「謎の女達 爐邊物語」
「東京朝日新聞」 1930.12.09〜13 (昭和5年12月9日〜13日) より
一、わら床の貴婦人
いつの世にも女はある意味でなぞの存在であるが、こゝに擧げる人々は、文字通りなぞに包まれた女性である。
千七百六十六年、英國ブリストル市に近い一小村に、どこからかへう然とたどり着いた美しい婦人があった。粗服をまとってはゐるが、物越しといひ言葉使ひといひ、どう見ても身分の高い貴婦人である。
彼女は村人の軒に立って、つゝましく牛乳か、茶の振舞ひをこうた。そして夜がくると、野に積んであるわらの上に眠った。次の日も、次の日もも、婦人は同じやうに村をさまよひ歩いては、夜は又、そのわら床に戻るのであった。
希に見る美ぼうの、由緒ありげな婦人が、さうした生活をしてゐるのを見て村人は狂人と思ひ、哀れがって有志が彼女をブリストル市の聖ピイター病院へ送った。然し鑑定の結果精神に異状がないと證明され、婦人は再び六マイルの道程を徒歩で村へ戻ってきた。彼女はそれから四年間、わら床の上で野宿をして暮してゐた。
村人達は彼女を「わら床の貴婦人」と稱び、食物や衣類を惠んだ。けれども彼女は牛乳と茶以外のものは決して撮らなかった。又僅に寒氣を凌ぐだけの粗末な衣服より身につけなかった。ぜい澤な衣類や、装身具のやうなものを與へられると、無雜作に手近の木の枝に引かけておくのであった。
彼女は毎朝村を歩いて、貧しい兒童達に優しい言葉をかけたり、自分が惠まれた食物や衣類などを分ち與へて樂しんでゐた。村人が、
「何故そんな風にして暮していらっしゃるのです。ちっとも遠慮する事はないから、私の家へいらっしゃい。」といふと、婦人は、
「家の中には煩ひと、悲哀がありますから。」と、辭退するのであった。彼女の言葉には少し外國人らしいなまりがあったので、村の語學者が様々の國語で話しかけ最後にドイツ語を用ゐると、婦人は急に眼に涙を浮べた。それによってドイツ語が彼女の悲しい過去を思ひ起させたものと推測されたが、それ以上彼女について知る事は出來なかった。
後、彼女はレウマチスのために脚が利かなくなり、ある富豪の夫人の好意で病院に収容される身となった。
そこでも彼女は決してぜい澤な寝台には寝ないで、堅い床にわらをしいて、粗衣をまとった病體を横たへてゐた。
彼女は千八百〇一年十二月十八日、ブリストル市外の一小村に現れてから三十五年目にロンドンのガイ病院で最後の息を引取った。彼女はその時何歳であったか、又何といふ名であったか、つひに身許はわからないでしまった。
彼女に少からぬ興味をもってゐた前記の富豪の夫人は、歐洲各都市の新聞に廣告して彼女の身許に關する答へを求めたが、だれもそれに應へるものはなかった。
二、フルウレン嬢とは?
わら床の貴婦人の死が傳へられて間もなく「謎の婦人」と題するフランス語で書かれた奇怪な小册が歐洲各國にはん布された。それによるとわら床の貴婦人といふのはウヰンナとベルサイユの宮廷において、なぞの存在とされてゐた某淑女の成れの果であるといふのである。
何でもその小册の發行された頃から五十年程前にスペイン王が、オーストリア皇帝ヨセフ二世から、ある秘密の依頼を受けたといふ。それはオーストリアの先帝フランシス一世の隠し子である若い婦人をスペインの宮廷に保護してもらひたいといふ申出であった。スペイン王はそれを快諾する旨の返書を送った。すると奇怪な事にはオーストリア皇帝からそのやうな依頼をした覺えはないといってきた。
官憲は僞手紙の出所をたどって、フランス・ボルドーに豪奢な生活をしてゐた、フルウレン嬢と名乗る美しい婦人をたい捕した。彼女は全歐洲に大旋風を卷起すやうな奇怪な陳述をした。
彼女は幼い頃、ボヘミアの荒野の一軒家に二人の婦人と、一人の僧りょに侍かれて暮してゐたといふ。何故か彼女は讀み書きを學ぶ事を嚴禁されてゐた。
彼女の許に折々訪ねてくる高貴な老紳士があった。ある時、その紳士は自身の寫眞と、二婦人の内の一人の方の寫眞とを彼女に與へ、大切に保管してゐるやうに告げた。後にその老紳士が彼女の父で、その婦人が生母である事を教へられた。
それから數年して僧は老紳士が死去した事を告げ彼女をフランスの修道院へ連れていった。然し彼女は途中から僧の手を逃れ、歐洲をさまよひ歩いてゐるうちに、スエーデン駐在のオーストリア大使に發見され、ボルドーの某婦人の保護の下におかれる事となった。そこで彼女は毎月見知らぬ紳士の訪問を受け、ばく大な生活費を與へられた。然しその紳士が何者の使者であるか、又、何故そのやうなばく大な金が支給されるのか、彼女は識らなかった。兎に角彼女が受けた金は六萬二千五百圓餘に及んでゐたといふ。
彼女は何不自由なく暮してゐたが、ある時から急に訪問者が姿を見せなくなり、從って毎月の仕送りが絶えたために、彼女は負債に惱まされるやうになった。
因に彼女の父として與へられた寫眞の主はオーストリア先帝フランシス一世であった。
尚、小册の語るところによるとフルウレン嬢はオーストリア大使の死後、軍服を着た士官の訪問を受け、彼の命令で旅行の用意を調へ、行先を告げられずにボルドーの館を連れだされ、片田舎の森の中に一人棄てられた。
小册の筆者はオーストリア宮廷が體面を保つために先帝の隠し子フルウレン嬢をかうした運命に陥れたのであって、英國に現れた「わら床の貴婦人」は實はフルウレン嬢であると力説してゐるが、果してこの二婦人が同一人物であるか、どうかはなぞである。
三、美しきセオドシア夫人
千八百十二年十二月三十日であった。社交界の花とうたはれてゐた美しいセオドシア夫人は、カロリナ(※ママ)州の知事をしてゐた良人を殘して、父バア大佐を訪問するためにニューヨークへ向った。
夫人は付添醫師、數人の召使等を伴ひ、高價な衣裳や、寶石類、父大佐へ贈る彼女自身の肖像畫等を「愛國號」に積んで港を出た。
だが、セオドシア夫人の一行を乗せた「愛國號」の消息はそれっきり海の中に消えてしまった。
それから數年して米國近海を荒してゐた兇惡な海賊船が捕獲され、乗組員全部は英國ノルフォークで死刑を執行された。彼等は曾て「愛國號」を襲った顛末を自白した。それによると、セオドシア夫人は海中に身を投じて溺死してしまったといふ事である。
更に數年して夫人の死について、新たになぞが加へられた。といふのは南北戰爭の直後に米國のエリザベス町に滯在してゐた英國醫師が一人の貧しい病人を治療してやった。患者は醫師の親切に報いるために自分の家にあった美しい婦人の肖像畫を贈り、その繪について次のやうに語った。
「丁度、獨立戰爭の頃、この海岸にだれも人の乗ってゐない不思議な帆船が漂着しました。その船は帆を張ったまゝ、何の故障もなく風のまにまに流れてきたのださうです。それで海賊に襲はれたのかといふと、別に格闘の跡もなく、立派に衣装や、高價な寶石類が甲板に投げ散らされ、卓子の上には朝食の用意をしたまゝになってゐたといふ事です。この繪は船を片付にいった私の良人が船室から持ってきたのです。」
醫師が持ち歸った繪を見たニューヨークの人達は往年のセオドシア夫人の肖像に違ひないといった。
セオドシア夫人について、最近エリオットといふ人物が次のやうなさふ話を發表した。
千八百十三年の初旬、チャーレス岬のさびしい海岸に一婦人の死體が打揚げられた。それは一見して身分ある人らしい服装をしてゐた。死體を發見したのはその土地に住んでゐた筆者エリオット氏の伯父で、死骸を埋葬するに當り、高價な指輪を救ふために、婦人の左手の指を三本切斷した。その因果かそれから五ヶ月後に生れた伯父の娘は左手の指が三本なかったといふ。
これ等のさふ話はセオドシア夫人が海賊に襲はれ、海中に投じて自殺した事を暗示してゐる。だが船中に略奪格闘の痕跡がなかったといふ事は海賊うんぬんの説を覆すではないか。
又、一説には「愛國號」は英國軍艦に撃沈されたとも傳へられてゐる。然しもしそれが事實なら、女子供は救助されたはずである。
ある人は次に掲げるアレキサンドリアのなぞの女性がセオドシア夫人ではないかといってゐる。
四、アレキサンドリアの女
記録によると、千八百十六年七月二十五日アレキサンドリアの沖にイカリを下した帆船があった。それはハリファックスから西インドに向って航行中の「四人息子號」であった。その帆船は病婦人と、それに付添ふ男をボートに乗せて上陸させると、イカリをあげてそこを立去った。
ボートで運ばれた病婦人は、眞夏の暑氣にも拘らず、厚いヴェールで覆面してゐた。彼女とその連れは港の酒場「ぶだうの束」に宿をとった。
醫師が迎へられた。だが醫師は病室へ入る前に付添の男から患者に關する事は一切口外しないといふ誓ひを立てさせられた。醫師は一生その誓言を守った。彼の唇からもれた唯一の事實は、彼は患者の顏を一度も見なかったといふ事だけである。
彼女はそれから二ヶ月余り、醫師の往診毎に覆面してゐたといふ。夫と稱する付添ひの男は八月の酷暑に、夜も晝も密閉した部屋で付きりの看護を續けた。そのために秋風が立ち初めると、睡眠不足と、過度の疲勞にやつれきって看病に耐へなくなった。同じ宿に泊ってゐた二人の婦人が見兼ねて病人の世話を申出ると、彼はその二人に對しても醫師の場合と同じやうに誓ひを立てさせた。
十月三日、木曜日の眞夜中、いよいよ病人の臨終が迫ってきた。すると男は自分だけその部屋に殘り、醫師と二人の看護人を退けた。
冷い東風がよろひ戸を鳴らし、大粒の雨が窓を打つのを聞きながら女達は暗い廊下に立って聲を潜めてゐた。
暁になって、男はよろめきながら死の部屋から出てきて、凡てが終った旨を告げた。彼は死人の顏を他人に見られるのを恐れて、自分一人の手で死體を柩に納め、そのフタに自らクギをうった。
彼は葬儀を濟まし、遺骸を寺院の墓地に葬ると、いづこともなく姿を隠して了った。
それから十數年の間、毎年命日がくると、その男はへう然と墓地に現れ、新しい花を捧げ墓碑の周圍に蔓る雜草をかってゆくのであった。彼は町の人々に會っても言葉も交へず、例の酒場に立寄る事もしないで、港から眞直ぐ墓地へゆき、再び港の船へ戻るのであった。
その後、男は死んだと見えて、ある時からばったり墓参にこなくなった。
すると、ある春の日に立派な老紳士と、二人の老貴婦人が墓地を訪ね、倒れてゐた墓碑を再建した。彼等は姓名も身分も明かさず、唯亡き人の縁者であるとのみいって早々立去って了った。土地の人々は覆面の婦人こそ「愛國號」と共に行方知れずなったセオドシア夫人で、看病に當った男は海賊の首領であらうといってゐる。病婦人を看護した二婦人のもらした秘密は覆面の婦人が世にも珍しい麗人であったといふ事だけである。
五、被告席に立つ覆面婦人
「私は一切の秘密を墓場へ持ってゆくつもりです。」といって被告席に立った覆面の婦人は厚いヴェールを外す事を拒むだ。
裁判官も何故か、強ひて彼女の覆面を脱らせようとはしなかった。弁護人も深い事情があって、被告の身許を公にする事は出來ないと述べた。
この不思議な被告は、千八百五十一年に教師になる志望でニューヨーク市へ出てきたが、適當な就職口を見出す事が出來なかった。然し何者かの仕送りによってぜい澤に暮らし、ロビンソン夫人と名乗ってゐた。その中に彼女はニューヨーク屈指の富豪の圍(かこい)者であるといふ風説が立った。それと前後して相手の富豪と、有名な司法官の令嬢との婚約が發表された。
男に裏切られた彼女は逆上して往來ですれちがった他人にまで、自分がその富豪の正當な妻である事を吹聴して歩いた。
丁度、その富豪の友人達が厄介な女を市から追放する方法について、協議を凝らしたその日に、市の一隅に奇怪な殺人事件が突發した。
トロイ町の雜貨商の主人が家族と共に晩餐をした後、變死した。それは毒死であった。最初嫌疑はしっと深い若い妻に懸った。ところがその日店へ買物に立寄ったロビンソン夫人が主人に請じられるまゝに食堂へ入ってビールを一杯飲むだといふ事實から、彼女がその家の主人を毒殺する理由はいささかも見出されなかったにも拘らず、殺人犯人として裁かれる事になったのである。
弁護人は被告の精神に異状があるといふ理由で救はうとしたが、裁判官等は三時間にわたり審議の結果、有罪と宣告した。
彼女は千八百五十五年八月三日に死刑になるはずであったが、州知事の特赦で終身刑となった。彼女は十八年間シンシン監獄に収容され、更にオーバンの精神病院に十七年間を過ごし、後マッタワンの養老院に送られ、千九百〇五年五月十四日に病没した。彼女はその時八十八歳と稱してゐた。
五十二年の監獄生活の間、彼女は一度も署名をした事はなかった。又、だれにも手紙を書いた事はなかった。彼女に關する一件書類はシンシン監獄の火災の際に燒滅して了った。
彼女は英國貴族の血統をうけてゐた事、その實子は英國の著名な軍人であるといふ事がばく然と世間の風説に殘ってゐるだけで、彼女が何者であるか、だれも知る者はない。ロビンソン夫人といふのはいふまでもなく僞名である。
彼女は捕はれた時、
「私は亡き兩親の名をけがしたくありません。それ故私は自分の身分や本名は決して申あげないつもりです。」といった。全く彼女はそれを實行したのであった。
彼女のために立った弁護士には多額な弁護料が支拂はれたが、それを支拂った人物の名は遂に公にされないでしまった。(この項終)
注)明かな誤字などは修正しています。平仮名の多用や「弁」などは原文のままです。「たれ」は「だれ」に変更しています。
注)句読点は変更したところがあります。
「子供の殺人」
「国民新聞」 1931.07.06,08,13,15,17 (昭和6年7月6日〜17日) より
一
元來子供は無邪氣なものとされてゐるが、その反面に無智な殘忍性をもってゐる。誰しも少年時代の追憶の中には、弱いものに馬糞を喰はせたとか、土手から突落したとか、相手が鉢の開いた重さうな頭をしてゐたので、空氣銃で狙ひ打をしたといふやうな事があるに違ひない。それ等はみんな大した理由もなく、たゞ咎める爲に咎めるだけの事である。
それに子供は凡ゆるものに對して強い好奇心をもってゐる。動いてゐる時計をばらばらに壊して見たり、眠り人形の頭を割って、眼の仕掛を究めたりする。斯うした子供のもつ好奇心と、殘忍性とが、思はぬ恐ろしい殺人を構成する場合がある。
□ □
千八百八十一年パリの場末に幼兒惨殺事件があった。犯人ルメートルは十四歳の少年であった。彼は兩親の揃った相當な家庭に育ち小學教育を受けて後、商家に見習ひ奉公に入った。
或日彼は主人の金を二百法(フラン)拐帶し、場末の私娼窟街の一軒に間借をして大人の生活を試みた。彼は數日後、往來で三人の子供が遊んでゐるのを見つけ、時計の鎖を見せびらかして、
「僕の家へ遊びにくれば、澤山お菓子をあげるよ。」といった。その中の六歳になる男の子がルメートルの言葉に誘はれて、彼の部屋へついていった。
ルメートルは子供に猿轡をはめ手足を縛って横たへ、豫(かね)て用意しておいた短刀で子供の腹部を斷ち割った。彼は子供が藻掻いたので首を締めて息の根を止めて了った。
ルメートルは血に塗れた手を洗ひ、亂れた頭髪を梳(くしけず)り、部屋に錠を下して家を出た。
□ □
夫から二時間後に彼は警察署へゆき、
「僕はルメートルといふ者です。いまよその子を殺してきました。死骸は僕の部屋にあります。これが部屋の鍵です」といった。彼は少も後悔の様子はなかった。切り刻んだ死體を目の前に突つけられても平然として、
「僕は決して泣いた事はないんです。どんな場合にも泣くなんて意氣地のない事はしません」などゝいった。
ルメートルはこの犯罪の動機に就いて、
「僕はお腹の中に何が入ってゐるか見たかったから、切開したのです」といひ、又、
「子供を殺して見ようといふ考へが、不意に頭腦の中に入ってきたのです」とか、
「僕はお祭りの時、易者に觀て貰ったら、今に有名になるといはれたのです。僕はいつでも蝋人形の陳列館へいって「恐怖の部屋」の有名な人殺しや、泥棒の人形を見てゐました。ですから、有名になるといふのは、蝋人形になって飾られる事だと思ひました」といってゐる。ルメートルは廿年の刑に處せられた。
□ □
この事件があって間もなく、十三歳になるオリビエといふ少年が時計を買ふ金を得る爲に、日頃から彼を可愛がってゐた親戚の老婦人を斧で惨殺した。
彼は時計狂で、金さへあれば幾つでも時計を購ってゐた。或時などは親の許へきた爲替を盗んで、一度に五個も購った事がある。彼はそれ等の時計の螺旋を卷いたり機械を解體したりして有頂天になってゐるのであった。裁判の時にも彼は、
「僕は時計を愛してゐるんです。時計以外には何にも考へた事はありません。」といふだけで、殺人については何の理由も與へなかったし、又、少しの後悔も示さなかった。
□ □
この少年も裁判の結果、二十年の懲役を宣告された。彼は刑務所へ入ると間もなく病死したが、驚くべき事にはどうして持込んだものか、彼が死んだ時に二個の時計をしっかりと抱いてゐたといふ。
二
米國ボストン市を震がいさせた殺人鬼ポメロイも十四歳の少年であった。時代も同じく千八百八十一年頃からの事で、この少年の手にかゝった哀れな犠牲者は何れも七歳から十歳迄の學童で、その數は實に四十人からの數にのぼってゐる。
彼は犯罪にかけては天才だったと見えて、「まぼろし團」などゝいふ大がかりな名稱を用ゐ――次回は足下の愛息の番なり――などゝ大膽な警告状を發しておき、嚴重な警戒の中で目ざす子供を殺してしまふのであった。而も殺した子供は丸裸にして柱にくゝりつけておいたり、或は親の家の玄關に釘づけにして置いたりした。
□ □
ポメロイは寡言で、一見温順しい少年であった。只片眼に白い膜がかゝってゐて何處か陰險なところがあった。家庭は圓滿で兩親は大通りに菓子店を營んでゐた。物質的にも精神的にも何の不足なく、順境に育った少年であった。
彼は僅か數週間の中に廿七人の兒童を殺害した。警察ではまさか十四歳の少年の犯行とは思はなかった。殺人の方法が餘り惨酷であったので狂人或は黒人の所業であらうと推定して専らその方面の捜査を續けてゐた。
市民は極度に恐怖し、親達は子供を學校へやる事を中止し、或は附添人なしでは外出させない程警戒した。偶々第廿八番目の犠牲者ブラット少年の父親は「まぼろし團」の警告を受けてゐたので、私立探偵を雇って登校の送り迎へをさせてゐた。すると或日學校で下級生の一人が、ブラットの家から迎へがきたと知らせたので、校長はブラット少年の歸宅を許した。それから二十四時間後に少年は丸裸體の惨死體となって、郊外の沼地に發見された。その時の下級生といふのがポメロイの弟であったところから、校長はポメロイに疑惑を向けるやうになった。
□ □
危く廿九番目の犠牲者になりかゝったウヰリアムといふ九歳の少年は運よく魔手を遁れて警察へ訴へ出た。彼は、
「眼の白い、怖い顔をしたお兄さんが僕を裸體にして電信柱へ結へつけようとした」と語った。それで探偵は少年を伴って學校へゆき各級を廻って首實驗をなし、終にポメロイを發見したのである。
ポメロイは平然として自らの手にかけた二十八人の少年少女の姓名、犯行の場所、及び方法等を詳細に自白した。彼は、
「子供を殺すのは犬や猫を咎めるより、餘程面白い」といった。
ポメロイの兩親は息子を救う爲に凡ゆる手段を盡し、有力な辯護士や醫師を雇って法廷で爭ひ、彼を刑務所へ送る代りに、精神病院へ送る事に成功した。
その後、僅か一ヶ年でポメロイは全快退院を許され兩親の膝下に神妙にしてゐたが、その翌年から又しても不氣味な白い眼をあげて附近の子供を物色し始めた。
軈て界隈の子供等が頻々と行方不明になった。その中に附近の人々がポメロイの家の裏庭から異臭が發散すると訴へ出たので、警官が臨檢すると、塵芥棄場の下から十二個の子供の死體が現れた。
□ □
十七歳のポメロイは終身刑を宣告され、刑務所へ送られた。彼は幾度も脱獄を企てた。母親は差入れの林檎パイの中に鑢を仕込んで置いたり、安樂椅子の背に鑿や鋸等を忍ばせて送ったりしたが、いづれも看守に發見された。最後に彼は檻房の石垣の背後に通ってゐる瓦斯管に孔を開けて部屋に瓦斯を充滿させいつの間にか手に入れてゐた燐寸を擦って爆發自殺を企てた。然し皮肉な事にはそれによって刑務所は火災を起し、幾多の囚人が燒死したのにポメロイは廊下の外に跳飛されて氣絶したゞけで生命を全うした。
彼は千九百二十七年の夏、四十幾年の刑務所生活を終って頭に霜を頂き六十歳の老體を娑婆の風に曝した。
三
英國の上流家庭に育った美少女コンスタンが異母弟を殺したのは十六歳の時であった。犯行の動機は繼母といふものは繼子を咎めるものだといふ妄想の爲であった。彼女は後年罪状を自白し、
「母は決して不親切な人ではありませんでした。眞實のお母さんと同じやうに私を可愛がって下さいました。若し世間で私が繼母に辛くされた爲にお母さんの産んだウヰリアムを殺したと思はれては眞實にお母さんに濟みません。お母さんが優しい、親切な方だったといふ事だけは是非世間に知らせておかなければなりません。あの頃、私は繼母や繼子の小説を讀んで、自分も不幸な繼子だと考へお母さんへの復讐のつもりで、何の罪もない弟を殺してしまったのです。」と語ってゐる。
彼女は十二歳の時に、父親が後妻を娶ったのを憤慨し、斷髪男装して家出をした事があった。
□ □
事件のあったのは千八百六十年の初夏であった。コンスタンスは前夜父親の部屋から剃刀、燐寸、蝋燭等を密に持出して廊下の戸棚に隠しておいた。その晩彼女は早くから床に入って家人の寝鎮まるのを待ち、保姆と共に別室に寝てゐた四歳になる弟を毛布ぐるみそっと物置小舎へ抱いていって、無心に眠ってゐる子供の首を締めた上、剃刀で咽喉をえぐり、心臓を突刺した。彼女は死骸をそこへ掻込んで家へ戻り、客間の窓を開放して外部から人が入ったやうに見せかけておいて自分の部屋へゆき血に塗れた寝卷を着かへて床に就いた。
翌朝、家人が子供のゐなくなった事に氣づいて大騒ぎをしてゐる最中に、コンスタンスは兇行に用ゐた剃刀を洗って父親の部屋へ元通りに返しておき、血痕の附着いた寝卷を臺所のストーヴで燒却して了った。
人々は誰しも十六歳の少女がそんな大それた事をしようとは夢想だにしなかった。世間では、父親のケントと、保姆とが共謀でやった事と考へた。即ちケントが夜中に保姆の寝室へ忍込んだ時、子供が眼を覺して泣いたので妻に知られるのを惧れて、絞殺したものと想像した。
□ □
然し倫敦から出張した探偵はコンスタンスの寝卷が一枚紛失してゐた事それから彼女が曾て母親への反抗らしき家出した事實等を思ひ合せてコンスタンスに嫌疑をかけた。けれども證據が稀薄だったのと、少女が餘りに白々しく犯行を否定して了ったので、裁判の結果コンスタンスは無罪となり、探偵は失脚し、父親はあらぬ汚名を負うて、社會的に葬られて了った。
一體子供といふものは實に平氣で嘘を吐くものである。大人なら條理を立てゝ責められると、恐れ入って了ふが、子供は理窟が解らないから理詰にされても驚かないで、強情を張り通して了ふものである。コンスタンスも弟の無殘な死骸を突つけられても、裁判官の嚴しい訊問に會っても顏色一つ動かさなかった。
裁判が終ると間もなく、コンスタンスはブライトンの宗教學校へ送られた。彼女はそこで三年間精神的薫陶を受けてゐる中に往年の罪を心から後悔するやうになり、終に罪の重荷に堪へきれなくなって神父の前に一切を告白したのであった。
□ □
コンスタンスの犯行當時は少女から青春期に移る最も危險な時代で、而も彼女が月經中であったといふ事は見遁してはならぬ事實である。現代であったならさうした事情が酌量され、殊に未丁年の故をもって刑が輕くされたであらうが、彼女は裁判の結果終身刑を宣告された。
後に減刑されて二十年目に出獄したコンスタンスは餘生を靜かな修道院に送った。
四
人生の危機は幾度もくるであらうが、その第一は男女共に青春期に入りかける頃である。
最近米國で世間を騒がした二つの殺人事件はいづれも犯人が十八九歳であった。
市俄古大學生レオポルド十九歳及びロエブ十八歳は二人とも富豪の息子で、何不自由ない幸福な家庭に育ちながら單なる興味の爲にロバートといふ十四歳になる少年を自動車に誘き乗せて惨殺し、死體の着衣を剥ぎとって郊外の溝の中に投棄した。
現場附近に落ちてゐたレオポルドの鼈甲縁の眼鏡から足がついて犯人は直に警察にあげられた。彼等はロバートに對しても、その家族に對しても何等の怨恨があった譯ではなかった。而も被害者は犯人ロエブの従弟であった。
□ □
彼等は「絶對に發覺しない犯罪」を試みやうと六ヶ月も前から入念に計畫した揚句、ロバートを血祭にあげたのである。無論興味以外には目的を持たない犯行であるから、最初からロバートを犠牲者と決めておいた譯ではなかったが、偶々手近にロバートが居合せた爲に實驗に供したといふ。
レオポルドは校中の秀才であった。彼は六ヶ國の國語に通じ佛蘭西語で講義をきいて、サンスクリット文字で筆記を取ったりした程である。哲學、心理學に關する書物を耽讀し、特に博物に興味を持ち、森林を跋渉して小禽の生活状態を活動寫眞に撮ったり、珍鳥を採取して自ら剥製にしたりして、その方面の論文を公にしてゐた。彼は餘りに聡明で、同じ年輩の學生仲間とは反りが合はなかった。それに元來蒲柳の質で、運動競技などにたづさはる事はなく、學校では殆ど仲間外れの状態になってゐた。
ロエブは社交的で學校友達からも、家族の者達からも非常に受けがよく、率直で正直な少年であると考へられてゐたが、實は十五歳の時既に酒に親しみ、女を知ってゐた。彼は探偵小説を愛讀し、彼獨特の惡魔主義を抱いてゐた。さうした頽廃的な思想が二人を結びつけてゐた。二人とも毎月五百圓づゝの小遣錢を支給され各々自用の自動車を所有してゐた。
彼等はあり餘る小遣でしたい放題をしつくした揚句、猟奇心を滿足させる爲に殺人の大罪を犯したのである。二人とも終身刑で現在シンシン刑務所に収容されてゐる。
□ □
今から四年前の歳末に羅府でマリオンといふ十二歳になる少女を誘拐殺害したのはヒックマンといふ十八歳の金髪の美少年であった。犯罪の目的は銀行家であるマリオンの父親から身代金を強請る爲であったが、金が目的ならマリオンを誘拐したゞけで濟む筈であるのを、十八歳の無分別さから少女を絞殺し、死體を裸體にして浴槽に運び、四肢を切斷し、顏に脂粉を施し、鞄につめて夜の公園へ運び出したのである。
□ □
ヒックマンはそこでマリオンの父親から身代金三千圓を受取り「マリオンはあすこにゐますと暗い芝生に轉がしてある死體を指し示して、その場から自動車で逃走した。彼は其晩活動寫眞などを觀て過し、翌日郊外で自動車で通行中の紳士に拳銃を突つけて現金三十圓及び紳士の乗ってゐた黄色のハドソンを強奪し、桑港を經て沿岸千五百哩を逃走、沙市に落ち延びたが、遂にペンデルトンで逮捕された。
彼はカンサス市の中學校を優等で卒業し、羅府の第一銀行に給仕に雇はれた。彼は快活で人々から愛されてゐた。十八歳になる迄これといふ忌はしい過去もなく順調に育ってきたが、オートバイ欲しさに銀行の金を四百圓盗んだのを手始めにその年の中に十二回も強窃盗罪を繰返し、十二月十五日に第十三番目の大罪を犯したのであった。
彼は翌千九百廿八年十月十九日に絞首臺で刑を執行された。
五
十九世紀の終りに倫敦の夜の女を脅した殺人鬼ジャック・ザ・リッパーの出現以來、同種類の犯行がある毎に、第二第三のリッパー事件として喧傳される。リッパー事件といふのは一見目的を持たない狂人の行爲の如くに見える惨虐な殺人である。それ程有名なジャック・ザ・リッパーなる人物は今だに何者とも正體が知れないで了ってゐる。謎の屠殺者は霧深い倫敦市に現れ、闇に咲く女達を次から次へと惨殺していった。一説では露西亜の風癲病院を脱出した狂人醫師で、後にテームズ河へ投身自殺したと傳へられてゐる。
最近ドイツに現れたリッパー事件の主人公ピーター・クウルテンの公判は去る四月十四日にダッセルドルフで開かれた。クウルテンは五人を殺害し、七人を謀殺未遂に終ったといふ罪に問はれたのであるが、彼の告白によると、彼が最初の殺人を犯したのは九歳の時だといふ。恐らくこれは謀殺犯人の最年少者のレコードであらう。
□ □
彼は幼少の頃から生物を殺す事に非常な快感をもってゐた。彼は昆蟲類から始まって、犬猫鳥を手當り次第に殺して樂しんでゐたが、遂にそれでは飽足らなくなって、一緒に遊んでゐた友達をライン河に突落して殺した。次に同じ遊仲間が誤って河に墜落して溺れかゝったのを見た彼は、藻掻き苦しむ子供を水中に押込んで殺して了った。その二つの犯行が發覺しなかった事が、長じて後彼をしてリッパーたらしむる原因の一つとなったと見える。
彼もルメートルと同じく犯罪者の蝋人形が陳列してある「恐怖の部屋」を訪づれる事を好み、「俺もいつか、有名な殺人鬼となってこゝに飾られるやうになりたいと思った。」と少年時代の感想を語ってゐる。
□ □
クウルテンは四十八歳の時、九歳になる少女クリスチナを猫の子のやうに、ひねり殺した。彼はその時の模様に就いて次のやうに述べてゐる。
「私は窃盗の目的で、料理店クレインの家へ忍び込んだのですが、二階の寝室へ入った時、クリスチナが何も知らずにすやすやと眠ってゐるのを見て、むらむらと殺意を起したのです。私は幸福さうな少女の寝顏を見た刹那自分の悲惨な少年時代を思ひ起し、殘忍な氣持になって、少年時代の自分を虐げた社會に復讐する氣になったのです。私は少年の頃から幾度も窃盗を働いて刑務所へ送られました。その度に私は大人から酷い目に會されました。嚴しい刑罰は私の心に恐ろしい復讐心を植つけたのです。刑務所は却て私の心をゆがめてしまひました。」
クリスチナを殺した彼は、一度血をなめた狼が更に獲物に飢ゑるやうに、次の殺人を求めた。彼は其後幾度も殺人を企てたが悉く未遂に終った。
□ □
千九百二十九年の某日、彼は鋏をポケットに忍ばせて獲物を漁るべく外出した。すると五歳計りの少女が迷子になって往來で泣いてゐるのにぶつかった。クウルテンが傍へいって聲をかけると、無邪氣な少女は殺人鬼の手に縋って、
「おぢちゃん、坊やのお家へ連れていってよ。」といった。クウルテンはその少女を野原へ連れていって鋏で刺殺した。
翌日、彼はその死體を燒却するつもりで、石油を携へて現場へ行ったが、次の犠牲者を見出すまで死骸を眺めて樂しむ爲に、燒却するのを思ひ止ったといふ。夫れから二日後に彼はマリアといふ十五歳の少女を殺して死體を畑に埋めた。次の犠牲者はルヰズ十四歳、ゲルトルード六歳の二少女である。その二人は手をつないで淋しい田舎道を歌を唱ひながら歩いてゐた。クウルテンは一人づゝ樹蔭へ連れていって絞殺したのである。(完)
注)明かな誤字などは修正しています。
注)句読点は変更したところがあります。「 」末の句点の有無混在はそのままです。
「世界大イカモノ列傳」
「文学時代」 1931.09. (昭和6年9月号) より
一 印度王女
英國の片田舎に突然印度王女が天降って、謹嚴な學者達を煙に卷いた事件がある。時は千八百十七年而も四月一日の大馬鹿日(エイプリル・フール)、グロスター州アルモンズベリイの州知事ウォーラル氏の許へ駐在所の巡査がやってきて、一外國婦人の處置に就いて知事の指圖を乞うた。
「何しろ、てんで言葉が通じないので、始末におへません。頻りに手眞似で何處かへ泊めて貰ひたいとでもいってゐるらしいのです。東洋人だと見えて、頭怕巾(タアバン)を卷いて素足でをります。色は淺黒く、目も頭髪も黒く、齒が眞白で、中々美人です。年頃は二十五歳位と思はれます。閣下のお宅にゐる希臘人の召使は東洋語を幾つも知ってゐるさうですが、一つ通譯させて見て頂けますまいか。」
右の報告を聞いた知事夫妻は、その女に興味をもち、即刻連れてくるやうに命じた。
女は小柄な美人で、理智的な光を湛へた黒い大きな眼と、希臘型の高い鼻と、分厚な愛嬌のある唇をもってゐた。身長は五尺足らずだが、四肢の發育した均齊のとれた體躯をしてゐた。頸の周圍に白いモスリンの襞をとった黒っぽい綿服を着、二枚の肩掛(スカーフ)を纏ひ、一枚を頭に卷き、一枚を背に垂らしてゐた。
知事の召使の希臘人が呼出されて會見したが、彼は女の言葉を解する事は出來なかった。又、知ってゐるだけの東洋語を片端から話して見たが、女には通じなかった。やっと手眞似で女から聞き出した事は、彼女が銅貨を二三枚と、贋銀貨を一枚もってゐる事、東からきた事、長途の徒歩旅行に足を痛め、歩行が困難である事等であった。
知事夫妻はこの異國の女に同情を寄せ、食費を出して村人の家に寄食させた。女はその家の壁紙の芭蕉模様を見て、自分の故郷に生えてゐる植物であると手眞似で語った。夜になって寝臺へ伴れてゆくと、女は床にクション(※ママ)を並べて寝ようとしたので、宿の娘が寝臺に横臥して見せて、やうやう寝臺にのぼる事を納得させた。女は寝る前に床に跪いて、先づ東方を拜し、次に西に向って合掌し、
「アラ、タラ、タラ」と譯の判らぬことを呼むだ。それを聞いた學者達は「アラ」といふのは太陽の義で、女はマホメット教徒であらうと解釋した。
翌日、知事夫人は牧師の許へ使を走らせて、東洋に關する地理書を持参させた。異國の女は地圖を見せられると、支那を指さした。そして船で海を渡った旨を手眞似した。彼女は自分の胸を叩いて、
「カラブウ! カラブウ!」と繰返した。それによって、彼女の名がカラブウである事が認められた。
偖、カラブウは肉類や酒類は、見るも胸が惡いといふ様子をして一切手を觸れず、水、魚肉、玉子、パン、果實等より他食べなかった。
知事はカラブウをブリストル市長の許へ伴っていったが、そこでも彼女の國籍を明かにする事は出來なかった。市長の邸宅に數日間賓客として滯在したカラブウは毎日のやうに市の貴人達の訪問を受けた。人々はどうかしてカラブウの身許を確めようとして、いろいろ手を盡した。東洋を旅行した者達、東洋に關する知識を持った學者達が悉く市長の邸宅に招かれ、カラブウに會見したが、一人として彼女の言葉を解するものはなかった。
その中の一人、ウヰルキンソン博士は、特に彼女に興味を持ち、マニュエルといふ葡萄牙人を捜し出してきて彼女に會はせた。彼は永らく南洋にゐた男で、馬來語に精通してゐるとかで、不思議にカラブウの言葉を解した。そして彼女が文字を書き得るといふことを聞出して紙とペンを與へた。
カラブウの書いた文書は大學へ送られ、語學者の鑑定を乞ふ事になった。だが、英國中の語學者が額を鳩(あつ)めて研究しても、彼女の書いた文字が、何語に属するものかさへ解く事が出來なかった。試みに數を數へさせて見ると、二をヂュース、三をツルア、五をゼンニイといふ風に、何處かラテン系の言葉に類似した發音をした。
然し、マニュエルだけは彼女の言葉を理解し、それはスマトラの一地方の言葉で、彼女の名はカラブウ、國はジャバスと稱する南洋の孤島、父親ジェス・マンドは生れは支那人だが、その島を征服して王位に即いたもので、王妃は馬來の酋長娘、カラブウはその王女であると説明した。彼女の名は眞實はモスウといふのであるが、父親が他島と戰爭して勝利を得たので、その喜悦を記念する爲に、島民は彼女をカラブウ即ち勝利姫と稱ぶやうになったのだといふ。
カラブウの父親は四人の妻をもってゐた。彼が外出する時には、金釦と三本の孔雀の羽根で飾られた頭怕巾を被り、頸に金鎖を卷き、輿に乗って四人の從者に擔がせてゆく。母親は齒を黒く染め、鼻先に寶石を嵌込み、黄金の鎖を右のこめかみ(※顳需頁)に垂らしてゐる。兩親が外出すると、島民は路傍に土下座をして禮拜し、カラブウには膝だけついて敬意を表する。父親は色が白いが、母親は黄色い肌である。カラブウは王女であるしるしに、七本の孔雀の羽根を頭怕巾の左側に飾ってゐた。
尚、マニュエルの通譯によると、カラブウは宮殿の後庭を散歩中、馬來人の惡漢團に襲はれて誘拐されたもので、反抗して闘った時、彼女は懐劔を揮って相手の二人を傷つけたが、彼女も背に負傷し、その傷痕は現在でも殘ってゐるといふ。
誘拐されてから二週間後に、カラブウは某船の船長に賣られた。それは人買船で四十人の荒くれ男と、幾多の鐵砲が積まれてゐた。船長は漆黒の長髪を三つ組に編むで背後に垂らしてゐた。彼女を乗せた人買船はバタビアの港で、更に數人の女を積み、南阿のケープタウンを經てセントヘレナへゆき、それからブリストル海峡に入った。そこで暴風雨(しけ)に遭ひ、船は危く坐礁しさうになった。カラブウは暗夜に乗じて海中に躍込み、怒涛を乗切って岸へ泳ぎついた。彼女はそこで土地の女に濡れた着衣と、指輪とを與へて、現在纏ってゐる衣服を貰ひうけたのだといふ。
マニュエルの通譯によって以上の事實が公にされてから、印度王女カラブウの人氣は大したものとなった。吾こそはと思ふ語學者達はしっきりなしに知事の邸宅を訪問したが終にマニュエル以外の者は誰も彼女の言語を解する事は出來なかった。ある學者は彼女の書いた文字を研究し、アラビア系統の文字であると發表した。
知事夫人が布地や、絲を與へると、彼女はそれで如何にも東洋の王女らしい服装をとゝのへた。寛潤なスカートの上に、美しい刺繍をして、打紐で縁をとった短い上衣をつけ、スカートの裾にはレースの飾りをめぐらした。袖は肱迄でその上に薔薇色のスカーフを掛け、その一端を地に曳いてゐる。頸には婦人から與へられた金鎖のついた胸飾りをつけ、頭には堅い布でこしらへた半ば頭巾のやうな頭怕巾を被り、七本の孔雀の羽根を飾り、素足に木製のサンダルを穿き、リボンの紐を脛に卷付けてゐた。
斯うした異國情緒の溢れたカラブウ姫の服装はどんなに當時の英國人の好奇心を唆ったか知れない。その上、彼女は弓の稽古をしたり、木劔で劔術の練習をしたり、時には手製の弓矢を肩にかけて、町を練歩いたりした。彼女は又、氣が向くと、しなやかな體躯を折り曲げて東洋風の舞踊の姿勢(ポーズ)をしたり、さうかと思ふと、暴風雨のやうな激しい舞踊をして最後に綿のやうになって床に倒れたりした。
彼女の評判を聞いて集ってくる人々の爲にグロスター州の田舎町はまるで祭日のやうな觀を呈し、何處の旅館も滿員客止といふやうな騒ぎになった。彼女に同情した人々は、どうかして彼女を南洋の故國へ送り返さうといふ運動を開始した。ウヰルキンソン博士や、ウォーラル知事はわざわざ倫敦まで出掛けていって、東印度政廰へ照會したりした。
今も昔も渝(かわ)りなく、新聞紙は斯うした事件を特種として毎日繪入りで賑やかに報道した。數寄を極めた印度王女の物語は大受けであった。ところがブリストル市の讀者の一人、ニール夫人はその記事を讀むで首を傾けた。彼女は同じ町のモルチモア氏を訪問し、
「評判のカラブウ姫といふのは、確に贋者だと思ひます。人相から背中の疵まで、私が救ってやった浮浪女そっくりです。」と語った。二人はその謎を解く爲にウォーラル知事に親展書を送った。
知事夫妻は自分達がそんな下賤な女に瞞着されてゐるとは信じなかったが、念の爲に本人をニール夫人と對質させる事にした。
その頃、ブリストル市の某肖像畫家が印度王女の肖像を描いてゐたので、知事夫人は毎日馬車でカラブウ姫を畫家の家へ伴れていった。で、その朝はいつものやうに馬車を畫室へは向けないで、モルチモア家の門前につけた。
その一室で、カラブウ姫は突然ニール夫人とその娘に引合された。夫人は一目見て、
「矢張りお前だったね、お前はメイリー・ベイカーぢゃァないか。」と叫むだ。印度王女は眞青になって知事夫人に縋りつき、例の出鱈目な言葉で、何か哀願するやうなことをいった。だが知事夫人は、
「さァ、斯うなったら、お前は眞實の事をおいひ、この奥さん達が仰有るやうに、お前が贋者なら正直にこゝで白状してお了ひ、さうすれば私がお前を罪にならないやうに取計ってあげるから。さもないとお前を役人の手に引渡して牢獄へやって了ひますよ。」といった。
「奥さま、お許し下さい。私は贋者でございます。わたしはメイリー・ベイカーに違ひありません。お慈悲でお助け下さい。それから何卒、私を親許へ歸さないで下さい。」と贋印度王女は遂に假面を脱いで、知事夫人の足下に泣き伏した。
彼女の書いた文字も、彼女が用ゐてゐた言葉も、彼女の案出した出鱈目で、それを眞面目になって研究した學者こそ、いゝ面の皮である。それよりももっと呆れるのは彼女の言葉を解したインチキ通譯のマニュエルである。彼は素晴らしい空想家だったと見えて、メイリーの口から出任せの寝言を、眞實しやかに通譯して印度王女物語を創作したのであった。
メイリーは其時二十五歳であった。彼女はウヰズリッジの貧しい農家に生れ、幼少の時から放浪癖があって、度々家出をした。十六歳の時、町へ奉公にやられたが、二年目にそこを飛出して乞食をして歩いた。彼女は空腹になると、路傍の酒場へ入ってゆき、悲しい身の上話をこしらへては食物にありついたり、時には客から銅貨を惠まれたりした。そんな風にして彼女はブリストル市へ流れ込むだ。その時懐中に二圓五十錢程の銀貨を所持ってゐたが、それは途中で首吊り狂言をして通りかゝった同情深い紳士から騙取ったものである。
彼女は更に徒歩で倫敦へゆかうとしたが、途中病氣で倒れ、荷馬車曳に助けられ、倫敦の聖ガイル病院へ送られた。彼女の作り話に瞞された病院附の牧師は、彼女の退院後、身柄を引取って女中に使った。そこで三年間勤めてゐる間に、彼女は夫人から讀み書きを教へられた。或時、友達の結婚式に招待されたが、暇を貰へなかったので、彼女は主人の友人の僞筆の手紙を書いて、外出を許して貰った。後にそれが露見して主家を追はれたので、彼女は男装して職業を捜した。すると、或時二人組の剽盗(おいはぎ)に襲はれたが、
「實は俺の方でお前さん達から金を貰ひてえ位だ。」と答へ、終に剽盗の下男に雇はれる事になった。二人の男達はメイリーを男と信じきってゐた。彼女は暫時そこで働いてゐたが、荒仕事にやりきれなくなり、郷里へ逃げ歸った。そして親の家の筋向うの酒場に、矢張り男の給仕人として働いてゐた。だが、親兄弟もそれが娘のメイリーである事には氣付かなかった。
メイリーは相變らず一ヶ所に永く落着く事が出來ないで、間もなく隣村の酒場へ移った。ある大雪の日に彼女は使ひに出され、吹雪に閉込められ、半死半生の状態で家へ擔ぎ込まれた。手當の爲に濡れた着衣を脱がされ、そこで初めて女である事が露見した。
メイリーは村を逃げ出して倫敦へ舞戻り、今度は女中奉公をした。ある時、主人の吩咐で附近の書店へゆき、そこに居合せた客の一人ベイカーと言葉を交へたのが縁となり、その男と結婚した。
ベイカーは船乗りか何かだったと見えて、東洋諸國の風俗習慣に通じてゐた。後日メイリーが印度王女に化けたに就いての知識はその男から得たものであらう。ベイカーは結婚後二年目に、突然妻を棄てゝ行方を晦まして了った。
メイリーは夫から諸々方々を轉々として奉公して歩いてゐる中に、米國行を思ひ立って船着場のブリストル市へ戻った。彼女は渡米の船賃をこしらへる爲に、印度王女事件を編(あみ)出したのであった。
知事夫人は彼女に米國行の費用を支給した。メイリーが米國へ渡ってからどんな生涯を送ったかは殘念ながら記録に殘ってゐない。だが彼女がブリストルを出帆する時にはまるで王侯貴族の出發の時のやうに、見送人が棧橋を埋めたといふ。
二 兎女
十八世紀の初期に英國醫學界を騒がせたメイリー・トフトといふ田舎女があった。彼女は十八匹の兎を産み、その分娩時には國王から侍醫がさしむけられたいふ大掛りな事件である。
トフトは農夫の妻で、結婚五年間に三人の子供を産むだ女である。或日畑で働いてゐると、白兎が目前を横切り、隣りの畑にゐた女の裾に消えたのを見た。彼女はそこで急に兎に對する食慾を感じた。其晩彼女は二匹の兎を膝に乗せて、叢に坐ってゐる夢を見たといふ。その時から彼女は妊娠したのださうである。
兎の夢を見たのは千七百二十六年四月二十三日で、同年の九月二十七日に彼女は五匹の兎を分娩した。産褥に立會った醫師の報告が學界の大問題となり、國王ジョージ二世は侍醫のアンドレ博士を遣はして、その眞僞を確めさせた。
さうなると、田舎の百姓小舎に貴賓を迎へるのは恐れ多いといふので、村長のきもいりで、トフトは村第一の旅館の一室に移され、この上もない鄭重な待遇を受ける事になった。
現代と異って、娯樂の至って尠い當時の有閑婦人達は、世にも珍らしい兎女を觀る爲に、さまざまな見舞品を馬車に積むで、遥々倫敦からゴデルマン村までやってきた。
トフトは侍醫の立會の下に、見事に二匹の兎を産むで見せた。侍醫はすっかり滿足し、それ迄にトフトの産むだ十六匹の兎を携へて倫敦へ歸り、國王の叡覧に供し、尚「兎を産める女に關する考察」といふ小冊子(パンフレット)を發行したので、兎女の評判はいよいよ高まった。
國王は更に産科婦人科の泰斗、マニンガム博士を遣はして嚴密な調査を行はせた。博士は獨逸の外科醫を同伴して、兎女の産室を訪ねた。その時女は恰も體内で兎か何かゞ跳ねるやうな激しい痙攣を起し、目玉をぐるぐる回轉させ、犬のやうにくんくん鼻を鳴らした。これは彼女が兎を産む前の陣痛で、間もなく一匹の白兎を分娩した。
ところが、これ程世間を騒がせた、兎女の詐術は、旅館の門番の密告によって他愛もなく發覺して了った。門番はトフト夫妻の依頼を受けて、密かに生きた兎を提供してゐたのであった。然し、トフトが折々奇怪な痙攣發作を起す持病をもってゐた事は僞りではなかった。恐らく彼等夫妻はその持病を利用してこんなナンセンスな詐僞を謀らむだのであらう。
田舎女にうまうまと瞞されたお歴々の學者達は一世の胡慮(ものわらい)となり「兎を食ふ女」などといふ喜劇が上演されたりして倫敦っ兒を喜ばせた。
女が男を瞞すのは、イヴの世からの相場でござる。
惡い女と、賢い男、女は一枚上手でござる。
そんな小唄が倫敦で流行り出した頃、トフト夫妻は何處へか姿を晦まして消息を絶って了った。
三 四千萬圓金庫事件
人間の慾と好奇心を操って、巧に數百萬圓を詐取し、數十人を破産させ、數人を自殺させた女詐僞師ユンベル夫人は、一時は巴里の目貫の大通りに宏壯な邸宅を構へ、巴里一の富豪として豪奢の限りを盡してゐた。
彼女の客間には常に政治家、實業家、學者、藝術家等、仏蘭西一流の人士が集ってゐた。何しろ客間の正面には高さ十呎、幅五呎の有名な大金庫が、四千萬圓の富を呑むで控へてゐるといふのであるから、人間の魂をそこへ惹付けたのは無理もない。
ユンベル夫人はトウロウズ附近の僻村に生れ、法螺吹で、のんだくれの父親に育てられた女である。彼女は父親が死ぬと、土地の長官ユンベル家の慈悲で女中において貰ってゐる中に、主人の息子を射止めて玉の輿に乗った譯である。
女は大金持の老婦人から、五萬圓の遺産を貰ふと吹聴してゐたので、男はそれを信じ、兩親の反對を押切って、女中風情と結婚して巴里へ驅落した。
男の父親ユンベルは軈て司法大臣の榮職に就いた。その頃息子夫妻は例の五萬圓の遺産云々を材料に、出來るだけの借金をしつくしその揚句裁判沙汰になりかゝった。だが、司法大臣の名誉に係はる事なので、借財は全部父親が背負込むで事件は落着した、
夫から四年後に、巴里の社交界でユンベル夫人の幸運が噂の種にのぼった。今度は五萬圓なんてそんな吝な事ではなく、米国の千萬長者から八十萬圓の遺産を繼ぐ事になったといふので、噂の出處は岳父のユンベル司法大臣であるから、忽ち世間の評判となり、噂が噂を生むで、最初の八十萬圓が、百萬、千萬となり、遂には四千萬圓といふ巨額に上った。
どうしてそんな金がユンベル夫人の懐中に轉げ込むやうになったかといふと、彼女が結婚二年後の九月某日に、巴里中央鐵道の列車内で、急病に苦しむでゐた老紳士を親切に介抱したところ、圖らずもそれが米國の千萬長者クロフォードであったので、老人の死後、紐育の法律事務所から彼女の許へクロフォード氏の遺言書の寫しが送られてきた。この評判がたってからユンベル夫人は一躍女千萬長者として巴里の社交界に君臨する事となった。
然し、クロフォードの遺言によると、遺産はユンベル夫人の妹、ドリイナが丁年に達して、クロフォードの甥ヘンリイと結婚する迄大金庫中に保管される事になってゐたので、客間の大金庫は公證人と、ユンベル夫人の辯護士とが立會ひの上、嚴重に封印を施された。
けれども夫人は信用で、いくらでも金を借出す事が出來たので、金に絲目をつけないで毎日宴會を開き、贅澤三昧に暮してゐた。その中に債權者の一人が金庫の内容に聊か疑問を抱き始め、米國の秘密探偵社の手で調査させると、米國にはクロフォードなる千萬長者は存在してゐないといふ事が判明した。
債權者團の告訴によって、千九百〇二年五月九日に、問題の大金庫が開扉される事になった。當日立會ったのは四人の司法官と、債權者の代表數名、その他に有名な小説家、エミール・ゾラ及びマタン紙の編輯長等であった。三ヶ所の封印が破られ、大金庫の重い扉は開かれた。
内は空ではなかった。だが、固唾を呑むでゐた人々の眼前に現はれたのは、英國の銅貨一枚と煉瓦一個であった。債權者達は見事に一杯喰はされた事を知り、地團太を踏むで口惜しがった、けれども滑稽や、洒落の好きな巴里っ兒は、目もあてられぬ債鬼の惨状を漫畫や一口噺にして喜むだ。
何處までも圖々しい女詐欺師は、法廷に立った時さへも、
「閣下よ、私の大金庫が何故空であったか、理由を説明せよと仰せになるなら申上げます。實は米國の千萬長者クロフォードといふのは全く架空の人物で、私に四千萬圓の遺産を與へた人物は、何を隠しませう、パゼーヌ元帥でございます。元帥はメッツ要塞を四千萬圓で獨軍に沽(う)ったのでした。私は後になって元帥から遺された四千萬圓の出處を知り、憤然として不淨の金を燒却して了ったのでございます。閣下よ、私は愛國者でございます。云々」
と途方もない大嘘をもってこの茶番劇の幕を閉ぢたのであった。
ユンベル夫人は五年の禁錮を宣告されたが、何故か執行猶豫となった。問題の大金庫は赤錆のついたまゝ、幾年も場末の古道具屋の店頭に曝されてゐたといふ。
四 美容院成金
倫敦の貧民窟の襤褸の中に生れ、溝の中に育った無學な女ラケルが、年収二十萬圓を突破する程の利益をあげたのは彼女の經營したイカサマ美容院が圖にあたった爲である。
永遠の若さ、不滅の美貌、それは凡ゆる女性の渇望するところである。ラケルはそこに眼をつけて、倫敦目貫のボンド街に「美の殿堂」といふ金看板をあげて、金持の夫人や、未亡人等を盛に喰物にした。その飾り窓には、
金髪洗料 一瓶二十圓
ハイメタス山の蜜 同
ヨルダン河の水 一樽二百圓
ヴヰナス美容術 一回百圓ヨリ二百圓マデ
等といふ値段表と、怪しげな瓶詰の化粧品が勿體らしく並べてあった。
ラケルはこの「美の殿堂」で法外な施術料を取る他、密室で戀の取もちなどをして、後にそれを恐喝の材料にして客から搾れるだけの金を搾り取るのであった。
ラケルは六十歳を越えた猶太女で、眼は落窪み、頬骨の高い、唇の厚い醜女であった。大抵ならラケルの顏を一目見たゞけで、所謂美容術なるものゝ効果を疑ふ筈であるが、世の女達は不思議にも彼女の甘言に惑はされ惜氣もなく財布の底をはたくのであった。尤も美容術を受けた後、鏡に映る自分の顏と、ラケルの顏とを見較べたなら、大方の女性は美人になったと自惚るに違ひない。その點からいへばラケルの醜い顏は商賣道具の一つになってゐたかも知れない。
某未亡人は五千圓の前金を拂って、若返り法の施術を受けたが、一向効果がなかったので憤慨し、五千圓返金しなければ訴へると談じると、ラケルは待ってゐたといはない計りに、
「訴へるなら、訴へてご覧、私にはもってこいの廣告になるから、ちっとも怖くない。だがお前さんが裁判所の眞中に立って私は美人になって男を惹付けるつもりでしたといってご覧、いゝ胡慮(ものわらい)になるから、お前さんのやうな御面相は神様の奇蹟だって、どうにもなるものかね。」と散々毒づいて相手を追ひ返した。
又、ある伯爵夫人は法外な美容術料を搾り取られた揚句、
「さあ、一萬圓お出しなさい。口止料ですよ。安いもんでさあ、何々伯爵夫人が六十面下げて若返り法に憂身を窶したと世間の評判になったらどうなさる。」と脅迫され、泣々一萬圓に該當する寶石入りの指輪をラケルに卷上げられたといふ。
斯うした例は枚擧に遑(いとま)ないが、その中で最も酷い目に會ったのは印度守備隊附のポラデイル大佐の未亡人であった。ラケルはたった一度、店へ化粧品を買ひにきたラネラア卿といふ貴族を種にして、結婚の媒酌をすると稱し、支度料其他を理由に、未亡人の全財産を卷上げて了った。未亡人の友人達は惡辣なラケルの遣口に義憤を起して彼女を詐欺横領で訴へた。
その裁判では被害者である數十人の知名な婦人達が喚問された。惡運の強いラケルはその時は無罪となったが、後に再び同種の事件で訴へられ、千八百六十八年九月に五年の懲役を宣告された。
ところがラケルが刑期を濟してボンド街に戻ると、美容院は以前にも増して繁昌したといふ。彼女は數年後に、又しても法廷に罪を裁かれる身となり、五年の刑を宣せられ、服役中に病死した。
五 僞男爵
英國の舊家、テイチボーン男爵家の嫡子ロージャーは従妹のケイトとの戀仲を父親に裂かれ、三年の豫定で世界漫遊の途に上ったが、南米から紐育へ渡る途中、ベラ號は暴風雨の爲に難破し、乗組員全部は行方不明となり、ロージャーも溺死したものと看做された。それで弟のアルフレッドが家督を繼いだ。アルフレッドも四年後に病死したので、その年に生れた計りの幼兒がテイチボーン家の嗣子となった。
然し、ロージャーの母は息子を乗せたベラ號沈没の報に接しても、
「ロージャーだけは屹度生きて歸ってきます。」
といってどうしても息子の死を信じなかった。そしてテイチボーン家の大玄關にはいつも息子の歸館を待つ燈火が灯されてゐた。夫人は絶えず新聞廣告をしてロージャーの行方を捜してゐた。
すると、彼の消息が絶えてから十一年目に、豪洲シドニイの辯護士から、ロージャーらしい人物がニュージーランドにゐる、と知らせてきた。狂喜した夫人は出張費用として、即座に四千圓を送金して、辯護士をニュージーランドへ向けた。
辯護士がそこで發見したのはカストロと名乗る恐ろしく肥滿った男であった。彼は英國生れだが、その土地へ來てから散々商賣を失敗(しくじ)って破産に瀕してゐた。彼は馬泥棒の前科で刑務所へいった事があり、カストロといふのも本名ではなかった。この男は常に妻に向って、
「俺だって英國へ歸れば、歴とした身分で、立派な屋敷もあり、廣い田地もあるんだ。」
と意味ありげなことを仄かし、書物にロージャー・テイチボーンと署名したり、玄關の柱にその頭文字を彫りつけたりしてゐた。
同じ土地に昔テイチボーン家に奉公してゐた事のあるといふ老人がゐて、それがカストロを見て、若様ではないかといった事から、カストロが男爵の嗣子であるといふ事を信ずる者が多くなってきたのである。
千八百六十五年、濠州の肉屋カストロはテイチボーン家の嗣子ロージャーと名乗り、辯護士と共に堂々と倫敦へ乗込むできた。
彼が贋者である事はいろいろな點に表はれてゐたが、肝心のロージャーの生みの母であるテイチボーン夫人が、カストロを一目見て、自分の愛子であると認定したので、事件が紛糾し、彼が贋者である事が明白にされる迄には裁判が三百一日に亙り、テイチボーン家でそれに費した金額は十八滿圓に及んだといふ。
カストロは遥々濠州から名乗りをあげて出てきた程であるから、多少ロージャーに似てゐたに違ひないが、種々な點で本ものとは異ってゐた。ロージャーは五呎五吋の痩形の貴公子であったが、カストロは二十幾貫もある大男であった。第一ロージャーは教育があったが、カストロは全然無教育であった。裁判長が、
「お前はセミナリー(研究所)にゐた事があるか?」
と訊くと、彼はセミナリーとセミトリー(共同墓地)とを取り違へて、
「失禮な事をいふな、そんなところは、お前さんがゆくがいい」
と肩を聳(そびやか)して怒ったといふ。又、
「幾何はポンス・アシノルムまでやったか?」
と訊くと、彼はその意味が解らないで、まごまごした。
ポンス・アシノルムといふのは「愚かなるものゝ、渡り得ぬ橋」といふ意味で、これは「三角形の兩邊相等しければ、それに對する角も又相等し」といふ定義に附されてゐる名稱である。裁判長はその意味を直譯して、
「それは驢馬の橋の事さ」
といふと、カストロは、
「あゝ、それはストニー・ハーストから一哩計り先にある橋の事ですね。」
と澄して答へたものである。萬事その調子であったから、學術テストには、見事に落第して了った。おまけに、彼は、三百人もゐた同時代の學友の名を、一人も記憶してゐなかった。
夫から本ものゝロージャーは旅に出る前に若し三年間の旅を終って無事に歸國し、ケイトと結婚する事が出來たなら、聖母マリアの爲に禮拜堂を建立する、といふ誓文を二通認め、各各封印して一通を愛人ケイトに、一通を執事に託していった。
執事はロージャーの訃報に接した時、預ってゐた封書を燒却したが、ケイトは結婚後も大切に藏っておいた。それが法廷に持出された。
滑稽な事には贋ロージャーは裁判長からその内容に就いて訊ねられると、封書にはケイトが妊娠したに就いて指圖が認めてあったと述べ、尚、自分とケイトとはテイチボーン邸の森の中で關係したなどと、途方もない事を放言した。
最後に、カストロと同棲した事のある、アンといふ女が證人席に現はれ、二人の名の頭文字を入墨した、腕を捲りあげて、
「お前さん、男爵様だなんて、畏れ多い事をいはないで、腕を捲ってご覧、私とおそろひの、入墨がしてあるぢゃあないか」
と止めを刺した。
そんな譯でカストロは倫敦東區に生れた肉屋の伜で、子供の時から肉切庖丁より他、持った事のないアーサー・オートンといふ男である事が露見して了った。
カストロを本ものゝロージャーと信じ、その勝訴を見込むで、大金を用立てた慾張者が相當あった。オンスロー等といふ男は三萬圓も注込むだといふ。
カストロは十年の刑期を濟して出獄すると、
「テイチボーン家乗取未遂事件」を講演して田舎廻りをしたり、安料理店で働いたりしてゐたが、それから一年後の四月馬鹿日に、田舎町の屋根裏で餓死同様の死態をした。
注)明かな誤字は修正しています。人名などで濁音と半濁音の間違いがあるかもしれません。
歐洲犯罪實話「女惡行傳」
「探偵」 1931.11. (昭和6年11月号) より
女性の殺人者の中には、十八世紀の初期にカリビアン海を荒し廻った女海賊メイリー・リードのやうに、十七回も荒くれ男と決闘して、相手を仆した女もゐるし、千九百二十一年に米國社會を騒がした虎女(タイガ・ウウマン)クララのやうに、嫉妬から女友達を金槌で撲り殺したのもゐる。
又、千八百九十年に英國倫敦で、情夫の妻を自宅へ誘き寄せ、麺棒で撲殺した上、死體を乳母車に積んで、郊外の空地へ棄てゝ來だパーシー夫人のやうに、女ながらも腕力を用ゐて、殺人を犯した例は枚擧に遑ないが、こゝにあげるのは、男を使嗾して自分の良人を殺させた女達の列傳である。
お伽噺の中に、爐で栗を燒いてゐた猿が、燒栗を火中から取出す時、自分の手を使っては火傷をするので、傍にゐた猫の手でそれを掻出して食べたといふ話がある。この女達は丁度それである。
千八百八十一年、佛蘭西でクランゲルといふ一家が母子(おやこ)三人、各自異った罪名の下に一度に裁かれた奇妙な事件があった。母親は窃盗罪、娘と息子は殺人罪である。
息子エイメは村の評判の美人シモンといふ年増女に唆かされて、女の良人を絞殺した。女は酒呑の良人に愛想を盡かしどうかして亡きものにしようと考へ、最初はブランディに芥子を混ぜたものを盛にのませて良人の生命を縮めようとした。或時は泥醉させておいてエイメ青年に村はづれの溜池へ突落させたりした。尤もその時は水が淺かったのと、通行人があったのとで、女の目的は達しられなかった。
女は遂に業を煮やし、エイメに手巾(ハンケチ)を與へて、良人を絞殺させた。女は三十五歳、青年は廿歳であった。女は裁判所で、
「エイメは私に道ならぬ戀をしかけ私が意に從はなかったので、肚いせに良人を殺し、私に罪を塗(なす)りつけようとしたのです。」などと白々しい陳述をしてエイメを教唆した事實を否定した。
馬鹿を見たのはお坊ちゃんのエイメである。何としても實際に手を下したのは彼であるから、女が首謀者でありながら罪を着たのは彼一人で、終身刑を宣告された。女は計畫通り邪魔を拂って好きな男と結婚した。
エイメの姉エイミは三十八歳の大柄の美人で、良人との間に七歳の女兒があった。彼女は情夫を寝室の戸棚の中へ忍び込ませておいて、良人の熟睡中を拳銃で射殺させた。
然し犯罪が發覺したのは二年後で、猫の手にされた情夫は既に病死して了ってゐたし、犯行を目撃したといふ娘のエミリイも、病没した後で、その遊び友達の少女が三人證人席に立って間接の證言をしただけであったので、エイミは證據不充分で放免された。
彼女の犯罪がどうして二年も經過ってから法廷に持出されるやうになったかといふと、母親が警官に引かれてゆく時、娘が口汚く罵ったので、
「私は泥棒はしたが、お前のやうに自分の亭主を殺した事はないからね。」と應酬した事に因る。
有夫のエデスが美貌の青年バイウォータースに會ったのは英國の避暑地ブライトンの海岸で、女は二十八、青年は十八歳であった。
エデスは中々の美人で、帽子店に勤め、運送屋の番頭をしてゐる良人トムソンよりも、遥かに餘計給料をとってゐた。
女はトムソンと結婚してから六年目で、そろそろ生活に倦怠を覺え始めた頃である。而も新らしく登場した青年は彼女の幼馴染で、ロマンチックな話題に富んでゐる船乗りであった。二人の友情は忽ち火のやうな戀となり、海岸から倫敦へ引揚げた後も、良人の目を忍んで媾曳をしたり、青年の航海中は戀文を交し合ひ、時には愛の言葉を電信で傳へ合ったりした。
女の方では青年からきた手紙を用心深く一々燒却してゐたが、男は女の手紙を大切に保管してゐたので、後にそれが退引ならぬ證據となった。
女は最初良人を毒殺しようとして、電球を碎いて硝子の粉末をこしらへ、それを食物に混ぜて與へたり、ヂキタリス草を煎じて飲ませたりしたが、目的を達し得なかったので、青年と諜(しめ)し合せ、良人と共に劇場へいった歸途を待伏せさせ、人氣の絶えた往來で良人を刺殺させた。
女は警官の訊問に對して、闇の中から突然躍り出た怪漢が良人を襲うたと述べてゐたが、嚴しく訊問されて遂に青年の名を洩らして了ひ、罪を青年一人に負はせようとした。
「バイウォータースは子供の時から知ってをりましたので、良人も實の弟のやうに可愛がってやってをりましたのに、何故こんな不心得な事をして呉れたのでせう。」などと體のいい事をいった。
男は流石に潔く自分一人が罪を背負って、
「私は豫々トムソン夫人を戀してゐました。十月三日には久しぶりで一航海を濟して歸ってきて、夫人に會ふのを樂みにしてをりましたのに、夫妻は連立って芝居を觀にいって了ひました。私は自棄になって、その晩うんと酒を飲みました。そして芝居の閉場(はね)を待って二人の後を尾行(つ)けてゆきました。
軈て淋しい公園わきにさしかゝると、トムソンはエデスの腰に手をかけて傍へ引寄せました。二人が仲善く寄添って歩いてゐるのを見て、私は嫉妬の爲にかっとして、前後の考慮もなくトムソンに躍りかゝって持ってゐたナイフで突刺したのです。エデスには誠に濟ない事をしました。」と陳述した。
けれども彼が肌身離さず所持ってゐた女の戀文が警察の手に入った爲、女の教唆によって彼が犯行を演じた事が判明し裁判の結果男女共に死刑を宣告された。
千九百二十三年一月九日の朝、青年バイウォータースはペントンビル刑務所で、姦婦エデスはハロウェー刑務所で、共に絞首刑となった。
英國では往時は良人殺しが餘程澤山あったと見えて、十八世紀頃にはさうした女は極刑にされ、顏と着衣にコールタアを塗られ、生きながら火焙りにされたものである。
カサリン・ヘイスといふ女は、御丁寧にも猫の手を二本使って、實直でお人善の良人を殺した。
彼女は奉公先の豪農の伜ヘイスと驅落をして倫敦に世帶をもったが、金貸業をやって小金が溜ると、田舎臭い亭主が鼻についてきた。その頃女にはウード及びビリングスといふ二人の情夫が出來てゐた。
女は圖々しくもその二人を晩餐に招待し、ビリングスと良人のヘイスに酒呑競爭をさせた。酒好きのヘイスは罠にかゝるとは知らず、
「六本やそこらの葡萄酒を飲んでへたばるやうな俺ぢゃァない。勝利はどうせこっちのものさ。」と豪語し、七本の白葡萄酒を空にし、減茶々々に醉潰れて了った。
女は二人の情夫に交々(かわるがわる)接吻(キッス)をして、
「さア、行(や)るのは今のうちよ。慥りやっておくれ!」と激励の言葉と共に磨き澄した斧を一挺づつ與へたものである。
世にもグロテスクなこの二人の騎士(ナイト)は、長椅子の上にへばってゐたヘイスを滅多打にして息の根をとめて了った。
男達は女の指圖に從ってヘイスの首を切斷し、バケツに入れて屋外へ持出し、テームズ河へ棄てゝきた。殘った胴體は箱詰にして、シャロック・ホルムスでお馴染のベイカー街の古池へ沈めた。
ところが、海へ流れ出て了ふ筈の首は、潮の加減で河岸に打揚げられ、波止場人夫に拾上げられた。
斯くしてヘイスの首は高札がついて聖マガレット教會の廣場に曝された。物見高い倫敦子は入代り立代り、その周圍に集った。その中にヘイスの友人が二、三人ゐて警察へ訴へ出た。丁度それと前後してベイカー街の古池の浚渫があって、箱詰の首無死體があがった。胴體に首がつくと、姦婦姦夫は珠數つなぎにされた。女はアルコール漬けになってゐる良人の死骸を突つけられると、空涙をこぼして愁嘆場を演じたがビリングスは恐入って、
「實はウードに頼まれて、餘儀なく手を貸して了ひました。」と白状した。
ウードは警官が逮捕に向った時、
「これでやうやう重荷が下りました。ヘイスを殺して以來、誰の顏もみんな探偵に見えて一刻も気の休まる暇はありませんでした。」と述懐した。
女は直接手を下さなかったので、自分だけは罪を免れるものと思ってゐたらしく、二人の情夫に、
「斯うなったら男らしく、凡を白状する方が立派ですよ。」などといった。だが、法は彼女を罪せずにはおかなかった。
千七百二十六年の初夏、女は火刑となり、ビリングスはベイカー街の古池の畔で絞首刑になったが、ウードはその朝、獄舎で病死して了った。
米國オハヨー州の出版業者ダニエル・ケイバーは千九百十九年七月十八日の朝、豪奢な自宅の寝室で瀕死の状態になってゐた。彼は鋭利な兇器で全身に二十三ヶ所の刺傷を受けてゐて、病院に運ばれると間もなく絶息した。
彼は六週間前から病床に就いてゐて、男の看護人が附添ってゐた。その看護人が臺所へ用足しにいってゐる、ほんの僅かの間に、二人の怪漢が病室に闖入して斬付けたのだと、ケイバーは息を引取る前に陳述してゐる。
ケイバー家は盗賊に襲はれたらしく、食器戸棚がこぢ開けられ、金目な銀器が盗まれてゐる。この事件は一時迷宮に入ったが、二年後に有名なカアレー探偵が眞相を掴んで、ケイバー夫人を犯人として檢擧した。
カアレー探偵は所轄署の刑事から當時の模様を聴取して夫人に疑惑を向けた。即ち食器戸棚を開けるに用ゐられた道具は氷挾みで、普通玄人の使ふものではなかった。その上盗まれた銀器は庭の芝生に撒き散らしてあった。
盗賊が病人を殺害した上、切角盗んだ品を遺棄してゆく筈はない。娘のマリオンを訊問した。マリオンは女學校に通學してゐる活發な娘さんで、何でもづけづけ答へた。探偵の巧妙な訊問法によって、彼女は父親が殺された朝、母親に吩咐って銀器を庭に撒き散らし、部屋を掻廻して盗賊に襲はれた體にしておいたと語った。尚、兇行數日前、母親と自動車の遠乗りにいった時、母は途中で車を停め、二人の荒くれ男と何事か立話をした後、自動車へ戻ってきて、
「私はいよいよお父さんを處分して了ふつもりよ。」といったので、娘は、
「お母さん、一體どうするつもりなの? 」と訊ねると、
「私はいつだって、自分の思ひ通りにするのだから。」といったといふ。ケイバー夫人は非常に我儘だったと見え、曾つて家庭生活に飽き、ホテル住居をしたいといふ理由で、六十五歳になる母親をして自宅に放火せしめた事がある。
ケイバー夫人は良人を殺して財産を恣にする爲に、最初毎朝の珈琲に砒素を混じて飲ませた。それが原因で良人は六週間も病床に就いてゐたのであるが、毒殺が手間取るので夫人は二人の伊太利人コーラとピッセリを雇った。
二人の殺人請負人がケイバーを病室に襲ってゐる間、娘のマリオンは母親の命令で、階下で出來るだけ大きな音を立てて、ピアノを彈いてゐたといふ。
伊太利人コーラは間もなく逮捕され死刑となったが、本國へ落延びたピッセリは終身刑となって伊太利の刑務所に収容された。そしてケイバー夫人は終身刑、マリオンは未丁年の故をもって無罪となった。
これも米國の事件で、千九百二十七年三月二十一日の朝、九歳になる女子と、六歳になる男の子が廊下に啻ならぬ物音をきいて出ていって見ると、母親が手足を縛られて廊下を轉がってゐる。
父親のシンダーは寝室で頭部に二ヶ所の打撲傷を受けて絶息してゐた。シンダーは當時四十六歳、妻は以前シンダーの秘書であった。
現場に臨檢したカアレー探偵は即座に次のやうな疑點の數々を發見した。
一、玄關の扉は内側から錠が外してあって、鍵は廊下に落ちてゐた。外部から犯人が入ったものなら、わざわざ鍵穴にさしてあった鍵をぬいて投棄てゝゆく筈はない。
二、盗賊に襲はれたといふ部屋は亂雜を極めクションや枕が投出され、長椅子がひっくり返ってゐた。盗賊が金品を物色するに椅子を倒したり、枕を投げたりする筈はない。
三、死體の後頭部及びこめかみ(※顳需頁)に鈍器による致命的な打撲傷がある。その上死體の頸部に夫人の手首を縛ったと同じ針金が卷付けてあった。二回の毆打によって完全に絶命してゐるものを何の爲の針金であらう。
四、死體の上身と、口髭にごく僅の白い綿屑が附着してるた。被害者はクロルフォルムでやられたらしい。解剖の結果はその通りであった。これも普通盗賊の遣口ではない。
五、死體の傍に拳銃が投出され、抜取った彈丸が枕元に散亂してゐた。盗賊がそんな風に所持品を遺棄してゆく筈はない。尚、現場には空色の手巾と、伊太利語の新聞の斷片が遺ってゐた。如何にも犯人は無頼の伊太利人でございといふ風に見せかけてある。
六、夫人が賊に襲はれて昏倒したのは二時半頃で、朝七時半に子供が見付ける迄は失神してゐて何事も知らなかったと言ふが、人間は五時間も氣絶しつゞけてゐる筈はない。
七、食堂の棚にウヰスキーを飲んだ空の大コップと新らしく口をあけた酒瓶があった。被害者シンダーは當夜宴會に出席して、眞夜中に歸宅した。それから大コップで二杯もウヰスキーを呷る程、彼は酒豪ではなかった。探偵はそのコップの中に夫人の隠し男を發見した。
夫人の手先に使はれたのは、グレーといふ美青年であった。夫人は豫め青年を家へ忍込ませておいて、良人の熟睡中にクロルフォルムを嗅がせ、青年に撲殺させたのである。
女は氣後れのしてゐる青年にウヰスキーを飲ませ、接吻を浴びせ、彼が強い酒に醉ってよろめくのを背後から押へて、彼に兇器を揮はせたのである。姦夫姦婦は共に電氣椅子に送られた。
注)原文では箇条書き部分の数字が一文字あけなしで文章が一文字あけになっていますが、ここでは数字を一文字あけにして通常の文章と同じにしています。
「百万長者の復讐」
「犯罪科学」 1931.06. (昭和6年6月号) より
第九人目の男
米國イリノイス州、ホイートン町。灼付くやうな午後の太陽に照された大通りを、喘ぐやうに歩いてゐた男が、州檢事の事務所へよろめき込んでいった。彼は數日來、市々を襲ってゐた酷暑に苛れてゐる計りでなく、絶間なき逃走に身心倶に困憊(つかれ)きってゐたのであった。
「私はお尋者のカスパー・ロウゼンブルグであります。閣下は私が斯うして自首して出るのを豫期しておゐでだったでせう。」男は汗に濡れた帽子を掌の中で揉潰しながらいった。
「無論。」檢事は相手を見据えた。
「私は、最うこれ以上、追はれてゐるのに耐へられなくなったのです。この八年間……私は地獄にゐるやうな思ひをしてきました。私は眞人間にならうと努め……眞人間になりました。然し私は絶えず警察の眼に附纏はれてゐるのを意識してゐました。私はいつか屹度、手錠をはめられる時がくるのを知ってをりました。私は永久に隠れ終せる事は出來ません。それで年貢を納めにきたのです……到頭カットンに負けたのです。」男は溜息と共にいった。
それは千九百三十年、つい去年の七月二十五日の事である。斯くして八年前に小麥王アーサー・カットンの一家を襲った九人組強盗團の最後の一人が、八年間の警察の追跡によって狩出されたのであった。
小麥王は自宅に於て強盗團に襲はれ、地下室に監禁された時、――余は全生涯と、全財産を賭しても、必ず彼等九人の無頼漢を悉く司直の前に立たせずにはおかぬ――と誓った復讐の言葉が、遂に實現された譯である。
この事件は最初から最後まで、探偵小説以上の波瀾曲折をもった生きた物語である。
發端
千九百二十二年三月廿七日の薄暮.イリノイス州の小麥王と稱ばれてゐた百萬長者、カットン氏は、田舎の莊園で夫人及び氏の弟と共に、晩餐の食卓に就いてゐた。
其時、一臺の自動車が驀進してきて、家の周圍を一まはりして裏口でぴたりと停った。裏庭の車庫の前に下男のジョンソンが立ってゐた。
自動車の中から男が首を出して、
「この邊で、何處か、ガソリンを手に入れる事は出來ないかね。」といった。それに答へるつもりでジョンソンが二足三足車の傍へゆきかけると、突然、彼の鼻先に拳銃が突付けられた。
「家の中には何人人間がゐるんだ? 皆何をしてゐる? 飯を喰ってゐるのか? さっさと答へないと、ぶっ放すぞ!」
ジョンソンは愕然として後退りをしたが、最う避かった。一團の首領らし男が屈強な四人の男を從へて自動車から下りてきた。
ジョンソンは肩に銃口を押付けられながら無言で、一同を主人が食事をしてゐる部屋の見えるところまで連れていった。首領は遠くの窓越しに百萬長者の姿を見ると、冷かに首肯いて、ジョンソンを先に立てゝ表玄關へ廻った。
呼鈴に應じて扉口に現はれた女中は、五人の荒くれ男と、五挺の拳銃を見て、
「呀っ!」と叫んで、その場に失神して了った。
強盗團は女を蹴り除けてどやどやと家の中へ入っていって、食堂の戸口に立った。
「皆手をあげろ!」
食卓に就いてゐた三人は申合せたやうに、壁を背にして立った。
カットン夫人は最初それを冗談だと思ひ、銃口の前で笑った。
「靜かにしろ! 敵對さへしなければ、生命まで貰はうとはいはない。」首領は早口にいった。
四人の中の一人は、すっと部屋を出て、料理番と女中を狩出してきて、食堂の壁に一列に立たせた。その時、一團の中の他の一人がカットン氏の弟に向って、
「ハリイさん、いつトロント市から出ておいでになりましたね。」と馴々しく尋ねた。その男は落着を見せる爲か、そんな事をいったが、始終家族の者に顏を見られるのを避けるやうな位置にばかり立ってゐた。
首領は後になって、前記カスパー・ローゼンブルグの兄、サイモン・ローゼンブルグであった事が判明した。
彼はカットン氏に向って、
「寶石を藏ってある金庫は何處だ。」と訊ねた。
「そんなものはない。」小麥王は憤然と答へた。
「金は何處にある。」
カットン氏は無言でポケットから金入れを出した。その中には二百弗程の現金が入ってゐた。
強盗團の中には餘程家の内情に通じてゐる者があったと見えて、カットン氏を拳銃で押しながら、二階の寝室及び書斎に案内させ、隅から隅まで家捜しをして、目星しい品々を掠奪した。
其間、階下の各部屋にも同じやうな劫掠が行はれ、カットン夫人の身につけてゐた指輪、耳飾、首飾等まで剥取られた。
最初、見張として屋外へ出ていった男は、軈て、夕食の爲に貨物自動車(トラック)で戻ってきた庭師と、運轉手を家の中へ追込んできて、同じく食堂の壁際に立たせた。
續いて地下室の掠奪に移った。彼等は戰爭前から貯藏してあった上等のウヰスキー七箱、三鞭酒(シャンペン)二箱、スコッチウヰスキー二甕、ジン二甕等を運出した。
首領はそれ等の獲物を見て急に思ひついたらしく、壁の前に立たせておいた人々を地下の酒窖へ追込んだ。彼は下男のジョンソンに、
「貴様は一癖ありげな奴だから、斯うしてくれよう。」といって、彼の四肢を縛りあげ、地下室へ投込んだ。カットン氏は彼等の非道な處置を難じ、
「そんな事をしたら、吾々はこゝで餓死しなければならない。」といったが、首領はせゝら笑って地下室の扉を閉ぢ、外部から錠を下して了った。
地下室に監禁された人々が、それから十分後に娑婆の空気を吸ふ事が出來たのは、實に奇蹟ともいふべきであった。
下男のジョンソンは縛を解いて貰ふと、主人の所持ってゐた小さなナイフで、錠の螺鋲を一つ宛、根氣よく外して了ひ、死者狂ひで扉を開けた。
一同は直に強盗團の追跡にかゝった。カットン氏の弟は最寄りの警察へ急を報じ、ジョンソンと庭師とは短銃を掴み、快速力の自動車に飛乗って、強盗團が酒を運搬する爲に盗んでいったカットン家の貨物自動車の轍の跡を辿った。
彼等は七哩先で、盗まれた貨物自動車に追ついた。そこには一味の中の二人だけが乗ってゐた。
ジョンソンは逸早く火蓋を切った。不意を喰った敵は、矢庭に運轉臺を飛下り、附近の玉蜀黍畑へ逃込んだ。
それっきり二人の姿を見失って了ったが、ジョンソンは確に相手に傷を負はせたといってゐる。無論乗りすてた貨物自動車には盗まれた品は遺ってゐなかった、
手掛りの帽子
官憲は直に活動した。市俄古警察の探偵長ミカエル・ヒュースは部下を督励して徹宵市俄古市に入ってくる自動車を誰何せしめた。だが、其日は日没頃から濃霧が襲ってきた爲に、強力な探光も豫期した程の効果を齎せなかった。
警察の探り得た唯一の手掛りは、マッコウミック橋の袂に發見した小量の血痕と、男の帽子一個、それだけであった。
カットン氏は犯人の逮捕に一萬弗の懸賞金を提供した。氏は引込思案な、穏かな人物であったが、この事件に對しては非常に憤慨し、
「私は金や、寶石などを盗まれた事は、何とも思ひませんが、彼等があゝした無禮極まる振舞をして、吾々を地下室へ監禁したといふ事に對して押へ難い忿怒を感じてをります。
地下室の鐵扉を閉じられた瞬間、私は彼等を罰する爲には、全生涯、全財産を賭してもよいと思ったのです。」と固い決意を洩らした。
この時のカットン氏の盗難額は酒類を除いて一萬七千弗餘であった。
帽子と血痕はジョンソンに狙撃された二犯人の中の一人を逮捕する手掛りとなった。最う一つ犯人の逮捕に重要な暗示を與へたのはカットン夫人の言葉であった。
夫人は警官の質問に對して次の如く答へてゐる。
「あの時、暗い蔭にばかりゐて、私共に顏を見せないやうにしてゐた男がありました。その男は一年程前に、宅に雇ってゐたジョセフ・ボウミテイジのやうに思はれました。それに品物の捜し方が餘り手に入ってをりましたから、不意に外部から入ってきたものゝ仕業とは思はれません。」
警察ではボウミテイジの所在を探ると共に、帽子の出所を辿った。その帽子は市俄古市フラートン街の帽子店から出たもので、而も買手はボウミテイジであったことが判った。ボウミテイジの潜伏先を突止めるのは探偵にとって朝飯前の仕事であった。探偵は其晩下宿の男の寝込みを襲った。彼は極力犯行を否定したが、三月二十七日夜の行動を明かにする事が出來なかった上、何よりの證據に頭部に銃傷を負ひ、繃帶を卷いてゐたので有無を云はせず檢擧した。彼は警察で逐一罪状を自白した。
彼の自白によって、強盗團の一味が九人である事が判明した。直接行動に干與(たずさ)はったのはボウミテイジの他四人、即ちオマレー、キューダ、テンペラ、及び首領のサイモン・ロウゼンブルグであった。
組織的に事を運んだのは首領であったが、最初に計畫を持出したのはボウミテイジであった。彼の口供は左の通りである。
「陰謀は市俄古で計畫されたのです。吾々一味はテンペラの店へ集って、幾度も協議を重ねました。私はカットン家の内情をよく知ってゐるので、寶石や公債の在所、それから地下室に貯藏へてある酒の事などを話しました。最初の計畫ではカットン氏が停車場から歸宅する途中を虜にして家へ乗込む筈だったのですが、其場になって故障が生じたので、模様がへをしたのです。
吾々は前日に別莊の所在地まで出掛けていって、家の様子を探險しておきました。當日吾々はカットン氏が市俄古を發つ時から尾行し、停車場でカットン氏が迎への自動車で別莊へ向ふのを追跡したのですが、吾々は自動車を泥濘路へはめ込んで愚圖々々してゐる中に、カットン氏を取遁して了ったのです。吾々がカットン家へ到着した時には、彼等は晩餐の食卓に就いてをりました。盗み出した品物は全部途中である贓品買の手に渡して了ひました。」云々。
その折の贓品買は何者であったか遂に判明しなかったし、又、盗難品は一つも現(で)なかった。
ロウゼンブルグ兄弟の潜伏先はボウミテイジの口を割って探り得たが、警官が逮捕に向った時には、兄弟は既に逃走して了ってゐた。尚、前記五人の他、關係者はグラボウスキイ、コウエル、グロヴヰンスキイ及びカスパー・ロウゼンブルグの四人であった。
ボウミテイジが逮捕されたのは、事件發生後一週間目、それに續いてテンペラとグラボウスキイが捕はれた。
テンペラは直に服罪し、三年間懲役にいった。グラボウスキイは窃盗罪として三百弗の科料と五ヶ月の禁錮を申渡された。引續いてグロヴヰンスキイとコウエルが法廷に引出された。彼等は相談には加はったが、直接行動をとらなかった事、及び利益配分にあづからなかった事を主張し、且つその事實が證據立てられたので、無罪放免となった。
ボウミテイジは二年の刑を宣告された。
こゝまでは警察も樂々と仕事をやってのけたが、それから先、一味をあげて了ふ迄には八年といふ永い月日の苦心が積まれた。
潜伏先は刑務所
オーマレーとキューダの逮捕に當った州檢事リードは次のやうに語ってゐる。
「吾々が第六番目に捉へたのはオーマレーでした。ボウミテイジの口からオーマレーがクック刑務所にゐた事があった云々と聞いたので、ふと犯人が隠れるには刑務所が絶好の場所だと考へたので、私はボウミテイジを連れてクック刑務所へ首實檢に出掛けてゆきました。ところがオーマレーといふ囚人はありませんでしたが、私はウヰリアム・ハートといふ名に眼をひかれました。御存知のやうに人間といふものは僞名をする場合にも、不思議と自分の本名のどれかを讀込むものです。
それで私の捜してゐたハート・オーマレーといふ男は、事によるとそのウヰリアム・ハートであるかも知れぬと思ひ、念の爲にその囚人を呼出して見ると、果してオーマレーでした。彼はクックの警察で自動車のタイヤを盗んだといふ廉で刑に服してゐたのでした。無論強盗團の片割れである彼は裁判の結果、十年の刑を申渡されました。
滿月の捕物
キューダを捕へるのは中々難事でした。或日私はキューダがインデアナ州で酒の密造者として逮捕されたときゝましたので、直に土地の警察へ電話をかけ、その男はイリノイス州で嚴探中の人物がであるから、當方へ引渡して貰ひたいと申入れました。
ところがキューダは五千弗の保釋金を積んで、刑務所を出てゐるので、公判が始まる迄はどうする事も出來ないといふ返事でした。
それで私は公判當日、インデアナ州まで出掛けてゆき、終日裁判所に詰かけてゐましたが、キューダは遂に姿を見せなかったのです。無論五千弗の保釋金は没収されましたが、私にはどうも腑に落ない個所がありました。それは州檢事ダン氏の私に對する態度が非常に不親切であった事と、私が長距離電話をかけた時にはまだキューダは収監中であったにも拘らず、直ぐ引渡して呉れないで、保釋して了った事です。
そこで私はキューダの爲に保釋金を積んだモントといふ伊太利人を訪問して、内情を探って見ると、驚いた事にはインデアナ州の密醸者團と、州の役人とが結託してゐて、毎年の年貢を前述のやうな保釋金の形式で役人等の懐中へ納めてゐるのだといふ事が判りました。
その後、ダン檢事及びその一味の役人等は禁酒法令違反罪に問はれました。裁判の時にこの伊太利人モントが重要な證人として法廷に現はれる事になってゐましたが、可哀想に公判の開かれる前日、何者かに殺害されて了ひました。
こんな思はぬ邪魔が入りました爲に、私はキューダを捉へるのに數ヶ月を費しました。
その年の十月の晩でした。ステガア町の一警官がキューダの住所が判ったから直ぐ來るようにと知らせてくれました。ところが私もその巡査も肝心のキューダの顏を知らないのです。それに寫眞さへも手に入ってゐないといふ始末なので、保釋中のボウミテイジに電話をかけて援助に來て貰ふ事にしました。吾々六人がステガー町に入ったのは眞夜中でした。自動車が警察へ到着すると、ボーイスカウトの服装をした少年が吾々を出迎へて、――貴殿方はホイートン署の方ですか?――と訊ねました。さうだといふと、
――署長は今、何か重大事件の爲に他出をしましたが、僕はキューダの顏を知ってゐますから、貴殿方を御案内する事になってをります。キューダは今晩、郊外の伊太利人の家で、仲間と落合ってゐるのです。あのキューダといふ男は惡い奴ですから、皆さん御用心なさい。彼奴はいつも拳銃を離した事はありません。僕は彼奴等のところへ洗濯ものを届けにゆく事になってゐるのです――と少年はさかしげにいふのでした。
吾々が武装してゐる事を知らせると、少年は頷首いて運轉臺の傍に飛乗りました。
我々は久時(しばらく)、暗い夜道を疾走ってゐました。自動車の頭光も滅してゐましたし、四邊にも燈火はまるで見えませんでした。然し非常に月の冴えた晩でした。
軈て行手の野原に微な燈火がちらちらと見えてきました。少年はそこで自動車を停めるようにいひました。
――皆さんはこゝで待ってゐて下さい。僕はこの洗濯ものを届けにいって、様子を見てきますから――
といって、野を横切って走り去りましたが、間もなく洗濯ものを抱へたまゝ戻ってきて、
――こんな遅い時刻に、洗濯ものをもっていって、怪しまれるといけないと思ひましたから、窓から家の中の様子を見たゞけで戻ってきました。キューダの他に伊太利人が二人ゐました。
といふのでした。
吾々五人はボウミテイジを自動車に殘しておいて、各自拳銃をもって樹木に覆はれた野中の一軒家へ忍び寄ってゆきました。役目を果した少年はステガー町まで歩いて歸るのだといって、元來た道を勇ましく引返してゆきました。
門の前までゆくと、吾々は樹蔭に身を潜めて家の様子を窺ひました。正面に玄關に通ずる高い石段があり、その傍に大きなガラス窓があって微に人の話聲が聞えてきます。吾々はその時頭上に輝いてゐる滿月を呪ひました。何故かといふと、吾々がうかうか樹蔭から動出したなら、窓の中にゐる男達に氣取られて了ひます。そこで吾々は方向を變へて、柵に沿うて裏口へ廻り、見張番を一人殘しておいて徐々に家の壁を傳はりながら、表玄關に近づいてゆきました。萬一、玄關に錠が下りてゐた場合には、窓を打破って飛込むつもりで各自拳銃を握りしめて石段を昇りました。
幸扉は難なく開きましたので、吾々は一齊に玄關わきの部屋へ躍込みました。ところが少年の報告では三人よりゐない筈の男が、總計五人だったので、吾々は鳥渡まごつきました。然し先方も不意を喰ったので、吾々の銃口の前に雜作なく手をあげて了ひました。
吾々はその中から、目ざすキューダ一人だけを逮捕して引あげました。キューダはその時二挺の拳銃を腰にさしてゐました。
彼は裁判の結果十年の懲役を受けましたが、刑期を濟ませて出てきたら、必ず私に復讐すると敦圍(いきま)いてゐるさうです。」と語り終ってリード檢事は愉快氣に哄笑した。
殘る二人
キューダが刑務所へ送られて、事件は稍々終局に近づいた觀があった。殘るのはロウゼンブルグ兄弟だけである。彼等の人相書は全米國の警察に配布され、警察官はいふに及ばず、私立探偵や、素人探偵までが、大懸賞金の前に必死になって彼等二人を追跡してゐた。
然し彼等は行く先々に張られてゆく網の目を巧みに潜りぬけて八年間根氣よく逃げつゞけてゐた。兄弟は或時は倶に、或時は別々になってゐた。警察で特に重く見てゐたのは、一團の首領であった兄のサイモンである。
その男を逮捕したのは市俄古検察のジョンストン探偵であった。
彼はサイモンの妻の自用自動車の番號子供等の通學してゐる學校等を絶えず辿ってゐた。サイモンは住所を變へ、職業を變へ、子供等の學校を變へて逃げ廻ってゐた。
千九百二十三年には、彼はクリーブランドで小料理店を開業してゐたが、ジョンストンの手がその土地へ廻った時には、店を賣ってオハヨー州に移り機械屋を營んでゐた。
翌年には彼の一家を乗せた自動車がフロリダ州へ入って了った。其後彼はコロラド、デトロイト、ミシガン州等を轉々としてゐた。そして千九百三十年の四月には、クリーブランドに逆戻りをして、堂々たる邸宅を市中に構へ、電話帳に姓名を出してゐた。尤もその時はサイモン・ロウゼンブルグではなくて、サイモン・デビスと名乗ってゐた。彼は債券の仲買人となって贅澤な生活をしてゐた。
ジョンストンの部下は、クリーブランドの市中を疾走ってゐるロウゼンブルグ夫人の自動車を發見して上官に報告した。
ジョンストンは市俄古へ急行して、土地の小學校を片端から調査してゆく中に、サイモン・ロウゼンブルグの子供等を發見した。
斯くして仲買人サイモン・デビスの本體が洗出されたのである。
ジョンストン探偵の一行は、早晩デビス家を襲ひ、サイモンに手錠をかけた。彼が終身刑を宣告されて、ジョリエット刑務所へ送られたのは、千九百三十年四月二十九日であった。
一口に八年といって了へば何でもない事であるが、實際八年間のジョンストン探偵の苦心は並大抵ではなかった。
小麥王カットン氏は、
「第八番目! その男の弟、即ち第九番目を逮捕して了へば、私の事業は完成するのだ。」といった。
九番目の男、カスパーが自首して出たのはこの物語の最初に記した通りである。彼は一萬三千弗の保釋金を積んで、自分の無罪を證明する爲に奔走した。
裁判の結果、彼は無罪放免となった。その報告を受けたカットン氏は、
「彼が八年間逃げ廻ってゐたといふ事だけでも、罪は充分償はれてゐるのだから、今彼が無罪になっても私は殘念とは思はない。」といったといふ。
事件發生以來、八年と四ヶ月目に、米國小麥王アーサー・カットン氏の九人の男を罰すると誓った言葉が完全に滿たされたのであった。
これは個人の勝利であると共に、法の勝利であって、一事件に對して斯る長日月を通じ一貫した努力が拂はれた事は、米國警察界に於ける未曾有の記録である。
注)会話中の会話は一文字空けで表記されていますが都合により巾の割合空けとしています。
注)地名表記は原文のままにしています。
「犯罪王カポーネを繞りて」
「文学時代」 1931.08. (昭和6年8月号) より
米國の暗黒世界に君臨して吾々には殆ど信じられない程の根強い勢力を張ってゐる市俄古のアル・カポーネは今や全世界の人氣者となってゐる。佛蘭西からは彼に就いて單行本が出版されてゐるし、英米では月刊雜誌に、新聞に、彼に關する記事を掲げ、所謂カポーネファンを喜ばせてゐる。
カポーネは市俄古を中心に、全米國に亙った大仕掛けで組織的な酒類の密醸密賣をやり、魔窟、賭博場を經營し、恐喝、強請、強盗、殺人等、凡ゆる方面に魔手を延ばして、年収幾億萬圓といふ素晴しい巨利を占めてゐる。
斯うした犯罪王がついぞ司直の手にかゝらないのは、彼の黄金と、威嚇によるもので、彼が官憲を買収する爲にばらまく金額は毎年數千萬弗を下らないといふ。相手が贈賄で自由にならないと見れば、乾分をやって機關銃か何かでばらばらと手取り早く片付けて了ふのである。殺人などはカポーネにとって時計の螺旋を捲く程の億劫さにも當らなかった。
彼はこれまで繩張爭ひや、仲間中の暗闘などから、幾百人の人間を闇へ葬ってゐるか知れない。從って彼は無數の敵をもってゐる。それに備へる爲に彼は三萬弗もする特別製の装甲自動車を用ひ、夜晝となく屈強な四人の用心棒に身邊を警戒させてゐる。その上カポーネ自身も射撃の名手で、愛用の拳銃を寸時も離した事がないといふ。
彼が如何に豪奢な生活をしてゐるかといふ事は、彼のポケットにいつも五萬弗位の現金が入ってゐるといふ事、彼の小指に輝いてゐる指輪のダイヤモンドだけでも五萬弗は缺けないといふ一事をもっても窺ひ知る事が出來る。彼は料理店へ行って給仕人に百弗のチップを遣ったとか、クリスマスプレゼントとして乾分に十萬弗の現金を投げ出したとか、
又、或時は彼の經營してゐるシセロ市の歡樂郷に敵方の毆り込みがあった際、傍杖を喰った隣家の一婦人が眼に負傷したときいて、即座に慰謝料として一萬弗の小切手を書いてやったといふ程彼は氣前のいゝ男である。從って知ると知らざるとを問はず、カポーネの持てかたは大したもので、時折り彼が下町に姿を現はしたりすると、彼を見ようとして殺到する群衆を整理する爲に、警官隊が繰出すといふやうな騒ぎである。
カポーネは紐育のブルックリンに生れた伊太利人で、アルはアルフォンズの略名である。兩親ともシシリイ生れで、父親は無政府主義者として故郷を追はれ、米國へ亡命したもので、母親は學校教師であった。家が貧しかったのでアルフォンズは小學校を中途で退學し、街頭で新聞を賣ったり、附近の走り使ひなどをしてゐる中に、立派な巷の放浪兒となり、十五六の時には既に一廉の無頼漢となってゐた。
彼が撞球場で博徒の一人と生命のやり取りをしてブルックリンを飛出し、市俄古の親分コロジモの用心棒トリオの許へ轉げ込むだのは十八歳の時であった。アルは度胸がよくて腕達者であったが、何といってもブルックリンの場末から這入出してきた禮儀作法も辧へぬ野人であった。それを押しも押されもしない紳士に磨上げたのはこのトリオである。
トリオは非常な洒落者で、出來合服などは身につけた事はなく、自分の空色の眼を引立てる爲に、いつも赤いカアネーションを胸に挿してゐたといふ程の男である。彼はどた靴を穿いて、安ものゝけばけばしい背廣をひっかけてきたブルックリンの「若えの」を先づ一流の料理店へ連れてゆき、ナイフとフォークの使ひ方を教へ、夜は劇場へ連れていって粋な男女の服装や動作を見學させたものである。
米國の首府がワシントンであるなら、暗黒世界の首府はさしづめ市俄古である。そこは凡ゆる人類の集合地、希望と惡夢の交錯地である。黄金の夢を抱いて、世界の國々から蝟集してきた人々の大多數は、貧困の底なし沼に陥込み、ある小數がそれ等の人種を土臺として黄金の縷閣を築いてゐる。だが貧困のどん底に蠢いてゐる無數の生命は噴火口の熔岩のやうにいつかは爆發の機會をうかゞってゐる。山の多いところには陰影が多いやうに貧富の差の激しい市には罪悪が蔓り易い。
カポーネはその市俄古一の親分コロジモの目がねに叶ひ、若年ながらもトリオと共にその用心棒に取立てられた。カポーネとトリオとの計畫した仕事はとんとん拍子にあたっていった。丁度そこへ禁酒法が施工されたので機を見るに敏なカポーネの提唱で、密かに買ひ占めておいた酒類が莫大な黄金となって、コロジモの懐中へ流れ込むだ。
或時トリオはカポーネに向って、
「おい兄弟、俺達はいつ迄も他人の爲に働く事はあるまいぢゃァないか。」と探りをいれた。「さうとも。」カポーネは言下に應へた。考へた事は直に實行する彼である。
その翌日、コロジモは自分の經營してゐる料理店の廊下で死骸となって發見された。それは千九百二十年五月十一日であった。
コロジモの遺していった事業は、一切二人の手に移った。繩張りは一層擴張され、乾分は益々殖えていった。
夫から間もなくカポーネは、市俄古南アバッシ街二二二二番に「四人惡魔」といふ料理店を開いた。表面は料理店だが、女と、酒と、賭博の宿である事はいふ迄もない。そこは幾度か廓清會とか嬌風會とかの非難の的となりながら、どうした譯か官憲の手が入らないで、いつもそれ等の運動はうやむやの裡に葬られてゐた。カポーネの「事實」を發かうとした新聞記者が殺されたのもそこである。
カポーネの密醸倉庫の手入れがあってから五日目に酒の密輸送を専門にしてゐたハワードが裏切者として射殺されたのも「四人惡魔」の一室であった。それからカポーネに楯をついた麥酒王のミイガンは或夜歩行中を自動車に攫ひ込まれ、身體に蜂の巣のやうに穴をあけられて路傍に投すてられた。
その頃、北郊に勢力を張ってゐたオードンネル兄弟も、同じく非業の死を遂げた。その後をついだオーバニオンも白晝自分の經營してゐる切花店で、カポーネの乾分に殺された。それは千九百二十四年十一月の出來事である。その朝、三人の男が店へ入ってきて、顏見識の一人がオーバニオンと握手をしてゐる最中に、連の二人が突然拳銃をうって、オーバニオンの胸と頭部に鉛を填めていった。さうした場面はバンクロフト主演の映畫「非常線」の中にもあったと記憶する。
斯うした事件でカポーネは幾度も警察へあげられたが、いつも證據が不充分で放免された。
オーバニオンを仆したカポーネとトリオは殆ど暗黒異世界を征服したかたちであった。だが一つの王座に二人の帝王が就く事は出來ない。軈てカポーネがトリオを倒す秋(とき)がきた。
千九百二十五年七月二十四日土曜日、下町へ買物にいったトリオ夫婦は、午後一時頃自動車で自宅へ戻ってきた。荷物を兩手にさげながら石段を上りかけたところへ、四人の男を乗せた自動車が疾走してきて、トリオに彈丸の雨を浴せ、彼が敷石の上に倒れるのを見て、悠々と引揚た。
病院に送られたトリオは運よく生命をとりとめた。彼は急をきいて驅付けたカポーネを危險だからといって病院に寝泊りさせ、片時も自分の傍を離れさせなかった。警察では再度の襲撃を慮って病院の周圍を嚴重に警護した。トリオは自身も自費で二人の私立探偵を雇ひ、病室の入口を交替で護らせた。
警察ではトリオを狙撃したのはオーバニオンの片腕モーラン一味の所業と見て、モーラン他三名を逮捕した。だが、トリオはその孰れもが狙撃者である事を否定した。それは斯うした社會の道徳で、仲間を官憲に售るのは男の恥辱とされてゐるからでもあらうが、實はトリオは自分を暗殺しようと謀ったのが、弟分のカポーネであると感付いてゐたものと見える。
トリオは病院にゐる間中、密かに妻にカポーネの擧動を監視させてゐた。彼は豫々禁酒法違反で九ヶ月の禁錮を宣告されてゐたのを、莫大な保釋金を積んでゐたのであるが、負傷が快方に向ふと、自ら進むで刑務所入りをした。刑務所は暗黒街の唯一の安全地帶である。
彼は刑期を濟ますと、繩張りも二十萬弗でカポーネに譲り渡し、紐育から巴里を經て故郷の伊太利へ歸った。その後カポーネはオーバニオンの後繼者ワイスを片付けた。これで彼は完全に暗黒世界のナポレオンになり終せた。それは千九百二十六年の五月である。
旭日昇天の勢で殆ど全米國に暴威をふるってゐた彼は千九百二十九年の夏、費府(フィラデルフィア)で、兇器携帶といふ輕い罪名で禁錮九ヶ月を宣告された。彼の無限な金力はそこでも素晴しい口をきいて、刑務所とはいひながら、まるで旅館住居同様の生活をしてゐた。食事は一流のホテルから差入れがあり、外出は自由であるし、彼にとって刑務所生活は格別苦痛でもなく、十年分の年貢を申譯的に一期分で濟まして貰ったやうな譯である。
翌年の四月、滿期となった彼は刑務所の門を出るとそのまゝ大地に呑み込まれたやうに姿を消して了った。警察では躍起となってカポーネの行衛を捜し、いゝ加減手をやいた頃、彼はひょっくりと警察に現はれ、
「大層私を捜しておゐでだったさうですが、何か私に用事でもおありだったのですか。」などゝ人を喰ったことをいって、ステイジ探偵長を苦笑させた。
その年の十月十二日、日曜日の朝、紐育のカポーネと稱ばれる程勢力を持ってゐる大親分ジャック・ダイヤモンドが、モンテシェルロ旅館の寝室で、情婦のマリオン・ロバートといふジイクフリード座附の女優と一緒にゐる時、何處からか電話がかゝってきた。ダイヤモンドは、
「商賣の事で客がくるから、お前は次の部屋へいって、風呂にでも入ってゐるがいゝ。」といって、女を別室へやり、自分は手早く服を着てゐるところへ、突然、數人の怪漢が闖入して、ダイヤモンドの胸と頭部に五發の彈丸を射込むで逃走した。
瀕死のダイヤモンドは病院へ移され、奇蹟的に生命を全うした。彼はその二ヶ月前既に身邊に迫る危險を感じ、息ぬきに歐羅巴へ渡ったのであるが、英國でも、愛蘭でも白耳義でも、官憲に正體を看破され、行く先々で上陸禁止を喰ひ、最後に獨逸官憲の手で米國へ送還された。紐育へ舞い戻った彼は自分の經營してゐる前記モンテシェルロ旅館の一室に潜むでゐたのである。
紐育の親分を葬らうとしたのは何者であらう? 女優のマリオンが何者かの命令を受け、男を裏切って怪漢を手引したのではあるまいか? それとも兇行以來行衛を晦ましてゐる旅館の支配人ジャコブが何者かの使命を受けた四人組の一人ではあるまいか? 等々、幾人かの容疑者が數へあげられたが、いづれも證據が稀薄で、その上肝腎の被害者さへ、顏を憶えず、心當りもないと計り、口を緘してゐるので、警察では手のつけようがなかった。
何者とは果して何者であらう? 警察ではその正體をカポーネと睨むで、シセロの本據を襲ったが、カポーネはとっくに姿をかくし、緑のフロリダにのびやかな日を送ってゐたといふ。
カポーネにはフランクといふ弟と、マファルダといふ妹があった。弟は千九百二十四年の四月、シセロ市の選擧騒ぎの時警官隊との衝突で射殺された。カポーネは非常な弟妹思ひで特に妹を可愛がり、彼女が選むだブルックリンに住むでゐる堅氣な歴とした男と婚約させ、二人をフロリダにある自分の豪奢な別荘に招待したりした。
紐育の新聞記者ポープ氏の説によると、アル・カポーネは既に二年前に死むで、現世のカポーネはその異母弟ジャコモ・カラブレスが替へ玉になってゐるのだといふ。氏の列擧した例證の一つとして、カポーネ一世と二世との耳の形状の相異、眼の色の相異、それからカポーネが費府の刑務所を出て後、妹とその戀人との婚約を破棄させ、強制的に西郊の一乾分と結婚させた事實に徴して、現在のカポーネが贋者であると力説してゐる。
ポープ氏の説は如何にもロマンティックで私としては信をおきたいのは山々であるが、いま手許に蒐まって映る材料だけでは首肯しかねる。由來、風雲兒の身邊には様々な風説、蜚語、憶測等が織出されるものである。カポーネに纏はる挿話はこれからも盡きる事なく生出される事であらう。
ワーナーブラザース提供の映畫「地獄の一丁目」はある點まで一代の風雲兒アル・カポーネを彷彿たらしむるものがある。
今春の選擧で、市俄古の新市長に當選したアントン・セルマック氏は英國の新聞にまで聲名して、自分はよき箒子となって、市俄古の惡漢を一掃すると豪語してゐるが、果してどの點までそれが實行されるであらう?
最近、カポーネは逮捕された。だが、それも殺人といふやうな罪名ではない。恐らく數ヶ月の懲役と、財産の何萬分の一程度の罰金で濟むに違ひない。
注)明かな誤字は修正しています。人名などで濁音と半濁音の間違いがあるかもしれません。
「血の裁斷」
誘拐犯人を虐殺したアメリカ民衆の私刑
「現代」 1934.03. (昭和9年3月) より
闇中の銃聲
米國加州サンノゼ市。
ハート父子百貨店の閉店時間であった。
「左様なら。」
「御苦勞さま。」
「左様なら。」
後片付をしてゐる洋服部、帽子部、化粧品部などの間を抜けてきたハー卜青年は、兩側の店員達に愛想の良い微笑を投げながら、階段を下りていった。彼の後姿を見送ってゐた店員達の眼には、未來の社長に對する好感が溢れてゐた。頭顛(あたま)のつるりと禿げた洋服部の主任は、化粧品部の老嬢と、頼母しげに頷首合った。彼等は、青年が父親に手をひかれてちょこちょこ歩いてゐた頃からを知ってゐる。
惡戯盛りの小學生、學問に熱中してゐた生眞面目な中學生、夫から運動家で、快活な大學生、彼ぼ店員達の前で、すくすくと成人し、つい前年二十一歳で大學を卒業すると直ぐ父の經營してゐるその店へ入ったのであった。
ハート青年は店の角を曲って、車庫から愛用の自動車を引出した。
一九三三年十一月九日木曜日、日没と共に冷い風が、黄ばんだ街路樹の葉をかさかさと鳴らしてゐた。
賑かな大通りを過ぎて、閑靜な住宅地へ差しかゝった時、後方から疾走ってきた古自動車が、追抜きざまに前へ辷り出て、ハート青年の車を停めて了った。
中折帽を目深に被った怪漢が、ひらりとハート青年の自動車へ飛移って、呆氣にとられてゐる青年の頭へ、すっぽりと枕の鞘をかぶせた。
「聲を立てると、一發だぞ!」男は拳銃の銃口を青年の脾腹に押付けながら、把手を執った。
自動車はサンノゼ市から七哩、人家を距れたエバンス通りで停った。男はそこでハート青年から七弗五十仙入りの紙幣入(かみいれ)を強奪し、後から蹤いてきた古自動車へ乗換させた。その車には鳥打帽を被った人相の惡い男が乗ってゐた。
ハート青年は夫から約一哩先の、サン・マチオ橋の袂で下車を命ぜられた。それで受難が終ったものと思って、ハート青年が云はれるまゝに車を下りると、背後に廻った中折帽の男が、突然、セメント煉瓦で彼の頭部を打ちのめした。
よろめき倒れた青年は、必死に救助を叫んだ。男は更に一撃を加へて、青年が昏倒したところを針金でぎりぎりに縛上げた。
「おい。相棒、錘はどうした。脚へ括りつけるんだ。」
「よしきた。二個もつけたらよからう。」鳥打帽の男は運轉臺の下から、煉瓦を二個もってきて、針金の先端に括りつけた。
二人の男達は、まだ、ぴくぴく動いてゐるハート青年の肩と脚を擔って、橋の上へ運び欄干の上からざんぶりと投込んだ。
黒く澱んだ水に、一旦吸込まれた青年は、冷い水に正氣づいたか、もう一度救助を叫んだ。
自動車へ戻りかけた男は、その聲を聞くと、舌打ちをして橋桁を下りてゆき、聲のする方向へ拳銃を亂射した。四發! 五發! 闇の中の聲はそれっきり歇んだ。
四萬弗要求
高臺の住宅地に宏壯な邸宅をもってゐるサンノゼ市屈指の富豪ハート家では、いつも夕方きちんと歸宅する筈の長男が、晩餐の時刻になっても歸らないので、家族の者が不審に思ってゐるところへ、何處からか電話がかゝってきた。電話口に出たのは、ハー卜青年の妹であった。
――お宅の息子さんは、吾々誘拐團によって某所に監禁されてゐる。吾々は身代金四萬弗を要求する。警察へ訴へる事は、如何なる結果を招くかは説明する迄もなからう。
吾々の要求を容れる意思があるなら、百貨店の正面の飾窓に、「一番」と記した札を貼出せ。解ったか。
――解りました。どうぞ兄さんに怪我のないやうにお願ひします。
と妹は慄へながらいったが、相手はそれに應へないで、電話を切って了った。
不安な一夜が明けた。病床にあった母親は心痛の餘り重態に陥った。父親は愛兒が誘拐された件を一應警察へ届け出たが、愛兒の身に危害の及ぶのを惧れて、絶對に警察の出動を拒んだ。彼にとって四萬弗は愚か、全財産を擲っても取戻さねばならぬ大切な息子であった。然し警察は直に犯人の捜索にかゝった。
指定された通り「一番」と記した札を飾窓へ出すと、間もなく速達便が届いた。
――貴下の子息は無事なり、現金四萬弗を用意して次便を待て。 X團
といふ文面がタイプライターで打ってあった。
翌日、第二の手紙が來た。それには三十哩距れた桑港の消印があった。
――貴下は何故、警告を無視して警察へ訴へたのか。四萬弗と息子の生命と孰れが大切か、熟考せよ。 X團
夫から二日間、誘拐者からは何等の沙汰もなかった。すると三日目の夕方、ハート青年の同窓の親友で、同じ町に喫茶店を經營してゐるオブライエンの許へ電話がかゝってきた。
――ハートの親父に傳言して呉れ、明朝七時半、四萬弗の現金を紙包みにして自動車に積み、親父自身單獨で操縱し、羅府街道に來れ。途中で吾々の代理人が會見する筈である。承知なれば「二番」の札を出せ。
といふのであったが、ハート氏は自動車の運轉が出來なかったので、その要求に應ずる事は不可能であった。
警察ではハート氏の懇請によって、自宅及び百貨店の警戒を解除し、その代り、ハート家と警察の間に非常報知器を装置し、誘拐者から電話のあり次第、何時たりとも警官隊の出動が出來るやうに手配をした。
水曜日の晩、七時頃、果して誘拐者から電話がかゝってきて、ハート氏が指定された時刻に身代金を羅府街道へ持参しなかった事を責めた。
警報を受けた警官の一行は、直に快走車を飛ばして、公衆電話でハート氏と交渉中の怪漢を取押へた。
それは二人組の一人、サーモンド(二十七歳)であった。彼の自白により、相棒のホルムス(二十六歳)は、洋服仕立職をしてゐる父親の家の二階で逮捕された。
二人は係官の取調べに對し、ハート青年を誘拐惨殺し、その死體を水中に投じた顛末を逐一自白した。
ホルムスは既婚者で六歳五歳の二人の子供の父親であった。彼は中學校を卒業して最近まで石油會社に勤めてゐたが、當時は失業中で妻子とも別居してゐた。
サーモンドは獨身者で、學校も中途退学し、耳の尖った、金壺眼の、見るからに兇惡な人相である。然しこの惨虐無比な犯行の主犯者は人柄の良いホルムスであった。
兩人が知合ひになったのは一年程前で、サーモンドがガソリン・スタンドで働いてゐた頃であった。
失業故に家庭を破壊し、親の家にごろごろしてゐたホルムスと、金がない計りに許婚の女を友人に奪はれ、その上あてつけがましく女から結婚式の招待状を送られたサーモンドの二人は、しみじみと金の欲しさを語り合ってゐた。
救助を呼ぶ聲
犯行一週間前、憂欝(うさ)晴しに映畫を觀にいった歸途に、サーモンドが相手の肘を突いて、
「おい、彼處へゆくのは千萬長者の伜だぜ。彼奴をものにすれば、いゝ金になるんだがなァ。」といった。
「遣らうぢゃァないか。そんな事でもやらなくちゃァ、當節まとまった金なんぞ入るもんぢゃァねえ。」ホルムスは乗氣になった。
「だが、誘拐しても監禁する場所に困るな。」
「それゃ、先へいっての事だ。先づ誘拐の方法さへつけば、後は造作ない。」
「彼奴はいつも親父の腰巾着のやうに、何處へゆくんでもついて歩いてゐるんだが、店の退出(ひけ)時を狙ったらいゝかも知れねえ。」
二人は新型の自動車を操縱してゆくハート青年の颯爽たる姿を見送りながら、半分は冗談でそんな對話をした。けれども、歸るべき温い家庭のない二人の失業男は、薄ら寒い日暮の街を、當所(あてど)なく歩き廻ってゐる中に、いつか眞劍になって誘拐の計畫を立てゝゐた。
ホルムスは無けなしの蟇口をはたいて、十仙の煉瓦を三個と、一卷の針金を買求めた。
夫から六日目、父親の古自動車を引出したホルムスはサーモンドと同乗して百貨店附近を徘徊し、ハート青年が店を出た時から尾行してゐたのであった。
途中でハート青年の自動車へ飛移ったのも煉瓦で青年を昏倒させたのも、闇の水面に拳銃を放ったのもホルムスであった。
車内でハー卜青年から奪った七弗五十仙は兩人で折半し、紙幣入は連絡船から海中に投棄した。その品は十一日の午後、油船によって發見された。
二人の口供によって、警官は即刻現場へ出動したが、路傍に乗棄てられたハート青年の自動車と、サン・マテオ橋の欄干を黒く染めてる、血痕及び兇器の煉瓦を一個發見したゞけで、屍體は遂に見當らなかった。
ハー卜家では愛兒の屍體發見者に對して千弗の賞金を附した。
サンノゼ市のセメント會社の店員は、コンクリート製の煉瓦を見て、
「確に手前の工場でこしらへたもので、誘拐事件のあった數日前に、二人連れの青年に賣りました。最初は十封度(ポンド)のやつが欲しいといひましたが、手に取って見て、これぢゃァ輕過ぎるといひ、結局二十二封度のやつを三個買ってゆきました。私は三個計りの煉瓦を何に使ふのかと、好奇心を起して尋ねましたが、相手は返事をしないで、さっさと去って了ひました。その二人連れはサーモンドと、ホルムスに違ひありません。」と證言した。
サン・マテオ橋附近の沿岸で、材木の引揚げをしてゐた二人の勞働者は、犯行のあった當夜、七時二十五分頃、疾走してきた一臺の自動車が橋の袂に停り、突然、
「助けて呉れ! 助けて呉れ!」
と叫ぶのを聞いた。二人は大して氣にもかけないで仕事を續けてゐたが、自動車が去って了った後に、再び救助を呼ぶ聲が聞えてきたので、橋の方へ走っていった。途中までいった頃、
「もう駄目だ! これ以上掴ってはゐられない!」といふ聲が水面から聞えてきた。男達は、
「今ゆくぞ!」
「確りしろ!」と應へながら橋際までいってその邊一帶を捜したが、それらしい人影は見えず、いくら呼んでも應答がなかったといふ。
十九日、現場に近い水邊で、茶褐色の燒焦げのついた枕の鞘と、ハー卜百貨店の商標入りの中折帽子が發見された。
漂ふ屍體
屍體が發見されたのは、二十六日の早暁であった。桑港灣の沿岸に居住してゐる機械技師と、雜貨店の主人とが、ボートで鴨猟に出掛け、サン・マテオ橋から半哩程南方の海面に黒いものが漂ってゐるのを發見した。
朝霧が海上を籠めてゐたので、二人は最初海豹かも知れないといふ譯で、船を漕寄せて見ると、針金卷きの人間の屍體であった。
「あゝ、これが今大騒ぎになってゐるハート青年に違ひない。」
「鴨猟どころぢゃァない。早く警察へ知らせよう。」
二人は直ぐボー卜を漕返して、急を警察へ告げた。
屍體は十八日間水浸りになってゐたので、人相は鑑別しがたかったが、屍體置場へ馳付けた親友オブライエンは、
「間違いひなくハート君です。この齒並を一目見れば判ります。」といった。
百貨店の最古参である洋服部の主任は、屍體の着衣を見て、はらはらと落涙し、
「この服をつくられる時には、私が柄を見たてゝあげたのでした。この緑色の靴下留めもその時雜貨部からお購めになったのです。シャツも、ネクタイも、靴下も、何も彼も想ひ出深いもの計りです。」といった。
ハート青年が誘拐された日の午前、靴ずれの手當をした醫師は、屍體の右足の絆創膏を指さして、
「この膏藥は、あの朝私が貼ってあげたものです。」と證言した。
これで屍體がハー卜青年である事が確證されたので、二人の發見者はハート家から五百弗づつの懸賞金を貰った。
ハート家では屍體があがるまでは、どうしても長男の死を信じきれないでゐた。殊に病床にある母親は、桑港灣を總浚ひせんばかりの大がかりな捜索が二週間も空しく續けられてゐたので、
「あの子は屹度歸ってきます。何處かに助けられて生きてゐるのです。」といひ暮してゐた。愛するものゝ死を信じたくないのは人情である。それ故、ハート青年の屍體發見は家族の最後の希望を斷ち切ったも同然であった。けれども誰かゞこの事實をハ―卜家に傳へなければならない。この苦しい大役を引受けたのは老ハートの親友であり、且つ商賣敵であるブラム氏であった。
氏は見晴しの良い丘を上って、輝かしい日光の中に、噴水がきらきら躍ってゐる前庭を過ぎ、死のやうに沈まり返ってゐるハート家の玄關へ入った。
彼を書齋に迎へた實業界の大御所老ハートの鐵の如き顏にも、流石に包みきれぬ悲哀が漂ってゐた。母親は吉凶に係らず、ブラム氏の齎した報知を直接耳にするのを惧れて、隣室に呼吸をころしてゐた。
ブラムは老ハー卜の手を握って、
「誠にお氣の毒です。御子息の屍體があがりました。」と告げた。友人の顔を見上げた老ハー卜は崩れるやうに椅子に倒れた。彼は何か云はうとして唇を動かしたが、聲が出なかった。
隣室から嗚咽が起った。
丘の上のハート家は、倏忽(たちまち)、悲みの密雲に閉されて了った。
ハー卜青年の遺骸は二十七日の午後、市から三哩程距れた樫ヶ丘墓地に埋葬された。ハート父子百貨店は、平生通り店を開けてゐたが、店員達も、買物にくる顧客達も、何となく沈み勝ちで、店の中には眼に見えぬ喪章が掲げられてゐた。
恐ろしき復讐
屍體發見の報知が傳はると、市中は俄にざわめき出した。けたゝましい號外賣の呼聲、辻々に貼出された赤字入りのビラに、市民の昂奮は彌(いや)が上にも煽り立てられた。
屍體置場の周圍を、好奇心も手傳って遠卷きにしてゐた群衆は、日没と共に、誰がいひ出したともなく、ぞろぞろ郡刑務所の方へ移動していった。その中には赤ん坊を抱いた女や、予供まで混ってゐた。
群衆は次第に數を増していった。警察側では刑務所の内外に四十餘名の警官を配して、群衆を解散させようとしたが、催涙彈を投げた事が却って人々を激昂させた。暴風雨を孕んだ黒雲のやうに、幾時間も低迷してゐた一萬餘の群衆は、突如、警戒線を突破して、鐵扉に殺到した。
「遣付けろ!」
「ホルムスを引出せ!」
「サーモンドを渡せ!」
群衆は鬨の聲と共にばらばらと瓦礫を投じ瞬く間に幾十の窓ガラスを粉砕して了った。
警官隊は催涙彈を投げ、棍棒を揮ひ、拳銃を放って必死の防禦を續けたが、殺氣立った群衆は少しも怯まなかった。催涙彈が濛々たる白煙をあげると、一時はさっと後へ退くがまるで波濤のやうに盛返してくるので、警官隊は幾多の負傷者を出し、催涙彈も盡きて、全く戰闘力を喪って了った。
警察側では州政府の援助を乞ふと共に、サンノゼ消防署に對して應援を求めたが、消防署長は市長の許可なくしては出動は不可能であるといって拒絶する次第であった。
その中に群衆は附近の建築場から、口徑八吋、長さ三十五呎の鐵管を二本擔ぎ出してきて、岩丈な鐵扉を打ち破り、喚聲をあげて屋内へ雪崩れ込んだ。
それ等の群衆を指揮してゐたのは、毛皮の外套を着た、金髪の美女であった。
人々は看守から鍵束を奪ひ取って、一隊はサーモンドのゐる三階へ、一隊はホルムスの収容されてゐる二階へ突進した。
サーモンドは便所の窓の鐵格子にぶら下ってがたがた慄へでゐた。
「さァ、死ぬ前のお祈りをおし!」金髪の美女が叫んだ。
牀へ引擦り下されたサーモンドは野獸のやうに眼を光らせて、
「勘辨して下さい! 勘辨して下さい!」と絶叫した。
「さァ、お前達、此奴を引張り出せ!」
女の一聲に男達は牀にへばりついてゐるサーモンドの手足をとって擔ぎ出した。
一方、ホルムスは監房の鐵格子につかまって、冷かに闖入者を眺めてゐたが、男の一人が、
「やい、地獄からのお迎ひだぞ。」といふと、
「そんな事だらうと思ったよ。」とせゝら笑った。
廣場に雲集してゐた市民達は、二人の犯人が擔ぎ出されてきたのを見て歡呼の聲をあげた。
「公園へ!」
「公園へ!」
勝誇った群衆は、二囚人を圍んで、道路を隔てた聖ゼームス公園へ雪崩込んだ。
ホルムスはがっくりと地面に膝を突いて、
「人違ひだ! 俺はホルムスぢゃァない!」と叫んだ。
「嘘吐け!」傍にゐた巨漢が突如、彼の鼻面を撲り飛ばした。續いて雨のやうに鐵拳が下った。ホルムスの青褪めた顏は血に染った。女や、子供達まで吾勝ちに馳寄って、蹴ったり、打ったり、引掻いたりして、彼の着衣は寸斷々々(ずたずた)に引裂かれ、見る見る丸裸體にされて了った。
「もう止して呉れ! 俺はホルムスだ!」と彼は呻いた。
一青年が公園の中央にある楡の木に登って、
「この邊の枝がよからう。」と叫んだ。群衆の中から誰かゞ太い繩を投げ渡した。
「早く遣付けろ! 桑港から警官の應援がくるぞ。」
「早く私刑(リンチ)しろ! 大統領が國衛軍出動命令を發したぞ!」
「警官隊が十臺のトラックに催涙彈を積んでくるぞ!」
群衆の罵り喚く裡に、ホルムスは首に繩をかけられて、ずるずると引揚げられた。
「どんな氣持だい!」人々が嘲笑を浴びせた。女達のヒステリカルな高笑ひが起った。
一旦、楡の樹に吊上げられたホルムスは、どさりと地面へ墜された。今度は引手が替って、又、きりきりと上げられては墜された。そんな事が幾度も繰返へされた。
「引裂いてやれ!」
「ハ―トが苦しんだと同じやうに苦しめてやれ!」
「警官の來ない中に、呼吸の根を止めて了へ!」
「止せ! 止せ! お前達は殺人罪を犯す氣か! 最後は法律に委せろ!」と群衆の中から絶叫したものがある。けれどもその時は既う遅かった。ホルムスの靴を片方だけ穿いた醜惡な裸形は、だらりと宙に下ってゐた。
サーモンドは公園へ運び込まれた時は、既に氣喪ってゐたが、赤髪の男が無理に起上らせて、
「今度は手前の番だ! 慥り眼を開いてゐろ!」と呶鳴った。
サーモンドの身體が鈴懸樹に吊上げられると、數人の男が飛付いて、ズボンを剥取った。誰かゞ新聞紙に火を點けて、彼の足を燒かうとしたが、めらめらと燃上った火は、ぢき消えて了った。
「警官が來たぞ!」
その聲と共に、群衆は潮のやうに退いて了って、警官隊が到着した時には、寥々たる公園の樹間に二個の死體がぶら下ってゐるだけであった。
私刑是認
この二囚人の私刑に直接手を下したものは尠くも百人はあったが、警察ではその一人をも檢擧する事は出來なかった。
その晩、一萬五千の群衆を煽動指揮してゐた金髪の美女は、衆目の的になってゐたにも拘らず、身許は愚か、名前さへ知られてゐない。
この刑務所襲撃は數日前から巷の風説になってゐた。千萬長者の嗣子ハート青年の親友オブライエンを初め、百貨店の少壯店員十數名が、某カフェに集合して、二囚人の私刑を計畫してゐた云々と傳へるものもあったが、確たる證據は舉らなかった。而も州知事ロルフ氏は、
「これは加州が全米國に與へた最上の教訓である。加州は誘拐犯人を寸毫も假借せぬといふ事を如實に示したものである。假令、私刑犯人が逮捕されたとしても、余は知事の權限をもって赦免するであらう。」と聲明した。
それに對する賛否は相半ばした。知事の机上には全米からの賞賛非難の電信が山をなした。
紐育、ペンシルバニア、ワシントン、インデアナ、オクラホマ、コロラド、イリノイス州等の知名の士はロルフ知事の態度を賞揚し、桑港市長、加奈陀の牧師達は孰れも知事の聲明を支持してゐる。
一方羅府郡司法官、合衆國司法官、羅府警察署長、加州勞働聯盟、辯護士協會等、殊に羅府教役者聯盟の如きは、二百名の牧師が連署して知事の死刑奨励の聲明取消しを要求した。紐育國際勞働者擁護協會本部では、
――今般貴下の執られたる態度は、全米に野蠻なる私刑を流行せしめ、延(ひ)いては社會をファッショ化せしむる惧あり。即時サンノゼの官憲を罷免し、彼等竝に私刑首謀者を謀殺罪として告發せられんことを要求す。
と打電した。
右に對してロルフ知事は敢然として、
「法は民衆によって作られたものであって、法の爲に市民が存在してゐるのではない。故に民衆が時と場合に應じて、成文法に依らずとも、最適と確信したる非常手段を執る事は當然是認さるべきである。余はサーモンド及びホルムス兩犯人が、何等意趣遺恨なきハート青年を誘拐し、兩手兩足を緊縛し、生きながら水中に投じたる上、而も同青年が生存せる如くに僞って、身代金を要求したる冷血殘忍、鬼畜の如き行爲を考ふる時、
これ等の人非人を保護する爲に、軍隊を出動せしめて善良なる市民に銃彈を浴びせるが如き事は絶對に爲し得ない。今後と雖、余は誘拐犯を斷じて減刑、又は赦免せざる事を明言する。」と應へた。
昔から誘拐事件は米國名物の觀をなしてゐたが、近來益々激しくなって、一九三〇年以後は殊にギャング商賣の一つとなって、善良な市民の家庭を極度に脅かすに至った。
最近の誘拐事件を算上げてみると、全世界の耳目を聳動させたかの空の王者リンドバーグの愛兒を筆頭として、約三十件に達してゐる。
斯る過去の夥しい統計に鑑みて、果してロルフ知事が聲明したやうに、私刑によって憎むべき誘拐罪が、將來減少するか、どうかは頗る興味ある問題である。 (完)
注)明かな誤字誤植などは修正しています。
注)引用(ダッシュ後)の一文字空け段落がありますが都合により巾の割合空けとしています。
=アメリカの暗黒面=
「銀行ギャング四人組」
「雄弁」 1935.12. (昭和10年12月) より
第一の犠牲者
米國市俄古から十四哩北方にあるナイル町は人口五千の小都市である。丁度ルーズベルト大統領のモラトリアム令が解除されてから十日目、即ち千九百三十三年四月七日の午後一時、土地の國民銀行を訪れた服装(みなり)の賎しからぬ三人連れの青年があった。
晝飯時だったので、銀行には二人の從業員よりゐなかった。
肥滿(ふと)った現金係は預金にきた商館の番頭と無駄口を利きながら受取った計りの紙幣を數へ、その背後の卓子(テーブル)ではタイピストのジャネット嬢が急ぎの手紙を打ってゐた。
三人連れの中の二青年が、つかつかと窓口へ寄ったかと思ふと、現金係と番頭はさっと顏色を變へて二挺の拳銃の前に唇を閉ぢた。
「現金をそっくり借りてゆくから、靜にしてゐろ! 變な眞似をすると、生命を安賣する事になるぞ!」と首領らしい青年が低い聲でいった。
現金係は眼の角でちらと扉口を見た。そこには第三の青年が上衣の下から拳銃を覗かせてゐた。銀行の前には大型の自動車が横づけになって、機關(エンジン)の音を立てゝゐる。その運轉臺に鳥打帽を眉深にかぶった第四の青年がゐる。
首領は何も識らずにタイプを打ち續けてゐる女事務員に、
「おい、姐さん、鳥渡こっちを向きな!」と呼掛けた。
ジャネット嬢は悸として顏をあげた。彼女は胸元に向けられた拳銃を見て、危く悲鳴をあげようとしたが、慌てゝ掌で口を覆うた。そしてまるで催眠術にかゝったやうにふらふらと席を立って、首領の手招きのまゝに側へ寄ってきた。首領はからからと笑って、扉口の見張番に、
「おい、お前は姐さんに椅子をやって、俺が先刻吩咐けたやうにしろ」と命じた。
男は窓際に椅子を運び、ジャネット嬢をそこへ腰かけさせ、
「いゝかね、往來を見て愛想よく笑ってゐるんだぜ。合圖などを送ると一發だぞ!」といった。
その間に二青年は携へてきた鞄を現金係に突付けて在金を全部入れさせた。
「さァ、大金庫へ案内しろ!」と首領が命じてゐるところへ、貸付係主任のミラーが晝飯を濟して歸ってきた。彼は自宅まで自動車を飛ばしていって、妻と二人の息子を誘ひ出し、町の料理店で愉快に會食してきた計りなので、上機嫌であった。
「ジャネットさん、勤務時間にそんな呑氣な顏をして、往來なんか眺めてゐていゝのかい、支配人に見付かると馘首だぜ」などと冗談をいった。
ジャネット嬢は無言で主任の顏を見返した。
彼は女の眼に溢れてゐる恐怖の色を讀んで、始めて重大事件を悟り、慌てゝ戸外へ引返さうとしたが、その胸元に見張番の拳銃が突付けられた。
彼は愕然として兩手をあげた拍子に、過って相手の拳銃に手が觸れた。
轟然たる銃聲! ミラーはきりきりと回轉って牀に仆れた。
首領は舌打をして、現金係から鞄を引たくり、
「皆、愚圖々々するな、早くこい!」と呼んだ。
三人の男達は唸き聲をあげてゐるミラーの上を躍り越えて構外へ出るなり、待ってゐた自動車に飛乗って、何處へか疾走して了った。
盗まれた自動車
銀行ではジャネット嬢が瀕死の主任を介抱してゐる間に、預金をしにきてゐた商館の番頭は病院へ電話をかけてゐた。
ギャングの後を追って往來へ飛出した現金係は、市俄古街道を矢の如くに疾驅してゆく空色のクライスラーを見送って、その足で一丁程先の警察署へ急報した。
署長は直ちに部下を從へて、ギャング自動車の追跡に當った。途中通行中の一會社員が、超スピードで疾走してゆくクライスラーに不審を抱き、自動車番號を記憶してゐたといふ聞込みを得た。
然し熱心な署長の努力にも拘らず、ギャングの自動車は市俄古街道で行方を晦まして了った。
病院に収容されたミラーは左脚の附根に貫通銃傷を受け、多量の出血の爲に危篤状態に陥ってゐた。
四人組ギャングに強奪された現金は總額五千七百弗であった。當日大金庫には巨額の現金が藏されてゐたが、偶然の發砲騒ぎにギャングが狼狽した爲、その方の被害は免れたのであった。
タイピスト、現金係、預金者、通行人等の證言によって、四人組の人相、服装は次の如くに判明した。
一、身長五呎七吋、碧眼、頭髪茶褐色、紺地背廣服、鼠ソフト(首領)
二、身長五呎八吋、痩形洒落者、黒い頭髪を中央より分け、無帽、銀鼠色の背廣服(預金者に拳銃を向けてゐた男)
三、身長五呎九吋、色白く、血色良し、紺の背廣服に鳥打帽(見張り番をつとめ、貸付主任を射った男)
四、痩形、頭髪の硬張ったモダン型、右頬に痣あり(自動車の運轉臺にゐた男)
この四人は孰れも二十歳から二十五六歳の青年であった。
自動車の番號は判ってゐたが、その車は二日前に市俄古の警察に盗難届が出てゐたものだったので、番號によって犯人を手繰り出す事は先づ不可能と見做された。
空しく數日が過ぎた。その間に貸付主任ミラーは手當の甲斐もなく若い妻と二人の子供を殘して死去して了った。彼が遭難當日氣紛れに妻子を晝食に連れ出した事は圖らずもこの世の名殘りの食事となって了ったのである。
同月二十四日、市俄古警察のケリイ探偵は路傍に乗棄てられてゐた例の空色のクライスラーが、盗難届を出してゐた所有者の手に戻った事實を聞込み、その身許を調べた結果、メリイ・シエックなる婦人に疑念を抱き、部下にその家を見張らせた。すると、翌日その任に當ってゐた刑事から電話がかゝってきた。
「いま、若い男がウエリントン街五〇四〇番のメリイ・シエックの家へ自動車を乗りつけました。その男は頭髪が硬く、頬に痣のある點、例の銀行ギャングの一人、自動車の運轉臺にゐた男の人相書に該當してゐるやうです」
ケリイ探偵は「それッ!」と計りに部下を率ゐて自動車をウエリントン街へ飛ばして、街角に張込んでゐると、二十分計りして三人の青年が石段を下りてきて、家の前に停めてあった自動車へ乗込んだ。
警察の自動車は見え隠れにその後を蹤けてゆく中に、十字路で「止れ」の信號に會ひ、二つの自動車が接近した。ケリイ探偵の一行は間髪を入れず、拳銃を擬して隣の自動車へ躍り込んだ。その中の一人は紛れもなく碧眼の首領であった。彼は人を喰ったやうな高笑ひをして、
「僕はジョン・シエックだ」と太々しく名乗りをあげた。運轉臺にゐたのはフランク、第三はカールといふ男であった。
三人はそのまゝ警察へ連行され、一人づつ別室で取調べを受けた。彼等は云合はしたやうに犯行を否定し、
「ナイル町などへ行った覺えもないし、又、行く用事もない」と云張った。
探偵の機智
首領のシエックは散々手を燒かせてゐたが、ナイル町の銀行から證人が首實檢(※ママ)にくると聞いて、急に態度を變へ、
「ものは相談だが、僕をこのまゝ見遁してくれたら、お禮はたんまりするが、二千弗ではどうだね」と狡猾さうな薄笑ひをしながらいった。
「二千弗とは生易しい金ではないぞ。一體そんな大金をどうして調達する氣だ」とケリイ探偵がいふと、
「五分間のうちに、君の手に渡して見せる。全部現金だ」
「その術(て)には乗らない。お前をこゝから出してやって、果してその金が俺の手に渡るか、どうか、疑問ぢゃァないか」
「その心配は無用だ。先づ君が僕の指定した場所へいって、その金をとってくればいゝ。取引は其後だ」
ケリイ探偵は顎を撫でながら、少時考へた後、
「二千弗はわるくないな‥‥それにお前には殺人の罪名はかゝってをらんのだし‥‥」
と半ば獨言のやうに呟いた。
シエックは相手が話に乗ってきたものと思ひ込み、眼を輝かして、
「ウエリントン街の僕の家へいって下さい。二階の戸棚に黒い旅行鞄があります。その蓋の裏布を引剥がすと、その間に二千弗の紙幣が入ってゐます」
「よろしい。眞實か、嘘か、俺がいって見届けてこよう」
ケリイ探偵は部下の一人をウエリントン街のシエックの家へやり、自分は別室へいった。そこでは銀行の貸付主任を射殺したカールが二人の刑事に訊問されてゐた。
ケリイ探偵は、刑事等を室外へ退けた後、
「おい、カール、いくら白を切ってゐたってもう駄目だ。シエックがすっかり自白して了ったからな。而もシエックは保釋金二千弗を支拂ったぜ。それもお前等の爲ではなく、自分一人だけの保釋金として現金で耳をそろへたのだ」
といった。
カールの顏は見る見る青褪めた。彼はケリイ探偵の眼の中に眞實を讀むと、急に身體を慄はせて、
「畜生! 裏切者! 奴は二千弗猫婆をきめてゐやがったんだな。怪しいとは思ってゐたが矢張りさうだったのか! 畜生! 泥棒野郎!」
と激しく罵った。
銀行から強奪した金は、四人で平等に分配した筈であったのに、シエックが二千弗隠匿してゐた事を知り、カールは齒ぎしりをして口惜しがり、肚癒せに何も彼も洗ひざらひ喋って了った。
彼等は六ヶ月程前、市俄古のダンス・ホールで知合となり、世界漫遊の夢からその旅費を作る爲に銀行襲撃百回を企劃し、先づその手始めとしてナイル町の銀行を襲ったのである。尚四人組の中、この日逮捕されたのは三人だけであるが、第四の男は以前肉屋をやってゐたローマンといふ不良青年である事が判明した。
彼等は警察の眼を晦ます爲に、豫めシエックの母親の自動車の盗難届を出しておいて、その車で銀行を襲ひ、途中それを乗りすてゝ別の自動車でシエックの家へゆき、盗んだ金三千七百弗を四人で分配したのであった。彼等は用心の爲にその日以來、別々に行動してゐたが、一週間目にダンス・ホールで落合った。然しローマンだけは顏を見せなかった。その時カールが新聞に銀行の被害五千七百弗と掲てゐた旨を問題にすると、シエックは新聞記者の出鱈目であると一笑に附して了ったといふ。
カールの陳述が終ったところへ、シエックの家へ急行した刑事が、手の切れるやうな紙幣二千弗をもって歸ってきた。
ケリイ探偵が再びシエックの取調室へゆくと、
「どうでした。僕のいった通り、金はちゃんとあったでせう」といった。
「二千弗は確かにあったがね‥‥」ケリイ探偵は意味あり氣にいった。
「眞逆、今になって二千弗ぢゃァ不足だなんていふんぢゃァないでせうね」
「不足だとも、銀行へ五千七百弗耳をそろへて返してやらねばならぬから、あと三千七百弗不足だ、おまけにカールが一切を白状したから、如何に金を積んでもお前を釋放する譯にはゆかないよ」
「こん畜生! ぺてんにかけやがったな!」學生時代に蹴球の選手であったシエックは、矢庭にケリイ探偵の向ふ脛を蹴飛ばした。
忽ち激しい格闘が始まった。その騒ぎを聞付けて飛込んできた數人の刑事が、猛り狂ふ青年を組伏せて手錠をかけた。
その中にナイル町からタイピストのジャネット嬢始め、數人の證人が到着して首實檢をした上、この三人が銀行ギャングの一味である事を證言した。
拳銃の謎
シエックはそれでも尚、頑強に犯行を否定してゐたが、眞夜中近くになって、急に、
「僕も兜を脱ぐよ。正直なところをすっかりばらして了はう」と云出した。彼はカールに對する怨を霽らす爲に自白を思ひついたものと見え、最初からの計畫及び其後の行動に就いて逐一陳述し、
「僕は金を奪るのが目的で、一滴たりとも血を流してはならぬと、嚴重に云渡してゐたのです。然るにカールは貸付主任が無抵抗を表示する爲に兩手をあげたにも拘らず、引金を引いたのです」といって、
「僕は決して射つ意志はなかったのに、相手が僕の手から拳銃を奪取らうとした爲に、過失で發砲したのです」といふカールの陳述を覆したのであった。
ケリイ探偵は、四人組が一緒に自動車で逃げてゐながら、シエックが如何にして仲間の眼を晦まし、二千弗餘分に着服したかを不審に思って、その點を言及すると、
「家へ近づいた時、僕は附近に巡回中の巡査でもゐるといけないから、様子を窺ってくると稱して、自分だけ下車し、三人が自動車で往來を一廻りしてくる間に、裏口の塵芥箱の中へ隠しておいたから、誰も氣がつかなかったんです」と答へた。
シエックの自白によって、第四の男ローマンも、裏街の飲食店で逮捕されたが、彼は極力ギャングの一味である事を否定し、他の三人が何の目的で銀行へいったかも知らず、依頼を受けて、單に自動車を運轉したに過ぎないと申立てた。
一先づ取調べが終って、四人はそれぞれ警察の監房へ入れられる事となった。最後に廊下へ引出されたシエックは、近くに人影がないと見るや、突如、タッカー刑事の腰から拳銃を抜取った。
先に立ったケリイ探偵と、もう一人の刑事は背後に銃聲を聞いて、驚いて馳戻ると、廊下の端れで、タッカー刑事が血塗れになってシエックと大格闘を演じてゐた。幸ひタッカー刑事は腕に負傷をしたゞけで、相手の腕から拳銃を奪ひ返へす事が出來た。
シエックは人々に捩伏せられながらも、
「畜生! 手前等を一人殘らず射殺してやりたかった!」と怒號し續けてゐた。
彼はどこまでも手數をかける男であった。第一回の公判の後で、看守に引かれて退廷した時、廊下の角を曲ってどやどやとやってきた一團の男女と擦れ違ったと思ふと、どうして手に入れたものか、シエックは突然、拳銃を看守の胸元に突付けて、脱兎の如くに走り出した。
看守の叫聲に追詰められて彼が飛込んだのは、第二號法廷、折しも窃盗犯の公判中で、五十人計りの男女が傍聴席を埋めてゐた。
シエックはその眞中で、天井を向けて三發拳銃を放ち、法廷が上を下への騒動に湧返ってゐる間に、そこを突抜けて、構外へ遁れようとしたが、階段の下で行手を阻んだ一巡査を射殺し、自分も脚部に銃傷を受けて、その場で取押へられて了った。
シエックがどこで拳銃を手に入れたかと云ふ事が問題となり、廊下で擦違った一團の中に、彼の母親が交ってゐた事、その母親が大き過ぎる程の手提袋を持ってゐたといふ理由で、彼女は嚴重な取調べを受けた。
當時、市俄古はギャングの本場として、世界の注目を集めてゐた折柄、裁判は頗る峻嚴で、二十分計りのうちに四人組の中、シエックとカールは強盗殺人罪をもって死刑、他の二人は強盗罪で終身刑を宣告された。
シエックは電氣椅子へ送られる前に、
「死ぬ事は少しも恐ろしくない、唯心掛りなのは母親の事だ。僕に拳銃を渡したのは決して母親ではない。デリンガア親分の乾分の一人が廊下で手渡して呉れたんだ。罪のない母親に累を及ぼしたくないものだ」と流石にほろりとしたといふ。 (完)
注)明かな誤字誤植などは修正しています。ナイルス町とナイル町がありますがナイル町に統一しています。
イギリスの話題
「闇暗街の仁義から殺人罪を負った男」
「サンデー毎日」 1939.01.01 (昭和14年1月1日号) より
空地の中に捨てた死體
舗道の上に白々と下りてゐる霜が、靴の先から滲み込んでくるやうな寒い一月一日の拂曉であった。
閑靜な住宅地として知られてゐる倫敦郊外クラバムの北側に面した淋しい道路を巡回してゐた警官は、白い呼吸を吐きながら、警察署への近道を切る爲に空地の灌木の中を抜けてゆくと、草叢の中に横はってゐる黒いものが眼についた。
何氣なく傍へいって見ると、意外にもそれは男の屍體で、顏は外套のアストラカンの襟に覆はれてゐたが、頭蓋骨が粉砕されてゐて、目も當てられぬ惨状であった。
現場には格闘の跡もなく、何一つ手懸りらしいものは無かった。急報に依って馳付けた警察醫達の鑑定で、大體次のやうな事實が判明した。
一、犯行のあったのは午前三時頃、しかも現場で行はれたものでなく、他の場所で殺害した後其草叢へ遺棄したものと推測された。
二、頭部右側面から右眼にかけて鈍器に因る激しい一撃が加へられてゐる他、前額には七個所の打撲傷を受けてゐた。それ等の状況は被害者が頑強に抵抗した形跡を物語ってゐる。
三、屍體の胸部に鋭利なナイフやうなもので三度突刺した傷痕がある。頭部に致命的な打撃を加へた後で、さらに止めを刺すとは強盗殺人以上の何ものかを考へさせられる。
四、殊に奇怪な事には被害者の左右の頬に「S」型の傷が刻み付けられてゐた。
係官達は暫時、顏を見合せてゐたが、その中の一人が礑(はた)と手を叩いて、
「これは單なる物取りの仕業ではない。この頬の傷はスパイの頭文字、Sを意味するに違ひない。復讐? 制裁?」と呟いた。
「すると、此奴は猶太人ぢゃァないかな……」
と他の一人が言葉を挾んだ。
さいぜんから半身を屈めて死骸の顏を覗き込んでゐた警部は、
「さうだ! この顎髯とアストラカンの外套の襟に見覺えがある……確に「革袋の猶太人だ!」と叫んだ。
「革袋?」
「いつでも金貨をざくざく薄穢い革袋に入れて持歩いてゐるベロン親父に違ひない。さういへば太い金鎖も、金時計も革財布も無いところを見ると、矢張り強盗殺人かな。」
慾深い佛蘭西系猶太人
そんな譯で被害者の身許は直に判明した。
ベロンといふのは佛蘭西生れの猶太人で、現場から五哩許り距れた東區の盛り場ホワイトチャペルの鴉横町に部屋借りをしてゐる五十代の獨身者である。
評判の吝嗇漢で、粗末ながらも家作の九軒も持ってゐながら、老父を養老院へ抛り込んでおいてよせつけず、弟と二人で無料宿泊所とでもいふやうな屋根裏部屋に寝起きして、爪に火を灯すやうなしがない生活をしてゐた。
彼は家賃のあがりは悉く附近の露西亞料理店で金貨に兩替して貰ひ、その上珈琲一杯位で四五時間は粘ってゐるといふ男であった。
よくよくの守錢奴と見えて、金錢を使はない計りでなく、革袋に溜込んだ金貨を公衆の面前で數へて悦に入ったり、金鎖の先端に結び付けた五拾圓金貨をハンケチで磨いたり、ポケットから大切さうに取出した大型の金時計を掌に乗せて、重味を計るやうな仕草をしたりして人目を惹くのを樂しんでゐた。
露西亞料理店の給仕人は、警官の質問に對して、
「あの革袋なら大晦日の晩店へやってきて、例の如く金貨をひけらかしてゐましたがね、あの晩に限って除夜の鐘も聞かずに十分計りで歸ったですよ。」と答へた。
「誰か同伴者は無かったかね。」
「へえ、モリソンといふ若僧と一緒に店を出ていったですよ。」
「モリソンとはどういふ男だ。」警官は眼を輝かした。
「寶石商とか何とか、觸れ込んでゐますが、要するに與太者でさァ……旦那、革袋が何か面倒でも起したんですか……わしは忙しいんだから、この位にして置いて下さい。」給仕はそんな事をいひながらも、直ぐには引退らなかった。
「殺人事件だがね…… 」
「あゝ、それぢゃァ革袋がモリソンにやられたんでせう。金を持ってゐるのが被害者、持ってゐねえのが加害者と極ってゐまさァね。それで讀めた! 彼奴は鐵棒を持ってゐやがったですよ。」
「えっ、鐵棒! それゃ何だ。」
モリソンがあの晩、店へ入ってきた時にハトロン紙に包んだ長細い荷物を帳場へ預けて、歸りしなに取っていったですよ。儂は中味を檢べた譯ぢゃァないですが、手觸りで鐵の棒と睨んだですよ。」と給仕がいった。
尚、彼の陳述に依ると、大晦日の晩十二時前後にベロンと連立って、露西亞料理店を出ていったモリソンは、元日の朝店を開けた計りのところへ周章しく飛込んできて、大晦日の晝、一緒に食事にきた二人の男が、そののち自分を捜しに來なかったかと問ひ合せに來たといふ。
「その二人の男といふのは、どういふ人物だね。」警官は鋭い視線を給仕の顏に注ぎながら追求した。
「旦那、そんな事をお訊きになるのは無理でさァ。何しろこの店はお蔭様でいつも繁昌で、種々雜多な客が來ますから、定連以外はわしだって一々記憶えちゃァゐられませんよ。モリソンにもさういって突っ撥ねてやったら、かんかんになって歸ってゆきましたよ。彼奴は怒りっぽい男ですからね。」給仕は意味あり氣にいった。
有罪無罪の岐路に立つ
事件發生第三日目に警察では漸くモリソンの下宿を突止め、ニュー・アーク街十番へ三人の警官を急行させたところ、風を喰ったかモリソンなる男は既に姿を晦ましてゐた。
下宿の主婦シナモン夫人は驚き顏に、
「別にどういふ理由があったといふのではないですが、元日の朝急に都合で轉居すると仰有ってこゝを出ていってしまひましたので、行先は伺ってありません。下宿代など一度も滯らせた事はなく、大變感じの良い方でした。」
「大晦日の晩は何時に歸宅しました。」
「十二時頃でした。私共は除夜の鐘を聞くと間もなく寝たのですが、恰度私が玄關の扉に閂を掛けにゆかうとした時、二階の階段を上ってゆくモリソンさんの後姿を見かけました。」
主婦の言葉に依ると、モリソンは濠州生れの猶太人で、少年時代を佛蘭西に過し、數年前倫敦に移住した者、年齢は二十四五歳、身長は六呎二吋程の立派な體格の好男子で、寶石の行商をしてゐたといふが、中々の洒落者で上等の服を着たり、ベロア帽などを被ったりしてゐた故、行商以外に何か割の良い仲買のやうな仕事をしてゐたかも知れないといふ事であった。
モリソンは元日の朝以來、毎日のやうに顏を見せてゐた露西亞料理店にも、ふっつり足踏みをしなくなった。警察側では彼が高飛びをしたか、或は變装でもしてゐるだらうと懸念してゐた。ところが意外にも夫から數日經過(たた)ない中に、彼が大晦日の晩と同じ服装で、南西區のV停車場附近の安料理店で食事をしてゐるといふ情報に接した。
時を移さず擔任警部が、數名の部下を引率して活動寫眞館に隣接したその料理店を襲ふと、奥まった食卓で、紺サージの服を着た青年が靜かにコーヒーを飲んでゐるのを發見した。
警部が突如、彼の肩に手をかけて、
「モリソン、觀念して一緒に來い!」といふと、
「冗談ぢゃァない。僕は警察へ行く用などはありません。人違ひしては困りますよ。」モリソンは落着いた態度でいった。
彼は頑として同行を拒み、食卓を離れやうとしなかったが、彼の兩腕は既に屈強な二人の警官に捻りあげられてゐたので、どうする事も出來なかった。
警部が衣服の上から彼の身體檢査を始めると、
「止して下さい! 僕のポケットに何か入れては困りますよ。第一何も判らない中から、人を罪人扱ひにするとは、餘り酷いではありませんか!」モリソンは眼をいからして叫んだ。
とはいへ、彼は其場から警察署へ引致されてしまった。
警察では直に彼をベロン殺しの容疑者として、留置場に監禁し、同時に證據材料の蒐集に努力したが、思はしい結果は得られなかった。
第一、凡そ如何なる犯人でも兇行後當時の着衣を更めるのが常道であるのに、モリソンは同じ紺サージの背廣を着て、しかも新らしいワイシャツを幾枚も所持してゐながら、一週間前即ち大晦日の晩、露西亞料理店へ現はれた時と、同じシャツを着てゐた。
第二、モリソンの着衣には、被害者の状態から想像されるやうな激しい格闘の跡は見出されず。又屍體を草叢び引擦っていったものなら、如何程注意しても着衣の何處かに必ず多少の血痕が附着してゐるはずであるが、さうした痕跡は少しも認められなかった。
第三、露西亞料理店の給仕人ミンツの證言に依る、兇器と推定されてゐる鐵棒なるものは何處にも發見されず、その上同店の女給はハトロン紙包を受取って帳場へ預けにいったが、鐵棒といふやうな目方ではなかったと申立てゝゐる。
第四、彼は警察で所持品を檢査された時、百四五拾圓の現金を懐中してをり、その中には金貨もあり、その上グローブ街の新らしい下宿屋の娘エバに五拾圓金貨を渡したといふ事實もあがったが、その金貨は殺害されたベロンが金鎖の先端に下げてゐた金貨より、もっと小型のものであった。
警察新聞廣告を利用す
警察では躍起となって新らしい有力な證據材料を掴まうとした。それで先づ新聞廣告を利用して、犯行當夜即ち大晦日の晩十二時過ぎに、モリソンを見掛けた者に對し、その申出を爲す者に賞金拾圓を給與する旨を公表した。
すると、第一番に警察へ出頭したのは東區の倫敦病院裏に居住してゐるデッチ夫人であった。
「私は大晦日の晩、ホワイトチャペル通りの舅の家の越年會へ招ばれていった歸途、街角で小柄な男と立話をしてゐるモリソンを見掛けました。時刻は確かに一月元旦の午前三時でごさいました。」と彼女は申立てたが、それはモリソンの後姿を見たゞけだといふ事であった。
次に現れたのは辻馬車の馭者である。
「私は元旦の朝午前二時半頃、二人の客をシドニイ街から乗せ、ベロンの惨殺屍體が發見されたといふクラパムの緑ヶ丘まで参りました。客の一人は間違ひなく、新聞に寫眞の掲てゐたモリソンといふ男でした。何卒拾圓頂かせて下さい。」といふのであった。
次に警察の門をくゞったのも矢張り馭者で、
「私は元日の朝、午前二時頃ケニントン教會附近から二人の客を乗せて、セブンシスター街まで送りました。一人は紛れもなくモリソンでした。二人とも何か頻りに外國語で喋ってゐたです。」といふのである。
因にこの二人の馭者の陳述による二つの地點は、テームス河を隔てゝ南北に約十哩もはなれてゐるので、殆ど同じ位の時刻に、異った二つの馬車がモリソンを乗せてゐる筈はなかった。
以上のやうな薄弱な材料では、モリソンを犯人と確定する譯にはゆかなかったので、證據不充分の故を以って、一先づ彼を釋放しようといふのが警察側の意向であった。
ところが承知しないのは民衆であった。興味本位の赤新聞は、恰もモリソンの犯行を目撃したかのやうな筆致で、探偵小説めいた煽動的な記事を掲げ、大衆と相呼應して氣勢をあげた。
さうなると、警察側は迂闊にモリソンを釋放してベロン殺害事件を迷宮に入らせてしまふ譯にはゆかなかった。
何故斯く迄與論が沸騰したかといふと、關係者が孰れも倫敦市民の憎惡の的となってゐた猶太人であった事に起因する。
ベロン殺害事件に先立って倫敦東區に巣喰ってゐた猶太系無政府主義者の陰謀が發覺し、その一味を逮捕に向った警官隊の中、三人までも無殘に射殺され、其鎮壓に軍隊を繰出し、催涙彈まで用ひたといふやうな、アメリカのギャング映畫その儘の大事件があった。その折の三人の殉職者の葬儀は、セントポール寺院で盛大に擧行され、國王が御使を差遣はし、倫敦市長及び内務大臣等が臨席し、全市民は店舗を閉ぢ、業務を休み半旗を掲げて哀悼の意を表した。
斯様に三人の犠牲者に對する市民の同情が大きかったゞけに、猶太人に對する一般の憎惡は想像以上に深刻であった。
そのほとぼりが未だ冷めきらない中に、又しても猶太人が、新春匆々忌はしい殺人事件を惹起したといふので、市民の激昂は其極に達してゐた。
公判廷で激昂する民衆
全英國を震駭せしめた兇惡な殺人事件の公判は、英國でその人在りと識られてゐる名裁判長ダーリングに依って開かれた。彼は卓越せる學識と峻烈嚴正な批判力の持主である計りでなく、その半面に人間味豐かな温情溢るゝ判決を下す人物として有名である。
檢事は冷靜鐵の如き理論家、被告弁護士は詩人の如き情熱家、その二人の立脚地を異にした火を吐くやうな舌戰は數刻に亘り、滿廷を沸き立たせた。
「劈頭、裁判長は從來の型を破って、被告に對ひ、
「汝は罪があるのか、無いのか。」と訊ねた。
「閣下、若し、私が全能の神の前に立ってをるならば、私は唯一つよりそれに答へる言葉を持ってをりません。即ち私は罪を犯してはをりません。」モリソンは一言一句に力を籠めて答へた。
續いて檢事は型の如く事件の輪廓を述べ、モリソンが犯人である所以を列擧した。總括すると次の如き五項となる。
一、モリソンはベロンと同じ猶太人で、面識があった。
二、犯行當夜、彼は包装した鐵棒を携へ、ベロンと連立って露西亞料理店を出た。
三、彼は大晦日の夜、十二時から二時迄の間に、ホワイトチャペル街附近でベロンと共に立話をしてゐる姿を、通行人に依って認められてゐる。且つ又、犯行があったと目さるゝ午前三時近く、被害者と辻馬車に同乗し、屍體の發見された現場に程遠からぬ緑ヶ丘へ行った事實が馭者に依って證言されてゐる。
四、彼は年末には非常に金に窮し、時計を入質した事實があるにも拘らず、事件發生以後俄に金廻りが良くなった。
五、彼は犯罪の行はれた翌日、不意に轉居したのみならず、日頃行きつけの露西亞料理店へ寄りつかなくなった。
檢事はそれら等の諸事實を指摘し、モリソンが犯人である事は、天を指すが如く明らかであると論告した。
それに對して弁護士は次のやうな弁駁をした。
一、給仕人ミンツの證言は信據するに足りない。彼は曾て瘋癲病院に収容された事實があり、二度迄も自殺を企てた精神異常者である故、證人としての資格を具備してゐない。若し彼の言の如くモリソンが鐵棒の包を携へて、料理店から河向ふの辻馬車の駐車場まで歩いていったとしたなら、目撃者テッツ夫人及び馭者がそれを認めた筈である。且つ果して鐵棒が兇器であるとしたら、檢事は何故それを法廷へ提出しないのか。
二、モリソンの着衣には殺人を犯したものゝ着衣に當然見られるやうな、血痕、格闘其他の痕跡は毫末も見出されなかった。又、彼が犯人であったならば、何故一週間後尚、犯行當夜と同じ服や、ワイシャツを身に付けてゐたか、これは明かにモリソンが犯人でない事實を裏書するものである。
三、屍體の傷痕即ち鈍器に因る打撲傷及び鋭利なる刄物に因る刺傷等から推して、兇器は二種類、且つ屍體を他の場所から草叢まで運んだ状況に徴しても、兇行に携はったのは一人以上と見做すべきである。然るにモリソン一人を犯人として裁判に附するは不當も亦甚しいといふべきである。
四、假にモリソンがクラパムで兇行を演じたものとすれば、現場に彼の足跡が遺ってゐる筈だ。警察側ではかうした場合、現場の足跡を重要な證據として採取すべきであるが、その證據材料が提出されてゐないといふ事實は、モリソンの足跡がなかった事を意味するものである。
五、二人の馭者の被告認識程度にも疑はしいものがある。モリソンが逮捕されると同時に、倫敦の全新聞紙は悉く彼の寫眞を掲載した故、馭者は無論その寫眞を見たに違ひない。
警察側では當夜、ホワイトチャペル街からクラパム間において、被告を馬車に乗せた者が證人として名乗り出れば、拾圓の賞金を與へる旨を新聞紙上に公表した故、假令馭者が不正直な人間でなかったとしても、新聞紙上に寫眞を見、殺人事件に興奮してゐるやさき、懸賞金拾圓と知って、當夜薄明りの中で數多く乗せた客の一人を、無意識に寫眞で見たモリソンの顏と結びつけたかも知れない。
弁護士はかうした反證を擧げたのち、
「この犯罪の目的は復讐であって、背後に政治的の策動があったと見做すべきであります。ベロンの双頬に刻まれてゐた「S」字型の傷痕は、それを如実に語ってをります。ベロンはこのシドニー街事件の無政府主義者と金錢上の貸借關係が在ったといふ事實に徴しても、ベロンは仲間から裏切者として制裁を加へられたものと見るのが至當でありませう。」といって極力モリソン青年の無罪を主張した。
陪審員彼の有罪を主張
巨人のやうに、すっくと被告席に立ったモリソンは、聊かの物怖ぢも見せず、朗々たる音聲で檢事の訊問に應へた。
「私は濠洲シドニーに生れ、露西亞と佛蘭西で成人し、英國へ渡って獨立の生計を立てるに至った人間です。
本來はパン燒及び製菓職で、緑ヶ岡のパン製造所に雇はれてをりましたが、四拾圓の貯金が出來たので九月末に同工場を退職し、グローブ街五番に部屋借りをして、安物の寶石の行商を始めたのです。その際寶石商人から商品を譲り受けた領収書は鞄の中に入ってゐる筈です。
寶石の行商は案外好成績で一週間に尠くも二拾圓の利益をあげました。その上十一月末には露西亞にゐる母親が二百圓送金してくれました。それを落手した二日後に私はダリンフヰルド街の倶樂部で、百圓を資本に骨牌をしましたところ、非常な幸運で忽ち二百八拾圓儲けたので、その中三拾圓で帽子やシャツを買ひ、殘り二百五十圓は銀貨だったので、銀行で紙幣に兩替して貰ひました。銀行でお調べになれば判る筈です。」
「二百圓送金したといふ母親の住所姓名は?」
檢事は鋭く追及した。
「私は愛する母をこんな事件に卷込むのは厭ですから、それは絶對に答へません。」
「賭博をした相手と、倶樂部の名を明かにしろ。」
「私はこの事件と全く無關係な人間を引合ひに出す必要を認めません。さて、私が大晦日以來露西亞料理店に寄付かなくなったのは、あの日給仕人のミンツと喧嘩をしたからです。あの男は喧嘩で私に遣付けられた腹癒せに、私が鐵棒を携帶してゐたとか、ベロンと一緒に夜遅く歸っていったとか、人を陥入れるやうな出鱈目をいってをるのです。一體私とベロンとは深い交際があった譯ではなく、唯毎日同じ料理店で食事をしてゐるので、自然挨拶を交すやうになった位の程度でした。革袋と謂ふ綽名以外には、ベロンといふ名さへ知らなかった位です。
大晦日の晩には私は帝國座へ芝居を觀にゆき、その歸途ちょっと露西亞料理店に立寄って珈琲を一杯飲むと、直ぐ下宿へ歸り翌朝までぐっすり睡ってしまひました。
元日匆々轉居したのは、良人に棄てられたエバといふ可哀想な女と同棲する爲だったのです。寶石の行商を始めたのも實はその準備だったのです。」
檢事は被告の母や、骨牌をした相手の名を明かにしない點を指摘して所持金の出所に疑問を挾み、尚下宿屋の主婦シナモン夫人の證言は他にそれを裏書する者なく、又一旦歸宅した被告が二階の窓から出入する事が出來たかも知れないといって不在證明を覆へし、且つ被告が二年前、雇はれ先の金を盗んだ廉で窃盗罪に問はれ、入所した前科者であるといふ事實等を列擧して飽迄も彼の有罪を主張した。
裁判長は判決に先立って、陪審官一同に對って次のやうな意見を披瀝した。
「陪審官諸君は今、外國人を殺害した外國人を裁く爲に此處に集まられたのであります。
諸君は英國の法律に從って嚴正なる批判を下されん事を祈ります。英國の法律は諸君も識らるゝ通り慈悲の上に立脚してをります。諸君が被告を有罪とせらるゝ場合は、彼が有罪であるといふ假説が、一點の疑惑無き迄に立證され、諸君が充分得心された上での事であらねばなりません。兇器が二種あったといふ事實は犯人が二人在ったといふ事を考へさせられます。この點に諸君は御留意願ひたいと思ひます。
吾々は英國の嚴正なる證據法に因り被告が有罪なりや、否やを研究し、若し被告の有罪が完全に立證せられなかった場合、陪審官の下すべき判決は一つより無い事を御記憶願ひます。」
陪審官一同は三十分に亘る審議を重ねた後、被告に對し聊かの假借なく有罪を決定した。飽迄も寛大な處置に出でんとしたダーリング裁判長も茲に至っては、死を表徴する黒帽子を被るより他なかった。彼は悲痛な面持ちで最後の宣告をした。
「ステ一ニイ・モリソン、汝は慎重な審議の結果、謀殺犯人として有罪を認められたのである。汝の爲に有利なる總ての點及び言論が法廷に提出されたにも拘らず、陪審員一同は凡ゆる證據が汝の有罪を指すものであるといふ結論に一致したのである。汝は當夜一人或は共犯者と共に、レオン・ベロンを殺害したるものと認められた。
汝はいふ可き事あらば、汝の弁護人及び法律家の助言を求めるより他はない。余は汝に對して何事もいふ權利を持たない。余の役目は法律に基く判決を宣告するだけである。即ち汝は刑務所に連れ戻され、そこより死刑執行所へ送られ、汝の身體が死に至るまで、汝の首を絞められるのである。余は汝の靈魂の上に神の慈悲あらん事を祈る。」
宣告が終った瞬間、モリソンの口から一陣の疾風の如き言葉が迸った。
「慈悲なんか眞平だ! 俺は神の存在なんか信じないぞ!」
無罪を主張する被告人
この事件は大審院にまで提出されたが、竟に第一審の判決を動かす事は出來なかった。然るに死刑執行期日が決定した時に至って、内務大臣は特赦令を適用し、罪一等を減じてモリソンを終身刑とした。
倫敦市民は内務大臣の生温い處置に對して囂々(ごうごう)たる不滿の聲を放った。若しモリソンが兇惡なる罪を犯したものなら、須く死刑に處す可きで、又無罪であるなら即時放免すべきである。然るにモリソンの場合何故の終身刑ぞ。
モリソンは死刑執行中止と聞いて極度に憤慨し、死刑か然らずんば放免せよと叫んで、終身刑に服す事を拒んだ。
彼はプリンストンの刑務所へ移される時、停車場の入口で護送車の中に坐ってしまひ、どうしても動かうとはしなかった。看守達が無理に腕を掴んで引摺り下すと、彼は激しく抵抗しながら、集り來った群衆に對ひ、
「奴等は囚人をかくの如く扱ふのだ! 俺は紳士だ。それだのにこんな目に遭はせる!」と絶叫した。
刑務所へ着いてからも、彼は頭髪を刈るのも、衣服を着換へるのも拒んで、看守人二人を撲り倒したので數人が力を協せて、無理に囚衣を着せた。
モリソンは食器を牀へ叩付け、食ふことも口を開くことも拒み、無罪を叫びながら、千九百二十一年斷食自殺を遂げてしまった。
一部の識者達は、モリソンが英國法廷において未だ嘗て見られざる苛酷な待遇を受けたものとした。夫等の人々の推定に依ると、この事件の背後には次のやうな事實が伏在してゐた事になる。
モリソンはベロンを殺害した犯人ではなく、恐らく無意識の裡にベロンを殺す手引をしてしまったに違ひない。彼はベロンを恐喝して金を強請る目的で、二人の相棒の手に渡したので、彼自身はベロンが殺害される等とは夢想だにしなかった、金貨入りの革袋を持った男が惨殺死體となって、野原の草叢に遺棄されたといふ事實は、翌日仲間に會って初めて知ったに違ひない。
モリソンは窃盗罪で入所して以來、二人の恐喝常習者と知合になり、警察の眼を掠めて不正な稼ぎをしてゐたといふ事である。
その仲間の中の一人は、いつも女装して街の天使の役を勤め、もう一人がその亭主となり、モリソンは椋鳥を捜して彼等に渡す役割を演じてゐた。
彼等はベロンの金貨に目をつけ、只管機會を狙ってゐたのである。吝嗇で獨身者のベロンは余り金のかゝらぬ女を物色してゐたに違ひない。
モリソンは大晦日の晩、ベロンと連立って露西亞料理店を出た事は事實だが、問題の鐵棒は所持してゐなかった。これは給仕人ミンツが喧嘩の意趣返しに捏造したものであった。
モリソンは女を世話するといふ口實の下にベロンを緑ヶ岡附近の女の家なるところへ案内し、自分は直ぐ歸宅してしまったに違ひない。一方ベロンと變装女性が一緒にゐるところへ、女の亭主と稱する男が飛込み、そこで事件が起ったものであらう。何しろベロンは喰ふものも喰はずに金を溜込んでゐた男で、相當腕自慢だったから、をめをめ金を強請り取られてはゐなかった。從って彼等の間に激しい格闘が行はれた。
「S」字型の傷痕はスパイとは何等の關係もなく、ベロンが無政府主義者と貸借關係のあった事を知ってゐた犯人が、最近のシドニイ街事件を結び付け、同志を裏切った爲に受けた制裁の如くに見せかけ、警察の捜査方針を誤らせようといふ奸策だったに違ひない。
最初から殺害の計畫を持たなかった彼等は、犯行後屍體の處分に當惑した揚句、クラバム北方の緑ヶ岡附近の草叢に遺棄していったものであらう。
モリソンは分配金を貰ふ爲に豫め約束してあった何處かで待合せてゐたのだが、仲間が來ないので待ち疲れて一旦下宿に戻って眠ったものと見える。シナモン夫人は彼が十二時歸宅するのを見届けた後、玄關の扉にかんぬきを掛け翌朝自分がそれを外すまで同じ状態であったといひ、モリソンの寝台に明かに彼が寝た形跡があったと證言をして、彼の現場不在證明を立てたが、モリソンは一旦下宿へ歸り、主婦が就寝してから外出し、歸って來てから又元通りかんぬきを掛けて置いたらしい。
主婦は日頃耳敏いゆゑ、夜中に誰か出入すれば氣が付く筈だと證言したが大晦日で平生より遅くまで起きてゐた彼女は寝入端で前後不覺に熟睡してゐたものと見える。
モリソンがベロンを馬車で緑ヶ岡附近まで送っていったかも知れないが、セブンシスター街へ彼を乗せていったといふ馭者は、人違ひをしたのであらう。
元旦匆々、モリソンが露西亞料理店へいって、晝間自分と一緒に食事をした二人連れの男が、自分を捜しに來なかったかと訊ねたのは、分前を呉れる筈の二人の仲間が、自分を撒いたのではないかといふ不安があったからであらう。
注)明かな誤字誤植などは修正しています。読点は追加したところがあります。
注)文字のゆらぎはそのままにしています。「弁」「所」「台」など当時の略字が使用されている部分は原文のまま使用しています。「緑ヶ丘」「緑ヶ岡」は原文のままとしています。
注)推定される根拠は不明、真偽は不明です。
「間諜王レイリイ」
怖れを知らぬ男
「話」 1934.02. (昭和9年2月号) より
發覺
世界大戦中はいふに及ばず、革命露西亞の背後に暗躍して、幾度か生死の境を潜った英國陸軍大尉レイリイは剛膽無比の鐵人、間諜中の間諜として知られてゐる。
バルカン半島に風雲が低迷し始めた當初から、軍事探偵として獨墺に潜入し、戰線に砲火を浴びる以上の危險に身を曝してゐたレイリイ大尉が、任務を果して五年振りに倫敦へ歸ると、直に露西亞行を命ぜられた。當時彼は男盛りの四十六歳であった。
父を英國人に、母を露西亞人にもった彼にとって、露西亞は第二の故郷である。そこには朋友知人が澤山ゐた。それだけにスパイとしての彼には一層の危險性が伴ってゐた。
英國陸軍大尉レイリイと名乗って、正面から入露した彼は、到るところに附いて廻る嚴しい特警察(テーカ)の眼を遁れる爲に、同志Gと莫斯科へ赴いた折、影武者をこしらへて、Gと共にペテログラードへ發足させ、自身は其場で消えて了った。
新たに生れた露西亞人コンスタンチンは、女優ダグマラのアパートを本部として活動を開始した。そこにはダンスを習ふ娘達や、ピアノ彈きが出入りした。ピアノ彈きフリード嬢の兄は赤露軍要路の將校であるが、實は帝政派の一人であったので、軍機の秘密は彼女の譜本の間に挾まれて、レイリイの手に渡ってゐた。
或日、レイリイの不在中に、突然特警察の手入れがあった。女優は早速の氣轉で、證據書類をヅロースの中へ押込み、辛うじて危機を脱した。然るにフリード嬢は豫てからの警告を無視して、アパートの前に自動車が停ってゐたにも拘らず、そこへ入ってきた爲に、抱へてゐた譜本が特警察の手に渡り、その場で逮捕された。彼女とその兄が石壁の前で銃殺された事はいふまでもない。
本部を喪ったレイリイは、ペテログラードへ舞戻り、特警察内に潜入してゐる同志の斡旋で、特警察の役人、黨友レリンスキイと成った。彼は警察官の旅券を利用して、ペテログラードと莫斯科の間を盛に往復し、帝政派の同志と策動して革命一周年記念日を期して莫斯科を占領する計畫を樹てた。當時莫斯科には六萬人からの白露軍が散在してゐた。
紀念日(※ママ)にはグランド劇場で、レニンとトロツキイが演談に立つことになってゐたので、突如白露軍をもって劇壇を包圍し、レニンとトロツキイを生擒にして、市街を引廻し大示威運動を行ふ手筈であった。ところが紀念講演會は政府の都合で一週間延期となった。
そんな事とは識らずに、ペテログラードで首尾を待ってゐたレイリイの許へ、同志から、
「醫者が手術を急ぎ過ぎたので、患者の容態が惡化した。直ぐ來て呉れ給へ。」といふ電話がかゝってきた。
彼が指定の場所へゆくと、莫斯科から猶太人の連絡員が來てゐて、
「一週間の延期に、逸りきった同志は待ちきれなくなって、政府の大官を暗殺した事からすっかり事が毀れて了ったのです。莫斯科は血の海です。女も子供も、ブルジョアは片端から血祭りにあげられてゐます。貴殿の事も破覺(ば)れて了ひましたから、すぐ消え失せて下さい。」といふのであった。
獅子の口
レイリイは姿を消す前に、英國大使館附武官クロミイ大尉に會ふ用件があった。電話で打合せをして指定のカフェで落合ふ事になってゐたが、どうした譯か、約束の時間を一時間も過ぎても、クロミイ大尉は姿を見せなかった。レイリイは不審に思って、大使館へゆくつもりでカフェを出ると、急に街が騒がしくなった。
赤兵を滿載したトラックが、銃劍の林をつらねて往來の人々を蹴散らすやうにして幾臺も幾臺も疾走してゆく。群衆と一緒にその後を走っていったレイリイは、赤軍に包圍されてゐる英國大使館の惨憺たる光景を見出した。英國々旗は引下され、窓ガラスは滅茶々々に破壊され、玄關の扉はぶらぶらになってゐる。
突然、誰かゞ、レイリイの肩を叩いて、
「おい、レリンスキイ、謝肉祭を見物に來たのかい。」といった。それはレイリイが警察官になってゐた頃の同僚であった。
「一足違ひで、面白いところを見損くなって殘念だった。一體どうしたんだね。」
「ほう、知らないのか、莫斯科で陰謀をやった英國の馬鹿野郎、レイリイ大尉といふ奴が大使館に潜伏してゐるだらうといふんでね。」
「捉へたかい。」
「さァ、委しい事は知らんが、こゝにゐた野郎は殘らずしょっぴいていった。クロミイ大尉とかいふ生命知らずが、たった一人、階段の上に頑張ってゐやがって、二挺拳銃で大分捜索隊を怪我させやがったが、野郎も彈丸がつきてお陀佛になったさうだ。」
レイリイはこみ上げてくる悲痛を哄笑に紛らせて其場を立去った。彼はもう一度莫斯科へ戻って、同志の消息を探る決心をした。Gはそれをきいて、
「レイリイ大尉の首級には莫大な賞金が懸ってゐる。今莫斯科へゆくのは、獅子の口中へ飛込むやうなものだ。」と忠告した。
「獅子の口から遁れるのはむづかしいかも知れないが、飛込むのは造作ない。」とレイリイは同志の危惧を一蹴した。
彼は偽造した旅券をもって停車場へ赴いた。改札口には一隊の赤衛軍が控へてゐて、人々の旅券に檢閲してゐる。眞青になった旅客達は、呼吸づまるやうな沈默の裡に、番のくるのを待ってゐる。レイリイの側にゐる男は齒をかちかち鳴らしてゐるし、背後の女は絶えず祈りつゞけてゐる。
軈てレイリイの番がきた。彼は右手をポケットに突込むで拳銃を握りしめ、左手で旅券を係官に突付けながら、相手の顏をぢっと特警察の眼で睨むだ。――赤兵の假面を被ってゐたって、中には英國から賄賂を貰ってゐる奴がないとも限らない――といふ疑惑を籠めた眼である。
特警察の執念深さは誰でも知ってゐる。係官は落着かない様子で眼を外し、碌に旅券も檢ないで、
「黨友レリンスキイ、通ってよろしい。」といった。
レイリイは莫斯科の一つ手前の驛で汽車を辷り下りた。彼は臨檢のあるのを知って列車の下を最後部まで這ってゆき、發車と同時に土手下の樹木に飛移った。そしてその村落から馬車を雇って莫斯科へ潜入したのである。
その前夜、これまでレイリイが様々な僞名と變装で泊ったことのある同志の家は、三十ヶ所まで特警察に襲はれ、老弱男女の血を流した。レイリイは一ヶ所には決して二晩とは泊らない事にして、自分の使命を果してゐた。數日間食物もなく、空家に過した後、やうやう友人のアパートに迎へられて、久振りでぐっすりと眠った彼は、翌朝匆々自動車の音に目を覺した。
特警察の家宅捜索である。階下の部屋から順々に檢べてくる。荒々しく扉の開閉する音、恐怖に怯えた女達の叫聲、佩劍の音などが、次第に近づいてきた。
一行は竟に隣室まできた。乗るか、外るか、レイリイは素早く外套を着て階段を下りていった。玄關の左右に番兵が二人、煙草を吹かしてゐた。
レイリイはつかつかと側へいって、ポケットから煙草を取出し、
「黨友、濟まんが、火を貸してくれんか。」といった。番兵は何の疑ふ様子もなく、マッチを差出した。
「有難う。」レイリイは紫煙をあげながら、悠々とそこを出た。
脱出
莫斯科の仕事を濟したレイリイは、獨逸大使館で豫約を解除した列車の切符を利用して、うまうまとペテログラードへ舞戻った。そんな事とは知らずに二人の獨逸兵がプラットフォームに出迎へてゐたので、彼は大使館員に成り濟まし、檢閲なしで停車場を出た。
ソビエット政府では、レイリイ大尉を莫斯科事件の首魁と目し、缺席裁判を行って死刑の宣告を下した。何時、如何なる場所に於ても發見次第、刑の執行をせよといふ事になってゐたにも拘らず、レイリイは依然として白晝雜閙の裡に現はれ、或は深夜の裏町を徘徊してスパイの活動を續けてゐた。
彼の巧妙な變装に、適々路上で行會ふ友人等さへも、氣付かずに過ぎて了ふので、すっかり安心してゐると、或時、突然、
「もし、レイリイさん!」と呼掛けるものがあった。レイリイは見向きもしないで、平然と歩き續けた。背後に追迫った男は、
「ご心配なさるな、私は同志ですぞ! ×街×番の家に、三十分後!」と囁くなり、群衆の中へ紛れ込むで了った。
レイリイは迷った。果して同志であるか? 夫とも特警察の罠か? 彼はその時、どうしても露國を脱出しなければならぬ或任務を帶びてゐたのが、運命の骰子を振る心算で、教へられた家を訪ねた。そこで見出したのは、思ひ掛けぬ舊友の理髪師であった。
「儂は貴殿の後頭部を一目見て看破しましたぞ。逃げなされ。汽車へ乗るのも、道路を歩くのも危險ですぞ。到るところに貴殿の人相を知ってをるものが出張って、鵜の目、鷹の目で捜してをります。貴殿が獨逸人になってこの地に入った事も知れてをります。あの時、貴殿を通過させた改札係は死刑になりましたぞ‥‥‥‥だが、儂に任せなさい。水路で貴殿を落延びさせてあげますから。」
そんな譯で彼はレイリイをポーランドの商人B氏に紹介した。B氏は通商の爲に發動汽船で河を遡ってきたのであった。彼はレイリイを自分の船に乗せる事を快諾した。
翌晩、レイリイが霧の波止場へ出掛けてゆくと、闇の中から現はれた男が、
「もし、もし、この船には檢閲官が乗ってをりますから、それが下船するまでは乗ってはいけません。」といった。その男は機關士であった。
「檢閲官はいつ下船するのです。」
「船が出帆する時に下りる筈です。昨日も妙な男が來て、いろいろな質問をしてゐましたし、今日は檢閲官がきて、出帆まで動かないと頑張ってをりますから、この船は睨まれてゐると見えます。」
「では、一體私は何時乗船するのです。」
「檢閲官が下船すると同時に。」
「檢閲官が私を見たら?」
「決して見る事はありません。今B氏が相手に浴びる程酒をすゝめてゐます。」
軈て問題の檢閲官が、ぐでんぐでんに醉拂って、B氏に扶けられながら梯子を下りてきた。レイリイはB氏が檢閲官と肩を叩き合って別離の挨拶をしてゐる間に船へ乗込んだ。
永久に消えた彼
夫から五年目一九二三年巴里の旅館に忽然と現はれたレイリイ大尉は、神話の中の英雄のやうに、驚異と憧憬をもって迎へられた。數多い崇拝者の中に、英國の女優ベピタ嬢がゐた。
鐵人レイリイ大尉と、美姫ベピタとは初め旅館の廣間で顏を合せた瞬間から戀人同志となった。二人は一週間後に結婚し、相携へて倫敦へ歸った。
幸福な結婚生活が約二年續いたレイリイ大尉は官職を退き、私人として白露再擧の策動をしてゐた。
或晩ベピタが眼を覺すと、レイリイが月光の射込む窓際に佇むで、往來を凝視してゐた。傍へいって見ると、彼は輕い鼾を立てゝ眠ってゐるのであった。ベピタは良人をそっと寝臺へ連れ戻った。その時、眼を開いたレイリイは、妻の手を堅く握って、
「どうか、お前は決して露西亞へゆかないと誓って呉れ。假令、私からどんな手紙がきても決して露西亞へ入ってはならない。」といった。
そんな事があってから間もなく、白露系の同志と稱する顎髭の男が訪ねてきて、レイリイに露西亞へ渡って彼等のリイダーとなる事を懇請した。それに反對してゐたベピタは一週間目にその男が露國へ歸ってゆくと聞き、重荷を下したやうな氣持で停車場へ見送りにゆく良人を出してやった。
すると、間もなく、見知らぬ男が慌しく玄關を叩き、レイリイが途中で怪我をして病院へ運ばれたと告げた。
ベピタは取るものも取りあえず、その男の乗ってきた自動車に同乗したが、途中までいった時、自分が誘拐されつゝある事に氣付き往來に向って救助を呼んだ。自動車は周章てゝ速力を出した爲に、曲り角で轉覆し、ベピタは最寄りの藥劑師の家へ擔ぎ込まれた。そんな災難が幸して、レイリイの愛妻は誘拐を免れた。
或日、レイリイ夫妻が揃って玄關を出ると寫眞器をもって物蔭に立ってゐた男が、不意に二人を映して逃去った。それが特警察の廻し者であった事は後になって知れた。同志と稱して彼を誘ひにきた顎髭の男も、矢張り特警察の一人であった。レイリイの身邊には絶えず特警察の影が附纏ってゐた。けれどもレイリイは飽迄も男の意氣地を棄てなかった。
彼は獨逸の發明家から毒瓦斯の發明を買取る爲に伯林に赴き、そこで落合った二三の同志と、何事かを謀って露西亞へ入ったきり、杳として消息が絶えて了った。
ベピタが最後に受取った手紙は、一九二五年九月二十二日附で、五日後には歸國すると記してあった。
或者は特警察に暗殺されたといってゐる。或者は某刑務所の病院に収容され、比較的優遇されてゐると傳へてゐる。
ベピタは眞相を掴む手段として、佛蘭西のタイムス紙に、レイリイ大尉は某月某日ソビエット政府に捕へられ、銃刑に處せられたと發表して見たが、ソビエット政府は夫に對して何等の訂正もしなかった。(完)
注)明かな誤字誤植などは修正しています。句読点は追加したところがあります。
冒險實話「四五一列車の冒險(冒頭第一章+αのみ)」
英國間諜ビル大尉の手記
「オール讀物」 1934.04. (昭和9年4月) より
ルーマニアの財寶
十二月の吹雪の午後、ルーマニア大使から、折入って頼みたい用件があるから、大使館まで御足勞を願ひたいといふ電話がきた。
私とボイル大佐とは、直に自動車を大使館へ飛ばした。
ボイル大佐は黄金狂時代に金鑛を掘りあてた加奈陀の千萬長者で、彼は金の自由が利き私は語學の自由が利くところから、同じ秘密の使命を帶びてゐる吾々は、相提携してソビエット露國に暗躍してゐたのであった。
大使は吾々を客間に迎へて、ルーマニアとソビエット政府との間が近來圓滑を缺いてきて、何時國交が斷絶するやも知れぬ状態に陥ってゐる旨を打明けた。
「實はブカレストが陥落した時、ルーマニア政府は王室の寶石類及び國庫紙幣全部を露國に保管して貰ったのです。現在夫等の財寶は莫斯科にあるのですが、新政府は何も彼も没収するらしい方針ですから、わがルーマニアの財寶も危機に瀕してゐる譯です。現在のルーマニアは極度に疲弊してをりますので、一刻も早く夫等の品を取戻さねばならないのです。それでお願ひといふのは、例令一部分でもよろしいから、貴殿方のお力によって、その財寶を露國から運び出して頂きたいのですが、如何でせう。」
吾々は事の重大さに顏を見合せたが。、憂慮に打沈むでゐる大使の様子に動かされて、互ひに一肌脱がうぢゃァないかといふ氣になった。
「成功するか、どうかは斷言出來ませんが、若し吾々を絶對に信用し、無條件でその貴重品を托して下さるなら、吾々は生命を賭してやって見ませう。」とボイル大佐がいった。
「感謝に耐へません。これが成功すれば貴殿方はルーマニアの救ひ主です。ルーマニア國の存亡は實にその財寶に懸ってをるのです。」
吾々の手を堅く握った大使の眼には涙が光ってゐた。
當時のルーマニアが如何に苦境にあったかといふ事は、大使の言を俟つまでも無かった。
ルーマニアは聯合軍に参加して數週間と經過ない中に、露軍の總退却によって孤立状態に陥り首府ブカレストは忽ち陥落し、現在ではジェシイ市に首府を移して纔(わずか)に餘命を繋いでゐた。それ以上獨軍の進出に遭へば、露國内に避難するより他に途はなかった。然るに母親の懐中のやうに恃むでゐた露國は、革命以來狼と變じて、機會さへあればルーマニアの羊を丸呑にしようとしてゐる。
其晩、吾々は専用列車でペテログラードを出發した。吾が四五一列車は曾つてニコラス皇帝の御召列車であったのを、ボイル大佐が莫大な金を投じてソビエット政府から購入したものであるから寝臺車、食堂車、用度車等善美を盡してゐた。
車掌のイワンは御召列車時代から専属してゐた男で、ソビエットを蛇蝎の如くに憎むでゐる。この度の冒險にはどうしてもこの男を手馴けておく必要があると思ったので、私は折を見ては彼に話しかけた。中々頑固な男で、他國の平民共に使はれてゐるのが心外だといふ様子で、何をいっても、
「いゝえ。」とか、「はい。」とかいふ計りで、碌な應答をしない。酒をすゝめれば、
「儂は基督教徒ですから酒は絶對にやりません。」とくる。煙草も吸はないといふ。然し手を變へ、品を替へてゐる中に、段々打解けてきて、
「そんなに御親切に仰有って下さるなら、毎日角砂糖を一個づゝ頂かせて下さい。」といった。その頃の露西亞では砂糖は非常な贅澤品で、金を出しても滅多に手に入らなかった。
私は彼の希望を叶へた計りでなく、鞄の底に藏っておいたチョコレートを一罐持っていってやった。砂糖蟲のイワンは眼を輝かして、「儂に下さるんですか!」と溜息をした。それ以來、私とイワンとはすっかり友達になった。
領事の危惧
莫斯科駐剳のルーマニア領事は、大使の處置を快く思はぬらしく、
「王冠の寶石は冬宮(クレムリン)の金庫に入ってをりますし、其他の寶石紙幣及び外交書類は國立銀行の金庫に保管されてゐますから現在のまゝにしておく方が安全だと思ひますがね。」といった。
「紙幣の額面は?」
「四百萬磅です。恐らくソビエット政府は引渡さないでせうよ。」
「渡すか、渡さぬかは吾々の掛合次第だ。君等は大使の命令通りに動いて呉れゝばよろしい。愚圖々々してゐると後悔しますぜ。」
吾々は捨科白を殘して領事館を出ると、その足で莫斯科の長官ムラロフを訪問した。吾々は曾て飢餓に瀕してゐた莫斯科の爲に食料を供給した上、渾沌としてゐた國内の運輸機關を恢復整理に盡してやったので、ムラロフはその事實を繰返して感謝した。
「お言葉につけ込む譯ではありませんが、今度は吾々がお願ひに上ったのです。他でもありません。莫斯科に保管してあるルーマニアの寶石、紙幣及び外交書類、夫から赤十字社所属品等を、吾々に引渡して頂き、且つそれをジェシイ市まで運ぶ許可證を頂きたいのです。」と私は單刀直入に用件を語った。
「承知いたしました。儂一個の考へでは確答は出來ませんが及ぶだけの事をして、明日御返事を致しませう。」とムラロフは答へた。
翌朝、再度の訪問をすると、ムラロフはにこにこしながら一切の必要書類を手交してくれた。
(略)
驛長の電話
(略)
檢閲
(略)
雪中の立往生
(略)
七面鳥事件
(略)
逮捕命令
(略)
脱出
(以下略)
注)明かな誤字誤植などは修正しています。
注)句読点の追加、会話開始の改行変更をしているところがあります。
注)本作品は題絵の部分にのみ「英国間諜ビル大尉の手記」とあります。翻案の可能性が高いので一部のみとします。
漂流綺譚「氷山を齧る」
「オール讀物」 1933.11. (昭和8年11月号) より
霧の壁
英領ニューファンドランドの沿岸に住む漁師達は、鱈漁を唯一の職業としてゐる。彼等は獲物の大小を問題としない。鱈の群さへ見付ければ何處までも追っていって、天と海に感謝しつゝ、勇ましい魚勞に寝食を忘れて働くのである。その癖、漁師達の述懐を聞くと、「結局、漁期が濟んで陸へ上る時には、元の默阿彌で空の財布をもって出た奴は、空の財布をさげて歸るんでさァ。」
といふのであるが、先祖代々漁師に生れついた海の子等は、都會の給仕の月給にも足りない程の給金で、一隻の平底船(ドリイ)に運命を托し、寒風怒涛と闘ひながら、其日々々の糧にありつくだけで滿足してゐるのである。世界の何處かには鱈成金が豪勢な生活をしてゐるに違ひないが、北の端(はて)に住む漁師達は、そんなことには全く無頓着で、毎年幾百の親船に乗込むで、一年の大部分を海上に過すのである。
縱帆船(スクーナー)クリーザー號が十九名の漁師を乗せて、幸運灣を出帆したのは千九百二十七年の早春、まだ肌寒い風が海面を吹き荒れてゐる頃であった。
甲板には七隻の平底船が積むである。漁師等は沖へ出てからそれ等に二人づゝ分乗し、親船を後に、帆をあげたり、或は櫂をとったりして釣場を變へながら、時には二哩も、三哩も先まで出てゆくのである。魚の寄りの良い時は朝から日没まで、幾度も繩を流しては獲物を滿載して親船へ戻り、夜は夜で遅くまで赤い火影の下で、魚を割いたり、鹽漬にしたりする。
さうした慌しくも、單調な日が幾ヶ月か續いた六月二十七日、チャールス及びジョージを乗せた船は、親船を離れて渺々たる海へ乗出した。
「もう何といっても夏の初旬だ、そろそろ故郷も良い季節になる。斯うして年がら年中、沖へ出て、けだものゝやうになって働いてゐるのは樂ぢゃァねえな。」大男のチャールスは鉛色の海を渡ってくる軟風に帆をはりながら呟いた。
彼は五十年間、身も魂も荒海で鍛へあげた六尺豐かな巨漢。郷里には八十五歳の老父、八十七歳の老母、それに若い妻と、四人の子供が待ってゐる。彼が漁期を終へて歸國する頃には、末の子供は、もうちょこちょこ歩いてゐるに違ひない。そして久振りで歸った父を他人のやうに白い眼で見て、兩手を差出すと、羞むで泣出すかも知れない。そんな事を考へて、和やかな微笑と共に、ほろ苦い涙を覺えるのであった。
「俺の家は賑かだぞ、俺が歸ってゆくと、八人一束になってわッと突貫してきやがる、子供って奴はゐれば煩いし、ゐなければ淋しいもんだ。」とジョージがいった。彼はチャールスより一つ下の四十九歳、體躯は小さいが、春の海のやうに洋々とした性分、生れつきの樂天家である。
チャールスの家は幸運灣の對岸にあるプールスコープで、村といっても僅七軒より人家のない寒村である。ジョージの家はそこから更に二十哩も奥へ入った僻地で、文明とは凡そ縁の遠い土地である。然し彼等にとってはそんな土地でも懐しい憧れの故郷である。二人は親船から一哩程のところに錨を下し、繩を流して一旦本船へ戻った。そして午後三時に再び平底船を下して繩を引あげる爲に現場へ向った。すると十五ヤードもゆかない中に、猛烈な霧が襲ってきて、鼠色の壁のやうに小船を圍むで了った。
「惡いものが現てきやがったな。引返してこいつが霽れるのを待つとするか。」とチャールスがいった。
「だが、一本みちだ。今頃は喰ってゐる潮時だから、一走りいってあげてこようぢゃないか。」ジョージがいった。
彼等は霧の恐ろし事を知ってゐるが、下してきた繩の獲物をみすみす棄てるのも惜しかったので、そのまゝ前進した。
「いけねえぞ! 櫂をもってゐるお前の手が見えなくなってきた。」チャールスは不安氣に呟いた。
「だが、こゝまで來ればもう半分以上だ。ぢき浮標が見付かるだらう。」ジョージは自信をもって答へた。
けれども、それから一時間餘も櫂を操ってゐた彼等は、終に流し繩の浮標を發見する事が出來なかった。
「おかしいぞ! 見當が違ったのかな……兎に角この邊で見切りをつけて、親船へ戻らうぢゃねえか。」
「その方が利口だな。」
その頃から微風がそよぎ始めたので、帆をあげて親船の方向へ進むだ。夫から數時間、彼等は往きつ、戻りつ、親船の鈴の音を聞出そうと努めたが、霧の壁の中には何にも聞えてこない。
「到頭迷子になったのか。」
「相手は氣まぐれの霧だ。どんな風の吹き廻しで急に霽れないとも限らない。」
「案外、親船を通り越して陸の近くへきて了ったのかも知れない。」ジョージの樂天説である。
「度胸を据えて、この邊に錨を下すか。」
彼等は帆を下して、船底に體躯を伸し、ゆるゆると霧の霽(あが)るのを待つ事にした。
その中に四邊は暗くなって、帆綱をうつ風が段々勁くなってきた。けれども霧の壁は微動だにしない。二人は番犬のやうに折々頭を擡げて耳を欹(そばだ)てたが、聞えてくるのは船縁を洗ふ波の音ばかりであった。
ポケットの天祐
懶い一夜が明けて、鈍い暁の光が射してきたが、霧は一層密度を加えてゐた。二人は起上って朝食代りに堅パン一枚づつ囓った。彼等は膝まであるゴムの長靴を穿き、毛糸のスエーターの上に桐油合羽を着て、厚い毛の手袋をはめてゐた。
平底船は縱十六呎、幅は中央部で五呎、大檣帆と三角帆、流し繩を入れる孔のあいた桶、羅針盤、櫂五挺、それに非常時の糧食として二十個の堅パンが備へてあるだけで、飲料水の用意は一滴もなかった。「一層、帆を張って聖ジョンス灣へ突っ走らうではないか。」といふチャールスの提案にジョージも賛成した。
親船の位置も判らないのに、いつ迄も同じ場所にとゞまってゐるのは智慧のない話である。空漠たる大海に一帆船を捜すよりも、所在の確かな陸地に向ふ方が遥かに容易である。そんな譯でチャールスは船尾の櫂を執り、ジョージは前方の櫂を執った。高く掲げた帆は強い風を孕むで、小船は海上を辷り出した。
海は次第に荒れてきた。折々、大きな波浪が船縁に碎けて二人とも頭から潮水をかぶった。その度に船底に溜る海水を掻出さねばならなかった。
「うむ、いゝものがある。すっかり忘れてゐた。」ジョージは思ひ出したやうにポケットを探って、板になった噛煙草を取出し、一片を切ってチャールスに與へ、自分も一片を口へ入れた。彼等は終日、見通しのつかない濃霧を睨みながら、煙草を噛みつゞけてゐた。それは二人にとって何ものにも勝る慰藉(なぐさめ)であった。
夜がくると、チャールスは、
「いつ迄この状態が續くやら判らねえのに漕いでゐたって仕様がねえから、一憩みしようぜ。」といひ出した。
「さうだ。帆だって疲勞れるだらう、櫂も帆も、俺達も、樂々と骨休みをして、潮流(しお)のまゝに流れるんだな。」ジョージはごろりと横になると、まるで自分の家へでも歸ったやうに、高鼾をかき始めた。
チャールスは相手の呑氣さを羨みながら帆檣に凭りかゝり、闇を透して東の白むのを待った。
風はいよいよ加はり、波浪は刻々と高くなってゆく、山のやうな怒涛が幾度か、眠ってゐる者も、起きてゐる者も諸共に洗ってゆく。一度は大波が櫂を二挺攫っていった。
再び新らしい日が餓渇をもって迫ってきた。チャールスは罐から堅パンを二枚掴み出して欠伸をしてゐるジョージに渡し、自分は破片を頬張って横をむいてゐた。彼はジョージより自分が柄も大きいし、耐久力があると信じてゐた。それにジョージには子供が八人もゐる。四人の子供を喰はせるよりも、八人の子供を喰はせる方が大變だ。自分だって、むざむざ死にたくはないが、この際ジョージを一日でも生延びさせてやらなければならないと考へてゐた。
「さァ、そろそろ出掛けようぜ。」チャールスは羅針盤を覗きながら進路を定めて帆をあげた。
二人は終日、波浪の飛沫を浴びながら、霧を衝いて進むだ。船尾に陣取ったチャールスは默りこくって海面を睨みつけてゐた。霧を裂いてむくむくと巨濤が盛上ってくる毎に、彼は仁王のやうに櫂を振上げて、發止と、波がしらを叩き割るのであった。
「もうそろそろ諦める時かな。」ジョージが心細いことをいひ出した。
「諦めるなんて文句は、俺は大嫌ひだ。そんな情けないことを云はないで、もっと元氣を出せよ。」チャールスは吐出すやうにいった。
「何しろ、腹が空ってやりきれねえ、チャールス、お前よく我慢してゐられるな。」
「俺は我慢なんてしてゐるもんか。さァ飯だ、飯だ。」チャールスは又しても罐から堅パンを出して相手に與へた。自分は粉屑を口へ入れて食べる眞似をした。ジョージは初めてそれと氣付いて、
「おい兄貴、お前は喰はねえぢゃァねえか。」と咎めた。
「さうさ、お前の分けて呉れた煙草が、俺を一生涯滿腹にして呉れたもの。」チャールスは元氣よく笑った。
夜がきた。その日も到頭、船影も、陸地も見えなかった。帆を下すと、ジョージは桐油合羽を頭からかぶって、さっさと寝て了った。今にどうにかなるだらうといふ氣持が、彼をよく眠らせた。それと反對に何とかしなければならないといふ氣持に追はれてゐるチャールスは、いつも耳を欹て、眼を瞠って夜を明すのであった。
第三日目も彼等は濃霧に鷲掴みにされた形であった。帆を鳴らす惡鬼の叫びをきゝ、後から後から霧を破ってくる波濤の牙を眺めながら過す希望なき一日を慰めるものは、僅に一片の噛煙草だけであった。
「どれ、一服、ご馳走になるかな。」とチャールスがいふと、ジョージは待ってゐましたとばかりに、ナイフを出して板タバコを削るのであった。
「全く、俺がこの煙草をポケットに入れて出たのは天祐だったな。」
「お前のポケットに天祐が轉ってゐたやうな鹽梅に、大西洋の上にも幸運が轉ってゐてくれゝばいゝが……」とチャールスがいった。「今日中に陸が見えないと、俺達はもう永久に陸を見る事が出來ねえ譯だ。さうと極りゃ、齷齪して精力を消耗するよりも、出來るだけ身體を樂にしておく方が得策かも知れねえぞ。」
「今からそんな弱音を吹くな。闘へるだけ闘はうぢゃァねえか。」
「弱音を吹く譯ぢゃァねえが、果報は寝て待てといふからな。」ジョージは、又しても合羽を引被って、ぐうぐう眠って了ふのであった。
生命の泉
濃霧の帳は永久にあげられる事はないやうに思はれた。四日目には稍々風が凪いだゝけで、鼠色の壁は動かなかった。二人とも咽喉の渇きに喘ぎ出した。見渡す限り水ばかり、けれども彼等は海水を飲むことの危險を知ってゐた。
「俺は何だか、咽喉の内側が干鱈の皮みたいになったやうな氣がするぜ。」ジョージは渇いた舌を出したり、引込めたりして唸いた。
「俺は頭と尻尾と兩方から責められてゐるんだ。舌はからから、足はづきづきだ。」チャールスは顰め顏をして、ゴム靴の上から足を撫でゝゐる。
「兄貴、一層その靴を脱いだらどうだい。風にあてたら疼痛が抜けるかも知れねえぜ。」
「俺も、さう思ふんだが、靴がへばりついてゐて、脱れてこねえんだ。」
「どれ見せな。あゝ、これゃいけねえ、お前の足はゴム靴の中で、ふやけて了ったんだぜ。このまゝにしておくと、足が腐って了ふ。」
「この靴の野郎は、買った時から、少しばかり小さかったんだ。餘り無理をしたんで、むくんできやがったのかな。」
「よし、俺が脱がしてやる。」
ジョージはチャールスの長靴に兩手をかけて引張った。
巨人チャールスも流石に苦痛に耐へかねて、
「鳥渡待って呉れ、一呼吸入れないことにはやりきれねえ。」と幾度も中休みをしたので、兩脚の靴を脱がせる作業は三時間以上かゝった。
チャールスは腫上った足を海水で冷し、いくらか疼痛がひくと跛をひきながら帆を張った。
其日の夕方、二人は最後の煙草を噛むだ。
「これぜ贅澤のしをさめか、情ねえことになったもんだな。」
チャールスは好きな煙草に別れるのが何より辛かった。
「全くだ。人生樂しみが無くなってはお終ひだ。これぢゃァ生きる甲斐もなからうぢゃァねえか。」ジョージは如何にも人生に見切をつけたやうに、又しても、例の桐油合羽をかぶって寝てしまった。
チャールスは落窪むだ眼を瞠ったまゝ朝を迎へた。二人を乗せた船は、相變らず白い闇の中を漂ってゐる。ジョージはチャールスから與へられた堅パンを舐めては無理に嚥下してゐた。
全五日間、二人は一滴の水も飲まなかった。冷い風は濡れ鼠になった體躯を容赦なく刺した。餓渇と寒氣はジョージの闘志を完全にへし折ってしまった。
「眠ったまゝ死んで了ったら天國へ往けるだらうな。」などゝいってジョージは昏睡状態に陥るのを待ってゐるやうな有様だった。
けれどもチャールスは益々意固地になって、生きる爲に闘った。
午後から、さしも執拗な濃霧もいくらか動揺し始め折々は數百ヤード先が見透せた。船は的度なく流れてゐる。
突然チャールスが、
「おい兄弟、鳥渡起きて見ろ!」と叫むだ。
億劫そうに起上ったジョージは、口をあいたまゝ、チャールスの指さす方を凝視した。鼠色に渦卷く霧の中に、何か、きらきら光ってゐる。やがて、呼吸をのむで、眼を瞠(※)ってゐる二人の前に、海の怪物は次第に巨體を現はしてきた。
「どうだ! 氷山だぜ!」
「淡水の塊だ!」
二人は狂人のやうに歡聲をあげた。
「どうだ、天祐は海の中にも轉ってゐたぢゃァねえか、こいつは俺の煙草以上だ!」
「矢張り頑張った甲斐があった。あの氷山は生命の泉だぜ。」とチャールスがいった。霧の中から、ぽっかり生れ出た氷山の裾を波がぴしゃぴしゃ洗ってゐる。まるで生命の嶋を見出したやうなものだ。チャールスは素早く帆を下して、船が氷山の下に吸込まれないように注意しながら、巧に櫂を操って傍へ漕ぎ寄せた。
「さァ.ふんだんに喰はうぜ。」「有難え!」
二人は夢中になって、氷山を叩き割ってはその破片を頬張った。灼け爛れた舌の上で、冷い水は甘露となった。咽喉を傳って下りてゆく塊は、空っぽになってゐた胃袋を滿し全身に生氣を送った。二人は木の實を見付けた猿のやうに、氷山の周圍をぐるぐる漕ぎ廻りながら、飽くことを知らず碎氷を貪り喰った。終には唇も、舌も、冷くなって感覺を喪って了った。けれども彼等はそんなことには頓着しなかった。
「俺は生れて以來、こんな旨えものを喰ったことはねえぞ。」
「當り前さ、氷山の味を知ってゐる奴は、世界に幾人とはねえだらう。」
「まるで、身體中が灼砂になったやうに、いくら喰っても喰ひ足りねえ。」
二人は泣笑ひをし乍ら二時間近くも氷山に取付いてゐた。
「さァ、いゝ加減にしてここを離れねえと危險だぜ。どうやら風が變ってきたやうだ。」
「だが、折角の天の賜物をこのまゝ置いていって了ふのは勿體ないから、積めるだけ、積んでゆかうぢゃァねえか。」ジョージは船底から鐵板を持出してきて、碎氷を積込むだ。
「永いことは保つまいが、これでも無いよりましだらう。」チャールスは例の孔の開いた桶にまで氷を結めた。
彼等は氷山に別れて再び航海を續けた。
「あゝ勿體ねえ、勿體ねえ、氷がどんどん溶けてゆきやがる。これがなくならない中に、咽喉が渇いて呉れるといゝが。」ジョージは膝に頬杖を突いて、桶の孔から船底へ流れてゆく水を惜しさうに眺めてゐた。
「おい、我慢して喰って了はうぢゃァねえか。」とチャールスがいった。
そこで二人は、又、座り込むで、殘りの氷を平げて了った。
日が暮れると、帆を下して潮流と風のまにまに船を流した。ジョージは例によって寝て了ったが、チャールスは忠實に見張番を續けた。だが、どんな強固な意志も肉體の疲勞には打勝てず、彼は折々居睡りをした。
「おい兄貴、休んだらどうだ、漂流よりも、睡眠不足の方が毒だぞ。」とジョージが忠告した。
「なァに、ちっと計り、氣に弛みが出たばかりだ。見張りが何より肝心だ。僕達の生死は見張りの如何にあるんだ。俺の事は心配しねえで、お前は寝てゐろ。」とチャールスはいふのであった。
最後の櫂
翌日も又、惡魔のやうな霧が二人を待伏せてゐた。ジョージは船底の寝轉んだまゝ、チャールスが帆をあげてゐるのを驚異の眼をもって眺めてゐた。
永い一日、一片の食物も、粉程の煙草も、一滴の飲料水もない恐ろしい一日である。
最後の日の爲に鐵板に蓄へておいた氷の溶け水には赤錆が浮いてゐた。彼等は一日中我慢してゐたが、到頭やり切れなくなり、その水で咽喉を霑ほした。
全一週間、濃霧は疫病のやうに彼等に附纏ってゐた。利かぬ氣のチャールスも七日目には殆ど立ってゐられない程衰弱して了った。それでも毎朝齒を喰ひしばって帆をあげた。
精根盡きて、朝になっても起上らうともしないジョージは折々、薄目をあけて、守護神のやうに、いつも端然と船尾に控へてゐ巨人チャールスを頼母しげに見上げた。髭に覆はれた巨人の頬はげっそりと削げてゐた。それでも彼は確りと櫂を握りしめて、落窪むだ眼で、空しい海面を凝視してゐる。彼は二人分の闘ひを闘ってゐるのである。
其日以降の生活は、彼等にとって地獄であった。疾風は小船を横ざまに叩付け、怒涛は彼等を一呑みにしようと焦ってゐる。その中をチャールスの力強い腕が、櫂を操つって巧に漕ぎ抜けてゆくのである。
つゞいて彼等を襲ふたのは豪雨である。まるで天の水門が破れたやうに、瀧のやうな雨が降りそゝいで、彼等の頭髪を濡らし、顏を流れ、足を水漬けにした。お庇で鹽水をあびてごわごわになってゐた着衣が洗はれ、彼等が空に向って開いた口の中へ、充分な飲料が流れ込むだ。とはいへ、天の惠みはほんの一時で、彼等は再び死の漂流を續けなければならなかった。
「もう、何も彼もお終ひさ、俺達は天に見放されたのだ。」ジョージは最早天祐を恃(たの)まなくなった。
「確りしろ! お前が死んだら、八人の子供等はどうなる!」チャールスは相手を叱りつけた。
「頼むから、子供の事はいってくれるな。」ジョージは子供等の幻影を見まいとするやうに、兩手で顏を覆ふた。
「馬鹿野郎! 意氣地なし奴!」チャールスは腹立しげに呶鳴ったが、その彼もそれきり數分と經過ないうちに、襲ひくる疲勞に、がっくり頭を垂れ、はッと氣がついた時には、握ってゐた櫂を流して了ってゐた。それは漂流第八日目であった。彼は直に次の櫂を下して顛覆しそうになった船の位置を直した。
疾風がおさまって後、數時間は霧が消えて遠くの海上を見晴す事が出來た。だが、それは際涯なく擴がってゐる無慈悲な波ばかりであった。
「俺達はもう決して何にも見る事はねえさ。これが人生の終局だ。」ジョージは幾度も同じ言葉を繰返した。その度にチャールスは、
「そんな事はねえ、俺達は必ず、陸か船を見る。俺はこのまゝぢゃァ決して眼をつぶらねえ。いゝかジョージ、お前は俺と一緒にゐるんだぞ。俺と一緒に助かるんだぞ!」と念を押すやうにいふのであった。
九日目が來た。ジョージは殆ど昏睡状態で何を云はれても碌に返事もしなかった。チャールスは一層の責任をもって、見張りを續けようと努力したが、體力には限りがある。思はず居睡をしては、
「畜生! 畜生!」と自を叱咤してゐた。十日目の朝になると、帆をあげるさへ、容易ならぬ努力であった。寒氣と饑餓は完全に彼の精力を吸取ってしまった。その日も又、櫂を流して了った。彼はいつ櫂を放したのか、全然記憶がなかった。
「おい、ジョージ、さう寝つゞけてゐては毒だらう。」チャールスは相棒を揺起した。
一晝夜の睡眠から覺めたジョージは、
「まだ生きてゐたのか………俺は子供等に會って左様ならをしてきたよ。」と呟いた。
「子供等は待ってるとも、俺達はどうしても歸ってやらなければならねえ。」チャールスは力強くいった。
この日、又、櫂を流して了った。チャールスの手には最後の櫂が握られた。薄靄の中を漂ってゐる中に、沛然たる夕立がきた。二人は毛糸の手袋に浸込む雨水を、がつがつして吸った。
第十一日目、濃霧の中に眼を覺した二人は身動きも出來ない程疲勞してゐた。それにも拘らず、起上って帆を張りかけたチャールスは、
「おい、濟まねえが、手を貸してくれ。」といった。
ジョージは無言のまゝ、よろめき起きて手傳ひをした。それっきり二人とも口を利く氣力もなく、ジョージは其場にばったりと倒れて了ひ、チャールスは船尾まで這っていって櫂を握ったが、ぢきに頤を胸に埋めて眠って了った。その間に忍び寄った波は、弱り果てた手から、最後の櫂を盗むでいった。悸として眼を開いたチャールスは恐ろしい悲劇に直面して愕然とした。櫂を喪った船は手足をもがれた動物も同然である。最早帆は何等の用を爲さない、揚げておけば船は顛覆するばかりである。
「おい、ジョージ! 最後の櫂を流して了ったぞ。」といふ言葉に、觀念してゐた筈のジョージも本能的に首を擡げて、怨めしげに空しい海を眺めた。
幸運を語る
帆を下して了ふと、チャールスは船尾に腰を下して相變らず見張りをつゞけた。
「おい兄貴、もういゝ加減に止めて呉れないか、いくら眼を皿のやうにしてゐたって、何にも見えっこはない。少しでも樂に死なうぢゃァねえか。」ジョージは見かねていった。
「厭なことだ! 俺は最後まで頑張る。」
「ぢゃァ、あばよだ、俺は一足先に樂なとこへ往くぜ。」
ジョージは出來るだけ手足をのばし、顏を合羽で覆ふて、靜まり返って了った。
柩のやうな小船は、浮きつ、沈みつ、波のまにまに幾時間か流れてゐた。午後五時頃、船が波がしらへ乗上げた時、チャールスは目前に黒煙を吐いてゐる汽船を見て躍上った。
「汽船だ! 汽船だ!」チャールスは狂喜してジョージを抱起した。
ジョージは吾眼を疑ふやうに、呆然と生命そのものゝやうな巨船を眺めた。チャールスは無我夢中で帆を掲げた。
アルブラ號の船長は、望遠鏡の底に映ってゐた不思議な小船が、不意に帆をあげたのを認めて救助の手配をした。アルブラ號は風の方向に船體を廻し、徐々に小船に近づいて、救命器と繩を投げた。
チャールスは繩を受取って、自分の船に縛りつけると、其場にへばって了った。船員等は繩梯子を傳って小船へ下りてきた。彼等は遭難者の胴に繩をくゝりつけ、擔上げるやうにして甲板へ運むだ。つゞいて彼等が生命を托してゐた平底船も引揚げられた。夫等の作業が終るまでには、殆ど一時間かゝった。船長の、至れり、盡せりの手當に、二人は救助されてから十二日目に、病床を離れ、船員等の見舞金百圓を與へられ、しみじみと幸運を感謝した。
「君等は氷山を囓ったのと、吾々の船に出會ったお庇で助かったといってゐるが、實際はもう一つ幸運に惠まれてゐたのだ。あのつひ一時間計り前に、丁度君等のゐた邊を、大きな客船が通ったものだ。霧の中であの巨船に衝突しないまでも煽りを喰って顛覆したら、それこそ助かりっこはなかった。さうかといって、もう一時間遅かったら、この船に會はない事はいふまでもないし、汽船の航路外へ吹流されて了ったらうから、永久に救助されることは無かったらうよ。」と船長はいった。
そんな譯で、ニューファンドランドの漁師二人を乗せた平底船は、漂流十一日と三時間目に、親船クリーザー號を距る三百七十哩の海上で、アルブラ號に拾はれ、奇蹟的に生命を全ふし、英國チルブリーの船渠(ドック)へ運ばれたのであった。
十一日間、殆ど不眠不休で見張番を勤めてゐたチャールスは、アルブラ號に収容されて後、激しい不眠症に惱まされてゐたが、倫敦に着いた頃にはすっかり健康を恢復してゐた。彼等は新聞記者連に取圍まれて、
「何ていったって、一番嬉しかったのは、汽船の煙を見た時でさァ……それゃ、俺だって十中の九までは生命はねえものと諦めてゐたが、そんな弱音を吹いたら、相棒が一度に参って了ふと思ったから、空元氣を出してゐたんでさァね。」とチャールスがいふと、傍からジョージが、
「俺が助かったのは、全く兄貴のお庇でさァ、この男はたった二十きりない堅パンを、十四まで俺に喰はせて呉れたんですからねえ。その時は知らねえでゐたが、後で氣がついて、俺は泣きましたよ。」といった。
「止せよ、そんなつまらん事を喋るのは、そんなことをいへば、お前だって俺に大切な煙草を分けてくれたぢゃァねえか。」とチャールスは愉快そうに相棒の肘を突いた。
二人は篤志家の好意で倫敦見物をさせて貰ひ、事毎に驚異の眼を瞠ったが、感想如何と訊かれて、「どうも俺達の腑に落ちねえのは、働かねえで、今日様を過してゐる奴が澤山ゐる事だ。ほんたうに彼奴等は働かねえでいゝのかね。それからもう一つ不思議なのは、どこの家でも厄介な錠が下りてゐる事だ。俺達の村ぢゃァ、年がら年中、家なんか開放しだ。紙幣を何枚抛り出しておいたって誰も盗む奴なんざァありゃしねえ。」と答へたものである。
物質文明は餘り彼等を喜ばせなかった。二人は便船を待って、勇むで鱈の國へ歸っていった。
けれども夫から六ヶ月目に、再び漁に出た元氣者のチャールスは、風邪をひいたのが因で、弱音を吹いてゐたジョージを殘して不歸の客となった。 (完)
注)明かな誤字誤植などは修正しています。
注)句読点の追加、会話開始の改行変更をしているところがあります。
「海の謎」
「サンデー毎日」 1934.07.28 (昭和9年7月28日号) より
消えた訪問者
海はもう三週間も荒れてゐる。難航を續けてゐたビアンカ號は、南米の最南端、ケープホーンの沖に差しかゝってゐた。
船長は氣壓計を覗き、海圖を按じ、南風の吹募る事を豫想したが、兎に角船は針路を誤らず進んでゐる事を確めて、一睡りする爲に寝床へ潜込んだ。
疲勞れた身は枕に頭をつけると共に.深い睡眠に陥ちたが、ふと、物の氣配に目を覺すと、直ぐ前に誰かゞ佇ってゐる。
一等運轉士かなと見直した船長は、見知らぬ男が肩を窄めて悲しげに首を垂れてゐる姿を見出した。それは金髪碧眼の、鼻下に短い髭を蓄へた屈強な男で、漁師の着るやうな、ざんぐりした半コートを纏ひ、膝まである長靴を穿き、耳覆ひのついた鳥打帽子を被ってゐる。
船長が不思議に思って跳起きると、怪しい男はくるりと踵を返して、部屋を出ていった。
直ぐ後を追っていった船長は、一本道の廊下に男の姿を見失ってしまったので、益々怪しみ、梯子段を驅上っていって當直の水夫に、
「今、誰か、こゝへ來なかったか? 長靴を穿いた大男だ!」と急込んで訊ねた。
「いゝえ、誰も來ません。」
「それぢゃァ、矢張り夢かな……」
船長は首を傾げながら海圖室へ戻った。すると長方形の黒板に、濡れた指先で、
――北西へ舵を取れ――と書いてあった。
船長はぞっと身震ひをして、もう一度甲板へ驅上ってゆくと、出會がしらに一等運轉士に會った。
「君! 男を見なかったか、たった今、海圖室を出ていった大男だ!」
一等運轉士は、船長の顏を孔の開く程視詰めて、
「船長、あなには數日來の時化で疲勞してをられます。今も當直から聞きましたが、怪しい男などが、こんな大海の眞中で船に乗込んでくる筈はありません。さァ船室へいって、ゆっくりお寝みなさい。」といった。
彼は船長を劬るやうにして、梯子段を下りた。
「それぢゃァ、これは一體どうした事だ!」
船長は黒板を指さした。
「濡れた指で落書をしてあるやうですな。船長、あなたが書かれたのでせう。」
運転士は無理矢理に船長を寝床へ入れて部屋を出ていった。然し船長はどうしても寝付かれなかった。
「北西へ舵を取れ」といふ言葉が頭腦の中で鳴り續けてゐた。
翌朝、食卓でもう一度前夜の出來事を語ったが、人々はひそかに顏を見合せて、
「老船長は燒きが廻ったな。」と嘆息した。
船長は誰も取合はないので、浮かない顏で考へ込んでゐたが、十時頃になると、居ても立ってもゐられないやうな氣持ちになって、突如、甲板へ飛出し、針路を北西に取るやうに命じた。
船長の命令は絶對である。一同は一抹の不安を感じながらも、命令通りに動いた。
船長は最後に、何故そんな考へを浮べたのか、自分でも判らずに、前檣に見張番を立たせた。殆ど自分の意識を離れて、様々な命令を發した船長は、初めて氣が落着いて、ぐったりと椅子に腰を下した。
しばらくすると、前檣の見張番が、
「右舷前面一哩程先きに氷山が現れました。」と叫んだ。
烈風に噛立てられてゐる紺碧の激浪中に、日光を浴びた氷山が虹色にぎらぎら輝いてゐる。
それを凝視してゐた船長の望遠鏡の底に、氷山の上に蠢く黒い影が映った。
「あっ! 人間だ! あんなところに人間がゐる!」
船長の叫聲を聞いて、半信半疑で望遠鏡を取上げた一等運轉士は、確かに氷山の上に人間の姿を認めた。
ボートが下された。救助作業が終って、水夫等に援けあげられた遭難者を迎へた船長は、はっとして思はず二三歩後退りをした。
靜に空色の眼をあげた大男は、
「あゝ、船長! 昨晩お目にかゝりましたっけ……私の乗ってゐた漁船は、昨夜あの氷山に衝突して、乗組員は悉く海底の藻屑となってしまひました。私も船長のお助けがなかったら、あの氷の上でどんな死態をしたか判りません。生死の境を漂ひながら、私はこの船であなたにお目にかゝった夢を見ましたっけ……」といった。
唖然として相手の顏を見守ってゐた船長は、初めて吾に返って、男の肩に手をおき、
「さうだ、昨夜第二鐘が鳴った後で、確かに君に會った。」といった。これは英國ビアンカ號の船長グリフヰス氏の不思議な經驗であった。
四本指の女
加奈陀ノバスコチャの沖に、セープル島といふ無人島がある。その邊一帶は有名な難所で、屡々航海者の遭難する場所である。そんな場合遭難者が避難するのはその島だったので、一名「難破船の宿」ともよばれてゐる。
英國の旅客船アメリア號は、深夜暴風雨に遭って暗礁に叩付けられ、乗組員は悉く溺死した。
ところがそれから間もなく、全滅したと傳へられてゐた乗組員の一部が筏でセープル島へ上陸したといふ噂が立ったので、船會社では救助船を派したが、遂に生存者を發見する事は出來なかった。
當時の遭難者の中には、加奈陀守備隊の將校兵士及び家族が多數あったので、ハリファックス二十九聯隊付トレンス大尉は捜索隊を率ゐてセープル島へ向ったが、その船も暗礁に乗上げて難破してしまった。しかし其時は乗組員の大部分がセーブル島に泳ぎついた。
トレンス大尉は気息奄々としてゐる生存者を砂濱に一劃に待たせておいて、單身愛犬を伴って島の探檢に出掛けた。その目的は他の河岸に泳ぎ着いた生存者の有無を確めると同時に、焚火をしてSOSを送る適當な場所を物色する爲であった。
大尉は脚にまかせて歩き廻ってゐる中に、加奈陀政廰で遭難者の爲に建てた救助小舎に辿りついた。
中へ入って見ると、椅子、卓子、寝具、食料品などが備へてあった。既に日も暮れてしまったので大尉は其處で一夜を明すことにして、湖畔へ散歩にいった。その湖水は島の中央を占めてゐて、周圍約一哩あった。大尉が湖水を一巡して戻ると、小舎に殘しておいた犬が、物に怯えたやうに毛を逆立てゝ、激しく吠立てゝゐた。
大尉が不審に思って小舎へ入ってゆくと、部屋の一隅に白衣の女が佇ってゐた。長い頭髪をぱらりと肩に振り亂し、裾の長い白衣を纏った全身から、ぽたぽた水が滴れ、荒浪に散々揉まれたらしく、衣物の襞に海草や、砂が附着してゐた。
「貴女はどなたです? 何處から來たんです?」大尉は驚愕の聲をあげた。
女は青褪めた額を大尉の方へ向けて、無言で左手を差上げた。見ると藥指が根元からふっつりと切り取られ、眞赤な血がたらたらと流れてゐる。
「怪我をしましたね! お待ちなさい、手當をしてあげますから。」大尉は備へ付けてあった藥匣を棚から下して、繃帶や、脱脂綿を取出してゐると、女は大尉の傍をすり抜けて戸外へ出ていった。
大尉は他にも遭難者があるので、女がそこへ自分を案内するのだと思ひ、藥匣を提げてその後を追っていった。
ところが追ひついて精しい事情を訊かうと思って足を早めると、相手も同じように足を早めて、どうしても追付く事が出來なかった。しまひには大尉と白衣の女とは、闇の中を非常な速力で走り出した。
「奥さん! 僕は決して怪しいものではありません! 待って下さい!」
白衣の女は振向きもしなかった。軈て湖畔に達すると、女はあっといふ間に身を躍らせて水中に飛込んでしまった。
豪膽な大尉はそれでもまだ追跡を止めなかった。彼は續いて湖水へ飛込み、魚のやうに泳ぎ廻って女の行方を捜した揚句、終に諦めて小舎に引あげた。
然し、彼は不思議な女の事が氣になって、どうしても眠れなかった。考へて見ると、彼の一行中には婦人は一人もゐなかった。さうかといってアメリア號の生存者とも受取れない。だが、何處か見覺えのある顏であった。
大尉は錯綜した謎の糸を手繰ってゐる中に、
「さうだ! コープランド君の奥さんだ!」と叫んだ。コープランドといふのは大尉と同じ聯隊に属してゐた一等軍醫で、夫妻はアメリア號の遭難者であった。
その瞬間、もう一度白衣の女が現れた。
「貴女はコープランド夫人ですね。」
大尉の言葉に女はうなづいて、藥指の無い左手を再び差しあげた。
「あゝ、貴女はそこに嵌めてゐた指輪の爲に殺されたと仰有るのですね。」
女は悲しげな表情をしてうなづいた。
「よろしい、僕は必ずその指輪を捜し出して、貴女の遺族に届けて差上げます。」
白衣の幽靈は滿足の微笑を浮べて消えてしまった。
其後、大尉はノバスコチアの沿岸に、有名な破船専門の盗賊團の親分が住んでゐる事を探知し、釣魚と銃猟にかこつけて、その土地へ乗込んでいった。
計畫通りその家族と知合になった大尉は、或時立派な指輪をはめていって娘達に見せびらかした。すると蓮葉な末娘が負けぬ氣になって、
「随分立派だけれども、家のお父さんがセープル島から持ってきた指輪の方がもっと素敵だわよ。」と口走った。
傍にゐた母親は顏色を變へて、
「お前、何をいってゐるの、あれはセープル島から持ってきたのではありませんよ。佛蘭西人から買ったんですよ。」とたしなめた。
大尉はさてはと思ったが、何喰はぬ様子で、
「そんな素晴しい指輪なら、見せて貰ひたいものですね。場合によっては相當な價格で譲り受けてもよい。」といった。
「お買ひになる意志があるなら、ハリファックスのM寶石店へいらしって下さい。二十弗の擔保に入れてありますから。」といふ母親の答へであった。
大尉は早速M寶石店へ赴いて、問題の指環を買受け、英國のコープランド家へ送った。
遺族によってその指輪こそ、紛れもなくコープランド夫人が日頃左手の藥指にはめてゐたものである事が證明された。然し大尉はセープル島の幽靈を證據に、犯人を擧げる事の困難を知って、それ以上その問題には深入りしなかった。
奇怪な告白
濠洲英國間を航海してゐた定期船マダガスカル號は、凡ゆる階級の旅客と、夥しい金塊を積んで、メルボルン港を出帆したまゝ、杳として消息を斷ってしまった。
大洋の眞中で、荒れ狂ふ怒涛に呑まれてしまったか、或は殘忍な海賊團の犠牲となったか、それにしてもマダガスカル號の最後を語る板子一枚、帆綱一本發見されないのはどうした事であらう。
當時様々な風説が、七つの海を越えて港々に傳へられたが、誰一人としてその眞相を明かにする事は出來なかった。
ところがそれから二十年後、南米ブラジルの片田舎で淋しく死んでいった老寡婦の臨終の告白によって、マダガスカル號に纏る恐ろしい挿話が公にされた。
彼女はマダガスカル號の旅客の一人であった。順風と潮流に惠まれた帆船は、月明に旅客の円かな夢を乗せて西へ西へと走ってゐた。
眞夜中、突然、甲板に起った常ならぬ騒ぎに、人々は驚いて寝台から跳起きた。
船員等の罵り喚く聲、甲板を慌しく走り廻る靴音、短銃の亂射。旅客達が周章てゝ船室を出ようとするところへ、血刀を提げた男達がどやどやと扉口をふさいで、有無を云はせず一同を船底へ追込んでしまった。
抵抗した者達は其場で屠り倒された。船長と運轉士は眞先に血祭りにあげられた。金塊を付窺(つけねら)ってゐた海賊團が、下級船員や、旅客に化けて、メルボルン港から乗船してゐたのであった。
船底に監禁された人々は、海賊等がボートを下して金塊を積込み初めたのに気付いて、ほっと胸を撫下した。恐ろしい惡魔が下船してしまへば、財寶は喪っても、大切な生命だけは全うする事が出來ると思った。けれどもさうした希望は立所に打碎かれてしまった。
「俺達の仕事を知ってゐる奴は、一人だって生しちゃァおかれねえ。」といふのが海賊等の肚であった。彼等は金塊を積終ると船底に孔を開けた。
女達の泣叫ぶ中で、男達は扉を押破って遁れようとしたが、階段を上って甲板に出たものは片端から嬲殺しにされた。
軈て手に手に兇器を擬した鬼のやうな男達が船底へ下りてきて、怯えてゐる女達の中から、あれこれと氣に入ったのを物色して、良人の手から妻を奪ひ、親の腕から娘を奪ひ取って、それぞれボートへ引擦り込んだ。
半死半生の女達は、愛する人々が陥し籠に入れられた鼠のやうに船底に監禁されたまゝ、海中に沈んでゆく酷たらしい光景を目撃した。
金塊と女を積んだ五隻のボートは、數日間風浪と戰って、南米の海岸へ漕付けたが、陸へ着く迄に二隻は顛覆して人間諸共激浪に呑まれしまひ、他の二隻は岩礁に叩付けられて乗組員だけが生命からがら陸へ這上った。そして最後の一隻だけが無事に陸へあがった。
生殘った男達は金塊の分配の事から、又しても血を流し合った。そこは人跡の杜絶えた荒涼たる海岸で、人家のある所まで行くには烈日に照らされながら、跣足で熱砂を踏んで往かなければならなかった。そんな譯で途中頻々と落伍者を出し、目的地へ到着したのは僅か數人であった。
この物語を告白した寡婦は、女の中の唯一の生存者で、男と生死を共にしてゐる中に、次第に相手に對して愛情を感じてきて、ブラジルの殖民地に同棲し、爾來二十年間秘密を守り通してきたのであった。
岩上の幽鬼
北太平洋(※大西洋?)の聖ローレンス灣に、パース岩と稱はれる石灰質の巨岩が屹立してゐる。海抜三百フィート、頂上は尖ってゐるやうに見えるが、實際は獨樂のやうに五六ヤード四方の平面をもってゐて、嘗ては海賊の寶庫に使用されてゐたといふ。然し幾星霜の風浪に根元を洗ひ削られた岩礁は、嶄然と頂上の秘密を守りつゞけてゐて、何人をも寄せつけない。
十七世紀の洋上を荒し廻ってゐた海賊の中に、殘忍酷薄をもって聞えたデュバルといふ男がゐた。彼は佛蘭西の領海を荒し廻った揚句、しこたま財寶を持船に積んで、意氣揚々と北米の根據地へ向った。
百トンの帆船に納まった海賊デュバルは大滿悦であった。それは獲物が豫想外に多かったといふばかりでなく、最後に英國船を襲った折、絶世の美女を生擒ってきたからである。美しい妻と、巨万の富を抱いて北米の新天地に余生を送るといふのがこのスペイン男の畢生の希望であった。
然し、海賊の捕虜となった不幸な美女スマースは飽迄も英國魂を喪はなかった。つい數時間前に愛する父が嬲り殺しにされ、彼女の名譽の爲に闘った兄が、ずたずたに切り刻まれたのを目撃した彼女の瞳は、激しい憎惡に燃えてゐた。彼女は、手をかへ、品をかへて近づいてくるデュバルの前に、昂然と頭をあげて、女王のやうな威嚴を示してゐた。
デュバルは女の冷淡さに却って心を惹かれた。生れて以來、他人のものを奪ふ事のみに馴れてゐた海賊デュバルは、今や心ばせを盡してすべてを彼女に與へようとした。けれども美女スマースは決して彼に對する怨恨を忘れなかった。
さうなると、デュバルの愛情は百倍の憎惡に變った。彼は能ふる限りの恐怖と苦痛を彼女に與へる事を考へ始めた。
彼は先づ最初に寄った港で、部下にそれぞれ金を與へて海賊團を解散した。そして腹心の部下二人を伴って豫てから財寶の隠匿所として選定しておいたパース岩へ船を廻した。彼等は嶮しい秘密の通路を經て、財寶と共に彼女を岩の頂上に運び、●●と寒風に彼女を曝してその場を立去った。
それから幾ヶ月して、デュバルは仲間喧嘩で殺されてしまひ、腹心の二部下も相次いで死んだ爲に、パース岩に殘された美女の最後を見届けたものはなかった。
それ以來、この挿話を傳へ聞いた人々が、幾度かパース岩の頂上を究めようとしたが、永い歳月に岩角は虧け落ち、崖は崩れてデュバルの通ったといふ路は、竟に今日まで見出されない。
今から七十年前、二人の米國人が汽船を仕立てゝパース岩に近づき、多くの友人等が甲板に集まって見物してゐる前で、岩山の三分の二まで攀登っていったが、しがみついてゐた岩角が突然崩落して、二人は無殘な最期を遂げた。
最近に至って、有名なアルプス登山家クロス氏が得意のロック・クライミングを試みたが、絶對不可能を聲明して中止してしまった。それから二年して更に二人の冒險家が岩崩れで惨死した。
多くの冒險家の中で、最も頂上近くまで達したのは、佛蘭西人ファリエルである。彼はどんな方法で手に入れたか知れないが、デュバルが使用してゐたといふ地圖によって、現在は殆ど崩壊してしまってゐる小徑を辿っていったのだといふ。彼はその時、途中で古刀の鐔を拾ったので、それに力を得て更に進まうとしたが、行手の岩は茸のやうに頭上に覆ひかぶさってゐて、到底人間業では登れぬと諦めてしまった。
人間の好奇心はやむところを識らない。海賊の寶庫を探らうといふのか、岩上の幽鬼となった美女の白骨を見ようといふのか、其後も陸續と世の好事家が押寄せては、相次いで惨死したので、加奈陀政廰では竟にパース岩に登る事を禁止してしまった。【終】
注)明かな誤字誤植などは修正しています。句読点は変更したところがあります。
注)●●は該当漢字が判読できませんでした。ルビからの推測による漢字もあります。
「ピットケイン嶋奇譚」
―人種争闘史の一頁―
「文藝春秋」 1935.02. (昭和10年2月号) より
一、返らぬ航海
百科辭典のBの項を繰ってゆくと、バウンティといふ船名が現れてくる。この船は僅二百噸計りの帆船で、格別戰功を樹てた譯でもなく、人命救助に當った譯でもないが、辭典の貴重な頁を幾段か占めてゐる。それ程有名な船である。何故であらう?
英國政府の輸送船バウンティ號が、ブライ船長指揮の下に、本國を出帆したのは一七八七年の秋であった。その使命は南海のタヒチ島から、パンの樹の苗及び糧食等を積むで、西印度諸島の英領植民地に輸送する事であった。
故郷の港を出帆してから二年目、船はタヒチ島で積荷を終へ、西へ西へと航行中、船長の部下に對する暴虐振りに義憤を起した一等運轉士クリスチャンが首謀者となって、突如暴動を起し、船長以下彼に味方した十八人を短艇に乗せ、食糧を宛てがって海洋の眞只中に追放して了った。
バウンティ號は一旦タヒチ島に戻り、暴動者達はそれぞれ自由行動をとった。或者はタヒチ島の奥深くに潜み、或者は無人島に新生活を求むべくバウンティ號に踏止った。彼等は國法を犯した大罪人であるから、官憲の手に捕へられゝば死刑は免れないのであった。
自由な別天地を目ざして、二度と返らぬ航海に出たのはクリスチャン以下八人の白人と、六人のタヒチ島土人、それに愛する男と運命を共にしようとする勇敢なタヒチの女達十二人であった。山羊、豚、鶏、食糧品、農漁具、大工道具等を滿載したバウンティ號は、青空と紺碧の波を友として際涯ない大海原に乗出したのである。
四月二十八日、幾日も照り續けてゐた空の一角に、むくむくと黒雲が湧いた。
赤毛のクヰンタルは剳青(いれずみ)をした上半身を露出しにして、逞しい腕で舵輪を掴み、ぢっと遠くの空を見据えてゐた。寄り過ぎた碧い眼、突起した下顎骨、どう見ても一癖も二癖もありそうな面構へである。
甲板へ現はれたクリスチャンは、顎を青々と剃って、眞新らしい紺の短衣(ジャケツ)を着てゐた。日焦けのした頬は、甲板の一隅で恰しげにさゞめいてゐるタヒチの女達よりも濃い鹿毛色をしてゐた。引締った口許と、黒く澄むだ瞳は精鋭果敢な性格を表してゐる。彼は北の空に眼を注ぎながら、
「おい、スミス! 俄雨(スコール)がやってくるぞ! 皆に吩咐けて水をとる用意をさせろ。」と錆のある聲でいった。
本檣の下に立ってゐた若い水夫スミスは、敬虔な面持で擧手の禮をして、甲板を飛廻ってクリスチャンの命令を傳へた。
白人も土人も總がゝりで帆布を張り、雨水を受ける準備をした。永い航海に退屈してゐた女達も陽氣な笑ひ聲をあげながらその手傳ひをした。
二等運転士ヤングは、まだ類の紅い青年であったが、前齒が三本虧けてゐるので、口を利くと折角の男振りが二三割落ちる。船乗りに似合はぬ物越しの優しい讀書好きの男であった。彼はクリスチャンの傍に立って、
「ピットケイン島なんて、眞實に在るんですかね。」と半ば獨言のやうに呟いた。
「勿論あるとも、一七六七年に燕號のバイロン船長が發見した無人島だ。」
「餘り航海が永いので、緯度を間違へてゐるのではないかなどゝ、心配してゐる奴がありますよ。」
「無智な奴等だ、勝手に心配させておけ。兎に角俺の命令通り動いてゐればいゝのだ。」
さういってゐる中に黒雲は空一杯に擴がって、沛然なる豪雨がやってきた。だれ切ってゐた乗務員達は、壯絶な雨に單調を破られて、蘇生の思ひをした。
小半時ばかりで空は再びからりと霽れた。クリスチャンは年齢に似合ない眞面目腐った表情を浮べて、欄干に兩肘を突いたまゝ、身動きもしないで渺茫たる海原を凝視してゐた。そこへ丈のすらりとしたタヒチの若い女味彌美(みやみ)がそっと忍び寄って、男の肩に手を掛けた。
「今日こそ島が見付かるかしら?」
「さういふ事にしたいものだね‥‥まァ、もう少しの辛抱だらう。」
「眞實は私、島なんか見付からなくったって良いのよ。貴郎と二人で斯うしてゐれば‥‥」
「俺達はそれで濟むが、他の連中は承知しまいよ。」
「あの人達だって今日斯うやってゐるのを貴郎に感謝していゝ筈だわ、あの恐ろしい鬼のやうな船長に虐待されてゐた時の事を思へば、幾日航海が續かうと、天國にゐるやうなものだわ。」
二人が樂しげに語り合ってゐるところから、數間距れた帆の蔭で、蘇格蘭土生れのマッコイと、米國人のマルチンとが、前額を鳩めてひそひそと語り合ってゐた。
「ミルスもウヰリアムもクヰンタルも俺達の仲間だ。ブラウンやスミスは温順しいからどうにだってなる。」
「兎に角、斯うやってありもしねえ島を捜して歩いてゐるなんて馬鹿の骨頂さ。クリスチャンに談判して、否應なしにこの船をトンガ島へ向けさせるんだな。いざとなれば腕力に訴へても‥‥」
その時、突然、本檣の展望臺から、
「見えたぞ! 見えたぞ!」といふ絶叫が般中に響渡った。
瞑想に耽ってゐた者も、戀を囁き合ってゐた男女も、陰謀を企てゝゐた男達も、一齊に舷側へ馳寄った。
「鳥が飛んでゐる! 鳥が!」
「あっ、確に島だ!」
空と水とを繋ぐ沓かな水平線に紫色の小さな三角が浮むだ。人々は瞬もせずにその一點を凝視した。
船が近づくにつれて、ぎざぎざな山の輸廓がくっきりと青空に浮び上った。
それがクリスチャンが永住の地として選むだピットケイン鳥であった。第一に短艇を下して島の探險に出掛けたのは、クリスチャンと二等運轉士ヤング、にわ(※士ワ石木と駝)師のブラウン、ポリネシア人側からはみなりとてたひち、それに片時もクリスチャンから離れた事のない彼の愛妻味彌美の六人であった。
島は絶壁に圍まれて自然の要害をなし、荒浪が絶えず磯を噛むでゐるので、三日月形の入江さへも、僅に小舟を寄せる事が出來る位であった。周回五哩、海岸線から直ぐに樹木の繁茂った丘陵になってゐて、潮の番と、新鮮な緑の匂ひと、名も識れぬ花の甘い香とが四邊に漂ってゐた。
丘を越えると、豁然と平野が展けて.パンの樹、コヽナッツの樹などが自然のまゝの果樹園をなしてゐる。そこから更に緑の斜面を下ったところに、清冽な谷川が流れてゐた。
「あゝ、あの花が咲いてゐる!」味彌美は小鹿のやうに崖を馳上っていって、白い花の枝を集めてきた。彼女は嬉しそうに歌を唄ひながら花冠を編むで肩に垂れてゐる豐かな黒髪の上に戴いた。
「故郷にゐた時はいつも斯うしてゐたのよ‥‥はら、ご覧なさい! イタヽ工がゐるわ、タヒチの島でいつも見たあの鳥が! こゝへ來ても矢張り仲善く二羽で竝んでゐる‥‥」
パンタナスの樹蔭に憩ってゐた一行は、味彌美が小川にも、小鳥にも、花にも懐しい故郷を捜し出してゐるのを見て、一沫の哀愁を覺えるのであった。
「これゃ地味も良し、申分のない理想郷だ!」にわ(※士ワ石木と駝)師のブラウンが滿足の意を表した。
「君達は後悔しないかね。吾々はこの島の土になるのだぞ。俺は暴動の發頭人でお尋ね者だから、此所で一生を終るのは覺悟の上だが、ブラウンお前は何故タヒチ島で下船しなかったのだ。お前は軍法會議に移されたって、無罪になる身だ。それににわ(※士ワ石木と駝)師といふ立派な職業をもってゐるし、英國へ歸れば親兄弟も待ってゐるだらうに‥‥」クリスチャンはしんみりした調子でいった。
「飛んでもない! 俺は一生お前さんと行動を倶にする氣だ。暴動に無關係だと仰有られるが、俺は心の中では暴動の張本人だった。船長に背中の皮が破れる程鞭打たれた時、俺は野郎を殺して了はうと決心した。暴動に加擔しなかったのは、俺が臆病だったからだ。俺はその臆病の埋合せに、この島で骨身を惜まず働くつもりだ。」寡言なブラウンは重い口調でそれだけの事をいった。
「みなりとてたひちはどうだ。若し故郷へ歸るなら今の中だぞ。バウンティ號は俺達の所在を永久に消して了ふ爲に、燒いて了はねばならないのだ。」
「貴郎のゐるところは吾々のゐる所、他に故郷はありません。」二人のポリネシア人は異口同音に應へた。
みなりは肩幅の廣い、鋼鐵のやうな岩丈な體躯の持主で精悍な容貌と、道義的な自尊心を持った男であった。
若いてたひちもそれに劣らぬ堂々たる體格の持主で、野猪のやうな一本氣な男であった。二人とも部落の酋長であったが、クリスチャンの侠氣に惚込むで、家も恩愛も振り棄てゝ脱走者となったのである。
一同が島の探檢を終って船へ戻ると乗組員達は不安と期待をもって人々を取圍むだ。
クリスチャンが島の状況を精細に説明すると。一同は歡呼の聲をあげた。
「樂園だ! 俺達は浮世を離れて幸福に暮せる!」スミスが圓々した頬を赤くして叫むだ。彼は天涯の孤兒で、倫敦の育兒院に成長し、テームズ河畔の點火夫をしてゐたが、新生涯を開拓する爲に、バウンティ號に乗込むだ青年である。彼は悲惨な過去の生涯と縁を切る爲か、アダムスといふ本名を棄てゝスミスと名乗ってゐるのであった。
「全く世界中、何處を捜したって、こんな良いところはないぞ、氣候は佳し、食物や燃料は豐富だし、その上景色が良いときてゐる。パンの實、コヽナッツ、バナヽなどは喰放題、鳥の卵はごろごろ轉ってゐる。川には魚がぴしぴし跳ねてゐる。」とヤングが絶讃した。
「さァ、どうだがなァ‥‥住んで見ない分には、良いか、惡いか判ったもんぢゃァねえ。ふん、ピットケイン嶋の鬼になるのか。」と吐棄てるやうにいったのは、ミルスといふ船大工であった。
人々は不安な目付で、クリスチャンとミルスの顏を見較べた。
「こんな奴の、云草は聞かねえ方がいゝ、比奴は宮殿へ連れていったって、文旬を吐す奴だ!」と赤毛のクヰンタルが呶鳴り付けた。
「どんな土地だって、住む人間によって、天國にもなれば、地獄にもなるのよ。皆で仲善くして天國にして了へばいゝぢゃないの。」ミルスの愛人富留が取做し顏にいった。
一同はピットケイン嶋永住の決議をなし、直にその準備に取りかゝった。彼等は幾組にも分れて船から荷揚げをするもの、樹木を伐出すもの、小舎掛けをするもの、家畜類の始末をするもの等、朝から晩まで忙しく働いた。
荷揚げが完了した三日目の午後、米國人のマルチンと、蘇格蘭生れのマッコイとが、四邊を憚りながら、こそこそと丘を越えて、山裾の森へ入っていった。その後姿を見付けた大工のミルスは、運むでゐた材木を路傍へ投げ出して、二人の後を追っていった。
「おい、何の相談をしてゐるんだ、こゝまで來て了ったら觀念してこの嶋に落着く方が得だぜ。」ミルスは兄貴振った口吻で呼掛けた。
二人は肘突き合って笑ひながら、ミルスの近づくのを待った。
「恐ろしく鼻の利く奴だな。もう嗅付けたのかい。」マルチンが首を竦めながらいった。
「心配するな。俺達はこゝに永住するつもりで、この通り酒倉まで造ったんだぜ。」マッコイは古木の根元に繁ってゐる雜草を掻分けて、洞窟からブランデーの瓶を一本取出した。それは荷揚げのどさくさ紛れに、船の酒庫から盗むできたものであった。
三人は羊齒の上に車坐を作って、強烈い酒に舌鼓を打った。
「いゝか、誰にも知らせないやうに内緒にしておくんだぜ。クリスチャンは何も彼も平等に分配するのだといってゐるから、見付ったら大變だ。」マルチンは四邊を見廻しながらいった。
「クヰンタルに飲ましてやらねえのは、可哀想な氣がするな。」ミルスは呑助仲間に同情の意を表した。
「飛んでもねえ事だ。あんな酒亂に内緒の酒なんか飲ませられるもんか。そら、いつかタヒチの酒場で大暴れをしやがって困ったぢゃァねえか、俺達五人がゝりで、やうやう縛りあげたっけ‥‥」とマッコイがいった。
男達が酒宴に興じてゐるところへ、不意に何處からか花束が飛むできた。ミルスが驚いて拾上げようとすると、花束はするすると宙に舞上った。續いて崖の上から女の笑ひ聲が響いてきた。それはミルスの愛人であった。
「何だ富留ぢゃァないか、この惡戯女奴! そんな所で何をしてゐるんだ。こっちへ下りてきな。」ミルスは眼を細くして崖の上に腹這ひになって蔦糸を手繰って花束を吊上げてゐる女を見上げた。
「狡いわ、ひとを置いてきぼりにしてさ。」女は崖を傳って下りてきた。
「飛降りな、俺が受けでやる。」
十六歳になった計りの富留は、懼れ氣もなく、逞しいミルスの腕の中へ飛下りた。
男達は女を加へて一層陽氣になった。ミルスは得意氣に女を膝へ乗せて、無理矢理にブランデーを笑ってゐる口の中へ注ぎ込むだ。富留は男を突飛ばして谷川へ馳けてゆき、水を飲むでくると、今度は自分から進むで酒を呷り、男達の手拍子に合せて踊り始めた。
マッコイとマルチンは、波のやうにうねってゐる女の胸や、腰の筋肉に段々引付けられていって、折々は手拍子を打つのも忘れてぢっと見入った。ミルスは急に不安を感じて、ぴしぴしと魚のやうに跳ねてゐる女を横抱へにして、
「さァ、そろそろ引揚げようぜ、今晩はバウンティ號を燒くんだそうだ。可愛いゝ船とのお別れだ。見に往かうぜ。」といった。
「船なんか、糞喰へだ!」マルチンが呶鳴り返した。
取殘された男達は忌々しそうに舌打ちをしてごろりと横になった。然し、日が暮れて、バウンティ號の最後を語る火焔が、暗い空を焦してゐるのを見付けると、二人とも申合せたやうに跳起きて、木の根や、岩角に躓きながら海岸へ走っていった。
バウンティ號ほ炎々たる焔に包まれてゐた。磯の大岩の上に集った人々は、赤い火影を浴びて聲を潜めてゐた。女達の中には黒髪に顏を埋めて咽泣してゐる者もあった。
「どうだい、ご機嫌よくお燒けなさるぢゃァねえか。」と米國人のマルチンがおどけた口調でいったが、誰もそれに應じる者は無かった。
二、血と血
ピットケイン嶋の新生活が始まった。住宅地として選ばれたのは山羊ヶ峰と稱ばれる山の中腹にある臺地であった。
クリスチャン夫妻は嶋へ着いた最初の日に憩ふた思ひ出の巨木の陰に家を建てた。その隣りがヤングとスミスの家で、そこには彼等の女達、登良と波留が同居した。第三の家にはミルス、マルチン及びウヰリアムがそれぞれの女、富留、壽蓙那、芙子等と共同生活をした。クヰンタルと裟良、マッコイと麻利の二夫婦は第四の家に住み、第五の家は一番の大家族で、ポリネシア人九人が雜居してゐた。即ち土人中の親分様みなりとその妻茂枝、てたひちと七重、たろと歌枝、それに獨身者のもあ、にはう、ひゆの三人が加はってゐた。
これ等の住宅は隣同志といっても、それぞれ森や、丘を隔てゝ點在してゐた。勿論人望のあるクリスチャンが村長格で、ヤングがその補佐を勤めた。ポリネシア人たちはクリスチャンに心服してゐたが、白人達の中には、
「土人と俺達とを平等に扱ふなんて怪しからん。一體クリスチャンの奴ほ横暴だよ。食糧庫の鍵まで握ってゐやがって。」等と蔭で不平を鳴らすものもあった。
然し、クリスチャンは飽迄も公明正大で、決して人種的差別をつけたり、自を高く置いたりはしなかった。最初、入江や、山々に名をつける時も、一同は灣をクリスチャン灣と稱ぷ事を主張したが、彼は、
俺の名など、何處へもつけて呉れるな。俺ほ天下を憚る罪人なのだ。」と自を卑下した程であった。
天然に惠まれた嶋の生活は人々を幸福にした。男も女も終日陽氣に唄ったり、笑ったりしながら働いた。一切が平等主義で、一人が魚を釣ってくれば、必ず人數だけの切身になって分配され、貴重な酒瓶が抜かれた時には、白人にもポリネシア人にも滿遍なく盃が廻された。毎朝、誰といふ事なしに野鳥の卵や、木の實を集めてきて、戸毎に配って歩いた。秋の収穫時には大きな貪糧庫に各自の作った里芋や、薩摩芋が運び込まれて村の共有財産となった。鶏も殖え、豚も殖えた。
村民は平等の權利をもってゐたが、自と役割りが定まってゐた。
鍛冶屋の經驗をもってゐるウヰリアムは、土人のひゆを勁手にして鍛冶の仕事を一手に引受け、ミルスとマルチンは木挽をやり、クヰンタル、マッコイ及びスミスは家畜係で、豚小舎や鷄舎を作ってその世話をした。ブラウンは總ての雜務から解放され、村から離れた臺地に家を建て素晴しい花畑をつくって村人を喜ばせた。
クリスチャンとヤングは村の仕事を總括してるたが、その傍農作に從事してゐた。
ポリネシア人たちは、みなりの指揮の下に魚漁や農作をやった。
嶋にも第二年目の春がめぐってきた。衣食住が安定すると、そろそろ村の平和を亂す事件が起り始めた。鍛冶屋のウヰリアムとたろの妻歌枝とが、人目を避ける仲となった事が女達の雜話の種となり、媾曳の現場を見届けたウヰリアムの妻芙子は、崖の上から投身自殺を遂げた。
ウヰリアムはどうしても歌枝を思ひ切る事が出來ず、たろから彼女を奪って同棲しようとしたが、それは村民の反對を受けて阻止された。彼は快々として樂まず、或日短艇に乗って嶋を脱走しようとしたが、その無暴な行爲はクリスチャンの發見するところとなり、再び嶋へ伴れ戻された。
夫から間もなくウヰリアムと歌枝の關係が撚を戻し、女を挾むで二人の男の暗闘が段々露骨になり、今にも血の雨を降らす状態になってきた。そこでクリスチャンとみなりが立會って女に男を選擇させた。歌枝は亭主のたろを棄てゝウヰリアムについた。
或晩、たろは磨ぎすました斧をもって、ウヰリアムを殺しにいったが、歌枝に發見され鐵砲を突付けられて空しく引揚げた計りでなく、翌日何者かに毒殺されて了った。野良に持っていって木の枝に吊しておいた辧當に、歌枝が毒を仕込むで置いたのであったが、誰も知る者はなかったのだ。一緒に辧當を分けて食べたひゆも卷添へを喰って毒死したのであった。斯うした事件が軈て白人とポリネシア人との相反目する端緒となったのである。
ウヰリアムの女出入りが三人の犠牲者を出して鳧がついて了ふと、島には再び平和な第三年目がめぐってきた。その頃から利己主義のマルチン、その相棒のマッコイ、それに不平家のミルスが三人組となって、自分等に振宛てられた仕事を、ポリネシア人もあと、にはうに押付けて、家庭を外に勝手氣儘に山野をうろつき始めた。
その中に謹嚴なクリスチャンまで折々行先も告げずに家を明けるやうになった。味彌美が良人のさうした態度に不審を抱いてゐるとある日野良から歸ってきたクリスチャンが、ヤングの妻登良が遊びにきてゐるのを見て、
「味彌美、子供は登良に頼んでおいて、鳥渡俺と一緒にきてくれないか。」といった。
クリスチャンは妻の手を取って、森を抜け丘を登り、減多に人のいった事のない海に面した山腹へ伴れていった。そこには小さな洞窟があった。
「味彌美やこゝへ來てお坐り、こゝから眞直ぐ見えるあの海の果には、英國があるんだよ。」クリスチャンは壁に凭りかゝって、限りなく擴がってゐる海を指さした。
「では、タヒチ島はどっちの方にあるの?」
味彌美は良人に寄り添ふて腰を下した。
「お前の生れた島はあの邊だ。」
二人は久時無言で夢見るやうに遠くの海を凝視してゐた。
「どうだい、いゝだらう、こゝは俺の別莊だ、他人に知られたくないんだから、俺の不在中に急用が出來たら、お前自身でこゝへ迎へにきて呉れ。」
「貴郎は時々こゝへ來て英國の事を思ひ出してゐたのね。矢張り生れ故郷へ歸りたい?」
「そんな事はない。子供達は大きくなるし、俺達は幸福だ。お前はどうだ。」
「私だって、もう決してタヒチヘ歸りたいとは思はないわ。貴郎と子供のゐるところは私の故郷よ。でも他の人達はどうして仲善く出來ないのでせうね。白人だの土人だのと差別をつけて‥‥」
「もう少しの幸抱だよ。子供達が大きくなって了へば、白い血も、赤い血も一緒になって了ふからね。それに近頃は皆工合よくやってゐるやうではないか。」
「いゝえマルチンやミルスは始終私の國の者達を酷使してゐますわ。それにあの運中は共同生活に飽きて、土地を私有にしたいなどゝ相談してをりますわ。」
「それもよからう。私有財産がきまれば、あの男達も怠けずに本氣で働くやうになるだらうし、ポリネシア人達だって、自分の土地を所有して働く方が励みになっていゝに違ひない。」
「でも、マルチンやウヰリアム達はポリネシア人に土地を分ける事なんか、反對するに極ってゐるわ。あの人達はポリネシア人を奴隷にして自分達は樂をしようといふ考へなんですもの。」
「さういふ考へは良くない。頭から抑えても駄目だが、追々にいってきかせよう。」
「私が口を出す幕ではないかも知れないけれど、貴郎ほんたうに氣を付けて頂戴ね。表面は皆平和にしてゐるけれども、マルチンの連中と、ポリネシアの男達とは火打石みたいにすれすれになってゐるのよ。いつ何時、火が舉るか判らないわ。私そんな事を考へると、時々夜も眠られないわ。」
「大丈夫だよ、心配する事はない、お前は身體の工合で神經質になってゐるんだよ。さァもう家へ歸らう。」クリスチャンほ姙ってゐる妻を劬りながら山を下りた。
其後、自人とポリネシア人との軋轢が段々激しくなってきた。殊にマルチン、ミルス、マッコイ、クヰンタルの連中が、植物の根から酒を造る事を學び、土地の所有慾を起して白人だけで土地を分配しようとした事がポリネシア人の耳に入ったので、彼等の忿怒ほ高潮した。
「このまゝ抛っておいたら、白人共は何をやり出すか判らない。平等の自由國を建設するなんて吾々を瞞しやがって‥‥第一吾々が神を祀る爲にわざわざ本國から持ってきた神聖な石をマルチンの奴が海へ蹴落しやがった。それからミルスの奴は帽子を被ったまゝ神殿に入って、吾々の神を穢した。それだけでも奴等を死刑にする値打がある。
その上クヰンタルの野郎は、新築した計りの俺の家を燒いて了やがった。白人共は吾々から土地を奪ひ、家を奪ひ、女を奪って、吾々を奴隷にしようとしてゐる。俺とてたひちは故國にゐた時には酋長だった。」巨漢みなりが悲痛な叫びをあげた。
「吾々は今晩遣付けて了はう!」とにはうがそれに應じた。
「だが、鐵砲が二挺より無いんだ。」もあいがいった。
「そんな事は問題ぢゃァない。俺は豚切り庖丁の凄いのをもってゐる。夫から鐵棒が一本ある。それだけで澤山ぢゃァないか!」とにはうが昂然と云放った。
「女達に悟られないやうにしなければいけない。」
「大丈夫だ、今日はクリスチャンの許で、三番目の子供が生れたんで、女達は昨日からあすこへ詰めかけてゐる。」とてたひちが應へた。
「子供の生れた日に、クリスチャンを殺すのは厭な氣がするが、これも子孫の爲だ。」とみなりがいった。
四人のポリネシア人達は、夜明け前に神殿に集合し、てたひちともあはウヰリアムの家へ向ひ、みなりとにはうはマルチンとミルスの働きにゆく森の通路に待伏せてゐた。
曙光が山の峰を紅く染め、刻をつくる鷄の聲が谷々に反響してゐる。細い徑をマルチンが片手に斧を提げて、肩を揺りながら大股に上ってきた。
藪陰にゐた二人は突然、マルチンの行手に立塞った。マルチンは鼻先に冷笑を浮べて、
「へえ、鐵砲なんぞを持ちやがって、豚狩りかい、お前等に射たれるやうな野呂間な豚がゐたらお目に掛りてえや。」と毒付いた。
「豚を殺すに鐵砲を使ふは勿體ねえや!」にはうは齒を喰ひしばって相手の肩を掴むだ。
「何をしやがる!」マルチンが手斧を振上げると、巨漢みなりがさっとその手首を押へて、
「さァ歩け!」と怒號した。
いつに變った土人達の劍幕に、マルチンはたぢたぢとなって、窺ふやうに二人の顏を見廻した。
「此奴を擔いでゆくんだ!」といひざま、みなりは突如、マルチンを蹴り倒した。二人は暴れ狂ふ白人を擔いで嶮しい崖を馳下り、雜木林の平地に突放して、みなりが其上に乗りかゝると、にはうは長刀を閃して、ばっさりとその首を斬落した。口を開いたまゝの、マルチンの醜惡な首が、ころころと藪の根元へ轉げていった。彼の斷末魔の絶叫が森と谷に谺してゐる。
にはうは素早く樹皮を剥して紐をつくり、マルチンの首に通してそれを腰に下げた。
「九匹の豚の中、先づその一匹を退治た!」と彼は勝誇ったやうにいった。
遠くに銃聲が起った。
「その二をやったな。てたひちが鍛冶屋のウヰリアムを片附けたんだ!」とみなりが呟いた。
小徑に跫音が聞えてきた。それはウヰリアムの最後を見届けてきたもあであった。三人はもう一度以前の藪蔭に戻って、次の獲物を待った。
「今度の首はお前にやるぞ。」にはうは長刀をもあに渡して、その代りに轍棒を受取った。
軈て何にも知らぬミルスが鼻歌を唄ひながら、森の小徑を上ってきた。
にはうは矢庭に躍り出て、鐵棒を揮ってミルスの腦天を打ちのめし、倒れかゝったところをもあが横合から一打に首を斬落した。ミルスは聲を立てる暇もなかった。もあほ兄貴分のにはうに倣ってその首を腰に下げた。
そこヘウヰリアムを片附けたてたひちが谷を越えて走ってきた。
樹の根に越を下して、始終を傍觀してゐたみなりは、悲痛な面持で何事か考へ込むでゐたが、急に鐵砲を鷲掴みにして立上った。
「さァ、これで第三が濟んだ、今度はいよいよクリスチャンの番か‥‥」
「矢張り、クリスチャンも殺るんですか。」
てたひちの眼ほ潤むでゐた。
「クリスチャンの氣持は解ってゐるが、俺達は人種の闘爭をしてゐるんだ‥‥白人が減びるか、ポリネシア人が減びるか‥‥クリスチャンも白人だ、こゝまできたら、どうにも仕様がないではないか。」
二人は顏を見合せて、重い吐息をした。
「クリスチャンだけは、豚を殺すやうに不意打をしたり、鐵樺を使つたりしないで下さい。」てたひちは嘆願するやうにいった。
みなりは無言で、腰にさしてゐた短刀と鐵棒を彼に渡して、峰づたひにクリスチャンの畑の方へ急いだ。
甲斐々々しく腕捲りをしたクリスチャンは、早春の陽光を浴びて傍目もふらずに芋畑を耕してゐた。彼はもう三人の父親であった。長男「十月木曜日」は三歳になってゐる。長男の誕生祝に村中の人々が集った時、英國を想ひ起さないやうな名が欲しいといふクリスチャンの希望で、ヤングが生れ月と日を其儘命名したのがこの奇抜な長男の名である。二番目の男の子は平凡にチャールス、そして其朝生れたのは愛妻生寫しの美しい女の子であった。
彼は人の氣配を感じて鍬持つ手を休めた。
「クリスチャン!」と呼びかけたみなりの聲は心持ち慄えてゐた。
「おゝ、みなりか。」クリスチャンは鍬を背後の小舎に立かけて微笑しながら振返る直ぐ目前に銃口が向いてゐるのを見出して流石に顏色を變へた。
三、良人を喪った女達
スミスの芋畑は川邊りの沼地にあつた。彼が膝まで泥に埋って、一心不亂に草毟りをしてゐるところへ、にわ(※士ワ石木と駝)師ブラウンの妻千枝が轉がるやうに走ってきた。
スミスは女の血塗れの手に目をやって、
「どうしたんだ! その手は!」と呼むだ。
「これは私の血ぢゃァない、ブラウンの血よ。あの人達が殺したの‥‥てたひちとみなりと、にはうともあが‥‥鐵砲や、刀をもって白人を鏖殺しにするといって捜してゐるのよ。にはうがマルチンの首を腰に下げてゐたわよ! 早く逃げなさい! クリスチャンは何處にゐて?」女は呼吸を切らせながら足踏みをした。
「クリスチャンは王手谷へいってゐる。」
「それぢゃァ殺されたかも知れないわ。」
「待て! 待て! 産後の味彌美に知らせちゃァならないぞ! 俺はクリスチャンの鐵砲をとりにゆくから、お前は早くヤングに知らせてこい。まだ家で寝てゐる筈だ!」
女は頷首いて疾風のやうに走り去った。
クリスチャンの家はひっそりとしてゐた。開放った戸口からスミスが跫音を忍ばせて入ってゆくと、牀に寝轉むでゐた彼の妻波留が眼を擦りながら起上った。
「叱っ! 靜にして下さいよ、味彌美も赤ちゃんも良く眠ってゐるから。」
「クリスチャンの鐵砲をもってきて呉れ、寝室の壁に懸ってゐる筈だ。お前が心配してゐた通り、到頭戰爭がおっ始ったんだ。いゝか味彌美には内緒にしておけ。」
スミスは妻の持ってきた鐵砲と彈藥を掴むで戸外へ飛出した。彼は藪を縫って森を隔てたヤングの家の前へ出た。
戸口にヤングの妻登良と、ミルスの妻富留が、千枝を取圍むで眞青な顏をして、何事か話合ってゐた。
スミスの顏を見ると、登良が馳寄って、
「どうしたらいゝでせう。家の良人はゐないのよ。私もたった今、クリスチャンの家から歸ってきたんだけれども‥‥大變な事になったわね。」と早口にいった。
「さっさと捜しにゆけ! ヤングの鐵砲はどうした?」
「貴郎のも、ヤングのも盗まれて了つたわ。代りにこれでも持ってゆきなさい!」
波留が臺所から肉切疱丁をもってきた。
「それぢゃァこの鐵砲はヤングに殘してゆくから、歸ってきたら渡して呉れ。俺はクリスチャンを捜しにゆく。萬一クリスチャンが殺られてゐたら俺は山羊小舎に隠れてゐるから、ヤングにその旨を傳へてくれ。」
スミスは肉切庖丁を掴むで再ぴ藪の中に姿を没した。
三人の女達は手分けをしてヤングを捜しに出掛けた。登良はスミスに托された鐵砲を一旦家の中へ隠しておいて、崖傳ひに雜木の枝や草葛を分けながら谷間へ下りてゆくうちに、羊齒の繁った傾斜面に高鼾を掻いてゐるヤングを見出し、一什始終を傳へた。
「馬鹿! 何だってスミスに鐵砲を持たせてやらなかったんだ!」
「だってさ、あの人は貴郎より體躯が岩丈で強いから、庖丁があれば大丈夫だと思ったからよ。」
「よし! 俺はスミスの後を追かけて、一緒にクリスチャンを捜す!」ヤングは登良を突退けるやうにして鐵砲を取りに家へ走っていった。
千枝と富留は既う家へ戻ってゐた。赤坊を寝しつけながら、森の小徑を見通す東側の窓際で見張りをしてゐた富留は、
「ヤング! 早くお隠れ! みなりがやって來たよ!」と警告した。
登良は物も云はずに、ヤングの手首を掴むで、隣室の長持の傍へ引擦ってゆき、頭から女の腰卷をかけた。千枝は素早く寝臺の下へ潜り込むだ。登良は次の部屋へ戻って、鼻歌を唄ひながら、コヽナッツの實を刻み始めた。
そこへ、大男のみなりが鐵砲を片手に、のっそりと入ってきた。登良は愛想よく笑ひながら、
「いゝお天氣だわね。」といった。富留は赤坊を揺りながら、鐵砲に目をやって、
「何處へゆくの? あゝ今朝早くから豚狩りをしてゐたのはお前さんだったのね。野豚は肥ったらうね。」と何氣ない調子でいった。
「あゝ、ウヰリアムと豚狩りをやってゐたんだ。迚も太え奴で、到頭逃して了った。登良よ、ヤングは何處へいったい。」
みなりの釣上った眼がぎろりと光った。
「朝から釣魚にいったわよ。屹度又新月灣でせう。」
みなりは最う一度室内を見廻した。
「お前さん、ブラウンの家の前を通ったらね、薪を集めておいたから、千枝に取りにくるやうに傳言して下さいよ。」
「よし、よし、いってやる。ぢゃァ、又。」
みなりは女達に頷首いて歸っていった。
「忘れないやうにね!」登良がその背後から聲をかけた。富留は、みなりの逞しい姿が森陰に消えると、
「あゝよかった! 壽命が縮まったわ!」と溜息をして、ぺたりと牀に坐った。寝臺の下から這出してきた千枝は、張りつめてゐた氣が弛むだやうに、富留の肩に顏を押付けてさめざめと咽び泣いた。
「家の良人は、眞實は助かるところだったのよ‥‥みなりが來て、白人の根絶しをする決議をしたんだが、ブラウンだけは助けてやりたいから、俺が鐵砲を射ったら、倒れて死んだ眞似をしてゐろ。そして他の連中が去って了ってから森の中に隠れてゐろといって呉れたのよ。それだのに良人は、倒れたまではいゝけれども、未だてたひちがうろうろしてゐる中に起上ったもんだから、見付かって射たれて了ったのよ。私は家の中で節穴から覗いてゐたんだけれども‥‥どうにもならなかったわ‥‥」千枝は涙と共に語った。
戸口に立ってそれを聞いてゐたヤングは、みなりがそれだけの人情を持ってゐるなら、クリスチャンも助かったかも知れないといふ一縷の希望を抱いて戸外へ出た。
「てたひちの豚奴! よくも家の良人を殺しやがった!」千枝は思ひ出したやうに罵った。
「茂技や、七重は前から知ってゐたらうに、どうして私達に知らせて呉れなかったのだらう。」と登良がいった。
「そんな怨みぽいことをいふもんぢゃァないわ。あの男達は女房に眞實を打明けるやうな神妙な奴等ぢゃァないんだからね。」富留が分別顏にいった。
その時、クヰンタルの妻沙良と、マッコイの妻麻利がそれぞれ赤坊を抱いて馳込むできた。女達は泣喚いてゐるその二人を取圍むで、
「どうしたの? お前さん達の亭主も殺されたの?」
「泣いてゐたって仕様がないぢゃァないか。さァ譯を話してご覧!」
「どうしたか知らないけれども、屹度殺されたに違ひないわ。マッコイは枝切リナイフを持ってゐるきりだし、クヰンタルは素手だし免れっこはないわ、富留や、お前さん知ってゐるのかい? ミルスは殺されて首を取られたんだよ。」と沙良がいった。
「聞いたとも畜生!‥‥だけれども自分の事ばかりで泣いてゐる時ではないぢゃァないか、生殘ってゐる者を生かしておく事を考へなくちゃァならない!」十九になる富留は凛として云放った。
女達はその言葉に励まされて、悲哀を吐出して了ふやうに、深い溜息をして、濡れた頬を拭った。一同が聲を潜めて善後策を相談してゐる最中に、直ぐ間近に轟然たる銃聲が起った。氣の小い麻利は身慄ひをして兩手で耳を覆ふた。
「又、誰かゞ殺られた! 私、見てくるわ。」
ブラウンの妻千枝が部屋を辷り出た。
森を抜けると、その先に薩摩芋畑がある。銃聲はその方向から響いてゐたのであった。千枝は雜木林の間から四邊を窺ひ、人影がないのを見定めて畑の中へ這っていった。
五十ヤード計りゆくと、枯葉に生々しい血が附いてゐた。千枝は地面に顏を寄せて、その邊を見廻してゆく中に、跣足の足跡を發見した。その足跡は右手の藪に續いてゐる。
その藪の中に俯伏せに倒れて呻ってゐたのはスミスであった。肩を射貫かれて蟲の息になってゐる。
「みなりの仕業だな! こんなところへ運び込んで、自然に死なせる心算だったんだわ。」千枝はそっとスミスを抱起した。
「確りおし! こんな傷、何でもないわ!」千枝はスミスを励しながら、擔ぐやうにしてヤングの家まで運むでいった。
登良と富留は甲斐々々しく寝臺の用意や、手當の仕度をして待構へてゐた。
「綺麗な傷だから生命には別條ないわ。」傷の手當をしてゐた富留がいった。
「早く、波留に知らせてやらなければならないわ。」と千枝がいった。
「いつ何時、みなり達がくるかも知れないから氣を付けなさいよ。私はこれからクリスチャンの家へいって、波留を呼んでくるから。若し誰か來たら寝臺の上に經帷子を掛け、お前さん達はその周圍に跪いて、お祈りをしたり泣いたりして、スミスが死んだ事にしておくんだよ。」といひ殘して、氣丈な登良は家を出ていった。
彼女がクリスチャンの家へゆく近道になってゐる滅多に人の通らない森を横切ってゆくと、巨木の蔭に佇ってゐたみなりの妻茂枝が四邊を憚るやうに登良を呼止めた。
「お前さん達は私の亭主がこんな騒ぎを起したので、嘸私を憎んでゐるだらうが、私は何も知らなかったんだから、どうか惡く思はないでお呉れ、七重だって、てたひちがこんな陰謀をもってゐようとは露知らなかったんだからね。」
「お前さんの言葉を信じたところで、死んだものが生返る譯ぢゃァあるまいし、冗(くど)い事を云はないで、そこを退いておくれ。」登良は冷かにいった。
「私はお前さん達を姉妹だと思ってゐる證據に、お前さんのところの亭主を隠匿っておいてあげたよ。山羊ヶ峰の誰も知らない洞窟の中に無事に生きてゐるから安心おし。」
「眞實かい!」登良は相手の手首を掴むだ。
茂枝は大きく領首いて、
「私達の気持、解って呉れる?」
「‥‥有難う!」
手を握り合った女達の頬に、涙がはらはらと傳った。
「私と七重は時々そこへいって、食物の事や何か見てあげるわ‥‥みなりは怒る時は怒るけれども、直ぐ冷めて了ふんだから、一ヶ月も過ぎて現てくれば、眞逆ヤングを殺すとは云はないわ‥‥何卒、みなりに復讐する事だけは思ひ止ってお呉れね。人殺しには違ひないが、あれでも私の亭主なんだから‥‥」
「お前さんの心持は良く解るわ‥‥けれども千枝と富留と壽蓙那の亭主は殺されたんだから、あの人達の身にもなってやらなければならないわ。」
「‥‥では、左様なら、私と七重はもう貴女達に會せる顏がないから、永久にこれで左様ならだわ‥‥何卒、皆によろしくね‥‥」
茂枝は長い頭髪に顏を埋めながら、よろめくやうに森の外へ出ていった。
四、黒獅子の最後
ポリネシア人の一團は、新月灣の岬に續く丘の中腹に陣取って、白人村を見張りながら晝食をとってゐた。
「てたひちとにはうは、午後から森の向ふ側を捜してみろ。俺達はこの海岸を捜すからな。それから日が暮れたら、クヰンタルの家の背後にあるパンタナスの樹の下へ集るんだ。いゝか、忘れるな。それからクヰンタルの野郎だけは俺が殺すんだから、誰も手を出しちゃァならねえぞ!」とみなりがいひ渡した。
一憩したポリネシア人達は、再び白人狩に出掛けた。
ミルスの首を腰にぶら下げたもあは野猪のやうに岩山を攀ぢたり、崖を飛下りたりして敏捷に走り廻ってゐたが、不意に立止って、
「ゐた! ゐた! 親方、誰か海岸を歩いてゐますぜ!」と注進した。
棘の多いパンタナスの繁みを分けて、もあの指す方を覗いたみなりは、突然、低い叫びをあげた。
「クヰンタルだ!」
岩の間を抜けて、磯に現はれたのは赤毛のクヰンタルであった。彼は長髪を潮風に靡かせながら、腕組みをして少時海を眺めてゐたが、くるりと踵を返して歩き出した。
「よし! 手前はこゝで待ってゐろ! 俺はタヒチの勇士らしく闘ふんだ。こんな卑怯な飛道具は使はねえ。この短刀も用はねえ。」みなりは短刀と銃をもあに渡して、素手になって峰傳ひに岬の方へ走っていった。
クヰンタルは崖を登って岬の上の臺地へ出た。彼は背後に迫るみなりに氣付かず、前額に手を翳して夕陽を遮りながら、遠くの森や谷を見廻してゐる。
みなりは十歩計り手前に立止り、兩手を握りしめて全身の筋肉を波打たせ、右手で自の隆々たる二の腕を發止と敲いた。それはポリネシア人獨特の決闘の申込みであった。
その音に背後を振返ったクヰンタルは、さっと身構へをした。赤獅子と黒獅子は爛々たる瞳を見合せて、ぢりぢりと詰寄った。四つの眼からは憎惡と復讐が火花のやうに交叉した。
突如、みなりの一撃が相手の顎を突上げた。クヰンタルはぐっと首を振って踏みこたへ、次の瞬間には牡牛の骨をもへし折るやうな勢ひで、みなりの胸の中へ躍込むだ。みなりはもんどり打って仰様に倒れた。その上にのしかゝったクヰンタルは、相手の頸に五本の指をかけて締めつけた。
みなりは砂を蹴って跳起きた。今度は彼の爪がクヰンタルの咽喉に喰込むだ。下敷となったクヰンタルの右手が相手の腕の骨をめりめりと碎いた。みなりは苦痛と忿怒に白泡を吹いて飛退ったが、突嗟に相手の脚を掴むで崖際に引擦り倒した。
クヰンタルは最後の力を揮ひ起して猛然と起上った。彼は躍りかゝってくるみなりの腕を潜って、巨彈のやうな一撃を相手の鳩尾に加へた。みなりはよろめきながらも、死物狂ひになって、クヰンタルを石壁に叩付けた。その拍子に足下の岩が崩れて、あっ! といふ間に、みなりの巨躯は崖下に消えた。
斷崖の中途から海面へ條枝を擴げてゐたパンタナスの樹は、めりめりと折れて、みなり諸共數十米下の怒涛に洗はれてゐる岩礁の上に墜落していった。
冷々とした夜風にやうやう正氣付いたクヰンタルは、咽喉に塞へてゐた血の塊を吐出して四邊を身廻した。
月が高く昇って、波の音が遠くに聞えてゐる。彼は蹌踉きながら自宅の方へ引返してゆくと、パンタナスの巨木の下に、三個の死骸が轉ってゐるのを發見した。てたひち、もあ、にはうは夫々咽喉を刳られてゐる。
「豪い事をやらかしたものだな! 一體誰が此奴等を殺付けたんだ。」クヰンタルは路傍に投出してある二挺の鐵砲を拾上げた。
彼はミルスの家から燈火が洩れてゐるのを見付けて、そっと戸口へ寄って口笛を吹いた。
「誰?」
「俺だ、クヰンタルだ!」
その聲にやうやう安心したらしく、細目に扉を開けたのは、ブラウンの妻千枝であった。
「早く入って扉を閉めなさい! 貴郎まァ‥‥その顏はどうしたの!」
血と砂に塗れて、紫色に腫上ったクヰンタルの顏は、まるで化物のやうであった。
「俺はみなりを殺付けてきたんだ。」
「あゝ、よかった! それでやっと安心したわ。もう恐ろしい人達は一人もゐなくなった。」
千枝は胸に手をあてゝ安堵の吐息をした。
「パンタナスの樹の下の三人を殺したのは誰だ?」
そこにゐた、富留、歌枝、千枝の三人は顏を見合せて躊躇してゐたが、
「‥‥眞實は私達三人で殺したのよ、彼奴達は私達の亭主を殺したんだもの!」とウヰリアムの妻歌枝がいった。
「よくやったな! 女の手でよくやったな!」
「‥‥私達は島の平和の爲に夢中になってやったのよ‥‥」
若い富留は身慄ひをしながらいった。
年嵩の千枝は、富留の抱いてゐる赤坊の頭を撫でながら、
「こんな可愛いゝ子供達の父親を殺した奴なんだもの‥‥彼奴等が鐵砲を股に挾んで居睡をしてゐる間に、鉈をもっていって一思ひに殺付けたのよ‥‥だけれど‥‥この事は他の女達に知らせたくないわ‥‥私達はこれから力を協せてこの村を盛り立て、子供を育てゝゆかなければならないんだから‥‥クヰンタル、お願ひだから、あの三人を殺したのは貴郎だといふ事にして呉れない?」と思慮深くいふのであった。
「いゝとも、引受けた。」
「眞實に誰にも云はないでね。お内儀さんの沙良にも内緒にしておいてお呉れね。」
「大丈夫だ、心得てゐるよ。これでポリネシア人の男達は全滅して了ったが、吾々の仲間は一體どうなったらう。」クヰンタルは血走った眼を窓外へやった。
白人で生殘ったのは、クヰンタルの他、ヤング、マッコイ、スミス及び夥しい出血の爲に生死の境を彷徨ってゐるクリスチャンだけであった。
急を聞いた村人達は、谷を越え、森を抜けてクリスチャンの家へ詰かけた。誰一人物音一つ立てる者もなく、靜り遮った部屋の中にクリスチャンの激しい呼吸使ひのみが聞えてゐる。女達ほ赤坊を抱いたまゝ床に跪いて、祈祷り續けてゐた。
五、黄色英國人
英國政府の運輸船バウンティ號が行衛不明になってから十八年目、米国の捕鯨船トパズ號が、適々航路を過って、ピットケイン島の沖合にさしかゝり、飲料水を得る爲に錨を下した。
「一體この島には短艇をつけるところがあるのかな‥‥おやおや無人島だと思ったら烟が見えるぞ!」甲板に佇って双眼鏡を覗いてゐた船長が呟いた。
「あっ! 丸木船がやってくる! 男が三人乗ってゐる!」一等運轉士ウヰバーが昂奮した叫聲をあげた。
二人が驚異の眼を瞠ってゐる間に丸木船は矢の如くに近づいてきた。彼等は兩手を櫂のやうに使って浪を掻きながら、瞬く間にトパズ號の舷側に小舟を寄せた。
「これは英国船ですか?」丸木船の中の一青年がはっきりした英語で呼びかけた。
「いや、米國船だ。君等は一體何者だ?」
「僕等はあの島で生れた英國人です。」
「俺も英國人だが、君等はどうして英國人なんだい。まァ兎に角上ってこいよ。」一等運轉士は非常な興味をもって欄干から身を乗り出した。
半裸體の青年は、するすると甲板へ上ってきた。トパズ號の乗組員等は、頭髪の黒い、皮膚の黄色い、不思議な英國人を取圍むで、質問の矢を浴びせた。
一晩年長らしい青年は、
「僕の名は十月木曜日です。これは弟のチャールスと、ゼームスです。僕等の父はスミスといふ英國人で、若しこの船に英國人がゐたら是非會ひたいといふので、その使者に來たのです。」と述べるのであった。
奇妙な事には、青年の言葉によると、島にはたった一人の父親と、幾人かの母親と、二十一人の兄弟姉妹が暮してゐるのだといふ。
飲料水積込み旁々、青年達の案内で島へ上った一等運轉士ウヰバーは、まるで物語にある樂園を目のあたりに見るやうな、平和な島の有様に驚嘆した。
森や、丘に切開かれた道を進むでゆくと、風雨に曝されてはゐるが、住心地の良さそうな二階家が、果樹園や、花畑に圍まれて點在してゐる。家々の窓からは健康そうな兒童達が首を出して、不思議そうに新來者を見送ってゐる。
森の端れの家の前に肩幅の廣い、五十前後の男が佇ってゐた。彼は長い金髪を肩まで垂らし、植物の繊維で織ったらしい布で仕立た古風な水夫の服を着てゐた。
「ようこそ來て下すった!」男は懐しげにウヰバーの手を握って屋内に請じ、子供等に命じてバナヽや、コヽナッツを持ってこさせて心から歡待した。
そこへ、女達が子供達の手をひいて、ぞろぞろやってきた。金髪の男は女達を一人々々ウヰバーに紹介した。最初に握手をしたのは十月木曜日の母親だといふ中年の、丈のすらりしとた婦人であった。彼女の美しい顏には永遠の淋しさといふやうなものが刻み込まれてゐた。
ウヰバーは金髪の男が英國を出て以來、もう二十年にもなると聞いて、いろいろ其後の消息を聞かせたが、ウオータルーの戰も、トラファルガルの海戰も、佛蘭西革命も一向彼の興味をよばなかった。彼は節くれ立った手で、前額を押へてゐたが、突然、顏をあげて、
「貴殿はバウンティ號といふ船の名をお聞きになった事がありますか。」といった。
ウヰバーの腦裡には十八年前英本國を騒がせた事件がまざまざと蘇返った。
「それでは、君はあの暴動の‥‥」
「さうですクリスチャンの一味だったのです。」ウヰバーの胸に質問が渦を卷いてゐたが相手は追ひ覆せるやうに、
「ブライ船長はどうなりました? その後、消息がありましたか?」と氣忙しく訊ねた。
「ブライ船長と十八人の部下は、タヒチ島から三千六百十八哩距れたバタビアに漂着し、一人の傷病者もなく、無事に英本國へ歸ってきましたよ。」
「有難い! それで安心した! 私は今日まであの十九人の人達の事が日夜氣になってゐたのです。それではタヒチ島で下船した人達はどうなりました?」
「バウンティ號の捜査に出た軍艦パンドラが二年目にタヒチ島で暴動者の一味十五人を召捕ってきて、裁判の結果、その中三人だけ絞首臺に送られました。」
「死刑になったのは誰々です?」
「殘念ながら其人達の名は失念しました。だが、クリスチャン以下八人は行衛不明と聞いてゐましたが、一體その人達はどうなったのです。」
「この島へ上った時には白人九人、ポリネシア人六人、合計十五人の男がゐたのですが、現在生殘ってゐるのは私一人きりで、後はみんな死んで了ひました。先刻御紹介した女達は死んだ者達の家内と、その遺兒で、十月木曜日は貴殿の仰有るそのクリスチャンの長男なのです。お話すれば永い事になりますが、貴殿は辛抱して聴手になって下さいますか。」
「聴きますとも、私は一七九〇年に出版された――バウンティ號の航海――といふブライ船長の著書を讀んで以來、クリスチャン其他の消息に就いて非常な興味を抱いてゐたのです。今、その暴動者の一人から、直接事實譚を聴くとは何たる奇縁でせう。」ウヰバーは眼を輝かして椅子を進めた。
「鳥渡お待ち下さい、今、貴殿の前でお話をしてをりますのは、倫敦の孤兒院で育ち、テームズ河畔の點火夫を勤め、今から二十年前に一水夫としてバウンティ號に乗込み、暴動者の一味に加はったジョン・アダムスではなく、こゝにゐる多くの子供等の父親になってゐるピットケイン鳥の土民スミスですから、何卒そのつもりでお聞き下さい。」といふ前提で、古い記憶を辿りながら語り出したのが、この物語の發端である。
六、柱時計は語る
――偖、そんな譯で吾々の大黒柱となってゐたクリスチャンは、白人の利己主義と、片意地なポリネシア人の誤解との犠牲になって手當の甲斐なく、現世を去って了ったのでした。
夫から數ヶ月間、悲哀の爲に歌ふ者も、笑ふ者もなく、長閑だった樂園はまるで死の島のやうになって了ひました。
けれども時が吾々の負傷を癒したやうに、女達も子供等の爲に、悲嘆を乗り越えて、もう一度昔しの明るい生活を呼戻しました。殊にクリスチャンの妻味彌美は雄々しく不孝と戰って、村の平和の爲に盡しました。彼女は良人の罪を愧ぢて山深く潜むでゐたみなりの妻茂枝、及びてたひちの妻七重を自分の家に引取り、親身も及ばぬ世話をして、隣人愛の模範を示しました。
生殘った男四人の中で、ヤングと私は住宅も近いので、しげしげ往復をしてをりましたが、クヰンタルとマッコイは、あの事件以來少し頭腦が變になり、まるで野豚のやうに、家へは寄りつかないで、山野をうろつくやうになりました。或日、ヤングが二本の酒瓶を小脇に抱へてきて、
「どうだい、浮世の憂晴しをもってきたぞ!」といひました。
久しく酒の香を忘れてゐた私達は、貧るやうに二本の瓶を傾けて了ひました。その酒はクヰンタルととマッコイが植物の根から醸造したものだったのです。
強烈い酒は私達を昔日のマドロス根性に引戻して了ひました。酒が盡きると、クヰンタルの消醸所へ押かけてゆき、終ひにはクヰンタルの家を倶樂部にして、男共四人は大ぴらで酒びたりになりました。それ計りではありません、酒呑の惡い癖で一人でも多く相手欲しさに、女子供にまで酒の味を教へようとしたり、醉拂って家へ歸っては、家族の者逹を泣かせるやうな騒ぎを演じたりしました。
或朝、倶樂部で目を覺した私は、ふと、家の事が氣になって村へ歸ってゆきました。といふのはそれまで代る代る呶鳴り込みにきたり、嘆願にきたりしてゐた女逹が、その二三日ばったり顏を見せなくなって了ったからです。
家には、妻の波留も、二人の子供達もをりません。隣りの家も、その隣りもいつの間にか、綺麗に空家になって、鷄一羽ゐない始末です。山を越えて王手谷の方へ捜しにゆくと、峠の上に關門が出來てゐて、矢來の後に鐵砲をもった女が歩哨に立ってゐるのです。女達は醉漢に愛想をつかして、吾々に絶縁を宣言したのです。
私が呆然として倶樂部に戻り、その旨を語ると、マッコイとヤングは、
「まァまァ、女共の氣の濟むやうにさせておくさ、此方は此方でしたい三昧をやってゐるんだからお互ひっこさ、だが、餓鬼まで取上げて了ふとは酷いな。」
「なァに、その中に女房共は不自由をして歸ってくるだらうよ。」などゝ樂觀してゐましたが、クヰンタルは承知しません。
「柵なんか作るとは生意氣な女共だ。俺がいって捩上げてきて呉れる!」といって、皆の止めるのも聴かず、慣然として飛出してゆきました。
彼の狂暴な性質を知ってゐるだけに、私達はどうなる事かと心配して、その後を尾行けてゆきました。
クヰンタルの姿が森の端に現はれると、王手谷に狼煙があがりました。それを合圖に、畑で働いてゐた女達は、鍬や鋤を投棄てゝばらばらと大手谷に馳集りました。彼女等は半圓形を作ってクヰンタルの近づくのを待構ヘてゐました。
射撃ではどんな男にも負けを取らぬ富留が茂枝の肩に銃を乗せて狙を定め、その傍に男優りの登良が鐵棒を掴むで仁王立になってゐます。味彌美の左右には七重と歌枝がそれぞれ武器をもって護衛兵のやうに附添ってゐます。クヰンタルが頭髪を振亂して、關門の中へ躍込まうとした刹那、先づ味彌美の放った一發が彼の赤毛を一握り程吹飛ばしました。續いて富留の彈丸が彼の耳朶を削落しました。
流石のクヰンタルも、膽を冷して野獸のやうな喚き聲をあげながら、周章てゝ坂道を逃げ戻ると、その後に殺到してきた女の一團は彼を藪の中へ突落し、凱歌をあげて引揚げてゆくのでした。
クヰンタルの傷が癒る迄には二ヶ月もかゝりました。その間中彼は「無念! 無念!」をいひ續けてをりました。その揚旬、女欲しさも手傳って、或日、同氣相求むるマッコイと謀し合せ、谷川へ洗濯にきた千枝と七重を攫ってきました。
そんな事とは知らないで、私が倶樂部へ出掛けてゆくと、女豹のやうに必死の抵抗をしてゐた女達は、私が扉を開けるや否や、凄じい勢ひで逃去りました。
その翌日、永い間喘息で寝てゐたヤングが、久振りで倶樂部に顏を出したと思ふと、私とクヰンタルとマッコイの三人に、二日以内にこの島を立退かなければ、斷然たる處置をとるぞといふ味彌美の傳言をもってきたのでした。ヤングは憤慨する吾々を宥めて、
「俺も一緒に行くから、この島を立退かうぢゃァないか。船でも何でも、必要なものは持ってゆけといふのだから、こゝへ來る途中にあったあの島へ行かうぢゃァないか。もともと俺達が惡いんだ。クリスチャンが死んでからこの三年間、俺達は酒の虜になってゐたんだ‥‥女達は武器をもってゐるし、それに母親となると、女は男よりも強くなるんだから、何を仕出來すか判らない。」といふのでした。
私は明日をも知れない病弱なヤングが吾々と運命を共にして、島を出ようといふ友情に絆されて、幾許か心を動しましたが、醉拂ってゐるクヰンタルとマッコイが、何としても聞容れないので、ヤングは到頭匙を投げて了ひ、苦しげに咳入りながら、とぼとぼと歸ってゆきました。
ヤングの傳言はあったものゝ、吾々は女の領分にさへ足踏みをしなければ文句はあるまいと多寡をくゝって、共儘自棄酒を呻ってゐると、三日日の朝、女達は供樂部を遠卷きにして、びゅうびゅう鐵砲を射ち始め、終ひには炬火をもってきて、晋々の供樂部に火を放けました。寸鐵も帶びてゐない吾々はどうする事も出來ず、各自に怪我をして這々の體でそこを遁げました。
仲間から紛れた私は、山羊ヶ峯の洞窟まで落延びて、日暮を待ってヤングの家へ忍むでいったのです。然し、そこには最早ヤングはをりませんでした。後で判った事ですが、女逹は吾々の倶樂部を包圍する前に、重態に陥ってゐたヤングを擔架で自分逹の部落へ運むで了ったのでした。
私が手探りで傷の手當をしてゐるところへマッコイが跛足をひきながらやってきました。二人は十日計り山に隠れてゐましたが、女逹が村へ近づかないのを見極めてから、恐々もう一度元の古巣へ舞戻りました。吾々の日課はクヰンタルの行衛を捜す事でした。彼は酒に醉ふと惡魔のやうになる男でしたが、根は正直な良い奴でしたし、殊にマッコイと彼とはバウンティ號へ乗込む以前からの相棒だったのですから、彼のゐない事はどんなに吾々を淋しくしたか知れません。
ところが或日、吾々は海岸の絶壁の上で、柄の血塗れになった見覺えのある斧を發見したのです。それは紛れもなくクヰンタルの斧でした。その附近の岩には血痕が黒く光ってゐますし、最初に戸口から飛出して腰に彈丸を受けた彼は、斧に縋ってこゝまで逃げ延び、過って海へ墜落して了ったに違ひないと思ひ、私逹は形見の斧を提げて、晴い氣持で家へ歸ってきました。
その晩以來、マッコイは自分の家に閉籠って私の顏を見るのも避けるやうになりました。私は最初の中、食物などをこしらへて持っていってやりましたが、彼は、
「餘計な事をして呉れるな。俺はひとりで暮したいんだ。さっさ歸れ!」と露骨な言葉を浴びせましたので、それっきり彼を見舞ふ事をやめて了ひました。
その中に彼は段々氣が狂って、或暴風雨の晩に、クヰンタルの斧が落ちてゐた崖から飛下りて了ったのてす。
私は彼の死骸を海から拾ひあげてきて、丘のパンタナスの樹の下に葬ると、その日の中に酒倉に殘ってゐた呪はしい酒を一本殘らず岩に叩付けて割って了ひました。
一人法師になった私は、堪へ難い寂寥を紛らす爲に減茶々々に働きました。先づ第一に空家になってゐる荒れ果てた家を、片端から大掃除をして、毀れたところを修繕して廻りました。私の心の底には王手谷へいった妻子達がいつかは歸ってくるだらうといふ微な希望があったのでした。
丁度マッコイを葬ってから一ヶ月目の朝、家の前で草毟りをしてゐるところへ、思い掛けなく妻の波留がやってきて、物も云はずに私の胸に顏を埋めて泣沈むのでした。
私達は感慨無量で、久時は口も利けずに抱合ってゐましたが、軈てお互ひに其後の事を語り合ひました。
私はヤングが病床にあっていつも私の事を云ひ暮してゐると聞いて、矢も盾も堪らなくなり、直ぐにも妻の手に牽かれて王手谷へ行かうとしたのですが、ふと、男の自尊心が首を擡げ、
「止しておかう。俺は一生涯こゝで暮すつもりなのだから、お前はお前で王手谷へ歸って、皆と一緒に子供等の面倒を見て呉れ。」と心にもなく、強いことをいって了ったのです。
波留が去って了った後、私は最早仕事を續ける氣力もなく、入口に腰を下して頭を抱込んでゐました。
すると、夫から三時間計りして、四邊が急に陽氣になったので顏をあげると、丘を越えて、味彌美を先頭にして女達が、子供や家畜類をつれて、ぞろぞろやってくるではありませんか。私は夢かと計りに小徑を馳下りて、女達一人々々と堅い握手を交したのでした。
三年の間に子供達は見違へる計りに成長し王手谷へいってから生れた赤坊は、いつの間にか母親に手をひかれて、ちょこちょこ歩くやうになってゐました。
クリスチャンの子供が三人、ヤングの子供が七人、クヰンタルの子供が四人、マッコイの子供が三人、ミルスの子供が二人、それに私の子供が二人合計二十一人の小鳥のやうな子供達が、私の周圍に集りました。
不思議にも、ポリネシア人を父とする子供は一人も無かったので、クリスチャンが豫言したやうに、あんなにも生命を賭して闘ひ合った二つの人種の血は、第二世に於て完全に融合して了ったのでした。
それ以來、ピットケイン島には眞當の平和がきました。
有難い事には、子供達はまだ幼少だったので、島に起った血腥い事件を記憶してゐる者はありません。私達の忌はしい過去も、子供等の明るい笑によって拭ひ去られて了ひました。
ヤングは病床にありながらも、村の光となり、太陽となって皆に慰藉を與へてゐました。私も彼のお庇で讀み書きを學び、島の唯一の書物である聖書を讀む事を覺えたのでした。
彼は最後の呼吸を引取る前に、
「私が死んだ後、お前にして貰ひたい事が二つある。その一は若し他日、英國の船がこの島へ來たなら、そしてお前の信頼し得る人に會ったなら、この島に起った出來事を包まず話して貰ひたい。この島の歴史を公にする事は吾々の義務の一つである。その二は吾々九人の中、最後まで生殘るお前は、子供等を立派な人間に育上げる使命をもってゐるのだぞ。どうか、死んだ者達の信頼を裏切らないで、この神聖な役目を果して呉れ。」といふのでした。
まだまだ、話は盡きませんが、もうこんな遅い時刻になりましたから、今晩はこれで打切りに致しませう。ご覧下さい、この柱時計は一番よくこの島の歴史を知ってをります。これはバウンティ號の船長室に懸ってゐた時計で、クリスチャンからヤングに、ヤングから私に傳ったものです。
クリスチャンは始終、俺がゐなくなっても時計を卷く事は忘れて呉れるなよと、口癖のやうにいってゐました。私達は酒に醉ひしれてゐる時でも、女達の鐵砲に脅されてゐる最中でも、クリスチャンの家へ忍込むで、時計を卷く事だけは怠りませんでした。
恐らく私が死んで了った後までもこの時計は現在と同じやうに、昔ながらの時を刻んでゐるでせう。
いや、假令この時計が朽ちて了っても吾々の耳から血に傳ったこの音は、永遠に子孫の血管の中で時を刻む事でせう――。
附記 スミス事ジョン・アダムスは、夫から十一年目に病没した。ピットケイン島物語は其後クヰンタルの息子マシウ、ヤングの娘ロザモンド、及びミルスの娘で九十三の長壽を保ったエリジャ等によって世に語り傳へられた。 (完)
注)明かな誤字誤植脱字は修正しています。探険と探検など文字のゆらぎはそのままです。にわ師のルビは「には」ですが漢字を開いて「にわ」としています。
注)句読点、改行は変更したところがあります。
注)現在ではピトケアン島表記のようです。どこまでが事実でどこまで脚色しているのかは不明。
海洋綺譚「鼠船の謎」
「オール讀物」 1935.08. (昭和10年8月号) より
一、乗組員のない船
三本檣の貨物船マリイ號は雜穀類を滿載して桑港を出帆し、英國に向って航行中、喜望峰附近でふっつり消息を斷って了った。
難破したか、海賊に襲はれたか、夫とも船内に暴動が起ったのか……。
すると、夫から六ヶ月目に、英國の警備艦が西班牙沖で、潮流のまにまに漂ってゐる不思議な帆船を發見した。それが行衛不明になってゐたマリイ號であった。ところが奇怪な事には船内に夥しい鼠の死骸が散亂してゐるきり、船長以下二十人の乗組員は影も形もなくなってゐた。
而も帆布は外れ、綱は斷れ、海水はかぶり放題、風雨の晒すに任せたその船には、乗組員がゐないといふ以外には何等の異常も見出されなかった。火災を起した様子もなく、破損した個所も見當らない。食糧も充分、水槽(タンク)には飲料水が滿ちてゐた。
貨物も現金も其儘になってゐるところを見ると、海賊船に襲はれたものとも思はれない。又、暴動が起ったものなら、格闘の跡や、死骸が殘ってゐる筈である。時化に遭って乗組員が一人殘らず巨濤に呑まれて了ったのなら、どうして鼠の死骸だけが甲板に遺ってゐるのか、颶風に卷去られたものなら、どうして三本の檣(マスト)が無事だったのであらう?
もう一つ不思議な事は、乗組員の所持品は悉く遺留してあったにも拘らず、彼等の海上生活を語る肝心な航海日誌が紛失してゐた事である。
マリイ號の所有主はいふに及ばず、乗組員の遺族達はそれぞれ手を盡してこの謎を解かうとしたが、茫ばく(※しんにょうに貌)たる海は竟に何事をも語らなかった。
二、自分を喪った男
夫から九年目、米國アリゾナ州の奥地で牧羊業をやってゐるジョンといふ男が、番小舎の前でパイプを取出し、一日の仕事を終へた後の一服を恰むでゐると、大草原を貫いてゐる街道を夕陽に吹かれながら飄々と歩いてくる旅人の姿が目についた。兩手で調子を取り、肩を揺ってゐるその歩き振りは一目して船乗りと頷首かれた。嘗ては海員生活をした事のあるジョンは、懐しい氣持で、近づいてきた旅人に聲を掛けた。
「おゝ、兄弟! 何處へゆくんだね?」
「濟まねえが、この邊で何處か、飲食(のみくい)をさせて、一晩泊めて呉れるところがあったら、教へて呉れねえか。」
旅人は言葉使ひに不似合な弱々しい聲でいった。
「さァな、あるとも云へるし、無えともいへる……お前さんは船乗りだね。」
旅人は錨の入墨をした腕をあげて、前額の汗を拭ひながら、怪訝さうにジョンの顏を凝視した。潮風の滲込んでゐる鳶色の頬は荒い髭に覆はれ、前額に深い皺が刻まれ、丈の高い、巌丈な體格をしてゐるが、何處か他人の同情を唆るやうな頼りないところがあった。
「俺のところへ泊ったらよからう、鳥渡した食糧位はある。さァこっちへ入りな。」
ジョンは旅人を促して小舎へ導いた。粗末な食卓を圍んで乾肉とパンと熱い珈琲で簡單な夕飯を濟した後、ジョンはパイプに煙草をつめ、相手にも紙卷煙草をすゝめたが、彼は首を振ってそれを謝絶した。それ計りではなく、何を訊いても捗々しく返事をしない。第一海員生活に就いてはまるで知識をもってゐなかったので、海の音信に餓えてゐたジョンは尠からず失望した。
その時、寝臺の下から現れてきた數匹の鼠がジョンの膝を渡って暖爐の傍の穴へぞろぞろ入っていった。これ等の鼠は獨住ひのジョンにとって、時には退屈凌ぎの遊び相手にもなってゐた。
鼠のちょろちょろ動く様を茫乎と視守ってゐた旅人は、急に眼を据ゑ、咽喉を締付けられるやうな叫聲をあげて立上ったと思ふと、きりきりと廻って丸太のやうに倒れた。
「おい、どうしたんだ!」ジョンが驚いて馳寄ると、暖爐の灰受に強か頭部を打つけた男は、むくむくと起上って、四邊を見廻しながら、
「此處は一體何處だ! 俺は救助られたのか? これゃ何ていふ船だ?」と叫んだ。その聲は今迄の弱々しさとは打って變って、船乗らしい底力のある聲であった。
「船ぢゃァねえぜ、こゝは羊の番小舎だ、お前は何をとぼけてゐるんだ。」
「丸太小舎だな、待て待て、俺は見た事もねえ小舎だぞ……矢張り俺は助かったか……一等運轉士はどうした? 大分容態が不良かったが……」男は壁を凝視しながら、途方もない大きな聲でいった。
「おい、おい、どうしたんだ、お前は気が變になったんぢゃァねえか? 確りしてくれ。」
「俺の頭腦はどうかして了ったんだ、海の眞中で船から轉げ落ちて以來、今まで何をしてゐたのか、空きし覺えがねえ……今日は何曜日だらう?」男は兩手で頭を抑えながらいった。
「火曜日だ。」
「火曜日? あれゃ日曜日だったけ……誰が俺を救助けて呉れたんだ……お前さんかね?」
「俺ぢゃァねえ、俺はもう少し前に往來でお前さんを見付けたんだ。お前さんはつひ今しがたまで、船の事も、海の事も、てんで知らなかったぜ。俺が船乗りだらうときいたら、日雇人夫だといってゐた。」
「實は船乗りなんだ。さういへばお前さんも船へ乗ってゐなすった事があるらしいね。而も俺と同じ米國人でゐなさるやうだ。一體こんなところで何をしてゐなさるんだね、こゝは西班牙か、葡萄牙の海岸だらうが……」
「何をいってゐるんだ、こゝはアリゾナの眞中の牧場の番小舎だ。」
「アリゾナとは驚いた! あすこから六千哩も距(はな)れてゐる。俺は一體、幾日位、頭が變になってゐたんだね?」
「さァ、そいつは判らねえ、お前さんはたった今、俺の目の前で海の事を思ひ出したところだ。」
「今は、何月の幾日なんだ?」
「九月の三日さ。」
「へえ、九月と……三ヶ月も經過ったのか……あれゃ六月だった……アリゾナへくるにはそれ位かゝるだらうが、それにしても、誰が連れてきてくれたんだらう?」
「お前さん、一人できたよ。腹を空らしてゐたから、こゝへ連込んだんだ。」
「さうか、それゃ有難え……おや、俺はいつの間に髭を生やしたんだらう……髭を生したら、どんな面になったか見てやらう。」
男は立っていって、壁にかゝってゐる鏡を覗いたと思ふと、まるで氣でも狂ったやうに、首を振ったり、頭を叩いて見たりして、
「これゃ、俺ぢゃァねえぞ! まるで別人だ!」と叫んだ。
「そんな馬鹿な話があるものか……お前さん、その腕の錨に覺えがあるだらう。」
「……うん、これは確に俺の手だ……初めて船へ乗った時、記念に入墨したんだ……」
男は今更のやうに自分の腕を擦り、胸を撫でた。
「お前さんが海へ墜ちたといふのは一體いつの事だ。」
「千八百九十五年の六月だ。」
「今は千九百四年だぞ、おいお前は九年も記憶を喪ってゐたのか。」
「九年?……今年が千九百四年だっていふ證據を見せてくれ、俺には信じられねえ。」
ジョンは戸棚を探って新聞紙を出して見せた。
「これは十日も前の新聞だが、この通り年號が書いてある。」
「成程な……濟まねえが鳥渡一服やらしてくれ。俺は煙草をのむで、ゆっくり考へて見よう。九年を……六千哩の旅と……俺はどこをどうしてこんなところまで來たんだらう……」
男はジョンから借りたパイプを燻しながら、靄のかゝった腦裡から古い記憶を手繰り出そうとするやうに、永い沈默を續けてゐたが、先刻の壁穴から鼠が匍出すのを見ると、眞青になってぶるぶる顫へ出した。
ジョンは大の男が鼠一匹に怯えて、ぢりぢり後退りをするのを見て、
「お前さんは先刻から、鼠計り氣にしてゐるぢゃァないか、何か思ひ出す事でもあるのかね。」といった。
「あゝ、さうだ! やっと思ひ出した……鼠! 鼠! あの船には恐ろしい鼠が充滿してゐた……」
さういふ前置で、この不思議な旅人は九年前マリイ號から消失せた乗組員達の、身の毛も逆立つやうな運命を語るのであった。
三、恐ろしき航海
俺が二等運転士として、貨物船マリイ號に乗込んだのは桑港だった。船は中古だが、三本檣のがっしりしたやつで、宛てがはれた船室も氣に入ったし、別に何といふ事はないんだが、どういふものか俺は氣が進まなかった。
積荷を終へて、いよいよ翌朝出帆といふ段取りになっても、まだ去就に迷ってゐた俺は、馴染の女の家で遅くまで飲み續け、眞夜中近くに棧橋へ戻って、一年近い航海に運命を托するマリイ號を更めてしみじみと見直した。
その時、俺の原因のわからない不安を拭ひ去る一小景が目についた。船を繋いである鐵鎖が、巨大な芋蟲のやうにむくむく動いてゐるので、不審に思って龕燈を翳すと、何十、何百といふ鼠の大群が、ぞろぞろと間斷なしにマリイ號へ乗込んでゆくのであった。
鼠はよく船を知ってゐる。船乗仲間では昔から鼠の見棄てる船は沈没するといってゐる。一體穀物船に鼠は附ものだが、それにしても俺はこの勇ましい鼠群の乗船振りにすっかり氣をよくしたのであった。
復活祭の翌朝、マリイ號は豫定の如く出帆した。船中では新米の乗組員を訓練する他、これといふ面倒も起らず平穏な航海が續いた。
夫から一ヶ月計りして船が南四十度に差しかゝった頃、或朝船長が、
「到頭、惡戯者の大將を生捕ったぞ!」とにこにこしながら大鼠の入った穽籠を甲板へ持出した。單調な生活に退屈しきってゐた乗組員等は、鼠の大さ、髭の長さなどに感嘆し、
「どうです船長、こいつを、犬に遣殺(やっつ)けさせて見ようぢゃァありませんか。」と云出したものがあった。
「それゃ面白からう、俺はいつか寄席で、テリア一匹が鼠二十匹を、ものゝ三分間も經過ないうちに一匹殘らず喰殺して了ったのを觀た事がある。そこら中血だらけになって、迚も壯快だったぜ……」と一等運轉士が赤髭を撚りながらいった。
「賛成々々」
「誰か、儂の船室からエス公を連れてこい。」と船長がいった。
斯うした他愛のない座興が、後日一同を恐ろしい運命に導かうとは誰一人知る者はなかった。俺達は甲板に輪を作って、黒斑のテリアと、猫程もあらうといふ銀毛の大鼠の物凄い格闘を見物し、手を打って興じ合った。
だが、死者狂ひの老鼠は猛り立ってゐる犬の牙をくゞって、前甲板の明窓から逃げ失せて了った。尤も鼠は一二度は犬に咬まれたと見えて逃道に點々と血痕が遺ってゐた。
エス公は獲物を取逃した口惜しさにまるで氣ちがひのやうになり、慰め顏に頭を撫でやうとした船長の手にかぶりついた。拇指の傷は細微だったが、船長は顏を顰めて血の流れる指先を手巾に包んで、
「野郎! 血迷やがったな。」と呶鳴った。エス公は申譯なさそうに首を垂れて帆綱の陰へこそこそと潜り込んだ。
一同はその悄氣返った様子を見て、どっと聲をあげて笑った。エス公は元氣のいゝ、可愛いゝ奴で、いつも船長の肩に乗って、船長が命令を下したり、叱言をいったりすると、まるで自分が船長のやうにきゃんきゃん吠立てるので、叱言が叱言でなくなって了ふ事が度々あった。そんな譯でエス公は、船中の人氣を一身に集め、荒くれ男の間に和かな氣分を醸し出してゐた。
ところが其日以來、エス公はすっかり元氣がなくなって了ひ、船長の愛撫ざへ避けるやうになった。最初の中は繃帶をした指先を突付けて、エス公が尾を股に挾んで後退りするのを面白がってゐた船長も、終ひにはエス公と仲直りをしようとして苦心するやうになった。
軈て船長の指先の傷も全快する頃になって、エス公の様子がいよいよ怪しくなってきた。始終そはそはと居場所を變へたり、鳥渡した事にも齒を露出して唸ったりして、徐々に食慾を失っていった。
「困ったものだ、ヂステンパーにでも罹ったのかな。」
「いや、腹に蛔蟲が發生(わ)いたんだらう。」人々はそんな事をいひながら、木片や、繩などを無闇と齧り出したエス公を氣遣ってゐた。
すると、或朝、エス公は舌をだらりと垂らして、口から泡を吹きながら、氣味の惡い唸聲をあげて、甲板を滅茶々々に駈廻ってゐた。
「こりゃ、いけねぇ、奴は狂犬になったぞ。……さういへば船へ乗る前の日に、不意に路地から飛出してきた野良犬に咬付かれたっけ……そして儂も喰付かれたか……おい、お前等氣をつけろ! エス公に近寄るな!」と船長が叫んだ。
俺達はみんなエス公を可愛がってるた。船乗りなんてものは氣の荒いものだが、その癖ひどく氣の弱いところがあるもので、エス公が狂犬になったからといって、誰も彼を射殺して了はうなどゝいふ者はなかった。
エス公は五六日一同の恐怖と憐憫の的になってゐたが、到頭腰が抜けて死んで了った。
俺達はシャベルでエス公の死骸を抄ひあげ海へ投込んで一安心したが、實はそれからが災難の始まりであった。
エス公に指先を咬まれた船長は、船室へ引籠って頻りと分厚な醫書を繙いてゐたが、
「駄目だ! どうにもならない!」といった。
心配して傍についてゐた一等運轉士は、
「船には藥はありませんが、陸へ上れば何とかなりませう。何處か近くの港へ船をつけようぢゃァありませんか。」と熱心にいった。
「いや、殘念ながら現在の醫學では恐水病の治療法はないのだそうだ。それにこの船は一路英國へ直行する使命をもってゐる。私事の爲に港へつける等とは以ての外だ。」
「だが船長、そんなに取越苦勞をされん方がよろしいでせう、指の傷は癒って了ってゐるんですし。」
「兎に角、儂は頭腦がはっきりしてゐる間はこの船を指揮するが、萬一の場合はよろしく頼むよ。いゝかね君、船長一個の生命よりも、二十人の生命の方が大切だからな……」船長は何事か決心してゐるらしかった。
俺達は指先を一寸咬まれた位で、恐水病になる等とは信じなかったが、マリイ號が喜望峰を廻った頃から船長の様子が變ってきたのに氣付いた。急に性格が憂鬱となり、酷く氣短になってきた。間斷なしに居場所を變へたりする様子はエス公を思はせるものがあった。一旦平癒ったと見えた拇指の先端が次第に腫上ってきて、疼痛の爲に酒杯も持てないやうな状態となり、その爲に酒杯を壁へ叩付けたりして、人々をはらはらさせた。
或朝、食堂へ顏を見せなかった船長は,一等運轉士と俺を船室へ呼んで、
「いよいよ、お前達に頼む時がきた。儂は宗教上の立場から自殺する事は出來ないが、人間を害する野獸を射殺する事は認める。儂は間もなく野獸になる。その時は他人に害の及ばないやうに、どうか一思ひに儂を射殺してくれ。」と悲壯な決心を浮べていふのであった。
だが、犬さへ射殺し得なかった俺達にどうしてそんな大それた事が出來よう。俺達は船長の容態がいよいよ惡化して狂暴性を帶びてきた時、止むを得ず四肢を緊縛した。船長はもが(※足宛)き苦み、
「さァ殺せ! 早く殺してくれ!」ど叫び續け、犬のやうに舌を垂れ、白泡を吹いて死んで了った。
船長の死骸を水葬して了ふと、間もなくマリイ號は無風帶に入った。
蒸暑い晩が續いた。或晩八點鐘が鳴ると間もなく、水夫の一人が慌しく甲板へ馳上ってきて、
「俺や今、大鼠に喰付かれたぞ!」と喚いた。
俺達は奴の手首に針を刺したやうな四つの穴があって、血を噴いてゐるのを見たが、
「鼠に咬付かれた位驚くない。」と一笑に附して了った。
ところが夫から三週間目に、その水夫は恐水病の症状を表はし、犬のやうに吠えながら狂ひ死した。この時になって初めて俺達は大鼠がエス公に咬まれた事を思ひ合せ、鼠群の中に恐水病が蔓延してゐることを想像して戦慄した。
俺達は水夫を葬った晩から、寝る間も長靴を穿き、厚い手袋を穿めて、頭からすっぽりと袋を被る事にした。熱帯圏内の航海でこれは實に辛い事であったが、それ程の用心も結局は役に立たなかった。
狂鼠は日毎に數を増し、甲板や、船室を跳梁した。檣といふ檣はまるで皮膚病に罹ったやうに腫上り、張り廻した帆綱は巨大な毛蟲のやうにむくむく蠢いてゐる。それが皆鼠の行列なのである。彼は奇聲をあげながら飛付合ひ、咬合ひして乗組員等を脅かした。
不注意な水夫等は勤務中、或は睡眠中に鼠に襲はれ、ばたばたと恐水病に倒れた。二週間計りの間に六人が悶死し、七人は病床に呻吟するやうな状態となった。彼等は酷暑と高熱に咽喉を渇かし、喘ぎ喘ぎ水槽の近くまで匍寄るが、水をみると口中から泡をふいて昏倒するのであった。
俺達は何とも手の下しやうがないので、唯専心鼠群を撲殺する事に努め、一方狂暴になってくる病人を縛り上げて、自然に悶死するのを待っては片端から水葬にしていった。
桑港を出帆した時には、船長以下二十一名の乗組員であったが、その頃には過半數を喪ひ。殘る乗組員等は各自二倍の勤務を分擔せねばならなかった。その上、鼠の恐怖に晝夜安眠が出來ず、過勞と睡眠不足の爲に、一同神經衰弱になって了った。俺はこの際船を南阿の港へ着ける事を主張したが、一等運転士は、
「そんな事をしたら、野郎共は皆脱船するに極ってゐる。新に乗組員を補充するといっても十日や十五日では頭數が揃ふ譯ではあるまいし、道草なんか喰ってゐたら、莫大な損害だ。」といって頑としてそれを却けた。
さうなると、俺と一等運轉士との問答を小耳に挾んだ水夫共は承知しなかった。彼等は結束して暴力に訴へ、船を最寄りの聖路易港に着けろと騒ぎ出した。
今にして思へば、俺がその時、暴徒に加擔したなら、貴い人命を尠くも半數は救ふ事が出來たであらうが、自分の小さな名譽心の爲に、俺は彼等に拳銃を擬して、暴動を鎮壓したのであった。
偖、マリイ號が有名な難所ビスケイ灣にさしかゝった頃には、一等運轉士と俺を除くの他、全員悉く病毒の冒すところとなり、彼等は互に咬合ひ、犬のやうに咆哮したり、不氣味な鼠鳴きをしたりして甲板や、船室を轉げ廻ってゐた。
俺達二人は奴等が近付かないやうに細心の警戒をしながら、交替に舵輪をとったり、帆を張りかへたりしてゐたが、その間も絶えず襲撃してくる狂鼠群と闘はねばならないので、終ひには風が變っても、帆綱が斷れても手のつけようがなかった。
其中に病人等は片端から死んでいった。俺達もすっかり氣が荒くなって、彼等を水葬にする氣力もなく、丸太か襤褸屑のやうに甲板から怒涛の中へ蹴落して了った。
最後の死骸が沈んで了ふと、一等運轉士は、「俺は一睡りするから、貴様舵輪をとってゐろよ。」といった。
「お前、そんな事をいって命が惜しくねえのか。」俺は相手の手前勝手に少々腹が立ったのである。
「それはどういふ意味だ。貴様は睡ってゐる人間を撲殺すといふのか。」彼は猜疑深い眼で、ぢっと俺の顏を探った。
「冗談いふな、俺が何をするものか、だが、うかうか眠ってゐると、鼠にやられるぞ。俺は船長株のお前に生きてゐて貰はにゃならん。俺としてもこんな個所で死(くたば)りたくねえんだ。この邊で見張りを怠って、通りがゝりの船を見落して了ったら、俺達はもう救はれる途はないぞ!」
「ふん、そんな事か、ぢゃァ貴様勝手に見張りをしてゐろ!」
一等運轉士は決してそんな分別のない男ではなかったんだが、極度の疲勞に常規を逸して了ったのであった。
俺は舌打をしたが、奴が少しでも疲勞を恢復して呉れゝばいいと思って、ひとり甲板で舵輪を握りしめて行手を睨んでゐると、一等運轉士が啻ならぬ叫びをあげて昇降口を駈上ってきた。
「到頭やられたぞ! 俺は大鼠を殺したが、大鼠も行きがけの駄賃に俺の生命をもってゆきやがった!」といひながら、彼は鼠の齒形のついた手首を、死者狂になって吸ってゐる。
「それで、俺にどうしろといふんだ。船長のやうに、頭に鉛の彈丸をぶち込んでくれとでもいふのか。」
「飛んでもねえ…………あゝ、俺は死にたくねえ、どうしても死にたくねえんだ!」
「死にたくねえのは誰だって同じだ。だが、人間は皆、一度は死ぬんだ。お前にも似合はねえ弱音を吹くな。」
「…………頼みがある…………若し貴様が無事に桑港に歸ったら、港町の菓子店の娘ケイトを訪ねてくれ、そして俺があの女の爲に死にたくねえといひ續けてゐたと傳へてくれ。俺はこの船を無事に目的地まで持ってゆけば船長様に昇格するところだった。俺は船長になったら、ケイトと結婚する約束になってゐたんだ……………………いゝか、頼むぜ。」
「よし、頼まれたとも、俺は屹度その女に會って、お前の眞心を傳へるぜ。假令會はないにしろ、詳しい事情を手紙に書いてやる、船長が死んで以來、今日までお前は立派に役目を果した。」
俺の言葉は足りなかったかも知れないが、いくらか彼の心を慰めたと見える。だが、死の恐怖と病毒とはぐんぐん彼の心を蝕んでいった。
夫から三日計りすると、何と思ったか、彼はよろめきながら甲板へ上ってきて、抱へてゐた航海日誌を矢庭に海中へ投げ棄てゝ了った。
「何をするんだ! 大切な航海日誌を失くしてどうする氣だ…………………」と俺が叫ぶと、彼は空洞な笑聲をあげて、
「はははゝゝはは、態ァ見やがれ! 貴様はもう船長様にはなれねえんだ…………貴様は俺のケイトを偸む氣だらう! 誰が糞! この俺が死んで了ふのに貴様計り生かしておけるものか! さァ死出の旅の道づれだ!」と喚きながら血走った眼を見据えて、ぢりぢりと詰寄ってきた。その間も狂鼠は俺達を目がけて飛付いてくるのであった。
俺は一等運轉士が發狂した事を知って、頸筋に、胸部に襲ひかゝってくる鼠を拂ひ除けながら後退りをしてゆく中に、前檣まで追詰められ檣樓に上って了った。
夫から數日間、俺は累々たる鼠の死骸を踏んで、氣の狂った一等運轉士の眼から逃げ歩いてゐた。彼の方では何事か罵り喚いたり、折々は犬の吠聲を立てたりしながら、俺を捜し歩いてゐた。
いよいよ、最後の日がきた。風がばったりと死んで、烈々たる太陽はマリイ號だけに焦點を注いでゐるやうに、ぎらぎらと光ってゐた。腐敗りかけてゐた鼠の死骸に取圍まれてゐる俺は、知らぬ間に地獄へ墜ちたのではないかと思った。
急に一等運轉士の喚き聲が聞えなくなったので、却って不氣味であった。あんなにも生に執着をもってゐた男も、到頭死んで了ったかと思ふと、流石の俺も安堵の奥に恐ろしい寂寥を感じてきた。
その時、不意に背後から猿のやうに組付いてきたものがあった。失策った! と思った瞬間、俺達は足を踏外して眞逆様に海中へ墜落した。
冷い水が、ざぶりと跳上った拍子に、組付いてゐた一等運轉士は一聲高く恐怖の叫びをあげて、見る見る大波に飲まれて了った。
俺は無我夢中で、わがマリイ號に泳ぎつき、必死になってつるつるした船腹に爪をかけようとしてもが(※足宛)いてゐた…………
そして次に氣が付いた時には、俺は斯うして、アリゾナ州の眞中の番小舎で、まるで會った事もないお前さんに對座してゐた次第だ…………………。
× × × ×
× × × ×
奇怪な物語を呼吸もつかずに聞いてゐたジョンは、相手の言葉が杜絶れると、
「それで………………お前さんは桑港の菓子屋の娘に會ったかね?」と尋ねた。
「…………約束だから。明日にでも手紙を書かう…………だが、俺は二度と桑港には足踏みしない氣だ………………彼處は餘り海に近過ぎる…………」といって、旅人は恐ろしげに身慄ひをするのであった。 (完)
注)明かな誤字誤植などは修正しています。
注)実際の出来事かどうかは不明。