危険をも犯して下さるといふ眞心を見せて頂きたいのです。」といった。
 事實、彼が勤めてゐる工場の紙を盗み出す事は非常な冒險で、一つ間違へれば懲役にゆかなければならない。然し彼は愛の爲に危險を冒す決心をした。翌日は今にも降出しさうな曇った空模様であった。ハロルドは大きな蝙蝠傘を持って工場へゆき、紙を一卷その中へ忍ばせて、夕方小雨の降る中を家路に就いた。その時門番のブルアーといふ男と道づれになった。ブルアーは非常に嚴格な男で、工場の規則を犯す者を容赦なく監督に引渡して了ふので上役からは信用され、職工達からは恐れられてゐた。ブルアーはハロルドの抱へてゐる傘を見て、
「こんなに降るのに、何故さゝないのだね。」
といった。ハロルドは悸として、
「どうしたか、具合が惡くなって開かないんですよ。」
「どれ私が開けてあげよう。」ブルアーは人通りのない村端れへきた時不意にハロルドの傘をとって擴げた。傘の中の紙が足下へ落ちた。ハロルドは眞青になって、凡てを告白した。ブルアーは案外穏やかに、
「飛でもない事をした、だがお前がこの紙を何に使はうといふ野心があった譯ぢゃァないのだから、私がこの紙をそっと工場へ返しておいてやる。決してこんな事は口外してはならない。私も前途のあるお前の爲に、この事は忘れてやらう。お前はその娘さんの許へいって、そんな恐ろしい事には應じられないといって斷ってくるがいゝ。」と論すやうにいった。
 ハロルドはブルアーに傘を開けられた瞬間に味った恐ろしい氣持の爲に、すっかり戀が醒めて了った。

三、門番の正體
 畫家親子は、いつとはなしに村から消えて了った。續いて紙漉工場の職工達の恐怖の的になってゐた門番ブルアーも職を辭して村を去って了った。其頃から英蘭銀行は五磅紙幣の謎に惱まされ始めた。紙幣そのものには聊の不審も見出されなかったが、銀行に集る五磅紙幣の數が發行部數を超過してゐる事を發見したのである。
 警視廰では取敢へずホワイトチャーチ村の製紙工場へ探偵を派して調査させた。その結果一億萬圓に該當する紙幣を發行するだけの紙が、いつの間にか盗まれてゐた事が判明した。無論探偵の耳にはその村に滞在してゐた不思議な畫家親子の噂も入った。探偵は彼等が有名な贋金使のエドワード及びその情婦エンマである事を探知した。エドワードは巧に変装して老畫家になり濟してゐたのである。 門番のブルアーも怪しい人物の一人であると認められた。英蘭銀行では犯人の逮捕に千五百磅の懸賞を附した。然し警視廰ではこの事件に關する一切の新聞記事を差止め、極秘裡に探偵を活動させた。
 この任に當った探偵は一年間倫敦の暗黒街に身を投じ凡ゆる犯罪者と近づきになり、暗黒街の動勢に通じて了った。軈て探偵はエドワードとエンマが南倫敦の一隅に巣喰ってゐる事を探り出した。次に十六才になる探偵の娘をエンマの近づきにさせた。意を含んだ娘はエンマと友達になって彼等の行動を一々警視廰へ通じた。エドワードとエンマの日常生活には怪しむべき點はなかったが、ウヰンチェスターに住んでゐる肉屋のバンチャーといふ者から月々多額の金を仕送られてゐる事を探り出した。その金は悉く五磅紙幣であった。
 探偵はウヰンチェスターへ赴き、バンチャーの不在を見計って、密に家宅捜査を行ったが、そこにあったのは夥しい五磅紙幣の束だけで、それを製造する機械のやうなものは發見されなかった。
 然し、バンチャーが折々夜遅く外出して曉近くになって歸ってくる事を知った探偵は、その後を蹤けて、そこから半時間ほど自働車へ乗ってゆく中に、男はとあるアパートメントの五階の一室へ入った。
 探偵は附近の警察から應援を仰いでその一室を襲ひ、バンチャーと稱する男が五磅紙幣僞造中のところを取押へた。
 その部屋には手の切れるやうな紙幣の他、精巧な印刷機、インキ、ホワイトチャーチ村の工場で出來た特別漉の紙とが發見された。
 バンチャーと稱する男は、工場の門番ブルアーであり、且つジエムス・グリフヰスであった。エンマ、エドワード、グリフヰスの三人は共謀してホワイトチャーチ村に入込み、ハロルドに盗ませた紙を門番ブルアーが横取りしたと同じ手段で、エンマの美貌に溺れた村の若者數人から紙を手に入れたのであった。

注)実際の事件の詳細は不明。


「青鬚と九人の妻」
「文藝倶楽部増刊」 1931.04. (昭和6年4月増刊号) より

求婚廣告
 世界戰争の最中、華かな巴里市の街頭に、暗い喪服姿が日毎に數を増し、黒い衣裳が婦人の流行界を風靡するに至った頃である。都下の大新聞に次のやうな廣告が出た。
求婚
 鰥夫、四十三歳、子供二人。容姿端麗有資産、愛情深ク謹嚴ニシテ上流社會ニ交際ヲ有ス。氣品高キ未亡人ト交際ノ上、再婚ヲ希望ス
姓名在社(二十四號)
 大戰で良人を喪失った美しい未亡人クーシエ夫人は、その朝の新聞を取上げて、先刻から幾度も見た廣告欄にもう一度目を注いだ。夫人の唇から深い溜息が洩れた。
 三十九歳といっても、小柄で、若作りな夫人はまだ未亡人として一生を日蔭に終るには惜しかった。それは周圍からも考へられ、又彼女自身も密に考へられた事である。
 巴里市聖デニ街にある夫人の住居は、良人が戰死してから急に日蔭の一隅のやうに淋しく取殘されて了った觀がある。窓に掛けたレースもいつ迄純白であり得よう! めっきり大人びた獨息子のアンドレも、近頃では滅多にピアノの前に坐って母を慰める食後の一曲さへ彈かなくなった。
「あの子も、もう十八だもの、ぢきに好きな女の友達が出來て、自分達の生活に入っていって了ふだらう。」
 夫人は暫時卓子に頬杖をついて行末の事などを考へてゐたが、軈て決心したやうにペンを執って右の求婚廣告に應へた。

三角鬚の男
 廣告主のダイヤといふ紳士が燃えるやうな眞紅(まっか)な薔薇の花束を抱えて、クーシエ夫人を訪ねてきたのは夫から二週間目であった。無論その間には數通の戀文が相互に取交はされてゐた。
 ダイヤは連れてきた人形のやうな二人の女の子を客間の長椅子に竝べておいて、初對面の夫人の手を取って慇懃に接吻をした。
「お美しいマダム、私はこんな花などを持って参った事を後悔致してをります。この花はお美しいマダムの前に色を喪って了ひました。」
 男の言葉は何と滑らかである事よ! 三角形に刈込んだ房々とした濃い顎鬚は彼の象牙のやうな白い皮膚を一層美しく見せてゐる。落窪んだ眼は深淵のやうな影を湛へて、不思議な輝きをもってるた。前額は禿げ上って、頭髪は殆んどなくなってゐるが、その缺點は却って彼の容貌に蠱惑的な魅力を添へてるた。それに折々顎鬚をしごく彼の嫋(しな)やかな白い手、それは寔(まこと)に女を殺す手であった。
 クーシエ夫人は一目見て彼の虜となって了った。
「そんなお上手に仰有ると、私のやうな正直者は有頂天になって了ひますわ。これが貴郎のお嬢さんでいらっしゃいますか。まァ、何てお可愛らしいのでせう。手紙でも申上げたやうに、私にも十八になる男の子がございます。」夫人は媚を含んだ眼で男の顏を見上げた。
「あゝ、軍人志願の坊ちゃんでいらっしゃいますね。女の子は大きくなると、ぢきにお嫁にやって了はねばなりませんから張合がありませんが、男の子を持ってゐるのはどんなに樂みかしれません。アンドレ君と私とは、屹度仲善しになれるでせう。」
 男は夫人が長椅子に行儀よく腰かけてゐる子供達に眼を注いでゐる間に、部屋の中を見廻して、目星い家具の値ぶみをしてゐた。
 夫から一時間後に、三角鬚の男は二人の女の子の手を牽いて巴里の裏町を歩いてゐた。道ゆく人々はこの一行を見て、子煩惱な父親と、その愛兒であると思った。だが、とある見窄らしい家の竝んだ狹い小路のところまでくると、男は子供達の掌に二三枚の銅貨を握らせて、
「あゝ、御苦勞々々々、もうこれで御用が濟んだから、家へ歸ってもいゝよ。これは御褒美だよ。又、用があったら頼むからね。」といった。子供達は、
「小父さん有難う。又、温順しくしてゐるからいゝお家へ連れていってね。」と云ひ殘してばたばたと露路の中へ走り去った。
 借りた子供を自分の娘に仕立てゝ、クーシエ夫人を訪問したこの不思議な紳士こそ、後に全世界を震駭させた結婚魔青鬚ランドルーの本體である。彼は斯うして善良な父親の假面の下に、巧に金持の未亡人に取入って了った。
 三角鬚に蓄へた男は、裏通りを過ぎて場末のがらんとした建物の中へ入っていった。そこには古自動車が數臺置いてあって、表看板には古物商と記してあった。車庫の眞上の二階は彼の住居になってゐた。
 男は階段を上って、大箪笥や、トランクなどが置いてある裏部屋を抜けて、表通りに面した居間へ入っていった。彼は黄色く塵埃(ほこり)の溜ったガラス窓の前の椅子に腰を下して、細長い指先で顎鬚をしごきながら、にやりと不氣味な薄笑ひをした。そしてポケットから小型の黒手帳を出して、
 ――クーシエ夫人、丸ぽちゃの美人、頭髪黒――と書いた。

死の床
 クーシエ夫人はダイヤと名乗る青鬚ランドルーにすっかり魅了されて了った。彼は親切で身嗜みがよく、思ひやりがあって、事毎に女を喜ばせる術を知ってゐた。彼はその上、美しい戀文を書くのが得意だった。彼はよく、
 ――美しき君よ、御身なくしてわれ如何に生くべきや!
 われは再び御身の傍に坐して、その嫋やかなる手にこの熱き唇を觸るゝ時の來らん事を切に祈る。あゝ時よ、過ぎよ! 又會ふ日よ、とく來れかし!
戀焦るゝダイヤより!
 といふやうな手紙を書いた。それ計りでなく彼は夫人の愛兒に限りない愛情を示して、彼女の歡心を購った。
 二人は間もなく婚約を結んだ。
 巴里には麗かな日が續いた。二人はリラの咲き匂ふ公園の樹蔭を睦まじく腕を組合って歩いてゐた。目にあまる青葉の反射のせゐか、男の顏は蒼白く、物思はしげに見えた。クーシエ夫人は、
「どうかなさいましたの? 今日は大層沈んでいらっしゃるやうですのね。」と訊ねた。
「えゝ、私は非常に悲しんでゐるのでございます。貴女がこんなにもお美しくなかったなら、私はこんなに苦しまなくって濟んだでせう。私は貴女にお目に懸った事を、却ってうらめしく思ひます。」男は悲しげに溜息を吐いた。
 男の斯うした言葉が聞き流されて了ふ筈はない。夫人は男の意のまゝに操られていった。
「何故私に打明けて下さいませんの? 斯うして二人が婚約した上は、貴郎の悲しみは、私の悲しみですわ。」と夫人はいった。男は如何にも云ひにくさうに、
「實は、私には二度目に迎へた妻があったのですが、餘り性質(たち)の宜しくない女で、ずっと前に別れて了ったのです。ところが、女は勝手に好きな男と同棲してゐながら、私が再婚出來ないやうに、どうしても離婚を肯じないのです。そんな譯で私は貴女と正式に結婚する事が出來ないのでございます。死ぬ程戀してゐる貴女と結婚が出來ないなんて、何といふ酷い運命でせう。」
 と歎くのを見て、夫人は、
「どうしてそんな情ない事を仰有るのです。私共の間はそんな形式に左右されるやうな仲ではございませんわ。若し法律上の結婚が出來ないといふなら、私共は法律を超越して了はうではございませんか。私共は世間から認められなくたって立派に結婚生活をする事が出來ますわ。貴郎がお友達の手前を憚ると仰有るなら、私共は田舎へ引込んで靜かに暮さうではございませんか。」と男が待ち設けてゐたやうな結果を女の方から持出したのである。
 二人は巴里郊外の睡ったやうな、靜かなギャンベイ町に愛の巣を營んだ。
 夫人は巴里の家を疊み、セーヌ河に臨んだ瀟洒な別莊に一切の家具を移し、新らしい絨氈や、窓掛のレースを買込んで、甲斐甲斐しく新婚の新居を飾った。
 男は商賣が忙しいといって、毎日巴里へ出掛けていったが、家にゐる時は相變らず夫人に優しく親切であった。
 けれども幸福に醉ってゐた夫人は、一週間目に息子のアンドレから面白からぬ事を聞かされた。夫人はその晩、食事の後で、
「貴郎は昨日誰と一緒に歩いていらっしゃいましたの? 貴郎がお若い女の方と連れ立ってモンマートルのカフェへ入っていらっしゃるのを、アンドレが見たと申しました。」
 と怨み言をいふと、男は、
「あゝ、貴女は何といふ可愛い方でせう。やきもちを燒いて下さるのですね、嫉妬は戀愛の藥味でございますよ。尤もあれは私の友人の細君でして、何でもない人なのですよ。貴女が氣を揉むやうな相手ではありません。」
 と油のやうな言葉で夫人の波立った心を鎮めて了った。
 男の眼には怪しい炎が燃えてゐた‥‥序でにあの小伜も‥‥彼は其時既に恐ろしい計畫を抱いてゐた。
「さァもう、床へ入るとして、お話はそれからにしませう。」男は赤い唇をなめずりながらいった。
「こんなに早く?‥‥」夫人は鳥渡顏を赧らめた。
「アンドレは今晩終列車でなければ歸りませんよ。」と男がいった。夫人は頷いて立上った。
 家中の電燈が一つ一つ消されていった。最後に寝室の桃色の電燈が消された。
 暗い部屋の中で、微な唸き聲が起った‥‥續いて激しく壁を蹴る音がした。‥‥‥
 軈てばったりと物音が鎮まった。
 暫時して電燈が灯された時、青い縞模様の寝卷を着た男が、寝臺の上を見下してゐた。そこには白い胸を乳の下まで露けたクーシエ夫人が仰向に反返って喰ひしばった齒の間から血を流してゐた。そして寝臺の傍にだらりと垂れた手の中指に青白い寶石が蛇の眼のやうに輝いてゐた。
 男は身を屈めてその指輪を脱き取った。

毒杯
 終列車で巴里から歸ってきたアンドレが家へ着いたのは十二時過ぎであった。三角鬚の男はその時、寝卷を背廣に着換へて夕刊新聞を讀んでゐた。
「やァ、お歸り、さァこっちへ來て葡萄酒を一杯やらないかね。」と男は父親らしい優しい言葉でアンドレを迎へた。
「まだ起きていらしったのですか? お母さんは?」
「母さんはお前が歸るまで起きてゐると仰有ったが、夕方から少し頭痛がするといっておいでだったから、私が代りに起きてゐたのだよ。」
「それは濟みませんでした。ではお寝みなさい。」アンドレが卓子の上へ置いた帽子を取って部屋を出ようとした時、男は手近のコップに葡萄酒を注いで、
「さァ、これを飲んでお寝み、そしてぐっすり睡ると、一日の疲勞が永久に癒って了ふ。」
 といひながら、差出した。
 アンドレは永久に眠るとは露知らず、死の杯を呑み乾した。と同時に彼は棒杭のやうに、ばったりと牀に倒れた。
 遠くで教會堂の大時計が一時を報じた。
 男はシャツの袖を二の腕まで捲りあげて、アンドレの死骸の上に乗しかゝり、まるで鷄の羽根でも毟るやうに、彼の身につけてゐた品を一つ一つ剥ぎ取った。彼は先づ眞珠の襟飾(ネクタイ)ピンを抜いて自分の胸に挿した。續いてカフス釦、時計、金入れ、煙草入等が男のポケットに収められた。
 男は遂にアンドレを丸裸體にして地下室の臺所に引摺っていった。其處には丸々と肥ったクーシエ夫人の死骸が轉がしてあった。
 男は階段の上の重い樫戸に閂を下すと、料理臺の抽斗から研ぎ澄した大きな肉切庖丁を取出した。
 夜は深々と更けてゐる。隣り近所といっても十數間を距(へだ)てゝゐる。この地下の屠殺所は外界とは全く没交渉であった。僅に粗朶を折るやうな音が厚い壁を通して、屋外に洩れるだけであった。
× × × ×
 曉方近く、野菜車を牽いて村街道を町の市場へ急いでゐた二人連の農夫は、別莊の煙突から夥しい黒煙が濛々と立昇ってゐるのを見た。

さらば幽靈
 其翌日一臺の貨物自動車が別莊の前に停ってゐた、三角鬚の男は商人風の男と、暫時密談をしてゐたが、軈て家中の家具を持出して自動車へ積込んだ。トランク、椅子、卓子、ピアノ、箪笥、はいふ迄もなく、絨氈から窓掛まで外して了った。
 商人風の男は小切手を三角鬚の男に渡し、山のやうに家具を積んだ貨物自動車を飛ばして立ち去った。
 丁度、そこへ來合せた家主は、
「おや、もうお移轉(ひっこし)ですか? 二三ヶ月といふお約束でしたのに、まだ十日にもならないではありませんか。」と目を丸くしていった。
「急に伜が英國の軍隊へ入る事がきまったものですからね‥‥それで母親も見送り旁々、久時倫敦見物をしてくるといって昨晩出發(たち)ましたのですよ。」
「あゝ左様ですか、豫々(かねがね)、さういふ話は伺ってゐましたが、いよいよ軍人におなりですか、そりゃ結構だ。」
 大戰中の巴里人の生活はあわたゞしかった。それ故俄かに別莊を引揚げてゆくこの一家に對して誰も疑念を抱くものはなかった。家主は別荘の扉口に貸家札を貼出して、
「ではダイヤさん、左様なら。」と、別れの言葉を殘して歸っていった。男は肩を窄めて、
「ダイヤさん、左様なら!」と呟いた。彼は自分の幽靈に訣別の言葉を投げて、輕々とした歩調で停車場の方へ向った。これで青鬚ランドルーのダイヤとしての一役が終ったのである。彼は本名の他に、ダイヤ、フレメ、ジュポン、モーレ、ブルニエ、シャルクロア、等數へきれぬ程澤山の名を持ってゐた。

黒手帳
 青鬚は巴里の場末にある隠れ家へ戻ると、黄色い窓の前にどっかりと腰を下して大切さうに例の黒手帳を取出して、クーシエ夫人といふ欄に――千八百五十圓――と記入した。この黒手帳は肉屋の賣上簿のやうなものである。青鬚は、女を豚のやうに扱ってゐる。豚一頭を屠る毎に賣上金が増してゆく。
 青鬚は記帳を濟ますと、服装を改めて巴里の中央郵便局へ出掛けた。彼はそこで私信函から數十通の手紙を取出し、市内のプチ・シャンプ町にある自分の巣へいった。
 其處は場末の車庫とは打って變って立派な紳士の住居であった。靜な裏通りに面した客間には厚い絨氈を敷き詰めて、ゆったりとした大きな長椅子が窓際に寄せてあった。その上には眞紅な革表紙のダンテの詩集が、彼が十日程前に讀みかけたまゝになってゐた。開かれた頁の詩の文句は、つい前の晩に彼がクーシエ夫人の耳に囁いた言葉であった。
 彼は私信函から出してきた手紙を、全部讀み終るのに夕方までかゝった。夫等は悉く彼の求婚廣告に釣られてきた未亡人逹の書いた手紙である。彼はその中からギラン夫人を選んで、それに對する返事を書いた。

死の家
 青鬚は第二の花嫁を迎へる爲に、ギャンベイの町端れにある「獨居莊」といふ一軒家を借りた。そこは街道から少し横に入り込んだ、小ぢんまりとした三階家で、門から玄關まで薔薇の花壇が續いてゐて、廣い庭には鬱蒼と樹木が繁ってゐた。近間には人家はなく、數丁距れた森の上に、僅に教會堂の尖塔が見えるだけである。
 彼はその家を借りると、先づ第一に、家に不相應な大きな料理ストーブを買込んで臺所に据ゑた。
 青髪はこゝではフレメと名乗ってゐた。第二に白羽の矢を立てられた犠牲者ギラン夫人は無教育な、餘り縹緻(きりょう)のよくない女であったが、八千圓程の現金を持ってゐた。年齢は五十を少し越えてゐたが、そんな事は青鬚の花嫁の資格には少しも障りはない。お人善のギラン夫人は、一度會っただけで青鬚の妖術に陥って了った。
 彼女はフレメと婚約をして、彼の別荘「獨居莊」へ招待されたので、自分の家を疊み、大きな褐色のトランクに金目なものを詰めてギャンベイへ出掛けていった。
 フレメは巴里を發つ時,ギャンベイまでの往復切符を一枚と片道一枚とを買った。彼はこの蜜月旅行(ハネムーン)から歸る時には、再び鰥夫になってくる豫定であった。それ故、花嫁の汽車の切符は片道だけにしたのである。
 二人が別莊へ着いた時、ギラン夫人は雇人が見えないのを不審に思ひ、
「まァ、貴郎はこゝにたったお一人で暮していらしったのですか、ご飯ごしらへなどは誰がするのでございます?」と訊ねた。
「いつも料理人がゐるのですが、この間から風邪をひいて熱を出してゐましたから、可哀想だと思って休暇をやったのです。それに樂しい蜜月旅行には水いらずの方がいゝかと思ひましてね。」といひながら、男はギラン夫人の小さな身體を輕々と抱上げて客間の長椅子の方へ連れていった。
 夫人は男の腕の中で、息をつまらせながら實際奉公人などはゐない方がいゝと思ってゐた。
 翌日の午後、男は夫人を伴って森の中を數時間散歩した後、日が暮れてから獨居莊へ戻ってきた。
 二人は夕食を濟ますと、薔薇の咲く庭に椅子を竝べて、華かな未來を語り合ってるた。ランドルーは、この夫人の前では外交官になりすまし、最近濠洲シドニーの佛蘭西領事として赴任するといふ事になってるた。
「休暇もぢき終りになりますから、私共はそろそろ旅行の仕度をしなければなりません。貴女の家財道具なども出發前に處分して了ひませう。買物は任地へいってからいくらでも出來ますから、成可く身輕になって、大荷物などは持ってゆかない事にするのですね。」といった。夫人がそれに應じたのはいふ迄もなかった。
 夏の日は暮れるのを惜しむかのやうに、いつ迄も黄昏の光が漂ってゐた。四邊はひっそりと靜まって、薔薇の花の甘い香りが二人をを包んでゐた。男の優しい耳語(ささやき)は夫人の氣をうっとりとさせた。
 軈て空の星が一つ一つ黄昏の光を吸ひ込んでいって、地上はとっぷりと暗くなった。男は夫人の腕を抱へて家へ伴った。
「咽喉が乾きましたね。寝る前に何か冷たいものを飲みませう。」男は隣室から細長いコップを二個と曹達水の瓶を持ってきた。彼は二つのコップの底を注意深く覗いた後、その一つを夫人の前に置いて、滿々と曹達水を注いだ。
「あゝ、ひどく咽喉が乾きましたね。餘り話に身が入って昂奮したせゐでせう。」男は自分の前のコップを口許へ持っていった。
 夫人も同じやうにコップを唇にあてた。そして二人は一氣にそれを飲み干した。
 男はコップを口にあてがったまゝ、じっと女の様子を凝視めてゐた。女のコップの底には一時間前に、恐ろしい毒藥が仕込まれてゐたのである。そのコップの半分を飲んだだけでも、効果は五分間内に現はれる。男は柱に懸ってゐる和蘭時計を見上げた。
 十時三分前! 男は時計の長針が十二時を指した時、
「奥さん、お寝みなさいまし!」といって夫人の前に恭々しく頭を下げた。夫人の體躯はそれに應へるやうに、がっくりと前へのめった。
 男は素早く上衣を脱ぎ棄てゝ、まだ温味のある女の死骸を抱き上げて三階の屋根裏へ通ずる階段を上っていった。彼は屍體を丸裸體にして牀へ轉がしておいて、入口の扉に錠を下し、階段を下りた。
 彼は二つのコップを締麗に洗ひ浄めて證據を湮滅して了ふと二階の寝室へいって夫人が新らしく購ってきた褐色の大トランクの前に立った。彼は豫めそのトランクを夫人の柩に用ゐる心算であった。
 彼は滿足氣に顎鬚をしごきながら、トランクの中味を見下して、胸算用をした。彼のポケットにはギラン夫人の全財産を管理する委任状が入ってゐた。
 夜が明けると、彼は夫人の屍體を詰めた褐色のトランクを、自動車に積んで、巴里のドルセ驛へ運び、ビスケイ灣沿岸のアルカシオン驛留で發送した。
 その仕事を濟ました彼は、プチ・シャンプ街の部屋へ歸り、念入りに服装を調へた上で、佛蘭西銀行へ出掛けてゆき、ギラン夫人の預金を全部引出してきた。
 彼の黒手帳の手帳のギラン夫人といふ欄に――命日七月十六日と記し、その時収得した金額八千圓が記帳された。

植木鉢の秘密
 次に死の家、獨居莊の客となったのはエオン夫人であった。彼女は大して財産家ではなかったが、それでも賣れば幾許かになる家財道具を持ってゐた。
 この時も男は巴里からギャンベイまでの乗車券を購ふ時、夫人の分は片道だけより買はなかった。彼はその晩の中に新妻を臺所のストープで料理して了った。
 夫から二週間目に、青鬚はもう次の獲物を手に入れてゐた。
 女は巴里ロデール街十五番に住んでゐた商人の未亡人でコロンブといふ年増であった。教育もあり、相當の財産も持ってゐた。
 青鬚は毎日のやうに花束を持つて根氣よくコロンブ夫人を訪問した。この夫人は青鬚の不思議な魅力に操られ、ぬきさしならぬ深間に入っていった。
 千九百十六年の基督降誕祭の晩、彼はコロンブ夫人に婚約の指輪を贈った。それは曾てクーシエ夫人の死骸の指に輝いてゐた指輪であった。
 この頃、クーシエ夫人及びアンドレの奇怪な失踪事件が新聞紙上に現はれ、警察では顎に三角鬚を蓄へたダイヤといふ男の行方を嚴探してゐた。ダイヤ事ランドルーはその唯一の特徴になってゐた顎鬚を剃り落さうともせず、變装もしないで、悠々と巴里市中を横行してゐた。彼の變へるのは姓名と、相手の女だけであった。尤も彼は警察が騒ぎ出してからは、女をギャンベイの死の家へ連れ込む時には以前のやうに、汽車を利用する事を止めた。コロンブ夫人を基督降誕祭(クリスマス)の翌日ギャンベイに伴った時も、自分の自動車でいった。
 二人が別莊へ着いたのは日没後であった。
 翌朝男が次の戀人に送る手紙を投函しにいってゐる間に、コロンブ夫人は何氣なく三階の階段を昇っていって、屋根裏の部屋を覗いた。鎧戸を下した窓の隙間から射込む朝日に暗い部屋の一部がほんのりと浮び出てゐた。そこには女の衣裳や、婦人用の靴などがあった。男にすっかり打込んでゐた、コロンブ夫人は激しい嫉妬を感じた。
 彼女は男が歸ってくるのを待ち構へて、
「貴郎は何という方です! 私を唯一人の女性だなどと仰有って‥‥私は屋根裏の部屋を見ました。貴郎は私の他に愛してゐる方があるのでせう。私は瞞された!」と半狂亂の態で怨じた。
 男は鳥渡顏色を變へたが、直ぐに持前の猫撫聲で、
「あゝ、貴女は思ひ違ひをしていらっしゃるのです。あの衣物や、靴は私の亡くなった母の形見です。私は時々、あの部屋へ入って、懐しい母の事を想ひ、涙を流すのです。貴女は私を愚者とお笑ひになるかも知れませんが、私は今でもあの衣物や靴を見ると、目のあたりに母を見てゐるやうな氣がするのです。」
 としんみりといふのであった。
 コロンブ夫人は亡き母を懐しんでゐる男の心を思ひやって、一層彼をいとしいものに思った。だが、その時優しい微笑を浮べて夫人の顏を見守ってゐた男は、心の底でその日の中に夫人を片付けて了ふ事を考へてゐた。
 その晩、夫人が食堂へ入ってゆくと、卓上の上に見事な花束が置いてあった。
「これは貴女が私の亡き母の爲に流して下すった涙に報いる、私の心計りの贈物です。」
 と青鬚がいった。
「まァ! 綺麗です事! 何といふいゝ匂でせう!」夫人は黄色い薔薇の花束を取上げて柔い花片に唇をつけた。
「それから、このチョコレートも、どうぞ召上って下さい。」男は花束の下に置いてあった美しい菓子箱の蓋を除った。
 夫人は片手に花束を抱へたまゝ、華奢な指先でチョコレートを撮んで口へ入れた。
 男は赤い唇の邊に冷かな薄笑ひを浮べながら、夫人の口許を視詰めてゐた。
「如何でございます。もう一つ召上りませんか。」と男がいった時、夫人は崩れるやうに牀へ倒れた。夫人の手から散り落ちた黄色い花片が死の床を飾った。
 菓子に仕込まれてゐた激烈な毒藥は一瞬時に夫人の生命を奪ったのであった。
 青鬚はこの時は切り刻んだ夫人の死體を、料理ストーブで燒却する事を止めて、庭先に轉がってゐた巨大な植木鉢に入れてその上から硫酸を注いだ。
 翌日彼は、植木鉢の底に殘った骨を、南京袋に詰めて、自動車に乗せ、數哩距った漁村へいって斷崖の上から、引潮の海へ投げ棄てゝ來た。

森の墓穴
 風薫る南佛蘭西の別莊地に青鬚が現はれたのは、クーシエ母子の奇怪な失踪事件が迷宮に入ったまゝ、そろそろ世間から忘れられかけた頃であった。
 此の時は丈のすらりとした年増美人が彼の腕に抱かれてゐた。二人はいつも睦まじげに肩を竝べて小鳥の囀る森蔭や、小川のせゝらぐ野道を散歩してゐた。
「シャルクロアさん。いよいよ明日は巴里へ歸るのですわね。こゝで暮した二週間はほんたうに一生の樂しい思出になりますわ。」ボアッソン夫人は、その翌日自分の銀行預金が全部貪慾な男の懐中に吸込まれて了ふとは夢にも知らずに、しんみりとした調子でいった。
 いつの間にか、シャルクロアといふ株式仲買人になりすました青鬚ランドルーは、
「マダム、この土地がそんなに氣に入りましたか? 如何でせう、一層こゝへ永住なさる氣はありませんか。」と自分の機智を心密かに樂しみながらいった。
「眞實にこんな靜かなところで、一生を過したらどんなにいゝでせう。私は永い間、巴里で旅館業などをしてゐましたから、もうしみじみと都會生活には飽きて了ひました。」
「こゝで一生を送るなんて、それ程容易(たやす)い事はありません。屹度、お望みを叶へさせて差上げます。」
 青髪はその言葉を守った。
 その翌日二人は荷物を纏めて土地の旅館を引揚げた。
 人氣の稀れな淋しい田舎道を疾走してるた青鬚の自動車は森の端れで停った。運轉臺から下りた彼は車の中を覗いた。そこには、トランクの間に挾まれたボアッソン夫人が、がっくりと首を垂れてるた。それは彼の豫期してゐた事である。二人は旅館を出しなに珈珈を飲んできた。女の茶碗には彼の得意とする毒藥が盛ってあった。
 男は夫人の着衣を剥取ってトランクの中へ押込み、死體をヅックの袋に入れて森の中へ擔ぎ込んだ。そして前日買求めておいた鋤で大きな松の木の傍に夫人の爲の墓穴を掘った。
 彼はまるで百舌が蛙を殺して、木の枝にさしたまゝ忘れて了ふやうに、無雜作に女達を殺してはその死骸を燒いたり、埋けたりして二度と思ひ出さうともしないのである。
 ボアッソン夫人を處分して了った彼は、全速力で自動車をギャンベイの停車場へ向けた。女なしでは一夜もゐられない彼である。
 停車場には手紙で打合せておいた通り、金持の未亡人ヨーム夫人がきてゐた。彼は夫人を獨居莊へ導いた。
 翌朝、敬虔な舊教徒である夫人は、森の中の教會へ禮拜にいった。その時ランドルーは夫人と共に祭壇の前に跪いて、永い間祈祷してゐた。それから數時間後に殺害すべき犠牲者を傍において彼は何を祈ったのであらう?
 彼は其日の午後、ヨーム夫人を自動車の遠乗りに誘った。夫人はその自動車の背後に、自分の墓穴を掘る鋤が乗せてあらうとは露知らなかった。

煙突の黒煙
 黄色くなった並木の上に廣がってゐる空は瑠璃色に澄んでゐた。巴里は既う秋である。かさかさと乾いた落葉を黒く光った靴の先で蹴りながら歩いてきた青鬚ランドルーは、とある靜かな横町へ來た時、足を停めて、白い鳥籠を出した二階の窓を見上げた。
 その部屋の中では、ランボード夫人が息子を前に置いて、荒々しい罵聲をあげてゐた。
「私が誰と友達にならうと、餘計なお世話ではありませんか。お前のやうな、やくざ者に何で他人様の價値など分るものですか。あの方は教養もあるし、金滿家だし‥‥それともお前はその細腕で、お母さんを一生安樂に食べさせて呉れるとでもいふのかい? 馬鹿々々しい!」
「私はお母さんを愛してゐるから、萬一間違ひがあってはならないと思って忠告したのです。あの人は金持で、立派な紳士かも知れませんが、私はあの眼付が怖いのです。あの毒蛇のやうな眼で‥‥」と息子がいひかけると、母親は手にしてゐた小説本を牀に叩き付けて、
「お默り! 出ていってお呉れ! 私はもう二度とお前の顏を見たくない。」と叫んだ。
 青年は悄然と部屋を出て去った。彼が手廻りのものを丸めて階段を馳下りたところへ丁度ランドルーが入ってきた。
 青年は險しい眼で、擦れ違った相手の顏を睨み付け、物も云はずに戸外へ飛出した。
 ランドルーは大仰に肩を竦めて、ふゝんと鼻先で笑った。
 彼は泣き沈んでゐた夫人を優しく劬ってギャンベイの獨居莊へ伴った。
 それから一週間計りして、ランドルー一人その家へやってきて、家財道具一切を片付けて、何處へか立去った。附近の人達はランボード夫人が、機械技師と稱するその男と結婚した事を知ってゐたので、良人が來て家を疊んでいった事に就いては誰も不審を抱かなかった。
 獨居莊にランボード夫人の姿が見えたのはたった一日だけであった。そしてその翌日には臺所の煙突から夥しい黒煙があがって、附近を通る村人等は鼻持ならぬ惡臭に惱まされた。

動物を連れた女
 千九百十八年三月廿六日であった。ランドルーは獲物を漁る狼のやうに、怪しげな女の出没する場末の色町をうろついてるた。
「鬚の旦那、家へ寄って休んでいらっしゃらない?」街燈の陰に佇ってゐた意氣な紺の服に、縁の廣いフェルト帽を被った女が聾をかけた。
 ランドルーは傍へ寄って女の顏を覗き込んだ。それは年の頃、二十七八の眼元の涼しい女であった。
「お譲さんの家は何處ですか?」男は良家の令嬢にでも對する様な慇懃さで訊ねた。そして女と連れ立って彼女の見窄らしい部屋へ入った。彼女も戰爭が産んだ不孝な未亡人の一人であった。結婚して間もなく良人を喪った彼女は、生きてゆく爲には暗い露路の角に立たねばならぬ身であった。無論財産などはなかったが、衣類や、身の廻りのものを除いて價格百五六十圓程の家具をもってゐた。ランドルーはそんな貧しい女の持物にまで心を惹かれた。
 彼は其晩の中に女を籠絡して了ひ、翌二十八日にギャンベイの死の家へつれていった。
 その時、停車場へ見送りにきた女の友達が、
「貴女は幸福な身分になったわね。そんな靜かな田舎の別荘へなんか新婚旅行をするなんて、眞實に羨ましいわ。私も貴女の猫になって一緒に行きたいわ。」といふと、女は、
「明日直ぐ手紙をあげるから、いつか都合をつけて遊びにいらっしゃいよ。泊りがけでね。」
 と快活に笑ひながら、抱いてゐた猫に頬擦りをした。けれども彼女はそれっきり消息を絶って了った。
 ランドルーはその時も女の爲に片道切符を買ひ、自分だけ往復切符を購めた。
 此の女が、ランドルーの有名な黒手帳の中に――意氣な服装をした、若々しい女――と記されてあった、パスカル夫人である。
 その年の十二月に、ランドルーは三十七歳になるアッカデイルといふ陽氣な未亡人に會った。その時、彼はモーレといふ商人になってゐた。夫人が家財道具を賣拂って、間借生活をしたいといふ意嚮(いこう)を洩らしたので、古物商人モーレは親切な買手となった。彼は夫人の所持品を悉く裏町の倉庫へ送って了ひ、五百圓の現金を夫人に渡した。そして適當な部屋が見付かる迄、自分の別莊を無料で提供すると申出た。
 ランドルーの魅力に惹付けられてゐた彼女は、喜んで彼の申出を受けた。
 彼女は三匹の愛犬を連れて、ギャンベイヘ赴いた。それは千九百十九年一月十三日であった。
 モーレは自動車の中で、彼女に結婚を申込み、二人が獨居莊の敷居を跨いだ時には、最う相許した良人と妻であった。だが夫から十日目には彼女も八人の花嫁と同じ運命に陥った。
 三匹の犬も同じ毒をのんで主人に殉じた。

二百八十三人の被害者
 ボアッソン夫人の妹は、姉から託された病身な男の子を養ってゐたが、夫から二年を經過しても、姉からは何の音信もないので心配してゐる中に、その子供が病死したので、その事を姉に知らせようとして心當りを問合せてゐた。彼女はふと、姉が結婚してギャンベイの獨居莊へゆくといふ様な事を口にしてゐたのを思ひ出し、ギャンベイの町長宛に照會の手紙を出した。 すると町長からの通信に、獨居莊に住んでゐるのはボアッソン夫人ではなく、モーレ夫人である。然し、ラコスト嬢といふ婦人からも、同じやうな問合せが來てゐるから、一度その婦人に會見してはどうかといふ事が認めてあった。
 そんな事から、ボアッソン夫人の妹と、コロンブ夫人の妹ラコスト嬢とが會って、話し合って見ると、姓名こそ違ふが二人の姉逹が結婚した相手は同一人物であるといふ事が明かになった。
 二人は即刻警察へ訴へ出た。警察ではクーシエ夫人の親戚からもそれに酷似した男に就いて訴出があったので棄てゝは置けなくなり、顎に三角鬚を蓄へ、無數の名をもった男の行方を捜査し始めた。
 千九百十九年四月十一日、ラコスト嬢が巴里のリボリ街を歩いてゐた時、見覺えのあの顎鬚の男が、美しい婦人を伴ってある商店へ入ってゆく姿を見掛けた。ラコスト嬢は物陰に隠れてゐて、男が立ち去るのと入れ違ひに店へ入り、店員に男の住所氏名を訊ねた上で、警察へ急報した。
 ランドルーはその時ギレと名乗って、情婦のセイグルと同棲してゐた。
 翌、十二日の朝七時、ランドルーが表へ出ていって新聞を買ってきて、珈琲を飲みながら讀んでゐるところへ、警官の一隊が踏み込んで彼に手錠をはめて了った。
 青鬚ランドルーが逮捕された顛末が新聞紙上に現はれると、二百名近くの婦人(主に這般の大戰で未亡人となった人々)が警察に出頭して、ランドルーの新聞廣告に釣られ、彼と婚約し所持品を卷上げられた上、相手に姿を晦まされた次第を訴へた。
 警察で夫等の訴出に對し、嚴重な調査を行った結果、ランドルーは五年間に亙り、合計二百八十三名の婦人を欺いて、金品を詐取した事が判明した。
 尚、彼は九人の妻の他に、クーシエ夫人の息子アンドレ及びバプレといふ娘を殺害した事が明白になった。

斷頭臺
 千九百二十一年十一月七日、ベルサイユに於てランドルーの裁判が開かれた。
 この裁判はまるで人氣役者の芝居のやうな盛觀であった。法廷には二百人の證人と、新聞記者の一團と、寫眞班とが詰めかけて、一般傍聴人を充分に収容しきれなかった。
 被告人席に現はれたランドルーの姿は、世人の豫期に反して、殺人鬼に似合はない、柔和な容貌をした小柄な、弱々しい男であった。彼は相變らず寸分の隙もない伊達者姿で、裁判官の訊問に對する應答は、慇懃を極めてゐた。彼は徹頭徹尾犯行を否定し、求婚廣告を出した事に就いて、
「私は結婚が目的で、あゝいふ廣告を出したのではございません。私は商賣柄、多くの未亡人の住所を知る必要があったのでございます。どうしてそのやうな必要があったかと申しますと、戰禍を蒙った町々を旅行致しました際、多くの家庭で、家具調度に不自由をしてゐるのを見て参り、それ等の家庭に格安な家具を提供しようといふ考へを持ち、同時に戰爭で良人を喪った不幸な未亡人達は、家庭生活縮小の爲に、家具類を賣拂はうといふ希望を持ってゐる向も多くありませうと考へたからでございます。
それで私は云はゞ社會奉仕的な仕事をする爲に、あゝした廣告手段を用ゐましただけで、決して他人様に迷惑をかけた覺えはございません。」と辯明した。
 彼は裁判官の訊問に對して、ごくありふれた説明をするか、或は沈默を守って、裁判を永びかせた。
 前記十一人の人物が彼の魔手に仆れた事は明白な事實であるにも拘らず、彼は、
「私が十一人の人間を殺したとうふのでしたら、十一個の死骸をこゝへ持出して、その上で裁判をなすったら如何です。死骸を一々何處へどうしたかなどといふ事を私にお訊ねになるのは少々見當違ひでございませう。それを調べ出すのが閣下のお役目ではございませんか。先づ死骸を出して頂きませう。」と空嘯いてゐた。
 そんな譯で、この裁判は二ヶ年も續いた。
 ギャンベイの死の家は三度捜査された。その時建物の外側のコンクリートの下から、パスカル夫人の黒猫の死骸や、マッカデイル夫人の連れていった三匹の犬の死骸、夫から義齒、黒焦げの人骨、婦人用の櫛、指輪等が掘り出された。
 彼の經營してゐた裏町の車庫から、被害者の所有してゐた寶石、衣類、及び家具等が發見された。夫等の證據品は、獨居莊にあった不氣味な料理ストーブと共に法廷に持出され、人々に陰惨な印象を與へた。
 彼の黒手帳も重大な役目を勤めた。その中には犠牲者十一人の姓名、容貌、及び小使錢の使途、収入等が明記されてあった。
 ランドルーが逮捕されて以來、彼の名は殆ど世界的になった。巴里では「百の名を持ち百の妻を持つ、青鬚ランドルー」といふ小唄が流行った。カフェや、劇場では、三角鬚の頭髪の禿上ったランドルーに扮装した男が、跳ったり、歌ったりして喝采を博した。
 彼が死の宣告を受けたのは、千九百二十一年十一月三十日。
 刑の執行されたのは、翌年の二月廿四日の朝であった。刑吏が彼の首を露出させる爲に鋏でシャツの上部を切り取った時、危く彼の長い顎鬚を切落さうとした。すると、彼は、
「お手柔かに願ひますよ。」といった。青鬚ランドルーは刑場の戸口へ導かれた。その扉から三歩先に斷頭臺が待ってゐた。
 それは霧の深い寒い朝であった。冷い風が彼の顎鬚を震はせてゐた。傍にゐた人々は彼が絶えず口の中で、
「確りしてゐよう! 確りして!」と呟いてゐるのを聞いた。

注)一部句読点の変更、改行をしています。


「毒殺鬼パーマー」
「犯罪科学」 1931.09. (昭和6年9月号) より

 醫師パーマーが、お手のものゝ毒藥を盛って殺した人間の數は夥しいもので、はっきり判ってゐる犠牲者だけでも、十四人や、十五人はあった。友人のクックを毒殺したのが最後で、その時初めて彼の罪状の數々が、明るみへ出されたのであった。尤もその以前から彼の身邊にはいろいろ奇怪な噂が立ってゐたが、それにしても永い間、罪が發覺しなかったのは、彼の日常の態度が周圍から好感をもたれてゐた事、それから世間が今日のやうにスピード時代でなかった爲に、風説、評判などが傳播されなかった事、 もう一つは事件の發生地が都會を離れた平和な英國の田舎町であった事、等が原因してゐる。それに彼の家庭が裕福で、町内の有力者といふ形だったからである。一體吾々の日常生活には殺人などゝいふ大事件は滅多にないものである。それで誰しも自分達の近くに生活してゐる親しみ深い人間を殺人事件と結付けて考へるものはない。パーマーの場合もさうで、種々怪しむべき點があっても「眞逆あの人が!」といふ氣持が先立って、人々は永い間彼を見遁してゐたのである。
 彼は愛想のいゝ、明るい青年で、薔薇色のふっくりとした頬や、大きな空色の眼は、どう見ても惡漢型ではなかった。だがさうした彼の温厚な容貌態度の中に、唯一つ氣の許せないやうなところがあった。それは彼がどんな場合にも、若いに似合はず、餘りに慇懃で、その上聊かも物に動じない點である。もう一つ彼の陰險さを思はせる事は、他人には醉潰れる程酒をすゝめながら、彼自身は殆ど酒を飲まない事である。假令親しい友人と一緒に飲むやうな場合でも、彼は決して醉はなかった。
 彼の父親ジョセフは、若い頃アングレッシイ侯爵領で木挽をしてゐて、いつも樹木を盗伐して私服を肥してゐた。それに彼は評判の亂暴者で、妻のサラと一緒になったのも、村の祭禮のどさくさ紛れに、侯爵領の管理人の妾であった彼女を連出して了ったのである。もともとサラといふ女も、細民窟で、のんだくれの母親に育てられた不良少女であった。彼女はジョセフと結婚した後も、管理人との關係を續けてゐた。そんな譯でジョセフの盗伐は默認の形になってゐたのである。
 ジョセフは金運のいゝ男で、する事、爲す事、圖にあたり、死ぬ時には七十萬圓からの財産を遺した。七人の子供があって、遺産は各自七萬圓宛、殘額は寡婦のサラのものとなつた。
 毒殺鬼ウヰリアム・パーマーは七人兄弟の中の二番目で、父親が死んだ時には十二歳であった。金はあっても家庭は紊亂してゐて、子供達は學校へいったり、ゆかなかったり、好勝手な眞似をしてゐた。長女などは母親以上の不身持で町中の評判だった。パーマーの兩親の家庭が如何にちぐはぐであったかといふ事は、彼等の住む家を見たゞけでも頷首かれる。建物は表と裏とが全く異ってゐて、往來に面した前側は白ペンキで化粧され、植込の緑が爽やかな影を落し、窓には絹のレースが懸けられ、見るから清々しい感じであった。 ところが裏の方は朽ちかけた古木材が累々と投出され、壁は剥落したまゝになり、雜草は伸びるに任せ、窪地には泥水が溜ってゐた。その建物の背後の空に聳えてゐる教會堂は、恰も腐敗してゐる家庭を歎いてゐるやうに見えた。毒殺鬼パーマーが千八百二十四年十月二十一日に洗禮を受けたのは、その教會であった。
 パーマーは幼少の頃から、他の兄弟姉妹とは異ってゐた。而も良い方に異ってゐて、他の子供達のやうに亂暴も惡戯もせず、いつも機嫌のいゝ子供であった。尤も彼は昆蟲を殺したり、犬や、猫をいぢめる事が好きだった。とはいへ外見は極めて温厚しい善良な子供であった。けれども小學校へ通ふやうになってから、彼は女生徒の後を追ふ傾向と、盗癖とを現はし始めた。
 最初は母親や姉の財布から、僅な金を持出して無駄遣をしてゐたが、追々に學友のものを盗むやうになった。小學校を卒業してから、彼はリバプール市の大きな藥種店に見習奉公をしたが、店から問屋に支拂ふ金を度々着服して女を買ったりした事が露見して警察沙汰になった。母親は多額の金を辨濟してそれを示談にした。
 パーマーは十七歳の時に、ヘイワード町のチルコットといふ外科醫の許へ書生に住込んだが、そこも女と金の爲に追出されて了った。その時知合になったのが、アンニイ・ソートン嬢で、後にパーマーの忠實な妻となり、様々な辛い經驗を重ねた揚句、彼に毒殺された不幸な女性である。
 次に彼はスタフォードの病院に研究生として入った。それは彼の二十歳の時であった。その頃、彼は酒場の亭主エブリーの變死事件に關係者として取調べを受けた。
 或日、彼はエブリーとブランディを大コップで二杯、續けさまに飲むといふ賭をした。エブリーはそれを飲むと同時にころりと死んで了つた。パーマーは豫々エプリーの妻と懇ろになってゐたといふ事實から、死因が怪しまれたのだが、證據が不充分であった爲に、彼は放免された。そんな譯で、その土地にゐられなくなった彼は、倫敦へいって、聖バアソロミュー病院に研究生として入りそこで學位を得た。當時の醫學生は亂暴を極めてゐたものであったがその中にあって彼は眞面目に勉強した。但し女に關する不始末は依然として歇まなかった。
 彼は醫學生時代に非常に贅澤な生活をした。尠くも二萬圓はその間に消費して了った。尤も彼は氣前の良い男で、友達が困れば小遣錢をやるし、貧しい患者があれば惜氣もなく醫藥を與へた。彼は書齋の壁に解剖圖を貼り廻したり、凡ゆる醫療機械や、参考書類などを購入したが、試驗に必要な勉強以外はしなかった。
 彼は倫敦で學位を得ると、前記のアンニイ・ソートン嬢と結婚した。彼女ほブルックス大佐の私生兒で、母親のソートンが大佐の家に女中奉公をしてゐた時に生れた娘である。大佐は何かの事情で自殺して了ひ、母親は酒精(アルコール)中毒にかゝってゐた。
 アンニイは温順な、良い娘であった。結婚後、パーマーの四圍に恐ろしい風説が蜂起した際も、彼女は飽迄良人を信じ、彼の味方になってゐた。パーマーは彼女に對して常に深い愛情を示し、彼女を「最愛の小さなアンニイ」と稱んでゐた。けれどもパーマーはアンニイと結婚した時には、既に無數の女と關係をし、他人の委託金を消費してゐた。
 彼の一番の弱點は女よりも賭博癖であった。それを除けば彼は酒も飲まず、男振りもよく、他人との交際も上手で、先づ申分のない紳士であった。
 彼は結婚してから郷里ルヂェリー町に歸って外科醫を開業した。彼の家はタルボット・アームといふ旅館の眞向ひで、玄關の兩側と二階とに、窓が三つ竝んでゐた。その家に落着いた彼は、當分の間は餘り金にも困らず、妻にも優しく、神妙に暮してゐたが、もった病はぢきに頭を擡げ、二年と經過(たた)ない中に、土地の女に私生兒を産ませた。
 彼は生れた女の子の健康診斷をするといって、自分の家へ連れてこさせた。その子供は母親の手へ返されると、間もなく死んで了った。さうした例は彼が以前ヘイワード町にゐた時にもあった。彼には總計五人の實子があったが總領のウヰリイが一人育ったゞけで、他の四人は不思議に急死して了った。その中三人は生後二週間目、一人は三週間目に死んだのである。子供達の乳母は、
「後のお坊ちゃんなんかは、殊にお丈夫でしたのに、旦那様がお二階へいらしって、私に臺所へゆけと仰有ったので、ほんの二三分、下へいって戻って見ると、お坊ちゃんは旦那様に抱かれたまゝ、激しい痙攣を起して亡くなったのです。」といってゐる。尤も彼の子供が腺病質であったのは事實である。それにしても若し彼が子供好な父親であったなら、斯うして四人も續けて嬰兒を喪ふといふ事は、この上もない不幸に違ひないが、子供等は不經濟だと考へてゐたとしたなら、それは彼にとって幸運な出來事であったらう。
 パーマー夫人は子供達を喪った事を非常に悲しみ、後に殘ったウヰリイに對して、極端に神經過敏になってゐた。鳥渡姿が見えなくなっても、彼女は顏色を變へて大騒ぎをする程であった。
 パーマーの日常生活はどうであったかといふと、彼は如何にも敬虔なクリスチャンらしく、日曜日には缺かさず教會に出席し、時には説教を筆記したりしてゐた。彼の聖書には、「信仰は至上の力なり」と書いてあった。人間の心は謎である。彼が聖書にそのやうな言葉を記しておいたのは、後日の爲にそれ程細心な技巧を弄したのであらうか? それとも彼のやうな惡人でも、時には神を懼れ、自己の罪を悔いてゐたのであらうか?  彼は生來懶怠で、少しの努力で多くの金を得る方法のみを考へてゐた。それを助長させたのは彼の競馬熱であった。この熱は彼の運命の糸を特別早く燒切って了った。彼は一時十六頭の馬を持ち、自宅から二哩程距れたところに種馬の飼育所を設け、一競馬に十萬圓も儲けた事があった。
 けれども賭事はさういつも都合よく計りゆくものではない。彼は段々落目になってきて、仕舞には種馬を破格な安値で賣飛ばさねばならぬやうになった。彼は馬の持主の間に餘り評判が良くなかった。何でも他人の持馬をストリキニーネで毒殺したといふ噂が立ってゐた。其時は友人のクックといふ男と共謀だったといふが、後日クックは同じ毒藥で最後を遂げた。パーマーは馬の死んだ事に就いて、「乗り手が惡かった」のだと空嘯いたといふ。彼は裁判長から死刑の宣告を下された時も、傍にゐた人に、
「乗り手が惡くては叶ひません。」と競馬の言葉で裁判長を忌避する口吻を洩らした。
 偖、競馬で失敗を重ねたパーマーは、妻の母親ソートン夫人に目をつけた。夫人は變人で、相當の財産を持ちながら、女中もおかず一人きりで暮してゐた。彼女はパーマーから借金の申込を受けたがそれを斷った。それでパーマーは彼女に自分の家へ來て住むように勸めた。夫人は娘を餘り好まないらしく、二百圓の小切手をパーマーに贈って、彼等との同棲を拒んだ。けれどもパーマーにとって二百圓許りの端金は、傷口に蝿が止ったやうなもので、一層氣を腐らせる許りであった。
 パーマーはソートン夫人の所有してゐる家作數軒と、正金三萬圓とが、いづれは妻のアンニイに遺産として入る事を豫期してゐたので、尚も執拗に同居を迫った。夫人がどういふ考へでその申出に應じたか判らないが、彼女はいよいよ家を疊んで、パーマー家へ向ふ前に、
「私はもうあと二週間とは生きないでせうよ。」と隣人に語ったといふ事である。
 その豫言通り、夫人の遺骸は二週間目にパーマー家から運び出され、九戸の家と、三萬圓の金とがパーマー家のものとなった。夫人の臨終にはバンフォード醫師が立會ったが、奇怪な症状で、死因ほ不明であった。夫人は五十歳そこそこで、まだ急に死ぬやうな年齢ではなかった。
 次にパーマーの家に客となったのは、友人のブレイドンであった。パーマーは彼から借りた千圓の金を返濟するといふ約束で、競馬の歸途に彼をつれてきたのであった。其日二人はエピソムの競馬へゆき、ブレイドンは五千圓儲けパーマーは負けて借金が出來たのであった。
 ブレイドンがその晩、妻に宛て書いた手紙には、
 今日は幸運にて六千餘圓を儲け申候。これよりパーマー氏と同行、ルチェリイ町へ参り、そこにて千圓の貸金を受取る筈に候間、四五日後歸宅の際には一萬圓近くの現金を持参致すべく候。
といふ一節があった。彼は非常に元氣であったが、翌日急病に罹った。バンフォード醫師が迎へられて手當をした。
「昨日、二十哩近く馬車に揺られたのと、晩餐の時に葡萄酒を飲過ぎたのが障ったやうです。」と説明した。
 バンフォード醫師は八十歳を越えた老紳士で、若いパーマーを信じきってゐた。
 その日、競馬歸りのメリットといふ友人が訪ねてきて、ブレイドンの重態を見て、細君に報じた。彼女が馳つけると間もなく、ブレイドンは呼吸を引取った。その時、パーマーは何故か、彼女を良人の傍にほんの二三分置いたゞけで部屋の外へ出して了った。
 二三の人々の胸に一抹の疑念が浮んだ。ブレイドンの急激な死、早過ぎる觀のあった周章しい葬儀、彼の所持金が僅に百五十圓程であった事、賭帳の紛失してゐる事等が人々に何事かを暗示した。けれどもブレイドンの未亡人はパーマー夫人と非常に仲が善かったので、不審を抱きながらも、友人達の言葉を信じきらなかった。彼女は友人ボストック氏に宛た手紙の一節に、
 パーマー夫人の私に對する同情と親切は、親身も及ばぬ程でございました。私はいつ迄も夫人の優しい心遣を感謝する事でせう。
 貴殿の仰せになるやうな恐ろしい罪をパーマー氏に負はせるには、餘程確實な根據がなくてはならぬ事と存じます。貴殿が疑念をお霽らしになる爲に、御自身お調べ下さるのも結構でごさいますが、何卒夫人の事を御考慮にお入れ下さいまして、餘計な御心配を夫人におかけしないようにお願ひ申上げます。――
とある。
 ブレイドン夫人がパーマー夫人に同情したのは無理もない事である。彼女はブレイドンが自分の家で死んだ事を非常に歎いて、
「私の母が去年この家で亡くなった許りですのに、又、こんな事があって……世間では何といふでせう。」としみじみ述懐した。實際世間では默ってはゐなかった。けれどもパーマーは依然として、世人の疑惑の上を踏越えて歩いてゐた。
 彼の母方の伯父は、或時、パーマーの訪問を受けて間もなく、不思議な病氣で死んだ。
 もう一人の伯父は妻の生きてゐる間は、財産を他に譲る事が出來ないやうになってゐたが、その妻はパーマーの調製した風邪藥で、危く生命を隕すところであった。
 その老婦人は生來藥嫌ひで鳥渡した病氣位では藥など飲まない人だったのでその丸藥を窓から棄てゝ了った。すると庭前に遊んでゐた鶏がそれを啄み、翌日悉く斃死して了った。そんな譯で伯母はパーマーの計畫通りにはゆかず、却って伯父の方が先に死んで了った。
 次にパーマーに八千圓を貸してゐたビリイといふ男が、感冒でパーマーの診察を受け、間もなく死んで了った。パーマーはその未亡人に、
「實は八千圓といふのは、私の方でビリイ君に貸してゐた金なのです。然し當人が亡くなられたのですからこんな事はどうでもいゝとして置きませう。眞實は奥さんのお耳にも入れない心算でゐたのですがこんなお話が出ましたものですから、申上げるのです。」といった。
 パーマーは子供が端から死んだので、子供運の惡い男だと思はれてゐたが、斯うして親しい友人が相ついで死ぬので、恐ろしく友達運の惡い男だといふ事になった。その上、妻のアンニイはそれから數ヶ月後に病死したので、今度は細君運も惡いといふ事になった。妻には十三萬圓の生命保險がかゝってゐて、第一回の掛金四千五百圓を拂込んだゞけであった。二十七歳の妻は何とも知れないぶらぶら病で、保險に加入してから一年と經過しない中に死んだのだが、保険會社では何の疑も持たず、十三萬圓の大金をパーマーに支拂った。
 アンニイは千八百五十四年九月十八日、月曜日の晩、リバプール市の音樂會へゆき、時候のわりに薄着だったので、輕い感冒をひいた。彼女は其晩リバプールに泊って翌日歸宅したが、氣分が勝れないで直に床に就いた。毒殺者の常として、相手が自然に病氣にかゝる迄は決して手を下さないものである。機會を待ってゐたパーマーはその翌朝、自ら紅茶と燒パンをつくって妻に與へた。すると、間もなく彼女は吐氣を催した。その後はスープでも、果汁でも、鳥渡したものを咽喉に通す毎に、病人は激しい嘔吐に惱まされた。
 次の日曜日に、例によって老醫師バンフォードが迎へられた。パーマーは心痛に耐へぬ面持で、妻がコレラに罹った旨を語り、藥の處方箋を出して貰った。
 老醫師は火曜日の晩、再び見舞に來た。夫人はその金曜日に死亡した。死亡診断書を作成したのはバンフォード醫師及び、これも八十歳を越した耳の遠いナイト醫師で、病名はコレラと記された。バンフォード醫師が初めて病人を診察した時には、彼女は既に重態になってゐて、自ら病状を語る事が出來なかったので、パーマーが代ってコレラに該当する容態を述べたのであった。
 アンニイは贅澤な寝臺の上で、優しい良人に看護られながら、呼吸を引取った。彼女は良人の華洒な白い手が自分に毒を盛ってゐるとは露知らず、只、後に遺る子供の事だけを氣遣ながら死んだ。
 看護婦は夫人の容態が變ったので、パーマーを呼んでその事を告げた。パーマーは狼狽した様子で、そはそはと病室を出ていった。暫時して彼が戻ってきた時には、夫人は既に縡切れてゐた。パーマーは妻の白蝋のやうな顏を覗いて、また周章てゝ部屋を出てゆくので、看護婦が怪しむで後をついてゆくと、彼は隣室へ入り、白い手を擦りながら、「私は睡ってゐるのかしら……」と呟いてゐたといふ。
 その夜、彼の日記には、
 千八百五十四年九月二十九日、金曜日、愛するアンニイは午前一時十分永眠す。――
と記してある。それから九日目の日記には、
 十月八日、日曜日、
教會へゆく、聖餐式あり。――
とある。妻が死んでから九ヶ月目には、エリヂア・サームといふ女が彼の家庶子を出産した。
 パーマーは妻の死を心から悲しむでゐたらしく、度々子供の枕元で涙を流してゐた。そして人々に對って、
「私もぢきにアンニイの許へゆきます。」と口癖のやうにいってゐた。けれどもさういってゐた當人も、それ程早く、妻の後を追はうとは豫期してゐなかったに違ひない。彼は妻を愛してゐた事は確であったらうが、彼のやうな男にとっては、妻は一種の贅澤品であって、經濟的困難を救ふ爲には、その處分を辭さなかったのである。彼は妻の死によって、十三萬圓の金を得たが、それはやうやく彼の差迫った負債を支拂ふに足りるだけであった。それに彼はエリヂア・サームとの關係があったり、倫敦の賭博場へ出入りしたりした爲に、忽ち元の杢阿彌になって了った。
 パーマーは再び新らしい金の源を捜さねばならなかった。彼が次に目をつけたのは弟のウオルターであった。彼は兄のやうに惡謀(わるだくみ)はもってゐないが、お人善で、馬鹿で、放蕩者であった。彼ほ親から譲られた財産を蕩盡して了ひ、結婚後は妻の年収四千圓で穀物商を始め、一時は相當にやってゐたが、飲酒の爲に失敗し、當時は妻とも別居するやうな破目になってゐた。 パーマーは彼が金に窮乏(こま)ってゐるのを知って、生命保險に加入するのを條件として五千圓の金を貸與する約束をした。ウオルターは兄から借りた額面だけの保險をつけるつもりでゐたが、パーマーは弟に無斷で八萬二千圓の保險をかけようとした。然し保險會社で警戒した爲にこの契約は成立しなかった。それはウオルターのかゝりつけのワーデル醫師が彼の健康診斷書の一節に、
 彼は大酒家であって、既に他會社に於て保險加入を拒絶されてゐる。尚、彼の兄は妻に十數萬圓の保險をかけ、第一回掛金の拂込をしたのみで、妻は死亡してゐる。警戒を要す。――
と記したからである。
 ワーデル醫師は、或日ウオルターに會って、「もし君が禁酒をするといふなら、私が君の健康を保證して、保險に入れるやうにしてやる。」といったが、ウオルターは、
「明日、兄が藥をもってきて呉れる筈ですから、好きな酒を止める必要はありません。」と醫師の忠告を斥けた。
 パーマーは弟をワーデル醫師の家から距れた下宿へ移して了った。其後醫師が往來でウオルターの親友に出會った時、彼が帽子に喪章をつけてゐたので、
「誰が亡くなったのだね?」と訊くと、
「ウオルターが死んだものですから、今葬式にいってきたのですよ。」とその男はいった。
「それゃ驚いた。いくら何でもあの男がさう急に死ぬ事はない。私は直ぐこの事を保險會社へ通知してやらなければならない。」醫師は呆氣に取られてゐる男を遺して走り去った。
 後にその男が法廷で陳述したところによると、パーマーは弟に毎日浴びる程酒を飲ませてゐたから、別に毒藥を盛らなくとも、自然に死んだであらうといふ事であった。何でも二月十三日から、七月末まで、約六ヶ月の間に、五斗のブランディを飲ませたのである。ウオルターが死ぬ一週間程前から、パーマーは殆どつきゝりで酒を飲ませてゐたといふ。
 パーマーは弟が呼吸を引取るか、とらない中に、倫敦の友達に電信をうって、競馬に五百圓を賭けるやうに依頼した。その歸途棺桶を誂へてきて、その晩の中に納棺して了ひ、係りつけであったワーデル醫師には一言の挨拶もなく埋葬して了った。
 葬儀の翌日、パーマーはリバプール市へいって弟の妻に、彼の訃を傳へた。彼女は良人の亡骸に一目でも會ひたかったと歎いた。
 八月二十七日の彼の日記に、
 スタフォードへゆき、亡弟をルヂェリイの墓地に送る。――
と簡單に片附けてゐる。パーマーは弟を妻、義母、四人の子供達、及び友人のブレイドンと同じ墓地に埋葬した。
 一保險會社ではウオルターに對して十五萬圓の保險契約に應じてゐたけれども、容易に金を支拂はなかった。パーマーは躍起となって弟の未亡人の許へ、貸金の返濟を請求したが、彼女は應じなかった。
 パーマーは弟の保險金が都合よく手に入らなかったので、他に犠牲者を物色した。その結果、ベイトといふその日暮しの百姓を撰び、彼を紳士に仕立て、保險會社へ手紙で二十五萬圓の契約を申込んだ。然し會社でも用心して農夫に變装した探偵をその土地に入込ませ、パーマーの陰謀を洗出して了った。
 最初探偵が會ったのは、土地の郵便局長などゝいふものは、最も土地の事情に通じてゐるものであるから、土地の人物を内偵するに便利だと思ったからである。ところがこの郵便局長はパーマーに買収されてゐたので、ベイトに關し、
「その男なら、町でも相當にやってゐる人物で、年収四五千圓もある立派な紳士ですよ。」といった。けれども探偵が調べて見ると、ベイトは一週二三圓の部屋借をして蕪などを作ってゐる貧しい水呑百姓である事が判明した。而も直接本人に會って見ると、てんで生命保檢の意味も解さないやうな無教育な男であった。探偵は保檢金の受取人になってゐるパーマーを怪しいと睨み、更にウオルターの死に關する顛末を探った。探偵がパーマーを訪問して、
「今度、私が調査にきていゝ事をしました。弟さんや、奥さんの死因に就いても不審があるから、この際徹底的に調査するつもりです。」といった。その時パーマーは顏色も變へず探偵の顏を凝視しながら、
「それは御道理です。會社としては一々死因に疑念を抱くのは當然の事ですからね。その點を明白にするのは寧ろ會社の義務ですよ。」と白々しく答へたといふ。
 パーマーは保險會社からこんな風に目をつけられてはベイトのみならず、誰にも保險をかける譯にはゆかなくなった。彼は妻の死によって得た十三萬圓を瞬く間に消費果し、その上、高利貸のプラットから六割の高利で金を借りてゐた。プラットといふ男はパーマー事件に現はれた關係者の中で、最も一癖ありげな人物に見えた。當時の新聞記事の一節にも、
 丈の高い、大柄な男で、りゅうとした服装をして、偉大な鳶色の頬髭を蓄へ、童顏で、ものをいふ時には内氣な處女のやうな低い聲を出す男である。――
 と叙してある。彼はパーマーに一ヶ年の利子だけでも六萬圓に上る程の大金を貸してゐた。彼はパーマーが落目になったのを見て、嚴しく督促をした。
 パーマーは弟の死後、十二月二日にブラットから四萬圓の利子を即刻支拂へといふ請求を受けた。プラットは利子を支拂はなければ告詐すると脅迫した。それに對してパーマーは十月三十一日にやうやう二千五百圓送ったゞけであった。プラットは折返し、
 二千五百園封入の書留便。本日正に受取申候。折角の事故、來る十一月十日、土曜日朝までに、一萬圓乃至一萬五千圓を調達御送附願ふ事を條件として告訴保留可致候。本日御送附の金員は四萬圓に對する利子の一部として記帳可致候。尚、他の一萬五千圓口は來る九日が期日に候間念の爲申入れ置候。――
といふ手紙をパーマーに送った。この手紙は將に演ぜられんとする恐ろしい悲劇の序曲であった。
 偖、その第一幕は、十一月十三日の朝、シェルスベリー競馬場に於て開演された。登場した主役のパーマーには、最早數年後の若さはなかった。ぴったりと梳き上げた頭髪は餘程薄くなって、僅に中央の禿を覆ふてゐた。彼は弟の喪に服してゐるしるしに喪章を帽子につけ、大きな體躯を黒い服につゝむでゐた。だが、彼は相變らず快活で、誰彼に愛想がよかった。殊に古い競馬仲間のクックには特別親しみを示してゐた。
 クックは若い道樂者で、クリッケットや、ボートに趣味を持ってゐる多藝な人物であった。彼は派手な服装をし、指には數個の指輪をきらつかせ胸に太い金鎖をかけてゐた。彼は酒好きで陽氣で、いつも競馬で儲けてゐた。彼の持馬「極星」はその頃素晴しい人氣であった。
 その日の競馬でも、クックは「極星」のお庇で數萬の現金を儲け其晩は友達を集め三鞭酒(シャンペン)を抜いて大盤振舞をした。その翌日も彼は元氣のいゝ姿を競馬場に現はし、晩は再びシュルズベリー町の大鴉ホテルに戻って友人を饗應した。その中には無論パーマーも加はってゐた。
 其時、一人の婦人が翌日の競馬の豫想をきく爲に、大鴉ホテルにパーマーを訪ねてきた。婦人の名は偶然にも彼が毒殺した妻と同姓同名のアンニイ・ブルックス(ブルックスといふのはアンニイの父親の姓である)であつた。後になって思ひ合せると、これは確にパーマーにとって不吉な前兆であった。
 彼女がパーマーの部屋を訪れた時、丁度パーマーはコップに何か液體をいれて、瓦斯燈の光に翳してゐるところであつた。彼は婦人が扉を開けた事に氣付かず、次の間へ入っていった。そして間もなくコップを持ったまゝ戻ってきたので、婦人が聲をかけると、「あゝ今晩は、こんなところで失禮ですが……」といってそこで數分競馬に就いて立話をした。彼は用談が濟むと、そのコップをもって、クックや友人達のゐる部屋へ入っていった。クックは居合せたフィッシャーといふ男に酒をすゝめ、パーマーにも、
「さァ、君ももっとやり給へ。」といった。パーマーは、
「先づ君から先にやり給へ、その後で私も頂かう。」と答へた。
「それゃ、お易い事だ。」クックはパーマーの差出したブランデイのコップを取つて、ぐっと飲んだが、
「これゃ變だ! 咽喉に沁みるぞ。」と叫んでコップを卓子の上へ置いた。パーマーは素早くそのコップを取上げ殘りの數滴を口へ入れて、
「そんな馬鹿な事はない。ねえフィッシャー君、クックはこのブランデーの中に何か他のものが入ってゐると思ってゐるんだよ。君、鳥渡味って見給へ。」と友人を顧みていった。クックは、
「そんな無理な事をいっても駄目だ、味はうたって、コップには何にも殘ってゐないぢゃァないか。」と非難するやうにいった。
 その晩寝室に戻ってからクックは酷く吐瀉した。彼はフィッシャーに、
「どうも、パーマーの奴があのブランデーに何か混ぜたに違ひない。」といった。それにも係らず彼は翌日パーマーと共にルヂェリー町へ赴き、パーマー家の眞向ひにあるタルボット・アーム旅館へ投宿した。
 パーマーの義母ソートン夫人が二週間と生られないだらうといひながらも、パーマーの家へゆき、そこで毒殺されてゐる。パーマーの妻アンニイもブレイドンの死後、パーマーの屋根の下に恐ろしい死のある事を豫期しながらも、そこにとゞまって悲惨な死を遂げてゐる。そして今又クックは、
「パーマーの奴は僕に毒を盛った。」といってゐながら、友人フィッシャーが、
「驚いたな、そんな疑はしい男の家の近所へ何だって一緒に出掛けてゆくのだ。止めたががいゝぞ。」と忠告した時、彼は、
「君には解らないよ。」といって友人の言葉を容れなかった。斯うしてパーマーの手にかゝった人間は、みんな彼に對して恐怖を抱きながらも、魔に誘はれるやうにパーマーの手に落ちていったのは奇怪な現象である。
 偖、十一月十五日、木曜日の晩、クックは旅館に宿泊し、翌金曜日にはパーマーの家に招待され、パーマー及びその仲間の惡辯護士スミスと會食した。その日も、その晩も、常人と聊の變りもなかったクックは翌朝目を覺した時には大病人になってゐた。彼は女中の運んできた一杯の珈琲さへ咽喉に通らない有様であった。 パーマーが病氣見舞に贈った肉汁にも口をつけなかった。パーマーは終日病室を出たり、入ったりして種々手當をしたり、藥を飲ませたりしたが、クックの嘔吐はどうしても治まらなかった。例によって八十二歳の老醫師バンフォードが迎へられ、病人に丸藥を與へていった。
 翌日日曜日に、パーマーは再び肉汁を贈った。旅館の女中はその肉汁を病室へ持ってゆく前に、少し味ったところが、それから數時間後に激しく吐瀉した。
 パーマーは相變らず病人につきゝりになってゐたが既に容態が惡化してくると、クックの友人で競馬にも來てゐたジョンといふ外科醫に手紙をかいて、クックが重態だから直ぐきてくれといってやった。
 月曜日になると、クックは餘程持直した。いくらかの食物もおさまるやうになり、午後には床の上に起上って、調馬師や、騎手達と一時間計り用談をしたりした。
 その朝パーマーは倫敦へ出掛けたので、終日病人には會はなかった。パーマーは倫敦で金策をしたが、意の如くならず、高利貸に送る金をやうやく四千五百圓こしらへたゞけであった。彼はその夜十時にルヂェリー町に戻ると、直にニュートンといふ藥劑師の許へゆき、三グレーンのストリキニーネを購めた。
 その夜遅く、クックはバンフォード醫師の寄越した藥だといふパーマーの持参した丸藥を二粒飲んでから、急に容態が惡くなつた。女中が唸聲をきいて馳つけると、クックは寝臺の上でのたうち廻って苦悶してゐた。
 パーマーを迎へにゆくと、彼は一分と經過ない中にやってきて、優しい言葉で病人を慰め、更に藥を與へた。クックは又、激しく吐瀉してその後は疲勞れきって昏々と睡った。恐らくパーマーはクックに阿片丁幾(アヘンチンキ)を與へて永久に眠らせて了ふ心算であったのであらうが、量が多すぎた爲に、目的を果さなかったものと見える。
 翌火曜日、パーマーは藥種店へいってストリキニーネ六グレーンに、阿片と青酸とを買った。藥劑師がそれ等の藥品を調へてゐるところへ、前夜パーマーがストリキニーネを買った店のニュートンが來合せた。すると、パーマーは、
「あゝ、いゝところでお目にかゝった。鳥渡貴殿にお話したい事がある。」といってニュートンを店の外へ連出した。然しそれ程重要な話でもなかったのでニュートンは不審に思ひ、パーマーが歸った後でその店へ戻り、パーマーが何を買っていったかを訊ねた。店主はパーマーの註文でストリキニーネ、阿片、青酸の三種を調劑した旨を語った。
 この日は旅館に、終日人出入りが多かった。パーマーは幾回も病室を訪ねたし、その他バンフォード老醫師も二度迎へられ、クックの友人ジョンスも到着した。彼はクックの部屋に寝臺が二つあるのを幸同室に眠る事にした。
 バンフォード醫師は二度目に病人を診察した後、藥を調整する爲にパーマーと共に外出した。
 老醫師が丸藥を子凾に入れてパーマーに渡すと、彼は、
「恐入りますが、この凾の上に一筆用法を書いておいて下さいませんか。」といった。老醫師はパーマー自身が醫者であるからその必要はないといったが、パーマーが強って要求したので、子凾の上に――就眠前服用――と認めた。
 パーマーはその函を包んでバンフォード醫師の許を辭し、夫から四十分程して旅館へゆき丸藥を二粒クックに服せた。その前に彼は藥の凾をジョンスに示し、
「どうです。確かりした筆蹟ぢゃァありませんか、八十二歳の老人がこれだけ書ければ立派なものですな。」といった。
 クックは藥を服むと間もなく胸が惡いと訴へた。然しこの時には藥は吐かずに了った。ジョンスは十二時頃、衣服を脱いで床に入ったが、枕に頭をつけると、ぢきにクックがパーマーを呼んでくれといった。直に使者が走った。
 すると、殆ど同時にパーマーが入ってきた。彼は、
「こんなに短時間で服を着たのは初めてゞすよ。」といった。だが誰が見ても彼が使者を受けて初めて寝床から起きてきたとは思はれなかった。彼は夜中病人の容態が激變する事を豫期してゐて、呼ばれるのを待構へてゐたに違ひない。
 パーマーは更に二粒の丸藥を病人に與へた。クックは十五分と經過ない中に恐ろしい叫聲と共に寝床の上に飛起き、身體を弓のやうに反りまげてもが(※足宛)き苦しむだ。パーマーとジョンスは無理にクックを横臥させたが、彼は苦み通して、眼をむいたまゝ、虚空を掴んで絶息した。
 パーマーは周章(あわただ)しく雜役夫を呼び、死骸を屋外へ運び出させ、ジョンスには食堂へいって一休みするやうにすゝめた。雜役夫が何氣なく部屋を覗いた時、パーマーはクックの上着のポケットを探ってゐたといふ事である。
 彼はその朝既に倫敦へいって、クックの競馬の賭金を僞領収書によって騙取してきてゐたのである。その他クックの所持金八千圓を着服し、貯金通帳まで窃取してゐた。
 ジョンスが食堂か戻った時寝臺の枕の下に手を突込んでゐた彼は、
「あゝ、ジョンス君、今時計と財布を捜してゐたところです。あゝ、ありました。」といって、時計と、四十五圓計り入った財布をジョンスに渡した。
 翌日、クックの繼父ステファンスが到着した。彼はこの道樂息子を溺愛してゐたゞけに、思掛けない死を酷く悲しみ、同時にパーマーに對して疑念を抱いた。彼はパーマーが獨斷で葬儀萬端を取計った事に不滿を感じてゐた。その上、パーマーはクックに四萬圓程の貸金があるなどゝ云ひ出したので、いよいよ彼を怪しみ出した。それにクックの貯金通帳があった筈であるのに、
「あんなものは、とうの昔、空になって了ってゐたから、捜したって何の役にもたちませんよ。」といってその話を取上げなかった。
 ステファンスはクックの死體を解剖する事を主張した。パーマーは相變らず冷靜であったが、解剖に當る醫師の選定を氣にしてゐた。
 パーマーはクックの死亡診断書の作成をバンフォード醫師に依頼した。老醫師は、
「それは貴殿の役でせう。あれは貴殿の患者だったのだから。」といったが、パーマーは無理に押付けて了った。
 其日は日曜日であったのも拘らず、パーマーは終日忙しく用件を處理してゐた。彼はバンフォード醫師を訪ねた足で郵便局長チェシャイヤアの許へゆき、豫め僞造しておいたクックの四萬圓の借用證書を認定して呉れと依頼したが、其時はチェシャイヤアも應じなかった。
 同じ日、彼は高利貸プラットに手紙を書き、自分とクックとの間の貸借關係に就いては、何事も知らないといふ事にしておいてくれと依頼した。尚その晩、曾つてストリキニーネを調劑したニュートンを自宅へ招待した。
 ニュートンが到着した時、パーマーは臺所の煖爐(ストーブ)の傍で讀書をしてゐた。彼はニュートンにブランデーをすゝめ、世間話をした後、
「犬を殺すにはストリキニーネをどの位やったらいゝでせう。」と、訊ね、尚、ストリキニーネを嚥んで死んだ場合の胃嚢の状態に就いて質問した。その頃は現代ほど醫學が進歩してゐなかったので、ニュートンは、殆ど何等の症状も遺さないだらうと答へた。すると、パーマーは指先を彈き鳴らして、
「そいつはいゝな。」と獨語した。
 翌月曜日、ホテルの大廣間で、クックの死體解剖が行はれた。それに立會ったのは藥劑師のニュートン、バンフォード醫師、ハーランド醫師、ステファンス、パーマー、旅館の主人等十數人であった。
 パーマーはこの時もニュートンに酒をすゝめた。恐らく彼は解剖にたづさはる醫師全部に毒酒をのませたかったであらう。
 メスを執ったのは、前に二回しか經驗のないハーランド醫師で、助手をつとめたのはこれも解剖には何の知識もないニュートンであった。胃嚢を檢べにかゝった時、パーマーは故意によろめいて醫師の肘にぶつかり、危く胃の内容物を全部こはして了ふところであった。醫師は胃の内容物を倫敦へ送って、専門家の分析を仰ぐ爲に壺に入れ、革皮で口を覆ひ、嚴重に封印をした。暫時してその壺が見えなくなったので、人々が大騒ぎをしだすと、遠くの扉の陰に置いてあった。パーマーは、
「あゝ、私がそこへ持ってって置いたのですよ。こっちは人出入りが多くって、躓いたりすると危險ですからね。」といった。ハーランド醫師は壺の封印が破れてゐるのを發見して、
「どうしてこんな事をしたのです?」と詰った。パーマーは、
「私にそんな事をいったって知るものですか。私は何にもしやしません。」といひきった。
 ハーランド醫師は更に嚴重な封印を施して自分の宿へ持去った。後に彼が馬車を雇ふ爲にホテルへ戻ると、パーマーが、
「壺はどうしました、大丈夫ですか。」といった。
「フェラー氏のところへ預けてあるから安全です。」
「あの壺はこれからどうする心算です?」
「バアミンガムか、或は倫敦へもっていって専門醫に鑑定して貰ひます。」
「あゝ、さうですか、それは結構です。」といったものゝ、パーマーは落着かない様子であった。解剖の最中にも、胃嚢に異状がないのが判ると、
「ねえ、バンフォードさん、これで吾々も絞首臺を免れましたよ。」と冗談らしくいったが、隠しきれない不安が顔に表はれてゐた。
 ステファンは自ら壺を倫敦へ持ってゆく事を申出た。そして旅館から停車場までの馬車を雇った。パーマーは馭者をそっと傍へ呼んで、百圓やるから途中で馬車を顛覆させろと談判したが、馭者はそれを拒絶した。
 斯くしてステファンと問題の壺は無事に倫敦に到着した。
 その夜パーマーは、生れて初めて酒に醉った姿を町に現はした。それから數日、パーマーが毎日泥醉してゐたといふ事は、彼の心痛を明瞭に物語ってゐた。
 倫敦でテイラー博士が壺の内容を試驗してゐる最中に、ルヂェリー町の警察では、タルボット・アームの一室に關係者を集め、クックの急死事件に就き、嚴重な取調べをしてゐた。その間パーマーはまるで物に憑かれたやうに、旅館の附近をうろつき廻り、相手さへあれば誰でもつかまへて酒を飲んだ。
 郵便局長は以前パーマーが百姓ベイトに生命保險をかけようとした時、便宜を計った關係から、その事實が公にされるのを惧れ、又してもパーマーの手先となって、親書の秘密を破った。即ち彼は倫敦のテイラー博士と、町の辯護士との間に往復した數通の手紙を開封して、内容をパーマーに通じたのである。この非常識な郵便局長は、十二月五日水曜日の夜、病床に横はってゐたパーマーを訪ねて、
「今日、テイラー博士からきた手紙には、クックの胃の中にはストリキニーネは發見されなかったと書いてありました。」と告げた。パーマーは急に元気づいて起上り、
「さうだらう、私は赤坊のやうに潔白なんだ。」と顏を輝かした。
 パーマーは運命がもう一度自分に加擔したと知るや、更に幸運に惠まれようと思って、土地の檢屍官ワードに鶏を贈り、それに手紙を添へて、
――左様な次第で、胃袋にはストリキニーネも、青酸も、阿片も發見されなかったといふのは、當然の事と存じます。斯く黒白が判明した上は、明日の陪審官の評決は病死といふ極めて平凡な結果と相なる事と推察します。――云々。
と述べ、暗に檢屍官を抱き込むやうな態度をとった。
 愚な郵便局長はパーマーの裁判の時に引合に出され、親書の秘密を破った廉で、二年の懲役に處せられた。
 パーマーは檢屍官に鶏を贈ったゞけでは充分でないと思ったと見え、翌日又五十圓紙幣を封入した手紙を届けた。この時手紙の使者をしたのは曾て危く彼の犠牲者にならうとした百姓のベイトであった。
 檢屍官に贈った五十圓はパーマーにとって實に最後の金であった。然し生死の境に處しては最後の金も惜しむではゐられなかった。
 十二月十四日、金曜日、テイラー博士はわざわざ倫敦から出張して、分析の結果を官憲に報告した。
 醫師達の鑑定はクックが強直痙攣で死んだ點に一致した。死體にはストリキニーネの痕跡は發見されなかったが、強直痙攣はストリキニーネによって誘發される症状である。それにホーキン藥種店の助手ロバートは、クックの死ぬ前日、パーマーがストリキニーネを購入した事實を證言した。そんな譯でクックの死は他殺と決定され、パーマーに對する逮捕状が發行された。
 警官の一行はパーマーの家へ向ったが、彼が病床にあった爲に、三日間の猶豫を與へた。
 パーマーがスタフォード監獄に護送されたのは、十二月のある眞夜中であった。彼に對する世間の公憤は非常なもので、激昂してゐる群衆が何とするか測られなかったので、そのやうな時刻を選んだのであった。其後彼が裁判の爲に倫敦へ移された時も、一隊の騎馬兵が護衛した程であった。
 然しながら日頃パーマーと親交のあった人達は、彼が逮捕された後も、まだ彼の罪を信じきれないでゐた。そのやうに友人の信用が厚かったので、永い間法の手を免れてゐたのであった。
 丁度彼が警官の一行に引立てられて行かうとしてゐるところへ、仲間の惡辯護士スミスが馳付けて、
「ウヰリアム! ウヰリアム! これはどうしたっていふ事なんだ!」と叫んだ。パーマーはそれに答へず涙をはらはらと流した。それはパーマーが一生の中に感情を面に表はした唯一のものであったといふ。
 パーマーが監獄へゆく前に、もう一人訣別を告げにきたのは、女中のエリヂァサームであつた。彼女の生むだ子供も、他の子供等と同様にパーマーの毒手であの世へ送られたのであった。
 田舎町に起ったこの毒殺事件は、全英國の噂の種となった。パーマー夫人、及び弟ウォルターの死骸が發掘された。夫人の死體には多量のアンチモニーが發見され、彼女が永い間毒を盛られ、徐々に死に導かれた事が明白になった。ウオルターの死鎧には毒物は見出されなかったが、青酸による毒死と想像された。青酸の場合、死後時日を經過すると、痕跡を失って了ふものである。
 タルボット・アーム旅館の向側にある、パーマーの棲んでゐた家は世人の好奇心の的となり、遠近から續々と見物人が集った。
 千八百五十六年の七月、利に慧い寫眞師がその家を二週間借り受けて、次のやうな廣告看板を揚げた。
    寫眞師    アレン
ルヂェリー町の紳士淑女諸士に急告!
 毒殺鬼ウヰリアム・パーマーの住宅、及び裏庭を背景とする、紀念撮影に應ず。
  技術優秀  料金至廉
  金縁付一組 十圓五十錢
  並製一組  五十錢より
 この寫眞師アレンは大繁昌で、一身上起したといふ。
 パーマーの裁判は地方で行ふには、餘りに大事件だといふので、議會の協賛を經て、倫敦中央裁判所で行ふ事となった。
 公判が開かれたのは千八百五十六年五月十四日であった。
 ミイ辯護士はこの裁判に於て最も至難な役割を引受けてゐた。彼は凡ゆる情況證據及び醫師の鑑定を共にしてパーマーの無罪を證據立てねばならなかった。彼はクックがパーマーにとってなくてはならぬ大切な友人であった事を力説し、殺人の動機を覆へさうとした。
 醫師の鑑定に於てはクックの體内にストリキニーネは發見し得なかったが、アンチモニーの含まれてゐた事を證據立てた。アンチモニーの中毒による症状はクックが病床に於ける容態と合致してゐた。
 パーマーに取って最も不利な陳述をしたのは藥劑師ニュートンであった。其他クックの繼父ステファン、馭者のマイエット、郵便局長チェシャイヤー、農夫ベイト、高利貸プラット等が證人席に立って、パーマーの罪を裏書した。
 裁判の結果、パーマーは死の宣告を下された。

 パーマーはスタフォード監獄に送られた。彼は倫敦のユーストン驛から一等車に乗せられ、萬一の逃走を防ぐ爲に手錠をはめられ、片足を警官の片足に結びつけられてゐた。
 スタフォード驛に着いたのは眞夜中であった。右手を警察署長にとられ、左手をニューゲート監獄の典獄にとられて、暗い糠雨の中を歩いてゐたパーマーは、
「これゃ、ひどい泥濘だ。こちらは今日大降りだったのですか?」といった。署長がそれに應へて、
「左様、ひどい降りだった。」といった。
 それから五分許りしてパーマーは、
「十二日間の裁判だったから、随分こたへた。……この鎖は厄介だなァ、ちっとも歩けやしない。」とよろめきながら呟いた。
 獨房に入ったパーマーは、最後まで悔悟の様子もなく、遂に罪を自白しなかった。彼は口癖のやうに、
「私はクックをストリキニーネで殺した覺えはないがね。」と繰返してゐた。恐らくその意味は、彼がストリキニーネ以外の毒藥で、クックを殺害したといふ事であらう。
 パーマーは非常に温順しい囚人であったが、或時看守が彼の櫛を見付け、それで自殺でもされては大變だと思って取上げたところ、彼はひどく怒って、
「すぐ理髪師を寄越せ!」と呶鳴り、理髪師に頭髪を短く丸坊主に刈らせて了った。
 彼はよく喰ひ、よく眠った。そして面會人を一切謝絶してゐた。
 六月の晴れた朝、刑務所の廣場は、この稀代の毒殺鬼の最後を見物しようとして集った群衆で埋められた。人々は口々に、
「毒殺鬼! 毒殺鬼」と罵り喚いたが、パーマーは顏色も變へなかった。彼の憎々しい程落着いた態度は一層群衆を激昂させた。
 死刑は執行された。死骸は當時の習慣によって裸體のまゝ、棺にも納めず、監獄の構内に埋められた。
 斯くしてパーマーは僅三十一歳で生涯の幕を閉じた。彼はその短い一生に、幾度か幸運の骨牌(カード)を掴みながら、生來の無分別の爲に折角の骨牌を落して了ったのである。  (完)

注)明かな誤字誤植は修正していますが、やや不自然なところはそのままにしています。
注)極一部を除いて文字のゆらぎは修正していません。句読点は変更したところがあります。


「死の帆船」
「改造」 1931.10. (昭和6年10月号) より

 三本檣の貨物船フラー號が、米國ボストン港を出て、南米ロザリオへ向ったのは一八九六年七月三日であった。當時のボストン、ヘラルド紙の船舶欄に次のやうな數行があった。
――昨三日、當港ヨリ南米ロザリオニ向ヒ出帆セル「フラー」號ハ、荒天ノ爲、ナンタスケット灣に不時投錨セリ。
 夫から數週間後にはそのフラー號といふ名が全米國の新聞紙上に初號活字となって現はれ、この小帆船は忽ち世界の注目の的となった。
 フラー號の全員十二名、その中十一人が男性で、一人だけが女性であった。船長ナッシュは四十二才の男盛りで、彼は半生を海上に送り、フラー號の船長になってからも既に五年目であった。彼の妻ローラ四十才は、彼とは幼馴染で、結婚後ずっと航海を共にしてゐた。
 フラー號が南米へ木材を運ぶ爲に、ボストンを出帆した時は、乗組員の中、船長夫妻か直接知ってゐたのは賄方のスペンサーといふ黒人で、彼は十年も前からナッシュ船長の下に働いてゐた男である。其他の乗組員は悉く出帆數日前に狩業めたもので、各自に名前も知らない者同志であった。
 左舷直には和蘭青年ベルドック、佛蘭西海軍の脱走者ロアーク及びブラウンと自稱してゐる瑞典生れの四十男、右舷直には獨逸生れのスライスそれにアンダーソン及びワッセン、この二人は瑞典生れである。
 船長夫妻の船室に通ずる廊下に面して一二等運轉士及び船客が一人各自部屋をもってゐた。
 この唯一の船客はハーバード大學生のモンクスといふ二十才になる青年であった。彼は暑中休暇を利用して海上生活を樂しむ爲に乗船したもので、六月下旬フラー號を訪ね、賄方のスペンサーや、新任の一等運轉士ブラムに會った。ブラム運轉士は何故か、モンクスの乗船を喜ばぬ様子で、頻りに中止するように勸告したといふ。ブラムは當時三十二才和蘭人と英國人の混血兒で、色淺黒く、頭髪は濃く、精悍な相をもってゐた。 彼は後日法廷に立った時には、西印度の一孤島に生れたといひ、海員手帳には加奈陀生れとあり、身許の判然としない奇怪な人物で、幼少の折、親の家を出奔して以來、或時は料理店に働き、或時は船乗りとなり、轉々と諸國を放浪してゐた。彼は同年六月十日に一ヶ月四十弗の給料でフラー號の一等運轉士に雇はれた。
 二等運轉士ブルムベルグは船長よりも一段大柄な露西亜人で、見るから十人力とでもいひたい程の雲突くばかりの巨漢であった。
 前述の如く、フラー號の乗組員等は悉く初對面であったので、互に「おい」とか「こら」とか「旦那」とかいふ呼方で通してゐて、姓名を正確に知ってゐるものはなかった。ブラム一等運轉士の事を、或者は「ブラウンさん」と稱び、或者は「ブロムさん」と稱むでゐたが、當人は別段訂正しようともしないで、何とでも勝手に稱ばせてゐた。佛蘭西人のロアークは同僚のスライスを「ハリス」と思込むでゐたので、後日法廷に立った時、裁判官をまごつかせた。
 左舵直のブラウンは法廷でユースタス・レオポルド・ウエスターブルグといふ堂々たる姓名を名乗った。何故ブラウンなどと僞名してゐたかと、裁判官に追求された時、
「ブラウンと簡單にいった方が、外國人に覺え易いからです。」と答へた。然し取調べが進行するにつれ、彼の僞名が二つや三つでない事が露見した。
 偖、天候に妨げられて四日間ナンタスケットに假舶してゐたフラー號は、いよいよ七月八日に錨をあげた。
 夫から六日間航海は無事に續いた。船長夫妻、二人の運轉士、及び船客の五人は毎日同じ食卓を圍み、黒人スペンサーが賄方兼給仕を勤めてゐた。
 無聊な航海を慰めるものは讀書か、酒よりなかった。
 二等運轉士ブロムベルグは乗船當時には泥醉してゐたが、其後は餘り醜態を見せなかった。
 モンクスは二本のウヰスキーと、六十本の麥酒を持込むでゐた。尤も航海の終った時、夫等の大部分はまだ殘ってゐた。
 一等運轉士ブラムは二ガロン入のウヰスキーの甕を持込むだが、甲板で引くり返して半ば轉(こぼ)して了った。法廷でその酒が問題となった時、彼はそれは南米にゐる友人への贈物であると述べた。然し賄方のスペンサーが、その酒甕を最後に檢めた時には殆ど空であったといふから矢張り自分の飲料(のみしろ)に持込むだと見える。
 乗組員の中でも、一番仲が惡かったのは一二運轉士であった。彼等は顏を會せた最初の日から大口論をした。
 水夫のワッセンは二人が大聲に喚き合ってゐるのを聞いたが、その原因は知らなかった。その後大工部屋で二人が喧嘩した時には、ベルドッグが傍にゐたが、彼は英語をよく解さないので、何をいひ合ってゐるのか解らないでゐた。彼は證人席でその時の模様を述べ、
「誰と誰の間に喧嘩があったか?」と裁判官に訪ねられ、
「本檣と前檣の間です。」と頓珍漢な應答をして滿廷を哄笑させた。彼は「誰」と「何處」とを取りちがへてゐたのである。
 水夫のロアークは沖へ出てから二日目に、運轉士等が罵り合ってゐるのを聞いたといふ。その時、二等運轉士ブルムベルグが、
「餘計な口を出すな! 俺は乗組員の二十四人もゐる大きな船にゐたんだぞ!」といふのを、ブラム一等運轉士は、
「手前がどんな船にゐようと、俺の知った事ぢゃァねえ、こゝぢゃァ俺が一等運轉士様だ。」とやり返した。
 同じく水夫アンダーソンは、二等運轉士が、
「餘計な口を出しやがると打殺すぞ!」とブラムが喰ってかゝったのを聞いたといふ。黒人スペンサーも同じやうな證言をした。
 一體ブラムは誰にでも無作法であったが、殊に船長夫妻には何彼につけ反抗的な態度に出た。或時、食卓で船長夫人がモンクスに、學校でどんな科目を専攻してゐるかを尋ねた事があった。するとブラムは甲板へ出てから、スペンサーに、
「おい大將、先刻(さっき)のお内儀さんの言草をきいたかい? 女工あがりか何かで何も解りもしない癖に、きいた風なことを吐(ぬか)しやがったな。」と憎々しくいった。彼は常に船長を吝嗇漢(けちんぼ)と罵り、或時など、
「あんな、けちな野郎にこんな船をもたせておくのは勿體ないや、彼奴は溜込み一方で、船のことなんぞは何にも知りやしねえんだからな。いくら齷齪(あくせく)しやがったって地獄まで金を背負ってゆかれやしめえし、いづれ奴がくたばれや、後に殘った内儀さんが若い男と一緒になって、奴が溜めた金を湯水のやうに消費(つか)って了ふさ。」といったことがある。
 偖、七月十三日、月曜日、フラー號はボストンを距(さ)る七百五十哩北緯三十六度零七分、西經五十三度二十五分の大西洋上にあった。海上は靜穏で程よい風があった。
 食堂に集まった五人は、平生通り五時三十分に晩餐をとり食後は一同甲板へ出た。船長夫妻は腕を組むで後尾上甲板を散歩し、モンクス青年は甲板の中央部に椅子を出して腰かけてゐた。
 黒人スペンサーが甲板へ出た時、ブラム一等運轉士は何か船長に話しかけてゐた。少し離れてゐたので、何をいってゐるのか聞えなかったが、最後にブラムが、
「そんな馬鹿なことがあるものか!」と怒鳴って船長を睨付けたといふ。
 夫から一時間後にスペンサーは、運轉士等に夜食の膳を部屋へ運むでゆくと、夫人が船長室の卓子の上に吊してあるランプの芯(※心心心)の工合を直してゐたので、その手傳ひをした。それが黒人の船長夫人を見た最後であった。
 その晩は八時から十二時まで右舷直の當番で、スライスが最初の二時間舵輪をとり、ワッセンがそれに交替し、他の二人は見張りに立ってゐた。
 眞夜中の八點鐘を合圖に左舷直の當番となり、ブラム運轉士が任務に就き、ブラウンが舵輪をとった。見張りに立ったのはロアークと、ベルドッグであった。夫から二時間後にはロアークがブラウンに代って四時まで舵輪をとる事になってゐた。
 當日は陽が落ちでから急に風が強くなって、左舷に爽かな風が當ってゐた。フラー號は全部の帆をあげて、一時間約七ノットの速力で疾走ってゐた。尤も潮流の加減で實際は八ノット位の速力が出てゐた。
 九時に輕微な驟雨がきたので、船長は甲板へ出て、一二分二等運轉士と言葉を交した。般長は夫から部屋へ下りていって燈火を消し寝台へ入った。彼の部屋には食堂の薄暗いランプの光が流込むでゐるだけであった。
 當時、舵輪をとってゐたスライスは、甲板の小さな窓から船長が寝台へ入る姿を見たといってゐた。尤も窓からは船長の脚だけより見えなかったといふ。後日問題となったその窓は縦十六吋、巾十一吋で、舵輪の眞背後についてゐた。
 モンクスは八時に寝台に退き、船體の動揺で扉が軋むのを防ぐ爲に、入口に錠を下した。その時運轉士二人は甲板にをり、船長は自室で讀書をしてゐたといふ。
 モンクスは熟睡中、けたゝましい女の叫聲に目を覺した。彼は船腹を洗ふ波浪や、帆綱に唸る風の音の中で、夢(※漢字不明)現(ゆめうつつ)にきいた其聲が二度三度繰返されて後、初めて床に起上った。續いて船長室の方から不氣味な呻き聲が聞えてきた。大聲に船長の名を呼むだが應答がなかった、彼は啻(ただ)事ならずと見て、枕の下の拳銃を取出し、素足に上靴を引かけて戸の外へ出た。隣りの船長室を覗くと、寝台が一方に傾き、船長自身は牀に轉がって恐ろしい喘音を立ててゐた。
 モンクスは仰天して夫人を起しにいった。夫人の寝室の扉は開放しになってゐて、夫人の姿は見えなかった。彼は白い敷布(シーツ)が眞赤になってゐるのを見たゞけで顏を背向けて了った。彼はその時、大洋の眞只中の暗い船室に唯一人立ってゐる自分を見出して竦然とした。
 時計は午前二時を指してゐた。乗務員等は悉く素性の知れない無頼漢ばかりである。その中の誰かが船長夫妻を惨殺したのである。
 モンクスは船室にひとり殘ってゐることの危險を感じ、甲板へ出ようとした。彼は最初後方昇降口を上りかけたが、ふと誰か階段の上に隠れてゐるのではないかといふ不安に襲はれて踵を返し、前方昇降口を上った。見ると一等運轉士ブラムが、本檣と後檣の間を氣忙しく歩いてゐる。
「おい、ブラム!」モンクスは拳銃を擬して叫むだ。ブラムは突如、足許の板を拾ってモンクスに投付けた。板は的を外れて船口(ハッチ)の方へ飛むでいった。
「君! 僕だ! 船長が殺されてゐるんだ!」
 モンクスは早口に叫むだ。
「そんなことが……………そんな事が信じられるものか!」ブラムは怯えたやうに後退りをした。
「嘘か、眞實(ほんとう)か來て見れば判る。」といふモンクスの言葉に、ブラムは進まぬ様子で階段を下りてきた。
 二人は薄暗い部屋の隅々を氣にしながら、肩を寄せ合って船長室へ入った。死に瀕した船長は咽喉をごろごろ鳴らしてゐた。暫時船長の姿を凝視してゐたブラムは、ぢりぢり後退りをした。モンクスもそれに釣込まれて二人は瀕死の船長を見棄てて甲板へ戻った。モンクスは直ぐ二等運轉士を呼びにゆかうとしたが、ブラムはそれを遮った。
「待て、待て、これはブルムベルグの奴が水夫等を唆かして暴動を起したに違ひない。迂濶にはこゝは動けないぞ。」
 モンクスは舷側に腰を下して暗い空を見上げた。
「今、何時だらう?」
「さァ、何時だか判らない。誰か食堂の時計を遅らせた奴がある。」ブラムは奇怪なことをいった。
 高い檣頭で無數の星が火花のやうに躍ってゐた。白い帆を一杯にあげたフラー號は黒い海の上を横辷りに走ってゐる。
 二人は無言で夜の明けるのを待ってゐた。突然、ブラムがモンクスの足許に跪いて、
「頼むから俺を保護して呉れ。俺は皆と喧嘩してゐたから奴等に憎まれてゐる……………奴等は屹度俺を殺しにくる。どうか俺の味方になって呉れ。」とおいおい泣きながら訴へた。モンクスは彼を慰め、出來るだけの事をしてやると約束した。その中にブラムは急に胸が不良(わる)くなったといひ出した。
「これや屹度、ブルムベルグに飲まされたウヰスキーに毒藥が盛ってあったんだ。」といひ激しく吐瀉した。彼はまだ酒に醉ってゐるらしく五分間ほどよろめきながら甲板をいったりきたりした。
 モンクスは賄方のスペンサーを起してこようといった。するとブラムは又しても、
「そんなことをしたら屹度俺達は不意打を喰はされる。夜が明ける迄こゝを動かない方がいゝ、奴等は何處に隠れてゐるか知れないから危險だ。」と反對するのであった。モンクスはびくびくものだったので、強いてそれを押切らうとはしなかった。
 二人は再び舷側に腰を下して、前後を警戒してゐた。軈て東の空が白むできた。二人は第一に炊事室の扉を叩いた。
「船長が殺されたんだ!」何の前提もなくいひ放ったモンクスの言葉に、黒人は飛上った。
「眞當ですか! そんな事が眞當ですか!」
 スベンサーは吃りながら叫んだ。
「いって見てくるがいゝ、お前は拳銃(ピストル)をもってゐるかね?」モンクスがいった。
「滅相な! そんな危いものをどうして持ってゐるものですか。」
「それぢゃァ、これを貸してやらう。」と横合からブラムが自分の拳銃を黒人に貸與へた。
「鳥渡試して見ませうかな。」黒人は冗談のやうにいってゐたが、舷側へ出ると、いきなり海中へ一發放した。轟然たる爆音に不意を喰ったブラムは危く腰を抜かすところであった。
 黒人は採光窓から下を覗いて、床に横ってゐる船長の姿を見た。彼は梯子を馳下りて船室へ飛込み暫時呆然として死骸を眺めてゐた。
 次に彼は二等運轉士の寝室が開放しになってゐるのに氣付いて中へ入った。見ると、巨漢ブルムベルグは寝台の上で頭を割られ、脚を組合せたまゝ血に染ってゐた。寝台の側面にだらりと垂れた大きな手の指先が全部切斷されてゐた。
 黒人は牡牛のやうな喚き聲をあげながら、甲板へ馳上った。
「大變だ! 二等運轉士も血だらけになって死むでゐる!」
 三人は舵輪を執ってゐたロアークの傍へゆき、夜中に何か變った物音を聞かなかったと訊ねた。無論彼は何も聞かなかった。
 次に彼等は水夫等を召集する爲に、船尾の方へゆきかけると、ブラムが突然、
「彼處に斧がある! あれが兇器だ!」と叫んだ。モンクスと黒人とは、ブラムの指さす方向へ視線をやったが、何も見えなかった。然しブラムは特別優れた視力を持ってゐたと見え、一同が甲板を横切り、繋索板の傍へ近寄ると、板の下に隠れてゐた斧を發見した。それは刄も柄も生々しい鮮血に塗ってゐた。黒人はその斧を取上げて、
「こいつがやったんだ! こいつが船長を殺したのだ!」と叫むだ。ブラムは黒人の手から斧を引たくった。
「こいつがやったんだ! こいつが船長を殺したのだ!」と同じ言葉を幾度も繰返しながら、物に憑れたやうにゲラゲラ笑った。そして、
「こんなものは海へ棄てようか?」といった。モンクスは、
「さうだ、そんな物騒なものは棄てて了った方がいゝ。」と賛成した。黒人が周章てて、
「そんな事を…………」といひかけた時は既う遅かった。斧はブラムスの手を離れて海の中へ飛むでいって了った。
「大切な證據品を棄てて了ふなんて、そんな無法な事はない。後に面倒になりますぜ。」と黒人がいふと、ブラムは暫時思案した後、
「なァに、俺達は斧なんか見なかった事にすればいゝんだ。」と呟いた。黒人はむっとして
「私を何だと思ってゐるんです? 偶人形とでも思ってゐるんですか? いくら貴殿が斧を見なかったといったって、こゝにひとり、貴殿が斧を持ってゐるのを目撃した男がゐますぜ。」といった。すると、ブラムは黒人の肩に手をかけて、
「ねえ、頼むから俺を庇ってくれ。俺に面倒がこないやうにして呉れ。俺には敵が多いんだ。」と泣かぬ計りにいった。
 三人は全員を甲板に召集して夜中の惨劇を告げ、舵手の一人を殘して一同船室へ下りていった。モンクスは首の落ちかゝった二等運轉士の死骸を見たゞけで胸を惡くし、甲板へ戻って了った。
 殘ったもの達は船長夫人の部屋に入り、寝台に仆れてゐる夫人の死體を見た。頭蓋骨はぐつぐつに潰れ、下頤骨は碎け、四肢には切り刻むだやうな無數の傷がついてゐた。寝卷が胸の上までまくれ上ってゐたので、ブラウンは眞先に傍へいって、亂れた裾を延した。
 夜中モンクスが夫人の部屋を覗いた時、死骸に氣付かなかったのは、薄暗かったのと、氣が顛倒してゐたのとで寝台の上の死骸を血の塊と見たのであった。
 船長は頭部に八ヶ所の傷を負ひ、深さ骨膜に達する傷が二ヶ所あった。
 一同は甲板へ引返した。船長なき後のフラー號を指揮するのは當然一等運轉士ブラムであった。然し彼は寧ろ一同に相談を持ちかけるやうな態度で、
「偖、俺達は第一にあの死骸を海へ投込むで了って、船の大掃除をやらうぢゃァないか。」
 といった。眞先にそれに反對したのは獨逸人のスライスであった。
「冗談ぢゃァねえ、大切な證據をぶん投げて了ってどうするんだ。船の大掃除も俺は反對だ。凡てありのまゝにしておいて、警察の調べを受けなくちゃァならねえ。」
 一同はスライスの説に賛成した。スライスは更に、短艇(ボート)を綱で舷側にくゝり付け、其中に死骸を入れて帆布で覆ひをしておく事を提案した。
 相談が纏まると、モンクスは自分の部屋から煙草の箱をもってきて一同に振舞った。
 ブラムは日頃の喧嘩ぽい彼に似合はず、
「こゝにゐる者達は、みんな一家の家族のやうなものだ。互に仲善くして助け合はうぢゃァないか。」といった。彼は船長と二等運轉士とが、夫人の事から喧嘩をして先づ船長は夫人を殺し、次に二等運轉士を殺し、自身は烈しい格闘の結果、出血多量で悶死したものと説明し、
「だが俺達は死人に笞打ってはならない。生きてゐる者は何でもいへるが、死人には口がないからなァ。」と附加へた。
 死骸を甲板へ運び出す前に、モンクスは前方昂(※ママ)降口から後尾甲板まで、血痕の點線が續いてゐるのを發見した。白ペンキで塗った甲板の床には兇器を置いたらしい血痕の跡があり、そこから斧を發見した繋索板の下まで、血の點滴があった。
 ブラウンは二等運轉士の部屋へいって、裁縫道具の入った血塗れの袋をもってゐた。その時ブラウンの着衣に血痕が附着したのだといふ事を後に彼は仲間に語った。
 水夫等は三個の死體を甲板へ運びあげた。ブラウンは夫等を敷布に包むで包み目を縫合せた。彼等が作業をしてゐる間、船客モンクスが舵輪を執った。
 三個の死體を短艇に攻(※ママ)め、いよいよ帆布で覆ひをする時になって、モンクスが納棺式をやらうといひ出した。すると、ブラムが第一に賛成して船室からオルガンを運び出し、奏樂をつけようといった。然しモンクスはそれを却け、一同を短艇の周圍に集め、脱帽させ、自ら聖書の一節を朗讀して、簡單に儀式を濟せた。
 それが濟むと、ブラムは事件の報告書作式をモンクスに依頼した。二十才の青年モンクスは詳細な記録を認め、一同それに署名した。
 後日、審門(※ママ)に際して黒人スペンサーは、
「私は船長と二等運轉士が殺し合ったなどといふブラムの説には信をおいてをりませんでした。屹度他に犯人があると思ってをりました。けれどもあの場合、私としてはそんな獨斷的な事をいって憎まれ役になりたくありませんでした。それで大勢に從ってあの記録に署名したのです。」といった。その他の連中も他人の思惑を惧れて署名した旨を告白した。
 フラー號の全乗組員十二人中、三人が惨殺された。殘ってゐる九人、その中の誰かが犯人にきまってゐる。九人は互に猜疑と恐怖を抱き、夜がきても警戒し合ってゐて殆ど睡眠するものはなかった。彼等は爾後六日間、一人當り總計六時間位より睡眠をとらなかった。
 フラー號は南米への航海を中止し、追風を利用してハリファックス或は聖ジョンの港を目ざす事にした。船長格になったブラムは、ブラウンとロアークを一二等運転士に任命した。
 其日の午前、ブラウンは血痕の附着した仕事着を丸めて海中に投じた。彼はその血痕に就いて死體の始末をした際に汚したといった。
 同午後に、ブラムは大工部屋の道具の柄を全部切斷し、兇器に用ゐられないやうにした上、道具を入れた戸棚を釘づけにした。兇行のあった船室にも錠が下された。
 水曜日の晩は全員甲板に枕を竝べて寝た。その日モンクスは水夫の一人から兇行當夜ブラウンが衣服を着替へたといふ事實を聞込み、それをブラムに語った。その話はスペンサーも聞いてゐたので、三人はブラウンを怪しいと睨み、夜の明けるのを待って彼を監禁する事にした。
 水夫等も事件のあって以來、ブラウンの様子が激變したといってゐる。彼は一層むら氣になって默り込むで了ひ他人に顏を見られる毎に顏色を變へたといふ。
 木曜日、早暁、ブラウンが前方甲板で寝てゐるところをスペンサー、モンクス及びブラムの三人が忍び寄り、黒人のスペンサーが矢庭にブラウンに飛蒐った。ブラムは昇降口に馳下りていって手錠をもってきた。ブラウンは抵抗はしなかったが、
「何故こんな目に遭はせんだ!」と怒鳴った。スペンサーは、
「お前は船長の拳銃を盗むだらう。」といった。
「それは濡衣だ。」とブラウンは反駁した。
「貴様は月曜日の晩、どういふ譯で服を着替へたんだ。」とブラムが詰問すると、
「寒かったから着替へたんだ。」と答へた。
 ブラムはモンクスに、
「これで犯人もつかまったから、お前さんがこの前に書いた記録は不用になった。あんなものは破いて棄てて了ったがいゝ。」といった。
「いや、あの男が犯人かどうか、まだきまった譯ぢゃァない。あれは裁判の時まで、大切にとっておかねばならない。」と青年は答へた。
 フラー號は不安と恐怖を乗せて、渺茫たる海洋を北へ北へと走ってゐた。日が落ちると急に風が冷くなり、甲板では寒さが凌ぎ難い程であった。然し日中は太陽がぢりぢりと照付けるので、死體から發散する臭氣が堪へられなくなってきた。
 土曜日には到頭死骸を積んだ短艇を海へ下して船尾に繋いだ。その日ブラムはワッセンと雜談中、
「若し、ブラウンの野郎が犯人にならねえと、俺達はみんな二年位喰ひこむぜ。」といった。
 土曜日は朝から風が落ちで、沓かに陸地が見えた。多分セイブル島であらうと想像された。遠くに二三の汽船が見えたが。信號の届かぬ距離であった。
 暫時して英國の不定期船が遮づいてきた。モンクスはその船に信號しようと云ひ出した。
「そんな事をして何の役に立つ?」とブラムがいった。
「運轉士を寄越して貰へるかも知れないぢゃァないか。」とモンクスが答へた。
「そんなことをしたら、俺達海員の名譽に係はる。」
「今は名譽を云々してゐる場合でない。一刻も早く陸へ着かなくてはならないのだ。」
 モンクスは濃霧航海中に用ゆる警笛を鳴らし、信號書によって
 ――暴動、救助を乞ふ――
 といふ信號を捜出して旗を掲げた。黒人スペンサーは本檣に攀登って大きな敷布を振った。
 英國船は半時間停船してゐたが、フラー號の滅茶々々な信號を見てアメリカ人の惡戯だと思ったと見て、其儘帆船を見棄てていって了った。
 日没と共に風が出てきた。そして夜になってから深い霧となった。
 日曜日の正午、アンダーソンがモンクスの許へきて、驚膽すべき報告をした。水夫等は後檣に積上げた材木の穴の中に繋がれてゐるブラウンから、次のやうな話をきいたといふ。
 殺人のあった晩、舵輪をとってゐたブラウンは二時少し前に船長室に怪しい物音をきいたので背後の窓から下を覗くと、ブラムが寝臺の上にゐる男を滅多打にしてゐるのを見た。寝臺の男は上半身が見えないので、誰だか判らなかったが、彼は船客のモンクスだと思ってゐた。久時して夫人の室から悲鳴が起った。間もなくブラムが前方昇降口から甲板に現はれた。ブラウンは今度は自分がやられる番だと思ひ、生きた心地がなかったといふ。
 モンクスはスペンサーに謀り、ブラムが後甲板に坐ってゐるところを背後から襲った。スペンサーに組伏せられたブラムは、
「何だってこんなことをするんだ!」と叫むだ。
「船長を殺したからだ。」
「俺はそんな覺えはない。」ブラムは火のやうに眞赤になっていった。
 斯くしてブラム一等運轉士は手錠をはめられ、本檣の近くに繋がれた。
 日曜日の午後に霧が霽れ、夜になって燈臺の光が見えてきた。フラー號はハリファックスから七十哩手前のビーバァ島沖に差しかゝってゐたのである。
 月曜日午後、再び濃霧に閉された。そしてフラー號はいつの間にか漁船の眞中に入ってゐた。船員等は漁師に聲をかけて航路を教へて貰った。依然として霧が立籠めてゐるので、フラー號は火曜日の曉まで立往生をしてゐた。
 翌七月二十一日、水先案内を見付けて事情を傳へた。フラー號の航海はそれで終ったのである。
 三本檣の帆船は三個の死體を積むだ短艇を曳いてハリファックスの港へ入っていった。睡眠不足と極度の恐怖の爲に死人のやうになってゐた乗組員等は、港に着く早々、官憲の取調べや、新聞記者團の包圍に惱まされた。
 檢事はブラムを犯人と認め収監し、殘る八人を有力な證人として拘禁した、
 船客モンクスと黒人スペンサーは取調べの後一先づ釋放された。然し他の水夫等は保釋金を積む事が出來なかったので、その年の十二月公判が開かれる迄、そのまゝになってゐた。尤も彼等にとっては海上生活よりも未決監生活の方が遥に安全で、樂だったに違ひない。
 最初、ハリファックス警察署で取調べがあった時、同署のニコラス探偵がブラムに、
「ブラウンはお前が船長を殺害してゐる現行を目撃したと證言してゐる。」といふと、
「彼奴が俺を見てゐた筈がない。何處で見てゐたんだらう?」とブラムは呟いた。
「ブラウンはその時舵輪をとってゐた。」
「あすこから見える筈はないがな。」
「吾々はブラウンの證言はよって、お前の犯行を認める。だが、お前が單獨であんな大仕事をやったとは考へられない。相棒があったのなら、今の中に吐いて了ったがいゝ。何もお前一人で罪を背負ふ事はない。」
「自分のした事でもないのに、相棒も何もあったものぢゃァありませんよ。俺はブラウンがやったものと計り思ってゐた。他の奴等もみんなさういってをりましたよ。といってもブラウンが犯人だといふ證據を俺が掴むでゐる譯ではないんですがね。」
 この對話の中、ブラウンの最初の二つの答は確に彼がこの事件に關係をもってゐる事を暗示してゐた。彼が船長を殺害してフラー號を横領しようと企てたのではないかといふ有力な證據があがった。
 曾つてブラムが二等運轉士を勤めてゐた「白翼號」の一等運轉士は法廷に出頭して、ブラムが以前「白翼號」の船長を殺し、船諸共積荷全部を賣飛ばす相談を持ちかけたと陳述し、その時彼が笑って取合はなかったので、ブラムは、
「手前がこの般の船長を殺す氣にならねえといふなら、諾威船に乗込まうぢゃァないか、さうすれば乗組員も尠いし、船長は外國人だから殺害(ばら)しても寝覺の惡いことはあるまい。船長さへ片付けて了へば、野郎共は俺達の自由になる。」といったといふ。尚、船舶會社に照會した結果、ブラムは「白翼號」を横領しようとした嫌疑で、一八九六年ニ月一日限り解雇された事實が判明した。
 裁判は同年の十二月十四日から始まった。最も有力な證人はモンクス青年、黒人スペンサー及びブラウンの三人であった。
 ブラウンは當夜八點鐘を合圖に十二時から二時まで舵輪をとってゐた。彼はブラムが前甲板を歩いてゐるのを見掛けた。暗い晩で、ブラムが近づいた時には姿が見え、後は靴音だけが聞えてゐた。最後にブラムの姿が全く甲板から消え、續いて船室から怪しい物音が聞えてきた。ブラウンが舵輪の背後の窓から覗くと、傾いた寝台の下に倒れてゐる男の脚部だけが見えてゐた。 當時ブラウンはそれが船長であるとは知らなかったが、兎に角、その上にのしかゝるやうにして、何かで打据急(※ママ)てゐたのはブラム運轉士であった。兇器は柄だけより見えなかった。その男がブラムであるといふ事は、彼が常に被ってゐた穴のあいた麥藁帽子によって認識する事が出來たといふ。間もなくブラウンは船長夫人の部屋から悲鳴が起ったのを聞いた。そして再び甲板に現はれたブラムを見た。
 この證言はブラウンの過去が法廷に持出された爲、危く覆へされようとした。その過去といふのは五年前にブラウンが一航海を終へ英貨五十五磅を懐中し、アントワープに上陸し、故里コペンハーゲンに歸る列車内で、車中の人々が悉く自分の金貨に目をつけてゐるやうに思ひ始め、不安に堪へられなくなって、ロッテルダムで途中下車し、旅館へ飛込むだ。然し彼の不安は募る計りで夜も眠れず、極度の神經衰弱の結果、十四日間、病院に収容された。
 ブラムの辯護人は當時ブラウンが精神に異常を呈し、矢鱈に發砲した事實を盾にしてブラウンの陳述を價値なきものとなし、犯人はブラウン自身であって、彼が甲板で舵輪をとってゐる間に發作的に氣が狂って兇行を演じたものであると主張した。
 被告ブラムは兇行當夜の行動に就いて、次の如くに述べてゐる。
 午前二時、彼は怪しい物音をきゝ、ブラウンが後檣の小帆の傍に佇むでゐるのを見掛けた。彼がその方へ歩いてゆくと、ブラウンは周章て舵輪の方へ戻った。その時ブラウンは靴を脱いで跣足になってゐた。それから數分して昇降口の方へゆくと、モンクスが拳銃を擬してゐるのを見たので、足元の板を拾って盾にした。(彼は投付けたのではないといった。)
 それから彼はモンクスと共に船室へ下りていって、瀕死の船長を見た。その時船長が咽喉をごろごろいはせてゐたといって、彼は裁判官の前で咽喉を鳴らせて見せたりした。
 彼は船長夫人の部屋を檢にゆかうとしたが、モンクスが氣味惡がったので、自分も悸氣づいて甲板に戻った。
 彼は船長と二等運轉士が夫人の事から殺し合ったといふ推理は、自分の獨創ではなくモンクスの暗示に因るもので、尚、最初に斧を發見したのは黒人スペンサーで、それを海中に投棄する事を提言したのはモンクスであると述べた。
 ブラムは中肉中背で、ものをいふ時肩を張って胸を突出す癖があった。色は淺黒く、一見事務家らしい容貌で、音聲は朗々として彼の言葉は法廷の隅々まで明瞭に聞えた。ブラウンが果して狂人なりや、否やに就いて、専門家の鑑定があった。アントワープの醫師は彼を精神病患者と認定し、他の數名はそれは否定した。
 四十二年間海上生活をした老船長エメルトンは、フラー號の如き帆船に於ては、一分間たりとも舵輪を放擲しておく事は不可能で、若し舵手が持場を離れた場合には、忽ち帆がばたばたと鳴り出して、必ず船員の注意を惹く筈であると證言し、ブラウンが舵輪を離れて兇行を演じたといふ推理を覆した。
 翌一八九七年正月元旦に陪審官の審議があった。十二人の意氣は區々として、其日は竟に裁決に至らなかった。翌日の法廷では再び長文の調書が讀上げられ、二十六時間に亙る審議の末、ブラムの有罪が認められた。
 二月六日、ブラムは絞首刑を宣告されたが、彼は直に上告の手續をとった。
 二回目の裁判は一八九八年三月十六日から四月廿日迄續いた。この時も原審通りブラムは有罪となったが、第一回目の判決直後、議會に於て殺人罪に對する法律が修正され、終身刑といふ一項が加へられた爲、彼の首は救はれた。
 同年七月十二日、惨劇があってから僅二ヶ年目にブラムは終身刑を宣告され、アトランタの州刑務所に送られたが、模範囚の故をもって十五年目に釋放された。
 呪はれた帆船フラー號は恐ろしい過去を「マガレット」といふ可憐な名の下に秘めて再び青い大洋に乗出した。
 惨劇のあってから二十年して、マガレット號の船長フレデリック以下七人の乗組員はフロリダの聖アンドリア灣から木材を積むで伊太利へ向ふ途中、モナコ沖で獨逸の潜航艇に襲はれた。食糧、木材は云ふ迄もなく、乗組員等の所持品一切、煙草のパイプに至るまで獨兵に剥脱され、乗組員は一隻の短艇に生命を托して大洋に漕出した。
 その背後でマガレット號は轟然たる爆音と共に、黒煙を沖天にあげながら、碧い地中海の底へ沈むでいった。これが死の帆船フラー號の劇的最後であった。(完)

注)「ハーバート・フラー号事件」の物語ようですが原典などの詳細は不明。
注)明かな誤字誤植(やや多い)などは修正しています。故意の可能性のありそうな表記はそのままとしています。


「支那人の指」
「犯罪公論」 1931.10. (昭和6年10月号) より

「戸を開けて下さいまし………奥様! 私であります。劉であります。」年老(としと)った支那人が頻りに玄關の扉(ドアー)を叩き續けてゐた。彼は扉に耳を押つけた。家の中はしんとして物音一つしない。
「…………奥様はまだお就寝かな………」と男は呟いた。
 劉福は通ひ下男で、毎朝八時半にベイカー家へくる事になってゐた。
 千九百三十年師走八日、晴れた月曜日の朝であった。劉福は前夜主人のベイカー夫人が氣に入りの青年俳優ミドルトン其他二三の客を招待して小宴を張った事を思出してにやりとした。だが彼はミドルトンの事を考へて鳥渡顏を顰めた。
「…………あの男は少し若過ぎる…………いくら綺麗だって、奥様は六十を越してゐらっしゃるし、あの男はまだ二十五の青二歳だ…………あの若僧は屹度、奥様の金に目が眩れてゐるんだ…………」
 劉福はどうした譯か、ミドルトンに反感をもってゐたし、青年の方でも、この黄色く萎靡(しなび)きった東洋人に好意をもってゐなかった。
「…………昨夜遅くまで酒を召上ったので、今朝は又、宿醉(ふつかよい)に違ひない…………熱い珈琲をこしらへて差上げませう。頭痛を追拂ふにはそれに限る…………今朝は又、二人前かな…………」劉福はしばらく石段の上で待ってゐたが、いつものやうに夫人が扉を開けてくれないので、合釦(※ママ)(あいかぎ)を使って家へ入った。彼は扉に差込むだエール釦(かぎ)を抜取り、廊下を横切って靜に臺所の扉を押した。
 習慣的に浮むでゐた微笑が、劉福の弛むだ頬の上に凍った。
「あっ! 大變だ! 大變だ!」彼は驚愕の餘り、一つところで足踏みをしながら叫びつゞけたが、やがて狂人のやうに喚きながら、表へ飛出した。
 丁度そこで家政婦のレイ夫人に出會った。
「何をそんなに騒いでゐるの? 劉さん、みっともないぢゃァないか、」家政婦は石段の上で口をぱくぱくやってゐる支那人を愼(たしな)めた。
「大變です! 奥様が殺されて…………臺所で死んでゐるんです!」
 家政婦は劉を押除けるやうにして家へ入り臺所を一目見ると、直に警察へ電話をかけた。
「こちらはカリフォルニア街八百十四番ベイカー夫人宅の家政婦です。夫人が臺所で殺されゐるのを只今發見しました。毆打された上、首を締められて…………至急、御臨檢を願ひます。」家政婦は口早にいひ終ると、崩れるやうに牀に坐って了った。
 …………誰がこんな酷たらしい事をしたのだらう? あんな美しい優しい奥様を…………。
 彼女ばかりでなく、ベイカー夫人を知る程の者は誰も彼も彼女を敬愛してゐた。六十歳といふ老境に達しながら、いつ迄もみづみづしい美貌を保ってゐるこの富豪の未亡人は世人の驚異の的になってゐた。如何にして夫人がいつ迄も衰へぬ若さを保ってゐるかといふことは、不思議の一つとして社交界の話題の種になってゐた。夫人は曾ては華かな女優生活をした事もあり、又、文學にも趣味をもった藝術家肌で桑港社交界の花形であった。
 各新聞は第一面に初號標題(みだし)で富豪未亡人の惨殺事件を報道した。
 女優殺害さる!
 萬年美人アパートメントに於て絞殺さる!
 ベーカー夫人を殺したのは誰か?
 情痴犯罪?

 警察では其日の中に劉福を犯人として逮捕した。この一事は痛く社會の視聴を聳てた。由來桑港の支那人街は凡ゆる犯罪の淵源地の如く見做されてゐるが、未だ曾つて支那人が主人を殺害したといふ例は皆無であった。支那人が從僕として主人に忠實であるといふ事は一般の定評である。
 けれども、さうした傳統的な定評も、ベイカー婦人惨殺事件の場合は何の役にも立たず一蹴された。警察は劉を指さしてゐる證據材料の蒐集に没頭した。
 現場に臨檢した警察官は價格數千弗の寶石類が被害者宅から紛失してゐる事を發見した。次に彼等は前夜そこに數人の客が集って小宴を張った事を知ったが、どういふ譯か、てんでそれを問題にしなかった。これは當事者の大失態の一つである。本來ならその小宴につらなった人物が、被害者と如何なる關係をもってゐたかを究める事が最も必要な過程であった。
 檢屍官は死體は尠くも五時間經過してゐると證言した。それによると夫人が殺害されたのは同日の午前三時頃と認定される。
 日曜日の晩、そこの食卓についた人々は男二人、女二人計四人で、その中の一人が死骸となって發見された譯である。後の三人は誰かといふと、青年俳優ミドルトン、もう一人はミドルトンの出演してゐる緑街劇場附きのピアノ弾きビイル、及びその同伴者の一女性で、警察では女性の名を極秘に附してゐると當時の新聞に記してあるが、實は社交界に令名の高いグレーブス夫人であった。右三人の中ミドルトンは殆ど毎晩のやうに夫人の相手役をつとめてゐた。
 ビイルの證言によると、彼は連れの婦人と共に十二時少し前に被害者ベイカー夫人の許を辭去したといふ。
 青年俳優ミドルトンは警官の審問に際して、
「私は十二時牛に夫人の家を出ました。夫人は元氣でした。」といってゐる。警官は何の疑惑をも挾まず、
「御苦勞でした。」といふ事で歸して了ったといふ。
 最初、現場を臨檢したのは桑港警察署きっての老練家、マクギン探偵であった。彼は隈なく部屋々々を捜査した結果、
「物慾を伴ったかも知れぬが、どう見ても立派な情痴犯罪だ。戀人が狂暴漢に變じた觀がある。」と宣言した。彼は被害者の居間にアイダ夫人と署名した被害者宛の誕生祝のカードを發見した。それからもう一つ、被害者の性格の一面を語る興味ある發見は、エドガア・マスタースの詩集が、死骸の近くに置いてあって、その一頁が擴げてあり、特にそこだけに鉛筆で記標(しるし)がつけてあった事である。

――私はジヨージ・エリオットのやうに、偉大になったかも知れない。
若し運命が私に加擔して呉れたなら。
ペンウヰットの手になった私の写真を見ても解る。
手の上に憩(す)ふ頤(おとがい)、夢見る灰色の眼。
だが、そこには昔ながらの問題が横(よこたわ)ってゐる。
獨身生活? 結婚生活? 無貞操? その孰れを選ぶべき。
金持の藥屋さん、ジョン・スラックは私に結婚を申込むだ。
彼は小説を書く時間を與へると私を惑はした。
だが、結婚した私は八人の子供を産むだ。
そしてものを書く時間を失して了った。
それが凡の終局(おわり)であった。
私が赤坊の襁褓(おむつ)を洗ってゐる間に、縫針を指に刺し、
破風傷に罹って死むで了ふのだ。
世の希望(のぞみ)をもつ人々よ、おきゝなさい。
性は人生の呪である!――

 この詩の中の獨身生活といふ文字に鉛筆で記票がつけられ、頁の餘白に夫人の自筆で「これは眞實である」と書いてあった。
 その他住宅中に、美容術、美容法、若返り法等に關する書物が十數冊あった。そして皺除り藥、美容クリーム等等驚くべき多數の化粧品が發見された。奇怪な事には夫等の美容に關する書物があちこちの卓子や椅子の上に整然と擴げられてあった。
 何故書物が開いてあったのか? 何かそれはベイカー夫人の死と因果關係をもつものではあるまいか? 夫人は寝室で襲はれ、撲殺された上、死骸を臺所まで引ずってゆかれたのではあるまいか?
 新聞紙で夫等の疑點を列擧した時、警察では、
「そんな事は問題ではない。吾々はもっと價値のある發見をした。」と冷笑して次のやうな證據をあげた。
一、死體の近くに、約一吋四方程の人體の表皮が落ちてゐた事。
一、男子用の靴の踵から脱れたゴム底。
一、男の背廣服の釦一個。
等が現場から發見された。警察側では犯人が被害者と格闘中に夫等を落したものと認めた。ゴム底は劉福の靴に適合し、釦も彼の常用してゐる服についてゐるもの、そして人體の表皮は正しく劉福の指先から剥落したものである事が判明した。
 被害者のベイカー夫人は寝卷を一枚纏ったゞけで、顏面、肩、頸部に數ヶ所の打撲傷を受け、肋骨が數本粉砕されてゐた。
 同じアパートメントに住むでゐる人々は曉方三時頃、扉を叩きつけるやうな音、續いて廊下から階段を馳下りる跫音等を聞いたといふ。
 警察では支那街に於ける劉福の住宅に捜査の手に延した。一方未決監に収容されてゐる劉福は飽迄犯行を否定してゐた。然し當局は彼の取調べを一週間も延期し、彼の保釋を許さなかった。
 調査を進めてゆくと、現場に滞ちてゐた釦は劉福の服についてゐるものとは同種類であるが、彼の服には完全に釦がついてゐて、一個も失はれてゐなかった。それでも尚警察は劉福が犯人であるといふ意見を翻へさなかった。從ってベイカー夫人を繞ってゐた當然調べなければならない人々を全然不問に附して了ってゐた。この殺人事件に最も密接な關係をもってゐると見做されてゐた青年俳優ミドルトンさへも僅數分の取調べを受けたゞけで、
「これで僕の嫌疑もすっかり霽(は)れてさばさばしました。然し僕は緑街劇場との契約を打切りにして、この忌はしい土地から足を抜いて一刻も早く聖林へ歸るつもりです。」といひ、警官は彼の肩を叩いて、彼の出頭を犒った程である。
 次に警察が掘出してきたのは、劉福の過去、即ち彼が阿片常用者であるといふ事實である。劉福は麻醉劑常用者である事は肯定したが、
「それはづっと昔の事で、當節では既うそんなものとは縁をきって了ひました。それに私は阿片なんてそんな高價なものは使ひませんでした。私の用ゐてをりましたのはエンシイといふものです。」彼は罌粟からとる手製藥の製法を細々と語った。彼は死後遺骨を祖先の地に葬って貰う爲に、數年來一切無駄な費用を省いて節約した。エンシイは支那街の貧民達の愛用するもので、阿片の吸殻を水に溶いたものである。本ものゝ阿片は一罐百弗位するが、同じ量のエンシイだと五弗位で手に入る。
 偖、警察では日夜劉福に自白を迫った。劉は右手の人差指の傷に就いて、
「これは事件のあった二日前、窓拭きをしてゐてガラスの破片で切ったのです。その皮が剥けかゝってゐて邪魔になってゐたから、毟りとって棄てたのです。」といった。警察で檢べると確に窓ガラスの一枚が破損して血痕さへ附着してゐた。警察では更に釦の件を強張した。即ち現場に落ちてゐた釦は、兇行の際劉の服からとれたもので、彼は歸宅後別の釦を縫付けたものと見做した。だが、これも頗る薄弱な論據である。翌朝現場へ戻った時に、何より先に落した釦を捜して處分した筈である。
 青年俳優と劉福とは仲が惡かった。尤も劉福が青年に對して抱いてゐた惡感は決して個人的なものではなかった。即ち彼は主人の戀人としては餘りに若過ぎるので、不幸な結末を豫想する主人思ひから出發したものである。
 未決監にゐる劉福は主人ベイカー夫人の事を語る時は、いつも老眼に涙を宿してゐた。彼は青年俳優の事を惡ざまにいってゐたが、
「それだからといって、何で私が奥様を殺す事がありませう。」といった。
「理由は澤山あるさ、第一に窃盗の目的だ。」
「私は金持です。私は奥様の寶石の在所はすっかり知ってをりましたが、私は金持だから他人様のものなんか欲しいとは思ひません。」劉福は特に金持といふところに力を入れた。彼の銀行預金は僅に三千弗に過ぎなかったが、彼としては大金であったに違ひない。劉福は節約(つつま)しい男で給料以内で生活し、毎月相當の貯金をしてゐた程である。彼が窃盗を目的としたものなら何も夫人を殺害するまでもなく、主人の不在中にいくらでも盗める筈である。
 十二月九日、火燿日、警察では更に證據を蒐集する爲に下町の銀行にあるベイカー夫人の金庫を開き、遺言状によって五十萬弗近くの遺産がある事を發見した。尚同年九月六日の日附で(疑はしい程最近に)夫人の所有地の大部分が羅府に居住してゐる姪のグレース・クライストの名儀に書替られてゐた。遺言状の立會人は故人の財産管理人リンコルン・グラント、羅府の法律家ミラー及び、桑港ウエルスファゴー銀行の代表者等であった。尚遺言状が作成されてから數週間後に、遺言状の附属書に遺産を譲渡さるべき數人の甥や姪の姓名が削除されてゐた。
 普通遺産相續人等は斯うした事件の有力な關係者と目されるものであるが、この場合警察側は全然問題としなかった。もう一つ發見された事は夫人は最近株券を擔保に銀行から一萬一千弗の現金を借り出した事で、而もその金の用途は一切不明であった。金は夫人の若い戀人に貢がれたものか、それとも何か秘密な事業に投資されたものか、或はその金が手許にあった爲に惨劇の動機を招いたものか?
 さうかうしてゐる中に探偵は更に驚くべき發見をした。即ち夫人のアパートメントの地下室に、血痕の附着した劉福の着衣がバケツに浸けてあった事、その傍に積上げてあった古新聞や、古雜誌の下から、血に染った夫人の首飾りと、二個の指輪、腕時計等が現れてきた。だが、それ程重要な證據品が、どうして誰の眼にもつかず地下室の一隅などに置いてあったものか、これもこの事件の謎の一つである。
 劉福はその事實を突つけられて、
「私がそんな間抜けな眞似をすると思ひますか、若し私が寶石を盗むだのなら、あんな人出入りの多いところへなどへ投出して置かず、絶對安全な個所へ隠匿します。それに血痕の附着いた衣服だって支那街の自宅へ持歸れば立派に處分が出來ます。私は人殺しなんか絶對にやった覺えはありません。奥様がいつも手放さずに持ってゐらしったビーズの手提袋を捜し出して下さい。さうすれば屹度犯人がわかります。」といった。
 けれども警察は執拗に劉福の自白を強いた。後に彼は辯護士に、
「警官達は儂が一言うんといへば、思ひきり阿片を吸はせてやるなどといひました。」と語った。
 劉福は支那語で陳述書を作成し、法廷に提出した。それは李温といふ通譯によって英文に翻譯された。

――余は天地神明に誓って、ベイカー夫人を殺害したる覺えなき事を茲に斷言す。夫人は貴重なる寶石類を夥多所持しをり、余欲すれば夫等を掌中して逃逸する事、掌を覆す如く易々たるものなり。夫人は余に絶大な好意を持ち、余は五度夫人の許を去りて、五度迎へられたる程なり。夫人の信頼に乖角するを欲せぎる余の奚(いずくんぞ)かゝる大罪を犯し得んや。
大方賢士、余は凡ての人々が夫人を殺害したる犯人を探索すべく、余に援助を給はらん事を庶幾(こいねが)ふ――

 警察は問題の一萬一千弗の行衛を極力調査した。それは千九百三十年八月十二日、兇行四ヶ月前現金に替へられたものである。更にそれより一年遡って千九百二十八年十二月十四日には一萬三千弗の現金が夫人の手を經て用途不明に消費されてゐる。尤もチャールス探偵はそんな金の行衛を調査するよりも、この事件を劉福に結付ける事に多大の興味をもってゐた。
 ベイカー夫人が惨殺されてから四日目に、探偵長は新聞記者團に向って、劉福が犯人である事は最早動かすべからざるものであると聲明したが、この事件を擔當した三人の探偵等は、劉福の犯行の動機がはっきりしないから、吾々はまだ滿足出來ないといってゐた。
 斯うして當局に於ても意見がまちまちになってゐる最中に例の首飾り、寶石類等が地下室に發見されたのである。ところがそれを發見届出たものは警察側ではなく、故人の財産管理人グラント及び法律家のミラーであった。グラントは劉福が夫人に怨恨を抱いてゐたとか、
「あの男は良くない奴で、ベイカー夫人から一度解雇された事があったが、自分の取做しで再び雇はれるようになった。」とか申立てたが、その理由を説明する事は出來なかった。
 夫人は支那人を信用し、家中どの部屋にも自由に出入を許してゐた事實があるにも拘らず、グラントは、
「夫人が殺される丁度五日前、劉福が卓子(テーブル)の上にあった五弗紙幣を盗むだといって、夫人がきめつけてゐました。それから一度は地下室の鍵を盗むだとかで、ひどく怒られてゐました。然し私はいつも彼奴の肩をもって夫人を宥めて、彼奴が失職しないように取做してやってゐました。」などといってゐる。
 劉福は青年俳優ミドルトンを嫌ってゐたといふ點に就いて訊ねられると、
「あの人はいつでも、いつでも奥様のところへ入り浸りだったから、餘りよくないと思ってゐました。ある時、私は奥様に――あの男のご飯をこしらへるのは厭だから、斷って下さい――といったことがありますが、あの男は相變らずきてゐました。」といひ、兇行のあった四日前に夫人と青年との間に激しい口論があって、最後に青年は、
「私は最う貴女に飽々して了った。もう二度と貴女の顏などは見たくない。」と捨科白を殘して立去り、それから當夜まで四日間、夫人の家に寄りつかなかったと證言した。
 慾の殺人であるといふ警察側の意見が覆へされたのは夫人の居間の机の抽斗に七十五弗の現金が入ってゐた事である。
 劉福の身許調査によって彼が銀行に三千弗の預金を持ってゐる事、温厚篤實で支那人間にも評判の良い男である事が判ってきた。
 支那街の有力者達は劉福の爲に醵金(きょきん)した。忽ち莫大な金が集まった。彼等は劉福が何者かの罠にかゝったものとして斯る不法を看過するは東洋人の屈辱であるとした。加之(しかのみならず)この一事は延いては米國に於ける東洋人全般の死活問題である。若し劉福が主人を殺害したとなると、白人の家庭に住込むでゐる同國人全體の安危にかゝはる。最早一劉福計りでなく、東洋民族の爲に闘はねばならないと、彼等は結束して起った。そして桑港一流の辯護士グロリアに一切を委嘱した。
 グロリア氏は着々と、警察側の築上げた所謂有力なる證據を片端から覆していった。
 この時、與論はいづれに傾いてゐたかといふと、寧ろ劉福の無罪を信ずるものが多かった。
 グロリア氏は幾多の反駁をした。第一餘りに凡ての證據が調ひ過ぎてゐる事は何者かが劉福を陥入れようと謀むだものと想像するに難くない。警察では犯行のあった曉方の四時三十分頃、現場附近から怪しい人物を乗せたタクシー運轉手の證言を何故不問に附したか? 運轉手の證言によると、その男は年頃四十五歳から四十八歳迄、身長五呎七吋位、色黒く丸顏で、濃い口髭を蓄へ、黒羅紗の厚い外套を纏ひ、縁の卷上った黒の中折帽子を被ってゐた。彼はグレー街の近くで自動車を下りたといふ。警察は何故その男を捜し出さないのか?
 又、警察では劉福の前にベイカー家に雇はれてゐた支那人が度々ベイカー夫人を強請にきたといふ事實を知りつゝ、何故その男を捜し出さないのか?
 警察は兇行前夜ベイカー家へ招かれた三人の男女を何故嚴重に取調べなかったか? それから家政婦デキシイ夫人の口供を取らなかった事も失態の一つである。
 警察ではベイカー夫人がそれ迄雇った從僕(しもべ)の行衛を一人として捜し出してゐない。この一事でも警察の調査が疎漏杜選であった事を免れ得ない。
 最も大きな失態は現場の指紋を一つも採らなかった事である。假りに劉福を犯人としても肝心の犯行の動機を明かにし得ない事は、何よりも警察の弱點であった。
 財産管理人グラントは、夫人の頸に堅く卷付けてあった敷布の状態からいっても、劉福位の力があれば充分だといひ、夫人の顏面に痣(きず)をこしらへ、肋骨の二三本の粉碎する程の腕力はないかも知れぬが、阿片か何かを服むでゐれば、老人だって若者に匹敵する程の力を出し得るものだと述べてゐる。
 それに對して醫師は、
「阿片は昂奮劑ではなく、鎮靜劑である。酒のやうに一杯機嫌といふやうな譯にはゆかない。阿片の吸引によって殺伐な行爲をするやうな昂奮状態は絶對に起らない。阿片の作用は睡眠である。心地よい陶醉と、日頃抑制されてゐる慾望の夢を誘致するものである。」といってゐる。
 死體を解剖したムウディ博士は劉福のやうなひ(※尢壬)弱な老人には體格の相違から爲し得ない犯行であると述べてゐる。死體の頸に結びつけてあった敷布(シーツ)は犯行とは無關係で、被害者が絶息した後卷つけられたものであった。それに奇怪な事には夫人の美しい前齒が二本折れてゐて、その二本の齒は部屋の何處にもなかったし、又、夫人の體内にも發見されなかった。劉福の指先から剥れた皮膚の一片や、小さな釦まで發見されながら、被害者の二本の前齒が現場に見出されないのはどうした譯であらう。そんな事から博士は犯行のあったのはアパートメント以外の場所で、兇行後死體はアパートメントへ運込まれたものであらうとさへ推定した。
 斯うした反證が後から後から舉っていった上に、地下室のバケツに漬けてあった血染の服といふのは劉のものではなく、他に所有者が名乗り出た。それは以前同じアパートメントに住むでゐた男か置忘れていったもので、而も科學的考査の結果、血痕などは附着してゐない事が明白になった。
 尚、劉福の家から押収された婦人持の手提袋が、青年俳優ミドルトンによってベイカー夫人の所有品であると斷言されてゐたにも拘はらず、同じアパートメントにゐた某婦人が使用ひ古した揚句、劉福に與へたものであると證言した。更に事件があってから一週間後、即ち十二月十五日に夫人が盗まれたといふ事になってゐた價格一萬弗のダイヤモンドが銀行の金庫内に保管されてゐた事が明かにされた。
 最初、警察官が立會の上で金庫を開いた時には見當らなかった寶石が、後になってグラントによって發見された事は何を語るものであらう。尚、その金庫に入れてあった四百五十弗の現金が、グラントの手許に移されてゐた事も、後になって判明した。グラントは夫人からある事業に投資する爲に托されたのであると言明してゐるが、それなら何故最初にその事を聲明しておかなかったか?
 ベイカー夫人の縁者達はグラントが夫人の私生活にまで立入り、一旦作成した遺書の改竄にあづかった事を憤慨した。
 十二月二十二日、劉福の公判か開かれた。被告席に立った弱々しい老支那人は、慄へる手をあげて證人席の探偵を指さし、
「あの男です! あの男が私を殺すといって脅したのです。罪もない私に罪を強ひて、酷い拷問をしました。六十歳を越えたこの老人を、あの若い屈強な男が散々に責め呵むだのであります! だが、吾々支那人はどんな痛い目に會っても決して嘘は吐きません。拷問を免れる爲に虚僞の自白をするなんて、そんな卑怯な振舞は致しません。警察官達よ私を撲ち殺すなら、今、この場で殺すがいゝ、私はこゝで三度斷言する。奥様を殺したのは私ではない!」
 靜まり返った法廷に、さゞなみのやうな私語が傳はった。傍聴人のどの顏にも劉福に對する好意が浮むでゐた。唯證人席に控へた警察官等の顏だけが紫になり、青くなった。
 裁判長の審問が濟むだ後、辯護人グロリアと検事との間に舌戰が火花を散らした。檢事の旗色が不良くなるにつれて、グラントとその辯護人が頻りに立上ってはグロリアの言論に横槍を入れた。
 裁判長は耐りかねて、
「坐れ! 坐ってゐろ!」と叱叱した。
 十二人の陪審官は審議の結果、劉福の無罪を認め、千九百三十一年三月十八日劉福は無罪を宣告された。傍聴席に怒濤のやうな拍手が起った。その中に劉福の感極まった、
「有難う…………有難う…………」といふ叫聲が斷續してゐた。彼の萎びた頬には涙が傳はってゐた。
 群衆に圍繞(かこま)れた劉福が安らかな支那街に辿りついたのは日没後であった。
 町の人々はお祭りのやうな騒ぎをして劉福の歸宅を迎へた。
 翌日曜日は「劉福日」としてマンダリン劇場で盛大な祝賀會が催された。
 劉福は舞臺に立って場内を埋めてゐる群衆に挨拶をした。
「………私はいつでも、グード・ボーイでありました。私はいつも忠賓でありました。假令警官がどのやうにいはうとも、私はいつもよき下僕でありました。アメリカの人達は私に眞實によくして呉れました。私がベイカー夫人を殺したのでないといった時、アメリカの人逹は直ぐそれを信じて呉れました。私はアメリカの人達の爲に働く事を喜むでをります。だが、私は最早アパートメントに働くのはやめたいと思ひます。
 或人は私に支那へ歸れといひます。私はいつかは歸るつもりでありますが、當分はこの地に止って働く考へでをります。何事が來ようとも私は決して心配致しません。來るものは拒まず、去るものは追はず、これが私の主義であります。人間は正直にさへしてをればあるべきところに殘るものであります。
 私は裁判の間中も、決して心配した事はありませんでした。私が無罪になれば幸、若し有罪となればそれは自分の不運だと覺悟してをりました。世の中には不運な人間が澤山をります。だが、私の友達はみんな私の幸運を祈って呉れました。そして私は今、その幸運を掴む事が出來たのであります。アメリカの裁判官は公平でありました云々。」

 劉福は其後自分を救ってくれた辯護士グロリア氏に雇はれて働く事になった。
 支那人街では今でも警官が劉福を目の敵にしてゐるといふ専の評判であるが、劉福は、
「友逹は儂に――劉福や、お前一刻も早く香港に歸った方がいゝぞ、警察ぢゃァどうしてもお前を犯人にして、迷宮事件を一つ空(へ)らそうとしてゐるんだ。愚圖々々してゐると、とっつかまって酷い目に會ふぞ――といって呉れますが、儂は身に覺えのない事だから、誰が何と云はうと大手を振ってアメリカの町を歩いてゐるつもりです。 今、逃げ隠れをしたら、却って儂を惡人だと思ふ人が出來るかも知れません。だから六ヶ月なり、一ヶ年なり、この土地にゐて、その上で故郷へ歸るかも知れませんが、現在(いま)のところいつ歸るか判りません。」といってゐる。(完)

注)原文は部分的に多数太字表記されていますがここでは区別をしていません。
注)明かな誤字は訂正していますが漢字の用法はそのままとしています。ルビと異なる当て字も多いです。


「自動車火葬事件」
「犯罪公論」 1931.11. (昭和6年11月号) より

溝から這上る男
 村街道の街角にある陽氣なダンス場も、十二時を過ぎると客は大方歸って了ひ、定連の數人ががらんとした酒場の隅に居殘って麥酒(ビール)を飲むでゐた。世間話に興じて一時間餘も腰を据えてゐた土地の青年、ブラウンと、ベイリイは誰よりも最後に、連立って戸外へ出た。
 英國の十一月は既う霜が下りて、冷い夜風が酒場裏の高い樫の木の枝を鳴らしてゐた。二人は帶のやうに丘の下を繞ってゐる本街道を折れて、灌木の繁り合ってゐる小徑を抜けて歸路に就いた。それは千九百三十年十一月六日の午前二時であった。
 突然、数間先の路傍の雜草をがさがさ掻き分けて、空溝の中から黒い人影が這上ってきた。場所柄といひ、時間といひ、二人は悸(ぎょっ)として思はず立竦むだ。
 怪しい男は帽子も被らないで、雨外套の襟を立て、旅行鞄を提げて、二人の傍を無言のまゝ通り過ぎた。六七間行過ぎたところで、二人が何氣なしに顏をあげると、二三丁先の木立の間に、赤々と火焔(ほのお)が立昇ってゐるのを見た。
「何です? あの火は?」ベイリイは背後を振返ってその男に聲をかけた。
「大方、講かゞ篝火でも焚いてゐるのでせう。」と應へた男の聲は、妙に疳高で、うはずってゐた。
 男はそれっきり闇の中に消えて了った。
「今時分、あんなところで篝火も變ぢゃァないか。」
「兎に角、いって見よう。」
 二人は云合したやうに足を早めた。雜木林を潜り抜けてハアデイングストン小路へ出ると、一臺の自動車が火焔に包まれて凄じい勢で燃上ってゐた。
「大變だぞ! 中に人間がゐるやうだ。」
 ブラウンの言葉通り、火焔の隙間から人間らしい姿が見えるが、火勢が強くて傍へ寄る事も出來なかった。
 その中に自動車は八分通り燃えきって了ひ、男とも、女とも知れない黒焦死體が、坐席から運轉臺にのしかゝるやうな姿勢で、俯伏せに仆れてゐるのが見えた。
 二人は警察へ訴へる爲に、本街道を町の方へ走ってゆくと、町はづれで巡邏中のコッピング巡査に行會った。二人から一什(いちぶ)始終を聞いた巡査は、所轄署へ電話で事件を報告した後、直に現場へ向った。
 夫から數分の中に、数人の警官を乗せた自動車が、靜まり返った夜の町を一うなりの下に通り抜け、田舎道の兩側の木立や、ところどころに空を覆ふてゐる常盤木などを頭光(ヘッドライト)に照し出しながら、瞬く間に現場へ到着した。

黒焦死體
 燒けた自動車は小型モリスで、認可番號MU四四六八であった。黒焦死體は四肢の骨片から推測して身長五呎七吋五分、年齢三十歳前後の男子と認められた。下頤骨が碎け、前齒が數本なかった。頭蓋骨は三十四片に粉碎されてゐた。死體の上體は運轉臺にあって顔を俯伏せにし、下半身は坐席にあって右脚を車外に突張り、左脚を上部へ縮めてゐた。
 尚、死體の下には燒殘ったズボンの斷片があって、ガソリンが滲込むでゐた。上衣のポケットの一部も燒殘って、銅貨が三枚入ってゐた。それにもどっぷりとガソリンが附着いてゐた。その他ビジョウが一組と、革帶の金具、長靴だか、短靴だか判らないが、半燒けになった踵の高い婦人靴、夫からガソリン罐の眞鍮の螺旋蓋、黒焦になったガソリン罐等が燒跡に發見された。
 現場から五六間離れた叢に、長さ一尺程の木槌が發見された。丸くなってゐる槌の頭は泥塗れになってゐて、三本の毛髪がこびり着いてゐた。
 死體解剖の結果、肺臟の状態から變死者は炭坑で働いてゐたものと推定された。男は火の炎(もえ)上った時には、まだ生きてゐたもので、死因は燒死とされた。
 官憲の推定によると、現場近くに發見された木槌と、黒焦死體とは重大な因果關係をもつもので、被害者は火災による過失死ではなく、何者かゞ木槌で毆打し、失神状態になってゐるところを自動車に引擦り込み、ガソリンを浴びて火を放ったものであると。
 燒失自動車の認可番號によって、自動車の所有主はアーサー・ルーズである事が容易に判明した。
 ルーズは倫敦郊外ハーン・ヒルに生れ、年齢三十六歳、倫敦市バアネット町、バックステッド通りに自宅を持ち妻子と共に住むでゐる男で、職業は婦人下着製造會社の販賣外交員である。固定週給四十圓の他に旅費と歩合を得てゐて、年収は五千圓乃至六千圓である。
 彼は二十二歳の時、倫敦の某大商店の番頭ワトキンソンの娘リリイと結婚して以來、家庭圓滿で幸福に暮してゐた。彼は家庭では酒も飲まず、煙草も滅多に吸はない眞面目な紳士であった。その上、好男子で、運動家で、社交術にも長けてゐたので、會社でも近所でも評判がよく、殊に彼の属してゐた庭球クラブでは非常なもて方であった。とりわけ婦人連の氣受けがよく、
「ルーズさんは立派な紳士でも、いつ會っても快活な、氣持のいゝ人で、態度や、物越しが慇懃で、誰にでも好かれてゐます。何か心配事でもあったら打明けたいやうな、眞實に頼みになるやうな人です。」と口を揃へて激賞した。
 男の倶樂部員も大體似通った批評をしてゐるが、中には、
「だが、餘り調子がよ過ぎるからな。」と非難めいた言葉を洩らす者もあった。
 兎に角、問題のルーズは三日前から商用で、レスター地方へ旅行してゐて、倫敦の自宅には戻ってゐなかった。彼は自家用の自動車モリスに乗ってゆき、その車には一萬圓の傷害保險が附してあった事が判明した。
 自動車内の死體がルーズでないといふ事は、醫師の鑑定及び燒殘った着衣の斷片等によって明白であった。
 では、黒焦死體は何者であらう?
 五日の夜、ハアトフォードシャの交通巡査が自動自轉車(オートバイ)で巡回中、倫敦バアミンガム本通りで、尾光の消えた自動車が路傍に停車したのを見て、近づくと、二人の男が運轉臺に並むでゐた。操縦してゐた男はルーズで、もう一人は中肉中背の男であったが、夜の事で人相は判らなかったといふ。兎に角、燒死死體となって發見されたのはその男に違ひない。

プリムローズ莊の客
 偖、空溝から這上った男は、物に憑かれたやうに、雜木林の間を走り抜けて村街道へ出た。彼は折りから通りかゝった倫敦行の貨物自動車に聲をかけて乗せて貰った。それは六日の午前二時を少し廻った頃であった。
 男は暁近く、倫敦市の郊外タクホ・コーナーで自動車を下して貰ひ、そこからテームズ河の堤防(エンバンクメント)まで歩いてゆく中に、やうやう東の空が白むできた。彼は商店の開く時間を見斗(みはか)らって、ストランド通りへゆき、とある帽子店で鼠色の中折帽子を購(もと)めた。彼はその附近の料理店で悠々と朝食をとり、ブッシュハウス停車場からニューボート行の汽車に乗込むだ。
 彼は數時間後、目的地で汽車を下りると、驛前から乗合自動車で、ゲリガア村へ向った。
 暮方の事で、車内は殆どがら空であった。
 運轉手は背後の坐席にゐる彼に話かけた。
「旅も今頃はまだいゝですが、月が變ると厄介ですな。」
「旅は旅に違ひないけれども、私は家内の家へゆくところなんだ。」
「へえ、奧さんのところへ?」
「最近結婚した計りなんだが、家内の母親といふのが、家内を手放すのを厭がって、どうしても倫敦へ寄越さないから、こっちから會ひにゆくところさ。」
「それゃ、お樂しみで、だが倫敦からの御出張ぢゃァ、並大抵ぢゃァありませんね。」
「尤も商用で、こっちへは月に二三度はくる事になつてゐるんだよ。それに自分の自動車でくるんだから、費用は大してかゝらないが、數日前に肝心の自動車を盗まれて了ったので閉口してゐる。」
 男が村の入口で乗合自動車を下り、石炭業者ジェンキンスの住居、プリムローズ莊を訪ねたのは、六日夜の八時半であった。
 ジェンキンスの娘アイビーは、いそいそと彼を玄關に迎へた。
「お約束はしてあったけれども、こんなに遅くなったから、どうかしらと心配してゐましたわ。」
「ノザンプトンで自動車を盗まれたので、こゝまでくるには十八時間もかゝったよ。」と男はいった。
 ジェンキンスの一人娘アイビーは、前年の七月看護婦見習生として倫敦に留學してゐた頃、男と知合になり、或時二人は結婚したと稱して、連立ってゲリガアのプリムローズ莊へ戻ってきた。男は近々その家の附近に土地を借り、二人の爲に家屋を新築するといひ、それ以來、度々プリムローズ莊の客となってゐた。
 十一月六日の晩も、男は輕い夜食をして一泊した。食事の最中、ジェンキンスの友人リースといふ男が雜談にきて、その家の客が自動車を盗まれたといふ話を聞き、
「今日の夕刊に、ノザンプトンで燒自動車が發見されたと出てゐましたが、眞逆それぢゃァないでせうね。」といった。
 男は鳥渡顏色を變へたが、
「いや、それは私の自動車とは違ひますよ。」と一笑に附して了った。
 翌七日の朝、主人のジェンキンスが、附近に住んでゐる自動車販賣外交員のブロンヒルと、家の横手の車庫で立話をしてゐるところへ、前夜泊った男が現てきて、
「君、濟みませんが、カーデフの町まで私を乗せていって呉れませんか。」といった。
 ブロンヒルは格別急ぎの用事もなかったので快く承諾した。
 途々、男は盗まれた自動車の話や、ノザンプトンで燃えた自動車の話をした。
「尤もノザンプトンで燒けた自動車が私のモリスだとしても、警察へも盗難届が出てゐるし、保險會社へも通知しておいたから、大した損にはならない。」と男はいった。
 彼はカーデフ驛前で自動車を下り、倫敦行の列車へ乗った。

彼を繞る女達
 警察側ではダンス歸りの二青年、ブラウンとベイリイが、六日の拂暁ハアディングストン小路附近で出會った怪しい男が、自動車の持主ルーズである事を見遁しはしなかった。七日の夕刻迄にはルーズの足取りが悉く判明してゐた。
 倫敦警察のスケリー探偵が、七日の午後九時二十分、ハマースミス驛に張込んでゐると、青褪めた顏をしたルーズが列車を下りてきた。
「君はアルフレッド・ルーズだね。」
「その通りです。」
「では、警察へ同行して呉れ給へ。」
「丁度いゝところでした。私はこれから警視廰へ行かうと思ってゐたところです。いろいろと氣にかゝって一睡も出來なかった位です。これでやっと重荷を下しました。」とルーズはいった。
 自動車内の怪死體事件に就いて、ルーズが逮捕されたといふ報道が新聞紙上に現はれると、倫敦産科醫院の看護婦テレザ・ケイシーから警視廰宛に投書があった。
 それによると、彼女の預ってゐる患者ネリイ・タッカーといふ婦人は、ルーズ婦人と稱し、ルーズは度々病院を訪問し、自動車事件の前夜五日にも彼女を見舞にきたといふ事である。
 段々調査してゆくと、驚くべき事には、ルーズの妻が四人も現はれた。正妻は十餘年前に結婚したリリイで、バックステッド街に住んでゐる。その他に前記ネリイ・タッカー、それからヘレン・キャンベル及びアイビー・ジェンキンス、この二人はいづれも自分がルーズの唯一人の愛妻であると信じてゐた。
 ルーズは右に就いて、
「私には方々に情婦があるので、ちょいちょい家をあけましたが、妻はそれに對して一言もいった事はありません。妻は餘りに賢婦過ぎて私には面白くありませんでした。私はどっちかといふと、男に甘へたり拗ねたりするやうな、娼婦型の女が好きなのです。ところが私の妻は、私の膝に腰かけた事もない程眞面目な女なのです。私は數人の女を知ってゐます。孰れも金のかゝる代物でした。で、私は最近家屋を賣拂って、妻リリイの生活を保證してやり、自分は別居する心算でをりました。」と逃べてゐる。
 官憲の取調べに對して、ルーズの陳述は左の通りである。
「千九百三十年十一月五日、私は會社から賣上金の歩合を受取る爲に、自分の自動車、小型モリスを操縦してレスターに向ひました。途中大北通りで見知らぬ男に頼まれ、自動車に乗せてやりました。男は四十歳位で、身長五呎八吋位、頭髪黒く、薄手の外套を着た田舎訛りのある、商館の番頭風の人物でした。
 私はその男がどういふ人間であるか全然知りませんでしたが、ふと、氣がつくと、私の旅行鞄に手をつけてゐましたので、怪しいなと思ひ、そんな男を同車させた事を後悔しました。久時(しばらく)すると、エンジンの工合が不良(わる)くなったので、ガソリンがきれたのであらうと思ひ、車を路傍につけて、例の鞄を下げて下車しました。そして背後の席に積んであったガソリン罐を持上げようとすると、男が俺がやってやらうといひましたから、罐を男に委せました。その時男は、
――君、煙草はないかね――といひました。
――卷煙草はないが、業巷ぢャァどうだ――私はさういって葉巷を一本與へました。そして、
――燐寸はあるか?――と訊くと、男は、
――燐寸はもってゐる――と答へました。
 私は何だかそんな迂散臭い男と一緒に旅をしてゐるのが厭になって、鞄を提げたまゝ往來を八間計り歩いてゆくと、突然、行手の藪がぱっと明るくなりました。最初私は背後から自動車がきて、その頭光が映ったのだと思ひましたが、何氣なしに振返ると、自分の自動車が燃上ってゐるのです。驚いて驅戻った時には、車體全部が火焔に包まれてゐました。透して見ると、車内に男がゐますので、扉をあけて助け出さうとしましたが、火勢が強くて寄りつけませんでした。
 彼は驚愕の餘り、全身ががたがた慄えてゐました。私は唯、恐ろしいだけが先立って、前後の考慮もなく、夢中でその場を逃去りました。途中で二人の男に出會ひましたが、私は物も云はずに走り過ぎ、街道の端れで、通りかゝった貨物自動車に乗せて貰って倫敦へ引返しました。
 私は、決してそんな見ず識らずの男を殺した覺えはありません。又、殺す理由もありません。」

木槌の謎
 十二月十五日の裁判の時には、ネリイ・タッカー、及びヘレン・キャンベルを初めとして三十餘人の證人が喚問された。
 この日ベッドフォードから法廷へ送られたルーズは、群衆が表口に殺到してゐるので、密に裏口から出廷した。
 開廷前數分前に、窓かけを下した自動車に乗り、厚い覆面をかけた女が辯護士と共に到着した。これがヘレン・キャンベルである。
 覆面の女キャンベル嬢は、ルーズとは十年以來の知合で、職業は女給である。初めてルーズに會ったのは千九百二十年で、翌年の十月には子供が生れたが、五週間目に死亡した。千九百二十五年七月二十五日に又男子を分娩した。その子供は四歳の時、訴訟を起してルーズに引取らせた。ルーズの妻リリイが養子として育てゝゐるのはその子供である。
 産褥を離れて間のないネリイ・タッカーは窶れた顏を證人席に現はした。彼女は空色の帽子を被り、鼠色の毛皮のついた黒い外套に細い體躯(からだ)を包むでゐた。彼女は倫敦郊外ヘンドンに住み、職業は女中である。ルーズとは五年來の知合で、千九百二十八年五月二十日に子供を産むだ。
「その子供の父親は誰だ?」と裁判長に訊ねられ、
「ルーズさんです。」と彼女は聞取り難いやうな低い聲でいって、被告席の方をちらと見た。
「ルーズは子供の養育費を支給してゐたか?」
「はい、私共母子の生活を扶けてゐてくれました。受取ってゐた金額は毎週五圓宛でした。」
 彼女は前年十月二十九日に、二番目の子供を産むだ。それもルーズの子供であると證言した。彼女が最後にルーズに會ったのは、十一月五日の夜七時と八時の間で、産科醫院の一室であった。彼女は、
「私は入院中のところへ、警察の方が見えて、何でも證人として出廷しなければいけないと無理に勸められてこゝへきましたので、私自身としましてはこんなところに立って、ルーズさんのことを兎や角いふ氣は少しもなかったのでございます。」と、述べて證人席を退いた。
 被告席のルーズはその言葉に滿足したらしく微笑を浮べた。
 燒失自動車の鑑定家バックルス大佐は、實地檢證の結果を報告し、ガソリンタンクが洩れてゐた事は事實で、さうした場合疾走中に發火する事があるかも知れないが、運轉してゐれば臭氣によって氣がつくから、發火する迄放任しておく筈はない。それにエンヂンの下部には餘り火が廻ってゐないで、車體の中央部、即ち坐席部が最完全に燃燒し、タイヤの上部は燒け、下部は燒殘ってゐた故、エンヂンから發火したとは認める事は出來ない。 ガソリン罐の破れたものが發見されたが、それは引火によって爆發したものと見える。尚、エンヂンが過失で火を起したものなら、その爆音が附近に住むでゐる村人達の耳に達した筈である。
 其他自動車は横辷りしたとか、衝突したとかいふ形跡はなく、過失による火災であるといふ點は一つも見出されなかったと述べ、若しエンヂンから發火したものなら、車體全部に非常な速力で火が廻り、車體の一部が燒殘るやうな事はないと附加へた。
 次に立った青年ブラウンは、空溝から這上ってきた男は、確に被告席のルーズであると證言し、
「私共が出會った時、ルーズは走ってはゐませんでした。あれは誰かゞ篝火を焚いてゐるのであるといってから、反對側の方へ悠々と歩いてゆきました。私はその時、ルーズの聲が多少ヒステリカルだと思ひましたが、今ルーズの聲を聞いて見て、それが彼の地聲である事を知りました。」といった。
 最初に現場へ馳付けたコッピング巡査は、裁判長の言葉によって、現場で發見した木槌を提出した。裁判長は、白い包紙を解いて、中味を電燈に翳して檢めた。すると被告側の辯護人フィネモアも立上って擴大鏡で木槌を檢めた。
 裁判長はコッピング巡査に二三の證言を求めた。
「君はこの木槌に何か附着いてゐるのに氣がついたか?」
「はい。」
「君はそれを何と見た。」
「人間の頭髪だと思ひます。」
「この木槌を發見したのは何處だ? どんな状態になってゐた? 」
「燒自動車から七八間距(はな)れた叢に落ちてゐました。そこへ投出されてから間がなかったと見えて、叢には跡がついてをりませんでした。」
「君はそれを發見してどうした?」
「私は直接手が觸れないように注意して拾ひ上げ、紙に包むで署へ持ってゆきました。」
 この木槌に就いて、オーエン・ウエストブルグといふ廣告取次業者が證人席に立って、ルーズの所有品である事を證言した。
「私とルーズとは二年來の知己で、千九百三十年の八月に私共の家族と、ルーズ夫妻及びその養子とで、バートンでキャンピングをした事がありました。其時テントの杭を、打込むに就いて、ルーズはその木槌を自動車から持出して使用しました。」と述べた。
 ルーズ自身も木槌は自分の所有品である事を認めた。木槌に附着してゐた三本の毛髪の中、一本は淡褐色の人間の頭髪である事が判明したが、他の二本は人間の毛髪ではないといふ鑑定が附されてゐた。
 裁判長はルーズに、
「木槌に毛髪の附着してゐるのはどういふ譯か?」と訊ねた。
「私の妻は自分で髪を結ったり、鏝をあてたりしますので、着衣に毛がつかないやうに、折々私のシャツを肩にかけた事がありました。」
「その毛がどうして木槌に附着いてゐたのか。」
「どうしてだか解りません。」
「お前は人間の頭を木槌で毆った場合は、木槌に頭髪がつくと思ふか。」
「つくだらうと思ひます。」
「お前は自動車内で故意にガソリンに火を放(つ)けたのではないか?」
「いゝえ、斷じてそんな事はしません。」
「お前は男を木槌で毆って、昏倒したところへガソリンを注ぎかけて火を放ち、自動車諸共火葬にしたのだらう。」
「いゝえ、決してそんなことはありません。」
「お前の自動車に火をつけたのは、お前自身の手であらう。」
「いゝえ。」
「十一月五日の晩、お前はレスターへゆく心算であったといってゐながら、どうしてそんな横道へ自動車を入れたのだ。まるで方向が違ふではないか。」
「私は途中で道路を間違へた事に気付いたので、ガソリンも不充分だと思ひ、近くの村へ車をつける爲に近道をしたのです。」
「お前は眞夜中に會った男に何をした?」
「自動車に乗せてくれといったから、乗せてやったゞけです。」
「では何故その男が自動車諸共火焔に包まれてゐるのを見棄て逃げたか?」
「最初私は、誰か人手を借りようと思ひ、救助を求める爲にその場を立去ったのです。けれども二三丁走ってゆく中に、もう引返してもどうにもならないと考へ、かゝり合になっては面倒だと思って逃げたのです。」
「お前は車の中で男が燒けつゝあるのを平氣が見てゐたのか?」
「私はその時、男が車の中にゐるか、どうか、はっきり知りませんでした。」
「お前は、他人が自分の車と共に燒死した事に就いて責任を感じないか?」
「私の責任だとは思ひません。その男を自動車へ乗せてやったのですから、ガソリンを注ぐ位の手傳ひをさせるのは當然だと思ひました。」
「お前は男が車内にゐるか、どうか判らなかったといってゐるが、最初の陳述では傍へいって男を助け出そうと試みたが、駄目だったといってゐるではないか。」
「私はそんな陳述をした覺えはありません。」
「お前が自動車に拾ひ上げた男は死んでも別に係累などが現はれて騒ぎ立てるやうな人物でない事をお前は知ってゐたのだらう。」
「そんな事を知ってゐる筈はありません。」
「然し、お前は警察で取調べを受けた時、その男を、寝卷も持ってゐないやうな種類の男だといって、暗に浮浪人である事を仄めかしたではないか。」
「さァ、私はそんな事をいひましたでせうか。」
「お前は男が失神したところを自動車へ引擦り込むで火を放けたのだらう。男が車中に寝そべってゐた事を、お前は不思議とは思はないか?」
「無論不思議だと思ひます。」
「男が坐席に腰かけてゐる風にしておいた方が、遥に自然でよかったとは思はないか?」
「私は男の體には指一本觸れた事はありません。又、男を昏倒させた覺えもありません。第一私は生れて以來、他人を撲った經驗は持ちません。」
 裁判長の訊問が濟むと、バアケット檢事はノートも見ないで二時間に亘る峻烈な論告をした。檢事は先づ十一月六日の早曉二時に、二人の青年がハアディングストーン小路の溝から這上ってきた男を見た事から事件の經過を述べ、
「左様な次第で、そんな不思議な時刻に、人氣のない不思議な場所に現はれ、二人の青年に會っても救助を求めようともしないで行過ぎ、青年の一人から遠くの森を赤く染めてゐる火焔に就いて質問された時、篝火であらうなどゝ奇怪な應へをしてをります。被告が篝火と稱したのは自分自身の自動車が燃えてゐる事で、而もその中には何者とも知れぬ人間が救助を呼ぶ事も出來ず、火焔に包まれて燒死しつゝあったのです。 この場合、その不幸な男が何者であるかといふ事などは問題ではありません。吾々は一人の人間の貴重な生命が破壊された事を問題とするのであります。スプリスベリイ博士の鑑定によれば、被害者は火災の起った時にはまだ呼吸があったといふのであります。人間を木槌で昏倒する迄打のめしたゞけでさへ、殘酷の極みであるのに、まだ呼吸のある中にガソリンを注いで火を放つとは言語に絶する蠻行であります。
 被告は見知らぬ男を殺害する動機を持たぬといふ理由をもって、犯行を否定してをります。然し年収五六千圓の被告が妻子を扶養してゐる一方に、數人の女性と關係を持續してゐたなら、經濟的破綻に直面するのは當然であります。恐らく被告は戸籍も家もない浮浪人を犠牲として自動車諸共火葬に附し、保檢金一萬圓を詐取すると同時に、自分自身を燒死したものと見せかけ、既往一切の絆から遁れようと企てたものと思はれます云々。」
 右に對して被告人側では、フィネモア辯護士が答辯に當った。
 彼は第一に燒死した男の身許が不明である事、犯罪の動機がない事等を強調し、若しルーズが犯人なれば、人足が絶える迄、空溝に潜むでゐる筈であるのに、二人の青年が通り合はせた時に溝から這上った行爲は、彼の無罪を語るものであると述べ、
「恐らく燒死した男は、背後の坐席に積むであったガソリン罐を持上げた拍子に、咥へてゐた煙草を落し、ガソリンが引火して火災を起したもので、當然過失死であって、ルーズの責任ではありません。殊に被告ルーズは世界大戰に参加し、頭部と脚部に名譽の負傷をした勇士であります。彼が何の縁故もない見知らぬ男を殺害し、燒却するやうな、そんな卑怯な振舞をする筈はありません。 檢事の指摘されたやうに被告が過去の絆を斷って、自由な生活に入らうといふ意志をもっての犯行であるなら、十一月六日以後、姿を晦まして了ふのが當然で、ジェンキンス家などを訪問する筈はありません云々。」

死の黒帽
 千九百三十一年一月三十一日土曜日の公判に於て、陪審官は退廷二十二分の後、再び席に就いた。
 ルーズは熱心に四邊を見廻した。彼はそれから數分後に、裁判長が死の黒帽を被って最後の宣告をするとは全く豫期してゐなかったらしい。彼は先づ、例によっていつも妻が坐ってゐる席の方を見た。然し彼女は當日判決を聴くに堪へないで、ホテルに引籠ってゐた。ルーズは鳥渡失望したやうな面持で、今度は右側の鐵柵の隙間から、ヘレン・キャンベルとネリイ・タッカーの坐ってゐる席を覗いた。
 彼は陪審官の口から「有罪」といふ言葉が洩れた時、よろめいて倒れかゝり、二人の看守に支へられた。
 裁判長は机の上に兩手を突いて、ルーズの顏を視据えながら、
「……………お前は掟に從って來る三月十日ベッドフォード刑場に於て、絞首刑を執行されるものである。お前はそれに就いて何かいふ事があるか?」といった。ルーズは空咳をした後、裁判長の凝視から眼を背して、「私は飽迄も自分の無罪を主張します。」と呟くやうにいった。彼は宣告が終っても、呆然自失した様子で其場に立竦むでゐて、看守に肩を叩かれて初めて氣がついて退廷した。
 彼は大戰で痛めた脚の爲に、被告席を下りる時、後向きに這ふやうにして階段を下りた。
 ヘレン・キャンベルは泣崩れ、辯護士に扶けられて法廷を出た。ネリイ・タッカーも兩手に顔を埋めて啜泣いてゐた。

灰色の壁
 ルーズの妻リリイは良人の不實な行跡が暴露された後も、尚、彼の忠實な妻であった。
 第一審の時には被告席の良人に眞新らしい白麻布のハンケチを渡し、
「確りおしなさい。」と励ました。ルーズは微笑しながら、
「お前も元氣でおいでよ。」と答へた。
 第二審の時には、ルーズが頭痛を訴へたので、妻は自ら附近の藥種店にゆき、アスピリンを購(もと)めてきて良人にすゝめた。
 第三審の時に、妻が法廷に姿を見せなかったのは、當日彼女はルーズの裁判費用調達の爲に、家屋、家具一切の競賣に立會ったからである。家屋は七千五百圓で糶(せり)上ったが、豫定額八千二百五十圓に達しなかったので、當日は誰の手にも落ちなかった。寝室の家具一式は百十五圓に賣れ、ルーズの描いた「和蘭風景」は千八十圓に賣れた。
 第四審の時、ルーズの父親がリリイに伴はれて法廷に現はれた。彼は兩手を擴げて被告席へ近づいた。ルーズも手を差延べて、父子相抱かうとしたが、看守に遮られた。
 第五審の時にはルーズは退廷する際に、悲しげに妻の方を振返った。妻は看守に牽かれてゆく良人に接吻を投げた。
 ルーズは裁判中、いつも妻の心遣ひで、きちんとした服装をし、胸のポケットに純白のハンケチを覗かせてゐた。
 千九百三十一年三月十日火曜日午前八時、ルーズはベッドフォード刑務所で絞首刑に處せられた。
 ルーズは前夜一晩中まんぢりともしないで、幾度も看守に時間を尋ねたりした。朝食を與へられても紅茶を一口飲んだゝけでその他には手を觸れなかった。
 彼は二人の看守に腕をとられて、よろめきながら絞首臺に上った。彼はその朝妻から贈られた紺の背廣を着たが、カラーをつける事は許されなかった。
 厚い灰色の壁の外では、早朝から蝟集してゐた四百人近くの人々が、寒風に曝されながら、ルーズの死刑執行が終るのを待ってゐた。その中には赤ん坊を抱いた女や、鼻汁を垂らしてゐる兒童(こども)達も交ってゐた。彼等は壁一重の彼方で、人間一人が刑場の露と消えてゆくのを何とも思ってゐないらしく、がやがやと笑ひさゞめいてゐた。十歳から十五歳迄の兒童が一團になって大聲に流行唄などを歌ってゐた。その傍で學童が自轉車の曲乗りをして遊むでゐた。
 ルーズは十秒間で絶命した。死刑執行濟の告知が刑務所の門前に掲げられると、群衆は一人一人散って了った。夫で凡てが終ったのである。
 ルーズに殺害されたと目された男の身許は依然として不明である。一時はカーデフの炭坑で働いてゐたトマス・ウエイトが、ブライトン海岸から行衛不明になったといふ届出があったので、その男ではないかと考へられてゐたが、千九百三十年十二月二日に、當人から無事生存してゐる旨が警察へ通知された。
 斯うして身許不明の變死者に對する殺人犯人に死刑が宣告されたのは、英國裁判所の記録によると、實に百四十年振りであった。
 この事件のルーズに對する判決は聊か苛酷の嫌があるやうに思惟される。世界大戰當時英國士官マルコム中尉が、二週間の休暇で戰線から倫敦へ歸った時、自分の愛妻が露西亜の貴族と姦通してゐるのを發見し、姦夫を射殺した事件があった。その時、世間の同情はマルコム中尉に集り、裁判官も與論に鑑みて、勇敢にも無罪を宣告した。 それとこれとは問題は異ふかも知れないが、兎に角純然たる殺人罪をも場合によっては無罪にして了ふ程の英國の裁判官が、ルーズにこれ程嚴しい宣告を下したのは、彼が二重にも三重にも結婚してゐた不倫な行爲が、裁判官の心象を害したものと見える。

注)明かな誤字誤植などは修正しています。


「運命の玩具」
「犯罪公論」 1932.02. (昭和7年2月号) より

 ――人生は怡(たの)しく、短く――といふ標語を其儘、廿五才の生涯の幕を閉ぢた美女スタアの死は他殺か、自殺か、過失死か、左に掲げる十六項の孰れかが、この疑問に答へるものである。
 スタアは繼父フェイスフルに怨恨をもつ外國人の復讐の犠牲となった。即ちフェイスフルは世界大戰中、米國マサチュセッツ州化學研究所の支配人であって、當時所長ホワイトマン博士は何者かに殺害され、重要な軍需藥品の處方が紛失した事件があった。その嫌疑は某独逸人にかゝり、彼は間諜として處刑された。然しその書類はフェイスフルの掌中に隠されてゐたものと専ら評判されてゐた。そんな事情から、フェイスフルは屡々外國人から脅迫状を受けてゐた事實がある。
 スタアはボストン市の前市長で、屈指の金滿家ピイタースの廻し者に殺害された。ピイタースはスタアが僅十三才の時、その處女を犯し、爾後數年に亙って彼女と醜行を續けてゐた事實が最近外部に洩れ、某暴力團から多額の金員を強請されてゐた。
 スタアは前記暴力團の脅迫者を裏切った爲、團員の制裁を受けた。
 スタアは情人に結婚を強要した爲に殺害された。
 スタアはこれ迄關係した男性の弱點につけ込んで、金員を強請した爲に殺された。
 スタアの美貌は多くの家庭を破壊し、愛人等の間に不幸な爭闘を醸した。それ故彼女を恨む女達の一人に復讐された。
 スタアは激しい性格をもってゐた爲に、彼女を持て餘した情人に殺された。
 狂人の行爲、狂人でなくてどうしてスタアが溺死するまで、淺瀬に女の首を押込んでゐるやうな殘忍な行爲が出來よう。
 情人の醉餘の暴行。
 スタアは大金を所持してゐると見られ、無頼漢、或はタキシーの運轉手に襲はれた。
十一 スタアは汽船の中で泥醉した揚句、誰かと喧嘩をなし、毆打された上、水中に投込まれた。
十二 泥醉して過って甲板から墜落した。
十三 過って自動車にはね飛され、失神中を運轉手によって海濱に運ばれた。
十四 スタアは倫敦行の汽船で密航を企て、出帆後船員に發見され海中に突落された。
十五 スタアは自殺の目的で、歐洲行の汽船に潜み、汽船が沖へ出てから投身した。
十六 船員に暴行を加へられた上、海中に投込まれた。

 米國紐育の有名な海水浴場ロングビーチの別荘に來てゐた二人の青年が朝の散歩中、浪打際の砂上に横(よこたわ)ってゐる美しい女の死體を發見したのは、千九百三十一年六月八日であった。死體は波浪で岸に打揚げられたやうな状態になってゐた。然しこの海岸では潮流の關係から海上の浮揚物は殆ど全部沖へ流されて了って、岸に洗ひあげられる事は絶無といってもよい程である。それ故、女の死體が波浪に打揚げられたものとすれば、未曾有な珍事とせねばならぬ。警察ではこの一事だけでも普通の溺死とは見なかった。
 女は肉色の靴下に、白と黒の花模様の薄いドレスを着てゐるだけで、下着は一切纏ってゐず、靴も穿いてゐなかった。着衣の右肩が裂けて、白い肌が露はれ、右肩から臀部にかけて蚯蚓腫の傷があり、顏面にも打撲傷があった。頭髪は砂に塗れ、美しく揃った皎(しろ)い齒の間に舌端が突出てゐた。これは溺死による窒息死の症状である。
 死體は解剖の結果、肺臟、咽喉、鼻孔等に夥しい海濱の土砂が發見され、女は淺瀬で溺死した事が證明された。尚、女の受けてゐる顏面及び臀部の打撲傷は、死の直前に加へられたもので、胸部及び咽喉部の鬱血は、暴力をもって首を海中に押込まれた時に生じたものと鑑定された。
 それより先、六月六日、土曜日、紐育グリニッチビレーヂ聖路加街十二番館住居の藥學家スタンレイ・フェイスフルが紐育警察署へ出頭し、娘スタア二十五才の捜査願を出した。彼女は前日五日午前九時三十分に、市へ買物に出たきり歸宅しなかったといふ。
 ロングビーチからの紹會によって、警官と共に死體置場へ赴いたフェイスフルは、死體を見て、
「これは確に娘のスタアです。矢張りこんなことになったのですか……斷じて溺死ではありません。私には犯人の見當もついてゐます。」といった。
 フェイスフルは七年前に、現在の妻ヘレンと結婚し、その二人の娘を引取ったのであった。スタアは姉、妹はシルビアといって、二人とも評判の美人であった。母ヘレンは何かの理由で、先夫ワイマンと離婚し、フェイスフルの妻となったのである。
 フェイスフルは警察の訊問に對して、驚くべき事實を發表した。
「直接手を下したかどうかは判りませんが、私が犯人と睨んでゐるのは、ボストンの前市長ピイタースといふ人物です。彼はスタアの母方の遠い親戚で、私の娘達よりも年上の娘や息子のある男です。最初この男がスタアを大變に可愛がって、ちょいちょい自宅へ連れていったりしたのを、吾々夫妻は單なる親切からだと感謝してゐたのです。ところが後になって、スタアは十三の時に、その男に處女を奪はれ、それから十年近く、不倫な關係を續けてゐた事が判り、吾々夫妻は驚愕して善後策を講じたやうな次第であります。 スタアは吾々の結婚しない前は、女學校の寄宿舎で嚴格な教育を受けてゐたのですが、日曜日、その他休暇中にはピイタース自身が迎へにきて、ボストンの自宅へ連れていったりしてゐました。何しろ先方にも同じ年頃の子供がゐるし、ビイタースも父親以上の年輩でしたから、吾々は何の懸念も抱いてゐなかったのです。然るに彼は性的の書物や、いかゞはしい戀愛小説などをスタアに讀ませ、昂奮劑などを用ゆる事を教へ、彼女を精神的にも、肉體的にも、堕落させて了ったのです。 吾々はさうした事實を知り、親戚と相談した結果、ボストン居住の辯護士に事實の調査を依頼しました。その時吾々はスタアの不幸を金錢で贖はうなどといふ事は毛頭考へてをりませんでしたが、こちらの辯護士と、先方の辯護士とが勝手に交渉を進め、ピイタースは二萬弗の賠償金と共に、爾後スタアとの關係を絶對に斷つといふ一札を入れる事になって落着しました。當方でもこの事件を不問にするといふ言質を入れました。その時の契約書は今でも手許にあります。 勿論肉體的、精神的に破壊されたスタアを稍々健康状態に取戻す迄には二萬弗以上の費用がかゝりましたが、吾々はピイタースにそれ以上の金を一文だって要求した事はありません。又、吾々は家庭に於て、この事件は愚か、ピイタースの名さへも口にしない事にしてゐました。この出來事は吾々夫妻と、二人の辯護士と、二人の親戚が知ってゐるだけで、世間には絶對秘密にしてあったのです。然るにスタアの生涯を踏みにぢったこの男は一ヶ月前に再び吾々の生活に立入ってきました。
 或日、吾々はピイタースの顧問辯護士と稱する男の訪問を受けました。彼は吾々家族の誰かが、スタアの過去に就いて口外したのではないかと詰問しました。無論、吾々はそんな覺えはなし、又、當時事件に關係した人々が、そんな事を洩らす筈はないと斷言しました。然しその男の話では、どうした譯かその事實が洩れて、それを種にピイタースを脅迫して金を強請ったものがあるといふ事でした。私の考へではこれはスタア自身の口から洩れたものではないかと思ひます。 私の考へではこれはスタア自身の口から洩れたものではないかと思ひます。スタアは娘心がついて以來、この忌はしい過去に脅かされ常に煩悶してをりました。それに、あの娘は酒を飲むと減茶々々になって、飛でもない事をしたり、喋ったりする癖がありましたから、醉拂ったまぎれに口をすべらしたのかも知れません。勿論娘が酒を飲んで騒ぐ相手に、どんな男がゐたか知りませんから、ピイタースを脅迫したのは何者であるか、想像もつきません。 兎に角、何者かがスタアの代人と稱してピイタースを脅迫したのでせう。ピイタースの辯護士は吾々の違約を責め、スタアを罵って歸ってゆきました。こんな事を考へ合せると、スタアの存在に脅かされてゐるピイタースが、何者かを使唆して娘をなきものにしたのではないかと思ひます。」
 警察ではフェイスフルの陳述中にスタアが常に日記をつけてゐた事實を知り、その日記の提出を求めたが、何故かフェイスフルは、「さァ、その日記が何處にあるか、私共は知りませんから、お目にかける事は出來ません。」と言った。
 警察では即刻聖路加街十二番館へ出張してスタアの部屋を捜査した。日記帳は中々見當らなかったが、最後に書架のテニソンの詩集の背後に隠匿されてあるのを發見した。
 日記の一節に
――愛する人を乗せてゆくフランコニア號に、私は密に乗ってゆかうかしら……若しこの夢を實現する事が出來たなら、私は神を信じサンタクロースを信ずるであらう――
――あゝ、私は何故、六年前、あの霧の深い倫敦の宿で餓死して終はなかったであらう。私はもう一度、あの「六つ鐘」酒場で芳醇なウヰスキーを飲み、一切を忘却したい、地理的奇蹟が現はれて、地球上からこの米國合衆國を消して了って呉れたら、どんなに清々するだらう――
――私は自分の生れた國を呪ふ。自分の育てられた國を憎む。若し私が男であったなら、外國を放浪して忌はしい過去を忘れて了ふだらう。私は昨日、遣場のない憂鬱に襲はれた。紐育市がまるで巨大な墓地のやうに見えた。魔天楼の一つ一つが、墓碑のやうに見えた――
――私は人生の總てを味ひつくした。これ以上何の爲に生きる必要があらう――
――何も考へる事はないのだ。只、面白く愉快に暮せばよいのだ。誰だって總てが滿されてゐるのではない。鳥渡した氣のもちやうで人間はどんなにでも幸福になれる。私にはまだ美しさと、若さと、お金がある――

 だが、この日記の一番大切な部分、即ち彼女が失踪した六月五日から四日間に遡っての頁が切り取られてゐた。
 日記の他に、「思ひ出帳」と記した一冊があった。それにはピイタースとの關係を詳細を極めて記述してあった。其他あらゆる階級、あらゆる年輩の男性二十人との性的關係に就いて、それぞれの場面や、感想が記してあった。夫等によってスタアが憫れむべき性格破産者であった事が窺はれた。 彼女は女としての自覺をもたない中に貞操を失ひ、やうやく青春に目覺めた時には、救ふべからぎるコカインの中毒患者となった。男から男へ移っていったのである。だが、彼女は根こそぎさうした生活に落込んで了ふ事は出來なかった。忌はしい過去をふり棄てて、目覺めた正しい生活に入らうとして悶えてゐた事は、日記の随所に見出す事が出來た。
 男性を翻弄し、嘲笑してゐた彼女も、たった一度眞面目な戀をした。男はフランコニア號の船醫カアである。然し奔放なスタアの日常生活を知ってゐたカア醫師はその相手にならかった。
 抑々、スタアが初めてカア醫師と知合ったのは、彼女が友人の船出を見送りにいった時、酒杯を重ねて泥醉し、滅茶々々になって病室へ擔ぎ込まれ、カア醫師の手當を受けたのが始まりである。
 彼女は死の一週間許り前に、カア醫師に結婚を申込んだが、醫師は、
「お嬢さん、考へてご覧なさい。私が初めて貴女に會った時は、貴女の胃の腑を洗滌してあげたのですよ。どうしてその貴女に對してロマンスなんてもてませう。」と笑って取合はなかったといふ。
 ボストンの前市長ピイタースは、スタアとの關係を極力否定し、彼女の死の謎を解く爲には惜まず費用を提供する旨を發表した。彼は二滿弗をフェイスフル家へ支拂った事に就いて、
「あの金は、私の妻がフェイスフル夫人に贈ったもので、單に親威同志といふ好誼であの母子が倫敦見物にいった時、いろいろ費用がかゝるだらうといふ心遣ひから送金したものです。」と辯明した。然し警察の調査によると、ピイタースは紐育暴力團の一員に十萬弗を支拂った事實があがってゐる。尚、該暴力團員中の若い伊太利人が、スタアと特別親しい關係をもってゐた事も證據立てられた。
 もう一人、スタアの身邊を繞る謎の男にコリンスと名乗る人物がある。尤もこの男が何者であるか、今もって判明してゐない。
 丁度五年前、スタアが或晩歸宅しなかったので、家人が心配して警察へ捜査願を出した結果、彼女がベルブ病院に収容されてゐる事が判明した。最初スタアは、酒を飲み過ぎて病院にかつぎ込まれたと兩親を欺いてゐたが、彼女を病院へ運んだ警官の證言によって、眞相が暴露された。
 スタアは其夜、或男と聖ポール族館に宿泊した。男はジョセフ・コリンスと名乗り、スタアは其妻マリアと宿帳に記してゐた。男女はひどく泥醉し、男は女を撲って氣絶させたので、旅館では驚いて警官を迎へた。警官が到着した時、女は全裸體で寝臺の上に倒れ、その傍に軍人上りらしい體格のいゝ男が立ってゐた。彼は女を病院へ運んでゐるどさくさ紛れに姿を消して了った。
 この事實が五年後になって問題となり、警察ではコリンスなる男を重要な關係者の一人として捜査したが、スタアの兩親を始め、彼女の友人達も誰一人コリンスを知ってゐる者はなかった。或はスタアが醉った揚句、往來から拾ってきた男かも知れない。
 スタアの妹は、
「姉さんは四日の晩、十二時過ぎに歸つてきて、ミリアム・ホプキンスといふ女優の送別會に出席して、迚も素敵な男に會ったといひ、夢中になってその連中の話をしてゐました。一人はブルース、もう一人はジャックといふ實に愉快な人逹だといひました。そして翌日の午後に、又その二人に會ふのだと言って姉さんは朝っぱらから、そはそはして家を出てゆきました。」と言ってゐる。
 然し、女優のホプキンスは自分が聖林へゆくに就いて、當夜知友を集めて告別の宴を開いたが、スタアを招待した覺えはなし、又、そんな二人の青年は出席しなかったと言ってゐる。
 警察では、ブルース及びジャックの二青年を捜査したが、竟にその存在を突止める事は出來なかった。恐らくこれはスタアの口から出任せであったかも知れない。
 スタアは死體となって發見される一週間前に、ノースリバー波止場を出帆した英國リバプール行の汽船フランコニア號の送別會に赴いた事が判明した。その船にはスタアの戀してゐたカア醫師が乗込んでゐた。スタアは船のサロンで杯を重ねてゐる中に、長椅子の上に醉ひつぶれて了ひ、船が出帆してから船員に發見された。船長は港外で彼女を檢閲船に移して陸へ返した。
 スタアは其時、海へ飛込んで死ぬといって散々船員を手古摺らしてゐたが、陸へつく頃にはすっかり機嫌を直し、檢閲官に冗談をいって巫山戯てゐたといふ。尚、彼女は、「あの船には、私の戀しい人が乗ってゐたから、一緒に行ってやらうと思って、わざと醉拂った眞似をしてゐたんだわ。」といった。
 警察ではスタアが波止場では有名な女で、大抵の船員は彼女を知ってゐる事を探知した。
 カナード波止場の自動車溜りに詰めてゐるエデルマンといふ運轉手は、スタアの失踪前後に三回彼女を見掛けたと訴へ出た。
「最初にあの女を見かけたのは五月二十九日の午後三時頃でした。その時女は船渠(ドック)の役人らしい男に援けられて荷揚場の方から歩いてきました。女は男の首に腕を卷付け、男は女の腰を抱上げるやうにしてゐました。二人とも大分酩酊してゐるらしく、足許がふらついてゐました。女は癇高な聲で、何か喚いてゐました。二人は十間計り歩いて行って、男は黄色タキシーに女を乗せました、女が自動車へ乗る時、右脚の脛に長さ一寸計りの傷痕があるのが、薄い肉色の絹靴下を透して見えました。
 次に女を見掛けたのは六月五日金曜日正午頃で、丁度モルタニア號が出帆する當日でした。連れの男は金釦のついた紺サージの服を着て腕に金筋を卷き、襟にカナードといふ金文字が縫付けてありました。身長五尺七八寸、色は淺黒く、眼は鳶色で、頭髪は眞黒でした。黒靴を穿いて帽子は被ってをりませんでした。言葉つきは英國人らしい發音でした。
 女は其時は褐色の仏蘭西縮緬のドレスを着て、外套も、帽子も被ってをりませんでした。二人とも醉ってゐましたが、女の方が餘計醉ってゐました。私の車の傍までくると、女はさっさと扉を開けて中へ入り、男も續いて乗りました。そして聖路加街十二番館へゆけと命じました。その家の前で車を停めると、女だけ車を下りて、
――あばよ、ブルーシィー! ぢゃァ又、四時にね――といひました。男は早く女を追拂って了ひたい様子で、
――來たって駄目だよ、四時ぢゃァ客が乗込んで忙しい最中だ――といひました。女はそれには應へないで、十二番舘の石段を上ってゆきました。私が車を廻すと、男は、
――煩い阿魔だ! さァ直ぐ波上場へ戻ってくれ――といひました。男は波止場で車を下り、荷揚場の方へ入ってゆきました。
 其日の四時少し前、モルタニア號が出帆する數分前に、私は又、波止場で先刻の男女を見掛けました。男は女の腕を掴んでゐました。そして女を私の自動車へ押込むやうに乗せて、
――聖路加街十二番館へ送り届けてくれ、どんな事があっても、こゝへ連れ戻してくれては困るぜ――といひました。然し車が十番街の入口までいった時、女は、
――私、十仙きり持ってゐないから、こゝで下りるわ――といひ、自分で扉をあけて車を飛下りて了ひました。女は一丁場計り歩いてゆきましたが、不意に後戻りをして波上場の方へ曲っていって了ひました。これがその女を見た最後です。」と言った。
 この男の陳述は他の數人の運轉手等の證言と符合してゐた。これ等の證言はスタアがモルタニア號に潜んでゐて、出帆後に投身自殺をしたものか、或は過って甲板から墜落したものであらうと想像された。こゝで見遁してならない事は、聖路加街十二番館のフェイスフル家では、スタアが五日の午前九時三十分に家を出たきり戻らないといってゐるが、運轉手エデルマンは當日正午過ぎに彼女を家まで送って行ったと證言し、その時彼女は褐色のドレスを着てゐたといってゐるが、死骸の纏ってゐたドレスは黒と白の花模様であった事である。
 偖、次に現はれた新事實はスタアがモルタニア號で潜航したといふ説を覆すに充分である。
 當日モルタニア號が出帆して後、波止場から三哩程距れたフラッシングで、スタアを見掛けたといふ男が二人あった。彼等はチャニング館の雇人で、泥醉して路傍に倒れかゝってゐたスタアを介抱し、タキシーを呼んで乗せてやったといってゐる。
 該自動車の運轉手ボックマンも、チャニング館の前で、二人の男に呼止められ、泥醉してゐるスタアを乗せて場末の藥種店まで送ったといひ、途中で女は賭博場に立寄ってウヰスキーの瓶を一本持込み、自分も飲み、運轉手にも飲ませたと逃べてゐる。
 運轉手は探偵を伴って、スタアを送り届けた藥種店へ案内した。店の主人はスタアの寫眞を見て、當日店へ來た女に逹ひないといひ、「店にはいろいろお客が來ますから、一々記憶(おぼ)へてはゐませんが、この娘さんは非常に美人だったのと、ひどく醉拂ってゐたのとで、特に記憶に殘ってゐます。店へ入ってきて、ベロナールを一瓶賣ってくれといひましたが、劇藥ですから斷りました。すると娘さんは電話室へ入って何處かへ電話をかけて店を立去りました。」と語った。
 紐育の毒物學者ゴートラ博士は、スタアの肝臓と腦に多量のベロナールを發見したと言ってゐる。それ故スタアは溺死をする前にベロナールにより昏睡状態に陥ってゐたであらうと想像された。さうなると、いよいよ自殺説、過失説がぐらついてくる。昏睡状態にあるものが、どうして投身自殺をなし、或は過って甲板から墜落する事があらう。もう一つこの疑問を深からしめたのは、スタアが水泳の達人であったといふ事實が友人等によって證言された事である。 水泳の心得あるものが入水自殺を遂げる事は不可能である。それにスタアが死骸となって發見された時に、下着をつけてゐなかったといふのも疑問の一つである。自殺者がわざわざ下着を脱いでドレスだけになり、外套と靴を脱いで海岸へ置いてくるだらうか? 着衣が波浪に洗ひ剥がれるといふ事はあり得るが、特に下着だけが洗ひとられる筈はない。
 次に奇怪な證言をしたのはフェイスフル家の眞背後に住んでゐるバレンタイン夫人である。彼女は六月五日の暮方、フェイスフル家から異様な若い女の叫聲の起るのを聞いた。續いて少し年とった女の聲でそれを愼めるのが聞えた。裏庭を隔てての事で、何をいってゐるのか判らなかったが、年とった方の女の聲が、
――さういふ事はなりません。断じてなりません――といふ言葉だけが聞取れた。暫時してその騒ぎは鎮まった。
「それから間もなく、フェイスフル氏が、何か布に包んだものを擔いで屋根へ上ってゆくのを見ました。氏は恰も誰か見るものがないかを懸念するやうに、前後左右を見廻しながら、非常梯子から大屋根へ上っていって、換氣窓の背後に荷物を下して、こそこそ下りてゆきました。」といふのである。
 右に就いて、フェイスフル家の人々は、スタアは當日午前九時三十分に家を出たきり戻らなかったと言ひ、その晩、自宅にはそんな騒ぎはなかったと斷言し、
「それは多分、私が古絨毯を屋根へ運んだ事だらうと思ひます。他に置場がないので、そんな變なところへ持って行ったのです。」と説明した。
 警察で調べると、氏の言葉通り古絨氈が發見された。尤もフェイスフル家の人々の證言に、どの點まで信を置くべきかは疑問である。
 フェイスフル家の人々は何故か、妹娘シルビアがスタアの失踪した當日から三日間、友人の家に泊りに行ってゐた事實を極秘にしてゐる。それにスタアは家人に無斷で外泊した事は一度もないと、父親が斷言してゐるにも拘らず、彼女はコリンスと旅館に泊った以外に度々外泊した證左があがってゐる。それから最初はスタアが日記をつけてゐたと、口を滑らしてゐながら、後に日記帳の存在を否定し、警官が家宅捜査をしてやうやく發見した事も不可思議である。
 フェイスフル家ではピイタースから受取った二萬弗はスタアの健康を取戻す爲の費用につかったといってゐるが、スタアがアルコール中毒で入院治療を受けたのは、たった九日間である。其後母娘三人は英國倫敦に遊び、スタアはカクテルと巴里仕立の衣装と、ダンスに日を送ってゐた。
この時の旅行では、母親と妹はチェルシイの安ホテルで貧しい生活をしてゐたにも拘らず、スタアのみは中心地の一流旅館に滯在して、豪奢な生活をしてゐた。その頃スタアと知合になった英國士官學校の教官某大尉は、或日スタアが公衆の面前で裸體踊をなし、引つゞいて拳銃事件があった事に就いて次のやうに述べてゐる。
「吾々仲間ではスタアに「笑靨」と綽名をつけてゐました。あの娘はひどく陽氣だったり、急に沈んだり、まるで嵐のやうな激しい性格をもってゐました。
 或晩、酒場で彼女の一團に會った時、彼女は婦人化粧室へ入って行ったと思ふと、不意に素裸體で飛出してきて、大勢の前で踊り始めました。そして呆氣にとられてゐる私の膝の上に坐りました。彼女の同件者は外套をもってきて彼女をくるまうとしましたが、女はそれを蹴り飛して、私の首にしがみつき、脚を私の身體に卷つけて了ひました。他の者達は彼女を引放さうとして大騒ぎをしました。彼女は軍服を着たものには夢中になる性で、その時私が軍服を着てゐたので飛ついたのだと思ひます。 ところが彼女の連れの男は、スタアのさうした振舞を私の責任だとして、私に向って拳銃を放ちました。スタアはその騒ぎに驚いて、悲鳴をあげながら床を蹴り散らしました。二人の婦人がやうやう彼女を化粧室へ連れていって、衣物を着せてきました。彼女は再び酒場へ戻ると、何事もなかったやうに、けろりとして酒を飲んでゐました。」
 次に現はれた驚くべき事實は、米國の有名な彫刻家某が、スタアの母親の依頼を受けて彼女に戀愛教育を施したといふ事である。
 彼は、
「最初、相談をもちかけられた時、餘りの突飛さに呆氣にとられて了ひましたが、スタアが幼少の折に男性から不倫な行爲を受けた爲に、一種の色情患者になってゐる事を母親から打明けられ、彼女を救ふ爲には正しい性教育を施すより途のない事を聞かされたので、私はそれを引受ける事にして、その後屡々彼女を伴って旅行し、夫婦として各地の旅館に滯在した事があります。私はどうかして彼女に、眞實の夫婦關係を教へ、貞操觀念を植付けようと試みましたが、到底救ふ見込みがないので、遂に手をひいて了ひました。」と語ってゐる。
 航海を終へて、再び紐育へ歸ってきたフランコニア號の船醫カアはスタアから受取った三通の手紙をもって警察へ出頭した。三通とも英國リバプール港船會社留で、最後のものはスタアが失踪した前日、六月四日に認めたものである。一通にはフランコニア號見送りの際、泥醉して出帆後發見され、檢閲船で送りかへされた事に就き、カア醫師に迷惑をかけた事を陳謝してゐる。他の二通には自分の戀が叶へられなければ自殺する旨が認めてあった。
 フェイスフル家ではそれ等の手紙を僞事(ぎひつ※ママ)であると主張したので、事件は一時紛糾しかけたが、専門家の鑑定によってスタアの筆跡と判明した。
 然し、この手紙によって彼女の自殺説を強調する譯にはゆかない。彼女の自殺云々は七八年以來の口癖で、曾つて倫敦にゐた時も、旅館で自殺未遂騒ぎを演じた事があった。
 だが、スタアの死が他殺としたなら、犯人は何者であらう?
 彼女は倫敦にゐた時も、紐育へ歸ってからも、非常に金使ひが荒かった。ピイタースから二萬弗位のはした金を貰って、そんなに幾年も贅澤に暮してゐられる筈はない。さうかといってフェイスフル家は決して二人の娘にしたい三昧をさせて置ける程の金持ではない。
 スタアの金の出所は全く謎である。もう一つスタアの死が他殺ではないかといふ理由は、彼女が「二千萬弗消費事件」の重要な證人であった事である。不利な證人の口を永久に閉ぢて了ふ事は、關係者にとって望ましい事であらう。 (完)

注)明かな誤字誤植などは修正しています。


「研究室の殺人」
「ギャング」 1932.05. (昭和7年5月号) より

 桑港のスクワルト博士留守宅では、夫人と三人の子供達が樂しい晩餐の食卓を圍むでゐると、オークランド市から東へ十五哩距れたオルナット・クリークにある主人の化學研究所から電話がかゝってきて、
「いよいよ、數時間の中に研究が完成する。これでやっと三年間の努力が酬いられた譯だ。明日は家へ歸って、久しぶりにお前達に會ふのを樂みにしてゐる。」といふのであった。
 博士は太平洋セルロース會社の總支配人で、同時に會社の技師をつとめ、三年前から會社の研究所に閉籠って。人造絹絲に關する研究に没頭してゐたのである。
 翌、七月三十日午前九時三十分、博士は夫人宛に電信を打った。
 ――余の研究竟の完成せり、一時間後に歸宅の豫定――
 十時十一分前、化學研究所の使丁(こづかい)ウオルターは、博士が昂奮した様子で、室内を歩き廻ってゐる姿を見掛け、日頃沈着な博士に似合ないその時の動作を不思議に思った。
 博士はウオルターを郊外へ使ひに出した。彼は命ぜられたまま家を出たが、博士の事か氣になってならなかった。彼は博士が數日來殆ど徹宵の仕事の爲に心身過勞の體に見受けたので、爆發性藥品の多い研究室で、萬一過失でも仕出來したら大變だといふ懸念をもってゐた。
 ウオルターは博士の吩咐通り使ひには出たものゝ、蟲の知らせとでもいふのか、數丁程いったところで、抑え難い不安に驅られて引返した。彼が丁度研究所の入口に達した時、轟然たる一大音響と共に、研究室から凄じい黒煙が立ち騰った。
 ウオルターは仰天して直に消防署へ警報を送った。消防隊は殆ど數分の中に現場へ到着したので、大事に到らない中に鎮火したが、博士は黒焦死體となって發見された。これは單に一博士を喪ったといふ損失計りでなく、大發明が空しく失はれたといふ國家的の大損害として世人を悲しませた。
 偖、この椿事は極めて自然な過失事件のやうに見做されてゐたが、現場を臨檢した二警官は博士の死を過失とは見なかった。専門家の眼には現場に遺された謎の數々が映った。
一、研究室内の破壊性をもったものは悉く破壊され、硝子瓶に蓄へられてゐた藥品が全部流失してゐたのはいふ迄もないがこゝに奇怪なことは、夫等の藥品中、特に炭化重硫酸鹽だけが部屋全體に飛散し、壁にまで滲込んでゐた。この強力な可燃性品全體が引火したなら、恐らく研究所は跡形もなく、完全燃燒をして終ったであらう。若し使丁ウオルターが危機一髪といふ時に研究所へ戻らなかったなら、このやうに迅速に火を消止める事が出來ず、隣接した工場は烏有に歸したであらう。 然るにそれ程早く鎮火したにも拘らず、博士の死體だけは殆ど認識しがたい程に黒焦となってるた。博士の夫人さへも、僅に死體に附属してゐた金属性の所持品、即ち時計、バンドの金具、カフス釦等によって死體が博士である事を認めたに過ぎなかった。尚、博士の係りつけの醫師は、手足の小さき事、奥歯が一本抜けてゐる事等によって、その死體を證明した。
二、研究室の火は隣室との境の壁までは擴ってゐなかったにも拘らず、隣室の壁に火焔の嘗めた跡があった。その火焔の跡を辿ると、火はそこから研究室の牀へ這込むでゐる。若し火焔が煽られて壁に跡を遺したものなら、直線を描く筈はない。それ故、どうしても隣室から研究室へ可燃性藥品を流し込むだものと認められる。何故だらう?
 いふ迄もなく研究室には爆發性瓦斯が充滿してゐたに違ひない。それ故、何者かゞ隣室へ忍込み、壁の隙間から炭化重硫酸鹽を注ぎ込み、その一端に點火すれば、火は藥品を傳って研究室へ這込み、大爆發と共に博士を燒死させる事が出來る。耐も犯人は壁を隔てゝ身の安全を期する事が出來る。
 では博士の死によって利益を得るのは何者であらう?
 個人として博士に怨恨を抱くものは先づ無いといって差支へなかった。然し博士が三年に亙る發明の完成した暁に、人絹界に大革命が起り、それによって不利を招く同業者はどうであらう? 警察では第一に人絹業者及び生糸業者を嚴重に物色したが、その方面には犯人の目星がつかなかった。
 次の疑問は、現場一面に炭化重硫酸鹽が撒布されてゐたといふ事は犯人が證據湮滅を期したものである事を語ってゐるが、然し如何にして犯人は博士に氣付かれずして、現場に藥品を撒布する事が出來たであらう?
 第三に現場に發見された謎は死骸の下敷になって燒け遺ってゐた毛布の一片である。而もそれにも藥品が充分滲込むでゐた。
 一體研究室でこの毛布は何用をつとめたのであらう? 警察ではこれによって博士は爆發以前、既に死骸となってゐたのではないかといふ疑問を抱いた。即ち爆發は殺人犯人が證據湮滅を目的として行った第二義的のものであると推定した。
 黒焦死體は解剖の結果、頭蓋骨が粉碎されてゐた事が判明した。博士は何者かに背後から襲はれ、一撃の下に倒され、その上藥品を浸した毛布にくるまれて燒却されたものと認められた。
 犯人は果して何者であらう?
 第一に容疑者として擧げられたのは使丁ウオルターである。この男は爆發に先立つ事、僅十一分前に、博士が研究室で仕事をしてゐるのを目撃したと主張してゐる。十一分間に他から犯人が忍込むで博士を撲殺し、研究室を爆發させたとは首肯し難い。
 警察では更に新な發見をした。地下室の白い石膏天井二ヶ所に、大きな血痕があった。それは階上の牀から滲み出たもので丁度その牀は研究室の横手にある戸棚になってゐる。戸棚を檢めると、一見して判らない程に血痕は洗ひ落されてゐた。然し犯人は壁際の隙間から地下室の天井に鮮血が滲み出てゐた事には氣付かなかったと見える。兎に角、犯人は一時死體をその戸棚に隠匿しておいて研究室に證據隠滅の用意をしたに違ひない。
 戸棚に隠匿した死體から流出した血液が牀を傳って地下室の天井を染める迄には、尠くも三十分以上は時間を要する。こゝにも小使が十一分前に生きてゐる博士を見たといふ證言を覆へすものがあった。
 尤も使丁が眞犯人であるなら、何故そんなに早く現場に戻り、火が全體に擴がらない中に警報を發したのであらう? だが、この疑點はウオルターの嫌疑を稀薄にする材料とはならなかった。何故なら彼は消防隊がそんなに早く馳付けるとは豫期しなかったのかも知れない。或は彼が現場附近にゐた事を誰かに見られたかも知れないといふ危惧があったので、愚圖愚圖してゐては自分に嫌疑がかゝると思って、周章てゝ警報を發したものかも知れない。
 然し、使丁ウオルターは博士謀殺犯人として逮捕され、物言ふ血痕をつき付けられても頑として前言を取消さなかった。彼は飽迄も博士は爆發十一分前には生きてゐたと云張った。彼が餘りに頑強で、どうしても自白させる事が出來なかったので警察では彼の心臓の反應によって彼の精神状態を測定し、それによって彼の口供の眞僞を確める生理試験を行った。 人間の顏面表情は如何に虚心平靜を装ってゐても、心臓は精神作用を微妙に感應するものである。それ故、測定機の一端をウオルターの腕に取付けて訊問にかゝった。機械の針はウオルターの答辯に從って、彼の心臓の鼓動を黒線として白紙に描いていった。
「お前はスクワルト博士を殺したか?」
「いゝえ。」
「お前は炭化重硫酸鹽は如何なる性質のものか知てゐるか?」
「はい、爆發性をもってをります。」
「戸棚には何が入ってゐた?」
「私は知りません。」
「爆發直前、お前は何處にゐた?」
「私は研究室へ歸る途中にをりました。」
「お前は死骸をどうしたね?」
「どうも致しません。火力が強くって助け出す事も何も、出來なかったのです。それで直ぐ消防署へ信號しました。」
「お前は蟲が知らせたといふが、どうしてそんな事を感じたのだね?」
「何故かと申しますと、スクワルト博士の様子が平常と異ってゐたからです。どうも様子が變でした。」
「いつ頃からそんなに様子が變ったのだね?」
「五六日前からです。而も、だんだんそれが目につくやうになって來たのです。」
「様子が變ったといふ例を擧げて見ろ。」
「博士は度々私につまらない用を吩咐けました。例へば何か買ってこいといって、私を使ひにやり、買ってくると、碌に見もしないで部屋の隅に投棄てゝおいたり、私を工場までやって何かを持ってこさせておきながら、急に不要だから直ぐ返してこいなどと命令しました。」
「それから?」
「さうです。昨日は犬が研究室へ入ってきたといって、まるで狂人みたやうになって怒りました。」
「犬?」
「はい、それはロドリグスさんの飼犬です。別に何にもしない温順しい犬で、只、研究室へ入ってきて、その邊を嗅ぎ廻っただけなんですが、博士は酷く怒って、犬を蹴り飛ばし、私を呼びつけて、何故犬をこんなところへ入れたと豪い權幕で呶鳴りつけました。」
「匂ひを嗅ぎ廻ったって、何處を嗅いだのだ?」
「戸棚です。何故ですか、犬は戸棚の前を頻りにふんふん嗅いで、戸を引掻いたり、唸ったりしました。」
 警察官はその一言で審問を打切り直に次の行動に移った。ウオルターの精神反應による曲線は、彼が虚僞を語るものでない事を證明した。
 犬が戸棚を嗅いだといふ事實は、博士が研究室にゐた時、戸棚には既に何ものかゞあったといふ事を語ってゐる。そして博士が犬を蹴った事は博士が發見されるのを惧れてゐたあるものが戸棚に藏されてゐた事を暗示してゐる。それはいふ迄もなく死骸である。
 捜査方針は急轉した。警察では前日からの博士の行動を洗ひ始めた。先づいつも博士が食事をしにゆく料理店に就いて調査すると、博士は前日の午後六時頃、某店で夕食を攝(と)った。その時の給仕人は、
「博士がお見えになったのは確かですが、何を注文されたかは記憶してをりません。たゞ胡瓜と豆を召上ったことだけは確實です。」と述べた。
 然るに黒焦死體の胃嚢には食物が入ってゐたが、給仕人のいふ胡瓜と豆の根跡は無かった。
 尚、後頭部の毛髪の一部が燒け遺ってゐた。
一、博士の毛髪は微細なる縮性を帶び、多少營養(※ママ)不良の氣味で、太い個所と、細い個所があった。太さは四〇から六五。
一、死體の毛髪は營養良く、眞直ぐで、太さは七〇から九〇であった。
 次に重要なのは齒である。博士に奥齒が一本無かったが、死體の奥齒は死後抜取られたものである事が判明した。
 警察は、桑港の博士邸に電話をかけて、博士の生命保險額を照會した。夫人は十六萬五千弗である旨を答へた。斯くしてスクワルト博士を殺害した犯人を捜査してるた警察は、博士自身を殺人犯人として捜査する事になった。それは千九百二十五年七月の事であった。
 それにしても博士の身代りになった男は何者であらう? 警察では土地の戸籍調査を行って失踪者の有無をたゞしてゆくと最近の失踪者はロドリグスといふ男だけで、研究室の戸棚を嗅ぎ廻った犬の飼主であった。彼は獨身者で、事件發生三日前から行衛不明になってゐた。尚、町の人々は例の大がその頃から主人を捜してゐるらしく、附近をうろうろしてゐるのを見掛けたといってゐる。
 ロドリグスは丈恰好から年輩まで博士と同じ位で、折々臨時雇として博士の研究室、或は工場に働いてゐた事があった。そんな譯で、無惨な犠牲者はロドリグスと鑑定がつき、死體は警察から彼の家へ移され、友人等によって葬儀萬般の手配がされた。ところがいよいよ出棺といふ間際に、當のロドリグス自身が飄然と現はれて會葬者を驚かせた。 彼は休養の爲に、數日間オークランド市に滯在し、毎日活動寫眞などを觀て暮してゐたといふ。彼は新聞を讀むだことのない男だったので、爆發事件は愚か、自分自身の葬式さへも知らず、町へ入って初めて人の噂をきいて周章てゝ歸宅したのであった。
 では、博士に殺されたのは一體何者であらう? オークランド市の職業紹介所では、
「さういへば、スクワルト博士は度々求人の申込みをしました。それで適當な男を數人紹介しましたが、どういふものか、孰れも博士の氣に入らないで不合格でした。今になって考へて見ると、自分の身代りを物色してゐた譯ですね。その不合格になった人間は皆な博士より丈が高いとか、低いとか、妻帶者であるとかいふ連中でした。」
 と一事務員が語ってゐる。博士は身長、年齢等が自分と同じで、而も係累のない人物を犠牲者としたのであらう。
 警察でもう一度現場を精細に捜査した結果キリスト教傳道小冊(パンフレット)の表紙裏に書かれた手紙の下書き半分と、ギルバートといふ署名を發見した。その手紙を新聞紙上に發表すると、間もなくギルバートを識ってゐるといふ男が警察へ出頭した。彼は勞働者間にキリスト教を布教してゐる傳道師で、
「ギルバートは電氣工夫でして、久時失業してをりましたが、最近非常に良い就職口があって、化學研究所で働く事になったから喜んで呉れといって寄越しました。新聞に掲載されたのは確に私が受取った手紙の下書きだと思ひます。」と語って持参した手紙を示した。そればかりでなく、ギルバートなる電氣工の丈恰好は黒焦死體に符合してゐたので、犠牲者はギルバートに違ひないといふ事になった。
 偖、博士に對する第一の手掛りは、爆發があって間もなく、博士らしい人相の人物が、帽子を眉深に被って、オークランド市に通ずる大通りを足早に歩み去るのを目撃した者があるといふ事實である。その他、工場の附近に博士の自用車が遺棄してあった事によりて、博士は犯行後、十五哩の行程を徒歩でオークランド市へ入ったものと推定された。
 博士は餘程以前からこの犯罪を計劃してゐたものと見える。一番警察で苦心した事は博士の寫眞を手に入れる事であった。博士は過去三年間一度も寫眞を撮さなかった。それ以前の寫眞は口髭を蓄へてゐた頃のが一枚だけ夫人の手許にあるだけで其他は一切破棄したものと見える。然るに實に偶然な事から博士自身も氣の付かない最近の寫眞が一枚だけ存在してゐた。これは寔(まこと)に正邪を知召す神の攝理ともいふべきもので事件發生五週間前に博士はオークランド市の某美髪師から契約不履行の訴訟を提起するといふ脅迫を受けたことがあった。 當時博士はオークランド市の新聞社を訪問して、紙上に現はれた記事に抗議し自身の立場を釋明した。其時、新聞社では該記事と共に掲載すべき寫眞撮影を所望したが、博士は極力それを拒むだ。それで博士と會見した記者は寫眞班に命じてカメラを窓に据付けさせ、博士が社を出て自動車に乗り込まうとするところを寫させた。そんな譯で新聞社には博士の寫眞があった譯である。尤もその時はそれ程の特種でもなかったので、編輯者側ではその寫眞を使用しなかった。それが圖らずもこの爆發事件に於て重要な役目をつとめる事になったのである。
 然しその寫眞と雖、博士が俯向きになってゐるので、顏の半面が帽子の縁に隠れてゐて、殊に新聞紙に掲載されたものは甚だ不鮮明であって、それによって失踪中の博士を探り出す事は、殆ど不可能ではないかとさへ思はれた。それにしても警察では數多い讀者の中、誰かその寫眞によって潜伏中の博士を發見して訴へ出るかも知れないと、萬一の望をかけてゐた。
 事件が發生してから十日目であった。博士の行衛に就いて頭腦を惱してゐるリイ署長の許へ、エドマンドといふ友人が訪ねてきた。
「明晩、僕の家で小宴を開くのだが、君、都合をつけて是非出席して呉れ給へ。」
「迚も駄目だよ。何しろスクワルト博士事件が解決する迄は、僕は一歩も戸外へは出られないのだ。」
「スクワルト博士事件とは一體どういふんだ。」
「冗談ぢゃァない。君、この大事件を知らないのか? どの新聞だって大々的に書立てゝゐるではないか。」
「僕は實の事をいふと、新聞は相場欄より他見た事がないんだ。」
 エドマンドは頭を掻きながらいった。
 署長は事件の概略を語った。
「ふゝん、世の中には随分酷い奴があったもんだね。成程、それぢゃァ君が手を放せないといふのも無理はないが、然しそれにしても君が出席出來ないのは殘念だな。實は是非君に會はせたい人物を招待してあるんでね……その男にはついこの間、オークランド市にアパートメントを有ってゐるヘイウードといふ友達の家で會ったんだ。何でもヘイウードの舊友ださうで。久時、何處か遠くで仕事をしてゐて、最近市へ歸ってきたワーレンといふ機械技師なんだ。」
「何だ、つまらないぢゃァないか、一體君の友達の、また、その友達の單なる機械技師がどうして又、そんなに君の興味を唆ったのだ。」
「ところが君、一口に機械技師とはいふものゝ、まァ一遍會って見給へ。あんな愉快な奴ってありゃしない。あの男に會ったら、君の額の皺なんて一度に吹き飛むで終ふから……洒落の連發、話題は豐富、而も非常に知識的なんだ。まるで宴會を一人で背負って立ってゐるやうな有様で、吾々は實に一晩を夢のやうに愉快に過して終った譯さ。それで僕も明日の晩餐會にはその男も招待しておいたのだ。」
 然し、リイ署長は熱心な友達の招致を謝絶して、その晩餐會には出席しなかった。
 偖、當夜になってヘイウードはワーレンを同伴する筈であったが、彼が急に感冒に罹って發熱した爲、單獨で出席した。そんな譯で集った人々は一しきりワーレンの噂、それからもう一人の不参加者リイ署長も事から、話題は自然とスクワルト博士事件に及むだ。
「新聞に、寫眞が現てゐたのか、そんな極惡非道な奴はどんな面をしてゐるか、見たいものだな。」
 主人公のエドマンドは奉公人に命じて前日の新聞を持ってこさせた。來客等はその寫眞を見て各自に思ひ思ひの批評をしたが、結局寫眞が不鮮明であるから的確な判斷は下せないといふ事に一致した。その時、傍から新聞の寫眞を覗込むでゐたエドマンドの心にふと何事か浮むだが、彼はそれに就いて一言も口にしなかった。
 彼は翌朝匆々に警察署へ出掛けていってリイ署長に面會した。
「先づ第一に、スクワルト博士の寫眞があったら見せて貰ひたい。新聞に掲てゐるのは不鮮明で役に立たないから……」
「よろしいとも。」署長は氣輕に新聞社から貰ってきた寫眞を出した。エドマンドは少時寫眞を凝視した後、
「君、君は屹度、今直ぐにでもワーレン技師に會ひたいと思ふだらうよ。」といった。
「そりゃ、どういふ譯だ?」署長は怪訝さうにエドマンドを見上げた。
「どうしてったって、ワーレンはスクワルト博士だよ。」
 夫れから三十分後に、警官の一行はエドマンドの案内でオークランド市へ急行した。市の警察からも應援が出て、警官隊は二手に分れ、一隊は裏口に廻り、一隊は正面からワーレンのアパートメントに迫った。
 警官の一人が石段を上ってワーレンの呼鈴を押すと、内から、
「誰だ?」と太い男の聲がした。
「警察官だ、開け給へ!」
 少時すると、往來に面した二階の窓が注意深く開かれた。機械技師ワーレンは窓から首を出して非常梯子を見上げた。彼はアパートメントの周圍に迫ってゐる警官隊を見ると、さっと顏色を變へて首を引込めた。
 警官隊はもう一度呼鈴を押して戸を開けろと叫んだが、今度は應答がなかった。一同は裏口から入らうとしたが、そこにも嚴重に錠が下りてゐたので、力を協せて玄關の扉を押し破って家の中へ雪崩込むだ。其時、三階に轟然たる銃聲が起った。
 一行が階段を馳上って、とっつきの寝室へ飛込むと、拳銃を片手に握ったスクワルト博士がこめかみ(※顳雨而頁)から血を流して牀に仆れてゐた。其場に居合せたヘイウードは知友の無惨な死を見て愕然として次のやうに語った。
「……私は三年前に友人の家で初めてワーレンに紹介されたのです。其時彼は機械技師で獨身者だといってゐました。そして爆發事件の二週間計り前に、不意にやってきて此土地に永住する心算だといひ、私の持家へ轉居してきた譯です。いろいろ家財道具などを持込みましたが、そのまゝ何處かへいって了って殆ど顏を合せませんでした。然しワーレンの神出鬼没な振舞は昔からの事で、非常に氣紛れな男だったので、私は格別怪しみもしませんでした。 すると、或晩夜中の二時頃になって、ひょっくり家へ歸ってきました。確な事は申上げられませんが、多分爆發事件のあったその晩だと思ひます。それ以來十日間計り毎日のやうに顏を會せてゐながら私はワーレンが、そんな大罪人であるとは夢にも思ひませんでした。
 調査を進めるにつれて、警察では犯人の巧妙な遣口に舌を卷く計りであった。實に完璧を期した犯罪で、如何にも現代的な科學者らしい保險詐僞であった。
 彼は三年間に亘って用意周到に二重生活を營み、機械技師ワーレンなる快男子を存在させると同時に、自身は新發明の研究に没頭してゐると見せかけて、家族及び世人を瞞着してゐたのである。若し忠實なる小使ウオルターが、主人の身を案じて使ひの途中から引返さなかったなら、現場は紅蓮の舌のまゝに灰燼に歸し、博士の犯跡は完全に覆はれて終ったであらう。 そしてワーレンは十六萬五千弗の保險金を得て悠々と餘生を樂むだであらう。云ふ迄もなく、保險金の受取人及び、財産全部は夫人名義になってゐた。尚、ワーレンの寝臺の下から夫人に宛てた手紙が發見された。それは博士が後日、餘炎(ほとぼり)のさめた頃に投凾する爲に、豫め書いておいたものと見える。その中の一節に、
――そのやうな次第にて、突然彼が襲ひかゝってきたので余は正當防衛の地位に立ち、止むなく殺人罪を犯して了ひ世を忍ぶ身となった。お前は子供等を伴って英國へ移住し子供等を彼地で教育して貰ひたい。天祐に惠まれさへすれば、いつかは余もその地に渡り、再會の喜悦を得よう云々
 とあった。然し、博士未亡人と其遺兒が渡英する事は容易であらうが、ワーレンになった博士自身が如何にして旅行免状を手に入れる心算であったらう。
 その疑問は、ヘイウードの英國人歸化證明書がワーレンの寝臺の下に隠されてゐたことによって解かれた。
 もう一つヘイウードを驚愕させた事は、ワーレンの所持品の中にヘイウードの自家用自動車の運轉免状があった事で、彼は慄然として次のやうに語った。
「考へたゞけでもぞっとしますね。實は數日前にあの男が暫時山へいって休養したいから、四五日の豫定で一緒に自動車旅行をしようぢゃァないかといふので、僕はすっかりその氣になって最近出掛けることにしてゐたのです。奴、恐らく途中で僕を殺し、谷底へでも突落して了ひ、自分はヘイウードになり濟して僕の自動車で紐育邊まで高飛びする計劃だったのでせう。」
「殺人は發覺する。」といふ諺があるが、博士が智慧を絞って三年も苦心して築上げた罪の砦も、僅か十日間で崩落して了った。主人思ひの使丁がゐたり、嗅覺の鋭敏な犬が現れたり、思はぬ寫眞が存在してゐたりした事を思ふと、殺人は朽木から菌(きのこ)が生えるやうに、自然と首を擡げてくるものである。 (完)

注)明かな誤字誤植などは修正しています。文字のゆらぎなどはそのままにしています。
注)段落改行を修正したところもあります。


「癈園の二死體」
「犯罪公論」 1933.04.〜06. (昭和7年4月号〜6月号) より

禁斷の果實
 米國新ブランスウヰックの閑寂な田舎町、並木の黄ばむだ葉裏に、海のやうな青空が輝いてゐる晴れた初秋の朝、土地の青年シュナイダーと、少女パールが連立って、人通りの疎(まれ)なド・ラッセー通りを歩いてゐた。
 二人は鳥渡四邊を見廻してから、灌木に圍まれた「フヰリップ農園」に入っていった。嘗ては果樹園か玉蜀黍畑であったらうが、主人を喪った土地は伸びるに任せた雜草に覆はれ、鶉や、野兎の棲家となってゐる。屋敷の周圍に小徑が繞ってゐるが、繁った木立に遮られて道ゆく人からは見透されない。その上、農園にはところどころに腰掛があったり、程よい樹蔭が出來てゐたりして、愛を囁く戀人達を招いてゐる。
「あら! あの人達がまだゐてよ!」パールは十數間先の樹蔭を指さした。
「いゝから、こっちへおいでよ‥‥他人の事なんか、どうでもいゝぢゃァないか。」
 青年は娘の腕をひいて後戻りをしようとした。
「だって、怪しいぢゃァないの。」
「寝てゐるんだよ。」
「昨夜はさう思ったけれども、いくら何でも朝まで寝つゞけてゐる事はないわ。それに昨夜(ゆうべ)と同じ恰好をしてゐるぢゃァないの。」
 二人は恐々、叢中(くさむら)に横ってゐる男女の傍に忍寄った。
 それは正しく二個の死體であった。男は立派な黒の背廣を着た紳士で、女は緑色に赤の水玉模様のついたドレスを着て、胸に赤いリボンを飾ってゐた。二人とも仰向に行儀よく竝び、女は男の腕を枕にしてゐた。男の顏にはパナマ帽が乗せてあり、女の顏は焦げ茶色のスカーフで覆はれてゐた。二個の艶かしい死體の上には、禁斷の果實を語る林檎樹が條枝を擴げてゐた。
 二人は直に村へ走り歸って警官に急を告げた。然し警官が本署へかけた電話のゆき違ひから、町の檢屍官一行が到着したのは、其日即ち千九百二十二年九月十六日、土曜日午前十一時四十分であった。
 その時には既に耳の早い新聞記者の一團が死體を取圍むでゐた。記者の一人が警官を見ると、
「男は新ブランスウヰックの教會の牧師エドワード・ホール氏です。兎に角州でも指をりの金持を奥さんにしてゐる人ですよ。それから女は教會の聖歌隊に属してゐるエリナー・マイルスといって、堂守の細君で、この二人は散々に浮名を流してゐたものです。」といった。
「誰も現場には手を觸れなかったでせうな。」
「無論です。唯、この名刺を一寸拾って見たゞけですが、元通りにしておきました。」若い新聞記者は牧師の靴の先に立かけてある名刺を指さした。それには、
 牧師  エドワード・ホール    
新ブランスウヰック聖ジョン教會
と銅版印刷がしてあった。牧師は前額に致命的な一發の彈丸を受け、女は鼻から二吋上方の前額、右頬、右こめかみ(※顳雨而頁)部等に三發の彈丸を受けた上、咽喉を右から左にかけ、更に左から右にかけ鋭利な兇器で二重に掻き裂かれてゐた。女の顏には黒く煙硝が附着し、彈丸の軌道は上部をむいてゐた。男は相當距離をおいて射たれたらしく、彈丸は前額を貫いて、それより二吋下った後頭部に留ってゐた。いづれも三十二ミリ口徑の拳銃によるものであった。
 男女とも激しい格闘をしたと見えて、顏面と腕に爪で引掻いた傷があり、女の胸部には數ヶ所の打撲傷があった。男の兩手の指は悉く逆に坐折してゐた。
 だが、現場には聊も格闘の形跡はなく、死體の着衣などが少しも亂れてゐないところから、死體は他から運ばれたものではないかを想像された。牧師の懐中には六十一仙(セント)の金と、二枚の手巾(ハンケチ)があったゞけで、他には貴重品は見出されなかった。
「一體、貴殿方はどうお考へです?」新聞記者が警官の意見を求めた。
「物取りの所業だらう。この界隈にはよく無頼漢が出没するから、二人が媾曳をしてゐるところを襲はれたのだらう。金滿家の牧師が時計や、金を所持してゐない。」
「然し、強盗が拳銃で射殺した上に、女の咽喉を切ったりしますかな。それにこの名刺の謎をどうお解きになります? 何故こんなところへ立かけてあったのでせう? 私の考へでは、誰か牧師の死骸を無縁佛にされたくないものが、一目死骸の身許が別るように、遣していったのだと思ひます。」新聞記者は直ぐ事件を物語風に解釋していった。
「なァに、名刺はわざと立かけた譯ぢゃァない、落せば草が深いから、自然と立かけたやうになる。犯人が懐中物を攫ってゆく時、落していったのさ。」警官はいつ迄も新聞記者に附纏はれるのを迷惑さうに、素氣なくいった。彼は名刺を拾上げた。それは兩面に蠅の糞が附着してゐた。こゝで不思議なのは、牧師の服の胸釦がかけてあったにも拘らず、その下になってゐたシャツの胸が蠅の糞に汚れてゐた事である。
 男女を死體置場へ移す爲に持上げた時、二個の死體の間に數通の戀文が發見された。それは女から男に宛てたものである。

――最愛の人よ、
 貴郎以外には誰も私をほゝ笑ませるものはありません。今日貴郎の仰有ったやうに、私共の心は鋼鐵のやうに眞實でございます。私は決して美人でない事を知ってゐます。世の中には美しい姿をもった娘達が澤山あります。けれども私は少しもさういふ人達を羨しいとは思ひません。何故なら私は最大の祝福(貴い男の誠實な、永遠の愛を得てをりますし、私の心は全部その人のものになってをります)を受けてゐるからです。――

――私の愛する赤ちゃんよ、
 昨日は思掛けなくお手紙を頂いて、ほんたうに幸福でございました。あんなに危險を冒してまで、お手紙を置いて下さるとは思ひませんでした。あのエクリアの美味しうございましたこと! お貸し下すった御本は貴郎の御想像以上に私を喜ばせてくれました。讀むで了ひましたら、又、二人で感想を語り合ひませう――

――私の最愛の人よ
 貴郎は今日は大層御元氣に見えて嬉しうございました。私は風邪をひいたやうで氣分が勝れません。こんな時には餘計貴郎のお傍にゐたいと思ひます。私はいつも貴郎のお寫眞を讃美歌の間に入れておきます。噫、私の可愛いゝ、可愛いゝ坊やよ! ミニイは教會でオルガンを彈く時、私の讃美歌を使ひますから、若しやすると、あのお寫眞に氣づかれたかも知れせまん。 でも、構ひませんわ。あの人はいつも私に意地惡ばかりしてゐます。若し今晩、協會の貴郎のお机の上に、あの人の持ってきた花がありましたら、私は臺所のストーブへくべて了ひますわ。私はミニイに燒もちを燒いてゐる譯ではございませんけれども、私の大切な貴郎の身のまはりの事を、あの人にされるのは氣持がよくありません。
 あの人は私が貴郎に花をお贈りしたことを、兎や角いふ資格はないと思ひます――

――最愛の人よ、
 私は今日は夢を見てをりません。窓の前に坐って、何にも考へず、何にも見ず、漫然と戸外を眺めてゐる計りです。私は疲勞(つかれ)た時、よく斯うしてゐるのです。昨日「私達の郵便箱」へ置いて参りました私の手紙は、さぞ皺苦茶になってをりましたでせう。あれは主人が部屋へ入ってきましたので、周章てゝお金入れの中へ押込むだからでございます。
 私は始終一人でゐるといふ譯にはゆきませんので、時には呆氣ない、短い手紙を差上げるかも知れませんが、その點はお許し下さい。
 明日は主人が終日學校の方へ仕事にゆきますから、ゆっくりお手紙を書く事が出來ますので、ほんたうに嬉しいと思ひます。私は自分ひとりきりで思ふ存分夢を見る時間を欲しいと思ひます。他人のくだらないお饒舌(しゃべり)をきいたり、馬鹿笑ひをきいたりしてゐると、氣が苛々してきます。
 今日の新聞には別に面白い記事もありませんでした。唯、「凡の人生は餓ゑてゐる」といふ言葉に心を惹かれました。この滿されない心! 私と貴郎とはお互をより多く求めあって餓ゑてゐます。
 私の愛は今日は深く水の底のやうに靜かになってゐます。こんな時はいゝ言葉を聴いてゐたいと思ひます。
 今日、私ははっきりと目を覺してゐます。私は愁しうございます。けれども私は大洋のやうに靜かです。昨日は私の心は嵐の中の小舟のやうに揺れてをりました。
 私は斯ういふ氣持の變化を好みます。それは緊張した火焔のやうな人世を意味します。私はもっと戸外の新鮮な空氣を澤山吸はねばならないと思ひます。自然は紳の造られたものです。そして私自身も自然の一部分だと感じてゐます。
 愛する人よ、私は私共の愛が神の創造し給ふ大自然の如く、健かで理想的なものである事を希望します。
 けれどもこの「愛の巣」は貴郎なしでは餘りに淋し過ぎます。何卒お笑ひにならないで下さい。私は氣狂い猫に違ひありませんけれども、斯ういふ氣持をどうする事も出來ないのでございます。
 娘のシャロットはお喋りをしますし、主人はしっきりなしに質問をしますし、どうして落着いて手紙が書けませう――

二人の身許
 事件の發生地新ブランスウヰックは紐育から西南三十哩の地點にある平和な田園都市で、ブリンストン大學の所在地として知られてゐる。町の中央を流れてゐるラクトン川の河畔には無數の工場があって、州でも有數な豐かな町であった。そこは往時(むかし)、オランダの植民地で夫等の先驅者達の子孫が、古い門閥と、宏壯な邸宅をもって繁榮(さか)えてゐる。
 殺害されたホール牧師はブルックリンの名門家に生れ、千九百〇二年マンハッタンの神學校を卒業して、土地の教會へ赴任した。美男子で、快活で、社交家だった彼は教會員の受けがよく、殊に婦人達の間に評判がよかった。
 最初彼は某未亡人の一人娘と特別親しくしてゐたので、教會員達は軈てその二人が結婚するものと想像してゐた。ところが或日突然牧師と、土地の豪家ステブンス家の長女フランシスとの婚約が發表された。フランシスは百萬長者で、ホール牧師より八つも年長であった。牧師はその時三十四歳になってゐた。
 この結論によって、若い牧師は一躍、黄金と、社交的地位を得、婚期を失して老嬢(オールドミス)になりかゝってゐたフランシスは若い燕と、明るい家庭を得た。
 ホール夫妻は歐羅巴へ新婚旅行をして、二ヶ月目に歸ってくると、夫人の兄、ヘンリー及びウヰリアムと共に、自ら家長として宏壯なステブンス家に住む事になった。
 爾後八年間、彼等は表面誰の眼にも圓滿な家庭生活を續けてゐた。事件のあったのは牧師が四十二歳、妻フランシスが五十歳の時であった。
 ホール牧師に熱愛を捧げてゐた貧しい少女は間もなく肺を病って死むだ。
 第二の犠牲者エリナーは貧しい家庭の十一人兄妹の六番目に生れた。彼女は子供の時から怜悧で美しい娘であった。若し彼女が金持の家に生れたなら、社交界の花形になったに違ひない。讀書好きで、音樂好きで、將來は音樂家になる志望をもってゐたが、家庭の事情は彼女の成長を阻止して了った。
 丁度十七八歳の時、まだ彼女が結婚に對してはっきりした意識をもたない中に、土地の護謨會社に働いてゐた職工ジェムス・マイルスに懇望されてその妻となった。
 二人の間に間もなく子供が出來た。年端もゆかないエリナーは結婚早々激しい生活苦と闘はねばならなかった。然し彼女は元來快活で、音聲がよかったので、教會の聖歌隊の一員に撰ばれ、熱心に教會の仕事をしてゐた。其後ジェムスは工場を罷めて、近くの女學校の門衛を勤め、旁(かたがた)ホール牧師の好意で、教會の堂守を兼、一ヶ月五十弗の手當を貰ってゐた。夫婦の間には長女シャロットと、他に小さな男の子があった。事件のあった當時、エリナーは三十三歳で、娘は十六歳であった。
 牧師夫人は結婚前、日曜學校を教へてゐた。エリナーはその頃の教へ子の一人だったので、牧師一家は特別エリナーの家族に目をかけて、野菜、果實、其他日用品などを贈ったり、折々はエリナーをお茶や、食事に招待したりした。
 その年の二月、エリナーが病氣で手術をする為に入院した時、ホール牧師は毎日のやうに病床を見舞った。時には牧師の代理に、ホール夫人自ら庭の花などをもって病院を訪ねた事があった。
 當時病院の看護婦や、教會員の婦人連の間には、牧師がエリナーに親切過ぎるとかいふ噂がやかましかった。尤も牧師とエリナーの仲の善い事は評判だった。
 彼等が横死を遂げた一年程前に、教會員の有志が數名、自動車で湖水地方へピクニックにいった事がある。その途中、ある家の前を通りかゝった時、垣根の外に枝を伸してゐる林檎の花を見付けて、エリナーがその美しさを讃へた。すると牧師は自動車を停めてその家へ花の一枝を乞ひにゆかうとしたが、ふと氣をかへて無斷で手近の枝を折ってエリナーに與へ、
「エリナーさん、貴女の爲に私は花泥棒になりましたよ。」といった事があった。そんな些細なことまでも一々教會員の噂の種となってゐた。
 斯うした愉しい自動車の遠乗りは、その後も屡々催された。事件のあった前日水曜日にも、牧師夫妻と牧師の老母及び日曜學校の教師クラーク嬢、それにエリナーを加へて、秋晴れの湖畔の景色を樂しみにいった。
 けれども牧師夫人と、エリナーの良人ジェムスとは、二人の關係に就いて餘程後になるまで疑惑をもってゐなかったらしい。事件發生後二日間は、牧師とエリナーとの關係を全然否定し、或は全く氣付かなかったと云張ってゐたが、後日發見された牧師からエリナーに宛てた戀文によると、尠くも事件の起った一週間前には、牧師夫人も、ジェムスも二人の不義を感付いてゐた事が證明された。
 偖、林檎樹下の二死體が發見されたのは九月十六日、土曜日午前十一時であるが、醫師の鑑定によると死體は死後三十六時間を經過したものであって、兇行は十四日木曜日夜十一時前後と推定されてゐる。
 十八日月曜日午前十時から、檢事の一行がホール家に出張して家族一同を訊問した。
 一行を玄關に迎へたのは十七歳になる金髪の小間使ルヰズであった。立派な大廣間が審問室に宛てられた。そこには氣品のいゝ婦人が端然と控へてゐた。それがホール牧師の未亡人であった。彼女はまだ五十歳そこそこであるのに、見たところ六十を過ぎた老婦人のやうに見えた。 がっしりとした體格で、血色もよかったが、白くなった頭髪を無雜作に束ね、衣服の嗜好などにも聊かの華かさがなく、如何にも實際的な家庭婦人らしかった。彼女はまるで假面を被ったやうに少しも感情を顏に表はさず、この大事件に直面して鋼鐵(はがね)のやうな冷靜さをもって、檢事の嚴しい訊問に應じた。
 その席には夫人の兄、ヘンリーとウヰリアム、それに婦人の從兄カアベンダーがゐた。
 ヘンリーは永年銃砲店を經營し、後アトランチックシティで射撃學校を創立した程、斯道の熱心家で、又、射撃の名人である。彼は兇行當日はアトランチックシティの別莊にゐて、十四日午後九時に附近の川へ夜釣りに出掛け、目方六封度(ポンド)の鱒を釣ってきて、翌日の晝食に友人を招き、コックに調理させて食べたといってゐる。 そんな譯で新ブランスウヰック町には足を入れなかったといってゐるが、彼が十四日の夜、自用自動車で新ブランスウヰックの公園を通ったのを見掛けたといふ證人が出てゐる。然しヘンリーは絶對にそれを否認し、數人の友人、コック等を證人に出し、尚、四年後の裁判の時には當日の日誌まで提供して現場不在證明を立てた。
 次兄のウヰリアムは他の兄妹とはまるで性格が異ってゐた。ヘンリーや、ホール夫人が親から譲られた財産を様々な事業投資して幾倍かに運轉させてゐるにも拘らず、ウヰリアムは金をそっくり確實な銀行へ預金し、ホール家に同居して、十年一日の如く暮してゐる。
 彼の道樂といへば火事場見物で、火事と聞けばどんな遠方へでも出動するといふ熱心家であった。從って町の消防隊とは特別親交をもち、消防事業には惜まず寄附金をするといふ變り者である。彼はまるで土地の消防隊の守護神(マスコット)のやうに、町を唸って疾走してゆく消防自動車の上には必ず彼の姿が見られた。彼は其他には何の野心もなく、自分の全生涯を妹に捧げてゐる程、妹思ひであった。恐らく彼はホール夫人に頼まれたなら、火水の中へ飛込む事も辭さないであらうと、世間から噂されてゐた。
 彼は均齊のとれたがっしりとした體格で、腕自慢であった。濃い口髭を蓬々に生やし、分厚な眼鏡の底に、黒い梟のやうな眼を光らせ、長い頭髪をもぢゃもぢゃにしてゐた。當時五十二歳でホール夫人より二歳年長であったが、夫人はまるで彼を弟のやうに可愛がってゐた。
 ホール夫人の從兄カアベンダーは前記の兄弟以上にホール夫人に似てゐた。彼は土地の有力な實業家で、ウヰリアムより五六歳年嵩であった。
 豫審調書に表はれたホール夫人及び其他の動靜は次の通りである。

事件の前後
 十四日、木曜日午前七時四十五分――牧師夫妻は同居してゐる夫人の兄ウヰリアムと共に、朝の食卓に就いた。
 ホール家にはルヰズ、及びバアバラといふ二人の女中、それに料理番と、臨時雇の庭男がゐた。自動車は牧師用、夫人用、各一臺づつあった。
 午前十時――牧師夫人はセダンに乗って下町へ買物に出掛け、牧師は家に殘って書見をしたり、庭園へ出て花を摘むだりしてゐた。
 午後一時――家族三人晝食の卓に就く。
 午後二時より四時――教會員の二婦人が來訪した。其時臺所で女中に漬物の指圖をしてゐた牧師夫人は、二人の客を庭へ招いて寫眞を撮った。
 午後三時――牧師はエリナー家の近所に住むでゐる教會員オービイ夫人の許へ電話をかけ、エリナーを電話口へ呼出すように頼むだが、その時エリナーは不在であった由。(實はエリナーは其時刻に午睡中で、オービイ夫人の呼聲を聞かなかったのである。)
 午後三時十分――牧師は自動車で教會の會議に出席した。
 午後四時三十分――牧師は歸宅し、庭園の花を切って花束を作り、教會員中の病院を慰問に出掛けた。
 午後六時――エリナーの良人ジェームスは教會の庭掃除をしてゐる最中、牧師が教會へ入ってゆくのを見たが、言葉は交さなかった。 (後にその時彼が牧師に口を利かなかったのは、エリナーの事から牧師に惡意を持ってゐたのではないかと、警官に詰問されて、「そんな事は大嘘です。家内は教會で讃美歌を唱ったり、時には牧師さんのお説教の原稿を作る手傳をしたりして、大變重寶がられてゐましたから、他の女共が燒餅を燒いて、つまらぬ噂を立てたのです。牧師さんは實に親切な豪い方でした。私共は常々から人格者として敬愛してをりました。」と警官の言葉を反駁した。)
 午後六時十五分――牧師歸宅。
 午後六時三十分――ホール家の晩餐には家族三人の他にその日の午後遊びにきた牧師の姪が食卓を共にした。
 午後六時三十分――エリナーの家族は食卓を圍むだ。
 午後七時――食後夕刊新聞を讀むでゐたエリナーは、その中の「牧師と離婚」といふ社説に興味を持ち、それを牧師に見せる爲に教會の圖書室へ置きにいった。
 午後七時十五分――牧師は二階の書齊へ引込み、夫人は階下の圖書室で姪と雜談をしてゐた。夫人の兄ウヰリアムは食後直に自分の部屋へ退いて、内側から錠を下して了った。(これは彼の永年の習慣である。)
 午後七時十五分――乗合自動車の停留所で、エリナーはオービー夫人に出會った。彼女は三時に牧師から電話がかゝってきたときいて、
「何か急用のやうでしたかしら? 私は今日一日家にゐたのですけれども、昨日のピクニックですっかり疲勞れて了って、本を讀むでゐる中に、いつの間にか眠って了ったのですよ。」
「別にお急ぎの様子でもありませんでしたが、若し何でしたらこれから私の家へ寄って電話をお使ひなさいよ。」
「どうも度々有難う。どう? 私のこの衣物、少し派手過ぎなのでせうか?」エリナーはその時、緑の地に赤い玉模様のついたドレスを着てゐた。
「そんなこと、あるもんですか、大變よくお似合ですよ。」
 そんな會話を交して二人は別れた。
 午後七時二十分――エリナーは歸宅して娘シャロットに、
「今、オービー夫人に會ったら、牧師さんから晝間電話がかゝってきたといふから、私、これから電話をかけにいってくるよ。小錢を持ってゐなかったから、電話料金をとりにきたのよ。」といった。これが娘が母を見た最後であった。(警察では其時エリナーが何處からホール家へ電話をかけたかと調べたが判明しなかった。オービー夫人宅の電話を借りなかった事だけは確である。何故?)
 午後七時三十分――ホール家の電話の呼鈴が鳴った。二階で整理(かたづけ)ものをしてゐた小間使ルヰズが電話口へ出ると、女の聲で牧師を呼むでくれといった。相手は名乗らなかったが、ルヰズは直ぐエリナーであると知った。そこへ牧師夫人が圖書室から現てきて廊下の受話器を取上げた。ホール家の電話は二階と階下の二ヶ所で使用出來るようになってゐる。丁度その時、浴室から牧師が首を出して、
「ルヰズや、電話は私のところへ來たのではないかい?」といった。
「はい、左様でございます。エリナー様からでございます。」とルヰズがいふと、牧師は浴衣を引かけて二階の電話口へ出た。
「あゝ、さう‥‥それは困ったね‥‥兎に角これから教會へゆくから、その時よく話をきゝませう‥‥で、もう少し遅くては都合が惡いかね‥‥八時十五分頃はどう?‥‥あゝ‥‥ではさういふ事にしておきませう。左様なら。」
 さうした斷片的な言葉がルヰズの耳に入った。
 午後七時四十五分――エリナーが焦茶色のスカーフを首に卷いてゐるのを見て、ブリキ細工をしてゐた良人のジェームスは、
「今頃、何處へ出掛けるのだね?」と訊ねた。
「何處へゆくか知りたかったら、私に蹤いていらっしゃいよ。」とエリナーは笑ひながら玄關を出ていった。
 午後八時――ホール家では二階から下りてきた牧師と、圖書室から現てきた夫人とが玄關の廣間で鉢合せをした。
「ぢゃ、又、お出掛けですか‥‥先刻エリナーから電話がかゝってきたやうですね。」夫人の聲には荊(とげ)があった。
「あゝ、この春の病院の勘定書のことで、エリナーが大分困ってゐるらしいから、いってよく話を聞いてやらうと思ふ。あれは確か先月でジェームスの月賦拂ひが濟むだ筈だのに、多分病院の間違ひだらうと思ひますがね。」
「お歸りは何時頃になります?」
「餘り遅くならない、ぢき歸ってきますよ。」
 夫妻が言葉を交したのはそれが最後であると夫人は證言してゐる。
 午後八時五分――小間使のルヰズが門前に立って、夕暮の空を眺めてゐると、(新ブランスウヰックでは夏期時間といって、日の永い七月から九月にかけて、州令で時計を一時間進ませてゐる故、實際は七峙五分で戸外はまだ明るかった。)牧師が玄關の石段を下りてきた。
「ルヰズや、そんなところに立って、誰か情人(いいひと)でも待ってゐるのかい?」といって彼女の頤を指先で突いていった。
 午後八時二十分――乗合自動車の車掌ジョンは見知越しのエリナーを現場附近の停留所で下した。彼女はその乗合自動車の中で、知合のコニイといふ男に會ひ、快活に世間話をした。
 午後八時三十分――ドラッセー通り(現場に沿ひたる道路)を散歩してゐた教會員の二婦人がエリナーを見掛けた。二人は傍へ近づいて言葉をかけようとしたが、エリナーは非常に先を急いでゐるらしく、目禮をしたゞけで歩み去った。女達は行手の並木の影に立ってゐた牧師が、エリナーと竝むで「フヰリップ農園」の小路へ曲ってゆくのを遠くから認めた。エリナーは其時、何か紙包を抱へてゐた。
 午後十時三十分――圖書室にゐたホール夫人は小間使ルヰズを呼むで、部屋の戸締りを命じ、二階の寝室へ上っていった。夫人はそれから十一時までの間に着換をして床へ入ったといってゐる。然し果して夫人がその時刻に寝床へ入ったか、どうかを誰も證言するものはない。當夜公休日で外出した女中のバアバラは十一時に歸宅した時、臺所にも、牧師の書齋にも燈火(あかり)が點いてゐたので、主人は在宅してゐるものと思ひ、其儘自分の部屋へ退いたといふ。
 この十時三十分から、十一時の間に、牧師とエリナーが、ホール家から約二哩離れた「フヰリップ農園」で、何者か、或は何者等かの手によって射殺されたのである。
(以下次號)

事件の前後(二)
 翌九月十五日金曜日、午前一時三十分――教會の前を通り合せた舞踏場歸りの青年は教會の中に電燈があかあかと點いてゐるのを見て、そんな時刻に教會で何の催しがあるのだらうと、不審に思ったと證言してゐる。(その時刻に自由に教會へ出入りする事が出來る牧師夫人も、エリナーの良人ジェームスも、その時刻には絶對に外出しなかったといってゐる。)
 午前二時十五分――ジェームスは妻が歸宅しないので、若しや教會で急病でも起して倒れてゐるのではないかと案じて、教會へ出掛けてゆき、建物の中を隅なく捜した。それには約三十分かゝったといってゐる。然しこれも當人以外に證人はない。
 午前二時三十分――牧師夫人は良人の歸宅が遅いので心配し、兄のウヰリアムを起して一緒に教會へ出掛けていったが、教會が眞暗だったので、暫時教會の前に佇んだ後、エリナーの家へいって見た。けれどもそこも燈火(ともしび)が消えてゐたので、其儘家へ引返して床に就いたといふ。(これも當人二人だけの陳述である。)
 午前二時五十分――夜警フヰリップスはホール家の裏口から、鼠色の乗馬服を着た牧師夫人が、四邊を憚るやうにして家へ入ってゆくのを見た。
 午前四時三十分――牛乳配達夫がホール家の裏口の扉がいつになく開放しになってゐるのを見て不審を抱いた。
 午前六時――牧師夫人は警察へ電話をかけて、變死人の届出の有無を照會した。その時夫人は自分の名を告げなかった。勿論牧師の失踪に就いては一言も觸れなかった。
 午前六時五十分――牧師夫人は何用の爲か、自動車で外出した、途中教會の前でジェームスに會ひ、
「エリナーは昨夜歸らなかったでせう。ホール牧師も歸りませんから屹度二人の身に變事があったのだらうと心配してをります。」といったといふ。然し警察の取調べに際してジェームスは、
「いゝえ、それは違ひます。私が奥様にお目にかゝったのは午前八時です。いつものやうに私が教會の扉を開けにゆきますと、奥様が牧師様の圖書室に立ってゐらしったので、びっくりしました。奥様は、――お前の家で昨夜誰か病人でもあったのかい?――とおきゝになりましたから、――いゝえ、誰も病ひませんでしたが、實は家内が昨夜出たきり戻りませんので、もしやして牧師様と驅落でもしたのではないかと思ってゐるのです。
一體二人は何處へ隠れたとお思ひになります?――と申しますと、奥様は――いや、いや、決してそんな事はありません。二人は何處にも隠れてゐるのではない。屹度何か間違ひが起ったのでせう――と仰有いました。」と述べてゐる。
 午前七時――ホール家の小間使ルヰズは誰かゞ窓の鎧戸を叩く音で目を覺した。それは牧師が特別早く朝食をとる時の合圖なので、彼女は周章てゝ飛起きた。するといつも朝寝坊のウヰリアムが、窓の鎧戸を開けて歩いてゐたので、
「まァ、お珍らしい、どうしてこんなに早くお目覺めなのでございます?」と訊ねると、
「そんな事は俺の口から云へるものか、何があったのか、奥様に伺って見るがいゝ。」と充血した眼をこすりながらいった。
 午前七時三十分――牧師夫人が周章しく外出先から戻ってきた。
 午前八時三十分――牧師夫人とウヰリアムは朝食の卓子に就いた。
 午前九時――牧師夫人は再び自動車で下町へ出掛けてゆき、公衆電話でジャージー州に住んでゐる牧師の姉に良人の失踪を傳へた。然し夫人は其日一日警察へは届出なかった。
 午前十時四十分――夫人歸宅。
 十二時十分――牧師夫人は自動車で停車場へゆき、ジャージー市から來た牧師の姉ブーヒー夫人と、同じく紐育から來た牧師の姉ボアナ夫人を乗せて歸宅した。
 十二時四十五分――歸途エリナーの家の前で自動車を停め、夫人はジェームスと言葉を交した。
 午後二時三十分――教會員の婦人が二人牧師夫人を訪問した。夫人は二人を庭へ案内して寫眞を撮った。
 午後三時――ブーヒー夫人は附近の下宿に暮してゐた牧師の老いたる母を伴って、ジャージー市へ歸っていった。
 午後四時――ホール牧師の姉から電話をかけたので顧問辯護士フロレンスが來訪した。彼は直に警察へ牧師の捜査願を出した。
 午後五時十五分――牧師夫人はジェームスを訪問し、失踪した二人に就いて語った。然し夫人は何故か警察の取調べに際してその事実を秘してゐた。
 午後七時三十分――牧師夫人は聖歌隊の一人、アグネス嬢に電話をかけ、
「ホール牧師は田舎へ旅行しまして、今晩の讃美歌の練習には出席出來ませんから、何卒皆さんでよろしいやうにやっておいて下さい。」といった。(これは女中バアバラの證言によるものである。)
 午後七時三十分――ジェームスは讃美歌の練習にくる人々の爲に教會の扉を開け、次手にホール家を訪問した。然し夫人はその事も豫審では陳述しなかった。
 午後十時三十分――牧師夫人はいつものやうに寝室に退き、奉公人達もそれぞれ床に就いた。
 十六日土曜日午前七時――牧師夫人はウヰリアムと二人きりで朝食をとった。
 午前八時――牧師夫人は良人の白絹の靴下をバアバラに渡し、
「汗がついてゐるから、直ぐ洗っておいておくれ。」と命じた。
 午前八時三十分――牧師夫人は往來を隔てゝ向ひ側の家に住んでゐる從兄のカアベンダーに電話をかけ、何か恐ろしい事件が起りさうな氣がして不安に耐へないから、直ぐ來てくれといった。從兄夫妻は早速ホール家へやってきた。
 午前九時三十分――エリナーの良人ジェームスが訪ねてきたが、夫人はカアベンダー夫人と下町へ買物に出掛けて不在であった。彼は夫人の歸宅を待ってゐた。そして夫人の顏を見るなり、
「奥様、家内は一體何處へいったのでせう? 私には何をどうしていゝのやら薩張分らず家中滅茶々々になて困って了ひます。」と訴へた。夫人は、
「それはお困りだらうね。だが、私のところへいひに來ても、エリナーが何處へいったか判る筈はなし、どうにもならないではないか。」と答へた。
 午前十時三十分――土地の新聞記者アルフレッドから牧師夫人に電話がかゝってきた。記者は、
「ホール牧師に電話口に出て頂きたいのですが、御在宅でせうか?」と訊ねた。夫人が牧師は地方へ旅行してゐると答へると、
「何處へ旅行なすったのか、行先をはっきり仰有って頂きたいものです。」
「何の用があって、そんな事を執拗く訊くのです?」
「何故といふ事は私が申上げなくとも、いづれお解りになりますよ。」新聞記者は意味あり氣な言葉を殘して電話を切った。
 夫人は直に顧問辯護士に電話をかけ、記者との一問一答を通じた。
 午前十一時――辯護士がホール家へ馳付け、カアベンダーと連立って新聞社へ出掛けていった。
 午後一時――牧師夫人が晝食をとらうとしてゐるところへ、カアベンダー夫人がきて、
「貴女、驚いてはいけませんよ。今良人が歸ってきたのですが、ホールさんは貴女が心配してゐた通り、誰かに射殺されました。エリナーも一緒にですよ。」と傳へた。
 午後一時十分――警察から電話で、牧師とエリナーの變死を報じ、直ぐ牧師夫人に出頭せよといってきた。電話口に出たカアベンダー夫人は、
「夫人は兇報に接して殆ど失神状態でをりますから、今日は訊問にお答へする事は出來ないと思ひます。」といった。
 午後一時三十分――外出先から歸って食堂へ入ってきたウヰリアムは、夫人から牧師の不幸を聞いて、潛然と涙を流した。(これは小間使ルヰズの證言による。)
 午後三時――ウヰリアムは町の服店に電話をかけ、喪服の註文をなし、同時に服のクリーニングがある故、小僧を取りに寄越すように命じた。(クリーニングに出した二着の背廣は泥塗れになって、滅茶々々に丸めた上を繩で括ってあtった。)
 午後四時――牧師夫人は女中のバアバラを居間へ呼んで、
「今朝洗った旦那様の白い靴下は乾いたらうね、まだ乾かなかったら直ぐ鏝をあてゝおくれ。それから旦那様の衣物をお届けするのだからボール箱を二つ捜してきておくれ。」
 と命じた。バアバラは夫から十分後に二個のボール箱と靴下を夫人の居間へ持っていった。

愛の郵便箱
 現場が整然としてゐたところから、死體は他所から運ばれたのではないかといふ説があった。それに就いて警察では附近一帶を調査したが、それを裏書する材料は一切發見されなかった。同じ地續きで小徑を隔てた屋敷に、曾つて地主のフヰリップが住んでゐた石造りの二階家が、在りし日のまゝに蔦をかぶって遺ってゐる。 それは一世紀も前に和蘭から渡ってきた開拓者ドラッセー家の建てたもので、後にフヰリップが買取ったものであるが、世の變遷につれて夫等の家族はいづれへか散って了ひ、僅に現在は「フヰリップ農園」といふ名と、その傍を馳ってゐる小路にドラッセー通りといふ名稱を遺してゐるのみである。
 この殺人事件と、廃屋とを結付けて現場へ調査にいった探偵は、朽ちかけた石段を昇って玄關へ入ると、先づ無氣味な蜘蛛の巣を顏にかぶった。家全體に饐えたやうな、湿っぽい空氣が充滿し、食堂、居間、寝室等の家具調度は厚く埃塵を浴びて、凭椅子の天鵞絨は觸れば崩れる計りに朽ちてゐた。唯、役に立ちさうなのは食堂の中央に据えてある大きな樫の食卓だけである。その表面には卓子掛の下敷になってゐた緋ラシャが黄色くなって、片隅に置いた大ランプの下だけが丸く原色をとゞめてゐた。
 見渡したところ、家中のどこにも、かしこにも滅びた過去の影が喰入ってゐて、エリナーの戀文の中にあるやうな「愛の巣」といふ言葉に相應はしい場所ではなかった。
 尚、捜査の結果、林檎樹の附近に二發の彈丸の藥莢が發見された事實から、兇行は矢張り同所で演ぜられたものと推定された。
 次に警察で發見したのは、被害者二人が戀文を交換した場所、即ち「愛の郵便箱」の所在であった。それは教會の牧師専用の圖書室の書棚であった。探偵がそこに竝んでゐる神學書を片端から調べて行く中に、分厚な書籍の間から、エリナーの手紙が二通現れた。
 それによると、二人は折々郵便箱に用ゆる書物を變へてゐたらしい。それまでに一度或は二度程、戀文が第三者の手におちたので、それを警戒する爲だったと思はれる。死體の傍に撒き散らしてあった戀文は第三者の手に密かに藏されてゐたものであらうか? さうなると、犯人はその第三者に違ひない。これが警察側の見方であった。尚、この圖書室は二人の「愛の郵便箱」であったと共に、「愛の巣」でもあったらしい。その邊の消息を語ってゐるのは、ホール家の女中バアバラである。彼女は審問の際、顏を赧らめながら、
「二年程前でした。ある日曜日の午後、私はお友達を捜しに教會へゆきましたが、待ってゐて呉れる筈の友達が見えないので、若しや圖書室にゐるかも知れないと思って、いきなり扉をあけると、エリナーさんが牧師さんの膝の上に乗ってゐました。牧師さんは怖い顏をして私を睨みました。エリナーさんは、――あゝ、いゝわ、バアバラさんだわ――と笑ひながらいひました。でもそれは何でもなかったのかも知れません。 牧師さんは氣輕な、面白い方で、私共にまでよく冗談を仰有ってかまったりなさいました。ルヰズさんなんかはお食事のお給仕の最中、奥様が他所見をしてゐらっしゃる間に、旦那様が變な顏をして見せて笑はせたり、お料理を運んでゆくと、腕を抓って知らん顏をなさったりするので、間が惡くて困るといって、笑ってゐました。」
 エリナーの戀文は警察に數通入ったが、牧師の書いたものは一つも入らなかった。ところが突然、紐育新聞に牧師の手紙が公表された。それは同紙の婦人記者がエリナーの娘シャロットから買収したものであった。

 千九百二十一年、基督降誕祭(クリスマス)の日
――わが最愛のものよ、
 この紅い、紅い薔薇の花を、私の眞實の愛の表象(シンボル)としてクリスマスの贈物にする。愛は薔薇の如く、暁の星の如くに新鮮である。神は蒼穹の美と、暁の輝きと、情熱の火炎と、夕べの靜けさを備へ給ふ。
 神は星の神秘と、太陽の輝きをもって、限りなき愛を示し給ふ。
 愛する者よ、この香はしき薔薇の花の中に、私の眞の愛を見出して貰ひたい。

――愛しき君よ、
 この手紙を書く數分前に、貴女が土曜日に書いた詩と、二通の手紙を讀みました。金曜日の夜、八時養老院の彼方にある「吾々の徑」で會ひませう。私は其處が貴女の深い愛を湛へた眼の神秘を視詰めませう。吾々の愛の世界は大自然の美しさ、形而上に表はれた凡ゆる美をあつめてもまだ及ばぬ程の素晴しいものです。
 例の寫眞はお言葉ですが、破り棄てるのは止めました。いづれもっとよいのを寫す時もあるでせうが、それ迄大切に保存しておきませう。決して心配なさる事はありません。安全な場所に藏ってあります。貴女のこの前のお手紙は眞實にいゝと思ひました。「吾々の思出はかりそめの諍(いさかい)さへもより美しい、より廣い愛の國への石段となります」といふ貴女のお言葉に共鳴します。新聞の切抜も確に落手しました。大變興味のある記事だと思ひます。

――愛する人よ、
 私の頭腦は書きたい事で溢れてゐて、それを言葉に表はす事が出來ません。私はどんなに貴女を思ってゐる事でせう。貴女は私の礎、私の寶、私は今眞實に貴女に焦れてゐる。何にも云はなくても、只傍にゐればこの心は滿されるのです。世の中の凡を忘れ、貴女と共に夢の國へ、天國へ!
 明日の午後二時に私達の小徑で會って下さい。午後を二人きりで過しませう。若し雨天でしたら、紐育の芝居でも觀にゆきませう。私は田舎よりも寧ろ――貴女と一緒にゐたいのです。貴女をこの腕の中に抱締めたいのです。
 私は以後、ホール夫人や、ジェームスの前では貴女に口をきかない事にします。若しあの人達の前で貴女に冷淡な素振りをしても、決して氣にかけないで下さい。眞實に世の中は煩はしくて厭になります。貴女と二人きりだったら、どんなにいゝでせう。何處か遠い外國へでもゆきたいと思ひます。

 右の手紙の中、ホール夫人とジェームスの前では口をきかない云々とあるのは、事件發生一週間前に書かれたものである。これによると他所目には平和に見えてゐたホール家に、何かしら暗雲が低迷してゐた事が想像される。ジェームスが自分の妻と牧師との關係を全然知らなかったと明言してゐるのも、俄に信をおく事は出來ない。
 牧師は手紙の中に遠い外國へゆきたいといふ希望を洩してゐるが、エリナーは曾て姉に牧師との關係を打明け、ジェームスとの縁が切れ次第、牧師と日本へ駈落する計畫を語った由。
 エリナーの娘、シャロットが亡き母に宛てた牧師の手紙を捜し出して(警官がエリナー家に臨檢した時には遂に手に入れる事が出來なかった手紙)それを新聞社に賣付けた事は世間の物議を招いた。彼女は父親ともその事で喧嘩をして、夫から四年後に家を飛出し、例の婦人記者を頼って新聞記者となった。其後女優になったといふ噂が殘ってゐるきり、生きてゐれば本年二十五歳になるシャロットはそれっきり消息が知れない。

死を繞る人々
 醫師の鑑定によって、兇行時間は十四日夜十一時前後と推定されたが、更にそれを確實にする爲に警察では現場附近一帶の居住者に就いて調査した結果、二人の證人を得た。
 橋番マッケーブは内儀さんが九月十四日夜銃聲を聞いたといって、次のやうに述べてゐる。
「それは斯ういふ譯なのです。儂がぐっすりと寝込んでゐると、家内が不意に揺り起して――お前さん、今のあれをきいたかい?――といふのです。何でも家内が床へ入らうとして神様にお祈りをしてゐると女の悲鳴が聞えてきたのださうです。儂が目を擦りながら起上った時銃聲が聞えました。二發だったか、三發だったか、記憶してゐませんが、一發でなかった事は確です。然しこの邊にはよく若い者達がうろついてゐますから、いづれそんな手合の惡戯だらうと思って、大して氣にも止めませんでした。 夫でも家内の氣やすめに戸外へ出て、暫時大通りを歩いて戻ってきました。その時自動車が三臺、儂の側を通りぬけて、町の方へゆきました。ひどい速力だったのと、儂が眠むかったので、どんな人間が乗ってゐたか、判りませんでした。家へ入って時計を見ると、丁度十一時半でした。家内に起されてから彼是三十分も經過ったでせう。」云々。
 第二の證人は現場「フヰリップ農園」の眞向ひに住んでゐる農家の主婦である。彼女は新聞に自分の名の現るのを嫌ひ、姓名を絶對に公表しないといふ約束の下に左の陳述をした。
「十四日木曜日の夜十一時頃、銃聲を聞きました。丁度其日は食事の後片付をしてから玄關の露臺に出てゐました。良人は夜食後直ぐそこへ椅子を持出してゐたのです。玄關は「フヰリップ農園」に面してゐますので、ドラッセー通りを通る自動車の頭光(ヘッドライト)が、木の間を洩れてちらちら見えるのです。當夜は何臺自動車が通ったか、そんな事は數へてゐなかったから申上げられません。 私がどうして特にその晩の事を記憶えてゐたかといひますと、拳銃の音を聞いた時、眞暗な空に流星が隕ちるのを見たからです。流星を見ると凶い事があると謂ひますから、私は厭な気持になって居眠りをしてゐた良人を起しました。すると良人は、――今何時だね?――と訊きましたので、時計を見ると十一時十五分でした。既う私共の就眠時間が過ぎてゐたので、急いで戸締りをしたのでした。銃聲は最初一發、少し間をおいて二三發續けさまに聞えました。」
 この事件に就いて第一に嚴しい審問を受けたのは、教會の聖歌隊に所属してゐたゴスリンといふ中年の男である。彼は一頃美しいエリナーの讃美者であったといふ専らの噂であった。彼は既婚者で數人の子供がある。彼は以前にも一度この事件に就いて警察の召喚を受けたが、其後凶行當夜、彼が現場に自動車を停めてゐたといふ投書があったので、再び取調を受ける事になったのである。彼は角張った長い頤と弛緩(たる)んだ大きな口をもった風采の上らない男で、どう見ても女から騒がれる人物とは思はれなかった。
「私はエリナーさんとは教會の聖歌隊の席で隣り合ってゐました。あの人は時々讃美歌を唱ひ終った後で、私を肘で突いて、――貴郎のやうな素晴しい聲をもった方は珍らしい――などと嬉しがらせをいって私を誘惑しようとしました。或時などは――貴郎は私の理想の男性よ、私は現在の良人と一緒にゐても、ちっとも幸福でないわ――などと私の耳に囁いた事がありました。 然し私はさういふ曲った事は嫌ひですから、成可く避けるやうにしてをりました。そんな譯ですから、あの人が私の事務所へ電話なんかをかけてきた時には、つい失敬な言葉を返したことがあります。それから間もなくあの人は、ホール牧師を狙ひだし、到頭ものにして了ひました。それで私もほっとしたやうな譯でした。」といった。警官は隙さず、
「そんなにほっとしたといふのに、君はどうしてあの二人を尾行したり、いろいろ噂を撒き散らして歩いてゐたのだ。教會員のデマレスト夫人は去年の夏、君とクラーク夫人とが君の自動車の蔭に立って、牧師とエリナーが癈園の腰掛にゐるのを透見をしてゐたといってゐる。それはどうい譯だね。」
「それはデマレスト夫人の饒舌(おしゃべり)に過ぎません。吾々はあの人達を尾行してゐる譯ではなく、偶然あすこを通り合せて、二人の密會を見つけた譯です。」
「では、それはいゝとして、君は九月十四日の晩は何處へいったね? もう一度それを聞かう。」
「私は女子青年會の建物の前を通りかゝった時、教會員の若い娘さんが現てくるのを見掛けましたから、私は自動車で家まで送らうと申出たのです。それは丁度十時三十分頃でした。吾々はほんの鳥渡の間、プレインフヰルドの方を迂回して娘さんを家へ送り届けたのが十一時で、私が家へ着いたのは十一時十五分でした。」
「君は大嘘吐だぞ! 君はあの晩、プレインフヰルドの方へはゆかなかった。夫と反對に東通りへ出て、ホール牧師とエリナーが殺された時刻にはドラッセー通りに自動車を停めて、燈火を消してゐたではないか。それに青年會の門限は十時の筈だ。君は十時から十一時までの一時間を、何處で何をしてゐた?  君はこの場合、嘘を吐く事は自分にとって不利だといふ事に氣付かないのか。吾々は君が現場附近にゐた證據を掴んでゐる。事によると、これから更に君が兇行當時、現場にゐたといふ證據を突止めるかも知れない。おいゴスリン、君は嫉妬の餘りエリナーとホール牧師を殺したのではないかね?」
「飛んでもない。決してそんな事はありません。私は十一時十五分には家へ歸ってをりました‥‥‥‥あの人達が‥‥‥‥殺されたのは‥‥‥十一時四十五分といふことを聞いてをりました‥‥‥‥」
「そんな事はない、君はあの人達が十一時前後に殺された事を知ってゐる筈だ。」警官の激しい言葉に、ゴスリンの前額から大粒の油汗が流れおちて、濃い眉毛を濡らした。
「ゴスリン、眞實の事をいひ給へ。それとも君は‥‥‥‥」
「私はドラッセー通りにはゆきませんでした。吾々は自動車を東通りの角に停めてをりました。けれどもドラッセー通りには入りませんでした。彼處は自動車が混合ひますから入らなかったのです。私はホール牧師とエリナーに就いては何も隠す事はありません。私は最初からドラッセー通り附近へいった事を申上げようと思ったのですが、娘さんの親に、吾々があの晩そんな場所に自動車を停めてゐた事を知らせたくなかったのです。それに若しそんな事が新聞に現たりすると、私は失職するかも知れません。そんな事になったら私の家庭は破壊されて了ひます。」
 ゴスリンは最初、その娘の住所姓名を明す事を拒んでゐたが、竟に包みきれず自白して了った。ゴスリンの取調は午後一時から夜の七時まで、二人の刑事が交替で一分間の休みなく續けられた。ゴスリンと當夜自動車の遠乗りをした娘は、青年會舘の前から自動車に同乗し、東通りからドラッセー通りへ入り、樹蔭に暫時車を停め、月見をして後、家へ歸ったと述べた。
 兎に角、ゴスリンが一度はエリナーに横戀幕をした事實、エリナーと牧師との間を嫉妬して常に二人の行動を監視したり、教會員の間にさまざまなゴシップを撤いてゐる事、その上、兇行のあった時刻に現場附近にゐたといふ事實等があがったので、警察では彼を有力な容疑者と認め、一先づ拘留處分にした。
 癈園の林檎樹下の二死體を最初に發見して警察へ届出たシュナイダー青年と、少女パールは、その前夜十五日にもその二死體を見てゐたといふ事實が警察に知れたのは十八日の午後であった。
 パールは十五歳になる綺麗なお茶っぴい娘で、彼女は前夜遅くシュナイダーに誘はれて癈園へ散歩にいった事を肯定した。
「その時は私達は男と女が寝てゐるのだと思ひました。けれども翌朝いって見ると、まだ昨夜のまんまになってゐるので變だと思って傍へいったのです。」
「その時と、前の晩とは死體の様子は變ってゐなかったかね? 服の釦はどうなってゐたか記憶えてゐるかね?」
「前の晩は寝てゐるのだと思ったから、餘り傍まではゆきませんでしたが、男の人の胸釦が外れて、白いシャツがはだけ、チョッキに金鎖がわたしてあったと思ひます。」とパールはいってゐる。この證言は頗る重要なものである。ホール夫人は牧師が家を出る時に、金鎖のついた金時計を懐中し、五十餘弗入の紙幣入を所持してゐたといってゐるが、死體が發見された時には、時計も、鎖も、紙幣入もなく、その上服の釦がかけてあったにも拘らず、シャツの胸が蠅の糞で汚れてゐた。 死體は尠くも三十六時間は抛擲されてゐたから、その間に犯人以外の何者かゞ時計と所持金を奪った上開いてゐた服の釦をかけて立去ったのではあるまゐか?
 さうなると怪しいのはシュナイダーである。自動車運轉手である彼は當時失業中で、界隈での有名な不良青年であった。彼が現場附近を徘徊したのは十五、十六日のみでなく、十四日の晩にも夜更けまで二三の仲間と出歩いてゐた。
 シュナイダーは數時間に亙る嚴しい訊問に對し、飽迄死體に手を觸れた覺えはないといひはったが、
「斯うなったら仕方がないから眞實の事をぶちまけて了ひます。實は私は兇行があった時、現場にをりましたが、拳銃を射ったのは一緒にゐたヘイネスといふ男です。だから時計や、金を盗んだのも奴でせう。」といった。
 警察ではシュナイダーを拘留しておいて、直に刑事をヘイネスの家へ派した。何にも知らないヘイネスの母親は、
「枠は野球にいって不在ですが、ぢきに戻って参りますから、お急ぎの御用でしたら、家へ入ってお待ち下さい。」といった。
「では少し待たせて頂きませう。息子さんは毎晩何處かへ出掛けますか?」
「はい、近頃は失職してをりますので、晝間は仕事を探して歩いてをりますが、夜になると友逹に誘はれて遊びに出ます。何處で何をしてをりますかは一向存じません。」
「息子さんは拳銃をもってをりますか?」
「はい、二挺もってをります、お目にかけませうか。」母親は奥へいって二挺の拳銃をもってきた。然しそれは兇行に用ゐられた三十二ミリではなく、ずっと小型で、其上、一方は引金が折れ、一方は全然機械が破損してゐて、役に立たないものであった。
 間もなく歸宅したヘイネスは、刑事から仲間のシュナイダーとカフマンが面倒を起こしたので、證人として警察へ同行するやうに云はれると、
「何ですって? カフマンもですって? あれはまだ十五にしかならない子供ですよ。これまで一度だって不良い仲間に入ったことがないのだから、何かの間違ひでせう。シュナイダーなら、彼奴はいろいろなことをやってゐますからね。この前の細君だって、パールの事で追出して了ったのです。だが、何で私を面倒に引込んだのでせう?」と腑に落ちないらしく呟いた。
 だが、ヘイネスをこの事件に卷込んだ當人はカフマンであった。彼は十四日の夜九時三十分に、町の劇場前でシュナイダーとヘイネスに會ひ、連立って歩いてゐる中に、パールと泥醉した男とが一緒にゐるのを見掛け、三人でその後を尾行(つ)け始めた。
 泥醉者が泣叫んでゐるパールの腕を掴んで引摺ってゆくのを見るとシュナイダーは醉拂を遣付るのだといって、矢庭に上衣を脱いでヘイネスに渡した。ヘイネスはその上衣をジャケツの上に引かけて、シュナイダーの後を追って走っていったが、
「止せ、止せ、相手が惡いぞ。あれゃパールの親父だぞ!」といってシュナイダーを呼返さうとした。
「親父だらうと、誰だらうと驚くものか、いざとなればこれで正當防衛とやるんだ。」と拳銃を出して見せ、二人の後を何處までも蹤けていった。
 その中にパールの親父が、突然後を降返って、
「この野郎共、何をしてゐやがるんだ!」と呶鳴った。
「俺達はこの邊で一休みしようと思って、塒(ねぐら)を捜してゐるんだ。」とシュナイダーが呶鳴り返したので、カフマンは喧嘩が始まるのだと思って、二人を遺して其場から逃げ去った。
 カフマンは任意警察に出頭して、以上の事實を陳述したのであった。シュナイダーの陳述もそこまではカフマンと符合してゐた。只異ふのはカフマンが其後で、シュナイダーとヘイネスが自動車に同乗してゐるのに出會った旨を附加へてゐるのに對し、シュナイダーはその事實を否定してゐる。それから先のシュナイダーの陳述は、
「私とヘイネスは農園のわきを抜けて森の方へ逃げてゆきましたが、その中に又、勇氣が出てきたので、引返すと、樹蔭の腰掛(ベンチ)に二人の男女が寄添ってゐるのを見掛けました。それは確にパールと親父だと思ひましたから、遠くから見張ってゐました。その中に二人は立上って腕を組むで「フヰリップ農園」へ入ってゆきました。吾々は今度は餘り側へは近寄らないで、見え隠れに木立の間を縫ってゆきました。暫時すると、二人は大きな林檎樹の下の草の上に横になりました。するとヘイネスは、
「見ちゃァゐられない。」といって突然拳銃を出して四發射って了ひました。私は其時ヘイネスが飛でもない間違ひをした事に氣がついて、ヘイネスを殘してどんどん逃げてきて了ひました。吾々がパール父娘だと思ってゐたのは人違ひだったのです。」といふのである。
 或はこのシュナイダーの陳述は眞實かも知れない。そしてパール父娘と間違へたのは、牧師とエリナーであったかも知れない。教會員のゴスリンや、クラーク夫人もその二人が屡々農園附近の森を連立って逍遥してゐるのを見掛けたといってゐる。
 然しヘイネスは、
「間違ひにせよ、何にせよ、私はあの晩決して拳銃など射った覺えはありません。パール父娘の後を尾行けていって親父に脅されて逃出したところまでは眞實ですけれども、もう一度後へ戻ったことなどは絶對にありません。」と頑強に云張った。
 二青年を對質させると、ヘイネスは、
「シュナイダー、君は何の怨恨(うらみ)があって、そんな作り事をしたのだ。あの晩、吾々は親父に脅されて放々の體で君の自動車で逃げ歸ったぢゃァないか。君が嘘をいってゐる事は君自身が一番よく知ってゐる筈だ。」といふと、シュナイダーは冷かに相手の顏を見据えながら、
「眞實ぢゃァないか、今になってそんな卑怯な事をいふことは男らしくないな。」と空嘯いた。
「こん畜生! この嘘吐奴!」ヘイネスは眞赤になって相手に躍りかゝったが、警官に遮られて了った。
 右に就き、パールが再び警察へ召喚された。彼女はヘイネス及びカフマンとも知合である事を肯定し、當夜父親と連立ってゐた事に就いて次のやうに陳述してゐる。
「私が九月十四日の晩、九時半にシュナイダーに送って貰って家へ歸ると、玄關で父に會ひました。父はひどく醉沸ってゐて、私に一緒に森へ散歩に行かうといひ出しました。私は逆らう譯にゆかないので、一緒に又、外出しました。私がジョージ町を歩いてゐる時、父が私の腕を力任せに掴んで、ぐんぐん引張ってゆくので、それを振り切らうとしますと、父は私の腕を逆捩ぢにしましたから、痛いので悲鳴をあげました。 私はその時、男が二三人で後を尾行けてくるのに氣がついてゐました。軈て街燈の光でそれがシュナイダーや、ヘイネスである事が判りました。父が呶鳴りつけたので三人とも逃げていって了ひ、私達もぢきに家へ歸りました。若しあの晩誰かゞ拳銃を射ったとすれば、それはシュナイダーに違ひありません。ヘイネスはそんな事をする男ではありません。」
「お前はどうしてシュナイダーに不利な證言をするのだね? シュナイダーはお前の情人ぢャァないか。」と警官がいふと、パールは斷髪の頭を振りあげて、
「誰があんな奴なんか! あんな卑怯者! 彼奴は自分だけいゝ子にならうと思って、私達をこんな面倒に引込んで了って‥‥‥‥」
 と罵った。
 ヘイネス青年が間違ひにもせよ、牧師とエリナーを射殺した犯人とは受取れない節があった。第一には拳銃の口徑の相違である。次に若しヘイネスが人違ひで遠くから射殺したものなら、エリナーの頸部の傷を何と説明する? それにエリナーの顏には煙硝が黒く附着いてゐた程近距離から射撃されてゐる。ヘイネスがそれ程間近までいったなら、當然人違ひに氣附いた筈である。然し警察ではヘイネスを有力な容疑者として逮捕した旨を公表した。

豚を飼ふ女
 ヘイネス青年が収監されたといふ記事が新聞に現たその翌朝、癈園の二死體事件を擔當してゐたトットン探偵の許へ、ギブソン夫人から電話がかゝってきた。その女は現場から一哩程距れたギブソン農園の主婦で、土地では「豚を飼ふ女」といふ異名で通ってゐる。實の姓はイイストンといふのであるが、ギブソンから現在の農園を買取ったところからギブソン夫人ともいってゐる。 彼女は曲馬團にゐた素性の知れない女の私生兒で、現在の良人イイストンと結婚してから、この土地へ來て、養豚事業を始めたのである。働き者の彼女は温順しい亭主と息子を、手足のやうに使って、廣い農園をひとりで切り廻してゐた。彼女の農園は屡々伊太利人部落の者達に荒されるので、其度に警察へ訴へ出たりしてゐたので、トットン探偵とは顏馴染であった。
 ギブソン夫人は、
「今日は玉蜀黍泥棒の訴へとは譯が異ふのですから、いつものやうに三日も四日も抱(ほう※ママ)っておかないで直ぐ來て下さいよ。大切な話ですからね。」といふのであった。
 探偵はギブソン夫人の語らうとする事が、殺人事件と密接な關係がある事を仄めかされたので、即刻彼女の家へ出向いた。
 ギブソン夫人は探偵の顏を見ると、何の挨拶もなく、突如、
「トットンさん、何だってへイネスなんて罪のない子供を牢獄へぶち込むだのです!」と呶鳴った。
「そんなに頭からきめ付ける位なら、無論大した云分があるのでせうな。」
「ありますとも、私はヘイネスが犯人でない事を、この眼で見てちゃんと知ってゐるのです。ヘイネスにしろ、誰にしろ、犯人は斷じて若僧ではありませんよ。」
「それ程、立派にいひ切る事が出來るのなら、何故もっと早く警察へ知らせて呉れなかったのです。」
「私はこんな事件に卷込まれたくないからですよ。さうでなくても探偵だ、泥棒だといって忙しいこの収穫時に暇を潰されるのに、この上新聞記者なんかに押しかけられて耐るものですか。こっちは金持の「人××ごっこ」なんかよりも、豚の餌の玉蜀黍の方が餘程大切ですよ。けれども罪もない人間が、牢にぶち込まれたり、電氣椅子に送られたりするのを默って見てはゐられませんからね。」
 彼女の驚くべき陳述は事件が發生した十四日より一日前の盗難事件と重大な關係をもってゐた。彼女は前日夜中に二十畝の玉蜀黍を根こそぎやらねたので、憤然として十四日木曜日の晩は寝ず番をして盗人を捕へる決心をした。
 午後八時四十五分、いつもの通り最終の乗合自動車が、農園の横手の大通りを町の方へ走り去った。それから三十分程して、畑の樹木に繋いでおいた番大が、けたゝましく吠え出して、續いて伊太利人部落に通ずる道路にあたって、荷馬車の進む音が聞えてきた。ギブソン夫人は豫てから畑を荒すこそ泥棒を、伊太利人部落のものと睨んでるたので、聞耳を立てゝ様子を窺ってゐた。軈て玉蜀黍畑の近くで馬車の音が停った。夫人は急いで厩へ行き、驢馬ジェーンに鞍をおいて現場へ飛ばした。
 その時、荷馬車はそろそろ動き出し、その道路を眞直に三丁計りいったところで、ドラッセー通りへ曲った。坂路へかゝった時、ジェーンが嘶いたので、夫人は相手に悟られるのを惧れて驢馬を後退りさせた。荷馬車は軋みを立てながら、木立に覆はれて闇の道をどこまでも進んでゆく。夫人は一丁計り間隔をおいて根氣よく後をつけてゆくと、意外にも荷馬車は伊太利人部落の方へは曲らず、ドラッセー通りをどこ迄もゆくのであった。
 その通りは荒癈した「フヰリップ農園」の横手を通過してイイストン街の大通りへ出る。「フヰリップ農園」の母屋へゆくには、ドラッセー通りを南へ折れて、フヰリップ小路へ入る順になってゐる。農園の南側にはラリトン河が流れてゐる。
 ドラッセー通りからイイストン街へ出る角に養老院がある。(そこはホール牧師が屡々教會の聖歌隊を引率して不幸な老人達を慰める爲に訪問した場所である。從って牧師とエリナーはその邊の地理に通じてゐた筈である)
 偖、ギブソン夫人は荷馬車がイイストン街へ出るまで尾行を續けた。彼女が驢馬を大通りへ乗入れようとした時、突然、新ブランスウヰック町方面から一臺の自動車が驀進してきて、ドラッセー通りへ入ってきた。夫人は自動車が丘の上へ曲ってゆくものと思ひ、反對側に避けたところが、自動車は三間計り先でぴたりと停り、暫時すると、逆行して再びイイストン街へ出ていった。其時自動車の頭光が、ドラッセー通りの南側を照らした。 その瞬間、ギブソン夫人は其處に佇ってゐる二人の人物をはっきりと見た。一人は丈の高いがっしりとした女で鼠色の服を着、帽子を被らないで、雪のやうな白い頭髪をむき出しにしてゐた。その傍に立ってゐるのは頭髪のもぢゃもぢゃした黒人であった――尠くも其時、ギブソン夫人はその男を黒人であると思った――黒人と白人との密會は州の法律に觸れてゐるので、彼女は荷馬車の行先を突止めたら、直に警察へ訴へようと考へてゐた。
 さう斯うしてゐる中に、肝心の荷馬車を見失って了った。然し彼女は念の爲にイイストン街まで出ていって、耳を澄して荷馬車の音を聞出さうとした。その時、彼女は路傍に停めてある大型の自動車を見た。後日、その自動車は牧師夫人の自用車である事が證據立てられた。
 ギブソン夫人は驢馬を引返し、フヰリップ小路の上手から二三丁下ったところで、其處にあった樅の木に馬を繋いだ。夫人は先前驢馬が嘶いたので、玉蜀黍泥棒が追跡されてゐる事を悟り、イイストン街へ馬車を向けたので、暫時待てば再びドラッセー通りへ戻ってくるに違ひないと考へた。それ故若し驢馬がフヰリツプ小路の上手で嘶けば、盗人等は彼女が森の方へ入ったらうと思って、直に引返してくるだらうと豫想したのであった。そんな譯で驢馬を繋いで了ってから、ドラッセー通りへ出ようとすると、誰かゞ癈園の中で云ひ爭ふのが聞えてきた。その聾は次第に高まって、二人の女と、敷人の男の聾である事が判った。然し聾が入亂れてゐて、はっきりと言葉を聞取る事は出來なかった。
 ギブソン夫人は、そんな刻限に闇の中で何事があるのだらうと訝り、癈園を圍んでゐる生垣の前に立って、内部の様子を窺った。
 闇の中で、人々の格闘する氣配、唸き聲などが聞えてきた。ギブソン夫人は生垣に身を寄せて、癈園の奥を覗込んだ。突然、誰かゞ點じた懐中電燈の光に、二人の男が組打をしてゐる姿が照し出された。ほんの一瞬時であったが、丈の高い中年の男の顔と、それ組伏せられてゐる男の後姿が見えた。
 電燈がぱっと消えたのを合圖の様に、轟然たる銃聲が起った。
「おゝ、ヘンリー!」女の喘ぐやうな聾、けたゝましい恐怖の叫聾、女の走るやうな小刻の跫音、それを追ふ重い靴音。沈默。突然、三發の銃聲が續け様に響いた。
 癈園の中は再び死の沈默に返った。
 ギブソン夫人は急に吾に返って、周章てゝ樅の樹のところへ馳戻り、驢馬に飛乗って夢中で自宅へ逃げ歸った。彼女は驢馬を下りた時、初めて右足の長靴を落してきた事に気付いた。家へ入って時計を見ると、十時三十分であった。
 ギブソン夫人は氣を紛らす爲に、讀さしの小説本を擴げて見たが、先刻目撃した闇中の活劇が氣になって、一行の文字も頭腦に入らなかった。それからそれへと空想を駛らせてゆく中に、彼女は恐ろしい殺人事件と、自分の落してきた長靴とを結びつけて慄然とした。
 ギブソン夫人はもう一度現場へ戻って、何事があったか確めたい好奇心と、落した長靴を捜したいといふ希望をもって、再びジェーンに跨ってドラッセー通りへ向った。
 その時は月が皓々と昇って、四邊は晝のやうに明るくなってゐた。彼女は以前と同じく驢馬を樅の樹に繋ぎ、そこから草の上を四つ這ひになって長靴を捜しながら生垣の前まで進んでゆくと、癈園の中から女の啜泣きが洩れてきた。ギブソン夫人は露に濡れた叢に膝を突いて、暫時耳を澄してゐたが、軈て生垣の根元へにぢり寄って、樹木の隙間から空地を覗いた。
 月明りに照らされた林檎樹の下に、一人の女が跪いて、草の上に横ってゐる二個の黒い人影を撫で廻しながら、烈しく鳴咽してゐた。
 軈て女は立上って、涙に濡れた顏を月光に向けた。それは銀髪の婦人で、紛れもなく先刻ドラッセー通りの出口で、黒人らしい男と並んでゐた女であった。
 四邊には最早男の姿は見えなかった。銀髪の婦人は足下の人影を見下して、歎き悲しんでゐた。
 ギブソン夫人は辷るやうに其場を立去り、驢馬に跨って家路についた。
 彼女は夫から二週間、その夜目撃した光景に就いては家人にさへ他言しなかった。それには二つの理由があった。第一は、彼女が仕事に忙殺されてゐて新聞を讀まなかった爲、事件の經過を知らなかった事、もう一つは自分の失った長靴が禍するのを惧れたからであった。
 ところが十一月一日になって、夕方町から歸ってきた息子が、
「お母さん、到頭「フヰリップ農園」の二人殺しの犯人が捕まったよ。」といってポケットに突込んでゐた新聞を卓子の上へ投出したので、彼女は貪るやうにその記事を讀むだ。
「兎に角、そんな譯で、ヘイネスは斷じて犯人ではないのだから、さっさと放しておやりなさい。」とギブソン夫入はいふのであった。

時間の謎
 警察ではギブソン夫人の陳述によって、直にホール家の人々を召喚し、密に首實驗を行った。署長はホール夫人に帽子を脱いで傍にあった長い薄茶色の雨外套(レインコート)を着るやうに命じた。隣室に潜んでゐた探偵は、傍のギブソン夫人に、
「貴女が十四日の晩に、ドラッセー通りの出口で見掛けた婦人が着てゐた外套はあれですか?」と囁いた。
「いゝえ、違ひます。あの外套ではありません。だが、女は確にあの女です。」とギブソン夫人はいった。
「どうしてあの外套でないと斷言出來ますか?」
「色合が違ひます。あの晩着てゐたのは鼠色でした。」
(因に牧師夫人は十五日に、鼠色の乗馬服をわぎわざ紐育の染物屋へ送って、紺に染めさせた。)
「然し、あの時刻には、まだ月が出てゐなかったのに、どうしてそんな事が判ります? それに月の光では色合の判る筈はないでせう。」
「私は自動車の頭光で見たのです。」
 次に探偵は彼女を窓際へ連れていって、中庭を横切る數人の男を見せた。すると彼女は、
「あゝ、あすこにゐる髭の濃い男は、確にあの女と一緒にゐました。私はあの頭髪がもぢゃもぢゃしてゐるのを見て、てっきり黒人だと思つたのです。それにあんなに日焦けのした黒い顏をしてゐますから…………空地で男を組伏せてゐたのもあれです。」とウヰリアムを指さした。
 斯うなると、いよいよホール家の人々に對する疑惑が濃厚になってきた。家名を護る爲の犯行か? ホール夫人の嫉妬から端を發したものか? 妹の爲には火水にも入らうといふウヰリアムと、射撃の名人ヘンリー………。
 然しこゝで不思議なのは時間の問題である。ギブソン夫人が歸宅したのは十時半だといってゐる。すると彼女が兇行を目撃したのは十時前後であらねばならぬ。然し、兇行時間は醫師の鑑定、及び橋番、其他附近の人々の聞いた銃聲による警察の推定は十一時前後になってゐる。そこに一時間の差が出てゐる。而も當夜十時半には、ホール夫人は圖書室で獨骨牌をしてゐたと小間使が證言してゐる。同じ時刻にどうして二哩も距れた「フヰリップ農園」にゐる筈があらう。その上、ギブソン夫人が二度目に現場へ引返した時刻にはまだ月が昇ってゐない筈である。
 斯うした時間の相異はギブソン夫人の證言を非常に薄弱にした。警察では夫人の證言がどの點まで信をおくに足るかを實地檢證によって確める事にした。
 トットン探偵は豫め打合せをしておいて、約束の九時にギブソン農園に夫人を訪ねた。ところが家の中はがらんとしてゐて、人のゐる氣配はなかった。彼は薄暗い玄關に立って小一時間も待った頃、遥か農園の一角に馬蹄の聲を聞いた。そして高く伸びた玉蜀黍畑から、ジェーンに跨ったギブソン夫人が現はれた。
 探偵が玄關から飛出してゆくと、納屋の前で驢馬から下りたギブソン夫人は、突如、鐵砲を向けて、
「誰だ!」と呶鳴った。
「トットン探慎ですよ。散々人を待たせた揚句、鐵砲で嚇すなんてひどいですよ。九時といふ約束だのに、既うやがて十時ではありませんか。」
「そんなことがあるものですか。まだ九時前ですよ。八時四十五分の最終の乗合が、たった今、通ったばかりですからね。」
「貴女のとこの時計が一時間も遅れてゐるんだ。第一最終の乗合自動車は九時四十五分ですよ。」
「いゝえ、家の時計は正確です。間違ってゐるのは世間様の時計ですよ。いくら日が永いからって、時計を一時間も進めて暮らすなんて、そんな馬鹿なことは私は大嫌ひだ。貴郎方の時計がいくら四時半だって、實際の時間は三時半なんですから、私はそんな馬鹿早く起きて働くのは厭ですよ。狂人ぢゃァあるまいし。」ギブソン夫人は吐出すやうにいふのであった。 それで初めて時間の謎が解けた。この土地では夏になると早く夜が明けるので、電燈を節約する爲に特に七月から九月まで、夏期時間と稱して、一齊に時計を一時間進める事になってゐる。ところが頑固なギブソン夫人は、州令を無視して夏期時間を用ゐないでゐたのであった。それ故、十時前後に兇行を目撃したといふギブソン夫人の證言は、一般時間の十一時前後に該當してゐる。
 ギブソン夫人は十四日の晩に荷馬車の軋む音を聞いた時刻が來ると、厩から驢馬を引出してきて、
「さァ、この間の通りをやって見ますよ。私はこゝから驢馬に乗って出掛けたのです。いゝですか。蹤いてきて下さいよ。」といって手綱をとった。
「この玉蜀黍畑へかゝった時、彼處に荷馬車が見えたのです。それから私は樹の陰に沿って後をつけていったのです。餘程そばへいって車の中に私の玉蜀黍を積んでゐるか、どうかを確めたかったのですが、ジェーンの奴が蹄の音をたてるから、どうしても一丁は距れてゐなければならないのです。」
 探偵はそれから數町默々として馬上のギブソン夫人の後に從った。其晩も兇行當夜と同じく霽れた空に星が燦然と輝いてゐた。月はまだ昇ってゐなかったが、四邊は仄明るく、黒い木立の輪郭や、驢馬を馭してゆく夫人の姿が影繪のやうに浮んでゐた。
 ギブソン夫人はドラッセー通りから、イイストン街の出口に近づくに從って、ずっと馬の歩調を緩めた。其晩は「愛の小徑」にも誰も自動車を停めてゐる者はなかった。平常は大抵二三ヶ所にさうした媾曳の車が燈火を減して樹蔭に蹲ってゐるのである。
「丁度、こゝで自動車に會ったのです。そして黒人のやうな男と、頭髪の白い女が立ってゐたのは、その樹の下です。多分二人はその自動車に乗ってきて、そこで下りたのかも知れません。それから私はイイストン街へ出て、こゝのところへ立って前後左右を見廻したのです。大型の自動車が停車してゐたのはそこでした。」ギブソン夫人は片手に驢馬の手綱を操りながら、右手をあげて其處此處と指さした。
「さう、さう、先刻いふのを忘れましたが、ドラッセー通りの坂道のところで、此奴が嘶いたのでしたっけ。」夫人は更に驢馬をフヰリップ小路に入れ、樅の樹に繋ぎ、がさがさと藪の中に入っていった。軈て現場に近づくと、夫人は探偵の腕を掴んで、
「こゝから覗いてご覧なさい。あの樹の下ですよ。」といった。探偵は生茂った生垣に顏を寄せて、薄明りの中に黒い條枝を擴げてゐる林檎樹を見た。
「私は最初、男達が低い聲でごそごそいってゐるのを聞いて、泥棒かと思ったのです。それでそっとこゝまで這ってくると、二人の男と、二人の女がゐたのです。四人はあの林檎の方へ向って歩きながら、何か云ひ爭ってゐました。女の一人が早口で―― 手紙の説明をなさいまし―― といひました。」夫人は上流の貴夫人の氣取った口眞似をして見せた。
「その他に、もっと何かいひませんでしたか?」
「私の聞いたのはそれっきりです。四人が一度に喋ってゐるのですし、皆、早口でしたから何をいってゐるのか薩張り判りませんでした。それから拳銃が鳴った時、――おゝ、ヘンリーと溜息を吐くやうにいったのは、矢張り手紙の事をいった女と同じ聾でした。間もなく拳銃の音が績けさまに起ったのです。」
 その時、探偵は腕時計を見た。丁度十一時十分前であった。

金はそんなにものを云ふか
 トットン探偵は、翌日ソマビル刑務所に證人として収容されてゐるシュナイダーを審問室に呼出した。十時間ぶっ通しの反對訊問を行ひ、遂に事實を吐かせた。彼はへイネスに關する證言を取消し、
「實はヘイネスが私を陥入るかも知れないと思ったから、先廻りをしてあゝいふ作りごとを申し上げたのです。御承知の通り私は「フヰリップ農園」の近くに住んで居りますから、あの晩パール父娘の後を尾行た後、夜中過ぎまで森のわきの川ぷちをうろついた揚句、家へ歸りました。實のことをいふと、私は拳銃の音などは聞きませんでした。けれどもそんな事をいっては變だと思ったから、聞いたことにしたのです。私はヘイネスが私の事を人殺しをして金や時計を盗んだなどと、いひふらしてゐるのを耳にしましたので、癪に障って……」
 これによってヘイネスに懸ってゐた疑惑は霽れた。シュナイダーは僞證罪で二年の禁錮に處せられた。
 パールの父親は近親相×罪として告發されたが、裁判に附されない中に肺結核で死亡した。
 パールは感化院へ送られ、一年後には生れ更ったやうな温良な娘となって町へ歸ってきた。
 偖、ホール家の人々は金力と地位を利用して、それぞれ有力な辯護士と證人を出して完全に現場不在證明を立て、ギブソン夫人の證言を否定した。それに引かへ、ギブソン夫人が兇行を目撃した事實を裏書する證人は一人もなかった。而も彼女は金も身分もない、單なる「豚を飼ふ女」に過ぎなかった。
 ホール家側の辯護士は、彼女が素性の知れぬ私生兒であること、夏季時間を用ひてゐなかった非常識などを列擧して、證人としての資格を認めないと主張した。最も甚しいのは彼女が豚を屠る爲めに使用してゐる肉切庖丁を臺所から捜し出してきて、裁判所に提出し、彼女が日頃から自分の農園に立入るものを鐵砲で脅した事實をあげて、林檎樹下の兇行は彼女自身によって演ぜられたものとさへ誣ひられた。
 この事件が公制に附されたのは四年後の千九百二十六年十一月三日で、審議は五週間に亙り、百七十人の證人が出廷した。その時の豫審調書は一頁二百字詰の用紙で五千五百二十二頁といふ厖大なものであった。
 其時主要證人と目されてゐたギブソン夫人は胃潰瘍で入院中であったが、重態を醫師と看護婦に附添はれて擔架で出廷した。彼女ば被告席のホール夫人、ヘンリー、及びウヰリアムを指さして、千九百二十二年九月十四日夜「フヰリップ農園」に居合せた人物であると斷言し、當時の模様を陳述した。 それは大體に於て四年前と變りなかったが、細節に於ては多少の相異があった。一例を擧げれば、癈園の中に人々の爭論を聞いてから、驢馬を樅の木に繋いだといふ如きものであった。然し辯護側ではさうした些細な點まで一々問題にして彼女の證言を反駁した。彼女は、
「ホール家の辯護士の一人、マルチニといふ男が度々私の農園へ訪ねてきて、トットン探偵に語った一切の證言を取消し、この事件から手を引けば、五萬圓やるといふ相談を持込みました。」といった。
「それは眞赤な嘘だ。それでは何日と何日に訪問したか、時日を明確にして貰ひたい。」マルチニ辯護士は威猛高になって叫んだ。
「四年も前の事をさう一々記憶えてゐるものか、私は嘘のこしらへごとを手帳につけておくやうな人間とは譯が違ふんだからね。いつだったか知らないけれども、最後に來た時、私が鐵砲で射殺すといって嚇したら、烏見たやうにぱっぱと逃げ歸ったぢゃァないか。」ギブソン夫人は擔架の上でせゝら笑った。
 ギブソン夫人の證言が四年前と多少の相異があったのに反し、ホール夫人兄妹の陳述は條理整然として一言半句の相異もなく、聊も突込まれる點はなかった。殊に長兄ヘンリーが提出した日記帳には、九月十四日から十五日にかけての行動が精細に記述され、それを裏書する證人が數人あった。ところが奇怪な事にはその一冊の日記帳には夜釣りで鱒を三匹釣った事などよりも、もっと重大であるべき記事が一つも記してなく、ホール牧師の變死、その葬儀等にも一切觸れてゐない。 而も十四、十五兩日の日記を認めた鉛筆だけが、別種なものであった事が證明されてゐる。それから死體の足下に落ちてゐた牧師の名刺に遺ってゐた指紋が、ヘンリーの指紋に符合してゐるといふ鑑定があったが、それもホール家側で提出した専門家の鑑定書によって否定された。
 同年十二月三日、金曜日午後一時五十二分から六時四十九分まで、陪審官一同の審議があった後、三人の被告は證據不充分で無罪を宣告され、癈園の二死體は永遠の謎として葬り去られて了った。
 裁判が終った翌日、裁判長及び檢事は何故か突然辭職して了った。
 事件發生當時からこの殺人事件に異常な興味をもって活躍を續けてゐたデヰックマンといふ退職軍人は、四年後の裁判にはギブソン夫人につぐ重要な證人として出廷すべき筈であったのに、或日行衛不明になって了った。
 後日彼は擔當檢事の勸告により、ホール家から五萬圓の報酬を得て、その土地を退去した旨を告白した。
 紐育ミラー紙の編輯長ペインは、死體の傍にあった名刺にヘンリーの指紋が發見されたといふ事實を眞先に探訪して、この事件を全米國的のものにした人物であったが其後オールド・グローリー號に搭乗、羅馬訪間飛行の途次、大洋に墜落惨死した。
 ホール牧師が十四日の晩、家を出る時、身につけてゐた金時計と、五十餘弗入の紙幣入れは竟に出てこなかった。その金時計は牧師が神學校を卒業した時に、優等賞として贈られた記念品で、蓋の内側には彼の姓名が刻んであった。
 牧師夫人とウヰリアムとは、蔦の絡んだ思ひ出の家を賣ってそこから數丁距れた小高い丘に新居を構へた。長兄ヘンリーは弟妹と別居して田舎の別荘に釣魚を樂んでゐる。
 エリナーの亭主ジェームスは依然として教會わきの見窄らしい家に住んで、女學校の門衛を勤めてゐる。
 ギブソン夫人は其後豚を飼ふのを罷めて、山羊の飼育を専門にしてゐる。
「フヰリップ農園」の有名な林檎樹は年毎に花をつけ、實を結び、驢馬を繋いだ樅の樹も大きく伸びてゐるが、癈園は區劃整理をして立派な住宅地となって了った。
 ギブソン夫人が月夜の晩に乗り廻した驢馬ジェーンは、何者かに毒殺されたといふ。  (完)

注)明かな誤字誤植などは修正しています。文字のゆらぎなどはそのままにしています。
注)句読点の変更、改行変更をしているところがあります。


探偵小説「霙の中の散歩者」
「東京朝日新聞」 1934.07.13 (昭和9年7月13日) より

 白い柵の下にも、並木の條枝にも、緑が薄らと芽ぐんでゐた。三月もその日一日で終りといふのに、気紛れな冬がもう一度引返して來たやうに、朝から霙が窓ガラスを濡してゐた。
 ボストン市から數哩距れたW町の閑静な一劃に、樹木に圍まれた石造家屋がある。そこには實業界を引退した七十八歳のペーヂ老人と、長男、次女及び女中の四人が判で捺したやうな規則正しい生活をしてゐた。
 長男ハロルドは、いつものやうに八時發の列車に乗る爲に、十分前に家を出た。彼はボストン市の税關に勤めてゐる小官吏で、四十八歳の獨身者、道樂は釣魚と銃猟、素晴しい猟犬を二三頭飼ってゐて内職に仔犬を賣ったりしてゐた。
 次に家を出たのはペーヂ老人であった。彼は外套の襟を立てゝ、
「ぢゃァ、一巡りして來るからね。」といって元氣よく石段を下りていった。それは九時半であった。
 それから更に一時間程して、女中のエミイがボストン市の醫者へ行く次手に、買物をしてくるといって出掛けた。其日は彼女の定休日であった。
 そんな譯で、十時半以後、次女メイベルは廣い邸宅にたった一人殘った。尤もそんな事は有勝で決して珍しくはなかった。彼女は母が亡くなって以來、四十一歳のその日まで結婚問題など眼中に置かず、家に留って老父と兄の身邊の世話をしてゐた。
 偖、九時半に家を出たペーヂ老人は、先づ郵便局へ寄って手紙を投函し、附近の辻馬車でA町の圖書館へいったが、まだ開館までに五、六分間があったので、玄關の前で煙草を吸ひながら待ってゐた。
 老人は正午近くまで讀書をなし圖書館を出てからW町に向ってぶらぶら歩いていった。途中友人の家へ立寄り、新築した厩を見せてもらったりして、自宅へ着いたのは二時過ぎであった。
 老人は日頃の習慣で、家に沿うて裏に回ったが、どうした譯か、台所の扉に錠が下りてゐた。仕方なしに表玄關へ戻ると、いつも錠のかゝってゐる扉が半開きになってゐた。老人は大して氣にも止めずそのまゝ台所へいって、戸棚からパンとサイダーをだして空腹を滿した。それは凡十五分を要した。
 老人は玄關わきの居間へいって、卓上に投出してある針箱や、娘の縫ひかけの衣服などをぼんやり眺めてゐたが、いつ迄經っても娘の氣配がしないので、
「メイベルや! 何處にゐるんだい!」と呼びながら二階へ上っていった。
「おや? 厭に階段が暗いと思ったら、メイベルの部屋の扉が閉ってゐるんだな。」と老人は呟いた。
 娘の寝室の扉は階段と廊下に光線を採る爲に、晝間は開放しておく事になってゐた。それだのに二つの扉ぴったりと閉ってゐる。
 老人は手近な扉を開けて、部屋の中を覗き込んだ。
 娘のメイベルは寝台の傍に仰向けに倒れ、心もち首を扉口の方へ捩って、硝子玉のやうな眼を瞠ってゐた。彼女は外出でもするやうな服装をして、帽子を被り、編上靴まで穿いてゐたが、スカートだけは傍に投出してあった。
 老人は馳寄って娘の手を取ったが、脈は絶えて氷のやうに冷くなってゐた。抱起さうとすると、頸部にぎざぎざな切傷がついてゐて、夥しい血痕が絨毯を染めてゐる。老人は直に階下へ馳下りて居間の煖爐を檢めた。火は故意に消したらしく、二本の薪が傍へ寄せてあって、焚落しが白く灰になってゐた。飾棚に立てかけた紙片には、メイベルの筆蹟で、
――兄さんが怪我をして病院に収容されてゐる由、私はこれから病院へ出掛けます。玄關の鍵と物置の鍵は表扉の内側に差込んでおきます。ベネット姉さんには病院から電話をかけるつもりです。十二時。
 とあった。
◆………◇
 老人は娘の變死と、長男の奇禍に氣も顛倒せん許りになって戸外へ飛出し、付近の人々の援助を乞うた。取敢ず長男の勤務先へ電話で照會すると、病院に運ばれた筈のハロルド自身が電話口へ出て、
「僕が怪我をしたなんて、誰がそんな虚報を傳へたんでせう。僕はこの通りぴんぴんしてゐますから御安心下さい。」といった。然し彼は妹が變死したと聞いて、即刻家へ飛歸って來た。
 醫者が到着したのは夕景であった。而もその頃には季節外れの大吹雪となって、いつもより一時間も早く日が暮れて了った。覺束ない電燈の光で檢視を行った醫師は、不器用な頸部の傷痕を見て、
「こりゃどうも自殺らしい。」と斷定した。
 ところが夜になって棺を運び込んだ葬儀社の男が、
「こんな自殺があるもんですか、背中と胸に刺傷がある!」といった。背中の傷が物をいはぬ迄も、兇器が見當らない事は十分に自殺説を否定してゐた。
 警察醫の再檢視によって、死因は心臓部を貫通した短刀による刺傷で、他殺と鑑定された。頸部及び背部の傷はいづれも深さ五インチに達してゐた。死骸の近くに投出してあったスカートのホックが引きちぎれてゐたが、斯うした場合に想像されるやうな被害は受けてゐなかった。
 奇怪な事には紺サージのスカートの裾に、花蓆の赤い繊維が刺さってゐた。死骸のあった寝室には空色の絨毯が敷詰めてあって、どこにも赤いものはなかった。然し階下の玄關の廊下には赤い模様のある花蓆が敷いてあったから、兇行が演ぜられたのは、或はその廊下であったかも知れない。それにしても階下は整然として血痕が見出されなかったのは不思議である。 もう一つ妙な事は、現場の人目につき易い床に、わざとらしく置いてあった紙片である。それには「マサチュセット州、チャルストン市、モルトン」と鉛筆で記してあった。それは右から書いたり左から書きたしたりしたもので、家族の者の筆蹟ではなかった。
 ペーヂ家では盗難の被害はないと思ってゐたが、夜になって歸宅した女中は、
「居間の机の抽斗にお嬢様がお金を入れてお置になった筈です。今朝私が汽車賃と買物のお金を頂いた時、お嬢様が紙幣で十二弗と、ばら錢を幾許か、蟇口に入れて抽斗へお入れになったのを私は見てをりました。」と證言した。ところがその蟇口には銅貨が少し殘ってゐただけで、十二弗の紙幣は全部紛失してゐた。
 當日、午前十一時に洗濯屋がペーヂ家の玄關を叩いたが、返事がなかったので、洗濯ものを石段の上へ置放しにしてきたといってゐる。その洗濯物は寝室の戸棚に入ってゐた故、メイベルが殺されたのは十一時から二時までの間である。
◆………◇
 事件發生五日目に、A町に住むタッカーといふ美貌の青年が警察へ召喚された。彼は二年前に結婚し、つい前年新妻に死別した二十五歳の鰥夫(おとこやもめ)であった。彼は川岸の貸ボート小舎に雇はれたり、停車場の貨物係をしたり、旅館の昇降係をした事もあるが、當時は失業中で、親許にごろごろしてゐた。
 彼が警察から目をつけられた第一の理由は、彼が當日霙の中をA町からペーヂ家のあるW町まで散歩にいった事である。彼はペーヂ家の人々とは聊ながら面識があって、曾ては長男ハロルドから仔犬を買ひ、その折家の中へ入って紅茶を振舞はれたといふ事實がある。その上彼は前日まで一文無しであったのに、兇行のあった當夜は友達の前で紙幣(さつ)びらをきったといふ。
 警察におけるタッカー青年の陳述は次の通りであった。
「僕は午前中親父の吩咐で、庭の芝生の手入れをしてゐました。晝飯を濟ましてから着替へをしてW町の橋の方へ散歩にいったのです。途中肉屋の親父と立話をしたり、南通りで道路工夫が溝を掘り返してゐるのを暫く見物したりして、家へ引返さとするとばったりボンといふ友達に會ひ、又、連れ立って橋の方へ歩いてゆきました。 すると、背後からアーサーといふ魚屋の伜が、魚を積んだ馬車を牽いてきました。その荷馬車にハンナといふ女の子が乗ってゐて、笑ひながら手巾を振ったので僕等もその兩側に乗ってゆきましたが、暫時して魚臭い車を下り、三人で體育場へいって射的をして遊びました。僕はそれからぢきに二人に別れて歸宅しました。
 警察では一應の取調べをしただけで、格別得るところもなく、タッカー青年を釋放した。ところが氣早な一新聞記者が、それと許りに――メイベル殺し犯人逮捕さる――と初號標題で麗々しくタッカー青年の寫眞まで掲載してしまった。
 翌朝、警察署長が苦り切ってゐるところへ、兇行當日タッカーを荷馬車に乗せたといふアーサー青年の父親が、朝刊新聞を鷲掴みにして飛込んできた。
「旦那、此奴が殺人犯人だといふなら、これもお役に立ちませう。」といひながら彼の差出したのは短刀の革鞘であった。その説明によると、鞘は當日タッカーが荷馬車の上へ置き忘れていったもので、新聞記事を見て父子相談の上届出たものであった。その鞘にははっきりと前齒の齒型がついてゐた。それは警察の推定によると兇器の鞘に該當してゐたので、直にタッカーの家を襲って家宅捜索を行ふと古外套のポケットから四つに折った短刀の破片が現てきた。繼合せるとぴったりと革鞘に適ひ、而も生々しい人血が附着してゐた。
尚鞘に遺されてゐた齒型は齒科醫によってタッカー青年のものである事が鑑定された。其他彼の所持品の中に、十弗に近い紙幣と、楓の葉を浮彫りにした黄金の飾ピンがあった。そのピンは被害者メイベルの所有品である事がペーヂ家の人々によって證言された。もう一つ重要な發見は、古ハガキの餘白に「マサチュセット州、チャルストン市、モルトン」といふ落書がしてあった事である。多少筆蹟は異ふが、それは現場に置いてあった紙片の文字と相通じてゐた。
◆………◇
 これだけの證據が揃っても、タッカーは頑強に犯行を否定した。それに彼がペーヂ家の付近を徘徊してゐたのを見掛たものはあるが彼がペーヂ家へ入るところ、或は出るところを見掛けたものが一人もなかった事も彼の罪を幾分薄弱にした。その上彼が町内切っての美男子で、日頃女連の氣受けが良かった爲に意外な同情が聚り、猛烈な助命運動が起された。
 當人の自白がないから如何なる順序で兇行が演ぜられたか、明かでないが、察するにペーヂ家の様子を熟知してゐるタッカーは、メイベル一人限りになったのを見濟まして、贋の使者としてペーヂ家へ乗込み、メイベルが慌てゝ老父へ置手紙をなし、煖爐(ストーブ)の火を消して外出の支度をしてゐる最中、兇行に及んだものであらう。
 それにしても惨劇のあったのは赤い花蓆の敷いてある玄關の廊下であったらうか、それとも死體の發見された寝室であったらうか、何故スカートの裾に赤い繊維が刺さり、ホックがむし(※手偏に少力)り取られてゐたのであらうか、そこには我々の解きたい疑問が數々ある。然しタッカー青年はそれ等の謎を遺したまゝ、事件發生二年後、千九百〇六年七月十日、電氣椅子に送られてしまった。 (完)

注)明かな誤字誤植などは修正しています。判別し難く推測による文字もあります。



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夢現半球